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2015年11月22日日曜日

一人の人間としても、主を信じる者としても(松戸小金原教会)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
フィレモンへの手紙8~16

「それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします。年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが、監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。彼は、以前はあなたにもわたしにも役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれませ。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。」

この個所は解説なしに読むと、いろいろと誤解を生んでしまう個所かもしれません。しかし、逆に言えば、解説を聞けば理解できる内容です。趣旨は次のようなことです。ただし、これから私が申し上げるのは、想像の要素が多く含まれている解説であることを、あらかじめお断りしておきます。

場所がどこであるかは分かりませんが、「パウロ」はどこか(おそらく牢獄)に監禁されている状態であると言っています。その監禁中の「パウロ」がオネシモという「子ども」を「もうけた」というのです。しかし、「子どもをもうけた」は比喩です。オネシモという人がイエス・キリストへの信仰へと導かれ、洗礼を受けたという意味です。信仰上の親子になったということです。

そのオネシモを「パウロ」としてはフィレモンのもとに「送り帰したい」と願っているわけです。前回申し上げたことですが、フィレモンはテモテやテトスとは違い、この手紙のどこにも、彼が狭義の教師、伝道者、牧師であったことを示す証拠は見当たりません。そのため、フィレモンをテモテやテトスと同じ意味で「伝道者」と呼ぶことは、根拠がないので不可能です。

ただ、前回は触れませんでしたが、フィレモン側の状況が少しは分かるかもしれない唯一の根拠は「あなたの家にある教会」(1:2)という表現です。私たちにとってピンときやすい、それに近そうな関係にあるのは「伝道所」かもしれません。しかし、フィレモンについて言われている「あなたの家にある教会」は、伝道所になる前の家庭集会のようなものを考えるほうが、より近いかもしれません。

その教会に、フィレモンというパウロが絶大なる信頼感を寄せている人がいる。その人がリーダーになり、中心になって、定期的あるいは不定期の礼拝なり集会なりが行われている。

この手紙から伝わってくるフィレモンの人となりは、人の世話をよくできる、その面で信頼されている人だったのではないかというようなことです。その人がいるだけで、周囲のみんなが明るくなり、元気になるような存在。「パウロ」よりもずっと若い世代の人の姿です。

そのフィレモンのもとにオネシモを「送り帰したい」というのが、今日の個所に書かれていることの趣旨です。そしてまた、この手紙全体の執筆目的であると考えることができます。「送り帰す」とは、もともとオネシモがフィレモンのもとにいたことを意味しています。

すべて想像の範囲内ですが、考えられることを申し上げます。オネシモはフィレモンの家で「奴隷」として雇われていた可能性がある、ということです。ただし、フィレモンの家にいた頃のオネシモは「役に立たない者」(11節)だったようです。一般的な言い方をすれば「仕事ができない人」だったのかもしれません。

また、書いていることを文字どおり受けとるとすれば、オネシモは「パウロ」にとって「監禁中にもうけた子ども」であるということは、二人の出会いの場所は監獄であるということです。オネシモは収監されるような犯罪をおかした人だったと考えられます。パウロはキリスト教信仰を宣べ伝えたことで迫害を受けての収監だったわけですが、オネシモは全くそうではない。しかし、不思議な導きで二人の間に接点が生まれた。そして、オネシモはキリスト教信仰へと導かれ、洗礼を受けた。

そして、「パウロ」としては、そのオネシモをフィレモンのもとに戻らせようと考えているわけです。しかし、フィレモンにとって、オネシモは、はっきりいえばかなり迷惑な存在でありえたわけです。犯罪をおかして収監された人でもある。一度雇ってみたが、以前の働きは全く使い物にならなかった。もう二度と雇うつもりはないと、フィレモンが考えていた可能性がある。

そのフィレモンの気持ちは「パウロ」もよく分かっている。だから、押し付けるつもりはない、と言いたいわけです。「先輩風を吹かせて強制的にオネシモをあなたに押し付けたいわけではありません。でも、誠に申し訳ありませんが、このオネシモをもう一度雇ってくださいませんでしょうか。どうかお願いいたします」と言っているわけです。オネシモの「就活」のために一肌脱いでいる感じです。

そのような「パウロ」の気持ちがよく表れているのが、「あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします」(8節)とか「あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです」(14節)というくだりです。

そして興味深いことが書かれています。「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためだったのかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです」(15~16節)。

「パウロ」が言いたいのは、こういうことではないでしょうか。

「たしかにオネシモは、フィレモンくんのところにいた頃は、どうしようもないほど使い物にならない人間だったかもしれません。そのことは私にも分かります。しかし、フィレモンくん、このオネシモという男は、人間としても信仰者としても立派に成長しました。私どもがしっかり指導しましたので、もう大丈夫です。なにとぞどうかお考えいただきたいのは、オネシモが私の指導を受けたことは、あなたさまのところにこれからずっとおらせていただくためだったのではないでしょうかということです。奴隷としてではなく、主にある兄弟として、これからあなたさまと一緒に生きることに必要な人間的な成長に必要な時間だったのではないかということです」。

牧会者「パウロ」の真骨頂です。

(2015年11月22日、松戸小金原教会主日夕拝)

神に倣う者(松戸小金原教会)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
エフェソの信徒への手紙5・1~5

「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。」

今日からエフェソの信徒への手紙の5章に入ります。全部で6章ある手紙ですので、残りあと3分の1です。12月末で学び終えることができるようにスケジュールを組みました。この手紙の最後まで、共に学ばせていただきたいと願っています。

しかし、いまお読みしました個所は、新共同訳聖書をご覧になればお分かりいただけますが、4章の終わりで話題が途切れていませんので、段落が区切られていません。それは先週学んだ4章25節からの話題が続いていることを意味しています。本当は今日のような読み方をしてはいけないのかもしれません。とにかく了解しておくべきことは、すべては前回の個所の続きであるということです。

前回の個所に付けられている小見出しは「新しい生き方」でした。そういう内容のことが、今日の個所にも続いていると考えてください。しかし、新共同訳聖書の小見出しは元々のギリシア語原文に最初からあったわけではなく、あとから便宜的につけられたものです。このタイトルが不適切であるというような考えがあれば、別のタイトルをつけても、もちろん構いません。そのようなことも申し上げておく必要があるでしょう。

しかし、その前の段落の小見出しが「古い生き方を捨てる」であり、その「古い生き方」との対比を意図して「新しい生き方」という小見出しがつけられたことは明らかです。しかしまた、やや気をつけなければならないことは、この段落に「新しい生き方」という言葉そのものは出てこないということです。

それが出てくるのは、さらにその前の段落です。「滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け」(4:22-23)。

今申し上げているのは大事な点です。「新しい生き方」という段落には出てこない「新しい」という言葉がその前の段落に出てきますが、「新しい生き方」でなく「新しい人」を「身に着け」と書かれています。その前には「古い人を脱ぎ捨て」と書かれています。「古い生き方」とは書かれていません。

ここでわたしたちが気づく必要があるのは、ここで言われている「新しい生き方」とは、「自分の力で自分が変わる」ということとは全く違うということです。そうではなくて、外から身に着けるものです。「新しい人を身に着ける」のです。

この「身に着ける」は自分が生まれながらに持っている性質や才能を育て、伸ばすことによって、自覚や考え方の方向性を換えるといったこととは違うことです。文字どおり服を着るように、まとうこと、羽織ることです。着用です。つまり、ここで「新しい人」とは、元々の私に、外からプラスされるものです。

この説明だけで聖書の人間理解、キリスト教の人間理解のすべてを語り尽くすことはできないかもしれません。しかし、そのようなことが少なくともこの個所に確かに書かれています。

言い方を換えれば、「自分が頑張りました。自分で頑張りました。自分で自分を変えました」と言い続けている間は何一つ「新しい生き方」になっていないし、「新しい人」を着ていません。「古い生き方」の「古い人」のままです。こういうふうに言い直せば皆さんにとって少しはピンとくるものがあるかもしれません。

生まれた時から先天的に与えられている性質や才能を育て、伸ばすことが間違っていると言いたいわけではありません。それは正しいことであり、必要なことであり、大事なことです。しかし、そのような方法でうまく行くのは、たぶん若いうちだけです。教会で年齢の話をするのはかなり慎重でなければならないと思いますが、私も先週50歳になりました。上り坂ではなく、下り坂です。そのことを謙虚に認める必要があります。

しかし、がっかりする必要はありませんし、どうかがっかりしないでください。聖書に教えられている意味の「新しい生き方」とは、自分の持って生まれた才能を育て、伸ばすことによって得られるようなものではないからです。天賦の才能のようなものは、年齢と共に失われます。しかし、それを失ったからといって、わたしたちの人生が終わるわけではありません。

それどころかむしろ、「私が頑張っている。私が頑張ってきた。私の力で私を変える」。そういうことが何ひとつ言えなくなったその日から「新しい生き方」が始まるのです。なぜなら「新しい生き方」とは100パーセント神さまから与えられるものだからです。自分の力で手を伸ばしてつかみとるものではないからです。

私が頑張った、自分の力で手に入れたと思っているものは、失うのが怖いでしょう。自分より力をつけてきた他の人々に、いつでも奪われる恐れがあるでしょう。しかし、「新しい人」はそのようなものではありません。

「新しい人」を得るために、努力は必要ありません。しかも、すべて無料(ただ)です。願えば、だれでもいただけます。その意味では無差別です。無料で、無差別でだれでもいただけるものというのは一般的には価値が無いものだとみなされるはずです。見せびらかすことの意味がありませんので。「それは無料ですよね。だれでももらえるものですよね」と言われてしまうようなものを、わざわざ見せびらかす人はいません。

しかし、神さまが与えてくださる「新しい人」とは、そういうものです。一般的には無価値なものです。人との差を競う思いの反対です。そういうのはすべて「古い生き方」であり、「古い人」です。そして、ここで重要なことは、その「古い人」はわたしたちの中に死ぬまで残り続けるものだということです。それを否定することはできません。「古い人」を「脱ぎ捨て……なければなりません」と書かれてはいますが、完全に脱ぎ捨てることができないからこそ、「……なければならない」のです。

しかし、その脱ぎ捨てようとしても脱ぎ捨てきれない「古い人」の上に「神にかたどって造られた新しい人」を「身に着ける」ことが勧められています。「古い人」と「新しい人」は重ね着が可能なのです。「あなたがその古い人を脱ぐまで待っています。新しい人を着るのは、それまでお預けです」と神さまから言われてしまうようなら、だれもそれを着ることはできません。

重ね着感がよく表されていたのが、先週の個所の「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません」でしょう。すぐに腹を立てるのはクリスチャンらしくないとか言われてしまうでしょう。でも、腹が立つことはだれにだってあるでしょう。先週の個所では、腹を立てること自体は禁止されていませんでした。しかし、日が暮れるまでには落ち着きなさいよという意味のことが言われていました。

「古い人」がいつまでもちらちら見え隠れする。「新しい人」は「古い人」の上から重ね着しているだけです。それでいいのです。それ以外の道はないのです。

今日の個所の「神に倣う者となる」は「神にかたどって造られた新しい人を身に着け(る)」(4:24)と同じ意味です。そうでなければ理解不可能です。

「倣う」とは真似することですので、「神さまの真似をしなさい」という意味になりますが、神さまではありえないわたしたち人間が神さまを真似することなどできっこない。どうしたらいいのかと、ただ戸惑うばかりです。

しかし、その「神に倣う」というわたしたち人間には不可能なことを神さまが可能にしてくださるのです。神の「何」に倣うのかといえば、ここで言われているのは「赦し」と「愛」です。「赦し」のほうは「神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」(4:32)です。

「愛」のほうは「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」(5:2)です。「赦し」も「愛」も、神さまが、キリストにおいて、わたしたちにしてくださったことです。

つまり、「神に倣う者となる」とは「神さまはわたしたちの罪を赦してくださったでしょ、神さまのひとり子であるイエス・キリストの命をくださるほどまでにわたしたちを愛してくださったでしょ、だからわたしたちも互いに赦し合い、愛し合わなくてはなりませんよね」ということです。

わたしたちがどれほど神さまの真似をしても、わたしたち自身が神さまになるわけではありません。わたしたちにできるのは、神さまがわたしたちにしてくださった無条件の「赦し」と犠牲的な「愛」の道筋の真似をして、人を赦し、人を愛すことを諦めずに続けていくことですよね、という話です。

残る問題は、これらのことをわたしたちがどれくらい自分のこととして真剣に考えることができるかです。それが実はいちばん難しいことです。「互いに愛し合いなさい」とか「互いに赦し合いなさい」とか何度言われても、自分のことにならず、他人事のように思えてしまう。むなしい思いが消えない。心の中で「あかんべえ」と舌を出している。

それでもいいですし、そういうものですよ、という話です。「重ね着」でいいのです。

(2015年11月22日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年10月21日水曜日

ヨハネによる福音書の学び 04

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ヨハネによる福音書1・19~28

この箇所の「ヨハネ」はこの福音書を書いたヨハネではなく、イエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネです。このヨハネがそれをするために来たと言われている「証し」の内容が紹介されています。

その「証し」の内容を説明する前に確認しておきたいことがあります。それはバプテスマのヨハネが立たされていた危険な状況です。「エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとに遣わして、『あなたは、どなたですか』と質問させた」(19節)は「質問」というより「尋問」です。「祭司やレビ人たち」と呼ばれているのは宗教家を引き連れた警察官のような存在です。祭司が宗教家、レビ人が警察官。彼らの意図は取り調べです。「エルサレムのユダヤ人たち」は彼らの上司です。

彼らは噂を聞いたのです。ヨハネという怪しい人間がいるらしい。この男は人を大勢集めて新しいグループを作っている。集まった人に洗礼を授け、「これから来る救い主を待ち望め。そのために準備せよ」と呼びかけていると。ヨハネとは何者か。現地に行って本人に会って調べてこい。

ヨハネが置かれた状況とは次のようなものです。一人のヨハネを大勢の取調官が取り囲んでいる。彼らはヨハネに対し、矢継ぎ早に質問を繰り出し、尋問する。ヨハネが少しでも隙を見せたりぼろを出したりすれば、即刻逮捕して、エルサレムに連行し、処刑する。その状況の中でヨハネが「証し」をしました。彼がこの「証し」の中で語っていることの要点は、次のようなものです。

第一は、ヨハネ自身はメシアではないということです。「あなたはどなたですか」という質問に対し、「わたしはメシアではない」と答えています。「わたし自身はイスラエルが待ち望んだ救い主キリストではない」と言っています。

第二は、ヨハネ自身は偉大な預言者でもないということです。「あなたはエリヤですか」という質問に「違う」と答え、また「あなたはあの預言者ですか」と問われて「そうではない」と答えています。「エリヤ」は旧約の時代に活躍した預言者です。質問者の意図は「あなたはあの偉大な預言者エリヤの生まれ変わりだと自称するつもりですか」ということです。「あの預言者」と呼ばれているのが誰を指しているのかは不明です。しかし、彼らの質問の意図は「あなたは自分を特別な預言者だと思っているのですか」です。ヨハネはそれを否定します。私は偉大な預言者ではないと言っています。

第三は、ヨハネが答えている「わたしはメシアではない」とか「わたしはエリヤ(のような偉大な預言者)ではない」と言っているとき、その強調点は「わたしは」にあるということです。「メシアはわたしではない。別の方がメシアである」ということです。これはヨハネの責任逃れではありません。はぐらかしているのでも、他者に責任を転嫁しているのでもありません。「わたしはメシアではなく、メシアは別の方である。あなたがたはその方を知らないが、わたしは知っている」と言っています。

ここまで言えばヨハネを追及している人たちは「メシアがだれかを知っているならば、それは誰かを今ここで言え」と口を割らせようとしたことでしょう。しかし、ヨハネは吐きません。もしヨハネがそれをしゃべってしまえば、追及の手はすぐにでもイエスさまのところへと及んだでしょう。それこそが責任転嫁です。しかしヨハネはそうしませんでした。イエスさまをお守りしたのです。

第四は、「わたしはメシアではない」というヨハネの答えの真意は何かという問いのもう一つの答えです。責任転嫁ではないという点はすでに申し上げました。ならば、何なのか。この点で考えられることは二つです。第一はヨハネの謙遜です。第二はヨハネの信仰です。

第一の、ヨハネの謙遜は、「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(27節)という言葉に表われています。イエスさまはヨハネよりも年齢的に若かったわけですし、イエスさまはヨハネから洗礼を受けたのであって、その逆ではありません。しかしヨハネは、自分自身はイエスさまよりも劣っており、イエスさまの下に立つ人間であると告白しています。

優劣の関係だの上下関係だのという話は今日では好まれません。私もこのような話はできるかぎり避けたいほうです。しかし問題となっている事柄が「謙遜」にかかわる場合は、優劣とか上下という関係づけを避けることはできません。なぜなら、「謙遜」とは、相手に対して私は徹底的に下であると自覚すること、そして実際に相手よりも下の位置に自分の身を置いてしまうことを意味しているからです。

「謙遜」とは、力にかかわる概念です。話や言葉として「謙遜」を口にするだけでは足りません。文字どおり相手の持っている力の前に圧倒され、押しつぶされ、粉々に砕かれることが求められます。ヨハネはそれを知っていました。これから来られる真のメシア、イエス・キリストは、私ごときは足もとに及ばない真の力、救いの力を持っておられる方であると、ヨハネは告白しています。

第二の、ヨハネの信仰は、イザヤの言葉を用いて語った「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道を真っ直ぐにせよ』と」(23節)という言葉に表われています。

このイザヤの言葉は、実際には次のようなものです。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(イザヤ書40・3)。実際のイザヤ書の言葉とヨハネが引用している言葉が少し違っているのは、この引用がヘブライ語の旧約聖書からではなく、ヨハネ福音書が書かれた頃には広く使用されていた七十人訳と呼ばれるギリシア語訳旧約聖書からのものだからです。新共同訳聖書はヘブライ語の原典から訳されていますので、少し違っています。

