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2025年5月11日日曜日

聖書と生活

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教 「聖書と生活」

テモテへの手紙二4章1~8節

関口 康

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(2節)

「されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり」(日本基督教団信仰告白)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」の2回目です。私は1冊の本を書こうとしているわけではありません。教会ブログで公開しているのは説教原稿です。実際の礼拝では、もっと多くのことをお話ししています。礼拝に来てくださっている方々にご理解いただけば、目標達成です。ご意見があればぜひご来会ください。お待ちしております。

前回から「聖書とは何か」についてお話ししています。ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の文章を参考にしつつ、聖書が「ユダヤ人によって書かれた書物」であることが「外部の真理」であることを意味し、聖書の教えを受け入れることが過去の歩みとは異なる方向への「転換」をもたらし、「回心」をもたらすということをお話ししました。

今日は前回の続きです。今日取り上げるのは「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り」という条文です。聖書の霊感(れいかん)の教理と言います。

証拠聖句はテモテへの手紙二3章16節「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」です。「霊感」と聞くと「霊感商法」を連想する人が多い時代になりました。しかし「霊感」とはインスパイア(inspire)のことです。名詞形はインスピレーション(inspiration)です。ごく普通の文脈で用いられています。

聖書が「神の霊感によって成った」とは「神の霊」すなわち「聖霊」の導きの下に100パーセント人間によって書かれたことを意味します。それ以外の意味はありません。

「神の霊は、神ご自身ではない」と考えられることもありますが、それは誤解です。神の中から噴き出した気体(?)や、流れ出た液体(?)のようなものを想像するのは間違いです。

次回は三位一体の神について学びます。「神の霊」は「父、子、聖霊なる三位一体の神」としての「聖霊」ですので、端的に「神」(God)です。聖書の霊感の教理も、「聖書は〝聖霊なる神〟の導きによって(人間によって)書かれた」と言っているだけです。

ですから、この教えは決して難しい話ではありません。むしろ、すっきりした気持ちになれるほど、聖書は100パーセント人間によって書かれた書物であると、何の躊躇もなく説明することができます。そこに魔術の要素はありません。

「その説明で大丈夫ですか。我々が今まで教えられてきたことと違うのですが」とお思いの方がおられるでしょうか。「聖書は神さまが書いたものであって、人間が書いたものではない」でしょうか。この「聖書は人間によって書かれたものではない」という考え方は、私は最も危険だと考えています。

ある朝、マタイは目を覚ましました。すると、机の上にイエス・キリストの生涯を描く福音書が置いてありました。パウロも目を覚ましたら、同じように、いろんな教会や個人に宛てた手紙が机の上に置いてありました。しかし、彼らにはそれを書いた記憶がありません。彼らが寝ている間に、意識を失っている間に、聖書のすべてが書かれましたというようなことは起こりませんでした。それはオカルトの世界です。

聖霊なる神は、人間の中で、人間と共に、人間を活かし用いて、働いてくださいます。人間の理性も感情も判断力も、人間の真・善・美も、活かされたままです。聖霊はわたしたちの身代わりに死んでくださることはないし、私たちの身代わりに聖書を書いてくださったりもしません。聖霊が働いてくださっている間、人間は眠っているわけではないし、気絶しているわけでもないし、サボっているわけでもないのです。その点を間違うと、全キリスト教がオカルト化します。

そういうことではなく、聖書の霊感の教理は、(三位一体の)聖霊なる神ご自身が私たち人間に接触し、私たち人間へと影響・感化を及ぼし、浸透し(沁みていき)、私たち人間に感銘・感動を与えてくださる過程を経て「インスパイア」された人間が聖書を記した、と言っています。

しかし、そこでストップです。神は聖書の著者の人間性も歴史性も排除しません。そこでもし人間性の排除が起こるなら、それを「洗脳」というのです。私たちが聖書を読むときに、当時の歴史について調べたり考えたりする必要があるのは、聖書は100パーセント人間が書いた書物だからです。

日本基督教団信仰告白が聖書について書いている「誤りなき規範」の「誤りなき」の意味は、「無謬性」(インフォーリビリティ:Infallibility)のことだと考えるのが妥当です。「無謬性」は「無誤性」(インエランシー:inerrancy)との比較で考えるのが理解しやすいです。

インフォーリビリティ(無謬であること)は「フォール(堕落)していない」という意味です。インエランシーは「エラー(誤記)がない」という意味です。日本基督教団信仰告白が肯定しているのは前者(「聖書は堕落していない」)のほうであって、後者(「聖書は誤記がない」)のほうではありません。

聖書に「誤記」はあります。しかし、「堕落していない」とは「神のみこころにかなっている」ということです。その意味は、聖書に記された言葉を読んで、その教えを信じたとしても、その教えに基づいて生活したとしても、それによって罪を犯すことにはならないので大丈夫です、ということです。

だからこそ、聖書は「信仰と生活の誤りなき規準」なのです。

(2025年5月11日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年5月4日日曜日

聖書と教会

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「聖書と教会」

テモテへの手紙二3章10~17節

関口 康

「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(16節)

「我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり」(日本基督教団信仰告白)

今日から「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」を始めます。全10回の予定です。

私は昨年3月より足立梅田教会にいます。これまでは基本的に「教会暦説教」をしてきました。聖書箇所も日本基督教団聖書日課『日毎の糧』から選んできました。

「教会暦説教」には長所と短所があります。長所はクリスマス、イースター、ペンテコステなどの行事に合わせた説教ができることです。短所は毎年同じ話になりがちなことです。出口がない円をぐるぐる回っている感じです。

「教理説教」には出口があります。聖書の教えを歴史的な順序で説明しますので、「初め」も「終わり」もあるからです。ただし、それは現代的な意味の「歴史」とは異なります。私たちの場合は「天地創造」(創造論)から「神の国の完成」(終末論)までを描く「神のみわざの歴史」です。

「抽象論だ」「おとぎ話だ」と日本に限らず世界中で嘲笑を受けて来ました。このことについては実際の説教を聞いていただかないかぎり理解してもらえませんので、これ以上は言いません。

日本基督教団信仰告白が「我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は」から始まり、「聖書とは何か」という問いに答えることから出発しているのは、わたしたちがかくかくしかじかのことを信じると言っているのは、そのように聖書に書かれているからであると述べようとしています。

「あなたたちは聖書に書かれていることを全部信じるというのか。たくさん間違いがあることは学問的に証明されている」と言われます。おっしゃるとおりと思いますが、問題は何をもって「間違い」と言うかです。現代の科学技術を駆使した歴史学や考古学の観点から矛盾や間違いを指摘されるのはありがたいことです。だからといって信じることをやめるかどうかはダイレクトに結びつきません。

日本基督教団信仰告白の「旧新約聖書は(中略)教会の拠るべき唯一の正典なり」の「正典」は、一般的に言えば「経典」ですが、わざわざ「正典」と呼ぶのはCanonという決まった用語の翻訳だからです。Canonは「はかり、物差し、規準」などの意味です。

したがって、この条文の意味は、日本基督教団は「聖書というはかり」に収まる範囲のキリスト教信仰を共有しているということです。この「はかり」を超えて主張されることになれば、異端または別の宗教であると判定せざるをえないということです。

20世紀オランダのプロテスタント神学者ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])が聖書について述べた複数の文章が『ファン・ルーラー著作集』第2巻(原著オランダ語版、2008年)に収録されていることが分かりました。「聖書の権威と信仰の確かさ」(1935年)、「信仰の土台としての聖書」(1941年頃)、「聖書の権威と教会」(1968年)、「聖書の扱い方」(1970年)など。

これらのファン・ルーラーの文章すべてに一貫していたのが「私たちは聖書に書かれていることだから信じている」という主張の線です。また「聖書の権威」と「信仰の確かさ」は両方あって初めて成り立つ、ということも繰り返し主張されていました。

たとえば、創世記3章にエバと蛇が会話する場面が出てきます。民数記22章にはバラムがロバと会話する場面が出てきます。こういう箇所を読んで「蛇やロバが人間と会話できるはずがない。聖書に書かれていることはウソばかりだ」と言い出すのは聖書の本質が分かっていないからだとファン・ルーラーは言います。「聖書」には、歴史、文学、書簡、詩歌など、さまざまな文学形式で記されている文書が収められています。

また、ファン・ルーラーが書いていることの中でこのたび私が最も感銘を受けたのは、〝聖書がユダヤ人によって書かれたものであることは、私たちゲルマン人にとって、自分たちの内側には真理が無かったことを意味する〟と彼が主張しているくだりです。

以下、ファン・ルーラーの説明を要約してご紹介いたします。

本など他にもたくさんあるのに、聖書を「本の中の本」と呼ぶのはなぜだろう。古い本を読んで我々ゲルマン人の魂の本質を知りたいだけなら、ヴァイキング時代を描いた北欧神話『エッダ』に手を伸ばすほうがよいのではないかと思うのに、そうしないで聖書を読もうとすることに、我々はもっと違和感を抱くべきであるとファン・ルーラーは言います。あまりに慣れすぎて我々はその違和感を認識できないのだ、と。

我々ゲルマン人が「外部からもたらされた救い」によって「改宗」したのは「クローヴィス」の頃だと書いています。それはフランク国王クローヴィス1世(西暦466~511年)が、妻のひとりがキリスト者だったことで自分自身も西暦496年にキリスト教に改宗したことを指しています。

その「クローヴィスの改宗」こそ、ゲルマン人にとっての「転換」であり、最も深い自己意識と決別したことを意味する。それは「いまだに完全には癒えていない我々の魂の傷」であり、だからこそ「国家社会主義〔ナチス〕はその転換を覆そうとしたし、現代の西洋社会はその転換を超克したいと望んでいる」とファン・ルーラーが書いています(「聖書の扱い方」1970年参照)。

ファン・ルーラーの文章を読んで私が考えさせられたのは、1549年フランシスコ・ザビエル来日から476年、ベッテルハイム宣教師の沖縄伝道開始1846年から179年、ヘボン、ブラウン両宣教師の横浜到着1859年から166年を経ても日本の大半の人々に「転換」が起こらないのは、「外部の真理」によって転換させられることを恐れているからだ、ということです。

今申し上げたことは、日本基督教団信仰告白に明記されていません。しかし「聖書」は「日本にとっての外部の真理」であるという点が勘案されるべきです。そのことが認識されないかぎり「改宗」が起こることはありません。私の父も母も戦後に洗礼を受けてキリスト者になりました。1945年の敗戦という事実を突きつけられて「我々の内側には真理は無かった」と思い知らされたからだと思います。

「外部から持ち込まれた真理」によって、まず自分自身が変えられ、それを広く宣べ伝えるのが「教会」ですから、「身内で固まりたい人たち」や「民族主義的な人たち」からは嫌われます。違和感を示されることが多いです。

だからこそ逆に、教会は「身内で固まりたい人たち」や「民族主義的な人たち」から排除された人たちにとっての「避けどころ」(シェルター)や「出口」になり、そこに新しい共同体が生まれます。「日本人」という概念の今日的な意味は、少なくとも私には明確には分かりません。

「キリスト教は敵国の宗教だ」と言われた時期が長かったと思います。しかし、キリスト教の起源は、アメリカでもヨーロッパでもなく、アジアです。

オランダ人のファン・ルーラーが1970年の時点で「聖書」は「外部の真理」だと言っているのですから、私が申していることも「今この瞬間に日本列島に在住している私たち」にとってだけ「外部」だという意味ではありません。実はユダヤ人にとっても「外部」でした。究極的には神ご自身が人間にとっての「外部」です。「改宗」のために「外部の真理」が必要なのです。

(2025年5月4日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年4月27日日曜日

復活と宣教

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「復活と宣教」

マタイによる福音書28章11~29節

関口 康

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(19-20節)

復活したイエス・キリストを目撃した婦人たちは他の弟子たちに報告するため、また同じ光景を見たローマ兵たちは祭司長たちに報告するため、どちらもエルサレムに向かいました(11節)。

報告を聞いた祭司長たちは、長老たちと相談して兵士たちに多額の金を与えました(12節)。最高法院(サンヘドリン)の人々が賄賂を使い、「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」とローマ兵たちに言わせました。

祭司長たちが言った「もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう」(14節)の意味は次のとおりです。見張番の居眠りは重罪でした。通常なら処刑です。しかし、ユダヤ人からの委託任務に就いていただけの兵士を処刑するわけにいかないとピラトならきっと考えるだろうから、うまく交渉してあげるという理屈です。

兵士たちは金を受け取って「教えられたとおりにした」(15節)は「学ぶ」(ディダスケイン)を意味する動詞(エディダクセーサン)です。これは軽蔑の表現であるという解説を読みました。兵士たちは、自分たちより上位の人の命令を復唱し、「学習した」(ディダスケイン)のです。

「この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている」(15節)の「今日」はマタイ福音書が記された紀元1世紀後半を指します。

古代教父ユスティノス(紀元100年頃~164年頃)の著作『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(全142章)(西暦155年頃)「序論」(1~10章)の一部(1~9章)の日本語版(三小田敏雄訳)があります(『キリスト教教父著作集Ⅰ ユスティノス』教文館、1992年、197~269頁)。

残念ながらまだ日本語版がない69章7節に、ユダヤ人はイエスを「魔術師」で「詐欺師」であると考えていたと記されています(訳者解説、同上書252頁参照)。

また「弟子たちはイエスが十字架から降ろされた後、夜中に墓に埋められていた彼を盗み出し、『イエスが死から蘇って、天に昇った』と言って人々を騙した」(同108章2節)と紀元2世紀のユダヤ人たちがイエスについて言い伝えていたことを、ユスティノスが証言しています(J. T. Nielsen, Mattheüs, deel 3, G. F. Callenbach, 1974, p. 186)。

2 世紀半ばの外典『ペトロによる福音書』(『聖書の世界 別巻3・新約Ⅰ 新約聖書外典』講談社(1974年)収録)にも興味深い記述があります。以下、引用します。

「夜中に、兵隊が二人ずつ当番で夜警をしていると、天で大きな声がした。そして天が開いて、二人の人がそこから降りて来るのが見えた。彼らは強く輝いていた。そして墓に近づいて来た。すると墓の入口においてあった石がおのずと転がりはじめて、何ほどか脇に退いた。こうして墓が開き、二人の若者は中にはいって行った。 

