マタイによる福音書9章35~38節
関口 康
「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手は少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』」
皆さんの前でお話しするのは今年度最後となります。
私は一昨年末まで教会の牧師という仕事をしてきました。牧師の仕事がどんなものかといえば、仕事の大半は家の中でします。日曜日やその他の日の説教の原稿を書いたり、いろんな人に手紙を書いたり、教会の書類を書いたりする仕事が多いです。
しかし、家の中で仕事をすることで起こる問題もあります。家族が病気で苦しんでいるとき、その家族をまるで私が無視しているかのように、背中を向けて仕事をしなければならなかったこともありました。反省しなくてはならないことはたくさんあります。
今日の箇所にイエスが登場します。多くの町や村に「会堂」(シナゴーグ)と呼ばれる建物が立っていました。礼拝を中心とする宗教活動を行う場所です。その「会堂」をイエスが訪ねて、聖書のお話をしていました。
「ありとあらゆる病気や患いをいやされた」(35節)と書かれていますが、これは昔の話です。現代の医学とは区別しなくてはなりません。イエスの仕事は聖書のお話をすることです。それで人々を慰めたり励ましたりすること、悩みや苦しみを取り除くことをしていました。
「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(35節)とも書かれています。
ここに描かれているのは、イエスから見たユダヤ人の一般庶民の姿です。「弱り果て、打ちひしがれている」人々を見たイエスが、その人々を助けなくてはならないと決心し、自分の弟子を派遣することにしました。
しかしこの箇所を読むと私はどきっとします。「会堂」は宗教施設です。多くの人が集まります。そしてそこには必ず宗教的な指導者がいます。祭司長、律法学者、長老と呼ばれる人々です。「先生」(ラビ)と呼ばれた存在です。
それで分かるのは、各地の「会堂」とその周辺には「先生」がいなかったわけではないということです。「先生」の仕事は「弱り果て、打ちひしがれている」人々を助けることでした。しかし、その「先生」が役に立っていないとイエスには見えたのです。
宗教のことは私も皆さんに話しにくいと思っている面があります。そんなものが何の役に立つのか、何の役にも立っていないではないかと言われると言葉を失います。
先ほど家族の話をしました。私が教会の人々にとって、あるいは地域社会の人々にとってどういう牧師だったかは、自分では分かりません。しかし、家の中では家族に背中を向けて仕事を続ける残酷な人間でした。穴があったら入りたい気持ちです。
イエスは「弱り果て、打ちひしがれた人々」を「憐れまれた」とありますが、「会堂」と「先生」には憤りを覚えたと思います。お前たちは何をやっているのかと。何の役にも立っていないではないかと。
イエスが自分の弟子を派遣する際に命令したことが10章に記されています。その中で大事な教えは「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(10章8節)です。この意味は「人助けを私利私欲のためにすべきでない」ということです。
このルールは狭い意味の宗教の仕事に限られるものではありません。どんな仕事であれ、困っている人を助けることをお金儲けの手段にするのは間違っています。それは人の弱みにつけこむことを意味しますので。
しかしそれでは人助けをする人々自身はどうやって生活するのかという疑問が必ず残ります。それについてはイエスが「働く者が食べ物を受けるのは当然である」(10章10節)と言っています。人を助ける仕事をする人は、その人を助けてくれる人々に助けてもらいなさいということです。お互いに助け合う関係を築きなさいということです。
皆さんが最も頭を悩ませているのは進路の問題だと思います。進学先の問題以上に将来の職業の問題でしょう。
ぜひめざしてほしいのは、「弱り果て、打ちひしがれている人々を助ける仕事」です。そしてぜひ家族を大事にしてください。
皆さんの将来を心から応援いたします。
(2017年2月13日、千葉英和高等学校 学校礼拝)
2017年2月1日水曜日
ご一緒に死なねばならなくなっても(千葉英和高等学校)
マルコによる福音書14章22~31節
「ペトロは力を込めて言い張った。『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。』」(31節)
今朝の箇所に描かれているのは、主イエスが十字架につけられる前の夜、弟子たちと共にした最初の晩餐の場面です。教団・教派によってとらえ方に違いがありますが、この最後の食事を想起するのが聖餐式です。主の晩餐式、あるいはカトリック教会のミサもその点では同じです。
主イエスはパンをとって、それを裂いて弟子たちに与え、「とりなさい。これはわたしの体である」と言われました。ぶどう酒の杯も同じようにされ、「これはわたしの血である」と言われました。
共観福音書には見当たりませんが、ヨハネによる福音書には、主イエスが自分の肉を食べ血を飲めとおっしゃる言葉を聞いた弟子たちが、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(6章60節)と拒絶反応を起こし、そのせいで「弟子たちの多くが離れ去り、イエスと共に歩まなくなった」(6章66節)とまで書かれています。
これで分かるのは、今日の箇所で主イエスがおっしゃっている「わたしの体」を食べ、「わたしの血」を飲めという言葉は、今のわたしたちにとってだけでなく、当時の人々にとっても、弟子たちにとってでさえ相当気持ち悪いものだったということです。
しかも主イエスは「わたしの体」「わたしの血」と2つに分けておっしゃっていますが、要するに「わたしを食べなさい」とおっしゃっています。そう言うともっと恐ろしい話になってしまいますが。
しかしそれはもちろん恐ろしい話ではありません。あなたがたの中にわたしを取り込みなさいとおっしゃっているのです。あなたがた自身がわたしになりなさいということでもあります。わたしの存在と働きを受け継ぎなさいという意味でもあります。
そして、ここから先は再び解釈に多様性があると思われますが、このとき主イエスは御自分の死の自覚をされていたので、いわば遺言として、約束として、御自分の存在と働きを弟子たちにお委ねになったと理解することができると思います。
その最後の晩餐の席で、弟子のペトロが、元気でもあり不遜でもあることを主イエスに言います。「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(29節)。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(31節)。
「たとえ、みんながつまずいても」は余計な言い方ではありますが、ペトロの競争心の強さがよく表れています。自分はリーダーでなければならない、リーダーは他の誰よりも強くなければならないという責任意識を強く持っていた人だったことが分かります。
