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2025年5月10日土曜日

誇る者は主を誇れ

松戸朝祷会(カトリック松戸教会 千葉県松戸市松戸1126)

教会堂外見
礼拝堂
マリア像
朝祷会讃美選集

奨励「誇る者は主を誇れ」

コリントの信徒への手紙二10章12~18節

関口 康

「誇る者は主を誇れ」(17節)

過去の記録を調べたところ、松戸朝祷会で奨励させていただくのは3回目であることが分かりました。最初は2014年12月6日、2回目は2016年6月4日、そして今日です。9年ぶりです。

最初の私は千葉県松戸市民でした。2回目の私は千葉県柏市民でした。そして3回目の今日は東京都足立区民です。

短期間に目まぐるしく移動したのは、教団の指示で動いた、というようなことではありません(そのような指示を出す仕組みは日本基督教団にはありません)。悪い意味で私がどこに行ってもうまく行かず、転々としてきました。

前回お話しさせていただいた2016年の翌年、2017年の私は無職でした。ハローワーク松戸に1年間通いました。翌年の2018年4月から昨年2024年2月まで、東京都昭島市の教会の牧師でした。その最初の1年間は、牧師をしながらアマゾンの倉庫で週30時間の肉体労働のアルバイトをしました。

翌年(2019年度)から2013年度までの5年間は、やはり牧師を続けながら、東京都東村山市にある学校で非常勤講師(聖書科)をしました。2020年度から2年間は、昭島教会牧師も東村山の学校も続けながら、神奈川県茅ヶ崎市にある学校でも非常勤講師をしました。当時は、東村山に週2日、茅ヶ崎に週2日、計4日、牧師が週日に教会を不在にしました。

茅ヶ崎に通った2年間は、最初の頃は電車、途中から原付バイクで通勤しました。片道70キロ。原付バイクで2時間半から3時間。朝4時半ごろ昭島教会を出発して、午前7時ごろ湘南海岸に到着し、昇ったばかりの太陽を見つめていました。

すべては生活のため。食べるため。子どもたちの教育のため。俗臭芬々(ぞくしゅうふんぷん)に違いありませんが、それが私の現実でした。

先ほど朗読していただいた聖書箇所は使徒パウロの手紙の一節です。注目していただきたいのは12節です。

「わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです」(12節)。

12節に言葉遊びがあると解説する註解書を読みました。日本語訳で読んでも分かりませんが、ギリシア語から直訳すると「自分たちを(エアウトゥース)他の人々(ティシン)に推薦する(スニステーミ)人々は、自分たちに(エアウトイス)自分たちを(エアウトゥース)比較しているので、そんな人たちの計測(メトレオー)や比較(スンクリノー)の中に自分(パウロ)たち(エアウトゥース)を置くのは無意味(ウー・スニエーミ)である」となります。

自分たちが有利になるように決めた評価規準で自分たちを測って「私は優秀である」と誇っているような人たちの中に入って、その人たちの評価基準で評価してもらうことには意味がない、ということです。

どの評価規準であれ、それを決めるのは権力を持っている人たちです。今の国や社会で言えば税金とか、学校の偏差値とか、学費とか。そういうものを決める人たち自身が不利になるような規準をその人たち自身が決めるわけがないので、巻き込まれた時点で初めから負けているということです。

私も学校で働いたときは、授業だけでなくテストをして成績を出さなくてはならなかったので、そのときは評価する側にいました。テストは成績上位者と下位者がくっきり識別できるような問題を出さなければならないことが(文部科学省の指導で)決まっているので、いやでも応でも、そういう問題をつくらざるをえませんでした。パウロが書いていることは事実です。

イエス・キリストの教会には、別の評価規準があります。「私は何々大学の出身で、一流会社に就職し、財をなし、広い家を建て、家族に恵まれ、幸せな生活をしております」と誇る人が悪いとは言いません。しかし、パウロはそのようなこととは全く違うことを言いはじめます。どちらを選ぶかは、自分で決めるしかありません。

たとえばこの手紙の11章26節以下には、パウロ自身が受けた「難」がたくさん紹介されています。

「しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともある」。

パウロは、自分の弱さや、ダメだったことや、苦しかったことを誇ります。パウロが言おうとしていることの中心にあるのは、「誇る者は主を誇れ」(17節)ということです。

私もそうだと申し上げたいです。良かったことはなく、ダメだったことばかりです。しかし、こんなに弱くてダメな私を神が用いて、神のみわざとしての「神の宣教」(ミッシオ・デイ)を進めてくださっていることを、私は誇ります。

弱くてダメな私ですが、これからも松戸朝祷会の仲間に加えていただきたく、よろしくお願いいたします。

(2025年5月10日 松戸朝祷会 於 カトリック松戸教会)

2024年9月29日日曜日

永遠の住み家(東京教区東支区講壇交換)

日本基督教団三崎町教会(東京都千代田区神田三崎町1-3-9)

説教 「永遠の住み家」(要旨)

コリントの信徒への手紙二 5章1~10節

関口 康

「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています」(1節)

今日の箇所はひとりの人間、おそらくパウロ自身の「死」を描いています。

人生の終わりにあっても希望がある。なぜなら「人の手で造られたものではない天にある永遠の住みか」(1節b)が備えられているからである、と述べています。

「地上の住みかである幕屋」(1節a)と「永遠の住み家」が対比されているため、「パウロは地上の人生を幕屋(テント)のような『仮住まい』とみなしている」と誤解する危険性があります。

この箇所の「幕屋」(5章1節)の意味は、「死ぬはずのこの身」(4章11節)や「〔衰えていく〕外なる人」(4章16節)と同じです。パウロの主旨は「人間存在(肉体+精神)は弱くて不安定である」ということだけです。

「仮住まい」という意味を持ち込むのは危険です。「私たちの本籍がある天国に行くまでの通過点にすぎない人生など、さっさと終わってくれ」と言い出しかねません。

2~9節の趣旨は「神はわたしたちを裸にしない」ということです。裸にされることをパウロは最も恐れています。裸の屈辱を味わったからです(11章27節など)。

わたしたちは死んでも裸にはされません。神が永遠に保護してくださいます。

それが「永遠の住み家」の意味です。

(2024年9月29日、東支区講壇交換、日本基督教団三崎町教会)

