ラベル マルコによる福音書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル マルコによる福音書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年9月18日日曜日

真心をこめて(2022年9月18日 昭島教会)

 

昭島教会の教職(左から関口康、石川献之助、秋場治憲)

讃美歌21 520番 真実に清く生きたい(1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん




「真心をこめて」

マルコによる福音書12章35~44節

関口 康

「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。『はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。』」

今日の箇所は先週の続きです。3つの段落を朗読していただきました。イエスさまはエルサレム神殿の境内におられます。イエスさまが何をお語りになり、何をなさったかが記されています。

35節以下の段落でイエスさまは、ひとつの問題を取り上げておられます。それは「メシア」についてユダヤ教の律法学者が誤った見解を主張していたことに対する反論です。

当時のユダヤ教の人々は「メシア」が来ることを信じていました。「メシア」(マーシーアハ)はヘブライ語で、ギリシア語訳が「キリスト」(クリストゥス)ですので、彼らが「キリスト」の到来を信じていたと言っても同じです。

ただし、彼らにとって「メシア」は人間であり、しかも「ダビデの子孫」でした。「ダビデ」は紀元前11世紀に建国されたイスラエル王国の第2代国王です。ダビデの国王在位は紀元前1000年ごろから967年まで。当時のユダヤ教の理解では、「ダビデの子孫」として生まれる「メシア」は、ユダヤ人をローマ帝国の支配から解放して独立国家を打ち立てる王となるべき存在でした。

「メシア」が「ダビデの子孫」であることの根拠はすべて旧約聖書の言葉です。イザヤ書11章1~10節(「エッサイの株」)、エレミヤ書23章5節(「わたしはダビデのために若枝を起こす」)、エレミヤ書33章15節(「わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる」)、エレミヤ書33章17節(「ダビデのためにイスラエルの家の王座につく者は絶えることがない」)、エゼキエル書3章23節(「わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである」)、エゼキエル書3章24節「わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる」)、詩編89編21節(「わたしはわたしの僕ダビデを見いだし、彼に聖なる油を注いだ」)。

イエスさまは「メシア」が「ダビデの子孫」であること自体については反論しておられません。この信仰は初代教会にも受け継がれました。ローマの信徒への手紙1章3節(「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ」)、テモテへの手紙二2章8節(「この方はダビデの子孫で、死者の中から復活された」)、ヨハネの黙示録5章5節(「ダビデのひこばえが勝利を得た」)が証拠です。

イエスさまがおっしゃっているのは、「メシア」は単なる「ダビデの子孫」ではなく「主」でもあるということです。「主」はヤーウェ、すなわち神です。メシアは「神」です。そのことを証明するために、イエスさまが詩編110編1節を引用しておられます。旧約聖書(952ページ)のほうを読むと「ダビデの詩、賛歌。わが主に賜った主の御言葉」と記されています。これが「メシア」が「主」であることの根拠であると、イエスさまがお示しになりました。

代々のキリスト教会の信仰によれば、イエス・キリストは父・子・聖霊なる三位一体の神です。イエス・キリストは単なる人間ではなく神です。そのことをイエスさま御自身が述べられたことが証言されています。

38節以下の段落でイエスさまは、律法学者たちを激しく非難しておられます。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」(37~40節)。

前の段落のイエスさまは律法学者の〝教え〟の間違いを指摘しておられますが、この段落では彼らの〝生活〟の間違いを指摘しておられます。ここまで言われれば彼らは激怒したでしょうし、関係修復は不可能です。そのことをイエスさまは恐れておられません。旧約聖書の預言者の姿を彷彿します(アモス書全体、エレミヤ書3章、エゼキエル書8章、13章、34章など)。

イエスさまが抗議しておられるのは、彼らの見せかけの真面目さと偽善です。目立ちたがり、注目を集めたがり、尊敬されたがるエゴイズムです。「やもめ」(40節)は戦争や病気や事故などで配偶者と死別した女性です。その女性を律法学者が「食い物にする」とは、自分の身の回りの世話をさせたり、当時のユダヤ教ではラビが報酬を受け取ることは禁じられていましたが、その規定を無視して報酬を受け取ったりしているという意味です(Bolkestein, ebd. P. 283)。

旧約聖書には「寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない」(出エジプト記22章22節)、「〔主は〕孤児と寡婦の権利を守る」(申命記10章18節)と明記されています。しかし、律法学者は貧しい女性たちを犠牲にしているというのが、イエスさまのおっしゃっていることの趣旨です。

ぞっとするほど激しいイエスさまの言葉を読んだ後、41節以下の段落を読むと、ほっとします。イエスさまがひとりの女性を擁護しておられるお姿が描かれているからです。

当時のエルサレム神殿は、紀元前63年に王位についたヘロデ大王が修復したものです。入口の階段を上ると最初に異邦人でもだれでも入れる庭があり、次にユダヤ人だけが入れる庭があり、その次に祭司だけが入れる庭があったそうです。そして、その先に「聖所」があり、いちばん奥に「至聖所」があるという構造です。

二番目の「ユダヤ人だけが入れる庭」に異邦人が入ると死刑でした。そしてそこは「女性の庭」とも呼ばれました。祭司は男性なので、「祭司の庭」よりも奥は男性しか入れなかったからです。これで分かるのは、このときイエスさまは、その「女性の庭」におられたようだということです。

その「女性の庭」に宝物庫と、ラッパ形の 13 個の賽銭箱があり、祭司の助けを借りてお金を入れることができました(Strack-Billerbeck II, p. 37. Vlg.)。しかも、お金を入れる人や、祭司に手渡すお金の金額を誰でも見ることができました。それは一種の見世物で、献金の金額の見せ合いの場でもありえました。そのほうが競争心を煽り、たくさん献金が集まるからでしょう。

その様子をイエスさまがご覧になっていました。お金持ちの人がたくさん献金しました。その次に「一人の貧しいやもめ」が「レプトン銅貨2枚」を献金しました。当時の最小の銅貨でした。

新共同訳聖書巻末付録「度量衡および通貨」によれば「1レプトン=1デナリオン(1日の労働賃金)÷128」です。わたしたちの「100円」に満たない銅貨2枚です。しかし、イエスさまは、それがあの女性にとっては「乏しい中から自分の持っているものをすべて、生活費の全部」(44節)であるとおっしゃいました。イエスさまは金額でなく、その人の真心を評価してくださいました。

イエスさまは「生活費の全部」をささげることが大事であるとおっしゃっているでしょうか。同じことがわたしたちにも求められているでしょうか。違います。イエスさまは貧しい人が衆人の目にさらされ、はずかしめられる状態にあることを非難し、屈辱に堪えているひとりの女性を全力で擁護され、その女性のひとりの人間としての尊厳をお守りになったのです。

わたしたちはどうでしょうか。教会はどうでしょうか。はずかしめを受けていると感じている方がおられるようでしたら、教会のあり方を反省し、改革しなくてはなりません。

(2022年9月18日 聖日礼拝)

2022年9月11日日曜日

神と隣人を愛する(2022年9月11日 昭島教会

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 とびらの外に 430番(1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

「神と隣人を愛する」

マルコによる福音書12章28~34節

関口 康

「イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、『あなたは、神の国から遠くない』と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。」

先週の礼拝後のご挨拶のときに申しましたが、岡山にいる父の命の時間がわずかであることを医師から告げられました。もう全くコミュニケーションはとれません。1933年11月生まれですので、今年の誕生日を迎えることが許されれば89歳になりますが、たどり着けそうにありません。

基本的にあっけらかんとした信仰の人です。死ぬことに対して、ずっと昔から全く恐れる様子がない人でした。とはいえ、やや口が重いタイプでしたので、本心がどうかは分かりません。

皆さんがきっと体験してこられたことを私はこれから体験することになります。悔しいという感情とは違うものを感じますが、神さまがお決めになった日まで、私は父に対して何をすることもできないことを寂しく思うところはあります。神に委ねるとはこのことかと実感しています。

兄が実家を守ってくれていますので、私は自由気ままに生きています。先日、秋場治憲先生が2回に分けてルカによる福音書15章の「放蕩息子のたとえ」をお話しくださいました。私はあのたとえ話の弟息子そっくりです。父は父で、あのたとえ話の父親のような人なので、今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいです。

さて今日の聖書の箇所に、イエスさまがひとりの律法学者から「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(28節)と問われたことに対してお答えになる場面が描かれています。

当時は「新約聖書」はありませんでしたので、「あらゆる掟」が旧約聖書の律法を指していると説明することは大きな間違いではないはずです。明文化されていない口伝などまで含めることを考えなくてはならないかどうかは分かりません。はっきり分かるのは当時のユダヤ教がとにかく戒律ずくめだったということです。「248の命令と365の禁止事項」に区別されていたと言われています(Strack-Billerbeck I, p.900 vlg)。

その多くの戒律の中で「どれが第一でしょうか」と律法学者がイエスさまに問うているのは、イエスさまを試したのだと思います。すべての掟を比較したうえで、その中で最も重要な内容を持ち、他よりも秀でて最も質が高い掟はどれなのか、という意味の質問です。

その質問に対するイエスさまのお答えが、29節から31節までに記されています。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない」(29~31節)。

「第一の掟」は申命記6章4~5節(新共同訳、旧約291ページ)です。「第二の掟」はレビ記19章18節(同、192ページ)です。

第一の掟の「イスラエルよ、聞け」は、ヘブライ語で「シェマー・イスラエル」と言います。「シェマー」(聞け)は、ユダヤ教の最も簡潔な信仰告白です。ユダヤ教では一日2回、朝と夕に「シェマー・イスラエル」を唱えます。

申命記はモーセの遺言です。しかし、イエスさまはそれをユダヤ人だけに関係する掟であると、とらえておられません。世界のすべての人が対象です。

それを「心」と「精神」と「思い」と「力」を尽くして行います。この4つを合わせて「人間存在すべて」を意味します(G. Wohlenberg, p. 319. Vlg. M.H. Bolkestein, Marcus, PNT, 1966)。

第二の掟のレビ記19章18節は、文脈が大事です。「心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない」の次に「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ記19章17~18節)と記されています。

「同胞を率直に戒めなさい」とあるように、ユダヤ人仲間(同胞)に限定されているのが旧約聖書の掟の限界と言えるかもしれません。イエスさまにとって「隣人」とは、ルカによる福音書10章の「善いサマリア人のたとえ」で示されたほど広い意味です。すべての人が「隣人」です。

しかし、レビ記19章18節の内容で大事な点は、たとえ「同胞」であるユダヤ人であっても、あなたに罪を犯すならば、あなたの「敵」になりうる存在であるということが前提されたうえで、その相手を憎むことも、復讐することも、恨むこともしないことが相手を「愛する」ことを意味すると教えられていることです。つまり「身内の中の敵を愛する」という意味が含まれています。

この掟に付加されている「自分を愛するように」という言葉の解釈は、真っ二つに分かれています。「自己愛を肯定している」ととらえる人もいれば(テルトゥリアヌス、クリュソストモス、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、キルケゴール)、「自己愛の肯定ではない」ととらえる人もいます(ルター、カルヴァン、カール・バルト)。

この問題の詳細が、バルトの『教会教義学 神の言葉 Ⅱ/1 神の啓示〈下〉』新教出版社、2版1996年、353ページ以下に記されています。どちらの理解が正しいかの判断するための助けになります。私個人は、肯定する側に近いです。

ところで、このときイエスさまは、律法学者から「どれが第一でしょうか」と問われたのに、ひとつの掟でなく、ふたつの掟をお答えになっていることを、わたしたちはどのように考えればよいでしょうか。問い方を換えれば、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」というふたつの掟を比べると、どちらのほうが上なのかと問うこともできます。

「神」が「人間」よりも上であるのは自明のことであり、やはり結局、どこまで行っても「神を愛すること」が「第一」なのであって「隣人を愛すること」は二次的・副次的・従属的な掟であると言わなくてはならないでしょうか。それともイエスさまは「そうではない」とお考えになったからこそ、あえて「ふたつ」お答えになったのでしょうか。

この問題について、オランダの聖書学者が次のように記しています。「第一の掟〔神への愛〕は第二の掟〔隣人愛〕よりも劣ってはいない。イエスは旧約聖書に従っている。神秘主義に起こるように、神への愛が隣人愛を飲み込んではならないし、リアリズム(現実主義)に起こるように、隣人愛が神への愛に置き換えられてもならない」(Bolkestein, ebd.277)。

この意見に私も同意します。「神」と「人間」という次元が違う存在同士を比較して、どちらが大切かと考えること自体が間違っています。「神への愛」と「隣人愛」は同時に成り立ちます。

「教会を第一にするか、それとも家庭を第一にするか」という問いとも次元が違います。教会は「神への愛」だけでなく、十分な意味で「隣人愛」を実現する場でもあります。教会において、わたしたちが互いに助け合い、励まし合い、祈り合うことによって、どれほど大きな試練や難局を乗り越えてきたかは、数えきれないほどです。

イエスさまが「ふたつ」答えてくださったことが、わたしたちの慰めです。

わたしたちは「神を愛するように隣人を愛する」ことができます。

(2022年9月11日 聖日礼拝)

2022年9月4日日曜日

ぶどう園のたとえ(2022年9月4日 昭島教会)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 403番 聞けよ、愛と真理の(1、3番)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

「ぶどう園のたとえ」

マルコによる福音書12章1~12節

関口 康

「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石になった。これは主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」

先週8月28日(日)私は昭島教会の皆様から1日だけ夏季休暇をいただき、他の教会の礼拝に出席しました。休暇中の行き先についての報告義務はないかもしれませんが、興味を持っていただけるところもあるだろうと思いますので、この場をお借りして短く報告させていただきます。

朝の礼拝は港区赤坂の日本キリスト教団霊南坂教会に出席しました。日曜日の朝の礼拝に出席するのは、先週が初めてでした。しかし、日曜日の朝以外であれば、霊南坂教会で行われた礼拝に出席したことがあります。正確な日時は覚えていません。私が東京神学大学の学生だったのは1980年代の後半ですので、35年ほど前です。その頃に私の記憶では2回、いずれも夕方でしたが、東京教区西南支区主催のクリスマス礼拝などに出席しました。

先週霊南坂教会の会員の方にそのことをお話しし、「当時と同じ会堂ですか」と尋ねたところ、「同じです」と教えてくださいました。なぜその質問をしたかといえば、35年ほど前の私の記憶が夕方の礼拝と結びついていたこととおそらく関係して、かなり様子が違って見えたからです。

調べてみましたら、霊南坂教会は1985年に現会堂を新築されたようで、どうやら私は真新しい会堂での礼拝に出席したようだと分かりました。それも様子が違って見えた理由かもしれません。

新築の5年前の1980年に、当時最も有名な芸能人だった山口百恵さんと三浦友和さんの結婚式が霊南坂教会で行われたことも分かりました。その結婚式のとき私は中学生でしたので、岡山にいました。テレビで見た記憶が残っていますが、そのときは旧会堂だったようです。

わたしたちにとって参考になりそうなことは、先週の時点で非常に大勢の出席者がおられたことです。午前中は強い雨が降っていましたが、それにもかかわらず、です。ご高齢の方々も大勢おられました。会堂が広いから実現できることだろうと言えば言えなくはありませんが、大勢の聖歌隊による合唱がありましたし、もちろん全員マスク着用で、讃美歌の1節と4節を歌うなど短縮しながらも、いつもと同じように賛美がささげられ、礼拝が行われました。

インターネットでの同時中継も行われていましたので、自宅礼拝の方もおられたに違いありません。感染症に対するさまざまな考え方があるのは分かりますし、尊重されるべきです。しかし、むやみに恐れるのではなく、正しく気を付けることの大切さを思わされました。

とにかくみんながひとつに集まって礼拝をささげるとき、教会は大きな力を得、互いに励まし合うことができます。そのことを実感できました。霊南坂教会の皆さんに感謝いたします。

さて、今日の聖書箇所は、マルコによる福音書12章1節から12節までです。ここに記されているのは、イエスさまのたとえ話と、それを聴いた人々の反応です。

暗い話になるのはなるべく避けたいと願います。しかし、今日の箇所の最後の節に「彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕えようとした」(12節)と記されているのは穏やかではありません。気になりましたので原文を調べてみました。それで分かったのは、少し強すぎる訳のようだということです。

