2006年12月31日日曜日

信仰と希望と愛は永遠に輝く


コリントの信徒への手紙一13・1~13

今年最後の礼拝を行っています。開いていただきましたのはコリントの信徒への手紙一13章です。「愛の賛歌」と呼ばれる個所です。全体をお読みしましたが、お話しするのは13節です。

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」

コリントの信徒への手紙一も使徒パウロが書いたものです。パウロは、この手紙だけでなく、他のいくつかの手紙の中でも「信仰」と「希望」と「愛」という三つの事柄を強く結びつけて語っています。

「あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました」(コロサイの信徒への手紙1・5)。

「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望をもって忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」(テサロニケの信徒への手紙一1・3)。

これらの個所から明らかなのは、次のことです。

第一は、「信仰」と「希望」はイエス・キリストの御名と結びつけられているということです。つまり、パウロが信仰と希望と愛という三つを結びつけて語っている場合の、信仰と希望の意味は、「キリスト・イエスにおいて持っている信仰」であり、「わたしたちの主イエス・キリストに対する希望」である、ということです。

しかし、です。第二に明らかなことは、「愛」は必ずしもそうではない、ということです。先ほどの二つの引用には「キリスト・イエスにおいて持っている愛」とも、「わたしたちの主イエス・キリストに対する愛」とも書かれていません。

書かれているのは「すべての聖なる者たちに対して抱いている愛」です。神に対する愛でもキリストに対する愛でもなく、人間に対する愛です。そして「すべての聖なる者たち」とは教会です。キリスト者です。人間に対する愛、教会に対する愛、キリスト者に対する愛です。

もちろん、聖書全体の中には、またパウロの手紙の中にも、神に対する愛、キリストに対する愛を教えている個所が、たくさんあります。ですから、わたしは、「パウロは神への愛やキリストへの愛を知らなかった」とか「教えなかった」と言いたいわけでありません。

しかし、です。私が申し上げたいことは、パウロが「信仰」と「希望」と「愛」の三つをワンセットで扱っている個所に限って言えば、「信仰」と「愛」の役割が区別されているというような印象を受けるということです。このことを否定することができません。

「信仰」に関しては、キリストに対する信仰と言われている。「愛」に関しては、「すべての聖なる者たちに対して抱いている愛」と言われている。人間に対する愛、教会に対する愛、キリスト者に対する愛が教えられているのです。

そして、第三に明らかなことは、パウロが書いているとおりのことですが、考えてみるといくらか衝撃を感じるかもしれないことです。それは何か。注目していただきたいのは、コリント一13・2です。

「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」。

ここにはっきりと、「信仰(ピスティス)と、希望(エルピス)と、愛(アガペー)」とまとめて言うときと同じ「信仰」(ピスティス)という字が出てきます。しかし、パウロは「愛」(アガペー)がなければ「信仰」(ピスティス)は「無に等しい」と書いています。

愛がないような信仰には価値がないし、それが存在する意味もない、むなしいだけだ、ということです。あるいは、そもそもそれが「ホンモノの信仰」なのかどうかが疑わしいということです。「ニセモノの信仰ではないか」と疑ってみる必要があるということです。

そして、ここで、先ほど第二に申し上げた点を思い起こしていただきたいと思います。信仰と希望と愛の三つがワンセットで語られている場合に限って言えば、信仰と愛の役割が分けられているように見えるという点です。おそらくこの役割分担が「愛がなければ、信仰はむなしい」という話に結びつくのです。

はっきり言っておきます。「わたしは神さまを愛しています。信仰もあります。しかし人間を愛することはできません。神さまは好きですが、人間は大嫌いです」と語ることは許されていないということです。人間嫌いの告白は許されていないのです。事柄は逆の方向でなければなりません。人間に対する愛がないような信仰には、意味がないのです。

ただし、です。誤解がないように付け加えておきます。それは、わたしは今「信仰などなくても愛さえあればすべてよし」というようなことを申し上げているわけでもないということです。そのように語ることは、わたしたちには無理です。信仰が無くてもよいなら、教会も牧師も要りません。それはわたしたちにとっては、論外の事柄です。

信仰が必要です。これがわたしたちの大前提です。信仰も「いつまでも残る」と、パウロははっきり述べています。

しかし、です。パウロがここで述べていることは、どのように読んでも神さまに対する信仰への強調ではないということも、衝撃を受けることではありますが、事実です。

「キリストに対する信仰」と「すべての聖なる者たちに対する愛」を天秤にかけることは、わたしたちにはできないことです。恐れ多いことのように感じます。しかし、パウロはそれをしているように見えます。天秤にかけた上で「信仰」よりも「愛」のほうが重いと語っています。天秤はつりあっていません。「愛」のほうに傾いています!「信仰と、希望と、愛・・・その中で、最も大いなるものは、愛」なのですから!

このことを、わたしたちはどのように考えたらよいのでしょうか。「希望」はコロサイ1・5を読むかぎり「信仰」と「愛」を支える土台のようなものと考えてよいでしょう。問題は(キリストに対する)「信仰」と(人間、教会、キリスト者に対する)「愛」の関係です。

どちらか一方だけが必要で、もう一方は不必要であるという話には決してなりません。「あれか・これか」ではなく、「あれも・これも」です。両方が必要であり、両方が大切です。両方が「いつまでも残る」ものであり、その意味での“永遠性”をもっています。「信仰」と「愛」は、永遠に輝き続けるのです。

信仰と愛は、時間の中で消え去るとか、だれか・何かの力によって滅ぼされるものではありません。いつか・だれかに取り去られてむなしく終わるというふうには決してならない。それが「希望」です。永遠の希望です。

しかし、本当にそうなのかと、わたしたちの心の中には、いつでも疑問が沸き起こってきます。信仰も愛も、あっという間になくなるではないかと。「信じています」、「愛しています」と言っていた人が、今日は全く正反対のことを言っているというのが現実ではないかと。

そのような疑問が、わたしたちの心にはあります。あってもよいと、私は思います。真剣に疑ったらよいと思います。中途半端にではなく、徹底的に疑うほうがよい。人間の信仰の力も、人間の愛の力も、全くでたらめなものであり、一寸先は闇、行く先は袋小路です。

しかし、だからこそ、というべきです。徹底的に疑ってみること、そして実際に信仰の破れを体験し、愛の挫折と深い心の傷を負ってしまった先にこそ、見えてくるものもあるのです。それは、こうです。パウロが書いている「いつまでも残る」永遠の信仰、永遠の愛、永遠の希望は、わたしたち人間の力によるものではないということです。それは人間の可能性ではない。神御自身の可能性であり、神の恵みの可能性であるということです。

破れて傷つくべきであるとは申しません。申しませんが、じつは大切です。非常に大切です。破れて傷つかなければ分からないことが、わたしたちにはあるからです。

破れて傷ついて、その上でパウロが書いている、信仰も愛も「いつまでも残る」という言葉を読む。そこでわたしたちが気づかなければならないことは、そのような信仰も、そのような愛も、そして希望も、人間の可能性ではなく、神の可能性であるということです。人間にできないことを、神がしてくださるのです!

ここまで申し上げました。しかし、その上で、わたしは、もう一つのことを、付け加えなければならないと感じています。それは何か。

「信仰よりも愛のほうが重い」という言葉を聞きますと、わたしたちの耳にはどうしても、神さまよりも人間のほうが大事であると言われているかのように聞こえてしまう、という問題です。しかし、聖書と教会が教えていることは、人間よりも神さまを大事にしなさい、ということのようでもある。二つのことは、何となく矛盾していることかのように感じられるかもしれないのです。

しかし、あまり複雑に考えないでください。二つのことは単純に両立すると信じてください。二つの関係の仕組みはどうなっているかを説明することはものすごく難しいことですが、とにかく両者は両立するということを、単純に受け入れていただきたいと願っています。

神と人間、信仰と愛、教会と社会、日曜日とウィークデー。これらのことがわたしたちにとって「あれか・これか」であるはずがない。「あれも・これも」両方を同時に大切に持つことが重要なのです。

それでも、納得できない方もおられるでしょうから、一つの点だけ解決の道筋を申し上げておきます。それは、私がこれまでも何度となく繰り返し強調してきた点です。

考えていただきたいことは、神さまの目線は、どちらの方向を向いているのか、です。神さまは自己愛がとても強い方である。「鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界でいちばん美しいのはだあれ」と言いながら、いつも自分の美しい姿を鏡に映して、うっとりしているような方である、ということなのか。

それとも、神さまは、御自身の姿などには、じつは全く関心がないお方ではないのか。御自身が創造されたこの世界とわたしたち人間の姿ばかりのほうに関心をお持ちになっている方ではないのか。

神さまは、わたしたち人間とこの世界のほうにばかり関心をもっておられ、いつも心配しておられる。わたしたちの身に何か起これば、すぐに飛んできてくださり、助けてくださり、(御子の)命をかけて救ってくださり、愛してくださるお方ではないのか。そのような方こそが神さまではないのか。

このあたりのことを考えていただくと、解決の道が見えるのではないかと思います。

わたしたちは神さまに関心を持ち、神さまを見上げ、神さまを信じなくてはなりません。しかしそのわたしたちの神さま御自身は、わたしたち人間とこの世界とに関心を持ってくださり、わたしたちをいつも見守ってくださり、わたしたちを信頼してくださっているのです。

そうすると、事柄がぐるっと戻ってくるではありませんか。わたしたちは、わたしたちに関心をもってくださっている神さまに関心をもたなければなりません。しかし、このわたしが神さまに関心をもつということが同時に意味していることは、神さまがもっておられる関心事(人間と世界!)に、このわたし自身が関心を持つ、ということでもあるのです!

わたし自身、牧師として多くの反省があります。

仕事で忙しいと感じるとき、家族の顔が見えていないことがある。

子どもの姿が見えていないことがある。

共に生きている人々に対する愛を見失うような信仰、家族を見殺しにするような信仰になってはいないか。

どこかに間違いがあるのではないか。

一年の終わりの日、新しい年を迎える直前に、わたし自身の強い反省を込めてそのように問うておきたいと思います。

(2006年12月31日、松戸小金原教会主日礼拝)

2006年12月25日月曜日

「味わおう平安な夜を」

使徒言行録16・25~34



クリスマスイブの礼拝をささげています。少し早い時刻から始めましたが、程よい暗さになってきたと思います。わたしたちの前に、ロウソクの灯が輝いています。これから、静かで平安な夜を迎えようとしています。



さて、この機会に皆さんに考えていただきたいことは、まさに、わたしたちそれぞれの平安な夜の過ごし方は何か、ということです。



わたしたちの普段の夜の過ごし方は、たいてい決まっているのかもしれません。テレビの音が、がちゃがちゃと部屋中に響き渡っている。それを見終わったら、お風呂に入ってから布団にもぐりこむ。そのようなパターンができてしまってはいませんか。もちろん、なかには、テレビなど見ません、という方もおられるかもしれませんけれども。



なかには、「見なければよかった」と後悔するような、嫌なテレビの場面がある。思い出されて、眠れなくなってしまう、という方もおられるかもしれません。
平安な夜の過ごし方として、ふと思い当たることは、とりあえず、テレビのスイッチを消してみることではないでしょうか。



そして、その次にやってみていただきたいことは、ひとりで賛美歌をうたってみること、聖書を読むこと、そして、お祈りしてみることです。



牧師の言いそうなことだ、と思っていただいてけっこうです。実際そのとおりです。この国の中で、牧師とか教会に通っている人々でもないかぎり、ひとりで聖書を読みましょうとか、ひとりで賛美歌をうたいましょう、お祈りしましょう、と勧める人は、どこにもいないでしょう。



しかし、です。わたしたちが、このようなことをお勧めするのは、だてや酔狂で言っていることではないのです。わたしたちが日曜日ごとに集まってしていることも、このクリスマスイブ礼拝にしていることも、賛美歌をうたい、聖書を読み、祈ることです。ただそれだけだと言ってもよい。



しかし、このことをわたしたちは一生懸命にします。なぜなら、聖書を読み、賛美歌をうたい、祈ることによって、わたしたちの心に得られる平安は本当に大きいものである、ということを、わたしたちは心から確信しているからです。



先ほどお読みしました使徒言行録16・25~34に記されている状況は、夜です。パウロとシラスは、真夜中に賛美歌をうたっていました。そういうことをわたしたちが自分の家でやると、隣近所の人々に叱られるかもしれません。



しかし、パウロとシラスがいたのは、牢屋の中です。キリスト教を宣べ伝える仕事をするだけで迫害されていた時代の話です。二人はむちで打たれ、牢屋に投げ込まれました。わんわん泣いてもよいような場面です。ところが、この二人は、真夜中に賛美歌をうたい、神に祈っていました。そして、彼らの声を、他の囚人たちも聞いていたのです。



そのとき、です。大地震が起こり、牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまう、という事件が起こりました。ところが、そのときに、囚人たちはだれひとり逃げようとしなかったのです。



囚人たちは、逃げてはいけなかったのでしょうか。チャンスあれば逃げるべきである。逃げないのは愚かな選択である、という考えも、当然成り立つでしょう。



しかし、彼らは逃げませんでした。なぜ逃げなかったのでしょうか。理由は、はっきりとは記されていません。けれども、少しくらいは分かるところがあるように思います。



囚人たちに共通していたのは、パウロとシラスの声を聴いていた人々であったという点です。そして、もう一つはっきり記されているのは、囚人たちは逃げた、と思い込んで自殺しようとした看守に向かってパウロが大声で叫んだ言葉です。



「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」。



この言葉から分かることは囚人たちが逃げなかった理由です。それは、彼らがそのとき真っ先に考えたことが、自分自身のことではなく、自分たちの目の前で自害しようとしている看守が死なないようにすること、看守の命を守ることであった、ということです。



いざというときに、自分のことしか考えることができないのか、それとも、自分以外の他人の事情をおもんぱかることができるのかは、非常に大きな違いであると言ってよいでしょう。



しかも、彼らの場合、自分を牢屋に閉じ込めて、外で寝ずの番をしている、憎むべき相手のことを、考えることができた。これは、すごいことだと思います。そのような嫌な相手の心や命のことまでも思いやることができた。彼らの心の中には、それだけの“余裕”が与えられていた、ということに他なりません。



その彼らの心の“余裕”を生み出したものが、パウロとシラスがうたう賛美歌であり、また彼らの祈りの言葉であった、と考えることは可能であると思います。



だれも逃げていない。そのことを知った看守は、驚き、おびえ、震えながら、パウロとシラスの前に来て、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と言いました。



おそらく看守は、その御言葉と賛美歌と祈りを聴く周りの人々の心までも平安で満たし、他人の心や命を思いやる人につくり変えてしまうパウロたちのもっている力は、いったい何なのか。この力の正体は、何なのかを知りたくなったのだと思います。



二人は言いました。



「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」



そして、この看守は、救い主イエス・キリストを信じる新しい人生を、家族の人々と一緒に、始めることができました。



今日、わたしが皆さんに本当にお勧めしたいことを、もう一度、繰り返しておきます。静かで平安な夜を過ごすためには、少しの間でも、とにかく、テレビのスイッチを切ってみることです。そして、賛美歌をうたい、聖書を読み、祈りをささげることです。大きな声である必要はありません。



それによって、わたしたちの心の中に何らかの変化があるのか、それとも、何も変わらないかは、とにかく試してみるしかありません。



肝心なことは、始めることです。皆さんの心に平安が与えられますように!



(2006年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイブ礼拝)



2006年12月24日日曜日

キリストと共に喜べ! ~クリスマス~


フィリピの信徒への手紙2・12~18

12月に入り、これまで三回の日曜日にフィリピの信徒への手紙を学んできました。とくに注目していただいたのは2・6以下の「キリスト賛歌」です。

神の御子イエス・キリストがお生まれになった。神が人間になられた。その意味は、高きにいますお方が低きに下られるということである。それが、言葉の最も正しい意味での謙遜(けんそん=へりくだり)である。そのことを「キリスト賛歌」はうたいあげているのです。

しかし、パウロは、「キリスト賛歌」をただ紹介している、というだけではありません。キリストの謙遜なお姿は、そのままわたしたち人間の生き方の模範でもある。それが、パウロの言わんとしている真意です。その気持ちのすべてが、12節の最初にある「だから」という言葉に集約されていると言ってよいでしょう。

「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」

なぜ「だから」なのか。キリストが謙遜の模範を示してくださった。だからあなたがたも、です。だからわたしたちも、キリストの模範に従って、謙遜な生き方を貫いて行きましょう、です。それが、パウロの最も言いたいことです。

しかし、ここでわたしたちは少し注意深くあるべきです。といいますのは、この文脈では明らかに「謙遜」ということが主題になっているのですが、2・12にパウロが書いていることは「従順」ということです。この「謙遜」と「従順」の二つの言葉は、よく似ている事柄ですが、いくらか違う要素もあると感じます。

従順は「服従」と訳すこともできます。従順とか服従には、そこには必ず、だれか服従すべき相手がいます。従順にせよ、服従にせよ、ひとりでは成り立ちません。自分一人の従順、自分一人の服従などは、ありえないことです。

他方、「謙遜」の場合は、どうでしょうか。自分一人の謙遜というのは、おかしな言い方ではありますが、絶対に成り立たないとは言い切れないものがあります。へりくだる、ということには、だれかと比べて、とか、だれの下に着くというような話とは少し違った面があります。パウロ自身、「互いに相手を自分よりも優れた者と考える」ことを謙遜の意味としています。つまりそれは、自分自身をだれよりも下に置くということであって、順位や比較は問題ではないところに自分を置く、ということです。

ところが、です。そういう話を聞きますと、とたんに次のようなことを考え始める人がいるのです。それは卑屈な生き方である。自分はすべての人よりも下にいる。自分には何の価値もない。わたしは誰の役にも立ちませんので、だれにも会いたくありません。だれよりも低い位置にいる価値のないわたしは、人前に出るのが嫌であり、教会に行くのも嫌である。このような、すっかり引きこもってしまうような生き方をもたらす考え方である、ということです。

しかし、どうでしょうか。パウロがイエス・キリストの謙遜の模範について語っていることは、決してそのようなことではないと、わたしは信じております。

パウロが語っていることは、「謙遜」とはすなわち「従順」である、ということに他なりません。ただし、これも注意深く、深い意味を読み取る必要があります。

キリストの従順の模範について考えるとき、その場合の「従順」の意味は、父なる神の御心に対する従順です。キリストが十字架の死に至るまで従順だったのは、父なる神の御心がそうであったからです。神の御子イエス・キリストが十字架の上で死に、すべての人々の贖いとなり、イエス・キリストを信じる人々を救う恵みの力になることこそが神の御心である、ということを、イエスさまはご存じでした。その父なる神の御心に従順であるために、父の意思に服従するために、イエスさまは、十字架にかかって死んでくださったのです。

この話の続きに出てくる、2・12の「わたしの愛する人たち」の「従順」の意味もイエス・キリスト御自身の場合と同じであると考えるべきです。つまり、キリストを信じる者たちの果たすべき「従順」とは、第一義的には、人間に対する従順ではなく、神に対する従順である、ということです。

わたしたちがキリスト者であるということは、「教会に飼いならされること」ではありません。「牧師に飼いならされること」でもありません。宗教とはそういうものである、と世間の人々が誤解しているとしても、です。

しかし、です。ここまでお話しした上で、わたしはなお、その続きにあることもお話ししなくてはなりません。

「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。」

教会の中でわたしたちが、神さまの御心に対する従順を示すことが大切です。その大切なことを具体的に表すために、わたしたちがなすべきことは、教会に仕えることである、ということです。教会の中で、そして、教会を通してこの世の中で、神さまの御心に服従しつつ、教会に仕え、隣人に仕え、人間に仕えること。これこそが、わたしたちに求められている、「不平や理屈を言わずに行いなさい」という点の具体的内容です。

わたしたちは、神さまに仕えさえすればよいのであって、人間に仕える必要はない、と言い切ってしまうことはできません。それは、事柄の抽象化であり、もっとはっきり言えば、ただの詭弁にすぎません。もし本当に、わたしたちが人間に仕える必要がないのであれば、教会など必要ありません。人間がわざわざひとつの場所に集まる必要はないし、そこで人と人とが触れ合う必要はありません。しかし、そのようなことは、聖書の教えではなく、キリスト教でもありません。

聖書とキリスト教は、一貫して、教会の必要性を語り続けてきました。教会など要らない、人間に仕える必要はない、というような教えは、詭弁であり、単純に間違っているのです。

とはいえ、わたしたちは、教会の中で先輩ヅラした人々があれこれガミガミ言い始めると、途端に嫌な気持ちになるものです。

しかし、皆さんにぜひとも分かっていただきたいと願うことは、(松戸小金原教会の話ではなく、あくまでも一般論なのですが!)、教会の中でガミガミ言う人は、それを言いたくて言っているのではないのだ、ということです。その人々は、ガミガミ言う嫌な役目を、神さまから与えられているゆえに言っている面があるのだということです。牧師や長老といった人々は、そのような嫌な役回りを、神さまから与えられている人々である、ということです。

「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」

ここにパウロが描き出している、まさに模範的なキリスト者の姿は、教会の奉仕者たちの姿である、と言っても、決して間違いありません。「とがめられるところのない清い者」、「非の打ちどころのない神の子」、「世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つ〔人〕」。このように言われる者に、わたしたちもならせていただきたいではありませんか。

ただ、この場面でこそ大切なことは人との比較ではないという点です。わたしと比べてあの人は非の打ちどころがない。わたしはちっとも輝いていないけれども、あの人は星のように輝いているというようなことを、教会の中で考えるべきではありません。そういうことを、わたしたちはつい考えてしまい、言いたくなってしまうのですが、そういうことを、やめましょう。

