2022年7月31日日曜日

待ちわびていた父(2022年7月31日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 460番 やさしき道しるべの(1、4節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「待ちわびていた父」

ルカによる福音書15章11~24節

秋場治憲伝道師

「しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。』」

今日のテキストは有名な箇所です。一般的には「放蕩息子の譬え」として知られています。とても易しいお話で、良きサマリア人の譬えと共に教会学校のテキストにもよく使われます。知らない人はいない、と言っても過言ではないでしょう。

しかしこの譬えに向き合うと、色々と考えさせられる難しい点も出てきます。第一はどこで切るかという問題。24節で切る人もいれば、最後まで一つのまとまりとして捉える人もいます。前半と後半、力点はどちらにあるのか。第二は弟と兄をどう考え、どう評価したらいいのか。第三はこの譬えは「放蕩息子の譬え」と呼ばれているが、主人公は誰なのか。この弟か兄か、それとも走り寄ってきた父親なのか。今回はこの前半、次回は後半、そしてその次は、この二人の後日談に焦点を当ててみたいと思っています。そんなことを念頭に置いて、テキストに入ってみたいと思います。

 12節には、ある人に二人の息子がいた。弟の方が「お父さん、私が頂くことになっている財産の分け前をください」と言った。申命記[1]には財産分与の規定があります。それによると古代イスラエルでは長子相続性を採用していたようです。長男は他の男子の二倍を受け取ることになっています。従ってこの弟は、父親の財産の三分の一を要求しているわけです。弟はその財産を分けてもらって、独立した生活を営もうとしているのです。現代においてもよく見られることです。身に覚えのある方もおられるかもしれない。「自分の可能性を試してみたい」とか「自分探しの旅に出る」とか、わずらわしい親の干渉を逃れて、自由に生きてみたいと夢ふくらませるのは、昔も今も変わらないようです。

13節を見ると、父親はその弟に財産を与えています。しかし当時の慣習としては、親が存命中の財産分与というのは極めてまれだったようです。子は相続権のみで実際にその財産を手にするのは、親の死後だったようです。人生経験の豊かな父親は、この弟に「今少し時期を待て」とか、「思いとどまった方がよい」とか、色々アドバイスをしたと思われますが、しかし、もし、うまくいかない時は、壁に突き当たって苦しんでみるのもよい、という思いを胸に、その分け前を渡したと思われます。

 「それでも、お父さん」と横から口を出すお袋さんを制して、「まあ、私に任せなさい」と言ったような情景も想像されます。主イエスの譬えというのは、いつも簡潔で、必要以上の人物は出てきません。今日の譬えも弟が家を出ていくという一大事であるにも関わらず、母親の姿は見当たりません。

 すると幾日もしないうちにこの息子は、すべてを金にかえて遠い国へと旅立った[2]、というのです。父親の心境はいかばかりか、察するに余りあります。受け取った財産の中には、羊や山羊、土地のほか、家族の思い出の品などもあったと思われますが、彼はこれらすべてを金に換えてしまったというのです。あたかも彼が信頼できるものは、金だけだと思っているかのようです。また金銭以外のものの価値に気づくには、彼は余りに若く、また自信に満ちており、前途洋々の未来が彼を包み込んでいました。家族の絆、愛などというものは自分の将来、可能性の妨げになる束縛でしかなかったのでしょう。

 そして遠い国に旅立った。言葉をかえれば、父親の目の届かない所、干渉されない所、自由の新天地を目指したのです。神は人間をプログラミングされたロボットのように支配しようとするのではなく、一人の自由な者として神に相対することを望んでいます。この自由はこの息子に見られるように、父の家からの自由という可能性も内に含んでいます。

 この息子ははじめから放蕩するつもりで、家を出たわけではありません。しかし事志しと違って、身を持ち崩すことになってしまった。多感な若者にとってこの世は誘惑が多く、悪賢い連中が手ぐすね引いて待ち構えていました。彼は持ち金をすべて使い果たしてしまった。これに加えて彼のいた地方に、飢饉が襲った。彼は背に腹は代えられず、やむなく豚飼いになった。この動物はユダヤ教では汚れたもの[3]であり、これを飼うことは、極めて屈辱的なものだったはずです。しかし日々の食事にも窮し、豚の餌であるいなご豆[4]を食べてでも飢えをしのごうとした。この時、彼は自分が豚以下の惨めな存在になってしまっていることに気づかされたのではないだろうか。

 ここで彼は「我にかえり」(新共同訳)父のところに帰っていくのですが、「我にかえり」という言葉は、ややもすると「悔い改めた」と理解されることがあります。原語は「自分自身に帰った[5]」という言葉であり、その意味で新共同訳の「我にかえり[6]」という訳は、原意を反映していると思います。もしこの言葉を我らが悔い改め、そのことが神を動かすと捉えるなら、聖書理解はあらぬ方向へと向かうことになります。私たちの悟りや善き行いが神を呼び起こし、神を動かすのではありません。「悔い改める」というのは、神の光に、慈しみに覆われて初めて為されることであり、私たちの中に起こった神の働きの結果なのです。この「悔い改め」を人間の発明品みたいに考えて、これをもとにして自分の救いに関して、神様と取引をする材料にするというのではないのです。この譬えは「父の愛のたとえ」であって、放蕩息子の自力更生の物語ではないのです。この段階では、この息子は果たしてお父さんが自分を赦してくれるかどうか、不安がいっぱいなのです。しかし、もう他に選択肢はないのです。彼は考えつく限りの謝罪の言葉を用意して、不安を胸に父のもとに向かうのです。

 しかし父親は、この息子がまだ遥かかなたにいたのに、その姿を見つけ脱兎のごとく駆け出したのです。遥かかなたの息子を見つけ駆け出した父親の姿は、終日家の外に立って息子の帰りを待ちわびていた、ことを示しています。以前にも触れたと思いますが、<神が走った>というのは、全聖書を通じてここだけです。オリエントの人々の世界では、年配者が走るということは極めて例外的なことでした。年配者は走ることによって、その威厳を失うのです。それでもこの父親はなりふり構わず、遠くの息子を目指して走りはじめるのです。これが今日のテキストのテーマです。我らはこの神のもとに、生かされるのです。