しかし、主イエスはそのペトロの言葉を即刻打ち消します。叱りつけたわけでもたしなめたわけでもありません。ばかにしたわけでも軽蔑したわけでもありません。ただ事実をおっしゃっただけです。言い方を換えれば、わたしはあなたにそこまでのことを求めてはいない、とおっしゃったのです。
独裁者のような人は、自分のために死んでくれる部下を求めるかもしれませんが、部下のために自分が死ぬことは決してしません。しかし主イエスは逆でした。弟子のだれも自分のために死んでほしいと思っておられないし、そのようなことはやめてくれとお止めになる方です。
ですから、結果的にペトロは自分で誓った言葉を自分で裏切り、全く正反対の行動をとってしまいましたが、それはあくまでも自分に対する裏切りであって、主イエスの命令に対する裏切りではありません。主イエスは、自分のために死んでくれとも、自分と一緒に死んでくれとも、そのようなことは一言もおっしゃっていません。
ペトロは嘘をついたわけでもありません。本気の本気で、本心の本心を言ったのです。それを実行できなかっただけです。ペトロは間違った誓いをしたのです。あなたのために死ぬ、誰かのために死ぬという誓い自体が間違っているのです。死なないでください、生きてください。それが主イエスの願いです。
主イエスでさえ死のうと思って死んだとか、死にたくて死んだわけではありません。死ぬこと自体、殺されること自体は、主イエスの本望でもなければ、ご自分の計画が実現し、達成したということでもありません。
ペトロの姿を学校教員に多いとされる「燃え尽き症候群」に関連づけて考えてみることができるかもしれません。生徒たちのために、先生がたのためにお祈りいたします。
(2017年2月1日、千葉英和高等学校 有志祈祷会)
2016年12月12日月曜日
新しい時代の到来(千葉英和高等学校)
ルカによる福音書2章8~12節
関口 康
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」
今日の説教に「新しい時代の到来」というタイトルを付けたのは、「アドベント」という言葉の意味が「到来」だからです。「待つ」という意味はありません。「待つ」ではなく「来る」です。救い主イエス・キリストの誕生は「新しい時代の到来」を意味する。それが「アドベント」の意味です。
私の妻は保育士です。子どもたちが小さい頃は子育てに専念していました。息子が中学校に入学し、娘が小学校の高学年になったときから保育士の仕事を始めました。ちょうど10年前です。
保育士の仕事にもいろいろあります。現在は発達障がいを持つ子どもたちの施設で働いています。その前は児童養護施設で働いていました。複雑な事情の子どもたちの世話をしています。
しかし、妻の仕事の具体的な内容については、私は何も知りません。いろんな仕事に当てはまることでもありますが、妻の仕事には「守秘義務」があります。仕事上知りえたことを第三者に漏らしてはなりません。それは夫婦であっても親子であっても同じです。
学校の先生も同じです。学校の先生にも「守秘義務」があります。私も家でもどこでも学校のことは何も話しません。ですから、私と妻が家にいるときは、お互いにずっと黙っていることが多いです。それでいいのです。そういう仕事なのですから。
こういう話をするのは、皆さんの将来の進路選択や職業選択の参考にしてほしいという願いがあるからです。直接的な意味で保育士になってほしいという意味ではありません。私が言いたいのは、日本の中にも、小さいときから親子の関係や自分自身の体や心のことで激しく悩み苦しんでいる子どもたちがたくさんいるということを知らずにいないでほしいということです。そして、もし可能なら、そのような子どもを何らかの仕方で助ける仕事をぜひ目指してほしいということです。
先々週の礼拝にお招きした日本国際飢餓対策機構の方の話には、心を激しく揺さぶられました。飢餓で命を失う子どもたちが日本国内に大勢いるとは言えないでしょう。しかし、日本には問題がないということはありえません。人に言えない事情も多くあるのですが、だからこそ人知れず多くの子どもたちが小さいときから激しく苦しみ悩んでいます。
その中には皆さんと同世代の子どもたちがいます。皆さんの弟さんや妹さんの世代、あるいはもっと小さな子どもたちもいます。その子たちのことを他人事だと思わないでほしいです。きつい言い方になりますが、「そういう家庭環境に生まれてしまった子どもたちは、はい残念でした。でも、ぼくは、私は、ラッキーでした」というような考え方は捨ててほしいです。
「ノブリス・オブリージュ」というフランス語の言葉を皆さんはご存じでしょうか。英語でいえば「ノーブル・オブリゲーション」です。日本語には訳しにくい言葉ですが、その意味は「恵まれた人こそが社会的に果たすべき義務が重い」ということです。税金の額だけの問題ではありません。もし皆さんが「ぼくは、私は、ラッキーでした」と思うなら、そのような人こそが、そのようなことを考えることすらできない苦しい立場にいる人々のことを助けることについて大きな義務を負うべきです。
進路選択や職業選択について私が何か言うと、それは押し付けだ、指図するな、個人の自由だとお叱りを受けることがありますので、このことも慎重に言わなければなりません。押し付けるつもりも指図するつもりも全くありません。ただお願いしたいだけです。
今月初めに行われた学校のクリスマス祝会の「ページェント」(キリスト降誕劇)は本当に素晴らしかったです。感動しました。私は昨年までは在校生の保護者として毎年参加していましたので、4年連続で観させていただきました。どの年の作品も素晴らしかったですが、年々パワーアップしていると思います。
しかし忘れてはならないのは、ページェントが教えてくれたのは「最初の」クリスマス、つまりイエス・キリストの誕生の日の出来事は、本校のページェントの盛大さとは全く正反対と言えるほど寂しいものだったということです。
ヘロデを上手に演じてくれた名役者を悪者にする意図はありません。しかしイエスが生まれたのは裕福で贅沢なヘロデの側ではありません。正反対です。「こんな服で、こんな身なりで救い主に会いに行ってもいいのだろうか」と悩む羊飼いたちに涙が出ました。人の心の叫びが聞こえました。
しかしまた、そのような人々のもとでこそ、そのような人々のためにこそ救い主がお生まれになったのだと天使が教えてくれました。そうであることのしるし、その証拠は、幼子イエスが家畜小屋の飼い葉桶に寝かされていることであると教えてくれました。
その幼子イエスの姿は、裕福と贅沢のまさに正反対です。裕福と贅沢が悪いと言っているのではありません。しかし、世界には、そして今の日本にも、そうでない人が大勢いるし、多くの子どもたちが苦しんでいるということを深く考え、真剣に向き合うことなしに自分の裕福と贅沢だけを追い求めようとするならば悪いです。いいわけがないではありませんか。
そのことをクリスマスが、そして幼子イエスが、今日あなたに問いかけています。そのことを覚えて過ごすクリスマスでありたいと願います。