教会の中に評価というものがあるとしても、それは神さまがなさることです。神さまがわたしたち一人一人を正しく評価してくださるのであって、わたしたちが、自分自身のことや他人の評価をすることは厳に慎むべきです。

「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。」

ここでパウロは、人間らしさを見せている、と感じられます。「自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかった」と誇ることができる。それは、あなたがたが、まさに星のように輝く、非の打ちどころのない神の子として、成長していく姿を見ることができたときであると言っているわけです。うんと悪く言えば、パウロは先輩ヅラをしているわけです。あなたがた後輩の成長を見守るのがわたしたち先輩の責任である、と言わんがばかりに。

しかし、ご理解いただけるところも多いと思います。第一に、わたしたち自身も人間であるということです。“人間らしい”パウロの言葉は、わたしたち人間にこそ、よく理解できるところです。

第二に申し上げたいことは、このような(人間的な)言い方は、パウロには十分に語る資格があった、ということです。なぜなら、パウロは、一生懸命に走った人だからです。一生懸命に労苦した人だからです。あなたがたがささげるいけにえに、わたしの血が注がれるとしても、とパウロは書いています。これは物のたとえということで済まされるような話ではなく、むしろ文字どおりのことです。

パウロは教会のために、まさに自分に血を流し、命をささげたのです。イエスさまも、十字架の上で血を流し、命をささげてくださったのですが、この点ではパウロも同じなのです。そして、多くの教会の奉仕者たちもまた、教会のために、この命をささげてきたのです。

その努力が、何一つ評価されない、ということは、ありえません。わたしたちは自分の努力や行いによって救われるわけではありませんが、努力や行いなしには教会は立たない、ということも事実です。

今日、三人の子どもたちが、信仰告白してくれました。「子どもたちが・・・してくれました」と、あえて言います。この日までに、親御さんたちが、大人たちが、どれほどまでに祈ってきたか、あらゆる努力を重ねてきたか、分かってもらいたいからです。

また今年一年間、わたしたちは、教会において本当にたくさんの仕事をしてきたと思います。いろんなことがどんどん襲いかかって来る。しかし、みんなで力を合わせて、一つ一つ忠実に務めを果たしてきたのだと思います。

一年の終わりに、クリスマスのお祝いをすることができるのは、幸いなことです。なぜなら、一年の終わりにわたしたちがなすべきことは、一年の苦労をねぎらい、互いに慰めあうことだからです。

教会は、「忘年会」は、しません。「年を忘れる」必要は、ありません。むしろ、覚えること、思い起こすことが大切です。

それこそが、クリスマスにふさわしいことです。

(2006年12月24日、松戸小金原教会主日礼拝)

2006年12月17日日曜日

キリストの謙遜 ~待降節第三主日~


フィリピの信徒への手紙2・6~11

今日の個所において、いよいよ「キリスト賛歌」の内容に入ります。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

キリストは「神の身分」であられた、とあります。しかし、ここはむしろ「神のかたち」と訳すべきところです。ただし、字義どおり「かたち」と訳すと、説明が少し難しくなります。神さまにかたちがあるのか。かたちがない、目に見えない、霊的な存在が神さまではないのかという問いが起こってきてもおかしくありません。

しかし、パウロはここで「神のかたち」という意味の言葉(モルフェ)を用いています。「神の形態」とさえ訳したくなるほどの言葉です。そのように訳すほうが、パウロの意図をはっきりと示すことができるように思います。

「身分」と言いますと、わたしたちはどうしても、地位とか肩書きのようなものを思い浮かべてしまいます。それは一つの立場や段階であり、その方自身というよりも、その方が立っているその場所やステージのほうが問題になっているような語感をもっています。

たとえば、一人の人が総理大臣になる。その人がエライ人だから総理大臣になれたのかもしれません。しかし、その人は総理大臣であるときだけエライのであって、辞めたらただの人です。「身分」にはどうしても地位や肩書きのイメージがつきまといます。

しかし、それは「身分」の話ではなく「かたち」の話であるということになりますと、全く違う方向に向かっていくことになります。「かたち」は、その人の地位や立場やステージとは関係ありません。

たとえば、歌が上手な人がいる。その人の歌が上手であることは、与えられた地位や立場やステージのおかげではないと思います。そういうことは、関係ありません。自分の家の中で歌おうと、どこかで歌おうと、その人の歌が上手であることには変わりがありません。

どこにいても日本一上手に歌える人だ。そのことを周りの人々が次第に認めるようになり、その結果として世に出て行くのであって、その逆ではないのだと思います。

イエスさまが「神のかたち」であられるということの意味は今申し上げたことに通じる内容が含まれていると言えます。

イエスさまは「神」という肩書きをもっておられるとか、そういう名刺をもっておられてもおかしくないとか、いろいろと想像してみることは自由です。しかし、それが「神のかたち」の意味ではありません。

問題になっていることは、イエスさまの周囲にある何かではなく、イエスさまの存在そのものです。どこにおられても、また何をしておられても、イエスさまは「神さまらしさ」をもっておられるのです。その意味でのまさに「神のかたち」をもっておられる、それがイエスさまであるということです。

ところが、その方が御自分の「神らしさ」に固執されなかった、というわけです。「神の御子」であられるのに、です。イエスさまは、悪い意味での「あがめたてまつられること」や「まつりあげられること」や「神のようにふるまうこと」をお嫌いになりました。

思い起こされるのは、祭司長、律法学者たちが座りたがった上座であり、そこに立ちたがった至聖所のような場所です。

そういう場所に上って喜ぶとか、そのような地位を与えられたことを人に自慢し、はしゃぎまわるというような思いは、イエスさまには一切ありません。そういうのは、むしろうんざりするようなことではなかったでしょうか。

イエスさまの向かわれた方向は、そちらの方面とは正反対でした。イエスさまは「神」のほうにではなく「人間」になられました。たくさんの僕を雇い、自分に仕えさせる主人にではなく、「僕」になられました。今風のセレブとか、高級なんとかとか。イエスさまの向かわれた方向は、そちら側ではなかったということです。

イエスさまは「人間」になられました。しかも、ただの人間、ごく普通の人間、僕としての人間に、です。しかも、人から軽んじられるような人間、中傷誹謗、野次怒号を受ける人間に、です。すべての人の身代わりに十字架にかけられて死んでくださった。それほどに、弱く惨めな人間になってくださった。明確な意思をもって、そのような人間になられたのです。それがイエスさまのへりくだり(謙遜)の意味です。

「神らしい」存在であるにもかかわらず、です。そういう方が、そこらへんにおられる。周りの人々にとっては、いろんな違和感もあったのではないかと考えられます。

山梨県の田舎町に中田英寿選手の出身高校があります。わたしたちが住んでいた町とは、一山越えて隣町でした。あの国際的な名選手がこの田舎町にいたのかと思うと不思議なものを感じるくらいに大きなギャップがありました。田舎では目立ったと思いますし、何となく孤独感のようなものもあったのではないかとも感じさせられました。

中田選手は「神」ではありませんが、イエスさまは「神」です。その方がその町の中にいると相当目立ったでしょうし、違和感もあったのではないでしょうか。そこで起こることは、何でしょうか。わたしはできるだけ単純に考えてみたいと思います。

ひとつは、周りの人々からの嫉妬や無理解や攻撃でしょう。自分たちより能力や「かたち」において優れている。あのような存在がいるとわれわれの立場が無くなる。われわれの社会から出て行ってほしい。むしろいっそ「神」であってほしい。それは、われわれの社会の外にいてほしい、という意味です。

しかし、もうひとつのことも起こりうるでしょう。「神」であられる方が「人間」になられる。そのときに起こることは、神の豊かさが一般社会にもたらされる、ということです。

中田選手は、あの田舎町にはもう二度と戻れないかもしれません。歓迎はされると思いますが、生活はどうでしょうか。あまりにも目立ちすぎます。しかし、もし彼があの町に戻ることができ、たとえば出身高校のサッカー部の指導でも始めたらどうなるか。あの町に世界最強の高校サッカー部が誕生するかもしれない。そのようなことを思わされます。

豊かな賜物、たしかな技術、優れた能力の持ち主が、特別な人々のなかに留まるのではなく、むしろ徹底的に一般社会の中に入り込んでいく。しかも、そこにいる人々を見下すとか、こき使うのではない。その人々と同じ目線で、お互いの生活感覚を尊重し、共有しながら働くこと、仕えること。もしそのようなことが真に起こるときに、何が起こるでしょうか。特別な人々が集まっているところだけではなく、まさに社会全体が真に良きものへと変わっていくであろうと考えることはできないでしょうか。

「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」

これをハッピーエンドと考えることができるでしょうか。イエスさまは、人間のかたち、僕のかたちになられ、神と人とに徹底的に仕える者になられました。御自身の栄光などは一切お求めになりませんでした。十字架の恥辱を徹底的に味わわれました。

そのイエスさまを、です。父なる神さまは、高く引き上げてくださいました。「あらゆる名にまさる名」をお与えになったのです!

しかし、これは、ある意味で結果論です。イエスさまは最初から父なる神さまによって高く引き上げられるという確信をお持ちであったと考えることはできます。しかし、そのこと、いわばその報いを当てにして、屈辱の生涯を我慢なさった、というような見方は、わたしたちには、できません。

わたしたちは、違うかもしれません。わたしたちは、いろいろと計算高く生きています。わたしたちには、いろいろと計算しながら生きること、また、報いを当てにして働くことさえも、許されていると思います。

しかしそれでは、イエスさまは計算高くなかったのか、というと、そうではありません。「蛇のように賢く(なりなさい)」(マタイ10・16)と、教えられたではありませんか。これは、弟子たちにそのように教えられたというだけではなく、イエスさま御自身もそのように生きられたに違いない、と考えてよさそうな点です。

ただし、問題は、その蛇のような賢さの使い道です。ここで、また同じ話に戻ります。自分が偉くなりたい、「神」のようになりたい、多くの人々からあがめたてまつられたいというようなことのために、その賢さを用いてよいわけではないということです。

はっきりしていることは、イエスさまが「蛇のように賢く(なりなさい)」と命ぜられたのはイエスさまのかたちに倣うべき弟子たちでした。つまり信仰者たちであり、教会の奉仕者たちであり、福音の伝道者たちであったということです。

ですから、まさにはっきりしていることは、イエスさまのかたちに倣うべき弟子たちにとっての蛇のような賢さの利用方法は、それをむしろ徹底的に「人間のかたちになる」ことのために用いることです。

それは普通の人、ただの人であり続けることです。普通であることの価値を見いだすことです。普通でないことに、警戒心をもつことです。そして、真の奉仕者になるための賢さを身につけることです。

牧師たちのなかにも、時々勘違いしている人がいます。自分は特別であると思い込んでいる。そう思い込んだ時点で間違っています。牧師は一般人です。

それどころか!

もし牧師というものがイエスさまの「かたち」に最も真剣に倣うべき存在であるのだとしたら、牧師こそが最もはっきりとした仕方で「僕のかたち」(奴隷の形態)でなければなりません。

「キリストのかたち」は、わたしたちの人生の模範です。

わたしたちを真に謙遜な者にしてくださるために、神の御子は来てくださったのです!

(2006年12月17日、松戸小金原教会主日礼拝)

2006年12月10日日曜日

キリストの模範 ~待降節第二主日~


フィリピの信徒への手紙2・1~5

今日の個所に書かれていることも、フィリピ2・6以下の「キリスト賛歌」の内容に直接関係しています。キリスト賛歌は、神の御子イエス・キリストについて、そのお方は「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」と歌うものです。

「神の身分である」方とは、神御自身のことです。「神と等しい者」もまた、神御自身のことです。イエス・キリストは神であられるのだと、キリスト賛歌はうたっているのです。神であられる方が人間と同じ者になられた。神が人間になられた。これが、キリスト賛歌において最も強く主張されている点です。

先週学びました1・27に「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」と書かれていました。この「キリストの福音」とはまさに、神が人間になられた、ということに他なりません。

福音(エヴァンゲリオン)の意味は、「喜びの知らせ」です。神が人間になられたということが、なぜ喜びの知らせなのかと言いますと、理由ははっきりしています。神が人間になられるとは、神がわたしたち人間に近づいてこられた、ということであり、神がわたしたち人間を愛して救うために近づいてこられた、ということだからです。

また、それは、神の存在がわたしたちにとってはもはや、決して遠い世界の話ではないのだということでもあります。気づかなければならないことは、もしわたしたちが神の存在を「遠い話である」と感じるとき、問題があるのはわたしたち自身のほうであるということです。神は、わたしたち人間へと近づいてくださる断固たる意志をもっておられるのです。

今日お読みしました個所の最後、フィリピ2・5に「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」とあります。「このこと」とか「キリスト・イエスにもみられるもの」とは、何のことでしょうか。これこそが、イエス・キリストにおいて神が人間になられたというこの点です。この「神が人間になられる」という“動き”ないし“運動”を指しています。

それは“上から下へという運動”です。そしてそれこそが「へりくだり」(謙遜)です。人間になられた神なるキリストは「謙遜」の模範なのです。

「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。」

これは日本語としてちょっとおかしい文章です。とくに変なのは最後の「わたしの喜びを満たしてください」という一文です。誤訳とは言えませんが、あまりに直訳的すぎます。わたしたちは、このような日本語を日常的に用いることはありません。また、このような言葉を聞くとしたら、自己中心的な言葉である、と感じるはずです。

しかし、それでは、どう訳せばよいか。これは難しい問題です。はっきりしていることは、パウロはここで決して自己中心的なことを言おうとしているわけではないということです。言おうとしていることは、わたしもあなたがたと一緒に喜びたいということです。喜びは、一方通行では成り立ちません。喜びの相互性という点を、明らかにすべきです。

いずれにせよ、ここでパウロがしている話は、わたしだけが喜びたい、ということではありません。先週の個所に「あなたがたには神の恵みとして苦しみが与えられている」という話がありましたが、それとこれとをつなげてはなりません。あなたがたは苦しみなさい。わたしだけが喜びますという話をパウロがしているわけではない。そんなことを言うはずがありません。

しかし、この新共同訳聖書の訳は、誤訳とまでは言えません。正しい日本語になっていない、と言いたいだけです。「わたしの喜びを満たしてください」。わたしの心を、喜びでいっぱいにしてください、あふれさせてください、ということです。

ただしそれは、パウロの心の中だけに喜びがあればよいということではなく、お互いの心の中に喜びがあふれるようにするという意味でなければなりません。あなたがたの喜びを、わたしにも分け与えてください。それがわたしの喜びになります、ということを、パウロは語ろうとしているのです。

そして、このことは逆の方向に考えていくことができると思います。逆の方向に考えていくとは、パウロにとって「わたしの喜びが満たされる」とは、あなたがたと「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにする」ことによって実現するということであり、そのようにしてこのわたしとあなたがたの心の中身が同じになるということが大切である、というふうに考えていく、ということです。

とくに重要なことは、「キリストによる励まし」です。救い主イエス・キリスト御自身による励ましです。それがわたしたちの心に届くとき、わたしたちの心の中に喜びがある、ということです。

しかも、それは「“キリストによる”励まし」です。キリストによる励ましは、いわゆる一般的・人間的な励ましとは区別されるものである、と言わなければなりません。

「がんばってください」というようなごく普通の励ましの言葉が、悪いと言いたいわけではありません。しかし、「がんばってください」と言われると、ますます落ち込むという人々がいます。わたしだって、時々そう感じることがあります。「関口先生、説教がんばってくださいね」とか言われますと、「まだダメだ」という意味だな、と感じます。そのときの気分次第ですが。

それは、わたし自身も逆のことをしてしまっていることがあるということでもあります。そして、そこにある大きな問題は、自分の言葉が誰かの心を深く傷つけてしまっている、ということに、わたし自身がちっとも気づいていない場合がある、ということです。深い反省と悔い改めが求められるところです。

ところが、です。そのようなわたしたちの励ましの言葉と、キリストの励ましの言葉とは、根本的に違うのです。わたしたちの場合は、どんなことを言っても、どんな言い方をしても、相手を傷つけてしまう、相手が傷ついてしまう、そのようなことしか語ることができませんが、キリストの語る言葉は違うのです。そこに真の慰めがあり、いやしがあり、新しい信頼関係(霊による交わり!)が始まるのです。

ただし、問題はまだ残っている、と思います。それは、その「キリストの励まし」なる言葉がわたしたちに伝えられる方法は何なのかという問題です。この問題を解く鍵となると思われることが続く個所に記されています。


「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」

「キリストの励まし」が言葉としてわたしたちの心の中に届けられるための手段として考えられることは、聖書と、教会と、説教です。聖書と教会と説教なしに届けられる直接的な啓示が今日でも起こりうるということを、わたしたちは信じていません。「キリストの励まし」の場合も同じです。それがわたしたちの心に届くためには、そこにどうしても、聖書と教会と説教という手段が介在する必要があるのです。

ところが、です。その場合、問題が急にややこしくなります。聖書はともかく、問題は教会と説教です。聖書はやや特別扱いしてもよい。しかし、教会と説教の正体は、間違いなく「人間」です。欠けのある、問題の多い、人間です。

この教会と説教が手段として用いられることによって、「キリストの励まし」がわたしたちの心の中に届く。それによって救いといやしが起こる。神のみわざのために“人間”が用いられるのです。“人間”という邪魔者が入り込んでくるのです。

しかし、だからこそ、と言ってよいのではないでしょうか、パウロがここで「謙遜」という点を強調していることは、非常に重要な意味をもっていると思われます。ずばり言いますと、「キリストの励まし」をこの地上の現実の世界の中に生きている人の心の奥深くに伝えるために必要なのは、“謙遜な教会”と、“謙遜な説教者”である、ということです。

もちろん、ここでパウロが「あなたがた」と呼んでいる相手は牧師や長老だけ、つまり教会の礼拝で説教をする人々だけでありません。おそらくもっと広い意味であり、少なくともフィリピ教会の教会員全員を指していますし、もしかしたらすべてのキリスト者たちのことを指している可能性さえあります。

しかしまた、「キリストによる励まし」を伝えるためにだれよりも謙遜さが求められるのは、説教者である、という点は否定できないでしょう。

そして、その場合の「謙遜」の意味としてパウロが記していることは、ある意味で非常に単純明快です。「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考える」ことです。つまり、自分をすべての人々の中でいちばん下に置きなさいということです。それが謙遜ということだ、とパウロは主張しているのです。

自分をだれよりもいちばん下に置く。これは単純明快で、分かりやすい教えです。自分はこの中で上から何番目とか、下から何番目、というようなことを考えている時点ですでにダメ、ということです。

たとえば、わたしは教会の中で何番目に偉いのでしょうか。こういう考え方の牧師は変であると、多くの人が気づくでしょう。自分をいちばん下に置いていろいろなことを考えはじめるとき、順位とか優劣というようなことばかりが気になっていたときには見えてこなかったような多くのことが、見えてくるでしょう。

(2006年12月10日、松戸小金原教会主日礼拝)


2006年12月3日日曜日

キリストの福音 ~待降節第一主日~


フィリピの信徒への手紙1・27~30

今日から四回、フィリピの信徒への手紙を学びます。最も集中して学びたいのは、2・6以下のいわゆる「キリスト賛歌」と呼ばれる個所です。これは当時の教会でうたわれていた賛美歌からの引用ではないかと、今日では考えられています。この歌は、次のようにキリストのお姿を歌い上げています。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

なぜここを最も集中して学びたいのかを申し上げておきます。このキリスト賛歌の内容こそが、クリスマスの出来事に他ならないからです。そのため、クリスマスの準備をするこのアドベントの季節にこそ、この個所を学ぶことがふさわしいのです。

もう少し説明を続けます。クリスマスはイエス・キリストのお誕生日であるということは、今や世界中のだれでも知っていることです。しかし、わたしたちキリスト者は、それだけ言って済ますわけには行かないと考えます。もう少し丁寧に、またもう少し深い次元で事柄をとらえようとします。

わたしたちがクリスマスを祝う理由は、一人の偉大な人物の誕生日だからというだけで終わるものではありません。わたしたちは、イエス・キリストを「神の御子」と信じます。キリストは「神の身分である」お方なのです。

ところが、です。イエス・キリストというお方は、「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようと思わない」、「かえって自分を無にする」、「僕の身分になる」、「人間と同じ者になられる」、そういうお方でもある、というのです。

なんだかもったいない話のような気がしてきます。なぜもったいないと感じるか。多くの人々は、自分が神になりたいのではないでしょうか。神になりたいという人が大勢いるのに、なぜイエスさまは、神の身分に固執しようと思われないのでしょうか。多くの人々と考えていること、願っていることの方向が正反対ではないでしょうか。

自分が神になりたいと願う人々が、大勢いる。その思いは、だれにも文句を言われたくないというようなことも含みます。すべてのことを自分で考え、自分で決めたい。自分がいちばん楽しむことができる、最も良いものを手に入れたいと願う。

また、決して間違いを犯さない人間になりたいと願う。コンピュータのように、という例えは時代遅れです。コンピュータは、しょっちゅう間違います。そのことを、わたしたちの時代の多くの人々は知っています。コンピュータのような愚かなものになりたいのではない。そうではなく、まさに神になりたいのである。神のように完璧な答えを差し出すことができる。そのようにして、多くの人々から賞賛され、尊敬され、崇拝される。そういう人間になりたい、と願う人々のほうが多いのではないでしょうか。

なぜイエスさまは、反対の方向を向いておられるのでしょうか。神の身分などどうでもよい、と言われんばかりに、それをいわばお捨てになる。神の身分のまま留まっておられれば、痛いことも苦しいこともないでしょうのに、わざわざ人間の世界に来てくださって、十字架につけられる、という最も苦しい目にあわれる。

