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2017年12月24日日曜日

大いなる光キリストの誕生(上総大原教会)

日本キリスト教団上総大原教会(千葉県いすみ市大原9696)

ルカによる福音書2章1~14節

関口 康

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」

上総大原教会の皆さま、クリスマスおめでとうございます。今年のクリスマス礼拝に説教者としてお招きいただき、ありがとうございます。今日もよろしくお願いいたします。

しかし、今日は12月24日、クリスマスイヴです。クリスマスは明日です。その意味では今行っているのはクリスマスイヴ礼拝なのかもしれません。

最初に個人的な話になって恐縮ですが、私にとってクリスマスイヴは2年前から特別な意味を持つようになりました。2年前の2015年12月24日に千葉県柏市の借家に家族で引っ越しました。そしてその1週間後の12月31日に教会の牧師を辞職し、19年間所属していた教派を退会しました。

よりによってクリスマスに牧師交代を求める教会に言いたいことはありますが、言うのを我慢しているだけです。2016年4月から2017年3月まで高等学校で聖書を教える常勤講師になりました。2017年4月以降は日本キリスト教団の無任所教師になりました。

つまり、私にとっての2年前のクリスマスイヴはのんびり楽しい日などでは全くなく、複雑な思いを抱えながら家族と共に新しい旅を始めた記念すべき日となりました。2人の子どもはすでに大学生と高校生でした。「妻がみごもって」はいませんでしたが、私と妻は「泊まる場所」を探しまわるヨセフとマリアさながらでした。

クリスマスとは何でしょうか。身も蓋もない言い方をしてしまえば、ひとりの赤ちゃんが生まれた日です。ただそれだけです。今でこそ世界中で大騒ぎする日であることになっていますが、特に名もない一般家庭に初めての子どもが生まれた日です。しかも旅先の宿も得られず、医者も看護師もいず、出産環境も劣悪極まりない中で、ほとんど人知れず生まれることになった子どもです。

それだけではありません。よく知られているとおり、マリアは未婚の母となりました。フィアンセのヨセフはマリアに宿る子どもが自分の子どもでないと知り、疑念と不安に陥りました。その事態を彼らは「天使のお告げ」でなんとか乗り越えました。

長旅を強いられたのは、その後のことでした。苦労して苦労してやっと生まれた子どもの出産祝いに駆けつけてくれたのは近所で徹夜で働いていた羊飼いたちと、遠い東の国から来た占星術師たち、そして「天使」でした。

彼らは野原や砂漠で子どもを産んだわけではなく、雨風しのげる屋根のついた場所だったではないか、それは幸せなことではないかという話になるでしょうか。誰もいなかったわけではなく、羊飼いや博士がいたではないか、何より「天使」が来てくれたではないか、それは幸せなことではないかという話になるでしょうか。

そういうふうに明るくポジティヴに解釈するのは、ある意味で自由です。しかし、新約聖書、とくにマタイによる福音書とルカによる福音書が、イエス・キリストの降誕の出来事について、これでもかこれでもかと描き出す状況はきわめて暗くネガティヴな意味しか持っていないと、私には思われてなりません。

乱暴な言い方はしたくありませんが、どうしても明るくポジティヴに解釈したい方は、その方自身が実際に同じ状況を味わってごらんになればよいのです。とか言うと「私は味わいました」「私もです」と次々に手を挙げてくださる方がおられるかもしれません。身に覚えのない妊娠。臨月の長距離旅行。家畜小屋での出産。「こんな幸せなことは他にない」などと言えるでしょうか。

最初のクリスマスの出来事を描いている聖書の個所の主人公は、その日にお生まれになったイエス・キリストではありますが、イエスさまはただ泣いておられただけです。その日に苦しんだり悩んだりしていたのは母マリアであり、父ヨセフです。その意味ではマリアとヨセフも主人公であると言ってよさそうです。

今日みなさんに開いていただいた個所に描かれているのもまさにその状況ですが、このたび改めて読み直してみて、興味深く思えたのは「天使」の役割です。天使はマリアにもヨセフにも現れました。マリアの親戚のエリサベトにも夫ザカリアにも現れました。ベツレヘムの羊飼いたちにも東方の占星術師たちにも現れました。

全員に共通しているのは、彼らが眠ると夢に「天使」が出てくる点です。しかし今日の個所に出てくる天使は、「羊飼いたちは眠っていた」とは書かれていませんので、起きているときには天使は現れないということではありません。

しかし、そのことよりも大事なもうひとつの共通点は、「天使」がそれぞれの人に現れるときは必ずその人々が元気になるような、励ましや慰めの言葉を語っていることです。救いの希望、解放の喜び、約束の実現が語られています。天使が出てくる夢を見た人々は、きっと寝覚めが良かったと思います。もう一度目をつぶって夢の続きを見てみたいと思うほどに。

しかしまた、これもある程度共通していることですが、「天使」が出てくる夢を見て、天使の言葉に慰められたり励まされたりした人々の実際の現実は、暗くてネガティヴなものだったということです。それは、布団に潜って目をつぶっても一晩中眠れないほどの悩みや苦しみを抱えていた人々でした。

