2013年1月27日日曜日

世界はまだ終わりません


マタイによる福音書24・3~14

「イエスはお答えになった。『人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「わたしがメシアだ」と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。』」

イエスさまのところに弟子たちがやって来て「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」と言いました。

イエスさまの弟子たちは、この時点ではすでにイエスさまの教えを深く学んでいたとはいえ、彼らの宗教の根本を支えていたのは依然としてユダヤ教でした。

ユダヤ教の教えの中に、世界が終末の日を迎えるとき、人類を救いに導いてくれる救い主メシアが来てくださるという教えがありました。その信仰に基づいて、イエスさまの弟子たちも生きていました。しかし、彼らはイエスさまと出会い、この方こそが世界の終わりに人類を救ってくださる救い主メシアであると信じはじめていたのです。

しかし、彼らは「世の終わり」とは何かということまではよく分からずにいました。その日は、まだ来ていなかったからです。この世界はまだ終わっていないからです。自分の目で見たことも体験したこともないことを、きちんと説明できる人はいません。

そして、もう一つ、イエスさまは普通の人間ではないと弟子たちは信じていました。それは正しい信仰です。イエスさまは普通の人間ではありません。神の御子であり、救い主です。

しかし、その同じイエスさまは一人の人間でもあられます。ところが、弟子たちがイエスさまに対して抱いていた信仰は、普通の人間ではない、特別なお方であるイエスさまこそが世界を終わらせる力をもっておられるお方であるというものだったと考えられます。

だからこそ、彼らはイエスさまに「そのことはいつ起こるのですか。あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」と尋ねているのです。

そして、「世の終わりに救い主が来てくださる」という信仰も、彼らにありました。しかもそれは、とても悲惨で恐ろしい結末の中で、ただ救い主を信じて生きている人々だけが救われ、その後、世界が終わるという信仰です。

世界が終わるのに救われた人たちだけが生きているというのは、どうなっているのでしょうか。救われた人たちは、「終わった世界」の中に生き残っているということでしょうか。それはおかしな話です。世界は終わっているのですから、そこに生き残ることはできません。その後も生きているというならば、「世界の外」へと飛び出すしかありません。

世界の外にある楽園で、救われた人たちだけが永遠に生きているというような信仰を彼らは持っていた。そのように考えるほかはないと思います。

何はともあれ、彼らが信じていたことは、「イエスさまは世界を終わらせる存在である」ということに変わりありません。それは「イエスさまは世界を滅ぼす存在である」という意味です。イエスさまひとりに全世界を葬り去る力があるということです。

しかし本当にそうでしょうか。そういう信仰には非常に危険な面があるということをわたしたちは考えざるをえません。

たとえばそのような話をわたしたちが耳にするとたぶんすぐに思い出すのは、凶悪なミサイルのスイッチを握った軍事的独裁者の姿です。イエスさまはそのような存在なのでしょうか。ぜったい違います。そもそも聖書が教えている「世界の終わり」の様子は、世界の“破滅”でも“滅亡”でもないし、まして“消滅”でもないからです。

はっきり言います。そもそもイエスさまに対してこのような質問を投げかけている弟子たちの抱いていたその信仰そのものが間違っているのです。

イエス・キリストは、「世界を滅亡させる」という意味で「世界を終わらせる」ために来られたお方ではないのです。

全く正反対です! 聖書が教える「世界の終わり」の意味は、“破滅”でも“消滅”でもなく、「世界の完成」なのです。

イエスさまは「世界を完成させる」ために来てくださったお方なのです。それが、わたしたちキリスト教会の信仰です。この質問をイエスさまに投げかけている時点で、イエスさまの弟子たちの信仰は、根本的に間違っていたのです。

だからこそ、イエスさまは、彼らに「人に惑わされないように気をつけなさい」と厳しく注意しておられるのです。

「戦争の騒ぎや戦争のうわさ」(6節)、「飢饉や地震」(7節)、「偽預言者」(11節)、「不法」(12節)などが次々に起こるであろう。「そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」(6節)とイエスさまは語っておられます。「世の終わり」は、破滅でも消滅でもないからです。そういう考え方そのものが間違っているのです。

わたしたちの教会の信仰的な立場からいえば、わたしたち一人一人の死も“破滅”でも“消滅”でもありません。わたしたちの死にゆく姿は「人生の完成」の姿です。

年齢を重ねることや、体力が衰えること、若い頃の姿を失うことなどを、わたしたちはどうしても、悪いこととしてしか受けとめることができません。しかし、ひとりの人間は生まれたときから死ぬまで同じ人間です。時間の軸において一本線でつながるひとつの人生です。

もしそうだとしたら、わたしたちが生まれたときがスタートで、死ぬときがゴールです。そして、ゴールは完成です。人生の終わりは「人生の完成」なのです。

世界も同じです。イエスさまが来られ、イエスさまの福音が宣べ伝えられ、多くの人々に信じられ、世界中に教会が生み出されることなしに、世界は完成しないのです。世界にとって信仰は余計なものではないし、そえものでも、おまけでもないからです。

この世界というジグソーパズルの中に、父なる神と、イエス・キリストと、聖霊に満たされた教会が必要です。「教会」というピースがなければ「世界」というジグソーパズルは完成しません。つまり、教会なしに、「世界が終わる」ことはないのです。

(2013年1月27日、主日礼拝説教、要約)

2013年1月25日金曜日

「第2回 カール・バルト研究会」報告

本日(2013年1月25日)午後5時から7時まで、「第2回 カール・バルト研究会」をスカイプ(プレミアム)で行いました。

テキストは、カール・バルト『教義学要綱』(井上良雄訳、新教セミナーブック、新教出版社)です。

本日は「1.課題」(Die Aufgabe)まで読みました。次回は「2.信仰とは信頼を意味する」(Glauben heisst Vertrauen)を読みます。

第2回の参加者は、第1回と同じく4名でした。参加者のうち3名の実名公開の許可を得ることができましたので、メンバーを紹介させていただきます。1名は「政治的理由」で非公開です。

「カール・バルト研究会」メンバーズリスト(五十音順、敬称略)

小宮山裕一(茨城県ひたちなか市)
関口 康(千葉県松戸市)
中井大介(大阪府吹田市)
匿名氏(住所非公開)


次回(第3回)は2013年2月8日(金)午後5時から7時まで、パソコン前です。

スカイプ(プレミアム)の「グループビデオ通話」は最大10人のユーザー間で行うことができますが、「最良の品質を実現するには、参加者を5人までに抑えることをお勧めします」とスカイプ社のサイトに書いてあります(http://www.skype.com/intl/ja/prices/premium/)。

ですので、まだあと1人は参加可能ですので、お志のある方はご連絡いただけますとうれしいです。

参加の条件は「バルト主義者にならないこと」です。よろしくお願いいたします。

2013年1月22日火曜日

「組織を動かしたことがない」とはヒドイ

毎日新聞 2013年01月22日 11時34分(最終更新 01月22日 11時57分)より引用。

橋下徹大阪市長は22日、文部科学省の義家弘介政務官が市教委の調査態勢を批判していることについて、「駄目ですね。組織を動かしたことがない国会議員は。もっと勉強してから言ってもらいたい」と、こき下ろした。