イエスさまは神の身分に固執なさらなかったお方である。ただし、それによってイエスさまは神であることを、おやめになったわけではありません。イエスさまが神をやめる、ということは、わたしたちが人間をやめることができないのと同じくらい、ありえない話です。

しかし、おそらくイエスさまは、悪い意味での「神のような扱いをお受けになること」、平たく言えば、「まつりあげられること」をお嫌いになったのです。

「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、わたしは次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。」

この個所でパウロが訴えていることの中心は、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」という点、すなわち「生活のあり方」という問題です。

まず考えさせられることは、「キリストの福音にふさわしい生活」というものがとにかくあるという事実です。これを反対から言えば、「キリストの福音にふさわしくない生活」もある、ということになります。一方にキリスト者らしい生き方があり、他方にキリスト者らしくない生き方がある、ということになるでしょう。

それでは、キリストの福音にふさわしい、キリスト者らしい生き方とは、どんなものであるのか、ということを考えてみる必要がある。そのときの答えとなりうるのが、まさにこのキリスト賛歌の内容である、というふうに話がつながっていくのです。

キリスト御自身は、神の身分であられる方であるのに、「まつりあげられる」ことを拒否なさり、むしろ、僕の身分、人間と同じ者になられた。神の子キリストが人間になられた。

そのキリストと同じように、わたしたちも、「まつりあげられる」ことなどは断固拒否し、また「自分が神になりたい」というような夢ないし野望を一切抱くことなく、人間であり続けること、そして、神と隣人に仕える僕であり続けること。まさにこれこそが、パウロの信じるところの「キリストの福音にふさわしい生活」であり、“キリスト者らしい生き方”なのだ、と申し上げることができます。

このような生き方を「ひたすら」送りなさい、とパウロは書いています。この「ひたすら」(モノン)は、「唯一の」とか「単純に」などとも訳すことができる言葉です。少し大げさになるかもしれませんが、「一直線に」とか「まっしぐらに」とか「わきめをふらず」などと訳すなら、もっと意味が明確に分かるようになると思います。

わたしたちは、一直線に、まっしぐらに、わきめをふらず、どのように生きればよいのかと言いますと、パウロによると、キリストの福音にふさわしく生きることであると言い、それではその内容は具体的に言って何なのかと言いますと、「神になりたい」というような考えを捨てて、人間であり続けること、僕であり続けること、謙遜な人間であり続けることである、ということになるのです。

そして、その、イエス・キリストが神の身分に固執せず、人間になられた、というこの出来事が起こったのは、最初のクリスマスにおいてであったということを、わたしたちは信じています。クリスマスは、神の御子が謙遜になられた日なのです。

そして、パウロは「そうすれば」と続けています。その意味は、キリストの福音にふさわしく、キリストのように謙遜な生き方を続けていくならば、です。そうすれば、あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないということを聞くことができる、とパウロは書いています。

もう少し短く言い直すなら、キリスト者らしい生き方を「ひたすら」わきめもふらず続けていくならば、わたしたちは、だれにも負けない、しっかりとした人生を送っていくことができる、ということになるでしょう。

なぜそのように言えるのでしょうか。これもできるだけ単純に考えてみたいと思います。 “謙遜な人はだれよりも強い”。なぜそう言えるのでしょうか。

すぐに思い当たることは、謙遜な人は、浮ついていない、ということでしょう。自分の現実を直視している、自分の限界を知り抜いている、そのような人は、いつも、地に足のついた判断をすることができます。

また、謙遜な人は、自分の周りにいる人々との間に信頼と協力関係をつくって行くのが上手です。自分自身の限界を知り抜いている分、このことについてはこの人に相談しよう、あのことについてはあの人に助けてもらおうと考えますし、実際にそうします。自分一人ですべてを抱え込んでしまわず、周りの人々の存在と働きを尊重しますので、個人プレイではなく、すべてを共同作業において進めていくことができます。

そして、謙遜な人は、やはり真面目です。自分の人生に対しても、他人の人生に対しても、この世界に起こるさまざまな出来事に対しても、真剣に向き合う心をもっています。融通が利かないクソ真面目になるべきではありません。しかし、真面目に生きている人を小ばかにするとか、自分以外のすべての人を見下し、こき下ろす、というようなことは、絶対に間違っています。謙遜な人は、そんなふうではありません。

謙遜な人の周りには、心優しい仲間たちが集まってきます。謙遜に生きる人は、その人の周りに謙遜で協力的で温かい共同体をつくりだして行きます。それが人生の力になるのです!

神の身分に固執なさらなかったイエス・キリストの生き方を真似て生きる人々の中で、わたしたちは謙遜というものを学ぶことができます。そして、その謙遜さの中で、わたしたちは、まさにしっかり立つことができ、どんな人の前でも、たじろぐことも、おじけることもなく、堂々と力強く生きていくことができるのです。

「このことは、反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです。これは神によることです。つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。」

ここにパウロが書いていることは、なんとも衝撃的な内容をもっています。キリストの福音にふさわしい、キリスト者らしい、そのようなまさに謙遜な人生を送る人々に対しては、「キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」というのです。

問題は、なぜそうなのか、です。わたしたちキリスト者に対して神が、キリストのために苦しみなさいと命じておられるというのです。わたしたちは、なぜ苦しまなければならないのでしょうか。

ここでパウロが語っている苦しみの第一義は、おそらく、反対者たちから受ける苦しみです。その内容が、先ほどから申し上げたことに関係してきます。この世界には神になりたい人が大勢いるのです!

そのような人々の目から見ると、キリストの生き方は、まさに正反対です。神の身分にあられる方が、それに固執しない、というのですから。そのキリストと同じように生きて行きたいと願うキリスト者の生き方も、そのような人々の目から見れば、正反対です。

すると、どうなるか。このわたしとは正反対の方向を向いている人間の存在を許せない、と感じることが、わたしたちにもあるでしょう。なぜなら、自分の存在を否定されているように感じますから。

自分と同じように、一緒に神になりたがってくれる人を探したくなる。自分の生き方を肯定してもらえる人を探したくなる。このような人が、教会の存在を最も嫌がるのです。

キリスト者には、なぜ苦しみが起こるのか。正反対の方向を向いている人々の中でこの生き方を貫いていくと「逆風」が起こる。逆風を全身に受けながら前進していくときに、大きな負担が生じ、苦しみが起こるのです。まさにそれこそが神の恵みとして与えられる苦しみなのです。

しかし、わたしたちは、何も決して、われわれのほうから敵をつくりたいわけではない。喧嘩をしたいわけでもありません。わたしたちはただ、キリストと同じように生きること、謙遜な人生を送ることが、どれほどに幸せであるかをよく知っているので、この生き方をやめることができないだけです。謙遜な仲間と共に助け合って生きていく楽しい人生を、やめられないだけです。

その結果、いろんな反対を受けることになっても、です。わたしたちは、キリスト者であることを、やめることができない。ただそれだけなのです。

クリスマスの出来事、イエス・キリストが来てくださったことの意味を深く考えていきましょう。

(2006年12月3日、松戸小金原教会主日礼拝)

2006年12月2日土曜日

『カルヴァン説教集一 命の登録台帳 エフェソ書第一章(上)』(アジア・カルヴァン学会編訳、キリスト新聞社、2006年)

現在私はアジア・カルヴァン学会の末席を汚している。しかし本書の翻訳時には参加していなかった。現時点では第三者的に書評を述べることができよう。本誌編集者の許可をいただけたので、翻訳会リーダー野村信先生と私の考え方の違いを公表しておきたい。

同じことを本年九月二二日「カルヴァン説教集出版記念シンポジウム」(会場・富士見町教会)の壇上、発題者の野村先生と久米あつみ先生との間に挟まれた位置で指名コメンテーターとして述べた。お二人は笑って許してくださった。渡辺信夫先生はじめ多くの方々が聞いておられた。本書評がわれわれの親交を分かたぬように、声を大にして申し添えておく。

第一の問題は、要するに、「説教におけるカルヴァン」と「書斎におけるカルヴァン」との間に差があると認められる場合(差があると、私が言いたいわけではない)、どちらがカルヴァン神学の核心により近いと言いうるか、というものである。

私は牧師として、説教にはアドリブの面があることを知っている。説教には臨機応変に言葉遣いや内容を換えるなど工夫や作為をこらして語る面がある。「聖霊の導き」と呼ぶかどうかは議論があろう。私は「牧会的配慮」と呼びたい。説教の価値をおとしめる意図は皆無である。ちなみに私は、教会の礼拝の場で〝発話〟に躊躇を覚えるような思想命題は「教会の学」としての神学の命題たりえないと考えている。

カルヴァンの予定論が多くの批判を受けてきたことは周知の事実である。エフェソ書説教集の中心にカルヴァン予定論の真髄が表現されているというのが訳者の主張である。この点には異存がない。問題はその先である。

『キリスト教綱要』のカルヴァンが限定的贖罪や二重予定(遺棄の予定含む)を明瞭に語っていることは異論の余地がない。しかし、説教におけるカルヴァンはこれらについて必ずしも明瞭に語ってはいない、と訳者は読み取られた。そして、説教におけるカルヴァンのほうにカルヴァンの予定論の真意があるということを読者に対し、脚注を通してしきりと訴えておられる。

読者とすれば、カルヴァンの予定論には説教における形態と『綱要』における形態とがある、また両者の間には差があるらしいと感じさせられ、かつどちらがカルヴァン神学の核心により近いかの判断において本書の脚注は、説教のそれのほうを積極的に選択しているように見える。

しかし私はそのような判断に反対する。「説教におけるカルヴァン」と「書斎におけるカルヴァン」は同一のカルヴァンだ。両者に本質的な差はない。もし差があるとしても、どちらが「カルヴァン神学の根本思想」に近いかと問われるなら、『綱要』のカルヴァンを迷わず選択するのみである。活版印刷され、何度も改訂された『綱要』の記述は、アドリブ的要素を含む説教の言葉よりも動かしがたいからである。「説教のカルヴァン予定論」を「『綱要』のカルヴァン予定論」やドルト教理規準やウェストミンスター信仰告白の予定論から切り離すことによってカルヴァン一人を二重予定論批判の砲火から救い出そうとする資料操作は、不可能である。

第二の問題は、ad fontes(源泉復初)の評価にかかわる。野村先生の考えを突き詰めると、世界の改革派・長老派の教会を三分している予定論の問題を解決するためには、カルヴァンが説教で表現しているような(大いに留保された)予定論へと立ち帰ることが肝要であるということになろう。しかし、私はそのような考えに反対だ。

この点はA・ファン・ルーラー(一九〇八年―一九七〇年)から教えられていることである。ファン・ルーラーは、一六世紀の(第一次)宗教改革者の諸教説には限界があり、そこに立ち帰ればよいというような単純な考えは今や不可能であると教えた。

実際オランダの改革派神学にとって、英国ピューリタニズムの影響から一七世紀のオランダに始まる「第二次宗教改革」(Nadere Reformatie)の伝統を無視することは不可能だ。すなわち、アルミニウス主義者と対決したホマルスやヴォエティウスらの予定論、ドルトレヒト教会会議の決定、ベルギー信仰告白やハイデルベルク信仰問答などの神学的伝統が重要である。大陸の神学者との連携が解明されてきた英国ウェストミンスター神学者会議の決定が重要である。信者の生活や教会会議のエートスを支えた「改革派敬虔主義」(gereformeerde pietisme)の伝統が重要である。デカルト哲学やドイツ観念論や弁証法神学との葛藤や対話の問題も、改革派神学において重要である。

それらの頭上を越えてカルヴァンに復初するのは無理である。すべての改革派神学(カルヴァン主義)はカルヴァンからの頽落であるという発想には、与しえない。予定論の発展は牧会的対話や信仰的格闘の結果である。歴史の意味や牧会的対話の価値を認めないなら、カルヴァンという英雄的個人への崇拝の形態に堕するだろうし、伝統の形成も教会の存在さえも無価値となるだろう。

第三の問題は、妻との会話の中で考えたことである。妻は本書の表紙を見てすぐ「教会の婦人会のテキストになりそうだ」と喜んだ。ところが開けてびっくりだ。本書の学術的体裁は過剰である。半分が一六世紀のフランス語で埋め尽くされている。対訳形式にした理由を野村先生は「次世代に一六世紀のフランス語がどのようなものであるかを示し、それをどう翻訳したかという小さな成果を手渡していければ通常の翻訳よりも役に立つことがあるだろうと考えた」(一〇頁)と書いておられる。想定されている読者はカルヴァンの翻訳を志す人々、つまり学者である。題名から「勧進帳」を連想した。日本的響きがある。一般読者の獲得を期待した結果ではないのか。題名の一般性と対訳形式の特殊性とのアンバランスさに絶句したのは、私だけだろうか。

第四の問題は、もとより翻訳とは何かである。多くの脚注は労多かったことと拝察する。ただし脚注に翻訳者の神学が反映されすぎていることが訳書の評価を困難にしていると思われてならない。限定的贖罪論の「行き過ぎ」への批判(九六頁)やドルト教理規準の「過度の強調」への批判(一三三頁)がそれだ。

言論は自由だ。しかし、気になるのは脚注がひどく饒舌であることだ。そして、結果的にカルヴァンの読者層内の一定の人々を傷つけ、遠ざけている。ドルトやウェストミンスターの教理的立場に立っている教会人は日本に大勢いる。学問でも結果責任が問われる。翻訳書では訳者の思想的立場はなるべく背後に退いているほうがよく、原著者自身に語らしめる装丁であるほうがよい。翻訳書の読者が期待しているのは原著者の肉声(viva vox)であって、訳者の蛇足ではない。

(『形成』、日本基督教団滝野川教会、第431号、2006年12月1日発行、8~9頁掲載)


2006年11月26日日曜日

「イエス・キリスト」

ルカによる福音書23・44~56



朝の礼拝でルカによる福音書の学びを始めたのは2004年11月ですので、ちょうど二年になります。今日を含めてちょうど80回、ルカによる福音書に基づいてイエス・キリストの生涯を学んできました。今日の個所に記されているのは、その生涯の最期の場面です。



「既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。」



言葉は少なめです。書かれていることのひとつは時間の経過です。時間の経過は、四つの福音書とも記しています。マルコは、イエスさまが十字架にかけられたのは「午前九時であった」(マルコ15・25)と記しています。はじまりの時刻を記しているのは、マルコだけです。



そして、イエスさまが息を引き取られたのは、午後三時でした。イエスさまが苦しみの絶頂におられたのは約六時間であった、ということです。



ごく単純な話をします。六時間の苦しみは長いと、わたしは思います。42.195キロのフルマラソンを走る人々がいます。速い人は二時間くらいで走りきってしまいます。



あるいは、ボクシング。力いっぱい叩き合うわけですが、これとて一時間も続けば長いほうです。



六時間の苦しみは長い。イエスさまの苦しみには、和らげる手段も、逃げ場もありません。まさに完全な苦しみというべきものでした。



もうひとつ書かれているのは、イエスさまが十字架にかけられているあいだに起こった異常現象ないし超常現象です。「太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」。この点については、マタイのほうが、もっとリアルに詳しく書いています。



「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。」(マタイ27・51~52)



この種の描写は、想像するとぞっとしますし、にわかには信じがたいものがあります。その思いは、わたしも同じです。



しかし、考えてみれば、この種のことは、ある意味で、わたしたちの時代のほうがもっと大げさであり、誇張があります。いろんな技術を用いて今の人々が描き出す「ありえない」シーンなどと比べると、聖書が描いていることのほうが、よほどありそうなことです。



ただし、です。もうひとつの面としては、やはり、聖書の中には、事実に反するとか、うそであるというような単純な見方に与することでは決してないのですが、ある意味での文学的表現、あるいは、人間の心の中の映像、内面の描写として理解すべき個所もあることが認められて然るべきだろうと、わたし自身は考えております。



「太陽が光を失っていた」のは、もちろんそのとおりであると言わなければなりません。しかしそれと同時に、イエス・キリストの死によって全世界を照らす光が失われたのです。そのとき罪と悪の死の力が、一時的にせよ、勝利をおさめたのです。最高法院の議員たちと、ローマ総督ポンティオ・ピラトと、ユダヤの領主ヘロデが、イエスさまを死に追いやったのです。でたらめな支配者たちが、罪のないお方を葬り去ったのです。



弟子たちは、どこにいるのでしょうか。イエスさまの十字架の前にはいませんでした。イエスさまに愛された人々は、イエスさまを置いて、逃げてしまったのです。



ゴルゴタの丘に響いていたのは、イエスさまに向かって多くの人々から投げつけられる「自分を救ってみろ」という声ばかりでした。



このような六時間を、皆さんは、耐えられるでしょうか。わたしには、無理です。



「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』こう言って息を引き取られた。」



イエスさまは息を引き取られるその瞬間まで、父なる神さまに対する全幅の信頼と期待をもっておられました。これは、わたしたちにとって慰めとなる事実です。



何よりも厳粛な事実は、わたしたちの人生は、いつか必ず終わる、ということでしょう。しかし、そこでのひとつの大きな問題は、その終わり方ではないでしょうか。



人から賞賛され、惜しまれて死ぬ、という人々がいると思います。イエスさまはどうであられたかと言いますと、そちら側の人々にはどうも属しておられないように見えます。罵られ、はずかしめられ、屈辱と絶望のどん底に叩き落されるような仕方で、殺される。惜しまれて死ぬ、という人々とは全く正反対の様相です。



しかし、そのお方が最期の最期に口にされた言葉が、父なる神への祈りでした。「わたしの霊を御手にゆだねます」という信頼に満ちた願いです。



どのような表情であられたのだろうかということについては、すぐに想像がつきます。おそらくとても穏やかな表情です。厳しい表情で、こういう祈りをささげることができる人は、いません。



罵られても罵り返さない。悪に対して悪を行わない。



神への信頼と賛美をもって、わが人生をしめくくる。



わたしたちが憧れを抱くのは、そのような生き方ではないでしょうか。



わたしは、イエスさまの最期の姿のようでありたい。皆さんは、どうでしょうか。
  
「百人隊長はこの出来事を見て、『本当に、この人は正しい人だった』と言って、神を賛美した。見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。」



「百人隊長」や「見物に集まっていた群衆」は、イエスさまを信じる人々の仲間というわけではないように思います。傍観者だったと考えるべきでしょう。「百人隊長」はローマ軍の歩兵隊の一個小隊のリーダーである、とのことです。異邦人です。



それは、言葉にして言うとかなり語弊がありますが、たとえば、教会のご近所に住んでいるけれども、教会の中に入ったことがない、いつもなんとなく外側から見ているだけの人々と、その人々とは、似ている面がある、と考えてよいかもしれません。あえて微妙な言い方をしておきます。



しかし、そのように、外側から見ているとはいえ、けっこう関心を持っている、という人々は、決して少なくないのだと思います。



「わたしは違います。わたしはクリスチャンではないし、教会に通うとか洗礼を受けるとか、そういうことを考えたことは、一度もありません。でも、教会のこと、聖書のこと、イエス・キリストのことには興味がある。ちょっと覗いてみたいという気持ちはある」という人々は、少なくないのだと思います。



そういう人々から見て、です。十字架上のイエスさまのお姿は、どのように見えたかということが、ここに書かれている、と考えることができます。百人隊長がはっきりと明言していることが、それです。「本当に、この人は正しい人だった。」



こういう評価は、貴重なものです。無視することができません。傾聴するに値します。だれの目から見ても、あるいは多くの人々の目から見て、イエスさまのお姿は、正しいと見える。イエスさまの生き様、死に様は、間違っていないと見える。これが、重要なことなのです。



もちろん、難しい問題がこの先に待ち受けています。イエスさまを正しいと認める、ということが、少なくとも当時において何を意味していたかは明白です。正しいイエスさまを十字架につけることは間違いなのですから、イエスさまを正しいと認めるということは、イエスさまを十字架につけた人々の間違いを認める、ということです。



しかし、それが難しいことであるわけです。百人隊長がローマの軍人であるとしたら、ボスはローマ皇帝であり、また、この状況の中ではポンティオ・ピラトでしょう。上司に逆らい、命令に背くことは、ただちに死を意味します。自分自身と家族を危険にさらすことになるでしょう。



一緒くたにすることはできないかもしれません。しかし、この日本の中にクリスチャンになれないと感じている人々が、たくさんいます。その中には、イエス・キリストの存在、またキリスト教と教会の存在を認めることはやぶさかではないが、それによって失うものが大きすぎる、と感じている人々がいます。そのような気持ちを持つときに、大いに躊躇が起こるのだと思うのです。これは理解できない話ではありません。



しかし、わたしは、あえて申し上げたいのです。イエスさまの姿が正しいと見えるなら、決断してほしい、ということです。



失うものも大きいかもしれませんが、得られるものはもっと大きいです!



わたし(関口)は、端から見ると何も持っていないように見えるかもしれません。しかし、わたしには教会があります。牧師というこの仕事があります。信仰の仲間たちが大勢います。これ以上は何も要らないと思えるほどの幸せを得ています。多くのものを与えられて持っています。



信仰を持って生きるようになり、牧師になる。それによって失ったものも大きかったのかもしれませんが(あまりその自覚もありませんが)、得られたものは、もっと大きいものでした!