(見張番の)兵隊はこれを見て、百卒長と長老達を起こした。彼らもまた見張のためにそこに一緒にいたのである。兵隊達が見たことを彼らに話しているうちに、また墓から、今度は三人の人が出て来るのが見えた。そのうちの二人が一人を支え、そのあとから十字架がついて来た。二人の頭は天までとどき、二人が手を引いている三人目の人の頭は天をつきぬけていた。 

そして天から声が聞こえた、『あなたは(冥府で)眠っている人々にも宣教しましたか』。すると十字架が答えて、『はい』と言うのが聞こえた。彼らは互いに、ピラトのもとに行ってこれらのことを報告しよう、と相談しあった。そしてまだ相談しているうちに、再び天が開け、一人の人が降りて来て、墓の中にはいった。 

百卒長と共にいた者達はこれを見、夜ではあったが、見張っていた墓をあとにして、急いでピラトのもとに行き、見たことを一切報告した。そして大いにこわがって、『本当にあれは神の子だった』と言った。 

ピラトは答えて言った。『余は神の子の血には責任はない。それはお前達がよしとしていたことだ』。 

そこで彼ら(ユダヤ人の長老たち)は皆すすみ出て、ピラトに、見たことを一切人に話さないようにと百卒長と兵隊達に命じてくれ、と頼んで、言うには、『我々には神の前で最大の罪を負う方がまだよいので、(神の子の復活を認めたりして)ユダヤ国民の手に落ち、(彼らのうらみを買って)石で打ち殺されたりはしたくない』。それでピラトは百卒長と兵隊とに、何も言わないように命じた」(田川建三訳、同上書40~41頁)。

「どちらが正しいかは分かりません」と大学の聖書学者やキリスト教学者のような人は言うかもしれません。しかし、教会の私たちはそういう言い方はしません。イエスさまが「どのように」復活したかは聖書に記されていません。しかし、復活したことは明言されています。

イスカリオテのユダ以外の11人の弟子たちは、天使と主イエスご自身が促した通り「ガリラヤ」に行き、「山」に登りました(16節)。

この山を地理的に特定するのは、観光目的以外は無意味です。「山上の説教」(マタイ5~7章)に見られるように、イエス・キリストが登る「山」には特別な意味があります。「ガリラヤの山」は、これから宣教へと遣わされる世界を見渡せるどこかです。「世界宣教の原点」です。

「そしてイエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」(17節)と記されています。この「疑う者」は誰でしょうか。これは弟子たちの中の「だれか」というより「弟子たち全員」です。信仰と疑いはコインの両面です。どの弟子も、わたしたちも、疑いと迷いの中で主イエスの存在と教えに従って生きていきます。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(18節)。これは荒れ野の誘惑のときサタンが、もし私にひれ伏すならお前に与えようと言ったものです(4章8節)。イエスさまは悪と手を結ぶことなく、父なる神から一切の権能を授かりました。

イエスさまは「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と彼らにお命じになりました(13節)。

「すべての民」とは「ユダヤ人」+「異邦人(=ユダヤ人ではない人)」を合わせた「すべて」のことであって、全人口を指していません。

そして「弟子にしなさい」の中身が「洗礼を授けなさい」(バプティゾンテス)と「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい(ディダスコンテス)」の2つです。

この「教えなさい」は、番兵たちが賄賂をもらって「学習した(ディダスケイン)」と同じ言葉ですが、中身は大違いです。

「洗礼」は教会の仲間に加わることの約束です。「約束にすぎない」と言えなくはありません。洗礼はいわば瞬間的なことです。洗礼の後に続く「学ぶこと、教えること」は一生がかりです。

「学ぶこと」は「守ること」を求めます。「知識はありますが、守ったことがありません」というわけに行きません。「教えを守る」とはイエスさまの教えを実践し、生活することです。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(30節)という言葉で、本書は締めくくられています。

マタイによる福音書には最初(1章23節)と最後(28章30節)に「インマヌエル」が語られています。「神がわたしたちと共にいる」という意味です。

それが「世の終わりまで」続きます。終わりがいつかは分かりません。しかし、私たちの救い主は、世界が終わるまで、いつも近くにいて、慰めと力を与えてくださいます。

(2025年4月27日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年4月20日日曜日

キリストの復活

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)
*生成AIのChatGPTにフェルメール風に描いてもらいました!

説教「キリストの復活」

マタイによる福音書28章1~10節

関口 康

「イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる』」(10節)

イースターおめでとうございます。今日は世界中の教会で、イースター礼拝が行われています。イースターは、イエス・キリストがよみがえられたことをお祝いする日です。

こういうことを言うと「あなたはおめでたい人だ」と言われかねません。「死んだ人がお墓の中から出てきたことの何がめでたいのか。恐怖しか感じない」と顔をこわばらせて言う人がいても、おかしくありません。

教会の看板に今日の説教題として「キリストの復活」と書いていただきました。「復活」などと言わないで、少しぐらいは遠慮して、もっと多くの人に受け入れてもらえそうなことを貼り出すほうがよいかもしれないと、私も考えないわけではないということを打ち明けておきます。

イエス・キリストの復活が「どのように」起こったのかは聖書には記されていません。しかし、4つの福音書に、イエス・キリストの復活は起こったと明言されています。聖書に基づいて説教することになっている教会は、イエス・キリストの復活を宣べ伝えることから逃げることはできません。

教会が「復活」を宣べ伝えるのは、聖書に書かれているからです。聖書に書かれていなければ、必然性はありません。

クリスマスの聖書箇所も同じです。結婚する前のマリアに赤ちゃんが、というあの話です。もし聖書に書かれていなければ、必然性はありません。

奇跡についても同様です。まるで聖書は、ハードルをどんどん高くしてなるべく信じにくくしているかのようです。

信じにくい要素はまだあります。クリスマス礼拝のときも言いましたが、私は天使が苦手です。天使が嫌いだと言っているのではありません。会ったことがないので、どのように説明してよいかが分からないのです。人間でもなく神でもなく、両者の中間に位置するように聖書に描かれている謎の存在。その苦手な天使が、クリスマスの聖書箇所にも、イースターの聖書箇所にも登場するので、困ってしまいます。

そのことは特にマタイ福音書とルカ福音書ではっきりしています。各書の最初と最後に、天使が登場します。イエスさまがお生まれになったときと、復活なさったときに現れます。天使はまるで「狂言回し」です(「歌舞伎・狂言などで、主人公ではないがその狂言の進行に重要な役割をつとめる者」広辞苑第4版)。

しかし、私はいまネガティブな話をしているつもりはありません。クリスマスとイースターの聖書箇所に共通点があると説明している註解書を読みました。どこに共通点があるかというと、「ガリラヤに行くこと」を天使が人間にすすめる言葉です。

今日の箇所では、そのことが7節に記されています。5節から7節までお読みします。

「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」』」。

ここで言われているのは、ガリラヤに行けばイエス・キリストに会える。だからガリラヤに行きなさい、という意味です。

他方、クリスマスの聖書箇所で「ガリラヤ」の名前が出てくるのがマタイ福音書2章22節です。ヘロデ大王による幼児虐殺から逃れるために家族揃ってエジプトに避難した主イエスの父ヨセフの夢に天使が現れ、お告げがあったので、「ガリラヤ地方に引きこもった」(マタイ2章22節)と記されています。ガリラヤに行きなさいと神が天使を通してヨセフに伝えたということです。

このように、クリスマスの天使もイースターの天使も、イエス・キリストの存在と「ガリラヤ」を結びつける役割を果たしている点で共通しています。

この場合の「ガリラヤ」は、広い意味です。「周辺」という意味のヘブライ語「ガーリール」に由来します。主イエスの生誕地ベツレヘムは、首都エルサレムに近いので「ガリラヤ」ではありません。しかし、その後の成長期に過ごしたナザレも、宣教活動を開始したカファルナウムも、「ガリラヤ」です。

「ガリラヤ」は田舎であり、地方であり、分裂王国時代には北王国であり、他国からの流入者の割合が多い「多様な」地です。辺境ゆえに政治と宗教の権力者から見下げられてきた「より多くの慰めが必要な」地です。その「ガリラヤ」でイエスさまは宣教されました。

これらのことで分かるのは、今日の箇所で、天使と復活されたイエスさまご自身が弟子たちに「ガリラヤに行きなさい」と促しておられるのは、「あなたの原点に立ち返りなさい」と言われているのとほとんど同じ意味であるということです。

昨年9月8日の「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」で説教してくださった北村慈郎牧師と、先々週4月12日に「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」の総会で私が講演させていただいた日本基督教団紅葉坂教会(横浜市)でお会いしました。

北村先生は、わたしたちの70周年記念礼拝のときも、先々週の会で私を紹介してくださるときも、「私の原点は足立梅田教会です」と多くの人の前でおっしゃいました。「私のガリラヤ」とはおっしゃいませんでしたが、きっとそのお気持ちを持っておられます。「ガリラヤに行きなさい」というすすめには「あなたの原点に立ち返りなさい」という意味があるからです。

イエス・キリストが「どのように」復活されたのかは聖書に記されていないと申しました。墓の中で目を開き、体を起こし、立ち上がり、歩いて墓穴から出てくるイエス・キリストを描写するスペクタクル(視覚的)な記述は、どこにもありません。とはいえ、「どのように」についても触れられている箇所がある、ということをご紹介しておきます。

天使が婦人たちに伝えた言葉は「あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり復活なさったのだ」(6節)です。秋川雅史(あきかわまさふみ)さんの「千の風になって」という歌を思い出します。「私のお墓の前で泣かないでください。ここに私はいません。眠ってなんかいません」。イエスさまは「千の風」にはなりませんが、「お墓の中にはいない、眠ってもいない」という点は、あの歌のとおりです。

しかし、この天使の言葉の中に、イエス・キリストの復活が「どのようにして」起こったのかという問いと結び付けることができる点があります。それは「かねて言われていたとおり」という言葉です。見過ごされやすい言葉ですが、重要な意味があります。

イエス・キリストは「わたしは復活する」と弟子たちの前で何度もおっしゃいました。イエス・キリストの復活は「ご自身の言葉通りになった」事実です。これが「どのように」の答えです。弟子たちにとっては、イエスさまがおっしゃったとおりのことが実現したのだから、それで十分なのです。

足立梅田教会は健在です。日本基督教団もまだ死んでいません。ですから「復活」という言葉は当てはまりません。しかし、生命の危機を感じるときは「ガリラヤに行くこと」が大切です。「原点に立ち返ること」です。「あなたのガリラヤ」にイエス・キリストがおられます。

(2025年4月20日 日本基督教団足立梅田教会 イースター礼拝)

2025年4月13日日曜日

十字架への道

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)
*生成AIのChatGPTにゴッホ風に描いてもらいました!

説教「十字架への道」

マタイによる福音書27章32~56節

関口 康

「同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう』」(41-42節)

今日の朗読箇所はローマ軍の兵士たちがキレネ人シモンにイエスの十字架を無理に担がせた場面から始まります(32節)。一説によれば、死刑囚が運ぶのは十字架の横木だけで、縦の木は死刑場にあらかじめ立っていました。しかし、横木だけでもひとりで運ぶには重すぎたので、手伝う人が必要でした。

ゴルゴタとは「頭蓋骨」(新共同訳「されこうべ」)を意味するアラム語に由来します(33節)。過去の死刑囚の頭蓋骨が常に散乱していた、という意味ではありません。頭蓋骨の形をした岩があったと言われています。ゴルゴタの正確な位置についても諸説あります。

主イエスがゴルゴタに着くと、ローマ兵たちがイエスに「苦いものを入れたぶどう酒」をこれも無理に飲ませようとしました(34節)。マルコ福音書(15章23節)は「没薬を混ぜたぶどう酒」としています。「没薬」は鎮痛剤です。死刑の苦しみを緩和するためです。

しかし、イエスさまはその液体を舌で確認したうえで拒否されました。考えられる理由は、完全に意識を保ったまま最期を迎えることを望まれたということです。ゴルゴタまで木材を運ぶのに必要な力とは異なる力です。イエスさまは酩酊や麻酔なしの、その意味で〝完全な〟死の苦しみをお引き受けになりました。

イエスが十字架につけられる場面の描写は、「彼らはイエスを十字架につけると」(35節)だけで終わりです。克明な状況描写や心理描写は記されていません。ローマ兵たちが「くじを引いてその服を分け合った」(35節)のは、イエスが衣服なしに、つまり「裸」で十字架につけられたことを意味します。3月30日の特別礼拝で荻窪教会の小海基牧師がイザヤ書20章1~6節に基づいて「裸の預言者」についてお話しくださったことを思い出します。

マタイが十字架刑そのものについては何も描いていないのは、描くのを躊躇(ためら)っているように見えるほどです。その一方で、マタイが克明に描いているのは、イエスの十字架の周りにいた人々の〝嘲笑〟です。

明らかにマタイは読者に対し、そのことに強い関心を持たせようとしています。苦しむイエスを見ながら笑う人々の顔をよく見てほしいと願っています。「その一人一人の顔は、鏡にうつったあなた自身の顔かもしれません」ということに気づいてもらいたいのです。

十字架刑の開始時刻は「午前九時」とマルコ福音書(15章25節)だけが記しています。イエスの頭の上の罪状書きに「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれていました(37節)。これはイエスが木材を運んでいるときは首にかけられていた札でした。

この罪状書き自体が嘲笑であり、軽蔑でした。衣服をはいで裸にして、木材に釘ではりつけて、罪状書きの札に上から指差させて「これが(フートス・エスティン)、こんなやつが、ユダヤ人の王、だってさ」と笑っています。これはピラトがイエスの尋問を始めたときに最初に言った「お前がユダヤ人の王なのか」(27章11節)と同じ言葉です。からかっているだけです。

2人の「強盗」も十字架につけられます(38節)。「強盗」(レスタイ)と呼ばれていますが、政治犯の可能性があります。「強盗」の一人はイエスさまの右に、もう一人は左に。

先週の説教箇所(マタイによる福音書20章20~28節)で、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母親がイエスさまに、2人の息子の「一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」(20章21節)とお願いしました。右と左は部下です。真ん中がかしらです。「ユダヤ人の王」が真ん中の「強盗の頭」として十字架につけられました。これもひどい嘲笑なのです。

