2022年5月29日日曜日

エマオへの道で(2022年5月29日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 494 ガリラヤの風 (1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

秋場治憲先生

2022年5月29日 日曜日

宣教「エマオへの道で」

ルカによる福音書24:13~35[1]

秋場治憲伝道師

「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ書 53章 5節)

今年は教会暦では5月26日(木)が「キリストの昇天日」であり、今日はそのことを覚える聖日です。そして来週はペンテコステ(聖霊降臨日)です。教会暦に従うならキリストの昇天の記事をテキストにするべきなのですが、私はもう少し甦った主イエスとの語らいの中にいたいと思い、二人の弟子が故郷のエマオ村へ向かう道中での出来事をテキストにさせていただきました。甦った主イエスも二人が、「私たちと一緒にお泊り下さい」と引き留めると、それに応じて食事を共にされ、その時の仕草で二人は甦った主イエスに出会うことができた、ということですから、私も同じお願いをした次第です。

前回、私は主イエス・キリストの甦りは、歴史の外で起こったことであると申し上げました。何故なら主イエスは「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」たのですから、すでに私たちが今生きているこの歴史上の人ではなくなっておられるからです。使徒信条は更に続きます。「よみにくだり、三日目に死人のうちより甦り、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、」主イエスの甦りは歴史の外で起こったことですが、父なる神は特別のはからいをもって、甦った主イエスを歴史の内に現わしてくださったのです。これが歴史的出来事です。

墓の前で悲嘆にくれるマグダラのマリアには、あなたが向かうのは墓ではない。私はもうそこにはいないのだからと彼女の向きを変えさせ、この喜ばしき知らせを弟子たちへ伝える役割をお与えになりました。

その傷跡に指を差し入れてみなければ絶対に信じないと、自分の科学的、経験的判断に固執するトマスには、「あなたの指をここに差し入れてみなさい」とその手を差し出された。

「そんな男のことなど、私は知らない」と三度も否定して不信仰の極みまで突っ込んでしまったペテロにも、「私の羊を飼いなさい」と新たな使命をお与えになり、そして40日の後、弟子たちが見守る中で天に上げられた。この時の様子は、ルカ福音書の最後にしるされています。

今日のテキストは主イエスが十字架に死にて葬られてから三日目の出来事、二人の弟子がエルサレムから60スタディオン(約11㎞)離れたエマオという村へ帰って行く途中で起こったことを伝えています。エマオ村の場所は確定されていませんが、エルサレムから西へ、地中海に向かって11㎞の所にある場所が推定されています。新旧約聖書をお持ちの方は、付録として付いている「新約時代のパレスチナ」という地図でその推定されている場所を確認することができます。

エマオ村はエルサレムと港町ヤッファ(ヨッパ)を結ぶ街道近くに推定されていることが分かります。ヤッファという港はエルサレム神殿を建設するときにティルスの王フラム[2]が、レバノンで伐採した木材をこの港まで届けています。また山岳民族で羊飼いであるイスラエル民族が初めて海に出たケースとして、預言者ヨナを記憶しておられる方も多いと思います。神様に東のニネべに行けと言われたヨナは、ヤッファ(ヨッパ)の港から西の果てにあるスペインのタルシシ行の船に乗り込んだ、というお話です。これはまた別の機会に致します。いずれにしてもエマオ街道は地中海世界とエルサレムを結ぶ要衝の地であり、エマオ村にいた二人もエルサレムとヤッファを行き交う人たちから情報を得ていたと思われます。「神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者[3]」が現れた、という情報を聞いたと思われます。二人は東のエルサレム[4]を目指して出立します。「この方こそイスラエルを(ローマの支配から[5])解放してくださると望みをかけて」、朝日に向かって、なだらかな上り坂も苦にならず、希望に胸躍らせながら足取りも軽く、エルサレムに向かったと思われます。

しかし二人が「この人こそ」と望みを託したイエスは、祭司長たちや律法学者たちの画策により、ローマのユダヤ総督であるピラトに引き渡され、十字架刑に処せられてしまいました。11人の弟子たちはみんな逃げてしまった[6]。ユダヤ人たちを恐れてイエスの弟子であることを隠していた議員でアリマタヤ出身のヨセフ[7]という人が、ピラトにイエスの遺体の引き渡しを願い出て、墓に葬りました。律法学者のニコデモ[8]が没薬と沈香を混ぜた物を持参し埋葬に立ち会いました。またガリラヤから従ってきた女性たちが、二人について行き、イエスが墓に納められるのを確認して帰宅しました。ここまでが安息日開始前の出来事です。

イエスの埋葬の直後から安息日が始まったこともあり、二人はエルサレムに留まりました。そして三日目に墓に行った女性たちから墓は空であり、天使たちが「イエスは生きておられる」と告げたという話を聞いていました。しかし「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」とルカは伝えています。恐らく私たちがその場に居合わせたとしても、同じだったでしょう。いまだかつて墓の向こう側まで生きた人はおらず、二人はあきらめて故郷のエマオ村へ帰ることにしました。

まだ生前のイエスがガリラヤにいた時、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。[9]」という三日目がまだ終わっていないのに、二人がすでにエルサレムを離れたということは、二人も11人の弟子たちと同じように、墓に行った婦人たちによって伝えられたことは「たわ言」であると思っていたのでしょう。

道はなだらかに下っているにもかかわらず二人の足取りは重く、遅々として前に進みません。二人で墓に行った女性たちの言葉を思い返し、話し合ってみても、そんな馬鹿なことがあるはずがないという思いから抜け出すことができません。太陽が地中海の向こうに傾き始める中、二人は失意のどん底にいました。

