聖霊について「注ぐ」という語を用いることは、私もするが、慎重な思いを持ち続けている。なぜ「注ぎ」とか「注入」という語を聖霊について用いるのかといえば、ラテン語の神学概念infusio Spiritus sanctiのinfusioを「注入、注ぎ」と訳すことになっているからである。
しかし「注入」はともかく「注ぐ」と耳で聞けば、ほとんどの人は「液体的な物質のようなものを流し込む」というイメージでとらえる。「注入はともかく」と書いたのは、「注入」の場合は「風船に空気を注入する」とは言うので、かろうじて気体のイメージまでは許容範囲のようだと言えそうだからである。
しかし「風船に空気を注ぐ」とは、通常の日本語の感覚では言わないだろう。このようなことを私は考えるので(組織神学専攻者の脳内はだいたいいつもこんな感じだ)、聖霊については「注ぐ」とか「注入する」という言い方を、全く用いないわけではないが、なるべく避けるようにしている。
その代わり「聖霊が人の中に入ってくださり(こちらのほうがinfusio=いわゆる「注入」)、住み込んでくださる(こちらがinhabitatio=いわゆる「内住」)」という言い方を、説教では、するようにしている。神学論文でどう書くかについては、これまた別問題としていつも悩む。
それにしても組織神学者、こと教義学者の中に「我々は世間から顧みられない。流行らない。面白がられない。そもそも学問として認めてもらえない」というようなことをつぶやく人が、昔から多い。19世紀生まれの教義学者バーフィンクもそういうことを書いている。ぶつぶつ言いながら営む学問のようだ。
2016年11月28日月曜日
人生を強く生き抜くためにコネが大事です
自分は観ていないテレビ番組のパクリで申し訳ないが、NHK「ニッポンのジレンマ」をご覧になった方によれば「5つのコミュニティを持つと心が安定しやすい」そうだ。今の私の心のよりどころといえば家族(うち)、教会(宗教)、学校(職場)、学会(勉強)、SNS(発散)。おお、ちょうど5つだ。
説明が必要かもしれないのは「学会」。日本基督教学会とアジア・カルヴァン学会に所属。後者の世話人でもある。グループビデオ通話を利用したカール・バルト研究会は申し訳ないことに今の職場になってから休眠状態。そのうち再開したい。あとは青野太潮先生の本の読書会(十字架の神学研究会)に参加。
アジア・カルヴァン学会との出会いは2006年。翌2007年8月開催予定「第10回アジア・カルヴァン学会日本大会」(東京代々木・国立オリンピック記念青少年総合センター)の準備委員会の末席に加えていただいた。私を選んでいただけた理由は「ネットおたく認定」であったとしか言いようがない。
1999年2月にわずか4人で立ち上げたメーリングリスト「ファン・ルーラー研究会」の登録者が、5年後の2004年までに100人を超えた。オランダの組織神学者ファン・ルーラーの著書を翻訳して議論していただけだが、インターネットを始めたばかりの人が多くて、それなりに面白がってもらえた。
「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストにアジア・カルヴァン学会の方々が加わってくださった。こういうことは自分で言わないほうがよさそうだが、「こいつは使えそうだ」と思っていただけたようだ。「第10回アジア・カルヴァン学会日本大会」の準備委員会で書記(ネット担当)を任された。
「第10回アジア・カルヴァン学会日本大会」の準備委員会が組織された2006年に、同準備委員会と同じメンバーによる「アジア・カルヴァン学会日本支部」が「第1回講演会」を開催した。会場は日本基督教団銀座教会(東京都中央区銀座)。講師は明治学院大学元学長のカルヴァン研究者、森井眞先生。
私にとって「アジア・カルヴァン学会」と出会った2006年は「学会」なるものへの人生初コミットの年だった。高校からストレートで入学した神学大学の大学院を卒業した1990年から2006年までの16年は地方教会の牧師の仕事だけしていた人間は、「学会」とも「学問」とも無縁の生活をしていた。
ただ、上述どおり、1990年から2006年までの16年間の地方教会の牧師生活の中で、1999年から始めたメーリングリスト「ファン・ルーラー研究会」が「学会」なるものとの接点を生み出してくれた。臆面なく書けば、インターネットが「知の巨人たち」と田舎牧師の出会いの場を創出してくれた。
2009年「カルヴァン生誕500周年記念集会」(会場東京神学大学)実行委員に加えていただいたのも、同年『新たな一歩を カルヴァン生誕500年記念論集』(キリスト新聞社)への寄稿も、同年10月号『福音と世界』(新教出版社)のカルヴァン500年記念鼎談への参加も同学会のおかげだった。
まだある。慶應義塾大学『三色旗』2009年10月号にファン・ルーラーを紹介する小論を書かせていただいたのも、2013年と2014年の2年連続で立教大学全学共通カリキュラムでファン・ルーラーを紹介するゲスト講義をさせていただいたのも、アジア・カルヴァン学会で得た知己のおかげだった。
2013年6月23日、立教大学の全学共通カリキュラム「キリスト教の歩み」のゲストスピーカーとして教壇に立った私(写真)は、約170人の学生さんに向かって確かにこう言った。「人生を強く生き抜くためにコネが大事です」。微妙な笑いで応じてくださった当時の学生さんたちに今でも心から感謝している。
説明が必要かもしれないのは「学会」。日本基督教学会とアジア・カルヴァン学会に所属。後者の世話人でもある。グループビデオ通話を利用したカール・バルト研究会は申し訳ないことに今の職場になってから休眠状態。そのうち再開したい。あとは青野太潮先生の本の読書会(十字架の神学研究会)に参加。
アジア・カルヴァン学会との出会いは2006年。翌2007年8月開催予定「第10回アジア・カルヴァン学会日本大会」(東京代々木・国立オリンピック記念青少年総合センター)の準備委員会の末席に加えていただいた。私を選んでいただけた理由は「ネットおたく認定」であったとしか言いようがない。
1999年2月にわずか4人で立ち上げたメーリングリスト「ファン・ルーラー研究会」の登録者が、5年後の2004年までに100人を超えた。オランダの組織神学者ファン・ルーラーの著書を翻訳して議論していただけだが、インターネットを始めたばかりの人が多くて、それなりに面白がってもらえた。
「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストにアジア・カルヴァン学会の方々が加わってくださった。こういうことは自分で言わないほうがよさそうだが、「こいつは使えそうだ」と思っていただけたようだ。「第10回アジア・カルヴァン学会日本大会」の準備委員会で書記(ネット担当)を任された。
「第10回アジア・カルヴァン学会日本大会」の準備委員会が組織された2006年に、同準備委員会と同じメンバーによる「アジア・カルヴァン学会日本支部」が「第1回講演会」を開催した。会場は日本基督教団銀座教会(東京都中央区銀座)。講師は明治学院大学元学長のカルヴァン研究者、森井眞先生。
私にとって「アジア・カルヴァン学会」と出会った2006年は「学会」なるものへの人生初コミットの年だった。高校からストレートで入学した神学大学の大学院を卒業した1990年から2006年までの16年は地方教会の牧師の仕事だけしていた人間は、「学会」とも「学問」とも無縁の生活をしていた。
ただ、上述どおり、1990年から2006年までの16年間の地方教会の牧師生活の中で、1999年から始めたメーリングリスト「ファン・ルーラー研究会」が「学会」なるものとの接点を生み出してくれた。臆面なく書けば、インターネットが「知の巨人たち」と田舎牧師の出会いの場を創出してくれた。
2009年「カルヴァン生誕500周年記念集会」(会場東京神学大学)実行委員に加えていただいたのも、同年『新たな一歩を カルヴァン生誕500年記念論集』(キリスト新聞社)への寄稿も、同年10月号『福音と世界』(新教出版社)のカルヴァン500年記念鼎談への参加も同学会のおかげだった。
まだある。慶應義塾大学『三色旗』2009年10月号にファン・ルーラーを紹介する小論を書かせていただいたのも、2013年と2014年の2年連続で立教大学全学共通カリキュラムでファン・ルーラーを紹介するゲスト講義をさせていただいたのも、アジア・カルヴァン学会で得た知己のおかげだった。
2013年6月23日、立教大学の全学共通カリキュラム「キリスト教の歩み」のゲストスピーカーとして教壇に立った私(写真)は、約170人の学生さんに向かって確かにこう言った。「人生を強く生き抜くためにコネが大事です」。微妙な笑いで応じてくださった当時の学生さんたちに今でも心から感謝している。
2016年11月27日日曜日
聖霊の結ぶ実(千葉若葉教会)
ガラテヤの信徒への手紙5章22~26節
関口 康(日本基督教団教務教師)
「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。」
今日も使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙を開いていただきました。先ほど朗読していただいた箇所のひとつ前の段落から読んでいきます。
「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲を満足させるようなことはありません」(16節)と記されています。ここで言われていることの主旨は、「肉の欲を満足させること」と「霊の導きに従って生きること」とは矛盾し、対立する関係にあるということです。
そのとおりのことが次の節に記されています。「肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです」(17節)。
そしてその続きに「肉の業」とはどのようなものであるかが記されています。「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」(19~21節)。
これは悪徳表と呼ばれるものです。並べられている悪徳は、どちらかといえば個人的な要素が強いものばかりです。社会全体で取り組まなければならない構造的な悪の問題、たとえば戦争、人種差別、搾取、経済格差といったことについては述べられていません。
しかし、個人的なことと社会的なことが無関係であることはありえません。両者がどのような関係にあるかを説明するのは難しいことです。謎めいた関係にあります。しかし、間違いなく言えるのは、個人が集まって社会が形成されるということです。小さな悪や罪の根や種を放置したままでいれば、それらはやがて必ず大きく成長していくでしょう。
いま学校の授業で扱っているのはそのことです。罪の問題を扱っています。一般的な意味での「罪」はほとんどもっぱら行為を指します。それに対し、聖書の意味での「罪」は、行為を含まないわけではありませんが、それ以上に行為の根や種となる心の性質を指します。行為と性質を合わせた全体を、聖書は「罪」と呼びます。そのように説明しています。
いま申し上げたこととの関係でいえば、パウロが記しているこの悪徳表は、「肉の業」とあるとおり、その内容は「業」すなわち「行為」です。しかし「肉の業」と言われていることが大事です。「肉」に罪が潜むのです。そして、その罪が悪を生み出すのです。
しかしそれは、「肉」そのものが罪だとか悪だとかいう意味ではありません。「肉」そのものはただの物質です。物質そのものを悪とするのは、聖書的な価値判断ではありません。別の宗教の思想です。
しかしまた、「肉」とは弱いものです。罪に負けやすく、悪に染まりやすい弱さという性質を持っています。その「肉」に罪が潜みます。悪の行為の根や種を容易に抱え込みます。それを放置すると世界を脅かす巨悪が育ちます。厳密に言おうとするなら、今申し上げたようなことをじっくり丁寧に考えていかなくてはなりません。
ここまでお話ししたうえで、ほんの少しだけ聖書から離れて考えてみたいことがあります。それは肉の弱さについてです。難しい話ではなく、分かりやすい話です。疲れるとか眠いとかという話です。それは昨日の私自身の状態です。
学校の仕事はとても楽しいです。本当に楽しいです。しかし、教会の仕事とは性質が違う疲れ方をするものだということが分かるようになりました。それを説明するのは難しいことですが、土曜日になるとぐったりしています。それでも土曜の朝もいつもと同じ時刻に目が覚めるようになりました。完全な昼夜逆転人間でしたので今の自分に自分で驚いています。しかし「今日は土曜日だ」と気づくとまた布団に潜って昼まで眠ってしまうことがよくあります。
昨日の私もそうでした。これも「罪」でしょうか。そうかもしれません。今日の礼拝で説教させていただくための準備を怠ってぐっすり眠りこんでいる説教者はだめでしょうか。そうかもしれないなと反省して、目が覚めた後は、説教の準備に集中しました。
しかしふと考えました。話が飛躍しているかもしれませんが、パウロが記している悪徳表の内容は、昨日の私の状態と同じような意味での「疲れること」と多くの点で結びつくことばかりではないかと考えさせられました。
お酒やわいせつなことにのめり込む人がいます。すぐに腹を立てる人がいます。その人々の言い訳は多くの場合、ストレスの発散です。そのようなことは全く言い訳にならないし、言い訳にすることが断じて許されないのは、そのとおりです。しかし、ストレス発散の方法を他に知らない人たちは、ストレスをたくさん溜め込み、そのうち心身に不調をきたし、壊れてしまいます。
だからこういうことにのめり込むのはやむをえないのだ、だから許してあげましょうという話にはなりません。そのようなことでは、問題は全く解決しないどころか、家族の関係も友人関係も会社や社会での信頼関係も全く破壊されてしまい、もっと多くのストレスを抱え込むことになるでしょう。全く別のストレス発散の方法が真剣に考えられなくてはなりません。