この点は勘案するとしても、ヨハネがこのイザヤの言葉を引用している意図は明確です。「主の道」とは神の道です。ヨハネにとってこれから来られる救い主なるメシア、イエス・キリストは、主なる神御自身です。イエスさまは自分よりも年齢が下だとか後輩だとか、そのような次元のことはヨハネにとってはどうでもよいことでした。イエスさまは端的に「神」であられるとヨハネは信じたのです。これが「ヨハネの信仰」の内容でした。真の神であられる救い主イエス・キリストが来てくださる、そのための道備えをしなければならないと、ヨハネは自覚したのです。

ヨハネが引用しているイザヤ書40章の言葉は旧約聖書を読む多くの人々を慰め、励ましてきたものです。イザヤが立たされた現実は、最初は悲惨そのものでした。神の民イスラエルが分裂してできた北イスラエル王国と南ユダ王国が争い合いました。分裂した二つの国は、それぞれの隣国アッシリアとバビロンに滅ぼされました。エルサレム神殿は打ち壊されました。神の民の多くが奴隷として隣国に連れ去られました。そして70年間の捕囚期間の後に神の民がエルサレムに戻ることが許されました。打ち壊された神殿を再び建て直す希望が与えられました。

イザヤ書40章の状況は、いま最後に申し上げた、神の民の希望が取り戻された状況です。イザヤにとっての「荒れ野」は、単なる地理的な意味での砂漠を意味しているだけではありません。宗教的・精神的・内面的に荒廃した人間の心の砂漠をも意味しています。

ヨハネが自分自身を「荒れ野で叫ぶ声」であると呼んでいる意図も、まさにそれです。宗教的・精神的・内面的に荒廃した人間の心の砂漠の中で、彼は叫ぶのです。「真の救い主が来てくださる!あなたの心の砂漠は、豊かな恵みにあふれる地に変えられる!イエス・キリストを信じてください!」

この叫び声は、わたしたちの時代、この状況のなかで、今なお響き続けています。

(2015年10月21日、日本キリスト改革派松戸小金原教会祈祷会)

2015年10月18日日曜日

平和のきずな(松戸小金原教会)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
エフェソの信徒への手紙4・1~6

「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」

今お読みしました個所に記されているのは、すべて教会のことです。すでに学んだ個所に書かれていたのは「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(1:23)でした。教会は「キリストの体」です。キリストは教会の頭(かしら)です。

頭と体は切り離すことができない、切り離してはならない関係です。切り離すと、両方とも死んでしまいます。キリストと教会の関係も同様です。ただし、キリストと教会の関係は、肉体的な関係というより霊的な関係です。キリストから離れた教会は霊的に死んでしまいます。

しかし、キリストと教会の関係は、父なる神がイエス・キリストにおいて聖霊によって生み出してくださった特別な関係です。教会がキリストにしがみつくことによって、いまにも壊れそうな関係を必死で維持しているというようなものではありません。神がわたしたちを招いてくださったのです。

もちろんその関係は、神の招きがなければ成立しないものであるとも言えます。神が招いておられもしないのにわたしたちの側で必死にしがみついているというような関係ではありません。しかし、心配する必要はありません。もしわたしたちの中に、ほんの少しでも「信仰」が与えられているならば、神はわたしたちを必ず招いてくださっています。たとえその「信仰」が、遠い過去にほんの一瞬感じた程度のことであるとしても。

なぜそのように言えるかといえば「信仰」もまた「神の賜物」だからです。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です」(2:8)と書かれているとおりです。神は御自身が招いてくださる人々に「信仰」を与えてくださるのです。

聖書が教える「信仰」の意味は、わたしたち人間が生まれつき持っている遺伝的な性質とは異なるものです。すべての人が持っていると言われる宗教心や信心とは異なるものです。聖書が教える意味の「信仰」は、わたしたちが生まれたあとに、外から与えられるものです。

だからこそ、その点においては「ユダヤ人」も「異邦人」も、差がありません。聖書の神を信じる家庭に生まれた子どもたちも、そうでない家庭に生まれた子どもたちも、差がありません。すべての人は、生まれたあとに、外から信仰を与えられます。信仰は聖書から学ぶものです。

「私の親は熱心な信者で、私はその家に生まれた者です。だから私はいまさらわざわざ聖書を学ぶ必要はありません」と言うことができる人は誰もいません。もちろん家庭環境の中で自然に身につく要素が全く無いと言いたいのではありません。しかし、だからといって、聖書を学ぶ必要はないし、教会に通う必要はないと言ってもよい理由にはなりません。

なぜこのようなことを強調しなければならないかといえば、今わたしたちの教会で始めようとしていることと関係あるからです。幼児洗礼を受けた方が信仰告白のための準備として勉強会を始めようとしています。幼児洗礼は、本人の自覚も意志も、そして信仰もない状態で授けられた洗礼です。

そのような洗礼は無意味だということにはなりません。幼児洗礼は、十分な洗礼です。半分の洗礼でもなければ、不十分な洗礼でもありません。しかし、本人に信仰のない洗礼であることは確実です。「信仰なき洗礼」というのは矛盾であると思われる方がおられるかもしれませんが、そのような洗礼をわたしたちは、何の躊躇もなく積極的に行っています。だからこそ、その人は洗礼をもう一度受け直すのではない仕方で、自分の心と口で信仰を告白することが、あとから必要になるのです。

それは二度手間だ、どのみち自分で信仰を告白することを求めるのであれば最初から幼児洗礼など授けなければよいという話にもなりません。幼児洗礼は、授けられた本人にとってよりも、親と教会にとって重要な意味があります。それは聖書に基づいて子どもに信仰を教える約束をすることです。

もちろん実際には子どもたちは親と教会の願いどおりにならないことのほうが多いです。しかし、そこから先は神にお任せしましょう。幼児洗礼は、子どもたちを親と教会の手下にする手段ではありません。子どもが親の思いどおりにならないのは当たり前です。

子どもは親の人形ではありません。教会の人形でもありません。親も、教会も、そして子どもたちも「神から招かれている」存在です。人を招くのは神です。人に信仰を与えるのは神です。人を救うのは神です。親も、教会も、神ではありません。

幼児洗礼を受けた子どもたちだけの話ではありません。すべての大人たちも同様です。もちろん、実際にわたしたちが教会に初めて来たときに体験したことは、目の前に教会の建物があった、チラシを見た、教会の人に誘われた、など様々です。しかし、そのことを教会はいつまでも恩着せがましく言うべきではありません。

なぜなら、すべての教会と教会員は「神から招かれている」(1節)存在だからです。教会の中心におられる、教会の主宰者は神です。そのことを忘れてしまい、わたしたちの思い通りにならない人を教会から排除するようなことがあってはなりません。

次の通りです。「そこで主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(1-3節)。

大事なのは「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み」という点です。「招く」とは招待することです。教会に集まるすべての人は、神御自身の招待客です。例外はありません。牧師も長老も同じです。「私は招く側であって招かれる側ではない」と言える人は一人もいません。

この点で間違いを犯しやすいのは、牧師や長老かもしれません。だからこそ、私はこの点を強調しなくてはなりません。「私は招く側であって招かれる側ではない」と思い込んだ途端にあっという間に傲慢の落とし穴に落ちるでしょう。

神がこの私を忍耐と寛容の御心をもって招いてくださり、愛してくださり、受け容れてくださったのです。神は、この私を受け容れてくださったうえで忍耐しておられるのです。この私の存在を我慢してくださっているのです。ちっとも言うことを聞かない、思い通りにならないこの私のことを。

教会が「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努める」ことにとって最大の障害は、わたしたちがいつの間にか神の招きによって教会に受け容れられた存在であることを忘れてしまうことです。わたしたち自身が教会のヌシになり、来てもらいたい人と、来てもらいたくない人とを選別しはじめることです。

イエスさまはそのような方ではありません。社会の中でつまはじきにされていたような人々をこそ、イエスさまは招いてくださり、弟子にしてくださったではありませんか。わたしたちもそうだったでしょう。すべての人がそうでした。神から招かれるにふさわしい生き方をしていたから招かれた、という人は、一人もいません。

生まれる前から信仰を持っている人はいません。それは、生まれる前から聖霊を与えられている人はいないと言うのと同じです。生まれる前から教会に通っているという人はいます。お母さんのお腹の中にいるときから、お母さんと一緒に教会に来ていたという人はいます。しかし、そうである人が自動的に信仰をもつわけではありません。

すべての人は教会にあとから加えられた人です。神から招かれた人です。そのようなわたしたちが「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つ」ことができる根拠は、キリストという頭(かしら)のもとにある体の一部に加えていただいたという信仰です。

「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてものを通して働き、すべてのものの内におられます」(4-6節)。

このように書かれていることは、あるいは私の説明は、抽象的で理屈っぽいでしょうか。頭の中で考えただけの空想の教会であって、現実の教会とはかけ離れているでしょうか。もしかしたら、そのような面があるかもしれませんが、そのようにだけ言って済ませることはできないと思います。

と言いますのは、この個所の主旨として最も大事なのは、どうやら、現実の教会が陥りやすい傲慢の落とし穴に陥らないようにしなさいという戒めの側面だと思われるからです。

この個所に書かれていることがわたしたちにとって、なるほど理想的かもしれないが現実の教会からかけ離れていると感じるようなことであればこそ、わたしたちがしなければならないのは、その理想的な教会と現実の教会を見比べて、現実の教会のどこが間違っているのかを反省してみることです。

しかし、「わたしたちは神から招かれた」という言葉そのものは、わたしたちにとって何度言われてもぴんと来ないものではないかとも思います。これは私の個人的な感想です。何度言われてもぴんと来ない。何を言われているのかよく分からない。おそらく、神という方がわたしたちの目に見えないお方であることと、どうやらそれは関係しています。

チラシを見て関心をもった、教会の中のだれかに誘われた、だれの魅力にひかれて教会に来ている、というような話のほうが、よほど具体的で分かりやすいと私も思います。それはマザー・テレサかもしれませんし、三浦綾子さんかもしれない。「神から招かれた」という話よりも、よほど分かりやすい説明です。その気持ちは、私にも十分に分かります。

しかし、そこでわたしたちは、あえて踏みとどまらなければなりません。人ではなく、神がわたしを招いてくださった。人は神が私を神と教会へと招いてくださるために遣わされた存在であると考えて、納得する。そのことにわたしたちは、固くとどまるべきです。教会の頭は、人ではなくキリストです。教会は「キリストの体」です。

(2015年10月18日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年9月30日水曜日

ヨハネによる福音書の学び 03

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ヨハネによる福音書1・14~18

難解な序文がなお続いていますが、ここで初めて「イエス・キリスト」という名前が出てきます。これまでは「言(ことば)」とだけ呼ばれていました。イエス・キリストの生涯を描く目的で書かれる福音書というジャンルの文書の中でこうした書き方がきわめて特異であることは間違いありません。

14節に「言は肉となった」と記されています。誤訳とまでは言えませんが、誤解を生みかねない訳です。「なった」(become)は原文の直訳ですが、原文で用いられている言葉(エゲネトー)の意味は、この文脈に限って言えば、「成り変わった」とか「変化した」というようなことではなく「生まれた」(was born)です。そして「肉」の意味は「人間」であり、「言」はイエス・キリストです。ヨハネの意図にそって訳しなおせば、「イエス・キリストは人間としてお生まれになった」ということです。

しかし、そのことをヨハネは、直訳すれば「言葉は肉となった」と訳すことが全く不可能とまでは言い切れない独特の言葉で表現していることも事実です。現代の多くの聖書学者も、ヨハネの意図はよく分からないと、さじを投げています。英国の有名な聖書学者も「『肉となる』という言葉の意味を確定することは困難である」と書いています。しかし、それでもわたしたちが譲ってはならないのは、ヨハネが人間を「肉」と呼ぶとき、存在の意味と価値をおとしめる意味で「人間は肉に過ぎない」とか「人間とは汚らわしい」と言いたいのではないという点です。

「霊的なものは清いが、肉体的なものはすべて汚らわしい」。このような思想は我々日本人にとって馴染み深いものがあり、すんなりと受け入れることができる、ごくごくありふれたものです。「肉体」と聞けば「汚れた」という形容詞をすぐに思い起こすことができる、といった具合です。

しかし、このような見方は、ヨハネの時代の教会を脅かし、その後のキリスト教会を脅かし続けた、グノーシス主義の思想です。キリスト教会にとっては異端の思想です。教会の歴史の中でこのような考え方や言い方が見出されるとしたら、それらはすべて、教会の外から紛れ込んできたものです。

しかし、わたしたちが信頼してよいことは、ヨハネ自身が異端に陥り、そちら側の考え方の中へとすっかり巻き取られてしまっていたわけではないということです。この福音書の中には「肉」を蔑む表現は見当たりません。今日の個所でもただ「肉となった」と書かれているだけであり、「汚らわしい肉の姿へと落ちぶれた」というようなことが書かれているわけではありません。そのような考え方がヨハネにそもそもありません。ヨハネが書いているのは「イエス・キリストは人間としてお生まれになった」ということだけです。もう少し言葉を補うとしたら、「わたしたちと同じ人間としてお生まれになった」ということです。

ただし、この文章の中に上下関係を示す内容はたしかに含まれています。天の神のおられるところが「上」であれば、人間が生きているここが「下」です。その意味に限って言えばイエス・キリストは、上から下へと「降りて」あるいは「下って」来られた方であると語ることは間違っていません。

しかし、この上下関係は、神と人間との関係という点に関してだけ当てはまるものです。「霊的なるもの」と「肉的なるもの」との関係に当てはめることはできません。

私がなるべく明らかにしたいと願っているのはヨハネ自身の意図です。「言は肉となった」。イエス・キリストは、わたしたちと同じ人間としてお生まれになった。その意味は「神の御子が汚れたものになった」ということではありません。そうではなくて、ヨハネの意図は「神の御子がわたしたちと同じ地平に立ってくださった」ということです。それを聞けばわたしたち人間が理解できるほどによく噛み砕かれた「ことば」として、わたしたちの心の奥底に届く「ことば」として、イエス・キリストが、わたしたちの目線までおりて来てくださり、わたしたちにじかに語りかけてくださったのだ、ということです。

もしこの説明で正しいようであれば、これまでのところに「イエス・キリスト」という名前が出てこず、ただ「言」とだけ呼ばれていたことの理由も説明できるようになるかもしれません。「イエス・キリスト」という名前は、地上における名前です。「イエス」という名前はこの方が地上にお生まれになったときに付けられたものです。お生まれになる前から、すなわち永遠から、天地創造の前から、この方が父なる神から「イエス」と呼ばれていたわけではありません。

そして「イエス」という名前の意味は「救う」です。そのように、マタイによる福音書が記しています。「その子をイエスと名づけなさい。この子は自分の民を罪から救うからです」(マタイ1・21)。イエスという名前の意味としての「救い」を必要としているのは地上に生きる人間だけです。神には「救い」は必要ありません。救われなければならないのは人間であり、神ではありません。

救い主が必要なのはわたしたち人間です。しかも、救いが必要なのは罪を犯した人間だけであって、罪を犯していない人間に救いは必要ありません。救いとは「罪からの救い」だからです。

「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」とヨハネが書いています。ここに出てくる「恵みと真理に満ちた栄光」という言葉には抽象的な響きを感じてしまうかもしれません。具体的な内容は何かまでは分かりません。

しかしわたしたちは、イエス・キリストがこの地上にもたらしてくださった「恵み」と「真理」の内容を知っています。それは結局「救いの恵み」であり、「救いの真理」です。永遠の神の御子が、罪を犯して神の栄光を汚したわたしたち人間を罪の中から救い出してくださるために「人間になって」地上に来てくださったのです。

神の御子がなぜ「人間」になったのかという問題についてはハイデルベルク信仰問答(第12問から第18問まで)に答えが書かれています。それは、わたしたち人間の犯す罪があまりに重すぎるため、それを償うためには、動物の命はもちろんのこと、人間の命をささげても足りないということです。

人間の命は軽いと言っているのではありません。ハイデルベルク信仰問答の意図は逆です。人間の命は重いと考えられています。だからこそ、人間の命ほどの重いものをすべて差し出しても償いきれないほど、わたしたちの罪はあまりにも重すぎるものだということです。わたしたちの罪が真に償われるためには、真の神でありつつ真の人間でもあられるお方(ハイデルベルク信仰問答は「仲保者」と呼んでいます)の命の価が必要であったということです。

わたしたちが覚えるべき大切なことは、それほどまでに人間の罪は重いものであるということですが、それと同時に、それほどまでに神の恵みは大きいということです。人間の存在、その精神や肉体そのものが汚らわしいのではなく、人間の犯した「罪」が汚らわしいのです。

そして、罪から救い出された人間は「清くなる」のです。それを教会は「聖化」(Sanctification)と呼んできました。わたしたちを清めるためにイエス・キリストは来てくださったのです。それこそが、わたしたちに与えられる最高の「恵み」であり「真理」です。

(2015年9月30日、日本キリスト改革派松戸小金原教会祈祷会)

2015年9月23日水曜日

ヨハネによる福音書の学び 02

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ヨハネによる福音書1・6~13

今日の個所に「ヨハネ」が登場します。しかし、このヨハネはこの福音書を書いた著者ヨハネではありません。イエスさまに洗礼を授けたバプテスマのヨハネです。しかし、二人が同じヨハネという名前であることにはやはり何らかの意味があると考えられています。

著者ヨハネがバプテスマのヨハネの話をしながら自分の姿を重ね合わせていると考える人がいます。その見方は正しいと私は考えます。この福音書には著者自身の思想的立場が前面に現われています。著者ヨハネの時代(おそらく西暦1世紀末)のキリスト教会における熾烈な戦いが背景にあります。しかし、この個所に登場するヨハネは、直接的にはバプテスマのヨハネのことです。