「そこを通りかかった人々」が、頭を(おそらく横に)振りながらイエスさまを罵りました。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」(40節)。

これは3月9日の礼拝で取り上げた「悪魔の誘惑」が関係します。「神の子ならやってみろ」は、主イエスが荒れ野で誘惑をお受けになったときの悪魔の言葉です(マタイ4章3節、6節)。荒野の誘惑の物語では、「神の子なら」神殿の屋根から「飛び降りたらどうだ」(4章6節)と続きます。今日の箇所では「十字架から降りて来い」と続きます。やれるものならやってみろ、できるわけがないだろう、と嘲笑しているのです。

通行人に続いて、「祭司長、律法学者、長老」がイエスさまを侮辱します。この 3 つの立場の人々がユダヤの最高法院(サンヘドリン)を構成していましたので、「サンヘドリンが侮辱した」と言っても過言ではありません。

この人々が「他人は救ったのに、自分は救えない」(42節)と言いました。興味深いのは、ここに来てサンヘドリンが「イエスは他人を救った」と認めている点です。

彼らにとってはイエスのいやしも奇跡もすべてインチキでなければなりませんでした。しかし、今日の箇所では「他人は救った」と認めています。大きな前進です。そのうえで彼らは、「他人は救えるのに、自分は救えない」という言葉でイエスさまを侮辱しました。

彼らも宗教者です。「宗教者だって人間なのだから、他人に尽くすことばかり考えず、自分のことを優先してもよいのでは」と言いたかったのかもしれません。イエスさまにはその選択肢だけはありませんでした。

イエスさまは、右と左にはりつけにされた「強盗たち」からも罵(ののし)られました。十字架の上でイエスさまは3度嘲笑されました。第1に通行人(39節)、第2にサンヘドリンの議員(41節)、第3に強盗(44節)。どれも「嘲笑」を意味しつつ微妙にニュアンスが違うギリシア語の動詞が3つ使い分けられています。

強盗のひとりがもうひとりの強盗をたしなめたという話は、ルカ福音書(23章39~43節)に描かれていますが、マタイ福音書には描かれていません。

イエスさまが息を引き取られたのは「三時ごろ」(46節)でした。9時から始まったので6時間後です。そのとき「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました(46節)。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味のアラム語です。居合わせた人々の耳に「エリ」が「エリヤ」に聞こえ、預言者エリヤを呼んでいると言い出す人がいました(47節)。

イエスさまは十字架上で絶望されました。しかし、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」は、明らかに旧約聖書の詩編22編の引用です。詩編は歌なので、イエスさまは十字架の上で歌われたと言えなくありません。

詩編22編の最後の言葉は希望のメッセージです。「わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来たるべき世に語り伝え、成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるでしょう」(詩編22編30~32節)。

イエスさまが辞世の句として引用した詩編22編は、漠然としたあきらめ(諦念)や避けられないさだめ(運命)の絶望的な受け入れではなく、神との積極的なつながりを語るものでした。

イエスさまはアルコールも鎮痛剤も拒否なさり、完全な意識と痛覚をお持ちになったままで死の瞬間を迎えました。冷たくなったイエスさまの口から「恐れるな」「勇気を出せ」という言葉が語られることはもはやありません。

しかし、百人隊長たちが「本当に、この人は神の子だった」と言いました(54節)。彼らは軍人です。人間の強さに関心があります。その彼らにとってイエスさまの強さは異次元でした。彼らはフィジカル(肉体的・物理的)な強さとは全く異なる「本当の強さ」を、イエス・キリストに見出したのです。

(2025年4月13日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年4月7日月曜日

「日本基督教団信仰告白」についての主題説教(全10回)を行います

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

5月4日(日)から7月6日(日)まで全10回の予定で「日本基督教団信仰告白」についての主題説教(教理説教)を行います。

 

日程

説教題

「日本基督教団信仰告白」該当箇所

1

月 

聖書と教会

我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。

2

11

聖書と生活

されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。

3

18

三位一体の神

主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたまふ。

4

5 月25

キリストによる贖罪

御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖ひとなりたまへり。

5

月 

神の恵み

神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。

6

月 

聖霊の働き

この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまふ。

7

15

教会の使命

教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり。

8

22

礼拝と宣教

教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、

9

29

洗礼と聖餐

バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、

10

月 

信仰・希望・愛

愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。


2025年4月6日日曜日

十字架の意味

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「十字架の意味」

マタイによる福音書20章20~28節

関口 康

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」(26-27節)

ユダヤ人は「十字架刑」を執行しませんでした。ユダヤの極刑は石打ち刑でした。十字架刑を最初に発案した、または少なくとも最初に使用したのはペルシア人でした。ゾロアスター教の神に聖なるものとして献げた大地が被処刑人の体で汚されてはならない、という理由でした。

ギリシアで十字架刑は、国内では行われませんでしたが、アレクサンドロス大王と彼の後継者がカルタゴ人の処刑に使いました。カルタゴからローマ人に伝わり、重犯罪者の処刑方法になりました。ローマの属州では、秩序と安全の維持のため最も強力で最も残酷な手段とされました。

ローマにとっての「不穏な」属国ユダヤでは、十字架刑の例が無数にあります。一度に二千人のユダヤ人を十字架に引き渡した例もあります。西暦70年の「エルサレム攻囲戦」のときには、毎日あらゆる身分のユダヤ人が500人またはそれ以上捕らえられて町の中で十字架につけられたため、最後は十字架に使う木材もそれを立てる場所も足りないほどでした(以上、ヨーゼフ・ブリンツラー著『イエスの裁判』大貫隆、善野碩之助訳、新教出版社、1988年、356~357頁参照)。

十字架刑の主たる目的は「さらす」ことです。日本でも「さらし首」は明治初期まで行われていました。まだ150年前ぐらいですので、決して他人ごとではありません。『写真集「甦る幕末」オランダに保存されていた800枚の写真から』(朝日新聞社、1986年)に当時の写真があります。

十字架の高さは遠くから見えるように人間の身長よりも少し高いか、それ以上でした。死刑囚の首に死刑の理由(causa poenae)を記した看板がかけられました。体を支えるために、途中に取り付けられた木片を足置きか腰掛けにすることもあったようですが、古い報告書にそのような木片についての言及はありません。

十字架刑がローマで初めて廃止されたのは、西暦313年の「ミラノ勅令」によってローマ帝国でキリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝(西暦270~337年)の治世になってからでした。

今日の箇所で「ゼベダイの息子たちの母」が2人の息子と一緒に、イエスさまのもとに来て、ひれ伏して、あることをお願いしました。「ゼベダイの息子たち」とは、主イエスの最初の弟子になった4人のうちの「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ」(マタイ4章21節)の2人です。

彼らの母が言いました。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」(21節)。これは神の国、つまり天国の話です。要するに、「天国でイエスさまがナンバーワンになられたときは、うちの子たちをナンバーツーとナンバースリーにしてください」というお願いです。

イエスさまが「あなたがたは自分が何を願っているか分かっていない」(22節a)と言われていますが、これは決して怒りや非難の言葉ではありません。この後すぐに「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」(22節b)と続きます。イエスさまとしては「わたしが飲もうとしている杯は十字架刑なのですよ?本当に大丈夫ですか?」と心配してくださっているのです。そのイエスさまの質問への答えは、2人とも「できます」。ますます心配になるパターンです。

ゼベダイの子たちはその杯を実際に飲みました。ヤコブは西暦44年ごろ殉教しました。ヨハネについては、殉教したという記録もあれば、エフェソで46歳で自然死したという記録もあります。いずれにしても、イエスさまの質問に対する彼らの答えは決して軽いものでも簡単に言えるものでもありませんでした。彼らは主イエスと共に、苦しみの道を歩む意志を持っていました。

イエスさまはそのことも分かっておられます。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる」(23節a)と認めてくださいました。しかし「わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない」(23節b)ともおっしゃいます。それは神さまが決めてくださることですと、主イエスは最高の権威を天の父である神にお委ねになりました。

すると、他の10人の弟子が腹を立てました。ヤコブとヨハネに嫉妬したのではなく、彼らがイエスさまの弟子の中でナンバーワンとナンバーツーを狙っているということは、つまり我々10人のことを下に見ているからだろうと感じたのだと思います。だから彼らは腹を立てました。狭い仲間内の順位争いです。

そこでイエスさまは、彼らみんなを呼び寄せて説教されました。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない」(25~26節)。

世界の支配者がいばりちらし、権力を行使する。そういうことをする人がいることを、あなたがたは知っています。あなたがた自身はそうであってはなりません。これは、相手と同じになってはいけないという意味です。

イエスの弟子になりたい人に対しては、世の中の価値観とは正反対の基準が適用されることになります。その基準が「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(27節)です。いちばん上になりたければいちばん下になりなさい、ということです。

イエスさまのこの教えの中で「偉くなりたい」「一番になりたい」という人の思いは、少しも否定されていません。むしろ肯定されています。「仕える者」の意味は「奴隷」です。つまりイエスさまは「いちばんになって偉くなりたい人は、すべての人に奉仕する者になりなさい」と言われています。

「奉仕すること」はギリシア人にとって価値が低いことと考えられていました。ギリシア人の「男らしさ」の基準は「支配すること」と「奉仕しないこと」でした。イエスさまの弟子になれるかどうかの条件は、その正反対です。「奉仕」の心があるかどうかです。

イエスさまご自身も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための、贖いの代価として自分の命を与えるために来てくださいました。イエスさまは、十字架の上でご自身の命を献げることは「奉仕」であると理解しておられ、「人の子」すなわちイエスさまは「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(28節)と明言されました。

この「身代金」が誰に支払われるかは分からないように記されています。テロリストに屈するようなことをしてはならないのはごもっともです。しかし、「身代金」の本来の意味は、捕らえられているだれかを解放するために支払われるお金のことです。身代金を支払う者は、その身代金を支払われた人を解放し、新しい人生を始められるようにします。

つまり、主イエスがご自身のことを指して言われた「多くの人の身代金」という表現は、ご自身が意識的に人間を罪と罪悪感から解放するために命をささげようとしたことを示しています。

このように、イエスさまの弟子になることは、世間では当たり前とされていることの逆です。「自動的に」または「生まれつき」または「努力によって」または「反省によって」得られるものではありません。神の恵みによって起こる「回心」を経ることが必要です。

わたしたちに求められているのは「奉仕」の心です。イエスさまと同じように、十字架の上で命を献げることまでは求められていません。神を愛し、隣人を愛し、共に生きるすべての人々に「仕える」心をもって生きるとき、主イエス・キリストはわたしたちと共におられます。

(2025年4月6日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年3月23日日曜日

受難の予告

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「受難の予告」

マタイによる福音書16章13~28節

関口 康

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(24節)

今日の箇所で、イエスさまが弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになっています(13節)。

この内容の質問はこのときが初めてです。「人の子」は主イエスご自身です。この質問の意図は、ご自身についての評価を問うておられるということです。私は人々にどう見られているのか、どんなうわさがあるかを教えてほしいということです。

しかしそれは、たとえばイエスさまが疑心暗鬼になって自分の評判を調査させたというようなこととは違います。そうではなくて、伝道活動の「効果測定」です。種を蒔いたら蒔きっぱなしで、「あとは野となれ山となれ」と放置するのではなく、伝道の結果責任を負おうとしておられるのです。

「フィリポ・カイサリア地方に行ったとき」(13節)と場所が特定されているのは、イエスさまの質問内容と関係あるからです。フィリポ・カイサリアの位置は巻末付録の聖書地図「6」で確認できます。ガリラヤ湖よりもさらに北です。

「カイサリア」は「カイザルの」、すなわち「ローマ皇帝のもの」という意味です。イエスさまがお生まれになったときのローマ皇帝アウグストゥス(本名オクタヴィアヌス)がヘロデ大王に与えた町です。そして「フィリポ」はヘロデ大王の息子の名前です。アウグストゥスがヘロデにこの町を与えたのが紀元前20年ごろ。イエスさまが公の宣教活動をお始めになった西暦30年前後までに50年ほど経過しています。その町の住民の多くは異邦人でした。

これらの情報に基づいてイメージできるのは、新興住宅地として作られ、半世紀ほど経過した町です。首都エルサレムから遠いという意味で田舎。ヨルダン川の源流、ヘルモン山に近い高台。良く言えば、新しいものを受け入れ、変わって行く可能性を秘めている町。悪く言えば、歴史も伝統もない。落ち着かない。

弟子たちの答えは「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます」(14節)というものでした。この反応の意味を少し細かく見ていきます。

ヨハネは、主イエスの公生涯開始の直前まで活躍した預言者です。「最近の人」です。

エリヤは、紀元前9世紀の預言者。列王記上17~19章に登場します。分裂王国時代の北イスラエル王国のアハブ王(在位前869~850年)の時代に、バアルという偶像を拝む人々と戦ったことで知られます。「戦いの人」です。

エレミヤは、紀元前6世紀の預言者。エレミヤ書と哀歌の著者。南ユダ王国末期に国家滅亡を預言して迫害を受け、苦難の生涯を送りました。エレミヤも「戦いの人」です。負けるのですが。最期は殺害されました。

ヨハネ、エリヤ、エレミヤに共通するイメージは「戦いの預言者」です。そのようにフィリポ・カイサリアの人々がイエスさまのことを評価していたのであれば、ピントが合っているのではないでしょうか。洗礼者ヨハネの動きなど最新情報も得ているし、聖書の内容も正しく理解できている、知的水準が高い人々の町だったと言えるのではないでしょうか。

しかし、弟子たちが集めてきた情報に対して、イエスさまはノーコメントです。ひとこと欲しいところですが。その代わりに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお尋ねになりました(15節)。

ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。この答えをイエスさまがお喜びになりました。そして「あなたはペトロ」と命名なさいました。「ペトロ」は「岩」という意味です。そして「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と主イエスがおっしゃいました。

イエスさまこそ「メシア」、そのギリシア語訳である「キリスト」と信じる信仰をペトロが告白しました。その「ペトロの信仰告白」こそが「教会の土台である」ということです。

この箇所については、長年続く議論があります。それは、イエスさまが「この上にわたしの教会を建てる」とおっしゃっているときの「岩」は、ペトロの人間性や人格を指しているのか、それとも、「あなたはメシア、生ける神の子です」という信仰告白だけを指しているのかという議論です。