私たちの方から神の国に橋をかけることはできません。中世ヨーロッパのお城を思い起こして下さい。跳ね橋というものがあり、城の中からこの橋が降ろされるのでなければ、城の中に入ることができません。この橋が降ろされ私たちを迎えるための使者が遣わされた。その方の誕生を祝うのがクリスマスです。神は私たちを迎える為の使者として、主イエス・キリストを遣わされたのです。

復活後の主イエスが実になりふり構わず弟子たちに向かったように、今この父親はなりふり構わず、息子に向かっています。その父親の姿は息子不在の期間が父親にとってどれほど苦しい時間だったことか、どれほど待ちわびていた日々であったかを物語っています。寝ても覚めても心に思い起こすことは、この息子のことばかり。どんな姿であっても生きて帰ってきてくれさえすれば、一日千秋の思いで待っていたのです。次の言葉が、父親のその思いを伝えています。

24節「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見

つかったからだ」

32節「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたの

に見つかったのだ。」

99匹を傍らにおいて、一匹の子羊を探し出した時の羊飼いの喜びです。これがこのたとえのテーマです。100匹の羊のたとえでは、いなくなった羊をどこまでも探し歩く羊飼いの姿が浮き彫りにされています。その次のなくした銀貨のたとえも、見つかるまで探す姿が描き出されています。いずれのたとえともその締めくくりは、見つかった時には大きな喜び[7]が天にある、というものでした。今日のテキストはその大きな喜びとは、どれくらい大きな喜びなのか、ということを私たちに伝えています。父親は躍り上がって喜んだのです。

走り寄った父は、息子の首を抱き接吻した。家の庭に足を踏み入れる資格もない者が、雇人の一人同様の扱いを受ける資格さえない者が、父が走って迎えに来た。更に、あろうことか、首を抱いて接吻し息子として、破格の恵みを以って迎えられたのです。息子は用意してきた謝罪の言葉を語り始めます。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」しかしここで父親は矢継ぎ早に<三つの指令>を出しています。そんなことはお前が帰って来たということに比べれば、どうでもいいことだと言わんばかりです。父は息子に「雇人の一人にしてください」という言葉を語らせなかった、ということもできるでしょう。ここに出てくる三つの指令はとても大切なものです。一つ一つしっかりと受け止め、味わうべきことです。

最初の指令は、「急いで最上の着物を持ってきて、この子に着せなさい」というものでした。最初に私が注目したのは「急いで」という言葉です。口語訳では「早く」と訳されています。父親は豚の匂いのしみ込んだぼろ雑巾のような服を着た息子を、見ていられなかったのでしょう。父親は自分のはやる心を、抑えることができない様子が伝わってきます。父はこの息子の帰りを待ちわびていたのです。我らは主の再び来たりたもうことを待ち望んでいますが、神も私たちを待っておられるというのです。待って、待って、今か、今かと毎日外に立って待ちわびていた様子が、伝わってきます。

私たちは次の言葉をよく知っています。「狭き門より入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門は何と狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。[8]」確かにこの道は一人しか通ることは出来ず、愛し合う夫婦も、恋人も一緒に手に手を取って通ることは出来ません。一人分の幅しかないのです。

私たちは一人の例外もなく、いつの日かこの人生の終わりの日を迎えます。この死の向こうには何一つ持参することが出来ません。わずかばかり蓄えた財産も、大したことのない地位も、築き上げた名誉も業績も、夜を徹して学んだ知識さえも、何一つ持参することが出来ません。しかし、同時にこの道は放蕩息子を迎えた父親が、資格なき者を息子として迎えた父親が、私たちを待ちわびている道でもあるというのです。私たちが病院のベットで、一人悲しみの涙が枕を濡らす時にも、最後の道行きの時にも、この父に迎えられる希望を持つことがゆるされている。この幸いをかみしめたいものです。狭き門に通じる道は、慈愛に満ちた父の慰めと励ましに満たされた道だからこそ、狭き道なのです。

この着物は名誉と品格を表すもの。ボロボロになった豚の匂いのしみ込んだぼろ雑巾のような服に換えて、最上の服が着せられた。RSVBring quickly the best robe[9] , and put it on him ; と表現しています[10]。 この服は同時に私たちの罪、咎を覆うもの。何度も言いますが、創世記3:21には、「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。」とあります。風が吹けば吹き飛んでしまう自前のいちじく葉ではなく、破れることのない皮の衣[11]が着せられたのです。この息子は父親の愛によって、その不法が、邪悪な思いが赦され、そして覆われたのです。それまでの古い自己追及に満ちていた息子は死に、父の愛によって甦らされた息子が誕生したのです。

ローマ人への手紙の中に「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。[12]」という一節があります。この一節は詩篇32編の1・2節からの引用ですが、この一節を英語で見てみましょう。私たちは長い間英語を勉強させられてきたのですから、少しはその恩恵に預かってもいいと思います。男性は詰襟を着ていた時代の自分に帰り、女性はセーラー服を着ていた頃の自分に戻って読んでみましょう。

Blessed are those whose iniquities are forgiven, and whose sins are covered.[13]

Blessed are those(祝福された者たちとは次のような人たちである)

whose iniquities(その不正・不法・邪悪な思いが) are forgiven(赦された人たち) and whose sins(そして、その罪が)are covered (覆われた人たち)

私たちの中は多くの邪悪で満ちている。もし私たちの心の中にある思いが、走馬灯のようにスクリーンに映し出されたとしたら、一分と生きていることは出来ないでしょう。詩篇32編1~2節は、この息子の幸いを次のようにうたっています。

「いかに幸いなことでしょう 

背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。

いかに幸いなことでしょう

主に咎を数えられず、心に欺きのない人は」(新共同訳)