とにかくよく眠ることが大事です。暇さえあれば眠る。ところかまわず眠る。そのほうがいいです。歳をとると眠りが浅くなると言われます。しかし、じっとしているだけで体も心も休まります。動き回って余計なストレスを抱え込んで、そのストレスを発散するためにいかがわしいことにのめり込むよりは、はるかにましです。
じっとしていても構わないし、引きこもっていても構いません。引きこもって、内弁慶になって、家の中でいばり散らされると、家族は迷惑するかもしれません。でも、そんなことはあまり言わないであげてください。お願いします。
高齢者を揶揄する意図は全くありません。パウロが記している悪徳表に並べられている「肉の業」は厳しい社会で戦っている人々が抱え込むストレスの問題と結びつくところがありそうだと気づいたので、申し上げました。そして、ストレスの問題を解決するためには、全く別の、いわばもうひとつのストレス発散方法を真剣に考える必要があることを訴えたかっただけです。
「これに対して」と、パウロは続けます。今日の箇所にたどり着きました。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(22節)。
この「霊」に新共同訳はダブルクオーテーションを付けていませんが(凡例三(2)参照)、だからといってこの「霊」が「聖霊」であることを否定しなくてはならないわけではありません。この手紙の中に記された「霊」という字の多くにダブルクオーテーションが付けられていることを確認することができます(3章2節、3章5節、3章14節、4章29節、5章5節、6章1節)。
また、「聖霊」以外の意味でありえない「霊」にダブルクオーテーションを付けていない箇所があります。そのひとつは4章6節です。「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります」(4章6節)。
この箇所は、気をつけて読まなくてはなりません。「わたしたちの心」に「神」が送ってくださった「御子の霊」について記されています。しかしその意味は、「御子の霊」を送ってくださった御子の父なる「神」の「霊」でもあるということです。御子だけの霊であって父なる神の霊ではないわけではありません。「わたしたちの心」へと送られ、注ぎ込まれるのは「御父と御子の霊」としての「聖霊」です。
しかも、その「霊」(ダブルクオーテーション付き!)は「福音を聞いて信じる」(3章2節)こと、つまり「信仰によって受ける」(3章14節)ものであると記されています。これで分かるのは「聖霊」と「福音」と「信仰」はワンセットであるということです。ばらばらに受け取るわけではありません。
「聖霊」が先か「福音」が先か、それとも「信仰」が先かについて順序や時間差があるかどうかには議論があります。申し訳ないことに、私はバプテスト教会の教えを存じませんので、もしかすると皆さまのお考えに反することを申し上げるかもしれません。それを避けるために詳細に立ち入ることは控えます。
ただ、これだけははっきり言えると思いますのは、先ほど申し上げたとおり、「聖霊」と「福音」と「信仰」はワンセットであるということです。そして、この場合の「福音」は「説教」と呼びかえることができます。
その意味は、「説教」は聞かないが「聖霊」も「信仰」もある、ということはない、ということです。あるいはまた、「説教」を聞いても「信仰」に至らないが(それはよくあることです)「聖霊」はある、ということもない、ということです。
そして「聖霊」を理解するためにもうひとつ大事な点、そして私がそれこそが最も大事だと考えている点は、「聖霊」はすべての人が生まれつき持っているものではないということです。すべて後から追加されるものです。
もし生まれつき「聖霊」を持っている人がいるなら、「福音」も「信仰」も不要です。「教会」も不要です。「聖霊」を生まれつき持っている人がいるなら、それを生まれつき与えられていない人に後から与えられることを期待するのはおかしいことだからです。
しかし、そういう事情でないからこそ、わたしたちは「教会」を続けているのではないでしょうか。「福音」も「信仰」も必要だからこそ、それを宣べ伝える「教会」が必要だと信じているのではないでしょうか。「聖霊」も「信仰」も親や先祖から遺伝するものではありません。だからこそわたしたちに「教会」が必要であり、福音の説教による「伝道」が必要なのです。
これは私の心の底からの問いかけです。そしてこの思いは、パウロ自身も持っていたのではないかと、私が信じたいと願っているところです。
「霊の結ぶ実」とは、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。すべてを暗記する必要はありません。ばらばらのことではありえないからです。先ほど申したこととの関係でいえば、ストレス発散のもうひとつの方法がこれです。それは「教会」で「福音の説教」を聞き、「聖霊の結ぶ実」を実らせていくことです。これは確かに効き目があります。効き目があるということを教会の歴史が証明しています。
そしてまた、わたしたちは、教会でストレスを抱え込むことがないように、「聖霊の結ぶ実」が実るような教会をかたちづくっていくのを目指すことが大切です。そのことを最後に一言だけ申し上げておきます。
(2016年11月27日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会 主日礼拝)
関口 康(日本基督教団教務教師)
「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。」
今日も使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙を開いていただきました。先ほど朗読していただいた箇所のひとつ前の段落から読んでいきます。
「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲を満足させるようなことはありません」(16節)と記されています。ここで言われていることの主旨は、「肉の欲を満足させること」と「霊の導きに従って生きること」とは矛盾し、対立する関係にあるということです。
そのとおりのことが次の節に記されています。「肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです」(17節)。
そしてその続きに「肉の業」とはどのようなものであるかが記されています。「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」(19~21節)。
これは悪徳表と呼ばれるものです。並べられている悪徳は、どちらかといえば個人的な要素が強いものばかりです。社会全体で取り組まなければならない構造的な悪の問題、たとえば戦争、人種差別、搾取、経済格差といったことについては述べられていません。
しかし、個人的なことと社会的なことが無関係であることはありえません。両者がどのような関係にあるかを説明するのは難しいことです。謎めいた関係にあります。しかし、間違いなく言えるのは、個人が集まって社会が形成されるということです。小さな悪や罪の根や種を放置したままでいれば、それらはやがて必ず大きく成長していくでしょう。
いま学校の授業で扱っているのはそのことです。罪の問題を扱っています。一般的な意味での「罪」はほとんどもっぱら行為を指します。それに対し、聖書の意味での「罪」は、行為を含まないわけではありませんが、それ以上に行為の根や種となる心の性質を指します。行為と性質を合わせた全体を、聖書は「罪」と呼びます。そのように説明しています。
いま申し上げたこととの関係でいえば、パウロが記しているこの悪徳表は、「肉の業」とあるとおり、その内容は「業」すなわち「行為」です。しかし「肉の業」と言われていることが大事です。「肉」に罪が潜むのです。そして、その罪が悪を生み出すのです。
しかしそれは、「肉」そのものが罪だとか悪だとかいう意味ではありません。「肉」そのものはただの物質です。物質そのものを悪とするのは、聖書的な価値判断ではありません。別の宗教の思想です。
しかしまた、「肉」とは弱いものです。罪に負けやすく、悪に染まりやすい弱さという性質を持っています。その「肉」に罪が潜みます。悪の行為の根や種を容易に抱え込みます。それを放置すると世界を脅かす巨悪が育ちます。厳密に言おうとするなら、今申し上げたようなことをじっくり丁寧に考えていかなくてはなりません。
ここまでお話ししたうえで、ほんの少しだけ聖書から離れて考えてみたいことがあります。それは肉の弱さについてです。難しい話ではなく、分かりやすい話です。疲れるとか眠いとかという話です。それは昨日の私自身の状態です。
学校の仕事はとても楽しいです。本当に楽しいです。しかし、教会の仕事とは性質が違う疲れ方をするものだということが分かるようになりました。それを説明するのは難しいことですが、土曜日になるとぐったりしています。それでも土曜の朝もいつもと同じ時刻に目が覚めるようになりました。完全な昼夜逆転人間でしたので今の自分に自分で驚いています。しかし「今日は土曜日だ」と気づくとまた布団に潜って昼まで眠ってしまうことがよくあります。
昨日の私もそうでした。これも「罪」でしょうか。そうかもしれません。今日の礼拝で説教させていただくための準備を怠ってぐっすり眠りこんでいる説教者はだめでしょうか。そうかもしれないなと反省して、目が覚めた後は、説教の準備に集中しました。
しかしふと考えました。話が飛躍しているかもしれませんが、パウロが記している悪徳表の内容は、昨日の私の状態と同じような意味での「疲れること」と多くの点で結びつくことばかりではないかと考えさせられました。
お酒やわいせつなことにのめり込む人がいます。すぐに腹を立てる人がいます。その人々の言い訳は多くの場合、ストレスの発散です。そのようなことは全く言い訳にならないし、言い訳にすることが断じて許されないのは、そのとおりです。しかし、ストレス発散の方法を他に知らない人たちは、ストレスをたくさん溜め込み、そのうち心身に不調をきたし、壊れてしまいます。
だからこういうことにのめり込むのはやむをえないのだ、だから許してあげましょうという話にはなりません。そのようなことでは、問題は全く解決しないどころか、家族の関係も友人関係も会社や社会での信頼関係も全く破壊されてしまい、もっと多くのストレスを抱え込むことになるでしょう。全く別のストレス発散の方法が真剣に考えられなくてはなりません。
とにかくよく眠ることが大事です。暇さえあれば眠る。ところかまわず眠る。そのほうがいいです。歳をとると眠りが浅くなると言われます。しかし、じっとしているだけで体も心も休まります。動き回って余計なストレスを抱え込んで、そのストレスを発散するためにいかがわしいことにのめり込むよりは、はるかにましです。
じっとしていても構わないし、引きこもっていても構いません。引きこもって、内弁慶になって、家の中でいばり散らされると、家族は迷惑するかもしれません。でも、そんなことはあまり言わないであげてください。お願いします。
高齢者を揶揄する意図は全くありません。パウロが記している悪徳表に並べられている「肉の業」は厳しい社会で戦っている人々が抱え込むストレスの問題と結びつくところがありそうだと気づいたので、申し上げました。そして、ストレスの問題を解決するためには、全く別の、いわばもうひとつのストレス発散方法を真剣に考える必要があることを訴えたかっただけです。
「これに対して」と、パウロは続けます。今日の箇所にたどり着きました。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(22節)。
この「霊」に新共同訳はダブルクオーテーションを付けていませんが(凡例三(2)参照)、だからといってこの「霊」が「聖霊」であることを否定しなくてはならないわけではありません。この手紙の中に記された「霊」という字の多くにダブルクオーテーションが付けられていることを確認することができます(3章2節、3章5節、3章14節、4章29節、5章5節、6章1節)。
また、「聖霊」以外の意味でありえない「霊」にダブルクオーテーションを付けていない箇所があります。そのひとつは4章6節です。「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります」(4章6節)。
この箇所は、気をつけて読まなくてはなりません。「わたしたちの心」に「神」が送ってくださった「御子の霊」について記されています。しかしその意味は、「御子の霊」を送ってくださった御子の父なる「神」の「霊」でもあるということです。御子だけの霊であって父なる神の霊ではないわけではありません。「わたしたちの心」へと送られ、注ぎ込まれるのは「御父と御子の霊」としての「聖霊」です。
しかも、その「霊」(ダブルクオーテーション付き!)は「福音を聞いて信じる」(3章2節)こと、つまり「信仰によって受ける」(3章14節)ものであると記されています。これで分かるのは「聖霊」と「福音」と「信仰」はワンセットであるということです。ばらばらに受け取るわけではありません。
「聖霊」が先か「福音」が先か、それとも「信仰」が先かについて順序や時間差があるかどうかには議論があります。申し訳ないことに、私はバプテスト教会の教えを存じませんので、もしかすると皆さまのお考えに反することを申し上げるかもしれません。それを避けるために詳細に立ち入ることは控えます。
ただ、これだけははっきり言えると思いますのは、先ほど申し上げたとおり、「聖霊」と「福音」と「信仰」はワンセットであるということです。そして、この場合の「福音」は「説教」と呼びかえることができます。
