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2024年9月1日日曜日

エレミヤの預言

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「エレミヤの預言」

エレミヤ書28章1~17節

関口 康

「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる、わたしは、これらの国すべての首に鉄の軛をはめて、バビロンの王ネブカドネツァルに仕えさせる」(14節)

今日のテーマは「エレミヤの預言」です。

エレミヤ書はユダヤ教聖書の第二部「預言者」(ケトゥビーム)の第二部(3大預言書と12小預言書)の前者3大預言書(イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書)に位置します。

エレミヤは「記述預言者」(Writing Prophets)の一人ですが、エレミヤ書は書記バルクが書いたものであることが、36章4節に記されています。

「3大」と「12小」の違いは「3人の偉大な預言者と、12人の小物」ではなく、巻き物の長さ、書物の規模の違いです。

エレミヤ書は3つに区分することができます。彼の生涯は約40年でした。

第1期 ヨシヤ王時代(1~6章):前627年(または626年)~前609年
第2期 ヨヤキム王時代(7~20章):前609年~前598年
第3期 ゼデキヤ王時代(21~52章):前598年~580年代(?)

第1期:ヨシヤ王時代(1~6章)

ヨシヤは8歳で南ユダ王国の王になりました(歴代誌下34章3節)。15歳から16歳の頃に宗教に目覚め、20歳の頃から大規模な偶像破壊運動を始めました。「ヨシヤの宗教改革」と呼ばれます。

エレミヤが預言者として活動を始めたのはヨシヤの宗教改革の開始直後でした。そのため宗教改革にエレミヤが賛成していたかどうかが議論されます。浅野順一先生は「賛成していた」というお考えでした(『浅野順一著作集』第1巻「予言者研究Ⅰ」288頁)。しかし、「賛成していなかった」と考える人もいます(たとえば左近淑先生)。

幼いヨシヤが王になったのは本人の実力ではなく、彼を利用して自分たちの思い描く理想の政治を実現しようとするオトナの力によるもので、ヨシヤは国家官僚たちの傀儡でした。ヨシヤの宗教改革は、異教の偶像や施設を武力で破壊するだけの外面的な改革でした。

エレミヤは言いました。「ユダの人、エルサレムに住む人々は、割礼を受けて主のものとなり、あなたたちの心の包皮を取り去れ」(4章4節)。

エレミヤは心の改革、内面の改革を訴えました。ヨシヤの宗教改革とは方向性が違います。

第2期:ヨヤキム王時代(7~20章)

ヨシヤ王の死をもって南王国の宗教改革は頓挫しました。次に王になったヨヤキムはヨシヤの子でした。

国家は滅亡前夜。政権は弱体化していました。国力の弱さを知る例として挙げられるのは、ヨヤキム王が元はエルヤキムという名前だったのに、エジプト王ファラオ・ネコによってヨヤキムという名前へと改めさせられたことです。

ヨヤキムはエジプトの傀儡でした。国民はエジプト王に納めるための重い税金を課せられました。

その状況の中でヨヤキム王がしたのは、宗教的な熱狂をあおることでした。エレミヤは、ヨヤキム王の政策に反対する預言をしました。「神殿説教」と呼ばれます。

「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない」(7章2~6節)。

「主の神殿」の連呼は、宗教的な熱狂主義を煽る表現です。そのような扇動をヨヤキム政権が行い、国内の宗教的右翼に頼り、政権を維持しようとしました。

そのことにエレミヤは反対し、自国の滅亡を預言し、我々はバビロンのネブカドネツァルの軛にかかるべきであると訴えました。それは戦争の中で犠牲になりやすい、立場が弱い人たちの保護を求めるためでした。とても人道的な訴えでした。

エレミヤは自国の滅亡を預言したため、売国奴呼ばわりされ、孤立しました。悲しみの中でエレミヤは神に訴えました。

「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中笑い者にされ、人が皆、わたしを嘲ります。わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり、『不法だ、暴力だ』と叫ばずにいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい、もうその名によって語るまいと思っても主の言葉はわたしの心の中、骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです」(20章7~9節)。

孤立など本当はしたくないのだ、しかし、神が語れと命じる言葉を押さえつけると、神の言葉が自分の中で火のように燃え上がるので、語らざるをえないのだと、神の御前で叫びました。エレミヤは苦難の多い預言者でした。

第3期:ゼデキヤ王時代(21~52章)