バプテスマのヨハネは「神から遣わされた」と記されています。「光について証しをするため、またすべての人が彼によって(ヨハネによって!)信じるようになる(光を信じるようになる!)ために」、ヨハネは神から遣わされました。

「光を信じる」とはどういうことでしょう。「命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」と書かれていました。そして「人間を照らす光」としての「命」が「言(ことば)の内にある」とも書かれていました。この「言」がイエス・キリストです。そして命の光が「言」としてのイエス・キリストの内にあります。その命の光が人間を照らしています。そして、その光が暗闇の中で輝いています。それぞれの関係性を思いめぐらしてみることが大切です。

「暗闇」の意味は、神が創造されたこの世界と我々人間に重くのしかかっている闇です。隣人の姿が見えなくなり、自分のことしか考えられなくなる闇です。それはほとんど「罪」と同義語であると言えます。しかし、ヨハネ(著者ヨハネ)は、世界の暗闇の中で絶望していません。暗闇はイエス・キリストの内に輝いている命の光によって取り払われつつあることを信じています。

イエス・キリストが来てくださったことによって地上の世界に生きているわたしたち人間は誰一人、暗闇の中で絶望しなくてもよい。そのことを「すべての人が信じるようになるために」、二人のヨハネ(!)は神から遣わされた。バプテスマのヨハネが、そして著者ヨハネが多くの人々の前で証言した。それが著者ヨハネのメッセージです。

別の言い方をしておきます。二人のヨハネが神から遣わされた目的は、救い主が来てくださったことを世のすべての人に伝えることでした。それは彼らの人生には「目的」があったことを意味しています。その目的を果たすことができれば、私の人生は最終局面を迎えたと自ら考えることが許される。

バプテスマのヨハネの人生の目的は、これから来てくださる救い主メシアをお迎えにするために我々は準備しなければならないということを、多くの人に知らせることでした。そして、そのことを知らせた後、彼は殺されました。

このヨハネにとって、イエス・キリストは永遠の主人公でした。彼自身は永遠の脇役でした。人間関係的に言えば、ヨハネのほうがイエスさまより年齢が上でした。しかし、ヨハネは自分をイエス・キリストに従う者の位置に置きました。自分の人生を永遠の脇役として理解し、覚悟を決めて生きることは決して容易いことでありません。わたしの人生はわたしのものだ。この椅子は誰にも譲らない。そのように考える人々にとってバプテスマのヨハネの生き方は理解すらできないものかもしれません。

しかし、そのことに著者ヨハネは、自分自身の姿を重ね合わせていると思われます。後者のヨハネの場合は、西暦1世紀の終わり頃、まさに存亡の危機の中にあった教会の正しい信仰を守りぬくための熾烈な戦いに身を置いていたと考えられます。

「世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」とあります。前回学んだ個所には「暗闇は光を理解しなかった」と書かれていました。ヨハネが「世」とか「自分の民」とか「暗闇」と呼んでいるのは、みな同じものです。イエス・キリストを受け入れない存在と、その存在が生きているこの世界です。

しかし、わたしたちは読み間違えてはなりません。ヨハネはイエス・キリストを受け入れない存在を冷たく突き放して裁くために、このように書いているのではありません。彼の意図は正反対です。彼が強調しているのは、イエス・キリストを通して現わされた神の恵みであり、神の愛です。父なる神のもとから遣わされた真の救い主は、世界に暗闇があることを十分にご存じでありながら、御自分のことを理解せず、認めることさえしようとしない人々のところに、あえて来てくださったのです。たとえ人々に嫌がられようと、罵られようと。

むしろ救い主にとって我慢できないのは、世界が暗闇のままであることです。あなたの心が暗い闇に覆われ、どんよりとした憂鬱な気分のままであることを放っておかれません。イエス・キリストは、「わたしは救いというものなど必要ない」と思っているような人々をこそ、お救いになるのです。

ヨハネは続けて「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」と書いています。

ここでもヨハネは、「その名」、つまりイエス・キリストの名を信じる人々に「神の子となる資格」をお与えになる方はイエス・キリストを信じない人々にはその資格を与えないという点ばかりを強調したいわけではありません。むしろここでわたしたちが考えるべきことは、生まれたときから先天的に信仰をもって生まれた人は誰一人いないということです。信仰は血によって遺伝するようなものではないということです。そのことをヨハネは「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく」という言葉で表現しています。

ヨハネの意図は、すべての人は「神の子となる資格」を持たずに生まれてきたのだということです。しかしそれにもかかわらず、イエス・キリストはすべての人がその資格を得ることを望んでおられ、救いたいと願われます。「わたしには神の子となる資格など無い」と自覚しているあなたのところに、イエス・キリストは来てくださるのです。

ヨハネはイエス・キリストを「人間」と「世」を照らす命の光をもつ方であると信じました。つい思い出すのは天照大神です。しかし、イエス・キリストの光が「天」だけを照らしているのではなく、地上の世界全体と、地上に生きているすべての存在を、そしていまだに真の信仰に至っていない人々をも十分に照らしています。

聖書と教会の歴史に登場する多くの信仰者たちは、世界と自分の人生の暗闇の中でその光を見た人々です。絶望したままで生きていける人は、通常いません。すべての人に信仰と希望と愛、そして喜びが必要です。絶望の暗闇の中に救いの光が輝いているのを見て、袋小路からの出口が見つかったことを喜び、「わたしたちはまだ生きることができる」と多くの人に呼びかけ、共に約束の地をめざす。わたしたちもそのような存在であり続けたいものです。

(2015年9月23日、日本キリスト改革派松戸小金原教会祈祷会)

2015年9月9日水曜日

ヨハネによる福音書の学び 01

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ヨハネによる福音書1・1~5

関口 康

新約聖書には、イエス・キリストのご生涯を描いた「福音書」があり、四番目に位置づけられるのがヨハネによる福音書です(そのため「第四福音書」Fourth Gospelと呼ばれます)。四つの福音書のうちでは最後に書かれました。書かれた時期は西暦一世紀の終わり頃です。

他の三つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は性格が似ています。現代の聖書学者は最初にマルコが書かれ、次にマタイ、三番目にルカが書かれたとします。しかもマタイはマルコを参考にしながら書き、さらにルカはマルコとマタイの両方を参考にしながら書いたとします。単語や語順がぴったり合うほど、まるごと引き写していると思われるところもあります。この三つの福音書は「共観福音書」Synoptic Gospelと呼ばれてきました。

他の三つの福音書(共観福音書)とヨハネによる福音書(第四福音書)の違いはどのあたりにあるのでしょうか。私にとって最も納得が行くのは、ヨハネによる福音書が執筆された時代の歴史的背景からの説明です。西暦一世紀末のキリスト教会が直面した現実とこの福音書は、深い関係にあります。

書物が書かれるとき、それを書く著者自身にも必ず言いたいことがあります。もちろん「福音書」はイエス・キリストを描く目的で書かれますので、著者自身の主張はできるだけ後ろに引き下がった位置にあるべきです。共観福音書の場合、著者自身の主張が出てくるところがあっても、どこか遠慮がちであり、イエスさまの背後に隠れています。しかし、ヨハネの場合はそれが前面に出てきます。そのあたりに大きな違いがあります。

そしてその違いの理由はヨハネによる福音書が書かれた時代的背景にあるという説明が私にとっては最も納得できるものです。西暦一世紀末は、キリスト教会が存亡の危機に直面していた時代です。この時期のキリスト教会は多くのグループへと分裂していました。異端的な教えを奉じるグループも乱立し、混乱の極みにありました。もしその時代の教会が異端との戦いに敗北していたら、その後の1900年間のキリスト教の歴史は存在しなかったほどです。

特に西暦一世紀末には流行の兆しを見せた「グノーシス主義」との戦いは熾烈を極めたものでした。「グノーシス」の意味は「知識」ですが、「グノーシス主義」は固有名詞です。この異端が教えていたのは、要するに地上の人生を軽んじる道です。グノーシス主義者は「天国」なり「天使」なり、地上の現実を超えた天上の事柄(彼岸)については関心や憧れを抱きました。しかし、地上の人生、世界の現実については、絶望に近いものを感じとったり、無関心を決め込んだり、それはもっぱら汚れたものであるゆえに憎むべきものでさえあると考えたりしました。地上の人生を重んじるのではなく、むしろ軽んじていました。

それは外見上は禁欲主義的でもあるのですが、刹那的な快楽を求める道と紙一重の面を持っていました。軽んずべき世界と自分の人生をおとしめる生き方をすることは、彼らにとっては難しいことではありませんでした。

「天国」や「天使」を強調する人々こそ宗教的に熱心で敬虔である場合がありますので、そちらのほうが正しいのではないかとお感じになる方がおられるかもしれません。しかし、グノーシス主義はキリスト教会の存亡にかかわる最悪の異端でした。「地上の世界」や「人生」を重んじない宗教は異端なのです。

もっともヨハネによる福音書の歴史的な背景は「グノーシス主義異端との戦い」という一点だけで説明することはできません。もっと複雑な要素が絡み合っています。しかし、その中でグノーシスとの戦いという問題は際立って重要です。別の言い方をすれば、この福音書には地上の人生を軽んじる人々との戦いという意図があるということです。

しかし、事情はさらに複雑です。上記の意図を持つこの福音書は、グノーシス主義者たちが好んで用いていた言葉をあえて多用しています。それは、たとえば、わたしたちが仏教の人々にキリスト教を説明しようとする場合、キリスト教用語でなく仏教用語で説明するようなやり方に似ています。

わたしたちが体験的に知っているのは、キリスト教信仰をキリスト教用語で説明しようとしても、相手が理解してくれない場合があるということです。キリスト教用語で話して理解してくれるのは、それを長年学んできた人々だけです。相手の言葉を用いて語ること、つまり、教会用語を異なる宗教や思想の人々の用語へと“翻訳すること”で初めて相手に伝わるものが生まれる場合があります。

ヨハネによる福音書は難しい書物です。その原因は、この書物が書かれた時代の教会が異端とみなしていた立場の人々の言葉を用いて、イエス・キリストが真の救い主であることを立証しようとしているからです。しかしまたその複雑な事情は、この福音書をこのうえなく興味深いものにしています。共観福音書におけるイエス・キリストは、旧約聖書的な背景を持つ、教会の言葉で描かれています。しかし、ヨハネによる福音書はそこが違うのです。しかし、ヨハネが異端に巻き込まれていたからではありません。ミイラ取りがミイラになったわけではありません。そうではなくて、ヨハネの意図は、異端の人々を正しいキリスト教信仰へと招き入れるためでした。

ヨハネによる福音書の冒頭には、共観福音書の場合はイエス・キリストの御降誕の次第が描かれている位置に、全く異なる印象をもつ言葉が書かれています。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」この「言」(ロゴス)がイエス・キリストです。「初め」とは天地創造よりも前です。3節に出てくる「万物は言によって成った」とあるのが天地創造の出来事です。それ(天地創造)より前の時点を指しているのが「初めに」です。天地創造より前にイエス・キリストがおられた。イエス・キリストは父なる神と共におられた。イエス・キリストは神御自身であった。

「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」ヨハネの意図をくみつつ言い換えますと、次のようになります。天地万物はイエス・キリストによって形づくられた。形あるものでイエス・キリストによらないものは何一つなかった。ヨハネが述べていることは、神の御子イエス・キリストは、父なる神と共に天地創造のみわざに関与しておられたということです。この地上にあるすべてのもの、すべての人は天地創造に関与なさったイエス・キリストと無関係に存在しているのではない。イエスさまがキリスト(メシア)であることを信じない人の人生にもイエス・キリストは関わっておられる。

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

「光と闇」の対比はグノーシス主義者たちが好んで用いた言葉です。しかし、ヨハネの意図は彼らとは全く異なります。ヨハネが語ろうとしているのは、天地創造に関与したイエス・キリストだけが光り輝いていて、地上の世界はひたすら暗黒であるということではありません。むしろ逆です。「暗闇の中で輝く光」としてのイエス・キリストの光が、すでに世界を照らしはじめている。世界は全くの暗黒ではありえない。夜明けは来ている。希望のあさひは地上を照らしている。わたしたちの人生は輝いている。そのように言いたいのです。


(2015年9月9日、日本キリスト改革派松戸小金原教会祈祷会)



2015年8月12日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 14

松戸小金原教会の祈祷会は毎週水曜日午前10時30分より12時までです

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4・8~9

関口 康

「終わりに」と書いてパウロは今度こそ手紙を締めくくろうとしています。それでもまだ終わらないのですが。しかし、どんな文章でもだいたい最後に書くのは全体のまとめであり、結論です。

「すべて」の真実なこと、気高いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉なことを心に留めなさいとパウロは書いています。そして「徳や称賛に値すること」もそうであると言っています。

日本語の聖書を読むだけでは分からないことですが、ここでパウロが列記しているのは、ユダヤ的美徳(ヘブライズム)というよりギリシア的美徳(ヘレニズム)であると言われます。聖書と教会と全く無関係なものではありえません。しかし、聖書と教会の伝統というより、その外にあるものです。

それらのこと「すべて」を心に留めなさいと、パウロはフィリピ教会の人々に勧めています。この「心に留める」とは、それらを重んじることを意味しています。記憶することや、聞き置くこと以上です。軽蔑したり、泥を塗ったりせず、むしろ尊重し、敬意を払うことを考えるべきです。

そのため、パウロの趣旨をくみとりながら言い直せば、「教会のみなさん、あなたがたは聖書と教会の伝統に属さない、むしろそれらの外にあるすべてのことやものを軽んじたり無視したりすることは間違っている。そういうものをきちんと重んじなさい」というようなことになります。

このように言うことにおいてパウロは教会の人に不信仰や堕落を奨励しているわけではありません。そうではなく、次のような言い方ができると私は考えます。パウロは「たえず伝道的な姿勢を教会に求めている」ということです。それは、聖書と教会の外にある善きものを重んじることによって聖書と教会の「外」にいる人々を「内」へと招き入れることです。

もし教会の者たちが、教会の内側でしか決して通用しえない専門用語や価値観ばかりをただ語って自分たちで自分たちを満足させているだけであるようなら、伝道は全く不可能です。伝道とは端的に、教会の外側にいる人々に語りかけることだからです。

と言いますと、それは街頭演説をすることかとか、見知らぬ家に戸別訪問することかという反応が返ってくることがありますが、そういう話ではありません。もっと根本的な姿勢の問題です。

教会の外に出て行き、「あなたがたの生き方も考え方もすべて間違っています。教会に来ればあなたがいかに間違っているかが分かります。教会はすべて正しいです」という口上で臨むことで、うまく伝道が進んでいくならともかく、おそらく多くの人々は、ただ反発を感じるだけでしょう。「そのようなけんか腰で教会の外の人々の生き方も考え方も全否定する人々には、もう近づきたくありません。さようなら」と多くの人が心に誓うでしょう。

パウロがフィリピ教会の人々に勧めているのは、いま書いたようなあり方の反対であると言えます。パウロ自身も伝道者としての歩みの中で失敗や挫折を繰り返してきました。けんか腰の態度や相手を傷つけるやり方もしました。しかし、それでは(あるいは「それだけ」では)伝道が進まない。福音が前進しない。そのことにも気づかされてきたに違いありません。

しかし、難しい問題を含んでいることも、私にはよく分かります。「朱に交われば赤くなる。ミイラ取りはミイラになる。不信仰な人々の異教的なやり方に近づきすぎると、我々の確信が鈍り、教会の進むべき方向を間違ってしまう。守るべきものを守りぬくために頑丈な砦が必要である。そのようなものがないかぎり、我々はあっという間にすべてを失ってしまう」。

そのとおりかもしれません。全く間違っているとも言い切れません。私は自分が弱い信仰の持ち主であることを強く自覚しています。だからこそ、どちらかといえば、この弱い信仰をしっかり守ってくれる頑丈な砦があればよいのに、という強い憧れを持つほうの人間です。

しかし、もしそのような頑丈な砦が手に入り、その中だけで生きて行けるようになり、砦の外側に一歩も出ないで済むようになってしまえるとしたら、私はどのような人間になるだろうかということに不安を抱く面もあります。

ヨーロッパはかつて「キリスト教国」としての存在を何世紀も維持していました。パウロが立っていた現実は、「キリスト教国における教会とその伝道」よりも、今の日本のキリスト者が置かれている「全く異教的な国と社会における教会とその伝道」の状況のほうに近いものです。

しかし、そうであるからこそ、パウロは、教会の外側にある「すべてのもの」を心に留めなさいと勧めています。たとえキリスト者がその国や社会の少数派であるとしても、だからといって教会の中で自己完結し、その中に引きこもってしまうようであってはならないという勧めでもあるでしょう。

あるいは、教会の外なる世界ないし社会との接点を持ち続けなければならないという命令でもあるでしょう。自分たちの要塞の中にあるものだけが真実であり、気高く、正しく、清いものであり、愛すべきものであり、名誉なものであり、それ以外のすべてはそのようなものではありえないというような絶対的で排他的で独善的な確信を持つことを慎むべきであるという戒めでもあるでしょう。

もし我々がそのような確信を持ってしまうならば、なるほどたしかに我々の存在は、外から見ればとんでもなく鼻もちならない存在に映るでしょう。我々がそのような要塞に立てこもってしまえば、自分たち自身はこの上ない安心を得て満足できるかもしれませんが、外側から見ると我々の存在は、どこかしら自信のない、ひ弱な人間のように映るでしょう。

教会の外側の社会ないし世界の中にある「すべて」の善きものを心に留め、大切にすべきであるという教えには、パウロ自身がそのことにこの個所で触れているわけではありませんが、重要な根拠があります。それは「神は全世界を創造された方である」という信仰です。