その意味は、「説教」は聞かないが「聖霊」も「信仰」もある、ということはない、ということです。あるいはまた、「説教」を聞いても「信仰」に至らないが(それはよくあることです)「聖霊」はある、ということもない、ということです。
そして「聖霊」を理解するためにもうひとつ大事な点、そして私がそれこそが最も大事だと考えている点は、「聖霊」はすべての人が生まれつき持っているものではないということです。すべて後から追加されるものです。
もし生まれつき「聖霊」を持っている人がいるなら、「福音」も「信仰」も不要です。「教会」も不要です。「聖霊」を生まれつき持っている人がいるなら、それを生まれつき与えられていない人に後から与えられることを期待するのはおかしいことだからです。
しかし、そういう事情でないからこそ、わたしたちは「教会」を続けているのではないでしょうか。「福音」も「信仰」も必要だからこそ、それを宣べ伝える「教会」が必要だと信じているのではないでしょうか。「聖霊」も「信仰」も親や先祖から遺伝するものではありません。だからこそわたしたちに「教会」が必要であり、福音の説教による「伝道」が必要なのです。
これは私の心の底からの問いかけです。そしてこの思いは、パウロ自身も持っていたのではないかと、私が信じたいと願っているところです。
「霊の結ぶ実」とは、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。すべてを暗記する必要はありません。ばらばらのことではありえないからです。先ほど申したこととの関係でいえば、ストレス発散のもうひとつの方法がこれです。それは「教会」で「福音の説教」を聞き、「聖霊の結ぶ実」を実らせていくことです。これは確かに効き目があります。効き目があるということを教会の歴史が証明しています。
そしてまた、わたしたちは、教会でストレスを抱え込むことがないように、「聖霊の結ぶ実」が実るような教会をかたちづくっていくのを目指すことが大切です。そのことを最後に一言だけ申し上げておきます。
(2016年11月27日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会 主日礼拝)
2016年11月26日土曜日
受験生や就活中の人たちの「突破」をただ祈る
就活中の人を過度に刺激するかもしれないので勘弁してほしい記事のひとつが、人工知能やロボに代替されることになるらしい「これから消える仕事」という企画もの。教員は消える予測対象のようだが、牧師は見当たらない。まだ必要とされるからか、それとももうすでにほとんど消えているからなのか不明。
文転・理転という言葉が、私が高校生だった頃から使われていたかどうかの記憶がないが、意味はもちろん分かるし、必要性も理解できる。全く関係ないが、カト転とかプロ転という言葉は、私は聞いたことがない。キリ転とか仏転とかも、私は聞いたことがない。なんでも短くする人たちは、一定いるようだ。
私が「神学」を強調してきたのは自己弁護をしてきただけだ。ハイスクール卒業後いきなりユニヴァーシティでもカレッジでもないセミナリーに入学し、卒業後他の仕事は一切せずパスターだけをしてきた人間でも、アカデミックな面でとりあえず遜色ないところを分かってもらいたいと願っていただけなので。
「信仰」と「牧師になる意志」さえ明確ならだれでも入れる「大学」がいわば私の唯一の学歴だが、それで困ったり引け目を感じたりしたことは、いまだかつて一度もない。ついでにいえば、中学は国立、高校は県立、大学は教団立で、税金と献金で勉強させていただいた、考えうる「最安」コースでもあった。
こういうわけで、私自身は学歴に引け目を「感じていない」ので、「感じている」人たちへの励ましのメッセージを書いているつもりは全くないし、そういうメッセージにはなんらなっていないと考えている。「一緒くたにしないでほしい」とさえ感じている。偏差値偏重教育の二次被害のようなものだと思う。
とはいえ、何事も結果が大事であることは事実である。人一倍努力した人とそうでない人が全く一緒ということは通常ないし、手抜きやごまかしは見る人が見ればすぐバレる。私が学生だった頃と今とでずいぶん変わっているところもある。受験生や就活中の人たちの「突破」(ブレイクスルー!)をただ祈る。
私の「履歴」をご覧になりたい方はどうぞこちらへ(誘導リンク)
文転・理転という言葉が、私が高校生だった頃から使われていたかどうかの記憶がないが、意味はもちろん分かるし、必要性も理解できる。全く関係ないが、カト転とかプロ転という言葉は、私は聞いたことがない。キリ転とか仏転とかも、私は聞いたことがない。なんでも短くする人たちは、一定いるようだ。
私が「神学」を強調してきたのは自己弁護をしてきただけだ。ハイスクール卒業後いきなりユニヴァーシティでもカレッジでもないセミナリーに入学し、卒業後他の仕事は一切せずパスターだけをしてきた人間でも、アカデミックな面でとりあえず遜色ないところを分かってもらいたいと願っていただけなので。
「信仰」と「牧師になる意志」さえ明確ならだれでも入れる「大学」がいわば私の唯一の学歴だが、それで困ったり引け目を感じたりしたことは、いまだかつて一度もない。ついでにいえば、中学は国立、高校は県立、大学は教団立で、税金と献金で勉強させていただいた、考えうる「最安」コースでもあった。
こういうわけで、私自身は学歴に引け目を「感じていない」ので、「感じている」人たちへの励ましのメッセージを書いているつもりは全くないし、そういうメッセージにはなんらなっていないと考えている。「一緒くたにしないでほしい」とさえ感じている。偏差値偏重教育の二次被害のようなものだと思う。
とはいえ、何事も結果が大事であることは事実である。人一倍努力した人とそうでない人が全く一緒ということは通常ないし、手抜きやごまかしは見る人が見ればすぐバレる。私が学生だった頃と今とでずいぶん変わっているところもある。受験生や就活中の人たちの「突破」(ブレイクスルー!)をただ祈る。
私の「履歴」をご覧になりたい方はどうぞこちらへ(誘導リンク)
2016年11月20日日曜日
「キリスト教が日本で広まらなかった理由」を読んで思ったこと
51歳になったので「50年しか経っていない」という言い方をそろそろ許していただけるだろうか。「横浜バンド」が生まれた1870年代から「弁証法神学」が輸入された1920年代までがたったの50年。私は50年前のことなら(1歳だったが)よく覚えている。50年前など「ついこのあいだ」だ。
逆算した言い方もできる。その言い方のほうが、私が考えていることに合うところがある。「弁証法神学」が日本でも紹介される1920年代のわずか50年前に、やっと日本史上初めてある程度の形をなしえたプロテスタント・キリスト教会の小さな苗木が植えられた。「弁証法神学」が倒そうとした苗木が。
唐突に書き始めたのは、1年ほど前に公表された「キリスト教が日本で広まらなかった理由」というある宗教学者の文章をネットで目にしたからだ。私の感想は「違う違う、そうじゃない」だ。理由なんて簡単だ。日本の教会は、政治を利用するのも政治に利用されるのも大嫌い。そういうのは「汚い」と見る。
「日本の教会は」と大雑把に書いた。「違う違う、そうじゃない」という拒絶反応が起こることは、ある程度覚悟している。しかし、大方の同意や共感は得られるのではないか。「日本の教会は、政治を利用するのも政治に利用されるのも大嫌い」。キリスト教が日本で広まらなかった理由はこれだと私は思う。
私はいま「『日本の教会は』と大雑把に書いた」と、言葉を選んで丁寧に書いた。「日本のキリスト教は」とは書いていない。「キリスト教」というルートディレクトリの下に「の教会」や「の学校」や「の施設」や「の病院」などいくつかのサブディレクトリが置かれる。「の教会」はそのひとつにすぎない。
「の学校」「の施設」「の病院」などは、当然のことながら政治との親和性はある。それは「汚い」ことではないし、悪いことでもない。政治力と全く無関係に国民的な規模やレベルの教育や福祉や医療をなしうるとは思えない。だが「の教会」は違う。日本の教会は政治が嫌い。利用するのも利用されるのも。
どう読まれるかは分からないが、私の趣旨は日本の教会の批判ではない。「日本でキリスト教が広まらなかった理由」を論じた宗教学者の文章を読んで「違う違う、そうじゃない」と思った理由を書いているだけ。キリスト教を広めるために教会は政治力を利用しようとしないし、利用するのが下手。それだけ。
「日本の教会は政治を利用すべきである」と、ここでただちに言いたいのでもない。日本の教会と牧師は「政治が苦手」のほうがサマになるところがあるかもしれない。朴訥とか愚直とか手作りとか草の根とかのほうが。それも政治のあり方の一種ではあるが。ドブ板というのもあるが宗教の訪問は拒絶される。
アメリカ大統領選では両者とも所属キリスト教団(いずれもプロテスタント)を明かしていた。ドイツのメルケル首相は「キリスト教民主同盟」の党首である。日本の皇室から「国際キリスト教大学」への進学者。これだけあっても日本の教会には全く影響がない。なぜなら日本の教会は政治を利用しないので。
日本の教会は本格的に立ち行かなくなっている。ずっと前から教会自身が計算上予測してきた深刻な事態が現実化している。「日本のキリスト教が」ではない。「の学校」や「の施設」はむしろ盛んである。立ち行かなくなっているのは「の教会」だ。教会に外からの援助はない。教会同士で助け合うしかない。
日本の教会が政治を敬遠する理由は何かを知りたいと長年願ってきた。キリスト教の教えが初めからそういうものだからだろうか。そうかもしれないがそうでないかもしれない。日本の教会におよそ1世紀にわたって影響を与えた神学思想がその理由に含まれるかもしれないという仮説を立てて私は考えてきた。
それを私は「弁証法神学」であると考えているが、それはなんら特定の個人の思想ではない。まとめ役になった天才はいるが、その人にも多面性があり、時代と共に変遷があったことが昔から知られていることもあり、その人を名指しで批判してもあまり意味がない。いずれにせよ、個人攻撃の意図は全くない。
しかも私の関心事は「日本の教会」にある。「弁証法神学」との関係を言えば「日本の教会における弁証法神学受容史」ということになる。その行き着く先が、今の日本の教会だ。全く立ち行かなくなっている今の日本の教会だ。「弁証法神学には何の責任もない」とは言えないはずだ。少なくとも思想的に。
来年(2017年)個人的に20周年を迎える私の「ファン・ルーラー研究」も「日本の教会における弁証法神学受容史」と大いに関係がある。ファン・ルーラーこそ弁証法神学の最初の挑戦者の偉大なひとりだったからだ。それは繰り返し明らかにしてきたつもりだが、私の説明が説得力をもったことはない。
教会での説教をしなかった日曜日の夜は、なんだか妙に理屈っぽくなるのは何のせいだろう。今の借家に引っ越してきてから来月で丸一年になろうとしているのにいまだほとんどの本が平積み状態なのは、読書にふけって翌日の勤務に響かないように神が禁じておられるのかもしれないということにしておこう。
逆算した言い方もできる。その言い方のほうが、私が考えていることに合うところがある。「弁証法神学」が日本でも紹介される1920年代のわずか50年前に、やっと日本史上初めてある程度の形をなしえたプロテスタント・キリスト教会の小さな苗木が植えられた。「弁証法神学」が倒そうとした苗木が。
唐突に書き始めたのは、1年ほど前に公表された「キリスト教が日本で広まらなかった理由」というある宗教学者の文章をネットで目にしたからだ。私の感想は「違う違う、そうじゃない」だ。理由なんて簡単だ。日本の教会は、政治を利用するのも政治に利用されるのも大嫌い。そういうのは「汚い」と見る。
「日本の教会は」と大雑把に書いた。「違う違う、そうじゃない」という拒絶反応が起こることは、ある程度覚悟している。しかし、大方の同意や共感は得られるのではないか。「日本の教会は、政治を利用するのも政治に利用されるのも大嫌い」。キリスト教が日本で広まらなかった理由はこれだと私は思う。
私はいま「『日本の教会は』と大雑把に書いた」と、言葉を選んで丁寧に書いた。「日本のキリスト教は」とは書いていない。「キリスト教」というルートディレクトリの下に「の教会」や「の学校」や「の施設」や「の病院」などいくつかのサブディレクトリが置かれる。「の教会」はそのひとつにすぎない。
「の学校」「の施設」「の病院」などは、当然のことながら政治との親和性はある。それは「汚い」ことではないし、悪いことでもない。政治力と全く無関係に国民的な規模やレベルの教育や福祉や医療をなしうるとは思えない。だが「の教会」は違う。日本の教会は政治が嫌い。利用するのも利用されるのも。
どう読まれるかは分からないが、私の趣旨は日本の教会の批判ではない。「日本でキリスト教が広まらなかった理由」を論じた宗教学者の文章を読んで「違う違う、そうじゃない」と思った理由を書いているだけ。キリスト教を広めるために教会は政治力を利用しようとしないし、利用するのが下手。それだけ。
「日本の教会は政治を利用すべきである」と、ここでただちに言いたいのでもない。日本の教会と牧師は「政治が苦手」のほうがサマになるところがあるかもしれない。朴訥とか愚直とか手作りとか草の根とかのほうが。それも政治のあり方の一種ではあるが。ドブ板というのもあるが宗教の訪問は拒絶される。
アメリカ大統領選では両者とも所属キリスト教団(いずれもプロテスタント)を明かしていた。ドイツのメルケル首相は「キリスト教民主同盟」の党首である。日本の皇室から「国際キリスト教大学」への進学者。これだけあっても日本の教会には全く影響がない。なぜなら日本の教会は政治を利用しないので。
日本の教会は本格的に立ち行かなくなっている。ずっと前から教会自身が計算上予測してきた深刻な事態が現実化している。「日本のキリスト教が」ではない。「の学校」や「の施設」はむしろ盛んである。立ち行かなくなっているのは「の教会」だ。教会に外からの援助はない。教会同士で助け合うしかない。
