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2017年11月12日日曜日

キリストと共に生きる(千葉若葉教会)

日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会(千葉市若葉区)

ヨハネによる福音書6章54~56節

関口 康(日本基督教団教師)

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」

おはようございます。ご無沙汰して申し訳ございません。皆さんにお会いする機会はもうないかと思いましたが、新たにチャンスを与えられました。ありがとうございます。最後に千葉若葉キリスト教会に参りましたのは8月13日日曜日ですので、2か月半ぶりです。今日もどうかよろしくお願いいたします。

先ほど朗読していただきましたのはイエスさまのみことばです。このようなことをイエスさまがおっしゃったと、ヨハネが記しています。

すぐあとに「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。『実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(60節)と記されています。そして「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」(66節)と記されています。

はっきり言えば、気味が悪い話だったのです。「わたしの肉を食べなさい、わたしの血を飲みなさい」と言われたイエスさまの言葉を文字どおりに受けとめたのです。それでとても耐えがたい言葉だと思えたので、イエスさまについていくのをやめたのです。

ただ、その「弟子たちの多く」の中に十二人の弟子が含まれていなかったことは、67節に書かれていることで分かります。「そこで、イエスは十二人に、『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた」(67節)。イエスさまから離れて行った弟子たちの中に十二人の弟子たち(十二使徒)は含まれていなかったということです。

しかし問題はイエスさまの言葉を聴いて離れて行った弟子たちのことです。その人々はイエスさまがおっしゃったことをまっすぐ受けとめたのです。まさに文字通り受けとめたのです。だからこそ、ついていけなくなったのです。

しかしもしそうだとすると、イエスさまから離れて行った人々が悪いと言えるでしょうか。その人々はイエスさまのみ言葉の真意を理解する力が足りなかった愚かな人々だった、というようなことが言えるでしょうか。

あるいはそれに対して、イエスさまから離れて行かなかった十二人の弟子たちはとても賢い人々であり、イエスさまの言葉を文字通り受けとめることをせず、いつも言葉の裏側を考えながら聴く人々だったので、イエスさまから離れなかった、というようなことが言えるでしょうか。

そして、もし仮に私がいま申し上げたようなことが言えるとして、イエスさまの言葉を文字通りまっすぐ受けとめた人々は、その結果としてイエスさまから離れて行ったので間違っている。逆に、イエスさまの言葉を文字通りまっすぐに受けとめないで常に言葉の裏側を読みながら聴いていた人々は、その結果としてイエスさまから離れなかったので正しい、というようなことが言えるでしょうか。

そういうふうに言ってしまうことに、私にはとても抵抗があります。わたしたちはいつも人の言葉の裏を考えなければならないのでしょうか。そういう人の話の聴き方自体に問題がないでしょうか。

なんとなく心が歪んでいる、ひねくれている人にならなければ、イエスさまの弟子になることができないのでしょうか。まっすぐ聞いてはいけないような話をしたイエスさまに責任はないでしょうか。人をつまずかせるようなことを言ったイエスさまが悪いと反発するのは、間違っているでしょうか。

しかし、そういうふうにまたはっきり言ってしまうのは、イエスさまから離れていった人々の言い分に加担することを意味します。加担するのは私は構わないと思います。しかし、そこで私はもう一方のイエスさまの側のことも考えます。

イエスさまは失言なさったのでしょうか。口を滑らして、人前で言うべきでないことをうっかり言ってしまわれたのでしょうか。それで弟子たちの多くが離れて行ってしまったので、大慌てで取り消そうとしても後の祭り、というようなことだったでしょうか。

それもおかしな気がします。それは違うと私は思います。イエスさまは明らかに、意図的にこのことをおっしゃっています。私がここで申し上げたいのは、イエスさまの言葉を文字通りまっすぐに受けとめたからこそつまずいたその人々のほうが悪いと私は思わない、ということです。

そういう話の聴き方を常に求められても困ると思う人々は多いでしょう。「わたしの肉を食べなさい。わたしの血を飲みなさい」という言葉を聞いた人々は、具体的に何を想像すればよいのでしょうか。聞いたとおりのことしかイメージできない人がいてもおかしくありません。

それではだれが悪いのでしょうか。最も正しいのはだれでしょうか。私なりの答えを申しますと、だれも悪くありません。イエスさまは失言なさったのではありません。イエスさまから離れていった弟子たちは、イエスさまの言葉を文字通りに受けとめたこと自体を責められるべきではありません。イエスさまから離れなかった十二人の弟子たちだけが特別に賢かったわけでもありません。

どちらが悪い、だれが悪いと犯人捜しをしたがるのは、わたしたちの悪いくせです。しかしそのようなことをついしてしまうことがあります。その理由も分かります。人がつまずく、離れていくという言葉を聴けば、わたしたちの胸が痛みます。それはわたしたちの眼前の教会の現実を考えざるをえないからです。どうすれば人が増えるか、どうすれば人が減らないかと、そればかりを考えてしまいます。原因究明を考えます。そしてつい、犯人捜しをしてしまいます。

私も教会の牧師でしたから、おそらく私の言葉につまずいて教会に来なくなったに違いない方々がおられたことを記憶していますし、自覚しています。別の教会に通っておられるのであれば安心ですが、そうでないなら私は一生謝り続けなくてはなりません。ただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。

しかし、ここで私が申し上げたいのは、教会に通う人々はイエスさまの弟子なのだということです。その中にいる人々が、もしイエスさまご自身の言葉を聴いてつまずいたということであれば、わたしたちにはどうしようもないと言わざるをえないのです。

わたしたちがイエスさまの言葉を勝手にオブラートに包んで飲み込みやすくしてみたところで、お腹の中に入れば効き目は同じです。体質に合わない人にとっては、副作用ばかり強くて、かえって体を壊してしまうことがありえます。

今私が申し上げているのは、冷たく突き放す意味で言っているのではありません。むしろ尊重する意味で申し上げています。そして、そんなのは逃げの一手だと思われることを覚悟して申し上げますが、イエスさまの言葉においても聖書全体の言葉においても理解できない、分からない、納得がいかない、つまずくと感じる箇所はたくさんあります。

多くの牧師たちが参考にしているような信頼されている学問的な聖書注解書を実際に読んでみれば分かることですが、この箇所は理解できない、よく分からない、納得いかない、つまずくと、その著者である聖書学者自身が書いています。聖書は分からないことだらけです。そういう本だと思いながら読む必要があります。

しかし、今日皆さんにお話ししようと思って準備してきたことの一番大切なことを、私はまだ言っていません。それをこれから申し上げます。

私が今日最も大事なこととして申し上げたいのは、イエスさまが弟子たちに「わたしの肉を食べなさい。わたしの血を飲みなさい」とおっしゃった言葉は他の言葉で言い換えることができないということです。

そうとしか言いようがないことなので、たとえそれで多くの弟子たちがつまずき、イエスさまから離れていく原因になったとしても、それでイエスさまが責められる理由にはならない、ということです。

つい最近、大きく報道された猟奇的な事件があったばかりですので、そういうのと混同されるのは避けなければなりません。しかし、いま申し上げているのも、人の話の聴き方の問題です。

「わたしの肉を食べなさい。わたしの血を飲みなさい」と言われて「はいそうですか、分かりました」と、言われたとおりに行動を起こすような猟奇的な人はそうそういないし、いたら困ります。そのようなことは通常ありません。しかし、イエスさまとしては、そうとしか言いようがない、他の言葉で言い換えることができない、そのような思いでこのことをおっしゃったのだと考えることができると思うのです。

「私は思います」と説教で言いますと、厳しく批判されることがあります。「牧師の意見など聞いていない。我々は神の言葉を求めているだけだ」と猛烈に反発されることがあるのですが、そういうのも人の話の聴き方の問題です。はっきり言えることについては、はっきり言う。はっきり言えないことについては、はっきり言わない。断言できないことは断言しない。それもわたしたちが聖書を読むときに大事なことです。