(2016年12月12日、千葉英和高等学校 学校礼拝)
関口 康
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」
今日の説教に「新しい時代の到来」というタイトルを付けたのは、「アドベント」という言葉の意味が「到来」だからです。「待つ」という意味はありません。「待つ」ではなく「来る」です。救い主イエス・キリストの誕生は「新しい時代の到来」を意味する。それが「アドベント」の意味です。
私の妻は保育士です。子どもたちが小さい頃は子育てに専念していました。息子が中学校に入学し、娘が小学校の高学年になったときから保育士の仕事を始めました。ちょうど10年前です。
保育士の仕事にもいろいろあります。現在は発達障がいを持つ子どもたちの施設で働いています。その前は児童養護施設で働いていました。複雑な事情の子どもたちの世話をしています。
しかし、妻の仕事の具体的な内容については、私は何も知りません。いろんな仕事に当てはまることでもありますが、妻の仕事には「守秘義務」があります。仕事上知りえたことを第三者に漏らしてはなりません。それは夫婦であっても親子であっても同じです。
学校の先生も同じです。学校の先生にも「守秘義務」があります。私も家でもどこでも学校のことは何も話しません。ですから、私と妻が家にいるときは、お互いにずっと黙っていることが多いです。それでいいのです。そういう仕事なのですから。
こういう話をするのは、皆さんの将来の進路選択や職業選択の参考にしてほしいという願いがあるからです。直接的な意味で保育士になってほしいという意味ではありません。私が言いたいのは、日本の中にも、小さいときから親子の関係や自分自身の体や心のことで激しく悩み苦しんでいる子どもたちがたくさんいるということを知らずにいないでほしいということです。そして、もし可能なら、そのような子どもを何らかの仕方で助ける仕事をぜひ目指してほしいということです。
先々週の礼拝にお招きした日本国際飢餓対策機構の方の話には、心を激しく揺さぶられました。飢餓で命を失う子どもたちが日本国内に大勢いるとは言えないでしょう。しかし、日本には問題がないということはありえません。人に言えない事情も多くあるのですが、だからこそ人知れず多くの子どもたちが小さいときから激しく苦しみ悩んでいます。
その中には皆さんと同世代の子どもたちがいます。皆さんの弟さんや妹さんの世代、あるいはもっと小さな子どもたちもいます。その子たちのことを他人事だと思わないでほしいです。きつい言い方になりますが、「そういう家庭環境に生まれてしまった子どもたちは、はい残念でした。でも、ぼくは、私は、ラッキーでした」というような考え方は捨ててほしいです。
「ノブリス・オブリージュ」というフランス語の言葉を皆さんはご存じでしょうか。英語でいえば「ノーブル・オブリゲーション」です。日本語には訳しにくい言葉ですが、その意味は「恵まれた人こそが社会的に果たすべき義務が重い」ということです。税金の額だけの問題ではありません。もし皆さんが「ぼくは、私は、ラッキーでした」と思うなら、そのような人こそが、そのようなことを考えることすらできない苦しい立場にいる人々のことを助けることについて大きな義務を負うべきです。
進路選択や職業選択について私が何か言うと、それは押し付けだ、指図するな、個人の自由だとお叱りを受けることがありますので、このことも慎重に言わなければなりません。押し付けるつもりも指図するつもりも全くありません。ただお願いしたいだけです。
今月初めに行われた学校のクリスマス祝会の「ページェント」(キリスト降誕劇)は本当に素晴らしかったです。感動しました。私は昨年までは在校生の保護者として毎年参加していましたので、4年連続で観させていただきました。どの年の作品も素晴らしかったですが、年々パワーアップしていると思います。
しかし忘れてはならないのは、ページェントが教えてくれたのは「最初の」クリスマス、つまりイエス・キリストの誕生の日の出来事は、本校のページェントの盛大さとは全く正反対と言えるほど寂しいものだったということです。
ヘロデを上手に演じてくれた名役者を悪者にする意図はありません。しかしイエスが生まれたのは裕福で贅沢なヘロデの側ではありません。正反対です。「こんな服で、こんな身なりで救い主に会いに行ってもいいのだろうか」と悩む羊飼いたちに涙が出ました。人の心の叫びが聞こえました。
しかしまた、そのような人々のもとでこそ、そのような人々のためにこそ救い主がお生まれになったのだと天使が教えてくれました。そうであることのしるし、その証拠は、幼子イエスが家畜小屋の飼い葉桶に寝かされていることであると教えてくれました。
その幼子イエスの姿は、裕福と贅沢のまさに正反対です。裕福と贅沢が悪いと言っているのではありません。しかし、世界には、そして今の日本にも、そうでない人が大勢いるし、多くの子どもたちが苦しんでいるということを深く考え、真剣に向き合うことなしに自分の裕福と贅沢だけを追い求めようとするならば悪いです。いいわけがないではありませんか。
そのことをクリスマスが、そして幼子イエスが、今日あなたに問いかけています。そのことを覚えて過ごすクリスマスでありたいと願います。
(2016年12月12日、千葉英和高等学校 学校礼拝)
2016年10月31日月曜日
ハイブリッドのすすめ(千葉英和高等学校)
フィリピの信徒への手紙4章8~9節
関口 康
「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。」
今日も聖書を学びたいと思います。ただ今日は、宗教科の先輩が、チャペルの礼拝の説教でいつもご自分のご家族のお話をなさるので、私も先輩を見習って家族の話をします。
私にはとても美しい妻と、とてもかわいい子どもが2人います。子どもと言っても、2人とも高校を卒業しています。1人は女の子で、もう1人は男の子です。
今日はその男の子の話をします。高知県で生まれました。私が初めて牧師の仕事を始めたのが高知県の教会だったからです。
息子が1歳のとき福岡県に引っ越しました。私が福岡県の教会の牧師になったからです。2歳のとき兵庫県神戸市に引っ越しました。私が神戸の学校に入学したからです。家族寮で生活しました。3歳のとき山梨県に引っ越しました。私が山梨県の教会の牧師になったからです。9歳のとき千葉県松戸市に来ました。私が松戸市の教会の牧師になったからです。それ以降は千葉県民です。
息子が高校生だった頃、ふと聞いてみたくなったことがあって質問しました。「お前は今、教会とか聖書とかキリスト教のことをどう思ってんの」。
家族ですからずっと行動を共にしてきましたが、お互いの距離があまりに近すぎて、そういう質問をしたことがありませんでした。
おやじから唐突に変なことを質問された息子から「どゆ意味?」という返事がかえってきました。それで私は続けました。「いや、だってさ、生まれたときから教会にいて、聖書とかキリスト教とか否応なく押し付けられて、腹立つこととかなかったのかな、と思ってね」。