記事の全文は以下URL。
http://mainichi.jp/select/news/20130122k0000e040194000c.html

ぼく自身に義家さんをかばう意図はないけど、大阪市の市長の言う「組織を動かしたことがない国会議員」というのは、相当ヒドイ言い草だ。

選挙事務所だって立派な「組織」だろうし、選挙そのもので国民の意思決定にかかわることだって、「組織を動かすこと」と何ら遜色ない。

まして、義家さんは高校や大学の教員をして来られた人だ。教員は「組織を動かしたことがない」だろうか。

牧師たちも似たようなことをしょっちゅう言われるので、大阪市長さんの言うことがどうも引っかかる。牧師は「組織を動かしたことがない」だろうか。

学校だって教会だって「組織」なしに、どう動くというのだろうか。

2013年1月20日日曜日

謙遜な生き方をイエスさまから学ぼう


マタイによる福音書23・1~12

「それから、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。『律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らの言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、「先生」と呼ばれたりすることを好む。だが、あなたがたは「先生」と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。また、地上の者を「父」と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。「教師」と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる』」。

今日もマタイによる福音書を開いていただきました。この福音書に基づいてイエスさまのご生涯を改めて追いかけています。しかし今日の個所にもたいへん難しいことが書かれています。何が難しいのでしょうか。あくまでも私の感覚ですが、ここでイエスさまがおっしゃっていることをわたしたちがどのような意味で理解し、受け容れるべきかを説明するのが難しい。そのように思いました。

しかしまた、いま申し上げたこととはちょうど正反対のことも、同時に考えさせられました。この個所に書かれていることは難しいどころか、非常によく分かる話であるとお感じになる方も多いのではないでしょうか。

この個所に記されているイエスさまの御言葉の内容は、終始一貫、まさに最初から最後まで、ある人々に対する痛烈な批判です。イエスさまが批判しておられるのは、当時のエルサレム神殿を中心に働いていたユダヤ教の指導者たちです。

この後の展開を読みますと、結果的にイエスさまを逮捕し、十字架につけて殺したのは彼らであることを聖書は証言しています。実際にイエスさまを逮捕したり、イエスさまの裁判をしたりしたのはローマの軍隊や総督だったということはあるにしても、その裏側でこそこそと動き回っていたのはユダヤ教の指導者たちでした。彼らがイエスさまを憎み、ローマの軍隊や政治家たちを動かして、イエスさまを殺したのです。そのように聖書は教えています。

この当時、この人々はユダヤ社会のまさに最高権力者でした。宗教的な権力を持っていただけではなく、政治的な権力をも持っていました。社会的に地位が高い、エライ人たちでした。しかし、そのエライ人たちが、イエスさまの目からご覧になっても、一般の市民の目から見ても、問題を感じる態度に見えたのです。

エライ人がエラそうにすることは、その人自身は当たり前の権利だと思っていることなのかもしれません。しかし、その人たちの姿が周囲の人々を不快な思いにしているとしたら、どうでしょう。なぜ彼らの存在は不快なのか、その原因はどこにあるのかということを、イエスさまがずばり指摘しておられるのです。

ですから、今日の個所のイエスさまのみことばは、イエスさまから批判されているユダヤ教の指導者たちの側にではなく、その反対の一般市民の立場に立って読めば、非常によく分かる話だということになると思います。自分の言えないことを代わりに言ってくれた、スカッと爽やか、胸のすく思いで読むことができる話であるとさえ言えるかもしれません。

しかし、ここで私は急ブレーキをかけたくなる気持ちを隠すことができません。正直言いますと、私にとっては読むのがつらいのです。なぜ私がつらいのでしょうか。「律法学者たちやファリサイ派の人々はモーセの座に着いている」(2節)とイエスさまがおっしゃっています。この「モーセの座」の意味は「神の言葉を語る立場」のことです。それは結局「聖書を解釈する立場」のことです。つまり、イエスさまがおっしゃっていることのすべては普通の意味でのエライ人への批判ではなく、宗教的な意味で「聖書を解釈する立場にいる者たち」が陥る傲慢さに対する批判なのです。

もしそうであるならば、現時点において、今の教会の中で、日本の中で、世界の中で「聖書を解釈する立場」にあるのは牧師たちです。それは私です。「だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである」(3節)とイエスさまが言っておられる「彼ら」は私です。「言うだけで、実行しない」私のことをイエスさまは激しく批判しておられるのです。

ですから、このイエスさまのみことばは、私にとっては心臓が止まりそうです。言い逃れはできません。イエスさまのおっしゃるとおりと言わざるをえません。自分とは無関係の赤の他人の話であると思うことができれば気が楽なのですが、実際はそうではありません。「モーセの座」に着いていながら「言うだけで、実行しない」人たちをイエスさまは批判しておられるからです。それは、二千年前の律法学者たちやファリサイ派の人々だけのことではありません。すべての時代の神の言葉の説教者たち、教会の牧師たちを含んでいます。

イエスさまの批判はまだ続いています。「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。そのすることは、すべて人に見せるためである」(4~5節)。このことを完全に否定できる教師はいないと思います。

「聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする」(5節)というのは、説明が必要でしょう。私はユダヤ教のことはよく知らないので詳細な事情を完璧に説明する力はありませんが、「聖句の入った小箱」というのは、比喩ではなく実物がありました。そういう木の箱が実際にあって頭にひもでくくるのです。その箱の中に入っていた聖句が「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」であったと言われています。

そのような聖句が入った箱を頭につけて歩き回るのです。それによって神さまを近くに感じるとか、神さまの言葉が頭の中によく入るとか、考えられたようです。しかも、その箱は大きければ大きいほど目立ちます。大きさの違いそのものが何らかの意味を持っていたのかもしれません。

イエスさまは、そのような当時のユダヤ教の指導者たちがしていたことを、その人々が他の誰よりも神さまに近い存在であるということを多くの人に見せようとする行為であるとご覧になりました。衣服の房を長くすることも、宴会の上座、会堂の上席を好むことも、彼らに限って言えば、すべては宗教的な意味を持つ行為でした。

自分は誰よりも神さまに近い存在だ。だれよりも熱心に神を信じているし、神に仕えている。そういう印象を人々に与えることが目的で行っている。そのようにイエスさまはご覧になったのです。

そして、そのきわめつけは、彼らが「先生」とか「父」とか「教師」と呼ばれたがることに対してイエスさまが厳しく非難しておられることです。これも同じです。とくに「先生」と訳されているのはラビのことです。ユダヤ教の律法学者がラビと呼ばれました。それは尊称です。「牧師」というのは尊称ではありません。職業の名前です。教師も職業の名前です。しかし、「先生」は尊称です。

私は、本当は「先生」と呼ばれたくないのです。「私を先生と呼ばないでください」とわざわざ言うのも意識しすぎだと思われるかもしれませんので、あえて何も言わないできました。良い機会ですので、今日から私を「先生」と呼ぶのをやめてもらいたいと言いたいところですが、変に混乱するようでも困ります。自然なのがいいです。

しかし、ここでイエスさまがおっしゃっていることは、わたしたちが日本語の意味での「先生」と呼ばれるべきかどうかではありません。重要なことは、神の御言葉である聖書を解釈するラビとしての権威を持っているかどうか、です。神はこのように語っておられる。そのことを断言し、宣言する。そのようなことをしてよいかどうかの問題です。

ラビと呼ばれる人々は大勢いたのです。その中で聖書の解釈権をめぐる競争があったのです。その中でだれもが「我こそが真のラビである」と主張したがっていたのです。このように考えてみますと、イエスさまが指摘しておられる、彼らが「先生と呼ばれたがる」ことも、結局、自分はいかに神さまに近い存在であるか、神さまの御心をいかに正しく知っているかを主張したがることを意味していると考えることができます。