不法が赦され、その罪が覆われた者が、祝福された者たちである。幸いなのはキリストの衣が着せられた者たち、キリストの義によって覆われた者たちであると言うのです。いちじくの葉に代表される自前の義は吹き飛ばされ、破れることのない皮の衣によって、父親の、神の真実によって覆われた者こそ、真に祝福された者たちであるというのです。この放蕩息子の他にもこの祝福に預かった人が、聖書の中に出てきます。そう言うと皆様はどんな人を思い起こされるでしょうか。その一人は他でもない、主イエスと一緒に十字架につけられた強盗です。私たちキリスト者は、自前の義を用意することが免除されているのです。この強盗はまさに手ぶらで、裸で、まさに罪人として御前に立ったのです。その身を委ねたのです。そして「あなたは今日私と一緒にパラダイスにいる。[14]」という祝福の言葉をいただいたのです。

次の指令は、「手に指輪をはめりなさい」というものです。この指輪は<印章指輪>と思われます。ベンハーが難破した船から助け出したローマの将軍の養子となり、将軍の息子として指輪が与えられます。この時の指輪が<印章指輪>だったと記憶しています。創世記にもその例があります。エジプトのファラオがヨセフにその全権を預けた証として<印章指輪>を与えています[15]。読んでみてください。この指輪の意味が分かると思います。ここでは<これはわが息子なり>と内外に示し、宣言しているのです。

 最後の指令は履物。僕(しもべ)は裸足です。彼はもはや僕ではなく、子である。自由人として、対等な者として扱われているのです。この意義はとても大きいのです。簡単に読み飛ばしてしまっては、福音の核心を見落とすことになります。自由な者として、対等なものとして、父の心を知るものとしての印であるというのです。「もはや、私はあなた方を僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。私はあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。[16]

私はここでルターの言葉を思い出した。「我らを同時に罪人、また罪なき者と見なしたもう神の憐れみは驚くべきもの、いとも甘きものである。罪は残存していると同時に残存していないのである。[17]」私たちは確かに罪にまみれた者、不信仰な者、邪な思いに満ちている者ですが、その罪が覆われ、邪な思い、行いが赦された者であるというのです。神が私たちの不法や邪な思いそして罪を赦す時、私たちは心の底から悔い改めさせられるのです。神は我らをこのように取り扱いたもうのです。祝福し、励ましたもうのです。キリスト者は自分の義を持つことから、自由にされている者、解放されている者なのです。私たちの義は、首を抱いて接吻してくださる方が着せて下さるのです。私たちが自前の義を自力でまとう必要はないのです。だから恐れず、新しいサンダルが履かされたのだから、自分の足で歩き始めようではないか、自分の人生を切り開いていこうではないか、というのです。

 私たちが「信じる」という時、確かに私たちが信じる信仰です。I believe なのです。私たち人間の信仰なのです。しかしこの私ほど頼りにならないものはないということは、私たちがよく知っている事です。「私」が主語の信仰ではどこまで行っても、「救いの確かさ」には到達できないのです。

ガラテヤ書4:9に「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、・・・」という一節があります。北森嘉蔵先生はその著聖書百話の17で以下のように述べています。「聖書はまず、人間が『神を知っている』という側面を素直に認める。しかし、ただちに語をついで、『いや、むしろ知られている』と言いなおすのである。ここでは主体であったはずの人間が、かえって対象に変わるのである。逆に、対象であったはずの神が、かえって主体に変わるのである。人間が神をとらえているのでなく、神が人間をとらえているのである。信仰の確かさは『とらえている』ことの確かさではなく、『とらえられている』ことの確かさなのである。[18]

それでは使徒信条はどうかと言うと、使徒信条は I believeの後に<in>という小さな前置詞を置くことを忘れていません。このinは魔法のin I believe inJesus Christ なのです。「イエス・キリストにおいて(示された、現わされた)神を、真実を、私は信じます。」というのです。イエス・キリストにおいて示された真実とは、今日の譬えが生き生きと描写しているように、不信仰な者を、罪にまみれた者を、資格無き者を両手を広げて受け入れて下さる方を私は信じますという告白なのです。これは全面的に神の側の働きによるものであり、揺らぐことはありません。私たちが不信仰であろうと、つまずこうと、転ぼうと変わることはないのです。

従ってこのI believe inは主イエス・キリストが私たちに代わって成し遂げて下さったことを、私は信じます(受け入れます)、ということなのです。これはこの信仰によって私たちが救いにまで到達するということではなく、私たちに代わって成し遂げられた救いが私に届けられたことを信じます、感謝していただきますという意味なのです。ここには私たちの能力とか、業とか、信仰心とかによるのではなく、主イエス・キリストが成し遂げ、私たちに無償で、無代価で、ただで届けてくださった贈り物を、私は信じますという告白なのです。

 ルターはこのことに関してローマ人への手紙の講解のはじめに「神はわれらを、われらの中にある義によってではなく、われらの外にある義と知恵によって救おうとしておられるからである[19]。そしてこの義は、われらから出たり、生まれたりするものではなく、別のところから、われらの中に入り来たるもの、この地上に生じるものではなく、天来のものなのである。したがって、まったく外的な、そして異なる義が教えられねばならない。[20]」と語っています。神様は私たちの外にある義と知恵によって私たちを救おうとしておられる、というのです。私たちがねじり鉢巻きで、眉間にしわ寄せて救いにまで登り行くというのではないのです。

私たちが失敗した時、問題に直面した時、悲しみに出会った時、私たちを支えてくれるのは、私たちの信仰心ではなく、神がイエス・キリストにおいて成し遂げて下さった事実に目をむけることなのです。私たちの中には、弱さと滅びしかないのです。そうするとこの I believe <我信ず>というのは、in Jesus Christ において成し遂げられた恩寵(恵み)を私は受け入れます、という意味であることが分かると思います。「あなた方は皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなた方は皆、キリストを着ているからです。[21]」洗礼を受けた私たちは既に、今この時、キリストの最上の着物が着せられており、キリストの永遠の生命を着せられており、神の子の証としての指輪がはめられており、自由人の証としてサンダルがはかされ、積極的に自分の人生を歩む者とされているのです。だから、もはや死もよみも、何も恐れるものは残っていないという告白をしているのです。