ギリシア語の原文には「イエスが〝自分たちに対して〟(プロス・アウトゥース(προς αυτους))このたとえを話された」と記されているだけです。古い英語聖書では「アゲインスト・ゼム(against them)」と訳されていますので、最も強く訳して「彼らに反対する」です。比較的新しい英語聖書の中に「エイム(aim)」という動詞の例がありました。「狙う」「当てつける」などの意味です。

あえて取り上げるほど重要な問題ではないとお感じになるかもしれません。しかし、日本語の「当てつける」に「はっきりそれと言わずに、何かにかこつけて悪く言う」(広辞苑)という意味を感じるのは私だけではないはずです。まるでイエスさまが陰険な嫌味を言われたかのようです。

「陰険」の意味は「表面はよく見せかけて、心のうちでは悪意をもっていること。陰気で意地わるそうなさま」。「嫌味」は「相手に不快感を抱かせる言葉や態度。いやがらせ」です(いずれも広辞苑)。わたしたちが思い描くイエスさまのイメージに大きく影響するでしょう。

昔の文語聖書(改譯)に「この譬(たとえ)の己(おのれ)らを指して言い給へる」と訳されていました。この訳が私は最も腑に落ちましたのでご紹介します。

このときの場所は、11章27節によると「エルサレム神殿の境内」です。そこにいた「祭司長、律法学者、長老たち」が「彼ら」です。当時のユダヤ教の指導者です。イエスさまは持って回った嫌味をおっしゃったのではありません。むしろはっきり分かるように正面から対決されたのです。

彼らは「イエスが我々に当てこすった」と感じたかもしれませんが、それは彼らの受け止め方です。イエスさまが彼らを恐れて、逃げの一手で遠回しの話をされたのではありません。恐れていたのは彼らのほうです。「群衆を恐れた」(12節)と記されているとおりです。

たとえ話の内容は次の通りです。ある人がぶどう園を作り、それを農夫たちに貸して、自分は旅に出かけました。収穫のときになったので主人が自分の僕を農夫たちのところに送ったところ、農夫たちはこの僕を捕まえて袋叩きにし、何も持たせずに主人のもとに帰しました。

主人は他の僕を送りましたが、農夫たちは頭を殴り、侮辱しました。次に送った僕は殺されました。他にも多くの僕を送りましたが、ある者は殴られ、ある者は殺されました。

最後に主人は愛する息子を送りました。主人の期待は「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」(6節)というものでした。しかし農夫たちは、主人の跡取りを殺してしまえば「相続財産は我々のものになる」(7節)と言い出し、その息子を殺してぶどう園の外に放り出しました。

「さて、このぶどう園の主人はどうするだろうか」(9節)とイエスさまが問いかけられました。これが何のたとえなのかがユダヤ教の指導者たちにははっきり分かりました。

ぶどう園の主人は神さまです。主人の僕たちは旧約聖書に描かれた預言者たちです。そして、最後の「息子」はイエスさまご自身です。「ぶどう園」は直接的にはエルサレム神殿ですが、広い意味で受け取れば、真の信仰をもって生きることを志す人々の信仰共同体です。

そうであるはずの大切な「ぶどう園」を、神から奪って自分たちのものにしようとし、神から遣わされた預言者たちをはずかしめ、本来の目的から外れた邪悪なものにしてしまったのは誰なのか。そして、わたしのことまで殺そうとしている、それは誰なのか、あなたがただと、分かるように、イエスさまは「彼ら」を「指して」(文語訳)言われました。

イエスさまはご自身の命をかけてその人々に、真の信仰と命に至る悔い改めを迫られたのです。しかし、イエスさまは十字架にかけられて殺されました。そのイエスさまが「隅の親石」です。イエスさまの命が、新しい信仰共同体としての「教会」の土台です。

わたしたちの教会をイエスさまが支えてくださっていることを、心に刻んでまいりましょう。

(2022年9月4日 聖日礼拝)

2022年3月20日日曜日

ペトロの信仰告白(2022年3月20日 聖日礼拝)


日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌 十字架の血に 436番(1、4節)

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

週報(第3612号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

「ペトロの信仰告白」

マルコによる福音書8章27~33節

関口 康

「そこでイエスがお尋ねになった。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』」

今日の箇所に記されているのは、イエスさまが弟子たちに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお尋ねになったのに対して、シモン・ペトロが「あなたはメシアです」と答える場面です。

この「メシア」はヘブライ語であり、そのギリシア語訳が「クリストゥス」と言い、日本語的にはカタカナで「キリスト」と表記します。つまり、ペトロはイエスさまからの質問に「あなたはキリストです」と答えているのと同じです。そして、この場合の「キリスト」の意味は「救い主」なので、つまりペトロは「あなたは救い主です」とイエスさまに答えているのと同じです。

わたしたちは「キリスト教」と言います。今申し上げたことからいえば、「メシア教」と言っても、「救い主教」と言っても意味は同じです。しかし、たとえ意味は同じでも、目新しさを求めていろんな言い換えをしてみても、かえって誤解を招いて混乱する要素を取り込むことになりかねませんので、伝統的な呼び方で「キリスト教」でよいと私は考えます。

「キリスト教」は歴史的にいつから始まったのかという議論に立ち入ると、百家争鳴で難しい話になりますので、やめておきます。しかし、歴史の問題としてでなく、キリスト教を本質的にとらえたときに言えるのは、「キリスト教」とは今日の箇所でシモン・ペトロがイエスさまの前で口にした「あなたはメシアです」すなわち「あなたはキリストです」という信仰告白を継承する宗教である、ということです。

呼び方は「キリスト教」で問題ありません。しかし、本質的には「イエス・キリスト教」です。だれでもキリストになれるのでなく、イエスさまだけがキリストであると告白する宗教です。

マルコによる福音書には、ペトロがこのことを言ったところ、イエスさまから「御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた」(30節)と記されていて、箝口令が敷かれたことが分かります。

イエスさまが弟子たちや他の人たちに口止めされたのはこの箇所だけではありません。マルコによる福音書では、今日の箇所の8章30節以外に、1章44節、3章12節、5章43節でも同じことを言われています。

なぜイエスさまは御自分のことをだれにも話さないように戒められたのでしょうか。その理由を詳しく研究する人もいますが、想像の域を出ません。

このときの状況を考えると、イエスさまはすでにユダヤ教の指導者から殺意を抱かれ、殺害のための計略が立てられていた状態でした(マルコ3章6節など参照)。しかし、イエスさまの使命は、今日の箇所に続く8章31節以下の段落で明らかにされているとおりです。

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者はそれを救うのである」(34~35節)と弟子たちにお教えになり、かつ、その弟子たちの前をイエスさまご自身が歩まれることです。

貧しい人を助け、病気の人を癒し、孤独な人を励ますことを懸命になさったイエスさまです。しかし、それは御自身の名声を高めて、人々から称賛されることではありません。正反対です。イエスさまの目標は「自分を捨てること」であり、「自分の十字架を背負うこと」です。このことを弟子たちに教えるだけ教えて御自分は実践なさらない有言不実行のイエスさまではありません。

しかし、口止めしないで放置するとイエスさまの働きがたちまち言い広められて、いつの間にか御自分が称賛の対象になってしまいます。それはイエスさまの御自身の目標に反することですので、それを食い止めようとなさったと考えるのがおそらく最もシンプルな結論です。

名誉欲を持っていない人はいないかもしれません。誉めてもらえば有頂天になるのが、わたしたちです。しかし、イエスさまがなさったように、自分が誉められたときは「だれにも言わないでください」と口止めするくらいで、ちょうどよさそうです。

わたしたちが神の御前で正しい生き方をしているかどうかは、見ている人は黙って見ています。大げさな反応はしてくれないかもしれませんが、いざというときに、助けてもらえたり励ましてもらえたりします。本当の評価とは、そのようなものではないでしょうか。

しかし、イエスさまの場合は、周りの人に評価されたいがために活動されていたというのとは違います。もしそのようなことが目的であるなら、「自分を捨て、自分の十字架を背負いなさい」と弟子たちに決してお命じにならなかったでしょう。「自分の働きを評価してもらいたがること」と「自分を捨てること」とは、正反対の意味を持つからです。

しかしまた、このようなことを申しますと、反対の意見が返ってくることがあります。「自分を捨て、自分の十字架を背負った」のはイエスさまただおひとりだけであって、すべての弟子たちがイエスさまのご命令に背いて逃げ去ったのである。イエスさまの前から逃げ去った弟子たちの中にペトロも含まれているのである。結局だれひとり「自分を捨てること」はできないのである。

だからこそイエスさまは「自分を捨てられない」すべての人の身代わりに十字架の上で死んでくださったのであって、イエスさまのおかげで、わたしたちはだれひとり自分を捨てないで済むようになったのであると、都合のよい結論を出してくる人がいないとも限りません。

「ちょっと待ってください」と言わざるをえません。「悪い意味で」と付け加えておきますが、わたしたちがキリスト教の教えを悪い意味で「聖書のみ」に限定し、それ以外のいかなる根拠も認めないという態度を採るとすれば、なるほどたしかにイエスさまの弟子たちはだれも十字架にかけられていません。しかし、新約聖書の中に収められた27巻はすべて遅くとも西暦2世紀初頭までに書かれたもので、それ以後のキリスト教会の歴史については全く記されていません。

それでは、新約聖書より後の時代のことや、時代は同じでも新約聖書に記されていない出来事について記された書物は無いのかというと、もちろんあります。それを「使徒教父文書」と言い、それについての研究も活発に行われています。それらに基づいて言えば、ペトロは晩年ローマで宣教活動を行い、ローマ皇帝ネロ(西暦37年生まれ、68年に30歳で死去)のもとで、殉教者として死にました。

ペトロもまた「自分を捨て、自分の十字架を背負うこと」を文字通り実践する人になりました。イエス・キリストがもたらしてくださった真理と平和、愛の交わりを死守するために自分の命を捨てました。

わたしたちはどうか、わたしはどうかと何度も問いかける必要があります。キリスト教会は、多くの人の血と汗と涙の結晶です。この側面は決して無視されてはなりません。

(2022年3月20日 聖日礼拝)


2022年3月13日日曜日

イエスの家族(2022年3月13日 聖日礼拝)


「イエスの家族」関口康牧師
日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


讃美歌21 459番 飼い主わが主よ(1、4節)

「イエスの家族」

マルコによる福音書3章31~35節
関口 康

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」

今日の箇所は新約聖書のマルコによる福音書3章31節から35節までです。この箇所には大勢の人物が登場します。名前が記されているのはイエスさまだけです。あとは文字通り「大勢の人」(32節)がいます。そしてイエスさまのお母さんと兄弟姉妹たちが登場します。お母さんの名前がマリアであることはよく知られています。

「兄弟姉妹がた」(32節)はイエスさまと血のつながったマリアの子どもたちです。イエスさまは長男としてお生まれになりましたので、イエスさまに弟や妹がおられたことになります。お父さんはこの箇所に登場しません。お父さん以外のイエスさまのご家族が登場します。

イエスさまは「大勢の人」(32節)の中におられました。それがどういう状況だったかは、前の段落に「イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった」(20節)と記されていることから考えていくしかありません。

イエスさまが帰られた「家」は、1章29節と2章1節に出てくるのと同じ家です。ガリラヤ湖畔の町カファルナウムにあったシモン・ペトロとその兄弟アンデレの実家です。そこにはシモンの姑(しゅうとめ)も同居していました。姑がいたということは、シモンが結婚していたことを意味しますし、シモン夫妻の子どもたちもいて、同居していたかもしれません。

ですから、そこがどれくらいの大きさの建物だったのかは分かりませんが、小さくはない気がします。2章に描かれていたのが、病人をベッドに乗せたまま運んできた4人の男たちがその家に来て屋根によじ登り、その屋根をはがして病人をイエスさまの近くに吊り降ろした話でした。相当頑丈な家でなければ、この話そのものが成立しないでしょう。病気の人を含めて5人の体重がかかったくらいでは壊れない程度の屋根がついていた家だったでしょう。

まとめていえば、シモン・ペトロの妻と子どもたち、姑、弟くらいは一緒に住んでいて、頑丈な屋根もついている家です。そこをイエスさまは宣教活動の最初の拠点とされました。居候状態で寝泊まりされていたと考えることができます。

しかも、そこは本来あくまでもシモン・ペトロとその家族のプライベートの家でした。ところが、その家が事実上の集会所、まるで公民館のような、だれでも出入りすることが許されているかのような公開された場所になってしまいました。それは、イエスさまがそこで寝泊まりされているといううわさが広まったからですが、それでよかったのでしょうか。

ペトロとアンデレはイエスさまの弟子になったので「どうぞ、どうぞ」と誰でも歓迎したかもしれませんが、他の家族は別の考えを持っていたかもしれません。ひとつ忘れてはならない重要なポイントがあります。それは、この「家」があったカファルナウムの中にユダヤ教の「会堂」(シナゴーグ)があった(1章21節)ことです。

そちらのほうが本来かつ正規の集会所です。人がわんさか集まっても大丈夫なように、集会を初めから目的として造られた建物が「会堂」(シナゴーグ)です。うちで集まられると、はっきり言えばプライバシーの侵害だし、近所迷惑なので、集会したいなら正規の集会所ですればいいではないかと、家族から叱られる可能性がないとも限りません。イエスさまをシモンの家族全員が快く受け入れていたかどうかは分かりません。そうだったとも言えそうですし、そうでなかったとも言えそうです。

ここまでお話ししたことは今日の本題ではありませんが、全く関係ない話をしているつもりはありません。わたしたちが考えるべきことは「家族とは何か」ということです。シモン・ペトロにも家族がありました。イエスさまが来られたことで、ペトロの家族の平和が壊れたかどうかは、真剣に考えなくてならないテーマかもしれません。家の屋根まではがされてしまうという物理的な実害まで被りましたので。

しかし、ペトロの家族の話はここまでにします。今日の本題は、イエスさまのご家族についてです。そのペトロの家におられたイエスさまのところに、母マリアと兄弟姉妹が来て「外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた」(31節)と記されています。この翻訳が私は気に障って仕方がありません。身分制度はあったでしょうが、「人をやる」とか「呼ばせた」とか、マリアが尊大な態度をとり、威圧的な物言いをしているかのようです。

もう少し穏やかな様子を想像できるほうがいいでしょう。「集会の途中で申し訳ありませんが、家庭の事情で伝えなくてはならないことがありますので、うちの息子をこちらに呼んでいただけませんでしょうか。わたしたちが皆さんの中にずかずか入っていくと、集会のご迷惑になりますので、外で待たせていただきます」くらいのほうがいいでしょう。

しかし、この箇所を読むかぎり、その情報がイエスさまに伝わったのは、ひとりの人が大勢の人をかき分けてイエスさまのもとにたどり着いて伝えたのでなく、そこにいたみんなが騒ぐような言い方で「ご家族が先生のことを探してますよ」とイエスさまにお伝えしたように読めます。

そして、だからこそ、そこにいたみんなに呼びかけて騒ぎを鎮めるように、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」(33節)と、周りに座っている人々を見回して(34節)おっしゃいました。つまりこれは、個人的なひそひそ話をされたうえで、みんなに聞こえる大きな声でおっしゃったのではなく、そこにいたみんなとイエスさまとの対話であるととらえることができます。

「ご家族が先生のことを探してますよ」
「わたしの家族ってだれだい。今ここにいるみんながわたしの家族だよ」

少しうるさめの、学校の授業のようです。あるいはロックコンサート。

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(35節)と続けておられます。これは排他的な意味でとらえないほうがよさそうです。

イエスさまのお母さんと兄弟姉妹が「外」に立っていた(31節)のは、その集会に対する悪意や反発を態度で示していたわけではなく、遠慮していただけです。そして、その「家」(20節)は「会堂」(シナゴーグ)ではなく、民家です。その建物の「内」にいるか「外」にいるかが、宗教的な態度決定を意味していません。