聖書の勉強をほかの人と競い合って続けることが互いの向上につながるということはありうることかもしれません。また、礼拝の出席者の人数とか、教会の会員数とか、献金の金額とか、そのようなことも、他の教会と競い合って、互いの向上をめざすというようなことも、全く無いとは言えないかもしれません。

しかし、そのようなことが次第に変質していく。何を競い合っているのか、何を目指しているのかが分からなくなっていく。規模の大きな教会を率いる偉大な牧師とか、偉大な長老とか、そういう話がいつの間にか独り歩きし、世間ずれしはじめる。何かの名誉や肩書きのように思いこむ、勘違いが起こる。

そのような宗教の指導者たちの姿がイエスさまの目には非常に傲慢なものとして映っていたのです。私は自己弁護をするつもりはありませんし、教会の牧師や教師や長老をかばうつもりもありません。イエスさまのおっしゃるとおりであると認めざるをえません。ごめんなさいとお詫びしなければなりません。

それではわたしたちはどうすればよいのでしょうか。イエスさまがはっきりと結論を出しておられます。「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(11~12節)。これも書いてあるとおりです。間違ってはいけないのは、これも宗教の話であり、教会の話であるということです。教会の中で「いちばん偉い人」は「仕える者になりなさい」ということです。

わたしたちは、真に謙遜な生き方を、教会の中で、イエスさまから学ぶことができるのです。

(2013年1月20日、松戸小金原教会主日礼拝)

2013年1月19日土曜日

ハイデルベルク信仰問答制定450周年


日本時間で昨夜オランダの古書店から送られてきたメールを読んで気づきました。

本日(2013年1月19日)は「ハイデルベルク信仰問答制定450周年」の記念日です。

明日(1月20日)、オランダのハウダ(Gouda)で記念式典が行われるそうです。

ハイデルベルクはドイツなのに、なぜオランダで記念式典なのでしょうか。

ベルギー(またはオランダ)信仰告白、ハイデルベルク信仰問答、ドルトレヒト信仰規準の三つは、17世紀以来、オランダ改革派教会の教理規準だからです。

ユトレヒト大学図書館には、450年前のハイデルベルク信仰問答のドイツ語版原著とオランダ語版が所蔵されているらしいです。

また、今年中にドイツとオランダ両国でハイデルベルク信仰問答の特別豪華版(!)を出版する計画が進んでいるそうです。

日本の(プロテスタント)教会では、ハイデルベルク信仰問答は、教派・教団の壁を越えて、かなり普及し、愛読されてきたものだと思います。

松戸小金原教会では、毎週日曜日の朝の礼拝の中で、ハイデルベルク信仰問答(吉田隆訳、新教新書)の交読をおこなっています。

たとえば、明日(1月20日)は2013年の第三の日曜日ですので、ハイデルベルク信仰問答の「第三主日」の箇所を読みます。

交読の方法は、礼拝の司式者が質問を読み、礼拝出席者全員で答えを読みます。

2013年1月18日金曜日

金子晴勇先生、ありがとうございます!



本日、石川県在住のGさんから、ちょっと(いや、かなり)うれしいお電話をいただきました。

Gさんによると、

昨年末(2012年12月)に出版されたばかりの金子晴勇先生の最新著『キリスト教霊性思想史』(教文館、2012年、5670円)の中に、

私・関口康がアジア・カルヴァン学会日本支部編『新たな一歩を カルヴァン生誕500年記念論集』(久米あつみ監修、キリスト新聞社、2009年)に寄稿した論文「カルヴァンにおける人間的なるものの評価」が、

(肯定的に)引用されている、とのこと。

これは相当うれしい知らせです。

ぼくの書いたものを学術書の中に引用していただけたのは初めてのことです。

金子先生、ありがとうございます!

お知らせくださったGさん、ありがとうございます!

苦労した甲斐がありました。

初めての夏期伝道実習のときの説教原稿が発掘されました

ぼくの書斎の本棚から、とんでもないものが発掘されました。

生まれて初めての「夏期伝道実習」のときの説教原稿(手書き)です。当時、東京神学大学3年生。



ぼくはちょうどハタチ。今から26年前、1986年(昭和61年)8月24日、日本基督教団宍喰教会の主日礼拝でおこなった説教です。

その教会は、徳島県の最南端に位置する宍喰町(現在「徳島県海陽町」)にあります。

ワープロもパソコンも高根の花だった時代の手書き原稿でした。牧師になってからも高知県高知市を皮切りに、高知県南国市、福岡県北九州市、兵庫県神戸市、山梨県甲府市、山梨県中巨摩郡敷島町(現在「甲斐市」)、そして現在の千葉県松戸市と、転居を繰り返しましたので、どさくさの中で、こんな原稿はとっくの昔に失われていると思っていました。

このたびブログ公開する理由は、自分の過去の説教(しかも神学生時代の説教)を「良い」と思っているからではありません。いくらなんでも、それだけは無いです。ありえない。

そういう自画自賛のたぐいとはちょうど正反対の理由です。このような説教は、今のぼくなら決してしません。それだけは断言できます。強い自戒と反省をこめての公開です。

(1)今なら決して用いない語や言い回しが繰り返し出てきます。
(2)一回の説教としてはあまりにも長大で饒舌すぎます(今の約二倍です)。
(3)比喩が幼稚すぎます。テレビやマンガを見すぎです。
(4)誤字もそのまま転記しておきました。

改めて読み直してみて、うわあ、こんなにひどかったのかと、恥ずかしすぎて、顔から火が噴き出ました。この翌年、加藤常昭教授から「キミの説教は下品だね」と言われたことの意味が今さらながらよく分かりました。

しかし、過去の恥を自分でさらすのは、人にさらされるよりは、気楽なことです。過去のぼくもぼくであることには違いないので、なかったことにすることはできません。責任はあります。

そして、夏期伝道実習そのものは、とても楽しい思い出でした。宍喰教会の皆さまに大変お世話になりました。本当にありがとうございました!

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東京神学大学夏期伝道実習説教

(1986年8月24日、日本基督教団宍喰教会主日礼拝)

「取税人ザアカイ」

ルカによる福音書19・1~10

関口 康

「さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。イエスは、その場所にこられたとき、主を見上げて言われた。『ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから』。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。人々はみな、これを見てつぶやき、『彼は罪人の家にはいって客となった』と言った。ザアカイは立って主に言った。『主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します』。イエスは彼に言われた。『きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである』」(口語訳)。

私が生まれてはじめて訪れたこの宍喰の町での教会奉仕も今日が最終日ということになりました。みなさまのお祈りと励ましによって44日間という日程を全うすることができましたことを心より感謝いたします。

この教会に与えられている大きな使命、数え切れないほど多くの問題について、今ひとたび思いかえすのですが、やはりどうして私のような大任にふさわしからざる小さく愚かしい者を神様がお遣わしになられたのかということは、不思議でなりません。

私のような人生経験のまずしい者が、今まで学んできたこと、今まで生きてきた歩み、考えてきたこと、感じてきたことを全部語りつくしてしまったところで、みなさんにとってはすでによく知っておられることでありまして、わざわざ私の口からして語るに及ばないことに過ぎないと思うのです。

しかし、そうはいいましても、またよくよく思いかえしてみるに、では私のようなものがどうして神学大学などで学んでいるのだろうか、将来伝道者として立たせていただこうとしているのだろうか、ということになると、ますます疑問なのであります。何かおまえに牧師になる資質でもあったから、神様はおまえを選んだとでもいうのか。いや全くそうではなかったのです。