 私たちは主イエス・キリストが私たちに代わって、罪の呪いを十字架の上で受け、私たちに代わってその刑罰を受け、よみにまで降られた。この方を神はご自身の右に座すものとされた。このイエス・キリストに結ばれている者は、主イエスと共に神のもとにまで引き上げられるというのです。これが私たちの「救いの確かさ」です。すべては主イエス・キリストが成し遂げてくださったのです。イエス・キリストにおいて示された無条件で、無代価で与えられている恵みを、私は受け入れ、信じますという信仰告白をしているのです。

 この告白をする者たちは、律法の下で強制されて<いやいやながら>従う者から、<いそいそとして><感謝と喜びに満たされて>従う者に変えられていくのです。外から束縛されてではなく、周りの目を気にしてではなく、自由で晴れやかな心で積極的に従う者にされていくのです。

 最後にもう一箇所ヨハネ黙示録の言葉を紹介して終わります。「すると、長老の一人が私に問いかけた。『この白い着物を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。』そこで、私が、私の主よ、それはあなたの方がご存じですと答えると、長老はまた、私に言った『彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を子羊の血で洗って白くしたのである。』[22]


[1] 申命記21:17

[2] 新共同訳「弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、」となっています。「とりまとめて」という言葉には、「換金して」という意味もあります。

[3] 1マカバイ記1:47、50 2マカバイ記6:18、7:1以下参照

[4] いなご豆はパレスチナ、シリア、エジプトに自生しているマメ科の植物で、さやの中の豆が熟すと甘くなって、家畜の飼料として用いられた。さやがイナゴに似ているところから、この名で呼ばれるようになった。

[5] (RSV)But when he came to himself  (ルカ15:17)              

[6] 口語訳は「本心に立ちかえり」と訳しています。

[7] ルカによる福音書15:7、 15:10

[8] マタイによる福音書7:13~14

[9] Robe 長くゆるやかな外衣、ローブ put on 着せる

[10] 22 “But the father said to his servants, ‘Quick! Bring the best robe and put it on him. Put a ring on his finger and sandals on his feet.New International Version

[11] 新約の光の中で旧約聖書」を読む者は、この衣が我らの罪を贖う主イエス・キリストを意味していることは、容易に察せられます。

[12] ローマ人への手紙4:7、詩篇32:1,2

[13] RSVより

[14] ルカによる福音書23:43 “truly I say to you , today you will be with me in Paradise. “(RSV)

[15] 創世記41:42

[16] ヨハネによる福音書15:15

[17] 世界の名著「ルター」P.422上段Mirabilis(驚くべきお方である) Deus(神は) in sanctis suis(その聖徒たちにおいて) , cui(この神に対して) simul(同時に) sunt(彼らは~である) iusti(義なる者であり) et iniusti(また不義なる者である)

[18] 「聖書百話」北森嘉造著P.44 筑摩書房 猿式の信仰と猫式の信仰を思い出さて下さい。

[19] Deus(神は) enim(つまり) nos(私たちを) non per domesticam(私たちの中にある) sed per extraneam(私たちのそとにある) iustitiam(義) et sapientiam(と知恵によって) vult salvare (救うことを望んでおられるからである)

 

[20] 世界の名著P,409上段 中央公論社

[21] ガラテヤの信徒への手紙3:26~27 ローマ人への手紙6:3、4

[22] ヨハネ黙示録7:13(9~17 白い衣を着た大群衆全体をお読みください)

(2022年7月31日 聖日礼拝)

2022年7月24日日曜日

見えるようになる(2022年7月24日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 402番 いともとうとき(1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「見えるようになる」

マルコによる福音書8章22~26節

関口 康

「イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何か見えるか』とお尋ねになった。」

今日の箇所のイエスさまは「ベトサイダ」(22節)におられます。地図によると、ベトサイダはガリラヤ湖の北端です。

パレスティナとは、北にガリラヤ湖、南に死海、両者をつなぐヨルダン川、そして西に地中海があるあたりを指します。イエスさまがお生まれになったベツレヘムは死海、そしてエルサレムに近い南側にあります。しかし、イエスさまが幼少期に過ごされたナザレや、イエスさまが宣教活動を開始されたカファルナウムは北のガリラヤ湖の近くです。

「都会か田舎か」という大雑把なくくりで言えば、エルサレムを中心とする南側は「都会」で、ガリラヤ湖側は「田舎」です。このようなことからいえば、イエスさまは、田舎育ちの人で、田舎伝道をなさった方だと、そのように説明することもできなくはありません。

そして、今日の箇所の出来事も「ベトサイダ」でのことだと書かれていますので、イエスさまの宣教活動の本拠地に近いあたりでの出来事であることが分かります。書かれていることによると、イエスさまと弟子たちがベトサイダに到着されたとき、人々がひとりの盲人を連れてきて、イエスさまに触れていただきたいと願いました。

「盲人」とは、目が不自由な人のことだと説明する以外にありません。それ以上のことは今日の箇所からは分かりません。生まれつき何も見ることができなかった人なのか、人生の途中までは見えていたけれども、だんだん見えなくなったのか。だんだん視力を失ったという場合、何らかの事故や病気で突然視力を失ったのか、それとも高齢になってきて自然に視力が衰えていったのか。そもそも全く見えないのか、少しは見えるのか。光を認識することができたのか、できなかったのか。そのようなことが分かるデータは提供されていません。