別の言葉で言い換えることができない言葉は、聖書の中にたくさん出てきます。たとえば「神さま」は他のどの言葉で言い換えることができるでしょうか。「救い」という言葉はどうでしょうか。「罪」という言葉はどうでしょうか。

「聖書は現代人にはよく分からない書物なのだから現代人の言葉に置き換えることによって分かりやすくすべきである」という議論がなされることがあります。しかし、そう言われてもどうしようもない、他の言葉で置き換えようのない言葉が、聖書の中には満ち満ちています。

「わたしの肉を食べなさい。わたしの血を飲みなさい」とイエスさまが弟子たちにおっしゃったことは、実はおそらく文字通りの意味しかありません。イエスさまは本当に、本気でそう思われたので、そうおっしゃったのです。

そういうふうに言いますと、みなさんは驚かれるでしょうか。しかし、全く同じではないかもしれませんが、ここでイエスさまがおっしゃっているのと似ていることをわたしたち自身が考えたり言ったりすることはありうると、私は思うのです。それとも、こんなことはたったの一度もお考えになったことも言ったこともないでしょうか。

たとえばわたしたちは「あなたにわたしのすべてをあげる」とだれかに言ったことはないでしょうか。私はたぶん言ったことがあります。妻に。あるいは子どもたちに。みなさんはないでしょうか。そういうことを、いまだかつて一度も考えたことがないでしょうか。

そんなはずはないと思うのです。口にしたことがなくても、考えたことくらいはあると思うのです。それとも、あなたのものはわたしのもの。世界のすべてはわたしのもの。わたしのものはわたしのもの、でしょうか。それはあまりにも個人主義的すぎないでしょうか。利己的すぎないでしょうか。

イエスさまは弟子たちに、本当にご自分の肉を食べ、血を飲んでもらいたかったのだと思います。このたびこの箇所を改めて読み直してみて、そう思いました。

そして、これはイエスさまが弟子たちに、そしてわたしたちに示してくださった愛の究極表現であると思いました。その意味を言うとしたら、「あなたにわたしのすべてをあげる」ということだと思います。

自分の分をしっかりとキープして「残ったかすをあなたにあげる」とイエスさまは言っておられません。「あなたはあなたで生きてください、わたしはわたしで生きていきます」とも言っておられません。

今日の箇所の言葉は、私が言っていることではなくイエスさまがおっしゃったことですので、私が勝手にオブラートに包むことはできません。しかし、どうかみなさんはつまずかないでいただきたいと願っています。

イエス・キリストと共に生きるとはそのようなことです。キリスト者であるというだけで、世間の中で誤解されたり、教会の中ですら難しい要素があります。しかし責任はすべてイエスさまがとってくださいます。

(2017年11月12日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会主日礼拝)

2017年8月13日日曜日

みんなで分け合う喜び(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書6章9~11節

関口 康(日本基督教団牧師)

「『ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。』イエスは、『人々を座らせなさい』と言われた。そこにはたくさんの草が生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。」

今日もヨハネによる福音書を学びます。先ほど朗読していただきました箇所に描かれているのは、イエスさまが御自身のもとに集まった5千人の人々に食事をふるまったという出来事です。このことは新約聖書の4つの福音書すべてに描かれています。それぞれの福音書に記されている内容には少しずつ違いがないとは言えませんが、大きな差はありません。

出来事の流れは次のとおりです。発端は、イエスさまがガリラヤ湖の向こう岸に渡られたことです(1節)。すると、大勢の群衆がイエスさまの後を追いました(2節)。するとイエスさまは山に登られ、弟子たちと一緒にそこにお座りになりました(3節)。そしてイエスさまは、御自身のもとに集まった大勢の群衆の食事についての心配をなさいました。

「イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに『この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか』と言われた」(5節)と書いてあるとおりです。しかし、すぐに続けて、そのようにイエスさまがおっしゃったのは「フィリポを試みるため」(6節)であったとも書かれています。「試みる」とは、テストすることです。イエス先生が学生フィリポに試験問題をお出しになったのです。

そのときのフィリポの答えは次のようなものでした。「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」(7節)。

「デナリオン」は当時のローマの銀貨の単位です。1デナリオンが当時の労働者の1日分の賃金に当たります。それが今のわたしたちにとってのいくら分かを言うのは難しいことです。労働者の賃金にばらつきがありますので。

しかし、話を単純にするために、1デナリオンを1万円と考えることは不可能ではないかもしれません。それで言えば、フィリポがイエスさまに答えた「二百デナリオン分のパン」は200万円分です。あるいは、1デナリオンを5千円とすれば100万円分です。どちらにしても高額です。

しかし、金額の問題もさることながら、ここでわたしたちが考えなければならないのは、フィリポが返した答えの意味です。それが仮に、今の200万円分のパンに相当するとしても、100万円分のパンに相当するとしても、それだけでは足りないとフィリポがイエスさまに答えたとき、それだけのパンを、それを買うためのお金を、はい分かりました、これからわたしたちが全力で準備いたします、という意味で答えているかどうかが問題です。

全くそうではありませんでした。フィリポは、わたしたちにそれだけのパンやお金を準備する力はありませんと言いたかっただけです。それはわたしたちには不可能です、そのような無理なことを、あなたはわたしたちにご命令なさるおつもりなのですかと、イエスさまに不平を述べているだけです。それを言いたいがために「二百デナリオンのパン」という数字を言っているだけです。

このフィリポの答えをイエスさまはどのようにお聞きになったでしょうか。それが、わたしたちがよく考えるべきことです。5千人に二百デナリオン分のパンが必要だというのは、あなたの言うとおりであると、イエスさまはフィリポをおほめになったでしょうか。

二百デナリオンが200万円なら1人400円、100万円なら1人200円です。コンビニに行けば、それくらいのパンやお弁当が売っている。現実的な答えを考えてくれたフィリポよ、よくやったと喜んでくださったでしょうか。どうやらそうではなさそうです。雲行きは怪しいです。

なぜなら、フィリポの答えは大勢の群衆の食事の心配をなさったイエスさまのお気持ちに同意し、なんとかしてこの事態を打開したいと思いますという意思表示ではないからです。はなからあきらめ、そんなことは無理です、不可能ですと、ただ言いたいがために言っているだけだからです。なんとかしようという姿勢が少しも見られません。イエスさまが了解してくださるはずはありません。

そのとき、イエスさまの弟子のひとりでシモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスさまに次のように言いました。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」(9節)。

アンデレはフィリポに助け舟を出しているのかもしれません。いくらなんでもフィリポの答え方ではまずい。イエスさまの顔色が悪い。このままだと弟子たちみんながお叱りを受ける。もう少しましな答えを考えなくてはと、大慌てだったかもしれません。

するとそのとき、ちょうどいいところに一人の少年が見つかった。この少年は5つのパンと2匹の魚を持っている。我々の側に全く手持ちがないわけではない。完全にゼロではない。しかし、いくらなんでもこれだけで5千人の食事をどうにかするのは無理であると、アンデレも言おうとしています。

つまり、アンデレの答えもフィリポの答えと結論が同じであるということです。アンデレが少年を見つけ、5つのパンと2匹の魚があるということをイエスさまに知らせたのは、「これだけありました。これでなんとかしましょう」とイエスさまに提案するためではなく、「これだけしかないのであきらめましょう」とイエスさまを説得するための具体的なデータを探してきただけでした。

皆さんはどう思われますでしょうか。つまらない話だとお思いになりませんか。フィリポにしてもアンデレにしても、共通しているのは、危機的な状況に直面したときに「これだけあります。これでなんとかしましょう」と前向きな提案をするのではなく、「これしかありません。だからやめましょう、あきらめましょう」と後ろ向きの提案しかできない人々であったということです。