ある世界的に有名な、今日のキリスト教会に大きな影響を与えた牧師先生がこう言ったそうです。「わしがどんなに罪が深くたって、牧師でおれるなどということは、こりゃ何としても合点のいかない恵みですわい」。偉大な牧師先生でさえこのように言われるのですから、私などはほんとに神様の恵みによるほか何もないといえます。

だからして、私はこの夏期伝道においても、私のようなバカ者でさえ選んで下さる神様の大いなる恵み以外語ることを知らないのであります。どんな者をも包みこむ神様の恵みの豊かさ、ただそれだけを今まで語らせていただいてきたつもりです。今日は最後ということで、今までの総まとめ、おさらいをするつもりで聞いていただきたいと思います。

とにかく同じことばかり語ってきたのです。すばらしい説教は何度聞いても心をうたれる、といいますが、未熟な私にはそんな芸当はできません。ただ1つのことを知っていただくほかないのです。私にはそれしかできませんでした。

友達がおもしろいことを言ってくれました。「聖書って金太郎あめみたいだね。どこで切っても、どこを読んでも同じようなことばっかり書いてある。つまらないけど、でもおもしろいね」。私の説教も、きっと金太郎あめみたいだったでしょう。でも、もしそれが聖書的だったとしたら光栄です。これからも金太郎あめのように生きていかれたらと思います。

今日共に開いた聖書の箇所も、結論は、いつもどおり「神、罪人を救いたもう」であります。大変有名な「取税人ザアカイ」の物語であります。教会学校や保育所の子供たちもよく知っているザアカイさんのお話です。わたしたちも今ひとたび、幼子のようになって、神様の救いの恵みについて学びたいと思います。

取税人とは、ローマのためにユダヤの人々から税金をとりたてる人です。ユダヤの人たちから大変きらわれていました。私たちでも税務所ときくと、どうも苦手であるように思います。あまり裕福でない人にとっては税務所が悪魔のように見えたりします。社会のため、国のため、よいことのためと言われても、やはりあまりイイ気がしません。

しかし、このイエス様の時代の人たちがザアカイたち取税人を見るときの感情は、私たちの税務所に対するものと、ちょっと違う性質をもっていました。それというのも、その時代、ユダヤはローマの属州でありました。ユダヤの人たちはローマ帝国の支配下にあって、大変苦しい、辛い目にあっていました。亡国のうき目にあって精神的にも肉体的にも絶望のどん底にありました。その中にあってザアカイたち取税人は、ローマ帝国のために納める税金を、その苦しんでいたユダヤ人たちから取りたてて、ついでにその手数料を高くとって、それで生活している人たちだったのです。

それも、ザアカイは正真正銘、きっすいのユダヤ人でありました。ザアカイという名前は、純粋なイスラエルの名前で、意味も「純粋」というのですから、純くんだか、純一郎くんだか、そのようなものでした。それにもかかわらず、苦しんでいる貧しいユダヤ人を裏切るかのようにして、うらめしい手数料によって富めるユダヤ人であったのです。ローマ帝国に対するユダヤ人のうらみつらみが、最も極度の形で、彼ら取税人に向かっていくのは当然のなりゆきともいえるでしょう。

特にザアカイ、純一郎くんは、取税人のかしらでありました。もっとも財力のある、もっとも大金持ちの、それゆえ、最もうらめしい対象であったわけです。「われわれは苦しんでいる。けれどもユダヤ人であること、神様がわれわれを選んでくださった約束をひとときも忘れたことはない。だけど、あの取税人ザアカイの野郎は何だ。あいつは売国奴だ、裏切り者だ、ひきょう者だ」と思われていたにちがいないのです。

ローマの属州となってしまっている以上、税金をとり上げられることはさけることができませんでした。ユダヤ人たちが何と考えようと、現実はそうでした。

そして、その税金を集める役をだれかがしなければならなかったのです。憎まれ役を誰かが引き受けなければならなかったのです。ユダヤ人としての誇りをもっている人なら、最初からそのような憎まれることがわかり切っているような役を好んでひきうけたはずはないのです。最初からしたくてしたくてたまらなかったわけではないのです。イヤイヤながらはじめたのです。自分をこのような目にあわせたローマ帝国をうらみつつ、ユダヤ人には申しわけないと思いつつ、小さくなりながらはじめたのです。

しかしながら、人間の成金根性といいましょうか、お金の誘惑に対する弱さといいましょうか、次第に自分の立場に誇りをもちはじめ、ほんとにきらわれようが、1人ぼっちになろうが、村八分にされようが、しかたないほどの取り立てをはじめてしまったのです。

いったん信用をうしなったらそれをとりもどすまで最低10年はかかるといわれています。しかしそれも、努力してとりもどそうとしたらの話です。ザアカイの場合、裏切り者として見離され、なお続けて税金のとりたてをしているのですから、2度と見直されることはないことは確実だったのです。そして、それが確実になった以上、共同体から離れて1人で生きていくことに生きがいを見出すほかに生きる道はなかったのです。ザアカイの場合、お金が唯一の生きがいであり、慰めであったのです。

ユダヤ人はもはや誰も私のほうを見向きもしない。しかし、お金は私の思い通りに働いてくれる。私のために光り輝いてくれるという思いだけで、ザアカイは生きていたのです。ザアカイはそのようなものすごい自己分裂の中にいたといってよいでしょう。

ザアカイの内面的葛藤をよくよく理解することもなく、ユダヤ宗教共同体は、彼を罪人として追放しました。お宮では、まじめで信仰深い人たちが取税人を指さして「この取税人のような人間でないことを感謝します」と祈るようになりました。

教育ママが、自分の子供を教育するとき、ぐうたらでできそこないの自分の夫を指さして、「あなたはあんなパパのようにだけは、ならないでちょうだいね。ああいうふうにはなりたくないわねえ」というような具合、ちょうど同じような言われ方を、取税人たちがされていたのだ、と考えればいいと思います。

いや、そんな軽いものではなかったかもしれません。宗教的な群が自分たちの憎むべき相手に対抗する場合、神様の永遠の裁きを願い求めるのです。「あの男はわれわれの神様を捨てたのだ。どうか、あの男を滅ぼしたまえ」と祈られるのです。宗教的に断罪されるということは、究極的で最も根深い、のろわれ方であるのです。人間にとって生き地獄。ものすごい崖っぷちからつきおとされるかのごとく、激烈な絶望の中にたたきこまれるのです。

そのような中に、ザアカイはいたのです。彼にとって、何が慰めとなるというのでしょうか。何が楽しくて生きているというのでしょうか。話し相手も、仲間も、冗談言って笑う友人もいないところで、自分に運命的に与えられた仕事に埋没して、金でももうけている以外、どこに慰めがあるというのでしょうか。

そうです。誰が彼の金もうけを責めたてることができるというのでしょうか。ローマ帝国の支配下にあったのです。自由など何一つ許されない奴隷なのです。いくら正義とはなんだ、律法に絶対そむいてはならないのだ、と確信していることがあっても、それだけをただふりまわしても、現実を現実として生きる段になりますと、そんなことそっちのけで、精一杯、日ごとの糧とひとすくいの生きがいを、とにかく求めなければ生きていけないのです。あいつが悪い、あいつが間違っているという前に、自分たちのまわりの現実に対してもっと忠実になるべきでありますし、その間違っている相手のまわりにある現実を理解しなければならないのです。

