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使徒言行録16・25~40(連続講解第42回)
日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康
今日の個所のパウロとシラスがいる場所は、フィリピの町の牢の中です。その中に閉じ込められています。彼らはなぜ、このような場所にいるのでしょうか。経緯は先週学んだとおりです。占いの霊(ピュトンの霊)に取りつかれていた女性がパウロたちとの出会いによって占いの仕事をやめるという出来事が起こりました。すると彼女の占いによる収入の道が途絶えたため、それを当てにして生活してきた主人たちが、パウロたちを逆恨みしました。パウロたちは捕まえられ、役人たちのところに連れて行かれ、牢の中に閉じ込められてしまったのです。
ところが、です。今日の個所に描かれているパウロとシラスの姿はあまり苦しんでいるようには見えません。うれしそうとか楽しそうというのは、当たらないかもしれません。しかし、彼らは牢の中で賛美歌をうたい、また神に祈っていたというのです!
「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。『自害してはならない。わたしたちは皆ここにいる。』」
パウロたちはなぜ、牢に閉じ込められてもそういうことができたのでしょうか。やはり普通の人とはちょっと違う感覚や能力を持っていたからでしょうか。そうだと認めざるをえない面があると思います。それではそれは何なのでしょうか。この謎を解くヒントは、使徒言行録の次の言葉にあります。「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び」(使徒言行録5・41)。そうです、キリストの弟子たちは、キリストの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを「喜ぶ」人々だったのです。
そういうのはどうかしている。おかしな人々だ。そのように見る人々もいると思います。しかし、イエス・キリストの弟子たちにとっては、それはどうもしていないし、おかしなことでもありませんでした。理由ははっきりしています。イエス・キリストというこの方こそが御自身の弟子たちのために辱めを受けることを喜んでくださった方であったということです。イエスさまは弟子たちに裏切られても、イエスさまのほうが弟子たちを裏切られることは一度もありませんでした。そのことを弟子たちは、イエス・キリストの十字架上の苦しみと復活の出来事の後に深く知ったのです。
もう二度とイエスさまを裏切るまい。そのように彼らは決心し、約束し、新しい歩みを始めたのです。パウロとシラスも、まさにキリストの弟子です。彼らはイエス・キリストを信じる「信仰者」であることを、またイエス・キリストの名を宣べ伝える「伝道者」であることを、やめることができませんでした。それをやめることは、イエス・キリストに対する裏切り行為である。イエスさまを裏切るくらいならば、イエスさまのために苦しむ者になる道を選ぶ。それが彼らの信仰告白だったのです。
そしてパウロたちは、牢の中で賛美歌をうたいました。「うるさい」だの「黙れ」だのと罵る人は、そこにはいませんでした。むしろ「聞き入っていた」。賛美歌には、人の心の中の凍りついた部分を溶かす力がある。そのように信じてよいのです。
しかし、そのとき、大きな、また不思議な出来事が起こりました。大地震が起こって、牢の戸がみな開いたにもかかわらず、パウロたちと共に牢に入れられていた囚人たちが、誰一人逃げようとしなかったという出来事です。なぜ囚人たちは逃げなかったのでしょうか。明らかに関連付けられていることは、彼らがパウロたちの賛美歌だけではなく、祈りの言葉をも聞いていたということです。そこでパウロたちが何を祈っていたかは記されていません。しかし、当然考えてよいことは、神に助けを求める祈りであっただろうということです。その祈りの言葉が、すなわち、神に対する信頼と確信に満ちた祈りの言葉が、囚人たちの心に届いた。だから、誰も逃げなかったのです。
ところが、です。それら一連の出来事の中で、激しく動揺した人がいました。牢の番をしていた看守です。
「看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。『先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。』二人は言った。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。』そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。」
看守は自害しようとしました。しかし、囚人たちは誰も逃げなかった。おそらく看守の耳にもパウロたちの祈りと賛美の声が聞こえていました。囚人たちが逃げなかった理由がそれであると、看守には分かったのです。そして、看守に分かったもう一つのことがありました。それは、まさにそのパウロたちの祈りと賛美が、自害しようとした自分自身の命を救ったのだということでした。そうであるという事情をはっきり理解できたのです。
だから看守は激しく動揺しました。そしてその動揺がまもなく求道心へと変わりました。「救われるためにはどうすべきでしょうか」。それに対する答えが「主イエスを信じなさい」ということであり、「そうすれば、あなたも家族も救われます」ということだったのです。