この二人のうちの一人はクレオパという男性です。私はもう一人の弟子は誰だろうと思っていましたが、東京恩寵教会の榊原康夫牧師が「ルカ福音書講解⑥[10]」の中で、このもう一人の弟子はクレオパの奥さんではないかという指摘をしています。クレオパというのは原典ではクレオパスとなっています。この名前の原意はクレオ(良い評判)パトロス(父の)が合わされ略されたもので、このクレオパスを更に略したものがヨハネ福音書19:25に出てくる「クロパの妻マリア」の「クロパ」ではないかと思われるとのことです。なぜならルカはペテロとヨハネとかパウロとシラスとか、二人ぐらいならどっちの名前も挙げているのに、この場合に限って「クレオパ」だけを挙げて、もう一人を略しているのは、常識的に考えてクレオパの奥さんだと思われる、というのです。また「わたしたちの仲間の婦人たちが」という言葉も、素直に取れば、この私たちの方にも男と女もいて、だから墓に行った「婦人たちが」が「わたしたちの仲間」だとすらっと出てくるのだと思う、と指摘しています。また目的の村に着いて夕暮れ、“ぜひお泊り下さい、食事も一緒に”と勧められるのも、夫婦だからやれることではないか、と指摘しています。長い間の胸のつかえが一つ落ちたように感じた次第です。このもう一人の弟子が「クロパの妻マリア」だとすると、ヨハネ福音書では主イエスの最後を見届けた一人でありその死を確認した彼女にとっても、墓に行った女性たちの「主イエスは生きておられる」という言葉は他の弟子たちと同じように「たわ言」のように、あり得ないことと思われたのかもしれません。

この失意のどん底にいる二人に甦られた主イエスが近寄ってきて、共に歩まれます。そして信じられないでいる二人に主イエスが語ったことは、「『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された。[11]」というのです。そしてその説明を聞いた時、二人の心は内に燃えたというのです。ここに私の長年にわたるもう一つの胸のつかえがあります。一体主イエスは何をどう説明されたのだろうか、何が二人の心を燃え上がらせたのだろうか、と思い巡らしてみても、今日のテキストにはその内容は一言も触れられていません。しかし手がかりがない訳ではないのです。それは上記の言葉の中にあると思うのです。ここには主イエスと弟子たちとの間にメシア像の違いが指摘されています。

ペテロも主イエスがご自身の死と復活を予告された時、「そんなことがあってはならない」と主イエスをいさめて、主イエスに「サタン、引き下がれ。[12]」と厳しく叱責されています。ここにもメシア像の違いが見られます。

更に例を挙げるなら、皆さまよくご存じの「ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母の願い[13]」があります。この母は、あなたが「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左にすわれるとおっしゃってください。」と主イエスに言上し、主イエスから「あなた方は、自分が何を願っているか、分かっていない。」と言われています。主イエスはここで、「異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかしあなた方の間では、そうであってはならない。[14]」と諭し、神の国の有様をその後に説明しています。ここにもメシア像の違いが見られます。バプテスマのヨハネも例外ではありません。彼は牢の中から「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。[15]」と主イエスに問うています。

更に主イエスご自身もこの点を指摘した箇所があります。マタイ福音書22:41~46に「ダビデの子についての問答[16]」と小見出しのついた箇所があります。引用しておきます。

「ファリサイ派の人々が集まっていた時、イエスはお尋ねになった。『あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。』彼らが、『ダビデの子です』と言うと、イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。

『主は(神は)、わたし(ダビデ)の主(メシア)にお告げになった。

『わたし(神)の右の座に着きなさい、

 わたしがあなた(メシア)の敵を

 あなた(メシア)の足もとに屈服させるときまで』と。[17]

「『このようにダビデがメシアを「わたしの主」と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。』これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。」

この違いはどこから生じてきたのか、どうして生まれてきたのか、その手がかりとしてイザヤ書を見てみたいと思います。イザヤ書には二種類のメシア像が出てきます。

 ・栄光の主としての像

 ・苦難の僕としての像

栄光の主としてのメシアは、11章に出てきます。これを書いた人は、貴族出身で紀元前8世紀の人。時のユダ王国の王アハズの腰のすわらない態度をいさめています。宗教的には神の荘厳さ、神が神聖にして冒すべからざる方であることを、深く捉えた人。旧約聖書中第一級の人といわれています。神を呼ぶのに「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ[18](口語訳)と言った人。この人の描いたメシアの姿が、11章に出てきます。これを要約すると、

 ・救い主は輝かしいダビデ王[19]のような方

 ・義と公平をもって民を審く方。

 ・その口の杖をもって国を打つ方。

 このメシアは輝かしく、高く、力に満ちている方。

ところが53章に出てくるメシアの姿は、これと正反対と言ってもいい。このメシアは

 ・乾いた土から出る見栄えのしない姿

 ・私たちの苦しみを負う方

 ・ほふり場に引かれていく子羊のような方

 全く正反対のメシア像が描かれている。

ではどうして、このような根本的な違いが起こってきたのか。

ここで簡単にイザヤ書の著者について見てみたいと思います。イザヤ書は全体で66章あります。一人の人によって書かれたものでないことが、分かってきました。

1 ~39章 第1イザヤ 先に触れた人

40~55章 第2イザヤ (53章はここに含まれる)

56~66章 第3イザヤ

53章が含まれている第2イザヤと呼ばれる人は、第1イザヤより百数十年後の人。第1イザヤと似ている点があり、影響を受けたと考えられているので、第2イザヤと呼ばれていますが、実は無名の預言者です。

しかし、この無名の予言者は、信仰とその宗教性の深さにおいて、その類を見ないと言われています。旧約聖書の頂点とも言われています。

それでは、第1イザヤと第2イザヤの抱くメシア(救い主)の違いが生まれてきた原因は何だったのだろうか。この点を考えるために、先ず第2イザヤが生きた時代のことを考えてみなければなりません。第2イザヤはイスラエルがバビロンに征服され、多くの人たちがバビロンに連れていかれ、惨憺たる苦悩と辱めを受けた時代に生きた人。バビロン捕囚です[20]。この時イスラエルは、徹底的に打ち砕かれ、無に帰せしめられた。紀元前586年、エルサレムが陥落した時代です。

ところがここでキュロスというペルシャ王が出現してバビロンを打ち破り、イスラエルに対して寛大なる政策をとった。この時の有様が第2イザヤの最初の部分、イザヤ書40章1~4にでています。

あなた方の主は言われる。

「慰めよ、わが民を慰めよ、

ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、

その服役の期は終わり、

そのとがはすでにゆるされ、

そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を

主の手から受けた」。

 

