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2024年12月22日日曜日

言は肉となった

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「言は肉となった」

ヨハネによる福音書1章1~18節

関口 康

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(14節)

ご承知のとおり、新約聖書にはイエス・キリストの生涯を描く「福音書」と呼ばれる書物が4巻あります。前から順にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。

これらのうちで、主イエスのご降誕を描いているのがマルコ以外の3巻です。ヨハネによる福音書にもしっかり記されています。「どこに?」と思われるでしょうか。今日の朗読箇所です。

その描き方において他の福音書と違いがありすぎることは明白です。だいたい出てくる感想は「難しい」「哲学的」「抽象的」「意味不明」。そう言われれば、おっしゃるとおりと認めざるを得ないところがあります。

たとえば、今日の箇所に基づいてキリスト聖誕劇(ページェント)の台本を書けるでしょうか。至難の業であることは確実です。面白くない(=自分と関係ない)し、不適切であると感じる人は多いでしょう。

マタイやルカに描かれている物語にも、未確認生命体というべき「天使」が登場したり、結婚前のマリアが妊娠したりと、謎めいた内容が記されています。しかし、演劇として成立する豊かな内容があります。

一昨日(12月20日)私は、当教会と関係が深い保育園で子どもさんがたが演じるページェントを初めて拝見しました。みんなかわいかったです。

ヨセフとマリア、ベツレヘムの羊飼いと羊、宿屋、東方の3博士(カスパール、メルキオール、バルタザールという名前がついた伝説がある)、ローマ兵、天使と星が、飼い葉桶の主イエスを囲んで大団円。このような「人間らしい」聖誕劇なら、わたしたち自身の誕生と無関係ではない描き方ができるでしょう。

しかし、ヨハネによる福音書に基づいてどんな劇ができるでしょうか。登場人物が「ヨハネ」(6節)以外に出て来ません。このヨハネは主イエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネです。主イエスがお生まれになったとき、このヨハネも小さな子どもです。

ヨハネによる福音書のキリスト降誕物語の主人公は「神」です。人間の視点からではなく、神の視点から描かれています。人間の理解の限度を超えるものがあります。しかし、そのほうがいいでしょう。人間のプライドが傷つきます。だからこそ、人間の心の砦(とりで)が破られ、回心の機会が訪れるでしょう。

わたしたちが理解できるかどうかはともかく、ヨハネによる福音書がとにかく言っているのは、「神」(テオス)の「言(ことば)」(ロゴス)が「肉」(サルクス)となったのが主イエスである、ということです。

そして、その「肉となった神」であるイエス・キリストとの出会いは、父なる「神」との出会いに等しいということであり、さらに主イエスご自身が「神」であるということです。

もし主イエスが「神」ではないならば、キリスト者の祈りの言葉である「主イエス・キリストによって祈ります」という表現は成立しません。主イエスは、神でもなければ人間でもない、両方から責め立てられる、中間管理職のような存在ではありません。イエス・キリストは「神の右に座しておられる」という信仰表現もあるほど「神と等しい方」であり、つまり「神」です。

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(18節)と記されています。こういう正直な文章が私は好きです。神を見たことがある人は人類史上ひとりもいません。「神を見た」と思っている人は神以外の何かを見た可能性が高いです。私も「見た」ことがないです。だからこそ「信じて」います。

このような信仰を軽蔑する人がいます。今日のクリスマス礼拝の案内をインターネットで見てくださった方の中にいました。その方自身は仏教の特定の宗派に所属していることを教えてくださいました。「神が人類を造ったというなら、その神を連れて来てみろ。できないだろう。それができないキリスト教は邪教である」の一点張りでした。

「私も神を見たことがありません。見たことがないからこそ信じております」と返事したら、「そんな愚かな宗教はやめてしまえ」と返って来ました。そこで私はやりとりを終了しました。ご自身が信じる道をお進みになればよろしい。それ以上、私から申し上げることはありません。

私の話はどうでもいいです。教会の立場については、みんなで考える必要があります。ヨハネによる福音書の成立年代は、西暦1世紀の終わり頃(90年代前後)です。それが意味することは、紀元30年ごろ十字架にかけられて地上の生涯を終えられる前の主イエスと直接的な交流を持ったことがある人々が残っていた可能性がきわめて低い時期に書かれた、ということです。

なぜ成立年代の話をするかといえば、「父のふところにいる独り子である神」(18節)としての主イエスを「見た」(同上節)と書かれていることの意味は何かを考える必要があると申し上げたいからです。この「見る」に物理的な肉眼で目視したこと以上の意味があるのは明白です。

そうしますと、ヨハネによる福音書が書かれた時代(紀元1世紀末)の人々と今のわたしたちは立場が同じであることが分かります。わたしたちが主イエスを「見る」方法は聖書を学ぶこと以外にありません。さらに、演劇があると助かります。舞台でもテレビドラマでも映画でも大丈夫です。登場人物の言葉や動作の意味を理解でき、共感できます。苦しみや痛みを共有できます。心が通います。

最後に怖い話をしていいですか。とても怖い話です。

「初めに言(ことば)があった」(1節)の「初め」は、天地創造以前、すなわち世界も人間も誕生する前を指しています。神以外の何も存在していない、「無」(Nothing)と神が向き合っておられる状態です。「時間」(クロノス)も神が創造したものなので、その点を厳密にとらえれば「時間以前」であると言うべきです。

さて問題です。「初め」に「言(ことば)」があり、「言(ことば)」が「神」であったという場合、その「言(ことば)」は、だれに向かって発せられたものでしょうか。神には話し相手がまだいないはずなのに。

この問題の答えは聖書に記されていません。しかし、可能性は2つです。

第1の可能性は、神はひたすら沈黙されていた、ということです。

第2の可能性は、神はずっと独り言を言い続けておられた、ということです。

私は前者を選びます。神は天地創造の前は、ひたすら沈黙しておられました。

しかし、神は沈黙を破られました。神は「言(ことば)」をもって「無」(Nothing)から「有」(Being)を、そして「すべて」(Everything)を呼び起こされました。神が「光あれ」と言われ、光が創造されました(創世記1章3節)。

そして神は、ご自身が創造された世界と人間を愛してくださいました。神は「愛」をわたしたち人間に告白してくださるために「肉」をお摂りになり、人間としてお生まれになりました。

生きる意味も理由も見失いがちなわたしたちに神が「わたしはあなたを愛している」と告白してくださり、「あなたは愛されるために生まれた」と教えてくださるために、イエス・キリストはお生まれになりました。

(2024年12月22日 日本基督教団足立梅田教会 クリスマス礼拝)

2024年10月6日日曜日

信じるものを求めている方々へ

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「信じるものを求めている方々へ」

ヨハネによる福音書11章28~44節

関口 康

「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう」(14節)

今日の箇所に登場するのは主イエス。マルタ、マリア、ラザロの3人姉弟。そして数名のユダヤ人です。一連の物語が11章冒頭から始まっています。

3人姉弟のうちマルタとマリアはルカ福音書10章に登場する姉妹と同じです。ルカ福音書のその箇所にラザロは登場しませんが、必ず全員の名前を書かなければならないことはないでしょう。

3人の年齢順は分かりません。マルタが「マリアの姉」なのは明白です。「兄弟ラザロ」は2人の姉の「弟」とみなされることが多いですが、確証はありません。2人の妹の「兄」である可能性が無いとは言えません。

しかし、全員成人している同年配の肉親同士の「男1人、女2人」で共同生活を営む家族は意外と珍しく、町の中で目立っていた様子がうかがえます。

ルカ福音書10章のほうを先にお話しします。主イエスがマルタとマリアの家までわざわざ来てくださいました。姉マルタはおもてなしをしなくてはと忙しく立ち回りました。妹マリアはお客さまの前に座り込み、じっと話を聴いていました。

マルタは激怒して主イエスに抗議しました。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」(ルカ10章40節)。

主イエスはおっしゃいました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(同10章41~42節)。

厳しい言葉です。私はおふたりとお話ししに来たのです、とおっしゃっているのです。私がいつ「もてなしてほしい」とあなたに頼みましたか。おもてなしはコミュニケーションを円滑にする手段であっても目的ではありません。肝心なことを忘れていませんか、です。

同じ姉妹が今日の箇所に登場します。このときもイエスさまがマルタとマリアの家に来られています。しかし、ルカ福音書の場面と状況が大きく違います。イエスさまがこの家に到着されたとき、ラザロは亡くなっていました。葬儀も終わり、墓に埋葬されて、4日経っていました。遺体から臭いもすると、マルタが言っています(39節)。

そのことを主イエスがご存じなくて、この家に到着して初めて知って驚かれたという話ではありません。主イエスはすべてご存じでした。それどころか、11章の最初から読むと分かりますが、意図的に到着を遅らせました。

遅刻の理由が14節に記されています。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう」(14節)。

「あなたがたが信じるようになるためである」を、古い英語聖書(KJV(1611)、RSV(1952)、NIV(1978)など)はso that you may believeと訳しています。より新しい英語聖書(REB(1989)など)はfor it will lead you to believe。直訳すれば「それがあなたがたを信じることへと導くだろうから」。

主イエスが到着されたとき、多くのユダヤ人がマルタとマリアを慰めていました(19節)。マルタは主イエスが到着したと聞いて迎えに行きましたが、マリアは家の中に座っていました(20節)。2人の態度はそれぞれルカ福音書10章の場面と似ていますが、内容は大きく違います。

マルタはとにかく体を動かして主イエスのために働く「行為の人」です。しかし、ルカ福音書のときと正反対なのはマリアです。座っているのは同じですが、ルカ福音書のマリアは主イエスの話を聞く人でした。しかし、今日の箇所のマリアは、主イエスから顔を背けて座り込んでいる人です。

マルタもマルタで、イエスさまのもとに駆けつけはしましたが、おもてなしをするためではありませんでした。また抗議です。激しい抗議です。

「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(21節)。こんな大事な時になぜ遅刻したのか。わたしたちを愛しているとおっしゃる言葉のすべてはウソか。帰ってくれとは言わないが反省してほしい、です。

そのあと主イエスと押し問答が始まります。マルタは教えの正しさという面で主イエスの言葉に同意することはやぶさかでないと返答したようには読めますが、元通りの信頼関係を回復できた様子はありません。

それから主イエスは、マリアを呼んでほしいとマルタに願われました。そのことをマルタがマリアに伝えたら、マリアが「すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った」(29節)というこの描写は、胸を打たれます。

わたしたちは主イエスにとって不要だった、多くの弟子の中のワンオブゼムだった、それなのになぜ「愛している」というのかと、何もかも信じられなくなってしまったマリアに、主イエスが「会いたい」と自分を呼んでくださった。そのことが分かって「すぐに」立ち上がれたのです。

イエスさまは「まだ村に入らず、マルタが出迎えた場所におられた」(30節)も、感動的です。2人に会うまでは一歩も動かないと、イエスさまが決心しておられたかのようです。

マリアはイエスさまのところに来ました。そしてマルタと全く同じことを言いました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(32節)。そしてマリアは泣き、一緒にいたユダヤ人たちも泣いた。

そのときです。主イエスが「涙を流された」(35節)のは。

主イエスがなぜ泣かれたかは記されていませんが、想像ぐらいできます。理由として考えられるのは、マルタもマリアもイエスさまに同じことを言った、その内容です。

「もしここにいてくださいましたなら」?

わたしがいつ、あなたがたと一緒にいなかったと言うのか。この場所、この空間に、四六時中、目に見える距離にいれば「共にいてくれている」とか「愛してくれている」と思ってもらえるが、少しでも離れたら「もういない」とか「愛していない」ということになるのか。そんなことありえないだろう。なぜ私の愛を疑うか、ということに憤慨された「涙」です。

ラザロだってそうだ。「死にました」?「墓に葬りました」?

だからラザロは「もういない」のか?「もう愛さなくていい」のか?きれいさっぱり忘れるのか?あなたがたはなぜそんなふうに考えることができるのか。私があなたがたのことをどれほど愛しているかをどうしたら伝えられるのだろうか、という葛藤の中で流された「涙」です。

19世紀デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールの『死に至る病』(1849年)は、ヨハネ福音書11章のラザロについての解釈から書き始められています。キルケゴールによると、キリスト教的な意味では「死」でさえも「死に至る病」ではありません。「死に至る病」とは「絶望」であると言っています。

主イエスはラザロの墓に行き、大声で「ラザロ、出てきなさい!」と叫びました。「すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた」(41節)と記されています。主イエスは、人々に「ほどいてやって、行かせなさい」とおっしゃいました。

ラザロは布でぐるぐる巻きにされたままで墓から出てきましたので、本当に生きているかどうかをまだ確認できません。いずれにせよ、ラザロの「蘇生」は、主イエス・キリストに起こった出来事と同じ意味での「復活」ではありません。主イエスの「復活」の前ぶれですが、「蘇生」自体はわたしたちの信仰の対象ではありません。

この箇所が教えていることは、「信じる」とはどういうことか、です。この「信じる」は、「主イエス・キリストが、いつも共にいてくださり、愛してくださっていることを信じる」です。

今日の説教題「信じるものを求めている方々へ」に興味を持ってくださった方々に、「主イエスの愛の強さと深さを信じてください」とお伝えしたいです。「絶望」という「死に至る病」から逃れる道です。

(2024年10月6日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年9月8日日曜日

世を愛する神の愛 北村慈郎牧師

北村慈郎牧師(2024年9月8日 日本基督教団足立梅田教会)

説教「世を愛する神の愛」

ヨハネによる福音書3章16~21節

北村慈郎牧師(当教会第2代牧師)          

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(16節)

今日は足立梅田教会創立70周年記念礼拝の説教を頼まれまして、私はここに立っています。

私は現在82歳なので、足立梅田教会で私が説教するのはおそらくこれが最後ではないかと思います。そこで今日は、私がこれが聖書の使信(メッセージ)の神髄ではないかと思わされていることを、この説教でみなさんにお話しさせてもらいたいと思います。

先ほど司会者に読んでいただいたヨハネによる福音書3章16節は、神の愛を語っている新約聖書の中でも最も有名な言葉の一つです。

このヨハネ福音書3章16節は、古くから「小福音」と呼ばれてきました。この3章16節一節の言葉の中に、イエスさまがもたらされた喜ばしき音ずれである「福音」が見事に言い表されているという意味で、この言葉を「小福音」と呼んで来たのです。

ここに語られています「世を愛する神の愛」は、ヨハネ福音書とヨハネの手紙全体を貫いている根本的なテーマの一つですが、そのことがこの箇所ほど明確に出ているところは他にはありません。

このヨハネによる福音書3章16節は、その前に記されていますイエスとニコデモとの対話(3章1~15節)を受けて記されています。

イエスとニコデモとの対話で中心になる言葉は、3節のイエスの言葉です。「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新しく生まれなければ神の国を見ることはできない』」という言葉です。

その後、ニコデモはイエスに「『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか』」(4節)と頓珍漢な質問をします。すると、ニコデモにイエスは答えて、このようにおっしゃいます。

「『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれるものは肉であり、霊から生まれた者は霊である。「あなたがたは新しく生まれなければならない」とあなたがたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたがたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである』」(5~8節)。

このニコデモとイエスの対話を受けて、ヨハネによる福音書の記者は16節で、田川建三訳で読みますと、「何故なら神はそれほどに世を愛して下さったので、一人子なる御子を与え給うたのだ。彼を信じる者がみな滅びることなく、永遠の生命を持つためである」と語られているのです。

16節に続く17節では「世」(コスモス)という言葉が3回も出てきます。これも田川訳で読みますが、「というのも、神が御子を世に遣わしたのは、世を裁くためではなく、世が彼によって救われるためである」。

ここに「世が彼(イエス)によって救われるためである」と言われています。ヨハネ福音書の「世」は、神に反するものを意味する場合と、単に「現実に存在しているこの世界」というだけの意味に用いることも多いと言われています。そしてこの3章16節、17節の「世」は「現実に存在しているこの世界」を意味していると言えます。

「現実に存在しているこの世界」、現在の世界の現実を皆さんはどう思っているでしょうか。

今年の7月、8月は日本では大変暑い日が続きました。7月、8月の気温としては今年が最高を記録したと言われます。気候温暖化による気候危機が叫ばれるようになってだいぶ経ちますが、CO2削減も進まず、このままですと海の水位が上がって水没する国や都市が出るに違いありません。神が人類にそれを守るべく与えて下さった地球環境を、人類は守るどころか、自らの欲求の充足を求めるあまり破壊してしまっています。

また世界の国々は、20世紀に二つの世界大戦を経験しながら、21世紀になっても戦争はなくならず、この数年はロシアによるウクライナへの軍事侵攻とイスラエルによるガザへの軍事攻撃をはじめ、世界の各地で軍事衝突が起きています。

日本の国も、かつてアジアへの侵略戦争と太平洋戦争によって、アジアの国々をはじめ諸外国の約2000万人の人々の命を奪い、その戦争と戦災によって約300万人の日本人の命を失った戦争犯罪を犯しました。

戦後、その反省に立って、日本の国は二度と再び戦争はしないとの決意を日本国憲法第9条に込めたはずにもかかわらず、台湾有事を理由に、現在の日本政府はアメリカと一体となって日米軍事同盟を強化し、防衛費予算を倍増して軍備増強を進めています。