たとえばの話ですが、もしみなさんが会社の人事部に配属されて新入社員の面接を担当することになったとき、最初から最後まで後ろ向きのことしか言わない、否定的なことしか言わない人を、それでも採用しようと思いますでしょうか。「無理です、無理です、やめましょう」としか言わない人を。

何もイエスさまは、現実離れした大言壮語を弟子たちに言わせようとしたのではないと思われます。しかし、はなからあきらめていて、どこかしら投げやりで、どうせ無理だから、我々にどうすることもできないと一方的に言い張るだけで、それ以上のことを考えるのをやめてしまう。どれほど現実のニードがあっても、わたしたちにその責任を引き受けるのは不可能であると、ひたすら逃げ腰でいる。そのような弟子たちの姿にイエスさまはがっかりなさったのではないでしょうか。溜め息しか出ない。二の句が継げない。そういうお気持ちになられたのではないでしょうか。

実はここで私はもう一つ気になる点があるのですが、それは後回しにします。特にこのアンデレの答えの中に気になることがあります。腹が立つほどに。しかし、それは後で申し上げます。

さて、それでイエスさまがお命じになったのは「人々を座らせなさい」ということでした(10節)。「そこには草がたくさん生えていた」(10節)と記されています。

「草」についてはマタイによる福音書にもマルコによる福音書にも記されていますが、ルカによる福音書には記されていません。まさかとは思いますが、皆さんの中に「ああそうか、この草をむしって食べたのか、そういう話だったのか」と連想なさる方がおられないことを私は願います。

そういう話ではありません。固い地べたの上ではなく柔らかい草の上に座るように群衆に呼びかけたのはイエスさまの優しい配慮だったと考えるほうがよろしいのではないでしょうか。

そしてイエスさまがお始めになったのが、少年が持っていた5つのパンと2匹の魚を、5千人の人々に「分け与える」ことでした。「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいぶんだけ分け与えられた」(11節)と記されています。他の福音書にも基本的に全く同じことが記されています。すべて確認します。

マタイによる福音書の記述は次のとおり。「そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた」(マタイ14章19節)。

マルコによる福音書の記述は次のとおり。「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された」(マルコ6章41節)。

ルカによる福音書の記述は次のとおり。「すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた」(ルカ9章16節)。

今確認したことで分かるのは、すべての福音書に共通しているのは、イエスさまが「五つのパンと二匹の魚」を「5千人に分け与えた」ということです。それ以上のことは記されていません。「五つのパンが五千個に増えました」とも「二匹の魚が二千匹に増えました」とも記されていません。

しかし考えてみれば、「分ける」ということはある意味でそういうことかもしれません。5つのパンを5千個にすることは物理的に可能です。一つのパンを千個に分けるのは難しいことではありません。そこに超自然的な力も奇跡の要素も必要ありません。ただ「分ける」だけであれば。

そんなばかな、と思われるかもしれません。すぐあとに「人々が満腹した」(12節)ことや、パン屑で12の籠がいっぱいになったと記されていること(13節)はどうなるのかと、きっとお思いになるでしょう。

私はそのことを否定したいのではありません。もちろんこの出来事はイエスさまが行われた奇跡として確かに記されています。しかし、聖書に記されているのは、イエスさまはがなさったのは「五つのパンと二匹の魚」を「五千人に分け与えた」ことだけです。それは物理的に可能なことです。

いま私が持っているわけではありませんが、ここに5千円札があることを想像してみてください。この5千円札を5千人に分けることになりました。それは可能です。ただし、ハサミで5千分の1に切って分けるのは、ばかげています。1人1円ずつにして分けるでしょう。ただそれだけです。なんら奇跡の要素はありません。

お金と食べ物は違うと思われるのは当然です。私も一緒くたに考えているわけではありません。ただ、この出来事を理解するためのヒントにはなると思っています。

この出来事に謎の要素はいくつかあります。一つは、5千人もいた人の中で食べ物を持っていたのが一人の少年だけだったということがありうるだろうかということです。もう一つは、少年が持っていた魚は、生だったのか、それともすでに調理済みだったのか、ということです。もし生魚だったら、どうやって分けたのかが気になります。刺身でしょうか。包丁があったのでしょうか。

さてそろそろ、先ほど私が、アンデレの答えの中に腹が立つほど気になることがあると言ったことを申し上げます。アンデレは「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます」(9節)と言いました。

私が気になるのは、アンデレはこの「五つのパンと二匹の魚」をどうするつもりだったのかということです。食事はすべて自己責任だ、我々の責任ではないと言い放って、5千人の群衆は手ぶらで帰らせて、「五つのパンと二匹の魚」をイエスさまと弟子たちだけで全部せしめるつもりだったのでしょうか。その表現しがたい狡猾さ、ケチくささ、特権意識が、私には気になります。

もし仮に弟子たちがそうしたとしても、群衆にはバレなかったかもしれません。しかしイエスさまがそれをお許しになったでしょうか。「5千円しかない。だから分けられない」と言い張って、5千円を独り占めするか、それとも1円ずつにして全員に分けるか。イエスさまならどちらをお選びになるでしょうか。どちらが「皆の満足」になるでしょうか。

しかし、この箇所についての説教や解説を私は何度となく聴いてきましたが、だいたいいつも奇跡の話で終わってしまい、「分け合うこと」の意味を教える話になりません。それが私にとっていちばん謎です。

人のお腹は不思議なものです。1日2日食べなくても平気なときもありますし、のど元まで食べても満足できないときもあります。「満腹」にせよ「満足」にせよ、人の心の問題と結びついているからです。

「これしかない」からと言って分け合うことをやめ、特定の人々だけがせしめてしまうのがいちばんよくないことです。その問題を、教会こそがよく考える必要があります。

(2017年8月13日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会 主日礼拝)






2017年8月6日日曜日

聖書はキリストを証しする(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書5章39~40節

関口 康(日本基督教団牧師)

「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。」

今日もヨハネによる福音書を開いていただきました。今日の箇所に記されているのは、イエスさま御自身の言葉です。ただし、他の福音書には出てきそうにない、ヨハネによる福音書独特の雰囲気を持つ言葉であると感じられます。

しかし、本当にこういうことをイエスさまがおっしゃったのかという問題には触れないでおきます。どのみち水かけ論になりますので。はっきり言えるのは、ヨハネによる福音書はこれをイエスさまの言葉として記しているということです。

内容的にわたしたちにとって興味深いことが記されているのは間違いありません。ここで問われている根本問題は「聖書の正しい読み方は何か」であり、そしてまた同時に「そもそも聖書とは何か」ということです。

わたしたちは最低でも毎週日曜日には聖書を開いて読んでいます。日曜日も読まないというのではさすがに困ります。もちろん、日曜日だけでは足りない、毎日読まなければならないとお考えの方もおられるでしょう。

しかし、どうあるべきだというような言い方はしないでおきます。プレッシャーを感じる人が必ずいますので。それぞれ長年続けてきた読み方を守っていけばいいことです。

そのことよりもむしろよく考えなければならない問題は、それがまさに「聖書の正しい読み方は何か」ということであり、そしてまた「そもそも聖書とは何か」という問題です。

みなさんはパソコンをお使いになるでしょうか。機械がてんで苦手だという方もおられるでしょう。私はパソコンでもなんでも「取扱説明書」を全く読まない人間です。そんなものを読まなくてもなんでもすぐに使えるという意味ではありません。むしろ全く使えません。すべては手探りです。だから最初は失敗だらけです。それでも使っているうちにだんだん分かってきます。

私の場合は「取扱説明書」を読むのが面倒くさいだけです。だから無駄な回り道をしてしまいます。しかし、回り道などしている余裕がない方は最短コースを選ぶほうがいいでしょう。そういう方々のために「取扱説明書」があります。