神は教会だけを創造されたのではなく、世界を創造されました。信者だけを創造されたのではなく、いまだ信仰に至っていない人々を創造されました。信者は神によって創造されたが、未信者は悪魔によって創造されたわけではありません。それは異端の教えです。創造者なる神への信仰はわたしたちが教会の外側にある「すべて」に目を向けるべき明確な根拠を提供しています。

パウロは次のように続けています。「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます」。ここで勧められているのは「教えられたことを実行すること」です。理解できても行動に移せないことの反対です。自分の要塞の中に立てこもり、外側には一歩も出ることができないことの反対です。

大切なことは、言われているとおりに実際にやってみることです。自分の砦の外に出て行くとき、まるで丸腰で戦場に出ていくかのような不安や恐怖心を感じるかもしれません。しかし、そのとき、あなたを神が守ってくださいます。そのことをわたしたちは確信し、安心すべきです。「平和の神」とは「わたしたちを平安で満たしてくださる神」また「安心させていただける神」です。

もちろんパウロとは逆の視点から考えることも必要でしょう。せっかく異教的なものを捨てて振り切って教会の中に飛び込んだのに、教会の内側も外側と大差ないと言われるのは、がっかりだ。もしそうなら、なにも無理して教会に通う必要などないではないか、と思われてしまうかもしれません。バランスを重んじる必要はあります。教会とこの世を一緒くたにすべきではありません。

(2015年8月12日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年7月22日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 12

松戸小金原教会の祈祷会は毎週水曜日午前10時30分から12時までです
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フィリピの信徒への手紙3・17~4・1

関口 康

前々回申し上げたとおり、パウロはこの手紙を「では、私の兄弟たち、主において喜びなさい」(3・1)という言葉で締めくくろうとした可能性があります。「では」は手紙などを締めくくるときに用いられる言葉だからです。

しかしパウロはそこで筆をおきませんでした。おそらくパウロはこの手紙を「喜び」を語ることだけで済ますことに躊躇を覚えたのです。「あの犬どもに注意しなさい」(3・2)と続けました。キリスト教信仰に敵対する人々がいるということを語りはじめました。

あからさまに書かれているのは当時のユダヤ教徒のことです。しかし、キリスト教信仰に敵対してきた人々はユダヤ教徒だけではありません。あらゆる国の、あらゆる時代の、あらゆる宗教の人々、あるいは無神論者が、キリスト教信仰に敵対してきました。

私が子どもだった頃には「アーメン、ソーメン、冷ソーメン」だのと、まだ言われていました。ものすごく嫌でしたが、多勢に無勢でしたので黙っていました。その手のことに巻き込まれるのが面倒だったので、教会に通っていることを学校では隠していました。

私の場合は、だからこそ牧師になろうと決心した面があります。牧師にならなければ、教会に通っている人間であるということを公表することすら憚られる、という思いがあったからです。私の故郷の岡山が中途半端な田舎だったからかもしれません。こういう理由で牧師になることが不純な動機かどうかは分かりませんが、いまだにこれ以外に表現のしようがないと思っています。

この個所をパウロは文字どおり泣きながら書いています。そのようにはっきり書いています。「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです」。これは大げさな言葉ではありません。このあたりの字が涙でにじんでいたのではないでしょうか。

しかし、パウロが泣いていたのは、自分が信じている宗教を否定されたからであるとか、自分のしていることをけなされたからというようなこととは違うと思われます。続きを読みますと「彼らの行き着くところは滅びです」とあります。「彼らは腹を神とし、恥ずべきことを誇りとし、この世のことしか考えていません」。

ここでパウロが考えていることは、救い主としてのイエス・キリストに、あるいは宗教としてのキリスト教に敵対する人々の先行きを案じている、というのが最も近いです。要するにパウロは彼らの心配をしているのです。

「腹を神とする」と同じ意味の「腹」を、パウロはローマの信徒への手紙でも用いています。「こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです」(ローマ16・18)。

「腹」の意味が同じであるだけでなく、「自分の腹に仕える」と「腹を神とする」が同じ意味です。自分のお腹をあたかも神であるかのように礼拝することです。これは比喩ですし皮肉です。パウロが書いている意味の「腹」は欲望の象徴です。食欲に限らず、すべての欲望が含まれます。

欲望を満たすことのすべてが悪いわけではありません。欲も望みもなくなれば、人生の活力は消え失せるでしょう。しかし、問題は、自分の腹(欲望)と神を引き換えにすることです。自分の腹を選ぶか、それとも神を選ぶかという二者択一を迫られる場面で迷わず腹を選ぶということになるならば、それは自分の腹と神とを引き換えにすることです。

しかし、よく考えれば、わたしたちが自分の欲望を満たすことと、神を信じて教会に通うことは激しく対立することではないはずです。このように言うと驚かれるかもしれませんが、わたしたちが教会に通うことに強制や脅迫の要素があるならばともかく、自由と喜びのうちに自発的に教会生活を送っている人は、そのことが自分の満足にもなっているはずです。

わたしたちが神を信じて生きるとは、神の祝福のもとに置かれることであり、神の恵みが豊かに注がれることを意味しています。それは言葉の正しい意味での幸福な人生であり、満足できる人生です。満足することと、欲望ないし欲求が満たされることは、矛盾することでも対立することでもありません。

ところが、両者があたかも対立するものであるかのようにとらえ、神か腹か、宗教か欲望か、教会か社会かというような二者択一を考え、神と教会とを切り捨てる選択肢をえらんでいくときに、パウロの言う意味での「自分の腹を神とする」という批判の言葉が該当しはじめるのです。

もちろん、どの宗教を信じても同じというわけではありません。どの登山口から登り始めても頂上は同じという考え方(それを宗教多元主義といいます)はパウロにはありません。彼はただ心配しているのです。真の救い主イエス・キリストを知る者として。イエス・キリストへの信仰によってしか決して赦されえない深く大きな罪をもっていることを自覚している者として。自分は弱い人間であることを知る者として。

「わたしたちの本国は天にあります」(3:20)はとても有名な言葉です。文脈的には唐突ではありますが、パウロの意図は分かります。「本国」と訳されているギリシア語(ポリテューマ)は「コロニア」というラテン語に訳されて、コロニー(植民地)の語源になりました。しかし、このパウロの言葉を「わたしたちの植民地は天にあります」と訳すのは誤解を招くだけでしょう。

とはいえ、この手紙の最初の読者、フィリピの教会の人々はローマ帝国の植民地(コロニア)に住んでいたという歴史的な事実は勘案されて然るべきでしょう。彼らがローマ帝国に逆らうことは反逆罪であり、ただちに死を意味していました。ローマ帝国は支配下の人々に対し、独裁者たるローマ皇帝を神のごとく崇拝すること、皇帝礼拝を行うことを強制しました。キリスト教に敵対していたのはユダヤ教徒たちだけではなく、こうしたローマ帝国の皇帝礼拝を強制する人々でもありました。

しかし、「キリスト者のコロニアは天にある」。このパウロの信仰告白には、ローマ帝国が強制する皇帝礼拝に対する明確な拒否があります。わたしたちの真の支配者は、父なる神と、救い主イエス・キリストだけであって、ローマ皇帝ではない。真の神がわたしたちを愛してくださり、守ってくださる。そのことを信じて生きていこうではないか。神の他に何も恐れるものはない。そのようにパウロは彼らを励ましているのです。

(2015年7月22日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年7月19日日曜日

ペトロの裏切り

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
マルコによる福音書14・66~72

「ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。『あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。』しかし、ペトロは打ち消して、『あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない』と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。女中はペトロを見て、周りの人々に、『この人は、あの人たちの仲間です』とまた言いだした。ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。『確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。』すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『あなたがたの言っているそんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。」

使徒ペトロがイエスさまを裏切ったことについては、これまでに何度も学んできましたし、マルコによる福音書の学びの中でも繰り返し触れてきました。最後にペトロは涙を流しました。マタイ(26:25)とルカ(22:62)は「激しく泣いた」と記しています。ヨハネはペトロの涙を描いていません。

ペトロはなぜ泣いたのでしょうか。ペトロの涙を描いている三つの福音書はその理由を「鶏が鳴く前にあなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」というイエスさまの言葉を思い出したからだとしています。つまり彼はイエスさまに自分の弱さを見抜かれていたことを思い知らされたから泣いたのです。

つまりペトロはとても悔しかったのです。彼は自分のことをもっと強い人間であると思い込んでいたし、そう思いたかったのです。しかし現実はそうでなかったということを思い知らされたのです。そしてその弱さをイエスさまに見抜かれていたことが分かったのです。だから、彼の目から涙が出てきたのです。

ペトロはイエスさまと他の弟子たちの前で次のように断言していました。「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(14:29)。また、こうも言っていました。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(14:31)。

しかし、ペトロはつまずきました。みんなと一緒につまずきました。つまずくことにおいては、他の人と変わりがありませんでした。イエスさまと一緒に死ぬことはできませんでした。死の覚悟などすっかり忘れて、イエスさまのことを三度も「知らない」と言ってしまいました。だからペトロは泣いたのです。

しかし、彼が泣いたのは、イエスさまに責められたからではありません。イエスさまは、ペトロの裏切りを責めておられません。イエスさまはただ、「あなたは裏切るだろう」と事実を述べられただけです。自分は他の弟子より強いとか、死ぬことを恐れないなどと言い張るペトロをたしなめられただけです。

少し厳しい言い方をすれば、できもしないことをできると言うな、自分の命を粗末にするようなことを口にするなと、イエスさまはペトロを戒められただけです。しかしそれはペトロの裏切りを責める意味ではありません。そうではなくて、自分が弱い人間であることを認めなさいと言っておられるだけです。

しかしそのように言われたとき、ペトロはイエスさまの言葉を受け容れることができなかったのです。私のことを馬鹿にするな、イエスさまの目は節穴だと言いたかったのです。ところが、それが現実になったとき、何もかもイエスさまがおっしゃったとおりであったということが分かって涙が出てきたのです。

しかし私は、ペトロについては、もう少し深いところまで踏み込んで考えなければならないことがあると思えてなりません。なぜなら彼は「みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と、わざわざ他の弟子たちと自分を比較した上で、他の弟子たちを見下げるようなことを言ってしまっていたからです。

しかし、現実の彼は他の弟子たちと全く同じでした。そうであることが分かった以上、ペトロは他の弟子たちに謝罪しなければなりません。「皆さんのことを見下げるような偉そうなことを言ってたいへん申し訳ありませんでした。私は皆さんと同じようにつまずいてしまいました。どうかお許しください」と。

まだあります。ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても」とイエスさまに言いました。それは少し工夫して読むと、イエスさまが抱いておられる死の覚悟と自分の死の覚悟は同じですと言っているのと同じであることが分かります。しかし現実の彼は違いました。死の覚悟などありませんでした。

そうであることが分かった以上、ペトロはイエスさまにも謝罪しなければなりません。「イエスさま、私にはあなたと一緒に死ぬ覚悟などありませんでした。偉そうなことを言って申し訳ありませんでした」と。ペトロはとにかく自分は強い人間だと思い込んでいました。しかしそうは問屋は卸しませんでした。

このような思い込みや勘違いは、なぜ起こったのでしょうか。考えられる理由は、自分はみんなのリーダーだという思いでしょう。だから自分は一番偉い。一番勇気ある人間だ。しかし、現実は全くそうではありませんでした。だから、彼の目から涙が出てきたのです。悔しくて悲しくて仕方がなかったのです。

しかし、そういうことの一切を含めてのペトロの弱さをイエスさまは見抜いておられました。いざとなったらうそをつく。いざとなったらとぼける。いざとなったら逃げる。いざとなったら泣く。そういう人たちを集めてイエスさまは弟子にされたのです。そういう弟子を選んだ責任はイエスさまにあります。

ですからイエスさまはどの弟子の裏切りをもお責めになりませんでした。一緒に死んでくれる弟子をお求めになりませんでした。それはイエスさまにとってはかえって迷惑なことでした。父なる神の御心は救い主メシアがひとりで十字架で死ぬことであり、犠牲の小羊、贖いの供え物になることだったからです。

教会でも同じようなことが起こりうると思うところがありますので、このようなことを申し上げています。教会の中で自分の順位を考えてしまう。私はあの人よりは強いけれども、この人よりは弱い、など。しかし、教会は、そういうところではありません。教会は、自分の強さを競い合う場所ではありません。

教会の頭はイエスさまです。教会はイエスさまによって呼び集められた仲間です。そのイエスさまはわたしたちに、どちらかといえば「無理しなくていい」とおっしゃる方です。イエスさまが教会にお求めになることは、争い合うことではなく、互いに謙遜であることです。教会とはそのようなところなのです。

今日の個所で、ペトロが大祭司の女中や他の人々とのやりとりの中で「あなたが何を言っているのか分からないし、見当もつかない」(68節)ととぼけたり、彼らからペトロが「確かにお前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから」と断定されたりしていることには、方言の問題が明らかに関係しています。

ペトロがしたのは、方言の違いがあるから相手の言っていることの意味が分からないととぼけることだったと思われます。しかし、そのすぐ後に、方言の違いがあるからこそペトロは追い詰められてしまいました。お前はガリラヤ地方の方言でしゃべっている。ナザレのイエスの仲間に違いないと言われました。

日本国内でも、方言やなまりの違いで、相手が何を言っているのかが本当に分からないことが実際にありますし、またその人がしゃべる言葉をひとことふたこと聞くだけで、その人がどこの地方の出身者かが分かるということもよくあります。方言の違いは感情の行き違いが起こる原因になることさえあります。

多少余談になりますが、自分ではキツイことを言っているつもりがないのに相手にそう思われ、相手の感情を害してしまったというようなことが起こった場合、もしかしたら方言の違いの問題が関係あるかもしれないと考えてみることは必要です。それだけが原因だとすることはできないかもしれませんが。

方言というのは自分がなまっていることに自分では気づかないところに方言たる所以があります。だからこそ動かぬ証拠になります。自分でどうすることもできないものだからです。しかしそれを突き付けられても否定し続けたというのですから、ペトロの否定の勢いは相当激しいものだったに違いありません。

しかし、ペトロが自分の方言を否定するところまで追い詰められたことは、あとで彼自身が深く傷ついた原因になったかもしれないというようなことを考えさせられもしました。方言と言っても、ただの方言ではなかったからです。イエスさまと共に過ごし、共に伝道した思い出がぎゅっと詰まった方言です。

ペトロにとって自分の方言を否定することは、イエスさまとの関係を否定することを意味するだけでなく、イエスさまと共に伝道したガリラヤ地方の人々を否定するに等しいという思いが、彼の中に起こったかもしれません。家族や友人、そして自分の人生そのものを否定するに等しいと感じたかもしれません。

方言というのは、それくらい重い意味を持つことがありえます。同時にこの個所から、イエスさまはガリラヤ地方の方言で話しておられたことが分かります。それは、洗練された都会の言葉ではなく、田舎なまりの方言です。イエスさまという方は、田舎なまりの言葉で説教する救い主だったということです。

そのように自分の故郷の言葉まで否定せざるをえなかったことまで考えますと、ペトロのことがだんだんかわいそうになってきます。自分という人間はなんと大それたことをしてしまったのかと肩を落とし、背中を丸めて、涙を流しているペトロの姿が浮かんできます。彼の姿は決して他人ごとではありません。

(2015年7月19日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年7月12日日曜日

御言葉を宣べ伝えなさい

東関東中会講壇交換で船橋高根教会で説教させていただきました
テモテへの手紙二1・1~5

「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」

今日は東関東中会の講壇交換でお邪魔しています。松戸小金原教会の関口です。船橋高根教会の礼拝で説教させていただくのは初めてです。松戸に来て12年目。東関東中会ができて9年目。12年で12教会を回りました。最後が船橋高根教会です。やっと辿り着きました。今日はよろしくお願いいたします。

先ほど司式者に朗読していただきました聖書の個所に記されているのは、わたしたちに対する神の命令です。他人ごとではありません。それは「御言葉を宣べ伝えなさい」(2節)ということです。ただし、「御言葉」の「御」は日本語的な丁寧語です。原文に「御」という字が付いているわけではありません。

原文には単純に「言葉」(ロゴス)と書かれているだけです。つまり「言葉を宣べ伝えなさい」です。しかし、「宣べ伝える」というのも日常的に使うことはほとんどない教会独特の言葉づかいです。原文で使われている言葉に最も近い日本語は「知らせる」です。あるいは「告知する」というようなことです。

説教を行う場所の問題は、ここでは取り上げられていません。しかし最も考えられるのは、日曜日ごとに教会に集まって行われる礼拝の中です。礼拝の中で聖書に基づいて説教を行うことが「御言葉を宣べ伝えること」です。それだけに限定することはできませんが、かなり多くの部分を占めていると言えます。

その礼拝の中で行う説教を指して「御言葉を宣べ伝えること」という表現で言われるようになったものと思われます。日本語的な丁寧語などを取り除いて言い直せば「言葉を知らせること」です。もっと雑な言い方をすれば「しゃべること」。口を開いて言葉を発することです。黙っていないことでもあります。

それを「折が良くても悪くても励みなさい」(2節)とパウロがテモテに命じています。それは同時にわたしたちに対する神の命令です。「折が良くても悪くても」というのは、原文をそのまま日本語に置き換えただけです。しかし、これが何を意味するのかを理解するのはとても難しいことのように思えます。

なんとなく分かるのは、ここに書かれていることの趣旨は、「折が良いときは御言葉を宣べ伝えることに積極的だが、折が悪いときは御言葉を宣べ伝えることに消極的であるような態度」を戒めることに違いないだろうということです。しかし、その場合の「折」とは何でしょうか。これの特定が難しいのです。

それと、先ほど申し上げたとおり、「御言葉を宣べ伝えること」は、日曜日ごとに教会に集まって行われる礼拝の説教を指している可能性が高いです。限定はできませんが。しかし、もしそうだとすると「折」とは何でしょうか。「説教しやすい日曜日」と「説教しにくい日曜日」があるということでしょうか。