また、新自由主義的な資本主義が覇権主義的な力を発揮し、国家を越えて資本が世界を支配しています。そのためにグローバルサウスの人々は今も貧困によって苦しんでいます。グローバルサウスの人々だけでなく先進国と言われる国々でも経済格差が広がり、生活困窮者が増えています。様々な差別もあり、一人一人の人間の尊厳が踏みにじられています。

これが現在の世界の現実の一面です。そして私たちはこの現実の世界をその一員として日々生きているわけです。しかもこの世界の現実は命に溢れているというよりは、滅びと死に向かって動いているように思われます。

ヨハネによる福音書が記す「世」も、現代の世界の現実と変わらないと思われます。「神の愛」はそのような「世」を、その独り子を与えるほどに神は愛されたと言うのです。そして、「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」と言われているのです。これが、ヨハネによる福音書が語っている「世を愛する神の愛」です。

愛とは、愛する対象のために最も価値あるものを惜しまずに与える行為です。「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った」(Ⅰヨハネ3章16節)とヨハネの手紙一の著者が書いている通りです。

愛についての解説やことばの説明ではなく、イエスの生涯そのものが、愛を定義しているのです。なくてもよいものをあたえるのは、愛ではありません。残り物や余分なものを捨てるのは、慈善であっても本当の愛からは遠いことです。自分にとって最も価値あるもの、捨て難いものを、相手のためにあえて捨てるところに愛があります。

愛とは、文字通り身を切ることです。奇跡とは、病人をいやしたり、人間の願望を何でもなかえて上げたりすることではなく、身を切るほどまでに、相手のために自分をさし出すことであり、そのような愛がイエスにおいて示されたということが、もっとも大きな奇跡なのだ、とヨハネは私たちにむかって語り、証ししているのではないでしょうか。

では、「神は御子イエスを世に遣わされることによって、御子イエスによって世が救われる」と言われていますが、それはどのようにしてなのでしょうか。

神から遣わされた御子イエスは「すべての人を照らすまことの光」(1章9節)と、ヨハネ福音書の記者は語っています。この光は、人間の過去と現在のすべてを明るみに出すのです。このような光がこの世に来たということは、私たちにとっては、今や出会いと決断の時である、ということを意味しています。

この光である御子イエスを信じないということは、神の恵みの光に対して、心を閉ざして拒否することです。ヨハネにとっては、裁きは信じないことの結果もたらされることではなく、信じないということがすでに裁きなのです(18節)。

裁きは将来にあるのではなく、神の御子、すべての人を照らすまことの光に対して心を閉ざして受け入れないという現在の姿そのものの中にあるのです。この光である御子イエスを信じることの中にすでに救いがあるのであり、したがって「信じる者はさばかれない」(18節)と言われているのです。

光にうつし出された人間の姿は、すべて例外なく闇の中にあります。そこには、救われる者と滅びる者との二分法はありません。すべての人間は、闇を愛し、滅びに向かって走っています。そして、光が強ければ強いほど、闇も深くなって行きます。

「信じる」とは、闇そのものでしかない自分の姿をうつし出されて、光であるキリストに向かってその生き方の方向を転換することであり、この決断の中に救いがあるのだと、ヨハネはここで言っているのです。

先ほどイエスとニコデモの対話の記事の中で、「風は思いのままに吹く。あなたがたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」と言われていました。信じるということは、霊によって新しく生まれることなのです。洗礼(バプテスマ)がそのことを象徴的に意味しています。光であるキリストに向かってその生き方の方向を転換することなのです。

20節、21節で、「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために」と言われています。「真理を行なっている者は光に来る」(21節)のです。

「すべての人を照らすまことの光」(1章9節)である御子イエスを父なる神がこの世に派遣してくださったことによって、その御子イエスから新しい人類の歴史が始まるのです。その御子イエスによる新しい人類の歴史とは、愛である神の御心が支配する神の国の歴史です。

ものすごい悪が存在していると同時に、まことの光に向かって自分自身を転換し、キリストにあって生きている互いに愛し合う人たちが多く存在しているということもまた事実なのです。闇が深くなればなるほど、光の明るさはよりいっそうの輝きを増すのです。

闇が深まるほどに、まことの光としてのイエスの到来は、その喜ばしさを増すのです。救いと滅び、光と闇とを、固定的、平面的に二分するのではなく、「罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」(ローマ5章20節)とパウロが言っているようにです。

この世を愛する神の愛は、御子イエスを光としてこの世に遣わしてくださり、聖霊の息吹を受けて、その光である御子イエスを信じ、闇の中に生きていた己を方向転換して、光に向かって歩むイエスの兄弟姉妹団である教会をこの世に誕生させてくださったのです。そのことによって神はこの世を救おうとしておられるのです。

ヨハネによる福音書13章34節、35節で、イエスは弟子たちにこのように語っています。「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」と。

教会はイエスを主と信じる者たちの群れです。イエスの兄弟姉妹団です。御子イエスによってこの世を救おうとしておられる神の愛を証言する群れです。光である御子イエスを信じて、方向転換して、悔改め(メタノイア)て、互いに愛し合うことによって生きる群れです。

本田哲郎さんは、御自身の聖書翻訳で、信仰を「信じて歩みを起こす」に、「愛」は「大切」、「愛する」は「大切にする」と訳しています。「互いに愛し合う」は「互いに大切にし合う」です。人間の尊厳を互いに大切にし合うということです。「イエスを信じる」ということは、イエスが人間の尊厳を大切にされたように、私たちも互いの尊厳を大切にし合って、イエスを信じて歩みを起こすということなのです。

聖書の教えやキリスト教の教義を学ぶことも、礼拝に出席することも大切ですが、それらはイエスを信じて歩みを起こすために必要なものであって、それが自己目的化されるのはおかしいと思います。

私たちは、「世を愛する神の愛」の確かさを信じて、神の御心が支配する神の国の民の一員とし召されて、イエスの兄弟姉妹団である教会に連なっていることを覚えたいと思います。その教会は、御子イエスの福音を信じて、喜びと希望を持ってこの問題に満ちた世に対峙して生きる者たちの群れなのです。

「世を愛する神の愛」は御子イエスを通して世にその愛を示されました。イエスが十字架にかかり、死んで葬られ、復活して、昇天した後は、聖霊の導きによってイエスの弟子集団である教会を通して、神は世を愛されているのではないでしょうか。

今日は足立梅田教会の皆さんとそのことを確認したいと思いました。 

お祈りいたします。

神さま、今日は足立梅田教会の皆さんと礼拝を共にすることができ、感謝いたします。

神さま、70年の歴史をこの地にあって刻んできているこの足立梅田教会が、イエスを主と信じる群れとして、この地にあってイエス・キリストの福音を宣べ伝えていくことができますようにお導きください。

新しく牧師として赴任された関口先生と教会の皆さんの上にあなたの祝福が豊かにありますように!

この一言の祈りを、イエスさまのお名前を通してお捧げします。  アーメン。

(2024年9月8日 日本基督教団足立梅田教会 創立70周年記念礼拝)

2024年5月5日日曜日

勇気を出しなさい

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「勇気を出しなさい」

ヨハネによる福音書16章25~33節

関口 康

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」

5月になりました。この教会に来て2か月もちました。あとどれぐらいおらせていただけるでしょうか。毎日懸命に働かせていただいています。

9月8日に足立梅田教会の創立70周年記念礼拝を行います。講師として、当教会の第2代牧師である北村慈郎先生をお迎えします。しかし私は面識がありません。勉強させていただこうと、1989年3月に出版された『足立梅田教会の歩み』(非売品、全202ページ、ハードカバー美装)の北村慈郎先生の文章を読ませていただきました。

1989年3月の私は、東京神学大学大学院の1年から2年に進級する直前です。三鷹の学生寮にいました。翌年1990年3月に卒業しました。牧師としての経験はゼロの年です。

素晴らしい文章だと思いました。北村先生はきっと文章が上手な方です。しかし「文章が上手」というのはいろんな意味を持つ可能性があります。悪い意味ではありません。実体が伴っている文章です。足立梅田教会が大好きな方です。この教会の本質を熟知しておられます。この教会がどこを目指して歩むべきかの見通しが明確です。説得力があります。大先輩の文章を赤ペン添削するのは不遜極まりないことで、申し訳ありません。

次の文章から始まります。「教会はイエス・キリストを主と告白する者の交わり、と言われます。交わりとは、人と人との絆のことです。その絆を担うひとりひとりは、それぞれ固有な存在と、生活の人であります。けれども交わりとしての教会は、イエス・キリストにあってひとつなのであります」。

そして北村先生が「これはいつまでも失ってはならない良さではないかと思わされました点」としてほとんど冒頭に挙げておられるのが「梅田教会が、〔初代〕藤村〔靖一〕先生の良き導きによって、ありのままのその人を大切にする教会であるという点、つまり教会の担い手の多様性を無条件に受容するということ」です。

そして「悩みを持ち、それぞれの重い生活を背負いながら教会の門をくぐって、求めて来る人たちが礼拝に来るわけですが、梅田教会はそのような人に対して、教会の側の枠組を押し付ける、ということがありませんでした」と北村先生がおっしゃっていることに、私は感銘を受けました。

北村先生がこの文章を書かれたのが足立梅田教会創立35周年の頃ですので、70周年のちょうど半分です。その時点において北村先生が「僕の希望」として書いておられるのが「この35年の歴史で藤村先生の人格的影響力によって培われた梅田教会の土台を大切にして、これからもその上に教会を建てて行ってもらいたい、と願っています」ということです。

その「土台」が上にご紹介した2つです。第一は「教会の担い手の多様性を無条件に受容すること」です。第二は「教会の側の枠組みを押し付けないこと」です。この土台とは異なる方向に進んで行こうとすると、木に竹を接ぐ結果になってしまう、ということだと思います。

しかし、この先に北村先生がお書きになっていることが最も重要です。「けれども、その作業は大変難しい、と思います」から始まるくだりです。

「その困難さはどこにあるかといえば、教会の制度的な整備によってではなく、教会の担い手であります信徒ひとりひとりが、ある意味で藤村先生の人格性(それはイエスに通ずるもの)を体現することによってはじめて、これからの梅田教会が、今までの良き伝統を生かしつつ、創造的な営みが可能になると思われるからです。今まで多くの方々は、そのありのままの自分を受け容れてくれる教会として、受け手の立場に安住していたという面が強くあったのではないでしょうか。そういう受け手の姿勢に留まるかぎり、いつまでも藤村先生がいなければダメ、ということになってしまうと思います」。

厳しい言葉ですね。

今日の聖書箇所は先週の箇所の続きです。主イエスが十字架にかけられる前の夜に弟子たちと共にお囲みになった最後の晩餐での遺言です。北村慈郎先生が藤村靖一先生の人格性に「イエスに通ずるもの」を見出しておられたことが分かりましたので、話が早くなります。

主イエスが話しておられることの最も中心にあるのは、今日の朗読箇所の少し前の箇所ですが、「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる」(7節)です。衝撃的な言葉です。

主イエスが一緒にいてくださるかぎり、弟子たちは、北村慈郎先生の文章で用いられた表現をお借りして言えば「受け手の立場に安住する」ことができます。そういう受け手の姿勢に留まるかぎり、いつまでも「あの先生」がいなければダメ、ということになってしまうと思います。

ここまで申し上げたところで「自立」という言葉が去来しておられる方が多いかもしれません。自立といえば自立です。自立、大事です。しかし、わたしたちに求められるのは、絶対的な自立ではなく相対的な自立です。絶対的に完全に自立しなくてはならないとしたら、教会の交わりは要らないでしょう。「ひとりで生きていってください」と突き放されなくてはならないでしょうか。そんな冷たい教会では困ります。

空間と時間の枠組みに拘束された物理的存在である肉体を持つ西暦1世紀のナザレのイエスは、今はもう地上にいません。いなくていいとか、いないほうがいいとか言うのは、すごく不謹慎なことを言っているようで私も嫌ですが、ご理解いただきたいのであえて極端な表現を用います。

地上のイエスと会わないかぎりキリスト信者でないことになるのであれば、将来天才科学者が発明してくれるかもしれないタイムマシーンか、せめて飛行機と正確な位置情報がないかぎり、キリスト信者になることができません。しかし、イエスが納められたであろうと言われるお墓の場所に行ったとしても「ここにはおられない」と言われているので、墓参に意味はありません。

その必要は全くないと主イエスご自身がおっしゃっているのです。目に見えない神があなたの心と体に宿ってくださるから。弁護者(パラクレーテ)が来てくれるから。聖霊があなたの傍らにいつも立ち、あなたの中にいつもいて、必ずあなたをかばってくれるから、私がいなくなっても大丈夫だと、主イエスは弟子たちを懸命に励ましておられるのです。

今日の箇所の最後に印象的な言葉が語られています。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(31節)。

主イエスが「勝利」について語っておられます。この勝利に「戦闘における勝利」という意味が全く含まれていないとは言えませんが、それより大事なのは「裁判(Prozeß)における勝利」という意味です。後者の意味を強調したのは20世紀の新約聖書学者ルードルフ・ブルトマンです。

主イエスは、サンヘドリンにおいてもポンティオ・ピラトのもとでも不当な裁判を受けました。主イエスは冤罪です。人の裁判で死刑にされた主イエスは、神の裁判においては勝利しているということです。

神の義にかなう主イエスに従うことは正しいことなので、勇気を持って、自信をもって、主イエスに身をゆだねることができます。弟子たちが主イエスに「信じます」(30節)と応えているのは、主イエスに自分の身をゆだねて生きることの決心と約束を意味しています。

(2024年5月5日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年4月14日日曜日

わたしを愛しているか

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

2024年4月14日(日)聖日礼拝予告

説 教:「わたしを愛しているか」関口康牧師

聖 書:ヨハネによる福音書21章1~14

讃美歌:26、二篇56、164、542

〇キリスト教主義学校の生徒のみなさんへ

*新年度を迎えたキリスト教主義学校の学生・生徒・児童のみなさんを歓迎します。

*午前10時30分から始まる聖日礼拝に出席してください。

*開始時刻ぎりぎりではなく、時間に余裕をもって来てください。

*自分の聖書と讃美歌を持って来ることを心がけてください。

*学校に提出する教会出席カードへのサインは、礼拝終了後、牧師が対応します。

*教会に来るときの服装は、学校のルールに従ってください。

2024年4月8日月曜日

復活の主の顕現

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

2024年4月7日(日)聖日礼拝予告

説 教:「復活の主の顕現」関口康牧師

聖 書:ヨハネによる福音書20章19~31

讃美歌:23、154、152、544

〇キリスト教主義学校の生徒のみなさんへ

*新年度を迎えたキリスト教主義学校の学生・生徒・児童のみなさんを歓迎します。

*午前10時30分から始まる聖日礼拝に出席してください。

*開始時刻ぎりぎりではなく、時間に余裕をもって来てください。

*自分の聖書と讃美歌を持って来ることを心がけてください。

*学校に提出する教会出席カードへのサインは、礼拝終了後、牧師が対応します。

*教会に来るときの服装は、学校のルールに従ってください。


2024年4月1日月曜日

キリストの復活

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

足立梅田教会 イースター礼拝

日時 2024年3月31日(日)午前10時30分より

場所 足立梅田教会 礼拝堂(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「キリストの復活」関口康牧師

聖餐式を行います。午後、愛餐会を行います。

新共同訳聖書、讃美歌(1954年版)を用いています。備え付けがあります。

みなさまのご来会をお待ちしています。

2020年5月31日日曜日

聖霊の賜物(2020年5月31日 ペンテコステ礼拝宣教)


「礼拝開始チャイム」はここをクリックしてください

下記の宣教文のPDF版はここをクリックしてください

ヨハネによる福音書 14 章 15 節~27 節

石川献之助

私たちは三位一体の神を賛美し礼拝しているのだという事を、聖霊降臨節(ペンテコステ)にあたって、新たに心に留めたいと思います。

それは後から付け加えられた恵みというのではなく、もとから救い主イエスと共におられたのです。その聖霊が、主イエスが昇天された後、主イエスを信じる弟子たちが集まっているその上に下り、新たなる現実となったのであります。

聖霊降臨の出来事を伝える聖書の箇所として、使徒言行録 2 章1節~も合わせてお読み下さることをお勧めします。今朝はヨハネによる福音書のテキストを与えられました。

ヨハネによる福音書 14 章 16 節~17 節には「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。」と書かれています。これから起こることに戸惑い、不安でいっぱいの弟子たちに、主イエスは聖霊を与える約束をして下さっています。

この「弁護者」という言葉ですが、ギリシャ語ではパラクレートスといい、口語訳聖書では「助け主」と訳されています。パラクレートスとは、常に困難や苦悩、疑惑、あるいは当惑のもとにある人を助けるために招きいれられる者を意味します。聖霊は私たちに真理を教え、そして真理のための戦いを進めることが出来るようにする弁護者として働いてくださるのです。

主イエスは私たちに何を遺して下さったのでしょうか?それは救いの愛であります。主イエスは十字架という値を払われて、人間の救いの業を完成され、弟子たちに律法ではなく愛を示すために聖霊をおくられた、そこにペンテコステの出来事の意味があるのです。聖
霊に満たされた、主イエスに従う弟子たちの集まりを「教会」と呼び、それは喜びと救いを中心とした交わりなのであります。

