2012年12月31日月曜日

日記「関口康が選ぶ(笑)今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2012第1位の発表です!」


「関口康が選ぶ(笑)

今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2012」

第1位の発表です!

(ドラムロール....ドロロロロロロ、じゃん)

ぱっぱらぱっぱぱー

文句なし!

佐藤優著『同志社大学神学部』(光文社、1600円)



「みなさん、ごめんなさい!!」と、なぜか謝らなくてはならない気分なのですが、いや、もう、圧倒的なリードでした。

佐藤氏の筆力もさることながら、同志社大学神学部が面白い。

ネタにするのは申し訳ないというかマズイ気がしてならないのですが、爆笑できますね、これは。

いやー面白かった。

卒業生たちは近親憎悪のような感情を持っておられる可能性があるので部外者のぼくの言うことなどは話半分に聞いていただけるくらいでいいと思うのですが、ぼくの「理想」を見た思いでした。

こういう神学部に行きたかったなあ、ぼくの人生は全く違うものになっていたに違いない(良い意味で)と、わりと真剣に思いました。

とくに、ぼくが魅了されたのは、本書に登場する緒方純雄先生の存在です。

面識はありませんが、いやなんか素敵な方だなと思いました。こういう先生、大好きです。

以上、第1位の発表でした!

なお、お断りしておきますが、この本を第1位にしたのは、ユーモアではありません。出版物としての完成度の高さを評価しました。

これくらい「日本語として読みうる本」であることを、他のすべての本に望みます。

2012年12月30日日曜日

教会につながっていれば、また会えます(録画説教)

日本基督教団置戸教会(北海道常呂郡)での録画説教
テサロニケの信徒への手紙一3・6~10

「ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えてくれていること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に願っています。」

置戸教会の礼拝で説教させていただくのは、今日が初めてです。初めての方々とお会いするときは、自己紹介から始めるべきかもしれません。しかし、いまお話ししているのは礼拝の説教です。聖書のみことばを後回しにすることはできません。自己紹介は後回しにし、聖書の話を先にします。

しかし、少しだけ自己紹介をさせていただきます。松戸小金原教会は、東京との県境にある千葉県松戸市にあります。インターネットで、松戸小金原教会から置戸教会までの距離を調べてみました。直線距離ではなく、自動車を使うとどれくらいかを調べました。

東北自動車道を使うと1369キロあることが分かりました。ざっと1400キロです。時間は約19時間26分かかるようです。概算で20時間です。ただし、ノンストップの場合です。一人の運転手にはたぶん不可能です。二人か三人の運転手がいれば交代できますので、なんとかなるかもしれません。

飛行機を使えば、だいぶ違います。松戸小金原教会から羽田空港までが1時間、羽田空港から釧路空港まで1時間半くらいでしょうか、2時間かかるでしょうか。釧路空港から置戸教会までが自動車で3時間半とのこと。全部で6時間くらいです。ただし、飛行機はやはりかなりお金がかかります。.

これで申し上げたいことは、私と皆さんとのあいだの物理的な距離は非常に遠いということです。しかし、その距離を飛び越えて、私はいま置戸教会の礼拝説教をさせていただいています。これは、やはり驚くべきことであり、おそるべきことです。神がすべてを導いてくださり、わたしたちのこのような関係を作り出してくださったことへの畏れを覚えます。

しかし、なぜこの私が置戸教会の礼拝で説教しているのでしょうか。この点についてはやはり丁寧に説明しなくてはなりません。しかし、その話は後回しにします。

今日開いていただきました聖書の個所は、テサロニケの信徒への手紙一3・6~10です。テサロニケの信徒への手紙は、使徒パウロがギリシアの町テサロニケにある教会の人々に宛てて書いた手紙です。

この手紙を書いたパウロは、テサロニケ教会の設立にかかわった人です。しかし、テサロニケ教会の設立後、パウロはこの地を離れ、別の地で新しい教会の設立に当たりました。そのため、この手紙を書いている時点では、パウロはテサロニケとは別の場所にいます。パウロは、この教会からは遠い地からこの手紙を書いていることになります。

たいへん申し訳ないことですが、置戸教会の歴史については、ほとんど何も存じません。しかし、これも少しインターネットで調べさせていただきましたら、42歳で亡くなられた野口重光先生が置戸教会の初代牧師であると書いてあるページが見つかりました。もしこの情報が正しいなら、野口先生と置戸教会の関係が、パウロとテサロニケ教会の関係であるというふうに、たとえることができます。

野口先生はすでに天に召されています。しかし、パウロは生きていました。テサロニケの信徒への手紙一は、新約聖書の中におさめられたパウロが書いた手紙の中で最も古いものであると言われています。つまり、パウロが最も若かったころに書かれたものです。体力的にも精神的にも元気でした。

そのパウロとしては、できればもう一度、テサロニケの地に訪れて教会のみんなに会いたい、教会のみんなを励ましたいと願っていました。どんなに苦しくても、厳しい状況の中でも、信仰を捨てないでほしい、教会につながっていてほしい、そのために教会を励ましたいと願っていました。

しかしパウロは、テサロニケ教会の人々にもう一度会いたいとどんなに願っても、なかなか行くことができません。今のように飛行機はありませんし、新幹線もないし、電車もないし、自動車も高速道路もありません。インターネットもDVDもありませんし。電話も携帯もない。唯一の連絡手段は手紙でした。海の上は船に乗りました。しかし、ほとんどは歩いて行くしかありませんでした。

パウロにとって教会とは、自分がどのような目に会おうとも、なんとかして励ましたい存在でした。パウロは、自分が苦労して設立した教会だからテサロニケ教会のことを大事に思っていたというのとは違います。教会の存在をまるで自分の手柄のようなものとして考えて、自分のした仕事の結果が失われるのを見るのがつらい、というような感覚とは違います。彼はそのようなことを考える人ではありません。

もっと人格的なつながりです。最も単純な言葉を使えば「愛」です。パウロはテサロニケ教会が単純に好きだったのです。好きに理由はない。まるで歌謡曲の歌詞のような話です。理屈では説明できない愛情をテサロニケ教会の人々に対して持っていた。感覚的にいえば、そういうことです。

しかし、パウロとテサロニケ教会とのあいだの距離が遠すぎて、ちょくちょく足しげく通い、その教会の人々と仲良くすることはできません。遠くのほうから、大丈夫かなあ、どうしているかなあと、心配するしかありません。しかし、パウロは我慢できなくなりました。なにがなんでも、テサロニケまで行きたくなりました。

ただし、自分自身が行くという願いは叶わないことが分かりましたので、自分の代わりに後輩のテモテに行ってもらうことになりました。テモテが帰って来て伝えてくれたことは、テサロニケ教会の人々は以前と変わらず熱心な信仰を持ち、しかも、パウロに対する愛と尊敬を持ち続けているということでした。それでパウロはうれしくなってこの手紙を書いたのです。

そのことが今日の個所に書かれています。そして、今日の個所の中で皆さんにとくに注目していただきいのは、7節と8節のみことばです。「それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。」

これは新共同訳聖書(1988年)の訳です。一昔前の口語訳聖書(1954年)では「あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである」と訳されていました。さらに昔の文語の改訳聖書(1917年)では「汝等もし主に在りて堅く立たば我らは生くるなり」と訳されていました。どれも分かるような、分からないような訳です。

新改訳聖書(1970年)は「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります」となっています。かなり分かりやすい訳です。しかし、意味が特定されすぎていて、かえって疑わしい。ここでパウロは「生きがい」の話をしているのでしょうか。私には疑問です。

なぜなら、「生きがい」と言いますと、言葉のニュアンスとしては、ああ生きていてよかったという気持ちを持てる、というふうな意味です。パウロ側の気持ちや感覚の次元に事柄が還元されてしまいます。しかし、パウロがテサロニケ教会の人々に伝えようとしているのは、そういうことではないと思うのです。

パウロの生きがいの話など全くしていません。はっきりいえば、パウロの生きがいなんかどうだっていいことです。「生きがいがほしくて伝道している」というような牧師など要らないです。そういうのは人間的な野心の自己実現です。神の御心を行うという態度とは違うものです。

パウロがしているのは、自分の側の生きがいの話ではない。そうではなくて、彼が言いたいことは、むしろ、テサロニケ教会の側に関することです。それを言葉で表現するのは難しいことです。「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言える」と書かれているのですが、考えるべき問題は、わたしたちは、今、「どこに」生きているかです。「どこに」をパウロは書いていません。しかし、考えられることは、「テサロニケ教会に」です。

パウロの気持ちとしては、もしあなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちはテサロニケ教会にいる、あなたがたの教会の中に、今、わたしたちが、わたしが生きていると言える。一緒に礼拝をささげている。あなたがたの中に、あなたがたの側に、このわたしが生きている。

こういうことをパウロは書いているのだと思うのです。なんだか遠くから、きみたちが信仰を捨てないでいてくれることがわたしの生きがいであるというような言い方は、踏ん反り返った感じです。

パウロがしているのは「伝道者の生きがい」の話ではありません。むしろ、テサロニケ教会の存立の問題です。もっと大胆な言い方をすれば、いわば復活なのです。あなたがたが信仰をもってしっかり立っているなら、パウロがテサロニケ教会に復活したのと同じだ、このわたしがよみがえったのと同じだ、と言っているのです。