そうであるならば、「神の御心を行う人」(35節)の中に「イエスの母と兄弟たち」(31節)が含まれていると考えて構いません。血縁的なつながりと信仰的なつながりを対立的に考える必要はありません。どちらのつながりも「兄弟姉妹、母」であるとイエスさまがおっしゃっています。

この話はそのまま教会に当てはまります。必ずしもすべての人の喜びや慰めにならない可能性があります。血縁的なつながりから脱出するために教会へと"亡命"した人はがっかりする話かもしれません。しかし、がっかりしないでください。「家族とは何なのか」を共に学び合いましょう。

(2022年3月13日 聖日礼拝)



2022年3月6日日曜日

荒れ野の誘惑(2022年3月6日 聖日礼拝)


「荒れ野の誘惑」関口康牧師
日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 うたがい迷いの 411番(1、4節)

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

週報(第3610号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

「荒れ野の誘惑」

マルコによる福音書1章12~15節

関口 康

「それから、〝霊〟はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」

今週もまだもう一日だけ、小学校の授業が残っています。それ以外は、今年度私が働いている学校での授業はすべて終了しました。学年末試験が行われている最中の学校と、まもなく始まる学校があります。それも終われば今年度の私の学校の仕事はすべて終了です。

学校内部の情報について外部で語ってよいことは全くありません。私個人について「来月から大きな変化がある」ということは言ってよいでしょう。学校での私の仕事がすべて無くなるわけではありません。今年度は3つの学校を兼任する過密な状態でした。その状態から解放されます。そして来月から始まる動きは、私にとって集中力が高まる方向にあります。

これは私の話です。しかし本質的には昭島教会の事柄です。そのように理解していただきたいです。教会の牧師がキリスト教主義学校の聖書科の教員であることで、礼拝出席者や教会員数や献金収入が増加するわけではない以上、教会にとって何の貢献もないという考えが支配的になるようなら、私は学校の仕事をやめます。しかし、そうではないと、みなさんが認めてくださっていますので、安心して学校で働いています。

そのような昭島教会の姿勢は、過去70年にわたって教会の伝道に携わりつつ、同時に幼稚園の責任をお持ちになっている石川献之助先生の一貫した姿勢から学ばれたことに違いありません。牧師が教会の中だけにいて、教会員の方々とだけ付き合っている状態が「伝道」だという考えが教会のどこにも見当たりません。反対に、牧師こそが教会の外へと、地域社会へと積極的に出て行くべきで、教会の建物や境内地は地域社会に開放されるべきだという考えが根付いています。

「牧師の働きが教会の働きである」と申し上げているのではありません。たとえ牧師が不在でも教会は教会として存在します。それは自明すぎるので、あえて言葉にする必要すらありません。しかし、教会の実務のいくつかの部分を牧師も担当させていただいていますので、このようなことを言わせていただいています。

先週の日曜日は、2021年度第2回教会定期総会を行いました。新年度役員・運営委員の選挙を行いました。そして秋場治憲伝道師招聘を満場一致で可決し、新年度教会組織が確定しました。来月から昭島教会に3人の教職です。これを「伝道の好機」と呼ばずして他に何と呼ぶでしょう。

私はこれまで以上に安心して学校で聖書を教えることができるようになります。私は単身赴任中ですので、「どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまう」(Ⅰコリント7章32節)状況にありません。ひたすら集中して御言葉を宣べ伝えることができます。

先ほど朗読いたしました聖書の箇所に、「神の子イエス・キリスト」(1節)が「ガリラヤで神の福音を宣べ伝える」(14節)宣教活動をお始めになる前に「荒れ野」(12節)で「サタンから誘惑を受けられた」(13節)ことが記されています。そのことが、とても短く書かれています。

今日の聖書箇所も日本キリスト教団聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。それは日本キリスト教団内の多くの牧師が、今日この箇所で説教している可能性を示唆しています。

実際に昨日、友人の牧師がインターネットに、「マルコの荒れ野の誘惑の記事は短すぎて、何を語ればいいか分からない」(大意)と書いておられるのを見て共感しました。この物語の拡大版は、マタイによる福音書にもルカによる福音書にもあり、どちらからでもいろんな課題や教訓を引き出すことができるのに、マルコの記事は短すぎて話しにくい、というわけです。

私も同じことを考えました。そして、そうだと思うならマルコによる福音書だけにこだわらず、マタイやルカの平行記事をどんどん引用すればいいではないかという誘惑が起きましたが、その誘惑に負けないようにする必要があると思いました。

わたしたちが「テキストに縛られる」必要があるのは、自分の言いたいことが先にあり、それを補強するために都合のいい聖書の箇所だけを選んで自説を組み立てる誘惑に負けないためです。マルコによる福音書を読むときは、マルコによる福音書のテキストに縛られなければなりません。

今日の箇所の内容を理解するために、ひとつ前の段落から読む必要があります。イエスさまがヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられたとき「天が裂けて〝霊〟が鳩のように御自分に降って来るのを御覧になった」(10節)と書かれています。「御自分に降った」〝霊〟は、イエスさまの外にとどまり、空中に浮遊していたでしょうか。そうでなく、イエスさまの心と体の内部に入り込んだと考えるべきでしょう。

すると、〝霊〟が「イエスを荒れ野に送り出した」(12節)というわけです。イエスさまご自身が「よし、荒れ野に行こう」と計画を立て、それを実行されたのではなく、外部から降って来て内部に入り込んだ〝霊〟が、イエスさまを荒れ野に行かせたのです。自発的でなく、強いられています。使役されています。「行かされて」います。

行き先は「荒れ野」です。砂漠を指しますが、砂しかない乾燥地帯だけを必ずしも考えなくてよいでしょう。40日間、かろうじて生命を維持できるだけの環境は確保されていたでしょう。

そして、その「荒れ野」にいたのは「サタン」と「野獣」と「天使」であると言われています。その中でイエスさまはひとりで過ごされたように描かれています。ただし、「野獣」はともかく、「天使」と「サタン」は、目に見える存在として想像しなければならないことはないでしょう。目に見えない、霊のような存在を思い浮かべてよいでしょう。だとすると、目に見える存在は、「荒れ野」の光景と「野獣」だけです。あとは何もありません。ほとんど「虚無」の状況です。

そのような何もないところで、何をするでもなく、ひたすら虚しい時間を費やすことが、その後のイエスさまの宣教活動にとって必要だったからこそ「強いられた」のです。「サタン」の誘惑と「野獣」の恐怖の中で「天使」だけに守られ、あとは何も自分を守ってくれない、圧倒的な孤独を味わう必要があったので、〝霊〟がイエスさまを強いて、荒れ野に連れ出したのです。

イエスさまだけの話であると考えなくてはならないでしょうか。私はそうは思いません。宣教に携わるすべてのキリスト者と関係があります。宣教は孤独と隣り合わせだからです。ひとりであることに全く耐えられない人が宣教の任務に耐えるのはとても難しいでしょう。「天使」だけに助けてもらい、あとは何もない。その状況と宣教が無縁であることはありません。

イエスさまがその模範を示してくださいました。イエスさまは宣教で多くの弟子を得ましたが、十字架を前にしたとき、すべての弟子が逃げ去ったので、再び孤独に戻られました。

ひとり暮らしをしている人たちへの福音です。孤独であることは決して無駄ではありません。福音宣教の大きな備えです。圧倒的な孤独の中でこそ、すべての孤独な人の思いを引き受けることができます。「荒れ野」はすでに、イエスさまにとって「十字架」と同じです。

(2022年3月6日 聖日礼拝)

2022年2月20日日曜日

起きて歩く(2022年2月20日 聖日礼拝)


「起きて歩く」関口康牧師
日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 6番 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

「起きて歩く」

マルコによる福音書2章1~12節

関口 康

「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた」

今日の箇所に描かれているのは、イエスさまがおられた家に4人の男が中風の人を運んで来て、その家の屋根によじ登り、イエスさまがおられる辺りの屋根をはがして穴を開けて、病気の人が寝ている床を吊り降ろして、イエスさまに助けを求めた話です。

想像するだけでぎょっとする話です。その家はガリラヤ湖畔のカファルナウムにありました。シモン・ペトロの実家だったと考えられます。中風の人にとっても4人の男たちにとっても他人の家です。その家の屋根を破壊したというのですから驚きです。

しかしイエスさまは4人の行動に感動なさいました。他にもたくさんの人がその家に集まっていてイエスさまに近づくことができないので、緊急手段としてそこまでのことをしたこの人たちの、病気の人への熱い思いを、イエスさまが汲み取ってくださいました。

それでイエスさまは、その人たちの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました(5節)。これはどういう意味でしょうか。中風の人が何か罪を犯したのでしょうか。それは具体的に何の罪でしょうか。それを考える必要がありそうです。

他人の家を破壊した罪でしょうか。他にも大勢の人がいたのに順番を待つことができず、追い抜いてイエスさまのもとにたどり着いた罪でしょうか。そんなことを言うなら、救急車は罪深いという話になりかねません。別の意味を考えるほうがよさそうです。

私も調べました。イエスさまが「赦される」と、「赦す」の受動形を用いて主語をおっしゃっていないのは、当時のユダヤ教の言葉遣いだったそうです。ただし、ユダヤ教の場合、主語は必ず「神」であり、「神があなたの罪を赦す」という意味です。しかし、イエスさまがおっしゃったのはその意味だと考える必要はないという解説を読みました。主語は「神」ではなく、イエスさまご自身であり、「私があなたの罪を赦す」とおっしゃっているというのです。

また、別の解説(カール・バルト)に、イエスさまはこの言葉をその人の罪を“否定する”意味でおっしゃっているとも記されていました。しかし、その場合は、「あなたには罪がない」という意味ではなく、「あなたの病気の原因はあなたの罪ではない」という意味になるでしょう。

そして、その意味として最も近いか全く同じと言えるのは、ヨハネによる福音書9章1節以下のイエスさまのみことばです。生まれつき目の見えない人について、その原因は何か、だれが罪を犯したからかと尋ねたときイエスさまがお答えになったことです。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9章3節)。

そういうことをイエスさまがおっしゃったからこそ、そこに居合わせた律法学者たちが反応しました。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」(7節)。そのように彼らが考えました。

ここでわたしたちが見落としてはならないのは律法学者の反応の中にある「口にする」という言葉です。イエスさまが「あなたの罪は赦される」と“言う”ことです。「言う」と「考える」は違います。律法学者が反応したのは、イエスさまがそれを“言った”ことに対してです。

イエスさまは口を滑らされたわけではありません。自覚的・意図的に「わたしがあなたの罪を赦す」と宣言されました。この点が当時のユダヤ教と激突したと考えられます。なぜならユダヤ教にとって「罪の赦し」は複雑で多岐にわたる儀式を経てやっと実現することだったからです。イエスさまのように「言うだけ」で十分なら、複雑な儀式も、儀式を行う宗教者も、儀式のための宗教施設も、すべて否定されてしまい、無用の長物同然になるからです。

これでお分かりでしょうか。律法学者たちにイエスさまが「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか」と質問されたことの答えは、どちらでしょうか。

正解はどこにも記されていませんが、おそらく正解は「あなたの罪は赦される」と“言う”ことのほうが「易しい」です。面倒な儀式よりも、罪の赦しを“宣言する”ほうが簡単です。

いま痛みに苦しみ、悩んでいる人の心の中に「この私の苦しみや痛みは自分の犯した罪のせいなのか。私が悪いのか。私のどこが悪いのか。私は何も悪いことなどしていない」と義人ヨブのように葛藤し、苦悶する思いがもしあるならば、「あなたのせいではない!」と宣言することで、その人の心の重荷を軽くするために、面倒な儀式は要りません。言葉だけで十分です。

そして、そのことをなさったうえでイエスさまは、中風の人に「起きて、床を担いで歩け」とお命じになり、その人は歩けるようになりました。

わたしたちはイエスさまと同じ奇跡を行うことはできません。しかし、イエスさまと同じ方法で人の心の中から重荷を取り去り、軽くすることはできます。

石川献之助先生が、ご自身と私との共通のルーツを見出してくださったのは、今からちょうど50年前のクリスマス(1971年12月26日)に6歳になったばかりで幼稚園児だった私に成人洗礼を授けてくださった日本キリスト教団岡山聖心教会の永倉義雄先生が、救世軍士官学校の卒業生だったことです。石川先生のお父上の石川力之助先生も、救世軍の方でした。

もっとも私は救世軍についてほとんど知識はありませんし、永倉牧師から救世軍について特別多くのことを教えてもらった記憶はありません。それでも少しくらいは学んでおきたいと思い、つい最近のことですが、日本で最初の救世軍士官、山室軍平氏(1872~1940年)の『平民の福音』(初版1899(M32)年)を読みました。その中に今日の箇所に通じることが書かれていましたので、この機会にご紹介いたします。

「私共はまず、第一に、これまでの罪とがのゆるさるるため、又たましいを生まれかわらせていただくために、神様に祈とうせねばならぬ。そうして既にそのお祈が聞き届けられ、救いの恵みを受けたものは、進んでこれまでのあしき癖や、又は種種なる信仰上のさまたげに打勝つために、神様に祈らねばならぬ。(中略)

祈に面倒臭い儀式などない。子が親に物を言うに、なんでそんなによそよそしい切り口上がいり用なものであろう。(中略)

唯だ大切なるは真実をもって神様に祈ることである。又神様が祈をおききなさると信仰することである」(山室軍平『平民の福音』第520版、1975(S50)年、75~76頁)。

なんとシンプルでしょう。山室氏によると、罪が赦されるために祈らなければならない、祈りに面倒な儀式はない、子どもは親によそよそしいことを言わなくていい、真実をもっての祈りを神様が聞いてくださっていると信じて祈るだけでいい、というのです。私は全く同意します。

面倒な儀式よりも、真実の祈り。それこそがわたしたちをいやし、慰め、助けます。

(2022年2月20日 聖日礼拝)

2022年2月13日日曜日

からし種のたとえ(2022年2月13日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


「からし種のたとえ」

マルコによる福音書4章21~34節

関口 康

「それ(神の国)は、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

今日の箇所にも、先週の箇所に引き続き、イエスさまのたとえ話が記されています。内容的な関連性もあります。先週の箇所は「種蒔きのたとえ」でした。今日の箇所は、種を蒔く人が蒔くその種そのものについてのたとえです。

内容に入る前に、私に思いつくままの感想を述べさせていただきます。それは、イエスさまのたとえ話の中に先週の箇所の「種蒔きのたとえ」なり、今日の箇所の「からし種のたとえ」なり、あるいは「ぶどう園の農夫のたとえ」(マルコ12章1節)など農業そのものや農場経営に関するものがかなりあるのはなぜだろうという問いです。

それは当時のユダヤ民衆にとって身近な題材だったからというだけでなく、イエスさまご自身が何らかの仕方で農業そのものに取り組まれたか、農業の知識をお持ちだったからではないかということです。あくまで私の感想です。

対照的なのは使徒パウロです。実際にその点について指摘する人の意見を伺ったことがあるのは、パウロには農業の知識がないと言われても仕方がないことが書かれているということです。

それは、ローマの信徒への手紙11章17節以下で、ユダヤ人と異邦人の関係を野生のオリーブを栽培されているオリーブに接ぎ木することにたとえる話です。農業の知識がある人なら、そのようなことは絶対しない、というわけです。

あくまでたとえ話なので目くじらを立てるべきでないと言って済むかどうかは難しい問題です。気になる人にはとても気になるようですので、間違いならば間違いであることを認めたうえで、反省しなくてはならないでしょう。

このことで申し上げたいのは、知識を持つことと、そのことに実際に携わること、そのことについて経験することは、やっぱり違うし、経験が物を言う場面は少なくないことを認めざるをえないということです。

「私も」と言っておきます。私も10代、20代の頃は人生経験の長さや豊かさを振りかざす大人たちが大嫌いでした。年数で敵いっこないのですから、そんなことを持ち出されるのは横暴だと反発する人間でした。しかし、この年齢になってやっと「経験」は大切であると悟るようになりました。だからといって経験年数の長さで若い人を威圧するような真似だけはしたくないと思いますけれども。