みなさんの中に不眠で悩んでいる方がおられませんでしょうか。眠れるのがどんなに幸せなことかと思っておられる方が。イエス・キリストがお生まれになるというこの出来事に際して「天使」の夢を見た人々は、不眠に苦しんでいる方々と大なり小なり似ている状況の中にいました。その意味では、彼らが見た「天使」は、夢か現(うつつ)か幻(まぼろし)か見分けがつかないような存在だったかもしれません。

そして、さらにもうひとつの共通点があります。それは、彼らが見た「天使」は、彼らをとにかく「イエス・キリストのもとへと招く」存在だったという点です。もっとも、マリアとヨセフにとっての天使の存在は「イエス・キリストのもとへと招く」というよりも「イエス・キリストを生むことを促す」存在だったと言うほうが正確かもしれません。「安心してその子を産みなさい」とマリアに対してもヨセフに対しても天使が励ましてくれました。

私は今日、ベツレヘムの家畜小屋での出来事を「最初のクリスマス礼拝」と名付けることにします。その「最初のクリスマス礼拝」へと多くの人々を招くために「天使」が活躍しました。その関連で、ルカによる福音書にとても興味深い言葉が書かれています。「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた」(1章26節)。

原文に「天使ガブリエル」(αγγελος Γαβριηλ)とはっきり書かれていますので、ガブリエルは「天使」です。「天使」は人間ではありません。しかし「神から遣わされた」とあるとおり、「天使」は神でもありません。しかし、いわゆる動物ではないし、植物でもありません。人間と同じような理性や感情を持つ存在として聖書に登場します。

そして私がこのたび最も興味深く思ったのは、その「天使ガブリエル」が「ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた」と書かれていることです。これで分かるのは、天使は具体的なこの町あの町に「遣わされる」存在だということです。

私は詳しくありませんが、天使の背中に羽根がついている西洋中世の絵画があるのをよく見ます。天使に羽根が生えているかどうかは分かりませんが、どこへでも自由自在に飛んでいくことができるのかもしれません。しかし、それは鳥も同じです。それで分かるのは、「天使」はまさに鳥と同じで、同時に違う場所に存在することができないということです。存在できるのは一か所一か所です。

たとえば、私がいま住んでいる千葉県柏市と、上総大原教会がある千葉県いすみ市に、同じひとりの天使が、同じ時刻、同じ瞬間に同時に存在することはできません。「天使」が電車やバスに乗ったり、自分で自動車を運転したりするどうかは分かりませんが、何らかの移動手段が必要です。その移動のために時間や交通費がかかります。

「夢」の中に現れる天使に移動手段が必要なのかと私に問われても答えられません。しかし「天使」は「ナザレの町」や他の町へと「遣わされる」存在であることの意味を考えているだけです。そして、いま私が最も申し上げたいのは、その「天使」が果たした役割は「最初のクリスマス礼拝」へと多くの人を招くことだったということです。

「天使」の呼びかけに応えて実際に集まったのはイエス・キリストの両親になったヨセフとマリア、ベツレヘムの羊飼い、東方の占星術師だけだったかもしれません。クリスマス劇(ページェント)では羊飼いと占星術師が一緒に並んで立つ場面がたいていありますが、彼らが同じ時刻に同時にいたとは限りません。全員合わせても10人に満たない小さな小さな礼拝だったかもしれません。

あとは家畜小屋の動物たちがいたかもしれませんが、「最初のクリスマス礼拝」の出席者数にカウントしてよいかどうかは分かりません。しかし、そこで行われたのは確かにイエス・キリストを拝む「キリスト礼拝」であり、「教会の原形」でした。そのことを想起しうることが新約聖書に確かに記されています。

しかし、その「最初のクリスマス礼拝」の主人公であるイエス・キリストは、ただ泣いておられただけです。あるいは、眠っておられただけです。ご自分でしゃべることがおできにならない。「最初のクリスマス礼拝」の説教者はイエス・キリストではありません。いわばイエス・キリストの代わりに雄弁に語ったのが「天使」でした。救いの希望、解放の喜び、約束の実現を説教したのは、他ならぬ「天使」でした。

私はいま申し上げていることで「もしかしたら天使は普通の人間だったのではないか」というような推論を述べようとしているのではありません。天使は天使のままで全く問題ありません。そういう話のほうが面白いです。そして、天使が「神」ではないことは聖書においてははっきりしています。つまり、「天使」はわたしたちの信仰の対象ではありませんので、「天使を信じる」必要はありません。

私が申し上げたいのは、そういうことではありません。私が申し上げたいのは、今日の個所に出てくる「天使」が果たした役割としての「最初のクリスマス礼拝」に多くの人々を招くことは、十分な意味でわたしたちにもできる、ということです。真似することができます。

そう思いまして、私は今日のクリスマス礼拝のチラシを自分で500枚作り、先々週の12月10日(日)の午後2時半に大原駅に着き、途中1時間の休憩を含めて午後6時まで、配布させていただきました。教会のみなさんにご負担をおかけしたくありませんでしたので、代務者の岸憲秀牧師には許可をとりましたが、教会の皆さんには内緒で「勝手に」配らせていただきました。チラシの印刷費や往復交通費は、私の友人の方々が応援してくださいました。感謝してご報告させていただきます。