ここに書かれているのは、ただ「一人の盲人」ということだけです。このベトサイダでの出来事は、他の3つの福音書には出てきません。マルコによる福音書だけが記していることですので、他と比較することができません。そのことはつまり、この人の目のイエスさまに出会う前までの状態がどのようなものだったか、どの程度見えなかったかについて想像力を膨らませて考えることは可能であるということになります。

そうすることは今日のテキストによって禁じられてもいません。「一人の盲人」と書かれているだけですので、ふたり以上ではなかったことと、とにかく「盲人」と呼びうる程度の目の障がいを持つ人だったということだけが分かります。言葉が多い、説明が詳しいというのは、人間ならだれでもする、自分の想像力を勝手にどんどん膨らませていくことを禁じ、「そうではなく、こうである」と想像力の範囲を限定することを事実上意味します。しかし、今日の箇所でそのことはなされていませんので、勝手な想像を膨らませることは可能だということになります。

ですから、今日の箇所をわたしたちが読む場合、何通りでも考えうる可能性の中でわたしたちにとって受け入れやすい選択肢を選ぶことができると言えます。私はそれで構わないと考えます。どの選択肢が最も受け入れやすいかは、人それぞれの違いがあるでしょう。この箇所を読む読者自身の経験や体験に引き寄せて読むことも可能ですし、大事なことでもあります。なぜ「大事」なのかといえば、この「一人の盲人」は私によく似ている、私自身かもしれないと、この人のことを身近に感じることができ、親近感を抱くことができれば、それが最もよいことだからです。

ここでいきなり私の話をさせていただきます。私の目の話です。小学生のころ、「仮性近視」という病名をつけられたことがあります。右目と左目の視力が極端に違いました。それをきっかけに私の親が考えたのは家の中からテレビを追い出すことでした。もともとテレビがあったのですが、私が観すぎのところがあったようで、それで目が悪くなったと、本当にそうなのかどうかは分かりませんが、とにかく親がテレビを撤去しました。それ以来、私が高校を卒業するまで我が家にテレビはありませんでした。

それ以後はむしろ、よく見える目になりました。「見えない」という意味が分からないと思うほどよく見えました。眼鏡をかけるようになったのは30歳からです。「一生はずせない」と言われました。実は眼鏡なしでもよく見えるのですが、乱視になりました。眼鏡を外したままで3時間も過ごせば目・肩・背中・腰が痛みはじめます。いまかけている眼鏡は乱視矯正用です。

しかし、それだけでなく、次第に老眼です。「見えない」というほどではありませんが、「よく見えない」ことが増えてきました。

私の話はこれで終わります。どこにでもある、普通の話です。私が申し上げたいのは「見える」とか「見えない」というのは、実に多種多様な可能性があるということです。「目の前にあるのに見えていない」ものは、わたしたちにはいくらでもあります。その時々の主観的な興味や関心との関係で見えたり見えなかったりするのも、わたしたちの目です。聖書を開いても関心がなければ、ただの字の羅列です。

今日の箇所の「盲人」の目がどのような症状だったかは分かりません。比較的受け入れやすいと私に思えるのは、もともとはよく見える目の持ち主だったが、中途で失明された可能性です。失明といっても、全く光を認識できないほどではないし、もしかしたらある程度の何かは見える。ものの動きも分かる。もともと見えていたので、今ははっきり見えなくても想像力を働かせることができる。そういう「盲人」だったのではないかということです。その可能性を排除しなければならないデータがありません。

イエスさまはその人の目を見えるようにしてくださいました。何をなさったかは、この箇所に書かれているとおりです。「イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何が見えるか』とお尋ねになった」(23節)というのです。ひとつの言い方をすれば、手をつないで一緒に散歩なさったということです。「唾をつける」のは汚いとか、効き目があるのかとか思われるかもしれませんが、キスの一種だと考えてよいはずです。

つまり、イエスさまがなさったことをわたしたちに理解しやすい言葉で言い換えれば、一緒に散歩してくださる友達になってくださり、キスするほど愛してくださったというのに最も近いと、私には思えます。このように理解する可能性を排除する根拠はありません。

この人は視力を失って以来、寂しい毎日を過ごしていたのではないでしょうか。心がふさぎ、周囲で起こる出来事への関心を失い、喜びも感動も失って、孤立していたのではないでしょうか。

その人が最も求めていたものを、イエスさまがくださいました。それは愛と友情です。それが与えられたとき、周囲の人と世界に対する関心が呼び戻され、「見えるようになった」のです。

(2022年7月24日 聖日礼拝)

2022年7月17日日曜日

奇跡の意味(2022年7月17日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


輝く日を仰ぐとき 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

「奇跡の意味」

マルコによる福音書8章14~21節

関口 康

「イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない」(12節)

こんなことは言い訳にならないのですが、昨日が私が今年度非常勤講師をしている高校の期末試験の採点結果を学校に報告する日だった関係で、特に金曜夜から土曜朝まで徹夜で高校2年生250人の答案の採点をして、昨日の早朝から夕方まで学校にいましたので、教会に戻ったらすぐに寝込んでしまい、気が付くと午前4時でした。他のことがいろいろおろそかになっていることを心からお詫びいたします。今週から夏休みです。

いま所属している学校は、中高全体で1200人の生徒がいます。私は1990年4月に24歳で日本キリスト教団の補教師になり、2016年4月に千葉県のキリスト教主義学校の常勤講師になるまでの26年間はもっぱら教会の牧師の仕事をしていましたので、言い方はまずいかもしれませんが、常に少人数の団体(教会)の中にいました。

よく言えば少数精鋭かもしれませんが、悪く言う必要はないかもしれませんが、甘えがあったというか、なんでも「なあなあ」で済む狭い世界に閉じこもっていたとしか言いようがない面がありました。そういう人間が大きな団体(学校)にも所属するようになりました。いまだに慣れないところと、早く慣れなければならないところとあるのを自覚させられています。学校で働くようになって今年で7年目です。