さて、今日の箇所ですが、「からし種のたとえ」です。同じ趣旨のたとえが「パン種のたとえ」です。ルカによる福音書13章18節以下の段落に新共同訳聖書が「『からし種』と『パン種』のたとえ」という小見出しを付け、2つのたとえが続けて出てくることからも、趣旨が同じか、少なくともよく似ていることが分かります。

「そこで、イエスは言われた。『神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。』また言われた。『神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる』」(ルカによる福音書13章18~20節)。

「からし種」はマスタードの種です。「パン種」はパン生地に入れる酵母です。共通しているのは、種そのものはとても小さい、ということです。しかし、小さなからし種が大きな木になり、小さなパン種がパン全体を大きく膨らませる、ということです。小さなものの影響範囲は小さくない、ということです。それは良い意味にもなり、悪い意味にもなります。

悪い意味の話は避けたい気持ちになります。感染症の問題はすぐにお気づきになるでしょう。世界のどこか一点から始まったことが全世界に広がりました。悪い例を挙げて「同じように」と続けないほうがよいでしょう。「からし種のたとえ」は良い話です。今から2千年前たったひとりのイエスさまが、ガリラヤ湖の湖畔の漁師の町で、神の国の福音を宣べ伝える働きを始められ、そこで蒔かれた小さな種が、芽生え、育って、実を結び、今日の世界の教会があります。

その話を感染症と結び付けないほうがよいことは明らかです。しかし、いま私が申し上げたいのは「世界と歴史はひとつにつながっている」ということです。

原因と結果を単純に結びつけて数学的・物理的な「因果法則」や宗教的・哲学的な「因果応報」のようなことだけで考えるのは狭すぎます。世界も歴史もボタンを押せばそのとおり動く機械ではなく、必ず人間の意志や感情など、精神的(スピリチュアル)で人格的(パーソナル)な要素が絡んでいるからです。

そのような要素を含めた意味での「出発点」と「現在」の関係が、「種」と「実」の関係であり、それがイエスさまの宣教と、現在の世界のわたしたちキリスト教会の存在との関係です。そのことを世界の歴史が証明しています。

しかし、ここでこそわたしたちが大いに驚かなくてはならないのは、今から数えれば2千年前のイエスさまが、ご自分の宣教活動は「種蒔き」であって、種そのものは小さなものに過ぎないが、必ず大きな木になるとおっしゃったことが、世界の歴史の中で事実になったことでしょう。歴史の中で消えた宗教や哲学は数え切れません。その中でイエス・キリストの教会は失われず、歴史を重ね、今日に至っています。

それはまるでイエスさまが、2千年後のわたしたちひとりひとりの名前を知り、心の中をご存じであり、今日わたしたちが教会に来て礼拝をささげることをご存じであるかのようです。事実、イエスさまはご存じです。「わたしが蒔いた種が結んだ実(み)はあなたである」と、今は天の父なる神の右に着座されているイエスさまが、おっしゃっています。

反面、わたしたちが自分自身に問いかけなくてはならないこともあるでしょう。わたしたちは今から2千年後のことを考えているでしょうか。特に「教会の将来」について。2千年後と言わずとも、せめて20年後でも。あるいは30年後。

「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals)(エスディージーズ)は大事です。「持続可能な教会目標」(Sustainable Church’s Goals)(エス“シー”ジーズ)を考えることは無意味でしょうか。そのことを考えることに意味を見出すことができるでしょうか。それどころではないでしょうか。自分の生活、自分の問題で精一杯でしょうか。

今年11月、昭島教会の創立70周年を迎えます。30年後、どうしたら100周年を迎えられるかをみんなで考えようではありませんか。

(2022年2月13日 聖日礼拝)

2022年2月6日日曜日

種蒔きのたとえ(2022年2月6日 聖日礼拝)


礼拝動画(you tube)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 412 昔主イエスの 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

週報(第3606号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

「種蒔きのたとえ」

マルコによる福音書4章1~20節

関口 康

「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は五十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」

今日の箇所の内容も、教会生活が長い方々にとってはよくご存じのところです。イエスさまはしばしば、たとえ話を用いて語られました。眼前の民衆にとって身近な題材を用いて教えることがお上手でした。イエスさまのたとえ話が今日まで多くの人に愛されているのは、内容に時代や民族の違いを超える普遍性があることが認められてきたからです。

今日の箇所の内容は「種蒔きのたとえ」です。内容に入る前に、イエスさまがこのたとえを、どこで・だれにお話しになったかを確認しておきます。そのことと、たとえ話の内容が関係していると思われるからです。

場所(どこで)は「湖のほとり」(1節)です。ガリラヤ湖(またの名をゲネサレト湖)です。相手(だれに)は「おびただしい群衆」(1節)です。ガリラヤ湖のほとりにおられるイエスさまを見つけて集まって来た大勢の人たちです。

人が大勢いればその中には必ずいろんな人がいます。イエスさまのことを信頼して、これからすぐにでも弟子になろうと決心しようとしていた人もいたに違いありませんが、必ずしもそうでない人もいたでしょう。そして、完全に否定的な態度でイエスさまを殺す計画を立てはじめた人々も含まれていました。律法学者、祭司長、長老たちです。

しかし、イエスさまの前に集まっていたのは「おびただしい群衆」でしたので、その中の誰がどのような考えを持っているかを見分けるのは不可能だったと考えられます。

しかも、このときイエスさまは、人流に押しつぶされないように陸から離れておられました。「舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられた」(1節)と書いてあります。そうなるといよいよ、イエスさまが集まった人ひとりひとりの顔や姿を見分けることは難しかったでしょう。

このような状況の中でイエスさまはこのたとえ話を語られたのだということを勘案する必要があります。そのこととたとえ話の内容が関係していると思われるからです。なぜ関係していると言えるのか。イエスさまはこのたとえ話の意味をご自分で解説しておられます。その解説を読むと関係が分かります。

イエスさまは「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである」(14節)とおっしゃっています。「種」は「神の言葉」です。「種を蒔く」とは、種蒔きのたとえを用いてイエスさまがこのときなさっている宣教そのものです。この話をなさりながら「いままさに私は種を蒔いている」とイエスさまが自覚しておられたのは明らかです。しかもイエスさまは「種蒔きのたとえ」を群衆に向かって語られました。イエスさまが種を蒔いておられる畑は「群衆」です。

ここまで申し上げれば、鋭い方は、イエスさまのたとえ話の意図がお分かりになるでしょう。道端に落ちた種、石だらけで土の少ない所に落ちた種、茨の中に落ちた種、良い土地に落ちた種。イエスさまが挙げられた4つの場所に蒔かれた種そのものは同じ種です。

もちろん同じ種が4つの場所に同時に蒔かれることは現実的にはありえないことです。しかし、いま私が「同じ種」と申し上げる意味は、4つの場所に蒔かれた4つの種そのものに優劣がないということです。もし4つの種そのものに差があるとしたら、このたとえ話は成立しません。

だからこそ私は、イエスさまがこのたとえ話を語られた状況とたとえ話の内容は関係していると申し上げたのです。この場面の状況を具体的なイメージとして想像していただくとお分かりになるでしょう。イエスさまは、群衆に向かって説教しておられます。イエスさまはおひとりです。イエスさまの口はひとつです。イエスさまの御言葉を聞く人々の耳はたくさんあります。

そしてイエスさまご自身が「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである」とおっしゃっているとおり、群衆に向かって説教しておられるイエスさまは、同じひとつの口から、同じひとつの種を蒔いておられるのです。4つの種の間に優劣の差はないと申し上げたのは、その意味です。

ですから、豊かな実を結ばなかった原因を種そのものの優劣に求めることはできません。種は同じでも、その同じ種が、豊かに実を結ぶ場合もあれば実を結ばない場合もあるということです。はっきり申します。このたとえ話の意味は、同じ説教を聞いても、それを聞く人によって違いが出てくる。そのことをイエスさまはおっしゃっているのです。

しかし、聞く人たちによって違いが出てくると言っても、それは何の違いでしょうか。生育歴の違いでしょうか。家庭環境の違いでしょうか。財産の違いでしょうか。そんなことで人を差別するようなことをイエスさまがおっしゃっているのでしょうか。もしそういう話なのであれば、ちょっとがっかり、かなりがっかり、とお感じになる方がおられても無理はないでしょう。

そのような意味ではないと思いたいです。イエスさまはたしかに4種類の人をあげています。しかしその一方で、イエスさまがおっしゃると思えないのは、4種類の人を差別することです。

厳しい面が全くない話であるとは言い切れません。イエス殺害をもくろむ律法学者、祭司長、長老たちに対する牽制の意図はあったでしょう。しかしイエスさまは、そのような人たちがいることも十分承知のうえで説教しておられます。

説教する立場に立てば誰でも思うことは、この御言葉を聞いてもらいたい、受け入れてもらいたい、信じてもらいたい、ということです。結果的にそのとき、その場では、聞いてもらえない、受け入れてもらえない、信じてもらえないということはあります。しかしそれで終わりではありません。今は無理でもいつか必ず聞いてもらいたい、受け入れてもらいたい、信じてもらいたいと願い続けるのが説教者です。すべての説教者がそうです。イエスさまもそうです。すべての人が「良い土地」になってほしい。そのことをイエスさまは願っておられたのです。

そうだとしたら、イエスさまからご覧になって4種類の人がいるというのは、あの人とこの人の違いではなく、ひとりの人の中の様々な側面を指していると考えることが可能ではありませんか。わたしたちが変わることをイエスさまが望んでおられるとすれば、その結論が成り立ちます。

同一人物が、今日の心は道端で、明日の心は石だらけで、明後日は茨の中で、明々後日の心は良い土地でと変化します。人の心は変わります。このたとえ話でイエスさまがおっしゃっているのは、4種類の人を差別することではなく、あなた自身が「良い土地」になってほしいという強い願いであるということです。

人の心は変わります。神もキリストも、聖書も信仰も、教会も、「そのようないかがわしいものは全く受け入れることができない」と感じておられる方のことを、イエスさまはあきらめません。教会もあきらめません。あなたのために祈ります。

(2022年2月6日 聖日礼拝)

2022年1月23日日曜日

宣教の豊かさ(2022年1月23日 聖日礼拝)


本日の聖日礼拝動画


讃美歌21 聖なる聖なる 351番(1、4節)

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

「宣教の豊かさ」

マルコによる福音書1章21~28節

関口 康

「人々は皆驚いて、論じ合った。『これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。』」

今日朗読した聖書箇所は、マルコによる福音書1章21節から28節までです。私たちの救い主イエス・キリストが「神の国の福音」を宣べ伝える宣教活動をお始めになってまださほど時間が経っていない頃の出来事が描かれています。

その場所はカファルナウム。それはガリラヤ湖の近くの町で、漁師たちが多く住んでいました。その町にユダヤ教の礼拝施設である「会堂」(シナゴーグ)がありました。そこでイエスさまが、安息日に聖書に基づく説教を行われました。

イエスさまが安息日に「会堂」で説教を行われたのはこのとき限りではありません。たとえば、同じマルコによる福音書の6章2節にも「安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた」と記されています。

ユダヤ教の安息日は土曜日で、キリスト教の安息日(クリスチャン・サバス)は日曜日であるという違いがあります。しかし、本質的に現代の私たちがしていることと同じです。要は、定期的にみんなでひとつの場所に集まり、聖書の解き明かしが行われること、祈ること、賛美を歌うこと、です。この安息日ごとに集まって行う礼拝をイエスさまご自身もなさったし、イエスさまの弟子たちが受け継ぎ、その後の二千年のキリスト教会の歴史の中で続けられてきました。

このことから申し上げたいのは、当時と今の連続性です。イエスさまの宣教活動とは具体的にどういうものだったかについては聖書に基づいて想像するしかありません。しかし、今の私たちがしていることと全く違う異質なことをなさったわけではありません。今日も私たちは礼拝堂に集まっています。いま私が立っている説教壇にイエスさまが立って聖書の解き明かしをなさっている様子を想像しても構いません。本質的に全く同じです。

説教者が私でなければよいのに、と思わなくありません。なぜ私でなく、イエスさまがここにおられないのでしょう。私は今マスクをしています。顔が半分隠れています。イエスさまがどんなお顔だったかは、研究者が科学的な方法で解明に取り組んでいます。不謹慎かもしれませんが、私が「イエスさまのお面」をかぶって説教すれば、当時の情景さながらになるでしょう。

しかし、イエスさまの聖書の解き明かしについて今日の箇所に記されているのは、「人々はその教えに非常に驚いた」ということです。「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(22節)とあるとおりです。

しかし、これはどういう意味でしょうか。「律法学者」は「権威がない」ということでしょうか。もしそういう意味だとしたら、ここで言われているイエスさまに対してこのときいた人が感じた「権威ある者として教える」とは、何を意味するのでしょうか。

それは、たとえば言い方の問題でしょうか。自信たっぷりに断定口調で語ることでしょうか。学者たちは厳密に考えます。客観的な証拠が乏しいことや、憶測に過ぎないことを「そうです」「こうです」と断定口調で語ることを嫌います。そういうのは「はったり」をきかせているだけだと学者たちは考えます。

「はったり」とは「相手をおどすようにおおげさに言ったり行動をしたりすること。実際以上に見せようとして、おおげさにふるまうこと」です(小学館『日本国語大辞典』参照)。そういうのを避けようとするのが学者の本質です。「~と思います」「~かもしれません」「~である可能性が無いとも言えません」という言い回しが増えます。嘘を言ってはいけない、厳密に語らなければならない、と考えているからです。私は学者ではありませんが、この傾向が強いです。

しかし、そういう口ぶりを嫌がる向きがあることも私はよく分かっているつもりです。説教の中で「~と思います」と言うだけで「あなたの考えや意見を聞いているのではない。神の言葉が聴きたい」と注文を付けられたことがありますので。「~かもしれません」と言うだけで「自信が無さそうに聴こえるので、もっと自信を持ってください」と励まされたことがありますので。

しかし、イエスさまはどうだったでしょう。「そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ」(23節)とあります。この「そのとき」はイエスさまが会堂で説教をなさっている最中を指していると思われますが、その人が要するにイエスさまの説教を妨害するために大声を発した様子であると考えてよいでしょう。

「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」(24節)とその人が言いました。そうしたらイエスさまが「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになったというのです(25節)。

くれぐれも気を付けたいのは、イエスさまはご自身の説教中に騒いで妨害する人に「会堂から出て行け」とおっしゃったのではないということです。正反対です。「会堂の中にとどまりなさい」とはおっしゃっていませんが、事実上その意味です。その人の中にいる「汚れた霊」に呼びかけ、「黙れ。この人から出て行け」とおっしゃいました。

すると、イエスさまから「黙れ」と言われた人は黙りました。しかしこの箇所に記されているのは「汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った」(26節)です。その人の心の中の、イエスさまの説教を妨害したがる悪意や敵意だけがその人から出て行ったのです。その人の心がつくりかえられたのです。その人自身は会堂に残ることができました。

当時の人がイエスさまの説教に感じた「権威」の意味は、それだと思います。人の心をつくりかえる力がある説教です。心だけでなく、その人の生活、その人の人生そのものをつくりかえる説教、それがイエスさまの宣教でした。ただ「はったり」をきかせれば済む問題ではありません。

律法学者の説教はどうやらそうでなかったのです。ひとりひとりの生活との関係性が見えない。騒いだ人は、その日だけ会堂にいたわけではないでしょう。町の中で有名だったかもしれません。その人が礼拝中に騒ごうと、人が話しているのを邪魔しようと、律法学者はお構いなし。ひとりひとりにかかわることを面倒くさがって、遠巻きにして放置していたのかもしれません。人々も一緒になって遠巻きにして、耳をふさぐか、無視していたのではないでしょうか。

しかし、イエスさまはその人に直接かかわられました。その人を変えられました。人を変える力がある。それが「権威ある説教」の意味でしょう。そうであることが分かったからこそイエスさまの説教をカファルナウムの人たちが夢中で聴くことができたのです。

わたしたちも、そのような宣教ができるようになりたいです。「説教は知識ではない」と、私は言いません。「宣教は~ではない」とひとつの傾向のあり方に当てこすり、否定的に本質をあぶり出す排除の論理は嫌いです。「説教は知識でもある」のです。