イエスさまの前に、ひとりの勇気ある人が、現れました。イエスさまを十字架にかける決定を下したあのユダヤ最高法院の議員のひとり、アリマタヤのヨセフという人でした。この人は最高法院の決定に同意していませんでした。「この人もイエスの弟子であった」とも書かれています(マタイ27・57)。



一議員に与えられた権限は小さなものです。また、「イエスを殺せ」と叫ぶ人々の前では、沈黙するしかありませんでした。



そのことがよほど良心の呵責となったのでしょう。イエスさまが息を引き取られたあと、ヨセフは、当時の状況の中で考えられる最も危険な行動(造反行動)に出ました。ピラトの許可をえて、イエスさまの遺体を引き取り、自分のつくった墓に納めたのです。



「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。」



このヨセフのように行動できる人は、ごくまれかもしれません。みんながみんな、自分が思うところの信念に従って行動できるわけではありません。上司の命令に逆らうことはできませんし、世間の人々に逆らうこともできないのが、わたしたちです。



しかし、繰り返させてください。イエスさまのお姿が正しいと見える人は、どうか決断してほしい。



使徒パウロも、そうでした。その先に進んで行けば最高法院の議員になることができ、最高の地位と名誉を必ず与えられるであろう道を歩んでいた。しかし、そのパウロが突然、すべてを捨てて、キリスト者になり、伝道者になった。そこに大きな決断があったことは間違いありません。



イエスさまのお姿が正しいと見える人は、ヨセフのように、パウロのように、「最高法院」を飛び出して、イエスさまを信じる人々のもとに来てほしい。



そのように願うばかりです。



(2006年11月26日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年11月19日日曜日

「十字架上で罪を赦す」

今日のこの個所に記されているのは、わたしたちの救い主、イエス・キリストが十字架のうえにはりつけにされる、まさにその場面です。



「ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。『されこうべ』と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。」



ここで分かることは、二人の犯罪人と一緒に死刑にされたイエスさまは、まさしく文字どおりの“犯罪者扱い”されたのだということです。



イエスさまの処刑が行われた「されこうべ」(クラニオン=どくろ)とは、ヘブライ語の「ゴルゴタ」(マタイ27・33、マルコ15・22、ヨハネ19・17)のギリシア語訳です。これがラテン語では「カルヴァリ」と訳され、とくにローマ・カトリック教会ではそのように呼ばれてきました。



しかし、呼び方自体は、あまり重要なことではありません。重要なことは、そこが犯罪者の死刑場であったということです。



その日、三本の十字架が立てられたのです。真ん中がイエスさまの十字架、イエスさまの両側に一本ずつ、十字架が立てられたのです。



死刑そのものの是非が、今日では問われます。それはともかく、ここに書かれていることの意味は、死刑にされるほどの重罪を犯した人々と、何の罪も犯しておられないイエスさまとが、まさに一緒くたに扱われたのだ、ということです。



「〔そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』〕」



今日の個所で必ず問題にしなければならないことは、34節についている亀甲括弧(〔 〕)の意味は何かということです。ただし、あまり面倒な話に、皆さんを巻き込みたいとは思いません。



新共同訳聖書の亀甲括弧の意味は「凡例」に記されています。「新約聖書において、後代の加筆と見るのが一般的とされている個所・・・などに用いた」とあります。この意味は、新共同訳聖書は、この34節を「後代の加筆ではないか」と考えている、ということです。



このようなことを申しますと、皆さんの心の中に、いろんな疑問が次々に湧いてくると思います。しかし、わたしが申し上げたいことは、ご安心くださいということです。



途中の説明をすべて省いて結論だけを申し上げますと、34節の御言葉は、イエスさま自らが確かにお語りになった真正の言葉と言ってよい、ということです。「後代の加筆」という言葉を聞くと、どうしても改ざんとか変質というようなことを連想してしまうものですが、決してそういうことではない、ということだけを申し上げておきます。



そして間違いなく言いうることは、長いキリスト教会の歴史の中で用いられてきた多くの聖書には、この34節の御言葉がはっきり記されていた、ということです。つまり、これは歴史の中の教会が大事にしてきた言葉であり、その意味でまさに教会の伝統の言葉である、ということです。



「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、イエスさまは、十字架の上でおっしゃいました。そのように、わたしたちキリスト者、キリスト教会は、長い歴史の中で信じ、告白してきました。まさしくそれが、わたしたちの伝統であり、わたしたちが大切にしてきたものなのです。



御自分は、手と足を釘で打ちつけられ、絶望的な痛みを感じておられるのです。ほとんどの人ならば自分を苦しみに遭わせる人を憎むであろうし、こういう場合は憎んでもよいのではないかと考えてもよいほどの場面で、イエスさまは、御自分を十字架にかけた人々のことを、「彼らの罪をお赦しください」と父なる神に祈られたのだということです。



ありえないことでしょうか。信じがたい、というのは、おそらく多くの人が感じることですし、わたしも感じます。



しかし、なぜそう感じるのでしょうか。おそらく、多くの人は、このときにこそ、自分自身のことを考えるのです。「このわたしにはできない」と考えるのです。このわたしには、イエスさまと同じような状況において、このような言葉を語ることはできないし、ありえない。あってはならない、と感じるのです。



イエスさま御自身は、何の罪も犯しておられないのです。そのようなお方を罪人と定め、死刑にするその人々こそが、あなたがたこそが罪人である。そのように指摘し、追及する。そうする権利を持っている人がいるとしたら、それは、今まさに十字架上におられるお方御自身である、と言ってよいでしょう。



つい最近、死刑判決を受けた元一国の大統領だった独裁者が、いたではありませんか。あの人は、そのようにしました。指を上に立て、腕を何度も振り下ろしながら、「お前たちこそが死刑だ。わたしは無罪だ」というようなことを主張しました。



まだすべてが終わっているわけではありませんので、個人について軽々しいことは言えません。わたしが申し上げたいことは、わたしたち自身はどうだろうか、ということだけです。



わたしの場合は、どちらかというとイエスさまのほうに近いことを語りうるだろう、と言いうる人が何人いるでしょうか。「お前たちこそが死刑だ。わたしは無罪だ」と言い張るほうの人にこそ、わたしは近い、と感じる人のほうが多いのではないか。そのようなことを考えさせられます。



わたしたちの多くが、イエスさまの言葉に「ありえない」という感想を持つのは、このわたしにはありえない、ということではないでしょうか。しかし、そのような感想なり、感覚は、非常に大事なものであると、わたしは思います。イエスさまとわたしたち自身との決定的な違いを認識することは、非常に大切なことだからです。



イエスさまとわたしたちは、根本的に違うのです。一緒くたにしてはいけません。あのお方は、神さまです。わたしたちは、人間なのです!



「人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。『他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。』兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。『お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。』イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王』と書いた札も掲げてあった。」



ここに描かれているのは、イエスさまを十字架につけた人々の姿です。



くじを引いて服を分け合う、というのは、当時の遊びであったと言われます。つまり、彼らはイエスさまの十字架の前で、楽しそうに遊んでいたのだ、ということです。



民衆は立って見つめていた、とあります。見物人たちです。十字架にはりつけてさらす、というのは、文字どおりさらしものにすること、はずかしめること、そのための公開処刑なのですから、見物人が多ければ多いほど、より多くの効果があり、意味を持つわけです。



服を分け合ったとありますとおり、イエスさまは服を脱がされています。丸裸です。美しい絵画や彫刻の中のイエスさまの像には、たいてい、下半身に布のようなものがかけられているように描かれますが、実際にはそのような布もなかったでしょう。はずかしめることが目的なのですから。さらしものにするための十字架なのですから。



「自分を救ってみろ」という同じ言葉を、議員たちと兵士たち、つまりユダヤ人たちとローマ人たちが言いました。そう言って、彼らは笑ったのです。



しかし、わたしがここに書いてあることを読みながら感じることは、なんだか不思議なものが見えてくるような気がするということです。



たしかに丸裸にされているのはイエスさまのほうです。ところが、です。わたしなどが感じることは、イエスさまの前で丸裸にされているのは、じつは議員たちのほうであり、兵士たちのほうではないだろうか、ということです。



それはどういうことでしょうか。今ここにいるわたしたちの中には、いわゆる議員もいませんし、兵士もいません。しかし、教師の仕事をされている(されていた)方は多くおられます。医者の方もおられます。その人々ならば、分かっていただけることではないでしょうか。



「自分を救ってみろ」という言葉は、どこかで聞いたことがあると。



いやいや、それは「どこかで」どころか、毎日のように聞いている(聞いてきた)言葉であると。



このわたしに向かって、いつも繰り返し、投げつけられている(投げつけられてきた)言葉であると。



この点では牧師も同じです。「牧師さん、人様に向かって説教する前に、まずはあなた自身に向かって説教しなさいよ」と言われることが実際にあります。



教師や医師や国会議員や兵士といった人々に対しても、同じようなことを言われることがあります。



「なぜあなたは、あの子どもの命を救えなかったのか」



「なぜあなたは、この病気を治せなかったのか」



あなたには何もできない。間違いだらけ、失敗だらけ。偉そうなことを人に言う前に、自分を救ってみろ。



十字架の上のイエスさまに向かって「自分を救え」と言っている議員たちや兵士たちのほうこそが、丸裸にされていると感じられるのは、彼らの心の中にあるものが、さらけだされているように見えるからです。



わたしが感じていることは、その言葉は、じつは、これまでの人生の中で幾度となく、彼ら自身に向かって投げつけられてきた言葉ではないのか、ということです。「議員のくせに人を救えない」、「兵士のくせに人を救えない」と、です。教師のくせに、医者のくせに、牧師のくせに、というのも同じです。



その言葉を言われるたびに、聞くたびに、彼ら自身が、最も傷ついてきたのです。



だからこそ、彼らは、イエスさまに、その言葉を投げつけているのです。



この言葉こそが、人の心を最も傷つける力を持つ言葉であるということを、彼ら自身が最もよく知っていたのです。



その言葉を用いて、彼らは、イエスさまを、最期まで攻撃し続けたのです。



「十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。『お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。』すると、もう一人の方がたしなめた。『お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。』そして、『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください』と言った。するとイエスは、『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』と言われた。」



議員たちと兵士たちが言った「自分を救え」という言葉を、イエスさまの隣で十字架につけられていた犯罪人も言いました。この人の場合は、議員たちと兵士たちの言った言葉を、ただおうむ返ししているだけのようにも感じられます。



ところが、です。イエスさまのことをそのように言われることに耐え難い思いを抱いた人が、ここに登場します。それが、イエスさまの隣で十字架にかけられていたもう一人の犯罪人です。



牧師の場合にも、そういうことがあります。「牧師のくせに」と言いだす人々が一方にいると、たいてい必ず、もう一方に「そんなことは言うもんじゃない」とかばってくださる人々が現れます。聞くに堪えないと感じてくださるようです。なるほど、その言葉は、それを言っているあなた自身にも当てはまりますよと、感じるのです。



人に向かって悪口や批判を語ることは自由です。しかし、それを言った人は、その自分が言った言葉で、必ず裁かれるのです。自分が他人をはかった秤で、自分自身もまた必ずはかり返されるときが来るのです。



ひどいのは、イエスさまのほうではなく、イエスさまを十字架につけた、あなたたちのほうであり、このわたしもそこに含まれる。イエスさまの十字架は、このわたしの醜い姿を映し出す、鏡のようである、ということです。



この人は、そのことに気づきました。十字架の上で気づきました。もう遅いと言われても仕方がない場所で気づいた。しかし、それでも、とにかく彼は、そのことに気づいた。気づくことができたのです。



イエスさまの十字架の姿を見て、最も早く、また最も深い次元で、そのことに気づくことができたのは、すでに十字架の上にいるこの犯罪人だったのです。



この人に、イエスさまは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言ってくださいました。イエスさまの十字架の意味を最初に理解し、確信することができたこの人は、十字架の上で救われたのです!



わたしたちも、イエスさまの十字架という鏡に、自分の姿を映してみましょう。



イエスさまの姿が無力すぎてイライラすると感じる人は、自分自身の無力さにイライラしている証拠です。



もしイエスさまのお語りになる言葉と存在が“ありえないほど美しすぎる”と感じるとしたら、それはわたしたちの言葉と存在が“ありえないほど醜い”のです。



わたしたちは、イエスさまの御前にいるときにこそ、自分の本当の姿を、深く知ることができます。自分の罪深さを知ることができるのです。



そして、そのわたしの罪をイエスさまが、「あなたの罪は赦される」と言って赦してくださいます。



そのようなイエスさまが、いつも共にいてくださる。



それが、わたしたちの救いなのです!



(2006年11月19日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年11月12日日曜日

「泣きながらイエスの後を追う」

ルカによる福音書23・26~31



今日の個所を読みまして、安心とまでは言えませんが、ほんの少しだけですが、気持ちが落ち着くものを感じることができました。それは、わたしだけでしょうか。



「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。」



今日の個所に記されていることは、イエスさまが十字架にかけられるゴルゴタの丘までの道には、大勢の人がいた、ということです。そこは人が誰もおらず静まり返った中を、一人イエスさまだけが、苦しみの道を歩まれた、というわけではない、ということです。



加えて、イエスさまの姿を見て「嘆き悲しむ」人々がいた、ということも分かります。つまり、その日のエルサレム、イエスさまの周りには「イエスを殺せ、バラバを釈放しろ」と騒ぎ立てた人々だけがいたわけではない、ということです。



なんとなく気持ちが落ち着く、と申し上げましたのは、そこにいたのは凶暴な殺し屋のような人々だけではなかったことが、分かるからです。苦しみに満ちたイエスさまのお姿を見て、悲しみという感情を持つことができる、流す涙をもっている、人間の心を持っている人々がいるということが、分かるからです。



これと異なるのは、ヨハネによる福音書です。ヨハネは、イエスさまの周りにはキレネ人シモンや大勢の婦人たちがいた、というようなことは何も書いていません。それこそ、他に誰もいない道を、ただひとりイエスさまだけが、御自分で十字架を背負いつつ歩いておられるようなイメージが浮かびます。



そのヨハネが「イエスは、自ら十字架を背負い」(19・17)と書いています。ところが、ルカによる福音書は、またマタイとマルコも、イエスさま御自身が十字架を背負われた、とは書いていません。ヨハネ以外の三つの福音書は、イエスさまの十字架を背負ったのは、キレネ人シモンという人であるとしています。



どちらが正しいのかという議論は、わたしは苦手です。処刑台としての十字架は非常に重い木材であったと考えられます。嫌な話ですが、それは一人の人間の重さに耐えるだけの強さをもつ木です。



木造住宅の建築現場をご覧になったことがある方、あるいは実際に材木を背負ったことがある方ならば、ちょっとした材木でもその重さや太さや堅さがどれほどかを、ご存じでしょう。



夜通し拷問され、食事も水も口にできず、ひどい裁判を受けておられたイエスさまが、重い木材を運ぶことがおできにならなかったとしても、当然です。



ヨハネ福音書と他の福音書の違いについては、両方とって、十字架の前のほうをイエスさまが担ぎ、後ろのほうをシモンが担いだとか、最初はイエスさまが担いでおられたが、途中からシモンが交代したとか、いろんな可能性を考えることができるかもしれません。いずれにせよ、わたしたちには、書いてあることしか分かりません。



ただし、です。安心とまでは言えない、とも先ほど申し上げました。もちろん、わたしたち自身の苦しみとイエスさまの十字架の苦しみを単純に比較することはできません。しかしそれでも、わたしたちにも分かると言える部分もあります。わたしたちだって、けっこう毎日苦しい思いをしながら生きているからです。



そのわたしたち自身の苦しみを考えるときに、イエスさまの十字架までの道は、だれもいない寂しい道であったと考えるのか、それとも、そこにはたくさん人がいて、悲しみの涙を流す人もいたと考えるのかで、大きな違いが出てくるようにも思います。



とくに考えさせられることは、どちらのほうがより苦しみが大きいかということです。人によって違うかもしれませんが、なかには、だれもいないところで一人で苦しむほうが楽である、と感じる人々も、決して少なくないのではないかと、わたしは思います。



わたしたち人間の心は複雑にできています。わたしの周りには、たくさんの人がいる。わたし以外のみんなのことが、幸せそうに見える。その中で、わたしひとりだけが、なぜ苦しまなければならないのか。そのようなことを、わたしたちは、必ずと言ってよいほど考えるのです。



今、わたしのために涙を流してくれている人々も、心の中では別のことを考えているかもしれないとも、必ず考えるでしょう。素直でないとか、うがった見方、とばかりは言えないはずです。



人の中にいることは、つらい。地獄にいるように感じる、という人がいます。多くの人々に囲まれていることばかりが、幸せではないのです。



多くの人々の只中でひとりで十字架の苦しみを耐えることのほうが、自分一人で苦しむことよりも、つらいかもしれないのです。



「イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。『エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け。人々が、「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、「我々の上に崩れ落ちてくれ」と言い、丘に向かっては、「我々を覆ってくれ」と言い始める。「生の木」さえこうされるのなら、「枯れた木」はいったいどうなるのだろうか。』」



泣きながらイエスさまの後を追いかけている多くの女性たちに向かって、イエスさまがおっしゃったことは、「わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け」ということでした。これはもちろん、イエスさまの本心からのお言葉であった、と言わなければならないでしょう。



イエスさまは、ある意味で(ある意味で!)、泣いているその人々を、批判されました。その涙の意味は違うでしょうということを、おっしゃいました。涙の流しどころが違うのではないかと。かわいそうなのは、このわたしではない。かわいそうなのは、あなたがたのほうである、とおっしゃっているのです。



ただし、このイエスさまは、腹を立てておられるわけではなく、怒っておられるわけではなくて、また意地悪を言っておられるのでもなく、本心から女性たちの心配をしておられるのです。また、そこにいた女性たちから将来生まれるであろう、子どもたちの心配をしておられるのです。



なぜ心配をしておられるのか、その理由は、はっきりしています。イエスさまが、つい先ほどまでおられ、ひどい目に合わされていた場所に集まっていた人々、すなわちユダヤの最高法院の人々(祭司長、律法学者、長老など)、そしてまた、ローマ総督ポンティオ・ピラト、ユダヤの領主ヘロデ、この人々が全くでたらめだったからです。



このような全くでたらめな人々が支配している国は必ず行き詰るであろう、滅びるであろう、ということを、イエスさまは、おっしゃっているのです。



イエスさまが語っておられるのは、神の民イスラエルの住むこの国も、エルサレム神殿も、滅び、焼き尽くされる日が来る、ということの予言であり、予告です。



山に向かって「われわれの上に崩れ落ちろ」とか、丘に向かって「われわれを覆え」と言うのは、わたしたちを殺してくれ、という意味でしょう。人生に絶望し、この苦しみの日々が続くくらいなら、この人生を早く終わりにしたい、終わらせてくれ、と願う人々が多くなる、ということの予言です。



「生の木」と「枯れた木」の意味は、必ずしも明快に分かるとは言えないものですが、考えられることは、「生の木」とは神の民イスラエルのこと、「枯れた木」とは異邦人のことではないか、というあたりです。



神の民イスラエルは、神の言葉を委ねられた特別に選ばれた人々です。信仰のいのちを与えられた人々です。その人々でさえ、つまり、“いのちの水をたくさん含んだ燃えにくい生木”にさえ火が放たれ、焼き尽くされてしまうのに、まして“燃えやすい枯木”の場合は、どうなるのか。たちまち燃え尽きてしまうだろう、という意味ではないかと考えることができます。



つまり、イエスさまは、これから十字架の上にかけられて死ぬ・殺されるという直前にあって、考えておられたこと、心配しておられたことは、御自身のことではなかった、ということです。イエスさまは、目の前にいる人々についての心配であり、この国の人々、神の民と異邦人の運命であり、この地上の世界の歴史と将来を、心配しておられるのです。



イエスさまは、命乞いをするようなことは、一切なさいませんでした。しかし、絶対に誤解していただきたくないことがあります。イエスさまは、御自分の命を粗末にしておられるのではない、ということです。死んでも構わないとか、命など惜しくないとか、この地上の人生などどうだっていいのだ、というようなことを、考えておられたわけではないのです。そのようなことではないのです。命乞いをしないことと、自分の命を軽く考えることは、全く違います。



そうではなくて、イエスさまは、御自身の命をかけて、その国に生きている人々の将来を心配しておられるのです。そして、自分の罪を悔い改めること、神を信じること、信仰によって生きることの意味を、最期まで、語り続けられたのです。



わたしたちにイエスさまと全く同じことができるわけではないかもしれません。しかし、そういうことは、わたしたちにも、ある程度までは、できるのだと思います。



もちろん、わたしたちは、自分の命を大切にしなくてはなりません。今にも殺されそうだというときに命乞いをすることは、わたしたちには許されていることであり、必要なことでもあるのではないかとさえ、わたしは思います。



しかし、その面と同時に考えなければならないことがあります。それは、わたしたちの命には、限りがある、ということです。すべての人は、いつかこの世を去らなければならない、ということです。



そして、その場合に、です。「わたしは、どのみちあとわずかで死ぬのだから、他人のことを考えたり心配したりしている暇はない。自分のことだけで精一杯である」というふうに考えるのか。



それとも、「残されている時間は残りわずかであるからこそ、その短い時間を、共に生きている人々を愛し、心配し、また世界と人類の将来について深く考え、祈ることのために、ささげよう」と決心するのか。



ここに大きな違いが出てくると思うのです。



後者の決心は、イエスさまにしかできないことではなく、このわたしたちにも、できることです。のこされる人々のことを愛すること、心配することは、わたしたちになしうる最後にして最良の奉仕なのです。



また、自分の国がでたらめな人々によって支配されていることを心配する思いもまた、イエスさまだけではなく、昔から今日に至るまで、多くの人々が抱いてきたものでもあります。