このあたりで、そろそろ私の話をさせていただきます。今日このような形の礼拝が実現しましたのは、百瀬考幸さんのおかげです。その事情をご説明させていただきます。

ことの始まりは25年前にさかのぼります。1987年7月のことです。

当時私は東京神学大学の学生でした。1987年7月の一か月間、夏期伝道実習として春採教会で奉仕させていただきました。私が北海道に行ったのは、そのときだけです。

そのとき道東地区の高校生修養会に参加し、当時高校生の百瀬考幸さんと初めてお会いしました。その修養会で私は聖書のお話をさせていただきました。

前列左から秋保牧師、田村牧師、高田牧師、後列に関口(左から2人目)と百瀬さん(右から2人目)

その中で私は確かにこう言いました。なぜか、そのことだけは25年間忘れることができませんでした。

「私はこれから東京に帰りますが、教会につながっていれば、また会えます。いつかまた必ず会いましょう」。

今日の説教のタイトルは、私自身が25年前に確かに言った言葉です。

しかし、そのあとは24年間ほど百瀬さんとも道東地区の高校生たちとも全くお会いすることができませんでした。しかし、なんとついにお会いできました。フェイスブックです。

昨年の東日本大震災からまもなくの頃、全国の牧師や信徒がインターネットを使って連絡を取り合う活動が活発になってきたころ、百瀬さんがフェイスブックで私の名前を見つけてくださり、「もしかして、あのときの関口先生ですか」と連絡してくださいました。ものすごくびっくりしましたが、とてもうれしかったです。

フェイスブック、ありがとう。百瀬さん、ありがとう。

そして、神さま、ありがとうございます。置戸教会の皆さま、本当にありがとうございます。

本音を言えば、今すぐにでも、皆さんのところに飛んで行きたいです。しかし、それは叶いません。

松戸の地から、みなさんのためにお祈りさせていただきます。

(2012年12月30日、日本基督教団置戸教会主日礼拝、録画説教)

「アーメン」という言葉は何を意味していますか


テモテへの手紙二2・11~13

「次の言葉は真実です。『わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。』」

今日は2012年最後の礼拝です。今年一年間も、神の御手に守られて過ごすことができましたことを感謝しています。

さて、今日の説教のタイトルは、先ほどみんなで交読しましたハイデルベルク信仰問答の第52主日の問129の言葉をそのまま引用したものです。「『アーメン』という言葉は、何を意味していますか」。

ですから、今日の説教の結論は決まっています。ハイデルベルク信仰問答の問129の答えそのものです。それは次のとおりです。

「『アーメン』とは、それが真実であり確実である、ということです。なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです」(吉田隆訳、新教出版社)。

これが今日の説教の結論です。これ以上に付け加えることはほとんどありません。私にできることがあるとしたら、ハイデルベルク信仰問答がこの問いの答えとして書いていることの意味をいくらか噛み砕いて説明することくらいです。

「アーメン」という言葉は、旧約聖書の時代から使われているヘブライ語が歴史的にいちばん古いと言われています。そして、この言葉の意味は、ハイデルベルク信仰問答がまさに書いているとおり、「真実である」とか「確実である」ということです。

また、他の人の意見に同意や賛成の意を表わすときに言う「そのとおり」という意味でもあります。願いや祈りの意味の「そうでありますように」という意味にもなります。ですから、いちばん短く言えば「アーメン」は「そうだ」という意味です。

そのような意味の言葉をわたしたちキリスト者は、すべての祈りの最後や、賛美歌の最後、そして日常会話の中でさえ繰り返し用いています。つまり、わたしたちは、ほとんど毎日のように「そうだ、そうだ」と言っているのです。

とにかくこれだけははっきり言えることは、「アーメン」とは、なにかを肯定する言葉であるということです。否定ではありません。他人の語る言葉のすべてをいちいち「そうではない、そうではない」と否定していくタイプの人が時々いますが、ちょうど正反対です。

「アーメン」は「そうではない」の正反対です。「そうだ」です。他人が語る言葉に同意することであり、賛成することです。否定することではなく、肯定することです。

しかも、祈りや賛美歌の場合を考えてみると、それは必ずだれか人間の祈りであり、だれか人間の賛美です。日曜日の礼拝の中で祈りをささげるのは司式の長老や牧師ですが、水曜日の祈祷会などでは、それぞれが個人的な願いごとをお祈りします。

その最後にみんなで「アーメン」と唱えることは、祈りそのものや賛美そのものへの肯定でもあるのですが、同時に、その祈りをささげた人やその賛美を歌った人への肯定でもあると考えることもできるでしょう。

その人の語る言葉を肯定するだけではなく、その言葉を語る人自身の存在そのものを肯定すること、受け容れることも、その「アーメン」の中に含まれているはずです。

言い方は明らかにおかしいわけですが、「あなたの祈りの内容は肯定しますが、あなたの存在は肯定できません」というような奇妙な使い分けを、わたしたちはしません。

「あなたのことは嫌いだけど、あなたの祈りにはアーメンと言ってあげます」というようなことは、教会の中では言ってはならないことです。

わたしがあなたの祈りに「アーメン」と言うときは、同時にあなた自身の存在に「アーメン」と言っているのです。わたしたちは、そのような意味でも「アーメン」と言うのです。

しかし、ハイデルベルク信仰問答の問129の答えに書かれていることは、私がいま申し上げたことだけでは終わらない内容をもっています。

今まで申し上げてきたことも重要ですが、答えの後半部分に書かれていることが、ある意味でもっと重要です。「なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです」と記されています。

ここに書かれていることをよく読みますと、その主旨は、先ほど申し上げたような、わたしたちのうちの誰かがささげた祈りそのものへの肯定であるとか、その祈りをささげている人への肯定であるというよりも、むしろ、わたしたちがささげる祈りを聞いてくださる神御自身への肯定であるということが分かってきます。

「わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれている」というのは、言い方を換えれば、わたしが心の中で感じていることは不確実である、ということです。そのような不確実なことよりも、わたしの祈りを聞いてくださっている神という方は確実な方であるということです。

確実な方というのは日本語としては適切ではないかもしれません。信頼できる方とか、安心できる方というほうがよいかもしれません。

なるほど、たしかにわたしたちの祈りは不確実なものです。祈っても聞かれないと感じることは、たくさんあります。あなたの信仰が足りないからだ、あなたの努力が足りないからだと言われると、わたしたちは言葉を失います。そのとおりであると認めざるをえませんが、それ以上どうすることもできないところまで追いつめられてしまいます。

信仰が足りない、努力が足りないと言われて「そんなことはありません」と反論できる人は教会にはいません。そもそも教会には、信仰においても努力においてもすっかり破れてしまった人たちが、神の助けを求めて集まってきているからです。

もしわたしたちが、自分の力で自分の生きるべき道のすべてを切り開いていけるなら、わたしたちは神に祈る必要はありません。祈りとは、自分の信仰や努力が不確実であることを実感し、かつ痛感しているからこそ、わたしたちの心の叫びのように湧き出してくるものなのです。

しかし、わたしたち自身は不確実でも、確実なものがあることをわたしたちは知っています。それは神さまです。世界のすべてが不確実であり、不安定であっても、神さまは確実であり、この世界を根底から支えてくださっています。その信頼と安心のうちに、わたしたちは神に祈りをささげることができ、「アーメン」と唱えることができるのです。

今日開いていただいたのは、テモテへの手紙二2・11以下のみことばです。なぜこの個所を選んだのかといいますと、ハイデルベルク信仰問答の問129の答えの最後に「引証聖句」と呼ばれる聖書の御言葉が三か所指示されている中の一つが、テモテへの手紙二2・13だからです。

この個所が「引証聖句」であるということの意味は、ハイデルベルク信仰問答の問129の答えは、この聖書の御言葉を根拠にして書かれているということです。それは次の御言葉です。

「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである」(テモテへの手紙二2・13)。

今日わたしたちが考えているのは「アーメン」という言葉の意味です。それは真実であり、確実であるという意味であると、すでにご説明しました。しかし、問題は何が真実であり確実なのかです。

その最も正しい答えとして考えられることは、ハイデルベルク信仰問答が指示しているこの御言葉に書かれていること、すなわち、「キリストは常に真実であられる」ということであり、さらにその根拠は「キリストは御自身を否むことができないからである」ということだ、ということです。

「キリストは御自身を否むことができない」とは言われていることは、非常に興味深いことです。どこが興味深いのかといえば、キリストにもできないことがあると言われているからです。全知全能の神の御子なるキリストにもできないことがあるのです。なんでもできる方(全能者)にもできないことがあるというのは論理的に矛盾しています。しかし、そのように聖書ははっきり書いています。

イエス・キリストにも、できないことがある。それは、御自身を否定することです。それができない。キリストは御自身の何を否定できないのかと言いますと、「御自身が常に真実であられること」を否定できないのです。

神の御子イエス・キリストは、神の御心を行うためにこの世界へと派遣された方です。キリストは父なる神の御心に忠実な方です。神の御心に対する忠誠心をもって、この世界において神のみわざを遂行するために来られた、と言ってもいいでしょう。

その御自身に託された使命をイエス・キリストは否定することができないのです。父なる神との約束を裏切ることができないのです。十字架の死に至るまで神の御心に従順であられたし、世の終わりまでその従順さは変わらない、そういうお方なのです。

そのような父なる神に対するイエス・キリストの忠実さ、誠実さに対する肯定や信頼をわたしたちは「アーメン」という言葉で言い表すのです。「わたしたちは誠実でなくても、キリストは常に真実であられる」からです。

実際、わたしたちは誠実ではありません。裏表があります。あっちで言っていることと、こっちで言っていることが食い違っていたりします。嘘もつきます。でたらめなことも言います。

言葉だけではなく、おこないで人を裏切ります。人の信頼を失うような失敗や過失や罪をおかします。ほとんど毎日、そのようなことの繰り返しです。

叩けばほこりが出ます。掘り返せばぼろが出ます。私はそうではないと否定できる人は誰もいません。完璧な人はいません。罪の無い人は一人もいません。裁き合うのは簡単です。

しかし、イエス・キリストだけは常に真実な方です。そうであることをわたしたちは信じています。信じているからこそ、祈ることができるのです。「アーメン」と唱えることができるのです。

来年一年間の教会の歩みが守られるように、お祈りしましょう。

(2012年12月30日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年12月25日火曜日

関口康が選ぶ(笑)今年最高の本 BOOK OF THE YEAR 2012 選考作業中!