ただ、ひとたびユダヤ人の立場に立って、ザアカイのほうを見てみますと、今まで言ってきたようにして、ザアカイのかたもちばかりをしていられなくなるのです。

ザアカイが苦しんでいる貧しいユダヤ人たちから高額の手数料をとって苦しめていたのは厳然たる事実です。いくらわたしたちが非行少年を見るとき、いくらその家庭環境が悪かったの、友達が悪かっだの、ついちょっとという気持ちは誰にでもあるのだからしかたないだとか、人道主義的に同情をよせてみても、彼の行った非行の事実はかくれてしまったりするものではないのと同じです。

私たち説教者がこの説教壇からまちがったことをいってしまって人をつまずかせてしまったときでも、いくらまだ先生は若いからとか、だれでもまちがいの一つや二つはあるもんだとか慰められたところで、その人がつまずいてしまったという事実は全く変わりなく残るというのと同じです。ザアカイは何としても弱い人を苦しめていたことには変わりがないことは認めざるを得ないのです。

では、やはりザアカイはイスラエル共同体から追い出され、憎まれてもしかたがなかったのでしょうか。もともとキリスト教信仰は人道主義とは縁もゆかりもないものなのです。正しいことを正しい、まちがっていることをまちがっているとはっきりということもできないような価値観はもっていません。いくら愛ということを説く宗教であっても、単なる同情心とかなれあいのようなものによって、黒を白としてしまうようなことはしないのです。ザアカイが罪を犯したことは明白なのです。

ではザアカイはいったいどのように裁かれるべきなのでしょうか。ザアカイとユダヤ人たちの前に、ついにイエス様がやってこられました。ひとたびイエス様の判断を仰ごうではありませんか。私たちがどう考えるかは、それからでもいいように思います。

ザアカイはイエス様がどんな人か見たいと思って、とにかくはせさんじました。あ、ザアカイのやつがきた、とユダヤ人たちは思ったにちがいありません。ザアカイは背が低かったとあります。それで集まった群衆にさえぎられたので、イエス様のことがよく見える木の上にのぼったのです。いちじく桑の木はぐねぐねまがっていて足をかけるところがあり、登りやすいのです。上からのぞきこむようにして、下を通るイエス様をながめるのです。

するとイエス様は、その木のちょうど真下にこられた時、真上をみあげられたのです。下からの視線と上からの視線がバチバチとあうのです。「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。ザアカイは驚いたことでしょう。今まで誰も彼のほうをふりむいてくれた人はいませんでした。彼がいると気づくと、かえって目をそらして、フンとでも鼻であざけ笑われたことでしょう。しかし、イエス様は彼を見上げられたのです。偶然ではありません。あきらかに意志をもって、イエス様はザアカイをぎょうしされたのであります。

そして、ザアカイの家に泊まることにしてある、といわれるのです。人の家にとまって寝食を共にするということがどういう意味をもっているか、わたしたちはよく知っているのです。寝首をかかれるといいますが、全く無防備になるのです。首をかかれようが、頭をなぐられようが、いっさいを信頼し、相手に身をゆだねるのです。日本人がおじぎをするのと同じ意味をもっています。イエス様がザアカイに対してあたかもおじぎをするかのごとく、せまっているのです。しかも全く同時に、威厳をもって、力強くせまっておられるのであります。

そして、ザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエス様を迎え入れたのです。ザアカイは他の誰からも見向きもされないこと、そのことには何ら変わりのない中で、イエス様のほうから、友人として、客として入ってこられることによって、見出されるのであります。イエス様は、取税人を軽蔑する人々が群がっている中で、まさに自分たちこそ正しく、ザアカイこそまちがっていると信じて疑わない人々のまっただ中で、罪人であるザアカイと、彼1人をつかまえて、いのちの交流、心の真実なる交わりをはじめられたのであります。

罪人の赦しというのは、まさにこのような形でもって、わたしたちによろこびを与えるのです。これによってまたイエス様も、ユダヤ人たちから軽蔑され、つき従ってきた人々を落たんさせるにちがいないのです。類は友を呼ぶとかいわれて、イエス様もまた、ああ罪人とつきあうような同類かと、さげすまれるのです。イエス様が罪人の労苦と重荷を共に担おうとされるというのは、まさにこのような仕方でしか表わすことのできないものなのです。

今やザアカイは、イエス様のものであり、イエス様に追い求められ、イエス様に引きよせられ、守られているのであります。

そしてザアカイはかわっていくのです。日本には、三つ子のたましい百までとか、あの家にはゴクアクニンの血が流れているとか、人間とは変わることができない者なのだ、一度罪を犯したものは一生涯、また再び罪を犯すかもしれないという不信のまなざしのもとにおかれ、あいつは昔こうだったから、ということにいつまでもこだわられるのです。しかし聖書は人間というものが変わるものなのだ、神様によって赦しの言葉をうけると変わるのだと教えています。

私たちは、神様の教えの正しさをよく知っておりつつ、それに従うことのできない現実の中にいます。正義とは何か、愛とは内か、真理とは何かということを常日頃から学ぶ機会を与えられ、それをよく知っているのですが、現実の不条理の中で、今ここでやらなければならない仕事の中で、ひきょうといわれようと、さげすまれようと、それを見て見ぬふりをしつつ、策略と、小細工をくりかえしながら、商売をし、うまい世渡りをしてきました。人とつきあっている時でも、顔はにこやかにしてやっている時でも、心の中ではペロッとしたを出して、やりすごすことがままあると思うのです。そうでもしなければ、やっていけない、不条理な世界が、今ここにわたしたちの周りをとりかこんでいるように思えてならないのです。私たちもまたザアカイと同じなのです。ザアカイの罪は、私たちの罪でもあるのです。私たちはザアカイなのです。

イエス様はザアカイの罪を一方的に赦しました。ザアカイは、ただイエス様のところへ来た、たったそれだけのことをしたに過ぎないのです。保育所の紙しばいとか、いろいろな注解者が、ザアカイのイエス様のところにきた動機について、ザアカイは友達がいなくてさびしかったのだろうとか、ザアカイは取税人という罪人の仕事の中にむなしさを感じていたのだろうとか、いろいろな空想をこらしていますけれども、聖書にはただイエスがどんな人か見たいと思っていた、としか書かれていないのです。さびしかったとも空しかったとも書いていないのです。

彼はもしかすると、さびしかったのかもしれませんし、空しかったのかもしれません。けれどもまた、もしかすると、ただ単にイエス様の顔がどんな立派なものなのか、イエス様のことをただ見物しにきたのかもしれないのです。どんな立派な話をするのか聞いてやろうじゃないかと、物見ゆさんで来たかもしれないのです。

結局、とどのつまり、私がもしザアカイだったら、このときこういう状態だったにちがいないという想像にまかせるしかないのです。いや、もっというならば、イエス様のところに来た動機などどうでもいいことのように聖書が黙って語っているのだと思いたいのです。

ただイエス様のところに来た、その一事、それが大切なのです。ザアカイは、イエス様のもとにひざまずいて、あのマルタとマリヤの話のマリヤのごとく、弟子入りのスタイルをとって、おもむいていったわけでもないのです。無礼千万、上から見下(おろ)すように、見下(くだ)すといったら言いすぎでしょうか、そのような状態で、イエス様のところに近づいていったのでした。動機も問わない。方法も問わない。それにもかかわらず、イエス様は、ただ御自分のところに「きた」という罪人ザアカイを一方的に赦したのだ、ということを聖書は言わんとしているのではないでしょうか。

