2008年1月23日水曜日

静かなる、僅かなる前進

今日は、私が最も尊敬している日本の若き教義学者に宛てて、非常に長いメールを書きました。ありとあらゆることを思いめぐらしながら一生懸命に書いたので、ちょっとくたびれました。今日も部屋の中に響いている音は、私の打つキーボードの音だけです。まさに近づきつつある新しい時代の足音がズシンズシン鳴り響いているのは、私の心の中だけです。道は開けるでしょうか。このところ、カントを読むことができません。伊東美咲さんも米倉涼子さんも見ることができません。テレビそのものを見ていないわけでもなく、昨日と今日と続けて見たのは「恋ノチカラ」(主演 深津絵里さん)の再放送だったりする。数年前、夢中になって見たドラマです。今年もこんな感じで、集中力のない、ありとあらゆる方向へ意識が拡散していく生活を送ることになるのでしょう。ある先生から「牧師をするか勉強するかは、あれかこれかだよ」と教えられたことがあります。「牧師をしたことがない神学者」も「神学を学ぼうとしない牧師」も私にとっては全く受け入れることができない存在ですが、「意識の無際限の拡散」と「意識を集中して書物を書くこと(論文執筆や翻訳などを含む)」はたぶん決して両立しえない二極であることも体験的かつ実証的な事実ではあります。私の性格の問題もあるでしょう。毎年一冊ずつといったペースで次々と著書や訳書を物していく「神学的牧師」の存在は、私の目から見ると、奇跡以外の何ものにも見えません。