今申し上げているのは、聖書にも「取扱説明書」があるということです。それが今日の箇所であるということです。

わたしたちは聖書をどのように読んでも構いません。聖書はキリスト教書店だけでなく一般の書店で買えます。インターネットでも買えます。だれでもどこでも手にすることができる本の読み方を規制することはできません。しかし、聖書そのものが「聖書の読み方」を教えています。聖書の「取扱説明書」が聖書の中に記されています。それがわたしたちの助けになります。

ここに記されているのは3つの文章です。順を追って説明します。第一の文章は、「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している」(39節)です。

訳はこれで問題はありませんが、問題は意味です。「聖書の中に永遠の命がある」とはどういうことでしょうか。おそらく「聖書という中に永遠の命を得るための方法が記されているとあなたがたは考えている」という意味です。

ここではっきり申し上げておきたいのは、これは聖書についての正しい理解であるということです。聖書の中には「永遠の命」を得るための方法が確かに記されています。少しも間違っていません。

しかし、ここで言われているのが「聖書の中に永遠の命を得るための方法が記されているとあなたたちは考えている」ので「あなたがたは聖書を研究している」ということです。こういうふうに言われますと、それはいけないことなのでしょうか、間違っているのでしょうかと聞き返したくなります。しかし、決して間違っていません。これで十分、正しい聖書理解であり、正しい聖書の読み方です。

しかし、まだ気になる方がおられるかもしれません。ひょっとしてこの箇所で「あなたたちは聖書を研究している」と言われている、この「研究」が問題ではないかとお考えになるかもしれません。しかし、結論を先に言えば、「研究」そのものは問題ではありません。少しも間違っていません。

ここで「研究」と訳されているギリシア語の言葉は、新約聖書の中で多く用いられている言葉ではありません。この言葉が用いられている最も有名な箇所は、使徒パウロのローマの信徒への手紙8章27節です。「人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます」。この中に出てくる「見抜く」が今日の箇所の「研究する」と同じ言葉です。

これで分かるのは、今日の箇所で「聖書を研究する」と言われているのは決して悪い意味ではないということです。聖書の意味を深く考え、洞察することです。それは、聖書の中に記された神の御心は何かを「見抜く」ことです。それが悪いということはありません。

「聖書は研究するものではない」と考える人は、教会の中に決して少なくありません。「研究する」と言われるとどうしても学校を思い出すことになります。しかし、教会は学校ではない。聖書は研究するものではなく信じるものである。そう言いたくなる気持ちは私も分かります。

日本の教会でたいてい水曜日か木曜日あたりに行われることが多い「祈祷会」を「聖書研究祈祷会」とか「聖書研究会」と名づけている教会があります。それは間違っている、聖書は研究するものではない、と言われることがあるのですが、間違っていません。教会も聖書を研究しますし、研究してもいいのです。「聖書研究」自体は問題ではありません。

しかし、あらかじめ申し上げておきますが、今日の説教の最後にもう一度この問題に戻ってきます。それは「聖書研究」には限界があるという問題です。それは最後に触れます。今申し上げられるのは、第一の文章に記されていることの中に間違っている部分はないということです。すべて正しいことが言われています。

しかし、第二の文章は「ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」(39節)となっています。ここで「ところが」という否定的な接続詞が出てくるので第一の文章を否定しようとしているに違いないと、つい反応してしまいますが、否定ではありません。原文もbutではなくandの意味を持つギリシア語が用いられています。「しかし」ではなく「そして」です。

しかしそれでは、第二の文章の意味はどういうことになるのでしょうか。それをよく考える必要があります。「聖書はわたしについて証しをするものだ」の「わたし」はイエス・キリスト御自身です。そして「証しをする」とは「証言する」ことです。これまでのヨハネによる福音書の学びの中で2回「しるし」の話が出てきました。「しるし」と「証し」は言葉も意味も違いますが、内容的に重なり合うところが多くあります。

しるしの話で用いたたとえを繰り返します。空を見ると、黒い雲が立ち込めている。その雲を見て、まもなく雨が降ることを知る。その場合の「雲」は「雨」のしるしです。雲それ自体は雨ではなく、雨を指し示すものです。

それと「証し」が似ています。聖書はイエス・キリストについて証しをする。それは聖書そのものはイエスさま御自身ではないという意味にもなります。聖書そのものは救い主ではなく神でもない。聖書はあくまでも救い主を指し示し、神を指し示す存在にすぎない。それが「聖書はわたしについて証しをするものだ」と言われていることの意味です。

わたしたちがそんなことをすることはありえませんが、もし聖書そのものが救い主そのものであり、神そのものであるとすれば、わたしたちは聖書そのものを拝み、聖書そのものを信じ、聖書そのものに向かって祈るというようなことをしなくてはならなくなります。しかし、そんなことをわたしたちはしません。

今申し上げたことは脱線です。大事なことは、聖書がイエス・キリストを指し示す書物であり、その意味で「キリスト証言」の書物であるということを第二の文章が明言していることです。しかしそれは第一の文章で言われている「聖書の中に永遠の命があると考えて聖書を研究すること」と矛盾することなのかというと全くそうではありません。矛盾も対立もありません。

ここで言われていることの意味は、聖書に記されている「永遠の命を得るための方法」と、聖書が指し示す「イエス・キリスト」を知ることは同じであるということです。一方に「永遠の命」があり、他方に「イエス・キリスト」がおられるので、聖書の読者はどちらか一方を選ばなければならないということではなく、二つのことは一つであると言っているのです。

これで第三の文章の意味ははっきりお分かりになるでしょう。第三の文章は「それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない」(40節)です。

「永遠の命を得る方法を知ること」と「イエス・キリストを知ること」という二つのことは一つのことなのに、まるでそれが二つのままであるかのように思っている。あれかこれかの二者択一を迫られているかのように思い込んでいる。その認識は間違っていると、イエスさまはおっしゃっているのです。

そして、聖書を研究する人々が「わたしのところへ来ようとしない」のはどういうわけなのだとイエスさま御自身がおっしゃっています。イエスさまは腹を立てておられるのではありません。強いて言えば、残念がっておられます。もったいないと思っておられます。そして、早く来てほしいと首を長くして待っておられます。そんなふうにとらえるほうがよさそうです。

そして、ここで「後でお話しします」と申し上げた問題に戻ることになります。「聖書を研究すること」そのものは間違っていませんが、限界があると申しました。

それは、「研究」だけであればすべて自分ひとりでできてしまうことです。「聖書を研究すること」は「イエス・キリストのもとへ行くこと」と同じではありません。自分の部屋に引きこもり、本を読み、想像力を働かせ、自分なりの結論を出して納得することはできます。しかしそれは「イエス・キリストのもとへ行くこと」とは違います。

私にとっては屈辱的な話ですが、私は子どもの頃から肥満体で、人生で一度も痩せていたことがありません。それで、子どもの頃からスポーツが苦手でした。その代わり本はよく読みました。母や伯母が教えてくれたことですが、私の記憶にない2歳くらいの頃から私はじっと黙って一人で本を読んでいるタイプだったそうです。

そして私は、スポーツが苦手だった代わりに、スポーツについて書かれている本を読むのが好きでした。「野球について」、「サッカーについて」、「卓球について」というような本を。

しかし、それは野球そのもの、サッカーそのもの、卓球そのものをプレイすることとは違います。頭の中でただ想像しているだけです。王貞治選手の一本足打法とか、サッカーのルールとか、卓球のラケットのラバーの張り方とか、興味津々でした。しかし、自分でそれをやったことはありません。

聖書も同じであると言いたいのです。聖書を研究すること自体がいけないわけではありません。しかし、そのこととイエス・キリストとの生きた交わりの中に入ることは根本的に違います。

イエス・キリストとの生きた交わりに入るためにはどうしたらいいのでしょうか。途中の議論を省いて結論だけ言えば、イエス・キリストの体なる教会の交わりに入ることです。教会の活動に参加し、教会の仲間と共にイエス・キリストの御心を行うことです。