2017年8月20日日曜日

悲しみには肯定的な意味がある(阿佐谷東教会)


コリントの信徒への手紙二7章8~10節

関口 康(日本基督教団教師)

「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」

阿佐谷東教会の皆さま、おはようございます。礼拝で説教させていただくのは、ちょうど1年ぶりです。今年もお招きいただき、心から感謝いたします。今日もどうかよろしくお願いいたします。

今日お話ししようと思って準備してきましたのは説教題のとおりです。「悲しみには肯定的な意味がある」という趣旨のことを使徒パウロが書いています。しかし、なぜこのテーマを阿佐谷東教会の皆さまにお話ししようと思ったかについて具体的な動機があるわけではありません。坂下道朗先生とはネット上のやりとりはありますが、お会いする機会がありません。ですから私は、貴教会の内部のことは全く存じません。ピントの外れた抽象的な話になってしまわないかを心配しているほどです。

しかし、言い方は乱暴かもしれませんが、わたしたちにとって「悲しみ」の問題はその規模や状況の大小の差こそあれ日常茶飯事であり、普遍的な問題です。いま悲しみの中になくても明日そうなるかもしれません。そのことを考えれば、わたしたちは常に悲しみと隣り合わせで生きている身であることを自覚しつつ、悲しみの日に備えて生きていかなければなりません。

しかし私は、たったいま自分で言ったばかりのことを次の瞬間に否定するようなことを言います。それは、今日の箇所に出てくる「悲しみ」は一般的な意味の「悲しみ」とは異なるものであるということです。その区別をパウロが今日の箇所にはっきり書いています。「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」(10節)。

ここでパウロは「神の御心に適った悲しみ」と「世の悲しみ」をはっきり区別しています。そして、パウロがその中に肯定的な意味を見出している「悲しみ」は前者(神の御心に適った悲しみ)のほうであって、後者(世の悲しみ)のほうではありません。「世の悲しみ」のほうは「死をもたらす」とあるとおり否定的な意味しかないし、そもそも意味はないとパウロは考えています。

ですから私もパウロと同じように考えたいと願っています。今日の説教題の「悲しみには肯定的な意味がある」の「悲しみ」も、すべての悲しみを指しているわけではなく、多くの悲しみの中に肯定的な意味を持つ悲しみがいくらか含まれているというような意味で理解していただきたいと願います。すべての悲しみに必ず肯定的な意味があるという意味ではありません。もしそういう誤解を招くだけの説教題だったとすればお詫びしなくてはならないし、付け替える必要があると思います。

しかし、そうは言いましても、パウロがしている二種類の悲しみ(?)の区別とその意味を正しく理解することは、わたしたちにとって非常に難しいことだと私は感じます。しかも、二種類の悲しみ(?)には当然のことながら共通点があります。それは「悲しみ」であるという点で両者は全く同じであるということです。

「悲しみ」は人の心の中に生まれる否定的な感情です。自分の存在や行為が否定され、生きる意味や望みを見失いそうになっている心の状態です。その点においては、「神の御心に適った悲しみ」であろうと「世の悲しみ」であろうと、少なくともそれをわたしたちが感じるときの主観的感覚は同じです。そして、私たちの心は体とダイレクトにつながっています。心の苦痛と体の苦痛は同じです。

あるいは、もしかしたら苦痛の度合いにおいては、前者(神の御心に適った悲しみ)のほうが後者(世の悲しみ)よりも強く激しく感じるかもしれません。なぜなら「神の御心に適った悲しみ」とは「神がもたらした悲しみ」を指しているからです。それは対人関係で生じた悲しみではなく、神との関係で生じた悲しみです。もっと言えば「神が私を悲しませた」ことを意味しています。そんなことに誰が堪えられるでしょうか。しかし、パウロが書いているのは明らかにそういう意味です。

しかも、難しい問題がまだ残っています。「神の御心に適った悲しみ」なるものの出どころは論理的に考えれば、当然「神」です。しかし、今日の箇所にパウロが書いているのは「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません」(8節)ということです。

これで分かるのは、私はたった今「神の御心に適った悲しみ」とは「神が私を悲しませた」ことを意味すると言ったばかりですが、パウロはそのように一方で言いながら、別の一方で、あなたがたを悲しませたのは私であるとも言っているということです。

どういうことでしょうか。パウロは神でしょうか。パウロがだれかを悲しませることと、神がだれかを悲しませることとは同じでしょうか。そんなことを言っていいのでしょうか。最も厳しい言い方をすれば、パウロは自分が何かやらかして相手を悲しませたことを都合よく神のせいにしているだけではないでしょうか。そのような批判を受けたときに、パウロはどう答えるのでしょうか。

そして、その問題もさることながら、ここで最も大切な問題は、パウロは何をしたのかということでしょう。「あの手紙によってあなたがたを悲しませた」と彼自身がはっきり書いています。つまり、パウロがだれかを悲しませることになった原因は彼自身が書いた手紙だったということです。パウロは何を書いたのでしょうか。その手紙はどこにあるのでしょうか。

いま皆さんに開いていただいているのはコリントの信徒への手紙二(第二の手紙)です。新約聖書に二つ収められているコリントの信徒への手紙には解釈上の難しい問題があります。聖書学者たちの意見によれば、パウロがコリント教会の人々に宛てて書いた手紙はもっと多くありました。その中で現在まで残っているのが新約聖書に収められた二つの手紙です。

しかし、このいわゆる第二の手紙はパウロがコリント教会に対して二番目に書いたものではありませんし、第一の手紙と第二の手紙の間に少なくとももう一つの、あるいは一つ以上の手紙が書かれました。また、この第二の手紙は一度にすべて書きおろされたものではなく、もともと何通かだった手紙が後で一つの手紙として編集された形跡があります。そして、そのいくつかの手紙の中に、いわゆる「涙の手紙」が含まれています。