「教会の礼拝にぜひ来ていただきたい」というわたしたち教会の願いは、ただ人が多ければ活気があってよいとか、そういう理由ではありません。孤独な人、寂しい人、助けを求めている人が、この町にもどの町にも大勢いることを、わたしたちは知っています。そういう方々にとって教会がきっと助けになります。しかし、教会に来れば必ず友達ができるという意味でもありません。教会に行っても、もしかしたら「天使」しかいないかもしれません。

しかし、その「天使」が、救いの希望、解放の喜び、約束の実現を雄弁に語ってくれるとしたら、どうでしょうか。厳しい現実の中で眠れぬ夜を過ごしている人々に「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と告げる「天使」がいてくれたら。

そのときわたしたちの人生は、しっかりとした支えを得ることができます。ぜひ教会に来てください。

(2017年12月24日、日本キリスト教団上総大原教会クリスマス礼拝)

2017年7月16日日曜日

互いに愛し合いなさい(上総大原教会)

日本キリスト教団上総大原教会(千葉県いすみ市大原9696)

ローマの信徒への手紙13章8~10節

関口 康(日本キリスト教団教師)

「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』。そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」

上総大原教会の皆さま、おはようございます。日本キリスト教団教師の関口康です。この教会で3回目の説教をさせていただきます。今日もどうかよろしくお願いいたします。

3回目のご依頼をいただいてすぐ、どんな話をさせていただこうかと考えました。1回目は1月1日の新年礼拝、2回目は4月2日でした。2回とも「伝道」の話をしました。

それで結局、今日も「伝道」の話をします。しかし、いわゆるハウツーの話ではありません。そういう話が私にできないわけではありません。むしろいくらでもできます。

しかし、はっきり言わせていただきますが、ハウツーの話というのはこの教会の状況にそぐいません。現実味が全くありません。お題目のような話であれば、目をつぶったままでも言えます。こんな感じでしょうか。

とにかく人を誘わなくては教会に誰もいなくなるので、人を教会に誘いましょう。まず家族に伝道しましょう、次は友人に伝道しましょう。ご近所の人を教会に誘いましょう。

言葉で伝えるのが難しいようなら、チラシを配りましょう。トラクトというのがキリスト教書店に売っているので、そういうのを買って配りましょう。いろいろ有名人に来てもらって講演会やコンサートを開きましょう。

いろいろやってみました。結局教会に人は集まりませんでした。そうか、いろいろやってもダメなのだ。日曜日の礼拝が教会のすべてなのだ。とにかく大事なのは礼拝なのだ。

聖歌隊が欲しいが、人がいないからうちでは無理だ。奏楽者がいて欲しいが、自動演奏機でもやむをえない。とにかく礼拝は説教を聴くことだ。神の言葉を聴くことだ。

そこまで追い詰められて、思い詰めて、とにかく礼拝を重んじることにした。説教を重んじることにした。ところが、その説教がいつもつまらない。私の心に届かない。礼拝しかない教会で、説教しかない礼拝で、説教がつまらないとなると、この教会どうなるの。

よし分かった。私が牧師になってやろう。私が説教してやろう。そうすれば、この教会は以前の活気を取り戻すことができるだろう。などなど。こんなふうに、わたしたちは考え続けていくわけです。

そんなことまで考えている人はいないなどと、どうか思わないでほしいです。教会に来ている人たちはみんな、大なり小なり、こういうことを真剣に考えています。

そして私は今日このことを皆さんにはっきり申し上げておきたいのですが、教会のことを心配しているのは教会に来ている人たちだけではありません。教会に来ていない人たちも教会のことを真剣に考えてくださっています。教会の門を一度もくぐったことがない人たちも同じです。

昨年度私が勤務した学校でのことです。生徒たちにとって例外なく興味があったのは「教会は儲かるのか」ということでした。「牧師はどれくらい給料をもらえるのか」ということでした。

そういうことを、授業中でも、廊下を歩いているときでも、繰り返し質問されました。そんなに興味あるならと、私が担当していたすべてのクラスで「教会の経済と牧師の生活」というテーマで黒板に図解しながら解説したくらいです。

「へえ、たいへんなのですね、それではとても生活できないではありませんか」と心配してくれた生徒もいました。「ええっ、教会の献金はかわいそうな子どもたちや貧しい国の人々に送られているのではなかったのですか」と悲しそうな顔をする生徒もいました。

あるいは、宗教団体というのはとかくお金に汚い人たちの集まりだと教えられてきたのかどうかは分かりませんが、「教会の経済と牧師の生活」についての図解付きの私の説明を聞いて、「なんだ、意外に普通のようだ。つまらない」という反応をした生徒もいました。お金の話をすれば私の鼻を明かせると思ったのかもしれません。

いまお話ししているのは、教会の運営や経済について心配しているのは教会員だけではないということです。多くの人たちが、そして高校生たちも、心配してくれています。

「そういうのはただの興味本位である」と言ってしまえば、それまでです。しかし、わたしたちが見逃してはならないのは、教会の存在は多くの人々から関心を持たれているということです。教会は社会の中で全く孤立しているわけではないということです。