もう少し続けました。「だって、ほら、お前がこれまで通った学校はキリスト主義じゃなかったし、学校で教えてもらうことと、おやじから聞く聖書の話が矛盾してるとか、そういうことで悩んだこととかなかったのかな、と思ってね」。
返事がありました。「ああ、そういうときもあったよ」。「おれが幼稚園のころ教会でもらった聖書の絵本を読んで、それに書いてあるとおりだと思ってた。だけど小学校に入ってから全部崩壊した。がらがら崩れ去った」。
「そうか。そりゃ悪いことしたな。すまんすまん」と謝りました。そして、また聞きました。「それなら今はどうなの。聖書に書いてあることと、学校で教えてもらうことと、どっちが大事とか、どっちが正しいとか、そういうこと考えることないわけ」。
ほんの少しだけ間がありました。「考える時間くれ」みたいな顔をしました。しかし、さほど待たずに答えがかえってきました。
「どっちも、でいんじゃね」。
その答えを聞いて、私はとても安心しました。
今日、私が皆さんにお話ししたいのも、それと同じことです。今日の礼拝プログラムに書いた私の説教のタイトルは「ハイブリッドのすすめ」ですが、言いたいことは「どっちも、でいんじゃね」です。
礼拝プログラムに載せた説教要旨にうんとややこしいことを書きましたが、詳しい説明はしません。あとで読んでみてください。
今日開いていただいているのは、二千年前のキリスト教伝道者、使徒パウロが書いた手紙の一節です。そのパウロが書いている「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」(8節)の「すべて」は、文字通りのすべてです。
それは、聖書に書かれていることのすべて、とか、キリスト教の教会が教えていることのすべて、という意味ではありません。そのような制限がない「すべて」です。百科事典的な「すべて」です。
その「すべて」は、皆さんがこれまで、そしてこれから、学校や社会で勉強してきたし、することのすべてです。キリスト教主義の学校だからといって、キリスト教だけ勉強しているとか、聖書だけ勉強しているということはありません。あらゆる知識、教養、体力、生活力を、わたしたちは学んでいます。もちろん人によって、どれは得意で、どれは苦手ということはあるかもしれません。でも、どれは大事で、どれは大事でないということはありません。
それで今日、私が皆さんにお願いしたいのは、その「すべて」の中に、もしよろしければ「聖書」も加えていただけませんでしょうか、ということです。この学校に「聖書」の授業があります。一方的に押し付ける気持ちは全くありません。
私が皆さんにお願いしたいのは、いろいろとたくさんある中の目立たない隅っこで構わないので、「聖書」のことも考えることができる心のすきまを、ほんの少しだけでいいので空けていただけませんでしょうかということです。
「聖書」が何の役に立つのかを説明するのは難しいことです。今日はひとつだけ言っておきます。また家族の話になって申し訳ありませんが、先ほど紹介した息子の言葉です。「幼稚園のとき読んだ聖書の絵本に書いてあることをそのまま信じていた。でも、小学校に入って、がらがらと崩れ去った」と息子は言いました。
この話には逆のケースがあります。「すべて」の知識が「がらがらと崩れ去る」ときがあります。新しい研究や発見で、ひとつの学説が完全に否定されることがあります。「これが正しい」と多くの人が信じていたことが一瞬で消え去ることがあります。信頼していたことや、それを教えていた人に「裏切られた」と感じるとき、人は完全に絶望することがあります。
そのようなとき、「もうひとつの知識」が頼りになることがあります。「聖書」の教えとはそういうものだと私はとらえています。この世の知識が崩れ去り、ついでに「聖書」の教えまでもが崩れ去ったとき、「神」がわたしたちの心が折れないように、下のほうでしっかり支えてくれています。
いばるわけではありませんが、「聖書」の教えには、いろんな時代を乗り越えて何千年も生き延びてきた実績があります。「すべて」の知識と共に「聖書」の知識を重んじる人は「ハイブリッドな人」になることができると、私は信じています。
皆さんにはぜひ、そのような人になってほしいと願っています。
(2016年10月31日、学校礼拝)
関口 康
「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。」
今日も聖書を学びたいと思います。ただ今日は、宗教科の先輩が、チャペルの礼拝の説教でいつもご自分のご家族のお話をなさるので、私も先輩を見習って家族の話をします。
私にはとても美しい妻と、とてもかわいい子どもが2人います。子どもと言っても、2人とも高校を卒業しています。1人は女の子で、もう1人は男の子です。
今日はその男の子の話をします。高知県で生まれました。私が初めて牧師の仕事を始めたのが高知県の教会だったからです。
息子が1歳のとき福岡県に引っ越しました。私が福岡県の教会の牧師になったからです。2歳のとき兵庫県神戸市に引っ越しました。私が神戸の学校に入学したからです。家族寮で生活しました。3歳のとき山梨県に引っ越しました。私が山梨県の教会の牧師になったからです。9歳のとき千葉県松戸市に来ました。私が松戸市の教会の牧師になったからです。それ以降は千葉県民です。
息子が高校生だった頃、ふと聞いてみたくなったことがあって質問しました。「お前は今、教会とか聖書とかキリスト教のことをどう思ってんの」。
家族ですからずっと行動を共にしてきましたが、お互いの距離があまりに近すぎて、そういう質問をしたことがありませんでした。
おやじから唐突に変なことを質問された息子から「どゆ意味?」という返事がかえってきました。それで私は続けました。「いや、だってさ、生まれたときから教会にいて、聖書とかキリスト教とか否応なく押し付けられて、腹立つこととかなかったのかな、と思ってね」。
もう少し続けました。「だって、ほら、お前がこれまで通った学校はキリスト主義じゃなかったし、学校で教えてもらうことと、おやじから聞く聖書の話が矛盾してるとか、そういうことで悩んだこととかなかったのかな、と思ってね」。
返事がありました。「ああ、そういうときもあったよ」。「おれが幼稚園のころ教会でもらった聖書の絵本を読んで、それに書いてあるとおりだと思ってた。だけど小学校に入ってから全部崩壊した。がらがら崩れ去った」。
「そうか。そりゃ悪いことしたな。すまんすまん」と謝りました。そして、また聞きました。「それなら今はどうなの。聖書に書いてあることと、学校で教えてもらうことと、どっちが大事とか、どっちが正しいとか、そういうこと考えることないわけ」。
ほんの少しだけ間がありました。「考える時間くれ」みたいな顔をしました。しかし、さほど待たずに答えがかえってきました。
「どっちも、でいんじゃね」。
その答えを聞いて、私はとても安心しました。
今日、私が皆さんにお話ししたいのも、それと同じことです。今日の礼拝プログラムに書いた私の説教のタイトルは「ハイブリッドのすすめ」ですが、言いたいことは「どっちも、でいんじゃね」です。