日本の教会が政治を敬遠する理由は何かを知りたいと長年願ってきた。キリスト教の教えが初めからそういうものだからだろうか。そうかもしれないがそうでないかもしれない。日本の教会におよそ1世紀にわたって影響を与えた神学思想がその理由に含まれるかもしれないという仮説を立てて私は考えてきた。
それを私は「弁証法神学」であると考えているが、それはなんら特定の個人の思想ではない。まとめ役になった天才はいるが、その人にも多面性があり、時代と共に変遷があったことが昔から知られていることもあり、その人を名指しで批判してもあまり意味がない。いずれにせよ、個人攻撃の意図は全くない。
しかも私の関心事は「日本の教会」にある。「弁証法神学」との関係を言えば「日本の教会における弁証法神学受容史」ということになる。その行き着く先が、今の日本の教会だ。全く立ち行かなくなっている今の日本の教会だ。「弁証法神学には何の責任もない」とは言えないはずだ。少なくとも思想的に。
来年(2017年)個人的に20周年を迎える私の「ファン・ルーラー研究」も「日本の教会における弁証法神学受容史」と大いに関係がある。ファン・ルーラーこそ弁証法神学の最初の挑戦者の偉大なひとりだったからだ。それは繰り返し明らかにしてきたつもりだが、私の説明が説得力をもったことはない。
教会での説教をしなかった日曜日の夜は、なんだか妙に理屈っぽくなるのは何のせいだろう。今の借家に引っ越してきてから来月で丸一年になろうとしているのにいまだほとんどの本が平積み状態なのは、読書にふけって翌日の勤務に響かないように神が禁じておられるのかもしれないということにしておこう。
小金教会の主日礼拝に出席しました
今日(2016年11月20日日曜日)は日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)の主日礼拝に出席させていただきました。借家から最も近く徒歩で行ける教会です。マタイによる福音書11章16節から19節に基づく今泉幹夫牧師の説教がいつにもまして身にしみました。心から感謝いたします。
2016年11月19日土曜日
「どっちでもいい」は無関心で「どっちもでいい」はハイブリッド
史的イエス研究もキリスト論の一種ではあろう。前者が後者に影響を及ぼさないわけにはいかない。前者が非神話化の作業過程を経た帰結であれば、それ自体がそういう作業過程を経た後者でありうる。しかし、非神話化されたキリスト論とは何を意味するか。古代人の神話的表象から解放されたキリストとは。
非神話化されたキリスト論とは「主は聖霊によりてやどらず、おとめマリヤより生まれず、陰府にくだらず、三日目に死人のうちよりよみがえらず、天に昇らず、全能の父なる神の右に座したまわず、かしこより来たらず、生けるものと死ねるものとを審きたまわず」というところか。いろいろ考えさせられる。
かろうじて残せそうなのは「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」くらいか。口を開けば逆説しか言わず、行えてもいない奇跡を行えた行えたと人々に触れまわられ、宗教と政治の当時の権力者を激しく批判して捕獲され、死刑台で「神に見捨てられた」と絶叫して絶命。
いもしない神の国、ありもしない天国が「これから来る、近づいた」と教え、治せもしない病気を手で触っただけで治った治ったと思ってもらえ、増えもしないパンと魚が増えた増えたと言ってもらえ、ただの水が美味しいワインになったと喜んでもらえ、他の人なら溺れる湖面を歩いた歩いたと騒いでもらえ。
「そんなことはない。すべてできたのだ。史的事実なのだ」と言おうものなら「狂信的だ」と言われる。史的イエス研究に基づく非神話化されたキリスト論は今やおそらくほぼ完成の域に達している。それを認めない人は少数の狂信者なのだろう。あるいは古代人の神話的世界観を止揚できずにいる不勉強な人。
私は「どっちでもいい」とは思わないが「どっちもでいい」とは思っている。早口で言うと同じように聞こえてしまう可能性があり誤解を招きかねないが、前者と後者は全く違う。「で」と「も」の順序が重要だ。「でも」ではなく「もで」。「どっちでもいい」は無関心で「どっちもでいい」はハイブリッド。
話は飛躍するが、私の郷里岡山はじめ(「はじめ」と言うと叱られる可能性あり)他の地域にも伝わる「桃太郎」。川で洗濯していたおばあさんが上流からどんぶらこどんぶらこと流れてきた桃をおじいさんと一緒に家に持ち帰ったら桃の中から男の子が出てきた。これを「非科学的」とか言っても仕方がない。
「桃太郎」は古代人の言い伝えだろうか。たぶん違うだろう。最初に作られたのはいつ頃だろう。ある意味で「どっちでもいい」(無関心)ことだが、縄文時代や弥生時代の話ではないだろう。ただの勘だが、ごく最近ではないかという気がする。といっても200年とか300年とかくらい前という意味だが。
「桃太郎は非科学的だ」とかなんとか、そういう方向で目くじらを立てる人を私は寡聞にして知らないが、「聖書は非科学的だ」と目くじらを立てる人なら困るほど知っている。「桃太郎」は童話だが「聖書」は宗教の本なのだから同次元に扱うのは間違っている、だろうか。私は実は、あまりそうは思わない。
「聖書に書かれていることや教会が教えていることは非科学的だ。だから私は聖書を読まないし、教会に通わない」と言う人々は、そうであることを教会が全面的に認め、非科学的な箇所をすべて削除し、思想や行動の方向性を改めたからといって、それならばと教会に通うようになるわけではないと私は思う。
3日前の11月16日水曜日、私の51歳の誕生日に、お祝いのメッセージを寄せてくださった方々へのお礼の返信が終わらぬまま週末を迎えてしまったことをとても心苦しく思っている。というわけで、今日こそ書きます。体力なくて申し訳ありません。みなさまいつも力強いお励ましありがとうございます。
非神話化されたキリスト論とは「主は聖霊によりてやどらず、おとめマリヤより生まれず、陰府にくだらず、三日目に死人のうちよりよみがえらず、天に昇らず、全能の父なる神の右に座したまわず、かしこより来たらず、生けるものと死ねるものとを審きたまわず」というところか。いろいろ考えさせられる。
かろうじて残せそうなのは「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」くらいか。口を開けば逆説しか言わず、行えてもいない奇跡を行えた行えたと人々に触れまわられ、宗教と政治の当時の権力者を激しく批判して捕獲され、死刑台で「神に見捨てられた」と絶叫して絶命。
いもしない神の国、ありもしない天国が「これから来る、近づいた」と教え、治せもしない病気を手で触っただけで治った治ったと思ってもらえ、増えもしないパンと魚が増えた増えたと言ってもらえ、ただの水が美味しいワインになったと喜んでもらえ、他の人なら溺れる湖面を歩いた歩いたと騒いでもらえ。
「そんなことはない。すべてできたのだ。史的事実なのだ」と言おうものなら「狂信的だ」と言われる。史的イエス研究に基づく非神話化されたキリスト論は今やおそらくほぼ完成の域に達している。それを認めない人は少数の狂信者なのだろう。あるいは古代人の神話的世界観を止揚できずにいる不勉強な人。
私は「どっちでもいい」とは思わないが「どっちもでいい」とは思っている。早口で言うと同じように聞こえてしまう可能性があり誤解を招きかねないが、前者と後者は全く違う。「で」と「も」の順序が重要だ。「でも」ではなく「もで」。「どっちでもいい」は無関心で「どっちもでいい」はハイブリッド。
話は飛躍するが、私の郷里岡山はじめ(「はじめ」と言うと叱られる可能性あり)他の地域にも伝わる「桃太郎」。川で洗濯していたおばあさんが上流からどんぶらこどんぶらこと流れてきた桃をおじいさんと一緒に家に持ち帰ったら桃の中から男の子が出てきた。これを「非科学的」とか言っても仕方がない。
「桃太郎」は古代人の言い伝えだろうか。たぶん違うだろう。最初に作られたのはいつ頃だろう。ある意味で「どっちでもいい」(無関心)ことだが、縄文時代や弥生時代の話ではないだろう。ただの勘だが、ごく最近ではないかという気がする。といっても200年とか300年とかくらい前という意味だが。
「桃太郎は非科学的だ」とかなんとか、そういう方向で目くじらを立てる人を私は寡聞にして知らないが、「聖書は非科学的だ」と目くじらを立てる人なら困るほど知っている。「桃太郎」は童話だが「聖書」は宗教の本なのだから同次元に扱うのは間違っている、だろうか。私は実は、あまりそうは思わない。
「聖書に書かれていることや教会が教えていることは非科学的だ。だから私は聖書を読まないし、教会に通わない」と言う人々は、そうであることを教会が全面的に認め、非科学的な箇所をすべて削除し、思想や行動の方向性を改めたからといって、それならばと教会に通うようになるわけではないと私は思う。
3日前の11月16日水曜日、私の51歳の誕生日に、お祝いのメッセージを寄せてくださった方々へのお礼の返信が終わらぬまま週末を迎えてしまったことをとても心苦しく思っている。というわけで、今日こそ書きます。体力なくて申し訳ありません。みなさまいつも力強いお励ましありがとうございます。
2016年11月17日木曜日
ツリー点灯
出勤したら「Happy Next Day of Birthday」と書かれたお菓子。くださった方をお探ししたが分からなかった。心から感謝しつつおいしくいただく。帰宅後、美味しい夕食。ごちそうさま。うちの女性がたお菓子作りの専門的な話題で長時間話し込む毎日。今夜わが家のツリー点灯。
2016年11月16日水曜日
51歳になりました
今日(2016年11月16日水曜日)は51歳誕生日。「帰宅したら『素数の年齢に感有量。いまさら感がぱねえ』と書こう。」と考えながら出勤したが、午前の授業を終えて自席に戻ったときの歓喜がぱねかった。「すみません、もう少しだけ生きてもいいですか。」に変更。皆さまありがとうございます。
(※)「51」は素数ではない。「感有量」は間違い。よい子は真似しないでください。
(※)「51」は素数ではない。「感有量」は間違い。よい子は真似しないでください。
2016年11月15日火曜日
ダビデの子でもアブラハムの子でもあるバビロン捕囚民の子
υἱοῦ Ἀβραάμ(アブラハムの子)はΔαυὶδ(ダビデ)にかかっている(と岩波訳が新共同訳を見ている)のではなく、υἱοῦ Δαυὶδ(ダビデの子)もυἱοῦ Ἀβραάμ(アブラハムの子)もἸησοῦ Χριστοῦ(イエス・キリスト)にかかると考えるほうがよいであろう。
後者の読み方が正しいとすれば、この文章を書いた人はἸησοῦ Χριστοῦ(イエス・キリスト)が「ダビデの子」(原文ではこちらが先に記されている)と「アブラハムの子」(こちらは後に記されている)との「一つで二重の」系譜を継承していると考えているのではないかと、私には感じられる。
オランダ新共同訳(Groot Nieuws Bijbel)は原文どおり「ダビデの子」(nakomeling van David)を先に、「アブラハムの子」(nakomeling van Abraham)を後に訳す。両者(ダビデの子とアブラハムの子)は並列(パラレル)の関係にある。
「ダビデの子」と「アブラハムの子」が並列(パラレル)の関係にあると言う意味は直列(シリーズ)の関係ではないと言うことでは必ずしもない。時系列の順序でいえば「アブラハム」が先で「ダビデ」は後なので、その意味では両者の関係は直列(シリーズ)の関係にある。それまで否定するつもりはない。
しかし、もしオランダ新共同訳のように理解してよいなら、Βίβλος γενέσεως Ἰησοῦ Χριστοῦ υἱοῦ Δαυὶδ υἱοῦ Ἀβραάμは「ダビデの子でもアブラハムの子でもあるイエス・キリストの系図」と訳せるはずだ。アブラハムは出発点でダビデは政治的絶頂点。
しかも、この「系図」(Βίβλος γενέσεως)は「バビロン捕囚」(μετοικεσίας Βαβυλῶνος)を3度(11節、12節、17節)繰り返して強調している。ダビデが絶頂点であるなら、バビロン捕囚は墜落点であろう。イエス・キリストは「バビロン捕囚民の子」でもある。
出発点(アブラハム)と絶頂点(ダビデ)と墜落点(バビロン捕囚民)の継承者イエス・キリストの系図。この意味でこの「系図」を書いた人は、「一つで二重の」ではなく「一つで三重の」系譜を継承していると考えているようでもある。二つでなく三つの点を並列(パラレル)に置いているようにも読める。
実際、次のように書かれている。「アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住(岩波訳「バビロン捕囚」)まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代」。これは歴史的事実を描いているというより(「十四」は完全数「七」の二倍)、等間隔の並列関係の強調ではないか。
《出発点》と《絶頂点》と《墜落点》を並列(パラレル)に継承するとは何を意味するか。何も意味しないか。こういう読み方は無意味か。言葉遊びのつもりはない。オランダ語共同訳を読んで「ダビデの子」が先で「アブラハムの子」が後になっている理由は何かを考えた。無駄な思索か。そうかもしれない。
しかし思い当たることはある。どんなことにも《出発点》と《絶頂点》と《墜落点》がある。政治や社会、会社や学校、家庭や仲間。そもそもの始めと、よかったときと、悪かったとき。健やかなときも、病むときも。それは直列(シリーズ)というより並列(パラレル)。すべて引き受けるキリストでどうだ。
たわごとで友人と盛り上がった。Q資料Q資料と言われ、「Q資料注解」の日本語版まで出版される状況だが、成立時期は初期パウロ書簡の執筆時期に近いと推定されるらしい。「それならQ資料はパウロが作成した説でどうだ。名前はパウロのPをつけてQP(キューピー)資料で」という話になって笑った。