そして、その教会に対する人々の関心は、必ずしも批判的な視線ではありません。好意的な視線を多く含んでいます。

なぜ今私はこんな話をしているのかというと、わたしたちが教会の存在をこの社会の中でとにかく必死で守り抜いていかなければならないと思っているときに、つい自分たちのことを社会の中で完全に孤立し、非難を受け、中傷誹謗にさらされているかのように感じてしまうことがあるからです。しかし、そんなふうに考える必要はないと言いたいのです。

そろそろ今日の聖書の箇所のお話をしなければならないと思っています。しかしここまで話してきたことは今日の聖書の箇所とは無関係なおしゃべりではありません。ものすごく関係していることだと思っているので、このような話をしています。

「互いに愛し合うことのほかに、だれに対しても借りがあってはなりません」(8節)と書いてあります。これは裏返していえば「互いに愛し合うことに限っては借りがあっても構いません」ということになります。論理的に考えれば、そういうことになります。

しかし「借りがある愛」とは何のことでしょうか。「愛を貸してもらう」はどういうことでしょう。「愛を返す」という話であれば、少しは理解可能になるかもしれません。

これは愛の話です。最初は「アイ・ラブ・ユー」から始まります。そうでない始まり方はありえません。しかし、その最初のプロポーズは、必ずどちらか一方が先に言うと思います。必ずそうなります。例外はありません。事前の打ち合わせでもあれば別ですが、それもなしに互いに同時に「アイ・ラブ・ユー」を言って同時に相互の愛が始まったという人は、通常いません。

そしてそこから先は危険な状態です。もしかしたらそのプロポーズを相手に断られるかもしれないからです。その「アイ・ラブ・ユー」のボールは、ピッチャーの手からとにかく離れました。しかし、それをバッターが打たないかもしれません。キャッチャーが捕らないかもしれません。デッドボールになるかもしれません。バックネットにダイレクトで突き刺さるかもしれません。

しかしその「アイ・ラブ・ユー」ボールをホームランにするバッターもいます。サヨナラホームランでさようならという寂しい話ではありません。ピッチャーの全力投球を全力で打ち返したバッターは真剣なプロポーズに誠実に応えたのです。「私はあなたを愛している」と言われて「私もあなたを愛している」と愛し返したという意味です。ということにしておきます。

今申し上げているのは「借りのある愛」とは何なのかについての説明です。はっきりしているのは、愛は必ずどちらかから一方から始まるものだということです。必ず片想いから始まります。例外はありません。それを別の言い方でいえば、愛が貸し借りの関係にあったということです。先に愛されて、その愛を返すということですから。

しかし、ここでパウロが言おうとしていることの中心が「愛に限っては借りがあっても構いません」ということかどうかについては、疑問があるかもしれません。そうではない。パウロが言おうとしているのは「貸し借り」があってはいけないという、ただそれだけであるという見方は出てくるかもしれません。

しかし、その問題については、前後の文脈との関係を考える必要があります。「愛」の話は12章9節から始まっています。13章10節まで「愛」の話が続いています。これで分かるのは、今日の箇所でパウロが「愛」について語っていることは間違いないということです。

それはつまり、パウロがしているのは、人間関係の中には貸し借りがあってはならないという話「ではなく」愛には貸し借りがあってもよいという話「である」ということです。

ここでもう一つ、今日の箇所で大事なことをお話しします。それは「人を愛する者は、律法を全うしているのです」という言葉に続く部分に関することです。

「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」(8~9節)とあります。

これについて簡単に説明しますと、モーセの十戒の前半の4つの戒めは「対神関係」(神との関係)についての戒めであり、後半の6つの戒めは「対人関係」(人との関係)についての戒めであると整理できます。

そしてパウロが言っているのは、そのモーセの十戒の後半の「人との関係」についての戒めの部分を要約すると「隣人を自分のように愛しなさい」(レビ記19章18節、マタイによる福音素19章19節)という一言でまとめることができるということです。Love your neighbor as yourselfです。これを校訓にしているキリスト教学校があります。

そして「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」(10節)と書かれています。ここに至ってわたしたちが考えなければならないのは、「隣人とは誰のことか」という問いです。それは、あの「善きサマリア人のたとえ」(ルカによる福音書10章25節以下)でイエスさまが発せられたのと同じ「隣人とは誰のことか」という問いです。

この問いの答えははっきりしています。「隣人」とは教会の人々だけではありません。キリスト者だけではありません。教会の「内」にいるか「外」にいるかの区別がない「すべての人」を指しています。それが「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めの「隣人」の意味です。

そのことが、今日最初のほうでお話しした「教会に関心を持っている人々が教会の外にも大勢いる」という話に関係してきます。また、次にお話しした「貸し借りのある愛」の話につながってきます。

今のわたしたちは、教会が無くならないように、教会の存在を守り抜くことでとにかく必死です。しかし祈っても願っても、教会にはなかなか人が来てくれません。そのようなときに、わたしたちがもしかしたら陥るかもしれないのは、教会の周りにいるのは敵だらけだ、という感覚です。

孤立感がきわまり、深刻な疑心暗鬼の状態に陥ってくると、そういう感覚が去来します。そして、それが「敵」であるならば、その存在がだんだん憎らしく思えてきます。愛することなどとんでもないという感情が生まれてきます。