私たちは、このような人が教会に来るということが、どうも苦手なのではないでしょうか。動機が不純、教会にきたはいいけれど、あくびはするは、いねむりはするは、ついでにもともと前科者だというと、かんべんしてくれと言いたくなるのではないでしょうか。しかし、そのような人も、イエス様の下にくることによって、その全くもって一方的な赦しの御言葉をきき、うけ入れることによって、そのような人でさえ変えられていくのだということを、このザアカイ物語は語らんとしているのです。

私たちの教会に最初に訪れたときのことを思い出してみてください。動機は、と聞かれて、何か人にほこることができるようなものをもっている人がいるでしょうか。ただなんとなく、とか、親につれられて、友達にさそわれて、とかいうことで精一杯なのです。

しかし、きてみてはじめて、神様のことを知り、その愛を知り、それから自分自身の罪の深さを知り、そして、それをもまた赦し、受け入れてくださる神様の愛のかぎりなきあわれみと忍耐を信じることができるようになり、神様の約束を信じることができるようになったのでしょう。そして、その喜びの中で隣人にもまた、神様に教えられた愛のあり方によって愛することができるようになってきたのでしょう。

決して一朝一夕にわれわれの生活のあり方がかわるわけではありません。長い年月と苦労が必要でしょう。しかし、赦されたという事実は一瞬の出来事であり、われわれの生活のあり方が何ら変わらない時にも、罪のゆるしの事実もまた変わらずにあるのです。地球が自分自身では何ら光をはなつことはないにもかかわらず、太陽がいっぽうてきにこちらをてらすことによって、その光によって地球が光りはじめるのと同じです。

その何らよいことをしないままのザアカイを、先にイエス様がゆるされたことによって、ザアカイは、あふれる喜びのもとに、貧しい人にほどこしをし、今までしてきた搾取を4倍にしてかえそうという思いにみちびかれたのであります。

神様の豊かな愛を知って、自分自身の貧しさ、愚かさ、罪の深さを知り、もう、神様の赦しの御言葉をきかなければ、この先一歩も歩んでいくことができない。神様の赦しの御言葉、ただそれさえいただくことができれば、私は生きていくことができる。そのような群が、教会であります。

イエス様は十字架の上でいったい何を言われたのか、おもい出して欲しいのです。このルカによる福音書は、こう伝えているのです。「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。

御自分をまさに無実の罪で死刑台に、十字架にかけようとしている人々の罪をゆるして下さいと、イエス様は神様に向かって祈っておられたのです。私たちは、自分自身が何をしているのか、わからずにいるのです。何となく、世間の流れにまかせて、あるいは根拠のない自分の信念にまかせて、生きていって、神の御子を十字架にかけてしまうのです。だから主は、この祈りを祈りつつ、十字架にかけられて、罪の現実を見なさい、これが人間の罪だと、知らしめてくださっているのです。

ほんとに、どんな話でも十字架にくっつけるとか、キリスト教のことをあまりよく思わない人がいいます。それこそ、たしかに金太郎あめのように、いっつも十字架、十字架って言っているのが、キリスト教会です。二千年いいつづけてまいりました。宗教改革者マルティン・ルターの言葉を引用させていただきます。

「平安、平安と呼ぶ神父にわざわいあれ。
 彼の下には十字架しかない。
 十字架、十字架とつぶやく牧師に平安あれ。
 彼はもはや十字架の下にいない。」

わたしたちは、人間の悲惨な現実をあばきだし、それを見せつけることとは全く無縁なのであります。そんなものは教会の目的でもなければ、手段でもありません。そんなものは私たちが日常の生活を真剣に生きようとしていたら、とっくの昔によく知っていることなのであります。自分の愚かさなど、よく知っているのであります。だから、赦しの言葉、ただそれだけが欲しいのです。

私たちは、この宍喰の町で礼拝を守っております。これから教会が成長していくのだという希望を与えられています。そのときに、わたしたちに与えられている一つの大きな課題は、ザアカイをわたしたちはうけ入れていかなければならないのだということなのであります。

今まで私たちのことを、ああキリストかと言って鼻で笑った人、過去において私たちを何かいやな目にあわせた人、感情的にイケスカない人、そのような人たちが何かのきっかけで教会に訪れて礼拝に出席しようという気になったとき、自分もまたザアカイであったのだ、ということを思いかえし、受け入れることができるか、ということ一点にかかっているのです。

できないのかもしれません。この聖書の箇所に、人々がザアカイをうけいれたかどうか何もかたられていません。この答えはみなさんに与えられた宿題なのかもしれません。

私の召命観というもの、伝道者にならせていただこうということの根本には、終始このことがあると思うのです。私のようなものでさえゆるされたのだ。罪がより深いものほど、赦されたときは多く赦されているのだと。その喜びを人にのべつたえようと。(ここで原稿は終わっている。)

2013年1月17日木曜日

丁寧な挨拶

良いことか悪いことか(たぶん良くはない)、ぼくはすっかり近所のコンビニの夜の客になってしまった。

ほぼ毎晩、同じアルバイトのおにいさんがいる。なに聞いてもすぐ答えが返ってくる、アタマの回転の速い人だ。

とにかく何でも素早い。

レジ打ちも速い、おつり渡しも速い、挨拶も速い。

ピ。チャリ。「あざーす!」が、とんとんとんと、三拍子で来る。

近所のガソリンスタンドのおにいさんの挨拶は、「ざ」が抜けて「あーす!」。

これは気が抜ける。ま、お世話になってるので、文句言いたいわけではない。

でも、さっきコンビニ行ったときは、コンビニにいさん、常連客であるぼくに、とても丁寧に挨拶してくれました。

「まざまーす!」

もちろん「毎度ありがとうございます」だ。

とても丁寧でしょ?(笑)

もうひとり、ほぼ毎日レジを打ってもらうスーパーのおにいさんがいる。

彼には悪いけど、毎回イラッとしてしまう。釣り銭を返してくれるときだ。

「はい、ではお釣りを30円お返します(オカエシマス)」と、なぜかいつも言う。

「あ゛?なんでシを省略すんの?」と、毎回胸騒ぎしてしまう。

彼はたった一字で損していると思う。

2013年1月14日月曜日

ブログ生活5周年

また独り言を書き散らす。

ぼくのブログの「舞台裏」を何気なく見ていた。

投稿数が「1080」とか表示されているのに気づいて、のけぞった。

2008年1月1日から始めたブログ。5年経過。

紙の日記なんか3日以上書けたためしがない。そんなやつが5年。

自動車免許を得て乗りはじめたときの感覚に似ているものがある。

ぼくずっと鈍足だし、ボールすらまともに投げれないし、スポーツいまだに苦手だけど、自動車乗ると「性格変わる」タイプ。

ぼくにシャーペンもたせて字を書かせても、400字の原稿用紙一枚いまだにまともに書きあげられない。

だけど、その同じ人間にパソコン与えれば、ブログを5年も飽きずに続けてしまう。投稿数「1080」。

でも、ぼくにはやっぱり本は書けない。本のような書き方も、本のようなまとめ方も、ぼくには無理だと、今さらながら悟れるものがある。

翻訳なら何とかなるかと思って、ぼくはそっち、と心定めてきた、つもり。

翻訳は、著者の陰に隠れることができるので、ラクといえばラク。

だけど、翻訳はフラストレーションはたまる。「ぼくの知りたいことは、こんなことじゃない!」と思ってしまう(笑)。

年末の「キリスト教記者クラブ」のとき、一人の記者さんがおっしゃった。

「このご時世、なんで関口さんは紙の本にこだわるの?」

出版関係の方々の集まりだと思っていたので(事実そうだったはずだが)、少々面食らう質問だった。

なんとなくゴニョゴニョ答えたが、「もういいのかな?(紙の本にこだわらなくても)」と決心を促される勢いも感じた。

ぼくは「功成り名遂げること」には、昔から今まで全く興味がない。そういうのはむしろ、子どもの頃から憎んできた。有名になりたいとか無い。

知らない人は知らないと思うけど、鈍足でスポーツ苦手な人間は、「有名になりたい」という夢は、まず持たないね。世に出たくないもん、むしろ(笑)。

じゃあ何がしたいのかと問われても、いまだに応えられないんだけどね。47歳になっても。

「ブロガー牧師」でしたっけ。それでいいや、もう(投げやり)