私は今、主イエスの心の内を思い起こしています。十字架の出来事の前、主イエスは冷たい洞穴みたいな所に裸でなげこまれて、さぞ寒かったろう、さぞ悲しかったろう、弟子から捨てられたという思いも抱かれたかもしれない。ペテロが群衆に向かって「彼を知らない」「彼とは関係ない」と三度否定したその声を、主イエスは悲しく心に留めたことでしょう。

その後、復活の己を表された主イエスは、弟子ペテロに向かって「あなたはわたしを愛するか?」と三度尋ねました。復活の主イエスが初めて己を表して言われたことは、「わたしを愛するか?」ということ。三度も言われたということ。

しかし、そのペテロに復活の主イエスは、「わたしの子羊を養いなさい」と言われました。「あなたに助け主をおくる」といわれた主イエスの心を思うわけであります。シモン・ペテロは主イエスの深い愛と許しにふれ、新しいペテロに創りかえられて、主イエスに従う決心をしたのであります。

服従というと一般に律法と考える方が多いかもしれません。主イエスは愛するという行為を遺していかれました。自分を捨てて隣人を愛するという行為としての愛は、服従ということであります。神に服従するということであります。

そのことは一見、最後神に服従して己を捨てたと思われやすい。父なる神に服従した、服従としての愛、それは単に喜びを犠牲にして悲しみにかえるようなことではないのです。そうではなくて、神に服従するということは、十字架のイエス様に従うということなのですね。

聖霊に満たされるということは、それ自体喜びであります。聖霊に励まされて、主イエスの愛を新しく受けながら、信仰の生涯を果たしていく道を私たちは与えられているのです。

私たちは9回の尊い主日礼拝を、自宅礼拝という形で分散して守ってきました。小さい自宅での礼拝の中にあっても、心静かに主の愛を身近に感じ、上よりの慰めを得る時が与えられたことは感謝です。一人ひとりが御言葉に向き合い、祈りの中で、讃美の中で、主イエスの御心に豊かに与る恵みの時でもありました。

ペンテコステの聖日は、教会の誕生日だとも言われますが、復活の主イエスの信仰が今年も強められる日であることを覚えたいと思います。主にある教会の交わりの豊かさや楽しさを思い起こし、礼拝の再開を待ちたいと思います。

このような苦難が恵みに変えられていきますように、この昭島教会が一つとなり、ますます主イエスの教会となっていくことができますようにと、祈るばかりです。新しい一週間も、神様の恵みの内を歩んでいきましょう。

(2020年5月31日 各自自宅礼拝)

2020年5月17日日曜日

キリストの勝利(2020年5月17日 礼拝宣教)





ヨハネによる福音書16章25~33節



関口 康



「あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」



このところ毎回最初に申し上げることが「今日も各自自宅礼拝です」という言葉であるのは、なんとも言えない気持ちです。一日も早く今の避難状況を脱し、元通りみんなで教会に集まって主日公同礼拝を行いたいと願うばかりです。



しかし、申し訳ないことに、今の私はテレビを観ることができずにいます。テレビがないわけではありません。教会の大きなテレビを牧師館にお借りしています。しかし、スイッチを入れることができません。



教会のテレビをお借りしたきっかけを覚えています。2018年6月末から7月初めにかけて西日本を襲った豪雨災害でした。私の実家が岡山にあることは皆さんに明かしているとおりです。「ご実家は大丈夫ですか」と、多くの方々が心配してくださいました。



「ええ、まあ、たぶん大丈夫だと思います。何かあれば連絡が来るでしょう」とお答えしたとき、うっかり「テレビを観ていないので」と口を滑らしてしまいました。それでみなさんに驚かれまして、テレビをお借りすることになりました。



なぜテレビを観なくなってしまったのか、直接の原因は分かりません。うそばかりをつく政治家と、その人たちの言いなりになっているとしか思えない人たちばかりが出演しているように見えるテレビに堪えられなくなった気がします。



私が得ている情報はインターネットだけです。それが信頼できるかどうかは分かりません。しかし、だからといってテレビは信頼できるとは全く思えません。これ以上のことは、私に問われても押し問答になるだけです。「ごめんなさい」と謝るしかありません。



今日選んだ聖書の箇所はヨハネによる福音書16章25節から33節までです。イエスさまが十字架にかけられる前の夜、弟子たちと共に囲まれた「最後の晩餐」での言葉です。



「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く」(28節)とイエスさまがお語りになっています。「わたしは、今、世を去る」とはっきりと。



それで弟子たちは「あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます」(30節)と答えますが、その弟子たちにイエスさまが「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている」(31節)とお返しになります。



しかし、ちょっと待ってください。いま読んでいるのは新共同訳聖書です。「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする」は翻訳のひとつの可能性ですが、「あなたがたが帰ってしまい(?)、わたしをひとりきり(?)にする」と言われますと、寂しくて仕方がないイエスさまが、しょんぼりして、恨みがましい目を弟子たちに向け、すねておられるようです。しかし、本当にそうでしょうか。



そのことが気になりましたので何冊か英語聖書を調べました。新共同訳聖書(新約1987年)が誕生する前、日本の教会で長く用いられた口語訳聖書(新約1954年)に強い影響を与えた英語聖書「改定標準訳」(Revised Standard Version)(1946年)はWhen you will be scattered, every man to his home, and will leave me alone.と訳していました。これが新共同訳聖書に最も近いと思います。



しかし、「改定標準訳」よりもずっと古い「欽定訳」と呼ばれる英語聖書(King James Version、1611年発行)はevery man to his ownと訳していました。his ownはhis homeよりも広い意味です。「自分の家」ではなく「自分自身」または「自分のもの」という意味です。



また私は完全に独学ですが、23年前(1997年)からオランダ語を学んでいます。オランダ語聖書を調べたところ、英語の欽定訳と同じ意味の「自分自身」(het zijne(ヘット・ゼイネ))、あるいは「自分の道」(eigen weg(エイヘン・ヴェフ))と訳している例もありました。



ギリシア語原文のことを先に言うべきだったかもしれません。鋭い方は、もうお気づきでしょう。原文には「家」を意味する言葉はありません。「欽定訳」と呼ばれる17世紀の英語聖書はギリシア語原文に忠実です。「家」(home)に当たる言葉はないので「自分自身」(his own)と訳したのでしょう。



私の勉強や知識をひけらかしているのではありません。このときイエスさまが上目遣いで「おれをひとりぼっちにするのか。自分の家に逃げ帰るのか」とおっしゃったのどうかを、はっきりさせたいだけです。



違います。イエスさまはそのようなことをおっしゃっていません。「今、世を去って、父のもとに行く」は、わたしは死ぬという意味です。だから、「我々は散会する。各自で行動する。私はひとりで残る」とおっしゃっているだけです。



そうでないかぎり「勇気を持ちなさい」という言葉につながりません。もしイエスさまが「おれをひとりぼっちにするのか」の直後に「勇気を持ちなさい」とおっしゃったとすれば支離滅裂ですし、皮肉か嫌味を言っておられるかのようです。そんなわけがないのです。



「しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださる」(32節)、そして「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」(33節)と、イエスさまが続けておられます。



その意味は、わたしはひとりで十字架につく、しかし、父なる神さまがわたしと共にいてくださるので、わたしはひとりではないということです。「神が共にいてくださること」以上の「力」も「強さ」もないのだから、わたしは勝利者であるということです。



そして、勝利者であるわたしイエス・キリストを信じて、これからあなたがたは「各自で」生きていくのだ。そのための「勇気を持ちなさい」ということです。



今日の箇所に描かれたイエスさまと弟子たちの関係には、わたしたちが置かれている状況と重なり合うものがあります。



このときのイエスさまも「散会」が永久に続くという意味でおっしゃっているのではありません。わたしがひとりで十字架につく。その間は避難していなさい、安全なところにいなさい、という意味です。また集まることができるその日まで。



わたしたちも、イエスさまが弟子たちに求めた「勇気」を、持とうではありませんか。



(2020年5月14日 各自自宅礼拝)

2020年5月3日日曜日

弟子への委託(2020年5月3日 礼拝宣教)




石川献之助牧師

「今日の挨拶(関口康)」(音声1分)はここをクリックするとダウンロードできます NEW !



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ヨハネによる福音書21章15節~25節



石川献之助



皆さん、私は今日も神様に守られて元気に生きています!




おかげさまで今週の6日には93歳の誕生日を迎えようとしています。この歳まで生きると「天国は近づいている」と思わされることが多いものですから、毎朝目を覚ました時に、新しい一日を生かされているという実感と共に、神様への感謝の思いを抱かずにはいられません。



自粛生活の中で身体が弱らないように、家の中での歩行練習やひと気のない場所での散歩などに努め、また食事を残さないようにいただくなど、自分を励まして過ごしています。それは再び兄弟姉妹が教会に集い、共に礼拝が出来る日を待ち望んでいるからです。



どうぞこの難しい時代を、祈りと思いをひとつにして、主に支えられて共に歩んでいきたいと心から願っています。



先週は、関口先生によって、ヨハネによる福音書21章1節から14節の聖書箇所を学びました。甦られた主イエスが、7人の弟子達のもとへ現れて、共に食事をなさったところです。



本日はその後15節からの御言葉が与えられています。食事を終えたのちに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と主イエスは言われました。



この後続けて主イエスは3回同じ質問をされています。主イエスは十字架にかかる前にイエスの事を3度知らないと言ったペテロ(ペトロ)<マタイ26章69節~75節>に、主への愛を宣言させることにより、「知らない」と言った記憶をぬぐいさらせようとしたのだという見方をする人もあります。主イエスのペテロへの温かい思いが表れている箇所であります。



このペテロへの「わたしを愛しているか」という主イエスの投げかけは、「もしあなたが私を愛するなら私の群れを牧するために生涯を献げなさい」という、ペテロへの委託の言葉であったのであります。主イエスは十字架による死によって終わったのではなく、甦られてこれから始まる神の国の救いの成就のために、弟子たちに臨まれたのであります。



私はかつてローマに旅行しバチカンの前を通った時、そこにペテロの立派な像が建てられているのを見て、ペテロの信仰の偉大さを感じました。しかしその後で、彼が十字架にかけられて殉教の死を遂げたことを思い起こしました。彼は十字架にくぎ付けにされそうになった時、自分は主と同じような仕方で死ぬ価値はないと、十字架に逆さにつけて欲しいと頼んだという話は伝え聞くところであります。



これまでのペテロの人生は、その時の都合でyesとnoとを繰り返すようなものでありました。しかし、ペテロは甦りの主イエスに出会って、信仰に目が開かれ、人生が新しくされ、新しい務めに目覚めたのであります。



復活の主イエスに出会うということは、自分が新しい人に創りかえられるという出来事であり、生涯変わらない真実に出会うということであります。私も振り返れば67年間、主イエスに捉えられて、この思いで牧師の務めを一筋に果たしてきました。



さて、この「わたしを愛しているか」という主イエスの御言葉は、私たち一人ひとりへもなげかけられていることを感じます。私たちは主イエスのこの問いかけにどのように応えていけるのでしょうか。

ペテロのように生涯を伝道に献げる道のみならず、私たち一人ひとりにも新しい道が与えられています。



私たちは主イエスに招かれた者として、喜んで応答していく者でありたい。

ペテロもそうであったように、私たちも復活の主イエスの愛に新しくされて歩む信仰の日々を送りたいと思います。



(2020年5月3日、日本キリスト教団昭島教会「各自自宅礼拝」)

2020年4月12日日曜日

復活節の喜び(2020年4月12日 イースター礼拝宣教)

ヨハネによる福音書 20 章 1 節~18 節



石川献之助



今日は 2020 年のイースターの復活節の記念の聖日であります。



私はこの日をどんなに大切に思っているか。私は小さい時から教会の牧師である父と、ま

たその生き方に共鳴してその助け手となった母の間で育ち、「献之助」という名前をつけられて、自分が選択をするよりも両親の信仰に基づいて、あるいはその信仰を通して私の生涯をこの福音の宣教の務めに生きる教会の働きに生涯を捧げる者として、その名前を付けてくださったそういう命運のもとに、今年92 歳という長い生涯を、ただそのひとつの方向に生きてまいりました、福音の宣教を託されている者であります。



この昭島教会は、私に託された主の命令に基づいた、あるいは恩恵にもとづいた務めでありますけれども、すでに高齢ゆえ不自由な体でありまして、教会の役割を進んで担ってくださる昭島教会の役員の方々のみならず、後任の伝道者としての務めを引き受けてくださった関口先生のその業によって補われながら今を歩んでおります。



すでに皆様のお手元に郵送された週報の 2 ページの上の右のほうに 「3511 号」と書かれております。なんと戦後の日本の、散々に戦争で痛めつけられた昭島の地で、本当にこの世に生きていく生活の困難を背負っている昭島の市民の方々に福音を述べ伝え、生きる希望と、そして福音によってもたらされる永遠の命の希望を述べ伝えるために、私は弱冠 25 歳でこの昭島の地において開拓伝道の業を始めました。実にそれから 67 年の時を経て、この 3511 回目の礼拝でお話を委ねられている者であります。



そしてこの復活節というものは、私どもの救い主イエスキリストの三十有余年の御生涯の最後、実に世界の罪深い者の、全ての者の救いのために、十字架にかけられて遂げたその尊い死の後、三日目にそのイエスが甦られたことを記念する日であると聖書にしるされております。



そのテキストに基づいて、この復活の出来事を伝えるそのような記録は世界でも他にはないわけでありますから、本当にその事実を伝える知らせとして、最初の事をしるしたヨハネによる福音書の 20 章1節以下の記録を心に留めたいと思います。そして、その知らせは 2000 年余り経ちました、2020 年の今も私たちのもとに届けられているのであります。



これは本当に尊い知らせだと思います。この知らせに基づいて、私どもの信ずる主イエス・キリストが十字架の上において死なれたはずのそのイエス・キリストが、三日目に甦ってしかも最初に己をあらわされたその主イエス・キリストのそのような記録が書かれているわけであります。



そしてそれは、普通は長い時の経過が全てをぬりかえてしまうはずでありますが、でも変わらずに、永遠の命を私たちに約束されたイエス・キリストは、十字架の死を経て三日目に甦られた「甦りのイエス」にかわられた、イエスについて記念をすることを心に深く銘記して、新しい命に生きるそのような神の最も偉大なる御業について、私たちは神に感謝しその信仰を新しくする日として、世界中でこのイースターの日を中心に、この安息日の日曜日の礼拝をおこなっているわけであります。



本当にこのことは私たちの良識を越えたことでありまして、信仰によって聖霊の導きのもとにそのことを認識させられたときに、人間として創られ、生まれ、そして生きてきた人間は、そこに希望を、永遠の命の希望を告げられて、そしてこの日、感謝と喜びの内に礼拝を行っているのであります。



このことを告げたヨハネによる福音書の 20 章の始めに、キリストの御言葉の中で最初に弟子たちにイエス・キリストが己を復活の御姿をもって、再び愛の方として私どもの救い主としてご自身をお示しになったこの箇所を心に留めることこそ、イースターの礼拝の中心であるということを覚えていきたいと思います。それでこの礼拝においては、ヨハネによる福音書の 20 章の1節から18 節までの御言葉が今読まれたわけであります。



そして私はこのことを毎年このイースター礼拝の度に心に留めたわけでありますが、今日はこの礼拝において、この教会を中心にあつまっている兄弟姉妹は、新型コロナウイルスの世界的な脅威にさらされているこの地球の上での、人類の歴史上初めてという試練の中に置かれ、私たちは集まることの危険ゆえ、為政者の意向に従って霧散して、私たちの教会ではそれぞれの置かれている場所でひとり祈ることによってこの復活節の主日礼拝を執りおこなうことを皆さんにお知らせしました。



そして今、形は違っても復活節の喜びを分かち合うという、讃美と感謝と喜びの信仰を更新する、そういう礼拝を守っているわけであります。



私たちはそのことを忘れることなどありません。そしてその信仰に生きている兄弟姉妹たちが全世界で、ある報告によれば 20 億という多数の人々がその信仰に生きているわけであります。



イエス様は復活されて生きて私たちと共にある、私たちの歴史を共に生きていて下さるということを新たに知らしめられる、そういう希望の日であるということをもう一度思い起こす、そういう日であるということを新たに皆さんと一緒に心に留めたいと思う次第であります。このイースターの理解と喜びとは、時の経過によって増し加えられることさえあれ、決して薄れることはないと思います。



私は過日イースター礼拝で引用した具体的な例をひとつ挙げて、そのことを新たにしたいと思うのであります。一度人間としてこの世の歴史の中に生まれてきた私たち一人ひとりでありますけど、一度生まれ、そしてその命は私たちの目に見えないたくさんの罪の結果として、必ず神様の厳しい裁きのもとに人類は希望を失っていくわけでありますが、そこに救い主としてのイエス様が遣わされ、そして全ての人々の罪の許しを十字架にかかり、達成されたのであります。



それで日本の現実の中におかれている、そのような希望の無い人々の救いのために、その周辺の人々に声をかけて、特に 2500 名のお医者さんと看護師の方々が集まる前でその限りある人生を望みなく終わっていくそういう人類の救いのために復活のイエス様の希望が与えられているということについて、研究会において報告されたお話です。