後者の読み方が正しいとすれば、この文章を書いた人はἸησοῦ Χριστοῦ(イエス・キリスト)が「ダビデの子」(原文ではこちらが先に記されている)と「アブラハムの子」(こちらは後に記されている)との「一つで二重の」系譜を継承していると考えているのではないかと、私には感じられる。
オランダ新共同訳(Groot Nieuws Bijbel)は原文どおり「ダビデの子」(nakomeling van David)を先に、「アブラハムの子」(nakomeling van Abraham)を後に訳す。両者(ダビデの子とアブラハムの子)は並列(パラレル)の関係にある。
「ダビデの子」と「アブラハムの子」が並列(パラレル)の関係にあると言う意味は直列(シリーズ)の関係ではないと言うことでは必ずしもない。時系列の順序でいえば「アブラハム」が先で「ダビデ」は後なので、その意味では両者の関係は直列(シリーズ)の関係にある。それまで否定するつもりはない。
しかし、もしオランダ新共同訳のように理解してよいなら、Βίβλος γενέσεως Ἰησοῦ Χριστοῦ υἱοῦ Δαυὶδ υἱοῦ Ἀβραάμは「ダビデの子でもアブラハムの子でもあるイエス・キリストの系図」と訳せるはずだ。アブラハムは出発点でダビデは政治的絶頂点。
しかも、この「系図」(Βίβλος γενέσεως)は「バビロン捕囚」(μετοικεσίας Βαβυλῶνος)を3度(11節、12節、17節)繰り返して強調している。ダビデが絶頂点であるなら、バビロン捕囚は墜落点であろう。イエス・キリストは「バビロン捕囚民の子」でもある。
出発点(アブラハム)と絶頂点(ダビデ)と墜落点(バビロン捕囚民)の継承者イエス・キリストの系図。この意味でこの「系図」を書いた人は、「一つで二重の」ではなく「一つで三重の」系譜を継承していると考えているようでもある。二つでなく三つの点を並列(パラレル)に置いているようにも読める。
実際、次のように書かれている。「アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住(岩波訳「バビロン捕囚」)まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代」。これは歴史的事実を描いているというより(「十四」は完全数「七」の二倍)、等間隔の並列関係の強調ではないか。
《出発点》と《絶頂点》と《墜落点》を並列(パラレル)に継承するとは何を意味するか。何も意味しないか。こういう読み方は無意味か。言葉遊びのつもりはない。オランダ語共同訳を読んで「ダビデの子」が先で「アブラハムの子」が後になっている理由は何かを考えた。無駄な思索か。そうかもしれない。
しかし思い当たることはある。どんなことにも《出発点》と《絶頂点》と《墜落点》がある。政治や社会、会社や学校、家庭や仲間。そもそもの始めと、よかったときと、悪かったとき。健やかなときも、病むときも。それは直列(シリーズ)というより並列(パラレル)。すべて引き受けるキリストでどうだ。
たわごとで友人と盛り上がった。Q資料Q資料と言われ、「Q資料注解」の日本語版まで出版される状況だが、成立時期は初期パウロ書簡の執筆時期に近いと推定されるらしい。「それならQ資料はパウロが作成した説でどうだ。名前はパウロのPをつけてQP(キューピー)資料で」という話になって笑った。
2016年11月13日日曜日
神があなたと共に苦悶する(豊島岡教会南花島集会所)
ローマの信徒への手紙8章26~27節
関口 康(日本基督教団教務教師)
「同様に、”霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです」
おはようございます。今日初めて南花島集会所の主日礼拝で説教させていただきます。日本基督教団教務教師の関口康です。高等学校で聖書を教える教員として働かせていただいています。よろしくお願いいたします。
カレンダーに書き残したメモを確認しましたところ、私が南花島集会所の礼拝に初めて出席させていただいたのは今年6月26日日曜日であったことが分かりました。わずか5ヶ月前です。当時の状況を忘れていましたが、これもまたカレンダーで確認しましたところ、その前々日の6月24日金曜日とその翌日の6月25日土曜日の二日間が、私の勤務校の文化祭でした。
他の学校でも同じだと思いますが、勤務校の文化祭は、生徒の自主性を重んじて行っています。その意味では、文化祭の期間は、生徒会担当の先生がたはともかく、それ以外の先生にとっては気楽な面があると思います。しかしそれでも、いろいろと気疲れするところはありました。文化祭が終わった翌日の日曜日の朝の私は「ああ疲れた」という気分でした。
隠すほどのことではありませんので、正直に言います。あの日の朝、私は教会の礼拝を休もうかと、家でぎりぎりまで迷っていました。文化祭との関係だけではありません。教会の牧師の仕事をやめて学校の教員になったのが今年4月ですから、6月26日はようやく3ヶ月を経たばかりの頃でした。
まさに文字通り、右も左も分からない。生徒からも先生からも学校のことについて何を尋ねられても答えられない。自分のなすべきこと語るべきことを把握できない。実際にいろいろと失敗して迷惑をかけてしまう。そういう状態でした。今もその状態が続いているとも言えますが、当時よりは少し慣れました。
それでも私は、何のプライドなのでしょうか、その日、かなり無理やり自分の体を打ちたたいて、とにかく車に乗り込み、エンジンをスタートさせ、車を動かしました。私はキリスト者であり、牧師である。その私が日曜日に教会に行かないことはありえない。どんなに疲れていようと、なにがなんでも、どこかの教会に行かなくてはならないという気持ちでした。しかしその日どこの教会に行くかが決まっていませんでした。
そういうときは地図を開いてコンパスを使って物理的な距離が最も近い教会に行けばいいと、私は長年いろんな人にそのように助言してきました。人にそう教えてきたのだから私もそうしようと思いました。しかしふと気づく。家からの距離が最短の教会の礼拝開始時刻は「午前10時15分」。もう間に合わないと思いました。私が車を動かしたときが午前10時過ぎになっていましたので。牧師である私が教会の礼拝に遅刻して行くことなどありえない。そう思って、遅刻しそうな教会に行くのはあきらめました。
しかしその後、行く宛てもなく松戸市内を20分ほどぐるぐる回っていました。それで私の目に飛び込んできたのが、国道6号沿いに大きく張り出されている「日本キリスト教団豊島岡教会南花島集会所」の看板でした。
松戸市で生活した11年9ヶ月の間、国道6号は、毎日のように(というのはやや大げさですが)車で走っていましたので、この看板の前を通るたびに拝見していました。しかし、よほどのことでもないかぎり、中に入るきっかけはありませんでした。昨年末までは他教派の人間でしたし。
しかし、なんとか教会にたどり着きました。礼拝開始時刻「10時30分」。私が着いたのが10時28分。2分前でした。遅刻しないで出席できる礼拝は、その日はここだけでした。選択肢がなくなりました。受付で「新来者カード」を書かせていただき、礼拝堂に飛び込んだとき、ちょうど礼拝が始まりました。
その日の説教者は、安増幸子先生でした。全くの初対面ではありませんでした。その前に2回、松戸朝祷会でお目にかかったことがありました。しかし、申し訳ないことに、私はその日まで安増先生を牧師であるとは認識していませんでした。どこかの教会の役員の方かなと思っていました。他教派の人間でしたので、日本基督教団の教師がどなたであるかを知らなかったという意味です。
あの日、安増先生はとても力強い説教をしてくださいました。そのことに感動しました。そして、礼拝後の愛餐会のとき、皆さまからこの教会がどのようにしてできたかを教えていただいて、とても驚きました。
この南花島集会所の皆さまは、私の父が千葉大学園芸学部の学生だったとき、賀川豊彦先生の伝道集会に参加して初めてキリスト教を知り、その後洗礼を受けた日本基督教団松戸教会と強く深い関係にある教会であるということを、あの日初めて知りました。私の信仰のルーツにたどり着くことができました。そのことを知って腰が抜けました。
私の個人的な話をだらだら続けてしまいましたことをお許しください。いまお話ししていることの趣旨は、私は今日なぜこの教会で説教壇に立たせていただいているかの説明のつもりです。
今の私は、高等学校で聖書を教える仕事をしています。教会の牧師の仕事はしていません。日曜日がフリーです。だから私に説教を依頼していただけたという面があることはもちろん分かります。それ以上のことを私は、声を大にして自己主張するつもりはありません。しかし、100パーセント私の主観だけから言わせていただくのをお許しいただけば、私が今ここに立っているのは「神の導き」であるとしか表現のしようがありません。他の言葉が見つかりません。
さて、今日を含めて3回、皆さまから説教のご依頼をいただきました。1回めが今日、11月13日。2回目は来年1月8日。3回目は2月12日。どのような説教をさせていただくかをいろいろと考えて至った結論は、3回に分けてローマの信徒への手紙8章の26節から36節までを学ばせていただきましょうということでした。
なぜこの箇所なのかということは、説明できないわけではありませんが、次回お話しします。ただこの箇所は、聖書全体においても新約聖書においても最も有名な箇所のひとつであることは、間違いありません。なかでも28節の御言葉が有名です。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(28節)。
さらっと書かれていますが、考えれば考えるほど深みにはまる謎めいた言葉です。「神を愛する人」と「神の計画に基づいて集められた人」がどうつながるのかは謎めいています。人が神を愛することのほうが先なのか、それとも神の計画が先なのかと考えていくと、「卵が先か、鶏が先か」を争う鶏卵論争にも似た様相の議論になっていきます。
さて、ここからやっと今日の箇所の解説にたどり着きます。しかし今日はすでにだいぶ長くお話ししましたので、もうすぐ終わりにします。学校の授業の場合はチャイムが鳴りますので、長い授業はできません。話が途中でも強制終了。教会の礼拝にもチャイムがあるほうがいいと思います。説教の途中でも強制終了。
それでは今から、今日の聖書の箇所に書かれていることの主旨を手短に申し上げます。
「霊」の意味は端的に「神」です。新共同訳聖書の凡例の「三(2)」に次のような断り書きがあります。「新約聖書において、底本の字義どおり『霊』と訳した箇所のうち、『聖霊』あるいは『神の霊』『主の霊』が意味されていると思われる場合には前後に””(ダブルクオーテーション)を付けた」。
「聖霊」は、わたしたちにとって端的に「神」です。「三位一体の教義が教会で定められたのは、パウロがこの手紙を書いたときよりずっと後の時代である」という言い逃れは通用しません。歴史的事実はそのとおりです。しかし、三位一体の教義を定めた教会が考えたのは聖書の読み方です。わたしたち教会はその教義を受け継ぐ責任がありますし、そのように聖書を読む必要があります。
そういうわけですので、今日の箇所に「”霊”」と書かれているところはすべて「聖霊」、そして端的に「神」と言い換えることができます。
それでは今からすべてをそのように言い換えてみます。
「『神』も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、『神』自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、『神』の思いが何であるかを知っておられます。『神』は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」
もちろん、ただ単純に言い換えただけでは意味不明のところが出てきます。しかし、この言い換えだけで分かることがあります。
「わたしたちはどう祈るべきかを知らない」という場合の「わたしたち」は「人間」です。人間は弱いので、何かひどい目にあったり混乱したりしていると絶句します。言葉を失います。祈りの言葉さえ失ってしまいます。それはそのとおりです。
しかしそれでは、その弱い人間であるわたしたちを助けてくださる「神」である「霊」は、わたしたち人間とは違ってとても強い方なので、祈りの言葉を失うどころか力強く明確な言葉を雄弁に語る、そのような方であるとパウロが書いているかというと、全くそうではないということです。
先ほど「霊」を「神」と言い換えました。「『神』自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」と。「言葉に表せないうめき」というのは、痛みや苦しみをこらえているときに出てくる苦悶の声です。場合によっては絶叫を伴います。妊産婦が出産のときに上げる声がそれです。それは、力強く明確な言葉を雄弁に語ることの正反対です。
「霊」がそのようなうめき声を上げると、パウロは書いています。この「霊」は神です。そしてここから先は私の考えです。他の牧師は言わないことかもしれません。
この「霊」は「聖霊」です。その「聖霊」は「キリストの霊」であるだけでなく「父なる神の霊」でもあることを無視してはなりません。「父、子、聖霊なる三位一体の神」ですから。「聖霊は御父と御子から発出」しますから。
別の言い方をすれば、わたしたちを執り成してくださる「神」のうめき声は、イエス・キリストの十字架上の絶叫だけではないということです。それは、父なる神御自身のうめき声でもあります。
