2008年1月9日水曜日

本の人を動かす力

「カントを読もうと考えた理由」については十分に説明できていないというか、まだ何も言っていないのと同じであることは分かっているつもりです。とりあえず書きとめておいたことは、熊野純彦氏のカント入門書を買って読んで面白かったということまでです。

しかし、私はそのようなことがとても重要であると思っているのです。書店に本が並んでいて、それを読んで触発され、それまでしたこともなかったようなことを新たに開始する。私の場合は、熊野氏の本を読んだ数日後にamazonでカントの『純粋理性批判』の原書を注文するに至り、二日後には原書が手元に届き、それを読みはじめるや否や、すぐさまDogmatikerの訳語を「独断論者」とする従来の解釈は妥当か、などとブログに綴りはじめるに至りました。

拙速といえば、これほど拙速なやり方はない。よくいえばスピーディー(自分で言わないほうが良さそうです)。この速度は、ひと昔前では考えられなかったことです。

しかし、もし熊野氏の本を読まなかったとしたら、あるいは、もし熊野氏の本の装丁が美しくなく、手にとって読んでみようと感じられないようなものであったとしたら、あるいは、熊野氏の本が「本」ではなくて、たとえばブログのような形態のものであったとしたら、GoogleやYahooでちょいちょいと検索すればパッと出てくるようなデータであったとしたら、私はamazonに原書を注文しようと決心するまでに至っただろうか、私の場合はそうはならなかったに違いないと、そんなことを考えてみるのです。

やはり「本」という物体(Thing/Ding)のもつ、人を動かす力はものすごいものだと純粋にリスペクトする者です。ブログは、なんというか、ブログでしかない。弱く、繊細で、はかない存在のように思えてなりません(ブログが果たして「存在」(Being/Sein)ないし「形態」(Form/Gestalt)なのかどうかも私にはよく分からない)。こういう感想(「ブログはしょせんブログでしかない、やはり本でなくちゃね」的な物言い)自体が、カントに言わせると「独断論的」なものかもしれませんが。