沢山の人々が地上の命を終えて亡くなっていく愛する者の死は、なおとても耐えがたいものであります。そしてイエス様によって信仰を与えられた私たちも同じような命運のもとにあるわけですが、イエスキリストによって永遠の命の希望を与えられることによって、この世の生活を積極的にあるいは喜びに希望に満たされてそして生きていく、そういう者がそれでも命の終わりの時を持つわけであります。



けれどもその中で、ある親子のお別れの言葉を紹介したいと思います。それはお父さんが臨終の時が来たことを悟って、はっきりと小さな声ではあるけれども「いってくるね」といって亡くなったということです。そして娘さんの方は「いってらっしゃい」と答える臨終の光景が紹介されていたのであります。



この紹介された家庭は、クリスチャンとして復活の信仰を与えられていた人たちでありましたから、亡くなるお父さんは「いってくるね」と言い、そして娘さんは「いってらっしゃい」と言う。しっかりとしたごく自然な言葉を遺して終わりの時を迎えた。この報告は多くの人を感動させました。



今、私たちは、新型のコロナウイルスの世界的な宇宙的な感染拡大の報道のもとに人類の将来を心配しています。けれども、この言葉を通してイエス様が与えて下さった永遠の命の希望は、本当に全ての人に希望を与えるものであるということを深く教えられました。



同じ信仰に生きている、またその復活の事実を聖書を通して教えられている、その中に、希望を持っている私たちは、そのように自分の人生を送り、また愛する家族の死を看取り、隣人として生きているたくさんの人々にこの福音を述べ伝えていくことの大切さを深く教えられた次第です。



私たちはいつものように教会に集まって、恵みの時を持つことは出来ません。けれどもこうして分散してコロナウイルスに負けないように、自宅で礼拝を守っています。



週報の中に今日与えられた聖句として、「弟子たちは主を見て喜んだ」とあります。十字架にかかって亡くなったはずの主イエスキリストが生きていらっしゃる、その復活の姿を見て喜んだという、これは事実の報告でありまして、私たちもこの言葉を改めて日々の人生の希望として、イエス様に感謝して、イエス様と共にこの復活の信仰を新しく日々の力として、命として、この年も生きていきたいと深く思わされた次第です。



それでは一言お祈りをいたします。



天の父なる神様 あなたがこの 僕しもべに、昭島市を中心とした戦争に希望をくじかれた日本の一角の地に、死によって貧しくなり、希望を失い彷徨っている人々にこのイエスキリストの復活の希望の福音を述べ伝えるという務めを与えられて、67 年という歳月が経ちました。



あなたはこの宣教の務めは何年経ってもそれは新しく、その福音を必要とする罪深い人類の歴史が続いていくことを思う時に、どうぞこの教会を守り、育て、励まし、どうかその福音を述べ伝えていく教会でありますように、心からお祈りいたします。



あなたは主であられ、そして永遠に生きていて下さいますから、私たちはそのことを信じていますけれども、色々な歴史的な過程の中で、どうぞ心強くどんなときにもこの復活のイエス様の希望を人々に伝える務めに励み、どうかこの教会が育ち、またその使命感を持ち続けていくことが出来ますように。私たちの周りの人々にその務めを果たす者として、歩めますように。



この試練が本当に私たちの希望となり、いつも務めとして新しく更新させられて私たちの希望として持ち続けられていきますように。どうぞ主イエス様が、教会員一人ひとりの現実に隣人として伴っておられることを忘れずに、かえって強められてこの困難を乗り越えて、この教会が新しくされる時でありますように。



今日このような形で行われる礼拝にも、復活節の礼拝を行えたことを深く感謝いたします。私たち自身が本当に復活の信仰を希望として、これからの生涯を生きていくことが出来ますように、祈るべきことは沢山ありますけれども、この大切な祈りをイエス様のお名前を通して御前にお捧げいたします。



アーメン



 礼拝(上)

 
 


礼拝(下)

 
 


祝会(上)

 
 


祝会(下)

 





2020年4月5日日曜日

十字架への道



ヨハネによる福音書18章28~40節

関口 康

「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」

おはようございます。今日の礼拝に付ける名前をどうするかで悩みました。「各自自宅礼拝」と週報に書きました。意味が分かるようで分かりません。いま世界で起こっている未曾有の事態に対してひとつの意思表示をしたいと願って付けた名前です。

今日の礼拝は「休会」ではありません。わたしたちは、いま礼拝を行っています。今日の礼拝は「開会」されています。

イエス・キリストが死者の中からよみがえられた週の初めの日としての日曜日を「主の日」と聖書が呼び、世の終わりまでその日をキリスト教安息日(Christian Sabbath)として守り続けることは教会の本質に属することであり、状況に応じてどうにでもなるという次元の事柄ではありません。

そして、安息日の本質は、神を礼拝することにおいて「魂の」安息を得ることです。その意味での安息を得るために、教会は主の日毎に目に見える形ある礼拝を行ってきました。

それは教会の歴史的な伝統でもあります。しかし、それだけではなく、「神が」命じておられることであると信じているからこそ、わたしたちは万難を排して、たとえどんなことがあっても、主の日ごとの礼拝を守ってきました。

しかし、そのことと、だからといって教会に属する者たちは、たとえ病気で苦しんでいるときも、死の恐怖と直面する事態の中にあるようなときも、体を打ち叩き、心を奮い立たせて、教会の礼拝堂というこの建物に必ず集まって、定例集会としての主日公同礼拝に、何がなんでも出席しなければならないというようなことを言い出すこととは、全く別問題です。

そのようなことを要求する教会がもしあるとしたら、イエス・キリストがお語りになった大切な言葉を忘れています。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコによる福音書2章27節~28節)と、イエスさまがはっきりおっしゃいました。

「安息日の主でもある人の子」であられるイエス・キリストが、病で苦しむ人々と共に、死の恐怖に直面している人々と共に必ずいてくださるということを、その人々にはっきり分かるように伝える責任が、イエス・キリストの教会にあります。

それでは、今日、2020年4月5日の東京に位置するイエス・キリストの教会の取るべき姿勢は何なのかということを、わたしたちは考えざるをえません。少しも大げさでなく、全人類がいま死の恐怖の前に立たされています。全人類のだれもいまだに治療法を知らない感染症の病原が、わたしたちのすぐ近くに迫っています。

今日、教会の礼拝堂に集まっていない人々は、礼拝をサボっているわけではありません。少しも大げさでなくわたしたちは、各自のいま考えうる最良の避難所に避難している状態です。それが「自宅」です。その意味で「各自自宅礼拝」です。

そして、牧師である私にとっての「自宅」は、牧師館がある「教会」です。だから、私は教会が自宅だから、教会で礼拝をしています。しかしだからといって、私がいまささげている礼拝は、たとえ牧師がひとりでささげる礼拝であっても、教会堂の建物の中で行えば、それが礼拝であるという意味を持つものではありません。

そして私は、私の避難所である教会でひとりで礼拝をささげている様子を録画して、インターネットで公開しようとしています。しかし、だからといって私はこれを「インターネット礼拝」であると考えていません。

私は「インターネット礼拝」というのに反対なのです。インターネットが苦手な方やアクセスするためのパソコンやプロバイダに支払う費用を捻出することに経済的な困難を覚えている方を切り捨てることになると思っています。「今はみんなで集まることができないのでインターネット礼拝をいたしましょう」というようなすっきりした三段論法に乗せられることに対して強い警戒心がある、とても飲み込みが悪い人間です。

ですから、この際はっきり言っておきます。私が今しているのは「インターネット礼拝」ではありません。私の「自宅」である教会で、私がひとりでささげている「私の各自自宅礼拝」を録画して公開しようとしているにすぎません。

先ほど朗読した聖書の箇所は、いつもしているのと同じように、日本キリスト教団の聖書日課に従って選んだ箇所です。ヨハネによる福音書18章28節から40節まで(新共同訳 新約聖書205ページ)です。

わたしたちの救い主イエス・キリストが十字架にかけられる前の夜、十二人の弟子たちと共に「最後の晩餐」を囲まれ、その後ゲツセマネの園で弟子たちと共に祈りをささげられたのち逮捕され、祭司長たちと最高法院の議員たちのもとに連行されて裁判をお受けになり、さらにそののちローマ総督ポンティオ・ピラトのもとにも連行されて、ピラトの尋問をお受けになるその場面です。

イエスさまは、祭司長たちと最高法院の議員たちのところでは、何を尋ねられてもほとんど何もお答えになりませんでしたが、「あなたはメシアなのか」と尋ねられたときだけ「それはあなたが言ったことです」とお答えになりました。しかし、イエスさまのお答えに「わたしはメシアではない」と、そのこと自体を否定する意味はなく、むしろ肯定されました。

今日の箇所に出てくるピラトのところでも、イエスさまは同じ態度を貫かれました。ピラトがイエスさまに「お前がユダヤ人の王なのか」(33節)と問うたとき、イエスさまは「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」(34節)と答えておられます。

そしてそのうえで、イエスさまは「わたしの国は、この世には属していない」(36節)とお答えになりました。するとピラトが「それでは、やはり王なのか」(37節)と問うてきましたが、イエスさまは「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」(37節)とお答えになりました。

難しいといえば難しい、なんだかよく分からないやりとりではあります。しかし、イエスさまの意図は明確です。「そもそも国とは何か」という果てしなく大きな問題が背後にあります。

国と国を隔てる国境は、だれがどのようにして決めたのか。その国のリーダーである王、ないし同等の立場にある人は、何の権限でみずから王の名をなのり、実力を行使するのか。このようなことをいろいろ考えなくては「国とは何か、王とは何か」という問いかけに答えることはできません。

イエスさまはユダヤを武力で支配していた王たちと同じ意味での「王」ではありませんでした。ユダヤを支配下に置くローマ帝国の王たちと同じ意味の「王」でもありませんでした。しかし、だからといってイエスさまは、ご自身が「王」であることを否定しておられません。

「それでは、やはり王なのか」というピラトの問いかけに対して、「わたしは真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た」とお答えになったのは、ご自身が「王」であることを否定する意味ではなく、地上ではなく天におられる世界の創造者である神のひとりごとしてお生まれになった、神の真理を世界に示す「王の王」(King of kings)であるということを明確に示されたのです。言葉を濁してわけの分からないことをおっしゃったわけではありません。

そうでないからこそ、このイエスさまの答えは当時の権力者たちを怒らせるまさに直接の原因になり、十字架につけられる理由になりました。イエスさまが自分はメシアであるとしたことと、そして安息日論争は、イエスさまを十字架にかけるに値する冒とく罪を犯したと告発された原因そのものでした。そうであることをイエスさまは分かっておられました。ご自分がメシアであり、王の王であるという真理をはっきり示されることにおいてイエスさまは十字架につけられました。

そのようなイエスさまのお姿に「なんてばかなことを」と、わたしたちは思いません。世界と国の支配的立場にある人々のすべてがおかしいとまでは、私は思いません。しかし、あまりにもおかしなことばかり言い、うそとごまかしを押し通し、人々を助けるどころか犠牲にし、ひどい目にあわせる支配者が、わたしたちの眼前にいると感じるとき、十字架につけられたイエスさまのお姿のほうに、むしろ魂の平安を見出します。「なんてまっすぐな方だろう」と。

そして、そのようなイエスさまと共に生きていこうとするとき、この地上の人生にもまだ希望があると感じることができます。うそとごまかしだけで世界が成り立っているわけではないことが分かるからです。

今日の礼拝をこのような形にしたのは、政府の要請に従ったのではありません。社会の要請でもないし、医者や専門家の要請でもありません。そうすることが必ず間違っていると言いたいのではありません。そうではなく、「だれに従うのか」という問いは、教会の本質ないし存在理由にかかわることだと申し上げています。

イエス・キリストの教会が従うのは、イエス・キリストだけです。その結果として、国や社会の要請と合致する場合ももちろんありますし、そうであることを願うばかりです。教会が伝道というわざを行うのは、教会に集まる人が増えればいいというような勢力拡張の意図からするのではなく、イエス・キリストにおいて示された真理を多くの人々と共有できる社会や国になりますように、という願いがあるからです。

ですから、わたしたちは、今日は各自の自宅で礼拝をささげています。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」とおっしゃった安息日の主イエス・キリストの要請に従って、全人類を脅かす死に至る病から身を守るために、各自の自宅に避難しています。

今日の礼拝は「休会」ではありません。学校でたとえれば、「保健室登校」や「出席停止」です。それは欠席にはなりません。その趣旨をご理解いただきたいと願っています。

(2020年4月5日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

2020年3月22日日曜日

香油を注がれた主

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-5)

ヨハネによる福音書12章1~8節

関口 康

「イエスは言われた。『その人のするままにさせておきなさい。』」(7節)
 
おはようございます。今日もマスクをしたままでお許しください。そして先週と同じように、時間を短縮してお話しいたします。

今わたしたちは受難節を過ごしています。わたしたちの救い主イエス・キリストの御受難を覚える季節です。しかしまた、折しもわたしたち自身が苦しみを味わっています。

わたしたちが味わっているのは「不安」の苦しみです。それは決して小さいものでも軽いものでもありません。世界がこれからどうなっていくかをだれひとり知りません。

だからこそ、今のわたしたちに最も必要なのは「心の平安」です。それは安心であり、平和です。そして、安心してもよいだけの「根拠」です。それが無い、あるいは分からないから、偽りの情報に翻弄されたりしています。

しかし、なんとかして、自分の心に強く言い聞かせてでも、落ち着きましょう。冷静であることが大事です。

いま私の心にしきりに去来する言葉があります。それは、16世紀ドイツの宗教改革者マルティン・ルターが言ったとされながら出典は不明であるとされている「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」という言葉です。

「世界が滅ぶ」などという言葉を今の状況の中で使いたくありませんが、大事なのは後半です。「私は今日りんごの木を植える」です。出典が不明である以上、マルティン・ルターの言葉だと断言することはできませんが、とにかく大事なことが言われているのは確かです。

どれほど不安なときも、明日世界が滅亡することが分かったとしても、そんなことはどうでもいいことだと軽く考えて、そんなことよりも神さまのおられる天国だけを見上げていればよいのだ、それでいいのだというようなことを私が言いたいわけではありません。そんな考えはよぎりもしません。

そうではありません。「わたしは今日りんごの木を植える」のです。落ち着いて、日常的な地上の事柄に取り組み、汗を流すのです。労働のたとえが含まれているかもしれません。働いて疲れて横になれば、ぐっすり眠ることができるでしょう。

今日朗読していただいた聖書の箇所に記されているのは、「過越祭の六日前に」(1節)イエスさまがベタニアという村に行かれ、ひとつの家庭に迎えられ、食事をなさった場面です。

そこにマルタ、マリア、ラザロの3人姉弟がいました。末の弟のラザロについては、病気にかかり一度死んだのにイエスさまによってよみがえらされたという驚くべき出来事があったことが、ヨハネによる福音書の11章1節以下にかなり詳しく記されています。

マルタとマリアについては、ルカによる福音書10章38節から42節に出てくる話がよく知られています。今日の箇所にも記されていますが、マルタは「給仕」の役回りだったようです。

そして妹のマリアは、ルカによる福音書に描かれていることとしては、お姉さんが給仕している最中でもイエスさまの前に座り込んで、じっと話を聞く。それでお姉さんの怒りを買ってしまうタイプの人でした。

この3人姉弟をイエスさまは心から愛しておられました。「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」(11章5節)と、ひとりひとりの名前を挙げて記されているとおりです。

そして、その3人と共にイエスさまは「過越祭の六日前に」食事をなさいました。六日後が過越祭であることは、イエスさまはもちろんマルタもマリアもラザロも知っていました。過越祭にもイエスさまは食事をなさいました。それが、12人の弟子たちと共に過ごされた「最後の晩餐」です。

ベタニアの3人姉弟の家で食事の前だったか、最中だったか、終わってからだったかは今日の箇所だけでは分かりませんが、マリアが半ば唐突に「純粋で非常に高価なナルドの香油」を一リトラ(約326グラム)持ってきて、イエスさまの足に塗り、自分の髪でぬぐいました(3節)。

もし食事の前あるいは最中だったとしたら、強烈な香りで食事がぶち壊しになったと考えられなくもありません。もしそうだとしたら、そういうことを後先考えず、迷惑をかえりみず、唐突にできてしまうマリアは、なんらかの配慮が必要な存在だったかもしれません。

そこで腹を立てたのがイスカリオテのユダでした。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」(5節)と言いました。

「1デナリオン」は、当時の労働者の1日の賃金です。それの300日分です。ひとりの労働者のほぼ年収です。

なぜ、それほど高価な香油がその家にあったのかは分かりません。憶測はよろしくありませんが、いろいろ想像できなくはありません。

それをマリアはイエスさまにささげました。お金に換えて別のものにしてではなく、ナルドの香油そのものをイエスさまのために使いました。「なぜそんなことをするのか、もったいない」とユダのようなことは考えないで。「純粋で非常に高価なナルドの香油」そのものをイエスさまに、マリアはささげました。

もっとも、ユダは「貧しい人々のことを心にかけていたから」そのように言ったわけではないと、ヨハネによる福音書は説明しています(6節)。別の理由があったのだ、と。しかし、この点を掘り下げていきますと別の話になりますので、今日は割愛いたします。