呼びかける声がある。

主のために、荒れ野に道を備え

私たちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。

険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。

主の栄光がこうして現れるのを

肉なる者は共に見る。

 

見よ、あなたたちの神

見よ、主なる神。

彼は力を帯びて来られ

御腕をもって統治される。

 

希望に満ちている。本当にここに救いがあると考えた。

 

 更にイザヤ書44:28~45:1

 主はこう言われる。

 「キュロスに向かって、私の牧者

 私の望みを成就させる者、と言う。

 エルサレムには、再建される、と言い

 神殿には基が置かれる、と言う。

 

 主が油を注がれた人キュロスについて

 主はこう言われる。

 私は彼の右の手を固く取り

 国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。

 扉は彼の前に開かれ

 どの城門も閉ざされることはない。

 

 私はあなたの前を行き、山々を平らにし

 青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り

暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。」

 

ペルシャ王キュロスを「油注がれた者」とほめたたえ、最高峰に達する。

イスラエルの民はエルサレムに帰って、神殿の再建に取りかかった。


ところがキュロスは数年にして、その政策を変えた。人々は非常な幻滅を覚え、打ちひしがれた。そして、キュロスを実際以上に評価していたことを痛いほど知らされるのです。

キュロスを油注がれた者[21]、ヤハウエの牧者とまで宣言し、神は彼の右の手をとって諸国を次々と征服していく、とまで。しかしイザヤ書49章以降には、キュロスについての言及はなくなります。イスラエルに痛切な反省が起こってきたのです。イスラエルを救うのは、権力を持ったメシアではない。ここには政治的・軍事的に力のあったキュロスは結局、あてにならなかった、という発見がありました。そして第2イザヤは宗教的に更に深められ、ここから「苦難の僕」が出てくるのです。

イスラエルは今まで「救い主」と言えば、ダビデ王のような栄光と権力に包まれたものであると考えていました。しかしこの考えは打ち砕かれてしまいました。神の侵しがたい真実は、ダビデの栄光と権力を通して現れるのではない。神の真理と真実は、深い悲しみを味わう人格を通してのみ実現される、と言うのです。

ここで今一度、第1イザヤの考えた栄光の救い主と第2イザヤを比較してみよう。11章は輝かしいダビデ王のような救い主、53章は痛ましい苦難の人の子。これを少し詳しく見ると、

あのメシアは ー エッサイの株より萌えいでた若枝

このメシアは ー 乾いた地から出る見栄えのしない若枝

 

あのメシアの肩には ― 主権がある

このメシアの肩には ― 我らの病と苦悩を担う

 

あのメシアは ― 義と公平をもって虐げられた者を審く

このメシアは ― 自ら虐げられ、懲らしめを受けて、自ら我らの不義

         を負われる

 

あのメシアは ― 民に君臨する主

このメシアは ― 罪人として審かれ、自分の命を贖いの供え物とする

このように比べてみますと、そのコントラストは際立っています。ダビデ的なメシア像は一つ一つ否定されていく。第2イザヤは栄光に満ちたダビデ的なメシア像への郷愁を、この<苦難の僕>の歌で、一つ一つ葬っていくのです。

結局、ダビデ的なメシア像は一つの理想像であって、人間の破れた現実を支え、問題と苦難と罪に閉じ込められた人間のところまで降りて来ない。真の人間の友、真の助け手とはならない。真の力と慰めの力を持ってはいない、と言うのです。栄光の主ではなく、<苦難の僕>が私たちを捉え、慰めそして解放する。

その打たれし傷によりて、我らは癒されたり[22]

この転換は、バビロン捕囚という破局の中で芽生えてきたのです。破局が新しい芽を育み、育てた。「私が暗闇で(こっそりと)話すことを、(あなた方は)明るみで(公然と)言いなさい。
[23]」という言葉が思い起こされます。しかもこの<苦難の僕>は、思想や哲学的な概念ではなく、ポンテオ・ピラトの時に、ゴルゴタの丘の上で、一人の人格を通して具体化したのです。

私たちが、弟子たちが栄光の主を求めて突き進む中で、<苦難の僕>を通して成された約束が、着々と実現されていた。この方が、今、ダビデ的なメシアを期待してエルサレムへ向かい、その夢破れてとぼとぼと帰郷する二人に近づいて来られ、共に歩まれた。この二人を甦った主イエスは、見ていられなかったようです。主イエスの方から二人に声をかけられた。そう言えば、いつも先に声をかけられるのは、主イエスの方からです。

しかし政治的、軍事的権力と威厳に包まれた方こそメシアであると思い込んでいた二人には、彼らと親しく話される方がその方であるということが中々認められないのです。「心ここに在らざれば、見れども見えず、聴けども聞こえず。食らえどもその味を知らず。
[24]」とは、こういうことなのかもしれません。甦ったキリストが私達にも日夜寄り添い共に歩まれているのに、私たちは自分の思いを優先し、全く別の方を見ていて、共に歩まれる主に気づかないでいるということはないでしょうか。

「いと高きところでは栄光神にあるように
[25]」というクリスマスのメッセージが伝えている「いと高きところ」とは、ベツレヘムの寒風吹き抜ける馬小屋に置かれた飼い葉おけの中なのです。

この方が聖書全体にわたり、ご自分について記されていることを縷々説明された。その内容の一つは、彼らの理解を妨げていたこの<メシア像の違い>を明らかにされたものだったはずです。その<苦難の僕>が今や夢破れ、失意のどん底にいた二人の心に寄り添い、親しく語り、今までとは違った新たな希望の灯を灯したのだと思います。彼らが主イエスに気が付いた時、その目的を達した主イエスは彼らの前からその姿を消されたのです。二人はすぐさまエルサレムへと、11キロの夜道を取って返したのです。