自分が世を去るときに、次の世代ないし時代の人々のことを心配すること。



人類の歴史、世界の将来をおもんぱかる、という思い。



これは、非常に高邁なものです。



このようなことを、自分の人生の最期に考え語ることができるかどうか、というあたりで、急に心もとなくなってしまうのも、わたしたちです。



実際は、何も分からない状態になってしまうかもしれません。しかし、神さまにお委ねしましょう。



わたしたちの最期の日に、この心の中に、人のことを思いやる気持ち、心配する気持ち、また、願わくは“愛”が残っていることを、祈り求めようではありませんか。



そしてまた、神さまを見上げ、信じる思い、“信仰”が残っていることを、祈り求めようではありませんか。



十字架に向かって歩まれるイエスさまのお姿を思いながら考えさせられるのは、このようなことです。



(2006年11月12日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年11月5日日曜日

「十字架がなぜ救いか」

ルカによる福音書23・13~25



今日の個所に記されているのは、わたしたちの救い主、イエス・キリストが、十字架につけられる日の朝、ローマの総督ポンティオ・ピラトの前で、裁判を受けておられる場面です。その裁判は明らかに不当な裁判であったことが分かるように記されています。



「ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。『あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』しかし、人々は一斉に、『その男を殺せ。バラバを釈放しろ』と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、『十字架につけろ、十字架につけろ』と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。『いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たるような犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方を彼らに引き渡して、好きなようにさせた。」
 
今日の個所から分かる重要なことが、いくつかあります。



第一に分かることは、イエスさまの裁判の裁判長となったポンティオ・ピラト自身が、被告人としてこの法廷に引き出されているイエスさまのことを「この人は無罪である」と確信している、ということです。



第二に分かることは、このイエスは無罪であると確信しているピラトの思いは、彼自身が心の中で密かにそう思っていただけのことではないということです。



このピラトの思いは、最高法院という当時のユダヤのまさに最高裁判所(最高法院)で、そこにいたすべての人々の前で、また彼自身は最高裁判所判事の立場で、まさに公の人間として公の場所で、そして騒然とした場所の中でもみんなの耳に聞こえるほどの大きな声で、発言されたことである、ということです。



政治家や法律家の場合、あるいは学校や教会の教師たちの場合も同じであると思いますが、その思想が、その人の心の中で思い描かれているだけか、それとも、それが公の場所で実際に発言されたことかの違いは非常に重要です。ピラトは、ぼそぼそ独り言を言っているわけではありません。公の発言として「この男は死刑に当たるようなことは何もしていない」と認めたのです。



しかし、それにもかかわらず、です。第三に分かることは、そのピラトの公の発言が、その法廷にいた多くの人々の声によって否定され、くつがえされ、ピラト自身が撤回することを余儀なくされたのだ、ということです。



そして、第四に分かることは、その法廷にいた多くの人々は、具体的にはどういう人々であったか、ということです。それが13節に書かれています。「祭司長たちと議員たちと民衆」です。宗教者たちと、政治家たちと、一般国民です。通常は“善良な一般市民”と呼ばれてもよい人々です。



その人々が声を合わせて、「イエスを殺せ。十字架につけろ」と叫んだのです。そして、暴動と殺人を犯して投獄されていたバラバを釈放しろ、とも言ったのです。



これで分かることは何でしょうか。ここから先は、わたしたちの想像力が問われます。わたしが考えたことは、次のことです。



裁判長自らが無罪であると確信しているイエスさまが一般市民の声によって、この世界の中から追放され、抹殺されようとしている。かたや、客観的な犯罪に手を染めた人物が、これまた一般市民の声によって、無罪放免にされようとしている。



それが意味していることは要するに、天と地がひっくり返っている、ということです。正義が不義とされ、不義が正義とされている。逆立ちしている状態です。倒錯(とうさく)という言葉が当てはまります。



しかも、間違いなく重大であると言わざるをえないのは、この場所が最高法院であるということです。それはまさに最高の法廷です。その国の最高の法の番人たちが住んでいる場所です。つまり、イエスさまの裁判において問題になっていることは、その国の法律であり、まさに国家存立の基盤そのものである、ということです。



ただし、です。ここでちょっと注意しておかなければならないことがあります。それは、このイエスさまの裁判の場所に集まっている「祭司長たちと議員たちと民衆」に関して、実際にはどれくらいの人数を想像すればよいのかということです。



具体的な人数は、どこにも書かれていません。しかし、最高法院を構成していた正議員は七十人であったという点が参考になると思います。もう少し正確に言えば、最高法院には七十人に加えて一人ないし二人の議長がいたと言われますので、七十一人ないし七十二人という数字になるかもしれません。



しかし、そのような細かいことは今の問題ではありません。だいたい七十人の人々が、正議員席に座っていた。



具体的な数が把握できないのは「民衆」です。「民衆」と呼ばれている人々が最高法院においてどのような位置づけにあったのかは分かりません。



ただし、です。この個所に記されていることを注意深く読みますと、ここにいる「民衆」は、ピラトが“呼び集めた”人々であることが分かります。



つまり、ユダヤの国内や外国からエルサレム神殿に参拝しにきて、面白半分に、最高法院の裁判のほうもついでに見物してみようかという感じで集まって来た野次馬、という感じでもない。裁判長ピラト自ら“呼び集めた”(招集した)人々という意味で、正当な参加資格を持っていた人々ではないかと考えられるのです。



イエスさまの時代のユダヤの国に、現代の陪審員制度のようなものが存在したとは考えにくいことですが、一般人を正規の法廷に陪席させていたことが分かるという点で、興味深い記事であると思います。



しかも、最高法院の会議ないし法廷が開かれる場所はエルサレム神殿の境内地内にある「方石の廊」であったと言われています(『旧約新約聖書大事典』教文館の「議会」の項)。



「廊」とは廊下のことです。ロビー、もしくは通路のことです。そこがどれくらいの広さだったのかなどは、分かりません。しかし、最高法院の正議員七十人と、その他の陪席者を合わせて百人も入れば一杯、二百人などは入ることができないような場所ではなかっただろうかと、わたしは想像するのです。



わたしがどの点にこだわっているのかを申し上げます。



イエスさまの裁判の場所にいた人数として想像できるのは、せいぜい百人、多くても二百人くらいだったのではないかと、わたしは考えます。それが意味することは何か。



たかだか百人、二百人の張り上げる大声で、ということはつまり、ユダヤの国の中ではごくわずか、まさに一握りの少数者の声で、ピラトは、自分の確信することを曲げた結論を出したのだ、ということです!



ローマから派遣されてきた総督として、いくらか第三者的な立場にあったにせよ、ユダヤというこの国の統治を任され、法の番人としての役割を与えられていたにもかかわらず、です。



彼は、自分の確信を投げ捨て、「無罪である」と一度は公に宣言した人を死刑に定める決定をしてしまったのだ、ということです。これは、全くとんでもないことです。



これで分かることは、ピラトの目線は、一般国民のほうに向いていたのではなく、目の前に座っている少数の政治家たちや、少数の宗教家たちのほうに向いていた、ということです。



もっとはっきり言うならば、ピラトの関心は、社会の正義と公平が守られることではなく、自分自身の立場と、ごく一部の特権階級にある人々の利益を守ることだけだった、ということです。



「それこそが政治家だ」と考えるか、それとも「そんなのは政治家失格だ」と考えるかは、人それぞれかもしれません。



そして、そのことのためなら、ピラトは、無罪の人を死刑に定められることさえ許してしまうほどに、軟弱で、風見鶏的で、事なかれ主義的な人であった、ということです。



そして、次のことが明らかです。白いものが黒いとされる。黒いものが白いとされる。そのようなことを語りかつ実行する人々に支配されているような国や社会は、必ずや行き詰まり、崩壊し、滅び去るであろう、ということです。



わたし自身は、大きなことを言える立場には全くおりません。しかし、あえて言わせていただくならば、“法の番人”と呼ばれるような人々に言いたいことがあります。それは、自分が語った言葉に、もっともっと、命をかけてほしい、ということです。



自分の言葉に命をかけることが求められる点では牧師も同じかもしれません。「牧師は命をかけて説教しているのだ」と、吉岡繁先生が教えてくださったとおりです。吉岡先生の言葉には続きがありました。「だから教会の皆さんも命をかけて説教を聴いてほしい」と。



しかし、実際にはそのようになっていない現実があるのかもしれないと言わざるをえません。



言葉が軽すぎるのではないか。



そのことを、よく反省してみなくてはなりません。



命をかけて語るというには、程遠い現実があるのではないかと。



「十字架がなぜ救いか」。このことを皆さんと一緒に考えたくて、今日の説教のタイトルにしました。ただし、わたしの意図は、かなり逆説的です。



この悲惨そのもの、表現できないほどの人間のおぞましさ、軽薄で、単純で、取り返しのつかない罪の結果としての、あの“十字架”が、です。



何の罪もないどころか、多くの人々を愛してくださり、救いのみわざを行ってくださり、慰めと励ましの言葉を語ってくださったお方、わたしたちの救い主イエス・キリストを死に追いやった、あの“十字架”が、です。



あの十字架、あの十字架が、なぜ「救い」であると言えるのかと、問いたいのです。



今日は、その問いに対する十分な答えを語るだけの時間は、もはや残されていません。そもそも答えなどあるのか、と言いたい気持ちもあります。しかし、ただ一つの点だけ、最後に申し上げておきます。



それは、イエス・キリストがかけられている十字架の像を思い巡らすとき、わたしたちが感じることは、「このわたしは、十字架の上にはいない」ということです。



また、ピラトもいないし、祭司長や律法学者たちも、十字架の上にはいない。イエスさまの弟子たちもいない。



ただひとり、イエスさまだけが十字架の上におられるのです。まさに文字どおり、言葉どおりに「わたしたちの身代わりに」イエスさまは死んでくださったのです。



つまり、これは、まさに文字どおり、言葉どおりに「命をかけて」御言葉を語り、愛のみわざを実行してくださったのは、イエスさまだけである、ということに他なりません。



だれにもできないことを、イエスさまが「身代わりに」してくださる。だからこそイエスさまは、“わたしたちの救い主”であられるのです!



とはいえ、もちろん、だからといって、それは、わたしたちがこれからも反省なく軽い言葉を語り続けてもよい、という言い訳の根拠ではありえないでしょう。あるいはまた、白いものを黒と、黒いものを白と言い張るような偽りの判断を、黙って見過ごしにすることは、できないでしょう。



しかし、です。「わたしたちには罪があり、限界がある」ということを、深く知ることができるのも、イエスさまの十字架を見上げるときです。



わたしたちは、自分の罪と限界を知るときにこそ、初めて、真の謙遜の道を知ることができ、また「わたしには救い主が必要である」ということを知るのです。



反対に、自分の罪と限界を知らず、その意味でまさに“恥を知らない”人々、謙遜さを忘れた人々が権力の座につくとき、国と社会がメチャクチャになるのです。



「十字架が救いである」と語りうる瞬間は、わたしたちが真の謙遜を自覚すべき場面で訪れるでしょう。



イエスさまが十字架についてくださったおかげで、「真の謙遜とは何か」ということを知ることができるようになったのです!



「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ14・11)。



イエスさまのこの約束は、永遠に守り抜かれるでしょう。



(2006年11月5日、松戸小金原教会主日礼拝)



【追記】



上の説教の内容に関して、ある方から、たいへん貴重なご指摘をいただきました(指摘をいただけること自体、とても有難いことです)。



わたしは、ピラトがイエス・キリストに死刑を言い渡した場所について、それが“方石の廊”という最高法院の議場であったかのように受け取れることを、たしかに申し上げました。



しかし、その場所はヨハネ福音書19・13に基づいて「ガバタ(敷石)」であった、と語るべきではなかったでしょうか。当時のユダヤ人たちは、ある程度の自治権を与えられていました。もしユダヤ最高法院(サンヘドリン)の議場にローマ総督ピラトが足を踏み入れたとしたら、ユダヤ人たちは暴動を起こしたのではないでしょうか、というご指摘でした。



このご指摘は、ごもっともです。誤解を生むようなことを語ったことは、お詫びしなくてはなりません。



ただし、わたしの意図はイエスさまの裁判が行われた(地理的・考古学的な)場所を特定することではなく、別のところにありました。



その意図をご説明しましたところ、その方は、だいたい納得してくださいました。



その方へのお返事は、以下のとおりです。少し長いものですが、ご参考までに、公開用に編集したうえで、皆さまにもご紹介いたします。



---------------------------------------------------------------



○○○○様、貴重な御意見をいただき、本当に感謝です。



一応、当方の弁明を申させてください。以下のとおりです。



(1)四福音書の比較について



何といいかげんな、と思われるかもしれませんが、わたしの基本的な説教理解においては「四福音書の比較」ということに、あまり重きを置かない、という点があります。



それは、もし四福音書の間に矛盾が見つかっても、そのまま放置する、という態度です。



「マタイ福音書に基づくイエス伝」と「マルコ福音書に基づくイエス伝」と「ルカ福音書に基づくイエス伝」と「ヨハネ福音書に基づくイエス伝」は、内容が違っていて当然である、と考える立場です。



「違っている」と指摘された場合は、「違っていますねえ」と言って笑うだけ、という態度です。いいかげんと言えば、これほどいいかげんな話はないのかもしれません。



少し理屈っぽい言い方を許していただきますならば、「テキストの背後の歴史的事実には、できるだけ立ち入らない」という考えです。



そして、強いて言うならば、テキストに書いてある“文字”を重んじるということを心がけているつもりです。「書いてあること」以上のことは、“想像力”の範疇にある、と考えています。



ただし、これはあくまでも、自分の説教の場合の話です。他の教師や長老が行う説教において「四福音書の比較」がなされている場合には、最大限に尊重します。



その比較自体が間違っているとも思いません。わたしは、それをあまりしない、というだけのことです。



(2)“比喩”としての「最高法院」



このたびの説教において、わたしは、たしかに、“裁判長ピラト”が“最高法院の議場”で「イエス死刑」の宣告をしたかのように、語りました。そのことを認めます。



ただし、それは、ルカ福音書を共に開いているわたしたちが、ここに書かれていることを読むかぎりにおいて想像しうる範囲内で考えると、こうなる、というくらいの気持ちでした。



ルカ23・13でピラトが「祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めた」“場所”は、ルカには明記されていません。強いて特定しようとするならば、「ピラトのもと」(23・1)と書かれているのが、その“場所”でしょう。



もちろん、わたしは、昨日、最高法院の会議が行われた場所として「方石の廊」という具体的な“場所”の名前を言いました。それは、拙かったかもしれません。



しかし、わたしが強調したかったことは、「方石の廊」というような地理的な場所の問題ではなく、「ピラト」という権威を与えられた一人の人間の“もと”に集まった人数は、どれくらいだったのだろうかという、この点だけでした。



その人数は、たぶん、せいぜい100人か、多くて200人くらいだったのではないか、というこの点だけが、わたしの関心事でした。それくらいの人数しか入れない場所だったのではないか、という想像力を働かせてみたにすぎません。



“ピラトのもと”が、実際の最高法院の議場だったのか、それともピラト官邸だったのか。もしどちらかを選ばねばならないとしたら、四福音書の比較に基づいて「ピラト官邸」である、というべきだったかもしれません。



しかし、“ピラトのもと”に「祭司長たちと〔最高法院の〕議員たちと民衆」が“呼び集められ”(招集され)、そこでピラトが「彼らの要求をいれる決定を下した」(23・24)ことが、“事実上の”結審になったように、“ルカは”書いています。



その結審が言い渡された場所が「方石の廊」であったか、それとも「ピラト官邸」であったかはともかく、“事実上の最高法院”(「その国における最高かつ最後の裁判が行われた場所」という意味で)であった、という読み方を、わたしはしたのです。



つまり、わたしは、一種の“比喩”として「最高法院」という言葉を用いたのです。



(3)「ガバタ」はどこか



わたしが「四福音書の比較」に重きを置かないようにしていること、また、「テキストの背後の“歴史的事実”」には、できるだけ立ち入らないようにしていること、の理由を申し上げておきます。



この二つの点(四福音書の比較、テキストの背後の“歴史的事実”)は、結局のところ、どこまで行っても“考古学”の問題になるからです。



考古学は、夢とロマンの結晶です。大いに参考になることがありますし、たいへん興味深いことばかりではあります。



しかし、それは参考以上のものではないし、どこまで行っても仮説の域を越えるものではないというのが私の感覚です。



「ガバタ(敷石)」(ヨハネ19・13)がどこなのか、ということ一つ取っても、いろいろな説があり、議論が続いている(この議論には、おそらく終わりがない)と言われています。



まさか、わたしは、自分が説教で語った「方石の廊」こそが「ガバタ(敷石)」である、ということを言い張ってみようというつもりは、毛頭ありません。



そうではなく、“仮説の上に説教の根拠を置くことはできない”と考えているだけです。



ともかく、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。



(2006年11月6日記す)



2006年10月29日日曜日

「暗き世に輝く光」

ルカによる福音書22・63~23・12



わたしたちの救い主イエス・キリストは、十二弟子の一人であったイスカリオテのユダに裏切られ、また一番弟子であったシモン・ペトロから三度も知らないと言われて、全くの孤独のうちに、十字架への道を歩みだしました。



イエスさまがユダヤ人たちの手に引き渡され、最初に連れて行かれた先は、最高法院(サンヘドリン)でした。



今日お読みしました最初の段落に記されているのは、最高法院の法廷に引き出される前に、イエスさまが、見張り番たちによって侮辱されたり殴られたりした場面です。



「さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。そして目隠しをして、『お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ』と尋ねた。そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。」



ここに出てくる一連の出来事が、正確な順序どおりに記されているかどうかは、分かりません。分かりませんので、書かれているとおりに説明していくほかはありません。



見張り番たちは、まずイエスさまを言葉で侮辱したり、こぶしで殴りつけたりしました。一人のイエスさまを、複数で痛めつけました。



そのあと「目隠し」をしました。これは、イエスさまの頭の上から袋をかぶせたという意味です。紙の袋なのか、それとも布の袋なのかは分かりません。とにかく、イエスさまの目をふさぐことが目的で、袋をかぶせました。



そして、おそらく、また殴ったのです。だからこそ彼らは「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言いました。これは、「イエスよ、お前なら、それくらいことはできるだろう」という意味だと思います。お前は自分のことを神の子だとか救い主だとか言っているらしいではないか。それなら、だれが殴ったかくらいのことは分かるだろう、という意味でしょう。



垣間見ることができるのは、彼らの神理解です。あるいはまた、それは彼らの宗教理解であると言ってもよいかもしれません。



目隠しされていても自分を殴った相手がだれかを言い当てることができる。それがその人の神であることの証拠である、という神理解です。もし全知全能の神であるならば、そういう“超能力”を持っているはずだと考える神理解です。宗教とは、その種の“超能力”を信じることである、という宗教理解です。



そして、それを反対から言えば、もしだれが殴ったかを言い当てることができなかった場合は、神ではないことの証拠になるのであり、また偽の宗教であることの証拠になる、という考え方でもあるということです。



これを何と言えばよいのでしょうか。なんとも表現しがたいものがあります。わたしの心に浮かぶ言葉は「くだらない」の一言です。彼らはサディスト以外の何ものでもありません。少しは恥を知るべきです。



しかし、実際の場面でそういうことは、なかなか言えないことかもしれません。子どもたちのいじめの問題が思い浮かびます。ある子どもがいじめられている。その子をかばうと、かばったその子ども自身が今度はいじめの対象になる。だから、だれもかばわない。だれにもかばってもらえない子どもは人生に絶望してしまう。その結末は、悲惨です。



いじめの問題はどうしたら解決できるのでしょうか。根本的な解決策は何かということをみんなで考えているところです。教会が明快な答えを持っているわけではありません。しかし、ぜひ考えてみていただきたいことがあります。



それは、人をいじめることを何とも思わない人は、イエスさまがいじめられている姿をよく見てほしい、ということです。そして同時に、イエスさまをいじめている人々の姿を見てほしい、ということです。彼らの姿が美しいものか、それともみにくいものかを、よく見てほしい。とてもみにくい彼らの姿は、自分自身の姿でもある、ということに気づいてほしいのです。



「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、『お前がメシアなら、そうだと言うがよい』と言った。イエスは言われた。『わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。』そこで皆の者が、『では、お前は神の子か』と言うと、イエスは言われた。『わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。』人々は、『これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ』と言った。」



夜が明けました。その直前に、ペトロが三度イエスさまを否定したあと、朝を告げる鶏が鳴いたわけです。「鶏が泣く前に」というイエスさまの予言は、「朝を迎えるまでに」という意味を含んでいた、と考えることもできるでしょう。



ふと気づかされたことがあります。それは、次のことです。「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった」とあります。夜は人が眠る時間です。長老たち、祭司長たち、律法学者たちは、夜の間、ぐっすり眠っていたに違いありません。



ところが、イエスさまには、どう考えても、眠る時間が与えられていません。眠る時間を与えられず、夜じゅう、殴る蹴るの暴行を加えられていた。イエスさまは、ぐったり疲れておられた。かたや、ぐっすり眠って元気を回復してきた人々が、しつこい尋問を行うのです。典型的な拷問のやり方であると思います。



「お前がメシアなら、そう言うがよい」と。そう言いさえすれば、メシアを名乗るうそつき人間としてこのイエスというこの男を訴えることができる、というのが、ユダヤ人の腹です。



彼らがイエスさまの口から聞きだそうとしたことは、「わたしはメシアである」という言葉です。あるいは「わたしは神の子である」という言葉です。それを語ることが罪であるというわけです。真の神を冒涜する罪であり、虚偽を語ること、つまり、うそつきである、というわけです。