しかも、そのいわゆる「涙の手紙」をわたしたちが読むことは可能であると言われています。実はいま私たちが開いている第二の手紙の10章から13章までが「涙の手紙」の一部であろうと聖書学者たちは考えています。10章から13章までを、ぜひおうちで読んでみていただきたいです。

はっきり言えば、かなり辛辣な言葉が記されています。明らかに感情的で、けんか腰です。皮肉と嫌味と攻撃性に満ち満ちています。これほどあからさまに攻撃的な手紙を送り付けておいて、この中にあなたがたへの愛情を読み取ってもらいたいというのは、求めすぎの感があるほどです。

もちろんパウロには相手に対する愛情はありました。しかし、だからこそ言わなければならないことがある、ここで自分が躊躇することは相手のためにならないと、彼を強い決心に駆り立てたものがありました。パウロとしては、もしこれで関係が終わるとしても、それはそれでやむをえないという覚悟で書いていると、私は思います。それほどの決定的な内容です。

もともとパウロはコリント教会の事実上の設立者でした。しかし、その後パウロはコリントを離れ、別の地で伝道を始めました。ところが、その後、コリント教会の中にいろいろな問題が発生し、混乱しはじめました。そこでパウロは第一の手紙をコリント教会に送りました。そして、その後パウロは自らコリント教会に足を運んで訪問したのです。

しかし、その訪問が失敗に終わりました。パウロが来たことに腹を立てた人々がパウロを名指して非難しはじめました。その人々はパウロが来ることで自分たちの居場所を失うことを恐れたのです。そういうわけで、パウロの二回目の訪問が問題の解決になるどころか、かえって火に油を注ぐ結果になりました。

それでパウロは強い決意をもって「涙の手紙」を送りました。その内容の一部が先ほど申し上げたとおり10章から13章までにあります。それは非常に激しい手紙でした。その手紙を読んだコリント教会の人々の多くは傷つき、そして反省しました。それを知ったパウロは、コリント教会に三度目の訪問をしようとしましたが、パウロが行く前にテモテから、コリント教会が悔い改めたという知らせを受けました。その知らせを聞いたパウロは喜び、私たちが手にしているこのいわゆる第二の手紙を書いたのです。そういう経緯であるとご理解ください。

このような背景があるということを理解しなければ、この箇所にパウロが書いていることの意味を理解することは全く不可能です。ここに書いていることだけを読めば、相手が悲しんだという事実があるのに「私は後悔しない」と言っている。サディストではないかと言われかねません。しかし、パウロはサディストではありません。しかし、どのように説明すれば理解していただけるでしょうか。

パウロがこの箇所で強調している「神の御心に適った悲しみ」は「取り消されることのない救いに通じる悔い改め」をもたらしたというただ一つの理由ゆえに、パウロは「悲しみ」に肯定的な意味を見出しています。その手紙を私が書いたからあなたがたは悔い改めたではないか。もし私があの手紙を書かなかったら、あなたがたはずっと変わらない調子で、教会の中で分裂し続け、問題は解決しなかっただろう。だけど、私の手紙で問題が解決したではないか。だから私は手紙を書いたことを後悔しないのだ。それがパウロの主張です。

しかし、私の今日の説教の最終的な結論は、だから私たちもパウロと同じようにしましょうということではなく、ちょうど正反対のことです。この箇所に記されていることはよくよく慎重に扱う必要があります。「ああなるほどそうか、どんなに厳しいことを言って相手を傷つけても、それによって相手が悔い改めるならば、そうするほうがいいのだ。厳しい言葉をどんどん言って、相手を傷つけ、悲しませましょう。パウロもそう言っているではないか」とわたしたちが考え、そのとおり実行することは極力避けるべきです。

それはなぜかといえば、先ほど申し上げたとおり「神の御心に適った悲しみ」と「世の悲しみ」は、どちらも「悲しみ」であることには変わりがないからです。それは、人間の心の中に起こるきわめて否定的な感情であり、生きる意味や望みが完全に絶たれてしまったかのように感じることさえある、痛みと苦しみを伴う感情です。そのような感情を相手の心に故意に引き起こすことについては、どれだけ慎重であっても慎重すぎることはありえません。

そしてもうひとつ理由を挙げるとすれば、これも先ほど申し上げたことですが、二種類の悲しみ(?)を厳密に区別できるようになるためには多くの時間がかかるからです。それは、長い年月をかけて教会生活を続け、聖書と教理を徹底的に学ばないかぎり決して理解できないでしょう。

どんなに厳しいことを言っても、それが悔い改めにつながるから悲しみには肯定的な意味があるというのは、信仰において成熟した人々の間だけで成り立つ議論です。未熟な人を相手にそういうことをしてはなりません。それは教会が壊れていく原因になります。

なぜなら、教会には必ず、成熟した人もいれば、そうでない人もいるからです。教会が「伝道する」とはそのようなことです。教会が信仰的に成熟した人たちだけの集まりになるなら、伝道していないのと同じです。教会はそういうところであってはならないのです。常に必ず未熟な人が共にいるのが教会です。

ですからわたしたちは、教会では、言いたいことがあってもできるだけ我慢しましょう。もし我慢できなくなったら、そこで大きく深呼吸をして言いたいことを飲み込むくらいでちょうどいいです。

「そういうふうに関口が言っていた」と坂下先生に報告しておいてください。よろしくお願いいたします。

(2017年8月20日、日本基督教団阿佐谷東教会 主日礼拝)

2017年5月14日日曜日

新しい時代に伝道を(青戸教会)

日本基督教団青戸教会(東京都葛飾区青戸3-31-2)
コリントの信徒への手紙二10章1~6節

関口 康(日本基督教団教師)

「さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。」

青戸教会の皆さま、おはようございます。日本基督教団教師の関口康です。深沢教会の齋藤篤先生のご紹介により、青戸教会の主日礼拝で初めて説教させていただきます。よろしくお願いいたします。