そのときイエスさまは、「この人のするままにさせておきなさい」とおっしゃいました。「わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのだから」(7節)と。

お金の使い道の話にしてしまうのは単純すぎるかもしれません。しかし、こういう使い方なら意味があるが、そういうことなら意味がないと、わたしたちもしょっちゅう考えたり議論したりします。

イエスさまのために使うのは無駄でしょうか。イエスさまへの愛と敬意、そして信仰のために、価値あるものを差し出すことは無意味でしょうか。イエスさまは、マリアのささげものを喜んでくださいました。わたしたちのささげものをも喜んでくださるでしょう。

他人(ひと)がすることを「それは無駄だ無意味だ」と非難することは、わたしたちもついしてしまうことです。社会や個人の経済が不安定なときはなおさらです。しかし、ここで最初の話に戻します。社会や個人が不安なときにこそ必要なのは「心の平安」です。

今日わたしたちが教会に集まってきたのは、それを得るためだったのではありませんか。私もそうです。他のどんな方法でも得ることができない「心の平安」を、ここ(教会!)に来れば得ることができると思ったからこそ集まってきたのではありませんか。私もそうです。

どうやら今日わたしたちが植えている「りんごの木」は「教会に来ること」でした。それが無駄だ無意味だと、イエスさまは決しておっしゃいません。

今申し上げていることに、今日の礼拝出席をお控えになっている方々を責めたり裁いたりする意味は全くありません。教会としての姿勢は「決して無理をしないでください」と毎週の週報に繰り返し書いているとおりです。

自宅で待機しておられる方々のために、そして全人類のために、共に祈ろうではありませんか。

(2020年3月22日、日本キリスト教団昭島教会主日礼拝)

2017年7月30日日曜日

善いことを躊躇しない(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書5章15~17節

関口 康(日本キリスト教団教師)

「この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスはお答えになった。『わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。』」

ヨハネによる福音書の学びの6回目です。先週から数えてなんと4週連続で私が説教です。今日もどうかよろしくお願いします。

先ほど今日の箇所を朗読していただきました。これだけ読んでも意味がよく分からないと思います。と言いますのは、この箇所には、すでに一つの出来事が起こった後に、その結果として起こったことだけが記されているからです。その部分だけを切り取って朗読していただきました。

どのような結果だったかと言えば、ユダヤ人たちがイエスさまを迫害しはじめたという結果です。「この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた」(15節)と記されているとおりです。

もう一つ、イエスさまがその人をいやした日が「安息日」であったこと(9節)も迫害の理由です。しかし、今日は「安息日」の問題は、時間の都合で割愛します。「いやし」の問題だけを扱います。

しかし、これは奇妙な話です。イエスさまは一人の人の病気をいやしたのです。それをきっかけにイエスさまが迫害されはじめたというのです。原因と結果の関係でいえば、原因が病気のいやしで、結果が迫害だったというのです。

内容はあとで見ますが、この人は38年間も病気で苦しんでいました。しかし、イエスさまがその人を長年の苦しみから解放なさったのです。それは善いことです。悪いことであるはずがありません。しかし、それでイエスさまへの迫害が始まったというのです。理不尽としか言いようがありません。

しかし、ここで一つ考えたいことがあります。このような結果になることをイエスさまが全く予測しておられなかっただろうかという問題です。

イエスさまは純粋にご自分は善いことをしたと思っておられた。しかし、全く予想していなかった結果が生じた。「ええっ、びっくり。なぜ私はこんな目に遭わなきゃならないの。こんなはずではなかった。後悔先に立たず」と狼狽えるばかり、ということだったでしょうか。

それは違うと思います。むしろイエスさまはそういう結果になることをよく分かっておられました。しかし、だからといって躊躇なさらなかったのです。この点が大事です。迫害を恐れて何もしないとか、人目を気にして手を引くとか、そういうことをイエスさまは全くなさいませんでした。

イエスさまが躊躇なさらなかったのは、38年間も病気で苦しんでいた人を助けなければならないとお考えになったからです。そのことを決心なさったからです。その人を助けた結果として御自分の身が危険にさらされることになるとしても、そこで躊躇なさるような方ではなかったのです。

そのようなイエスさまだからこそ十字架につけられました。イエスさまの十字架の死は、ご自身は全く予想していなかった不慮の事故などではありません。イエスさまは、あらかじめの決意と覚悟をもって十字架をめざして歩まれました。その点を後から付け加えられた話であるかのように言われるのは困ります。そのことを最初に確認しておきたいと思いました。

5章の冒頭から始まっているのはイエスさまがエルサレム神殿に来られたときの話です。「ユダヤ人の祭りがあったので」(1節)と記されていることから分かるのは、そのときエルサレムは非常に大勢の参拝客で賑わっていたであろうということです。

「エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で『ベトザタ』と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった」(2節)とあります。「羊の門」はエルサレム神殿の北東に、読んで字のごとく羊が通る門として設けられたものです。その羊は神殿の祭儀に犠牲としてささげられるために連れてこられました。

そして、そこに今日の箇所の出来事に直接関係する二つの重要なポイントが出てきます。一つは「回廊」、もう一つは「ベトザタ」という名の「池」でした。

「回廊」に関して「この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」(3節)と記されています。その場所が、ここに記されているような人々にとっての「居場所」だったと言えるかもしれません。良い意味でも、もしかしたら悪い意味でも。

「もしかしたら悪い意味でも」と申し上げたのは、神殿の門というのは、まさに入り口、あるいは出口です。神殿の中心ではなく周辺であり隅っこです。そういうところに自らの意思で集まっていたのか、それとも追いやられていたのかが気になります。

そしてもう一つ大事なポイントが、その「回廊」が「ベトザタ」という名の「池」に近かったことです。その池には言い伝えがあったようです。そのことを、これからイエスさまが病気をいやすことになる、その人自身が説明しています。

「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」(7節)。

これで分かるのは、その「ベトザタ」という池にまつわる言い伝えの内容です。池の水が動くときがある。そのときにその池の中に入れば病気が治る、という言い伝えです。

しかも、この人の言い分をそのまま受け取るとしたら、みんな一緒に入っても効き目がなかったのかもしれません。一回水が動くたびに、ひとりしか入れない。その順番待ちをしていた人々が回廊にいたのかもしれません。

しかし、ここから先は全くの想像ですが、いろいろ考えるべきことがあります。この人はまさか、その同じ場所に38年間も座り続けていたのでしょうか。そういうことがありうるでしょうか。それはさすがにないだろうと私は思います。

むしろ考えられるのは、すでにこれまでにあらゆる手を尽くしてきた可能性です。自分自身もなんとかしてその病気の苦しみから解放されたいと願ってきたが治らなかった。最後の最後にこの池にたどり着いた。来る日も来る日も順番を待っていた。しかし、誰も自分を池に入れてくれる人がいなかったという可能性です。

しかし、私は一つ、とても気になる解説を読みました。それは私がいつも愛読している聖書注解の説明です。それによりますと、ベトザタの池の水の中に入れば病気が治るというようなことは当時のユダヤ人たちは誰も信じていなかったという説明です。つまりそれは迷信であると、当時のユダヤ人たちも考えていたというのです。

それはわたしたちにはよく分かる話です。旧約聖書の教えを思い返してみると、迷信的なこととは全く相容れないものであることがお分かりになるはずです。いわゆる科学的な根拠があり、あの池の水の成分の中には病気をいやす力があるというような実証的な研究が積み重ねられてきたとでもいう話であればともかく、そういう話では全くない。「ベトザタ」に関しては、当時のユダヤ人でさえ、そのような治療効果などは全く信じていなかったことであるというのです。

しかし、そうなるとどうなるのでしょうか。この羊の門の傍らの五つの回廊に集まっていた大勢の病気を抱えた人々は、だまされていたのでしょうか。それとも、自分たちもそんなのは迷信であると分かっていながら、それでも集まっていたのでしょうか。そのどちらであるかは分かりません。

しかし、もし彼らがだまされていたということであれば、問題はきわめて深刻なものになります。だましていたのは誰なのかという問題が必ず生じるからです。エルサレム神殿でしょうか。つまり、当時のユダヤ教団の指導者たちでしょうか。その人々が、エルサレム神殿で行われるお祭りの参拝客をひとりでも多く集めるために、ベトザタの池にまつわる言い伝えなどと称して、ありもしないことを言い広めていたということでしょうか。そういうのを今の私たちは「悪質な宗教ビジネス」と呼ぶのではないでしょうか。

いや、そんなのは全く違うと。そんなのは言いすぎだし、考えすぎだと反論されるかもしれません。回廊に集まっていた病気の人たちも、それが迷信であることくらいみんな分かっていたことなのだと。すべて織り込み済みだった。そのうえで、いわば観光の一環として、遊びの一種として池に入る順番を待つゲームをしていただけなのだと。「悪質な宗教ビジネスだ」などと目くじらを立てて言うようなことでは全くないのだと、そういう見方もできるかもしれません。

しかし、もしそうであれば、事態はもっと深刻になります。この38年間も病気で苦しんでいた人が、イエスさまが「良くなりたいのか」とお尋ねになったときに「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」と答えたことの意味は一体何なのかということが、ひどく謎めいたものになります。

2つの可能性を考えることができます。第1の可能性は、もしこの人が自分で言っているとおりのことを本気で信じ込んでいたとしたら、それは完全に詐欺に遭っていたことになります。つまりこの人は100パーセント被害者です。ただし、その場合は誰がこの人をだましていたのかを問題にしなければならなくなります。神殿がだましていたのか、それとも他のだれなのか。

しかし、第2の可能性があります。この人自身も、こんなことは迷信なのだということが分かっていたという可能性です。そんなことは織り込み済みだと。なんだかんだとやかく言われるようなことではないと。

しかし、この人自身もそういうことはよく分かっていたにもかかわらず、イエスさまにこのように答えたのだとしたら、どうなるでしょうか。私はその可能性は十分ありうると思います。しかし、それは最も深刻な状態です。この人の言葉の裏側に潜んでいる、その言葉の「本当の意味」を考えざるをえません。この人の「心の問題」に深く立ち入らざるをえません。

いろんな可能性が思いつきます。もしかしたらすべてジョークで言っているだけかもしれません。皮肉と自嘲の薄笑いを浮かべながら、こんな迷信にすがっている私ってバカでしょう、はははと。

あるいは、自分弁護する意味で言っているかもしれません。病気が治らないのは私のせいではないと言いたがっている。それはそのとおりです。しかし、あの池に私をだれも入れてくれないせいだと言いたがっている。人のせいにし、池のせいにしている。

あるいは、完全な絶望、虚無主義(ニヒリズム)に陥っていたのかもしれません。こんなのが迷信であることなど、とっくの昔に分かっている。しかし、こんなことにでもすがっていなければ、私は生きていられない。いっそ治らなければいい。自分は早く死にたいのだ。早く私を殺してくださいと。そのように言いたがっているのかもしれません。

この人の返事を聞いて、イエスさまはこの人を救う決心をなさいました。このまま放っておくわけにはいかないと思われました。そして言われました。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8節)と。

そのとき起こったのは、この人を38年間も苦しめてきた病気が一瞬で吹き飛んでいく奇跡でした。しかし、それだけではありません。イエスさまはこの人を、体の苦しみからだけでなく、心の苦しみから解き放ってくださいました。迷信からも、自嘲からも、虚無主義(ニヒリズム)からも、それらすべての背後にある絶望からも、イエスさまはこの人を救い出してくださいました。

わたしたちはどうでしょう。いつまで迷信にとらわれているのでしょうか。いつまで自嘲し続けるのでしょうか。それは何の解決にもなりません。しかし絶望と虚無主義に耐えられる人はいません。

わたしたちにもイエスさまは「良くなりたいか」と、いつも問いかけてくださっています。それは「良くなるための努力をしていますか」という意味ではありません。健康管理をしていますか、とか、ダイエットしていますか、という意味ではありません。しかし、「良くなりたいという希望を捨てていませんか」という意味ではあると思います。

「あなたは絶望していませんか」とイエスさまは今もわたしたちに問いかけてくださっています。そして「絶望してはいけません」と、わたしたちに強く呼びかけてくださっています。

(2017年7月30日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年7月23日日曜日

信じる前に失望しない(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書4章48~50節

関口 康(日本基督教団教師)

「イエスは役人に、『あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない』と言われた。役人は、『主よ、子供が死なないうちに、おいでください』と言った。イエスは言われた。『帰りなさい。あなたの息子は生きる。』その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」

ヨハネによる福音書の学びの5回目です。前回が4章で、今日も4章です。

回数を数えやすいように1章ずつ進めていくことも考えましたが、今日の箇所にはどうしても触れておきたいと思いました。と言いますのは、今日の箇所の出来事は、2回目(2017年5月28日「喜びを追い求めよう」)の2章の出来事と密接な関連があるからです。

それはイエスさまがカナでの結婚式のときに水をぶどう酒にされた出来事です。それと今日の箇所が密接に関係しています。次のように記されています。

「イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に替えられた所である」(46節)。「これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである」(54節)。これは明らかに、2章の出来事と今日の箇所の出来事は関係があるということを読者に教えようとしている言葉です。

別の言い方をすれば、今日の箇所の出来事にはイエスさまが水をぶどう酒にしたあの出来事と本質的に共通する要素があるということです。それが「しるし」です。前回も今回も「しるし」だった。そしてこれは「二回目のしるし」だったと記されているのです。

まとめていえば、そもそもの大前提として、今日の箇所に記されている出来事は「しるし」なのだという観点からすべてを読み解く必要があるということです。

しかし、その場合の問題は「しるし」とは何かということです。その答えははっきりしています。それを見ればイエスさまこそ救い主キリストであると信じることができる、信仰の理由ないし根拠が「しるし」です。空が黒い雲でおおわれる。まもなく雨が降る。その雲が雨の「しるし」です。

そして、それはもちろん、単にイエスさまが救い主であるという客観的な事実がその「しるし」によって明らかにされたというだけで済む問題ではありません。救い主であるイエスさまがかつて大昔の人を救ったことがあるというだけでなく、そのイエスさまが今もこの私を救ってくださっているという事実が重要です。以上のことを最初に申し上げておきます。

さて、ここから内容に入ります。カナにおられたイエスさまのもとに、カファルナウムから「王の役人」(46節)が来ました。カファルナウムはイエスさまが伝道活動をお始めになった最初の拠点です。ガリラヤ湖畔の漁師の町。

そのカファルナウムから「王の役人」がイエスさまのもとに来たその目的は、その人の「息子」が「病気」だったので、イエスさまに「カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼む」ためでした(47節)。

「息子が死にかかっていたからである」(47節)と記されています。自分の子どもを失うことの親の悲しみは体験した方にしか分かりません。体験したことのない者には語る資格はありません。想像をめぐらして物を言うこと自体、慎重でなければなりません。ただ確実に言えるのは、この「王の役人」は、あらゆる意味で切羽詰まった思いでいたに違いないということです。

そして、そのような追い詰められた、窮地に立たされたこの人が自分の子どもの命を救ってほしいとイエスさまのもとに助けを求めてきたということは、助けてくれるならイエスさまでなくてもだれでもよかったが、たまたまイエスさまにお願いした、ということではなかっただろうと思うのです。

今の世の中ではいろいろ語弊が出てくるところではありますが、たとえば、この人が「王の役人」であったということは、客観的な意味で社会的地位の高い人であったと考えられます。その人の息子さんであるということは、いわゆる跡取りのことなどが関係してくるかもしれない、将来を相当嘱望されていた子どもさんだったかもしれない、などなど。

だからどうしたと、それ以上のことは言えません。しかし、「王の役人」にとって自分の息子の命を預け、なんとかして助けてもらいたいと願ってイエスさまのところに来たときに、助けてもらえさえすればイエスさまでなくてもだれでもいいと思っていたわけではありません。イエスさまに対する絶大なる信頼をすでに持っていたからこそ、イエスさまに助けを求めて来たのです。

しかし、ここから先はまた非常に難しい問題に立ち入ることになります。問題はこの「王の役人」がイエスさまにそれほどまでの絶大なる信頼をすでに持っていた理由ないし根拠です。それが先ほどから申し上げている「しるし」の問題です。

最初のしるし、すなわち、カナでの結婚式でイエスさまが水をぶどう酒に変えるという、とんでもなくありえない、異常なことをなさった。そういうことができる方ならば、私の息子の死に至る病もいやしてもらえるに違いない。そういう信じ方をしたのだと思います。

すると、イエスさまはこの人に次のようにおっしゃいました。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(48節)。イエスさまは冷たいことをおっしゃっているわけではありません。しかし、突き放しておられるようでもあります。

イエスさまがおっしゃっていることの意図は、「なぜあなたはわたしを信頼するのか」ということです。自分の子どもの命を他人に託すという重大な事柄をこのわたしに任せようとする、そのあなたの理由ないし根拠は何なのかという問いかけです。「しるし」なのか、「不思議な業」なのか。そんなことが理由なのかと。

このイエスさまの言葉を聞いて、「ああうるさい」と、「ああ、もうそんなことを言われるならここに来るんじゃなかった。ただ助けてほしいだけだ。助けてくれるなら、あなたではなくても、だれでもいい。うるさいことを言われるなら、もう結構だ」と、そのような反応が、もしかしたらこの人の心の中に起こったかもしれません。