ぼく的には珍しく、外国語の本を全く買わない一年を過ごしました。

2012年に出版されたもので、ぼくが入手した日本語の本は18冊でした(写真)。

月刊・週刊誌は除外しました。

ちなみに、この18冊のうちの8冊は、各書の著訳者や友人からプレゼントしていただいたものです。この場をお借りして、心から感謝いたします。

口幅ったい言い方ですが、今年はかなり豊作だったと思っています。

心躍らせながら読ませていただきました。著訳者の皆さま、ありがとうございました。

「2012年は出版界のV字回復が始まった年だった」と後代の歴史家が記すかもしれません。

「第1位」の発表は12月31日(月)です。

お楽しみに。

(炎上しそうだ...)

2012年12月24日月曜日

信仰・希望・愛、そして喜び


テサロニケの信徒への手紙一1・2~10

「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」

わたしたちがいま行っているのはクリスマスイヴ礼拝です。昨日はクリスマス礼拝を行いましたので、教会員の方々にとっては二日間続いています。そろそろ疲れがたまっている頃でしょう。

しかし、「クリスマスおつかれさまです」と言うのは、いくらなんでもおかしいです。「クリスマスおめでとうございます」と言いたいところです。しかし年末でもあります。クリスマスはいつも年末です。今年一年間もいろいろありました。つらい一年間でした。いろんな意味で疲れている今日この頃のわたしたちです。

いまお読みしました聖書のみことばは、約二千年前の教会で活躍した使徒パウロが、テサロニケという町の教会の人たちに宛てて書いた手紙の冒頭部分です。その教会は、かつてパウロがその設立にかかわったところです。しかし、その後パウロは別の地に移動して、そこでまた新しい教会をつくる働きを始めましたので、この手紙を書いている時点では、パウロはテサロニケとは別の地にいます。

しかし、パウロはテサロニケ教会に属する人々のことを、心から愛していました。体は離れていても、心は一つに結びあっていると感じていました。それでパウロは、テサロニケ教会に対する自分の愛と思いを伝えるために、この手紙を書きました。

「わたしたち」(2節)と複数形で書かれているのは、この教会の設立にかかわった伝道者はパウロだけではなく、パウロに協力した何人かの伝道者がいたからです。しかし、その伝道者たちの中心にいたのはパウロでした。その意味では「わたしたち」と書いてはいますが、「私」と書いてもよかったくらいです。他ならぬパウロ自身の思いを伝えているからです。「私が」「あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています」と言っても同じです。

私はあなたがたのことを忘れたことはありません。いつも覚えて祈っています。いまは目で見ることができないほど離れた場所にいる。まして、別の教会の人たちの牧師である。わたしたちのことはもう忘れたのではないか。あれほど親しい関係だったのに、もう無関係になってしまったのであれば、こんなに寂しいことはない。そんなふうにあなたがたは思っているかもしれない。しかし、私の思いは決してそのようなものではない。あなたがたのことを心から愛しています。そのことをパウロは、何とかして伝えようとしています。

その続きに「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」(3節)と書かれています。

興味深いことは、ここに「信仰、愛、希望」という三つの言葉がセットになって出てくることです。この三つの言葉のセットは、パウロが書いた別の手紙であるコリントの信徒への手紙一13・13に出てきます。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。しかし、その中で最も大いなるものは、愛である」。

コリントの信徒への手紙一とテサロニケの信徒への手紙一とでは、「信仰、希望、愛」と「信仰、愛、希望」と、順序が違います。しかし、順序の問題はあまり重要ではないと思います。そのことよりも重要なことは、両者に共通していることがあるということです。どちらも、教会のことを語る文脈にこの三つの言葉が出てくることです。

教会が立つか倒れるかという危機にあるときに、倒れないように教会を支えるものは何なのか。教会が拠りどころにするものは何なのか。最終的にこの三つが残る。それは信仰と希望と愛である。その三つの中の最も偉大なものを一つ選ぶとしたら、愛である。そのようにパウロはコリントの信徒への手紙一13・13に書いています。そして、この三つの言葉がセットになっている表現が、いま見ていただいているテサロニケの信徒への手紙一にも出てくるのです。

ここでほんの少しだけややこしい話をさせていただきますと、テサロニケの信徒への手紙一は新約聖書の中に残されているパウロの手紙の中で最も古いものであると言われています。他方、コリントの信徒への手紙は、逆にパウロが晩年になって書いたものであると言われています。

このことから考えられることは、パウロはこの三つ、信仰・希望・愛こそが教会を支える力である。そして、その中で最も大いなるものは「愛」であるということを、伝道者人生の最初から最後まで、どの教会で働いているときも、繰り返し言い続けていたのではないか、ということです。

しかも、ここで言われている「愛」とは「神の愛」です。神の愛とは、神が独り子であるイエス・キリストを世に遣わしてくださったほどに、世を愛された、その愛であると、ヨハネによる福音書3・16に書かれています。それはクリスマスの出来事です。イエス・キリストがお生まれになったことは、神がこの世界とわたしたち人間を心から愛してくださっていることの証しなのです。

しかし、私はここで今夜の話を終わってよいとは思っていません。もう一歩先に進む必要があると思っています。先ほど読んでいただきました御言葉の中に「あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」(6節)と書かれています。ここに「喜び」が語られています。このことが重要です。

なぜ「喜び」が重要なのでしょうか。わたしたちの体験に照らしていえば、「信仰」と「希望」と「愛」だけでは苦しい場合があるからです。苦しい信仰と、苦しい希望と、苦しい愛があるからです。

たとえば、家族が同じ信仰を持ってくれない、自分一人だけが神を信じ、教会に通っているようなときは、苦しい信仰になる場合があります。いろんなケースがありますので、一概には言えませんが。

また、希望についても、実際に目に見える、手でつかむことができる根拠がある場合はともかく、何一つ根拠がないことをただ望んでいるだけであれば、それは苦しい希望です。

そして、苦しい愛があるということは、多くの人が知っていることです。愛は多くの場合、苦しいものです。そのことをわたしたちはよく知っています。

しかし、だからこそ、わたしたちの信仰と希望と愛は、喜びをもって受け容れられる必要があるのです。ベツレヘムの羊飼いたちに主の天使たちが教えてくれたイエス・キリストのご降誕の知らせは「喜びのしらせ」でした。イエス・キリストをお与えになるほどにこの世を愛してくださった神の愛は、喜びに満ちているのです。

わたしたちの信仰は喜びに満ちた信仰です。わたしたちの希望は喜びに満ちた希望です。そして、わたしたちの愛は喜びに満ちた愛です。もしわたしたちの現実がそうなっていないときは、そのようなものを目指す必要があります。教会はそれを目指して歩んでいます。

クリスマスイヴだけではなく、毎週日曜日に、教会では礼拝がささげられています。一回、二回ではキリスト教は分からないと思われるかもしれません。「教会に一年くらい通いましたが全く分かりませんでした」とおっしゃる方もなかにはおられるかもしれません。そういう場合はぜひ質問に来てください。

ただし、メールだけではちょっと困ります。せめて顔を見せてください。どのような顔で、そのことをおっしゃっているのかが分かるようにしてください。そうしていただけるならば、どのような質問にもできるだけお答えいたします。

そして、わたしたち松戸小金原教会の礼拝に来てくださる場合は、牧師の説教を聞きに来るだけで終わりにしないでください。二千年前のテサロニケ教会の人々が信仰・希望・愛、そして喜びに満たされている姿が、マケドニア州とアカイア州のすべての教会にとっての模範であったように、わたしたちの喜んでいる姿をぜひ見てください。

(2012年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイヴ礼拝)

2012年12月23日日曜日

信仰は愛する人の名誉を守る



2012年 松戸小金原教会クリスマス礼拝説教

マタイによる福音書1・18~25

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」

みなさん、クリスマスおめでとうございます。今日はクリスマス礼拝です。わたしたちの救い主、イエス・キリストのご降誕を喜び、お祝いする礼拝です。

今日はイエスさまがお生まれになる前、母マリアの胎にイエスさまが宿られたときのことについて書かれている聖書の個所を開いていただきました。この個所は、だいたい毎年開いて学んでいます。しかし、この個所には、お読みいただけばすぐにお分かりいただけるとおり、非常に驚くべき、また非常に恐るべきでもある、不思議なことが書かれています。

「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」(18節)と書かれています。これで分かることは、マリアの婚約者ヨセフはイエス・キリストの父親ではない、ということです。イエス・キリストには、血のつながった父親はいません。「聖霊によって」お生まれになったのです。

ここに書かれていることについて、私自身もいろんな人から繰り返し言われてきたことは、「申し訳ありませんが、このようなことは、私にはとても信じることができそうにありません」という率直な言葉です。しかし、このことをわたしたちは信じています。私も信じています。