それが「永遠の命を得ること」とどのように関係しているのかについてお話しする時間は、今日はもうありません。しかし、教会は聖書を研究するだけではなく、聖書に記された神の御心を実践し、実現していくためにあると申し上げておきます。それは神と隣人を心から愛し、互いに助け合うことを意味します。それが「永遠の命」に至る道です。

(2017年8月6日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年7月30日日曜日

善いことを躊躇しない(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書5章15~17節

関口 康(日本キリスト教団教師)

「この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスはお答えになった。『わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。』」

ヨハネによる福音書の学びの6回目です。先週から数えてなんと4週連続で私が説教です。今日もどうかよろしくお願いします。

先ほど今日の箇所を朗読していただきました。これだけ読んでも意味がよく分からないと思います。と言いますのは、この箇所には、すでに一つの出来事が起こった後に、その結果として起こったことだけが記されているからです。その部分だけを切り取って朗読していただきました。

どのような結果だったかと言えば、ユダヤ人たちがイエスさまを迫害しはじめたという結果です。「この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた」(15節)と記されているとおりです。

もう一つ、イエスさまがその人をいやした日が「安息日」であったこと(9節)も迫害の理由です。しかし、今日は「安息日」の問題は、時間の都合で割愛します。「いやし」の問題だけを扱います。

しかし、これは奇妙な話です。イエスさまは一人の人の病気をいやしたのです。それをきっかけにイエスさまが迫害されはじめたというのです。原因と結果の関係でいえば、原因が病気のいやしで、結果が迫害だったというのです。

内容はあとで見ますが、この人は38年間も病気で苦しんでいました。しかし、イエスさまがその人を長年の苦しみから解放なさったのです。それは善いことです。悪いことであるはずがありません。しかし、それでイエスさまへの迫害が始まったというのです。理不尽としか言いようがありません。

しかし、ここで一つ考えたいことがあります。このような結果になることをイエスさまが全く予測しておられなかっただろうかという問題です。

イエスさまは純粋にご自分は善いことをしたと思っておられた。しかし、全く予想していなかった結果が生じた。「ええっ、びっくり。なぜ私はこんな目に遭わなきゃならないの。こんなはずではなかった。後悔先に立たず」と狼狽えるばかり、ということだったでしょうか。

それは違うと思います。むしろイエスさまはそういう結果になることをよく分かっておられました。しかし、だからといって躊躇なさらなかったのです。この点が大事です。迫害を恐れて何もしないとか、人目を気にして手を引くとか、そういうことをイエスさまは全くなさいませんでした。

イエスさまが躊躇なさらなかったのは、38年間も病気で苦しんでいた人を助けなければならないとお考えになったからです。そのことを決心なさったからです。その人を助けた結果として御自分の身が危険にさらされることになるとしても、そこで躊躇なさるような方ではなかったのです。

そのようなイエスさまだからこそ十字架につけられました。イエスさまの十字架の死は、ご自身は全く予想していなかった不慮の事故などではありません。イエスさまは、あらかじめの決意と覚悟をもって十字架をめざして歩まれました。その点を後から付け加えられた話であるかのように言われるのは困ります。そのことを最初に確認しておきたいと思いました。

5章の冒頭から始まっているのはイエスさまがエルサレム神殿に来られたときの話です。「ユダヤ人の祭りがあったので」(1節)と記されていることから分かるのは、そのときエルサレムは非常に大勢の参拝客で賑わっていたであろうということです。

「エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で『ベトザタ』と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった」(2節)とあります。「羊の門」はエルサレム神殿の北東に、読んで字のごとく羊が通る門として設けられたものです。その羊は神殿の祭儀に犠牲としてささげられるために連れてこられました。

そして、そこに今日の箇所の出来事に直接関係する二つの重要なポイントが出てきます。一つは「回廊」、もう一つは「ベトザタ」という名の「池」でした。

「回廊」に関して「この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」(3節)と記されています。その場所が、ここに記されているような人々にとっての「居場所」だったと言えるかもしれません。良い意味でも、もしかしたら悪い意味でも。

「もしかしたら悪い意味でも」と申し上げたのは、神殿の門というのは、まさに入り口、あるいは出口です。神殿の中心ではなく周辺であり隅っこです。そういうところに自らの意思で集まっていたのか、それとも追いやられていたのかが気になります。

そしてもう一つ大事なポイントが、その「回廊」が「ベトザタ」という名の「池」に近かったことです。その池には言い伝えがあったようです。そのことを、これからイエスさまが病気をいやすことになる、その人自身が説明しています。

「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」(7節)。

これで分かるのは、その「ベトザタ」という池にまつわる言い伝えの内容です。池の水が動くときがある。そのときにその池の中に入れば病気が治る、という言い伝えです。

しかも、この人の言い分をそのまま受け取るとしたら、みんな一緒に入っても効き目がなかったのかもしれません。一回水が動くたびに、ひとりしか入れない。その順番待ちをしていた人々が回廊にいたのかもしれません。

しかし、ここから先は全くの想像ですが、いろいろ考えるべきことがあります。この人はまさか、その同じ場所に38年間も座り続けていたのでしょうか。そういうことがありうるでしょうか。それはさすがにないだろうと私は思います。

むしろ考えられるのは、すでにこれまでにあらゆる手を尽くしてきた可能性です。自分自身もなんとかしてその病気の苦しみから解放されたいと願ってきたが治らなかった。最後の最後にこの池にたどり着いた。来る日も来る日も順番を待っていた。しかし、誰も自分を池に入れてくれる人がいなかったという可能性です。

しかし、私は一つ、とても気になる解説を読みました。それは私がいつも愛読している聖書注解の説明です。それによりますと、ベトザタの池の水の中に入れば病気が治るというようなことは当時のユダヤ人たちは誰も信じていなかったという説明です。つまりそれは迷信であると、当時のユダヤ人たちも考えていたというのです。

それはわたしたちにはよく分かる話です。旧約聖書の教えを思い返してみると、迷信的なこととは全く相容れないものであることがお分かりになるはずです。いわゆる科学的な根拠があり、あの池の水の成分の中には病気をいやす力があるというような実証的な研究が積み重ねられてきたとでもいう話であればともかく、そういう話では全くない。「ベトザタ」に関しては、当時のユダヤ人でさえ、そのような治療効果などは全く信じていなかったことであるというのです。

しかし、そうなるとどうなるのでしょうか。この羊の門の傍らの五つの回廊に集まっていた大勢の病気を抱えた人々は、だまされていたのでしょうか。それとも、自分たちもそんなのは迷信であると分かっていながら、それでも集まっていたのでしょうか。そのどちらであるかは分かりません。

しかし、もし彼らがだまされていたということであれば、問題はきわめて深刻なものになります。だましていたのは誰なのかという問題が必ず生じるからです。エルサレム神殿でしょうか。つまり、当時のユダヤ教団の指導者たちでしょうか。その人々が、エルサレム神殿で行われるお祭りの参拝客をひとりでも多く集めるために、ベトザタの池にまつわる言い伝えなどと称して、ありもしないことを言い広めていたということでしょうか。そういうのを今の私たちは「悪質な宗教ビジネス」と呼ぶのではないでしょうか。

いや、そんなのは全く違うと。そんなのは言いすぎだし、考えすぎだと反論されるかもしれません。回廊に集まっていた病気の人たちも、それが迷信であることくらいみんな分かっていたことなのだと。すべて織り込み済みだった。そのうえで、いわば観光の一環として、遊びの一種として池に入る順番を待つゲームをしていただけなのだと。「悪質な宗教ビジネスだ」などと目くじらを立てて言うようなことでは全くないのだと、そういう見方もできるかもしれません。

しかし、もしそうであれば、事態はもっと深刻になります。この38年間も病気で苦しんでいた人が、イエスさまが「良くなりたいのか」とお尋ねになったときに「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」と答えたことの意味は一体何なのかということが、ひどく謎めいたものになります。