そのうえで「宣教は知識以上であり、もっと豊かなものである」と申し上げたいです。

(2022年1月23日 聖日礼拝)

2022年1月16日日曜日

漁師を弟子にする(2022年1月16日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


讃美歌21 7番 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

週報(第3603号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

「漁師を弟子にする」

マルコによる福音書1章16~20節

関口 康

「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。」

昨年11月7日の昭島教会創立69周年記念礼拝のときから申し上げているのは、今年(2022年)は「70周年」であるということです。今年11月6日に70周年記念礼拝を行います。みんな元気にその日を迎えようではありませんか。

「70年」ということで聖書の中身と関係あるのは何かと考えてみました。すぐ思い出したのはバビロン捕囚ですが、教会生活をバビロン捕囚にたとえるのは、直感的に言えばかなり違和感が私にはあります。私たちは教会に囚われているわけではありません。しかし視点を換えて考えれば全く当てはまらないとも言えません。

バビロン捕囚とは、イスラエル人が新バビロニア帝国との戦争に負けて自分たちの独立した国を失い、捕囚の民として70年の歳月をバビロンで過ごした出来事を指します。捕囚の地において、細々とではあっても信仰を守り続け、解放後パレスティナに戻ってエルサレム神殿の再建に着手するまでの彼らの70年は信仰と忍耐が試された年月です。

70年前に大人だった人たちはほとんど天の御国に召され、70年前はまだ子どもだった人たちや、その後生まれた子どもたちが信仰と忍耐を受け継ぐ歴史。そのイスラエルの人たちの姿は、そのまま今のわたしたちであると言えるのではないでしょうか。

しかし、教会の歩みや、わたしたちひとりひとりの個人的な信仰者としての歩みは、長く受け継がれてきたことをただ繰り返すだけ、何も変えずにただ受け継ぐだけではないし、我慢比べをしているわけでもありません。改革すべきことは改革すべきです。

そのことを考えて、私は年頭から繰り返し「新しいことを始めましょう」と申し上げています。さっそくひとつ新しいことが始まります。今日の週報で初めて情報公開しました。秋場治憲さんを今年4月から本教会の伝道師として招聘することを役員会として承認し、2月27日に予定している教会総会に提案することにいたしました。

秋場さんのことは秋場さんご自身がお語りになるべきですが、客観的事実については、私からご紹介させていただきます。秋場さんは41年前の1981年に、日本キリスト教団補教師検定試験に合格されましたが、補教師登録をされませんでした。しかし、このたび補教師に登録することを決心されました。昭島教会を助けてくださるためです。尊いお志に心から感謝いたします。

牧師、伝道師の異動の件は教会総会の取扱事項ですので、現時点ではまだ正式な決定であるとは言えません。しかし、現在の役員であられる秋場治憲さんとわたしたちは水臭い関係では全くありませんので、皆さんに喜んでいただきたく謹んでご報告いたします。

さて、今日の聖書の箇所です。イエスさまが神の国の福音を多くの人に宣べ伝える宣教活動を開始されるにあたり、イエスさまと共に働く人をお求めになりました。聖書においてその人々はイエスさまとの関係上「弟子」と呼ばれています。弟子たちは、イエスさまに「従う」関係です。だからといって、イエスさまと弟子たちの関係は軍隊式の上下関係ではありません。水平の関係です。協力者です。パートナーと言うと別の意味になるかもしれません。表現は難しいです。

「軍隊式ではない」と強調して申し上げるのは、当時のユダヤ教の指導者やローマ帝国の軍人とユダヤの民衆との関係と、イエスさまと弟子の関係とが大差ないようなものだったとすれば、彼らが「救い」を感じることはなかっただろうと思うからです。

イエスさまがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っておられるのをご覧になりました。彼らは漁師でした。そこでイエスさまは、その二人に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。

イエスさまが彼らを「ご覧になった」(16節)と訳されている言葉に深い意味があるかどうかが気になりました。調べてみたらいろんな意味がありました。目で見る、心を向ける、注意する、理解する、経験する、訪問する、面会するなどの意味が含まれていることが分かりました。

そのことが気になったのは、ただ見えた、視野に入った、ぼんやり見た、ということだけではなく、じっと見る、注意深く観察するというような意味があるかどうかを知りたいと思いました。結論を言えば、それくらいの意味があると考えることができます。それが分かって安心しました。イエスさまにとって、彼らを弟子にしたのは手当たり次第で、実はだれでも良かったのだというような感覚とは違うのではないかと思うからです。

イエスさまが彼らを「ご覧になった」のは、マルコによる福音書では、彼らが漁をする姿です。ルカによる福音書では、ひと晩漁をしても何もとれずに落胆して陸に戻り、網を洗って片付けていた彼らの姿をイエスさまがご覧になっています。とにかくそのような彼らの「漁師としての」姿をイエスさまが、ただ見た、視野に入った、ぼんやり眺めたというのではなく、じっと見る、観察するという姿勢で、まさに「ご覧になった」のではないかと私には思われるのです。

それは、彼らが真面目に仕事をしているかどうか、というようなことが含まれている可能性は否定できません。それも大事なことです。しかし、そういうことよりもむしろイエスさまが関心をお持ちになったのは、漁師たちが漁をするその仕事内容や動作や、それに必要な技能は何かというようなことです。収穫が無かったときの心の動きや、その場合の生活のあり方までも含めて、イエスさまは「漁師としての」彼らをじっと観察されたのです。だからこそ、イエスさまは彼らに「人間をとる漁師にしよう」とおっしゃったのです。

言い方を換えれば、「漁師として」身につけた技能が、そのまま福音を宣べ伝える伝道の働きに役立つということです。それが、イエスさまが彼らにおっしゃった「人間をとる漁師にしよう」の意味です。イエスさまは人間を「魚」呼ばわりなさったわけではありません。趣旨は逆です。漁師として身につけたその技能を伝道のために活かしなさいということです。

もちろん漁師だけではありません。会社や役所や学校で働く人が、それぞれの場で身につけた技能が、そのまま伝道に役立つということです。伝道者になるために必要なことは、極端に特殊なことでも何でもなく、日常生活で必要な普通の営みを身につけることや、社会での働きの中で徹底的に鍛えられる技能の延長線上にある、ということです。

ただし、教会は軍隊式ではありません。その点だけ間違えなければ、すべての社会的な技能が伝道に役立ちます。「社会のルールを教会に持ち込むこと」の弊害がもしあるとしたら、軍隊式が持ち込まれてしまうときです。教会を教会でないものにしてしまいますので気をつけましょう。

もうひとつ、そして最も大事なことは、「伝道者」は教職者だけではないということです。教会のみんなが「伝道者」です。役員、運営委員として伝道の働きを担うこともできます。

みんなで一致協力して、昭島教会の「これからの」歴史を築いていこうではありませんか。

(2022年1月16日 聖日礼拝)

2022年1月9日日曜日

イエスの洗礼(2022年1月9日 聖日礼拝)

マルコによる福音書1章9~11節

関口 康

「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。」

今日開いたのも、救い主イエス・キリストの生涯を描いた箇所です。先週の箇所には、12歳になられたイエスさまが描かれていました。その後、イエスさまは大人になられ、「神の国の福音」を宣べ伝える宣教活動を開始されました。

しかし、イエスさまは宣教活動をお始めになる前に、いくつかの準備段階を踏まれました。

第1にイエスさまは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました(9~11節)。

第2にイエスさまは、荒れ野でサタンから誘惑を受けられました(12~13節)。

第3にイエスさまは、ガリラヤで宣教活動の開始を宣言されました。その言葉は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というものでした(14~15節)。

第4にイエスさまは、ガリラヤ湖で漁をしていた漁師を御自分の弟子にされました(16~20節)。

なぜイエスさまはこのようなことをなさったのでしょうか。ひとつひとつの意味を考えるのも大事です。しかし、少し距離を置いて、これら4つの段階全体の流れを見ていくと、わたしたちと同じだということが分かってきます。

今年は昭島教会の70周年を迎えます。新しいことを始めようではありませんか。具体的に何をするかを、私もいま真剣に考えています。わたしたちも新しいことを始める。そのための準備をする。その場合、イエスさまが踏まれた段階とだいたい同じようなことをすると思います。

イエスさまの場合は、その最初が「洗礼を受けること」でした。わたしたちに当てはめれば、居住まいを正すことです。姿勢をまっすぐにする。これまでしてきたことをこれからも繰り返すだけなら居住まいを正す必然性がありません。居眠りしたりよそ見したりしながらでも、できるかもしれません。しかし、新しいことを始める場合はそうは行きません。

準備の第2段階は、イエスさまの場合は「荒れ野でサタンの誘惑を受けること」でした。それは心の訓練を受けることです。新しいことを始めれば、毎日が緊張の連続です。何が待ち受けているかが分かりません。そのとき必要なのは、何が起こっても動じない心です。

第3段階は、イエスさまの場合は「活動開始宣言」です。それはわたしたちも同じでしょう。いつ始まったのか、本当に始まったのか、まだ始まっていないのか、他の人には全く分からない。厳しくいえば無責任です。新しいことを始める場合は、旗を上げ、目標を公にするのが大事です。

第4段階は、イエスさまの場合は「弟子」を得られることでした。しかし強い上下関係を想像するのはイエスさまらしくないです。とにかく仲間を得ることです。協力者を得ること。ひとりで抱え込まない。助けを求めることです。それが、新しいことを始める場合に必要です。

以上申し上げたのは「わたしたちにも当てはまる」イエスさまの宣教活動の準備段階についての説明です。いわば応用編です。しかし、わたしたちとイエスさまが全く同じであると言いたいのではありません。特に最初の「洗礼を受けること」については、わたしたちとイエスさまとで意味が違うということを申し上げる必要があります。今日開いているマルコによる福音書にも、その違いが分かるように記されています。

イエスさまに洗礼を授けたのは洗礼者ヨハネでした。このヨハネが授けた洗礼の意味は「罪の赦しを得させるため」の「悔い改めの洗礼」(4節)であると、はっきり記されています。そして「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼(洗礼者ヨハネ)から洗礼を受けた」(5節)とも記されています。

ここでわたしたちが考えなければならないのは、もしヨハネが「罪の赦しを得させるため」の「悔い改めの洗礼」を授けていたのであれば、イエスさまがそのヨハネの洗礼をお受けになったことの意味は、イエスさまが御自分の犯した罪を神とヨハネの前で告白し、その罪を神に赦していただき、「もう二度と罪を犯しません」と決心し、約束することだったかどうか、です。

「そのほうが人間らしいイエスさまで親しみやすい」と感じる方がおられるかどうかは分かりませんが、イエスさまがヨハネからお受けになった洗礼の意味はそのようなことではないということが、今日の箇所だけでは分かりませんが、マタイによる福音書を読めば分かります。

マタイによる福音書には、イエスさまがヨハネに洗礼を授けてほしいと願われたとき、ヨハネは「それを思いとどまらせようとした」(3章14節)と記されています。ヨハネは「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」(同上)とまで言いました。しかし、イエスさまは「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」(3章15節)とお答えになったので、ヨハネはおっしゃるとおりに洗礼を授けたということが記されています。

ヨハネがイエスさまを思いとどまらせようとしたことの理由は明白です。ヨハネの洗礼の意味は「罪の赦しと悔い改めの洗礼」でしたが、ヨハネの目から見て、イエスさまは罪を悔い改める必要のない存在だったからです。自分が授ける洗礼の意味には該当しないとヨハネは考えました。

また、もうひとつ、ヨハネの洗礼の意味を考える場合に忘れてはならないことが、今日の箇所の直前に記されています。ヨハネ自身が言ったのは「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」(7節)ということです。それは、人々がヨハネの洗礼を受けて罪の赦しと悔い改めに導かれることは、イエスさまを真の救い主としてお迎えする準備段階に過ぎないことであって、真の救い主が来られたら自分の役割は終了するとヨハネが信じていた、ということを意味します。

ところが、イエスさまは、ヨハネのすすめをさえぎることまでされたうえで、ご自身が洗礼をお受けになりました。その理由は分かりません。それは「正しいこと」だとおっしゃった意味も分かりません。わたしたちにできるのは、その意味を想像してみることだけです。

私の考えはこうです。イエスさまはたとえ御自分は罪人でないとしても、だからといって罪人から距離をとるのではなく、罪人に寄り添い、同じ立場に立とうとなさったのです。

その意味は、へりくだり、謙遜です。罪人から距離をとり、指差して、「私は悪くない。赦しを得る必要はないし、悔い改める必要もない。世界の悪と人類の不幸の原因は私ではない。あの人が悪い、あの人たちが悪い」と言い張るだけなら、おごり、たかぶり、傲慢です。イエスさまは、ご自分以外のすべての人を悔い改めさせるために来られたのではありません。そのような傲慢さは、宣教の態度ではありません。そのような宣教の言葉で悔い改める人はいないでしょう。

教会も同じです。教会が「この悪い世界を悔い改めさせてやる」と言い出したら、イエスさまから「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。まず、自分の目から丸太を取り除け」(マタイ7章3節、5節)と厳しくたしなめられるでしょう。

(2022年1月9日 聖日礼拝)

2017年3月26日日曜日

神の言葉を蒔く(新松戸幸谷教会)

エレミヤ書20章7~9節
マルコによる福音書4章13~20節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「また、イエスは言われた。『このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。種を播く人は、神の言葉を蒔くのである。道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。』」

新松戸幸谷教会のみなさま、おはようございます。日本基督教団教務教師の関口康です。このたびは説教の機会を与えていただき、ありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします。

お世辞でもなんでもなく、私は吉田好里先生の説教が大好きです。すぐ近くに住んでいますので、昨年の半ばから礼拝に出席させていただくようになりました。吉田先生の説教に毎回魅了されています。大先輩の先生に対して偉そうな言い方かもしれませんが、「これだ!」と思いました。私が過去51年の教会生活で聴かせていただいた説教の中でいちばんいいと本気で思っています。

本当のことを言えば、毎週欠かさずこの教会の礼拝に出席させていただきたいです。しかし最近はいろんな教会から説教を依頼されるようになりましたので、なかなかお訪ねできません。吉田先生の説教のどこに魅了されているかについては、説教の最後に申し上げます。

先ほど旧約聖書と新約聖書の朗読がありましたが、今日共に学ばせていただきたいのはマルコによる福音書4章13節から20節までの箇所です。主イエス・キリストがお語りになった「種を蒔く人のたとえ」を主イエス御自身が説明しておられる箇所です。と読める箇所です。

しかし、この箇所についてはかなり前から多くの有力な聖書学者たちが、主イエス御自身がお話しになったものとは考えられないと判断しています。それでは誰が書いたのかと言えば、主イエスが亡くなった後の原始キリスト教会です。原始キリスト教会による主イエスのたとえ話の解釈をマルコが採用した、ということです。これは私が言っていることではなく、有力な聖書学者が言っていることです。

私が東京神学大学大学院を修了したのは27年前の1990年です。当時よく読まれていた本は、C. H. ドッド『神の国の譬』(室野玄一、木下順治訳、日本基督教団出版局、1964年)、A. M. ハンター『イエスの譬・その解釈』(高柳伊三郎、川島貞雄訳、日本基督教団出版局、第一版1962年、第二版1964年)、J. エレミアス『イエスの譬え』(善野碩之助訳、新教出版社、1969年)の3冊です。

どの本も私が申し上げた方向で解説されています。エレミアスはこの箇所が原始キリスト教会の解釈であると判断すべき根拠を4点にまとめています(エレミアス同上書82頁以下参照)。

21世紀の聖書学者の方々にとっては古い本ばかりかもしれませんが、私は狭い意味での聖書学者ではありませんので、最新の研究成果を調べる力はありません。しかし、私は聖書学者の意見は尊重すべきであると考えています。

そしてそれは決して無理な説明ではありません。直前の箇所にやはり主イエス御自身がお語りになった言葉として「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される」(4章11節)と記されています。

その趣旨は、「たとえ話」というのはそもそも初めから「分かる人には分かるが、分からない人には分からない」ように語られるものであるということです(加藤隆『「新約聖書」の「たとえ」を解く』ちくま新書、2006年、206頁以下参照)。