そのような意味で書かれている可能性は十分あります。しかし、「説教しやすい日曜日」とは何でしょうか。「説教しにくい日曜日」とは何でしょうか。それは説教者の気分や体調の話でしょうか。良い気分で、良い体調なら、良い説教ができる。しかし、気分がすぐれなかろうと、体調が悪かろうと説教しろ。

「折が良くても悪くても励みなさい」とは、そういう意味でしょうか。面白い解釈ではあると思いますが、それだけではないような気がします。それでは、説教を聴く側の人たちの気分や体調の話でしょうか。今日はごきげんが悪い人たちが大勢集まっている。体調がすぐれず、体を引きずってきた人ばかりだ。

そういう人たちが大勢集まっている日曜日は「説教しにくい日曜日」だ。その日は「折が悪い」。皆うなだれ、苦虫を噛みつぶした顔で我慢して座っている。そのような人々の前でも、お構いなしに説教しろ。それが「折が良くても悪くても励みなさい」という意味であると、そのように考えてよいでしょうか。

それも一案ではあると思いますが、そのようなことだけではないような気がします。もう少し広い意味ではないでしょうか。先週は「説教しやすい日曜日」だったが、今週は「説教しにくい日曜日」である。そういうことはありうると思いますが、まるで気分次第です。風に吹き回されている枯れ葉のようです。

そういうことよりも「折」とはもう少し広い意味の「時代」を指していると考えるほうがよいかもしれません。聖書に基づく説教を積極的に受け容れる気運が高まっている時代があるが、そうでない時代もある。しかし、逆風が吹いている時代であっても、説教をやめてはならない。これなら納得できそうです。

しかし気になることがあります。先ほどから私は、この個所に書かれている「御言葉を宣べ伝えること」は、日曜日ごとに教会で行われる礼拝の中での説教を指していると、やや限定的なことを申し上げています。それ以外の可能性を否定する意図はありません。日曜日以外にも説教することは可能だからです。

しかし、そうなりますとものすごく気になることがあります。日曜日の礼拝に集まる人々の中にも説教を受け容れない人々が含まれている可能性があるというような考え方をしなければならないのかということです。日曜日の礼拝に集まる方の中には、求道者や新来者もおられます。しかし、多くは教会員です。

そうなりますと、ここに書かれている「折が悪くても(御言葉を宣べ伝えることに)励みなさい」の意味は、教会の中に説教に対して否定的な人が混ざっている可能性があること、その人々から吹いて来る逆風を感じたとしても説教しろ、というようなことを意味していると考えなくてはならないのでしょうか。

実はそのとおりです。明らかにそのような意味で書かれています。「とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(2節)と書かれていることの趣旨も同じです。教会の中に聖書とその説教に反対する人々がいる。そのような人々をとがめなさい、戒めなさい、励ましなさいということです。

続きにとても厳しい言葉が記されています。「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります」(3-4節)。この「時」と「折」が同じ言葉(カイロス)です。

「だれも健全な教えを聞こうとしない時」の「だれも」は、明らかに、教会の人々です。「人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師を寄せ集め」の「人々」も教会です。「真理から耳を背け、作り話の方にそれて行く」のも教会です。教会がこのようになってしまう時が来ると言われています。

しかし、このように言われると私は反発したくなります。「なんてことを言うのか、ひどすぎる。苦労して教会に来ても文句しか言われない。わたしたちのうちのだれが健全な教えを聞こうとしていないのか。誰なのか名前を挙げてはっきり言ってください。当てこすりはやめてください」と言いたくなります。

しかし、そのような反発を感じてしまうことこそが、わたしたちに仕掛けられた罠かもしれません。教会もまた、聖書の真理から離れていく誘惑の中にある。そのことをわたしたちは率直に認めましょう。この個所には教会にとって愉快でない言葉が書かれています。しかし、良薬はしばしば口に苦いものです。

しかし、明るい話もしておきます。わたしたちは、自分にとって都合の悪い話を素直に受け容れることができるほど寛容ではないし、忍耐強くもない、弱さをもった人間です。面白い話、楽しい話のほうがありがたいに決まっています。耳障りの悪い話を聞き続けると心身が壊れます。それも否定できません。

説教は拷問ではありません。教会は牢獄ではありません。教会に行くたびに嫌なことばかり言われ、不断に批判的なことばかり聞き続ければ、神経が破壊されてしまいます。そのあたりの配慮は必要です。大切なことは健全な教えを聞くことです。真理を聞くことです。その点がクリアされていればいいのです。

東関東中会はどうだろうかと考えさせられました。「自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め」られた結果の東関東中会でしょうか。そのようであってはいけないと、東関東中会の教師たちは考えています。健全な教えを語ること、真理を語ることに熱心な教師たちが集まっています。

しかし、説教は教師だけで成り立つ働きではありません。「御言葉を宣べ伝えなさい」という命令は、教師だけではなく、教会全体に与えられた命令として受けとめるべきです。説教は、それを聴く人がいなければ、独り言です。言葉はコミュニケーションにおいて成り立つものです。一方通行ではありません。

「しかし、あなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」(5節)。これも教師だけの話にしてしまってはなりません。教師だけが身を慎み、教師だけが苦しみを耐え忍び、教師だけが福音宣教者の仕事に励むのでしょうか。それは不健全です。

しかし、ここから先は役割分担です。苦労を押し付けあっても意味がありません。互いに協力しましょう。教師と教会が一致協力して御言葉を宣べ伝えましょう。私はまた12年後に船橋高根教会で説教させていただきます。そのときにまたお会いしましょう。その日までどうかお元気でお過ごしくださいませ。

(2015年7月12日、船橋高根教会主日礼拝、東関東中会講壇交換)

2015年7月8日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 11

松戸小金原教会の祈祷会は毎週水曜日午前10時30分から12時までです

PDF版はここをクリックしてください

フィリピの信徒への手紙3・12~16

関口 康

この個所にパウロが書いているのは一つのことです。私パウロはまだゴールにたどり着いていないと言っています。走っている最中である。何ひとつ諦めないで、投げ出さないで、走り続けている。一等賞はもらっていないが、最下位でもない。決着はついていない。勝敗は決していない。

書かれていること自体は、パウロの人生を彼自身がそのようにとらえていたことを表わすものです。それは彼の人生観であり、自己理解です。人生とはレースである。スタートがあり、ゴールがある。その間をひたすら走り続けるのが我々の人生である。少なくとも私パウロは自分の存在をそのようなものとしてとらえていると言いたいのです。

人生の時間の長さは人それぞれです。客観的・時間的な意味で短かったと言わざるをえない人生もあり、他の人と比べて長かったと言いうる人生もあります。どちらのほうがよいと一概に言えない面もあります。人間的な言い方をすればイエスさまは「短命」でした。レースには短距離走も長距離走もあります。重要なことはスタートからゴールまで走り切ることです。すべての道を自分なりの力を尽くして走り終えることができたと自分で思えるなら、それでよいのです。

「既にそれを得たというわけではなく」(12節)の「それ」が指している内容が10節から11節までに書かれています。「わたしはキリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」。

これは明らかにパウロの人生の究極目標です。しかし、それをパウロは遠慮がちに「何とかして…したい」と書いています。そのあとのパウロも遠慮がちです。「だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます」(15節)と書いています。

「このように考えるべき」(15節)の「このように」に、パウロがここまで書いて来たこと、とくに10節以下に記されている「わたし」の人生の目標の内容のすべてが含まれています。パウロの意図は明らかに、「わたし」の目標は「わたしたちの中で完全な者」のすべてにとっての目標でもあるべきであるということです。しかし、パウロはあなたがたには「わたし」とは「別の考え」もあるかもしれませんと続けます。私の確信をあなたがたに強制するつもりはありません。みなさん各自のご判断にお任せしますと言い出し始めるのです。

しかしパウロは、どれほど遠慮がちに書いているときでも、自分の信じていることに確信を持っていないわけではありません。すべてのキリスト者のみならず地上に生きる全人類が目標とすべきことはこれであると確信するものを持っています。それは四点あります。

第一は「キリストとその復活の力を知ること」です。

第二は「キリストの苦しみに与ること」です。

第三は「キリストの死の姿にあやかること」です。

第四は「何とかして死者からの復活に達すること」です。

これだけでは、ほとんど意味が分からないでしょう。しかし、ある程度までなら理解できそうなのは、第二と第三かもしれません。「苦しみ」と「死」は全人類の共通する事実であり、体験だからです。苦しんだことがない人はひとりもいませんし、死ぬことがないという人はひとりもいません。

しかしまた、書かれていることをじっくり読めば、パウロが書いていることは、わたしたちが各自の人生の中で体験するのと全く同じ意味の単なる苦しみや単なる死の話ではないように思えてきます。なぜなら、ここでパウロが書いているのは「キリストの苦しみ」だからであり、「キリストの死の姿」のことだからです。

「キリスト」とは歴史上に実在した人物です。パウロはこの方を真の救い主として信じています。その救い主であるお方が地上の人生において深く味わい続けた苦しみが「キリストの苦しみ」です。そして、この方が多くの人々の前にさらされた十字架上の死の姿が「キリストの死の姿」です。このキリストの苦しみに私も与る。このキリストの死の姿に私もあやかる。それが私の、そして私たちの人生の目標なのだと、パウロは語ろうとしています。

「与る」の意味は「参加すること」です。参加するとは、英語でパーティシペイト(participate)と言います。その意味は、パート(part)になること、役割を分担することです。全体の中の一部分を構成する要素になるということです。

このことがパウロの言葉にもそのまま当てはまります。キリストの苦しみにわたしたちが与るとは、誤解を恐れず言えば「キリストの苦しみの一部をわたしたち自身が受け持つこと」です。

もちろん、わたしたちはキリストではありませんので、キリストが味わわれたのと等しい苦しみをわたしたちが味わうことはできないし、そこまでのことはわたしたちに求められていません。

しかし、キリストの苦しみの一部分でも分け与えていただき、それを受け取り、味わうことを、わたしたちの光栄とし、誇りとし、喜びとする。それが「キリストの苦しみに与ること」の意味です。これは難しい話ではありません。キリストが苦しまれた理由をわたしたちは知っているからです。

父なる神の御心に忠実であり続けることにおいて、赦しがたい人類の罪を赦すことにおいて、助けを求める人々のもとを訪ね、力を尽くして助けることにおいて、わたしたちの救い主イエス・キリストは苦しまれました。「キリストの苦しみ」の内容は、イエス・キリストが現実社会の中で働いてくださり、世と人のために最善を尽くしてくださったことと決して無関係ではありません。

キリストは十分な意味で「労働」してくださった方です。そしてわたしたちもその意味での労働者です。教会の中で/教会を通して、さまざまな奉仕を行うことにおいて苦労があり、疲労があります。わたしたちが、教会の中で/教会を通して味わう苦労や疲労は、歴史の中で活躍されたわたしたちの救い主イエス・キリストから受け継いだものです。

たとえば、わたしたちが聖書を読んで理解すること、聖書に描かれているイエス・キリストが地上でなさったのと全く同じことを真似してみること(イミタチオ・クリスチ、キリストのまねび)だけでも一苦労です。

イエスさまは、安息日ごとに会堂で説教されました。多くの人の相談に乗り、悩みを聞き、問題を解決してくださいました。信仰に反対する人々と戦われました。集会を開くこと、団体を運営すること。それらすべてのことをイエスさまがなさいました。

それを今、わたしたちもしています。それらの苦労や努力も、十分な意味で「キリストの苦しみに与ること」です。教会活動に参加することによって、それが十分可能です。

しかしまた、それは単に、教会の中で/教会を通して、ということだけに限定すべきものではありません。教会の外へと出て行くこと、社会の中でキリスト者として生きること、奉仕すること、このこともまた、わたしたちにとっては多くの苦労を味わうことですが、やりがいのあることです。

(2015年7月8日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年6月7日日曜日

ユダの裏切り

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

マルコによる福音書14・10~21

「十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。『都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか』と言っています。」すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。』弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。』弟子たちは心を痛めて、『まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた。イエスは言われた。『十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。』」

今日の個所に登場する中心人物は、イエスさまの十二人の弟子の一人のイスカリオテのユダです。ユダがイエスさまを裏切ったことはあまりにも有名です。聖書を読んだことがない人でも知っている話です。ユダといえば裏切り者、裏切り者といえばユダ。それくらいよく知られています。

ユダがしたのは、祭司長、律法学者、長老と呼ばれる人々と手を組み、協力することでした。彼が実際にしたのは、イエスさまを捕まえるために捜している人たちにイエスさまの居場所を教えるために、その人々が遣わした兵隊たちを先導してイエスさまがおられる場所まで連れて行くことでした。

その裏切りによってユダが得たのはお金でした。マタイ福音書によると、祭司長たちに金銭を要求したのはユダ自身でした。「そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った」(マタイ26:14-15)。

ユダに対する祭司長たちの答えも、マタイ福音書に書かれています。「そこで、彼らは銀貨30枚を支払うことにした」(マタイ26:15)。なぜ銀貨30枚なのかは聖書に記されていませんが、当時の奴隷一人分の値段が銀貨30枚だったと言われます。理由はおそらくそれであると思われます。

しかし、銀貨30枚にどれくらいの価値があったのかははっきりとは分かりません。ある説明によれば今の100万円くらいだそうです。ユダとしては、ある程度まとまったお金であると言えそうです。しかし、視点を換えて言えば、祭司長たちはイエスさまに100万円の値札を付けたということです。

そして、ここで重要なのは、その具体的な金額を決めたのは祭司長たちであって、ユダが要求した金額ではなかったという点です。もしユダが「銀貨30枚をください」と要求したのであれば、イエスさまの命の値段を決めたのはユダ自身であったことになりますが、そうではありませんでした。

しかし、このときユダがある程度まとまったお金を欲しがっていたということは否定できません。そのことはヨハネ福音書を読めば分かります。先週わたしたちがマルコ福音書で学んだ、イエスさまにナルドの香油を注ぎかけた女性の話が、ヨハネ福音書12章にも記されています。その中に、なんとユダが登場します。

ヨハネは、イエスさまにナルドの香油を注ぎかけた女性がマリアだったことを明らかにしています。このマリアはベタニアに住むマルタの妹、ラザロの姉でした。そして、そのマリアに「なぜこの香油を300デナリオンで売って貧しい人々に施さなかったのか」と言ったのがイスカリオテのユダでした。

そして、ヨハネは次のように記しています。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである」(ヨハネ12:6)。これで分かるのは、ユダは金入れを預かる会計担当者だったということです。

しかし先週学んだ個所に記されているのは、「この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに」と言ったのは「そこにいた人の何人か」(14:4)であり、ユダ一人が言ったことのようには記されていません。ですからわたしたちは、両方を合わせて考える必要があります。

それはつまり、ナルドの香油をイエスさまに注ぎかけた女性を非難した「何人かの人たち」の中にユダが含まれていたということです。先週私が申し上げたのは、彼女を責めた人々の言い分にも一理あるということでした。しかし、ユダは別です。彼にはやましいことがあったのです。

ユダは弟子たちから預かっている金入れの中身をごまかしていました。その帳尻を合わせるためにお金が必要でした。彼がごまかしていた金額は分かりません。もしかしたら300デナリオン(約300万円?)だったかもしれません。銀貨30枚(約100万円?)では足りなかった可能性があります。

ですから、ここで考えられるのは、ユダが、不正が発覚しないようにするために帳尻を合わせようとしていたということです。そのために、「ナルドの香油を売ればよかった」と言ってみた。しかし、それは失敗した。それでついにイエスさまを売ることにしたということです。

おそらくユダは、イエスさまがいなくなってくれれば、いやもっとはっきり言えば死んでくれれば、自分がしている不正のすべては有耶無耶になるだろうというようなことを考えていたのです。なんと浅ましい。なんと卑劣。弁護の余地がありません。

しかし、彼がごまかして開けてしまった会計上の穴が、イエスさまを売ることで得た銀貨30枚程度で埋まるものだったかどうかは分かりません。その穴はもっと大きいものだったのではないかと私は思います。結局ユダは、最後は自分で自分の命を絶ちます。彼が犯した不正のすべては藪の中です。

お金が人を狂わせる。それはいつの時代でも同じです。しかし、決して誤解すべきでないことは、すべての会計担当者が不正を犯すわけではないということです。忠実で良心的な人はたくさんいます。

そしてわたしたちが忘れてはならないのは、ユダを十二人の一人に選んだのはイエスさまであるということです。彼に会計の仕事を任せたのもイエスさまです。そのことは聖書には記されていませんが、そうだとしか考えようがありません。任命権者はイエスさまです。最終責任者はイエスさまです。

その意味では、もしユダが、自分の犯した不正をイエスさまに正直に打ち明け、その罪を深く悔い改めることができたとすれば、イエスさまはユダを必ず赦してくださったに違いないのです。あなたを弟子に選んだのも、お金を預けたのも、その責任は私にあるということを認めてくださり、一緒に解決策を探してくださったに違いありません。

しかし、それがユダにはできませんでした。最悪の道を選びました。イエスさまを銀貨30枚で売り渡しました。ユダが祭司長たちとそのような打ち合わせや約束をしている現場を、イエスさまが目撃なさったわけではありません。しかし、イエスさまはユダの心を見抜かれました。イエスさまの目は節穴ではありませんでした。

それは「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日」のことでした。弟子たちがイエスさまに「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意しましょうか」(12節)と言いました。すると、イエスさまはかなり細かく具体的な指示を出されました。弟子たちが行ってみると、ある建物のある部屋にその準備が整っていました。

そのような部屋があることをなぜイエスさまがご存じだったのかは記されていませんが、理由を想像するのは難しいことではありません。イエスさまがエルサレムに来られたのは初めてではありません。幼い頃から両親と共に毎年のように行かれていました。イエスさまはエルサレムをよくご存じだったのです。