問題を難しくしているのは、ローマ教皇が「使徒ペトロの後継者」であることになっていることです。プロテスタント教会は、この「岩」は「信仰告白」だけを指しているのであって、ペトロの人格ではないと教えて来ました。

もう一つ、カトリック教会にとって重要な議論は、ペトロとパウロのどちらが優位かという問題です。16世紀生まれで17世紀にローマ教皇になったインノケンティウス10世(Innocentius X [1574-1655])(在位1644~1655年)が、パウロをペトロと同等や優位とみなすことを異端としました。しかし、使徒言行録はじめ西暦1世紀から3世紀までのキリスト教文書にペトロとパウロが同等の存在として登場することは、文献的に立証できます。

このことを申し上げるのは、カトリック教会の立場を批判したり揶揄したりするためではありません。この議論には長い歴史がありますので、ぞんざいに扱われてはなりません。

また「信仰告白と人格は切り離すことができるか」という問題はきわめて重要です。私は切り離せないと考えます。「信仰告白」の意義は百も承知です。しかし、「ペトロの信仰告白」がペトロの人格と無関係にあるわけがありません。人間の存在と働きから切り離された「信仰告白」など存在しませんし、そんなものの上に「生きた教会」が立つはずがありません。

今日は、この問題に深入りできません。今日の説教題の「受難の予告」の箇所まで話を進めなくてはなりません。しかし、私が申し上げるべきことは、ほぼ尽きています。

それは、主イエスが弟子たちにご自身のこれから進む道の先に十字架の死の苦しみが待ち受けていることを伝えたのは、このときだった、ということです。

イエス・キリストの苦しみは、「真の教会を建てるための戦いの苦しみ」でした。そうだとしたら、私たちもイエスさまの苦しみに与(あずか)ることができます。

「与(あずか)る」とは参加することです。英語でparticipate(パーティシペイト)が「参加する」という意味です。この英語は「パート、すなわち部分(part)になること」を意味します。

イエスさまの苦しみにあずかることは、真の教会を建てることの苦しみを部分的に背負うこと、つまり、教会活動に参加することをそのまま意味します。

イエスさまは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分のいのちを救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」(24~25節)とおっしゃいました。

ペトロもパウロも、その他の使徒たちも、最期は殉教しました。しかし、「主イエスの苦しみにあずかることのすすめ」は「殉教のすすめ」ではありません。健康であることは重要です。私も気を付けます。しかし、真の教会を建て上げるためにささげる命は惜しいものではありません。そうするだけの価値があります。そのことを主イエスご自身が教えておられます。

(2025年3月23日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年3月16日日曜日

悪と戦うキリスト

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「悪と戦うキリスト」

マタイによる福音書12章22~37節

関口 康

「人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」(32節)

先週の説教の中で「バイクのシミュレーター教習」について話したとき、「シュミレーターではありません」と口頭で付け加えました。Simulatorは「シュミ」(趣味?)ではなく「シミュ」です。m(エム)は1つです。「同時に」という意味のsimultaneous(サイマルテイニアス)な仕方で、ある事象を他の時間や場所で再現するための手段が「シミュレーター」です。

もうひとつ気を付けたい言葉は「コミュニケーション」です。「コミニュケーション」と言っている人が時々います。m(エム)は2つです。語源はラテン語communicatio(コムニカティオ)です。近い表現に、共同体をあらわすcommune(コムーネ)や、交わりをあらわすcommunio(コムニオ)があります。使徒信条の「聖徒の交わり」は、communio sanctorum(コムニオ・サンクトールム)です。共産主義はCommunism(コミュニズム)の訳です。

今日の箇所に関係があるので申し上げています。今日は「コミュニケーション」の話です。この箇所に記されているのは、「悪魔に取りつかれている人」(ギリシア語「ダイモニゾメス」)が、目が見えず口が利けない状態で主イエスのもとに連れて来られ、病が癒されたとき、デマを流した人々がいたという話です。

誤解を避けるために最初に申し上げたいのは、西暦1世紀のユダヤ人は、すべての病気や苦しみの原因は「悪霊の憑依(ひょうい)」であって「偶然」ではないと考えていたということです。あえて「悪霊に取りつかれている人」(ダイモニゾメス)と記されているときは、「重い病気を抱えている人」という意味で理解すべきであって、特殊な病気を指すわけではありません。

「デマ」はドイツ語Demagogie(デマゴギー)の略です。故意の虚偽情報のことです。そのとき流されたデマの内容は、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」(24節)というものでした。

デマの発信源は「ファリサイ派の人々」でした。彼らはユダヤ教の主流派であり多数派で、権力を保持し、社会的影響力が大きかったのですが、そういう立場を悪用して、イエスを死刑にするための策略として意図的にデマを流しました。なぜなら、当時のユダヤ教では、魔術を使うことと、悪魔の手下になることは、死刑に値すると考えられていたからです。

ファリサイ派の作戦は、「イエスは悪魔の手下だから悪霊を追い出せる」というデマを流すことでした。それは、群衆の間でイエスの名声を失わせ、死刑でイエスを殺害するという作戦です。

まさに「コミュニケーション」の問題です。コミュニケーションにとっての最大かつ最悪の障害は「デマ」です。「コミュニケーション」にぴったり当てはまる日本語が存在しません。「意思疎通」や「情報交換」などと訳されますが、そういう言葉には収まりきらない、非常に広い意味です。人と人との信頼関係の土台となるものです。

だからこそ、信頼関係で結ばれている人間社会を破壊するために、自分の手を汚さずに行えて、最も効果的な方法はデマを流すことです。私が申し上げているのは「そういうことをしてはいけない」という意味です。デマが人を追い詰め、死に至らしめることがあるということを、私たちは強く自覚しなければなりません。

しかも、ここで私たちがあまり安心しないほうがよいのは、デマを流した張本人がファリサイ派の人々だったという点です。彼らは聖書の研究者であり、宗教の専門家です。そういう人たちが聖書を用いて、「神」の名においてデマを流すので、悪質さの度合いが尋常でないのです。

イエスさまは彼らの考えを見抜いて反論されました。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか」(25-26節)。

私が子どもの頃に「デビルマン」というテレビアニメがありました。子どもの頃に覚えた主題歌が耳に焼き付いて離れません。「悪魔の力を身につけた正義のヒーロー、デビルマン」。しかしそういうことは現実には起こらない、というのがイエスさまのお考えです。悪魔と悪魔が戦ってどちらが勝っても残るのは悪魔なのだから正義が実現することはありえない、という冷静な三段論法です。

「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」(27節)と続きます。最初に申し上げたとおり当時のすべての病気が「悪霊の憑依」によると考えられていたことと関係します。イエスさまがおっしゃっていることの意味はこうです。「あなたがた自身も悪霊を追い出して病気の人を治しておられるはずですが、どうなさっているのでしょうか。『悪魔の手下だから悪魔を追い出せる』という理屈がもし成り立つのであれば、あなたたちこそ悪魔の手下だということになりはしませんか」。とても冷静な論理です。

しかしイエスさまは、ファリサイ派のデマに対して腹に据えかねるものがおありになったと言わざるをえません。「だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、霊に対する冒瀆は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」(31-32節)とおっしゃいました。

この言葉の背景に「赦される罪と赦されない罪」についてのユダヤ教の教えがあります。西暦1世紀のユダヤ教のラビは「聖霊」を「預言と啓示の霊」であると理解していました。彼らにとっての「赦されない罪」も「聖霊に言い逆らうこと」でしたが、その意味は「トーラー(律法)に逆らうこと」でした。トーラー(律法)は「言葉に言い表された神の御心(意志)」としてとらえられていましたので、それに逆らう罪は赦されません。

しかし、今の説明はユダヤ教の教えですが、イエスさまのおっしゃっていることとは違います。イエスさまも「聖霊に対する冒瀆」を「赦されない罪」だと言っておられますが、問題はその意味です。この意味が私はこれまで分かりませんでした。しかし、やっと分かった気がします。

イエスさまが「赦されない罪」だと言っておられるのは、病気でずっと苦しんできて、それがやっと癒されて、そのことを心から喜んでいる人たちを傷つけるようなことを言い放つことです。実を見て木を知る。良い結果が出たのは良い原因があったことを意味する。悪い原因は悪い結果しか生まない。つまり、悪魔に病気を治せるわけがない。それなのに、長年苦しんできたこの私の病気がやっと癒されたことを「悪魔に病気を治してもらった」かのように言う。けちをつけて、喜んでいる人を傷つける。それが、イエスさまがおっしゃる「赦されない罪」です。

「喜ぶ者と共に喜ぶこと」(ローマ12章15節)が難しいと感じるのは「ねたみ」の仕業であるとファン・ルーラーが書いています(拙訳参照)。「喜びを人に分かつと喜びは2倍になる」とドイツの詩人ティートゲが教えました。それができないどころか、喜んでいる人を苦しみの中に引きずりおろすようなことをしてしまう。それは「ねたみ」の仕業です。

これこそがイエスさまの言われる「赦されない罪」です。イエスさまはこのことを、警告としておっしゃっています。非難ではありません。イエスさまはどこまでも寛容です。

(2025年3月16日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年3月9日日曜日

荒れ野の誘惑

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教 「荒れ野の誘惑」

マタイによる福音書4章1~11節

関口 康

「すると、イエスは言われた。『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある』」(10節)

今日の箇所に記されているのは主イエスが悪魔に誘惑される物語です。教会生活が長い方々は繰り返し学んで来られました。しかし、何度読んでも釈然としないとお感じの方が多いのではないでしょうか。「悪魔」とは何なのか。記されていることは事実なのかなど、多くの疑問がわき起こる箇所です。

先週ご紹介しました、私が頼りにしているオランダ語の聖書註解シリーズのマタイ福音書の巻(著者J. T. Nielsen)を今回も読みました。大変興味深いことが書かれていましたので、ご紹介いたします。

こう記されていました。「イエスは霊に導かれて荒れ野に行かれた」(1節)の「導かれて」(ἀνήχθη アネクテ)が受動態で記されているのは「神が聖霊によってイエスを荒れ野に導いた」という意味だろう。しかし、それはヨルダン川の下流の地域から上流の砂漠地帯への移動だけを必ずしも意味せず、「幻の出来事」(een visionair gebeuren)としてとらえることも可能である、というのです。

いかがでしょうか。この物語の中で主イエスは「荒れ野」だけでなく「エルサレム神殿」にも「非常に高い山」にも連れて行かれますが、すべて物理的に移動したと考えなければならないことはなく、「聖霊の導きによって幻の中で移動した」と考えることができるなら、この箇所の読み方が大きく変わってくるはずです。

ここで私がつい思い浮かべるのは、バイクのたとえです。バイクの免許を取る人が必ず受講するのは「シミュレーター教習」です。バイクは四輪車よりも明らかに事故に遭う確率が高いです。しかし、だからといって、実際に事故に遭ってケガをしてみるという体験学習はありえません。それで生み出されたのが、コンピュータが描き出す「ヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)」の中で「事故に遭ってみる」という学習方法です。

私もその教習を受けました。結構こわかったです。細い道でバスが停留所に止まっている。そのバスを追い越そうとすると、突然子どもが飛び出してくる。急ブレーキをかけると車体が転倒する。シミュレーターが実際にガタガタ揺れます。また、指導員が「スピードを80キロまで上げてください」と言うので、指示通りにする。すると、急カーブで曲がり切れなくてガードレールに激突して谷底に落ちる。そういうトレーニングでした。

いま私が申し上げているのは、今日の物語は間違いなく「ヴァーチャル・リアリティ」の出来事であるということではありません。その可能性があると解釈されていることをご紹介しているにすぎません。しかし、「ヴァーチャル・リアリティ」は虚偽や詐欺だと考えるのは間違いです。実際にケガをしたりモノを壊したりしてみるわけに行かない中での、有効な訓練手段です。

今日の説教題「荒れ野の誘惑」の「誘惑」は新共同訳(1987年)の表現です。聖書協会共同訳(2018年)(※「聖書協会共同訳」は長いので以下「SKK訳」と略します)では「試み」と訳されています。「試み」とはテストです。それは、イエスは本当に「救い主」にふさわしいのかどうかを見極めるテストです。

主イエスは「四十日間、昼も夜も断食した後」(SKK訳「四十日四十夜、断食した後」)空腹を覚えられました(2節)。すると「誘惑する者」(SKK訳「試みる者」)が来ました。テスト開始です。  

「悪魔」はディアボロス(διάβολος)。「ディア(δια) 」(through、~を通して) +‎ 「バロー(βάλλω)」(throw、投げる)で「投げつける」(door elkaar werpen)というのが悪魔の原意です。悪魔はピッチャーです。イエスさまはバッター。いざ、勝負!