礼拝プログラムに載せた説教要旨にうんとややこしいことを書きましたが、詳しい説明はしません。あとで読んでみてください。
今日開いていただいているのは、二千年前のキリスト教伝道者、使徒パウロが書いた手紙の一節です。そのパウロが書いている「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」(8節)の「すべて」は、文字通りのすべてです。
それは、聖書に書かれていることのすべて、とか、キリスト教の教会が教えていることのすべて、という意味ではありません。そのような制限がない「すべて」です。百科事典的な「すべて」です。
その「すべて」は、皆さんがこれまで、そしてこれから、学校や社会で勉強してきたし、することのすべてです。キリスト教主義の学校だからといって、キリスト教だけ勉強しているとか、聖書だけ勉強しているということはありません。あらゆる知識、教養、体力、生活力を、わたしたちは学んでいます。もちろん人によって、どれは得意で、どれは苦手ということはあるかもしれません。でも、どれは大事で、どれは大事でないということはありません。
それで今日、私が皆さんにお願いしたいのは、その「すべて」の中に、もしよろしければ「聖書」も加えていただけませんでしょうか、ということです。この学校に「聖書」の授業があります。一方的に押し付ける気持ちは全くありません。
私が皆さんにお願いしたいのは、いろいろとたくさんある中の目立たない隅っこで構わないので、「聖書」のことも考えることができる心のすきまを、ほんの少しだけでいいので空けていただけませんでしょうかということです。
「聖書」が何の役に立つのかを説明するのは難しいことです。今日はひとつだけ言っておきます。また家族の話になって申し訳ありませんが、先ほど紹介した息子の言葉です。「幼稚園のとき読んだ聖書の絵本に書いてあることをそのまま信じていた。でも、小学校に入って、がらがらと崩れ去った」と息子は言いました。
この話には逆のケースがあります。「すべて」の知識が「がらがらと崩れ去る」ときがあります。新しい研究や発見で、ひとつの学説が完全に否定されることがあります。「これが正しい」と多くの人が信じていたことが一瞬で消え去ることがあります。信頼していたことや、それを教えていた人に「裏切られた」と感じるとき、人は完全に絶望することがあります。
そのようなとき、「もうひとつの知識」が頼りになることがあります。「聖書」の教えとはそういうものだと私はとらえています。この世の知識が崩れ去り、ついでに「聖書」の教えまでもが崩れ去ったとき、「神」がわたしたちの心が折れないように、下のほうでしっかり支えてくれています。
いばるわけではありませんが、「聖書」の教えには、いろんな時代を乗り越えて何千年も生き延びてきた実績があります。「すべて」の知識と共に「聖書」の知識を重んじる人は「ハイブリッドな人」になることができると、私は信じています。
皆さんにはぜひ、そのような人になってほしいと願っています。
(2016年10月31日、学校礼拝)
2016年7月4日月曜日
礼拝の意味(千葉英和高等学校)
ネヘミヤ記8・9~10
関口 康
「『今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。』民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。彼らは更に言った。『行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である』」。
3年生はこれからですが、今は毎年恒例の学校行事としての教会訪問を実施しているところです。人数を分散する目的から最初に2年生、次に1年生、最後に3年生という日程を組んでいます。日程を守ることも大事です。しかし学校としてはとにかく教会に行ってみてほしいという願いを持っているだけです。
1、2年生からはすでに、多くの教会訪問のレポートが提出されています。それを今、じっくり読ませていただいています。その中で、面白いなと思った感想がありました。他の感想が面白くないという意味ではありませんが。一人二人ではなく、多くの人が同じことを書いていました。それは「学校の礼拝と比べて教会の礼拝は良かった」という感想です。
その理由もちゃんと書かれていました。ご本人たちに無許可ですので、私の言葉で言い換えて紹介します。「本気で信じている人たちがこんなにたくさんいることを知って驚いた。教会の礼拝は本格的で真剣だった」「初めて行ったので緊張したが、教会の人が親切にしてくださったので、安心できた。あのような親切な大人になりたいと思った」など。
他にもたくさんの感想を寄せていただきましたが、どちらかといえば、肯定的な感想のほうが多かったです。「行ってよかった」とはっきり書いてくれた人もいました。否定的な感想が全く無かったわけではありません。それはそれとして尊重されるべきです。でも、多くはありませんでした。
しかし、このことは面白がるだけで済む問題ではありません。「学校の礼拝と比べて教会の礼拝は良かった」という感想には、学校の礼拝に対する厳しい問いかけが含まれているということを見逃すわけには行きません。もし教会の礼拝が本物の礼拝だということであれば、学校の礼拝はその逆だということになるわけです。
そういう感想をいただいて残念だとは思いません。でも、ちょっとひとこと言いたくなります。「学校の礼拝も本物の礼拝です」と。擬似礼拝でも似非礼拝でもありません。しかし、そのことをただ一方的に言い張って済む問題ではありません。「学校の礼拝も本物の礼拝です」ということを納得してもらえるようにするにはどうしたらよいのかを、真剣に考えなくてはなりません。
そのようなことを考えながら今日の聖書の箇所を選ばせていただきました。先ほど宗教委員の方々に朗読していただいたのは、旧約聖書のネヘミヤ記8章9節から10節までです。
ここに描かれている場面は、大昔に行われた「礼拝」の様子です。今から約2500年前です。ユダという国が隣国バビロニアに占領されました。神を礼拝するための神殿も、王の住む城も、バビロニアの軍にめちゃくちゃに破壊されました。そして、ユダ王国の住民の多くが捕虜としてバビロニアに連れて行かれました。それはとてもとても辛くて悲しい出来事でした。
しかし、その70年後、ユダの人々が元の町に帰れることになりました。そして、壊れたままだった神殿や城の壁を、みんなで力を合わせて建て直すことができました。今日の個所に登場する泣いている人々は、神殿と城の壁を建て直した人々です。そうすることができたことがうれしくて、涙を流しています。
しかし、その涙には別の意味もありました。70年もの間、自分の国の神殿も城も壊れたままでした。その間、人々は自分の町に戻れませんでした。故郷に帰ったとき思い出されたのは70年間の屈辱と苦悩、そして苦渋に満ちた日々でしょう。彼らのうれし涙の中に複雑な涙が混ざっていたに違いありません。