40日の顕現の後、弟子たちの見ている前で天に上げられた主イエスは、
聖霊によって証され、ペンテコステの出来事を通して世界中から集まってきていた三千人が悔い改めるという大仕事を成し遂げます。ペンテコステという出来事がエルサレムで起こった、ということが大事なのです。「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥がひなを羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。[26]」と主イエスご自身が嘆かれたエルサレム、そのエルサレムにこそ罪の赦しの福音は、真っ先に知らされなければならない。神の子を十字架につけたエルサレム[27]にとっても、新しい恵みの時が到来したということなのです。そしてこのエルサレムこそ、私たち自身に他ならないのです。私たちは日々自分の十字架を背負って生きておりますが、その都度「復活の主イエス」から声をかけられ、日々新たに甦らされながら、神を賛美するものでありたいと願う者です。

復活節において、苦難の僕が負われた十字架の出来事の中に、その復活の意義について、考え尽くすことのできない慰めと希望をつなぎたいと思います。



[1] 参考箇所イザヤ書11:1~10、イザヤ書53:1~12、サムエル記下7:8~17     サムエル記上16:13、ヨハネによる福音書14:25~26

[2] 口語訳聖書は「ツロの王ヒラム」サムエル記下5:11

[3] ルカ福音書24:19

[4] エルサレムは標高927m

[5] ルカは注意深く<ローマの支配>をいう言葉を避けています。

[6] ルカ福音書23:49参照

[7] マタイ福音書27:57~61 マルコ福音書15:42~47 ルカ福音書23:50~56 ヨハネ福音書19:38~42 これらの箇所を合わせ読むと、アリマタヤ出身のヨセフと いう議員がどういう人の人物像が浮かび上がってきます。

[8] ヨハネ福音書3:1~15 7:50~52 19:39 ニコデモの人物像も浮かび上がってきます。

[9] ルカ福音書9:22

[10] P.357 この本は教会の牧師室の書棚にあります。

[11] ルカ福音書24:25~27

[12] マルコ福音書8:31~33 マタイ福音書16:21~25

[13] マタイ福音書20:20~28 マルコ10:35~45

[14] マタイ福音書20:25~28

[15] マタイ福音書11:2~6

[16] ルカ20:41~44 マルコ福音書12:35~37

[17] 詩篇110:1

[18] イザヤ書6:3「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」(新共同訳)

[19] ダビデは隣国ペリシテ(ゴリアテの話)を打ち破り、南北王国を統一し、イスラエルの王となった。外交・通商も活発になり、国は大いに繁栄した。

[20] エルサレムが陥落したのが紀元前586年でペルシャ王がユダヤ人解放の勅令を発布したのが紀元前538年ですから、約50年の期間になります。ユダの王ヨヤキムが亡くなり、その子ヨヤキンが18歳で王となったが、彼はバビロン王に降伏し捕虜となったのが紀元前598年です。この年から起算した場合は、その期間は60年となります。列王記下24章参照

[21] ギリシャ語にすると「キリスト」です。

[22] イザヤ書53:5 第1ペテロ2:23~25

[23] マタイ福音書10:27

[24] 四書のうちの大学の中にある一節とのこと。 

[25] ルカ福音書2:14(口語訳)

[26] ルカ福音書13:34 マタイ福音書23:37~39

[27] マタイ福音書23:37~39

(2022年5月29日 聖日礼拝)

2022年5月28日土曜日

花はどこへ行った

富栄徳さんが動画をご提供くださいました。

「このレコードに針を落として聴いたのは久しぶりです。60年ほど前にヒットして、今も歌い継がれているフォークソングです。アメリカの3人組のグループ、ピーター・ポール&マリーの演奏です。この曲は反戦へのメッセージが込められています。改めて、世界が平和で満たされる日が早く来ることを願います」。

富栄さんありがとうございます!


花はどこへ行った(ピーター・ポール&マリー)


2022年5月22日日曜日

喜びに変わる(2022年5月22日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 インマヌエルの主イエスこそ 356番(1、4節)
奏楽・長井志保乃さん 動画・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

「喜びに変わる」

ヨハネによる福音書16章16~24節

関口 康

「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」

今日の箇所もヨハネによる福音書です。しかも、先々週の5月8日日曜日に取り上げた箇所からの続きで、今日を含めて3回連続で、イエスさまと弟子たちとの最後の晩餐での「遺言(ゆいごん)」に属する箇所を今日もお話しします。先週の「わたしは真のぶどうの木」とイエスさまがお語りになっている箇所とも同じ文脈です。

わたしたちはやはり「自分と関係ある」と思えることに興味を持ちます。このように申し上げてから続けると「違います」とおっしゃられるかもしれません。先々週の箇所を私がイエスさまの「遺言」としてご紹介したことに強く関心を持ってくださった方がおられました。「自分と関係ある」と思われたからではないでしょうか。

私自身はまだ、自分の「遺言」を書いたことがありません。必要ないかどうかの判断は難しいです。いつ何が起こるか分からない、明日の予測すら難しい、それがわたしたちの人生です。まして今、世界を大混乱に陥れている感染症、世界を巻き込み始めている戦争。「自分とは関係ない」と考えるほうが難しいことばかり。そしてもちろん、わたしたちは確実に1年ごとに年齢がひとつずつ加わります。自然の意味での「高齢化」が無関係な人は、ひとりもいません。

もうすっかり絶望してしまって人生をあきらめる思いで述べる、または書く「遺言」も、きっとあるでしょう。お勧めする意味で言うのではありません。しかし、そういう気持ちになる人をだれが責めることができるでしょう。

しかし、そのような気持ちや考えで述べる、または書くのではない「遺言」もきっとあるでしょう。私は自分で書いたことはないので現時点では想像にすぎません。しかし、そのように言ってよいのではないかと思います。

希望と喜びに満ちあふれた「遺言」があるでしょうか。そうでなければならないという意味で言うのではありません。しかし大切なことは、「遺言」の読者はそれを書く人自身ではないということです。今は話す声を録音したり、ビデオで録画したりすることもできます。しかし、それを聴くのも観るのもその人自身ではありません。

もしそうであれば、「遺言」の目的ははっきりしています。地上に遺される人たちに託すことです。わたしが命がけで守ってきた、愛する人たちを、家族や仲間を、この世界を、そしてこの教会をあなたに託すと明確に意思表示すること、それが「遺言」の目的です。