しかし、それではだめです。教会の外にいる人々を心から愛することなしに、伝道は成立しません。「隣人」はキリスト者だけではありません、教会員だけではありません。教会に来てくれない、洗礼を受けてくれない、神にも聖書にもキリスト教にも興味を持ってくれない方々が「隣人」です。

その人々をわたしたちが愛することが、神から求められています。それができないと伝道はできません。わたしたちが世界を敵視しているかぎり、教会は孤立の一途です。もしそのような感覚にわたしたちが少しでも陥っているなら、根本的な方向転換が必要です。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネによる福音書3章16節)と書かれているではありませんか。神が愛された「世」は、世界の「世」、世間の「世」です。字が同じであるだけでなく、意味も同じです。「神は世界を愛された」のです。「神は世間を愛された」のです。

この意味での「世」も、すでに神を愛し返した人々ではなく、むしろ、そうではない「すべての人」を指しています。

神が世間を「その独り子をお与えになったほどに」愛しておられるなら、わたしたちも世間を心から愛するべきです。そうでなければ「伝道」というものは成り立ちません。

この件についてみなさんによく分かっていただけそうな「たとえ」が見つかりました。

わたしたちが教会の中から窓の外を指さしながら「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」などと言っているような教会に、だれが行こうと思うでしょうか。

この問題をよく考えていただけば、教会の進むべき道が見えてくると思います。

(2017年7月16日、日本キリスト教団上総大原教会 主日礼拝)

2017年4月2日日曜日

福音を宣べ伝える喜びに生きる(上総大原教会)

コリントの信徒への手紙一9章19~23節

関口 康(日本基督教団教師)

「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも得るためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」

上総大原教会の皆さま、おはようございます。この教会で再び説教をさせていただきます。前回は今年の新年礼拝でした。今日もどうかよろしくお願いいたします。

私は一昨日3月31日付けで高等学校を退職しました。1年間の約束で引き受けた代用教員の仕事でした。次の職場はまだ決まっていません。今の私は日本基督教団の無任所教師です。ありていに言えば無職です。明後日4月4日に元職場から離職票を受け取り、その足でハローワークに行き、失業手当の受給手続きをします。その後はひたすら就職活動です。

しかし、ご心配には及びません。神が何とかしてくださるでしょう。これまでの私の歩みを支えてくださったように、これからも支えてくださるでしょう。そのような信仰が無い者に、どうして牧師が務まるでしょう。どうして伝道の仕事が務まるでしょう。

先ほど朗読したのはコリントの信徒への手紙一9章19節から23節までです。その箇所を含む9章全体に、伝道者パウロの生活苦の様子が、まさにありていに告白されています。たとえば次のように記されています。

「わたしを批判する人たちには、こう弁明します。わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利が全くないのですか。わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。あるいは、わたしとバルナバだけには、生活の資を得るための仕事をしなくてもよいという権利がないのですか。そもそも、いったいだれが自費で戦争に行きますか。ぶどう畑を作って、その実を食べない者がいますか。羊の群れを飼って、その乳を飲まない者がいますか。わたしがこう言うのは、人間の思いからでしょうか。律法も言っているではないですか」(3~8節)。

「わたしを批判する人たち」とは、教会の外から教会を批判する人々のことではありません。教会の内部の人々です。教会に通うキリスト者たちです。

それで分かるのは、パウロが教会からサポートを求めようとすると教会内部の人々からなんだかんだと批判されていたということです。やむをえずアルバイトで食いつなぎ、ほぼ自費で生活しながら福音を宣べ伝える仕事を続け、食べるにも飲むにも困るほどの生活苦を味わっていた、ということです。

「いったいだれが自費で戦争に行きますか」(7節)と記されています。しかし、そのすぐ後に「わたしたちはこの権利を用いませんでした」(12節)とも記されています。その意味は「私は自費で伝道している」ということです。生活のサポートを十分にしてくれない教会への批判や愚痴にも読めます。

「信者である妻を連れて歩く権利がないのですか」(5節)と記されています。この言葉を根拠にして、パウロには妻がいたが、その妻を置いていわば単身赴任の形で伝道していたのだという理解が古くからあります。

どれくらい古いかと言えば、西暦3世紀から4世紀にかけて活躍したギリシア教父カエサリアのエウセビオス(263年頃~339年)が、主著『教会史』の中に、西暦2世紀から3世紀にかけて活躍したギリシア教父アレクサンドリアのクレメンス(150年?~215年?)の言葉を引用する形で言及しています(エウセビオス『教会史Ⅰ』秦剛平訳、山本書店、1986年、182頁)。

単身赴任のどこが生活苦なのだろうかと疑問に思う方がおられるかもしれません。分からない方には分からないかもしれませんが、分かる方には分かると思います。なぜそうなのかを詳しく申し上げることは差し控えますが。

パウロが本当に結婚していたのか、本当にいわゆる単身赴任だったのかについては今日のこの箇所以外に根拠はないので確たることは言えません。

しかしこの箇所を読むかぎり、仮にパウロが単身赴任であったことが事実だったとしても、伝道旅行の最中もずっと妻のことが気がかりだったに違いないことが分かります。生活のことも妻のことも全く眼中になく、「そんなことなどどうでもいい」と言わんばかりの態度で伝道していたわけではないのです。そんな冷たい人間ではなかったのです。