これまでいろんなことがありました。嫌な目にもさんざん遭いました。でもそれらすべては神が導いてくださった結果であると信じる。そして神に感謝するために礼拝する。それがこの箇所の場面です。ここで言っておきたいのは、礼拝はそういうときにも、いえ、そういうときにこそ行うものである、ということです。
学校の礼拝は毎週行っています。先週の月曜日は文化祭の代休でしたので、今日の礼拝は2週間ぶりです。2週間前のわたしたちは今のわたしたちとは全く違います。文化祭の楽しい思い出がわたしたちの心に刻まれました。それだけではありません。学校でも、学校以外でも、わたしたちはいろんな体験をしました。
その中には、うれしいこと、楽しいことだけでなく、悲しいこと、嫌なこともあったでしょう。どう考えても否定的にしかとらえることができないこともたくさん含まれていることでしょう。しかし、それらのこと一切を神が導いてくださったと信じる(この「信じる」が難しいことではありますが)。過去のすべてを思い起こし、涙を流す場所が礼拝です。
それは、うれし涙の中に複雑なものが混ざり合った涙です。その涙を流すことで神の前に心の重荷をおろし、安心する場所が礼拝です。良かったことについては感謝、悪かったことについては反省、そして次なる課題と目標を思いめぐらす場所が礼拝です。
この礼拝の中で説教しているのが、この本の書名になっているネヘミヤとその仲間たちです。彼らが語ったのは、「今日はあなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない」ということでした。これは、泣くことを禁じているのではなく、すでに泣いている人を慰め、喜んでいいのだと励ます言葉です。
「良い肉を食べて、甘い飲み物を飲みなさい」とも言っています。今日はうれしくて楽しい日だから、美味しいごちそうを食べて笑いなさい、楽しみなさいと言いたいのです。学校の礼拝でごちそうや飲み物が出てくれば、みんなもっと元気になるでしょうか。現実には不可能ですが、何かのヒントになるかもしれません。「聖なる日」とは楽しい喜びの日であるということです。
わたしたちの「聖なる日」はいつでしょうか。礼拝を行う日がその日です。つまり今日です。礼拝は喜んでもよい、楽しんでもよい場所です。学校礼拝も同じです。ただし、げらげら笑って大騒ぎしてもよいとか、礼拝中に自分の好き勝手におしゃべりしてもよいという意味ではありません。そういう楽しみ方は、自分たちは楽しいかもしれませんが、他の人は楽しくありません。
神の恵みを感謝し、心の中で静かに喜ぶことが大切です。そしてお祈りする場所が礼拝です。
明日から第2回定期試験です。第1回試験のとき、1年生のあるクラスの試験監督をしました。みんなとても緊張しているのが分かったので、言いました。「みんな人事は尽くしたんだからね。最後はお祈りするしかないんだよ」と。
私は皆さんのためにいつもお祈りしています。定期試験、がんばってください。
(2016年7月4日、千葉英和高等学校 学校礼拝)
関口 康
「『今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。』民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。彼らは更に言った。『行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である』」。
3年生はこれからですが、今は毎年恒例の学校行事としての教会訪問を実施しているところです。人数を分散する目的から最初に2年生、次に1年生、最後に3年生という日程を組んでいます。日程を守ることも大事です。しかし学校としてはとにかく教会に行ってみてほしいという願いを持っているだけです。
1、2年生からはすでに、多くの教会訪問のレポートが提出されています。それを今、じっくり読ませていただいています。その中で、面白いなと思った感想がありました。他の感想が面白くないという意味ではありませんが。一人二人ではなく、多くの人が同じことを書いていました。それは「学校の礼拝と比べて教会の礼拝は良かった」という感想です。
その理由もちゃんと書かれていました。ご本人たちに無許可ですので、私の言葉で言い換えて紹介します。「本気で信じている人たちがこんなにたくさんいることを知って驚いた。教会の礼拝は本格的で真剣だった」「初めて行ったので緊張したが、教会の人が親切にしてくださったので、安心できた。あのような親切な大人になりたいと思った」など。
他にもたくさんの感想を寄せていただきましたが、どちらかといえば、肯定的な感想のほうが多かったです。「行ってよかった」とはっきり書いてくれた人もいました。否定的な感想が全く無かったわけではありません。それはそれとして尊重されるべきです。でも、多くはありませんでした。
しかし、このことは面白がるだけで済む問題ではありません。「学校の礼拝と比べて教会の礼拝は良かった」という感想には、学校の礼拝に対する厳しい問いかけが含まれているということを見逃すわけには行きません。もし教会の礼拝が本物の礼拝だということであれば、学校の礼拝はその逆だということになるわけです。
そういう感想をいただいて残念だとは思いません。でも、ちょっとひとこと言いたくなります。「学校の礼拝も本物の礼拝です」と。擬似礼拝でも似非礼拝でもありません。しかし、そのことをただ一方的に言い張って済む問題ではありません。「学校の礼拝も本物の礼拝です」ということを納得してもらえるようにするにはどうしたらよいのかを、真剣に考えなくてはなりません。
そのようなことを考えながら今日の聖書の箇所を選ばせていただきました。先ほど宗教委員の方々に朗読していただいたのは、旧約聖書のネヘミヤ記8章9節から10節までです。
ここに描かれている場面は、大昔に行われた「礼拝」の様子です。今から約2500年前です。ユダという国が隣国バビロニアに占領されました。神を礼拝するための神殿も、王の住む城も、バビロニアの軍にめちゃくちゃに破壊されました。そして、ユダ王国の住民の多くが捕虜としてバビロニアに連れて行かれました。それはとてもとても辛くて悲しい出来事でした。
しかし、その70年後、ユダの人々が元の町に帰れることになりました。そして、壊れたままだった神殿や城の壁を、みんなで力を合わせて建て直すことができました。今日の個所に登場する泣いている人々は、神殿と城の壁を建て直した人々です。そうすることができたことがうれしくて、涙を流しています。
しかし、その涙には別の意味もありました。70年もの間、自分の国の神殿も城も壊れたままでした。その間、人々は自分の町に戻れませんでした。故郷に帰ったとき思い出されたのは70年間の屈辱と苦悩、そして苦渋に満ちた日々でしょう。彼らのうれし涙の中に複雑な涙が混ざっていたに違いありません。
これまでいろんなことがありました。嫌な目にもさんざん遭いました。でもそれらすべては神が導いてくださった結果であると信じる。そして神に感謝するために礼拝する。それがこの箇所の場面です。ここで言っておきたいのは、礼拝はそういうときにも、いえ、そういうときにこそ行うものである、ということです。