聖書の神は《弱い神》です。祈りの言葉さえ失うほど悩み苦しんでいる人々に向かって力強く明確な言葉を雄弁に語る神ではない。全くそうではなく、むしろその反対に、わたしたちと一緒に言葉を失い、うめく神です。弱くて情けない神です。「もっとしっかりしてくださいよ!」と文句を言いたくなるほど、まるで弱い神です。
しかし、その《弱い神》にこそ、わたしたちは深い慰めを得てきました。神は弱い人間を大声で怒鳴りつけて、強制的にひとつの方向性に導こうとしません。神はそのような強引な専制君主ではありません。弱いのはイエス・キリストだけではなく、父なる神も弱いのです。わたしたちの父は、弱く優しく寄り添ってくださり、わたしたちと共に苦悶してくださる神です。
(2016年11月13日、日本基督教団豊島岡教会南花島集会所 主日礼拝)
関口 康(日本基督教団教務教師)
「同様に、”霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです」
おはようございます。今日初めて南花島集会所の主日礼拝で説教させていただきます。日本基督教団教務教師の関口康です。高等学校で聖書を教える教員として働かせていただいています。よろしくお願いいたします。
カレンダーに書き残したメモを確認しましたところ、私が南花島集会所の礼拝に初めて出席させていただいたのは今年6月26日日曜日であったことが分かりました。わずか5ヶ月前です。当時の状況を忘れていましたが、これもまたカレンダーで確認しましたところ、その前々日の6月24日金曜日とその翌日の6月25日土曜日の二日間が、私の勤務校の文化祭でした。
他の学校でも同じだと思いますが、勤務校の文化祭は、生徒の自主性を重んじて行っています。その意味では、文化祭の期間は、生徒会担当の先生がたはともかく、それ以外の先生にとっては気楽な面があると思います。しかしそれでも、いろいろと気疲れするところはありました。文化祭が終わった翌日の日曜日の朝の私は「ああ疲れた」という気分でした。
隠すほどのことではありませんので、正直に言います。あの日の朝、私は教会の礼拝を休もうかと、家でぎりぎりまで迷っていました。文化祭との関係だけではありません。教会の牧師の仕事をやめて学校の教員になったのが今年4月ですから、6月26日はようやく3ヶ月を経たばかりの頃でした。
まさに文字通り、右も左も分からない。生徒からも先生からも学校のことについて何を尋ねられても答えられない。自分のなすべきこと語るべきことを把握できない。実際にいろいろと失敗して迷惑をかけてしまう。そういう状態でした。今もその状態が続いているとも言えますが、当時よりは少し慣れました。
それでも私は、何のプライドなのでしょうか、その日、かなり無理やり自分の体を打ちたたいて、とにかく車に乗り込み、エンジンをスタートさせ、車を動かしました。私はキリスト者であり、牧師である。その私が日曜日に教会に行かないことはありえない。どんなに疲れていようと、なにがなんでも、どこかの教会に行かなくてはならないという気持ちでした。しかしその日どこの教会に行くかが決まっていませんでした。
そういうときは地図を開いてコンパスを使って物理的な距離が最も近い教会に行けばいいと、私は長年いろんな人にそのように助言してきました。人にそう教えてきたのだから私もそうしようと思いました。しかしふと気づく。家からの距離が最短の教会の礼拝開始時刻は「午前10時15分」。もう間に合わないと思いました。私が車を動かしたときが午前10時過ぎになっていましたので。牧師である私が教会の礼拝に遅刻して行くことなどありえない。そう思って、遅刻しそうな教会に行くのはあきらめました。
しかしその後、行く宛てもなく松戸市内を20分ほどぐるぐる回っていました。それで私の目に飛び込んできたのが、国道6号沿いに大きく張り出されている「日本キリスト教団豊島岡教会南花島集会所」の看板でした。
松戸市で生活した11年9ヶ月の間、国道6号は、毎日のように(というのはやや大げさですが)車で走っていましたので、この看板の前を通るたびに拝見していました。しかし、よほどのことでもないかぎり、中に入るきっかけはありませんでした。昨年末までは他教派の人間でしたし。
しかし、なんとか教会にたどり着きました。礼拝開始時刻「10時30分」。私が着いたのが10時28分。2分前でした。遅刻しないで出席できる礼拝は、その日はここだけでした。選択肢がなくなりました。受付で「新来者カード」を書かせていただき、礼拝堂に飛び込んだとき、ちょうど礼拝が始まりました。
その日の説教者は、安増幸子先生でした。全くの初対面ではありませんでした。その前に2回、松戸朝祷会でお目にかかったことがありました。しかし、申し訳ないことに、私はその日まで安増先生を牧師であるとは認識していませんでした。どこかの教会の役員の方かなと思っていました。他教派の人間でしたので、日本基督教団の教師がどなたであるかを知らなかったという意味です。
あの日、安増先生はとても力強い説教をしてくださいました。そのことに感動しました。そして、礼拝後の愛餐会のとき、皆さまからこの教会がどのようにしてできたかを教えていただいて、とても驚きました。
この南花島集会所の皆さまは、私の父が千葉大学園芸学部の学生だったとき、賀川豊彦先生の伝道集会に参加して初めてキリスト教を知り、その後洗礼を受けた日本基督教団松戸教会と強く深い関係にある教会であるということを、あの日初めて知りました。私の信仰のルーツにたどり着くことができました。そのことを知って腰が抜けました。
私の個人的な話をだらだら続けてしまいましたことをお許しください。いまお話ししていることの趣旨は、私は今日なぜこの教会で説教壇に立たせていただいているかの説明のつもりです。
今の私は、高等学校で聖書を教える仕事をしています。教会の牧師の仕事はしていません。日曜日がフリーです。だから私に説教を依頼していただけたという面があることはもちろん分かります。それ以上のことを私は、声を大にして自己主張するつもりはありません。しかし、100パーセント私の主観だけから言わせていただくのをお許しいただけば、私が今ここに立っているのは「神の導き」であるとしか表現のしようがありません。他の言葉が見つかりません。
さて、今日を含めて3回、皆さまから説教のご依頼をいただきました。1回めが今日、11月13日。2回目は来年1月8日。3回目は2月12日。どのような説教をさせていただくかをいろいろと考えて至った結論は、3回に分けてローマの信徒への手紙8章の26節から36節までを学ばせていただきましょうということでした。
なぜこの箇所なのかということは、説明できないわけではありませんが、次回お話しします。ただこの箇所は、聖書全体においても新約聖書においても最も有名な箇所のひとつであることは、間違いありません。なかでも28節の御言葉が有名です。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(28節)。
さらっと書かれていますが、考えれば考えるほど深みにはまる謎めいた言葉です。「神を愛する人」と「神の計画に基づいて集められた人」がどうつながるのかは謎めいています。人が神を愛することのほうが先なのか、それとも神の計画が先なのかと考えていくと、「卵が先か、鶏が先か」を争う鶏卵論争にも似た様相の議論になっていきます。
さて、ここからやっと今日の箇所の解説にたどり着きます。しかし今日はすでにだいぶ長くお話ししましたので、もうすぐ終わりにします。学校の授業の場合はチャイムが鳴りますので、長い授業はできません。話が途中でも強制終了。教会の礼拝にもチャイムがあるほうがいいと思います。説教の途中でも強制終了。
それでは今から、今日の聖書の箇所に書かれていることの主旨を手短に申し上げます。
「霊」の意味は端的に「神」です。新共同訳聖書の凡例の「三(2)」に次のような断り書きがあります。「新約聖書において、底本の字義どおり『霊』と訳した箇所のうち、『聖霊』あるいは『神の霊』『主の霊』が意味されていると思われる場合には前後に””(ダブルクオーテーション)を付けた」。
「聖霊」は、わたしたちにとって端的に「神」です。「三位一体の教義が教会で定められたのは、パウロがこの手紙を書いたときよりずっと後の時代である」という言い逃れは通用しません。歴史的事実はそのとおりです。しかし、三位一体の教義を定めた教会が考えたのは聖書の読み方です。わたしたち教会はその教義を受け継ぐ責任がありますし、そのように聖書を読む必要があります。
そういうわけですので、今日の箇所に「”霊”」と書かれているところはすべて「聖霊」、そして端的に「神」と言い換えることができます。
それでは今からすべてをそのように言い換えてみます。
「『神』も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、『神』自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、『神』の思いが何であるかを知っておられます。『神』は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」
もちろん、ただ単純に言い換えただけでは意味不明のところが出てきます。しかし、この言い換えだけで分かることがあります。
「わたしたちはどう祈るべきかを知らない」という場合の「わたしたち」は「人間」です。人間は弱いので、何かひどい目にあったり混乱したりしていると絶句します。言葉を失います。祈りの言葉さえ失ってしまいます。それはそのとおりです。
しかしそれでは、その弱い人間であるわたしたちを助けてくださる「神」である「霊」は、わたしたち人間とは違ってとても強い方なので、祈りの言葉を失うどころか力強く明確な言葉を雄弁に語る、そのような方であるとパウロが書いているかというと、全くそうではないということです。
先ほど「霊」を「神」と言い換えました。「『神』自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」と。「言葉に表せないうめき」というのは、痛みや苦しみをこらえているときに出てくる苦悶の声です。場合によっては絶叫を伴います。妊産婦が出産のときに上げる声がそれです。それは、力強く明確な言葉を雄弁に語ることの正反対です。
「霊」がそのようなうめき声を上げると、パウロは書いています。この「霊」は神です。そしてここから先は私の考えです。他の牧師は言わないことかもしれません。
この「霊」は「聖霊」です。その「聖霊」は「キリストの霊」であるだけでなく「父なる神の霊」でもあることを無視してはなりません。「父、子、聖霊なる三位一体の神」ですから。「聖霊は御父と御子から発出」しますから。
別の言い方をすれば、わたしたちを執り成してくださる「神」のうめき声は、イエス・キリストの十字架上の絶叫だけではないということです。それは、父なる神御自身のうめき声でもあります。
聖書の神は《弱い神》です。祈りの言葉さえ失うほど悩み苦しんでいる人々に向かって力強く明確な言葉を雄弁に語る神ではない。全くそうではなく、むしろその反対に、わたしたちと一緒に言葉を失い、うめく神です。弱くて情けない神です。「もっとしっかりしてくださいよ!」と文句を言いたくなるほど、まるで弱い神です。
しかし、その《弱い神》にこそ、わたしたちは深い慰めを得てきました。神は弱い人間を大声で怒鳴りつけて、強制的にひとつの方向性に導こうとしません。神はそのような強引な専制君主ではありません。弱いのはイエス・キリストだけではなく、父なる神も弱いのです。わたしたちの父は、弱く優しく寄り添ってくださり、わたしたちと共に苦悶してくださる神です。
(2016年11月13日、日本基督教団豊島岡教会南花島集会所 主日礼拝)
2016年11月12日土曜日
「説教準備」に奔走した一日でした
オフ日の朝5時に自然に起床し、聖書の言葉を思い起こしつつ今後の人生と財布の中身を心配しながらお祈りし(これをデヴォーションと呼んでよいか)朝風呂につかり、これからスーツを預けるクリーニング店と血圧降下剤を処方してもらうために病院に行こうとしている(これを説教準備と呼んでよいか)。
ばらして悪いことはないと思うので書けば、今週前半あることで慶應義塾大学三田キャンパスに行き、実際に講義が行われている一つの教室に入らせてもらった。黒板ではなくホワイトボードだったが、学生が座る椅子と机は公立小中学校で使われているような普通の机椅子セットだったのが妙に興味深かった。
オフ日の今日午前中「説教準備」に奔走したが、昼過ぎに帰宅できた。帰宅予定時刻も行き先も告げず黙って出かけたことを申し訳なく思い、昼食は自分で何かをと、カレーパンを1個買って帰宅したが、極上のペペロンチーノを私の分もちゃんと作ってもらえていたので、家族はありがたいとつくづく思った。
誤解ないよう書くが、今日の午前中そのために奔走した「説教準備」とは、チョーク粉ですっかり変色した背広とネクタイをクリーニングに出し、ボロボロになった黒靴を半年ぶりに新調し、ボサボサになった髪を3ヶ月ぶりに切ってもらい、残り1錠になった血圧降下剤の続きの分を受けとることを意味する。
会計報告(2016年11月12日土曜日)
クリーニング 993円
黒靴 1598円
理髪 1080円
病院 1460円
薬局 770円
カレーパン 113円
計 6024円
「見よ、すべてが新しくなった!」
いま30分ほど書斎の座椅子に座ったまま居眠りしていた間、夢を見ていた。その内容は、私のネット利用のあり方について厳しく尋問される夢だった。その夢の私は、なんだか必死で「私いまでもガラケーでフェイスブックをやってるんですってば。ほらこれ見てくださいよこれ」とガラケーをかざしていた。
今夜は久しぶりに家族で外食。もう何年来かの行きつけになっている、柏らーめんファイトグランプリに2年連続で輝いた柏市内でいちおし人気の豚骨ラーメン店「ラーメン専科めん吉」さん(柏市南柏)に行く。私は辛ねぎラーメンをいただいた。マー油(焦がしにんにく油)が利いている。ひたすらうまい!