そうする権利はこの人にあったと思います。しかしそれは、逆の視点に立てばイエスさまも同じだということです。ここから先は、イエスさまならそうお考えになるだろうという意味ではなく、あくまでも私の感覚で申し上げることですが、イエスさまのほうにも断る権利があるといえばあるわけです。

皆さんはどうでしょうか。わたしたちはどうでしょうか。「助けてください」と死にそうな顔と声で頼ってくる人を必ずすべて助けてきたでしょうか。今の私はひどく困っていますが、私が死にそうな顔で「助けてください」と言えば、みなさんは私を助けてくださいますか。

教会にはいろんな問題を抱えた方々が具体的な助けを求めてこられます。そのすべての人々を教会は必ず助けてきたでしょうか。そういうことは実際には不可能ですし、本人のためにならないという理由でお断りする場合も多くあります。

私たちも体験することがあると思います。私もあります。助けを求めてきた人を助けたら、他でも同じことを繰り返している詐欺師だった。あるいは、助けを求められたがやむをえずお断りしたら、あとで逆恨みされた。

いま私が申し上げていることと、今日の箇所に書かれていることとは全く関係ないと思われるかもしれません。この王の役人の子どもさんは死にそうになっていたのですよ。人の命がかかっていたのですよ。そのような切羽詰まった場面でイエスさまが「なぜ私を信頼するのか」などと、そのようなことを問題になさるはずがない。たとえ詐欺師であってもイエスさまなら助けてくださるに違いない。イエスさまを侮辱しないでほしいと思われるかもしれない。

しかし、今日の箇所に確かに記されているのは、イエスさまがこの人に「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」とおっしゃったその言葉です。この言葉の意味をわたしたちはよくよく考える必要があると思うのです。

この人が他の人ではなくイエスさまをあえて選んで助けを求めに来た理由は、イエスさまがカナで行われた「最初のしるし」だったことは間違いありません。つまりこの人は、魔法使いか超能力者が引き起こす奇々怪々の超常現象をイエスさまに期待したのです。そういう助けの求め方をしたのです。

しかしイエスさまは、そのような理由でご自分を信頼し、助けを求めてくる人々を退けておられました。そのことがはっきり書かれている箇所があります。「最初のしるし」が描かれていた箇所のすぐ後です。2章23節から25節です。次のように記されています。

「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである」(2章23~25節)。

さっと読むだけではよく分からない難しい言葉が並んでいますが、はっきり分かるのは、イエスさまは、御自身が行われた「しるし」を見て信じる人々を信用なさらなかった、ということです。

しかし、これは本当に難しい問題です。こういうたとえはどうでしょうか。会社が社員を募集し、応募してくれた人と面接する。その場合、客観的な意味での才能や技能や業績などをその人が持っているかどうかが全く分からない、正体不明の相手をいきなり信用して採用することがありうるでしょうか。

まして、自分の子どもの命を預けるという重大な決断を、何の「しるし」もない正体不明の相手に対してできる人がいるだろうかと考えていただけば、私が今ムニャムニャ口ごもりながら申し上げていることの趣旨をお分かりいただけるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

いま私が申し上げているのは、「イエスさまが、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と指摘されたことは全く反論の余地がないということです。全くイエスさまのおっしゃるとおりです。しかし、イエスさまはそういう相手は信用なさらないということです。さて困りました。

イエスさまがお求めになるのは、「しるし」ではなく、「わたし」を信じることです。イエスさまがなさる「しるし」や「わざ」を信じるのではなく、イエスさまご自身を信じることです。

その意味は、イエスさまという方はこんなにすごいことができる方だから信じるとか、こんなことを私にしてくださった方だから信じるというような、相手の業績を見て、その評価として信じるというような信じ方をする相手を、イエスさまは信用しない、ということです。

「王の役人」がイエスさまに必死でお願いしている言葉の中に、一つ気になる点があります。本人に悪気などは全くないと思います。しかし、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」(48節)と言っています。

気持ちはものすごく分かります。しかし「子供が死なないうちに」という言葉には脅しの要素があります。あるいは命令。私の子どもが死にそうなのはあなたのせいだという意味を持ちはじめます。あのマルタとマリアが弟ラザロが死んで4日も経ってやっと来てくださったイエスさまに向かって「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言い放ったように(ヨハネ11章)。

イエスさまは、だれの脅迫にも命令にも、お従いになりません。人から頼まれるとどんなことでも断ることができないというような、お人よしの方でもありません。「しるし」を見ました、そのご立派な業績の評価としてあなたを信じてあげます、というような近づき方をする相手はお嫌いになります。

イエスさまがお求めになるのは「わたしを信じること」です。その相手を必ず助けてくださいます。私たちも同じです。私たちにもイエスさまが行った「しるし」ではなく「イエスさま」を信じることが求められています。

イエスさまは私たちの願いを願い通りに叶えてくださらないかもしれません。なぜなら、イエスさまは、私たちの自己実現の手助けをしてくださらないからです。そういうふうな求め方をする相手を退けられるからです。

イエスさまは、私たちの要望に応じるのではなくご自身の御心に従って私たちを助けてくださいます。だから、私たちは「イエスさまを信じる前に」失望してはならないのです。

(2017年7月23日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年6月27日火曜日

熱く生きろ!(東京女子大学)

東京女子大学(東京都杉並区)
東京女子大学(東京都杉並区)

ヨハネによる福音書11章32~35節

関口 康(日本基督教団牧師)

「マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、『主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに』と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか。』彼らは、『主よ、来て、御覧ください』と言った。イエスは涙を流された。」

東京女子大学の皆さま、おはようございます。日本基督教団教師の関口康です。千葉県柏市に住んでいます。今日はどうかよろしくお願いいたします。

「熱く生きろ!」というタイトルを付けさせていただきました。初対面の方々に命令形を使うのはアウトだと思いながら付けました。申し訳ありません。しかし私の気持ちとしては「もしよろしければ熱く生きていただけませんでしょうか」です。

どうしてこういうタイトルなのかといえば、今日の礼拝のために私が選ばせていただいた聖書の箇所に、やたら熱いイエス・キリストが出てくるからです。

この場面の説明をします。イエスさまの友人でもあったラザロという男の人が病気になりました。そして、その病気で亡くなりました。墓に葬られました。それから4日も経っていました。

人の死についてお話しするのは慎重でなければならないと思います。私がお話しすることでもし皆さんの中に差し障りがある方がおられるようでしたらどうかお許しください。とにかくはっきりしていたのは、ラザロが亡くなったことは、もはやだれにも疑う余地がない客観的な事実だったということです。

しかし、とても気になることが今日の朗読箇所の少し前のあたりに記されています。イエスさまはラザロが生きていたとき、そろそろ危ないので早く来てもらいたいと連絡を受けてもラザロのところに行きませんでした。ラザロが亡くなったとき、その知らせは届いているのにイエスさまはラザロのところに行きませんでした。イエスさまがラザロのところに行ったのはラザロが墓に葬られて4日も経ったときだったというのです。

それで、ラザロの2人のお姉さんがイエスさまに対してものすごく腹を立てました。名前はマルタとマリア。この2人がイエスさまに激しく食ってかかりました。「あなたがすぐに来てくだされば、弟は死ななかったでしょうに」とまで言いました。

そのように言われてイエスさまがどのように反応したかが今日の箇所に描かれています。「心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか』」。そして「イエスは涙を流された」。

こういうのをわたしたちは逆ギレと言うかもしれません。マルタとマリアだけでなく、そこにいた全員がイエスさまに腹を立てていたことが考えられるわけですが、そうしたら今度は逆にイエスさまのほうが腹を立てはじめ、興奮し、泣き出したというのです。

しかし問題はイエスさまが何に腹を立て、興奮し、涙を流したのかです。答えを言います。そこにいたすべての人がラザロの死を動かぬ事実であると固く信じ、あきらめ、泣いていたことに、です。そしてその勢いで、すぐに来なかったイエスさまのせいにしはじめたことに、です。

なぜあなたがたはあきらめているのか、泣いているのか。そのことにイエスさまは憤り、興奮し、涙を流したのです。その後ラザロがどうなったかについては、ぜひ続きをお読みください。

イエスさまがラザロのところにすぐ来てくださらなかったことの理由も言っておきます。ラザロのまわりの人たちに、もっと強く神さまを信じてほしかったからです。客観的に動かぬ事実を前にしても、それでもなお絶対にあきらめないで、人間の力を超えて働かれる神さまを信じてほしかったからです。

私が今日皆さんにお話ししようと思って来たのは、あきらめるのが早すぎる方々への励ましの言葉です。絶対にあきらめないでください。神さまを信じてください。必ず道は開けます。

私には皆さんと同じ世代の子どもが2人います。2人とも就活中の学生です。そして実は私も就活中です。昨年度は高校で聖書を教える常勤講師でしたが、「代用教員」でしたので1年で契約が終了しました。その前の25年は教会の牧師でした。私の願いは、もう一度、教会の牧師に戻ること、または、学校で聖書を教える先生に戻ることです。

同情してもらいたいのではありません。「おじさんも必死で生きています」と言いたいだけです。

私は絶対にあきらめません。皆さんも絶対にあきらめないでください。そして、神さまを信じてください。神さまが、人間には考えられない方法で、とにかくなんとかしてくださいます。

皆さんの将来が明るい希望に満ちたものでありますよう、お祈りいたします。

(2017年6月27日、東京女子大学 日々の礼拝)

東京女子大学(東京都杉並区)

東京女子大学(東京都杉並区)

2017年6月25日日曜日

心から神を礼拝しよう(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書4章21~23節

関口 康(日本基督教団教師)

「イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。』」

ヨハネによる福音書の学びの4回目です。4章に入ります。今日の箇所に登場するのはイエスさまとサマリア人の女性です。

イエスさまの伝道が進展し、多くの人に洗礼を授け、バプテスマのヨハネの弟子の数よりもイエスさまの弟子の数が多くなりました。それがファリサイ派の人々の耳に入りました(1節)。ファリサイ派の人々からすると、彼らに反対し、自分たちの地位を脅かす勢力が増大していることを意味します。それは彼らの側にイエスさまへの迫害の動機が増えているということです。

それでイエスさまはユダヤからいったん退き、ガリラヤへ行かれました(2節)。ガリラヤはイエスさまが伝道活動を開始した地ですので、出発点にお戻りになったことを意味します。そのイエスさまがユダヤからガリラヤへお戻りになる途中に通られた町が今日の箇所の場面です。それがサマリアです。「しかし、サマリアを通らねばならなかった」(4節)と記されています。

ここで「サマリアを通らねばならなかった」と書かれていることには意味があります。ユダヤからガリラヤへ行く道はひとつだけではなかったからです。サマリアを通る道は最短距離ではありました。しかし別の道もありました。多くのユダヤ人は別の道、もっと遠回りの道を通りました。サマリアを避けて通る人々のほうがほとんどでした。なぜならサマリアは当時の特にユダヤ教主流派の人々と対立関係にあったユダヤ教サマリア派ないしサマリア教の人々が住む町だったからです。

ところがイエスさまはそのサマリアを「通らねば」なりませんでした。ご自分がこの町を通ることには必然性があるとお考えになりました。しかしその必然性は地理的な必然性ではありません。地理的な意味で別の道がなかったわけではないのですから。そうではなくて伝道的な必然性です。「わたしはこの町に伝道しなければならない、福音を宣べ伝えなければならない」というイエスさまご自身の伝道的な決心です。その意味での「サマリアを通らねばならない」です。

しかしまたそれは「本当は通りたくないし、全く気乗りがしない。しかしこれが自分の義務であり使命なのだから、私は嫌でもなんでもこの道を通らなければならないのである」というような否定的な消極的な意味で考える必要はありません。もっと肯定的な積極的な意味です。この町に福音を宣べ伝えるのだ、喜びの知らせを告げに行くのだ、私はそうせざるをえないのだというイエスさまの決意表明です。そのようにとらえるのがいちばんよいと思います。

わたしたちはどうでしょうかと、ここでついわたしたち自身のことを考えたくなります。教会に来ること、礼拝をささげること、いろんな集会や活動に参加すること、献金すること。これらのことについてわたしたちは、しなければならないからする、嫌々ながらでもするというような感覚ばかりを持っていないでしょうか。

そういう感覚を持ってはいけないとは私は思いません。信仰生活、教会生活は一生ものですから。長い年月の間に、山あり谷あり、浮き沈み、熱いとき冷たいときがあります。わたしたちは皆そのようなところを通ってきました。しかし、義務だ責任だというだけだとつまらないです。面白くない。

今申し上げているのはイエスさまが「サマリアを通らなければならなかった」と記されていることから出発した連想です。イエスさまは、義務だから責任だから、嫌でもなんでもその町を通らなければならなかったのでしょうか。そのような感覚は、私たちにはあるかもしれませんが、イエスさまにまで押し付けなくてもよいでしょう。

ただひとつはっきりしているのは、イエスさまがサマリアを通った行為は当時のユダヤ人の常識ないし一般的な感覚に対して明確に逆らうことを意味していたということです。ほとんどの人が「行きたくない」と思っているところにあえて突入されました。

だれかがそれをしなければ新しい道が開くことはありえないと思われたからです。その意味でイエスさまは新しい道の開拓者(パイオニア)であり、常識や既存の価値観を打ち破る挑戦者(チャレンジャー)であったと言えます。

さて、イエスさまがサマリアに到着しました。するとイエスさまの前にひとりの女性が現れました。「そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである」(4節)と記されています。

当たり前のことを言いますが、イエスさまは「疲れる」体を持っていました。のども乾くし、お腹もすく。わたしたちと同じです。のどが渇いたので井戸のそばに座り、疲れたので休憩しておられました。そうしたら、そのイエスさまの前に井戸から水をくむために来た女性が現れたというのですから、その女性の出現はある意味で必然的です。誰も来ないということはありえませんでした。毎日必ず人が集まるところにイエスさまがおられたのですから。

そしてその女性とイエスさまとの会話が始まりました。初対面の女性に気軽に声をかけるイエスさまが描かれています。「水を飲ませてください」とイエスさまが言いました。すると「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私にどうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と返ってきました。このやりとりにも必然性があります。それが当時の常識であり一般的な感覚だったからです。

「あなたがたはわたしたちのことを嫌っているのでしょ。わたしたちだって嫌われている相手のことを好きになることなんかできませんよ。はっきり言わせてもらえば、わたしたちもあなたがたのことが嫌いですよ。だってあなたがたはわたしたちを嫌っているのですから。お互いさまですよ。そのユダヤ人であるあなたがどうしてサマリア人である私に『水を飲ませてください』などと言うのですか。けんかを売っているのですか」というような意味です。

するとイエスさまは、これまたものすごい変化球でお返しになる。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」(10節)。

このイエスさまのお答えを聞いて、女性はいよいよカチンと来たようです。「なんなのあなた、偉そうに」と。ものすごく腹を立てていると思います。「主よ、あなたはくむ物をもお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供も家畜も、この井戸から水を飲んだのです」(11~12節)。

女性が言おうとしていることは2つあります。ひとつは「水を飲ませてください」と言っておきながら私があなたに生きた水を与えるであろうとか、わけの分からないことを言う。それで水をくむものを持ってもいない。飲ませてほしいなら「お願いします」でしょうに。くむものがなければ「貸してください」でしょうに。自分が頭を下げてお願いすることもできないでいて、なんでそんな偉そうなことが言えるのですかということでしょう。

もうひとつはその井戸の由来です。この女性が言っているとおりの歴史的に由緒正しい井戸でした。その井戸を掘り当てたヤコブをあなたは侮辱するつもりですか。この井戸でどれだけの人が助けられ、そこに人が住み、町ができ、歴史が刻まれてきたかを分かっているのですか。もしそれを知らずにいて「私が生きた水を飲ませてやる」というような偉そうなことを言うのであれば、歴史に対する冒瀆であり、侮辱ですよと言っているわけです。猛然たる抗議です。

するとイエスさまは、またお答えになる。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(13~14節)と言われました。

だんだん禅問答です。女性としては、ますます腹が立ってくるような、しかし自分がふだん考えているようなこととは全く異なる次元のことへと誘導されているような、不思議な感覚を味わったのではないでしょうか。

「井戸の水は飲んでもまた渇く」。それは確かにそのとおり。「しかし渇かない水がある。それをわたしが飲ませてあげよう」とこの人は言い出した。大丈夫なのかこの人は。おかしい人ではないかと、この女性としてはだんだん心配になってきた可能性があります。

「だったらその水を見せてくださいよ。はいどうぞ、今すぐ。ほらすぐに。見せられるものなら見せなさいよ。そんな水があるわけないでしょ。やっぱり私をばかにしているのではないですか。悪いけどさっさとどこかに行ってください」と言いたくなるような。

しかしまたイエスさまはこの女性の心の中にあるものを言い当てられました。その内容は時間の関係で今日は割愛します。ぜひおうちで読んでみてください。理解するためのヒントとして申し上げられるのは以下の点です。

あなたの心の中に「乾き」がある。それは具体的にこのことではないか、そしてその「渇き」についてはいくら水を飲んでもそれで潤うこともいやされることもない。別の次元の解決が必要であるということを本人が気づくようなことをイエスさまがおっしゃっています。