南ユダ王国最後の王ゼデキヤは、バビロニアの傀儡でした。

バビロニアに従えば生かしてもらえたのですが、最後に反旗を翻して捕らえられ、ネブカドネツァルはゼデキヤの両眼をつぶし、青銅の足枷をはめて、バビロンに連行しました(エレミヤ書39章7節)。それが「第二次バビロン捕囚」(前587年)と呼ばれます。

その10年前、ユダヤ人の中の指導的な立場にあった人たちや、これからそういう立場に立ちそうな人たちがバビロンに連行されました。それが「第一次バビロン捕囚」(前597年)です。

その人数は、「3千人ほど」と記した箇所(エレミヤ書52章28節)と「1万人ほど」と記した箇所(列王記下24章14節、16節)があり、どちらが正しいかは分かりません。

エレミヤの活動が終了したのは「第二次バビロン捕囚」(前587年)の直後です。ユダヤ人の中の宗教的に熱狂的な立場の人々によって誘拐され、エジプトで消息不明になります。おそらく殺害されました。

さて、今日の箇所です。

第28章に描かれているのは、ゼデキヤ王時代のエレミヤです。エレミヤの前に立ちはだかったのは、正反対の言葉を語る預言者ハナンヤでした。

ハナンヤの預言は「主はバビロンの軛を打ち砕く」というものでした。「あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く、と主は言われる」(11節)。

これは、戦争を煽る言葉です。主の約束は、この戦争には絶対に勝利できるということなので、最後まで戦い抜け、ということです。

エレミヤは正反対でした。「軛の横木と綱を作って、あなたの首にはめよ」。その意味は、バビロニアに対して敗戦を認め、敵国の捕虜になるべきだということです。それも人道的観点から述べられたことでした。

「どうして、あなたもあなたの民も、剣、飢饉、疫病などで死んでよいだろうか」(27章13節)とエレミヤは訴えました。その意味は、捕虜になれば国民の生命は守られるが、戦死すれば国民は助からない、ということです。

自分とは反対の言葉を語るハナンヤにエレミヤは立ち向かいました。「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ」(15節)。

エレミヤとハナンヤ。どちらの生き方が正しいでしょうか。「わが国は必ず勝利する」と甘い言葉を語るハナンヤは人気があったでしょう。その反対のエレミヤは孤立しました。

わたしたちはどちらを目指すべきでしょうか。偽りではなく真理を語り、弱い人の側に立つことが大事ではないでしょうか。

(2024年9月1日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2017年1月1日日曜日

教会の使命いまだ已まず(上総大原教会)

エレミヤ書1章4~8節、使徒言行録22章17~21節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「主の言葉がわたしに臨んだ。『わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。』わたしは言った。『ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。』しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す』と主は言われた。」

「『さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。「急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。」わたしは申しました。「主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を迫害したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。」すると、主は言われました。「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。」』

あけましておめでとうございます。日本基督教団教務教師の関口康です。上総大原教会の新年礼拝にお招きいただき、ありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします。

しかしまた、私が今日ここに立たせていただいているのは、上総大原教会の前任者の石井錦一先生が昨年7月4日に突然亡くなられたため現在この教会の牧者が失われた状態であることを同時に意味しています。皆さまのお気持ちを思うと、胸が苦しくなります。

私も石井先生にはいろいろお世話になりました。最初にお会いしたのは13年前の2004年4月です。私は当時、日本基督教団ではなく日本キリスト改革派教会の教師でした。2004年4月に松戸市の日本キリスト改革派教会の牧師になりました。そのとき松戸教会におられた石井先生を表敬訪問したのが最初の出会いでした。

その後、石井先生から「関口くんの歓迎会をするので来てください」というお電話をいただきました。集まっていたのは松戸市内の超教派の牧師がたでした。その後も石井先生とは何度もお会いし、温かいアドバイスをいただきました。

私の父の出身教会が松戸教会です。60年前に父が千葉大学園芸学部(千葉県松戸市)で学んでいたとき、松戸市内で行われた賀川豊彦先生の伝道集会に誘われ、そこで信仰を与えられ、まもなく松戸教会で洗礼を受けました。父は大学卒業後、就職で岡山市に移り住みました。私は岡山で生まれました。

父にとって信仰のふるさとは松戸教会です。それは同時に、私の信仰のルーツが松戸教会であることを意味しています。父に洗礼を授けてくださったのは石井先生の前任者の黒岩先生でしたが、石井先生は私の父が松戸教会の出身者であることをとても喜んでくださいました。