イエスさまの「遺言」も同じです。イエスさまの意志を、そしてそれは永遠の神の御子なるイエス・キリストを通して表された父なる神ご自身の御心を、あなたがたに託すという意思表示でした。

今日の箇所を一読して分かるのは、イエスさまが弟子たちに繰り返し「悲しみが喜びに変わること」をお語りになっていることです。悲しみは過ぎ去り、喜びが訪れるということを。

特に注目したいのは、20節です。「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」(20節)。

イエスさまがお語りになっている直接の相手は弟子たちです。「あなたがたは泣いて悲嘆に暮れる」と言われているのも、第一義的には弟子たちのことです。

なぜ弟子たちが「泣いて悲嘆に暮れる」のでしょうか。イエスさまとの死別は彼らにとって恩師との別れであり、心の支えを失うことを意味します。しかし、ここで再びブルトマンの註解書(『ヨハネの福音書』日本キリスト教団出版局、2005年)を参照します。「それ〔悲しみ〕は愛する者の喪失や偉大な人間の逝去についての個人的な悲嘆ではない」(455頁)と解説されています。私の乏しい想像力では思いつかない解釈でしたので、とても驚きました。

それでは「悲しみ」とは何か。ブルトマンによると、「むしろそれ〔悲しみ〕は、イエスによって世(コスモス)から呼び出されていながら(15章19節、17章16節)、まだ世にとどまり(17章11節)、世の憎悪にさらされている(15章18節~16章4節a)という世における孤独の状況」です(同上頁。ギリシア文字をカタカナ表記に変更)。

「世から呼び出されている」のは「教会」です。教会が世から孤立していて、世の憎悪にさらされていることが「悲しみ」の意味です。ブルトマンの解説の紹介を続けます。

「世(コスモス)はイエスの退去を喜ぶ。イエスの出現は世の確かさを疑わしくしたからである。世は教会を憎む。教会の実存は躓きの継続を意味するからである。だが教会はイエスに属しているゆえに世における孤独と世の憎悪を引き受けなければならない。まさに教会はイエスに属していて、もう世には属していないからである(15章19節)。それは教会にとって『悲しみ、苦難(33節)、動揺(14章1節)』を意味する。教会の状況は自明なものではないからである。教会は道を見出さねばならない」(455~456頁)。

興味深い解釈です。納得もできます。言われているとおり、イエスさまとの出会いは「世の確かさ」を疑わしくします。世に来られたイエスさまを、世が十字架につけて殺したからです。その事実を目の当たりにし、世に信頼を置けなくなり、真実を求める人々が呼び集められたのが「教会」です。だからこそ「教会」は世から憎まれ、孤立します。それは悲しいことです。

「分かりました。それではその『悲しみ』がなぜ『喜びに変わる』のでしょうか」と疑問を抱く方がおられるでしょう。この点のブルトマンの解釈にも驚きました。次のように記されています。

「その喜びの本質はどこにあるのか。それは恍惚という心霊状態としてではなく、信仰者がもう何も問う必要がない状況として規定されている。次に彼らはもう無理解な者ではないし(17~18節、14章5節、8節、22節)、これまで彼らの状況にふさわしかった問い(5節)は消えている。(中略)そのときイエスはもう彼らにとって謎ではなくなる。だれももう問いをもたない!」(460頁)。

「信仰者がもう何も問う必要がない状況」になることが「喜び」だというのです。そのとおりです。わたしたちも同じ経験をしてきました。わたしたちも、イエスさまを知り、世の確かさに疑いを抱き、真理を求めて生きようとして、孤立する日々です。わたしたちは、義人ヨブが理由の分からない苦難に悶える姿さながらです。「もし神がおられるなら、なぜこれほど人生は苦しく、世界はひどいのか」と問い続けるばかりです。

しかし、そのわたしたちに「もう何も問う必要がない状況」が訪れます。それこそが、わたしたちの喜びであり、希望です。

「もう何も問う必要がない」のは、十字架につけられたイエス・キリストがすべての悩みと苦しみを引き受けてくださる方だと分かり、心から信頼して生きていけるようになるからです。その日がまだ来ていないとしても、これから必ず来ます。そう信じるのが「教会」です。

(2022年5月22日 聖日礼拝)

2022年5月15日日曜日

真の葡萄の木(2022年5月15日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 すべての民よ、よろこべ 327番(1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

「真の葡萄の木」

ヨハネによる福音書15章1~11節

関口 康

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしがその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」

私は今日のこの箇所のみことばを読むたびに、避けて通ることができない記憶と立ち向かうことになります。それは、私が生まれると同時に両親に連れられて通い始めた教会に関する記憶です。

日本キリスト教団岡山聖心教会です。近くに岡山地方裁判所があるなど、岡山県岡山市の市街地の中心に位置します。今も存在し、日本キリスト教団の最大規模(何位かは知りません)の教会です。

昭島教会と同じで、太平洋戦争後、自給開拓伝道の形で始まった教会です。なぜ私の出身教会がその教会なのかといえば、私の母の実家があった場所から徒歩3分の距離にあった江戸時代の武家屋敷が礼拝堂として用いられていたからです。今は同じ場所にコンクリートの巨大な礼拝堂が立っています。

その武家屋敷の住所は、母の実家と同じ町名でした。岡山市は1945年6月29日にアメリカ軍のB-29爆撃機140機による無差別爆撃を受け、市街地が一気に焦土と化しました。当時14歳の母も戦火の中を逃げ惑う体験をしたそうですが、家屋を失うまでには至りませんでした。

岡山聖心教会が開拓伝道を始めた江戸時代の武家屋敷も、灰にならずに残りました。岡山聖心教会の創立は、日本基督教団年鑑によれば1947年5月ですので、母は16歳ですが、開拓伝道が始まった直後、最初期の教会員になりました。母は熱心な仏教徒(日蓮宗不受不施派)の家庭に生まれましたが、実家の近くに教会ができたので、そこに通い、まもなく信仰を与えられ、教会員になりました。