そしてその意味での人の心の「渇き」の問題に対する解決策として、この女性自身が辿り着いたのが「礼拝」の問題でした。いくら水を飲んでも解決しない「心の乾き」を潤し、いやしてもらえる「礼拝」とは何かという問題に、この二人のやりとりがたどり着きました。

そのようにイエスさまが誘導なさいました。「誘導」という言葉がきつすぎるとしたら、彼女の発想の転換を助けてくださいました。決して押し付けるのではなく、すうっとうまく導いてくださいました。

しかしまだ問題が残っていました。それは「どこで」礼拝をするかという問題でした。「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(20節)と女性は言いました。それは、サマリア人である私は「どこで」礼拝すればよいのでしょうかという意味です。

この女性の言葉には、私の心の「渇き」を見抜き、それを潤し、癒してくださる「あなたの説教」はどこで聞けるのでしょうかという意味が含まれていたと私は考えます。どこで行われる礼拝でならば私は救われますか。あなたの御言葉を私はどこで聞けますか。このサマリア人の女性が、自分の目の前にいる、まだ名前すら聞いていないその人のことをやっと信頼することができた、その瞬間に浮かんだ問いが「私はどこで礼拝すべきですか」ということでした。

その彼女の問いに対するイエスさまの答えが今日の朗読箇所に記されていることです。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(21節)。その意味は、場所は関係ないということです。

エルサレムに行かなくては本物の礼拝をささげたことにはならないなどということはありえない。場所はどこも構わない。ヴァチカンに行かなくては、歴史と格式のある伝統教会でなければ、著名な牧師がいる都会の巨大な教会でなければわたしたちの心が満たされることはありえないということはありえない。

そのような有名な場所の礼拝が「本物の礼拝」であって、他はすべて「偽物の礼拝」だなどということはありえない。ひとつひとつの教会の礼拝が「真実の礼拝」です。

バプテスト教会は「各個教会主義」ですので、この点は皆さんが最も強く主張してこられたところでしょう。

そして宗教の対立、教派の対立、民族の対立をすべて乗り越え、みんなで喜んで感謝して父を礼拝する時が来る。それがこの女性に向かって語られたイエスさまの約束です。

この約束は必ず実現するということに大きな希望をもって、わたしたちはこれからも歩んでいくのです。

(2017年6月25日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝) 

2017年6月11日日曜日

その門の中に入ろう(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書3章4~5節

関口 康(日本基督教団教師)

「ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。』」

ヨハネによる福音書の学びの3回目です。3章に入ります。今日の箇所に登場するのは、ニコデモという人です。そしてイエス・キリスト。2人の会話が記されています。

ニコデモはヨハネによる福音書の中に今日の箇所を含めて3回登場します。しかも、かなり重要な場面で登場します。しかし、他の福音書には登場しません。その意味でニコデモは「色濃くヨハネによる福音書的な存在」であり、「この福音書を読み解くためのキーパーソン」です。

そこで、今日の箇所に入る前に、この福音書の中にニコデモが出てくる場面をすべて見ておきます。この人の個人情報を集めておきます。

まず最初に登場するのが3章です。今日の箇所です。「ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった」(1節)。

これで分かるのは、ニコデモはユダヤ教の教師(ラビ)であり、ユダヤの最高法院(サンヘドリン)の議員であったということです。最高法院とは70人の議員と議長・副議長で構成されたユダヤの最高権力者会議です。少数精鋭のスーパーエリート集団です。ニコデモはその一員でした。

しかもニコデモは「ファリサイ派」の人でした。パウロも回心前はファリサイ派に属していました。最高法院の与党です。強い権力をもっていました。自分たちの意思決定が国民全体を支配するだけの力を持っていました。その一人のニコデモは世間的に偉い人でした。大物でした。今で言えばテレビ的有名人のような存在だったと想像できます。

ニコデモが2回目に登場するのは7章50節以下です。「彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。『我々の律法によれば、まず本人から事情を聴き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。』」

7章には、最高法院の人々同士の会話が記されています。そこにニコデモの発言が記されているということは、彼は最高法院の議員たちの中で発言力を持っていたし、実際に発言していた人であるということです。

そして、この福音書の中での3回目、最後にニコデモが登場するのが19章39節です。それはイエスさまが十字架から引き下ろされ、墓に葬られる場面です。そこにニコデモが登場します。「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことがあるニコデモも、没薬と乳香を混ぜた物を百リトラばかり持ってきた」(19章39節)。

1リトラ326グラム。100リトラはその百倍。32.6キロ。米俵1俵60キロの半分以上です。それをニコデモがイエスさまの埋葬のときに、おそらく自分で抱えて持ってきたというのです。それを運ぶ姿がとても目立つというほどではなかったかもしれませんが、ニコデモ自身がそれをイエスさまの体に塗ったりかけたりしていたとすれば、その姿が目立たなかったというのは、ありえないことです。

ヨハネによる福音書の中でニコデモが登場する場面は、以上の3箇所です。はっきり分かるのは、彼の態度が少しずつ変化していることです。それはイエスさまと自分自身の関係についての態度決定の変化です。最初がどうだったのかは今日これからお話しします。はっきり言えば、隠していました。だれにも知られたくないと思っていました。

しかし、2回目に登場するときは、最高法院の中で事実上イエスさまをかばう発言をしました。ただし「律法にはこう書いてある」と法律論議に終始しました。あくまでも自分自身は中立の立場に立っているという装いをもって。

しかし、そういうのは見抜く人はすぐに見抜くわけです。他の議員たちから即座に反発を食らっています。「あなたもガリラヤの出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる」(7章52節)。イエスをかばう理由でもあるのかと疑われています。それにニコデモは何も答えることができません。

そして3回目。イエスさまの埋葬の場面でした。ニコデモはもはや誰はばかることなくイエスさまの前に立ちました。ただし、そのときはすでにイエスさまは息を引き取られた後でした。

そろそろ今日の箇所に入ります。「ある夜、イエスのもとに来て言った。『ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです」(2節)。

この文章の中で重要な言葉は「ある夜」です。このようなことを言うために、ニコデモがイエスさまのもとに「夜」に来た、というのが最も大事なことです。誰にも見つからないように、夜の闇に隠れて、こっそり来たのです。

「臆病者だ!」と思われるでしょうか。「イエスさまのことを信じる気があったのなら、どうしてただちに公の場で堂々と信仰を告白しなかったのか」と思われるでしょうか。そうかもしれませんが、そうでないかもしれません。

ニコデモの立場をよく考える必要があります。もしニコデモがイエスさまに会いに行ったことが世間に知られたら、その時点で議員資格を剥奪され、地位も権力も失い、その立場でしかできないことができなくなったでしょう。それだけで済まず、ニコデモ自身が殺害された可能性があります。そのほうが良かったでしょうか。すべてを捨てて命を捨てることが信仰でしょうか。

私は別の可能性を考えます。だれでもなれるわけではない特別な立場にとどまりながら、あえて隠れてイエスさまから指導を受けるという選択肢もありうるのではないでしょうか。そのほうが現実的に賢明であり、多くの人々に貢献できる道ではないでしょうか。

そのニコデモに対してイエスさまは言われました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない」(3節)。

そのようにイエスさまが「はっきり」言われましたが、ニコデモには意味が分かりませんでした。それで彼は聴き返しました。「ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母の胎内に入って生まれることができるでしょうか』」(4節)。

これはニコデモの勘違いというより、イエスさまの側の言葉足らずです。こういう誤解をされることをイエスさまが言われたのです。ニコデモは、「新たに生まれる」というのは、お母さんのおなかの中に戻ってまた出てくることでしょうか、そういうことは現実的に不可能ですよねと言っているわけです。現実的で常識的な考え方の持ち主であることが分かります。

イエスさまも決してそういう意味で言われたわけではありません。全く別の意味です。「イエスがお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない』」(5節)。

ここは簡単に言っておきます。これは「洗礼を受けなさい」という勧めです。なぜ「水」なのか「霊」なのかの説明は長くなるのでやめておきます。イエスさまが水で洗礼を授けられたのはバプテスマのヨハネから受け継いだものです。しかし、ヨハネの洗礼とイエスさまの洗礼は本質的に違います。どこが違うかの説明を始めると、これも長くなりますのでやめておきます。

今確認する必要があるのは、ニコデモへのイエスさまのお答えの「水と霊とによって生まれること」が「新たに生まれること」の意味であり、それは「洗礼を受けること」を意味するということだけです。それで十分です。

それでは「神の国に入ること」のほうの意味は何でしょうか。これも説明が難しいです。しかし、これを「それは天国に行くことです」と言えば、話が分かりやすくなるかもしれませんが、逆にかなりの注意が必要になります。

なぜなら「それは天国に行くことです」と聞けば、わたしたちの多くがほとんどただちに「死ぬこと」を連想することになるからです。「天国」とは「死後の世界」を意味すると多くの人が思い込んでいます。それを含まないわけではありませんが、それはいわば「天国」の狭い意味です。

「天国」と「神の国」は同じです。それは「死後の世界」などよりはるかに広い意味です。聖書の意味での「天国」または「神の国」は「神の支配」を意味しています。それは生きている間に十分に味わうことができます。

「神の支配」とは天地創造の初めから神の被造物すべてが神の支配下に置かれていることを意味していますので、その意味での「神の国」は死後の世界どころか神が創造された天地万物のすべてです。イエスさまがニコデモに求めた「神の国に入ること」も天地万物が神の支配のもとにあることを信じつつ生きることを意味していると考えるべきです。

それは「洗礼を受けなければ天国に行けません。だから洗礼を受けなさい」という話とは次元が違うことです。そのような単純な説明には人を傷つける要素があります。洗礼に脅迫の要素が混ざりはじめます。「洗礼を受けないと地獄に堕ちますよ」と脅迫しているのと同じですから。

イエスさまが言われているのは、そういうことではありません。あえていえば、パラダイムシフトです。「新たに生まれる」と聞けば「母の胎内に戻って再び生まれなおすこと」しか連想できないその発想そのものを根本的に変えることが求められています。

何度母の胎に戻って生まれなおしても、生まれたままの人間は「罪」から逃れることができません。そのわたしたちが生まれながらに持っている「罪」の性質が根本的に造りかえられないかぎり、地上の世界は「罪」の闇に被われたままです。

その「罪」から救い出されることが「新たに生まれること」の意味です。そして、そのわたしたちの「罪」の中からの救い出しのしるしが「水と霊の」洗礼です。イエスさまが言おうとしておられるのは、そのようなことです。

しかし、ニコデモはそのときすぐに洗礼を受けることはできませんでした。イエスさまの埋葬の日に至るまで、彼が洗礼を受けた形跡はありません。その後どうなったかはヨハネによる福音書だけでは分かりません。

しかし、少しずつ変化していった人であることは確認できます。自分の立場や生活を考えるとこの思いを公にすることはできない。しかし「洗礼を受けたい、イエス・キリストの弟子になりたい」という願いを内心に秘めている。ニコデモは「間に合いませんでした!ごめんなさい!」と人目をはばからず泣きながら、イエスさまの体に没薬を塗っていたかもしれません。

そういう方は大勢おられます。私もそのことを存じています。自慢で言うのではありませんが、これまでの私の牧師としての働きの中で、70歳を越えられてから洗礼を受けられた方が7人おられます。

その方々が一様におっしゃったのが、「本当はもっと早く洗礼を受けたかったのです」ということでした。ある方は法務省の元官僚。ある方は東京都庁の元職員。ある方は東京都立中学校の元校長。ある方は元会社社長夫人。ある方は全国新聞の元記者。

「子どもの頃に教会に行っていました」という方や「家族の中にキリスト者がいました」という方もおられました。「しかし、職務の性質上、厳しい制約があり、中立を求められました。だから、今の今まで洗礼を受けることができませんでした。申し訳ありません」とおっしゃいました。

その方々は私の親と同じ世代でしたから、私のことを子どものようにかわいがってくださった面もあります。その方々に私が繰り返し申し上げたのは、「洗礼に『遅い』ということはありませんから、大丈夫ですよ。安心してくださいね」ということでした。

教会は「ニコデモさん」を歓迎いたします。「遅い」ということはありません。どうぞ安心して、その門の中にお入りください。

(2017年6月11日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年5月28日日曜日

喜びを追い求めよう(千葉若葉教会)

ヨハネによる福音書2章9~11節

関口 康(日本基督教団教師)

「世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで言った。『だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いが回ったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。』イエスはこの最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで弟子たちはイエスを信じた。」

先週からヨハネによる福音書を学んでいます。今日は2章です。ここに記されているのは「世にも不思議な物語」です。私たちの救い主イエス・キリストが水をぶどう酒に変えられた話です。物語のあらすじは広く知られています。

この出来事が起こったのは、バプテスマのヨハネがイエスさまに対して「この方こそ神の子である」という信仰を告白した日の「三日後」(1節)でした。その日にガリラヤ地方のカナという小さな村で結婚式が行われました。そこにイエスさまの母マリアが参列していました。イエスさまも弟子たちと参列しておられました。

そこで事件が起こりました。「ぶどう酒が足りなくなった」(3節)のです。どういうことでしょうか。主催者側の準備不足でしょうか。幹事の責任でしょうか。彼らに落ち度があったのでしょうか。その方向で語られる説教を聴いたことがあります。

そういう要素が全くなかったとは言えないかもしれません。しかし、書かれていることをよく見る必要があります。「イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた」(2節)と書かれています。「招かれた」(カレオーの過去形のエクレ―セー)は「招待された」という意味です。

つまり、主催者は参列してもらいたいと願っている人々をあらかじめ正式に招待していたと考えるべきです。もしそうであれば主催者は参列者の人数を把握していたでしょうし、十分なだけの食事や飲み物を準備していたでしょう。そのための「招待」です。主催者を責めるのは一方的すぎます。

しかし、もしそうであれば、この話はどういうことになるのでしょうか。主催者が十分なぶどう酒を準備していたのにそれがなくなったということは、要するにみんなが調子に乗って飲みすぎていたということではないでしょうか。

「ぶどう酒(オイノス)」(3節)は当然アルコールです。アルコールを飲み過ぎるとどうなるでしょうか。酔っぱらいます。そこにいた人たちは飲み過ぎてすっかり出来上がっていました。それでもまだ調子に乗って「おい酒が足りないぞ、持ってこい」と不満の声を上げていた。かなり図々しい話です。そのような情景を想像するほうがよいのではないかと思います。

しかし、これは結婚式です。お祝いの席です。厳粛な要素もあります。そして何より、招待された人々が集まる場所でした。不特定多数の集まりではありませんでした。

そうだとしたら、主催者側が用意したものが尽きた時点でお開きにしてもよかったはずです。「宴もたけなわではございますが、そろそろお開きとしたいと思います。 本日は忙しい中お集まりいただき、ありがとうございました」と丁重にご挨拶して、みなさんにお帰りいただいたらいいのです。

ところが、そこでマリアが動きました。イエスさまのところに「ぶどう酒がなくなりました」(3節)と言いに来ました。イエスさまとしては、それがどうしたの、という話です。そのことを私に言いに来て、私にどうしてほしいのですか、とおっしゃってもおかしくないような話です。

普通に考えれば、マリアの要求は「近くのお店までひとっ走り行ってきておくれ」だと思いますが、マリアが息子にお金を渡した形跡はありません。イエスさまはどうしたらいいのでしょうか。立て替えでしょうか、つけでしょうか。何をしてもらいたいのかがさっぱり分かりません。マリアはただ「ぶどう酒がなくなりました」と言いに来ただけです。

そして、このときの状況を想像するに、イエスさまも弟子たちも、おいしいごちそうをいただいてひと安心、さてそろそろおうちに帰りましょう、と腰を上げようとしていた頃です。いくらお母さまのお言いつけだからと言って簡単に引き受けるわけには行かないよと、イエスさまがお断りになっても無理のない状況だったのではないでしょうか。

いや、そうではない。当時の結婚式は何日も続けて行っていたので、お酒が尽きたのだという説明を聴いたこともあります。しかし、もしそうであればなおさら、主催者が追加分を買いに行けばいいだけです。何もわざわざ招待客であるイエスさまを使い走りにしなくてもいいではありませんか。

マリアが言ったのは「ぶどう酒がなくなりました」ということだけです。買って来いとも、借りて来いとも、盗んで来いとも言っていません。しかし、それだけ言われると、かえって困ります。その次の言葉は何かが気になります。どうしてほしいのか、何をしてもらいたいのか。

しかし、イエスさまは賢明な方ですので、お母さまに対して失礼のないように、丁重にお応えになりました。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(4節)。

ここで必ず問題になるのは、イエスさまがご自分の母親であるマリアのことを「婦人」(ギュネー)と呼んでおられることです。実のお母さんによそよそしいことを言っている。冷たく突き放した言い方だと説明されることもありますが、そうではありません。

ギリシア語辞典に書いてあることですが、「婦人」に失礼な意味はありません。反抗期の子どもが母親を「ばばあ」呼ばわりしたというような話とは違います。一緒くたにしないでください。