いま開いていただいているマタイによる福音書を含む新約聖書の諸文書が書かれたのは約二千年前です。みなさんにはぜひ信頼していただきたいのですが、キリスト教の教会は嘘をつくことが大嫌いです。嘘をつくのが嫌いだし、苦手です。ですから、もしもこの個所に書かれていることは嘘であるということがはっきりと分かったときは、教会はこの個所を聖書の中から削除することができます。そうする権利が教会にはあるのです。

事情をご存じない方もおられると思いますので説明しておきます。二千年前の教会には今のわたしたちが手にしている新約聖書に収められている全部で二十七の文書だけではなく、もっとたくさんの文書がありました。しかし、教会はもっと多くの文書の中から二十七文書だけを選んで、新約聖書としてまとめたのです。決めるときには、もちろん教会会議を開きました。このことは、聖書と教会の歴史を知っている人であれば、誰でも知っている常識です。

ですから、もし聖書の中に間違ったことが書かれているということがだれの目にも明らかになった場合には、教会はもう一度会議を開いて、間違ったことが書かれている文書を聖書の中から取り除くことができます。あるいは、一つの文書から間違っている個所だけを取り除くこともできます。そのようなルールを、キリスト教のすべての教会が共有しています。

しかし、二千年の教会はマタイによる福音書を新約聖書の中から取り除くことはしませんでした。今日の個所だけを聖書の中から取り除いたこともありません。少なくとも正式な教会会議を開いて、そのようなことが決められたことは、いまだかつて一度もありません。これで分かることは、すべてのキリスト教会は、二千年の間、ここに書かれていることは事実であると信じ、公に告白してきたのだということです。

私自身も信じています。何を私は信じているのでしょうか。イエスさまには血のつながった父親はいない、ということを信じています。言い方を換えれば、マリアは婚約者ヨセフを裏切ったわけではない、ということを信じています。マリアは嘘つきではありませんでした。「あなたの子どもは聖霊によって宿った」という天使の言葉どおりのことがマリアの身に起こったので、そのことをマリア自身が信じて、イエスさまを産む決心をしたのです。そのマリアの証言には嘘がないということを、私は信じているのです。

マリアは嘘つきではありませんでした。そのことをわたしたちが信じるという場合と、わたしたちが「神を信じる」という場合とでは、「信じる」の意味が違ってくると言わなければならないかもしれません。わたしたちは「神を信じること」を「信仰」と呼びます。しかし、わたしたちは「マリアを信仰する」わけではありません。「神」は信仰の対象ですが、人間は信仰の対象ではありません。人間であるマリアについては「マリアを信頼する」という意味でなくてはならないでしょう。

しかし、その区別についてはともかく、わたしたちにとっても「マリアを信じること」は重要なことではあるのです。マリアは嘘つきではありません。マリアはヨセフを裏切ったわけではありません。マリアの子どもは「聖霊によって」宿った神の御子なのです。そのことを教会は、二千年間、信じてきました。少なくとも公の教会会議を開いて否定したことは、いまだかつて一度もありません。

しかし、このようなことをあまり強く言いすぎますと、非常に大きな反発が返ってくることがあります。「そこまで言うのであれば、キリスト教の教会さんは、二千年も嘘をつき続けてきたことになりますね」というような反発です。こういう言葉を私に対して面と向かって言った人はまだいません。これから言われるかもしれませんが、それは分かりません。

しかし、わたしたちは、たとえどのようなことを言われようとも、このことについては譲ることができません。わたしたちはマリアが嘘つきでなかったことを信じます。マリアの身の潔白と、彼女の名誉を守ることを放棄することはできません。

ここで急に、生々しい現実の問題に、みなさんの心を引き戻してしまうことをお許しください。

わたしたちにとって夫婦の間にせよ、親子の間にせよ、友人関係にせよ、恋人同士にせよ、お互いを信頼し合い、「名誉」を守り合うことは非常に重要なことです。その点が崩れ、壊れてしまうときは、わたしたちは、もう生きていけないと思うほどの絶望を味わうものです。

実を言いますと、今日の個所に出てくる主人公であるヨセフは、とにかく一度は、いま申し上げた意味での絶望を味わったのだと思います。ヨセフの前に差し出された事実は、どういう事情であれ、マリアの胎に宿った子どもは自分の子どもではないということだったからです。マリアと自分は婚約していたにもかかわらず。

それで、ヨセフは「正しい人であった」ので、「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと」(19節)しました。ヨセフはマリアが「聖霊によって」身ごもったから、縁を切ろうとしたわけではありません。マリアのことを信頼できなくなったから、縁を切ろうとしたのです。

しかし、そこに天使が現れました。天使の話は、先週も、先々週もしました。私自身は天使の姿を見たことがないので、どのようなお話をすればよいかはいつも迷います。しかし、天使は聖書の中では非常に重要な役割を果たす決定的な存在なのです。その重要さは、天使が登場しないかぎり聖書の教えのすべてが成り立たなくなるのではないかと思うくらいです。

絶望の淵に立っていたヨセフの夢の中に、天使が現れて告げました。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(21節)。

この天使のお告げをヨセフは信じたのです。天使のお告げを信じることは、天使が告げる神の言葉を信じることと同じですので、それは神を信じることと同じです。しかし、ヨセフの場合はそれだけでは終わりません。彼は「神を信じた」のと同時に、「マリアを信じた」のです。この点が重要です。ヨセフの立場からすれば、マリアを信じることなしに、マリアを妻として迎え入れることは、ありえないことでした。

今日私が申し上げたいことは、わたしたちにとって「神を信じる」とは、そのようなことだということです。わたしたちの信仰は、神は信じるけれども人間は信じないというような話ではないのです。神は愛するけれども人間は愛さないという話でもありません。もちろんヨセフは神の後押しなしには、マリアを信頼することはできなかったかもしれません。ヨセフとマリアのあいだに神が割って入ってくださり、二人のあいだを取り持ってくださったからこそ、信頼関係を取り戻すことができました。

しかし、もしそうであるならば、わたしたちもみな同じです。教会、あるいは別の場所でキリスト教式の結婚式をなさった方々は覚えておられるはずです。結婚式の司式者である牧師が宣言するのは「神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マタイ19・6)という言葉です。神が合わせてくださったのです。そのことを信じ、互いに約束をかわすのが結婚です。家庭と家族は、そのようにして生まれ、築かれていくのです。

言い方は乱暴かもしれませんが、イエスさまにとっては父親がだれで、母親がだれであるかということは、実はあまり関係ないことでした。子どもは親の所有物ではありません。親の思いどおりにもなりません。子どもは親が作るものではない。親は子どもの創造者ではない。親にとって子どもは神から与えられ、あずかり、守り、育てることができるだけです。こういう子どもを産みたいと願ったところで、親の願いどおりの子どもになるわけではありません。そして子どもは親なしにも育ちます。そのうち手から離れて行きます。神からあずかった存在を、神にお返しするときが来ます。

イエス・キリストが「聖霊によって」お生まれになったという教えはもちろん驚くべきことであり、恐るべきことであり、不思議なことではあります。しかし、全く信じることができないと言わなくてはならないようなことではないと思うのです。わたしたち自身も、わたしたちの子どもたちも、神の力によって命を与えられ、今まで過ごしてくることができたという点では、同じだからです。

クリスマス礼拝は、救い主イエス・キリストの命を、わたしたちを救うためにわたしたちに与えてくださった神を喜び、礼拝する日です。今日の一日を神の祝福と平安のうちに過ごすことができますように祈りましょう。

(2012年12月23日、松戸小金原教会クリスマス礼拝)

2012年12月20日木曜日

もし入党するなら「キリスト教民主党」だなと思っているぼくです

ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ...

(聴診器)「なんて言ったらいいのか、いばって言うわけでもなければ投げやりでもないんですが、ぼくが属している日本キリスト改革派教会のことを書きたいのですが、これはネットの話というよりもどちらかといえばリアルの話なのですが、ぼくの所属している教派名を口にするだけで改革派とは傲慢だ、おまえら何を改革したいんじゃヴォケ(ママ)とか、上から目線だとか怒りだす人がいたり。改革派の中にもいろいろあるけど、その中のお前らはどれだとかマニアックに聞いてきたり、それでちゃんと答えたら10秒で関心を失っていたようでほとんど聞かれてなかったり。そもそもキリスト教がカトリックとプロテスタントとオーソドックスに分かれているとか、プロテスタントの中にもいろいろあるとかいう話をちょっと出すだけで、口をひんまげて『ああ~(「え」に近い「あ」。ウムラウトついてる発音)教会さんも世と同じなんですね~はあ(ためいき)』みたいなことを言われたり。『るせーよ』って内心思ってたりするんですけど、そういうときでも職業的に笑顔を作ったりすることがありますとか書くと、牧師のくせに職業スマイルとは何ごとだとか、そもそも牧師は職業じゃないとか、あーだこーだ言われてみたり。もうほんとにうるさいからねっ!(ブロック)」

ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ...