2つの可能性を考えることができます。第1の可能性は、もしこの人が自分で言っているとおりのことを本気で信じ込んでいたとしたら、それは完全に詐欺に遭っていたことになります。つまりこの人は100パーセント被害者です。ただし、その場合は誰がこの人をだましていたのかを問題にしなければならなくなります。神殿がだましていたのか、それとも他のだれなのか。

しかし、第2の可能性があります。この人自身も、こんなことは迷信なのだということが分かっていたという可能性です。そんなことは織り込み済みだと。なんだかんだとやかく言われるようなことではないと。

しかし、この人自身もそういうことはよく分かっていたにもかかわらず、イエスさまにこのように答えたのだとしたら、どうなるでしょうか。私はその可能性は十分ありうると思います。しかし、それは最も深刻な状態です。この人の言葉の裏側に潜んでいる、その言葉の「本当の意味」を考えざるをえません。この人の「心の問題」に深く立ち入らざるをえません。

いろんな可能性が思いつきます。もしかしたらすべてジョークで言っているだけかもしれません。皮肉と自嘲の薄笑いを浮かべながら、こんな迷信にすがっている私ってバカでしょう、はははと。

あるいは、自分弁護する意味で言っているかもしれません。病気が治らないのは私のせいではないと言いたがっている。それはそのとおりです。しかし、あの池に私をだれも入れてくれないせいだと言いたがっている。人のせいにし、池のせいにしている。

あるいは、完全な絶望、虚無主義(ニヒリズム)に陥っていたのかもしれません。こんなのが迷信であることなど、とっくの昔に分かっている。しかし、こんなことにでもすがっていなければ、私は生きていられない。いっそ治らなければいい。自分は早く死にたいのだ。早く私を殺してくださいと。そのように言いたがっているのかもしれません。

この人の返事を聞いて、イエスさまはこの人を救う決心をなさいました。このまま放っておくわけにはいかないと思われました。そして言われました。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8節)と。

そのとき起こったのは、この人を38年間も苦しめてきた病気が一瞬で吹き飛んでいく奇跡でした。しかし、それだけではありません。イエスさまはこの人を、体の苦しみからだけでなく、心の苦しみから解き放ってくださいました。迷信からも、自嘲からも、虚無主義(ニヒリズム)からも、それらすべての背後にある絶望からも、イエスさまはこの人を救い出してくださいました。

わたしたちはどうでしょう。いつまで迷信にとらわれているのでしょうか。いつまで自嘲し続けるのでしょうか。それは何の解決にもなりません。しかし絶望と虚無主義に耐えられる人はいません。

わたしたちにもイエスさまは「良くなりたいか」と、いつも問いかけてくださっています。それは「良くなるための努力をしていますか」という意味ではありません。健康管理をしていますか、とか、ダイエットしていますか、という意味ではありません。しかし、「良くなりたいという希望を捨てていませんか」という意味ではあると思います。

「あなたは絶望していませんか」とイエスさまは今もわたしたちに問いかけてくださっています。そして「絶望してはいけません」と、わたしたちに強く呼びかけてくださっています。

(2017年7月30日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年7月23日日曜日

信じる前に失望しない(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書4章48~50節

関口 康(日本基督教団教師)

「イエスは役人に、『あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない』と言われた。役人は、『主よ、子供が死なないうちに、おいでください』と言った。イエスは言われた。『帰りなさい。あなたの息子は生きる。』その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」

ヨハネによる福音書の学びの5回目です。前回が4章で、今日も4章です。

回数を数えやすいように1章ずつ進めていくことも考えましたが、今日の箇所にはどうしても触れておきたいと思いました。と言いますのは、今日の箇所の出来事は、2回目(2017年5月28日「喜びを追い求めよう」)の2章の出来事と密接な関連があるからです。

それはイエスさまがカナでの結婚式のときに水をぶどう酒にされた出来事です。それと今日の箇所が密接に関係しています。次のように記されています。

「イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に替えられた所である」(46節)。「これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである」(54節)。これは明らかに、2章の出来事と今日の箇所の出来事は関係があるということを読者に教えようとしている言葉です。

別の言い方をすれば、今日の箇所の出来事にはイエスさまが水をぶどう酒にしたあの出来事と本質的に共通する要素があるということです。それが「しるし」です。前回も今回も「しるし」だった。そしてこれは「二回目のしるし」だったと記されているのです。

まとめていえば、そもそもの大前提として、今日の箇所に記されている出来事は「しるし」なのだという観点からすべてを読み解く必要があるということです。

しかし、その場合の問題は「しるし」とは何かということです。その答えははっきりしています。それを見ればイエスさまこそ救い主キリストであると信じることができる、信仰の理由ないし根拠が「しるし」です。空が黒い雲でおおわれる。まもなく雨が降る。その雲が雨の「しるし」です。

そして、それはもちろん、単にイエスさまが救い主であるという客観的な事実がその「しるし」によって明らかにされたというだけで済む問題ではありません。救い主であるイエスさまがかつて大昔の人を救ったことがあるというだけでなく、そのイエスさまが今もこの私を救ってくださっているという事実が重要です。以上のことを最初に申し上げておきます。

さて、ここから内容に入ります。カナにおられたイエスさまのもとに、カファルナウムから「王の役人」(46節)が来ました。カファルナウムはイエスさまが伝道活動をお始めになった最初の拠点です。ガリラヤ湖畔の漁師の町。

そのカファルナウムから「王の役人」がイエスさまのもとに来たその目的は、その人の「息子」が「病気」だったので、イエスさまに「カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼む」ためでした(47節)。

「息子が死にかかっていたからである」(47節)と記されています。自分の子どもを失うことの親の悲しみは体験した方にしか分かりません。体験したことのない者には語る資格はありません。想像をめぐらして物を言うこと自体、慎重でなければなりません。ただ確実に言えるのは、この「王の役人」は、あらゆる意味で切羽詰まった思いでいたに違いないということです。

そして、そのような追い詰められた、窮地に立たされたこの人が自分の子どもの命を救ってほしいとイエスさまのもとに助けを求めてきたということは、助けてくれるならイエスさまでなくてもだれでもよかったが、たまたまイエスさまにお願いした、ということではなかっただろうと思うのです。

今の世の中ではいろいろ語弊が出てくるところではありますが、たとえば、この人が「王の役人」であったということは、客観的な意味で社会的地位の高い人であったと考えられます。その人の息子さんであるということは、いわゆる跡取りのことなどが関係してくるかもしれない、将来を相当嘱望されていた子どもさんだったかもしれない、などなど。

だからどうしたと、それ以上のことは言えません。しかし、「王の役人」にとって自分の息子の命を預け、なんとかして助けてもらいたいと願ってイエスさまのところに来たときに、助けてもらえさえすればイエスさまでなくてもだれでもいいと思っていたわけではありません。イエスさまに対する絶大なる信頼をすでに持っていたからこそ、イエスさまに助けを求めて来たのです。

しかし、ここから先はまた非常に難しい問題に立ち入ることになります。問題はこの「王の役人」がイエスさまにそれほどまでの絶大なる信頼をすでに持っていた理由ないし根拠です。それが先ほどから申し上げている「しるし」の問題です。

最初のしるし、すなわち、カナでの結婚式でイエスさまが水をぶどう酒に変えるという、とんでもなくありえない、異常なことをなさった。そういうことができる方ならば、私の息子の死に至る病もいやしてもらえるに違いない。そういう信じ方をしたのだと思います。

すると、イエスさまはこの人に次のようにおっしゃいました。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(48節)。イエスさまは冷たいことをおっしゃっているわけではありません。しかし、突き放しておられるようでもあります。