初めてお会いする皆さまにどんなお話をしようかと考えましたが、すぐに心が定まりました。日本の教会が今こそ考えなければならないことは、一に伝道、二に伝道です。伝道についてお話しします。皆さんが元気になるような話をします。

それで開いていただきましたのが新約聖書のコリントの信徒への手紙二10章1節から6節までです。使徒パウロの手紙です。ここに書かれていることをわたしたちはよく読んで理解する必要があります。この箇所に書かれていることが、わたしたちの伝道の重要な突破口になるだろうと信じます。

本当にそれほどのことが書かれているでしょうか。そうであるかどうかを、これから見ていきます。1節に次のように記されています。

「さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います」。

新共同訳聖書はこのように訳されていますが、原文を読みますと、もう少し違った感じに訳すほうがよさそうです。この新共同訳聖書の文章は、原文の言葉の順序をかなり組み替えて訳しているからです。原文の順序に戻すと次のようになります。

「このわたしパウロが、あなたがたに願います。キリストの優しさと心の広さとをもって。あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強固な態度に出ると思われている」。

しかしこの訳はだいぶ硬い感じです。実際のパウロはもっと柔らかい優しい言い方をしています。そのように言える理由をこれから申し上げます。

原文では最初になっているのは「このわたしパウロが、あなたがたに願います」です。わたしたちがここで考えなければならないのは、いきなり難しい話になって申し訳ありませんが、ギリシア語の文法の話です。

神学校でギリシア語を勉強すると最初に必ず学ぶのは、ギリシア語の動詞は人称ごとに格変化するので、主語を省略しても文意は十分伝わる。だから、「わたし」とわざわざ書いている場合は強調があると考えなさい、ということです。

それはどういうことかといえば、今日の箇所にパウロが「このわたしパウロが」と書いているときに読者が考えるべきことは、著者パウロは「わたし」を強調しているということです。「他の誰でもなく、このわたしが」言っています。俺さま口調が入っているということです。

しかし、ここでパウロは「俺の言うことを聞け」と上から目線で押し付けるようなことを言いたいのではありません。むしろ逆です。正反対です。

ここでパウロが「このわたしパウロが、あなたがたに願います」と言っていることの意図は、自分が書いているのは、神の権威においてでもキリストの権威においてでもなく、あくまでもただのひとりの人間である私の個人的な意見にすぎない、という謙遜の意味です。

つまり、ここでパウロが「このわたし」をわざわざ強調して書いているのは、神とキリストの権威に基づく絶対的な命令ではありませんということです。押し付けられているなどと決して思わないでくださいという呼びかけでもあるということです。

そのことを言うために付け加えられているのが、原文では二番目の文章である「キリストの優しさと心の広さとをもって」です。その意味は、救い主イエス・キリストが優しい方であり心が広い方であることを思い起こしつつ、ということです。つまり「優しい」のはキリストです。「心が広い」のもキリストです。パウロが「俺さまは優しい」とか「俺さまは心が広い」と言っているわけではありません。

しかし、このあたりもわたしたちがよく考えなければならないところです。パウロが書いているのは「キリストの優しさ」であり「キリストの心の広さ」であって、パウロ自身の優しさでも心の広さでもありません。しかしだからといってパウロは、私自身は優しくもないし心が広くもないと言っているのかというと、それもなんだかおかしな言い方です。

私が愛用している聖書注解の中にオランダ語で書かれたものがあります。その著者の訳は「キリストの謙遜(zachtmoedigheid)と友情(vriendlijkheid)をもって」です(F. J. Pop, De tweede brief van Paulus aan de Corinthiers, De prediking van het Nieuwe Testament, 1962, 277)。

「謙遜」も「友情」も、キリストはそうであるが私はそうではないなどと言って済ませてよいことではなく、キリストを信じる者たちも学ぶべきだし、真似るべきことです。

そのことはパウロもよく分かっていました。だからこそパウロは、これはあくまでもわたしパウロがお願いしていることではあるが、「俺さまの言うことを聞け」と言いたいのではなく、キリストが示してくださった「優しさ」と「心の広さ」、あるいは「謙遜」と「友情」に自分自身も常に学び、真似しようとしている者のひとりとして、謹んで申し上げたい、と言っているのです。

そしてそれに続くのが、原文では三番目の文章である「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている」です。これは私はいかにもパウロらしい彼の真骨頂を表す極めつけの一文だと思っています。

なぜ私はそう思うのでしょうか。この文章の中で誰もが目を引かれる衝撃の事実は「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが」とパウロが書いていることでしょう。

ここで最も重要な言葉は「弱腰」(タペイノス)です。この言葉をギリシア語辞典で調べるといろいろ面白い訳が出てきます。単純に「弱い」という意味もありますが、「卑屈」とか「へつらう」とか「腰抜け」という意味もあります。ここでパウロが書いているのはどうやら後者の意味です。

そして、いずれにせよはっきりしているのは、これは人を軽蔑する言葉であるということです。ほめているのではありません。パウロは明らかに、貶されているのです。

しかも、誰から貶されているのかというと、これが大問題なのですが、悲しいことに教会の人々からです。キリスト教や教会のことが大嫌いな人々からではありません。教会に通っている人々です。キリスト者です。その人々からパウロは「弱い」だの「卑屈」だのと、あからさまに侮辱され、軽蔑されていたのです。

わたしたちならどうだろうかと、考えるほうがよさそうです。教会の牧師をつかまえて「弱い」だの「卑屈」だのさんざん言う方が皆さんの中におられるでしょうか。言っても構わないと思いますが。

しかし、立場を逆にして、軽蔑する側ではなく軽蔑される側になったときはどうでしょうか。皆さんはそれに耐えられるでしょうか。そういうことをよく考えてみる必要がありそうです。

ここでパウロが書いている「弱腰」と訳されているタペイノスという言葉の意味として「卑屈」とか「へつらう」とか「腰抜け」というのがあると申し上げました。それは肯定的な言い方をすれば、平身低頭を貫く謙遜な態度であるということです。