2013年1月10日木曜日

カール・バルトを読んでいます

しつこく書いていることだが、最近「カール・バルト」にハマっている。面白すぎて、つい読みふけってしまう。

バルトが導きだす答え(Antwort)に同意しているわけでも承服しているわけでもない。そちらのほうはあんまり面白くない。

面白くて仕方がないのは、彼の視点(Gesichtspunkt)である。ブッと吹き出してしまうこともしばしばだ。

いま読んでいるのがバルトの「初期の」論文だからかもしれない。教会の牧師を辞め、ゲッティンゲン大学やボン大学の神学部で教えはじめた頃の作品だ。

押しても引いても動きゃしない「教会」に手を焼いて、これと言ったことを何もできなかったと痛感し、その挫折感や敗北感に打ちのめされ、そのトラウマを引きずりながら、

はたまた、煮ても焼いても食えやしないと世間から見られている「神学」なるものを内心で恥じつつ、もっていたプライドのすべてをずたずたにされながら、

「それでも言いたいことがある」と悲壮な覚悟と激情をもって書かれた神学論文のように読める。それが面白いのだ。

でも、バルトの言葉にぼく自身が癒されてはならないのだと、自分の胸に言い聞かせながら読んでいる。バルトの文章に、やや過度なまでに「牧師をかばう論理」を感じるのだ。

だからこそ「言いにくいことをぼくの代わりに言ってくれている。がんばれバルト」と背後から応援したくなる。それが彼の文章の面白さでもある。弱い者いじめを受けている人たちをかばってくれる彼の論理には、独特の意味で快感と興奮を伴う要素もある。

だけど、それではダメなのだ。誰かにかばってもらわなくちゃ自分では立てないなんてのは、牧師っぽくないね。

「教会」に手を焼き、「神学」を恥じる。まあ惨めといえば惨め。だけど、そういう厄介なものだからこそ、一生かけてかかわる価値があるとも言える。

二千年の教会史をオレの指先一本で動かせると思うなよ。怪物くんか。

手を焼くもの、恥ずかしいものは、いくらでもある。ぼくは、なによりも、ぼく自身の存在に手を焼いてるし、恥ずかしいもの。

だからね、たぶん真相は、「教会」がぼくに手を焼き、「神学」がぼくを恥じている。そのように自覚すべきなのだと思う。

あ、そうそう。

読書会の本が決定しました。ハインリヒ・ヘッペの『改革派教義学』英語版(Heinrich Heppe, Reformed Dogmatics)は次の機会にして、カール・バルトの『教義学要綱』(井上良雄訳)を読むことにしました。

名称はずばり「カール・バルト研究会」。ただし、「バルト主義者にならないこと」が入会条件。

これはスカイプの話です。初回(明日)は二人だけのスカイプ読書会です。

もっと広げられるといいんですけどね。まあ、そのうちね。

2013年1月3日木曜日

ティリッヒの「受容の受容」は改革派神学においてどのように評価しうるか

なんだかもう、ひたすら脱力した正月を過ごしています。

二度と立ち上がることができないのではないかと思うほどの、腰抜けチャーリー・ブラウンです。

しかし、今日は一通だけ返信メールを書くことができました。ちょうど一週間前の12月27日(木)に受けとったメールのお返事を、今ごろ送っています。遅筆、遅配、お詫びのしようもありません。

メールの送り先がどなたであるかは伏せますが、分かる人には分かってしまうかもしれません。

「パウル・ティリッヒの『受容された受容』という概念は改革派教会の教える予定論とは相容れないのではないか」という旨が書かれていましたので、ぼくなりの意見を述べました。

新年早々「なんじゃこりゃ」な神学議論で申し訳ないのですが、もしかしたら興味を持っていただける方がおられるかもしれませんので、必要な修正を施して公開させていただきます。

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ほにゃらら先生

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

メールをいただき、ありがとうございました。返事を書くよりも、電話でお話しするほうがいいような気がして何度か掛けたのですが、お留守のようでしたので、簡単に書いておきます。微妙なニュアンスは電話のほうが伝わると思うので、また電話します。

パウル・ティリッヒは、ぼくの東京神学大学(学部)の卒業論文のテーマでしたので、わりと読んだほうです。ティリッヒはニューヨーク・ユニオン神学校やハーヴァード大学で教えましたが、元来はドイツ人で、ナチスから逃れてアメリカに亡命した人です。

ティリッヒの本はとても難しくて歯が立たないところが多いのですが、ある視点を持てば「なるほど」と納得できるものがありました。ある視点とは、ティリッヒ自身が明言していることですが、ティリッヒの父親がドイツのルーテル教会の牧師であったことが決定的に影響し、ティリッヒ自身も明確にルター派の信仰を意識した神学を営んでいるということです。

ですから、ティリッヒの「受容の受容」(accept acceptance)は、「このわたしが神に受け容れられているということを、このわたし自身が受け容れること」を意味する言葉ですが、これはルターが強調した信仰義認の教理を哲学的な概念を用いて言い直した言葉であると理解することができます。

もしそうであれば、改革派教会の予定論とも矛盾しないはずです。ルターの信仰義認の教理とカルヴァンの二重予定の教理は、矛盾しないどころか、ルターの教えをカルヴァンが継承発展させたと考えるほうが正しいわけです。

なぜなら、カルヴァンの二重予定の教理は、ルターの「人が救われるのは、行いによってではなく、信仰による」という線を継承しながら、「人がそれによって救われる信仰そのものもまた、神の恩恵である」というアウグスティヌスの線を強化した結果として生まれたものであるととらえることができるからです。

しかし、我々の体験に照らし合わせると、神の恩恵としての信仰を(神から与えられて)持っている人と、持っていない人がいることは明白である。もしそうだとすれば、神はある人々に対しては信仰を与えて救ってくださるが、他の人々に対してはそうではないと考える他はない。そこに「予定の二重性」(praedestinatio gemina)があるとカルヴァンはとらえたわけです。

このように「信仰」という観点から見ると、カルヴァンの二重予定の教理はルターの信仰義認の教理の発展型であると考えることができます。

そして、ティリッヒの「受容の受容」という概念は、ルターの信仰義認の教理の哲学的解釈であると見ることができます。

もしそうであれば、ティリッヒの「受容の受容」は改革派教会の予定論とは矛盾しないと言ってもよいのではないでしょうか。

しかし、問題は、我々はそれをどのようにとらえればよいか、です。

繰り返し言えば、ティリッヒの「受容の受容」は、「このわたしが神に受け容れられているということを、このわたし自身が受け容れること」を意味しています。

これを神学的概念で言い換えると、どうなるか。ぼくなりに言い換えてみますと、こうなります。

「このわたしが依然として罪深い人間であるにもかかわらず、あたかも罪がない者であるかのように神がみなしてくださり、神の子として受け容れてくださっているということを、このわたし自身が受け容れ、同意すること」です。