しかし、これは困ったことです。まことのメシアであるお方が「わたしはメシアである」と語ることが、うそつきだと言われるならば、どうしたらよいのでしょうか。



単純な比較はできないと思います。しかし、わたしは関口康です。そのわたしが「わたしは関口康である」と語ることがうそつきであると言われるなら、どのように自己紹介してよいか分からなくなります。いや、ニセモノだ。お前は関口康ではない、とか言い張られても、ただ困るだけです。



そのときは、「わたしは関口康である」というこのわたし自身が語る言葉を信じていただくほかはありません。そこで問われていることは「信じること」です。信じてくれない相手に対しては、語る言葉を失うのです。



いわばそれと同じように、と続けることができるでしょう。いわばそれと同じように、イエスさまの場合も、真の神の子であり真のメシアである方が、「わたしはメシアである」とお語りになるとき、それがうそであると決めつけられ、言い張られ、罪人のレッテルが張られなければならないとしたら、どうしたらよいのでしょうか。語るべき言葉を失うのです。



「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう」とイエスさまはおっしゃいました。信じない相手の前ではイエスさまは沈黙されます。そういう人々の前で語ることは、はっきり言って、むなしいだけです。



「では、お前は神の子か」という問いに対して、イエスさまが「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」とお返しになったのは、直接的な肯定ではなく、また否定でもありません。「それは、あなたたちが言っていることである」という言葉の裏には、「それは、わたしが言っていることではない」という意味が含まれています。この翻訳は正確であると思います。



このようにお語りになることで、イエスさま御自身が茶化しておられるとか、ふざけておられるわけでもありません。語る言葉がないのです。信仰を持っていないひとの前では、黙るほかはない、という場面があるのです。



「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。『この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。』そこで、ピラトがイエスに、『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは、『それは、あなたが言っていることです』とお答えになった。ピラトは祭司長たちと群集に、『わたしはこの男に何の罪も見いだせない』と言った。しかし彼らは、『この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです』と言い張った。」



「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と彼らは言いました。



はたして、こういうことを、イエスさまは、いつどこでおっしゃったでしょうか。言っていないことを言っていると言う。「言った・言わない」という話は、たいてい水掛け論に終わります。しかし、イエスさまが「皇帝に税を納めるのを禁じた」などというのは全くのでたらめであることは明らかです。



「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と彼らは言いました。民衆扇動者とは、デマゴーグと呼ばれます。イエスさまはデマを流した人であると、言われたわけです。



しかし、イエスさまが語ってこられたことは、デマでしょうか。



聖書の御言葉に基づく説教は、デマでしょうか。



ひとを罪と悪の縄目から解き放ち、救い出すことは、民衆扇動でしょうか。



何とひどい言い草かと思います。



「お前がユダヤ人の王なのか」と問いかけるピラトに対しても、イエスさまは、「それは、あなたが言っていることです」とだけお答えになりました。イエスさまは、直接的な肯定もされていませんし、否定もされていません。



「これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲良くなった。それまでは互いに敵対していたのである。」



ローマ帝国の支配下にあったユダヤの国には裁判の権利が与えられていなかったために、何か裁判の必要が生じた場合には、ローマ帝国の法治権に訴え出るしかなかったのです。



そして、ローマ帝国の法治権をユダヤの国の中で行使できたのは、ポンティオ・ピラトという総督でした。ローマ人ピラトのもとでイエスさまの裁判が行われることになった事情は、まさにこのあたりにあります。



ところが、ローマ総督ポンティオ・ピラトは、イエスさまの言動に罪らしきものが認められないと感じました。そして、ユダヤ人の問題は自分の手には負えない、と持て余したので、イエスさまをヘロデのもとに送りました。ヘロデはユダヤの国の王だったからです。



ところが、イエスさまは、ヘロデの前では、何もおっしゃいませんでした。そのイエスさまの態度にヘロデは腹を立て、さんざん侮辱した上でピラトに送り返しました。



「この日、ヘロデとピラトが仲良くなった」と書かれています。「それまでは互いに敵対していたのである」ともあります。お互いに敵対しあっていた二人が、この機会に仲良くなった理由は何でしょうか。



かつての敵対関係は、非常に激しいものでした。互いの権力をねたみあっていました。力関係としては、ローマ帝国からユダヤの国に派遣されている総督であったピラトのほうが上、ローマ帝国の属国となっていたユダヤの国の王であるヘロデのほうが下であった、と考えられます。その中で、ヘロデの側はそのような力関係に我慢ができずにいましたし、またピラトの側はヘロデの反抗的な態度を不愉快に思っていました。



ところが、その両者がイエスさまとの関わりあいの中で仲良くなった。その理由ないし原因として考えられることは、次のことです。



ヘロデに対してピラトがイエスさまの扱いを委ねた。そのとき、ヘロデとしては、ピラトが自分の存在を認めてくれた、と感じたのです。自分に敬意を表してくれた、と感じたのです。そのようにしてヘロデは、とにかく、ある種の満足感を得ることができたのです。それが両者の関係改善のきっかけになったのであろう、と考えることができるのです。



かくしてヘロデとピラトが仲良くなりました。ローマ帝国の代表者とユダヤの国の代表者が一時的にせよ、仲良くなりました。イエスさまを苦しませ、十字架にかけて殺すことにおいて、両者が一致しました。イエスさまを、またイエスさまを信じる人々を苦しめ、弾圧し、殺すための権力が一致団結しました。闇の力が結集していった様子が分かります。



その人々の前で、イエスさまは、抵抗なさいませんでした。取り乱すというようなことも一切ありませんでした。静かに、そして冷静に、十字架への道を進んで行かれました。そのイエス・キリストのお姿は、わたしたち信仰者の模範として、まさに“暗き世に輝く光”(讃美歌282の歌詞、宗教改革記念日!)そのものでした。



イエスさまの栄光のお姿を見つめること。



そして同時にイエスさまを苦しみに遭わせる人間の姿を見つめ、その人間の中にわたしたち自身の罪深い姿を見出すこと。



これが重要なことなのです。



(2006年10月29日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月22日日曜日

「今日、鶏が鳴く前に」

ルカによる福音書22・54~62



「あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」。そのように、わたしたちの救い主、イエス・キリストは、十字架にかけられる前の夜、最後の晩餐の席で、弟子ペトロに言われました。そのとおりのことが、現実に起こったのです。



「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。」



イエスさまは逮捕され、大祭司の家に連れて行かれました。そのあとをペトロがついていきました。「遠く離れて従った」とは、だれにも見つからないようにこっそり尾行した、ということでしょう。そして、屋敷にいた人々の中に混ざって、様子を見守っていました。



ここでわたしは、二つの疑問を投げかけたいと願っています。第一の疑問は、ペトロはなぜ「遠く離れて」従ったのでしょうか、というものです。



答えははっきりしています。もしこの時点でペトロが目立つ行動をすると、イエスさまと同じように逮捕されるからです。ペトロは逮捕されるのが嫌だったのです。だからこそ、「遠く離れて」いたのです。そのように説明することができると思います。



しかし、ここで第二の疑問が湧いてきます。ペトロには実際に逮捕される危険があり、しかも逮捕されるのが嫌だったのだとするならば、彼はなぜ、「遠く離れていた」とはいえ、イエスさまに「従った」のか、という疑問です。



この問いには、模範解答があるわけではありません。しかし、こういうことをじっくり考えてみることが大切です。また、この問題は、わたしたちにとって非常に重要な意味を持っていると感じます。ペトロのとった行動に映し出されているのは、わたしたち自身の姿であると思われてなりません。



「つかず離れず」という言葉があります。これは通常、人間関係の深さや距離感、物事に対する興味・関心の度合いを表す言葉です。あまり深く関わり過ぎないことです。自分の立場や利益やプライドなどに危害や迷惑が及ばない程度の距離をとり、うまく付き合うことです。



この言葉がまさに当てはまるでしょう。イエスさまが逮捕された後、ペトロはイエスさまとの間に「つかず離れず」という距離を保つ態度ないし行動をとったのです。



しかし、わたしは、ここでのペトロの態度を、できるだけ肯定的に理解したいと願っています。「遠く離れて」はいました。しかし、大切なことは、それでもペトロは「従った」ということです。この点は評価できることです。



ペトロの心境の正確なところは、分かりません。居ても立ってもいられなかった、というあたりではないでしょうか。イエスさまについて行かなければならないという思いと、目の前にある迫害への恐怖とが、心の中で葛藤し、戦っている。そんな感じかもしれません。



その葛藤は、わたしたちにはよく分かることです。先週、吉岡繁先生が説教の中でお話しくださいました。日本では、ついこのあいだまで“耶蘇”(キリスト者)になると結婚できないと言われたり、勘当されたり、村八分にされた。それが現実であった。個人の力では、どうすることもできなかった。



現実の壁が立ちはだかるとき、宗教については「つかず離れず」がいいと、考えはじめるのです。



わたしたちは、そういうことを考える人々を、裁くことができません。裁いてもよい人がいるとしたら、それは、「わたしは、そのようなことを、いまだかつて一度も考えたことがありません」と語ることができる人だけです。



大切なことは「遠く離れて」いようとも、とにかく「従うこと」です。ペトロは、この点に関しては、合格しているとまでは言えないかもしれませんが、及第点は取っていると言ってよいはずです。



「するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った。しかし、ペトロはそれを打ち消して、『わたしはこの人を知らない』と言った。」



ペトロの存在に一人の女性が気づき、騒ぎはじめました。「この人も一緒にいました」。この女性がペトロの姿を、いつどこで見ていたのかは分かりません。考えられることは、イエスさまが「毎日、神殿の境内で」(22・53)説教されていたときです。



イエスさまの隣には、いつもペトロがいたのです。それを多くの人々(群衆!)が見ていたのです。この女性もイエスさまの話を、聞きに行ったことがあるのかもしれません。この人がペトロの姿を覚えていたとしても、当然のことです。



わたしたちの姿も、けっこう周りの人から見られていると思ったほうがよいです。「あの人は毎週教会に通っているのよ」とか、「あら、今日は休んだわね」とか、「最近はあまり教会に行っていないらしいよ」とか。そういうことに、自分は教会に通っていない人々が関心を持っていたりします。よく見ています。面白いものだと思います。



ところが、ペトロは、イエスさまのことを「わたしはこの人を知らない」という言葉で否定しました。「わたしはこの人を知らない」という言葉は、ユダヤ教団が異端者を公式に破門するときに用いた言葉であった、という説があります。もしその説が正しいとしたら、ペトロが言ったことは重大です。ペトロが、イエスさまを、破門したのです!



イエスさまがペトロを破門する、という話ならば分かります。しかし、ペトロは正反対のことを言ってしまいました。窮地に追い込まれ、口がすべって、つい言ってしまったのかもしれません。いずれにせよ、ペトロとしては、イエスさまの前では絶対に言いたくなかった言葉であったに違いありません。



「少したってから、ほかの人がペトロを見て、『お前もあの連中の仲間だ』と言うと、ペトロは、『いや、そうではない』と言った。」



イエスさま御自身は、ペトロに対して、「あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」と予告されました。その予告は、そのとおりになりました。しかし、です。ペトロがした三回のやりとりを注意深く見て行きますと、とても興味深い点があることが分かります。



最初のやりとりは、女中との間で交わされましたが、このときペトロが否定したのは、ペトロがイエスさまを知っている、という事実です。「わたしはあの人を知らない」と明確に語りました。



しかし、です。第二のやりとりにおいては、「お前もあの連中の仲間だ」と言われたのに対して、「いや、そうではない」とペトロが答えています。注意したいのは、「あの連中の仲間」の意味は何かという点です。



原文を直訳しますと「お前もあいつのグループに属しているだろう」ということです。大切なことは、「あの連中」とか「あいつのグループ」というふうに訳さざるをえない言葉は、イエスさまお一人のことを指しているわけではない、ということです。



イエスさまの弟子たちのことです。イエスさまを信じる人々のことであり、“教会”のことです。



つまり、ペトロは、最初のやりとりにおいては、イエスさまと自分自身との関係を否定しましたが、第二のやりとりにおいては、“教会”と自分自身の関係を否定したのです!



ペトロが言っていることは要するに、「わたしは教会なんか関係ない。あんなところには行ったこともないし、関わったこともない。『あなたはキリスト者である』などと言われるのは迷惑千万だ」と言っているのと同じであるということです。



「一時間ほどたつと、また別の人が、『確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから』と言い張った。だが、ペトロは、『あなたの言うことは分からない』と言った。」



それでは第三のやりとりの意味は何なのかを、考えてみたいわけです。第三のやりとりの中でペトロが否定してしまったのは「ガリラヤの者だから」という点でした。



ガリラヤ地方というのは、エルサレムあたりから見ると、ずっと北のほうです。北部の人々は、喉から出る音を使って喋るそうです。そのような訛り(方言)があったと言われます。また、用いる語彙(ヴォキャブラリ)にも、独特なものがあったそうです。



そのような言葉をあなたは喋っている。この大都会エルサレムでガリラヤ地方の言葉、要するに“田舎っぽい方言”丸出しで喋っているのは、イエスとかいうあの男の仲間たちくらいのものだ。



ほら、まさに今、あなたが喋っているその言葉が、そのことの何よりの証拠である。そのように、ペトロは、周りの人々から証拠を突きつけられたのです。



しかし、ペトロはそのことまでも否定しました。それが意味することは何でしょうか。



「ガリラヤ」とは、ペトロを含む多くの弟子たちの出身地です。



また、ペトロにとって「ガリラヤ」は、何よりもイエスさまから「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われ、弟子になった場所です。



そして、「ガリラヤ」は、彼らにとって、イエスさまと共に生活した場所であり、イエスさまが多くの人々を助け、愛し、励まし、伝道なさるのを一生懸命に助け、働き、まさにイエスさまと苦楽を共にした場所です。



イエスさまも、またペトロ自身も、心から愛している町。それが「ガリラヤ」なのです!



「ガリラヤ」との関係を指摘されて、ペトロが「あなたの言うことは分からない」と、その関係を否定してしまったとき、ペトロの心の中で大きな地震が起こり、それまで大切にしてきたものがガラガラ崩れ落ちていくのを感じたはずです。



「ガリラヤ」との関係を否定する。それは、広い意味では、イエスさまとの関係を否定することです。しかし、ペトロにとっては同時に、その日その時まで、イエスさまと共に苦労して生きてきた自分の人生そのものを否定するのと同じであったと思われるのです。



わたしたちが、自分で自分の人生を否定しなければならない。多くの人の前に立たされ、窮地に追い込まれて。そのとき感じることは何でしょうか。「本当に情けない」という思いではないでしょうか。



「まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」



イエスさまはペトロを見つめられました。やさしい視線だったでしょうか、厳しい視線だったでしょうか。どうだった、と言いきれる証拠はありません。



しかしここで大切なことは、ペトロがイエスさまの視線に気づくことができたことです。イエスさまが、このわたしの姿・言葉・行為を見ておられる、ということに、気づくことができたことです。



そしてイエスさまが「あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスさまの御言葉を思い出せたことが、大切です。ガリラヤからエルサレムまで、ずっと一緒に生きてきたイエスさまが、このわたしのことをよく知っておられた。何もかも、イエスさまは分かっておられた。そのことにやっと気づくことができたことが大切です。



ペトロは、涙を流しました。イエスさまに対しても、教会に対しても、愛する故郷や、自分の人生そのものに対してさえ、申し訳ないことをしたと、みじめで情けない気持ちにもなったでしょう。



しかしまた、同時に、ペトロは、イエスさまの愛の深さに気づいた。また、このわたしはなんと冷たい人間なのかということに気づかされた。すっかり打ちのめされてしまったのではないかと思います。



わたしのすべてをご存じである方が、わたしを心から愛してくださっている。



わたしたちは、そのことに気づいているでしょうか。



そのことが、わたしたち一人一人に深く問われていると思います。



(2006年10月22日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月8日日曜日

「闇が力をふるう時」

ルカによる福音書22・47~53



この個所に記されているのは、イエスさまが弟子の一人イスカリオテのユダの裏切りによってユダヤ教の指導者たちに捕らえられる瞬間の言葉のやりとりです。時間にすれば、せいぜい数秒ないし数分の出来事でしょう。聖書全体の中でおそらく最も暗く、また最も嫌な場面と言えるでしょう。



「イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。イエスは、『ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか』と言われた。」



このときイエスさまは、何を「話しておられ」たのでしょうか。考えられるのは直前の言葉です。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」。



これは、オリーブ山でイエスさまが祈っておられたときに、弟子たちが眠っていたことについての忠告の言葉です。おそらくこの忠告の言葉を語っておられる最中に、ユダが、イエスさまを裏切るために近づいてきたのです。



ここで考えさせられたことがあります。それはこの場面の独特の滑稽さです。笑ってはならないと思いますが、ある意味で、これはとてもおかしな場面です。



とくに、わいてくる疑問は、だれが裏切り者なのだろうか、ユダだけだろうかというものです。



もちろん、ユダの裏切りは、本当に卑怯なものです。お金でイエスさまを、文字どおり売り渡したのですから。そして、今や、接吻をもってイエスさまを裏切ろうとしているのですから。



しかし、イエスさまが真剣に祈っておられる最中に眠っていた弟子たちは、どうなのでしょうか。これは、裏切りとまでは言えないかもしれませんが、イエスさまのお気持ちを著しく害する態度であることは、確実です。



また、今こそ思い返されるのはペトロです。先週読んだ個所には、イエスさまがペトロに対して「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに三度わたしを知らないと言うであろう」とお語りになった場面が出てきました。



ペトロがイエスさまのことを「知らない」と言う。うそつきではありませんか。立派な裏切りではありませんか。そのように考えることも、できると思います。



問題は、裏切りの定義かもしれません。裏切りとは一体何なのか、です。



もちろん、わたしの考えは、先週すでに申し上げました。ペトロがイエスさまのことを「知らない」と言ったことを、ユダがイエスさまを裏切ったのと同じ意味での“裏切り”という言葉で説明することは、わたしにはできないと申し上げました。



しかし、だからといって、ペトロがイエスさまを裏切っていないと申し上げるつもりは決してありません。また、イエスさまが祈っておられるときに居眠りしていた弟子たちの態度もまた、いわば裏切りです。しかし、ユダのそれとはレベルが違う、という言い方が許されるかもしれません。



イエスさまのことを「知らない」と言ったペトロと、イエスさまの横で居眠りしていた弟子たちとに、共通している要素があると思われます。それは、要するに「弱さ」です。



ペトロはいわば内弁慶です。精神的な弱さがあります。イエスさまの前や、弟子仲間の前では、少々大口をたたく。しかし、人前に出ると、逃げる、隠れる。信仰に関する争いには巻き込まれたくない。信仰の異なる人々の前では、黙ってやり過ごすのが得策である。これは現代人の知恵です。ペトロの姿は、われわれの姿です。



居眠りの問題は、何といっても体力の問題です。睡眠とは、身体的・生理的な行為です。眠いものは眠い。こればかりは、どうすることもできません。



両者に共通している要素があるとしたら、要するに「弱さ」です。



しかし、「弱さ」は罪でしょうか。わたしたちの「弱さ」は、責められ、追及され、悔い改めを迫られなければならないものでしょうか。



わたしは、そのように考えることはできません。「弱さ」であれば、許されなくてはならないし、かばわれなくてはならないはずです。



この世界には強い人と弱い人がいると思います。強い人だけで、この世界は成り立っていません。弱い人が必ずいます。もしわたしたちが、ペトロや他の弟子たちを裏切り者と呼ばなければならないなら、弱い人々はみな裏切り者です。心も体も強靭である人々だけの世界を実現することが神の御心である、という話になっていくでしょう。



しかし、それは、キリスト教ではありません。強い人は、弱い人を裁いてはなりません。強い人は、弱い人の弱さを担うべきです。それがキリスト教です。



ところが、ユダは違います。わたしたちは、ユダの罪を「弱さ」という言葉だけで、説明することはできません。具体的なお金のやりとりがありました。信頼関係を自ら意図的に破壊し、すべてをお金に換える。悪質な意図があったことは明らかです。



決して間違ってはならないことは、わたしたちは、なんでもかんでも一緒くたに考えてしまってはならない、ということです。すべての罪を「弱さ」のせいにしてよいわけではなく、その意味で許してしまってよいわけではありません。



泥棒を働いて、飲酒運転をして、薬物におぼれて、姦淫を犯して。そういうことがみな「弱さ」から来るものだから許される、というような話を、教会がしているわけではないのです。それは悪質な言い逃れです。ユダの罪と、ペトロや他の弟子たちの罪とは、区別されなければなりません。



「イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、『主よ、剣で切りつけましょうか』と言った。そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。そこでイエスは、『やめなさい。もうそれでよい』と言い、その耳に触れていやされた。」



イエスさまの周りが、騒然としてきました。夜であり、山の上でしたので、周囲は暗闇でした。光があるとしても、月や星の光か、あるいは、せいぜい、だれかの手に小さな火があったかにすぎません。



その中で、もみ合いが始まりました。オリーブ山でイエスさまと一緒にいた弟子たちの数をルカは書いていませんが、マタイとマルコはペトロとヤコブとヨハネの三人であったことを告げています(マタイ26・37、マルコ14・33)。



つまり、書かれているとおりだとすれば、イエスさまの側は四人。それに対して、ユダが導いたユダヤ教の指導者側の人数は「群集」(47節)と呼ばれるほどの数だったようです。多勢に無勢、です。



闇の中で群衆にいきなり襲いかかれて、相当パニックに陥っていたであろう弟子の一人が、持っていた刃物で、大祭司の手下を切りつけ、右の耳を切り落としてしまいました。これは決してよいことではありませんが、状況的には理解できないものではありません。



ただ、気になることがあります。それは、前回読みましたが触れることができなかった個所(ルカ22・35~38)で、イエスさまが「財布のある者は持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」(22・36)と、弟子たちにお命じになっているところです。



とくに気になるのは、剣を買え、とイエスさまが言われているところです。武装せよ、ということでしょうか。イエスさまらしくないご発言のようにも感じられます。もっとも、弟子たちは、イエスさまがお命じになる前から剣を持っていたようです。「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」(22・38)と言っているとおりです。



しかし、この個所は、注意深く読むべきです。理解するための鍵は、イエスさまが弟子たちに「今は持て」とお命じになったのが、「財布」と「袋」と「剣」であるという点です。



意味が分からないのは「袋」ですが、これは、旅行用の、荷物を詰め込むための袋のことです。リュックサックのようなものと思えばよいでしょう。



ですから、ここで考えられることは、イエスさまがお命じになったのは、一種の旅支度であろうということです。財布にお金を入れて、旅行かばんをもって。ならば「剣」は、護身用のナイフでしょう。それらを持って旅に出かける準備をしなさい、と言われているのではないかと思われるのです。



しかしまた、もう少しだけ突っ込んで考えてみたい気もします。イエスさまが弟子たちにお命じになったことが、もし本当に旅支度だったとすれば、なぜ旅支度なのか、ということが気になります。イエスさまは、このときまさに、御自身の死の覚悟と決意をされているところだからです。



考えてみていただきたいわけです。自分の地上の生涯は、まもなく終わる。そのことを覚悟し決意している人が、自分の子どもや仲間たちに、旅支度をさせる。その意味は何かということを、です。



あなたは生きていきなさい、という意味でしょう。わたしは死ぬが、あなたは生きていきなさい。いつまでも、わたしに(悪い意味で)依存したままではいけない。自分の旅を始めなさい。このように、イエスさまがお命じになっているのです。



つまり、イエスさまが「剣を買え」とおっしゃっているのは、攻撃のための武装の意味ではない、と考えることができそうです。



昔の旅路は強盗だらけです。「よきサマリア人のたとえ」(ルカ10・25~37)も、旅人が追いはぎに遭う話でした。だから、わたしたちも刃物を持ち歩いてもよい、という話にはなりませんが、イエスさまが弟子たちに武装をお勧めになったわけではないと考えることができるなら、少しほっとした気持ちになれると思います。



弟子の一人が大祭司の手下の耳を切り落としてしまったのをご覧になったイエスさまは、「やめなさい」とお止めになりました。「もうそれでよい」というのは、耳だけでよい、という意味ではないでしょう。抵抗するな、という意味に違いありません。



実際、イエスさまは、抵抗されませんでした。刃物や武器でチャンバラを始めるのは、あなたがたであると、襲い掛かって来た人々を、じっとご覧になりました。



「それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。』」



ここでイエスさまは、少し苦笑いしておられるような感じもします。やれやれ、まるで強盗扱いだねと。



しかし、わたしの姿、わたしのしてきたことを、あなたたちは、ちゃんと見てきたはずです。わたしは逃げも隠れもせず、堂々と「神殿の境内で」神の御言葉を語ってきました。それ以外の何をわたしがしましたか、と問い返しておられるように感じます。



神殿の境内の主役は、本来ならば、あなたたちのほうでしょう。祭司長さん、神殿守衛長さん、長老さん!