「平身低頭」とは、ひれ伏して頭を下げ、恐れ入ることです。それは良いことでしょう。しかし、それと全く同じ姿がパウロに対して批判的な人々の目から見れば「卑屈だ」「へつらっている」「へこへこしている」「腰抜けだ」「慇懃無礼だ」という否定的な評価にもなるということです。

ですから、今申し上げたように考えることができるなら、もしわたしたちがパウロと同じ立場なら、無視するのが最良の対応かもしれません。だって、人の評価というのは勝手気ままなものですから。謙遜な人をつかまえて卑屈だ腰抜けだと言いたい人には言わせておけばよい。そういう対応の仕方も十分ありえます。

しかし、パウロは無視しません。言い返してしまいます。炎上するタイプです。しかし問題はその返し方です。「やられたらやり返す。倍返しだ」というのもあるでしょう。パウロはどうでしょうか。

ここで大きく脱線するのをお許しいただきたいです。「腰抜け」という言葉で私が思い出すのは、30年前に世界的に大ヒットし、3部作になった映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」です。ご覧になっていない方には分からない話で申し訳ありません。

あの映画の主人公の名前がマーティー・マクフライと言ってマイケル・J. フォックスが演じましたが、その主人公の弱点が「腰抜け(チキン)」と人から言われることでした。

この言葉を聞くと頭に血が上り、冷静さを失って、自分が今しなければならないことを忘れ、それを言った相手を思いっ切りぶん殴ってしまい、取り返しのつかないことになって後悔するという、あの3部作の映画全体のキーワードでもありました。それが「腰抜け」でした。

その主人公のセリフとして有名になったのが、Nobody calls me chickenでした。日本語版の字幕や吹き替えは「だれもぼくを腰抜けと呼ばせない」でした。このセリフを言ってからマーティーは相手を思い切りぶん殴るというのが、ひとつのパターンでした。

パウロはどうだったでしょうか。今日は映画の話をしに来たわけではなく、聖書の話をしに来ました。今日の箇所にはっきりと書かれているのは、パウロは教会の人々から「あいつはチキンだ」と罵られていた、ということです。

このように言われると、どこかのスイッチが入って、頭に血が上り、相手をぶん殴ったでしょうか。どうもそうではなさそうです。むしろパウロは「腰抜け」呼ばわりされるのを喜んでいたようでさえあります。

本当にそうでしょうか。そうではない。2節以下を見なさい。「勇敢に立ち向かうつもりです」とか「そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています」とか、ずいぶんと強そうな言い方をしているではないか。彼はすっかり腹を立て、仕返しする気まんまんでいたのだという読み方もありうるかもしれません。

しかし、私にはそういうふうに読めません。もう時間がありませんので詳しい話はできませんが、ここでパウロが「勇敢に立ち向かう」と言っているのは、パウロは「肉に従って」(カタ・サルキ)生きていると誤解する人々に対してです。そうではなく私は「肉において」(エン・サルキ)生きているだけだと言っているだけです。

「肉に従って」生きるとは、肉の欲望のままに生きることです。それに対して「肉において」生きるとは、「肉体の中で」あるいは「肉体をまとって」生きる人間として、ありのままに生きることです。全く異なる2つのことを一緒くたにしないでほしい、と言っているだけです。

パウロは人間でした。「人間臭い」人でした。ある見方をすれば「腰抜け」でした。そう言われて無視するのではなくしっかり受けとめたうえで、腹を立てずに受け容れる人でした。自分が貶されることには大らかでした。自分の評価やプライドなどどうでもいいことでした。

パウロは神とキリストの権威に立っても語りました。そのことを否定するつもりはありません。しかしパウロは彼自身の言葉でも語りました。人間らしい、人間的な言葉でも語りました。その両面があったということです。それが大事です。こういうのを格闘技の用語で「二枚腰」と言います。

こういう人はどうでしょうか。私はこのような人こそ今の教会に求められていると思っています。

私は昨年度1年間、高等学校で聖書を教える常勤講師(代用教員)でした。その経験の中ではっきり分かったことですが、今の高校生たちは居丈高に振る舞う教師などは心の底から毛嫌いします。一方的に押し付ける言葉などには全く聞く耳を持ちません。

まして宗教や聖書に関してはなおさらです。神の権威もキリストの権威も教会の権威も全く通用しません。

かろうじて彼らが自分の心を開く相手は「人間として信頼できる大人」だけです。自分も将来そういう大人になりたいという願いを持っています。しかし「信頼できる大人がどこにもいない!」と彼らは嘆いています。そこに彼らの切なる求めもあります。

教会はどうでしょう。わたしたちはどうでしょう。権威的な存在でなければならないでしょうか。今はもうそういう時代ではないし、宗教と教会に権威がある時代は二度と戻ってこないし、戻ってこなくていいのではないでしょうか。

そういうのではなく「弱くて優しい大人の集まり」であることが教会に求められているのではないでしょうか。

今日皆さんに考えていただきたいのは、このことです。

(2017年5月14日、日本基督教団青戸教会 主日礼拝)

2012年5月6日日曜日

自分を頼りにする人生には限界があります



コリントの信徒への手紙二1・8~14

「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦痛について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人々のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。わたしたちは、あなたがたが読み、また理解できること以外何も書いていません。あなたがたは、わたしたちをある程度理解しているのですから、わたしたちの主イエスの来られる日に、わたしたちにとってもあなたがたが誇りであるように、あなたがたにとってもわたしたちが誇りであることを十分に理解してもらいたい。」

今日の説教に「自分を頼りにする人生には限界があります」というタイトルを付けさせていただきました。

このようなタイトルをご覧になりますと、ほとんどの方には、この次に私が何を言うかがお分かりになるだろうと思います。私の答えは、もちろん皆さんが予想しておられるとおりです。

わたしたちが頼りにするのは「自分」ではなく「神」である。そのようにパウロも書いています。「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」(9節)。

