2008年1月31日木曜日

教派の「教」は教義学の「教」(1/3)

今日の午前中は松戸小金原教会の水曜礼拝でした。マルコによる福音書10・32~52を学び、全員で祈りました。出席者14名。さて。「私という人間はどうやらホーリネスというようなものではありえないようだ」。私がかつて確かに語ったこの発言は、私に限っては、ホーリネスの人々やその信仰への《批判》として語ったものではありません。発言した当時もそうでしたし、今はますますそうです。《違和感》という言葉も勢いが強すぎて全く当てはまりません。まして軽視ないし軽蔑などの意図は全くありません。どういうふうに表現したらよいか迷います。表現しにくいものを無理やり表現しようとすると墓穴を掘ると言うのか馬脚を現すと言うのか、要するにろくなことはなさそうで嫌なのですが、それでもこの場面では何か書き留めておきたい気持ちです。いちばん近いかもしれないのは・・・(やはり難しい)・・・強いて言えば・・・(う~ん)・・・「恋愛的な」(?)あるいは「結婚したいと思う」(?)感情を相手に抱きうるか否かという話に近い(違うかな)、そんな感じです。私には妻がいますが、「一人の女性に妻になっていただくこと」(「なっていただく」というこの響きを重んじたい)や「妻を愛すること」が妻以外のすべての女性を「批判」することを意味するか。そのような意味になるわけがありません。教派の問題、エキュメニズムの問題についても私は基本的に同じような感覚を(「感覚を」です)持っています。現在私は日本キリスト改革派教会の教師ですが、他のすべての教派を《批判》ないし《否定》した結果としてここにいるという事情ではありません。「そうではない」ということを、どこでもかしこでも声を大にして言いたいと願っています。私がかつてそこに属するメンバーであり、また教師としても仕えた日本基督教団は、こと最近「我々は教派ではない」という点を、中心的な人々がまさに声を大にして一生懸命語ってくださいますので、私の言葉にはなんら矛盾がないことを証明していただいている次第です。私自身は「教派であること」を選択しただけです。「教派であること」をローラーで強引に押しつぶそうとする危険な圧力を感じたので、「教派であり続けることができる場所」へとそっと移動しただけです。そしてそれは、とりもなおさず改革派教会の信仰告白の内容(特定の一信条文書ということとはいくらか違う意味です)を「愛する」ことを願った結果です。そして牧師である者として、すなわち教会教育の全般に責任を負う者として、「改革派教義学」(dogmatica reformata)の発展と普及にも寄与しうる者になりたいと願った結果です。とにかく付き合い始めてみて、先に行ってうまく行かないことが分かったら、その時点で別れればいい、離婚すればいい、やめればいいとは全く思いません。そのような「あなた任せ」の人生を、「教会の学としての教義学」(Dogmatik als Wissenschaft der Kirche)に関するかぎり、私は思い描くことすらできません。もし改革派教会の教義内容に間違いがあるならば(もちろん我々は間違いうる存在です)、その内容を徹底的に修正し、改善していく責任が、この私にもある。そのように考えています。(つづく)