それなのに、わたしが皆の前で話しているときには、あなたたちは、何もできなかった。あなたたちは、陰に隠れて、こそこそと何をやっていたのですか?



「『だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。』」



公の場で、堂々と、明確にお語りになるイエスさまのお姿は、光り輝いています。



他方、闇に隠れて蠢(うごめ)き回り、大人数で圧倒する人々の姿は、不気味に薄暗い。



とても対照的な両者です。



(2006年10月8日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月1日日曜日

「父よ、御心なら」

ルカによる福音書22・31~46









十字架にかけられる前の夜、イエスさまは、弟子たちと一緒に、最後の晩餐を囲まれました。今日お読みしました個所には、その晩餐の中でイエスさまが使徒ペトロに向かってお語りになった御言葉が記されています。



「『シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』」



「シモン」とは使徒ペトロの本名です。ペトロはイエスさまがお付けになった名前です。「シモン、シモン」と、二度繰り返されていることには意味があります。これは愛情表現であり、また励ましの意図があります。



イエスさまによりますと、サタンが神さまに願いごとを言い、それが聞き入れられたのです。サタンとは悪魔のことです。神さまが悪魔の言い分をお聞き入れになったというのです。



そんな馬鹿なと、びっくりする方がおられるかもしれません。しかし、これは旧約聖書のヨブ記などに見られる思想です。その思想とは、神は悪魔の計略を「許可」されることにおいて御自身のご計画をお進めになるお方である、というものです。



なぜ神さまはそんな「許可」を出されるのか、という問いが当然出てくると思います。しかし、そのことを詳しくお話しする時間はありません。この問題は神義論と呼ばれるものです。この神義論という問題を深く考えていくことは、わたしたちの信仰生活において非常に重要であると、わたしは考えています。



「小麦のようにふるいにかける」とは、小麦粉の粒の大きさを揃えること、揃わないものはふるい落とすことを意味しています。つまり、これは、明らかに、弟子たちの中から抜け落ちる人が出る、ということについての予言です。



これがイスカリオテのユダを指していることは、文脈から明らかです。ということは、ユダが裏切ることは、神がサタンの計略を「許可」された結果である、ということになります。つまり、ユダの裏切りには、神御自身のご計画という側面がある、ということにもなるのです。



と、こういうふうに説明していきますと、またしても神義論の問題に戻っていきます。時間がありませんので戻りませんが、この問題は本当に難しいものであり、また、まるで迷路の中にいるような感覚にとらわれるものである、ということを申し上げておきます。



ところが、イエスさまは、ここで非常に重要なことを、おっしゃっています。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と。



この御言葉によって分かることがあります。それは、神の許可のもとでサタンが信仰者たちをふるいにかける。あなたがたのうちから抜け落ちる人が出る。そのことで、非常に傷つくのは誰なのかを、イエスさまは非常によく理解しておられるのだ、ということです。



脱落者が出ることで最も傷つくのは、もちろん言うまでもなくイエスさま御自身です。しかしそれでは、イエスさまの次に傷つくのは、だれでしょうか。イエスさまは、それは弟子の中のリーダー的存在であった使徒ペトロであるとお考えになったわけです。



そしてその上でイエスさまがお考えになったことは、その傷によって、ペトロの信仰が無くなるかもしれない、ということでした。仲間の脱落はそれほどの傷を生み出すものである、ということでしょう。だからこそ、ペトロの信仰が無くならないようにと、イエスさま御自身が祈ってくださったのです。



ここから先のことは、わたし自身は、あまり触れたくありません。わたしもこのことで傷ついたことがありますので。しかし、どうしても触れざるをえない。それは、教会から出て行く人々の問題です。



別の教会に移って信仰生活を続けておられる方々のことは、心配しておりません。また連絡関係が保たれている方々のことも心配しておりません。しかし、いちばん心配なのは、関係が全く途絶えてしまっている方々のことです。



そういう人々のことを「裏切り」という言葉で説明することには、わたし自身は非常に抵抗があります。なぜ抵抗があるか。教会の側には問題がなかったのかと、必ず問わざるをえないからです。多くの場合、出て行った人々が一方的に悪い、と考えることはできません。教会にも、いや、かなり多くの場合、牧師にこそ問題があったのです!



しかし、です。本当に困ってしまうのは、実際に問題があったとき、出て行かれてしまうことです。教会と牧師には正しい信仰に基づいて悔い改めるという道があります。われわれは悔い改めます。批判の言葉に耳を傾け、方向を修正していきます。しかし、教会から出て行かれてしまいますと、その方の前に、悔い改めた姿をお見せできなくなります。問答無用の関係になってしまいます。



イエスさまの弟子の群れの中から抜け落ちる人が出ると、リーダーのペトロが傷つく。牧師が傷つき、長老たちが傷つきます。そのことをイエスさまはよくご存じです。「だからあなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」というのは深い慰めの言葉です。



「するとシモンは、『主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております』と言った。イエスは言われた。『ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。』」



ペトロが言っていることは、よく考えると思わず笑ってしまう要素があります。それは「御一緒になら」と言われているところです。



イエスさまと一緒なら、というのですから、「わたし一人では嫌です」と言っているようにも読めます。「あなたは生きてください。あなたの身代わりに、わたしが死にます」とは言っていません。



先週結婚式の中で触れましたヨハネによる福音書15・12の御言葉、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」は、あなたと一緒なら死ぬことができます、一緒に死にましょうという意味ではありません。



「あなたはどうか生きてください」と言わなくてはならない。「あなたが生きるために、わたしの命をささげます」と言えなくてはならない。イエスさまが語っておられるのは“心中のすすめ”ではありません。



しかし、そのような愛は、わたしたちにはできそうもないことです。結婚式の中で申し上げたことは、「相手のために死ねるかと、結婚式の日に、考えてみるくらいのことは必要でしょう」ということでした。必要でしょう、と申し上げたのは、“考えてみること”だけでした。



実際に「相手のために死ぬこと」は、わたしたちにはおそらくできません。「一緒に死にましょう」という話ではありません。「あなたは生きてください」という話でなくてはならない。それが愛なのです。



そこでわたしたちが感じるのは、なんともいえない寂しさ、むなしさでしょう。わたしだけが、いなくなる。わたしが存在しない世界が続いていく。わたしがいなくても何とかやっていける家族がある。わたしなど、じつは最初から必要なかったのか。ただの邪魔者にすぎなかったのか。こういうことを考えはじめてしまうのが、わたしたちです。



いや、実際には、そういうものなのだと思います。このわたしなしにもこの世界は存在するのです。このわたしなしにも家族はなんとかやっていくし、やっていかなければならないのです。そこで、すねたり、いじけたりすべきではないのです。



しかし、です。実際に、あなたが生きていくためにわたしの命をささげる、ということは、できるかと言われるなら、できませんと答えるのが、だれにとっても正直のところではないでしょうか。



ところが、ペトロは、「御一緒なら」という但し書き付きではありますが、「命をささげます」というようなことを易々と言う。イエスさまは、そのようなことはペトロには無理である、ということを、あらかじめはっきりと見抜いておられたのです。そしてペトロに「今日、鶏が鳴くまでに三度、わたしを知らないと言うだろう」と予告されたのです。



このイエスさまの予告の言葉は、“ペトロの裏切りについての予告”と呼ぶべきでしょうか。ペトロもユダと同じような意味で“裏切った”と考えなければならないのでしょうか。そのとおり、ペトロも裏切り者である、と言わなければならない面もあると思いますが、そのような見方は、やや厳しすぎるという感じもしなくもありません。



わたしたちは、いつでも、どこでも、誰の前でも、このわたしはキリスト信者であり、松戸小金原教会のメンバーであり、毎週の礼拝に通っていますと語ることができているでしょうか。もしわたしたちにそれができているとするならば、それができなかったペトロは“裏切り者”と呼ぶべきかもしれません。



しかし、実際のペトロは、わたしたちの姿によく似ていると思います。いろいろと遠慮したり、配慮したりするゆえに言葉を濁す場面があります。それを語るや否や、ただちに論争に巻き込まれることがあらかじめ分かっているというような場面では、黙ってやり過ごすというようなことが、わたしたちにはありえます。もしそれが裏切りだというならば、ペトロは裏切り者です。



ペトロはイエスさまを裏切っていないとは、決して申しません。しかし、わたし自身は、ペトロのことを、ユダと同じ意味では、“裏切り者”と呼ぶことができません。



「イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、『誘惑に陥らないように祈りなさい』と言われた。そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。『父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。』〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。『なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。』」



はたして、わたしたちは、「イエスさまは十字架の死を“喜んで”お受け入れになった」というふうに語ることができるでしょうか。それは無理であると思われます。なぜなら、イエスさまは、ここではっきりと「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」と祈っておられるからです。



もちろん、痛いのが嫌だとか、死にたくないとか、自分の命が惜しいとか、そのような次元のことを、おっしゃっているのではありません。しかし、わたしたちの場合には、そのような次元のことを考えたり語ったりすることは許されると思います。



死んでも構わないとか、自分の命は惜しくないというのは、たとえ本当にそう思ったとしても、あまり人前では言わないほうがよいです。周りの人々から、ただ心配されるだけです。どこかしら、やけっぱちで、投げやりな感じに響きます。死んでも構わないという言葉を聞くと、周りの人は「ああ、この人は死にたくないんだな」と考えるものです。



しかし、イエスさまの場合は全く異なります。イエスさまの御意志はただ一つ、父なる神の御心に忠実に従って生きること、そして、死ぬことです。



それでもなお、イエスさまにとって、父なる神さまに「取りのけてください」と願う杯がありました。それは何でしょうか。考えられることは、こうです。



愛する弟子の裏切りという道を通ってしか十字架への道にたどり着くことができない、という「神の御心」が、イエスさまにとっては、あまりにも耐え難いものだったのです。



(2006年10月1日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年9月24日日曜日

「仕える者のようになりなさい」

ルカによる福音書22・24~30



「また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。」



議論「も」起こったとあります。なぜ「も」なのかと言いますと、前回の個所の最後に、ひとつめの議論が記されているからです。今日の個所の議論は、ふたつめです。



ひとつめの議論はイエスさまがお語りになったみことばに対する反応です。



イエスさまは、「見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている」とおっしゃいました。もちろん、イエスさまが指摘しておられるのは、イスカリオテのユダの裏切りです。それに対して、弟子たちは、自分たちのうち、いったいだれがそんなことをしようとしているのかと、互いに議論をしはじめたのです。



弟子たちは、いつも一緒にいたはずのユダの裏切りに全く気づかず、だれが裏切るのだろうかと議論する。そのあまりの鈍感さは、深刻です。



最後の晩餐の席には、ユダ自身も座っていました。ところが、イエスさまは、御自身の目の前にいる裏切り者に対してもパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂いてお与えになり、またぶどう酒の杯をも同じようにしてお与えになりました。ユダは、イエスさまを裏切りました。しかし、そのユダをイエスさまは愛しておられたのです。



それが、ひとつめの議論の内容です。イエスさまを裏切るのはだれなのか。つまりそれは、最低(ワースト)の弟子はだれか、という議論であった、と言えるでしょう。



それに対して、今日の個所に記されている「自分たちのうちでだれがいちばん偉いか」という議論は、要するに、最低(ワースト)とは正反対の、いわば最高(ベスト)の弟子は誰なのかを競うものであった、と考えることができるはずです。



つまり、問題になっているのは、最低(ワースト)の弟子と最高(ベスト)の弟子は、それぞれ誰なのか、ということだと考えることができます。



十二使徒は全員男性でした。男だからどう、女だからどう、というようなことは、軽々しく言ってはならないと思いますし、一概なことは言えません。



しかし、わたし自身も男ですので、強いて言うならば、「男」というのは、なるほどそういうことに関心を持ちすぎる存在かもしれません。おれが上だ、あいつは下だ。順位、優劣、甲乙、上下というようなことが気になる。悲しいまでに、そういうことが気になる。



それが、強いて言えば、「男」かもしれません。



「そこで、イエスは言われた。『異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。』」



イエスさまの教えは、はっきりしています。



男だけではないと思いますが、おれが上だ、あいつは下だ、というようなことばかりが気になり、相手を頭の上から押さえつけ、腕力・暴力・不当な政治力を用いてねじ伏せる。そういうことばかりに興味をもち、そのように実際に行動しはじめる人間の性(さが)に対して、イエスさまは、明確に反対なさいます。「あなたがたはそれではいけない」と。



「それではいけない」と言われている「あなたがた」の意味は、直接的にはイエスさまの十二人の使徒たちですが、もう少し広く言うならば、イエス・キリストを信じる信仰者すべて、すなわち、全キリスト者のことです。



わたしたちキリスト者は、「それではいけない」のです。たとえ冗談でも、そういうことを言ったり、考えたり、行ったりしてはなりません。そもそも、そういうのは冗談になりにくい態度です。洒落にならない。非常に嫌なムードです。



しかし、そういうことが気になるのは、いわば人間の性(さが)です。わたしたちの中から噴き出す激情のようなものです。関心を持つな、気にするな、と言っても、気になるものです。



だからこそ、わたしたちは、そのような思いを意識的に抑えつけなければなりません。意識的にあるいは自覚的に、まさにキリスト者である者たち、わたしたちは、腕力・暴力・不当な政治力を絶対に用いないと、心に誓わなければなりません。



「『あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。』」



いちばん偉い人は、いちばん若い人のようになりなさい。上に立つ人は、仕える者(ディアコノーン=奉仕者、執事など)のようになりなさい。イエスさまの教えは、単純明快です。



しかし、このイエスさまの教えは、どうも、わたしたちの現実からかけ離れているように思える、という方がおられるかもしれません。



実際のところ、この教えを聞くわたしたちの心に浮かぶ思いは、こんなことを言っても世間では通用しないとか、うちの会社で言ったらみんなに笑われるとか、社外の人に馬鹿にされる、というようなことでしょう。わたし自身の中にはそのような思いは全くありませんというと、うそになります。



牧師たちの間でさえ、そのようなことが問題になることがあります。「あの先生は、昔は何々先生のかばん持ちだった」とか、そういう話を時々聞きます。



かばんくらい、自分で持てばよいではありませんか。自分で持ったからどうで、だれかに持たせたからどうだというのでしょうか。わたしは、その種の話が嫌いです。冗談としてでも聞きたくありません。



もちろん、身分制度というのは、国際社会の中には今でも厳然と残っているところがあります。わたしたち一個人の力で、その社会のルールを根本から変える、というようなことはできない場合もあると思います。



しかし、そういうのは、本当に嫌だと感じること、憎むこと、少なくとも心の中で抵抗し続けることが重要です。



古い話ですが、「わたし食べる人、あなた作る人」というCMがあったことを、わたしはよく覚えています(一応そういう世代です)。



どちらのほうが偉いかというと、イエスさまは「食べる人」のほうが偉いと言われているわけです。そんなことを言うと今では激しく怒られると思いますが、イエスさま御自身の意図は反対です。イエスさまは、そこで腹が立つ人々の側に、立っておられます。イエスさまは、作る人であり、また給仕する人の側にお立ちになります。



しかも、それは、わざとらしい謙遜や、ぎこちないポーズや、いやらしいパフォーマンスではありません。何のためらいも、恥じらいもない。苦笑いや、照れ笑いもない。全く自然で、自由で、スムーズな振る舞いとして、人に仕えることができる。奉仕者として振舞うことができる。それがイエスさまです。



しかし、それはまた、イエスさまだけがそうであればよい、という話ではなく、イエスさまの命令として、あなたがた自身が「仕える者のようになりなさい」と語られているのですから、他人事ではなく、わたしたち自身が、イエスさまと同じように「仕える者」にならなくてはならないのです。



わたしは、今日、皆さんにこの話をしました。ですから、ここにいるわたしたちは全員、イエスさまから、この話を聞きました。聞いたことがない、知らなかったと言える人は、ここにはいません。わたしたち全員が「仕える者」になることを、決心し、約束しなくてはならないのです。



わたしが思うことは、その教会に初めて来られた人々が、ここの教会はとても雰囲気がよい、と感じる要素が、もしどこかにあるとしたら、おそらく間違いなく、このあたりのことが問題になっているはずだ、ということです。



無理やりねじ伏せようとする力が働いているような教会は、だれでも嫌でしょう。そういうのは、すぐに分かりますし、動物的直感が働きますし、わたしたちの心の危険信号が鳴り出すものです。



家庭生活、夫婦生活も同じです。会社も社会も、じつは同じです。



わたしたちの心の危険信号は、常に、鳴りっぱなしです!



