2008年1月6日日曜日

カントの意図は何か

Amazonは速いです。カントの『純粋理性批判』の原書Kritik der reinen Vernunftがもう届きました。たった二日で来ました。

それにしても、人生の中でカントの原書を手にする日が訪れるとは想像もしていませんでした。ドイツ語など大して読めるわけでもないのに、今かなり興奮しています。

原書を調べたいと思ったことには、もちろん理由があります。岩波文庫版(篠田英雄訳)の「第一版序文」のなかの一文、「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった」(14ページ)に、誤訳とまではいえないにしても、余りにも強い偏見や作為に基づく訳文である可能性を感じたからです(講談社学術文庫版の天野貞祐訳も、この一文に限っては事情は同じです)。

原文はこうでした。Anfänglich war ihre Herrschaft, unter der Verwaltung der Dogmatiker, despotisch. (S. 6) これをなるべく中立的な語調で訳すとしたら、「初めの頃、形而上学〔神学の哲学的呼び換え〕の支配は教義学者の管理下にあって専制的なものであった」というくらいでしょう。

カントが問題にしていることは、ヨーロッパの大学の歴史ではないでしょうか。それは多くの場合、聖職者養成機関(神学校)として出発しました。その後そこに神学(または形而上学)以外の諸学が加わって総合大学となり、学園としての拡大ないし発展が起こりました。そしてそのうち学園全体の中での神学部(または哲学部形而上学科など)の相対的重要性が低くなっていくという経過を辿りました。

これら一連の経過の「最初の頃」の話を、ここでカントはしているのだと思われます。