固定電話を置かず、腕時計をつけず、紙の新聞を購読しない生活が長い。ゲーム機は捨てたし、家庭有料テレビは利用したことがない。それで家族の誰も困っていない。ネットとケータイで私は十分。大事なことは「友達」が教えてくれる。移動中の音楽はカーステ。欲しいのは本棚だけ。もう少し、あと少し。
ばらして悪いことはないと思うので書けば、今週前半あることで慶應義塾大学三田キャンパスに行き、実際に講義が行われている一つの教室に入らせてもらった。黒板ではなくホワイトボードだったが、学生が座る椅子と机は公立小中学校で使われているような普通の机椅子セットだったのが妙に興味深かった。
オフ日の今日午前中「説教準備」に奔走したが、昼過ぎに帰宅できた。帰宅予定時刻も行き先も告げず黙って出かけたことを申し訳なく思い、昼食は自分で何かをと、カレーパンを1個買って帰宅したが、極上のペペロンチーノを私の分もちゃんと作ってもらえていたので、家族はありがたいとつくづく思った。
誤解ないよう書くが、今日の午前中そのために奔走した「説教準備」とは、チョーク粉ですっかり変色した背広とネクタイをクリーニングに出し、ボロボロになった黒靴を半年ぶりに新調し、ボサボサになった髪を3ヶ月ぶりに切ってもらい、残り1錠になった血圧降下剤の続きの分を受けとることを意味する。
会計報告(2016年11月12日土曜日)
クリーニング 993円
黒靴 1598円
理髪 1080円
病院 1460円
薬局 770円
カレーパン 113円
計 6024円
「見よ、すべてが新しくなった!」
いま30分ほど書斎の座椅子に座ったまま居眠りしていた間、夢を見ていた。その内容は、私のネット利用のあり方について厳しく尋問される夢だった。その夢の私は、なんだか必死で「私いまでもガラケーでフェイスブックをやってるんですってば。ほらこれ見てくださいよこれ」とガラケーをかざしていた。
今夜は久しぶりに家族で外食。もう何年来かの行きつけになっている、柏らーめんファイトグランプリに2年連続で輝いた柏市内でいちおし人気の豚骨ラーメン店「ラーメン専科めん吉」さん(柏市南柏)に行く。私は辛ねぎラーメンをいただいた。マー油(焦がしにんにく油)が利いている。ひたすらうまい!
固定電話を置かず、腕時計をつけず、紙の新聞を購読しない生活が長い。ゲーム機は捨てたし、家庭有料テレビは利用したことがない。それで家族の誰も困っていない。ネットとケータイで私は十分。大事なことは「友達」が教えてくれる。移動中の音楽はカーステ。欲しいのは本棚だけ。もう少し、あと少し。
明日は松戸市内の日本基督教団の教会で説教します
明日(2016年11月13日日曜日)は日本基督教団豊島岡教会南花島集会所(千葉県松戸市南花島4-11-17)の主日礼拝で初めて説教させていただきます。国道6号線沿いの教会です。新京成線上本郷駅から徒歩9分(800m)、JR松戸駅から徒歩16分(1.2km)。ぜひおいでください。
日時 2016年11月13日(日)午前10時30分より
場所 日本基督教団豊島岡教会南花島集会所(地図)
説教 「神があなたと共に苦悶する」
聖書 ローマの信徒への手紙8章26~27節(新共同訳)
賛美 讃美歌21(日本基督教団出版局)
説教者 関口 康(日本基督教団教務教師)
日時 2016年11月13日(日)午前10時30分より
場所 日本基督教団豊島岡教会南花島集会所(地図)
説教 「神があなたと共に苦悶する」
聖書 ローマの信徒への手紙8章26~27節(新共同訳)
賛美 讃美歌21(日本基督教団出版局)
説教者 関口 康(日本基督教団教務教師)
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2016年11月6日日曜日
新松戸幸谷教会の主日礼拝に出席しました
今日(2016年11月6日日曜日)は日本基督教団新松戸幸谷教会(千葉県松戸市新松戸2-169)の主日礼拝に出席しました。JR新松戸駅から徒歩8分(650m)。吉田好里牧師の説教は今日も本当に素晴らしかったです。聖餐式にも与ることを許され、心満たされました。ありがとうございました!
2016年11月5日土曜日
創立70周年記念行事を行いました
今日(2016年11月5日土曜日)は勤務校の創立70周年記念行事(記念礼拝、祝賀会、同窓会総会)を行いました。ご列席いただいたご来賓の方々ならびに同窓生の皆さまに、教員のひとりとして心から感謝いたします。勤務校の生徒と教職員のために引き続きお祈りとご支援をいただけますと幸いです。
2016年11月3日木曜日
日本基督教団が「嫌いでない」理由
今春(2016年3月)受験した日本基督教団教師転入試験の課題論文のテーマは「教団の教師になるにあたっての所信」。個人的なことを縷々綴ったので全文を公開することは控えている。ただ私はその中に次の一文を書いた。
「今の私にとって、日本基督教団に転入させていただくことの意味は、日本基督教団の中の特定のグループヘの転入ではありえないと考えています。今書かせていただいたこの点こそが、この論文において私に問われている『教団の教師になるにあたっての所信』の核心部分です。」
幸か不幸か分からないが、半世紀も生きてき、かつ半世紀もキリスト教の教会に通い続けた人間の矜持として、心にもないことは書かないし、書くことができない心性の持ち主にされている。それがいろんな面で災いすることが多々なきにしもあらずで、自分で手を焼いているところでもあるが、やむをえない。
日本語で「立派になる」とは「派閥の領袖になること」を意味すると、尊敬する先生からつい数日前に教えていただいたばかりだ。くだらない。そんな「立派」な人にはなりたくない。派閥を無くせば事が足りると考えているわけではない。「私は」そういうことには全く興味がないと、ただ言っているだけだ。
「日本基督教団」のことが嫌いでないのは(「好き」と書けよ)「そういう人」が多いところだったりする。「派閥の領袖になること」を意味するらしい「立派」な人になることに興味がないし、憎んでいさえする人が多いことを、大昔から知っている。小さなサル山ほどボスになりたがる。なれると思い込む。
その意味では私にとって「日本基督教団」は改めての安住の地でありうる。「天国」とも「神の国」とも思わないが(厳密な神学的分析において)、先に書いた意味での「立派」な人が見当たらない。「普通」の人が大きな責任を負っておられる。それのほうがキリスト教の教会らしい。それが現時点の結論だ。
「今の私にとって、日本基督教団に転入させていただくことの意味は、日本基督教団の中の特定のグループヘの転入ではありえないと考えています。今書かせていただいたこの点こそが、この論文において私に問われている『教団の教師になるにあたっての所信』の核心部分です。」
幸か不幸か分からないが、半世紀も生きてき、かつ半世紀もキリスト教の教会に通い続けた人間の矜持として、心にもないことは書かないし、書くことができない心性の持ち主にされている。それがいろんな面で災いすることが多々なきにしもあらずで、自分で手を焼いているところでもあるが、やむをえない。
日本語で「立派になる」とは「派閥の領袖になること」を意味すると、尊敬する先生からつい数日前に教えていただいたばかりだ。くだらない。そんな「立派」な人にはなりたくない。派閥を無くせば事が足りると考えているわけではない。「私は」そういうことには全く興味がないと、ただ言っているだけだ。
「日本基督教団」のことが嫌いでないのは(「好き」と書けよ)「そういう人」が多いところだったりする。「派閥の領袖になること」を意味するらしい「立派」な人になることに興味がないし、憎んでいさえする人が多いことを、大昔から知っている。小さなサル山ほどボスになりたがる。なれると思い込む。
その意味では私にとって「日本基督教団」は改めての安住の地でありうる。「天国」とも「神の国」とも思わないが(厳密な神学的分析において)、先に書いた意味での「立派」な人が見当たらない。「普通」の人が大きな責任を負っておられる。それのほうがキリスト教の教会らしい。それが現時点の結論だ。
私が見る悪夢にはたいていいつも出口がある
長年の準備期間には関与せず批判的・揶揄的であったような人が、あとから来て、まるで自分ですべてを築いた人然としているのを見ると二の句が継げない。不愉快としか言えない。でも、それはお互いさまかもしれないと黙するばかり。神がそのあり方をお許しになっているようでもあるので困惑するばかり。
つなぎ方が強引かどうかは分からないが、ファリサイが異邦の人を嫌がった理由に「あとのもの」が「先のもの」を追い越すのを嫌がった点はある。共感も同意もしないが、構図的に全く似ていないとも言わない。主導権争いなんかどうでもいい。ただ、お互いに謙遜であるほうがいいのにとは思う。後の祭り。
そして、どちらが「先」でどちらが「あと」かは謎であり続けることでもある。人の苦労の多寡も比較できない。レールを敷いた人と、敷かれたレールを走る人と。私はほぼいつも後者であることを強いられた。「強いられた」とあえて書く。誰も強いていないと言われよう。たしかにそうだ。強いたのは神だ。
恨んではいないが(いや恨んでいる)困ってはいる。人にではなく(いや人にも)神に。そして、心配もしている。余計なお世話かもしれない。しかし、心配せずにはいられない。あなたはなぜそこまであなたなのか。それでいいとどうして思えるのか。ここから先はお互いさまなので、祈りつつ黙するばかり。
という理屈っぽい悪夢にうなされた(ことにしておく)。夢オチという手法は有効だ。何があっても生きていくために、前に進んでいくために、いい夢を見ようと悪夢だろうと、よく眠ることが大切。私が見る悪夢にはたいていいつも出口がある。堂々めぐりで終わらない。神学を学んだおかげだと書いておく。
つなぎ方が強引かどうかは分からないが、ファリサイが異邦の人を嫌がった理由に「あとのもの」が「先のもの」を追い越すのを嫌がった点はある。共感も同意もしないが、構図的に全く似ていないとも言わない。主導権争いなんかどうでもいい。ただ、お互いに謙遜であるほうがいいのにとは思う。後の祭り。
そして、どちらが「先」でどちらが「あと」かは謎であり続けることでもある。人の苦労の多寡も比較できない。レールを敷いた人と、敷かれたレールを走る人と。私はほぼいつも後者であることを強いられた。「強いられた」とあえて書く。誰も強いていないと言われよう。たしかにそうだ。強いたのは神だ。
恨んではいないが(いや恨んでいる)困ってはいる。人にではなく(いや人にも)神に。そして、心配もしている。余計なお世話かもしれない。しかし、心配せずにはいられない。あなたはなぜそこまであなたなのか。それでいいとどうして思えるのか。ここから先はお互いさまなので、祈りつつ黙するばかり。
という理屈っぽい悪夢にうなされた(ことにしておく)。夢オチという手法は有効だ。何があっても生きていくために、前に進んでいくために、いい夢を見ようと悪夢だろうと、よく眠ることが大切。私が見る悪夢にはたいていいつも出口がある。堂々めぐりで終わらない。神学を学んだおかげだと書いておく。
久しぶりの休日に、ただ祈り続ける
今日は久しぶりの休日なので、目覚ましアラームをセットしないでねたのに、いつもと同じ時刻に目が覚め、いつもと同じようにゴミ出しをする。生活のリズムが崩れるとかえって負担になる気がする。生活のリズムなどあったためしがない教会の牧師をしていたときとはずいぶんな様態変化。モードチェンジ。
私が日本キリスト改革派教会教師だったのは17年半。その間、神戸改革派神学校の紀要『改革派神学』に掲載された拙文は4(論文2、研究ノート1、書評1)。日本基督教団改革長老教会協議会が発行する『季刊教会』に掲載された拙文は7(小論2、講演録1、書評3、翻訳1)。後者のほうが多かった。
前者『改革派神学』に掲載された拙文4のうちの論文2は、こちらから持ち込んで載せていただいた。後者『季刊教会』に掲載された拙文7の中の翻訳1を除く6は、同誌編集部から執筆依頼をいただいて書いた。自分で強く意識していたわけではない。しかし、ふり返ってみれば私の当時の立ち位置が分かる。