その後、私の父が独身の頃、岡山に引っ越して来て、岡山聖心教会の教会員になります。父は群馬県前橋市の出身者で、岡山とは無縁でしたが、大学卒業後、農業高校教員になることを志し、就職のために岡山に移住しました。そして、父は大学時代に日本キリスト教団松戸教会で洗礼を受けてキリスト者になりましたので、岡山で通う教会を求めて岡山聖心教会にたどり着きました。

そこで両親が出会い、結婚し、兄と私が生まれました。両親とも教会学校の教師になりましたので、日曜日の朝は家族で教会に行き、多くの時間を教会に費やし、帰宅する生活でした。

そのような中、私が物心つく3歳くらいからの記憶は1960年代後半から始まりますが、私の記憶の中の岡山聖心教会は、日曜の礼拝でも、日曜午後7時半からの夕拝でも、水曜の夜の祈祷会でも、日曜の教会学校の礼拝でも、朗読される聖書箇所はすべて、今日の箇所でした。

それが、私が高校を卒業する18歳まで続きました。3歳引いた15年間は間違いなく、私の記憶の中の岡山聖心教会で朗読される聖書の箇所はすべて今日の箇所だけでした。

理由は分かりません。高校卒業後は東京神学大学に入学し、神学大学卒業後は日本キリスト教団南国教会に赴任しましたので、岡山の記憶は高校卒業と同時に終わります。

私がはっきり覚えているのは、物心つく頃から高校を卒業するまでの15年間で岡山聖心教会が急激に成長し、私が高校生の頃には現住陪餐会員が500名を超え、礼拝出席者が250名を超え、3つの附属幼稚園を有する教会になったことです。250名が武家屋敷の大広間に敷き詰められた座布団の上に正座して礼拝をささげました。

私が高校を卒業するのが1984年ですので、岡山聖心教会は当時で創立37年です。今年75周年です。戦後の自給開拓伝道教会が、37年後には礼拝出席者250名を超える教会になった理由も私には分かりません。私に分かるのは、私が憶えているかぎり15年間ずっと今日の箇所だけが、どの礼拝でもどの集会でも読まれ続けた事実だけです。

私の話が長くなりすぎましたので、そろそろやめます。しかし、もうお気づきでしょう。私がこのことを必ずしも良い意味でお話ししていない、ということに。

今日の箇所は、イエス・キリストご自身が語られたみことばとして、ヨハネが記しているものです。しかし、この箇所のイエスさまのお言葉の印象は、どちらかといえば、肯定的な言葉よりも、否定的な言葉のほうが前面に出てきていることにお気づきいただけると思います。

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(1節)は肯定的です。しかし、その次は「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝は、父が取り除かれる」(2節)と否定的です。

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」(4節a)は、肯定的です。しかし次は「ぶどうの枝が、木につながっていないならば、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」(4節b)と否定的です。

否定的な言葉はまだ出てきます。「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(5節)、「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」(6節)。

岡山の牧師はこの箇所を朗読するだけで一度も説明してくれませんでした。そのことも確実に証言できます。実はかなり長いあいだ疑問を抱いていましたので直接質問すべきだったかもしれませんが、1906生まれで私より59歳も年上の方でしたので、質問する勇気がありませんでした。

疑問を抱いていたのは、私だけではなかったかもしれません。「わたし」につながっていなければ、実を結ぶことができない、「わたし」を離れては、あなたがたは何もできない、「わたし」につながっていない人は、枝のように外に投げ捨てられて枯れ、集められて、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

この「わたし」は誰のことかを牧師が説明しないので、各自が自由に解釈し、なかにはひどい誤解を抱き、信じた方がいたかもしれない、いなかったかもしれない。そのように考えざるをえません。

はっきり申します。この「わたし」はイエス・キリストただおひとりだけです。他のいかなる存在とも結び付けることは不可能です。ヨハネによる福音書の「わたしは~である」(エゴー・エイミー)は排他的・絶対的な意味を持つとブルトマンが書いていることは、先日ご紹介したとおりです。

しかも、この箇所で、イエス・キリストに「つながる」か「離れる」かという問題と、ひとつの教会のメンバーかどうかという問題、あるいは日曜日の礼拝に来るか来ないかという問題は、完全に区別して考えないと、ひどい誤解を生むことに必ずなります。

「わたしは~である」(エゴー・エイミー)形式の「わたし」は、イエス・キリストおひとりだけであって、「教会」も該当しません。「教会」から離れた人は「火に投げ入れられて焼かれてしまう」のでしょうか。礼拝をしばらく休むと焼かれるのでしょうか。そういう話であっていいわけがありません。

私の出身教会の批判をしているのではありません。申し上げたいのは、わたしたちは今日の聖書の箇所をどう読むかです。もしこの箇所に恐怖を抱くとしたら読み方が間違っていると考えるべきです。

イエスさまは「わたしの愛にとどまってほしい」と心から願っておられます。「木から枝が離れたら、その枝は枯れる」というのも大自然の法則です。反対者は処罰するという話ではありません。

イエスさまはどこまでも愛してくださる方です。わたしの愛のうちにとどまってほしい、愛の関係を続けてほしいと願っておられます。恐怖と脅迫による支配は、イエスさまとは一切無縁です。

(2022年5月15日 聖日礼拝)

2022年5月8日日曜日

互いに愛し合いなさい(2022年5月8日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 ハレルヤハレルヤ 328番(1、4節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

ヨハネによる福音書13章31~35節

関口 康

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

今日の聖書のみことばは教会の教えにおいて根本的な意味を持っています。わたしたちの救い主、神の御子イエス・キリストご自身の言葉としてヨハネによる福音書が記しているものです。

これはイエス・キリストが十字架にかけられる前の夜に行われた最後の晩餐のとき、弟子たちに語られた言葉です。しかし、「ユダが出て行くと」(31節)と記されていますので、そこにいたのは11人の弟子たちだということになります。

しかし、いま申し上げたことを狭くとらえて、イエスさまが「互いに愛し合いなさい」と命令されたのはイスカリオテのユダを除く11人だけであって、ユダは愛の対象外であるというような意味が含まれている、などと考えるべきではありません。裏切り者がやっと部屋から出て行ってくれたから安心して真実を話せるようになった、というような話ではありません。