その石井先生と最後にお会いしたのは一昨年2015年5月8日でした。私はもともと日本基督教団の教師でしたが、一昨年2015年までの19年間は日本キリスト改革派教会の教師でした。その私が再び日本基督教団の教師に戻ることを決心したときにも石井先生に相談させていただきました。そのときも石井先生は親身になって私の言葉に耳を傾けてくださいました。

しかし、それほどまでお世話になった石井先生が昨年7月4日に亡くなられたことを、私はしばらくのあいだ全く知らずにいました。昨年7月の時点では、私はすでに日本基督教団の教師であり、東京教区千葉支区の教師でしたが、私には知らせていただけませんでした。それで石井先生の葬儀に馳せ参じることができませんでした。

現在の私は高等学校で聖書を教える教員です。月曜日から金曜日までの朝8時半から夕方5時半までが勤務時間です。千葉支区教師会には出席できていませんし、千葉支区主催の行事にも出席できていません。しかし声を大にして言わせていただきます。私は日本基督教団東京教区千葉支区の教師です。ぜひ皆さまのお仲間に加えていただきたく心から願っています。

さて、その私が今日、上総大原教会の主日礼拝で、しかも新年礼拝で説教をさせていただく機会を与えられました。この教会をお訪ねするのも千葉県いすみ市に足を踏み入れるのも初めてです。全くの初対面の皆さまにどのようなお話をさせていただこうかと考えましたが、なんとか心が定まりました。ここはなんといっても、とにもかくにも「伝道」の話をさせていただこうと思いました。

この教会だけではありません。日本基督教団だけではありません。すべての教会が大きな悲鳴をあげています。伝道不振に喘いでいます。キリスト教だけではありません。宗教が弱っています。まるで役割を終えてしまったかのように。そして、なんたることか、教会や牧師たちが、まるでそのことが自分たちに定められた動かしがたい運命であるかのように受け容れ、自分たちの終わりの日が来るのを無抵抗にじっと待っているかのようです。

冗談ではありません。教会を勝手に終わらせないでください。このように言うのは、だれかを非難したいわけではありません。私自身にも責任があります。教会を勝手に終わらせてはなりません。

教会はだれのものでしょうか。そのことをわたしたちは何度も自分に問いかけなくてはなりません。教会はわたしたちのものでしょうか。ある意味で、そのとおりです。わたしたちの教会はわたしたち自身が守っていかなければなりません。

しかし、教会はわたしたちのものでしょうか。それだけでしょうか。もしそうだとしたら、教会がうまく行かなくなったら、さっさと閉じて山分けでもするのでしょうか。冗談ではありません。教会は神のものです。イエス・キリストのものです。その意味では教会はわたしたちのものではありません。そのことをわたしたちは決して忘れてはなりません。

教会に与えられている使命についても同じことが言えます。わたしたちはイエス・キリストを勝手に殺してはなりません。「もう大昔に死んだ人だろう」と、わたしたちまでが言うべきではありません。そんなのは信仰ではありません。イエス・キリストは生きておられます。そしてその生きておられるイエス・キリストから教会に、日々新しい使命が与えられ続けています。

もちろん「現実的に考えること」も大事です。しかしそこでわたしたちは屁理屈を言い続けてよいと思います。「現実」とは何を意味するのか、その定義を示してみよと、問い続けることが必要です。その問いの答えは単純なものではありえないからです。

名指しなどは避けますが、隠退した牧師のような人々が「教会の店じまいをしなくてはならない」とか言い出すことがあります。冗談ではありません。そのような言葉を聞くたびに非常に嫌な気持ちになります。教会は神のものです。イエス・キリストのものです。勝手に私物化しないでください。

初めてお訪ねした教会で、しかも新年礼拝というおめでたい場所で、なんだか腹立ちまぎれのような話をしているようで申し訳ありません。しかし私の気持ちはなんとか皆さんを励ましたいだけです。その一心で今日ここに立たせていただいています。

今日、皆さんに開いていただいた聖書の箇所は2箇所です。この教会では旧約聖書と新約聖書の両方を朗読しておられることが事前に分かりましたので、そのように選ばせていただきました。旧約聖書のエレミヤ書1章と、新約聖書の使徒言行録22章です。

2つの箇所に登場するのは、預言者エレミヤと使徒パウロです。両者に共通する要素があります。そのひとつは、御言葉を語るようにと、エレミヤは神から、パウロはイエス・キリストから命ぜられていることです。