学校の礼拝は毎週行っています。先週の月曜日は文化祭の代休でしたので、今日の礼拝は2週間ぶりです。2週間前のわたしたちは今のわたしたちとは全く違います。文化祭の楽しい思い出がわたしたちの心に刻まれました。それだけではありません。学校でも、学校以外でも、わたしたちはいろんな体験をしました。
その中には、うれしいこと、楽しいことだけでなく、悲しいこと、嫌なこともあったでしょう。どう考えても否定的にしかとらえることができないこともたくさん含まれていることでしょう。しかし、それらのこと一切を神が導いてくださったと信じる(この「信じる」が難しいことではありますが)。過去のすべてを思い起こし、涙を流す場所が礼拝です。
それは、うれし涙の中に複雑なものが混ざり合った涙です。その涙を流すことで神の前に心の重荷をおろし、安心する場所が礼拝です。良かったことについては感謝、悪かったことについては反省、そして次なる課題と目標を思いめぐらす場所が礼拝です。
この礼拝の中で説教しているのが、この本の書名になっているネヘミヤとその仲間たちです。彼らが語ったのは、「今日はあなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない」ということでした。これは、泣くことを禁じているのではなく、すでに泣いている人を慰め、喜んでいいのだと励ます言葉です。
「良い肉を食べて、甘い飲み物を飲みなさい」とも言っています。今日はうれしくて楽しい日だから、美味しいごちそうを食べて笑いなさい、楽しみなさいと言いたいのです。学校の礼拝でごちそうや飲み物が出てくれば、みんなもっと元気になるでしょうか。現実には不可能ですが、何かのヒントになるかもしれません。「聖なる日」とは楽しい喜びの日であるということです。
わたしたちの「聖なる日」はいつでしょうか。礼拝を行う日がその日です。つまり今日です。礼拝は喜んでもよい、楽しんでもよい場所です。学校礼拝も同じです。ただし、げらげら笑って大騒ぎしてもよいとか、礼拝中に自分の好き勝手におしゃべりしてもよいという意味ではありません。そういう楽しみ方は、自分たちは楽しいかもしれませんが、他の人は楽しくありません。
神の恵みを感謝し、心の中で静かに喜ぶことが大切です。そしてお祈りする場所が礼拝です。
明日から第2回定期試験です。第1回試験のとき、1年生のあるクラスの試験監督をしました。みんなとても緊張しているのが分かったので、言いました。「みんな人事は尽くしたんだからね。最後はお祈りするしかないんだよ」と。
私は皆さんのためにいつもお祈りしています。定期試験、がんばってください。
(2016年7月4日、千葉英和高等学校 学校礼拝)
2016年6月6日月曜日
互いに重荷を担いなさい(千葉英和高等学校)
ガラテヤの信徒への手紙6・1~5
関口 康
「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、霊に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。めいめいが、自分の重荷を担うべきです。」
初めて礼拝で説教させていただきます。4月から聖書の先生になりました関口康です。1年生の4クラス、2年生の4クラスの聖書の授業を担当させていただいています。今年は礼拝で6回説教する予定です。1回15分話すようにとのことですので、1年90分です。よろしくお願いいたします。
宗教委員の生徒の方々に朗読していただきました聖書の箇所についてお話ししたいと思います。今日皆さんに考えていただきたいのは、「互いに重荷を担いなさい」(2節)という御言葉についてです。またすぐ後に出てくる「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」(5節)にも注目していただきたいと思いました。
二つのことは似ていますが、違うことでもあります。一つは「互いに重荷を担いなさい」です。もう一つは「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」です。後者は、言い方を換えれば「自分の重荷は自分で担いなさい」ということになります。
「重荷」は読んで字のごとく重い荷物です。毎日学校に持ってくるカバンは重いでしょうか。もし重いとしたら、皆さんのカバンが「重荷」です。「自分のカバンは自分で持ちなさい」ということです。当たり前です。自分のカバンくらい自分で持て。他人に持たせるな。
大人になっても社長さんとかになっても同じです。自分のカバンくらい自分で持て。でも、ひとりで持てないほど中身が増えてしまった場合は、遠慮なく助けてもらいなさい。それは恥ずかしいことではないし、間違ったことでもありません。
これが「互いに重荷を担いなさい」の意味です。他の人に助けてもらっているとき、自分の手を完全に放してしまえば「互いに重荷を担うこと」にならないかもしれません。怪我をしているときや、体調不良などで、自分のカバンに手をかけることが自分で不可能な場合はあります。その場合はあとでお返しすればいい。
「今日は私のカバンを持ってくれてありがとう。今度は私が持つ番だね」と約束して選手交代すればいい。それで「互いに重荷を担うこと」ができます。助け合いの精神は、相手のためにもなりますし、自分のためにもなります。助けてもらった恩は忘れないほうがいい。
しかし、今日の箇所の「重荷」は、カバンでたとえるだけでは不十分です。もっと深刻な内容です。「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、霊に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい」が「互いに重荷を担いなさい」の内容です。
そして「あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい」が「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」の内容です。つまり、この箇所で「重荷」の意味は「罪」です。「罪を互いに担う」とつなげると、なんだかまるで一緒に悪いことをするというような意味になってしまい、話がおかしくなりますが、ここに書かれていることの趣旨は「罪を犯した人を正しい道に立ち帰らせなさい」ということです。
罪を犯した人は、はっきり言えば悪い人です。しかし、だからといって、死んじゃえばいいとか、目の前から消えてほしいとか言い、その人を見捨て、切り捨て、すっきり軽くなることの反対です。罪を犯した悪い人が正しい道に立ち帰るまで見捨てず、見限らず、見殺しにせず、切り捨てず、背負い続けなくてはならないことが求められています。
それがなぜ「互いに」なのかといえば、罪の問題は「お互いさま」だからです。罪を犯さない人は一人もいないからです。お互いに我慢しあっているという面が必ずあるからです。自分はいつも必ずだれかの重荷を背負うだけ、ということはありえないからです。