口の悪い人はこのようなパウロの姿を指して「生活破綻者」だとか言い出すので、私は全く閉口してしまいます。そういう言葉を聴くと腹が立って腹が立って仕方がありません。私の腹が立つかどうかなどはどうでもよいことです。ある意味での客観的な観方をすれば確かにそうかもしれません。でも、それを私の前で言うなよ、と思います。

伝道者をばかにするなと言いたくなります。同時に教会をばかにするなと言いたくなります。パウロにとっては教会のサポートの少なさが不満だったかもしれません。しかし教会は教会で、できるかぎり精一杯のサポートをしていたはずです。そのこともパウロは分かっていたはずです。そういうことも分からずに一方的に文句を言っているわけではないのです。

「生活破綻者」だとか言わないでほしいと私は心から願いますが、パウロがなるほど確かに「生活破綻者」のようであったのは、伝道のためでした。福音を宣べ伝えるためでした。そして「できるだけ多くの人を得るため」(19節)でした。

どうしてそういうことになるのかは、説明の必要があるでしょう。パウロが書いているのは、伝道者である自分はユダヤ人を得るためにユダヤ人のようになり、律法に支配されている人を得るために律法に支配されている人のようになり、律法を持たない人を得るために律法を持たない人のようになり、弱い人を得るために弱い人のようになった、ということです。

パウロが言っているのは、単純に言えば、伝道したいと願っている相手に自分を「合わせる」ことです。心にもないことなのに、調子を合わせ、相手のご機嫌をとればよいという話ではありません。そんなことをすれば、すぐに魂胆を見抜かれるでしょう。かえって信頼を失うだけです。

ですから、むしろ伝道者がしなければならないのは、本気で相手に合わせることです。「何」を本気で合わせるのかといえば、語弊を恐れながらいえば、生活の「サイズ」です。あるいは、生活の「スタイル」です。そうとしか言いようがありません。

そうすることがなぜ相手を得ることになるのでしょうか。これもごく単純に言ってしまえば、そうしないかぎり伝道者が福音を宣べ伝えようとしているその相手が本当の意味で「心を開く」ことはありえないからです。

ここから先はパウロが書いていることではなく、私自身の想像の要素や読み込みの要素があることを否定しないでおきます。しかし、全くのでたらめではないつもりです。

人が福音に対してどうしたら心を開くのかという問題は、人間の心の奥底に潜む「闇」と関係があると思います。その闇とは、具体的に言えば嫉妬心です。そして、その逆の軽蔑心です。自分と他人を常に相対評価の中だけに置き続け、互いに格付けし合うことしか考えない、その発想そのものです。

嫉妬心の問題を考えるときに参考になるのは、現代のインターネットのソーシャルネットワークサービスです。そういうのにかかわることを嫌がる人がいます。その理由としてしばしば挙がるのは、ソーシャルネットワークサービスに自分の自慢話しか書かない人が多いので、そういうのを見るのが嫌だ、ということです。

「海外旅行に行きました」、「高級なレストランで食事しました」、「有名な大学に合格しました」、「結婚しました」、「子どもが生まれました」と、他人の幸せそうな話題が並ぶ。そういうのを見て一緒に喜んであげる人は少なく、不愉快に思う人が多い、ということです。

軽蔑心も、人の心の奥底に潜む深い闇です。自分より能力や知識の面で劣っていると見るや否や、その相手を徹底的に見下げ、さげすみ、おとしめる。

そういうことが日常茶飯事になっている社会や会社の中に、わたしたちは生きています。人の心の奥底に潜む闇は、すべての人が持っています。私の中にもあります。自分ではどうすることもできないまま、抱え持っています。

問題は、だからどうするのか、です。パウロが出した答えは「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」(23節)ということです。それは「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになる」ということです。

つまりそれは、福音を宣べ伝えたいと願っている相手の生活の「サイズ」や「スタイル」に自分を合わせることです。それは、相手より上にも下にも立たないということです。相手と同じになることです。

しかし、相手に合わせようとすると、ほとんどの場合、今よりも「生活条件が悪化する」ことや「貧しくなる」ことが多いです。それが伝道の現実です。それを恐れて、どうして伝道ができるでしょう。どうして牧師が務まるでしょう。パウロが読者に問いかけているのはこのようなことだと思います。

わたしたちに求められているのは、福音を宣べ伝えることは「喜び」であると強く確信しつつ、そのような者として「生きる」ことです。

この最後の「生きる」には強調があります。「ふりをする」ことではありません。心にもないのに相手に調子を合わせてあげるというようなことではありません。本気でそうするのです。具体的にそこに身を置くのです。そうしないかぎり伝道は不可能です。

(2017年4月2日、日本基督教団上総大原教会 主日礼拝)

2017年1月1日日曜日

教会の使命いまだ已まず(上総大原教会)

エレミヤ書1章4~8節、使徒言行録22章17~21節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「主の言葉がわたしに臨んだ。『わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。』わたしは言った。『ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。』しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す』と主は言われた。」

「『さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。「急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。」わたしは申しました。「主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を迫害したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。」すると、主は言われました。「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。」』