それにイエスさまは、何の計画もなしに、行き当たりばったりで、エルサレムまで来られたわけではありません。むしろ綿密な計画をもって来られました。神殿の境内の商人たちを追い出したことも、急に不愉快になって、怒りに任せて当たり散らしたわけではありません。すべては計画どおりでした。

そのように考えれば、過越の食事の席が整っている部屋があるということをイエスさまが弟子たちに教え、我々のために食事の準備しなさいとお命じになったことは、それほど不思議なことではないし、驚くべきことでもありません。

そしてイエスさまと弟子たちがその部屋に行き、過越の食事が始まりました。その席でイエスさまがユダの裏切りをはっきり指摘されました。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」(18節)。それはユダのことでした。

弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と口々に言いました。すると、イエスさまは「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ」(20節)と言われました。今いちばん近くにいる、少なくとも外見上は最も親しい関係にあるように見えるこの人が裏切る、と。

そしてイエスさまは続けて言われました。「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(21節)。このようにイエスさまが言われたことの意味は、御自分の死もまた計画どおりであるということです。

ただしそれは聖書に書いてある計画です。神の計画です。神はメシアを世にお遣わしになりました。そして神は、メシアを十字架につけることによって、全人類の罪の贖いを行われました。そのような神の人類救済計画を実行するために、メシアであるイエスさまがエルサレムに来られたのです。

そのことをイエスさまははっきりと自覚しておられました。ですから、イエスさまにとってユダの裏切りは、父なる神御自身の計画の中で定められたことであると信じておられました。それは考えれば考えるほど凄まじい話なのですが、イエスさまはユダの存在と彼の裏切りを間違いなくそのようにご覧になっていました。

ですから、イエスさまの最後の言葉は、ユダへの呪いではなく、むしろ憐れみです。神の人類救済計画の中でメシアが十字架につけられるために弟子の一人がメシアを裏切る。その不幸で残念な役割を与えられたユダは、イエスさまの目からご覧になれば、憐れみの対象以外の何ものでもありません。

これとは別の道はなかったのでしょうか。だれもメシアを裏切らない、ユダのような不幸な存在が登場しなくて済む、もっと明るくてみんなが幸せになれるような道はなかったのでしょうか。それは今さら問うても仕方がないことかもしれません。その問いに神は沈黙されたままです。

(2015年6月7日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年6月3日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 09

松戸小金原教会の祈祷会は毎週水曜日午前10時30分から12時までです
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フィリピの信徒への手紙2・25~30

関口 康

今日の個所にパウロが詳しく書いているのは、エパフロディトのことです。男性です。年齢は不明ですが、想像できるのは若い人です。この手紙をパウロが書いているとき、エパフロディトはパウロのそばにいます。彼の姿をすぐ近くに見ながら、この手紙を書いているのかもしれません。

しかし、この人をパウロはフィリピ教会のみんなのもとに帰さなければならないと考えています。パウロの側から言えば、淋しいけれどエパフロディトとはそろそろお別れしなければならないという思いでしょう。エパフロディトはフィリピ教会の会員だからです。パウロを助ける役目を果たすためにフィリピ教会から送り出された人でした。そしてその役目を立派に果たしました。その彼をパウロとしてはいつまでも自分のところに引きとめておくべきではなく、フィリピ教会にお返しする責任があると考えているのです。

しかしまた、この話にはもう少し複雑な事情があります。エパフロディトはパウロを助けるためにフィリピ教会から送り出され、その任務を遂行する中で「ひん死の重病」にかかってしまいました。何の病気であったのかは記されていません。しかし、高い可能性として考えられるのは、その病気はエパフロディトが担った役割と関係していたということです。もしそうであるならばエパフロディトがかかった病気は何だったのかを考えるとき問うべきことは、彼はパウロのためにどんなことをしたのだろうかということです。

ヒントはこの手紙の中に二個所あります。第一は「彼は…あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれました」(2・25)です。第二は「わたしはあらゆるものを受け取っており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」(4・18)です。

これでエパフロディトの果たした務めの内容が、ほぼ分かります。要するに、彼はパウロが伝道のためのお金や物資に行き詰ったとき、フィリピ教会のみんなから献金や献品を集め、それをパウロのもとまで持ち運ぶ仕事をしたのです。現実の教会においては非常に大切なことです。しかし気になることは、その働きがなぜエパフロディトをひん死の状態に追いやってしまったのかということです。

いつ病気にかかったのかという点で考えられることは、献金や献品をフィリピ教会で募るときではなさそうですので、その次の段階の、それをパウロのもとまで持ち運んでいるときであろうということです。それはとても長くてつらい旅だったのではないでしょうか。教会で預かった大切な献げものを抱えて、重い荷物をもって、海越え、山越え。体を張って盗賊から守り抜く。自分自身の不注意で落としたり無くしたりすることがないように常に緊張し続けている。

しかし、わたしたちが見過ごしてはならないのは、エパフロディトが果たしたその仕事の意義です。「教会も結局お金か」というような言われ方があるとしたら困惑するばかりですが、お金は大切です。昔も今も。伝道そのものがストップしてしまいます。どのような素晴らしいヴィジョンがあり、立派な計画があろうと何一つ実現しません。パウロの場合は、もし資金が途絶えてしまったら、伝道旅行は中断を余儀なくされたでしょうし、元いた場所に帰ることさえできなくなったでしょう。そのことをフィリピ教会の人々は十分理解し、何とかしてパウロを助けるために、彼らの力と思いを集めて、それをエパフロディトに託したのです。

そのことを熟知しているエパフロディトとしても、「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうとした」とパウロが書いているとおり、まさに教会の委託と期待を一身に背負いつつ、自分に託された使命はイエス・キリストの教会の宣教を支えるために重要なものであるという自覚とプライドをもって、その仕事に熱心に取り組んだに違いないのです。

ところが、そのエパフロディトが、ひん死の病気になりました。そして、その情報がフィリピ教会の人々に伝えられました。そのことにエパフロディト自身が苦しんだのだと思います。私を信頼し、活躍を期待してくれた教会のみんなに申し訳ないという思いがあったでしょう。しかしまた、大切な任務を彼に託した人々の側からすれば、旅先で彼が病気にかかったという話を完全には信用しない人もいたに違いありません。大げさに言っているだけではないかと考える人もいたでしょう。あるいは「パウロに渡す」と言いながら横領したのではないかと疑われる可能性も。エパフロディトとしては、教会の人々からそのようなことを思われたり言われたりすることは責任上当然のことでもあるだけに(他人のお金を預かるとはそういうことです)、病気そのものよりもつらかったに違いないのです。

ですから、このように考えていきますと、今日の個所にパウロが書いていることの意図がだんだん分かってきます。パウロがエパフロディトの病状の重さについて「ひん死の重病」と書き、「死ぬほどの目にあった」と書いて同じ言葉を繰り返しています。このように書いてパウロが力説していることは「フィリピ教会の皆さん!エパフロディトは本当に病気にかかったのです!」ということです。

皆さん、彼を信頼してください。疑わないでください。彼についてあなたがたが聞いていることは、虚偽でも誇張でもありません。エパフロディトはあなたがたのところにいたときと変わらぬ忠実さをもって、自分に託された使命を立派に果たしました。彼のおかげで、あなたがたの献げものはわたしのもとに届きました。それによってイエス・キリストの福音は今なお力強く前進しています。

このようにパウロは、エパフロディトの潔白を証明するために、事実と真実をもって弁護しているのです。それこそが今日の個所におけるパウロの意図であると理解することができるのです。

私が考えさせられたことをいくつか列記します。第一は、パウロのような力強い弁護人を得ることができたエパフロディトは幸せであるということです。他人のお金を預かって管理する仕事をする人は、あらゆる疑惑や憶測、さらに中傷誹謗に至るまでを受けることが避けがたいからです。

第二は、わたしたちは、どんなことであれ、誰かがしていることや言ったことが真実であるか虚偽であるかを、どこかで聞いたような噂話や憶測のようなもので判断してはならないということです。

第三は、フィリピ教会の人々の前でエパフロディトの潔白を主張し、弁護するパウロのような人になれる人は幸いであるということです。

この個所の読み方として重要なことは、パウロが書いている「再会の喜び」の中身は、かつて教会員だった人と久しぶりに会うことができてああ嬉しい、というようなこととは全く違うことであるということです。何度も申し上げるようですが、この個所を読むときの大前提は、エパフロディトとは教会の人々のお金を預かってパウロのもとまで運ぶ仕事をした人であるということです。彼は教会の重大な責任を託された人でした。その信頼関係の歯車がおかしい状態になった。そのことをどのように解決するのかというテーマが裏側に隠されているのがこの個所です。

その解決策は単純です。真実を知っている人がきちんと弁護することです。また中立の立場にある審判者も必要です。もしどこかに弁護できない事実があるのなら、それを率直に示すことです。本人の反論や弁明の機会も確保されるべきです。そのようにして本人が説明責任を果たすことこそが重要です。それが教会にふさわしい解決策です。

(2015年6月3日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年5月24日日曜日

教会の時代 ペンテコステ礼拝

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
使徒言行録2・1~13

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信仰深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざけるものもいた。」

今日はペンテコステ礼拝です。「ペンテコステ」という言葉は何度聞いても耳慣れないものがあります。意味を説明すべきかもしれませんが、これは固有名詞であると考えてください。毎年ペンテコステという日がやってくる。その日に教会に行くとペンテコステ礼拝がある。そういうことだと覚えてください。

「ペンテコステ」という言葉の意味は、重要ではありません。それが分かったからといって「ペンテコステ礼拝」の意義が分かるわけではありません。重要なのは「ペンテコステ礼拝」を行う意義です。ごく大雑把に言えば、今日はキリスト教会の設立記念日です。それが「ペンテコステ礼拝」を行う意義です。

5月24日がそうだという意味ではありません。日付は毎年変わります。なぜ毎年変わるのかも説明すべきかもしれませんが、それも割愛します。日付もあまり重要ではないからです。しかし、乱暴に言い過ぎることは控えます。日付に関して大切なことが、ひとつあります。それは、イースターとの関係です。

今年のイースターは4月5日でした。どうしたことでしょうか、今年から突然、日本中で「イースター、イースター」と大騒ぎでした。大騒ぎの波に乗って教会にたくさん人が来てくださればよかったのですが、残念ながら、そういうふうにはなりませんでした。いえ別に、文句を言いたいわけではありません。

そして今日が5月24日。4月5日から7週間後です。一週間が7日。7週かける7日は49日。たす1日で50日。つまりイースターから50日目がペンテコステです。これは毎年同じです。イースターの日付も毎年変わりますが、イースターの50日後に必ずペンテコステが来るという関係は変わりません。

毎年変わらないのはイースターから50日目にペンテコステが来ることです。イースターとペンテコステのこの関係が重要です。しかし、50日であるのは歴史の事実に基づいているだけです。50日でなければならないわけではありません。重要なのは、イースターの後にペンテコステが来るという順序です。

イースターは、十字架にかかって死んだイエスさまが復活されたことを記念する日です。しかし、復活されたイエスさまのお姿を目撃したのは、イエスさまの弟子たちだけでした。そのときの彼らのことをわたしたちは「教会」とは呼びません。イエスさまの復活の50日後に「教会」が初めて誕生したのです。

しかし、使徒言行録(1:3)によれば、復活されたイエスさまが弟子たちの前に姿を現されたのは「40日」だったと記されています。「50日」ではありません。50日後のペンテコステには教会が誕生します。しかし、教会が誕生する10日前にイエスさまの姿が弟子たちの目にも見えなくなったのです。

その10日間は弟子たちにとって不安な日々だったでしょう。イエスさまは彼らの心の拠り所だったからです。その彼らにとって、目に見えるイエスさまがいてくださるのと、目に見えないイエスさまを信じることとでは、どちらが安心でしょうか。それは目に見えるお姿のほうが安心であるに決まっています。

わたしたちも大切な家族や友人の死に立ち会ってきました。その方々は今も神と共に生きておられるとわたしたちは信じていますが、その方々の姿をわたしたちの目で見ることはできません。悲しみや寂しさがあります。このわたしたちと同じことが、イエスさまと弟子たちとの関係の中にもあったと言えます。

しかし、その彼らのもとに新しく心の拠り所となるご存在が来てくださいました。そのご存在を聖書は「聖霊」と呼びます。教会は「聖霊」を神であると信じています。聖霊は神です。その聖霊なる神が、弟子たちのもとに来てくださいました。それが今日お読みしました聖書の個所に描かれている出来事です。

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」(1~2節)。「五旬祭」がペンテコステです。「一同」とはイエスさまの弟子たちです。彼らは集会中でした。そのとき彼らに不思議な出来事が起こりました。

「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(3~4節)。書いてあるとおりのことが起こったとすれば、まさに不思議な出来事です。オカルト的怪奇現象だとしか言いようがありません。

しかし、わたしたちがある程度考えてよいことは、聖書もまた、文学的な表現を用いて書かれているということです。たとえば、現代の自然科学の観点から聖書を読んで、このようなことはありえないなどと言って完全に退けてしまうのは、聖書の読み方としてふさわしくないし、間違っているとさえ言えます。

そして、この個所に登場するのは「炎のような舌」です。それが「分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」と書かれています。弟子たち自身の「舌」は彼らの口の中にあります。しかしこのとき起こったのは、彼ら自身の「舌」ではなく、別の「舌」が現れ、それが彼らにとどまったということです。

そして、その「舌」が彼らに「とどまった」とは、頭の上にくっついたわけではなく、彼らの体の中、口の中に入り込んだことを意味します。つまり、弟子たちは「二つの舌」を持つに至ったのです。しかし、そのように言いますと語弊が出てきそうです。「二枚舌」といえば悪い意味しかありえないからです。

しかし、彼らに与えられたのは「炎のような舌」でした。すると「聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」のです。「ほかの国々の言葉」だけ読むと、彼らに与えられたのは外国語をしゃべれる能力のようなものかと考えたくなりますが、そういう話だけではないと思われます。

なぜなら、イエスさまの弟子たちの仕事は、聖書に基づいて神の言葉を説教することだからです。神の言葉を全世界にあまねく宣べ伝えることが、彼らの仕事であり、使命です。そのことを考えれば、「炎のような舌」を与えられ彼らが「ほかの国々の言葉で話しだした」ことの意味は、おのずから分かります。

その意味はこうです。その日以来弟子たちは、燃えるような熱心さで、国境や言語の違いを越えた全世界に向かって、神の言葉を宣べ伝えるようになったということです。それ以外の意味は考えられません。それが今からおよそ二千年前の「五旬祭の日」(これが「ペンテコステ」です)に起こった出来事です。

その日をわたしたちは「教会」が誕生した記念日として覚えてきました。わたしたちが今日何を記念しているのかといえば、イエスさまの弟子たちが全世界に熱心に神の言葉を宣べ伝えるようになったことを記念しているのです。それが彼らにできるようになったのは、「炎のような舌」が与えられたからです。

そして、この「炎のような舌」こそが「聖霊」であると考えることが可能です。そして「聖霊」は端的に神です。つまり、このとき彼らに起こったのは、ただ単に外国語をしゃべれる能力が与えられたということだけで終わる話ではありえません。彼らの中に端的に「神」が宿ってくださったことを意味します。

しかしそれは、彼らが神になったということではありません。人間は神にはなりません。人間は人間です。しかし彼らは、人間のままで神の言葉を語るようになったのです。そのために、別の「舌」が与えられました。それは、生まれつきの人間には決して語りえない「神の言葉」を語れるようになるためです。

それは二枚舌ではありませんと、先ほどから申しています。しかしそれは「悪い意味ではない」と言いたいだけです。もしかしたら本当に、ある意味で二枚舌かもしれません。なぜなら、代々の教会が宣べ伝えてきた、そして今のわたしたちが宣べ伝えている神の言葉は、人間の思いとは異なるものだからです。

そのことはわたしたちが聖書を読むたびに感じることです。聖書の言葉が人間の思いとかけ離れていると感じることは多いです。どこを読んでも必ず共感できるわけではなく、むしろ反発を感じたり、葛藤を覚えたりすることのほうが多いのが聖書です。聖書には人間の思い通りのことが書かれていないのです。

しかし、それでいいのです。神はわたしたちの手下ではありません。立場は逆です。人間のほうこそ神のしもべになるべきです。人間の願いや野心がすべて人間の思いどおりに実現するなら、人間はモンスターです。人間には罪があるからです。この世界は、人間の思いどおりになどならないほうがいいのです。

わたしたちは、自分の罪を悔い改め、神に従うべきです。そのことを教会は、これまで宣べ伝えてきたように、これからも、世の終わりまで宣べ伝えて行かなくてはなりません。しかし、そのためには、人間の思いのままを語る舌とは異なるもう一つの「舌」、すなわち、神の言葉を語る「舌」が必要なのです。

(2015年5月24日、松戸小金原教会ペンテコステ記念礼拝)

2015年5月13日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 07


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フィリピの信徒への手紙2・14~18

関口 康

「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」(14節)。これは直接的にはフィリピの教会の人々に言われていることですが、同時にすべてのキリスト者に言われていることです。確認しておきたいのは「何事も」の内容です。その意味は、イエス・キリストを信じる人々が、教会の中で、または教会を通して行うすべてのことです。明らかに「教会の奉仕」について語られていることです。「教会」を抜きにして言われていることではありません。

わたしたちは、教会の奉仕をするときには「不平や理屈を言わずに行う」ことが大切です。しかし、このように言いますと軍隊式教育を思い起こす方がおられるかもしれません。上司の前で不平や理屈を言えば暴力で制裁される。理不尽なことでも、おかみの命令には無条件で従わなくてはならない。パウロはそのような意味で言っているわけではありません。