問題は3問。場面が「荒れ野」「エルサレム神殿」「非常に高い山」と切り替わります。この3つの場所の関係性が、私は今までよく分かりませんでした。しかし、やっと分かった気がします。

「荒れ野」は砂漠です。グラフで表すとしたら零(0)。神が働いてくださらなければ何も生まれない、何も起こらないという意味で「虚無」(Nothing)。「エルサレム神殿」は、宗教の最高峰。宗教の百(100)。「非常に高い山」は、その場所自体よりも大切なのは、そこから見えるものです。「世のすべての国々とその繁栄ぶり」を見渡せる場所。政治の百(100)。

主イエスは空腹。お腹の中は零(0)。「欲望」が百(100)の状態。その状態で、上記の3か所(荒れ野、神殿、山の上)に行くと人は何を欲するか。「救い主」なら何を欲するか。試されているのは、そのことです。

第1問「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」で問われていることは何でしょうか。いろんな読み方がありうると思います。しかし、忘れてはならないのは、これは「イエスはキリストとしてふさわしいかどうか」のテストだということです。

つまり、問われているのは、空腹のときのイエスが「救い主」として自分に与えられた力を何のために用いようとするかです。自分のお腹を満たすためか、それとも、自分のことは後回しにして、枯れ木に花を咲かせ、飢えた人の心に喜びの福音を伝え、その人を助けることこそが救い主の使命なのか。

イエスさまは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(申命記8章3節)と、聖書の言葉の引用をもってお答えになりました。合格です。

第2問「神の子なら、神殿から飛び降りたらどうだ。天使が助けてくれる(詩編91編)と聖書に書いてある」。主イエスは「『あなたの神である主を試してはならない』(申命記6章16節)とも書いてあると、聖書の言葉でお答えになりました。

「神殿」は宗教の百(100)。そこで、聖書のひとつの箇所と他の箇所の解釈とがぶつかり合う。そのとき、より正しい答えを聖書から導き出せる存在こそが「救い主」にふさわしいというのが、第2問の模範解答ではないでしょうか。

第3問「もしひれ伏してわたしを拝むなら、全世界をお前にくれてやる」。救い主というのは、要するに世界の独裁者になることなのだ。悪魔に心を売り渡し、頭を下げ、善悪を逆転させて、目的のために手段を選ばず、全世界の政治と経済を自分の思い通りに動かし、支配する。それがまさに「救い主」であり、まさに「神」である。

主イエスは「退け、サタン」と一喝されました。それが答えです。悪魔に心を売り渡してでも権力を得ることの正反対です。悪魔に頭を下げて拝まなければ得られないような権力は要らない。全く無力であることのほうを私は選ぶ。それがイエスさまの答えでした。

すると、悪魔が離れ去り、天使が来てくれました(11節)。テスト終了。結果は「合格」。天使が一緒にお祝いしてくれました。

しかし、ここで話を終わらせてはいけません。テストを受けたのは、イエスさまだけです。「メシア=キリスト=救い主」にふさわしいかどうかの見極めなので、「私たちとは関係ない」と考えがちです。しかし、それは違います。

見落とされてはならない点があります。それは、悪魔の試験の答えとしてイエスさまが引用なさった聖書の教えのすべては、私たち人間こそが守るべき教えである、ということです。この箇所の読者にとって大切なことは、わたしたちがどう生きるべきか、です。

私たちにできることを申し上げて終わりにします。

①悪魔に心を売り渡さないこと。

②「目的のために手段を選ばない」という考えを受け入れないこと。

③財産よりも権力よりも大事なものがあると信じること。

(2025年3月9日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年3月5日水曜日

北村慈郎先生の名誉回復を求めます

北村慈郎牧師を表敬訪問しました(2024年10月2日~3日)


主張「北村慈郎先生の名誉回復を求めます」

関口 康(日本基督教団足立梅田教会牧師)

学生時代から尊敬する小海基先生からご依頼いただきましたので、本稿の執筆をお引き受けしました。私が高校からストレートで1984年4月に東京神学大学の学部1年に入学したとき、小海先生は大学院2年生でした。学生寮での自主的な勉強会でバルトやボンヘッファーの神学について小海先生から手ほどきを受けました。40年越えの関係です。

私は昨年(2024年)3月1日付けで足立梅田教会牧師に着任しました。私に足立梅田教会を転任先として紹介してくださったのは東京神学大学の学長です。足立梅田教会に来るまでの私は、この教会が北村慈郎先生の牧者としての歩みの「原点」であったことを知りませんでした。

加えて、私は1990年4月に日本基督教団(以下「教団」)補教師准允、1992年12月に正教師按手を受けて計7年間、教団所属教師として四国教区や九州教区の教会で働きましたが、1998年7月より2015年12月まで日本キリスト改革派教会(以下「改革派教会」)の教師であり、2016年春に教団教師に戻った者です。北村先生の教師免職が執行された2010年時点の私は完全な「部外者」で、大変失礼ながら、対岸の火事を見る思いで報道に接しました。

しかしながら、北村先生の「戒規」は、決しておおげさではなく、私の「人生」に大きな影響をもたらしたことを申し上げねばなりません。この件は、昨年(2024年)10月2日(水)から3日(木)にかけて、私が北村先生のお宅を訪ねて直接打ち明け、ご了解いただいたことです。

それは、私が1997年に教団から改革派教会に移籍した理由は、1995年1月の阪神淡路大震災発生後に発生した「ナイフ事件」の当該教師に何らの戒規もなされない教団のシステムに恐怖に近い感情を抱いたからだった、ということです。

私も神の御前で、ひとりの罪人である。その私が何をしようと免職できない教団にとどまるのは危険であると認識し、「戒規」が可能な改革派教会に移籍しました。それが私自身を含む、神の言葉の説教者の暴走を食い止める唯一の手段であると、当時の私は考えました。

それで、改革派教会の教師だったころ、同僚の牧師相手に繰り返し話していたのは、「私が教団を離脱した理由は他人に向けてナイフを取り出した教師すら免職する仕組みがないことに尽きる。教団でもし、1件でも教師免職が行われたら逆立ちして歩いてもよい」ということでした。絶対にありえない、という意味でした。

私が逆立ちして歩かなくてはならなくなったのは(逆立ちはできないのですが)、2010年の北村先生に関する報道に接したときでした。教団を批判する理由が無くなったと認識しました。以上の経緯と、「教師免職」の英断に至られた教団への敬意と、教団は「免職」を行いえない欠陥システムであると思い込んでいたことへの謝罪を、教団教師検定委員会から課題として出された小論文に明記したうえで、教師転入試験にパスして教団教師に戻ったのが2016年春でした。つまり、北村先生の「免職」のおかげで、今の私は教団の教師なのです。

しかし問題は、北村先生に対して教団がおこなった戒規の内実です。申し上げたとおり、私は完全なる「部外者」でしたので、事実経過を精査する立場にありませんでしたし、意見を述べる立場にも、賛否を問われる立場にもありませんでした。それは現在も大差ありません。

比較的詳細な情報を知りうるようになったのは、昨年3月に足立梅田教会に着任してからです。おりしも昨年(2024年)9月に1年遅れの「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」を行うことになり、説教者として当教会第2代牧師である北村先生をお招きすることになりました。打ち合わせの際、北村先生ご自身や足立梅田教会の教会員の方々から、北村先生に対して教団がおこなった「戒規」があまりに一方的で卑劣なものだったと教えていただき、由々しきことだと思いました。

つまり、私が支援会の活動に心惹かれるようになったのは、「聖餐を開くか閉じるか」の議論にかかわりたいからではなく、教憲教規違反の被疑者として訴えられた一教師に対して現実に執行された「免職」の正当性に疑義を抱く人々の声に、もっと多くの人が耳を傾けるべきだと考えるに至ったからです。

この点をご理解いただけないかぎり、あっという間に、私まで色付けされてしまうでしょう。実際、足立梅田教会の礼拝説教者として北村先生をお迎えすることを教会ブログで公表しただけで、「関口牧師はオープン聖餐派ですか」という問い合わせが複数の方面から届きました。なんというステレオタイプ。なんという愚かな決めつけ。このような憶測と偏見に基づく監視と弾圧が北村先生ご自身と支援者がたを苦しめる元凶だったのだろうと、わが身で知ることができました。

私は一度ウェストミンスター信仰基準と礼拝指針に同意した者であり、日本基督教団に戻ったからといってその点は撤回していませんので、聖餐論に関して疑義を受ける立場にはありません。失礼なことを言わないでほしい。

日本キリスト改革派教会で信徒や教師に「戒規」を執行する場合の基準は、同教会の教会規程第2部「訓練規定」です。1968年の大会で同規定が設けられ、何度かの大改正を経て今日に至ります。私が改革派教会に在籍していた時期に当たる2008年にも大改訂が行われました。私が教団に戻った2016年以降の「訓練規定」がどうなっているかは知りません。

私が、北村先生に対する教団の仕打ちについて、北村先生ご自身や支援者がたからお話を伺いながら思い起こすのも、改革派教会の「訓練規定」の内容です。

たとえば2008年改正版の同規定第20条に「小会および中会は、その管轄下の人々の信仰と行状についての好ましくない報道に接したときは相当な注意と十分な思慮分別をもって判断し、必要と認めるときはかれらに満足な釈明を求めなければならない」とあります。この「かれら」に当てはまるのは、北村先生と支援者がたでしょう。免職戒規の執行前もその後も「満足な釈明の機会」を設けられたことがないゆえに、抗議を続けておられるわけでしょう。

日本基督教団の「教団(総会)」と「教区(総会)」と「各個教会の役員会」との関係が、改革派長老派教会の「大会・中会・小会」のような3段階の法治システムになっていないことをもちろん私は承知しています。しかしだからといって、教団の一教師を免職する際に、当該教師が牧会している教会の教会総会の承認を受け、所属教区も同意していることを、教団のごくわずかな人々が教師免職に値する重大な教憲教規違反であると判断し、北村先生ご自身との面接すらせずに免職を言い渡すというのは、少なくとも改革派教会では絶対にありえないことですし、30余派の旧教派の寄り合い所帯の日本基督教団だから許されるという論理も、私には容認しがたいです。

しかし、日本基督教団の教憲教規であれ、改革派教会の教会規程であれ、「法」であることには変わりありませんので、条文を持ち出して云々するのは、不毛な解釈論争を招くだけで徒労に終わることを私も知っています。

それよりも私がご紹介したいのは、私が改革派教会にいたころ直接かかわった教師戒規の実例です。伝聞ではなく実際の審議に参加しました。「実例」の紹介は個人の特定につながるので慎重にしなければなりませんが、日本基督教団においては北村慈郎先生以外の教師免職の「実例」がない以上、他の教団教派の「判例」を参考にせざるをえないではありませんか。

2つの例を紹介します。1件目は「試問なき洗礼を授けた教師」への戒規です。この例は教師免職の例ではありませんが「聖礼典(サクラメント)」の理解に関係する例なので、挙げます。

教会員のご家族で臨終間近の未信者の病床に当該教師と長老が訪問しました。教師の問いかけへの反応はほとんどない状態だったそうです。しかし教師は、その未信者に病床洗礼を授け、その方はまもなく召されました。その場に立ち会った長老が小会記録に「試問なき洗礼を執行した」と記録したところ、中会の記録調査委員会で問題にされ、中会会議の審議を経て当該教師に戒規が執行されました。戒規の内容は、私の記憶によると、陪餐停止を含む一時的な職務停止と、中会の関係委員会との定期面接と、ウェストミンスター信仰基準の洗礼論についての論文を書くこと、でした。

2件目は「他人の説教を盗用した教師」への戒規の例です。当該教師は、加藤常昭牧師の説教集からの、句読点たがわぬ書き写しを、長年にわたり常習していました。その書き写し説教に感動を示す信徒が多かったので、やめられなくなったようです。当該教師が最後に牧会した教会の長老が説教盗用の事実に気づき、詳細な調査報告書を作成して中会に訴えた結果、当該教師に対し、即時免職の戒規が執行されました。

その際、当該教師もご家族(特にお連れ合い)も、免職の戒規に服することに同意しておられました。教師本人が抵抗しているのに一方的に免職を言い渡すことが改革派教会で行われたことは、1970年代にいわゆる異言問題に関することで1例ある(ただし教師自身が退会届を提出)以外はほとんどないと思われます。

日本キリスト改革派教会にいたころ私の目の前で見た教師戒規の2例が、北村先生に対して教団がおこなった戒規とどういう関係にあるかを論じるのは難しいです。「別ルールである」と言われてしまえばそれまでです。しかし、今の私の目で見ると、北村先生に教師免職の戒規が執行されたまま、再審理も名誉回復もなされないのは、あまりに行き過ぎの仕打ちに見えて仕方ありません。

その一方で、教団執行部側に強い影響力を持っていた教師たちがかなり次々と性的なトラブルを起こしたことが教会内で発覚したにもかかわらず、教師免職ではなく教師隠退や転任という形で救済されているという情報を耳にすると、北村先生だけがなぜ免職なのかが、私にはいよいよ理解不可能になります。

私個人の感覚で言わせていただけば、北村先生がなさったことに対する教師免職という戒規は、量定としては重すぎるものであり、なにがなんでもどうしても、というならウェストミンスター信仰基準の聖餐論についての論文を書いていただくぐらいで十分だと考えますが、日本基督教団のルールにそぐわないことは、もちろん理解しています。北村先生に対しても失礼な言い方で、申し訳ありません。

先ほど紹介した改革派教会での1例目の戒規の件では、「試問なき洗礼」の是非が問われました。現在の日本基督教団で同様の問題が問われているかどうかを私は知りませんが、そもそも「洗礼に先立っての試問」が、教団の教会の中で、どの程度まで厳密に行われているかを調査するほうが有意義であるように思えます。

そのときも「あの長老が小会記録に『試問なき洗礼を執行した』と書かなければ済んだのに」とつぶやく人たちの声を耳にしました。これと同じような声が、日本基督教団の中でも、とくに「洗礼と聖餐の関係」の問題については、いくらでもつぶやかれているのではないでしょうか。性的なハラスメントや説教盗用のような問題には逃げ腰のように私には見える日本基督教団が、聖礼典(サクラメント)の問題に限っては、北村先生の免職戒規を取り下げようとしないのは、バランスが悪すぎるように見えて仕方がありません。北村先生の免職戒規が取り下げられ、名誉回復がなされることを、私個人は祈ってやみません。

(『北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会通信』第35号、2025年3月5日発行、13₋16頁掲載)

2025年3月2日日曜日

奇跡を行うキリスト

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「奇跡を行うキリスト」

マタイによる福音書14章22~36節

関口 康

「弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない』」(26-27節)

以前もお話ししたことがあります。私がどの説教をするときも必ず開いて読む聖書註解はPrediking van het Oude/Nieuwe Testament(『旧約聖書/新約聖書の説教』)というオランダ語で書かれたシリーズです。

旧約聖書/新約聖書の説教シリーズ

なぜオランダ語の註解書なのでしょうか。答えは2つです。ひとつは、このシリーズの新約註解の全巻をまとめ買いしたとき、オランダの古書店から届いた本の見返しに、私が30年近く前から自分のライフワークとして取り組んできた神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の蔵書シールが貼られていたからです。

ファン・ルーラー教授の蔵書シール

これは奇跡だと思いました。ファン・ルーラー先生が「もっと勉強しなさい」と私を励ましてくださったと信じることにして、このシリーズを自分の説教の土台に据えることにしました。

もうひとつの答えは、このシリーズに限らずオランダの聖書註解が優れていると私が思う点は、学問と信仰のバランス感覚が素晴らしいことです。聖書という文献を信仰と教会の立場からだけでなく、学問的・科学的な立場からも読む必要があります。そのことを私はいくつかのキリスト教主義学校で聖書の授業をさせていただく中で、強く認識させられました。