それどころか、むしろ正反対に、イエスさまはユダにこそ、このことをおっしゃりたかったのではないかと、私には思えてなりません。なぜ愛し合うことができないのか。なぜ裏切るのか。もう一度考え直してほしいと。しかし、この点は私個人の想像の域を出ません。

そして、もっと大事なことがあります。この教えが最後の晩餐の席で語られたということは、人間的な言い方をお許しいただけば、つまりそれは、イエスさまが御自身の処刑と死を強く意識なさったうえでの遺言(ゆいごん)であることを意味します。もしそうなら、ユダを含むか含まないかはともかく、その場にいた弟子たちだけにイエスさまがおっしゃっているのではないことは明らかです。

なぜなら、最後の晩餐でイエスさまが弟子たちにお語りになったことのすべては、全世界の全歴史の全人類に対して、ご自身の言葉を伝えてもらいたいというご意志をお持ちだったからです。

「互いに愛し合いなさい」という新しい掟を守ってもらいたいという願いをイエスさまが具体的にだれに対してお持ちになったのかと、もし考えるとすれば、狭い範囲に限定して考えてよいことでは全くなく、全世界の全歴史の全人類に対してであると、わたしたちは躊躇なく考えなければなりません。例外があるかどうかはイエスさまがお決めになることです。わたしたちが勝手に決めることはできません。

「あの人は愛せるが、この人は愛せない。わたしたちの愛は選り好みをする。互いに愛し合いなさいと、たとえイエスさまがおっしゃったことだと言われても、だめなものはだめ。愛せない人は愛せない。そのような罪深いわたしたちの身代わりにイエスさまは死んでくださって、わたしたちの罪を赦してくださった。わたしたちが選り好みをしてしまうこともイエスさまは赦し、受け入れてくださっているので、安心してよい」という論法が成り立つかどうかは、ぜひ考えていただきたいことですが、私個人は無理だと考えています。

今日もまた、いつもとはいくぶんか趣向を変えたことをお話ししたいと思い、そのような準備をしてきました。「母の日」のことを話すべきかもしれませんが、申し訳ありませんが、その準備はありません。

今日お話しするのは、私個人がまだほとんど全くその正体を見抜くことができておらず、本質を理解することができていない、現在起こっている「戦争」についてです。

ただし、「戦争」が始まると、一方に偏っていない情報を入手することが困難な状況になりますので、現時点で第三者の立場にいる者は、不用意な発言を控えなければなりません。

特に今はインターネットがあります。宣教要旨をメールで配布したりブログで公開したりしています。予想がつかない範囲に悪影響を及ぼす可能性が否定できません。

しかし、比較的最近になって報道されるようになったことの中に、この「戦争」の一方の当事者とその国のキリスト教の指導者が深い関係にあるという情報があります。

キリスト教についてはわたしたちに責任があります。無視することはできません。

そう考えて、その人の著書を探し、4月21日にインターネットで注文しました。ロンドンの書店で、4月25日に発送され、ようやく昨日(5月7日)届きました。注文から16日、発送から12日かかりました。

本のタイトルは『自由と責任』(Freedom and Responsibility)で、副題が「人権と個人の尊厳の調和についての研究」です。原著はロシア語ですが、とても読みやすい英語で訳されています。読書に夢中になりそうでしたが、読みふけると日曜日に差しつかえるので最初だけ読みました。

実に明快な文章です。英訳者が優れているのだと思います。そして驚くほどプロテスタントに対する強烈な敵意が表現されていました。核心部分と思える箇所を、拙訳でご紹介いたします。

「真の問題は、現在の世界において国民が霊的に健全さを保つために、彼らの宗教的・歴史的な自意識をエイリアンの破壊的な社会的文化的要素から保護するバリアがないことにある。世界の脱工業化に影響された、いかなる伝統(tradition)とも無関係の新奇な生活様式からも、彼らを守れない。

新奇な生活様式の土台にリベラル思想があり、それが異教的な人間中心主義と手を結んでいる。その人間中心主義は、ルネッサンス期にヨーロッパ文化に入り込んで来た、プロテスタント神学とユダヤ人の哲学思想である。啓蒙主義の時代が終わりを迎え、彼らの思想がひとつのリベラル原理を形成した。その精神とイデオロギーの絶頂点が、フランス革命である。あの革命の根本にあったのは、伝統(tradition)が持つ規範的な意義を拒絶することだった。

あの革命はどこで始まったか。宗教改革である。宗教改革者たちが、キリスト教の教義を扱う場で、伝統(tradition)が持つ規範的な意義を拒絶した、あのときから始まっている。

プロテスタントでは、伝統(tradition)は真理の基準ではない。信者の個人的聖書理解や個人的宗教体験が彼らの真理の基準である。プロテスタンティズムの本質は、キリスト教のリベラルな解釈である」(Patriarch Kirill of Moscow, Freedom and Responsibility: A Search for Harmony – Human Right and Personal Dignity, Moscow Patriarchate, 2011, p. 5-6)。

この文章を紹介するのは、「理解」が必要だと思うからです。「戦争」を肯定する意図は私には全くありません。残虐行為にいかなる言い逃れの道もありません。しかし、いかなる「戦争」も必ず終わらせなければなりません。問答無用だとは思いません。何度でも平和を取り戻すために、「互いに愛し合う」ためにわたしたちにできるかもしれないことは、まだ残っています。

(2022年5月8日 聖日礼拝)

2022年5月1日日曜日

良い羊飼い(2022年5月1日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌第二編 主はその群れを 56番(1、2節)
奏楽:長井志保乃さん 字幕:富栄徳さん

「良い羊飼い」

ヨハネによる福音書10章7~18節

関口 康

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」

ゴールデンウィークの最中です。気分転換も必要です。今日はいつもと少し趣向を変えたお話をさせていただきます。それは、聖書の読み方に関する問題です。

ヨハネによる福音書について非常に詳しく解説された注解書をルードルフ・ブルトマンという20世紀のドイツ人の新約聖書学者がドイツ語で書いたものの日本語版が、2005年3月ということは今から17年前ですが、日本キリスト教団出版局から出版されました。