もっとも、今日の箇所では、「万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら」とありますとおり、「不注意」の罪、つまり過失が問題になっています。しかし罪は「わざと」、つまり故意に犯されるものも決して少なくありません。だとしたら、故意の罪を犯した人は見捨てても構いませんという意味でしょうか。そうではありません。
なぜなら、その罪が「故意」なのか「過失」なのかを判断することは、もしかしたらその罪を犯した本人ですら、とても難しいことだからです。人の心の中は第三者には見えません。自分自身ですら制御しきれないのが人間の心です。その心が、罪を犯すのです。故意に罪を犯した人は見捨てるべきだという単純な話にはなりません。
しかし、要求の内容が大変なことであるのは間違いありません。自分の重荷は自分で担いながら、他人の重荷も同時に担うとなると負担が大きすぎることになるのは避けられません。実際にそのようなことは不可能だと感じるかもしれません。それは分かります。
しかし、だからこそ、ここでカバンのたとえが役に立ちます。罪の問題は「お互いさま」ですから。今は他人のカバンを持てるほど余裕がない。それどころか自分のカバンを持ってもらいたいくらいだというときはあります。そのときは、遠慮なく助けを求めてください。そして、助けてもらった人は、いつの日か、誰かのカバンをもってあげてください。
授業では話していることですが、私は大学卒業後25年、教会の牧師の仕事だけをしてきました。学校で教えるのは初めてです。慣れなくてもたもたしているところは、どうかお許しください。
しかし、みなさんからどう見えているかは分かりませんが、私の自覚としては教会と学校は全く違うものだという感覚はほとんどなく、むしろ共通点が多いと感じています。教会で私は聖書を教えてきました。いま学校でも聖書を教える立場です。お話しする相手が人間であるという点では、学校も教会も同じです。そして人間が相手である以上、罪の問題を抱えている存在であるという点で同じです。
聖書を教えるということと同時に、さまざまな個人的な悩みや相談にのり、解決していくためのお助けをしてきました。個人情報の要素が多く、守秘義務の観点からすべてをお話しすることはできません。
ただ、どちらかといえば人間のネガティヴな面の問題に取り組んできました。人間の光の側面よりも、影の側面、闇の側面のほうにどちらかといえばかかわってきました。経済的に行き詰った。家庭が崩壊した。夫婦関係や親子関係が険悪だ。してはいけないことをした。
病院に行った。役所にも相談した。関係諸機関のすべてに相談した。ありとあらゆる手を尽くした。だけどどうにもならなかった、とおっしゃる方が、最後の最後のところで教会に来る。宗教に頼る。神を求める。そういう方々とかかわってきました。
もうちょっと早く教会に来てくださればよかったのに、と言いたくなることも、しばしばでした。でも、私も他人事だとは思えません。自分だっていつ同じ立場に立つことになるか分かりません。一寸先は闇です。
皆さんにお願いしたいことがあります。「教会の牧師になってください」とは言いません。止めもしませんが、お勧めはしません。けっこう大変な仕事ですので。そういうことよりも、最後の最後まで「自分以外の人の重荷を担う」人になってほしいです。簡単に見捨てないで、切り捨てないで。
私も人のことは言えません。しかし、私には私の重荷を担ってもらえる「方々」が、また「方」がいます。最後の最後まで私のことを見捨てないでくれる仲間がいます。そして最後の最後まで私のことを見捨てない神がいてくださいます。皆さんにも必ずそのような仲間が与えられます。神はあなたを見捨てない。それが最後の最後の望みです。
(2016年6月6日、千葉英和高等学校 学校礼拝)
2016年6月1日水曜日
サタンはサタンを追い出せない(千葉英和高等学校)
マルコによる福音書3・20~35
関口 康
「イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、『あの男はベルゼブルに取りつかれている』と言い、また、『悪霊の頭の力で悪霊を追い出している』と言っていた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。『どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。』イエスがこう言われたのは、『彼は汚れた霊に取りつかれている』と人々が言っていたからである。イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。『御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます』と知らされると、イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。』」
どんなことにも当てはまりますが、新しいことを始め、軌道に乗りはじめると現れるのが、邪魔する人々です。従来のあり方を変更させられるのは困ると言いはじめる人々です。イエスも同じでした。弟子が少ないうちは、だれも見向きもしない。しかし、群衆を動かしはじめると、妨害する人々が現れました。
なかでも特に厄介だったと思われるのが「身内の人たち」でした。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た」。イエスにも親兄弟がいました。その人々がイエスを妨害しはじめました。新しいことを始めれば、賛成して行動を共にしてくれる人々もいれば、反対して妨害し始める人々もいます。
対立が起こり、もめごとが始まります。そのことを嫌がるのが家族かもしれません。「うちの者が世間をお騒がせして申し訳ありません」などと言い出す。身内の評判が下がることは、自分たちの不利益になるからでしょう。イエスもそれは理解しておられたはずです。家族を憎む思いはイエスにはありません。
だからこそイエスは次のように言われます。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」。これはイエスがご自分の肉親を切り捨てる発言であると捉えないほうがいいでしょう。それこそが、イエスが批判しておられる「内輪もめ」です。
そうではなく、家族への訴えです。家族が神の御心を行う人になってほしいという願いです。わたしたちも学びうることです。サタンはサタンを追い出せません。自分に逆らう者は切り捨てるという方式の仕事は、失敗に終わります。愛と憐れみをもって神の御心を行う人が増えていくのを願うことが大切です。
そして「神の御心を行うこと」は「行動」ですから、神の御心を思想的に深く学んでいない人にも可能です。信者以外は不可能であると言わなくてはならないようなことではありません。同じ思いで共に行動してくれる仲間を増やしていくことが教育のわざにおいて大切であると思わされている今日この頃です。
(2016年6月1日、千葉英和高等学校 有志祈祷会)
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