学問とダイレクトに関係するのが職業です。たとえば今日の箇所はどうでしょうか。イエスが水の上を歩きました。会社の上司に呼び出されて「この箇所の意味を社員に説明しなさい」と言われたら、皆さんはどうされますか。そういう面倒くさいことに巻き込まれるのがイヤだから、「私は教会に通っています」と誰にも言えないという方がおられませんか。

子どものころの私がそうでした。教会には生まれたときから休まずに通っていました。しかし、学校では教会に通っているということをひとことも言わずに過ごしました。私は隠れキリシタンでした。高校卒業後ストレートで東京神学大学に入学し、会社勤めをせずに牧師になったことも「逃げること」を意味していると、当時から自覚していました。そんな私が、よりによって学校で教えることになりました。学校が大嫌いだった私が、学校で教える人間になりました。

この話をいつまでも続けるわけに行きません。今日の箇所についても、同じ聖書註解シリーズのマタイ福音書の巻を読みました。著者はニールセン(J. T. Nielsen)です。ベルギーのブリュッセルの聖書学者です。著者の背景は分かりません。しかし、ニールセンがハインツ・ヨアヒム・ヘルド(Heinz Joachim Held [1928-])の名前をあげて「この物語は前の物語と関連しているという H. J. ヘルドの発言には多くの意味がある」と解説しているのを興味深く読みました。

私はヘルドの存在を全く認識していませんでしたが、ウィキペディアドイツ語版にヘルドの紹介が見つかりました。ヘルド先生は1983年から1991年まで世界教会協議会(WCC)中央委員会の議長でした。世界のキリスト教会に大きな影響を与えた人物のひとりと言えると思います。

ヘルド先生が言う「前の物語」は、主イエスが5千人に食事を施した物語です。その話と今日の箇所の物語がどのように関係しているのかといえば、前の物語で弟子たちは空腹で取り乱した群衆と一緒にいたが、この物語で弟子たちは湖の波間にいます。どちらの場面でも弟子たちは追い詰められ、そのたびに主イエスに窮地を助けていただきました。これらの点で2つの物語は共通しているとヘルド先生が主張されました。とても興味深い解釈だと私は思いました。

24節から読んでみます。「ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。』」

「幽霊」と訳されているのはファンタズマ(φάντασμα)。オバケです。湖を人間が歩けるはずがないという常識的な考えをもって生きて来たのに、その常識に反して水の上を歩いてくる人がいる。人間ではないとしたらオバケ以外に考えられないと結論が出た途端、恐怖の絶叫です。しかし、それがイエスさまだと分かったので弟子たちは安心したという話です。

この箇所が面白いと私に思える点は、主イエスが「どのようにして」(how)湖の上を歩いたかについての方法や仕組みは、弟子たちにとってはどうでもいいことだったということです。

恋人同士が渋谷のハチ公前でデートの待ち合わせをする。大切なことは約束の時間に間に合うことです。会いたい人に会うことです。「どのようにして」(how)ハチ公前までたどり着いたかはどうでもいいことです。それと同じだと思いました。バイクで来たかもしれないし、タクシーかもしれないし、交通費を節約してデート代を増やすために歩いて来たかもしれない。プロセスはどうでもいい。会いたいだけ、ただそれだけ。

ペトロが、イエスさまにできることなら自分もできると思って、私も水の上を歩きたいと言い出しました。やってごらんと主イエスから励まされて歩こうとしたら、ペトロは沈没しました。

すると、ペトロが「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」(31節)とイエスさまから叱られます。これはまずいことになりました。私たちがもし水の上を歩けなかったら「信仰が薄い」とイエスさまから叱られなければならないのでしょうか。

私のオランダ語の註解書は、31節の主イエスの言葉を前半と後半に分けて、別の意味であると説明しています。前半の「信仰の薄い者よ」の意味は「重要な瞬間にイエスを完全に信頼できない人々」を指しています。しかし、後半の「なぜ疑ったのか」の意味は「自分の能力を疑うこと」を指しているのであって「不信仰」ではないと説明されています。とてもすっきりするし、励まされる説明だと思いました。

ペトロが主イエスに「そちらに行かせてください」(28節)とお願いしたとき「来なさい」(29節)と答えてくださったことの意味は、主イエスがペトロの力を信頼してくださったということです。ペトロが沈没したのは主イエスへの信仰が足りなかったからではなく、自分の力を信頼することができなかったからだということです。

私は2016年度の1年間は千葉英和高校の常勤講師でした。翌2017年度の1年間は「無任所教師」という名の無職でした。牧師しかしたことがなかった私が二度と牧師の働きに戻れないかもしれないと、絶望的な思いを抱いていました。しかし、私が牧師の仕事から離れていたのはその2年間だけでした。今、素晴らしい教会で働かせていただいています。これは私の奇跡です。

GReeeeN (現「GRe4N BOYZ」)の「キセキ」(2008年)の歌詞を覚えておられるでしょうか。「せめて言わせて『幸せです』と」。

奇跡の合理的な説明はできそうにありませんが、説明できないからこそ奇跡です。苦しいときにいちばん来てほしい方が来てくれた。会いたい方に会えた。それ以上の何が必要でしょうか。

弟子たちが困ったときはイエスさまが必ず駆けつけてくださる。そのことを今日の箇所は読者に強く訴えています。助けられたときは、そのあとで「幸せです」とせめて言えれば、よろしいのではないでしょうか。

(2025年3月2日 日本基督教団足立梅田教会主日礼拝)

2025年2月28日金曜日

「板書説教」自己評価 6か月点検

ホワイトボード

【「板書説教」自己評価 6か月点検】

昨年(2024年)夏から始めたホワイトボードとマーカーを用いた「板書説教」が半年以上。悪い面もあるに違いないが、いま問題にしなくてもいい。以下良いと思える面。順不同。

①同音異義語が多い日本語で、耳で聞くだけで理解できる説教を続けることに限界を感じたことがある説教者たちの活路になる。

②説教中の板書が許可されれば、聖書原典のヘブライ語やギリシア語や、キリスト教の専門用語や現代社会の専門的な知識などの解説に躊躇なく踏み込んで説教することができる。

③板書の手書き速度が説教の進み具合をゆったりしたものにし、理解できないまま置いてきぼりにされる出席者がいなくなる。

④前記③の言い換えだが、事前に印刷したプリントを配布したり、パワーポイントとプロジェクターで「文字や画像や動画」を映写しながら説明する方法と比べて、「板書説教」はのんびりしていて、人にやさしい説教になる。漢字の書き順や難読漢字など「今さら聞けない」知識を派生的に得られたりもする。

⑤「板書説教」は字に書いて説明しうること、つまり「言語化可能」という意味で「理性的・合理的」でありうる。説教者自身が理解できていないことを語っているのではないかと疑われる支離滅裂な説教は、そもそも言語化できていないので板書不可能。「板書説教」を聞いた後味は、モヤモヤが少ないはず。

⑥高齢や他の理由で音声が聞き取りづらい方々が「板書説教」や「説教のブログ公開」を喜んでくださっている。「説教で何が語られたかを理解したい」という願いがある。そのニードにスピーディーに、人にやさしく温かく応えられるのは「板書説教」。紙のプリントや、動画やビデオ通話の追随を許さない。

⑦「板書説教」は小学校から高校までの1教室(30~40名程度)か、大学の大教室(200名程度)と同じような造りの礼拝堂に向いているとは言える。「板書説教」が向いている礼拝堂かどうかで関係するのは、収容人員の問題ではなく「残響」の問題。音楽ホールの方向に近づいている礼拝堂は向かないと思う。

⑧「板書説教」は、主日礼拝を行う礼拝堂とは別に「ホワイトボード『もある』部屋」で行われるのでは、あまり意味はない。主日礼拝そのもののど真ん中で「板書説教」が行われてこそ意味がある。説教の声出しの調子も確実に変わる。音楽ホールで歌うように語る声出しの調子で「板書説教」は成立しない。

⑨コロナ後も教勢が戻らない教会が多いと聞く。巨大な礼拝堂を造ったはいいが、がらんどうに少人数という教会があるだろう。けなしているのではない。少人数だろうと集まっておられる方々に敬意を表する。ひとりひとりの心に届く語り方やふさわしい声出しができていない説教者がいないかと心配になる。

⑩「板書説教」は私が始めたことではない。足立梅田教会の初代牧師がお始めになった、当教会の伝統のようなもの。しばらく途絶えていたことを私が再開したにすぎない。初代牧師が青山学院高等部の聖書科教員をなさっていたため、キリスト教学校の「聖書の授業」や「学校礼拝」との区別や温度差がない。

⑪もうひとつ加える。「ホワイトボードにマーカー」ではなく「黒板にチョーク」にするかどうか迷った時期がある。まだ黒板がないので新規購入するかどうかで迷った。しかし、ホワイトボードで通すことにした。チョークをたまに手を滑らせて床に落とすと砕け散る。マーカーは落としてもびくともしない。

2025年2月26日水曜日

立派な信仰

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「立派な信仰」

マタイによる福音書15章21~28節

関口 康

「そこで、イエスはお答えになった。『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。』そのとき、娘の病気はいやされた」(28節)

今日の説教題は「立派な信仰」です。

この表現が朗読箇所の28節に出てきます。つまり、聖書の言葉です。主イエスの言葉です。

しかし、この題をご覧になったとき、皆さんはどのようにお感じになったでしょうか。次の5つのうちからお選びください。

①ぞっとした、②悲しくなった、③腹が立った、④教会に行きたくなくなった、⑤翻訳の誤りかもしれないので説教を聞いてみたいと思った。

⑥どれでもない、も加えておきます。説明が必要でしょう。

昨日観ていたインターネットの番組でも、繰り返し語られていました。今はどういう時代なのかを考えるときに引き合いに出されるのが「宗教ゼロ」という言葉です。

ヨーロッパがそういう状態だと言われます。宗教だとか信仰だとか言われても何をどう考えればよいか分からないし、身につかない。この感覚は、私もかなりの面で共有しています。

それなのに教会の看板に大きな字で「立派な信仰」と書いてある。まったく理解に苦しむ、というような否定的な感情を呼び起こすために、この言葉を選ばせていただきました。お詫びしなくてはなりません。

翻訳の問題かどうかは、日本聖書協会の歴代聖書を読み比べるだけで分かります。

明治元訳(1887年)

大正改訳(1917年)

口語訳(1954年)

新共同訳(1987年)

聖書協会共同訳(2018年)

婦(をんな)よ、爾の信仰は大いなり。

をんなよ、汝の信仰は大いなるかな。

女よ、あなたの信仰は見上げたものである。

婦人よ、あなたの信仰は立派だ。

女よ、あなたの信仰は立派だ。

原文は「Ὦ γύναι, μεγάλη σου ἡ πίστις」(オー・グナイ、メガレー・スー・ヘー・ピスティス)。「立派」「見上げたもの」「大いなるもの」と訳されているのはμέγας(メガス)の女性単数与格μεγάλη(メガレー)です。

これは、メガロポリス、メガバイト、メガトンパンチなどの「メガ」(mega)の語源です。国際単位の10の6乗(100万)。「キロ」は10の3乗(1千)。「ギガ」は10の9乗(10億)。「テラ」は10の12乗(1兆)。

呼びかけの言葉も、翻訳が難しいです。直訳的な意味は正しくても「をんなよ」「女よ」「婦人よ」はなんだか失礼だし、「女性よ」もかなり微妙。「おねえさん」や「おくさん」は論外。そもそも「あなた」と呼ばれるのが不愉快だと言われることもあります。「お前」あたりは論外中の論外。

「おたくさま」は、意外なほど可能性があるかもしません。「おたくさまの信仰はメガトンパンチ級ですね」。

内容に入ります。登場するのは主イエス、弟子たち、そして「カナンの女」です。説明が必要なのは「カナンの女」です。結論から言えば、当時の差別語です。意図的に用いられています。

「カナン」は、エジプトにいたユダヤ人たちがモーセに率いられて戻って来た先祖の地の古い呼び名です。ならば「カナン人」がなぜ差別語なのかといえば、いま申した歴史が関係します。

エジプトから戻って来たユダヤ人の戦争相手が「カナン人」だったからです。あくまでユダヤ人の立場からすれば、ということになりますが、彼らがいなかった間にカナンに住むようになった人たちが「カナン人」です。現代のパレスチナ問題さながらです。

しかし、この女性がユダヤ人と戦争した時代の「カナン人」の純血を受け継いでいるという話ではありません。もっと広い意味です。そして差別的な意味です。説明自体に苦しみを感じます。「外見や方言などで、見る人が見れば分かる違いを持った人」というぐらいにとどめます。

この女性と主イエスが出会った場所は「ティルスとシドンの地方」(21節)。巻末の聖書地図「6」の最北端です。この女性がしたのは、主イエスに向かってひたすら叫び続けることでした。「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」(22節)。

「しかし、イエスは何もお答えにならなかった」(23節)とあります。立ち止まられたかどうかも顔を向けられたかどうかも記されていません。どちらもなさらなかった可能性を私は考えます。実際の場面を想像すると、対応なさらなかった理由がなんとなく分かります。

私が抱くイメージは、通りすがりで手早く解決するとは考えにくい深刻な問題を抱えている相手に安易にかかわることが、かえって相手を傷つける場合がある、ということです。

しかしそれでも、どうして立ち止まってくださらないのですか、振り向いてもくださらないのですか、冷たすぎますよ、イエスさま、と言いたくなる場面であることは間違いありません。

主イエスの弟子たちが「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので」と言っています(23節)。この「ついて来ます」で立ち止まっていなさそうな様子が伝わってきます。弟子たちが厄介な存在を嫌がって舌打ちしたかどうかも記されていませんが、それに近い感じです。

そのとき主イエスが「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった(24節)とありますが、これが弟子たちに対してであって、その女性に対してではなかったことは慰めです。本人に直接言っていません。こういうことを言ってはいけません。

しかし、女性がひれ伏して「主よ、どうかお助けください」と懇願したとき(25節)、主イエスは口を開いてくださいました。「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」(26節)と。

ひどい答えかどうかは考え方次第です。主イエスは人を「魚」や「麦」にたとえるおかたですから、「小犬」もたとえではないでしょうか。「大きな犬」ではなく「小犬」が選ばれていることに、ユーモアの要素が含まれているかもしれません。「子供」も、「小犬」と背格好が同じぐらいの幼児をイメージしてみると良さそうです。