今日の聖書の箇所には、マルコによる福音書の8章1節から始まる一連の出来事を背景としてイエスさまがお語りになった言葉が記されています。

その出来事は、マルコによる福音書では2か所、よく似た内容の記事がありますが、共通するのはイエスさまのもとに集まった群衆にイエスさまご自身が食事をお配りになった点です。1度目は6章30節以下で、5千人の群衆に5つのパンと2匹の魚をお配りになって群衆みんなが満足した、というものです。そして、今日の箇所は8章ですが、4千人の群衆に7つのパンをお配りになってみんなが満足した、というものです。

「そんなことが起こるはずはない、うそに決まっている、全く信じられない」と反応する方がおられるのは当然です。ありえないことが起こることが「奇跡」です。予測可能なことや、物理的にありうることが事実として発生することを「奇跡」と呼びません。その意味ではわたしたちはこの出来事が「どのようにして」(how)起こったのかを考える必要はありません。種も仕掛けもあるマジック(手品)をイエスさまがなさったわけではないからです。

そのことより大事なことがあります。5千人の群衆に対するときと4千人の群衆に対するときとで共通する要素があることに気づかされます。ひとことで言えば、イエスさまはご自身のもとに集まった群衆のひとりひとりを心から愛しておられた、ということです。

5千人のときに次のように記されています。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」(6章34節)。

そして4千人に対するイエスさまの言葉はこうです。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れ切ってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる」(8章2~3節)。

奇跡を信じられない方がおられるのは大きな問題ではないと思います。私自身にとっても他人事ではありません。しかし、イエスさまのお気持ちがどうだったかについて記されている、いま読んだ2か所の言葉については、ぜひ信じようではありませんか、と強く訴えたいです。

イエスさまは群衆のひとりひとりを愛しておられました。5千人、4千人と、ひとくくりにして、まるで飛行機の上から豆粒のように見える人を見るようにではなく、ひとりひとりを大切な存在として愛しておられました。その全員をなんとかして元気づけたいというイエスさまの願いが、奇跡を引き起こしたのです。そのことが大事です。

最初に私の学校の話をさせていただいたのは、自慢話や愚痴を言いたかったのではありません。いま申し上げている4千人、5千人という規模の人々が集まって聖書を学ぶ場がどのようなものかを想像するときのヒントを、私個人は学校で得ていると申し上げたいのです。

今はコロナで取りやめになっていますが、キリスト教主義学校の基本は毎朝の学校礼拝で全校生徒が一堂に会することから一日を始めることです。学校によって施設規模の違いがあり、全員が集まることができない場合もありますが、形式はともかく「千人礼拝」を毎日行っているのは、日本ではキリスト教主義の学校だけだと思います。教会でその真似はできません。

みなさんにもご経験がきっとおありでしょうから、私の自慢話をしているのではありません。学校礼拝のような場所で説教壇から見るとみんなの顔がよく見えます。居眠りしているのもすぐ分かるし、おしゃべりは論外ですが、機嫌が悪そうだとか、興味を持って話を聞いてくださっていそうだとか、ひとりひとりの気持ちや感情が、意外なほど分かります。

昨日学校で廊下ですれ違った2人の高校3年生に「ぼくらの名前を覚えていますか」とテストされました。昨年度1年間教えた生徒たちです。2人の名前をちゃんと言えたら、すごく驚かれ、喜んでくれました。全員の名前を言える自信はありません。しかし、私がもっと若ければ、全員の名前を覚えたい気持ちです。寄る年波には勝てません。

今日の箇所でイエスさまが弟子たちに「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」(15節)と戒められていることの意味は何でしょうか。弟子たちは、自分たちがパンを持って来るのを忘れたことをイエスさまから叱られているのだろうと思い込んでそういう議論をしたようですが、イエスさまがおっしゃったことはそういうこととは全く違います。

ひとつの解説書によると、「ヘロデのパン種」と言われているのはサドカイ派のことではないかということですが、本質的な違いはないと言われています。「どちらにも同じ欠陥がある。つまり、人間が自己を誇り、自己を神の上にさえ押し上げ、自分の邪悪な性情を敬虔さの装いで飾る」点でファリサイ派もサドカイ派も共通していると言われています(シュラッター『新約聖書講解2 マルコによる福音書』新教出版社、1977年、87頁)。

言い方を換えれば、自己愛ばかりが強く、自己実現の欲求ばかりが強く、他人に対する関心が足りず、愛が欠けているということになるでしょう。

「奇跡」がどのように(how)起こったかの仕組みを知る必要はありません。レシピがあれば誰でも同じことを再現できるので「奇跡」でもなんでもなくなります。今日の箇所の最後の「数字合わせ」の意味も分かりません。「12」や「7」は聖書において特別な意味があると言われますが、どうでもいいことです。大切なことは、そこに「愛」があるかどうかです。

(2022年7月17日 聖日礼拝)

2022年7月10日日曜日

喜びと聖霊(2022年7月10日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌532 ひとたびはしにしみも
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「喜びと聖霊」

使徒言行録13章41~52節

関口 康

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(ガラテヤの信徒への手紙5章22~23節)

今日も先週の礼拝に続いて、使徒言行録を開いています。今日の箇所も日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。使徒言行録が続いているのは、わたしたちが今、教会暦で言うところの聖霊降臨節を過ごしている関係で、教団の聖書日課で選ばれる聖書箇所が「聖霊とは何か」「聖霊の働きとは何か」「聖霊降臨後の教会の歩みはどのようなものか」といった問いに答えを与えるものになっているからであると申し上げることができます。

それで、先週の箇所が使徒言行録の11章19節から26節でした。「アンティオキアの教会」という小見出しを新共同訳聖書がつけている箇所です。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」(11章26節)という感銘深い言葉が記されている箇所です。それが意味することは、「初代」ないし「原始」キリスト教会の出発と発展の中で特に際立つ仕方で活発な宣教がなされた教会のひとつがアンティオキア教会だった、と言ってよいでしょう。