しかし、それだけではありません。共通している要素がもうひとつあります。エレミヤもパウロもその命令をはっきり断ります。神から「しなさい」と言われたことを「いやです」とお断りするのがエレミヤとパウロの共通点です。

「はい分かりました」と二つ返事でお引き受けするというようなあり方とは全く違います。しかも彼らは、なぜ断るのか、なぜ自分はその働きにふさわしくないのか、その理由を具体的に挙げました。その点がふたりとも共通しています。

しかも彼らが挙げた理由はどちらも非常に客観的でした。説得力を感じるものでもありました。彼らが挙げた理由を聞くと、おそらく多くの人が納得したことでしょう。それは彼らが自分の姿を客観的に冷静に見つめていたことを意味しています。

エレミヤは、「わたしは若者にすぎません」と言いました。それを聞けば「たしかにそれはそうですよね。若い人には無理ですよね」と多くの人が納得しただろうと思います。

パウロは、自分がもともとキリスト教の迫害者であり、キリスト者をつかまえては殺して回っていた人間であることを多くの人に知られていることを理由に挙げて、そんな私は今さらイエス・キリストの福音を宣べ伝える働きにはふさわしくないということを言おうとしました。それもおそらく多くの人が納得できる理由です。「それはたしかに無理ですよね。やめておいて正解です」と認めてもらえる理由だと思います。

しかし、それではなぜ私は今日、伝道の話をするために、この2つの箇所を選ばせていただいたのでしょうか。皆さんにはきっともうお分かりでしょう。

私が申し上げたいのは、もしわたしたちが伝道をやめてしまい、教会をあきらめてしまおうとするならば、そのための理由もまた、客観的にあげていけばいくらでも見つかるし、どれも非常に説得力のある材料になるに違いないということです。

数え上げればきりがありません。「少子高齢化です」、はいそのとおりです。「経済不況です」、はいそのとおりです。「社会全体の宗教離れです」、はいそのとおりです。すべては客観的に正しいし、説得力があります。もはや何の反論もできません。

しかし、それが何なのでしょうか。それがどうしたというのでしょうか。そのような理由をいくら客観的に分析し、どれほど説得力をもって言おうとしても、わたしたちが教会をあきらめ、伝道をやめる理由にはなりません。「恐れるな」と言われ、「わたしがあなたを遣わすのだ」と言われ、「あなたを遣わしているのは、このわたしなのだ」と言われる方が生きておられるかぎり。

私はいま学校の教員ですので、学校が取り組んでいる客観的で学問的な社会分析といった次元のことを軽んじる意味で申し上げているわけではありません。そういうことも大事です。しかし、最終的には、そういうのは全くどうでもいいことです。

どれほど自分の姿と社会の姿を冷静に見つめ、客観的に分析しようとも、それはわたしたちが伝道をやめ、教会をあきらめる理由にはなりません。そのような理由など教会には存在しないからです。なぜなら、教会は神のものであり、イエス・キリストのものだからです。

私は、自分の伝道がうまく行ったと思えたことはありません。どこに行ってもうまく行かず、失敗だらけで、いくつもの教会を転々とし、そのたびに家族を泣かしてきた者です。そのような者が申し上げていることですから、全く説得力がない話であることは自覚しています。「こうしたら伝道はうまくいく」、「こうしたら教会は成長する」という話は私にはできません。そのことをお詫びしたい気持ちです。

本音をいえば、逃げ回りたい気持ちがないわけではありません。自分にはふさわしくないとお断りする理由をあげていけば、いくらでもあります。現実的に考えていくと、とても乗り越えられそうにない高すぎるハードルはいくらでも見つかります。

しかし、主のご命令ですから従います。教会をあきらめることができません、伝道をやめることができません。そういう感じでよいのだと思っています。

もう一回言いましょうか。わたしたちがどれほど客観的に正しく、説得力のある理由を探してきても、教会をあきらめ、伝道をやめる理由にはなりません。教会は神のものであり、イエス・キリストのものですから、わたしたちが勝手にあきらめ、勝手にやめることはできないものだからです。

上総大原教会の歩みがこれからも主に守られますようにお祈りさせていただきます。支区・教区・教団の交わりの中で、私もお祈りとお支えの仲間に加わらせていただきます。

(2017年1月1日、日本基督教団上総大原教会 新年礼拝)