「大変申し訳ありません。残りのパンが1個しかありません。うちの子(大きな子供を含む)が、お腹が空いたと泣いておりまして、小犬さまにお譲りできるものがありません」ぐらいではないでしょうか。「お引き取りください」とはねつけるような言い方ではありません。

しかし、そのときこの女性から返ってきた答えに主イエスが感動されました。「女は言った。『主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです』」(27節)。

こう言いたいのではないでしょうか。

「確かに私は、あなたが守るべき神の家族の一員ではないかもしれない、ただの通りがかりの小犬です。そんなことは分かっています。しかし、あなたのパンが必要な者です。そしてパン屑もパンです。だれかの残りものだろうと、床に落ちていようと、そんなことどうでもいいです。私はあなたの食卓に共にあずかるべき者です。あなたのものは、私のものです。ここから一歩も下がれません」

この確信に満ちた求めを「これはメガトンパンチの信仰だ」と言って受け入れてくださったのです。

「立派な信仰」のイメージが変わったでしょうか。良い方向でご理解いただけますと幸いです。

(2025年2月23日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年2月23日日曜日

立派な信仰

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「立派な信仰」

マタイによる福音書15章21~28節

関口 康

「そこで、イエスはお答えになった。『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。』そのとき、娘の病気はいやされた」(28節)

今日の説教題は「立派な信仰」です。

この表現が朗読箇所の28節に出てきます。聖書の言葉です。イエス・キリストの言葉です。

しかし、この題をご覧になったとき、皆さんはどのようにお感じになったでしょうか。次の5つのうちからお選びください。

①ぞっとした、②悲しくなった、③腹が立った、④教会に行きたくなくなった、⑤翻訳の誤りかもしれないので説教を聞いてみたいと思った。

⑥どれでもない、も加えておきます。説明が必要でしょう。

昨日観ていたインターネットの番組でも繰り返し語られていました。今はどういう時代なのかを考えるときに引き合いに出されるのが「宗教ゼロ」という言葉です。

ヨーロッパがそういう状態だと言われます。宗教だとか信仰だとか言われても何をどう考えればよいか分からないし、身につかない。この感覚は、私もかなりの面で共有しています。

それなのに教会の看板に「立派な信仰」と書いてあるのは全く理解に苦しむ、というような否定的な感情を呼び起こすために、あえて選ばせていただきました。お詫びしなくてはなりません。

翻訳の問題かどうかは、日本聖書協会の歴代聖書を読み比べるだけで分かります。

明治元訳(1887年)

大正改訳(1917年)

口語訳(1954年)

新共同訳(1987年)

聖書協会共同訳(2018年)

婦(をんな)よ、爾(なんぢ)の信仰は大いなり。

をんなよ、汝の信仰は大いなるかな。

女よ、あなたの信仰は見上げたものである。

婦人よ、あなたの信仰は立派だ。

女よ、あなたの信仰は立派だ。

ギリシア語の原文は「Ὦ γύναι, μεγάλη σου ἡ πίστις」(オー・グナイ、メガレー・スー・ヘー・ピスティス)です。「立派」「見上げたもの」「大いなるもの」と訳されているのは、μέγας(メガス)の女性単数与格μεγάλη(メガレー)です。

これはメガロポリス、メガバイト、メガトンパンチなどの「メガ」(mega)の語源です。「メガ」は現在の国際単位の10の6乗(100万)です。「キロ」は10の3乗(1千)、「ギガ」は10の9乗(10億)、「テラ」は10の12乗(1兆)です。今日の箇所の「メガス」が「100万」を意味するということではありません。

呼びかけの言葉も翻訳が難しいです。意味は正しくても「をんなよ」「女よ」「婦人よ」は失礼な感じだし、「女性よ」も微妙。「おねえさん」や「おくさん」は論外。そもそも「あなた」と呼ばれるのが不愉快だと言われることもあります。「お前」は論外中の論外。

「おたくさま」は意外なほど可能性があるかもしません。

「おたくさまの信仰はメガトンパンチ級ですね」。

内容に入ります。登場するのは主イエス、弟子たち、そして「カナンの女」です。説明が必要なのは「カナンの女」です。結論から言えば、当時の差別語です。そのような言葉が意図的に用いられています。

「カナン」は、エジプトにいたユダヤ人がモーセに率いられて戻って来た先祖の地の古い呼び名です。ならば「カナン人」がなぜ差別語なのかといえば、いま申した歴史が関係します。

エジプトから戻って来たユダヤ人の戦争相手が「カナン人」だったからです。あくまでユダヤ人の立場からすれば、ということになりますが、彼らがいなかった間にカナンに住むようになった人たちが「カナン人」です。現代のパレスチナ問題さながらです。

しかし、この女性がユダヤ人と戦争した時代の「カナン人」の純血を受け継いでいるというような話ではありません。もっと広い意味です。そして差別的な意味です。説明すること自体に私は苦しみを感じます。「外見や方言などで、見る人が見れば分かる違いを持った人」というぐらいにとどめます。

この女性と主イエスが出会った場所は「ティルスとシドンの地方」(21節)です。巻末の聖書地図「6」の最北端にこれらの地名が記されています。この女性がしたのは、主イエスに向かってひたすら叫び続けることでした。「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」(22節)。

「しかし、イエスは何もお答えにならなかった」(23節)とあります。そのとき主イエスが立ち止まられたかどうかも、顔を向けられたかどうかも記されていません。どちらもなさらなかった可能性を私は考えます。実際の場面を想像すると、その理由がなんとなく分かります。

私が抱くイメージは、通りすがりで手早く解決するとは考えにくい深刻な問題を抱えている相手に安易にかかわることが、かえって相手を傷つける場合がある、ということです。

しかしそれでも、なぜ立ち止まってくださらないのですか、振り向いてもくださらないのですか、冷たすぎますよ、イエスさま、と言いたくなる場面であることは間違いありません。

主イエスの弟子たちが「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので」と言っています(23節)。この「ついて来ます」で立ち止まっていなさそうな雰囲気が伝わってきます。弟子たちが厄介な存在を嫌がって舌打ちしたかどうかも記されていませんが、近い感じです。

そのとき主イエスが「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった(24節)とありますが、これが弟子たちに対するお答えであって、その女性に対してではなかったことは、かろうじて慰めです。本人に直接言っていません。こういうことを本人に言ってはいけません。

しかし、女性がひれ伏して「主よ、どうかお助けください」と懇願したとき(25節)、主イエスは口を開いてくださいました。「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」(26節)。

ひどい答えかどうかは考え方次第です。主イエスは人を「魚」や「麦」にたとえる方ですから、「小犬」もたとえではないでしょうか。「大きな犬」ではなく「小犬」が選ばれていることに、ユーモアの要素が含まれているかもしれません。「子供」も、「小犬」と背格好が同じぐらいの幼児をイメージしてみると良さそうです。

「大変申し訳ありません。残りのパンが1個しかありません。うちの子(大きな子供を含む)が、お腹が空いたと泣いておりまして、小犬さまにお譲りできるものがありません」ぐらいではないでしょうか。「お引き取りください」と、はねつけるような言い方ではありません。

しかし、そのときこの女性から返ってきた答えに主イエスが感動されました。

「女は言った。『主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑(くず)はいただくのです』」(27節)。

こう言いたいのではないでしょうか。

「たしかに私は、あなたが守るべき神の家族に加えていただくに値しない、ただの通りがかりの小犬です。そんなことは分かっています。しかし、あなたのパンが必要な者です。そしてパン屑(くず)もパンです。形が変わっていようと、残りものだろうと、床に落ちていようと、誰かに踏みつけられようと、パンはパンです。それを私にください。私はあなたの食卓に共にあずかるべき者です。あなたのものは私のものです。ここから一歩も下がれません。」

この確信に満ちた求めを主イエスが「これはメガトンパンチの信仰だ」と受け入れてくださったのです。

「立派な信仰」のイメージが変わったでしょうか。良い方向でご理解いただけますと幸いです。

(2025年2月23日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年2月9日日曜日

毒麦のたとえ

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「毒麦のたとえ」

マタイによる福音書13章24~30節

関口 康

「主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい』」(29-30節)

今日の聖書の箇所に記されているのは、主イエスがお語りになった「毒麦のたとえ」です。

毎週の説教題を、役員がたの中のお2人が交代で、教会の外の看板に書いてくださっています。「毒」の字が看板に貼り出されるのは不適切だろうかと考えなかったわけではありません。

「毒」の意味は「生命または健康を害するもの」(岩波書店『広辞苑』第4版)。「毒」という漢字の由来については、漢和辞典の出版社の大修館書店の「漢字文化資料館」というサイトで、次のように説明されていました。

「一番伝統的な説明は、『毒』という漢字は、『屮』と図のような漢字〔上に『士』、下に『毋』でひとつの字:関口注〕から成り立つ、というものです。図の漢字はさらに、『士』と『毋』に分解されます。『士』は『立派な男性』という意味、『毋』はよく見ると『母』とは違って、『~ではない』という意味で、図の漢字は『立派ではない』『みだら』という意味になるそうです」「漢字文化資料館」(←ここをクリックすると開きます)

今申し上げているのは漢字の話です。ギリシア語で書かれた新約聖書の内容とは直接的な関係はありません。しかし、漢字の多くは象形文字、すなわちモノやカタチを点や線で表す文字です。漢字は「見た目」が重要です。それが漢字文化の特徴です。

私が興味を感じたのは「毒」と「麦」の字が似ていることです。見た目の問題です。「毒毒」か「麦麦」か「麦毒」と書いてあっても、近くまで来ないと見分けがつきません。たまには意図的に教会の看板に間違った漢字を書いておくと、気が付いた方が教会に電話をくださったりすれば、そこから話の花が咲くかもしれません。

今日の箇所は漢字の話とは関係ないはずですが、不思議なほどつながります。

ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て実ってみると、毒麦も現れました。そこで僕(しもべ)たちが主人に「毒麦を抜き集めましょうか」と進言したところ、返って来た答えは「毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない」ので「両方とも育つままにしておきなさい」(29~30節)というものだったという話です。

言われていることは、良い麦と毒麦は見分けがつきにくいので、収穫までそのままにしておきましょうということです。つまり、見た目の問題です。「毒」の字と「麦」の字が、遠くからだと見分けがつかないことに通じるではありませんか。

たとえ話の内容はそれだけです。しかし、いくらなんでも、これだけで話を終わらせるわけには行きません。

主イエスはこれを「天国のたとえ」(24節)として語られました。しかも、この場合の「天国」は西暦1世紀のユダヤ教が「神」の名をみだりに唱えてはならないという意図で「神」を「天」と言い換えたことと関係があると考えられています。いま申し上げたことの意味は、「神」も「天」も「神の国」も「天国」もすべて同じ意味であり、「天国のたとえ」は「神のたとえ」であるということです。

ここまでお話しするとそろそろ私たちの心がざわつき始めるでしょう。これは「天国のたとえ」だが、「神のたとえ」であるという。神は世界と人間を創造されたという。しかし、その世界に神の敵が現れて「毒麦」を蒔いて行ったという。しかし、良い麦と毒麦は見分けがつきにくいので収穫まで毒麦を抜かないでおこうという。もしそうなら、これは「麦」の話ではなく「人間」の話だろうと考える他はありません。つまり、これは「私たち」の話です。

私たちの心が最もざわつくのは、このたとえ話の結末でしょう。「刈り入れの時、『まず、毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい』と刈り取る者に言いつけよう」(30節)と言われています。「毒麦」は最終的に選別され、捨てられ、焼かれるという話です。

ここまで聞いて誰もが第1に考えるのは「自分はどちらなのか」ということでしょう。神の倉に納められる「良い麦」のほうなのか、それとも、捨てられ焼かれる「毒麦」のほうなのか。

第2に考えるのは、自分以外の「あの人」はどちらなのか。いろんな人間関係の中で出会う厄介な「あの人」。良い麦畑に闇夜の忍者が蒔いた「毒麦」とはだれなのか。「あの人」のことか。

第3の問いは、最も深刻です。神はなぜ「良い麦」だけでなく「毒麦」を創造されたのか。世界に多様な存在があり、互いに違いがあることまではなんとか理解できる。しかし、なぜ「みんな違ってみんないい」でダメなのか。なぜ「悪い」があるのか。「悪」がなぜ世界に存在するのか。神はなぜ「悪」の存在を許しているのか。これらの問いは、神義論(Theodicy)と呼ばれる永遠の謎です。

私は以前から、イエスのたとえの説教は難しいと感じてきました。今回改めて調べていく中で「たとえ」(parable)の範囲を定めること、とくに「寓喩」(allegory)との違いをどう考えるかなど、難しい問題が待ち受けていることが分かりました。付け焼刃では歯が立ちません。

それと私は、人間を植物や動物にたとえることに抵抗があります。主イエスが最初の弟子たちに呼びかけた「人間をとる漁師にしよう」も、人間が「魚」にたとえられています。「牧師」の「師」の字を問題にする人の声はよく聞きます。しかし、私が気になるのは「牧」のほうです。教会員を「羊」にたとえる表現です。

神と私たち、主イエスと私たちの関係が「漁師」と「魚」や「羊飼い」と「羊」の関係だというならまだ我慢できるものがあります。しかし、牧師と教会員の関係がそうであると連想されそうな言葉は、いちいち気になります。「人間は魚でも羊でもありません」と言いたくなります。

いま述べた「難しい」とか「抵抗がある」とかいう私の気持ちの問題は無視していただいて構いません。私が申し上げたいのは、主イエスのたとえ話を読むことには十分な注意と熟考が必要であるということです。

しかし、今日の箇所は怖がる必要はありません。メッセージは明確です。核心部分は「両方とも育つままにしておきなさい」(30節)です。

「事前に選別してはいけません」ということです。だれが「良い麦」で、だれが「毒麦」なのかは誰にも分かりません。私たちは知る必要がないことです。

「選別は神がなさることです」とも言わないほうがいいです。それは言い過ぎです。「あなたが神の何を知っているのか」と言われても仕方ありません。

これは「優性思想」の問題に結びつきます。現代の深刻な問題です。科学技術の進歩の名のもとに、遺伝子まで人為的に操作することが可能になりました。優れた人間だけを残し、そうでない人間は取り除くべきであるという明白な差別思想が、私たちの目の前に横たわっています。