と(↑)いうようなグチャグチャした心の中なんですが(笑)、意外に晴れやかな顔をしています。

キリスト教はブームで広がったらダメなんだと思います。ブームは去る。

ぼくの体感として言わせてもらえば、日本の教会に限っては、風なんか吹いて来たことは一度もないですから。

でも、着実な一歩を重ねてきてると思うんですよね、我々は。

自画自賛だとか言われてもいいや。もうすぐ年末だし。

70歳を越えて洗礼を受けてくださった男性(元中学校長)が、「ひとまえでお祈りするのが恥ずかしい」という理由で、水曜日の祈祷会に出席するのをためらっておられた。

「その方のために」と謳うとご本人が嫌がるだろうから、そうは言わないで、でも一年かけて教会全体でおこなう勉強会のテーマを「祈り」と定めた。

そして、「祈りのマニュアル」のようなものまで作って、「この○○の部分に自分の言葉を入れれば、だれでも祈れます」ということまで言って。

そしたら、「ひとまえでお祈りするのが恥ずかしい」と言っていたその男性が、次の年から水曜日の祈祷会に毎週出席してくださるようになった。

なんか、こういうのが、我々キリスト教が求める「着実な一歩」なんじゃないかな、と思ってるんですけどね、ぼくは。

ブームだとか、風だとか、そんなのは信用できないです。求めたこともないし。

そういうのだと、オセロのように、また全部ひっくり返される日が来ますよ。たぶんね。

ぼく47歳ですけど、47年間教会生活続けられたんで、たぶん死ぬまで続けられそうです。「来るな」と言われたらしょうがないですけどね。

で、クリスチャンて、ぼくらなりの政治思想もってるじゃないですか。この一線だけは譲れない、みたいなこと。

そういう人が増えていくしかないんだと思ってるんです、ぼくは。

いま教会に通っているすべての人がキリスト教を棄てたら、ぼくも棄てるかな。どうだろ。ぼくひとりだけで「改革派牧師」とか言ってそうな気もする。

英雄きどってるわけじゃないですよ。どのみちドン・キホーテだし。

マルティン・ニーメラーの有名な言葉(「ナチスは教会を弾圧した。ぼくは牧師だったので行動を起こした。だけどすべてが遅かった」)は、ぼくも知ってますし、愛してもいます。

だけど、ああいう言葉は、戦後(ナチス解体後)のドイツに「キリスト教民主同盟」(CDU)という公党が生まれ、政権担当者になり、首相を輩出することで、文字どおりの国家権力を掌握する立場に立てたからこそ、あの頃はああだった的に回顧され、重んじることができることでもある。

教会自身の政治的態度決定としてもてはやされる「バルメン神学宣言」も、政治的には完全に敗北に終わったものです。

ぼくはアタマに拳銃突きつけられても右翼にはなれませんが、宗教とか「キリスト」相手にやたら軽口を叩くタイプの左翼にもイライラしっぱなしです。

支持政党は皆無ですが、もし入党するなら「キリスト教民主党」だなと思っているぼくです。

教会自身に政治的態度決定ができるほどの力がないことくらい、そりゃ、どんなぼくでも分かります。

でも、「だから教会と牧師は政治的発言をすべきでない。そういうことすると教会が分裂するから」はありえない。

そういうことを言って教会と牧師の口封じをする向きがあっても、口封じには応じない。それも当たり前。

だけど、そういう線を貫こうとする牧師がいると、「出る」だ「抜ける」だ言って脅迫しはじめる人たちがいる。それにたいてい屈するんですよね、牧師たちは。

そういうことにならないために、教会自身が政治的態度決定しなくて済むように、教会の外に「キリスト教政党」を作るのがベストなんだと思うんです。

キリスト教主義学校があり、キリスト教主義福祉施設があるなら、キリスト教政党がなかったら、本当はつじつま合わないはずなんです、日本でも。

だけど、ない。作る気がない。動かない、動けない。事情はこんなところには書けませんけどね。

「教会と牧師は政治的発言をすべきでない」と言いながらキリスト教政党を作る努力をしようとしないキリスト教関係の思想家たちが支配的な立場にとどまるかぎり、日本においてキリスト者が政治的に無力であるばかりか、社会的に魅力がないのは、ある意味で当然のように、ぼくには見えています。

ジャストこの点が、ピンポイントでファン・ルーラーのバルト(主義者)批判の核心部分なんです。

カール・バルトは「キリスト教政党反対論」の急先鋒でしたから。

ドイツの隣国オランダには19世紀に歴史的淵源をもつキリスト教政党「反革命党」がありましたが、その党にオランダのバルト主義者は反対票を投じ、労働党(共産党に近い)支持を訴えました。

反革命党の「キリスト教哲学」などというマヤカシにごまかされないで、教会自身が「神学」をもって政治的態度決定をしなくてはならないとバルト主義者は主張しました。実際バルト自身は社会民主党に入党したし、自分の学生たちにキリスト教政党には反対票を投じるように働きかけたのでした。

バルト主義者たちの主張はある意味でよく分かるものです。キリスト教政党の保守性は、ヨーロッパの若い世代の人たちには目に余るものがあったに違いない。

教会の動きは遅いですからね。ぼくらだって、いまだに1890年訳(二世紀も前!)の「主の祈り」をいまだに唱えてたりしますでしょ。

2012年12月19日水曜日

AKBの魅力は「全体の部分となる勇気」のほうだと思う

ぼくはAKBのことは嫌いではなくて、ていうか、実はかなり好きなほうなんですけど、カメラをかなり引いて全員が写っていて、みんなのダンスが揃っているのを見るのが好きなんです。チアガールを見てる感じ、ですかね。

そのなかで見れば、たしかに前田さんはいつも笑顔でしたから光ってました。だけど、それは全体の中の一人だから光っていたのであって、単独でどアップで写しても、それは別に普通の女の子ですよね、とぼくは思っています。普通であることが悪いわけでもない。

AKBの魅力がもしあるとしたら、パウル・ティリッヒの『存在への勇気』の言葉をいきなり持ち出せば、「全体の部分となる勇気」(A courage to become a part)を一人一人がわりと強く持っていて、厳しい練習を耐え抜いて、ダンスをピタッと合わせる、みたいなことではないでしょうか。

その意味では、ぼくは前田さんを「尊敬」はしてます。「よくがんばったね」と言ってあげたくもなる。前田さんはぼくの子どもくらいの年齢なんでね、親心というやつです。

だけど「キリストを超えた」とは言わないし、思わないです。

2012年12月18日火曜日

「ネットは手段。早く人間になりたい」

キリスト教記者クラブ発題

(2012年12月17日、キリスト教記者クラブ第22回オフ会、於 日本基督教団富士見町教会)

はじめに

今日はキリスト新聞社の松谷信司さんからお勧めをいただき、発題の機会が与えられましたことを感謝いたします。しかし、今日のテーマは「ブロガー牧師に訊く~教会の発信力 第2弾」とのこと。正直言って、かなり緊張しています。以下、その理由。

第一に、現時点で自分のブログを開設している牧師たちは大勢いる。また、コンピュータのハード面やプログラミング等の知識は皆無です。恥ずかしくてたまりません。

第二に、私は「ブロガー牧師」と呼ばれるほどの人間かどうかが分からない。ブログとFacebookをかなりの頻度で更新していることは否定できません。しかし、ほかの人と比べたことはありませんし、それを調べる方法を知りません。

第三に、副題が「教会の発信力」である。しかし、私のブログ(http://yasushisekiguchi.blogspot.jp)は「教会の公式発信」ではなく完全に私的な雑記帳です。そのため「教会の発信力」を問う場で私の話が参考になるとは思えません。

第四に、牧師がブログを開設し、「説教」や「神学」について、あるいは「日記」を書く場合、職務の延長線上の「伝道」や「牧会」や「教育」、あるいは「業務日誌」が目的であることが多いのですが、私のブログはそういうのとは全く違います。もっとネガティヴな動機でした。

しかし、今日は最後の点についてお話しすることにします。私は何のためにブログを開設したのか。その話ならばできるし、たぶん面白いと思っていただけるし、誰かの参考になるかもしれません。

1.インターネットを始めた二つの動機

ネット上でのやりとりを始めたのは1996年8月です。四歳上の実兄から譲ってもらったWindows3.1を載せたラップトップで「パソコン通信」を始めました。パソコン通信は厳密にはインターネットとはベツモノかもしれませんが、入門編にはなりました。

パソコン通信を始めた当時は、福岡県の日本基督教団の教会にいました。しかし、その5カ月後、1997年1月にその教会を辞任し、神戸改革派神学校の聴講生になりました。そして1997年4月に日本基督教団の教師を退任し、神戸改革派神学校に入学し、1998年6月に卒業しました。そして、1998年7月に山梨県の日本キリスト改革派教会の牧師になりました。初任給でデスクトップを買い、本格的にインターネットを始めました。

インターネットを早く始めたいと願っていました。動機は以下の二つです。第一の動機は日本基督教団の教師や信徒との連絡関係を復旧したかったことです。私は牧師の子弟ではありませんが、教会役員の家に生まれた日から31歳まで日本基督教団のフレームから外に出たことがありませんでした。しかし、誰にも相談せずに忽然と消えました。それは義理を欠くことですので、せめてお詫びぐらいしなくてはならないと思っていました。

つまり、私のネット開設の動機は「教団離脱の釈明のため」でした。明るい面よりも暗い面のほうが強かった。これが、動機がネガティヴだと言った理由です。

しかし、インターネットを始めた動機はそれだけではありません。第二の動機がありました。それは、ネットを用いて教団・教派の壁を超える「神学研究会」を作りたいということでした。

ヒントは、パソコン通信で行われていたキリスト教フォーラム(「ハレルヤ・ハレルヤ」など)でした。ただし、私は当時パソコンそのものが全くの初心者だったこともあり、パソコン通信で(「炎上」という言葉は当時はありませんでした)激論が交わされているのを遠巻きに眺めていた程度です。その様子を見て恐れをなし、私が作るとしたら、もっと穏やかな神学研究会が良いのだけれどと、空想していました。