あけましておめでとうございます。日本基督教団教務教師の関口康です。上総大原教会の新年礼拝にお招きいただき、ありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします。

しかしまた、私が今日ここに立たせていただいているのは、上総大原教会の前任者の石井錦一先生が昨年7月4日に突然亡くなられたため現在この教会の牧者が失われた状態であることを同時に意味しています。皆さまのお気持ちを思うと、胸が苦しくなります。

私も石井先生にはいろいろお世話になりました。最初にお会いしたのは13年前の2004年4月です。私は当時、日本基督教団ではなく日本キリスト改革派教会の教師でした。2004年4月に松戸市の日本キリスト改革派教会の牧師になりました。そのとき松戸教会におられた石井先生を表敬訪問したのが最初の出会いでした。

その後、石井先生から「関口くんの歓迎会をするので来てください」というお電話をいただきました。集まっていたのは松戸市内の超教派の牧師がたでした。その後も石井先生とは何度もお会いし、温かいアドバイスをいただきました。

私の父の出身教会が松戸教会です。60年前に父が千葉大学園芸学部(千葉県松戸市)で学んでいたとき、松戸市内で行われた賀川豊彦先生の伝道集会に誘われ、そこで信仰を与えられ、まもなく松戸教会で洗礼を受けました。父は大学卒業後、就職で岡山市に移り住みました。私は岡山で生まれました。

父にとって信仰のふるさとは松戸教会です。それは同時に、私の信仰のルーツが松戸教会であることを意味しています。父に洗礼を授けてくださったのは石井先生の前任者の黒岩先生でしたが、石井先生は私の父が松戸教会の出身者であることをとても喜んでくださいました。

その石井先生と最後にお会いしたのは一昨年2015年5月8日でした。私はもともと日本基督教団の教師でしたが、一昨年2015年までの19年間は日本キリスト改革派教会の教師でした。その私が再び日本基督教団の教師に戻ることを決心したときにも石井先生に相談させていただきました。そのときも石井先生は親身になって私の言葉に耳を傾けてくださいました。

しかし、それほどまでお世話になった石井先生が昨年7月4日に亡くなられたことを、私はしばらくのあいだ全く知らずにいました。昨年7月の時点では、私はすでに日本基督教団の教師であり、東京教区千葉支区の教師でしたが、私には知らせていただけませんでした。それで石井先生の葬儀に馳せ参じることができませんでした。

現在の私は高等学校で聖書を教える教員です。月曜日から金曜日までの朝8時半から夕方5時半までが勤務時間です。千葉支区教師会には出席できていませんし、千葉支区主催の行事にも出席できていません。しかし声を大にして言わせていただきます。私は日本基督教団東京教区千葉支区の教師です。ぜひ皆さまのお仲間に加えていただきたく心から願っています。

さて、その私が今日、上総大原教会の主日礼拝で、しかも新年礼拝で説教をさせていただく機会を与えられました。この教会をお訪ねするのも千葉県いすみ市に足を踏み入れるのも初めてです。全くの初対面の皆さまにどのようなお話をさせていただこうかと考えましたが、なんとか心が定まりました。ここはなんといっても、とにもかくにも「伝道」の話をさせていただこうと思いました。

この教会だけではありません。日本基督教団だけではありません。すべての教会が大きな悲鳴をあげています。伝道不振に喘いでいます。キリスト教だけではありません。宗教が弱っています。まるで役割を終えてしまったかのように。そして、なんたることか、教会や牧師たちが、まるでそのことが自分たちに定められた動かしがたい運命であるかのように受け容れ、自分たちの終わりの日が来るのを無抵抗にじっと待っているかのようです。

冗談ではありません。教会を勝手に終わらせないでください。このように言うのは、だれかを非難したいわけではありません。私自身にも責任があります。教会を勝手に終わらせてはなりません。

教会はだれのものでしょうか。そのことをわたしたちは何度も自分に問いかけなくてはなりません。教会はわたしたちのものでしょうか。ある意味で、そのとおりです。わたしたちの教会はわたしたち自身が守っていかなければなりません。

しかし、教会はわたしたちのものでしょうか。それだけでしょうか。もしそうだとしたら、教会がうまく行かなくなったら、さっさと閉じて山分けでもするのでしょうか。冗談ではありません。教会は神のものです。イエス・キリストのものです。その意味では教会はわたしたちのものではありません。そのことをわたしたちは決して忘れてはなりません。

教会に与えられている使命についても同じことが言えます。わたしたちはイエス・キリストを勝手に殺してはなりません。「もう大昔に死んだ人だろう」と、わたしたちまでが言うべきではありません。そんなのは信仰ではありません。イエス・キリストは生きておられます。そしてその生きておられるイエス・キリストから教会に、日々新しい使命が与えられ続けています。

もちろん「現実的に考えること」も大事です。しかしそこでわたしたちは屁理屈を言い続けてよいと思います。「現実」とは何を意味するのか、その定義を示してみよと、問い続けることが必要です。その問いの答えは単純なものではありえないからです。

名指しなどは避けますが、隠退した牧師のような人々が「教会の店じまいをしなくてはならない」とか言い出すことがあります。冗談ではありません。そのような言葉を聞くたびに非常に嫌な気持ちになります。教会は神のものです。イエス・キリストのものです。勝手に私物化しないでください。