ただ、そうは言っても、それではなぜイエスさまはマリアを「お母さん」とお呼びにならなかったのかは確かに気になります。その理由を考えてみました。あくまでも私の想像です。私が思い至ったのは、イエスさまの近くには弟子たちや結婚式の参列者が大勢いたということです。そこは「公の」場所だったということです。

そういう場所でマリアがしくじりました。マリアには厳しい言い方になりますが、彼女は公の場でイエスさまに対して母親づらをしました。これは公私混同です。そうではないでしょうか。

この結婚式の中でイエスさまはどういう扱いを受けていたでしょうか。若い先生だったかもしれませんが、弟子たちと共に参列なさいました。まるで友達のように「来てもいいけど来なくてもいいよ」というようなどうでもいい扱いで新郎新婦がイエスさま宛ての招待状を書いたでしょうか。それは考えにくいです。むしろイエスさまは主賓扱いだったのではないでしょうか。

もしそうであれば、マリアがしたことはやはり問題です。主賓席に座っている人を公の場で自分の息子として扱い、母親の立場で何かを言いつけようとしました。そういうのを公私混同というのです。

そのことをイエスさまがお気づきになり、マリアに伝えるために、つまり「あなたはこの場所では母親として振る舞うべきではない」と窘(たしな)めるために「婦人よ」とおっしゃったのではないでしょうか。

今申し上げたのと似たようなことが教会で問題になることがあります。具体例をあげるといろいろ差し障りが出てきますのでやめておきますが、牧師と教会との関係の中で難しい問題になることがありうるのは、牧師の家族と教会との関係です。私の家族はそういうことは重々心得ていましたので、教会の中では私に対して個人的に話しかけて来ることもありませんでした。

少し脱線しました。元に戻します。イエスさまがマリアを「婦人」と呼んだのは冷たい言い方ではなく丁寧な言い方です。イエスさまがおっしゃっているのはおそらく次のようなことです。

「親愛なるご婦人のかた、誠に申し訳ありませんが、用意された酒を全部飲み尽くしてまだ足りないと文句を言っている方々の面倒まで、わたくしどもが見なくてはならないとおっしゃるのでしょうか。そのようなことがわたくしどもの出番であると、失礼ですがご婦人はおっしゃっておられるのでしょうか」。

「わたしの時はまだ来ていません」という言葉に深い神学的な意味を読み取ろうとする人々は多いのですが、あまり難しく考えすぎないほうがよいと私は考えます。

イエスさまからそう言われてマリアは引き下がります。しかし、召し使いたちには「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言いつけます(5節)。こういうのを読むと私はカチンと来ます。「自分で買いに行けばいいのに」と言いたくなります。私がまだ反抗期なのかもしれません。

しかし、イエスさまはどこまでも優しい方です。マリアの願いを退けず、しっかりお応えになりました。

そこに石の水がめが6つありました。1つの容積は「2ないし3メトレテス」でした。1メトレテス39リットル。2メトレテスで78リットル、3メトレテスで117リットル。どちらの水がめが多かったのか分かりませんので両方を足して2で割って平均97.5リットルで計算します。

石がめは6つあったので6かけて585リットル。コンビニで売っている手持ちワインボトルのサイズが750ミリリットル。その780本分。65ダース。プロ野球の優勝チームのビールかけはビール3000本とか5000本とかを開けるそうです。それにはかなわないとしても、ワインボトル780本分の「水」はかなりの量です。

イエスさまは召し使いたちに、その6つの石の水がめに「水をいっぱい入れなさい」(7節)、そして「さあ、水をくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」(8節)と言われました。水の重さは1リットル1キログラム。6つで585キログラム。しかも石の水がめ自体が重い。ひとりで運ぶのは無理。何人かで苦労して運ぶことになります。

しかし、ともかく彼らはイエスさまのおっしゃるとおりにしました。そして、その「水」を世話役が味見したところ、なんと驚くべきことに「ぶどう酒」でした。これが「世にも不思議な物語」です。

それが「どのようにして」起こったのかは分かりません。しかしこれだけは言えます。イエスさまはお母さまの言いつけを守られました。楽しい宴は続きました。喜びが持続しました。そのようなことのためにイエスさまは不思議な力を示してくださいました。

この出来事の「意味」は何かがしばしば問われます。いろんな説明があります。いくつか読みましたが、しっくり来る説明は見当たりません。理由は分かっています。この物語の「意味」を説明したがる人に限って、水がぶどう酒に変わることはありえないという前提を初めから持っています。これは事実無根の作り話なのだ。たとえばなしのようなものなのだ。だから「意味」を考えなければならないのだ、という主張です。

そういうのは面白くないです。ユーモアが感じられません。「ありえない」「作り話だ」「うそだ」と言われてしまうと二の句が継げません。思考停止が起こります。

しかし「物は考えよう」です。想像力を働かせる余地がまだたくさん残っています。私もひとつ考えました。ただし「冗談」です。真に受けないでください。

先週の礼拝後、みなさんからきれいなお花をいただきました。名前は覚えています。カスミソウ、芳純、ロイヤル・ハイネス、シャルル・ド・ゴールです。

カスミソウ以外の3つはすべて「バラ」であると、みなさんから教えていただきました。そういうことを全く知らずに51歳になりました。家に帰ってインターネットで調べたら、バラの種類は2万種以上あると書いてあって驚きました。

ワインの種類はどのくらいあるでしょうか。3種類です。赤、白、ロゼ。これは冗談です。産地などが異なる多くの種類のワインがあるようです。そういうこともインターネットですぐに分かる時代です。

私が言いたいのは、バラにしろ、ワインにしろ、たくさんの種類があるということは、それぞれの種類に最初に名前をつけた人がいることを意味している、ということです。

「これはバラである」と見極めた人がいる。新しい色や花びらの形を見つけるたびに名前を付けた人がいる。だれかが「これはバラだ」と決めたら、それが「バラ」になるのです。

私が言おうとしている「冗談」がお分かりでしょうか。ワインボトル780本分の「水」を召し使いたちが抱えて持ってきました。それを世話役が味見しました。その世話役が「これはぶどう酒である」と名付けたから、それは「ぶどう酒」なのです。

私は、イエスさまは素晴らしい力の持ち主であると信じています。しかし、もし仮にその「水」が水のままだったとしても、「ああ、これはなんておいしいワインだ」と楽しむことも可能だと思っています。

それと同じことを、わたしたちは聖餐式のたびごとにしているではありませんか。

「これはわたしの体です」「わたしの血です」と言いながら差し出されるパンとぶどう酒を、わたしたちはイエス・キリストの真実の体と血として味わいます。「ああ、これはなんて血なまぐさい、気持ち悪いワインだ」などとはだれも言いません。

説教も讃美歌もお祈りも同じです。わたしたちが信仰生活の中で味わうものはすべて、多くの想像力を働かせながら楽しむためにあるのです。

(2017年5月28日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年5月21日日曜日

信仰生活を始めよう(千葉若葉教会)

ヨハネによる福音書1章32~34節

関口 康(日本基督教団教師)

「そしてヨハネは証しした。『わたしは、〝霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、「〝霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が〝聖霊によって洗礼を授ける人である」とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

4月から9月まで月2回説教するようにというご依頼を千葉若葉教会の皆さまからいただきました。それでいろいろ考えまして、ある程度連続的な聖書の取り上げ方をするのをお許しいただこうと願うに至りました。ただし、「連続講解説教」というほど堅苦しいことは考えていません。「続きもののお話」というくらいです。それで選ばせていただきましたのがヨハネによる福音書です。

そして、先ほどは1章32節から34節を朗読していただきました。この箇所に登場するのはイエスさまに洗礼を授けたことで知られるバプテスマのヨハネです。「そしてヨハネは証しした」(32節)と記されています。このヨハネの「証し」のことを中心に、今日はお話しします。

「証しした」とは「証言した」という意味です。この言葉が多く用いられるのは裁判所の法廷です。原告側であれ被告側であれその場にいる人々が、被告人について「これこれこういう事実があります」と具体的な証拠をあげて「だからこの人は罪に定められるべきだ」「この人の罪は赦されるべきだ」「この人は無罪だ」などと主張することです。それが「証言」という意味での「証し」です。

その場合重要なのは、具体的な証拠をあげることです。証拠がなければ「証言」とは言えません。ただの思い込みや憶測にすぎません。そして、法廷で証言する人がもしそこで嘘をつけば、証言した人自身が偽証罪に問われ、罰を受けなければなりません。ですから「証言する」とは、虚偽ではなく真実を述べることを意味しますし、そうでなければなりません。

しかし、この「証し」には「証言」以外にも重要な意味があります。それは「信仰を告白する」という意味です。「信仰を告白すること」を意味するギリシア語の表現がこれしかないという意味ではありません。他の表現もあります。しかし、「証しする」という語に「信仰を告白する」という意味があるという事実が重要であると私は考えます。

なぜそう考えるのかといえば、両者に共通する要素があることが分かるからです。それがやはり、証拠・根拠・理由をあげて言うことです。そういうものが一切なく、ただ言い張るのとは違います。「信仰を告白すること」にも「証言すること」と同じように証拠・根拠・理由が必要なのです。

本当にそうでしょうか。そんなことを言われると困るとおっしゃる方がおられるかもしれません。「私の信仰には証拠も理由もない。ただ信じているだけだ。それで何が悪いのか」と。その気持ちは分かります。

だって、神を見たことがある人はひとりもいないのです。それはヨハネによる福音書の中に書いてあることです。「いまだかつて、神を見た者はいない」(1章18節)とはっきりと書かれています。それは二千年前も今も同じです。だとすれば、だれも見たことがない神さまを、だれが信じることができるというのでしょうか。「具体的な証拠をあげてください。嘘をつけば偽証罪に問われます」とまで言われると、どうしたらよいのでしょうか。

ヨハネは「証し」しました。それは「証言した」という意味です。そして同時に、それは「信仰を告白した」という意味でもあります。このときヨハネは「イエスさまこそ神の子である」という彼の信仰を初めて公に言い表したのです。ヨハネはこの日このときから新しい信仰生活を始めたのです。 

「ええっ」と思われるかもしれません。私はこういう言い方をして本当に大丈夫なのでしょうか。

バプテスマのヨハネはイエスさまに洗礼を授けた人です。人間的観点から言えばヨハネはイエスさまの師匠です。年齢的な意味での先輩でもあります。そして、ヨハネはもちろん神を信じていました。十分な意味での信仰者でした。多くの弟子を持つ指導者でもありました。

そのヨハネについて、まるでこのとき初めて信仰生活を始めたかのように言うのは、名誉棄損であり、侮辱ではないでしょうか。

しかもヨハネはやはりだんぜん「先生」でした。みんながみんな同じではないかもしれませんが、かなり多くの「先生」は強いプライドを持っています。そうでなければ「先生」なんか務まらないという面もあります。

この文脈で私が自分のことを言うのはおこがましい限りですが、ほんの少しだけお許しください。前々からお話ししているとおり、私は高校を卒業してすぐに神学大学に入学し、卒業後すぐに牧師になりました。24歳から今年51歳までの27年、牧師をしてきました。

しかももう少し前があります。18歳まで神学大学に入学した最初の年、東京で神学生として奉仕した教会の日曜学校の教師になったときから、教会では「先生」と呼ばれ始めました。18歳で「先生」です。面映ゆかったことを覚えています。つまり私は18歳から51歳まで33年間「先生」をしてきました。人生の64パーセントです。

私自身がそんなふうに呼ばれたがっているわけではありません。しかし「先生」と呼ぶのを意図的に避けられていると感じるときはなんとも言えない気持ちになります。そういうときは私も「先生」であることに慣れ過ぎたかなと反省させられます。

ヨハネはどうだったでしょうか。もちろんまだ別の可能性は残っています。ヨハネにとってイエスさまは自分が洗礼を授けた、いわば自分の子どものような存在でした。年齢も後輩でした。しかし、いわば先生同士であり、同僚が増えたのだと考えることはできそうです。それならばヨハネも「先生」のままでイエスさまも「先生」であるという関係が維持できますので、ヨハネのプライドは傷つかずに済みます。

私は今、どうしてこんな話をしているのでしょうか。そんなことどうでもいいではないかと思われるかもしれません。しかし、今申し上げているようなことが今日の箇所で、あるいはヨハネによる福音書の中で、あるいは新約聖書の中で全く問題になっていないかというと、全くそうではないところがあるのです。どうでもいい話であるどころか大問題になっています。

たとえば1章24節以下はどうでしょうか。ファリサイ派の人々がヨハネにずいぶんずけずけと余計なことを言っています。

「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」。彼らはヨハネに、あなたは何の資格や権限があってそういうことをしているのですかと問うています。

ヨハネは次のように答えています。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人は、わたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(26~27節)。

これで分かるのは「あなたが先生かどうか」とか「あなたは誰の先生であり、だれの弟子なのか」とか、もっとはっきりいえば「あなたは誰の上で誰の下なのか」とかいうようなことは決して小さな問題ではなく、大問題だったということです。

順位とか、格付けとか、資格とか、そのようなことは本人が気にしていなくても、周りにいる多くの人にとっては興味津々であるということです。

だいたいどこでも同じです。人が2人3人集まってだれかのうわさを始めれば、たいていその話題になります。人事の話がいちばん盛り上がります。そして、その話題の参加者の心を支配しているのは「あの人は自分よりも上なのか下なのか」というような、競争心や劣等感に基づく関心です。

ヨハネはそういう感覚からすっかり解放されていたでしょうか。もしそうだったとすれば、ヨハネという人はものすごく謙遜で偉大な人だったと言えます。だってそんな人、そうそういないですから。

あるいは、それと同じ理由で、全く逆の方向でヨハネを悪く否定的に評価することも可能性としてありえます。ヨハネという人は、後輩に追い抜かれようと、ライバルに出し抜かれようと、全く気にならない人でした。この人はとっても変わり者で、この世離れしている、世捨て人でしたという評価になるかもしれないし、実際はその可能性のほうが高いわけです。

現実のヨハネがそうでした。彼はユダヤ教の「エッセネ派」に属する禁欲主義者でした。生活様式は「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べものとしていた」(マタイ3章4節)というものでした。

どのように生きようとすべては個人の自由です。差別してはいけません。しかし、当時のユダヤ社会の中でのヨハネの生活様式が、他の人とはかなり異質であったという意味で「特筆すべき」ものであったことは否定できません。

そういうわけですので、「ヨハネはそういう人だったのだ」と言って片付けてしまうことも可能かもしれません。そのような、風変わりでこの世離れした人がイエスさまのことを「その履物のひもを解く資格もない」とか言って尊敬し、「この方こそ神の子である」と言い始めたのだと。

つまり、ヨハネのようなそういう人だから、そういうことができたのだと。自分についての他人の評価など全く意に介さないし、プライドがないから競争もしない。そういうタイプの人だから、自分よりも若くて後輩のイエスさまに従うことができたのだと。そのような片付け方です。

私は今おかしなことを言っているように聞こえているかもしれません。しかし、実際にはよくある話です。「宗教を求める人だとか信仰の道を志す人だとかは、そもそもそういうこの世離れしていてプライドがない人たちなのだ。だからそういうことができるのだ」と。こういう話はよく耳にします。

実際のヨハネがどういう人だったのかは、ヨハネ自身に訊いてみなくては分かりません。私は今、いくつかの可能性を申し上げているだけです。しかし、私自身はもう少し違う次元のとらえ方をしているつもりです。とはいえ、それをどう説明すれば納得していただけるのかがよく分からないのです。

それは今日の箇所でまだ触れていないところです。ヨハネが「証し」したその内容そのものです。最も大事なところなのですが、どう説明すればいいのかがよく分からないので、後回しにしました。

それは「わたしは、〝霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」(32節)と記されていることです。

もうひとつあります。「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『〝霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た」(33節)です。

これでヨハネは、私の証言は思い込みではないと言おうとしています。ヨハネを「遣わした方」とは「神」(1章6節)です。イエス・キリストの父なる神です。その方があらかじめヨハネにお告げになっていたことがそのとおり起こった。だから真実なのだと言おうとしています。

つまりヨハネの「証し」には2つの要素があるということです。第一は「イエスに聖霊が鳩のように降るのを見たこと」、そして第二は「そのようなことが起こるとあらかじめ告げられていたことがその通り起こったこと」です。

ちょっと待ってくださいよ、そんなことが「証拠」であるはずがないではありませんかと思われるかもしれないわけです。その疑問はある意味で当然です。

聖霊(?)が鳩のように降る(?)のが「どのように」見えた(?)のか。そもそも、聖霊は人の目に見えるものなのか。見えるというなら「どのように」見えるのか。

そして、そういうことが起こると「どのように」あらかじめ告げられた(?)のか、そのあたりを言ってもらわないと、なるほど確かに「証拠」ではありえないわけです。

ヨハネの「証し」の内容は信仰そのものです。つまり、彼の「信仰告白」の根拠は信仰なのです。それでは納得できないとお思いになる方はおられるでしょう。

しかし、ひとつだけ申し上げておけば、そのような疑問のすべては合理主義的な考え方です。物理的な現象しか「証拠」として認めないわけですから。しかし、わたしたちの現実はそのようなことだけで説明できるものではありません。多くの異なる次元の事柄があります。それをどう説明するかは本当に難しいことです。

「聖霊は鳩のように降ります!神のお告げはあります!」

私もそのように言い張っておきます。

(2017年5月21日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)