そういう意味ではないことの根拠があります。ここでパウロが用いている「不平」という言葉には旧約聖書的背景があります。出エジプト記の出来事です。イスラエルの民が奴隷状態に置かれていたエジプトの地からモーセと共に脱出し、カナンを目指して砂漠の旅を始めました。エジプトから脱出することは、彼ら自身が願っていたことでした。ところが旅の途中、彼らは繰り返し「不平」を言いました。まともな食べ物がない、水がない、つらい思いをするくらいならエジプトにとどまっていたほうがましだった。このような不平を彼らはモーセに言いました。しかし、彼らが不平を吐きだしたかった本当の相手は、神御自身でした。

この意味での「不平」をあなたがたは言うべきではないとパウロはフィリピの教会の人々に言っていると考えることができます。パウロが用いている「不平」を意味するギリシア語は、出エジプト記に用いられている「不平」を意味するヘブライ語の翻訳です。教会の奉仕において問題になる「不平」は本質的に言えばこの意味です。すなわち、神に対する不平です。

神はわたしたちを罪と悪の支配の中から救い出してくださいました。神はわたしたちの救い主です。わたしたちは、神に救われた者として教会に集められています。救われた者たちは、その救いの事実を喜ぶべきであり、感謝すべきです。しかし、肯定的な思いを抱くことができるのは、おそらく最初だけです。そのうち不平を言います。教会もまた人間の集まりであった。ここにも人間の醜さや過ちがあふれている。神に救われたことを喜びたい、感謝したいと願ってはいる。しかし、教会の現実を知れば知るほど、ちっとも喜ぶことができず、感謝することができない。「神さま、私はあなたの救いを求めて教会に来ましたが、教会がわたしを躓かせます。どうして私はこんな嫌な目に遭わねばならないのですか」。これこそが、パウロが言うところの「不平」の内容です。

パウロは、教会の中のそのような問題を知らずに、あるいは知っていても目をふさいで、「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」と書いているのではありません。彼はそのようなことは百も承知です。すべての事情を知り抜いています。

それどころかパウロの目から見ると、教会の現実は、不平を言いたくなるようなことばかりでした。あれこれ理屈をつけて教会から逃げ出したがっている人々がいることも分かっていました。しかし、だからこそ、パウロが勧めていることは、そのような教会の現実を、勇気をもって引き受けなさいということです。不平や理屈は、言いだせばきりがありません。その言葉をあなたのその口の中に飲み込んでしまいなさい。教会の中の人間に対する不平や理屈ではなく、このわたしを救ってくださった神への感謝と喜びを語りなさい。そのようにして教会の奉仕に熱心に取り組みなさい。

「そうすれば」と続く次の文章に「とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」(15~16節a)。これも個人的な事柄としてとらえてしまうと、パウロの意図が分からなくなります。「とがめられるところのない清い者」になることが求められているのは教会です。「非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかりと保つ」ことを求められているのも教会です。一人一人の心の中に不平や理屈があることはある意味で仕方がないことです。しかし、そのような思いが心の中にあることと、それを口に出して言うことは別のことです。

「世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つ」ことを求められているのは、教会です。教会の輝きは建物の輝きではありません。人間の輝きであり、一人一人の笑顔の輝きです。罪の暗黒から救い出され、絶望の淵から救い出され、神への感謝と喜びに満たされた、このわたしの輝きです。パウロの願いは、フィリピの教会がそのような輝きを放つ教会として立ち続け、保たれ続けることに他なりません。「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」(16節b)。フィリピ教会がそのような教会であり続けることができるとき、パウロの人生に「誇り」が与えられるというのです。

教会に不穏な空気があるとき、それを一掃する秘訣ないし鍵は、礼拝です。教会活動の中心は礼拝です。そして礼拝の中心は神の御言葉です。聖書朗読であり、説教であり、神への賛美です。わたしたちが教会の中であるいは教会を通して行うすべての奉仕は礼拝という軸、そして礼拝の中心である聖書朗読と説教と神賛美という軸の周りを回っているのです。

それが意味することは明らかです。もし教会の雰囲気がたとえどんなにおかしくなったとしても、すべての教会の奉仕の中心である礼拝へと、礼拝の中心である神の御言葉へと、教会のみんなが集中することができるならば、良い雰囲気を再び取り戻すことができ、明るく輝く教会を取り戻すことができるのです。教会の中で争いや対立が起こるときには、教会のど真ん中に聖書をどんと開くのです。そして聖書の周りにみんなで集まり、神の御言葉に聞くという仕方で、問題解決の道を探っていくのです。そういうことができるのが教会なのです。

17節にパウロが書いていることは一つの重大な決意です。ただし、用いられている表現には、明らかに象徴的な意味が込められています。「信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます」(17節)。「あなたがた」とは教会です。教会が「信仰に基づいていけにえを献げる」とは、ユダヤ教的な意味での動物犠牲を献げることではありません。わたしたちの場合は「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げること」(ローマ12・1)が神礼拝の本質です。ユダヤ教の場合、彼らの安息日である土曜日に神殿または会堂に動物犠牲を携えていきます。わたしたちの場合は、キリスト教安息日である日曜日に、わたしたち自身が自分の体をたずさえて出席するのです。

その礼拝にパウロの「血」が注がれるとは、もう少し肯定的に言いなおすことができるでしょう。その意味は、パウロは神を礼拝するために生きているということです。わたしの命は、わたしの流す血は、礼拝において神の前に注がれるためにあるということです。それがわたしの人生の目標であり、その目標が達成できるのだから、神の前に自分の命がいけにえとして献げられることをわたしは喜ぶと、パウロは語っているのです。彼の人生は礼拝のために、礼拝は彼の人生のためにありました。

(2015年5月13日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年4月12日日曜日

罪との戦い

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
マルコによる福音書12・13~27

「さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。彼らは来て、イエスに言った。『先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか。収めてはならないのでしょうか。』イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。『なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。』彼らがそれを持って来ると、イエスは、『これは、だれの肖像と銘か』と言われた。彼らが、『皇帝のものです』と言うと、イエスは言われた。『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』彼らは、イエスの答えに驚き入った。復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。『先生、モーセはわたしたちのために書いています。「ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない」と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。』イエスは言われた。『あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者が復活することについては、モーセの書の「柴」の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。』」

今日もマルコによる福音書を開きました。先週はイースター礼拝でしたので、読む順序を変えて、イエスさまが復活される個所を読みました。結論を先に読んだ形です。しかし、今日から元の順序に戻ります。

今日の個所に出てくるのは、イエスさまの言葉じりをとらえて陥れるために近づいてきた人々です。そのような人々にイエスさまは苦しめられました。この人々がイエスさまのもとに近づいてきたのはイエスさまに救いを求めてきたのではありません。イエスさまを陥れるために来ました。イエスさまがお語りになる言葉の中に矛盾や欠点を探し出して、イエスさまを訴える口実を得るために来ました。

つまり、この人々がイエスさまにしている質問はすべて罠であるということです。そういう意図であるということを、わたしたちはあらかじめ理解しておく必要があります。この人々の言い分を真に受けてはいけません。

イエスさまだけでなく、わたしたちのまわりにも、そういう人たちがいると思います。うんうんと頷きながら話をよく聞いてくれる人だと思って信頼し、心を許していろいろ話すと、それが罠だったという経験を、わたしたちも味わってきたのではないかと思います。本当に心を許せて何でも話せる相手を見つけたいと願っても、なかなか難しいわけです。何度か痛い目に会ってみないと分からないところがあります。

しかし、イエスさまの場合は、わたしたちの場合とは違う面がありました。それではイエスさまにとって、本当に心を許せて何でも話せる相手はだれだったのか、そういう人たちが実際にいたのかということは考えてみる必要がありそうです。

先ほど申し上げたとおり先週はイースター礼拝でしたので、この福音書を読む順序を変えて結論を先に読みました。イエスさまの復活の個所を先に読みました。しかし、その読み方は飛ばし過ぎです。イエスさまの十字架上の死の場面を飛ばしてしまっています。それは、今日の個所と先週の個所の間には、決して飛ばしてはならない、省略してはならない内容があったということです。それがイエスさまの十字架上の死の場面です。

そこに至ってイエスさまは完全に孤独になられました。十字架上にはりつけにされたイエスさまには、心を許して何でも話せる相手というような意味での友達は一人もいませんでした。それどころか、イエスさまのもとに集まっていたすべての人が、その日までイエスさまがお話しになってきたことのすべてを悪く受け取りました。すべての弟子が裏切り、すべての人の心がイエスさまから離れました。しかし、それこそが父なる神の御心であり、イエスさまがお望みになったことでした。イエスさまはすべての人の身代わりに十字架にかけられることを、御自身でお望みになったのです。

弟子たちの中の一人として「イエスさまは悪くありません。イエスさまを十字架につけるのなら、代わりにこの私を十字架につけてください」と申し出る人はいませんでした。それどころか、十二人の弟子の一人のイスカリオテのユダは、自分から祭司長たちのところに出かけて行き、お金でイエスさまを売り渡す約束を取り交わしてきました。一番弟子のペトロさえ、鶏が二度泣く前にイエスさまのことを三度知らないと言いました。それらのこともすべて、イエスさま御自身が初めからご存じであり、御自身がお望みになったことです。イエスさまは弟子たちの身代わりに十字架にかけられることを、御自身でお望みになったのです。

その意味では、イエスさまは今日の個所に出てくるような、言葉じりをとらえて陥れる人々がいることは初めから分かっておられましたし、そういう人々がいるからと言って、言い方を変えたり内容を変えたりすることはなさらなかったと言えます。もちろんその人々が仕掛けてくる罠に対する警戒心はお持ちでした。しかしそれは、イエスさまが逃げ腰であられたというような意味ではありません。

イエスさまのお心をどのように表現すればよいのかは、迷うところです。いろいろ考えさせられました。それで思いついたことを言わせていただけば、その人々が仕掛ける罠にイエスさまが陥らないようにすることは、イエスさまにとっては、その人々にそれ以上に罪を犯させないようにすることを意味していたのではないだろうか、ということです。

なぜなら、人に罠をかけて陥れること自体が罪なのですから。罠に陥った人の側も悪い、不注意の罪を犯しているというように言うのはひどいことです。間違っています。それは、泥棒に遭った人を「あなたも不注意だったから悪い」と責めるのと同じです。それはひどい言い方です。しかし、イエスさまは、イエスさまを罠にかけて訴える口実を探して殺してしまおうとしている人々にもこれ以上の罪を犯してほしくないと願っておられたのです。だからイエスさまは彼らの仕掛けた罠に陥らないように注意深く対処されたのです。イエスさまが逃げ腰だったということではありません。

今日の個所に出てくる、イエスさまに仕掛けられた罠は二つです。一つは、ユダヤ人がローマ皇帝に税金を納めることは律法に反していることかどうかという質問です。もう一つは復活の問題でした。

税金の問題について、「ユダヤ人」とは記されていませんが、それ以外の意味はありません。ユダヤがローマ帝国に支配され、属国になっていた時代の話です。ユダヤ人、なかでもファリサイ派の人々は、ユダヤのナショナリストのような存在でしたので、ユダヤがローマの属国であることが不愉快でたまりません。早く自立したいと願っていました。だからとくにファリサイ派の人々はローマ皇帝に税金など納めたくありません。国民感情としてもローマ皇帝に税金など納めたくないと思っている人は大勢いました。

そのような状態の中で、もしイエスさまがローマ皇帝に税金を納めることは律法に反しているので、納めてはならないとお答えになれば、多くの人から支持され、賞賛された可能性があります。そのことを主張して選挙に出れば多くの票を集めることができたかもしれないほどです。しかし、そのように国民に対して呼びかけることは、ローマ皇帝とその支配下のユダヤ国王に対する反逆を意味するわけですから、その場で即、イエスさまを反逆罪の現行犯で逮捕できたわけです。

しかも、それはもう少し複雑な事情がありました。当時のローマ皇帝は自分は「神」であると称していました。ローマ皇帝が神であることを主張する字が、皇帝の肖像と共に、当時の貨幣に書かれていました。それは確実に律法に反します。「わたしのほか何ものをも神としてはならない」にも「自分のために刻んだ像を作ってはならない」にも反します。そのため、ユダヤ人にとってのローマ税問題は政治的・経済的な問題であるだけでなく、宗教的・信仰的な大問題だったのです。

しかし、イエスさまのお答えは、驚くべきものでした。銀貨をもって来させ、「これはだれの肖像か」とお尋ねになり、「皇帝のものです」と彼らが答えると、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われました。まさか冗談でおっしゃったわけではないと思いますが、顔と名前が書いてあるものをその顔と名前の人に返しなさいとおっしゃったわけです。

そのお答えはローマ皇帝に税金を納めることを肯定する意味を持ちます。しかし、「神のものは神に返しなさい」とおっしゃいました。「皇帝」と「神」を区別されました。ローマ皇帝に税金を納めることは、真の神を冒涜することにはならない。神は神だ。皇帝は神ではない。そのことをはっきりおっしゃっているのです。

もう一つの罠は復活の問題でした。復活を否定したくて否定したくてたまらない人たちがいました。サドカイ派です。だから彼らがイエスさまに質問をしているのは、復活を信じることがいかに矛盾に満ちていて滑稽であるかを言いたがっているだけです。イエスさまが矛盾したことを言おうものなら、そこに噛み付いてやれと、構えているだけです。

それで彼らが持ち出したのが、レビラート婚と呼ばれる当時のルールでした。その内容は「ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない」というものです。ところが、その妻が七人の兄弟全員と結婚したが、子どもをもうけることができませんでした。その妻が復活したときに、誰の妻になるのでしょうかという質問です。

この質問も真に受けてはいけません。この質問から感じられるのは真面目さのかけらもない人たちだということです。にやにや笑っているような顔を想像できます。そもそもこういうことを持ち出すこと自体が不愉快です。結婚や出産、あるいは離婚。その他いろいろな複雑な人間模様。このようなことで苦労したことがあるような人は、このようなことをたとえ話として持ち出したりはしません。

「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか」。

イエスさまが問うておられるのは、信仰です。あなたがたには信仰があるのかと問うておられるのだと思います。自分が信じられないことがあると、ごちゃごちゃと屁理屈をこねて言い逃れしようとしている人たちに、イエスさまは憤っておられます。

(2015年4月12日、松戸小金原教会主日礼拝)

2015年4月8日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 05

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フィリピの信徒への手紙2・1~11

関口 康

この個所のパウロの思いを代弁していえば、次のようなことになると思われます。教会に集まる者たちは自分のことにしか関心がないようであってはならない。教会のみんなが心を一つにしなければならない。そのために求められるのは、我々がみな謙遜になることである。その謙遜の模範を示してくださったのがイエス・キリストである。キリストは我々の人生の模範であり、謙遜の模範である。キリストが示してくださった謙遜の模範に従って生きることは、教会の一致のために重要である。

しかし、残念なことに、パウロはこの個所で「教会」という字を用いていません。とはいえ、ここで考えなければならないことは、そもそもこの手紙がフィリピの教会に宛てて書かれたものであることです。この手紙に「あなたがた」とあれば、直接的にはフィリピの教会の人々のことです。加えて、当時「教会」に属していたすべての人々のことです。
さらに、もう一つの点が重要です。それは、教会はキリスト者の集まりであり、同じ信仰をもって集まっている人々の団体ではありますが、現実の教会の中にはさまざまな考え方や立場の人がいるということです。

パウロが書いていたのは、キリストを宣べ伝えることを「ねたみと争いの念にかられてする者」もいれば「善意でする者」もいるということでした。「愛の動機」からキリストを宣べ伝える人もいるが、「不純な動機」からする人もいる。「だが、それがなんであろう」とも書かれていました。「とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます」と。

しかし、パウロが喜んでいることと、教会の中にいろんな考え方や立場の人がいて不一致や分裂に陥ることとは、区別して考えなければならない面があります。不一致や分裂の状態を放置しておくこと自体が良いことであるとは言えないからです。

実際、パウロ自身も、不純な動機からキリストを宣べ伝える人がいることをパウロは「喜んでいる」と確かに書いていますが、喜びと同時に「苦しみ」も告白しています。パウロはまさか不一致や分裂に幸福を感じていたわけではなく、苦しんでいました。しかしこの苦しみは「神の恵み」として与えられたものなのだ、そうなのだ、そうなのだと自分に言い聞かせていた面があったに違いありません。

だからこそパウロは教会の一致の必要性を力説しています。「あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら」と書いています。「幾らかでも」は受け取り方によっては相手を低く見る表現にもなるので要注意です。原文を見ると「幾らかでも」(ティス)は「キリストによる励まし」の前にも「愛の慰め」の前にも「“霊”による交わり」の前にも「慈しみや憐れみの心」の前にもあります。繰り返しには強調する意図があります。「幾らかでも」をパウロは強調しています。幾らかでもあれば大丈夫だ、という意味でもありますが、そのわずかなものさえないようなら危険信号だ、という意味でもあるでしょう。

しかし、そのようなものをあなたがたが「幾らかでも」持っているならば、「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください」とパウロは書いています。「同じ思い」や「同じ愛」と言う場合の「同じ」の意味は、教会におけるキリスト者同志の中での共通性です。強く勧められていることは、教会内部の一致です。一致し、協力して伝道に励むことです。それがパウロの喜びにもなると言われているのです。

「幾らかでも」が強調されていることには、さらに別の意図があるかもしれません。あくまでも一つの可能性ですが、いわば教会の中の温度差の問題です。教会の中には、非常に熱心な人もいるし、熱心さにおいて温度が低めの人もいます。熱心でありたいという願いはあっても、今の事情がそれを許さないという人もいます。

そのような事情のすべてをパウロはよく分かっているのです。だからこその「幾らかでも」です。パウロにとっては、伝道の動機が純粋であるか不純であるかは関係ないと書いているのと同様、熱心の温度そのものも問題にしたくないのです。「幾らかでも」あれば十分である。熱心の温度が低いことが教会の一致を乱してよい理由にはなりませんが、温度が高いからと言って温度が低い人を一方的に裁いてもよい理由にもならないということになるでしょう。