そして、やはり特に、このアンティオキア教会と結びつく存在として使徒言行録が描いているのが、まだ「サウロ」という名前で呼ばれていたころの、後の使徒パウロです。当時のアンティオキア教会にいた宣教者バルナバがサウロをタルソスから連れ帰ったうえで、バルナバとサウロがアンティオキア教会に丸一年間一緒にいて多くの人を教えました。この使徒パウロにとって最初の宣教拠点になったのがアンティオキア教会であるという点が歴史的に重要な意味を持ちます。

そしてさらに、今日選ばれている箇所には、いまご紹介した出来事よりも少し先に進んだ出来事が描かれています。ひとことでいえば、バルナバ・サウロ両名がアンティオキア教会から派遣されて海外宣教を行うことになりました。それは、使徒パウロの生涯における宣教という観点からいえば「第一回宣教旅行」と呼ばれるものになりました。その宣教旅行に先立って派遣式が行われました。13章1節以下をご覧いただくと大変興味深いことが記されています。

「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」。

どこが興味深いかといえば、このとき一体何が起こったのかと特別な興味をかき立てられる文章として、このことを「聖霊が告げた」(?)と記されているところです。

「聖霊」がしゃべったのでしょうか。それはどういう言葉で語られたのでしょうか。何語だったのでしょうか。ヘブライ語でしょうか、ギリシア語でしょうか。どういう声または音だったのでしょうか。男声だったでしょうか、女声だったでしょうか。人間の耳に聞こえる物理的な音声だったでしょうか。それとも「心の声」のようなものだったでしょうか。などなど、いろいろ考えてしまう方がおられないでしょうか。

しかし、ここは良い意味でご安心いただきたいです。恐ろしいことが起こったわけではありません。理解する鍵は、13章1節以下の文章の中にも出てくる「預言する者」(預言者)の存在です。預言者は旧約聖書だけでなく新約聖書にも登場します。

「聖霊が告げた」というのは、預言者が「聖霊のお告げ」として語った言葉を指します。これは私が想像で言っていることではなく、根拠ある解釈です。F. F. ブルース『使徒行伝』(聖書図書刊行会、いのちのことば社、1958年)のような比較的保守的な註解書にもそのように記されています。預言者が「聖霊が告げた」と自ら信じた言葉を語り、その言葉を聴く人々が預言者の言葉を「聖霊のお告げ」だと信じたのです。そのような信仰の様式(ありかた)が昔の教会にあったという言い方が可能です。

今のわたしたちはこのような信仰を全く失ってしまったかと言えば、必ずしもそうではありません。教会のみんな、あるいは何人かで集まって行う会議、たとえば役員会や教会総会は、その本質を厳密に考えれば、使徒言行録13章1節以下の記事に記されている意味での「聖霊のお告げ」を求めるために開くものです。そういう感覚をわたしたちが全く失ってしまっているとしたら、教会は世俗的な集団と変わらないものになり果ててしまっています。

教会の会議に集まるひとりひとりの心のうちに信仰と祈りを持ち寄って相談し、「神の御心は何か」を共に見出していくのです。わたしたちが教会の会議で求める「神の御心」と、預言者が語った「聖霊のお告げ」は、本質的に同じものですし、同じでなくてはいけません。

さて、使徒パウロにとっての「第一回宣教旅行」にはバルナバが一緒にいましたので、公平を期すれば「バルナバの宣教旅行」とも言わなくてはならないはずですが、その旅行がどのようなものだったかは、使徒言行録の13章と14章に詳しく記されています。はっきり分かることは、なんらスムーズに進んでおらず、ひたすらドタバタ騒ぎの連続だったということです。偽預言者と対決したり、反対者にののしられたり、ねたまれたり、暴力を振るわれたり。しかし、信じる人もいた、増えていった、そこに未来の教会の土台ができた。

宣教(伝道)は、楽しいことばかりでも、つらいことばかりでもありません。両面あります。それはどの仕事も同じです。しかし、「聖霊」が与えてくださる「喜び」は格別です。

そして、14章の最後の段落を見ますと、バルナバとパウロの二人は再びアンティオキア教会に戻ります。自分たちを海外宣教に派遣した教会に戻って報告するためです。彼らは純粋に自分たちの遊びとしての海外旅行を楽しんでいるのではありません。会社の海外出張と同じです。旅行資金も派遣元の本部から支出されている関係にありますので、必ず本部に戻って報告しなくてはいけません。

言い方を換えれば、宣教活動には初めと終わりがあるということにもなります。終わりがなくいつまでも続けるものではありません。もちろん期間に長短はあります。1年、2年、5年、10年、20年、50年、70年。人それぞれ、教会それぞれです。しかしそれでも、ひとりの宣教者の働きはいつか必ず終わります。その働きは別の宣教者へと受け継がれていく必要があります。

しかし、そこで起こる問題は、宣教そのものと宣教者の存在とをどこまで区別できるか、ということです。たとえば、わたしたちは二千年を経ても、いまだに「使徒パウロの宣教」と言うでしょう。それは、パウロというひとりの人格と、彼が宣べ伝えた宣教内容としての福音は完全に切り離して考えることはできないととらえているからです。しかし、パウロが二千年生きているのではなく、彼の生涯は終わり、別の人が宣教を受け継いだのですが、受け継いだ人たちの名前と存在は忘れられています。

しかし、そのときこそ「聖霊」の出番です。ひとりの偉大な宣教者の名前と結びつく宣教ではなく、「聖霊なる神の宣教」が今日まで受け継がれてきたものです。名もなき無数の宣教者こそ偉大です。

(2022年7月10日 聖日礼拝)

2022年7月3日日曜日

宣教の使命(2022年7月3日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 405番 すべての人に
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

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「宣教の使命」

使徒言行録11章19~26節

関口 康

「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった。」

今日の箇所は先週の週報で予告したところから変更しました。先週突然亡くなられた教会員の葬儀を明後日行います。そういうときに読む聖書の言葉は論争的な内容でないほうがよいと考えました。気持ちの問題で変更することをお許しください。