私はいま、答えを言いました。答えは出ました。ですから、「今日の説教はこれで終わりにします」と言ってもよいほどです。私はこれ以上、何を言うことがあるのでしょうか。

しかし、これで終わるわけにも行きませんので、もう少しお話しさせてください。実を言いますと、この説教の準備をしているとき、今日の個所を読みながら、ハッと気づかされたことがあるのです。私だけの読み方かもしれません。しかし私は、そのことに気づいて、ある意味で安心しました。

私が気づいたことの一つ。それは、パウロが自分を頼りにすることをやめたのは、彼が生涯の間におこなったとされる三回の伝道旅行の中の第一回目ではなく、第二回目のときであると考えられるということです。つまり、第一回目の伝道旅行のときまでのパウロは、自分を頼りにすることをやめていなかった、ということです。

しかし、第一回目の伝道旅行をしているパウロは、もちろん言うまでもなく伝道者でした。あるいは伝道者である前に、キリスト者でした。救い主イエス・キリストを信じる信仰者でした。しかし、そうであるにもかかわらず、第一回目の伝道旅行をしていたときまでのパウロは、ある意味で自信満々でした。自分の力を信じて生きることを捨て切れていませんでした。

この読み方、どうでしょうか。それは無理だと叱られてしまうでしょうか。しかし、そのように読めることを、パウロ自身が書いていると、私は気づいたわけです。

私が気づいたことの二つめ。それは、おそらくは第二回目の伝道旅行の最中にパウロが味わったことが「生きる望みを失う」ということだったということです。まさに文字どおり「絶望」したのです。

そのとき何があったのかは分かりません。一つの解釈としては、使徒言行録19章に記されているエフェソでの騒動を指していると言われることがあります。そうかもしれません。しかし、そうであると断定することまではできません。はっきりしていることは、パウロがアジア州で味わった苦難は、彼自身の「生きる望み」、あるいは「生きる気力」を根こそぎ奪ってしまうほど激しいものであったということです。

しかし、この点についても、先ほど申し上げたことを繰り返すことになります。パウロがそのような「絶望」を自覚したのは、第二回伝道旅行の最中だったと考えられるわけです。そのときパウロはすでに伝道者でした。伝道者である前にキリスト者でした。救い主イエス・キリストを信じる信仰者でした。しかし、そのパウロが「絶望した」と書いているのです。

変なことを言うようですが、キリスト者だって、伝道者だって、絶望することがあるのです。私は今日の個所に、伝道者パウロが「絶望した」と書いていることに慰められました。牧師だって、絶望することがあるからです。皆さんだって絶望してもいいのです。「神を信じる人は絶対に絶望しない」と、そこまで言い切る必要はないのです。

私が気づいたことの三つめ。それは、パウロが「自分を頼りにする」のではなく「死者を復活させてくださる神を頼りにする」ようになったのは、「生きる望みを失う」ほどの圧迫を受け、「死の宣告を受けた思い」を味わった後である、という意味のことをパウロが書いているということです。

私が申し上げたいことは、パウロがそのときまで「死者の復活」についての信仰を持っていなかった、というようなことではありません。信じてはいた。しかし、彼自身が味わった絶望の体験によってその信仰が明確化した、あるいは深まったと考えてよさそうなのです。

そもそもキリスト教の信仰というのは、一つのことを信じればそれで終わり、というものではありません。いろいろなことを信じる宗教であるという面があります。この分厚い一冊の聖書の中に書かれていることを信じるのですから、信じるべきことはたくさんあるのです。「天地万物を創造されたのは神であること」を信じるとか、「恵みによる救い」を信じるとか、「罪の赦し」を信じるとか。「死者の復活」を信じるということは、いろいろある教えの中の一つなのです。

パウロは、アジア州で何らかの圧迫を受け、絶望し、死の宣告を受けた思いを味わうまで、死者の復活を全く信じていなかったと言っているのではありません。しかし、死者の復活についてパウロがコリントの信徒への手紙一15章に書いていたことは、「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」(コリント一15・3)ということでした。

「わたしも受けた」とか「わたしがあなたがたに伝えた」とかパウロが言っているのは、教会の中で先輩から後輩への教えの伝授のようなことです。あるいは、キリスト者の家庭の中で親が子どもに対して施すキリスト教的教育の内容と言ってもよいかもしれない。あるいは、牧師たちのことでいえば、神学校の講義の中で教授から教えられた神学の命題のようなものだと言ってもよいかもしれません。

コリントの信徒への手紙一の学びの中で、私が皆さんに繰り返し申し上げたことは、「死者の復活」の根拠はイエス・キリストの復活だけですということです。イエス・キリスト以外の誰一人として現時点までに復活した人はいないし、復活した人を見たことがある人もいないのです。ですから、その意味では「死者の復活」という点の信仰は、わたしたち自身の体験に基づく体験的な信仰であるというよりも、抽象的で観念的な教えであるという面をぬぐいきれないところがあるのです。

こういうことを考えてみるときに、パウロにとっても、あるときまでは「死者の復活」については、全く信じていなかったということでは決してないのですが、しかし抽象的な観念論として受け入れていた可能性があることを否定できません。しかし、そのような信じ方とは根本的に違う信じ方に変わった瞬間がある。それが、アジア州での絶望的な苦難の体験であった。そのときを境に、「死者を復活させてくださる神を頼りにする」生き方へと変わった。このように読むことができるのではないかと、私は気づかされたのです。

ぜんぶ違うと言われてしまうかもしれません。そういうのはあなたの思い込みだ、勝手な解釈だと言われてしまうかもしれません。そうかもしれません。しかし、私の気持ちとしては、いま申し上げたような読み方の可能性が少しでも残されているなら、私自身はとても慰められるものがあると申し上げたいのです。

キリスト者になっても、牧師になっても、自分を頼りにし続けることがありうるし、絶望することがありうるし、死者の復活を信じきれないことがありうるのです。

そのことは、どこかの誰かの話にしなくてもよいでしょう、他ならぬ、わたしたち自身のことを考えてみれば、答えははっきりしているはずです。

皆さんは、自分を全く頼りにしていないでしょうか。絶望したことがないでしょうか。皆さんは、死者の復活という教えを何の躊躇もなく信じることができているでしょうか。そのようなことは、ちょっと考えられないことなのです。

