牧師の仕事に関しては、もう一つ、一刻も早く払拭されることを願ってきた、とんでもない誤解があります。その誤解とは「牧師を雇う」という表現です。
牧師たちはだれからも、あるいはどこからも「雇われて」いません。牧師は教会によって「招聘」されます。しかし、牧師と教会の関係は「雇用契約」に基づくものではありません。少なくとも改革派教会の考え方においてはそうです。また日本の宗教法人法の規定においてもそうです。
牧師たちは「雇用」されていませんので、「失業」という言葉も当てはまりません。事実、雇用保険に加入することができませんので、失業手当はありません。これは、私が日本基督教団の教師を退任し、日本キリスト改革派教会に加入した際に体験したことですから、明言できることです。
宗教法人法の規定において牧師は「宗教法人代表役員」です。法の理念において「法人の代表役員」とは、強いて言えば「雇用する側」の代表者です。「雇用する人」が「雇用される」ことはありえません。また「牧師を雇用する」という観念そのものを教会は持つべきではありません。教会は会社とは根本的に性質が異なるからです。
「牧師は仕事をしていない」という先述の誤解は、「会社勤務」や「賃金労働」のみを「仕事」と称することを許してきた時代遅れの判断に依拠するものと思われます。たとえば、会社勤務や賃金労働をしていない主夫ないし主婦に「無職」という失礼な呼称を強いてきた前時代的思想は一刻も早く葬り去られるべきです。「お前は誰の稼ぎのおかげで食っていると思っているのか」などの暴言は今や犯罪以外の何ものでもありません。主夫ないし主婦は、他方の配偶者に「雇用」されているわけではありません。
同様に、牧師たちもまた、「お前は誰の稼ぎのおかげで食っていると思っているのか」などという暴言に苛まれなければならない存在ではありません。