しかし、使徒言行録であることに変わりありません。使徒言行録は、最初期のキリスト教会の宣教ないし伝道の様子を描いている書物です。しかも今日の箇所はとても躍動感があって端的に面白いです。元気が出てきます。

あらすじを申し上げます。「ステファノの事件」(19節)については、使徒言行録6章と7章に詳細が記されています。ステファノはキリスト教会最初の殉教者になった人です。イエスさまと行動を共にした12人の使徒ではありません。

聖霊降臨後のキリスト教会が成長しはじめ、信徒の数が増えてきて、それに伴って教会の中で人間関係のトラブルも増え、交通整理が必要になったので、12人の使徒を助ける人たちが必要だということになりました。

このとき使徒たちが用いた論法はたいへん興味深いものです。6章2節以下に記されています。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい」。その7人の中に選ばれたのがステファノでした。

この論法のどこが興味深いか。おそらく誤解もされやすい言葉であるということをあらかじめ申し上げます。誤解のほうを先に言うほうが分かりやすいと思います。

ありそうな誤解は、「神の言葉」と「食事の世話」を比較したうえで「神の言葉」のほうがどう考えても大切で価値があることで、それは我々のような専門家にしかできないことだけれども、「食事の世話」などという相対的に価値の低いことは、だれでもできることだから、わたしたちに押し付けないでくれと使徒たちが「食事の世話」を他人任せにしようとした、というものです。

まるで自分たちのほうが身分か何かが上で、価値の低いことは自分たちよりも身分が低い人にやらせればいい、と使徒たちが考えたかのように。

しかし、そんなふうに読むのは間違いです。もしそうなら、使徒たちは二度とごはんを食べてはいけません。このように言う私には、使徒たちをかばう気持ちがあります。はたして本当に、彼らの中に「神の言葉」と比較して「食事の世話」を下に見る思いが全く無かったかどうかは、分かりません。そうではないと信じたいだけのところがあります。

「神の言葉」を宣べ伝えるという大切な働きをすべき我々を「食事の世話」などという煩わしいことに巻き込んで邪魔しないでくれと使徒たちが考えたのではなく、その正反対だと。教会の存在理由(レゾンデートル)の中に「神の言葉」と「食事の世話」が必ず両立しなければならないと使徒たちが考えたのだと。「食事の世話」は「神の言葉」と匹敵する同等の価値を持つことだと。そのように使徒たちが考えたのであれば、これからもごはんを食べてくださいと言いたいです。

脱線が長くなりました。今申し上げた文脈の中で選ばれた7人の奉仕者のひとりがステファノだったというわけです。しかしそのステファノがキリスト教会最初の殉教者になりました。どのようにしてステファノが殺害されたかについては使徒言行録7章14節以下に記されていますのでぜひお読みください。

このステファノの事件をきっかけにして迫害が強まったため、人々が「散らされて」いました(19節)。「フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」(同上節)とあるのはエルサレムからの逃亡先ですが、「フェニキア」は都市の名前ではなく地域の名前、「キプロス」は地中海に浮かぶ島の名前、「アンティオキア」は都市の名前です。

この中で特に重要な拠点になったのが、アンティオキアです。地図で見るとエルサレムの真上(北の方角)です。エルサレムから直線距離で460キロメートル。東京から大阪までが直線距離で400キロメートル。東京から盛岡(岩手県)までが460キロメートルで、ぴったり同じです。そこまで歩いて逃げたのは大変だったと想像できます。

しかし、そのアンティオキアに当時の国際都市の様相があり、ヘブライ語を話すユダヤ人だけでなくギリシア語を話す人々にもイエス・キリストの福音を宣べ伝える交流の場が与えられて、その教会が成長したというのです。

その東京からすればだいたい大阪、あるいはぴったり盛岡の距離があるアンティオキアの教会が成長しているといううわさが、エルサレムにとどまっていた使徒たちの耳に届いたので、強力な応援団としてバルナバが派遣されることになりました。

バルナバは使徒言行録に3か所登場します(4章36~37節、9章27~30節、15章36~40節)。ユダヤ人のレビ族出身、バルナバは通称でその意味は「慰めの子」、本名はヨセフ。キプロス島で生まれる。自分が持っていた畑を売り払ったお金を使徒たちに渡した人。

今日の箇所にも「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」(24節)とありますが、自分の畑を売ったお金を教会に献金したから立派だという話ではありません。「聖霊」と「信仰」が並べて書かれていることにどのような意味があるかは、はっきり分かりません。代々の教会の信仰によれば、「聖霊」は父・子・聖霊なる三位一体の神であり、聖霊なる神が我々人間の心と体のうちに宿ってくださることによって、その人に「信仰」が与えられるという関係にあります。

しかしまた、その「信仰」は、あくまでも人間の側に属するものでなくては意味がありません。それはわたしたちが毎週の礼拝で告白する使徒信条にあるとおりです。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。我は聖霊を信ず」と、「我信ず」(I believe)を3回繰り返します。「信仰」はあくまでも「私がすること」です。神が「信じてくださる」のではありません。バルナバは熱心な信者だと語ることに問題はありません。

そのバルナバがまだ「サウロ」を名乗っていた、後の使徒パウロを、パウロの出身地タルソスまで捜しに行って、見つけてアンティオキアまで連れ帰り、コンビで1年間アンティオキア教会にとどまって、多くの人にイエス・キリストの福音を宣べ伝えました。

そして、そのアンティオキアで「弟子たち」(26節)すなわちイエス・キリストこそ真の救い主であると信じた人々が、初めて「キリスト者」(クリスティアーヌス)と呼ばれるようになったというのです。自ら名乗ったのでなく、周囲の人につけられたニックネーム(あだ名)です。それが今日まで二千年、わたしたちの呼び名になっているのですから驚きです。

アンティオキア教会を模範にしながら、わたしたちの教会のあり方を考えることが大事です。

(2022年7月3日 聖日礼拝)