つまり、それは「信仰告白」です。

改革派神学の古い概念でいえば、「受動的義認」(iustificatio Dei passiva)との対比で語られる「能動的義認」(iustificatio Dei activa)です。

「受動的義認」は、ルターが強調した「神がこのわたしを義と認めてくださる」という、人間側の受動性の観点から見た義認の教理です。

これに対して「能動的義認」の意味は、「このわたしが神を義とする」ということです。

不遜なことを言っているような気がするかもしれませんが、このような概念を改革派神学は昔から用いてきました。その意味は、「神は義なる方であるという信仰を告白すること」です。

「受動的義認」(passive justification)と「能動的義認」(active justification)の区別と関係については、ハインリヒ・ヘッペ『改革派教義学』英語版(Heinrich Heppe, Reformed Dogmatics)555~559ページに記されていますので、ご参照ください。

電話でお伝えしたかったことは、とりあえず以上です。字で書くだけでは分かりにくい内容を含んでいると思いますので、もし分からない点がありましたら、電話でお話ししましょう。

ほにゃらら先生から再三言われてきたことは、「どうしてもファン・ルーラーでなければダメなんですか」という問いかけでしたね。

ぼくは何もファン・ルーラーにこだわっているわけではありません。

実をいえば、ぼくが日本基督教団の教師だった頃からずっと抱いてきた夢は、このハインリヒ・ヘッペの『改革派教義学』を日本語で読めるようにしたいということでした。

ヘッペの『改革派教義学』は、17世紀を中心とするヨーロッパの改革派神学者の著書からの「抜粋集」のような本ですので、資料集に近いものです。ウェストミンスター信仰規準の神学の歴史的背景を知ることができる本でもあります。

このヘッペの本は、カール・バルトが「再発見」したことで現代神学のコンテキストに登場するに至りました。バルトの『教会教義学』の中で、ヘッペは大活躍しています。

そして、ぼくが日本基督教団の教師だった頃には知る由もなかったことですが、なんと、このヘッペの本を、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部で教義学講義の際に、教科書として使用していたのです。

ヘッペには英語版があります。ぼくはドイツ語版原著を持っています。

そのうち、これの読書会しませんか。仲間が見つからなくて困っていました。

2013年1月3日

関口 康

2013年1月1日火曜日

主の業に常に励みなさい


2013年 新年礼拝説教

コリントの信徒への手紙一15・56~58

「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしたちの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」

あけましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願いいたします。

今日は2013年の新年礼拝です。最近の新年礼拝で行っているのは、松戸小金原教会が毎年「目標聖句」として掲げる聖書の御言葉の意味を解説することです。

昨年2012年に掲げた目標聖句は「キリストに結ばれて歩みなさい」(コロサイの信徒への手紙2・6)でした。その御言葉の意味を昨年の新年礼拝で解説しました。今年も同じようにします。

今年の目標聖句は、先ほど朗読しました聖書の御言葉の一部分です。「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい」(コリントの信徒への手紙一15・58)。

これを今年の目標聖句にすることを12月の定期小会で決議しました。今月20日(日)の定期会員総会で承認します。そのようにして、この御言葉を教会のみんなで覚えつつ、今年一年間を過ごしたいと願っています。

この御言葉は二つの文章で成り立っています。前半は「動かされないようにしっかり立ち(なさい)」です。後半は「主の業に常に励みなさい」です。

二つの文章はつながっていますが、内容の異なることが書かれています。ですから、今日は二つの部分を分けてお話しします。

第一は「動かされないようにしっかり立ちなさい」です。

この御言葉には歴史的な文脈があります。これは使徒パウロがコリント教会に宛てて書いた手紙の一節です。

コリント教会は必ずしもしっかり立っていませんでした。ぐらぐら揺れていました。だからこそ、パウロは「しっかり立ちなさい」と呼びかけているのです。

コリント教会の問題は大きく分けると二つありました。一つは教会の中に不道徳があったということです。もう一つは教会が信じるべき信仰の内容に混乱がありました。

つまり、コリント教会は道徳面でも信仰面でもぐらついていたのです。その教会が「動かされないようにしっかり立つ」ためには、道徳・信仰の両面の立て直しが必要だったのです。

しかし、その立て直しは、どのようにして実現するものなのでしょうか。

このことについて改革派教会は、伝統的な答えを持っています。改革派教会の答えは、道徳面についてはモーセの十戒を規準にし、信仰面については使徒信条を代表とする教会の基本信条を規準にすることです。

たとえば、わたしたちが毎週の礼拝で交読しているハイデルベルク信仰問答は、使徒信条と十戒と主の祈りの解説です。それを繰り返し読むことで、改革派教会は「動かされないようにしっかり立つ」とはどういうことかを学んできたのです。

今日お話しすべき第二のことは「主の業に常に励みなさい」とはどういうことなのか、ということです。とくに考えなくてはならないことは、「主の業」という言葉をパウロがどのような意味で書いたのかという点です。

それを考えるために、パウロがこの言葉をどのような文脈の中で書いたのかを知る必要があります。とくに58節の後半の言葉が重要です。「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」。

「主」とはわたしたちの救い主イエス・キリストを指していることは明らかです。もしそうであるならば、「主の業」とは救い主イエス・キリストの働きを指していると考えることが可能です。

そして、パウロによると、教会は「主に結ばれている」存在です。つまり、救い主イエス・キリストの存在と教会の存在は「結ばれている」関係にあるのです。

これはどういうことでしょうか。教会にとってイエス・キリストは、大昔に死んだ過去の存在ではありません。復活して今も生きておられ、かつ天に挙げられている状態にあると教会は信じています。天に挙げられているイエス・キリストと、地上の教会が「結ばれている」関係にあるのです。

すると、どうなるか。教会の働きは、天に挙げられたイエス・キリストの働きを地上において続けることを意味すると考えることができるのです。地上の教会が天におられるイエス・キリストの働きを地上において続けているのです。それはつまり、教会自身が人を救うのだと言っているのと同じことなのです。

わたしたちが人を救うのです。わたしたちの働きが、人を救うために用いられるのです。

たとえば、教会が人に洗礼を授けるとは、そういうことです。困っている人に必要な助けの手を差し伸べることも、人を救う働きです。わたしたちが、具体的に人を救い、助ける働きに就くのです。

しかし、それはあくまでも「主に結ばれている」かぎりにおいて、という限定のある話であることを忘れてはいけません。イエス・キリストとは無関係に、わたしたちが勝手に人を救うという話ではありません。天に挙げられているイエス・キリストが、わたしたちを用いてくださるのです。

しかし、地上の教会には限界があります。わたしたちの教会の規模や能力は小さいものです。教会の規模と働きがあまりにも小さすぎてがっかりされることがあります。

しかし、わたしたちの働きは「主に結ばれているならば」無駄ではありません。教会の存在は無意味でも無価値でもありません。イエス・キリストが生きて働いてくださるからです。

そのことを信じて、今年も地味で・地道で・有意義な歩みを続けていこうではありませんか。

(2013年1月1日、松戸小金原教会新年礼拝)