誤解されたくないのは、日本キリスト改革派教会に教師として在籍していたときの私は、いざとなったらいつでも日本基督教団に戻ることができると考えていたわけではないということだ。出入り自由だと思っていたわけではない。しかし、押し戻された。神に戻れと命ぜられた。そうとしか表現しようがない。
鋭い方向けに書くが、牧師たちが自分の進退について神の名を持ち出すのは、権威づけや事実隠蔽の場合がないわけではない。私の場合は全くそうでないとは言わない。ただ、それ以上問われても困る場合、深く掘り下げないでほしい場合、第三者的好奇心をもつ人々の前に、神が敢然と立ちはだかってくれる。
しかし、これも誤解されたくないが、私は日本基督教団に「嫌々ながら」戻ってきたわけではない。そんな失礼な話があるか。教団に対しても失礼だし、私に対しても失礼だ。どなたかが私のことをそう言ったと怒っているのではない。「嫌々ながら」教会の牧師は務まらないし、学校の教務教師も務まらない。
このように書くとヨナとニネベの関係を思い出す方がおられるかもしれないことも、なんとなく察しがつく。しかし、私はヨナではないし、日本基督教団はニネベではない(それは教団に失礼だ)。大きな魚の腹に飲み込まれたこともない。なんでも聖書のどこかに当てはめて考えればいいというものでもない。
ただ、いま強く深く私の神に祈っていることは、「あともう少し時間をください」ということだ。できればあと数年。その時間を神が与えてくださるかどうかは分からない。軟着陸であったとは言えず、私自身もまだリハビリ中でもある。もう少し、あと少し。ザードさんの歌のような話にだんだんなってきた。
私が日本キリスト改革派教会教師だったのは17年半。その間、神戸改革派神学校の紀要『改革派神学』に掲載された拙文は4(論文2、研究ノート1、書評1)。日本基督教団改革長老教会協議会が発行する『季刊教会』に掲載された拙文は7(小論2、講演録1、書評3、翻訳1)。後者のほうが多かった。
前者『改革派神学』に掲載された拙文4のうちの論文2は、こちらから持ち込んで載せていただいた。後者『季刊教会』に掲載された拙文7の中の翻訳1を除く6は、同誌編集部から執筆依頼をいただいて書いた。自分で強く意識していたわけではない。しかし、ふり返ってみれば私の当時の立ち位置が分かる。
誤解されたくないのは、日本キリスト改革派教会に教師として在籍していたときの私は、いざとなったらいつでも日本基督教団に戻ることができると考えていたわけではないということだ。出入り自由だと思っていたわけではない。しかし、押し戻された。神に戻れと命ぜられた。そうとしか表現しようがない。
鋭い方向けに書くが、牧師たちが自分の進退について神の名を持ち出すのは、権威づけや事実隠蔽の場合がないわけではない。私の場合は全くそうでないとは言わない。ただ、それ以上問われても困る場合、深く掘り下げないでほしい場合、第三者的好奇心をもつ人々の前に、神が敢然と立ちはだかってくれる。
しかし、これも誤解されたくないが、私は日本基督教団に「嫌々ながら」戻ってきたわけではない。そんな失礼な話があるか。教団に対しても失礼だし、私に対しても失礼だ。どなたかが私のことをそう言ったと怒っているのではない。「嫌々ながら」教会の牧師は務まらないし、学校の教務教師も務まらない。
このように書くとヨナとニネベの関係を思い出す方がおられるかもしれないことも、なんとなく察しがつく。しかし、私はヨナではないし、日本基督教団はニネベではない(それは教団に失礼だ)。大きな魚の腹に飲み込まれたこともない。なんでも聖書のどこかに当てはめて考えればいいというものでもない。
ただ、いま強く深く私の神に祈っていることは、「あともう少し時間をください」ということだ。できればあと数年。その時間を神が与えてくださるかどうかは分からない。軟着陸であったとは言えず、私自身もまだリハビリ中でもある。もう少し、あと少し。ザードさんの歌のような話にだんだんなってきた。
2016年11月2日水曜日
流行りものと宗教の関係(Ⅱ)
ほぼ同じことを別の言葉で言い換えただけだが、流行りもので宗教を表現する手段を英雄的に行使することが悪いわけがないが、それというのは自分の推しメンを強く推しているだけという面がないとは言えないわけだし、それというのはガチの楽屋落ちだし、きつくいえば「内輪の私物化」と言えなくもない。
ほんの一例、ほんのたとえば、今の高校生は「新世紀エヴァンゲリオンの比喩」を用いても「え、知らない。なんですかそれ。昔のアニメかなあ。何言われているか分からない放送事故」であることを、流行りもので宗教を表現したいと願っておられる宗教アーティストがたはお気づきになっているのだろうか。
「我々は宗教を『今』へと翻訳しえている。我々と比べて古ぼけた教会は淘汰されよ」とまるで勝ち誇ったことを言う人の古ぼけ感がぱねえ。口真似しているだけで中身変わらないなら(流行りもので「我々にきみたちへの敵意などない。ないない」と単に偽装した護教論を展開しているだけなら)意味はない。
息の長いアニメやマンガならいいのでは、という趣旨の意見をいただいたが、ドラえもんやサザエさんやアンパンマンやクレヨンしんちゃんなど、挙げられた例を見て思ったのは、「何十年も人気が続いている」素材はいわば必ず「何十年もアンチの人がいる」という裏面を背負っていたりもするということだ。
「見ていて当然」「知らないと恥ずかしい」と言われるほどの著名度になっていればいるほど、「だったら見ない」「見てたまるか」「同調圧力やめて」という反発を感じる人がおそらく必ずいる。NHKの連ドラも同じ。私は連ドラを見たことがない。「知っていて当然」のように引用されると困ってしまう。
それと、息の長いものを引用するといっても、実際の場面では、直近に放送されたテーマを引用するか、大昔に放送(マンガの場合は雑誌等に掲載)されたテーマを引用するかになるので、前者の場合は「見ていて当然」という同調圧力を感じる人が出てくるし、後者の場合は「知らない」「なにそれ」になる。
また、大規模な自然災害や凶悪事件などは別の扱いかもしれないが、時事問題や社会問題を「引用」する場合も、ある意味で同じことが言える。そもそもそれらは「引用」の対象なのかどうかという点がひとつ。ネタやマクラの扱いをすると当事者や当事者に近い人々から激怒される可能性があるという意味で。
「知っていて当然」「え、なんで知らないの」という態度で語られると「それ同調圧力」と嫌がる人々が出てくるという点が、ふたつめ。みっつめは、それらをとらえる観点や解釈の多様性にどこまで配慮できるか。「聖書的・キリスト教的解釈」を教会の説教に期待するというニードがあったのは、大昔の話。
教会に長年かかわってきた者は、老若男女の「人生プロセス」を「俯瞰」しうる。今の高校生を見ると、彼女/彼らが乳幼児だったころの姿を想像できるし、そのころどういうテレビやマンガを自分の子どもと一緒に見ていたかを思い出せる。「当時のそれ」を今の高校生がリアルタイムで見ていたわけがない。
ちなみに1965年11月生まれの私が初めて自分の目で見た記憶が残っているウルトラシリーズは「セブン」(1967年10月から放送開始。私は1歳11ヶ月)から。私と「セブン」の関係は、今の高校生(1年生は2001年生まれ)にとっての2003年以降のテレビドラマやアニメとの関係になる。
「とっとこハム太郎」は今の高校生が「生まれる前」。リアルタイムで見た記憶が残っているガンダムは「シード」(2002年)以降。ポケモンが低年齢向けかどうかは難しい問題。今の30歳前後の人たちが最初期ポケモン世代。その彼らは今でも「ポケモンのまま」。低年齢向けとか言うとたぶん怒り出す。
ビーロボカブタック(1997年)に出てくるキャプテントンボーグのセリフ「ひとつ、ひいきは絶対せず。ふたつ、不正は見逃さず。みっつ、見事にジャッジする」などはもちろん知らず、「なにそれ」という反応。『聖☆おにいさん』あたりですら今の高校生にとってはおそらく「昔」に属するものの感覚。
私が言いたいのは、流行りもので宗教を表現しようとする宗教アーティストの皆さまへの批判ではない。明らかにネットの影響で、流行りものの消費スピードが加速しているので、追いかけるならどこまでも付き合う必要がありそうだということ。あっという間に現在が過去になり、「なにそれ知らん」になる。
ほんの一例、ほんのたとえば、今の高校生は「新世紀エヴァンゲリオンの比喩」を用いても「え、知らない。なんですかそれ。昔のアニメかなあ。何言われているか分からない放送事故」であることを、流行りもので宗教を表現したいと願っておられる宗教アーティストがたはお気づきになっているのだろうか。
「我々は宗教を『今』へと翻訳しえている。我々と比べて古ぼけた教会は淘汰されよ」とまるで勝ち誇ったことを言う人の古ぼけ感がぱねえ。口真似しているだけで中身変わらないなら(流行りもので「我々にきみたちへの敵意などない。ないない」と単に偽装した護教論を展開しているだけなら)意味はない。
息の長いアニメやマンガならいいのでは、という趣旨の意見をいただいたが、ドラえもんやサザエさんやアンパンマンやクレヨンしんちゃんなど、挙げられた例を見て思ったのは、「何十年も人気が続いている」素材はいわば必ず「何十年もアンチの人がいる」という裏面を背負っていたりもするということだ。
「見ていて当然」「知らないと恥ずかしい」と言われるほどの著名度になっていればいるほど、「だったら見ない」「見てたまるか」「同調圧力やめて」という反発を感じる人がおそらく必ずいる。NHKの連ドラも同じ。私は連ドラを見たことがない。「知っていて当然」のように引用されると困ってしまう。
それと、息の長いものを引用するといっても、実際の場面では、直近に放送されたテーマを引用するか、大昔に放送(マンガの場合は雑誌等に掲載)されたテーマを引用するかになるので、前者の場合は「見ていて当然」という同調圧力を感じる人が出てくるし、後者の場合は「知らない」「なにそれ」になる。
また、大規模な自然災害や凶悪事件などは別の扱いかもしれないが、時事問題や社会問題を「引用」する場合も、ある意味で同じことが言える。そもそもそれらは「引用」の対象なのかどうかという点がひとつ。ネタやマクラの扱いをすると当事者や当事者に近い人々から激怒される可能性があるという意味で。
「知っていて当然」「え、なんで知らないの」という態度で語られると「それ同調圧力」と嫌がる人々が出てくるという点が、ふたつめ。みっつめは、それらをとらえる観点や解釈の多様性にどこまで配慮できるか。「聖書的・キリスト教的解釈」を教会の説教に期待するというニードがあったのは、大昔の話。
教会に長年かかわってきた者は、老若男女の「人生プロセス」を「俯瞰」しうる。今の高校生を見ると、彼女/彼らが乳幼児だったころの姿を想像できるし、そのころどういうテレビやマンガを自分の子どもと一緒に見ていたかを思い出せる。「当時のそれ」を今の高校生がリアルタイムで見ていたわけがない。
ちなみに1965年11月生まれの私が初めて自分の目で見た記憶が残っているウルトラシリーズは「セブン」(1967年10月から放送開始。私は1歳11ヶ月)から。私と「セブン」の関係は、今の高校生(1年生は2001年生まれ)にとっての2003年以降のテレビドラマやアニメとの関係になる。
「とっとこハム太郎」は今の高校生が「生まれる前」。リアルタイムで見た記憶が残っているガンダムは「シード」(2002年)以降。ポケモンが低年齢向けかどうかは難しい問題。今の30歳前後の人たちが最初期ポケモン世代。その彼らは今でも「ポケモンのまま」。低年齢向けとか言うとたぶん怒り出す。
ビーロボカブタック(1997年)に出てくるキャプテントンボーグのセリフ「ひとつ、ひいきは絶対せず。ふたつ、不正は見逃さず。みっつ、見事にジャッジする」などはもちろん知らず、「なにそれ」という反応。『聖☆おにいさん』あたりですら今の高校生にとってはおそらく「昔」に属するものの感覚。
私が言いたいのは、流行りもので宗教を表現しようとする宗教アーティストの皆さまへの批判ではない。明らかにネットの影響で、流行りものの消費スピードが加速しているので、追いかけるならどこまでも付き合う必要がありそうだということ。あっという間に現在が過去になり、「なにそれ知らん」になる。
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