2008年1月19日土曜日

「蕾」と「桜」

昨日の日中は葬儀、夜はある地域ボランティア団体の新年研修と新年会でした。ハードでしたが、心は平安で満たされています。地域ボランティアの活動には約四年前から加わっています。委嘱された経緯などから、正体を特に明かさないで来ました。しかし、昨夜は司会者から「若い世代を代表してスピーチを」と指名されましたので(最年少だったようです)、これも好い機会かと初めて「牧師」であることを明かしました。案の定驚かれ、私のテーブルが宗教の話題で持ちきりになってしまいました。「私も子供の頃、日曜学校に通ってたことがあるのよ。まあ三年くらいでやめちゃったけどね。でも主の祈りとかは覚えてるし〔その場で主の祈りを諳んじてくださいました〕、日曜学校で教えられた奉仕の精神は、今でも自分の中に生きていると思っているわよ」とか、「実家は仏教だけど、私は無宗教だね」とか、「宗教なんて、まああれだ、要するに集団の規律を守るために作られたものだと思っているよ。そういう意味では大切なものだと認めてはいるけどね」とか、「日本人は、葬式は仏教でやるけど結婚式はキリスト教でやったりして、いいかげんなもんだ。でも、そういうのがいかにも日本人らしくていいんじゃないかね」など。だいたい予想通りの反応をいただきました。席を白けさせてしまったかなと反省もあり、カラオケに参加することにしました(そういう席で歌うのは十数年ぶりのことです)。歌ったのは、いつも車の中で聞いているコブクロの「蕾」(つぼみ)と「桜」(さくら)でした。「蕾」は昨年の日本レコード大賞曲、「桜」はコブクロ結成のきっかけとなった名曲です。牧師が当代の流行曲を(意外に上手に?)熱唱している姿に再び驚かれ、またけっこう喜んでもらえました。とりあえず顔と名前だけはお歴々に覚えてもらえたのではないかと。その意味では収穫あったよねと、自分に(都合よく)言い聞かせています。帰り際、イケメンの男性店員が「蕾、いい歌ですよね」と、耳元でささやいてくださいました。そんなこんなで、せっかく再開を決意したウォーキングに行く時間と気力がありません。カントの『純粋理性批判』の読書も中断したままです。人間関係を広げていくことと物事に集中することは、反比例の関係にあるようです。ただの言い訳ですが。