ドイツ語原著は1941年に出版されましたが、画期的な名著として有名になりました。私もそのドイツ語版を持っています。しかし、ドイツ語に苦手意識を持っている私には歯が立ちませんし、ドイツ語の昔の印刷書体(ひげ文字)で書かれていて、見ているだけで頭が痛くなるものです。

しかし、難解な注解書の日本語版が出版されたと今から17年前に知り、大喜びしたのですが、それも束の間、定価を見て落胆しました。18,900円。とても買う力がありませんでした。

しかし、喜んでください。昭島教会にブルトマン『ヨハネの福音書』(杉原助訳、大貫隆解説、日本キリスト教団出版局、2009年)があります。教会の財産です。教会員の方はもちろんお読みいただけます。ご関心のある方はぜひ読んでみていただきたいです。

わたしたちが聖書を読むときに大事なことが最低でも2つあります。1つは聖書に何が書かれているかを著者の心の側に立って考えることです。特に大切なのは、わたしたちの側から「こういう意味であってほしい」という願いや思い込みがある場合はそれをいったん横に置くことです。自分が読みたいように読むのでなく、著者の意図を読み取ることが大事です。

2つめは、そのようにして読み取った著者の意図と今のわたしたちの関係を考え抜き、著者は「この私」に何を語ろうとしているかを明らかにすることです。その場合「聖書の著者はだれか」という問いに対しては、究極的な意味では、イエス・キリストを通して聖霊によって人の中からお選びになった著者の心と筆を用いて神おんみずからがお書きになったと信じる信仰が最終的に重要になります。短く言えば、聖書の著者は神さまです。神さまが「この私」に「何」を語ろうとしているかを知ることが、聖書を読むときに重要です。

しかし今、2つ言いました。その両方が大事だということです。2つめの「今のわたしたちに神が何を語っておられるか」を知るためにこそ、1つめの「聖書の歴史的解釈」が必要です。そちらのほうをしっかり理解するために、ブルトマンの注解書なども熟読すべきです。

それで今日は、私の考えや気持ちは少し横に置いて、ブルトマンが今日の箇所について書いていることを皆さんに紹介したいと思いました。

ところどころ、ブルトマンの表現をそのまま引用しながら言います。今日の箇所の直前の10章1節から3節までに「羊飼いが盗人や強盗とはどう違うか」が描かれています。羊飼いは「正規の門を通って囲いの中の羊のもとに行く」が、「門は門番によって彼には開かれているのに対し、盗人には閉ざされているため、盗人は塀を乗り越えなければならない」が、「塀を乗り越える盗人を羊たちは恐れる」とブルトマンが書いています(同上書、296~297頁)。

しかしブルトマンによると、だからといって「まるで羊の群れが疑い深く批判的な集団であるかのように」描かれているわけではなく「羊たちは羊飼いを本能的な確かさによって見分けることが明らかにされねばならない」ので「羊たちが〔本物の〕羊飼い〔かどうか〕を見分けるための基準が示されなければならないわけではない」と言います(同上箇所)。よく分かる話です。

しかし、ここから先のブルトマンの解釈は圧巻です。このたとえの中に、羊飼いが「規則的、日常的に彼の羊の群れのもとに来て、羊たちを牧場に連れ出すという事実を解釈の中に持ち込んではならない」(297頁)と言います。言い換えれば、羊飼いは羊たちとふだんから行動を共にしているので本物かどうかが分かるという解釈を持ち込んではならないということです。

なぜなら、この箇所の「羊飼い」はイエスさまを指しているからです。ヨハネによる福音書は、イエスさまは「言(ことば)が肉となって」(1章14節)ただ一度だけ神のもとから到来された方であると教える書です。一度だけ来られた方のことを、以前からよく知っているし、いつも一緒にいるから羊はその相手が本物の羊飼いかどうかが分かると言えるわけがない、ということです。

それでブルトマンが言うのは、このたとえの中の「羊」は、キリスト教共同体(すなわち教会)にまだ属しておらず、世に散らされている人たちを指している、ということです(297~298頁)。つまり、「羊」にたとえられている存在が「羊飼い」にたとえられているイエスさまをずっと前から知っていたわけでなく、むしろまだ出会ったことがなく、初めて出会う関係だというわけです。だからその存在はまだ教会員になっていないというわけです。

それならどうして初対面なのに本能的に本物だと分かるのかといえば、イエスさまが「真理」を語られる方だからです。しかし、「(キリスト教共同体に属していない)羊が集まって共同体になることによってはじめて彼の羊の群れになるのではない」(298頁)ともブルトマンは言います。そうではなく、「イエスを羊飼いとする羊の群れ」こそが「教会」であり、「教会は(中略)羊飼いの声に従うことによって実現されるべき羊の群れである」(同上頁)と言います。

ここから先に申し上げることは、ブルトマンが書いていることではありません。私も「牧師」なので「羊飼い」と呼ばれることがあります。しかし、今日の箇所のたとえを牧師に当てはめるのは間違いです。イエスさまを差し置いて、その人が「羊飼い」を名乗り、羊に向かって「わたしに従いなさい」と言い出す牧師は、正規の門から入らず、塀を乗り越えて入る盗人や強盗の側にいるのと同じです。

今日の箇所の「羊飼い」を当てはめてよいのはイエスさまだけです。たとえば「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる」(11~12節)を、牧師一般に当てはめてはいけません。

ヨハネによる福音書でイエスさまが「わたしは~である」(エゴー・エイミー)と語られるとき、神がモーセに「わたしはある、わたしはあるという者だ」(出エジプト記3章14節)とご自身を啓示されたのと同じ意味があります。そのことをブルトマンも書いています。イエスさまが語る「わたしは~である」(エゴー・エイミー)は排他的で絶対的な意味です。「わたしこそ、わたしだけがあなたの羊飼いである」と語られているのと同じです。

イエスさまだけが、わたしのために命を捨ててくださいました。イエスさまだけが、わたしの羊飼いです。そのように信じる羊の群れが「教会」です。わたしたちはこれからも「良い羊飼い」であるイエスさまの御声に従って生きて行こうではありませんか。

(2022年5月1日 聖日礼拝)