仕える者として生きること、互いに仕えあうことは、安心で安全な生活を目指す道でもあるのです。



(2006年9月24日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年9月17日日曜日

「神の国で過越が成し遂げられるまで」

「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた。二人が、『どこに用意いたしましょうか』と言うと、イエスは言われた。『都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか』とあなたに言っています。」すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。』二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。』そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。『これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。』そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。」



今日の個所には、イエスさまが十字架につけられる前の夜に、弟子たちと一緒に最後の食事をされた、かのいわゆる「最後の晩餐」の場面が描かれています。この「最後の晩餐」が、旧約聖書に定められている過越祭の食事だったことは、今日の個所を見るかぎり明らかです。



過越祭については、かなり大雑把ですが、次のように説明することができます。昔、イスラエルの民が、奴隷にされていたエジプトの地から脱出し、約束の地カナンを目指して旅をすることになりました。その彼らがエジプトを出る直前、旅支度の腹ごしらえをするため、大急ぎで羊の肉を焼いて食べ、また酵母を入れないパンを、苦菜を添えて食べ、それから出かけました。その食事を、家族みんなで、「腰帯を締め、靴を履き、杖を手にして、急いで食べ」ました(出エジプト記12・11)。



この故事を思い起こし、記念とするための祭が、過越祭です。



エジプトの地、奴隷の家からの脱出と解放、それはこのわたしたちのまことの主なる神御自身による救いのみわざであると、彼らは信じました。過越の食事は、神の救いのみわざを記念するための、お祝いの席なのです。



その祝いの席、喜びの食卓を、今こそ囲みたい。愛する弟子たちと共に、過越の食卓、神の救いの喜びの食卓を囲みたいと、イエスさまは願われています。皆さんに考えてみていただきたいのは、この「時」は、イエスさまにとって、どのような「時」なのかということです。



イエスさまは、明らかに、わたしの死の日は近いということを、はっきりと自覚しておられます。イエスさまは、ルカ福音書においては今日の個所までに少なくとも三度、御自身の死を予告しておられます(ルカ9・22、17・25、18・32)。



また、イエスさまはエルサレムにおられるわけですが、そもそもエルサレムに上られる決意をなさったのは、天に上げられる時期が近づいたことを自覚なさったからです(ルカ9・51)。



御自身の死の覚悟をもってエルサレムに上られたイエスさまが、その覚悟が単なる推測や予測ではなく、まさに現実となる、まもなくそうなる、ということを、はっきりと確信しておられる。それが、今日のこの場面の「時」です。



実際、まさにこの時、イエスさまを殺す計画が、祭司長や律法学者や神殿守衛長たちによって進められていました。また、あろうことか、イエスさまの十二人の弟子の一人、イスカリオテのユダまで参加することになりました。ユダはイエスさまを全く裏切ることになりました。ユダは裏切り者です。そのことを、イエスさまはよくご存じでした。



「ユダが裏切ることをイエスさまはなぜ分かったのだろう」と疑問に思うでしょうか。わたしたちにだって、こういうことは少しくらいは分かると思います。子どもたちは、こういうことに敏感です。「この人は僕のことを好きじゃない。心の中では、別のことを考えている」。そういうことを、子どもは直感的に見抜きます。イエスさまがユダの心の中を全く知らなかった、というようなことは、全くありそうもない話です。



ユダが裏切る前から、ユダヤ教の指導者たちの側に、イエスさまの殺害計画があった、と考えるのが自然でしょう。しかし、イエスさまが逮捕され、不当な裁判を受け、十字架にかけられるという一連の出来事の直接的なきっかけを用意したのは、ユダです。ユダの責任は重大です。ユダは裏切り者ではない、というような説明は、全く成り立ちません。



いずれにせよ、イエスさまは、ユダの裏切りをご存じであり、それゆえにまた御自身の死の日が目前に迫っているということを、はっきり自覚しておられます。だからこそというべきでしょう、イエスさまは、御自身の死の日が目前に迫っているということを、はっきりと自覚されたゆえに、まさに今こそ、過越の食卓、すなわち神の救いの喜びの食卓を、愛する弟子たちと共に囲みたいと願っておられるのです。



それが意味することは、明白です。まことの救い主イエス・キリストの死は、神の救いのみわざそのものであるがゆえに、御自身の死に際しては、喜びの席を囲むことこそがふさわしい、ということを、イエスさまは確信しておられるのです。



ここに、たいへん興味深い、また何となく不思議な話が出てきます。イエスさまは、御自身が願われた最後の晩餐としての過越の食卓を囲むための場所を確保する、という仕事を、二人の弟子たちに任せました。



ところが、その際イエスさまは、なんとも不思議な指令を出しておられます。どこが不思議でしょうか。いくつか、指摘しておきます。



第一は、「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う」とありますが、当時のユダヤ人の男性が水がめを運ぶことはほとんどなかった、という点です。男性は皮袋を運ぶのであり、水がめは女性が運ぶということが当時の常識だったのです。ですから、「水がめを運ぶ男」に出会うというのは、通常ありえないことだったのです。



第二は、今申し上げた第一の点に直接関係あることです。水がめを運ぶ男は、ユダヤ社会の中では通常は、めったに見かけない。しかし、もしそういうことをしている人がエルサレムの町の中を歩いているとしたら、非常に目立つ存在でありうるという点です。



これがなぜ不思議かと言いますと、考えてみていただくとすぐにお分かりいただけると思います。それは、町の中で目立つ人の後ろについていくことは、そのついていく人自身も目立つということです。人々の注目の的になる、ということです。



しかし、気になることは、今この時点で、イエスさまの弟子たちが、町の中で目立っては困るだろう、ということです。



祭司長や律法学者たちが、イエスさまを探しています。彼らは、ユダにわざわざお金を払ってでも、イエスさまの居場所を突き止めようとしていたわけです。目立つ人についていき、その人に過越の食卓を囲むための部屋を教えてもらう、ということは、イエスさまを殺すために逮捕したいと探し回っている人々に、イエスさまの居場所を、わざわざ教えているようなものです。なぜイエスさまは、そういうことを弟子たちにさせようとなさったのか。これが不思議な点です。



第三は、そもそもイエスさまは、水がめを運ぶ男がエルサレムの町にいるとか、その人が部屋を教えてくれるというようなことを、どうしてご存じだったのか、という点も、しばしば疑問視されるところです。



そしてまた、その疑問に対して、いくつかの答えが用意されてきました。



第一の答えは、イエスさまは神の御子なのだから、すべてのことはお見通しなのだ、というものでしょう。



第二の答えは、イエスさまはエルサレムの町を、あらかじめ下調べしておられたのだ、というものでしょう。



第三の答えは、当時のユダヤの社会には、過越祭のときにはだれでも、自分の家の二階の部屋を、エルサレム神殿の参拝客たちのために可能なかぎり開放して、宿泊や休憩に使わせてあげなければならないルールになっていたのだ、というものでしょう。それゆえに、イエスさまは、その人の家で、過越の食事をなさったのだ、と話は続きます。



私自身ははっきりした答えを持っているわけではありません。いろいろな本を調べて紹介するくらいしかできません。興味深かったのは、わたしが最も尊敬している改革派神学者アーノルト・A. ファン・ルーラーの解説です(※)。



(※ただし、ファン・ルーラーの解説は、ルカ福音書のものではなく、マルコ福音書の平行記事に関するのそれです。A. A. van Ruler, Marcus 14, Kok-Kampen 1971, p.44-47.)。



ファン・ルーラーが書いていたことは、今ご紹介した三つの答えの中で言えば、第三の答えに最も近いものです。



ファン・ルーラーによりますと、このエルサレムの街中を歩く水がめをもった目立つ男は、エルサレムに住む、イエスさまの公然とした、あるいは、隠れた支持者の一人であっただろう。また、その人は、おそらく金持ちで、位が高い人だっただろう、とのことです。つまり、イエスさまと弟子たちは、そのお金持ちの人の家のなかの広い部屋に宴席を借りたという解釈です。



ちなみに、ファン・ルーラーは、この解釈に基づいて、さらに話を発展させています。イエスさまという方は、貧しい人々のもとにも行かれるが、豊かな人々のもとにも行かれる。キリスト教は社会の最下層の人々によって始められただけではなく、すべての層の人々によって始められたものである。キリスト教は上流だ下流だというような区別をまったく採用しないものである、と語っています。



そしてファン・ルーラーは、このイエスさまの命令の意味を、三つ述べています。



第一は、「イエスさまの権威」という点です。イエスさまは権威あるお方として、弟子たちに部屋を探すようにお命じになったし、また、水がめの男にも間接的に部屋を探すように命令しておられる、ということです。



権威とか命令というのは、今では嫌われる要素であるということをファン・ルーラーはよく知っています。しかし、救い主イエス・キリストは、主なる神御自身としての権威を持っておられる、という点は、聖書を理解するうえで重要です。



第二は、この命令の中で、イエスさまは、はっきりと御自身の死を意識しておられることがわかる、という点です。また御自身の死は、偶然起こったとか、予期せぬ出来事というようなものではなく、むしろそれは「まるで自分の手の中にあることのように、船のオールをイエスさま御自身がしっかり握っておられる」という点です。



イエスさまに、こそこそ隠れるお気持ちは、ありません。それどころか、目立つ人の後ろに堂々とついていきなさい、と言われているわけです。彼らを恐れる気持ちは、イエスさまの側には、全く見当たりません。



第三は、この命令においてまさに、イエスさまは、「死の道を前に進んでおられる」という点です。イエスさまは、御自身の死が人々の救いになることをはっきりと自覚しておられました。御自身の死こそが、全き現実の全き救いのために益になる、ということを、よくご存じでした。



今日は最後の晩餐の様子、そしてこのまさに最後の晩餐に由来して始まったとされるわたしたちキリスト教会が非常に重んじてきた聖餐式のことについて詳しくお話しする時間はありません。別の機会に譲りたいと思います。



しかし、最後に触れておきたいことは、イエスさまが「神の国で過越が成し遂げられるまでは、わたしは決してこの過越の食事をとることはない」とお語りになっている意味は何か、ということです。



ルカによる福音書においては、これからイエスさまが逮捕され、不当な裁判を受け、十字架にかけられて死ぬという出来事が続くことになります。とてもつらい場面が続きます。



それをこれから学んでいく中で、何度も繰り返して振り返り、立ち帰るであろうことは、まさにこの最後の晩餐でイエスさまがお語りになっていることです。すなわち、「神の国で過越が成し遂げられる」とはどういうことか、それはどのようにして起こるのか、という点です。



それははっきりしています。大切なことは、過越の食事とは、神の救いのみわざを喜ぶために囲む、お祝いの席である、という点です。



過越は、喜びの祝宴です。それが、神の国において祝われる、ということは、わたしたち人間にとっては最高の喜び、至高の喜び、まさに至福というものを体験するときである、ということです。



わたしたちに神の救いの喜びを味わわせてくださるために、またイエスさま御自身も復活と昇天、そして再臨においてわたしたちと共に神の国の完成を喜んでくださるために、イエスさまは、十字架の苦しみを耐え抜いてくださった。



わたしたちを喜ばせるために、御自身が苦しんでくださった。



神の国でみんなで喜ぶ日まで、わたし自身は喜びの席に着くことを“封印”する。



人を助けるため、救うために、命をささげる。



このことを、イエスさまは、弟子たちの前で約束されているのです。



イエスさまの十字架への決意とその意味を深く知り、イエスさまの死によってもたらされたわたしたちの救いの意味を、よく考えたいと思います。



(2006年9月17日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年9月3日日曜日

「いつも目を覚まして祈りなさい」

ルカによる福音書21・34~22・6



「『放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。』それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って『オリーブ畑』と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾して、群集のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。」



三つの段落を読みました。しかし、今日お話ししたいことは、一つのことです。最初の段落に記されているのは、21章の初めから続いてきたイエスさまの説教の、しめくくりの部分です。その中に書かれている次の御言葉に注目したいと思います。このように言われているのを見て、自分に関係があることだと感じて、ドキッとするという方がおられるのかどうかは、わたしには分かりません。



ここには「放縦や深酒や生活の煩いで」と、三つの言葉が並べられています。そして、このまさに三つの言葉で言い表されている三つの事柄によって、「心が鈍くならないように注意しなさい」と言われています。



しかし、どうでしょうか。ここで言われていることの中に気になることが、わたしには二つほどあります。



第一は、この三つの言葉が並べられているのは、興味深いことでもありますが、しかしまた、やや不思議なことでもある、という点です。



「放縦」と「深酒」は、ほとんど同じ内容の言い換えであると思われますので、二つが並べられていてもおかしくありません。ところが、そこにもう一つ、「生活の煩い」ということが並べられている。三つのことがまるで同じようなこととして扱われている。この点が、やや不思議です。



ここで「生活の煩い」とは、明らかに、「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」(ルカ12・22、マタイ6・25)というあの有名なイエスさま御自身の御言葉において禁じられている事柄のことを指しています。



ですから、この「生活の煩い」という問題点に注意すること自体は、重要なことです。しかし、です。気になるのは、「生活の煩い」という問題と、「放縦と深酒」という問題が並行的に扱われていることです。このことに対して、やや不思議であるという感想を持つ人が出てきてもおかしくないだろう、と思うわけです。



気になることの第二は、「心が鈍くならないように注意しなさい」という言葉の意味が、なんとなくぼんやりしている、ということです。



おそらくこれは翻訳の問題という面が大きいように思います。「心が鈍くなる」というのは原文の直訳です。鈍感になるということでしょう。この訳自体が間違っているとはいえません。お酒を飲みすぎると周囲の物事に対して鈍感になる。そういう話でしたら、わりとよく分かる話です。



しかし、ここにもう一つ、先ほど触れました「生活の煩い」という要素が加えられます。「生活の煩い」によって「心が鈍くなる」。このつながりが、分かったようで分かりません。



わたしの語感からすればという面もありますが、自分の生活について思い煩うことは、心が鈍くなっているどころか、むしろ、かえって非常にピリピリとした、心が鋭くなっている状態なのではないか、と考えることもできるような気がします。



まとめますと、「放縦や深酒」によって鈍感になるということなら、まだ分かる。しかし、「生活の煩い」によって「心が鈍くなる」と言われると、わたしにはあまりぴんと来ない感じがする。これが、わたしが感じた疑問点です。



「放縦や深酒」と訳されている二つの言葉の原語的な意味を調べてみますと、たいへん面白いことが分かります。



「放縦」と訳されている言葉は、さらに二つの要素に分析できるようです。



酒を飲んで酔っ払って気持ちよくなるという要素と、翌日に味わう“二日酔い”の気持ち悪い要素の二つである、と言われています。



飲んでいるときの気持ちが高揚している状態と、翌日の気持ちが落ち込んでいる状態との両方の意味がある、ということです。



「深酒」と訳されている言葉は、意味自体はこのとおりでよいと思います。要するに、お酒を深く飲みすぎて、酩酊することです。



面白いのは、このギリシア語は「メテー」と言う、という点です。メテーとは酩酊(めーてー)である、ということです。



ですから、「放縦」と「深酒」は、原語では一応区別されていますが、ほとんど同じ意味です。お酒を飲むことに関係している言葉です。



これによって周囲の物事がよく見えなくなる、心が鈍感になるというのは、経験したことがある人なら、だれでも分かる話であると思います。



しかし、繰り返しますが、「生活の煩い」が「心が鈍くなること」の原因になると言われると、わたしには、ちょっと分かりにくさがあるように思われるのです。



こういうときは、やはり、辞書や注解書を丁寧に調べることが重要です。実際に調べてみました。それで、「なるほど」と理解しえたところをお話ししたいと思います。



分かったことは、ここで「放縦」と「深酒」と「生活の煩い」が並べられていることには意味がある、ということです。つまり、三つの事柄には、共通している要素がある、ということです。



どこが共通しているのでしょうか。これは非常に微妙な面があり、慎重にお話ししなければ誤解されるように思われますので、注解書の言葉をそのまま引用します。



この三つの事柄に共通していることについては、次のように書かれていました。



「それによって、人間が、現実をもはや見なくなり、幻想(イリュージョン)や作り話(フィクション)に拠り頼むようになる〔という点で、三つの事柄は共通している〕」(*)。



冗談じゃないと、お感じになる方がおられるかもしれません。「生活の煩い」は、現実を直視した結果ではないかと思われるかもしれません。しかし、ここでわたしたちは、少し冷静になって、よく考えてみる必要があります。



はっきり言いますと、イエスさまは、「放縦や深酒」と「生活の煩い」を同列のものとして扱われました。この点は非常に重要なことであると思われます。



そして、そのことを逆のほうから考えてみますと、イエスさまが禁じておられる「生活の煩い」の意味は、「放縦や深酒」と同じような意味、つまり現実から逃避するという意味合いを持ちはじめるかぎりにおいて禁じられているものである、ということにもなる、ということです。



つまり、別の言い方をしますと、イエスさまが禁じておられるのは、現実を直視した結果としての「生活の煩い」ではない、ということにもなります。その面の煩いは許されることであり、必要なことであると思われます。



しかし、ここでイエスさまがお伝えになろうとしていることは、「生活の煩い」の中には、現実を直視しない、むしろ現実から逃避することを目的としているような種類の「生活の煩い」もある、ということに気づかなければならない、ということです。



ここで、話をぐっと卑近な例に移します。わたしはそれが好きなほうなのですが、思い起こしていただきたいのは、あのカタログショッピングです。最近は紙のカタログだけではなく、テレビやインターネットでのカタログショッピングというのもあります。



あれには、非常に便利な面もありますが、同時にそこで陥る罠もあると思います。それは、言うまでもなく、カタログに見とれてしまう、あるいは魅入られてしまうということです。



それによって、それを見なければ感じなかったような新たな欲求を感じはじめてしまい、その結果として今の現実の生活に不満を感じるようになる、ということです。



カタログを見るまでは感じたことがなかったような不満が、それを見ることによって生じる。高額なものであろうと、どんどん新しいものが欲しくなる。



それが「生活の煩い」の原因になる、ということです。



「何を飲もうか」「何を着ようか」と思い煩うことのすべてが悪いと言われると、わたしたちは困ります。しかし、まさにカタログに見とれてしまうような仕方で、意識が現実を超えて高まってしまうところに至りますと、酒を飲んで酩酊状態であるのと変わりません。度が過ぎると、生活が破綻してしまうのです。



イエスさまの時代にカタログがあったとは思えません。しかしたとえば、ひとが持っているものを見てうらやましいと思い、それを手に入れたくなり、実際に手に入れてしまうというようなことは、当時でも間違いなくありえたことです。



飲酒による酩酊にたとえられるほどの現実逃避的な「生活の煩い」は、むさぼりの罪(第十戒!)へと限りなく接近している、ということです。



そして、まさにその結果として「心が鈍くなる」と、言われているわけです。ここまで来て、「生活の煩い」と「鈍感になること」との関係をどのように理解すべきかという点につながるわけです。



「心が鈍くなる」というこの新共同訳聖書の翻訳は、間違いとは言えませんが、かなりぼんやりしているものです。むしろ、文脈から読み取れる意図は、「心に負担がかかる」ということです。あるいは、「心に重圧がかかる」ということです。そのほうが、イエスさまの意図が、より明確になると思われます。



なぜなら、ここで言われている「放縦」と「深酒」と「生活の煩い」という三つの事柄の共通点である現実逃避という要素は、わたしたち人間が、その道を先へと進んでいけばいくほど、かえって、現実はわたしたちを追いかけ、さいなむものになる、つまり、心に負担ないし重圧がかかる、ということは、わたしたちすべてが体験済みのことだからです。



現実は、逃げれば逃げるほど、追いかけてきます。しかしまた、だからこそ、ますます深酒になる、ということが起こるのでしょう。現実を消し去るまで飲み続ける。しかし、現実は消えません。逃げることはできません。残るのは、二日酔いだけです。



また、「生活の煩い」には、現実逃避という面と同時に、自分の殻に引きこもるという面があることも否定できません。わたしが生活上感じている苦しみや煩いは、だれにも理解できないほどに大きいと、それぞれ皆が感じているのです。



「それならば、どうすればよいのか」という問いに対する答えは、ものすごく単純なものです。



第一は、逃げるのをやめる、ということです。逃げるから追いかけてくるのです。立ち止まって、振り返って、現実に向き合い、それを直視し、現実に対して誠実に取り組む、ということです。こつこつと、地道に、今日なすべきことを今日取り組む、という仕方で、そうすることが大切です。



第二は、苦しいのは自分だけではないということに気づくことです。わたしと同じ悩みを持っている人は他にもいる、ということを知るだけで、けっこう気持ちが落ち着くものです。



そして第三に、です。この問題の真の解決のためにイエスさま御自身が教えておられるのが、「いつも目を覚まして祈りなさい」ということである、と気づくことです。



ここで語られている、不意の罠のように襲いかかってくる「その日」とは、終末論的な概念です。今日は、その意味を詳しく説明する時間がもうありません。



ただ一言だけ申し上げておきたいことは、終末について考えることは現実逃避ではなく、むしろ逆であるということです。世界の終わりを考え抜くことは、世界の現実と向き合うことと同義語である、ということです。



終末を教える宗教はとかく現実逃避的である、と論評されることがありますが、わたしたちの場合は逆です。わたしたち(改革派教会)の終末論は、きわめて現実的なものです。



もちろん、終末について考えることは恐ろしいことでもあります。しかし、だからこそ、わたしたちには、宗教が必要なのです。宗教なしには、恐ろしすぎて、とても耐えられるものではないのです。世界の終末的現実に向き合うことができるようになるためにこそ、「神に祈る」という要素が必要なのです。



「目を覚まして」というのは酩酊状態の反対です。毎日徹夜でとか、不眠不休で、という意味ではありません。酒を一滴も口にしてはならない、という話でもありません。



イエスさまが教えておられるのは、“非陶酔的に祈ること”の大切さです。すなわちそれは、冷静で落ち着いた判断のもとに生きていくこと、そしてその中で「神に祈る」という生活を続けることにおいて現実に向き合うこと、そのことが大切であるということです。



そしてもう一つの点、第四の点に少しだけ触れておきます。それは今日お読みしました最後の(第三の)段落の記述に関係することです。それは、イスカリオテのユダの裏切りの場面です。



このことから学びうることは、世の中には、このような裏話、裏取引はいくらでもある、ということです。こういうことが実際になされていることに驚くべきではありません。



だからこそ、というべきです。わたしたちが考えなければならないことは、「放縦や深酒や生活の煩い」によってわたしたち自身が現実から逃避している間に、この種の裏取引がどんどん先に進んでしまっているかもしれない。事態は急速に悪化しているかもしれない、ということに敏感でなければならない、ということです。



冷静であること、非陶酔的な狂いのない目で、現実を見抜くこと。そして、祈ること。イエスさまは、その道をお選びになりました。また、その道こそが、イエス・キリストの背負われた十字架の道です。



ゴルゴタの丘の上で、両手両足に釘をさされることもいとわなかった。あのわたしたちの救い主イエス・キリストの十字架の道は「現実から逃げない」道です。少しも酩酊していない、きわめて冷静で、非陶酔的な御判断の中で、イエスさまは、御自身の道を進んでいかれました。



わたしたちも、(大変とは思いますが!)、イエスさまがお選びになったのと同じ道を、選ぶべきです。



(2006年9月3日、松戸小金原教会主日礼拝)



*’waardoor mensen de werkelijkheid niet meer kunnen zien en zich optrekken aan illuisies of ficties.’(J. T. Nielsen, Het evangelie naar lucas II, PNT, 1983, p. 177)