2.メーリングリストの結成

それで初めて立ち上げたメーリングリストが1999年2月に結成した「ファン・ルーラー研究会」でした。20世紀オランダのプロテスタント神学者アーノルト・ファン・ルーラーのオランダ語テキストを日本語に翻訳し、紹介するためのメーリングリストです。それを東京神学大学の同級生4人で立ち上げましたが、次々に新しいメンバーを得、5年後の2004年には100名を超えるようになりました。

そのような中で、私はインターネットのポテンシャルを実感するようになりました。何よりもまず、メーリングリストを立ち上げたばかりの頃、アメリカ・ニュージャージー州ニューブランズウィック神学校のポール・フリーズ教授が「ネット検索で」わたしたちのことを探し当ててくださり、メールを送ってくださいました。フリーズ教授はファン・ルーラーについての博士論文をアメリカ人として初めて書いた方です。

オランダの実践神学者であるユトレヒト大学神学部ヘリット・イミンク教授とのメールのやりとりは、1999年から始まりました。将来的に版権の交渉をする日が来ることに備えて、ファン・ルーラーのご家族とのコンタクトがとれました。三女ベテッケさんがコミュニケーション論の世界的権威者になり、現在はアムステルダム大学名誉教授です。

そして、2008年12月10日にアムステルダム自由大学で行われた「国際ファン・ルーラー学会」の主催者から私宛ての招待状が届きましたので、教会と私の実家から渡航費援助を得て初めてオランダの地を訪ね、200人の神学者の前で英語スピーチをさせていただきました。イミンク先生が私を出席者に紹介してくださいました。ユルゲン・モルトマン先生との記念写真は私の一生の宝になりました。

私は外国に留学したことがないのです。しかし、そのような者でも、これだけの知己を得ることができました。インターネットなしには全く考えられないことです。

しかしながら、メーリングリストという仕組みには明らかに限界があるということも、同時に痛感してきました。わたしたちの活動に賛同し、喜んで応援してくださる方々もたくさんいらっしゃるのです。しかし、メーリングリストそのものは、やはりたびたび「炎上」しました。私の書き込みへの反発や批判が多いので、寿命が縮みました。

それが苦痛で、私はとうとうメーリングリストには何も書けなくなってしまいました。メーリングリストは解散していませんが、閑古鳥を鳴かせたまま放置しています。申し訳ないことですが、私の心理的な限界です。

しかし、私はファン・ルーラーの翻訳と研究を放棄したわけではありません。次善策として考えたことが、メーリングリストに替わる新しいアリーナを探すことでした。

3.メーリングリストに替わる新しいアリーナを求めて

メーリングリストの替わりになる新しいアリーナはどこでしょうか。実はまだ見つかっていません。

申し訳ありませんが、最初から問題外であると感じられたのは、匿名ネット掲示板「2ちゃんねる」でした。メーリングリストでやりとりしていたのは、オランダ語原文、日本語訳、訳者としての解釈を併記したうえでメーリングリストに流し、議論を交わすというものでした。そのときの真剣な雰囲気を再現することは、匿名掲示板では不可能であることが、すぐに分かりました。実際に試したことはありません。

実際に試そうとしたのは半匿名SNS「ミクシィ」が最初でした。しかし、私の感性が耐えられませんでした。画面のデザインとか、派手な広告バナーとか、落ち着いて神学議論ができる環境が整うとは思えませんでした。

Facebookを始めたのは、その後のことです。今のところ、Facebookまでたどり着いたところです。つまり、私にとってのFacebookは、「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストの代替地を探す旅の途中で立ち寄っただけなのです。

私の目標は、メーリングリストでもブログでもFacebookでもありません。リアルの教室で「ファン・ルーラー研究会」を行うことです。それはメーリングリストを立ち上げた最初の日から願ってきたことです。しかし、バスや電車や自動車や飛行機で、大学や神学校などで開かれる研究会に出席できる人たちはごくわずかであり、金銭的に恵まれた人だけです。それが多くの牧師たちにはできないので、仕方なくネットを利用してきたのです。

いろんな批判を受けてきた14年間でした。「オタク牧師」、「勉強好き」、「パソコンの画面より人の顔を見たほうがいいんじゃないか」、「地に足がついていない」など。「神学」でも「ファン・ルーラー」でも一円の収入も得たことはなく、聞こえてくるのは文句ばかり。

このようなことを言われてしまう私の側にも非があることは、自覚しています。しかし、「神学」を完全に放棄してしまった牧師の語る説教や日々の言葉に魅力があるでしょうか。私はそうは思わない。牧師たちは、教会の現場にいるからといって神学を放棄するわけにはいかないのです。神学教師でもなければ神学博士でもない私が教会の牧師室でファン・ルーラーのオランダ語テキストを読み続けているのは、それが毎週の説教や日々の牧会に大きな力を与えてくれると信じているからです。

ファン・ルーラー研究会の結成当初からの目標は、巻数はともかく、日本語版『ファン・ルーラー著作集』を出版することです。ネットはあくまでも「手段」です。「早く人間になりたい」と願っています。しかし、「縦に立つ」本の厚さに達しないので、ネットの中から出ることができないままです。

4.キリスト教メディアへの提言

最後にいくつかの提言を述べさせていただきます。

(1)キリスト教の「ブログ本」を増やしてほしい

ブログで公開された文章をまとめた「ブログ本」が、キリスト教出版界でももっと出るようになることを望みます。ブログで読者を得た後に出版される紙の書籍は、「著訳者略歴」の内容よりも、本全体の中身の質が重視されるようになると思われます。そうなれば、日本の教界にも見られる奇妙な肩書き主義から解放される機会になるかもしれません。

(2)牧師のブログ利用を奨励してほしい

牧師が自分のブログやSNSをしていると「オタクだ」なんだと非難しはじめる人々がいまだにいる日本の教会文化の方向性が変わっていくように、キリスト教メディアからの働きかけを望みます。

(3)神学者のブログ利用を奨励してほしい

私の耳に繰り返し聞こえてくるのは、「神学とキリスト教の本は難しい」とつぶやく人の声です。しかも、その人たちの多くは「自分のアタマが悪いからだ」と自分を責めています。しかし、悪いのは読者ではなく、難しい文体で読者を悩ましている著者たちであり、訳者たちです。神学者たちこそ自分のブログやSNSを持ち、そこで自分の文章を磨くべきです。

ちなみに、現在私のFacebookの「友達」は300名強ですが、その内訳は日本キリスト改革派教会のメンバーが33%、日本基督教団のメンバーが31%(東日本大震災以降に増えました)、他教派の方が24%、そして他宗教ないし無宗教の方が12%です。年齢層は、17歳の高校生から85歳の長老まで。そのような幅広い層の方々に喜んでいただけるような文章を書くにはどうしたらよいかを常に考えています。そのような方法でも、神学の文体を磨くことができると思うのです。

(4)説教原稿のブログ公開の意義

これはまたネガティヴな話です。

牧師と信徒の間に起こるトラブルのきっかけの多くは、日曜日の礼拝での説教です。

「先生は○月○日の説教で、私に当てこするようなことを言いましたね。そのようなことをする牧師の教会にはもう二度と通うことはできません。」

「いえいえ、そんなことを私は言っていません。」

「いや、言いました。」

「いえ、言っていません。」

この種の「言った、言わない」の不毛な論争を私自身も経験してきました。

この論争の解決方法は、すべての説教原稿をブログで公開することです。そうしておけば、「読んでください」と言えば済むし、それでも済まない場合は第三者がジャッジしてくれます。

ちなみに、私が説教原稿をブログで公開しはじめて以来、その種の論争はピタリと止まりました。説教原稿のブログ公開は「自己防衛」でもあるのです。

2012年12月10日月曜日

「第四章 AKBは世界宗教たりえるか」は考えさせられました


昨日アマゾンから届きました。

濱野智史『前田敦子はキリストを超えたーー〈宗教〉としてのAKB48ーー』(ちくま新書、筑摩書房、2012年)。

205ページありますが、90分で読み終えました。「うすい」本です。

「読む」というほどのものではない。チラシです。「眺める」でいい感じ。

まあ、でも、これからお読みになる方々のことを配慮して、ネタバレはしないでおきます。

濱野という人の本は、ぼくは初めてです。1980年生まれだそうで。

「キリスト」うんぬんと言われているので総毛立つ向きもあるかもしれませんが、目くじらを立てるほどの内容ではないです。

ただ、もうちょっとヒネリというか深みというか、あるのかなと期待しましたが、そのへんはちょっと。

首筋に力が入りすぎというか。あんまり面白くはないです、文章としては。

最もきわだったテーゼはこれかなと思いました。

「筆者〔濱野氏〕の考えでは、AKBのセンター、それはキリストでも天皇でもない、おそらく有史以来誰も見たことのない、情報社会における新たな宗教的/超越的存在である」(73ページ)。

よほど好きなんだな、と思うだけです。熱意はどうぞご自由に。

しかし、「第四章 AKBは世界宗教たりえるか」は、「たりえる」と「確信」する筆者の一本調子に辟易しながらも、筆者とはたぶん全く別の視点から考えさせられるものがありました。