「分からない人には分からない」たとえ話だからこそ、主イエスは、せめて常に行動を共にしている弟子たちにはたとえ話の意味を説明なさったのだと考えることもできます。しかし逆に、常に行動を共にしている弟子たちなのであれば、主イエス御自身の説明など全く不要なほど、このたとえ話を聞けばすぐにその意味を理解できたはずだと考えることもできます。

むしろ、たとえ話の説明が必要になったのは、主イエスのことも弟子たちのことも知らない後の世代の人たちです。その人々のために原始キリスト教会がこの説明文を付け加えた、と考えることもできるわけです。

ややこしい説明が長くなってしまいましたが、疑問が生じやすい箇所ですので、ある程度のことを申し上げておこうと思いました。そして私もまた、この箇所は主イエス御自身による説明ではなく、原始キリスト教会による解釈であるという立場でお話しすることにします。

ここから中身に入っていきます。たとえ話そのものはよく知られていますので、いきなり説明の部分から始めます。

「種を播く人は、神の言葉を蒔くのである」(14節)と記されています。「神の言葉」(ホ・ロゴス)とは「福音」を意味する原始キリスト教会が生み出したテクニカルタームであると、先ほどから言及しているエレミアスが書いています(エレミアス同上書83頁)。さらに「種を蒔く」とは「宣べ伝える」ことを意味する比喩的な表現であるとも言っています(同上頁)。

これで分かるのは、「神の言葉」を蒔く「種を蒔く人」とは福音を宣べ伝える説教者のことであるということです。

しかしそれは、狭い意味での牧師、伝道者、説教者だけを指していると考えるべきではないと私は思います。少なくとも、狭い意味での牧師、伝道者、説教者と共に歩む教会の信徒の方々ひとりひとりを含めなければなりません。伝道は、説教は、牧師個人の趣味ではなく教会全体のわざだからです。

いや、そうではない、「種を播く人」を牧師とか伝道者とか教会であると解釈するのは間違っているという反論が実際になされてきました。そうではなく、「種を蒔く人」はあくまでもわたしたちの救い主イエス・キリスト御自身でなければならない、と。

福音を宣べ伝える主体はあくまでも主イエス・キリスト御自身のみであり、同時に父なる神御自身のみであって、我々人間ではない。我々人間は、せいぜい「神の宣教」(ミッシオ・デイ)のお邪魔をしないように手控えながら、しもべとしてただ仕えるのみである、と。

しかし、もうひとり先ほどから言及しているC. H. ドッドは、今私が申し上げているような「種を蒔く人」をイエス・キリストに限定する読み方に対して明確に反対しています。ドッドは次のように記しています。

「キリスト御自身が種蒔く者であるとは意味していない。誰にもせよ信仰深いキリスト教の説教者であれば、その人が種蒔く者である。彼は自分の働きの多くが無駄であったことを見いだすであろう。ある聴衆は、まったく真理をしっかりと把握しないであろう。他の者は困難によって失望したり、繁栄によって惑わされたりするであろう。しかし説教者は最後には、彼の働きから果が結ばれることを確信してよいのである」(ドッド同上書239頁)。

ドッド教授の原著は1935年に出版されたものですので、今から82年前です。しかし、これ以上付け加えることがないほど簡潔で的確な解説がなされていると思います。このような意味でこの箇所は読まれ、解釈されるべきだと私も思います。

ここまでのところで私に言いうるのは、今日の箇所に記されている主イエスのたとえ話の説明は、現実の教会の伝道の様子をありのままに描いているものと理解してもよいということです。それはわたしたちの姿そのものです。教会の伝道には挫折があります。つまずきがあります。落ち込むことがあります。しかし、手応えがあることもあります。

その場合、先ほど申し上げたとおり「御言葉」(ホ・ロゴス)は「福音」を意味します。いや、それは「聖書」ではないかと思われるかもしれませんが、それも限定しすぎです。「聖書を蒔く」という話であれば、国際ギデオン協会の方々が無料で聖書を配布する活動が思い浮かびます。しかしここで「御言葉」を「聖書」という意味だけに限定して理解するのは行き過ぎです。

ここで言われている「種を蒔く」とは「聖書を無料で配布すること」よりもっと広い意味です。「福音を宣べ伝えること」です。「聖書」だけでなく、少なくとも必ず「説教」が含まれます。「説教」が行われる「礼拝」が含まれます。「教会のすべての活動」が含まれます。「日常生活における信徒としての証し」が含まれます。それらすべてが「福音」です。それらすべてが「神の言葉」です。

しかしまた、ここで少し立ち止まって考えてみたいことがあります。ここから先は過去の聖書学者の意見ではなく、私の感覚だけで申し上げます。それは、「種を蒔くこと」が「福音を宣べ伝えること」を意味する比喩であるというエレミアスの説明と関係しています。

「種を蒔くこと」が「福音を宣べ伝えること」です。これを逆の方向から言い直しますと、「福音を宣べ伝える」とは「神の言葉を蒔くこと」を意味するとも言えます。これで分かるのは、説教というのは、ある意味で「蒔く」だけであるということです。

「蒔く」とは「植える」にも「育てる」にも「収穫する」にもまだ至っていない、いわばそれ以前の段階です。しかしだからといって、無作為に、無差別に、めちゃくちゃに「撒き散らす」こととは全く違います。

「種を蒔く人」は、必ず芽が出ますように、葉が茂りますように、実が結びますように、と願いながら、祈りながら、丁寧に「蒔く」のです。

すべての種が必ず実を結ぶわけではありません。しかし、だからといって、すべての種が必ず実を結ばないわけでもありません。たとえそれが多くの中のたったひとつの種であっても、その種が三十倍、六十倍、百倍の実を結んできました。だからこそ教会は二千年の歴史を刻んできましたし、これからも絶望しません。

最初にお約束しましたとおり、私が吉田先生の説教が大好きな理由を最後に申し上げます。私が吉田先生の説教を論評する立場にあると思っているのではありません。「吉田先生のファン」のひとりとして申し上げるだけです。

それが最後に申し上げた点にかかわります。まさに「種を蒔く人」の説教であると感じます。植えてやろう、育ててやろう、実を結ばせてやろう、収穫してやろうというような、一方的に押し付けてくるところが全くありません。「こうである、ああである」と断定し、決めつけてくるところが全くありません。少なくとも説教でそういうことをなさいません。

しかしそうであるからこそ、温かい見守りと深い祈りと丁寧な配慮をいつも感じます。デリケートな問題をデリケートに扱ってくださいます。

私の最も理想とする模範的な説教者と共に長年歩んでこられた新松戸幸谷教会の皆さまのことが、本当に羨ましく思います。これからも仲良くしていただけますと幸いです。

(2017年3月26日、日本基督教団新松戸幸谷教会 主日礼拝)

2017年2月1日水曜日

ご一緒に死なねばならなくなっても(千葉英和高等学校)


マルコによる福音書14章22~31節

「ペトロは力を込めて言い張った。『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。』」(31節)

今朝の箇所に描かれているのは、主イエスが十字架につけられる前の夜、弟子たちと共にした最初の晩餐の場面です。教団・教派によってとらえ方に違いがありますが、この最後の食事を想起するのが聖餐式です。主の晩餐式、あるいはカトリック教会のミサもその点では同じです。

主イエスはパンをとって、それを裂いて弟子たちに与え、「とりなさい。これはわたしの体である」と言われました。ぶどう酒の杯も同じようにされ、「これはわたしの血である」と言われました。

共観福音書には見当たりませんが、ヨハネによる福音書には、主イエスが自分の肉を食べ血を飲めとおっしゃる言葉を聞いた弟子たちが、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(6章60節)と拒絶反応を起こし、そのせいで「弟子たちの多くが離れ去り、イエスと共に歩まなくなった」(6章66節)とまで書かれています。

これで分かるのは、今日の箇所で主イエスがおっしゃっている「わたしの体」を食べ、「わたしの血」を飲めという言葉は、今のわたしたちにとってだけでなく、当時の人々にとっても、弟子たちにとってでさえ相当気持ち悪いものだったということです。

しかも主イエスは「わたしの体」「わたしの血」と2つに分けておっしゃっていますが、要するに「わたしを食べなさい」とおっしゃっています。そう言うともっと恐ろしい話になってしまいますが。

しかしそれはもちろん恐ろしい話ではありません。あなたがたの中にわたしを取り込みなさいとおっしゃっているのです。あなたがた自身がわたしになりなさいということでもあります。わたしの存在と働きを受け継ぎなさいという意味でもあります。

そして、ここから先は再び解釈に多様性があると思われますが、このとき主イエスは御自分の死の自覚をされていたので、いわば遺言として、約束として、御自分の存在と働きを弟子たちにお委ねになったと理解することができると思います。

その最後の晩餐の席で、弟子のペトロが、元気でもあり不遜でもあることを主イエスに言います。「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(29節)。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(31節)。

「たとえ、みんながつまずいても」は余計な言い方ではありますが、ペトロの競争心の強さがよく表れています。自分はリーダーでなければならない、リーダーは他の誰よりも強くなければならないという責任意識を強く持っていた人だったことが分かります。

しかし、主イエスはそのペトロの言葉を即刻打ち消します。叱りつけたわけでもたしなめたわけでもありません。ばかにしたわけでも軽蔑したわけでもありません。ただ事実をおっしゃっただけです。言い方を換えれば、わたしはあなたにそこまでのことを求めてはいない、とおっしゃったのです。

独裁者のような人は、自分のために死んでくれる部下を求めるかもしれませんが、部下のために自分が死ぬことは決してしません。しかし主イエスは逆でした。弟子のだれも自分のために死んでほしいと思っておられないし、そのようなことはやめてくれとお止めになる方です。

ですから、結果的にペトロは自分で誓った言葉を自分で裏切り、全く正反対の行動をとってしまいましたが、それはあくまでも自分に対する裏切りであって、主イエスの命令に対する裏切りではありません。主イエスは、自分のために死んでくれとも、自分と一緒に死んでくれとも、そのようなことは一言もおっしゃっていません。

ペトロは嘘をついたわけでもありません。本気の本気で、本心の本心を言ったのです。それを実行できなかっただけです。ペトロは間違った誓いをしたのです。あなたのために死ぬ、誰かのために死ぬという誓い自体が間違っているのです。死なないでください、生きてください。それが主イエスの願いです。

主イエスでさえ死のうと思って死んだとか、死にたくて死んだわけではありません。死ぬこと自体、殺されること自体は、主イエスの本望でもなければ、ご自分の計画が実現し、達成したということでもありません。

ペトロの姿を学校教員に多いとされる「燃え尽き症候群」に関連づけて考えてみることができるかもしれません。生徒たちのために、先生がたのためにお祈りいたします。

(2017年2月1日、千葉英和高等学校 有志祈祷会)

2016年6月4日土曜日

変貌の山での祈り(松戸朝祷会)

カトリック松戸教会(千葉県松戸市松戸1126)
マルコによる福音書9・1~8

「また、イエスは言われた。『はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。』六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。『先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。』ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け。』弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。」

勤務している高校の廊下で一人の先生から「関口先生すごいですね」と声をかけられました。「はい、すごいんです」とお応えしましたが、何がすごいのか分からなかったのでお尋ねしたら、「関口先生の名前がカトリック新聞に載っていました」とのこと。私は読んでいませんでしたので、びっくりしました。

松戸朝祷会の広告の中に私の名前があったそうです。私もついにカトリック新聞にデビューすることができました。ありがとうございます。「典礼色オムニバスシリーズ」は、とても興味深い企画だと思います。私に与えられた宿題は「白」です。聖書の箇所も「白」にちなんだ内容のところが選ばれています。

「白」でなぜ今日の箇所が選ばれたのかはすぐに分かりました。イエスさまが特別に選んだ三人の弟子、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登られ、山の上で「白く」なられました。「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった」。

これを読むかぎり、白くなったのはイエスさまの「服」です。いま私も毎日、服が白くなる生活をしています。黒板にチョークで字を書くと、チョークの粉で、服が真っ白になります。ごめんなさい、ごめんなさい。全く関係ありません。ここで描かれているのは、そのようなこととは違う次元のことです。

「白く」なったのはイエスさまの「服」だけではないと私は考えます。三人の弟子にははっきり見えたに違いない、ふだんのイエスさまとは明らかに異なる、とても神秘的で美しい「白い」イエスさまのお姿が山の上に立っておられたであろうことを、わたしたち自身も想像することが許されていると思います。

その「白い」イエスさまの前にモーセとエリヤが現れました。二人とも旧約聖書に登場する偉人であり、神の民の指導者です。その二人とイエスさまが山の上で協議会をおはじめになりました。そして、特別に選ばれた三人の弟子は、その協議会への陪席を許可されました。すごいメンバーの、すごい会議です。

そのあまりの緊張感の中、黙っていればいいのに、そそっかしいペトロが、自分でも何を言っているのか分からないような、余計なことを口走る。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです」。

せっかく天国から戻ってきてくれたモーセとエリヤがまた天国に帰ってしまうのが寂しくて引き止めたかったのかもしれません。「仮小屋を建てる」と言い出す。だけどイエスさまの分も作りましょうと言わないとイエスさまに失礼だと思ったのかもしれません。ただ思いつきを口走っているだけだと思います。

そうしましたところ、「雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした」と記されています。ここから先は「白」ではなく、「黒」ないし「グレー」の話です。弟子たちは急いで辺りを見回しましたが、もはやだれも見えず、ただイエスさまだけが一緒におられました。モーセもエリヤも天国に帰って行きました。

雲の中から聞こえた声の主はイエス・キリストの父なる神です。「これはわたしの愛する子。これに聞け」と神御自身が弟子たちにお命じになりました。これで分かるのは、この話はイエスさまの神秘的な変貌の情景を描いたものでもありますが、同時に神学的な意味を持っている箇所でもあるということです。

旧約聖書において啓示されていた神の御心は、新約時代においてはイエス・キリストにおいて啓示されます。そのことが主張されています。

典礼色の話からは遠くなりましたことをお許しください。

わたしたちは「白い」イエスさまにこれからも従って生きていきたいと願います。

(2016年6月4日、松戸朝祷会、於カトリック松戸教会)




2016年6月1日水曜日

サタンはサタンを追い出せない(千葉英和高等学校)


マルコによる福音書3・20~35

関口 康

「イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、『あの男はベルゼブルに取りつかれている』と言い、また、『悪霊の頭の力で悪霊を追い出している』と言っていた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。『どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。』イエスがこう言われたのは、『彼は汚れた霊に取りつかれている』と人々が言っていたからである。イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。『御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます』と知らされると、イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。』」

どんなことにも当てはまりますが、新しいことを始め、軌道に乗りはじめると現れるのが、邪魔する人々です。従来のあり方を変更させられるのは困ると言いはじめる人々です。イエスも同じでした。弟子が少ないうちは、だれも見向きもしない。しかし、群衆を動かしはじめると、妨害する人々が現れました。

なかでも特に厄介だったと思われるのが「身内の人たち」でした。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た」。イエスにも親兄弟がいました。その人々がイエスを妨害しはじめました。新しいことを始めれば、賛成して行動を共にしてくれる人々もいれば、反対して妨害し始める人々もいます。

対立が起こり、もめごとが始まります。そのことを嫌がるのが家族かもしれません。「うちの者が世間をお騒がせして申し訳ありません」などと言い出す。身内の評判が下がることは、自分たちの不利益になるからでしょう。イエスもそれは理解しておられたはずです。家族を憎む思いはイエスにはありません。

だからこそイエスは次のように言われます。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」。これはイエスがご自分の肉親を切り捨てる発言であると捉えないほうがいいでしょう。それこそが、イエスが批判しておられる「内輪もめ」です。

そうではなく、家族への訴えです。家族が神の御心を行う人になってほしいという願いです。わたしたちも学びうることです。サタンはサタンを追い出せません。自分に逆らう者は切り捨てるという方式の仕事は、失敗に終わります。愛と憐れみをもって神の御心を行う人が増えていくのを願うことが大切です。