たとえばこういうのはどうでしょうか。「私はしょっちゅう絶望しますけどね。でも、牧師さんたちには絶望してもらいたくありません」というような理屈が成り立つでしょうか。そんなのはずるい話ですよと申し上げておきます。

今日の個所から分かることは、パウロ自身もまた、キリスト者になり、教会の牧師となり、伝道者となってから、そして、そのような者として度重なる苦労を味わい、死の宣告を受ける思いを体験していく中で、彼自身の信仰の内容がより確固たるものへと成長して行ったのだということです。

だから、私は繰り返し皆さんに言ってきたのです、「わたしたちの信仰生活は一生ものである」と。わたしたちの信仰は、一生かかって成長していくものなのです。教会のみんなも、牧師たちも、今でも毎日成長しているのです。

そういうものですから、一回や二回、教会をちょろっとのぞいてみたという人たちから、「ああ、教会なんて、こんなものか」とか「クリスチャンなんて、こんなものか」と言われたり、愛想を尽かれたりすると、私はちょっとムッとしてしまうのです。

ただし、わたしたちの信仰に何らかの成長が起こるのは、信仰者として苦労するときであるという点も、どうやら事実です。

世の中で苦労してきた人が、逃げ場所と慰めを得るために教会に来てみたら、教会でも苦労しろ苦労しろと言われる。こういうのは、しんどいことかもしれません。苦労なんか、本当はしたくないのです、だれでも、私でも。

しかし、わたしたちには苦労しなければ分からないことがあるのです。信仰者として、死ぬほどの苦労を味わうときに初めて、「神」の存在が現実味を帯びてわたしたちに迫って来るのです。そのとき初めて、「神にもっと頼ってみよう」という思いが、わたしたちの中に芽生えるのです。

(2012年5月6日、松戸小金原教会主日礼拝)

2007年12月30日日曜日

地上の人生には価値がある!


コリントの信徒への手紙二4・8~11

「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」

今日開いていただきましたのは、使徒パウロの手紙の一節です。ここに記されています内容は、大きく分けると二つのことです。

第一は、わたしたちキリスト者は、年がら年中、苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒されている存在であるということです。

第二は、しかし、わたしたちキリスト者は、どんな苦しみの中にあっても行き詰まらず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされない存在であるということです。

なぜそのように語ることができるのかについて、今日は共に学びたいと願っています。

第一の点から考えてみます。わたしたちは、なぜ年がら年中、「苦しめられている」存在なのでしょうか。パウロが記しているのは、「苦しんでいる」ということではありません。「苦しめられている」ということです。「被害を受けている」という意味で理解できる言葉です。しかし、キリスト者は被害者なのでしょうか。だれからどのような仕打ちを受けているというのでしょうか。パウロは何が言いたいのでしょうか。三つの可能性を私は考えます。

第一の可能性は、キリスト教信仰に対する迫害者から受ける被害です。キリスト教信仰は、残念ながら、すべての人に受け入れられているものではありません。信じる人も信じない人もいます。信じない人のすべてが必ず、信じる人を迫害するわけではありません。しかし、信じない人の中には、非常に強烈な仕方で信じる人を迫害する人々がいることは事実です。パウロも多くの迫害を受けました。ここでパウロが語っている「苦しめられた」体験は、迫害者から受けた被害のことであると考えることには、何の無理もありません。

しかし、それだけでしょうか。それだけであると考えることには無理があると思います。私が考える第二の可能性は、わたしたち自身が持っている罪と弱さから受ける被害です。別の言い方をしますと、わたしたちの人生そのものが持っている苦しみです。わたしたちの罪や弱さには明らかに、それを持つことをわたしたち自身が願って持っているわけでは決してないという面があるからです。おそらくわたしたちの多くは、罪のない人間でありたい、強い人間でありたいと願っているはずです。しかし、その願いに現実が伴わない。願っていない罪を犯す。願っていない弱さに負けてしまうのです。それもある意味で被害です。聖書的に考えるならば、そのように語ることが可能です。

そして、今申し上げた第二の可能性のちょうど裏側に第三の可能性が隠されていると、私は考えます。第三の可能性とは、そのような、わたしたちが願っているわけではない罪や弱さを、わたしたちが持っている理由は何なのかという問いに関することです。

しかし、罪のほうは、ちょっと横に置いておきたいと思います。今考えたいのは弱さのほうです。わたしたちはなぜこれほどまでに弱い存在なのでしょうか。この問いの答えは聖書に基づいて考えるならば、はっきりしています。わたしたちをこのような弱い存在にしたのは、神御自身である、ということです。

パウロは、わたしたちの肉体を指して「土の器」と呼んでいます(7節)。おそらく意味されていることは、二つあります。すなわち、一つの完成した作品になるまではそれ自体では価値のないものからできているということと、たとえそれが完成した作品になったとしても大事にしないかぎり壊れやすいものであるということです。しかし、いずれにせよ、この土の器は神御自身の作品です。わたしたちの存在は、神の創造作品なのです。

もしそうであるとするならば、第三の可能性の内容は、明らかです。わたしたちを弱く壊れやすい「土の器」としてお造りになった神御自身によって、わたしたちは「苦しめられている」という面が、必ずある、ということです。つまり、私が考える第三の可能性は、わたしたちがそのようなものに造られた神御自身の定めから受ける苦しみです。それも、一種の被害と言えるものです。

病気のことを考えれば、すぐにご理解いただけると思います。病気になりたい人など、一人もいません!しかし、現実のわたしたちは、何度でも繰り返し病気になります。このわたしを、神さまは、なぜもっと強いものに造ってくださらなかったのか、と恨んだことがある方は、多いでしょう。ところが、神はわたしたちを弱いものにされました。「わたしたちは神の被害者である」とまで語ることは、やめておきます。しかし、もし一度でも、自分の体や心の弱さを嘆き悲しんだことがある人は、結局、神御自身の定めを恨んでいるのだ、ということを知るべきです。