ぼくは「たりえないんじゃないかな」と思いながら読んだクチですが(ぼくAKB嫌いじゃないですよ)、

その理由として思い当たったのは、「だって、AKBってテレビとネットなしには成り立たない存在じゃん」ということです。

そして、「テレビ」と「ネット」は「電気」の産物。

「電気なしにはAKBは世界宗教たりえない」。

でもね、世界化した古来の宗教には「電気の力」無かったよ。

そんなことを考えさせられました。

ついでに、昨年(2011年)4月6日に、ぼくがブログに書いたことを思い出しました。

タイトルは「大節電時代の幕開けと教会の存在理由」。
http://ysekiguchi.blogspot.jp/2011/04/blog-post_06.html

なんだか恥ずかしい文章なのですが、「教会」そのものにはいざとなったら「電気」は要らないという旨、書き散らしたものです。

その意味では、聖書と神学書は、「電子書籍化」の趨勢には最後まで白旗をあげないで、「紙の本」であり続けてほしいです。

世界の終末には、たぶん「電気」は無い。

その日にも聖書と神学書を読むことができるように。

駄文、お許しください。

2012年12月9日日曜日

イエス・キリストの生まれた場所はどこですか


ルカによる福音書2・8~20

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださたその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に留めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」

クリスマスの当日、あるいはアドベントの日曜日には、だいたい毎年、いまお読みしました個所を開いて説教してきました。私がこの教会の牧師として参りましてから来年3月で丸9年になりますので、この個所で9回目の説教になると思います。

ただし、この10時半からの朝の礼拝で毎年必ずこの個所で、ということではなく、9時半からの日曜学校の礼拝でおこなった年もありますので、この礼拝で正確に9回目ということではありません。

しかし私は、この個所の説教をするたびに、本当に難しい個所だと感じてきました。何が難しいのでしょうか。昨年も同じようなことを申し上げたかもしれませんが、いったい私はどのような顔をしながら、この個所に書かれていることを皆さんにお話しすればいいのかが分からないのです。

また、いま言ったのと同じことを反対から言い直しただけのことを申します。私が説教するときは皆さんの顔がよく見える位置にいます。この個所の話をしているときの皆さんが、難しそうな顔をしておられるのがよく見えるのです。

どうしてそうなってしまうのか、その理由はいくつか思い当たることがあります。

そのなかで私が最も申し上げたいことは、とにかくこの個所には「天使」が登場するということです。それがこの個所を難しくしている一番の原因ではないかと、私は考えています。しかも、天使が登場しなければ決して話が成り立たないほど、彼らは非常に重要な役割を果たしているのです。

しかし、天使とは何でしょうか。これが分からないのです。どのような顔をして話せばいいのかが分かりません。

聖書に出てくるので、私は天使の話をします。しかし、教会を一歩離れて、たとえば、すぐそこのマルエツのスーパーとかでお会いするご近所の方々に天使の話をできるかといえば、私にはできません。ふだんなら決してしない話を、私は、教会の中で、礼拝の中で、聖書に基づいてしています。

皆さんはどうでしょうか。今日それぞれご家庭にお帰りになって「今日は天使の話を聞いてきた」とお話しになると「大丈夫?」と心配されてしまうのではないでしょうか。

これを私はふざけて言っているわけではなくて、大真面目に言っています。真剣に言っています。くれぐれも誤解が無いように申し上げておきますが、私は、聖書に書かれていることを信じることができないというようなことを言っているのではないのです。天使の存在を信じることができないとも言っていません。

言い方はおかしいかもしれませんが、天使がいても、私は全然構いません。「いるか、いないか」と問われれば、「いるでしょうね」と答えたい人間です。しかし、「それはどのような存在なのかを説明してください」と言われても、それは答えられません。そのことが私には難しいのです。もしかしたら、私の性格が少し真面目すぎるのかもしれません。

このように考えるのは私だけはないと思うのですが、何かの話をすることを求められている者たちがその話を聞いてくださる方々に願っているのは「今日の話はよく分かった」と思っていただけることです。その内容に納得も理解もできないとしても、この人は何を言いたいのかとりあえず分かったと感じていただくことができればそれでよいと思っています。

しかし私は、天使の話をどのようにすれば、皆さんにそう感じていただけるのかが分かりません。頭を抱えてしまいます。

その点においては、先週お話ししましたマタイによる福音書に出てくる東の国の占星術の学者たちの話のほうが、まだ簡単にできるものがあります。

彼らが見たのは天使ではありませんでした。彼らは星の動きを研究しました。当時の高等な数学や天文学を駆使して、世界の運命であるユダヤ人の王の誕生を言い当てました。彼らなりの理論があり、彼らなりの合理的な結論に基づいて、イエスさまのもとにやってきたのです。

しかし、今日の個所に出てくる羊飼いたちには、学問も理論もありませんでした。彼らが見たのは彼らの前に突然現われた「主の栄光」であり、「天使」であり、「天の大軍」でした。そして、彼らは天使の声を聞き、その中で語られた救い主の誕生についてのお告げを聞いて信じたのです。

星の動きを天文学的に観察して、理論的な結論を出してきた占星術の学者たちと、全く違う方法でイエスさまのもとにたどり着いた羊飼いたちとは、大違いなのです。

私も心から尊敬している改革派教会の先輩牧師である榊原康夫先生が、今から40年も前の1972年に出版されたルカによる福音書の解説書(『ルカの福音書』いのちのことば社、1972年)の中で、今日の個所について重要な言葉を書いておられます。「羊飼いは、野宿のため神殿儀式などに参加できないので、ユダヤ教から破門され、裁判の証言も許されませんでした」(43ページ)。

これがどういうことを意味するのかといえば、羊飼いたちはふだんから聖書の言葉を学ぶことさえ許されていなかったということです。ですから、たとえばの話ですが、彼らが聞いた天使の声の内容は、彼らがふだんからユダヤ教の会堂や神殿に足を運び、ユダヤ教の祭司や律法学者たちから聖書に基づく説教を聞いていたので、その言葉を思い出したのだというような合理的な説明は成り立たないということです。

彼らは天使の夢を見たのでしょうか。つまり、彼らは野宿しながら居眠りをしていたのでしょうか。もしかしたら、そのような説明のほうがまだ成り立つかもしれません。マタイによる福音書の最初のほうに出てくる、イエスさまの母マリアの夫ヨセフについて書かれている個所には、「主の天使が夢に現れて言った」(マタイ1・20)と記されています。これで分かるのは、天使は夢の中にも現れる存在であるということです。

もしそうなら、羊飼いたちが見た天使についても、「実をいえば彼らは仕事中に居眠りしていました。それで天使が出てくる夢を見たのです」と説明したとしても、それは絶対に間違っていると責められることまでは無いはずです。天使は夢にも出てくる存在だからです。しかし、今日の個所に羊飼いたちは眠っていたとか、夢の中に天使が現れたとは、どこにも書かれていません。

しかし、このことについて、私は今日、ああでもない、こうでもないとしつこく言うのはやめます。一つのことだけに絞ってお話しします。それは、先ほど少し触れました、先週学んだ個所に出てくる東の国の占星術の学者たちと、今日の個所の羊飼いたちとの違いという問題です。

はっきり言いますが、「占星術」は、わたしたちには全く受け容れられない異教の立場です。たとえそれがどのような学問の研究に基づいていようとも、太陽や月や星の動きによってわたしたち人間と世界の運命が決定されているということはありえません。わたしたちは、そのようなことを信じることができません。それは運命論です。わたしたちが受け容れている信仰はそのようなものではないのです。

それに対して、羊飼いが見たのは「天使」でした。彼らが聞いたのは、天使の声であり、天の大軍の歌声でした。天使の存在、またその姿やその声には科学的な根拠があるのかと問われるなら、そんなものは無いと答えざるをえない。そんなのは神話だと言われればおっしゃるとおりだと答えざるをえない。そんなものを当てにして、ベツレヘムの羊飼いたちはイエスさまのもとへとやってきたのです。

今日私が申し上げたいことは、わたしたちが受け容れている信仰とはそのようなものだということです。わたしたちの信仰に科学的な根拠などはありません。

そして、今日も思い起こしていただきたいことは、わたしたちが最初に教会の門をくぐり、礼拝に出席し、説教を聞いた日のことです。

私から皆さんにお尋ねしたいことは、皆さんが初めて教会に来られたときの理由やきっかけは、太陽や月や星の動きのようなものによって決定づけられた動かしがたい運命だったのでしょうかということです。科学的理論に裏打ちされた不動の真理が、皆さんを教会の中まで運びこんだのでしょうか。そんなことはありえないと思うのです。わたしたちは、そういうふうな信じ方はしていません。

羊飼いたちが聞いた天使の声は「恐れるな」というものでした。その続きはこうです。「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。

これは運命論ではありません。夜通し野宿をして羊の番をすることでユダヤ教から破門されていた、過酷な労働や社会的な差別に苦しんでいた名もなき人たちへの励ましの言葉でした。そのあなたがたのために救い主が来てくださったのだという慰めの言葉でした。あなたがたは価値なき人間ではない。あなたがたのために救い主が生まれてくださったゆえに、という喜びの知らせでした。

そのしるしは「飼い葉桶に寝ている乳飲み子」である。羊飼いたちが生きている彼らの現実に近い場所で、救い主がお生まれになったのです。

イエス・キリストが生まれた場所はどこでしょうか。この質問にはいろんな答え方が考えられます。「ユダヤのベツレヘムです」という答え方もあれば、「地球です」という答え方もあります。今日の私の答えは「苦しんでいるあなたのところ」です。あなたのためにキリストが来てくださったのです。

