2008年1月7日月曜日

直前段落の「諸学の女王としての形而上学」という表現との関係を考えて

引き続きカントの『純粋理性批判』(岩波文庫)を読んでいます。Dogmatikerをどのように訳すべきかという問題にまだ引っかかっています。「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった」(14ページ)の一つ前の段落に、カントは「形而上学が諸学の女王と呼ばれていた時代があった」(Es war eine Zeit, in welcher sie die Köningin aller Wissenschaften genannt wurde)と記しています。

この「諸学の女王」(regina scientiarum)という表現は「神学の婢」(ancilla theologiae)と対比的に用いられるものですが、いずれも主としてヨーロッパ中世の思想状況を表す言葉として通用しています。とくに後者の「神学の婢」という言葉は、13世紀の教義学者トーマス・アクィナス[1225頃-1274]の名前と結びつけられて理解されるのが通例です。そして、この場合の「諸学の女王」の主語は主として「神学」(theologia)であり、他方「神学の婢」の主語は主として「哲学」(philosophia)です。

ところがカントがこの個所に書いていることは「形而上学が諸学の女王と呼ばれていた」であり、「神学が」でも「哲学が」でもありません。なぜか。一つ考えられる可能性はカントにとって「形而上学」(Metaphysik)とは「神学」(theologia)の言い換えであり、しかもその場合の「神学」とは(トーマスにおいてそうであったように)純粋に「キリスト教の」神学を指していたということです。つまり、カントにおいて「形而上学」と「キリスト教神学」は、事実上の同義語として用いられていたという可能性です。

しかし岩波文庫版ではこの「形而上学は諸学の女王」うんぬんの話題のすぐ次の段落の話題が「形而上学の統治は、独断論者の執政下にあって専制的」うんぬんと訳されていて、なんとなくアリストテレスの時代の話をカントがしているかのように話が運んでいます。そうである可能性を完全に否定することはできないかもしれませんが、うまく話がつながりません。

トーマスの時代(中世)の話をしていたかと思うと、あれれ、アリストテレスの時代の話(紀元前)まですっ飛んだぞとなる。Anfänglich(初めの頃)の一言で、一気にそこまで時間をさかのぼらせる。そのような(無理を感じる)話の流れを読み取るよりもはるかに蓋然性の高い読み方があると思われます。

それは、「形而上学の統治」を「神学の支配」と読み替え、また「独断論者の執政下」を「教義学者の管理下」くらいに読み替えて、「神学(ないし形而上学)の支配は、教義学者の管理下にあって専制的であった」というあたりの落とし所を考えながら訳すことです(カントのドイツ語はこのように訳すことが可能です)。

そうすれば、カントの時代(18世紀)のヨーロッパの大学における「神学(ないし形而上学)の没落過程」を描いていると理解できるので(本当にそのとおりの状況があったと思われますから)、よいのではないかと愚考します。