しかしまた、この問題についてパウロは、今日の個所に限っては、どちらかというと温度を上げるほうではなく、下げるほうのこと、つまり冷静さを勧めているように感じられます。

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって」とパウロは書いています。「互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」とも書いています。これは明らかに、信仰の熱心さに伴いやすい傲慢さに対する戒めです。私は熱心な信徒である。がんばっている。よくやっている。この思いには落とし穴があります。他の人がしていることが小さく見えます。自分よりも熱心でない人の存在に苛立ちを覚えます。わたしがこんなにがんばっているのに、誰もついてきてくれないし、理解してくれないと寂しさや孤独感を覚えたりもします。その人々の思いは、理解できないものではありませんが、落とし穴に通じる道でもあります。

教会が壊れないようにパウロが勧めていることは、イエス・キリストの模範に従うことです。「それはキリスト・イエスにもみられるものです」とある「それ」が指しているのは「へりくだって」です。謙遜であることです。つまり、「イエス・キリストの模範」とは「謙遜の模範」です。わたしたち人間が謙遜に生きるための模範をイエス・キリストが示してくださったのです。

謙遜は傲慢の反対です。矢印の方向が正反対です。「傲慢」は下から上へとのぼる道であり、「謙遜」とは上から下へとくだる道です。熱心であること、がんばることが悪いわけではありません。しかし、熱心であることの落とし穴は、熱心でない人を裁き始めることです。他人の存在が小さく見えはじめ、他人のしていることが取るに足りないものに思えることです。熱心であることはよいことでも、その中に利己心や虚栄心が混ざりはじめると厄介です。教会の中で競争心が渦巻き始めると厄介です。

イエス・キリストはそうではなかったということをパウロは訴えています。キリストは「神の身分」であられたのに、そのことに「固執」なさらず、「かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」。

ここでパウロが描いているのは、キリストがたどられた道です。その意図は、イエス・キリストは「人間になられた神」であるということです。本来神であられるべき方が、その立場にとどまることにこだわりをもたれないで、低きにくだられ、人間になられたのだ、と言っています。それが上から下へとくだって来る道です。傲慢が示す矢印とは正反対を向いた謙遜の道です。

パウロはこの文脈には書いていませんが、読み取ってよさそうな彼の意図は、ねたみや争いの念にかられて伝道する人々、自分の利益を求めて教会に集まる人々、利己心や虚栄心を満たすことばかり考え、わたしはあの人よりも優れた人間であると競争心を燃やす人々は、キリストがたどった道とは正反対の道、つまり、「何とかして自分自身が神になろうとする道」を進んでいるのではないかということです。

2015年4月5日日曜日

復活の希望 イースター礼拝

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

マルコによる福音書16・1~20

「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、『だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか』と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を来た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる」と。』婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくななこころをおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。』主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。婦人たちは、命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短に伝えた。その後、イエス御自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン。」

今日はイースターです。わたしたちの救い主イエス・キリストの復活をお祝いする日です。教会のイースター礼拝は、毎年行っています。それはイエスさまの復活の意味を毎年思い起こすためです。

イエスさまは十字架にかかって死んだ方だ、死んだ方だという話は多くの人が知っていることです。キリスト教といえば十字架というほどに、イエスさまの十字架上の死はよく知られています。しかし、その十字架上で死んだイエスさまが三日目に復活されたということが、聖書に記されています。その聖書に記されていることに基づいて、わたしたち教会はイエスさまの復活を信じ、お祝いしています。

しかし、聖書に記されているのはそのことだけではないと言わなければなりません。イエスさまが復活されたことが、聖書に記されています。それはそのとおりですが、聖書に記されているのはそれだけではありません。聖書に記されているもう一つの重要なことは、イエスさまの復活の話を聞いた多くの人はその話を信じなかった、ということです。たとえば、先ほどお読みしました個所に「信じなかった」という語が3回繰り返されています(11節、13節、14節)。

もしかしたら、みなさんの中に、聖書の中にそういうことが書かれているのをお読みになると慰められるという方がおられるのではないかと思います。イエスさまが復活されたことを信じなかった人がたくさんいた。私もそうだ。私も信じられない。でも、私だけが信じられないわけではなかった。二千年前から信じない人はたくさんいた。ああ、よかった、ほっとした。私だけが信じられないわけではなかった。そのことに慰めを覚える方がおられると思います。

聖書の中に復活を信じなかった人のことがたくさん描かれているのは、私は大切なことだと考えています。なぜかといえば、復活は信じるか信じないかの問題であるということです。信仰の問題です。イエスさまが復活したと信じる人と信じない人とがいるということです。それは信仰の問題であり、宗教の問題です。物理の問題でも、科学の問題でもありません。STAP細胞のようにイエスさまがどのようにして復活したかを科学的に証明してみよと言われても、それは無理です。そういう話ではないからです。

こういうふうに言いましても教会の中では問題にならないと思います。しかし、信仰を持たない人たちにとっては、それならば、そういう話は我々には関係ないことであると思われるかもしれません。復活というのは、信者の心の中の出来事であって、それは現実に起こったことではないのだから我々には関係ないことなのだと。

実際にそのように考えた人たちは大勢います。それは、今の人たちは疑り深いから疑う人が多いが、昔はそうではなかったというような話ではありません。二千年前の聖書の登場人物たちの中にも信じられなかった人は大勢いたのです。弟子たちも例外ではありません。

イエスさまの復活の話を聞いても信じなかった人たちは、それではその人たちは復活のことを話す人たちの言葉をどのように聞いたのかといえば結局そういうことです。それは信者の心の中の出来事なのであって、現実に起こったことではない。いちばんストレートに言えば、単なる気休めであると考えたのです。

しかし、問題はそれでいいかどうかです。信仰は気休めだ、宗教は気休めだ。現実にはないことを、ただの気休めとして思い込んでいるだけだ。そのように考えたい人たちの気持ちも私には分かります。私も現代人の一人です。中学でも、高校でも、徹底的な無神論教育、科学教育を受けた人間です。

宗教は気休めだ。死者が復活することなどありえない。イエス・キリストの復活は現実には起こらなかった。そのようなうそを教会は二千年も教え続けてきた。そのように言いたい人たちが大勢いることを私はよく分かっているつもりです。そして、ある意味で理解できるところもあります。

しかし、そういう見方を私は受け入れることができません。教会はうそをついていません。イエス・キリストが復活したということが聖書に書かれています。だからこそ教会は復活を、聖書に基づいて信じています。そしてそれは、逆に言えば、もし聖書に書かれていなければ、教会はそれを信じることの必然性もないということでもあります。

しかし、教会はそのことを信じます。イエスさまの復活を信じます。なぜなら、ちょっと不謹慎な言い方かもしれませんが、そのほうが面白いからです。死んだ人が生き返るという話のほうが楽しいからです。それを信じることによってわたしたちは希望をもつことができます。

人が死んだらすべて終わりでしょうか。わたしたちも死ぬのです。私も死にます。それで終わりでしょうか。わたしたちはもうすぐ終わるのでしょうか。それで何もかもパーでしょうか。そんなふうに考えることが楽しいでしょうか。思い残すことはない。やりたいことはすべてやった。あとは死ぬのを待つばかり。ああ、死んだらすべて終わる。さようなら。そんなふうに考えることは、楽しいでしょうか。嫌ではないでしょうか。死んだ人が復活する。まだ生き返る。永遠に生きている。そのように考えることができるならそのほうが楽しくないでしょうか。

もちろん、それは人それぞれかもしれません。しかし、教会は、そこでずいぶん楽観的なのです。面白くて楽しいほうの考え方をします。死んだらすべてが終わりなどというような陰鬱な考え方を、教会はしないのです。

いわばそれだけです。イエスさまがどのように復活されたのかとか、具体的な詳細なことについては、よく分かりません。聖書に書いてあるとおりではありますが、聖書に書いてあることしか分かりません。

人生について、命について、面白くて楽しいほうの考え方をしているだけです。死んだ人が復活する。そのようなことがもし本当に起こるならば素晴らしいことだと思っているだけです。そのようなことが、二千年前に起こった。イエスさまが復活した。そのことが聖書に書いてある。それを信じて生きていきましょう。教会が考えていることは、いわばそれだけです。

毎年のイースター礼拝には召天者のご遺族をご招待しております。わたしたち教会の死生観はいま申し上げたようなものです。非常に楽観的なものです。召天者の皆さまもまたイエスさまと同じように復活することを、わたしたちは信じています。

実は亡くなっておられないという話ではありません。わたしたちの目の前におられたあの方は、たしかに亡くなられました。しかし、その日で終わりではない。復活する。そのようにわたしたちは信じています。

そして、わたしたち自身も、です。わたしたちも復活します。私も復活します。もう結構だよと、言わないでください。もう早く終わらせてくださいよ。早く死なせてください。復活などさせないでください。そのように言いたい方がおられるかもしれませんし、その気持ちも私には分かります。

しかし、それは駄目です。わたしたちは死ぬことによって逃げ切ることはできません。生きている間にしなければならないことがあります。死んでも、復活させられて、後始末することが求められることがあります。自分が犯した罪の処理です。逃げても無駄です。神さまが追いかけて来て、わたしたちに最後まで責任をとらせます。そういうものだと思ってください。

イースターはおめでたい日であると言いながら、最後はだんだん恐ろしい話になってしまいました。しかし、復活はわたしたちにとって恐ろしい話ではなく、喜びと希望の根拠です。召天者のご遺族の皆さまの上に深い慰めがありますように、心からお祈りいたします。

(2015年4月5日、松戸小金原教会イースター召天者記念礼拝)

2015年3月15日日曜日

主イエスは十字架を目指して歩まれました

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
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マルコによる福音書11・1~14

「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、「なぜ、そんなことをするのか」と言ったら、「主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります」と言いなさい。』二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、『その子ろばをほどいてどうするのか』と言った。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。』こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって、『今から後いつまでも、お前から食べる者がないように』と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。」

今日の個所からマルコによる福音書の後半、「エルサレム編」に入ります。イエスさまの地上の生涯の最後の一週間の様子が描かれています。まさにクライマックスです。

エルサレムは当時の首都です。当時、市街地の周囲に城壁が立っていました。石の壁で守られた町でした。その中に神殿がありました。旧市街地は西暦70年に起こった戦争で破壊されました。同時に神殿も破壊されました。いま残っているのは、当時の残骸と、新しく造られた建物です。

神殿の隣に王宮がありました。神殿と王宮は回廊でつながっていました。神殿は宗教の最高地点、王宮は政治の最高地点です。宗教と政治が一体化した権力の最高地点でした。

そのエルサレムにイエスさまが向かわれました。ただし、イエスさまはおひとりではありません。12人の弟子はもちろんいます。しかし、いま私が申したいのは弟子たちのことではありません。「大勢の群衆」(10・46)が一緒でした。

群衆がエリコからずっと一緒でした。エリコからエルサレムまでの距離は30キロ。その道をイエスさまは12人の弟子、そして大勢の群衆と一緒に歩いてこられました。そして、ついにエルサレムにお着きになりました。

しかし、エリコからエルサレムまで一緒に歩いてきた大勢の群衆は、必ずしもイエスさまを信じ、イエスさまの後に従おうとした人々ではありません。もちろん、全員がそうでないとは言いません。なかにはそういう人もいたでしょう。しかし、すべての人がそうであったとは言えません。むしろ、多くは、エルサレム神殿の毎年の恒例行事の過越祭に参加するため神殿を目指していた参拝客でした。

イエスさまもまた、これから過越祭が始まろうとしている時期だからこそ、神殿に行かれたのです。いつでも良かったが、たまたまその時期に重なったということではありません。明確な意思をもって意図的に、イエスさまは過越祭の日にエルサレム神殿に到着するようにお出かけになりました。

そして、そのことには深い意味がありました。しかし、その意味の中身については、今日はあまり深く立ち入らないでおきます。

しかし、別の観点から見て、この時期にイエスさまがエルサレムに行かれることは安全面で有利であったということが言えると思います。イエスさまと12人の弟子を合わせても13人。大勢の群衆の中に紛れてしまえば目立つことはありません。

イエスさまは命を狙われていた方です。しかし大犯罪をおかして多くの人に知られ、白眼視されていたというような事実は全くない、むしろ多くの人に慕われている方でした。そういうイエスさまを、軍隊を差し向けて群衆を押しのけてでも逮捕するというようなことは、いくらなんでもできません。群衆と一緒ならば、エルサレムまで行く途中で捕まえられることはなかったと言えるでしょう。

しかし、イエスさまは、エルサレムの町にこれからお入りになる直前のところで、驚くべき行動をおとりになりました。オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、二人の弟子に「向こうの村へ行きなさい」とお命じになりました。

そして、「村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる」ので「それをほどいて、連れて来なさい」(2節)と言われました。

イエスさまはその村の事情をよくご存じだったのでしょうか。あそこに行くと、誰が住んでいる、何がある、どんなふうになっている。まだだれも乗ったことのない子ろばがつないである。その場所にあらかじめイエスさまが行かれたことがあり、その場所や状況をよくご存じだったのでこのようなことをおっしゃられたのでしょうか。全くその可能性がなかったとは言い切れませんが、この個所を読むかぎり、そうでもなさそうな様子が伺えます。

続けてイエスさまがおっしゃっている言葉が気になります。「もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい」。こんなふうにイエスさまがおっしゃったというのです。

これで分かるのは、イエスさまが「連れて来なさい」と二人の弟子に命じたまだだれも乗ったことのない子ろばの持ち主を、イエスさまご自身はおそらくご存じないし、面識もないし、事前の予約も打ち合わせもなかったということです。

突然行って、持ち主に黙って連れて来いというわけです。それでもし、持ち主に見つかって、「なぜ、そんなことをするのか」、それは泥棒ではないかと言われたら、そのとき初めて事情を説明しなさいというわけです。すぐ返すから貸してくださいと言え、というわけです。しかし、見つからなければ、そのまま黙って連れて来ても構わない、ということでもあるわけです。とんでもないといえばとんでもないことを、おっしゃられたわけです。

実際にそういう展開になりました。イエスさまに命じられたとおりに二人の弟子が行くと、表通りの戸口に子ろばがつながっていたので、それをほどきました。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言ったので、そのとき初めて事情を説明したら、なんとか許してもらえたというのです。

大らかな人たちで良かったと思います。泥棒だ、訴えると言い始める人たちでなかったのは幸いなことでした。しかし、問題はそちら側ではないとお考えになる方々は、当然おられるでしょう。結果的に相手が許してくれたからよかったという話で済ましてしまってよいのかどうか。それが問題なのではなく、黙って連れて行こうとしたこと自体が問題だと考える人は少なくないはずです。

ですから、ここでわたしたちがよく考えなければならないことは、なぜイエスさまはそのようなことをなさったのかということです。

なぜイエスさまは、持ち主の許可を得る前に子ろばをほどいて、連れて来るようにと弟子たちにお命じになったのでしょうか。なぜイエスさまは、エルサレムに入るために子ろばに乗ることをお求めになったのでしょうか。

これから私が申し上げる答えは間違いです。そのことをあらかじめお断りしておきます。これは間違いの答えです。そのことをあらかじめお断りした上で申し上げます。

ずっと歩いてこられたイエスさまはすっかりお疲れになり、歩くのが嫌になられたので、弟子たちや群衆が歩いていてもお構いなしに、御自分だけろばにお乗りになりたかったのでしょうか。これは違います。

しかし、世の中の「偉い人たち」は、そういうことを本当にするかもしれません。イエスさまは世の中の「偉い人たち」の真似をなさったのでしょうか。それも違います。

いやいや、「もっと偉い人たち」は、世の中にあるすべてのものは自分のものだと思い込んでいて、他人のものでもなんでも、勝手に持って行けると思っているかもしれません。その人たちの真似を、イエスさまがなさったのでしょうか。それも違います。

いま申し上げたすべての答えは、間違いです。しかし、これが間違いであるということの意味は、よく考えなければならないことです。イエスさまは、世の中の「偉い人たち」の真似をなさったわけではありません。しかし、こういうふうに考えることならできます。イエスさまは、世の中の「偉い人たち」の真似をなさったのではなく、世の中の「偉い人たち」よりも上に立たれたのです。

イエスさまが子ろばに乗ってエルサレムに入城されたのは、エルサレムに住んでいる国王よりも、祭司長や律法学者よりも、ローマ総督よりも、自分は上の立場の者であるということをお示しになるためでした。世の中の「偉い人たち」の真似をなさったのではなく、その人々より私のほうが上であるということをお示しになるためでした。

そしてそれは、御自分が約束のメシア、真の救い主、神の御子であり、御子なる神ご自身であることを人々の前にお示しになるためでした。そのことは、弟子たちでさえ理解していなかったと思われますが、イエスさまははっきり自覚しておられました。

言い方は物騒になりますが、いわばそれは、イエスさまにとっては、エルサレムに住んでいる「偉い人たち」に対する一種の宣戦布告としての意味を持っていた、ということです。

しかし、イエスさまは、全くの丸腰でした。何も持たず、弟子も12人。軍隊を率いておられたわけではありません。全く普通の人の姿で、エルサレムに乗り込んで行かれました。子ろばにまたがって。子どもじみたことをしているように見えたかもしれません。

そしてイエスさまの本当の行き先はまもなくゴルゴタの丘に立てられる十字架でした。群衆は去り、弟子たちは逃げ、冷たい視線と罵声を浴び、槍と釘に刺され、血を流しながら息を引き取る十字架の上でした。

イエスさまは、エルサレム神殿で行われる過越祭にもうでる参拝客の一人ではありませんでした。過越祭で献げられる犠牲の子羊そのものになられるために、エルサレムに来られたのです。

(2015年3月15日、松戸小金原教会主日礼拝)