イエスさまがおっしゃっていることの意図は、「なぜあなたはわたしを信頼するのか」ということです。自分の子どもの命を他人に託すという重大な事柄をこのわたしに任せようとする、そのあなたの理由ないし根拠は何なのかという問いかけです。「しるし」なのか、「不思議な業」なのか。そんなことが理由なのかと。

このイエスさまの言葉を聞いて、「ああうるさい」と、「ああ、もうそんなことを言われるならここに来るんじゃなかった。ただ助けてほしいだけだ。助けてくれるなら、あなたではなくても、だれでもいい。うるさいことを言われるなら、もう結構だ」と、そのような反応が、もしかしたらこの人の心の中に起こったかもしれません。

そうする権利はこの人にあったと思います。しかしそれは、逆の視点に立てばイエスさまも同じだということです。ここから先は、イエスさまならそうお考えになるだろうという意味ではなく、あくまでも私の感覚で申し上げることですが、イエスさまのほうにも断る権利があるといえばあるわけです。

皆さんはどうでしょうか。わたしたちはどうでしょうか。「助けてください」と死にそうな顔と声で頼ってくる人を必ずすべて助けてきたでしょうか。今の私はひどく困っていますが、私が死にそうな顔で「助けてください」と言えば、みなさんは私を助けてくださいますか。

教会にはいろんな問題を抱えた方々が具体的な助けを求めてこられます。そのすべての人々を教会は必ず助けてきたでしょうか。そういうことは実際には不可能ですし、本人のためにならないという理由でお断りする場合も多くあります。

私たちも体験することがあると思います。私もあります。助けを求めてきた人を助けたら、他でも同じことを繰り返している詐欺師だった。あるいは、助けを求められたがやむをえずお断りしたら、あとで逆恨みされた。

いま私が申し上げていることと、今日の箇所に書かれていることとは全く関係ないと思われるかもしれません。この王の役人の子どもさんは死にそうになっていたのですよ。人の命がかかっていたのですよ。そのような切羽詰まった場面でイエスさまが「なぜ私を信頼するのか」などと、そのようなことを問題になさるはずがない。たとえ詐欺師であってもイエスさまなら助けてくださるに違いない。イエスさまを侮辱しないでほしいと思われるかもしれない。

しかし、今日の箇所に確かに記されているのは、イエスさまがこの人に「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」とおっしゃったその言葉です。この言葉の意味をわたしたちはよくよく考える必要があると思うのです。

この人が他の人ではなくイエスさまをあえて選んで助けを求めに来た理由は、イエスさまがカナで行われた「最初のしるし」だったことは間違いありません。つまりこの人は、魔法使いか超能力者が引き起こす奇々怪々の超常現象をイエスさまに期待したのです。そういう助けの求め方をしたのです。

しかしイエスさまは、そのような理由でご自分を信頼し、助けを求めてくる人々を退けておられました。そのことがはっきり書かれている箇所があります。「最初のしるし」が描かれていた箇所のすぐ後です。2章23節から25節です。次のように記されています。

「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである」(2章23~25節)。

さっと読むだけではよく分からない難しい言葉が並んでいますが、はっきり分かるのは、イエスさまは、御自身が行われた「しるし」を見て信じる人々を信用なさらなかった、ということです。

しかし、これは本当に難しい問題です。こういうたとえはどうでしょうか。会社が社員を募集し、応募してくれた人と面接する。その場合、客観的な意味での才能や技能や業績などをその人が持っているかどうかが全く分からない、正体不明の相手をいきなり信用して採用することがありうるでしょうか。

まして、自分の子どもの命を預けるという重大な決断を、何の「しるし」もない正体不明の相手に対してできる人がいるだろうかと考えていただけば、私が今ムニャムニャ口ごもりながら申し上げていることの趣旨をお分かりいただけるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

いま私が申し上げているのは、「イエスさまが、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と指摘されたことは全く反論の余地がないということです。全くイエスさまのおっしゃるとおりです。しかし、イエスさまはそういう相手は信用なさらないということです。さて困りました。

イエスさまがお求めになるのは、「しるし」ではなく、「わたし」を信じることです。イエスさまがなさる「しるし」や「わざ」を信じるのではなく、イエスさまご自身を信じることです。

その意味は、イエスさまという方はこんなにすごいことができる方だから信じるとか、こんなことを私にしてくださった方だから信じるというような、相手の業績を見て、その評価として信じるというような信じ方をする相手を、イエスさまは信用しない、ということです。

「王の役人」がイエスさまに必死でお願いしている言葉の中に、一つ気になる点があります。本人に悪気などは全くないと思います。しかし、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」(48節)と言っています。

気持ちはものすごく分かります。しかし「子供が死なないうちに」という言葉には脅しの要素があります。あるいは命令。私の子どもが死にそうなのはあなたのせいだという意味を持ちはじめます。あのマルタとマリアが弟ラザロが死んで4日も経ってやっと来てくださったイエスさまに向かって「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言い放ったように(ヨハネ11章)。

イエスさまは、だれの脅迫にも命令にも、お従いになりません。人から頼まれるとどんなことでも断ることができないというような、お人よしの方でもありません。「しるし」を見ました、そのご立派な業績の評価としてあなたを信じてあげます、というような近づき方をする相手はお嫌いになります。

イエスさまがお求めになるのは「わたしを信じること」です。その相手を必ず助けてくださいます。私たちも同じです。私たちにもイエスさまが行った「しるし」ではなく「イエスさま」を信じることが求められています。

イエスさまは私たちの願いを願い通りに叶えてくださらないかもしれません。なぜなら、イエスさまは、私たちの自己実現の手助けをしてくださらないからです。そういうふうな求め方をする相手を退けられるからです。

イエスさまは、私たちの要望に応じるのではなくご自身の御心に従って私たちを助けてくださいます。だから、私たちは「イエスさまを信じる前に」失望してはならないのです。

(2017年7月23日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年6月25日日曜日

心から神を礼拝しよう(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書4章21~23節

関口 康(日本基督教団教師)

「イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。』」

ヨハネによる福音書の学びの4回目です。4章に入ります。今日の箇所に登場するのはイエスさまとサマリア人の女性です。

イエスさまの伝道が進展し、多くの人に洗礼を授け、バプテスマのヨハネの弟子の数よりもイエスさまの弟子の数が多くなりました。それがファリサイ派の人々の耳に入りました(1節)。ファリサイ派の人々からすると、彼らに反対し、自分たちの地位を脅かす勢力が増大していることを意味します。それは彼らの側にイエスさまへの迫害の動機が増えているということです。

それでイエスさまはユダヤからいったん退き、ガリラヤへ行かれました(2節)。ガリラヤはイエスさまが伝道活動を開始した地ですので、出発点にお戻りになったことを意味します。そのイエスさまがユダヤからガリラヤへお戻りになる途中に通られた町が今日の箇所の場面です。それがサマリアです。「しかし、サマリアを通らねばならなかった」(4節)と記されています。

ここで「サマリアを通らねばならなかった」と書かれていることには意味があります。ユダヤからガリラヤへ行く道はひとつだけではなかったからです。サマリアを通る道は最短距離ではありました。しかし別の道もありました。多くのユダヤ人は別の道、もっと遠回りの道を通りました。サマリアを避けて通る人々のほうがほとんどでした。なぜならサマリアは当時の特にユダヤ教主流派の人々と対立関係にあったユダヤ教サマリア派ないしサマリア教の人々が住む町だったからです。

ところがイエスさまはそのサマリアを「通らねば」なりませんでした。ご自分がこの町を通ることには必然性があるとお考えになりました。しかしその必然性は地理的な必然性ではありません。地理的な意味で別の道がなかったわけではないのですから。そうではなくて伝道的な必然性です。「わたしはこの町に伝道しなければならない、福音を宣べ伝えなければならない」というイエスさまご自身の伝道的な決心です。その意味での「サマリアを通らねばならない」です。