そして「神の御心を行うこと」は「行動」ですから、神の御心を思想的に深く学んでいない人にも可能です。信者以外は不可能であると言わなくてはならないようなことではありません。同じ思いで共に行動してくれる仲間を増やしていくことが教育のわざにおいて大切であると思わされている今日この頃です。

(2016年6月1日、千葉英和高等学校 有志祈祷会)

2015年7月19日日曜日

ペトロの裏切り

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
マルコによる福音書14・66~72

「ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。『あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。』しかし、ペトロは打ち消して、『あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない』と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。女中はペトロを見て、周りの人々に、『この人は、あの人たちの仲間です』とまた言いだした。ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。『確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。』すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『あなたがたの言っているそんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。」

使徒ペトロがイエスさまを裏切ったことについては、これまでに何度も学んできましたし、マルコによる福音書の学びの中でも繰り返し触れてきました。最後にペトロは涙を流しました。マタイ(26:25)とルカ(22:62)は「激しく泣いた」と記しています。ヨハネはペトロの涙を描いていません。

ペトロはなぜ泣いたのでしょうか。ペトロの涙を描いている三つの福音書はその理由を「鶏が鳴く前にあなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」というイエスさまの言葉を思い出したからだとしています。つまり彼はイエスさまに自分の弱さを見抜かれていたことを思い知らされたから泣いたのです。

つまりペトロはとても悔しかったのです。彼は自分のことをもっと強い人間であると思い込んでいたし、そう思いたかったのです。しかし現実はそうでなかったということを思い知らされたのです。そしてその弱さをイエスさまに見抜かれていたことが分かったのです。だから、彼の目から涙が出てきたのです。

ペトロはイエスさまと他の弟子たちの前で次のように断言していました。「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(14:29)。また、こうも言っていました。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(14:31)。

しかし、ペトロはつまずきました。みんなと一緒につまずきました。つまずくことにおいては、他の人と変わりがありませんでした。イエスさまと一緒に死ぬことはできませんでした。死の覚悟などすっかり忘れて、イエスさまのことを三度も「知らない」と言ってしまいました。だからペトロは泣いたのです。

しかし、彼が泣いたのは、イエスさまに責められたからではありません。イエスさまは、ペトロの裏切りを責めておられません。イエスさまはただ、「あなたは裏切るだろう」と事実を述べられただけです。自分は他の弟子より強いとか、死ぬことを恐れないなどと言い張るペトロをたしなめられただけです。

少し厳しい言い方をすれば、できもしないことをできると言うな、自分の命を粗末にするようなことを口にするなと、イエスさまはペトロを戒められただけです。しかしそれはペトロの裏切りを責める意味ではありません。そうではなくて、自分が弱い人間であることを認めなさいと言っておられるだけです。

しかしそのように言われたとき、ペトロはイエスさまの言葉を受け容れることができなかったのです。私のことを馬鹿にするな、イエスさまの目は節穴だと言いたかったのです。ところが、それが現実になったとき、何もかもイエスさまがおっしゃったとおりであったということが分かって涙が出てきたのです。

しかし私は、ペトロについては、もう少し深いところまで踏み込んで考えなければならないことがあると思えてなりません。なぜなら彼は「みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と、わざわざ他の弟子たちと自分を比較した上で、他の弟子たちを見下げるようなことを言ってしまっていたからです。

しかし、現実の彼は他の弟子たちと全く同じでした。そうであることが分かった以上、ペトロは他の弟子たちに謝罪しなければなりません。「皆さんのことを見下げるような偉そうなことを言ってたいへん申し訳ありませんでした。私は皆さんと同じようにつまずいてしまいました。どうかお許しください」と。

まだあります。ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても」とイエスさまに言いました。それは少し工夫して読むと、イエスさまが抱いておられる死の覚悟と自分の死の覚悟は同じですと言っているのと同じであることが分かります。しかし現実の彼は違いました。死の覚悟などありませんでした。

そうであることが分かった以上、ペトロはイエスさまにも謝罪しなければなりません。「イエスさま、私にはあなたと一緒に死ぬ覚悟などありませんでした。偉そうなことを言って申し訳ありませんでした」と。ペトロはとにかく自分は強い人間だと思い込んでいました。しかしそうは問屋は卸しませんでした。

このような思い込みや勘違いは、なぜ起こったのでしょうか。考えられる理由は、自分はみんなのリーダーだという思いでしょう。だから自分は一番偉い。一番勇気ある人間だ。しかし、現実は全くそうではありませんでした。だから、彼の目から涙が出てきたのです。悔しくて悲しくて仕方がなかったのです。

しかし、そういうことの一切を含めてのペトロの弱さをイエスさまは見抜いておられました。いざとなったらうそをつく。いざとなったらとぼける。いざとなったら逃げる。いざとなったら泣く。そういう人たちを集めてイエスさまは弟子にされたのです。そういう弟子を選んだ責任はイエスさまにあります。

ですからイエスさまはどの弟子の裏切りをもお責めになりませんでした。一緒に死んでくれる弟子をお求めになりませんでした。それはイエスさまにとってはかえって迷惑なことでした。父なる神の御心は救い主メシアがひとりで十字架で死ぬことであり、犠牲の小羊、贖いの供え物になることだったからです。

教会でも同じようなことが起こりうると思うところがありますので、このようなことを申し上げています。教会の中で自分の順位を考えてしまう。私はあの人よりは強いけれども、この人よりは弱い、など。しかし、教会は、そういうところではありません。教会は、自分の強さを競い合う場所ではありません。

教会の頭はイエスさまです。教会はイエスさまによって呼び集められた仲間です。そのイエスさまはわたしたちに、どちらかといえば「無理しなくていい」とおっしゃる方です。イエスさまが教会にお求めになることは、争い合うことではなく、互いに謙遜であることです。教会とはそのようなところなのです。

今日の個所で、ペトロが大祭司の女中や他の人々とのやりとりの中で「あなたが何を言っているのか分からないし、見当もつかない」(68節)ととぼけたり、彼らからペトロが「確かにお前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから」と断定されたりしていることには、方言の問題が明らかに関係しています。

ペトロがしたのは、方言の違いがあるから相手の言っていることの意味が分からないととぼけることだったと思われます。しかし、そのすぐ後に、方言の違いがあるからこそペトロは追い詰められてしまいました。お前はガリラヤ地方の方言でしゃべっている。ナザレのイエスの仲間に違いないと言われました。

日本国内でも、方言やなまりの違いで、相手が何を言っているのかが本当に分からないことが実際にありますし、またその人がしゃべる言葉をひとことふたこと聞くだけで、その人がどこの地方の出身者かが分かるということもよくあります。方言の違いは感情の行き違いが起こる原因になることさえあります。

多少余談になりますが、自分ではキツイことを言っているつもりがないのに相手にそう思われ、相手の感情を害してしまったというようなことが起こった場合、もしかしたら方言の違いの問題が関係あるかもしれないと考えてみることは必要です。それだけが原因だとすることはできないかもしれませんが。

方言というのは自分がなまっていることに自分では気づかないところに方言たる所以があります。だからこそ動かぬ証拠になります。自分でどうすることもできないものだからです。しかしそれを突き付けられても否定し続けたというのですから、ペトロの否定の勢いは相当激しいものだったに違いありません。

しかし、ペトロが自分の方言を否定するところまで追い詰められたことは、あとで彼自身が深く傷ついた原因になったかもしれないというようなことを考えさせられもしました。方言と言っても、ただの方言ではなかったからです。イエスさまと共に過ごし、共に伝道した思い出がぎゅっと詰まった方言です。

ペトロにとって自分の方言を否定することは、イエスさまとの関係を否定することを意味するだけでなく、イエスさまと共に伝道したガリラヤ地方の人々を否定するに等しいという思いが、彼の中に起こったかもしれません。家族や友人、そして自分の人生そのものを否定するに等しいと感じたかもしれません。

方言というのは、それくらい重い意味を持つことがありえます。同時にこの個所から、イエスさまはガリラヤ地方の方言で話しておられたことが分かります。それは、洗練された都会の言葉ではなく、田舎なまりの方言です。イエスさまという方は、田舎なまりの言葉で説教する救い主だったということです。

そのように自分の故郷の言葉まで否定せざるをえなかったことまで考えますと、ペトロのことがだんだんかわいそうになってきます。自分という人間はなんと大それたことをしてしまったのかと肩を落とし、背中を丸めて、涙を流しているペトロの姿が浮かんできます。彼の姿は決して他人ごとではありません。

(2015年7月19日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年6月7日日曜日

ユダの裏切り

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

マルコによる福音書14・10~21

「十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。『都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか』と言っています。」すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。』弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。』弟子たちは心を痛めて、『まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた。イエスは言われた。『十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。』」

今日の個所に登場する中心人物は、イエスさまの十二人の弟子の一人のイスカリオテのユダです。ユダがイエスさまを裏切ったことはあまりにも有名です。聖書を読んだことがない人でも知っている話です。ユダといえば裏切り者、裏切り者といえばユダ。それくらいよく知られています。

ユダがしたのは、祭司長、律法学者、長老と呼ばれる人々と手を組み、協力することでした。彼が実際にしたのは、イエスさまを捕まえるために捜している人たちにイエスさまの居場所を教えるために、その人々が遣わした兵隊たちを先導してイエスさまがおられる場所まで連れて行くことでした。

その裏切りによってユダが得たのはお金でした。マタイ福音書によると、祭司長たちに金銭を要求したのはユダ自身でした。「そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った」(マタイ26:14-15)。

ユダに対する祭司長たちの答えも、マタイ福音書に書かれています。「そこで、彼らは銀貨30枚を支払うことにした」(マタイ26:15)。なぜ銀貨30枚なのかは聖書に記されていませんが、当時の奴隷一人分の値段が銀貨30枚だったと言われます。理由はおそらくそれであると思われます。

しかし、銀貨30枚にどれくらいの価値があったのかははっきりとは分かりません。ある説明によれば今の100万円くらいだそうです。ユダとしては、ある程度まとまったお金であると言えそうです。しかし、視点を換えて言えば、祭司長たちはイエスさまに100万円の値札を付けたということです。

そして、ここで重要なのは、その具体的な金額を決めたのは祭司長たちであって、ユダが要求した金額ではなかったという点です。もしユダが「銀貨30枚をください」と要求したのであれば、イエスさまの命の値段を決めたのはユダ自身であったことになりますが、そうではありませんでした。

しかし、このときユダがある程度まとまったお金を欲しがっていたということは否定できません。そのことはヨハネ福音書を読めば分かります。先週わたしたちがマルコ福音書で学んだ、イエスさまにナルドの香油を注ぎかけた女性の話が、ヨハネ福音書12章にも記されています。その中に、なんとユダが登場します。

ヨハネは、イエスさまにナルドの香油を注ぎかけた女性がマリアだったことを明らかにしています。このマリアはベタニアに住むマルタの妹、ラザロの姉でした。そして、そのマリアに「なぜこの香油を300デナリオンで売って貧しい人々に施さなかったのか」と言ったのがイスカリオテのユダでした。

そして、ヨハネは次のように記しています。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである」(ヨハネ12:6)。これで分かるのは、ユダは金入れを預かる会計担当者だったということです。

しかし先週学んだ個所に記されているのは、「この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに」と言ったのは「そこにいた人の何人か」(14:4)であり、ユダ一人が言ったことのようには記されていません。ですからわたしたちは、両方を合わせて考える必要があります。

それはつまり、ナルドの香油をイエスさまに注ぎかけた女性を非難した「何人かの人たち」の中にユダが含まれていたということです。先週私が申し上げたのは、彼女を責めた人々の言い分にも一理あるということでした。しかし、ユダは別です。彼にはやましいことがあったのです。

ユダは弟子たちから預かっている金入れの中身をごまかしていました。その帳尻を合わせるためにお金が必要でした。彼がごまかしていた金額は分かりません。もしかしたら300デナリオン(約300万円?)だったかもしれません。銀貨30枚(約100万円?)では足りなかった可能性があります。

ですから、ここで考えられるのは、ユダが、不正が発覚しないようにするために帳尻を合わせようとしていたということです。そのために、「ナルドの香油を売ればよかった」と言ってみた。しかし、それは失敗した。それでついにイエスさまを売ることにしたということです。

おそらくユダは、イエスさまがいなくなってくれれば、いやもっとはっきり言えば死んでくれれば、自分がしている不正のすべては有耶無耶になるだろうというようなことを考えていたのです。なんと浅ましい。なんと卑劣。弁護の余地がありません。

しかし、彼がごまかして開けてしまった会計上の穴が、イエスさまを売ることで得た銀貨30枚程度で埋まるものだったかどうかは分かりません。その穴はもっと大きいものだったのではないかと私は思います。結局ユダは、最後は自分で自分の命を絶ちます。彼が犯した不正のすべては藪の中です。

お金が人を狂わせる。それはいつの時代でも同じです。しかし、決して誤解すべきでないことは、すべての会計担当者が不正を犯すわけではないということです。忠実で良心的な人はたくさんいます。

そしてわたしたちが忘れてはならないのは、ユダを十二人の一人に選んだのはイエスさまであるということです。彼に会計の仕事を任せたのもイエスさまです。そのことは聖書には記されていませんが、そうだとしか考えようがありません。任命権者はイエスさまです。最終責任者はイエスさまです。

その意味では、もしユダが、自分の犯した不正をイエスさまに正直に打ち明け、その罪を深く悔い改めることができたとすれば、イエスさまはユダを必ず赦してくださったに違いないのです。あなたを弟子に選んだのも、お金を預けたのも、その責任は私にあるということを認めてくださり、一緒に解決策を探してくださったに違いありません。

しかし、それがユダにはできませんでした。最悪の道を選びました。イエスさまを銀貨30枚で売り渡しました。ユダが祭司長たちとそのような打ち合わせや約束をしている現場を、イエスさまが目撃なさったわけではありません。しかし、イエスさまはユダの心を見抜かれました。イエスさまの目は節穴ではありませんでした。

それは「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日」のことでした。弟子たちがイエスさまに「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意しましょうか」(12節)と言いました。すると、イエスさまはかなり細かく具体的な指示を出されました。弟子たちが行ってみると、ある建物のある部屋にその準備が整っていました。

そのような部屋があることをなぜイエスさまがご存じだったのかは記されていませんが、理由を想像するのは難しいことではありません。イエスさまがエルサレムに来られたのは初めてではありません。幼い頃から両親と共に毎年のように行かれていました。イエスさまはエルサレムをよくご存じだったのです。

それにイエスさまは、何の計画もなしに、行き当たりばったりで、エルサレムまで来られたわけではありません。むしろ綿密な計画をもって来られました。神殿の境内の商人たちを追い出したことも、急に不愉快になって、怒りに任せて当たり散らしたわけではありません。すべては計画どおりでした。

そのように考えれば、過越の食事の席が整っている部屋があるということをイエスさまが弟子たちに教え、我々のために食事の準備しなさいとお命じになったことは、それほど不思議なことではないし、驚くべきことでもありません。

そしてイエスさまと弟子たちがその部屋に行き、過越の食事が始まりました。その席でイエスさまがユダの裏切りをはっきり指摘されました。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」(18節)。それはユダのことでした。

弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と口々に言いました。すると、イエスさまは「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ」(20節)と言われました。今いちばん近くにいる、少なくとも外見上は最も親しい関係にあるように見えるこの人が裏切る、と。

そしてイエスさまは続けて言われました。「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(21節)。このようにイエスさまが言われたことの意味は、御自分の死もまた計画どおりであるということです。

ただしそれは聖書に書いてある計画です。神の計画です。神はメシアを世にお遣わしになりました。そして神は、メシアを十字架につけることによって、全人類の罪の贖いを行われました。そのような神の人類救済計画を実行するために、メシアであるイエスさまがエルサレムに来られたのです。

そのことをイエスさまははっきりと自覚しておられました。ですから、イエスさまにとってユダの裏切りは、父なる神御自身の計画の中で定められたことであると信じておられました。それは考えれば考えるほど凄まじい話なのですが、イエスさまはユダの存在と彼の裏切りを間違いなくそのようにご覧になっていました。