イエス・キリストはそのような選別に真っ向から反対なさっています。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」と言われました(マタイによる福音書5章45節)。

善と悪の区別が取り払われたという意味ではありません。善は善であり、悪は悪です。しかし、社会の中にも、この私の中にも、善と悪、正義と不正が隣り合わせで共存しています。「ここは悪だから」とそこだけ取り除くことはできないほど、互いにからみ合い、混ざり合っています。

だからこそ、私たちには、罪の「赦し」が必要なのです。「赦し」と「許し」の漢字の区別は、内容の違いをあらわしています。

(2025年2月9日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年1月26日日曜日

イエスの最初の弟子たち

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「イエスの最初の弟子たち」

マタイによる福音書4章18~22節

関口 康

「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った」(19節)

今日の聖書箇所は先週の続きです。主イエスがガリラヤ湖畔の漁師の町カファルナウムを最初の拠点として宣教を開始されました。その地で最も早い時期に取り組まれたことが、ご自身と共に働く仲間たちを集めることでした。

主イエスの仲間たちを「弟子たち」(ギリシア語:マテーテースの複数形マテータイ)と聖書は呼んでいます。これはユダヤ教の伝統が関係しています。主イエスは客観的に見ればユダヤ教のラビ(先生)でした。ラビには「弟子」がいます。ここで大事なことは、「弟子」という日本語の意味をよく考えることです。誤解している可能性があるかもしれません。

なぜこの問題が大事なのかといえば、教会の伝統によると、洗礼を受けてキリスト者になった人はすべて「主イエスの弟子」だからです。これは私たちに直接かかわる問題なのです。

わたしたちは、説教者の弟子ではありません。説教者も主イエスの弟子です。説教者は聖書から主イエスの言葉を聞いてみんなと共有しているのです。

今日の聖書の箇所は多くの方によく知られていますので、言葉の辞書的な意味の説明のようなことを詳しく申し上げる必要はないと思います。その代わり、雑談ではありませんが、私の個人的な体験に基づく話をさせていただきます。

「会社における上司と部下の関係」を私自身が近年体験したのは、前任教会に赴任した初年度の1年間(2018年4月から2019年3月まで)、教会の牧師として働きながら、アマゾンの倉庫で週30時間の肉体労働をしたときです。当時の時給は1000円でした。

今の私はアマゾンの宣伝をする立場にありませんが、いい会社でした。アマゾンを悪く言う人が多いことは知っています。肉体労働は過酷でした。しかし、人間関係は比較的良好でした。

私は肉体作業員でしたので、アマゾン側の「上司」と話すことはなく日本のパートナー企業側の「上司」に使われる立場でした。パートナー企業側の「上司」が作業員相手に暴言を吐いたり、ワーカー同士でトラブルが起こったりしたときには、アマゾン側の「上司」が迅速に動いて問題を解決してくれました。トラブルへの介入に躊躇がなく迅速で、公平性を重んじてくれました。

感動すら覚えたのは、作業時間内のトイレについてでした。最初のオリエンテーションのときに「トイレは人権問題なので完全に自由です。作業時間中だろうといつでも大丈夫です。わざわざ上長に許可を取る必要はありません」と宣言され、事あるたびに言い聞かされました。

アマゾンでは1年しか働きませんでしたので、深いところは分かりません。主イエスと「弟子」の関係との「違い」を言うとしたら、会社の場合は、給料と人事という強い権力を持つ上司と、使用される部下の関係ですが、主イエスと「弟子」の関係はそういうものではありません。

「学校における教師と生徒の関係」を私が体験したのは、アマゾンで働いた年の翌年(2019年4月)から昨年(2024年3月)までの5年間です。5年の間に3つの学校の聖書科非常勤講師として働きました。高校でも中学でも小学校でも働きました。

複数の学校だったことを強調する意図は、これから申し上げることの中に苦言の要素が含まれるからです。「どこの学校のことか」「だれのことか」と詮索しないでもらいたいからです。

学校というところは、驚くほど、昔と変わっていませんでした。私が高校生だった40年前と同じ空気が漂っていました。比較的若い世代の先生たちの中にそういうタイプの方々が多かった気がしますが、「生徒になめられてはいけない」と思っておられるのでしょうか、先生が生徒に強烈な威圧感を示そうとなさっているのが印象的でした。

私も他人(ひと)のことは言えません。私も何度か授業中に生徒を大きな声で叱りました。授業開始のチャイムが鳴っても、廊下にいる、教室内で立っている、しゃべっている、弁当や菓子を食べている、踊っている、などのときぐらいでしたが。

学校の教師と生徒の関係と、主イエスと「弟子」の関係の違いのほうも言うとすれば、果たして主イエスは弟子たち相手に「威圧」を示すような方だったかどうかをご想像いただけば分かることだと思います。

主イエスの最初の弟子たちは、今日の箇所に登場するペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人でした。4人が同時だったという点は重要です。「ペトロは一番弟子でした」とよく言われますが、「最初のひとり」が強調されはじめると個人崇拝の危険性が生じます。

この4人は2人兄弟が2組。ツーペアです。彼らは漁師として海に網を投げていました(18節)。その彼らに、主イエスが「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました(19節)。すると、ペトロとアンデレはすぐに「網を捨てて」従いました(20節)。主イエスは、ヤコブとヨハネもお呼びになりました(21節)。彼らもすぐに「舟と父親を残して」イエスに従いました(22節)。

新共同訳聖書では、ペトロとアンデレは「網を捨て」ましたが、ヤコブとヨハネは「舟と父親とを残した」と訳されています。「捨てる」と「残す」が訳し分けられていますが、原文では同じ言葉(ギリシア語:アフェンテス)が使われています。

同じ言葉が別の訳語で訳し分けられている理由は不明です。「網」なら捨ててもいいが、「舟」はともかく「父親」を捨てていいわけがない、と訳者が考えたのでしょうか。文語訳聖書(1887年)でも、一方は「かれら直ちに網をすてて従ふ」、他方は「直ちに舟と父とを置きて従ふ」と、「捨てて」と「置きて」で訳し分けられています。しかし、原文は同じ言葉ですので、「網」も「舟」も「父親」も「捨てる」で統一するか、あるいは「残す」で統一したとしても問題ありません。

「問題ない」というのは「父親を捨てても問題ない」という意味ではありません。「舟と父親」という語順が大切であると記された註解書を読みました。納得できる解説でした。「舟と父親」という語順に表れた著者の意図は、この物語は「ヤコブとヨハネは子どものころからお父さんのことが大嫌いでした。いつか捨ててやると企んでいました。やっとチャンスが訪れました。その勢いで舟まで捨ててしまいました」という話ではない、ということです。

現代社会に「世襲」がどれほど生きているかは私には分かりませんが、その話です。先祖代々の家業を受け継いでいくこと。彼らはその世襲の定めから離れ、「家業を捨てて」主イエスの弟子になったという意味です。父親に対する憎しみがあったかどうかの問題は無関係です。

誤解のないように。「イエス・キリストの弟子」になるときは必ず「家業」を捨てなければならないという意味ではありません。

とはいえ、「世襲」を今でも重んじておられるご家庭では、親の側から切って捨てられるかもしれません。そういうことを覚悟しなくてはならない方がおられないとは言えません。まさに真剣勝負です。

そこから先は、ご本人と主イエスとの関係にかかっています。誰も手出しできません。

主イエスについていくか、ついていかないかは、あなた次第です。

(2025年1月25日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年1月19日日曜日

宣教の開始

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「宣教の開始」

マタイによる福音書4章12~17節

関口 康

「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(15-16節)

今日の箇所には、主イエスがガリラヤで伝道をお始めになったことが記されています。

「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」(12節)と記されています。ヨハネが逮捕されたので怖くなってガリラヤの潜伏先に逃げ込んだという意味ではありません。正反対です。逃げるどころか、公然と宣教を開始されました。

ヨハネが捕らえられたことと主イエスがガリラヤに行かれたこととの関係は、ヨハネについて「捕らえられた」と訳されている言葉(ギリシア語:パラディドーミ)に表れています。礼拝でこの言葉を繰り返し聞くのは聖餐式です。「主イエスは引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き…」(コリント一11章23節)の「引き渡される」が「捕らえられた」と同じパラディドーミです。

同じ言葉を用いることによって、著者マタイが、ヨハネの逮捕と主イエスの引き渡しを意図的に結び付けていると解説している註解書を読みました。主イエスの十字架に神の御心が働いていたように、ヨハネの逮捕にも、わたしたち人間には知りえない神の深い御心が働いているというのです。

そして主イエスは「ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれ」ました(13節)。この箇所に「ゼブルンとナフタリ」という地名が記されていることが重要な意味を持っています。それは15節に引用されたイザヤ書8章23節で「ゼブルンの地とナフタリの地」が「異邦人のガリラヤ」と呼ばれていることと関係あります。

「ゼブルンとナフタリ」はガリラヤの東部地域を指します。そこが「異邦人のガリラヤ」となぜ呼ばれたかといえば、その地域がかつてエルサレム周辺とは別の国だった時代があるからです。それはイスラエル王国第3代国王ソロモンの子らの世代から始まる「南北王国時代」です。

新共同訳聖書の巻末付録「聖書地図」5をご覧になれば、北イスラエル王国と南ユダ王国の境界線が分かります。

南北分裂は前922年。サマリアが北王国の首都になったのが前9世紀ごろ(800年代)。

北王国がアッシリアのサルゴン2世に滅ぼされるのが前722年。

アッシリアをバビロニアが滅ぼすのが前609年初夏(山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』ちくま新書、2024年、309頁)。

バビロニアが南ユダ王国を滅ぼしたのが前597年です(各年号には諸説あります)。

イザヤ書8章23節を記したのは、前8世紀に活動した(第一)イザヤです。イザヤ書1章から39章までの著者です。このイザヤは「ガリラヤ」が北王国に属していた頃を経験的に知っています。

この時代の北王国の様子は列王記に記されています。「ガリラヤ」を含む北の歴代の王が、北の初代王ヤロブアム1世の名がついた「ヤロブアムの罪」と特に列王記が呼ぶ行為を続けた結果、モーセの律法の線を厳格に守る線から離れた、異邦人と大差ない生活様式で過ごすようになったと、保守的な人々の側から見えたようです。

イザヤが「異邦人のガリラヤ」と書いているのは、そのことです。エルサレム周辺に住む、神の戒めに忠実なユダヤ人からすると「異邦人のガリラヤ」は、軽蔑すべき対象でした。

「ヤロブアムの罪」とは、ヤロブアム1世が自国の求心力を生み出すためにベテルとダンに各1体「金の子牛」を置いて国民に礼拝させたこと、つまり偶像礼拝でした(列王記上12章参照)。

「ヤロブアムの罪」こそ北王国の滅亡の原因であるという立場で列王記は一貫しています。それに加えて、北王国は諸外国の宗教的な慣習や習俗を取り入れるようになりました。

北王国を含む地中海東岸地域へと、メソポタミアでバビロニアと勢力争いをしていたアッシリアが攻めて来ました。アッシリア最盛期の王、ティグラト・ピレセル3世(前745年から727年まで在位)によって北王国が滅ぼされました。そのことが、イザヤ書8章23節の「辱めを受けた」という短い言葉に込められています。

しかし、イザヤがその続きに、「後には海沿いの地、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは栄光を受ける」と記しています。その意味は、屈辱の地ガリラヤの名誉を神が回復してくださるときが必ず来る、という希望のメッセージです。

今日、詳しい年号を挙げて説明させていただいたのは、これらの年号をすべて覚えてくださいと言いたいのではありません。細かいことはすべて忘れてくださって構いません。そうではなく、イスラエルの南北王国時代や、北王国滅亡が起こった時代は、主イエスが活動された紀元1世紀の人々からすれば、約900年前から700年前であるということをご理解いただきたいだけです。

わたしたちに当てはめて考えてみます。

今年は「2025年」です。900年引くと「1125年」です。700年引くと「1325年」です。それは紀元12世紀から14世紀までです。日本の歴史でいうと「平安時代末期から鎌倉時代まで」です。

足立区のホームページに「区の歴史」があります。その中の「鎌倉幕府と足立氏」のページに、次のように記されています。

「平安時代の終わりごろ、武蔵国各地で武士団が活躍し、足立軍には足立氏一族が勢力を持ちました。治承4(1180)年、源頼朝が平氏打倒のため立ち上がると、足立遠元も下総を経て武蔵に入る頼朝のもとに参じ、軍勢に加わりました。」

また、いつの時代のことかは不明ですが、これも足立区のホームページに「あだち」という名の由来が記されていました。

「足立区の周辺に葦(あし)が多く生えていて、『葦立(あしだち)』と言われたのが『足立』になったという説もあります。」

私が申し上げたいのは、千年以上も前の「あだち」と今の「足立区」との間に、何の関係があるでしょうか、ということです。

歴史ロマンとしてはたいへん興味深いものがあります。しかし、今の足立区はどこからどう見ても、葦(あし)しか生えていない原野ではありえませんし、「足立軍と源頼朝の関係」なども、今の足立区の存在とは無関係であるとしか言いようがありません。

主イエスの時代に「ガリラヤ」を差別していた人たちがしていたことは、今申し上げたのと同じようなことだと私は言いたいのです。何百年も前の歴史を引き合いに出して、相手をおとしめるようなことをしていただけです。

もうひとつ、エルサレム周辺の人は、「ガリラヤの方言」を聞き分けることができました。そのことは、主イエスが逮捕された夜、ペトロが主イエスのことを3度も「知らない」と否定した記事から分かります(マタイ26章73節、マルコ14章70節、ルカ22章59節)。しかし、方言差別などは最低の部類でしょう。

しかしまた、そう考えると、「ガリラヤ」を主イエスが福音宣教の出発点になさったことの意味がはっきり分かります。

「そんなくだらないことで、あなたがたは私たちを差別するのですか」と言いたくなるようなことで悩み苦しんでいる人々の側に毅然として立ち、その人々の心と体の痛みを受け止め、慰め、助けてくださるために、主イエスは「ガリラヤ」から宣教をお始めになったのです。

(2025年1月19日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)