初めてお訪ねした教会で、しかも新年礼拝というおめでたい場所で、なんだか腹立ちまぎれのような話をしているようで申し訳ありません。しかし私の気持ちはなんとか皆さんを励ましたいだけです。その一心で今日ここに立たせていただいています。

今日、皆さんに開いていただいた聖書の箇所は2箇所です。この教会では旧約聖書と新約聖書の両方を朗読しておられることが事前に分かりましたので、そのように選ばせていただきました。旧約聖書のエレミヤ書1章と、新約聖書の使徒言行録22章です。

2つの箇所に登場するのは、預言者エレミヤと使徒パウロです。両者に共通する要素があります。そのひとつは、御言葉を語るようにと、エレミヤは神から、パウロはイエス・キリストから命ぜられていることです。

しかし、それだけではありません。共通している要素がもうひとつあります。エレミヤもパウロもその命令をはっきり断ります。神から「しなさい」と言われたことを「いやです」とお断りするのがエレミヤとパウロの共通点です。

「はい分かりました」と二つ返事でお引き受けするというようなあり方とは全く違います。しかも彼らは、なぜ断るのか、なぜ自分はその働きにふさわしくないのか、その理由を具体的に挙げました。その点がふたりとも共通しています。

しかも彼らが挙げた理由はどちらも非常に客観的でした。説得力を感じるものでもありました。彼らが挙げた理由を聞くと、おそらく多くの人が納得したことでしょう。それは彼らが自分の姿を客観的に冷静に見つめていたことを意味しています。

エレミヤは、「わたしは若者にすぎません」と言いました。それを聞けば「たしかにそれはそうですよね。若い人には無理ですよね」と多くの人が納得しただろうと思います。

パウロは、自分がもともとキリスト教の迫害者であり、キリスト者をつかまえては殺して回っていた人間であることを多くの人に知られていることを理由に挙げて、そんな私は今さらイエス・キリストの福音を宣べ伝える働きにはふさわしくないということを言おうとしました。それもおそらく多くの人が納得できる理由です。「それはたしかに無理ですよね。やめておいて正解です」と認めてもらえる理由だと思います。

しかし、それではなぜ私は今日、伝道の話をするために、この2つの箇所を選ばせていただいたのでしょうか。皆さんにはきっともうお分かりでしょう。

私が申し上げたいのは、もしわたしたちが伝道をやめてしまい、教会をあきらめてしまおうとするならば、そのための理由もまた、客観的にあげていけばいくらでも見つかるし、どれも非常に説得力のある材料になるに違いないということです。

数え上げればきりがありません。「少子高齢化です」、はいそのとおりです。「経済不況です」、はいそのとおりです。「社会全体の宗教離れです」、はいそのとおりです。すべては客観的に正しいし、説得力があります。もはや何の反論もできません。

しかし、それが何なのでしょうか。それがどうしたというのでしょうか。そのような理由をいくら客観的に分析し、どれほど説得力をもって言おうとしても、わたしたちが教会をあきらめ、伝道をやめる理由にはなりません。「恐れるな」と言われ、「わたしがあなたを遣わすのだ」と言われ、「あなたを遣わしているのは、このわたしなのだ」と言われる方が生きておられるかぎり。

私はいま学校の教員ですので、学校が取り組んでいる客観的で学問的な社会分析といった次元のことを軽んじる意味で申し上げているわけではありません。そういうことも大事です。しかし、最終的には、そういうのは全くどうでもいいことです。

どれほど自分の姿と社会の姿を冷静に見つめ、客観的に分析しようとも、それはわたしたちが伝道をやめ、教会をあきらめる理由にはなりません。そのような理由など教会には存在しないからです。なぜなら、教会は神のものであり、イエス・キリストのものだからです。

私は、自分の伝道がうまく行ったと思えたことはありません。どこに行ってもうまく行かず、失敗だらけで、いくつもの教会を転々とし、そのたびに家族を泣かしてきた者です。そのような者が申し上げていることですから、全く説得力がない話であることは自覚しています。「こうしたら伝道はうまくいく」、「こうしたら教会は成長する」という話は私にはできません。そのことをお詫びしたい気持ちです。

本音をいえば、逃げ回りたい気持ちがないわけではありません。自分にはふさわしくないとお断りする理由をあげていけば、いくらでもあります。現実的に考えていくと、とても乗り越えられそうにない高すぎるハードルはいくらでも見つかります。

しかし、主のご命令ですから従います。教会をあきらめることができません、伝道をやめることができません。そういう感じでよいのだと思っています。

もう一回言いましょうか。わたしたちがどれほど客観的に正しく、説得力のある理由を探してきても、教会をあきらめ、伝道をやめる理由にはなりません。教会は神のものであり、イエス・キリストのものですから、わたしたちが勝手にあきらめ、勝手にやめることはできないものだからです。

上総大原教会の歩みがこれからも主に守られますようにお祈りさせていただきます。支区・教区・教団の交わりの中で、私もお祈りとお支えの仲間に加わらせていただきます。

(2017年1月1日、日本基督教団上総大原教会 新年礼拝)