しかし、このように考えてみたときに、気になることがあります。それは、第一に申し上げました、迫害者から受ける被害という点に関わることです。あまり考えたくないことなのですが、どうしても考えてしまうことがあります。それは、この被害は、ある意味で、簡単に逃れることができる被害でもある、ということです。

どうすればよいのでしょうか。あまり口にしたくない言葉ですが、申し上げます。迫害者から受ける被害を逃れるためのいわば唯一の方法は、キリスト教信仰を捨てることです。信仰を捨てた人に対しては、迫害する理由もなくなるのです。

しかし、わたしたちは、信仰を捨てることができません。パウロは信仰を捨てることができません。救い主イエス・キリストへの信仰とは何でしょうか。それは、救い主イエス・キリストにおいて神がこのわたしを愛してくださっているということを信じることです。このわたしを愛してくださっている方がおられる、とせっかく信じることができたのに、その信仰を捨てるのは、無駄なことであり、もったいないことです。そのようなもったいないことは、わたしたちにはできません。わたしたちが信仰を捨てることができない理由は、このあたりにあるのです。

ところが、この信仰を捨てることができないために、わたしたちは迫害にあう。これは、ある意味でジレンマです。迫害にあいたい人など一人もいません。それは病気になりたい人は一人もいないのと同じです。わたしたちは信仰を捨てることはできませんが、迫害にあいたくはないのです。両方が同時に成り立つ道を探したいと願っています。しかしそれが、なかなか見つからない。そこにまた苦しみが生じるのです。

ただし、です。私自身は、今申し上げている点に限っては、悪意味での被害者意識などは持つべきではないだろうとも考えております。たとえば、次のようなことを考えてみていただきたいのです。差しさわりが生じないように、私の話をします。

私は自分で望んで、あるいは自分で願って牧師という仕事に就きました。牧師の仕事は、おそらくお察しいただけるとおり、けっこうきついものですし、厳しいものです。しかし私はべつに被害者ではありません。もし私が皆さんの前で「牧師の仕事はきつい、厳しい」と言い出しますならば、そんなに言うならお辞めになったらよいのにと思われるでしょう。実際にそういう面があるのです。泣き言ばかり語る牧師は教会にとって迷惑な存在であるはずです。私はこの仕事をやりたいからやっているのです。やらされている、というような意識は少しもありません。

信仰生活にも、この点では同じことが当てはまります。信仰者たちは、なにもべつに、いつでも必ず被害者であるわけではありません。わたしたちは、信じたくて信じているのです。教会に通いたくて通っているのです。信じさせられているのでも、通わされているのでもありません。きついだの厳しいだの言っていると、お辞めになったらよろしかろうと、周りの人々が言い始めるでしょう。信仰と教会に関する一切の重荷を降ろしてしまえば、あなたは今よりずっと楽になることができますよ、と誘ってくるでしょう。

その声のすべてが悪魔の声であると、私は言いません。もしかしたら天使の声かもしれない。ただし、もちろん、私が皆さんに「お辞めになったらよろしかろう」などとはまさか言いません。信仰生活を続けることが、もし皆さんにとっての何らかの被害者意識の原因になっているというならば、その信仰生活のどこかに、あるいは、通っておられる教会に問題があるのではないかと疑ってみる必要があるだろうと申し上げたいだけです。

しかし、です。ここで考えてみなければならないことは、苦しみのないような仕事は、どこにも存在しない、ということです。あるいは、苦しみのないような奉仕も、存在しません。いや、もっとはっきり言っておきます。苦しみのないような人生は、存在しません。遊びにおいてさえ、わたしたちは苦しむのです。苦しみから逃げようとすることは、そのまま死を意味する、と言わなければならない。それほどにわたしたちは、どこにいても、何をしても、苦しみ続けなければならない存在なのです。その意味では、わたしたちの人生そのものが「苦しめられている」ものです。生きていること自体が、いわば被害です。実際にそういう面もあるからです。

パウロがここに「苦しめられている」と書いていることには、思わず書いてしまったという面があるかもしれません。そんなに苦しいなら辞めればよいと言われてしまう、一つの口実を与えます。ある意味では、迂闊な言葉であると言われても仕方がないものでさえあるでしょう。

しかし、です。わたしたち自身は、もちろん、パウロの言葉を迂闊な言葉であるとだけ言って済ますことはできません。明らかな意図をこめて書いている面もある、とも考えるべきです。それは何でしょうか。

前後を読めばはっきり分かることがあります。それは、パウロが「苦しめられている」姿には、イエス・キリストの苦しむ姿が映し出されているということです!

「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために」。この意味は、わたしたち(キリスト者!)が、この信仰のために、この教会のために、あるいはこの社会のために、そしてこの人生そのもののために苦しんでいる姿には、あの十字架にかけられた救い主イエス・キリストの姿が、生々しく映し出されている、ということです!

このことに、パウロは大いに励まされていたのだと思います。わたしたちの姿の中に、イエス・キリストのお姿が映し出されることに、です。あんなに嫌な目にあっているなら逃げたらいいのに、辞めたらいいのに、と周りの人が言いたくなるほどに苦しんでいるのに、いつものように起き上がり、立ち上がり、身支度をして出かける、このわたしたちの姿に、十字架上でお苦しみになっておられるイエス・キリストのお姿が映し出されることに、です!

イエス・キリストを信じる者たちは、イエス・キリストの十字架上の苦しむ姿に、胸を打たれ、心砕かれて、信じるようになったのです。人を愛し、世界を愛し、助けるために命をささげてくださった、その姿に胸を打たれ、心砕かれて、信じるようになったのです。

そうであるならば、わたしたちの結論は、はっきりしています。わたしたちの苦しむ姿に救い主の姿が映し出されるとするならば、そのわたしたちの姿を見てもらうことこそが伝道なのです。わたしたちが苦しむ姿には、人を救う力がある。苦しむこと自体が、価値ある人生なのです。

そのことを信じるゆえに、わたしたちは、行き詰まらないし、失望しないのです。打ち倒されても“どっこい生きて”いるのです。

(2007年12月30日、松戸小金原教会主日礼拝)