わたしたちが教会に来て、神を礼拝することは、わたしたちの運命なのでしょうか。こうするしかない、他にどうすることもできない抗いがたい運命だから教会に来ているのでしょうか。そんなことはないのです。わたしたちには自分の意志があります。運命のリモコンに遠隔操作されているわけではないのです。

人生の苦境に立たされ、嫌な思いを味わい、逃げ場を求めていたそのとき、夢なのか現実なのか、どこからともなく、このわたしを慰め、励ましてくれる声が聞こえた。ような気がした。それでいいのです。

科学的根拠などはない。とにかく教会に来ました。このわたしのために救い主が生まれてくださった。それを信じる。

それがわたしたちの信仰なのです。

(2012年12月9日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年12月2日日曜日

クリスマスの意味は「キリスト礼拝」です


マタイによる福音書2・1~12

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」』そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう』と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を献げた。ところが、『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」

12月を迎えました。今年のクリスマス礼拝は12月23日に行います。そして今日からアドベント。クリスマスに向けての準備を始めたいと思います。

いまお読みしました聖書の個所に書かれているのは、約二千年前、ユダヤのベツレヘムでイエス・キリストがお生まれになったときの出来事です。占星術の学者たちが東の国からイエスさまのもとにやってきました。そのときの様子が書かれています。

「占星術の学者」と訳されるようになったのは、日本語の聖書の中では、新共同訳聖書がおそらく初めてです。すべての日本語聖書を調べることができたわけではないので確実なことを語れないのが残念ですが、おそらくそうです。

新共同訳聖書以前は、ほとんどすべて「博士」と訳されていました。ギリシア語でマギと呼ばれる人たちでした。マギは、わたしたちがよく知っている英語マジシャンの語源です。マジシャンならば意味が分かるでしょう。手品師のことです。あるいは奇術師です。「二千年前にイエスさまのもとにやってきたのは手品師でした」と説明するのは間違っていると思います。しかし、「彼らは占星術の学者でした」という説明は正しいのです。

占星術は大昔から、そして今でも行われています。いわゆる星占いのことです。皆さんの中にも、自分の誕生日は何座であるかをご存じの方は多いでしょう。

私も知っています。11月16日生まれですから、さそり座です。1965年生まれですから、へび年です。へび年の、さそり座生まれです。だから毒気の多い人間になったのだと、冗談のような話をすることがあります。そういう話は私にとっては冗談以外の何ものでもないです。しかし、ある人々にとっては大真面目な話かもしれません。

占星術は、大昔から高等な数学や天文学を駆使して営まれてきた一つの学問でした。その意味では、一昔前の日本語聖書で「博士」と訳されていたことには、それなりの理由があったと考えるべきなのです。

わたしたちは知らなくてもよいことだと思うのですが、世間の人たちの中には今月(2012年12月)に人類が滅亡するということを、わりと大真面目に信じている人たちがいるようです。興味のある方はインターネットでお調べになれば、そういうことがたくさん書かれていることが分かるでしょう。

そのことについて今日私は詳しく説明したりはしません。しかし、一つのことだけを申し上げておきます。それは、わたしたちはそのようなことを信じていません、ということです。今月、人類は滅亡しません。どうかご安心ください。

しかし、そのようなことを大真面目に信じている人たちは、一種の占星術や暦のようなことを根拠にしてそのようなことを言っています。ですから、私が申し上げたいことは、今月人類は滅亡しないということだけではありません。いわゆる占星術であるとか、暦であるとか、そのようなことを根拠にして主張される人類と世界の運命論のすべてをわたしたちは断固として拒否しなければなりません。そのようなことを申し上げたいのです。

なぜ断固として拒否しなければならないのでしょうか。それは結局、一つの宗教の形をとっているからです。わたしたちの宗教は、星や太陽や暦そのものが人類と世界の運命を決定するというような立場とは全く相容れません。それは、わたしたちが信じているのとは異なる、一つの宗教思想です。

先ほど申し上げた「私はへび年のさそり座です」というような話も、冗談として話すことはあっても、本気で言ったりすることはありません。冗談が通じないことが分かっている人の前では、口にすることもありません。

二千年前にイエスさまのもとにやってきた東の国の占星術の学者たちについても同じことが言えると私は考えています。

彼らについて聖書に「東の方からエルサレムに来た」とわざわざ書かれているのは、彼らがユダヤ人ではないこと、すなわち、聖書の教えを信じていたわけではなく、聖書の神を信じていたわけでもない、異なる宗教思想の持ち主であったことを示そうとしていると考えられます。

そのような人々のことを、聖書は「異邦人」と呼びます。それは、異なる教えに立つ人という意味での異教徒のことです。「異」という字を使いますと、異質な存在を差別しているとか、みくだしているとか思われてしまう可能性があるので気をつけなくてはならないのですが、わたしたちはそのようなことまでは言っていません。違いがあることは事実なので、事実を事実として述べているだけです。

しかし、ここから先が重要な点です。今日の個所に書かれていることは、聖書の教えとは異なる宗教思想の持ち主である東の国の占星術の学者たちがユダヤのベツレヘムまでやってきた、ということです。そして、そのような人々が、まだお生まれになったばかりのイエスさまの前にひれ伏して拝み、「宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節)と書かれています。

彼らは、どのような方法でイエスさまがお生まれになったことを知ったのでしょうか。その方法が次のように書かれています。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2節)。

彼らが見たのは「その方の星」でした。つまり、彼らは占星術という彼らなりの方法で調べた「星」の動きや現われ方などによって、イエスさまのご降誕を知るに至ったのです。星の動きや現われ方というようなことでイエスさまのご降誕を知ることができるのであれば、占星術というのもそれなりに信頼できるのではないか、というふうな気持ちになるかもしれません。しかし、私自身はそういうことまでは考えませんし、そのように考えるのは危険だと思っています。

しかし、それでも私には、一つのことだけは語ってよいかもしれないと思っていることがあります。それは、たとえどのような方法であれ、どのようなルートを通ってであれ、彼らがイエスさまのもとにやってきて、イエスさまの前にひれ伏し、イエスさまを拝み、自分の宝箱を開けてイエスさまへの献げものをしたこと自体は神が喜んでくださる素晴らしい礼拝だったのだ、ということです。

彼らはイエスさまを拝みました。イエスさまを拝むことが「礼拝」です。いまここで、わたしたちが行っているこの礼拝も「礼拝」です。わたしたちは今イエスさまを拝んでいます。そのことを二千年前に、異教徒である占星術の学者たちも行ったのです。彼らがしたことと、今わたしたちがしていることとは、本質的に同じことなのです。

そのように考えてみるときに、私には思い当たることがあります。それは、わたしたち自身も必ず体験したことです。それは、わたしたちにも、初めて教会の門をくぐり、礼拝に出席した最初の日が必ずあるということです。そのときわたしたちは決して、純粋な動機だけで教会に来たわけではないはずなのです。

実際私はいろんな人からいろんな動機を聞いてきました。「彼女が欲しいと思っていました。それで教会に行ったら、青年会に素敵な女性がたくさんいたので洗礼を受ける決心をしました」という話を聞いたことがあります。「音楽が好きでした。教会に行ったら素敵な賛美歌をたくさん歌っていたので、洗礼を受ける決心をしました」という話も聞きました。例を挙げれば、きりがありません。

最初の動機やきっかけは、人それぞれです。方法もルートも、人それぞれです。だれがどのような経緯をたどって教会までたどり着いたのかについて、そういう動機は不純だとか、そういうきっかけは間違っているなどと、他人のことを責めたり裁いたりすることができる人は一人もいないのです。

もしそのことを受け容れていただけるなら、占星術の学者たちがイエスさまのもとへとやってきたときの彼らの方法や動機を間違っているとか、そういう人には来てもらいたくないと考えたりすることが、いかに間違っているかを理解していただけるだろうと思うのです。

私はいま、皆さんのことをどうこう言いたいのではありません。私はかつて、牧師になりたての頃、スーパーとかデパートとか遊園地とかレストランとか、そのようなところでクリスマス、クリスマスと大騒ぎしているのを快く思っていなかったことがありました。そのことを正直に告白しておきます。

そして教会のポスターや看板やチラシの中に「本物のクリスマスをお祝いしているのは教会だけです」というような言葉を好んで書いていたことがあります。教会以外の場所で、クリスマスの何たるかも知らない人たちが大騒ぎしているのは、偽物のクリスマスであると主張したくて仕方がありませんでした。

しかし、今の私は少し変わりました。完全に変わってしまったわけではなくて、少しだけですが。しかし今の私は、動機が不純な人たちにはクリスマスのことなど口にしないでほしい、というようなことを考えなくなりました。そのようなことを考えているときのわたしたちは、自分が初めて教会に来た日のことをすっかり忘れてしまっているのです。

わたしたちのうちのだれが最初から純粋だったでしょうか。初めから神の御心のすべてを理解して教会に通いはじめる人など一人もいないのです。もしそういう人がいるなら、教会は要らないのです。教会で聖書のみことばを学ぶ前から神の御心のすべてを理解できる人がいるのなら、教会も、聖書も、そして牧師も要らないのです。

クリスマスの意味は「キリスト礼拝」です。そのことは確実に言えることです。しかし、その礼拝において礼拝されるイエス・キリスト御自身がすべての人をみもとに招いておられるのです。どんな人でも、どんな動機でも、どんな理由でも、イエス・キリストが歓迎してくださいます。

救い主は、あなたのためにお生まれになったのです。

(2012年12月2日、松戸小金原教会主日礼拝)