ここで少し立ちどまりたいと思います。今日の個所を読みながら考えさせられた一つの点についてお話しします。それは、パウロたちがこのフィリピで苦しみに会い、牢にまで閉じ込められたことの意味です。苦しみそのものに意味などあるわけがないと考えるべきかもしれません。しかし、です。パウロたちが、まさにキリストの弟子として、「イエス・キリストの名のゆえに辱めを受けるほどの者になったこと」から逃げることなく、むしろそれを「喜び」として引き受けた結果として実際に起こったことは、分析すると少なくとも五つあると、私には思われます。
第一は、パウロたちが牢の中にとにかく“入ることができた”ということです。これがどういう意味かは、後ほど説明いたします。
第二は、パウロたちが牢の中に入ることができたことによって、そこに閉じ込められていた人々に、正しい祈りと賛美の声を届けることができたということです。
第三は、パウロたちが牢の中に入り、囚人たちに祈りと賛美を届けることができたことによって、看守の命が守られたということです。
第四は、そのようにして看守の命が守られたことによって、看守のうちに救いを求める心が与えられ、洗礼を受ける決心にまで至ったということです。
第五は、この一人の看守の救いは、その人一人に終わるものではなく、この人の家族や友人たちの救いにつながるものになったということです。
これら少なくとも五つの出来事が、ひとつながりの出来事、一筆書きの出来事のように起こったと見ることができます。しかし、この中で、第一に挙げました「牢に入ることができた」という点は、とても奇妙な言い方であると思われるのは当然のことです。しかし、私が申し上げたいことは、はっきりしています。そのような場所は、普通の人にとっては滅多なことでは入ることさえできないところであるという意味です。
以前もお話ししたことがあると思います。実を言いますと、私も刑務所に入ったことがあります。このように言いますとびっくりなさる方が必ずおられるのですが、私の場合は刑務所教誨師をしておられた先輩牧師の補佐役を務めたことがあるという意味です。妻も当時は牧師でした。生まれたばかりの長男も連れて行ったことがありました。一家揃って刑務所に出入りしました(こう言うとまた誤解されそうです)。クリスマス集会のお手伝いなどをさせていただきました。
普通の人は入ることができない場所です。願って入れてもらうようなところではないかもしれません。しかし、です。もし我々がその中にあえて入っていこうとしないならば、イエス・キリストの救いを知ることも信じることもなく、自分の犯した罪を悔い改めることもないままに一生を終えなければならない人々がいるということについて、教会が何の手立ても祈りも持たないことになってしまうのです。その最初の一歩をパウロたちは踏み出すことができたのだということです。それは、祈っても願っても得ることができない、その意味で貴重な機会でもあるのだということです。
そして、いずれにせよはっきり語りうることは、パウロたちにとってこれらの出来事は全く意図も計画もしていなかったことであるということです。それだけは間違いなく言えます。そもそも、第二回伝道旅行の目的は、第一回伝道旅行のときに洗礼を受けた人々が、その後どのような信仰生活を送っているかを見届けることだけでした(15・36以下参照)。牢に入ることも、看守と家族を救うことも、あらかじめの計画がパウロたちの側にあって起こったことであると語ることは絶対に不可能です。パウロの側から言えば、文字どおりズルズルと巻き込まれるような仕方で牢の中まで引きずり込まれたのです。行きたくないところに連れて行かれたのです。
しかし、ここで考えておくべきことがあります。それは、それではすべては“偶然”に起こったことなのだろうかということです。パウロたちは“運が悪かった”のでしょうか。そういう面もあることは認めなければならないかもしれません。しかしまた、わたしたちの人生には“偶然に起こった”とか“運が悪かった”ということだけでは納得できない面のほうが多いのではないだろうかと私には思われます。
何がどうなっているのかさっぱり分からないようなゴタゴタの連続の中で、パウロたちの側から言えばただのいい迷惑だけだったような出来事の中で、しかし、とにかく一人の命が守られた。この人がとにかく死なずに済んだ。生きる望みが残されたのです。
そして、ここでこそ重んじられるべきだと私が考えるのは、要するに、この看守の視点です。つまり、「わたしは救われた」とはっきり自覚することができた人自身の視点です。一連の出来事は、少し後ろに引いたところで傍観者的に見ている他の人々の目から見ると、「すべては偶然であり、パウロたちは運が悪かったのである」ということになるかもしれません。しかし、自分の命が救われたと自覚できたこの看守の目から見ると、自分と家族の救いが起こるまでのすべての出来事のことを「偶然」の一言で片づけることはできないことではないだろうかと思われるのです。
この看守の目から見ると、このわたしの救いのためにすべてを神が計画してくださったのだと分かる。もちろん、パウロたちと女奴隷との出会いのところから神のご計画です。そして彼らが牢に入れられたことさえも、看守とその家族を救うというその目的のために、主なる神御自身が計画してくださったことである。そのように見ることが、この看守には、そしてわたしたちには、許されると思うのです。
皆さんに、ぜひ信じていただきたいことがあります。「このわたしが神のご計画によって救われたのだから、わたしの家族も神のご計画によって救われるのだ」と信じていただきたいのです。それは迷信でもきれいごとでもありません。申し上げていることの意味は、このわたしの存在が神のご計画のために「用いられるのだ」ということです。わたしたちは、「どうか神よ、このわたしを主の御用のために用いてください。このわたしを通して、わたしの家族に救いを与えてください」と祈らなければならないのです。
(2008年1月20日、松戸小金原教会主日礼拝)