ですから、イエスさまの最後の言葉は、ユダへの呪いではなく、むしろ憐れみです。神の人類救済計画の中でメシアが十字架につけられるために弟子の一人がメシアを裏切る。その不幸で残念な役割を与えられたユダは、イエスさまの目からご覧になれば、憐れみの対象以外の何ものでもありません。

これとは別の道はなかったのでしょうか。だれもメシアを裏切らない、ユダのような不幸な存在が登場しなくて済む、もっと明るくてみんなが幸せになれるような道はなかったのでしょうか。それは今さら問うても仕方がないことかもしれません。その問いに神は沈黙されたままです。

(2015年6月7日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年4月12日日曜日

罪との戦い

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
マルコによる福音書12・13~27

「さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。彼らは来て、イエスに言った。『先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか。収めてはならないのでしょうか。』イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。『なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。』彼らがそれを持って来ると、イエスは、『これは、だれの肖像と銘か』と言われた。彼らが、『皇帝のものです』と言うと、イエスは言われた。『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』彼らは、イエスの答えに驚き入った。復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。『先生、モーセはわたしたちのために書いています。「ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない」と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。』イエスは言われた。『あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者が復活することについては、モーセの書の「柴」の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。』」

今日もマルコによる福音書を開きました。先週はイースター礼拝でしたので、読む順序を変えて、イエスさまが復活される個所を読みました。結論を先に読んだ形です。しかし、今日から元の順序に戻ります。

今日の個所に出てくるのは、イエスさまの言葉じりをとらえて陥れるために近づいてきた人々です。そのような人々にイエスさまは苦しめられました。この人々がイエスさまのもとに近づいてきたのはイエスさまに救いを求めてきたのではありません。イエスさまを陥れるために来ました。イエスさまがお語りになる言葉の中に矛盾や欠点を探し出して、イエスさまを訴える口実を得るために来ました。

つまり、この人々がイエスさまにしている質問はすべて罠であるということです。そういう意図であるということを、わたしたちはあらかじめ理解しておく必要があります。この人々の言い分を真に受けてはいけません。

イエスさまだけでなく、わたしたちのまわりにも、そういう人たちがいると思います。うんうんと頷きながら話をよく聞いてくれる人だと思って信頼し、心を許していろいろ話すと、それが罠だったという経験を、わたしたちも味わってきたのではないかと思います。本当に心を許せて何でも話せる相手を見つけたいと願っても、なかなか難しいわけです。何度か痛い目に会ってみないと分からないところがあります。

しかし、イエスさまの場合は、わたしたちの場合とは違う面がありました。それではイエスさまにとって、本当に心を許せて何でも話せる相手はだれだったのか、そういう人たちが実際にいたのかということは考えてみる必要がありそうです。

先ほど申し上げたとおり先週はイースター礼拝でしたので、この福音書を読む順序を変えて結論を先に読みました。イエスさまの復活の個所を先に読みました。しかし、その読み方は飛ばし過ぎです。イエスさまの十字架上の死の場面を飛ばしてしまっています。それは、今日の個所と先週の個所の間には、決して飛ばしてはならない、省略してはならない内容があったということです。それがイエスさまの十字架上の死の場面です。

そこに至ってイエスさまは完全に孤独になられました。十字架上にはりつけにされたイエスさまには、心を許して何でも話せる相手というような意味での友達は一人もいませんでした。それどころか、イエスさまのもとに集まっていたすべての人が、その日までイエスさまがお話しになってきたことのすべてを悪く受け取りました。すべての弟子が裏切り、すべての人の心がイエスさまから離れました。しかし、それこそが父なる神の御心であり、イエスさまがお望みになったことでした。イエスさまはすべての人の身代わりに十字架にかけられることを、御自身でお望みになったのです。

弟子たちの中の一人として「イエスさまは悪くありません。イエスさまを十字架につけるのなら、代わりにこの私を十字架につけてください」と申し出る人はいませんでした。それどころか、十二人の弟子の一人のイスカリオテのユダは、自分から祭司長たちのところに出かけて行き、お金でイエスさまを売り渡す約束を取り交わしてきました。一番弟子のペトロさえ、鶏が二度泣く前にイエスさまのことを三度知らないと言いました。それらのこともすべて、イエスさま御自身が初めからご存じであり、御自身がお望みになったことです。イエスさまは弟子たちの身代わりに十字架にかけられることを、御自身でお望みになったのです。

その意味では、イエスさまは今日の個所に出てくるような、言葉じりをとらえて陥れる人々がいることは初めから分かっておられましたし、そういう人々がいるからと言って、言い方を変えたり内容を変えたりすることはなさらなかったと言えます。もちろんその人々が仕掛けてくる罠に対する警戒心はお持ちでした。しかしそれは、イエスさまが逃げ腰であられたというような意味ではありません。

イエスさまのお心をどのように表現すればよいのかは、迷うところです。いろいろ考えさせられました。それで思いついたことを言わせていただけば、その人々が仕掛ける罠にイエスさまが陥らないようにすることは、イエスさまにとっては、その人々にそれ以上に罪を犯させないようにすることを意味していたのではないだろうか、ということです。

なぜなら、人に罠をかけて陥れること自体が罪なのですから。罠に陥った人の側も悪い、不注意の罪を犯しているというように言うのはひどいことです。間違っています。それは、泥棒に遭った人を「あなたも不注意だったから悪い」と責めるのと同じです。それはひどい言い方です。しかし、イエスさまは、イエスさまを罠にかけて訴える口実を探して殺してしまおうとしている人々にもこれ以上の罪を犯してほしくないと願っておられたのです。だからイエスさまは彼らの仕掛けた罠に陥らないように注意深く対処されたのです。イエスさまが逃げ腰だったということではありません。

今日の個所に出てくる、イエスさまに仕掛けられた罠は二つです。一つは、ユダヤ人がローマ皇帝に税金を納めることは律法に反していることかどうかという質問です。もう一つは復活の問題でした。

税金の問題について、「ユダヤ人」とは記されていませんが、それ以外の意味はありません。ユダヤがローマ帝国に支配され、属国になっていた時代の話です。ユダヤ人、なかでもファリサイ派の人々は、ユダヤのナショナリストのような存在でしたので、ユダヤがローマの属国であることが不愉快でたまりません。早く自立したいと願っていました。だからとくにファリサイ派の人々はローマ皇帝に税金など納めたくありません。国民感情としてもローマ皇帝に税金など納めたくないと思っている人は大勢いました。

そのような状態の中で、もしイエスさまがローマ皇帝に税金を納めることは律法に反しているので、納めてはならないとお答えになれば、多くの人から支持され、賞賛された可能性があります。そのことを主張して選挙に出れば多くの票を集めることができたかもしれないほどです。しかし、そのように国民に対して呼びかけることは、ローマ皇帝とその支配下のユダヤ国王に対する反逆を意味するわけですから、その場で即、イエスさまを反逆罪の現行犯で逮捕できたわけです。

しかも、それはもう少し複雑な事情がありました。当時のローマ皇帝は自分は「神」であると称していました。ローマ皇帝が神であることを主張する字が、皇帝の肖像と共に、当時の貨幣に書かれていました。それは確実に律法に反します。「わたしのほか何ものをも神としてはならない」にも「自分のために刻んだ像を作ってはならない」にも反します。そのため、ユダヤ人にとってのローマ税問題は政治的・経済的な問題であるだけでなく、宗教的・信仰的な大問題だったのです。

しかし、イエスさまのお答えは、驚くべきものでした。銀貨をもって来させ、「これはだれの肖像か」とお尋ねになり、「皇帝のものです」と彼らが答えると、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われました。まさか冗談でおっしゃったわけではないと思いますが、顔と名前が書いてあるものをその顔と名前の人に返しなさいとおっしゃったわけです。

そのお答えはローマ皇帝に税金を納めることを肯定する意味を持ちます。しかし、「神のものは神に返しなさい」とおっしゃいました。「皇帝」と「神」を区別されました。ローマ皇帝に税金を納めることは、真の神を冒涜することにはならない。神は神だ。皇帝は神ではない。そのことをはっきりおっしゃっているのです。

もう一つの罠は復活の問題でした。復活を否定したくて否定したくてたまらない人たちがいました。サドカイ派です。だから彼らがイエスさまに質問をしているのは、復活を信じることがいかに矛盾に満ちていて滑稽であるかを言いたがっているだけです。イエスさまが矛盾したことを言おうものなら、そこに噛み付いてやれと、構えているだけです。

それで彼らが持ち出したのが、レビラート婚と呼ばれる当時のルールでした。その内容は「ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない」というものです。ところが、その妻が七人の兄弟全員と結婚したが、子どもをもうけることができませんでした。その妻が復活したときに、誰の妻になるのでしょうかという質問です。

この質問も真に受けてはいけません。この質問から感じられるのは真面目さのかけらもない人たちだということです。にやにや笑っているような顔を想像できます。そもそもこういうことを持ち出すこと自体が不愉快です。結婚や出産、あるいは離婚。その他いろいろな複雑な人間模様。このようなことで苦労したことがあるような人は、このようなことをたとえ話として持ち出したりはしません。

「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか」。

イエスさまが問うておられるのは、信仰です。あなたがたには信仰があるのかと問うておられるのだと思います。自分が信じられないことがあると、ごちゃごちゃと屁理屈をこねて言い逃れしようとしている人たちに、イエスさまは憤っておられます。

(2015年4月12日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年4月5日日曜日

復活の希望 イースター礼拝

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

マルコによる福音書16・1~20

「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、『だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか』と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を来た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる」と。』婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくななこころをおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。』主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。婦人たちは、命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短に伝えた。その後、イエス御自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン。」

今日はイースターです。わたしたちの救い主イエス・キリストの復活をお祝いする日です。教会のイースター礼拝は、毎年行っています。それはイエスさまの復活の意味を毎年思い起こすためです。

イエスさまは十字架にかかって死んだ方だ、死んだ方だという話は多くの人が知っていることです。キリスト教といえば十字架というほどに、イエスさまの十字架上の死はよく知られています。しかし、その十字架上で死んだイエスさまが三日目に復活されたということが、聖書に記されています。その聖書に記されていることに基づいて、わたしたち教会はイエスさまの復活を信じ、お祝いしています。

しかし、聖書に記されているのはそのことだけではないと言わなければなりません。イエスさまが復活されたことが、聖書に記されています。それはそのとおりですが、聖書に記されているのはそれだけではありません。聖書に記されているもう一つの重要なことは、イエスさまの復活の話を聞いた多くの人はその話を信じなかった、ということです。たとえば、先ほどお読みしました個所に「信じなかった」という語が3回繰り返されています(11節、13節、14節)。

もしかしたら、みなさんの中に、聖書の中にそういうことが書かれているのをお読みになると慰められるという方がおられるのではないかと思います。イエスさまが復活されたことを信じなかった人がたくさんいた。私もそうだ。私も信じられない。でも、私だけが信じられないわけではなかった。二千年前から信じない人はたくさんいた。ああ、よかった、ほっとした。私だけが信じられないわけではなかった。そのことに慰めを覚える方がおられると思います。

聖書の中に復活を信じなかった人のことがたくさん描かれているのは、私は大切なことだと考えています。なぜかといえば、復活は信じるか信じないかの問題であるということです。信仰の問題です。イエスさまが復活したと信じる人と信じない人とがいるということです。それは信仰の問題であり、宗教の問題です。物理の問題でも、科学の問題でもありません。STAP細胞のようにイエスさまがどのようにして復活したかを科学的に証明してみよと言われても、それは無理です。そういう話ではないからです。

こういうふうに言いましても教会の中では問題にならないと思います。しかし、信仰を持たない人たちにとっては、それならば、そういう話は我々には関係ないことであると思われるかもしれません。復活というのは、信者の心の中の出来事であって、それは現実に起こったことではないのだから我々には関係ないことなのだと。

実際にそのように考えた人たちは大勢います。それは、今の人たちは疑り深いから疑う人が多いが、昔はそうではなかったというような話ではありません。二千年前の聖書の登場人物たちの中にも信じられなかった人は大勢いたのです。弟子たちも例外ではありません。

イエスさまの復活の話を聞いても信じなかった人たちは、それではその人たちは復活のことを話す人たちの言葉をどのように聞いたのかといえば結局そういうことです。それは信者の心の中の出来事なのであって、現実に起こったことではない。いちばんストレートに言えば、単なる気休めであると考えたのです。

しかし、問題はそれでいいかどうかです。信仰は気休めだ、宗教は気休めだ。現実にはないことを、ただの気休めとして思い込んでいるだけだ。そのように考えたい人たちの気持ちも私には分かります。私も現代人の一人です。中学でも、高校でも、徹底的な無神論教育、科学教育を受けた人間です。

宗教は気休めだ。死者が復活することなどありえない。イエス・キリストの復活は現実には起こらなかった。そのようなうそを教会は二千年も教え続けてきた。そのように言いたい人たちが大勢いることを私はよく分かっているつもりです。そして、ある意味で理解できるところもあります。

しかし、そういう見方を私は受け入れることができません。教会はうそをついていません。イエス・キリストが復活したということが聖書に書かれています。だからこそ教会は復活を、聖書に基づいて信じています。そしてそれは、逆に言えば、もし聖書に書かれていなければ、教会はそれを信じることの必然性もないということでもあります。

しかし、教会はそのことを信じます。イエスさまの復活を信じます。なぜなら、ちょっと不謹慎な言い方かもしれませんが、そのほうが面白いからです。死んだ人が生き返るという話のほうが楽しいからです。それを信じることによってわたしたちは希望をもつことができます。

人が死んだらすべて終わりでしょうか。わたしたちも死ぬのです。私も死にます。それで終わりでしょうか。わたしたちはもうすぐ終わるのでしょうか。それで何もかもパーでしょうか。そんなふうに考えることが楽しいでしょうか。思い残すことはない。やりたいことはすべてやった。あとは死ぬのを待つばかり。ああ、死んだらすべて終わる。さようなら。そんなふうに考えることは、楽しいでしょうか。嫌ではないでしょうか。死んだ人が復活する。まだ生き返る。永遠に生きている。そのように考えることができるならそのほうが楽しくないでしょうか。

もちろん、それは人それぞれかもしれません。しかし、教会は、そこでずいぶん楽観的なのです。面白くて楽しいほうの考え方をします。死んだらすべてが終わりなどというような陰鬱な考え方を、教会はしないのです。

いわばそれだけです。イエスさまがどのように復活されたのかとか、具体的な詳細なことについては、よく分かりません。聖書に書いてあるとおりではありますが、聖書に書いてあることしか分かりません。

人生について、命について、面白くて楽しいほうの考え方をしているだけです。死んだ人が復活する。そのようなことがもし本当に起こるならば素晴らしいことだと思っているだけです。そのようなことが、二千年前に起こった。イエスさまが復活した。そのことが聖書に書いてある。それを信じて生きていきましょう。教会が考えていることは、いわばそれだけです。

毎年のイースター礼拝には召天者のご遺族をご招待しております。わたしたち教会の死生観はいま申し上げたようなものです。非常に楽観的なものです。召天者の皆さまもまたイエスさまと同じように復活することを、わたしたちは信じています。

実は亡くなっておられないという話ではありません。わたしたちの目の前におられたあの方は、たしかに亡くなられました。しかし、その日で終わりではない。復活する。そのようにわたしたちは信じています。

そして、わたしたち自身も、です。わたしたちも復活します。私も復活します。もう結構だよと、言わないでください。もう早く終わらせてくださいよ。早く死なせてください。復活などさせないでください。そのように言いたい方がおられるかもしれませんし、その気持ちも私には分かります。

しかし、それは駄目です。わたしたちは死ぬことによって逃げ切ることはできません。生きている間にしなければならないことがあります。死んでも、復活させられて、後始末することが求められることがあります。自分が犯した罪の処理です。逃げても無駄です。神さまが追いかけて来て、わたしたちに最後まで責任をとらせます。そういうものだと思ってください。

イースターはおめでたい日であると言いながら、最後はだんだん恐ろしい話になってしまいました。しかし、復活はわたしたちにとって恐ろしい話ではなく、喜びと希望の根拠です。召天者のご遺族の皆さまの上に深い慰めがありますように、心からお祈りいたします。

(2015年4月5日、松戸小金原教会イースター召天者記念礼拝)