しかしまたそれは「本当は通りたくないし、全く気乗りがしない。しかしこれが自分の義務であり使命なのだから、私は嫌でもなんでもこの道を通らなければならないのである」というような否定的な消極的な意味で考える必要はありません。もっと肯定的な積極的な意味です。この町に福音を宣べ伝えるのだ、喜びの知らせを告げに行くのだ、私はそうせざるをえないのだというイエスさまの決意表明です。そのようにとらえるのがいちばんよいと思います。

わたしたちはどうでしょうかと、ここでついわたしたち自身のことを考えたくなります。教会に来ること、礼拝をささげること、いろんな集会や活動に参加すること、献金すること。これらのことについてわたしたちは、しなければならないからする、嫌々ながらでもするというような感覚ばかりを持っていないでしょうか。

そういう感覚を持ってはいけないとは私は思いません。信仰生活、教会生活は一生ものですから。長い年月の間に、山あり谷あり、浮き沈み、熱いとき冷たいときがあります。わたしたちは皆そのようなところを通ってきました。しかし、義務だ責任だというだけだとつまらないです。面白くない。

今申し上げているのはイエスさまが「サマリアを通らなければならなかった」と記されていることから出発した連想です。イエスさまは、義務だから責任だから、嫌でもなんでもその町を通らなければならなかったのでしょうか。そのような感覚は、私たちにはあるかもしれませんが、イエスさまにまで押し付けなくてもよいでしょう。

ただひとつはっきりしているのは、イエスさまがサマリアを通った行為は当時のユダヤ人の常識ないし一般的な感覚に対して明確に逆らうことを意味していたということです。ほとんどの人が「行きたくない」と思っているところにあえて突入されました。

だれかがそれをしなければ新しい道が開くことはありえないと思われたからです。その意味でイエスさまは新しい道の開拓者(パイオニア)であり、常識や既存の価値観を打ち破る挑戦者(チャレンジャー)であったと言えます。

さて、イエスさまがサマリアに到着しました。するとイエスさまの前にひとりの女性が現れました。「そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである」(4節)と記されています。

当たり前のことを言いますが、イエスさまは「疲れる」体を持っていました。のども乾くし、お腹もすく。わたしたちと同じです。のどが渇いたので井戸のそばに座り、疲れたので休憩しておられました。そうしたら、そのイエスさまの前に井戸から水をくむために来た女性が現れたというのですから、その女性の出現はある意味で必然的です。誰も来ないということはありえませんでした。毎日必ず人が集まるところにイエスさまがおられたのですから。

そしてその女性とイエスさまとの会話が始まりました。初対面の女性に気軽に声をかけるイエスさまが描かれています。「水を飲ませてください」とイエスさまが言いました。すると「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私にどうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と返ってきました。このやりとりにも必然性があります。それが当時の常識であり一般的な感覚だったからです。

「あなたがたはわたしたちのことを嫌っているのでしょ。わたしたちだって嫌われている相手のことを好きになることなんかできませんよ。はっきり言わせてもらえば、わたしたちもあなたがたのことが嫌いですよ。だってあなたがたはわたしたちを嫌っているのですから。お互いさまですよ。そのユダヤ人であるあなたがどうしてサマリア人である私に『水を飲ませてください』などと言うのですか。けんかを売っているのですか」というような意味です。

するとイエスさまは、これまたものすごい変化球でお返しになる。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」(10節)。

このイエスさまのお答えを聞いて、女性はいよいよカチンと来たようです。「なんなのあなた、偉そうに」と。ものすごく腹を立てていると思います。「主よ、あなたはくむ物をもお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供も家畜も、この井戸から水を飲んだのです」(11~12節)。

女性が言おうとしていることは2つあります。ひとつは「水を飲ませてください」と言っておきながら私があなたに生きた水を与えるであろうとか、わけの分からないことを言う。それで水をくむものを持ってもいない。飲ませてほしいなら「お願いします」でしょうに。くむものがなければ「貸してください」でしょうに。自分が頭を下げてお願いすることもできないでいて、なんでそんな偉そうなことが言えるのですかということでしょう。

もうひとつはその井戸の由来です。この女性が言っているとおりの歴史的に由緒正しい井戸でした。その井戸を掘り当てたヤコブをあなたは侮辱するつもりですか。この井戸でどれだけの人が助けられ、そこに人が住み、町ができ、歴史が刻まれてきたかを分かっているのですか。もしそれを知らずにいて「私が生きた水を飲ませてやる」というような偉そうなことを言うのであれば、歴史に対する冒瀆であり、侮辱ですよと言っているわけです。猛然たる抗議です。

するとイエスさまは、またお答えになる。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(13~14節)と言われました。

だんだん禅問答です。女性としては、ますます腹が立ってくるような、しかし自分がふだん考えているようなこととは全く異なる次元のことへと誘導されているような、不思議な感覚を味わったのではないでしょうか。

「井戸の水は飲んでもまた渇く」。それは確かにそのとおり。「しかし渇かない水がある。それをわたしが飲ませてあげよう」とこの人は言い出した。大丈夫なのかこの人は。おかしい人ではないかと、この女性としてはだんだん心配になってきた可能性があります。

「だったらその水を見せてくださいよ。はいどうぞ、今すぐ。ほらすぐに。見せられるものなら見せなさいよ。そんな水があるわけないでしょ。やっぱり私をばかにしているのではないですか。悪いけどさっさとどこかに行ってください」と言いたくなるような。

しかしまたイエスさまはこの女性の心の中にあるものを言い当てられました。その内容は時間の関係で今日は割愛します。ぜひおうちで読んでみてください。理解するためのヒントとして申し上げられるのは以下の点です。

あなたの心の中に「乾き」がある。それは具体的にこのことではないか、そしてその「渇き」についてはいくら水を飲んでもそれで潤うこともいやされることもない。別の次元の解決が必要であるということを本人が気づくようなことをイエスさまがおっしゃっています。

そしてその意味での人の心の「渇き」の問題に対する解決策として、この女性自身が辿り着いたのが「礼拝」の問題でした。いくら水を飲んでも解決しない「心の乾き」を潤し、いやしてもらえる「礼拝」とは何かという問題に、この二人のやりとりがたどり着きました。

そのようにイエスさまが誘導なさいました。「誘導」という言葉がきつすぎるとしたら、彼女の発想の転換を助けてくださいました。決して押し付けるのではなく、すうっとうまく導いてくださいました。

しかしまだ問題が残っていました。それは「どこで」礼拝をするかという問題でした。「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(20節)と女性は言いました。それは、サマリア人である私は「どこで」礼拝すればよいのでしょうかという意味です。

この女性の言葉には、私の心の「渇き」を見抜き、それを潤し、癒してくださる「あなたの説教」はどこで聞けるのでしょうかという意味が含まれていたと私は考えます。どこで行われる礼拝でならば私は救われますか。あなたの御言葉を私はどこで聞けますか。このサマリア人の女性が、自分の目の前にいる、まだ名前すら聞いていないその人のことをやっと信頼することができた、その瞬間に浮かんだ問いが「私はどこで礼拝すべきですか」ということでした。

その彼女の問いに対するイエスさまの答えが今日の朗読箇所に記されていることです。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(21節)。その意味は、場所は関係ないということです。

エルサレムに行かなくては本物の礼拝をささげたことにはならないなどということはありえない。場所はどこも構わない。ヴァチカンに行かなくては、歴史と格式のある伝統教会でなければ、著名な牧師がいる都会の巨大な教会でなければわたしたちの心が満たされることはありえないということはありえない。

そのような有名な場所の礼拝が「本物の礼拝」であって、他はすべて「偽物の礼拝」だなどということはありえない。ひとつひとつの教会の礼拝が「真実の礼拝」です。

バプテスト教会は「各個教会主義」ですので、この点は皆さんが最も強く主張してこられたところでしょう。

そして宗教の対立、教派の対立、民族の対立をすべて乗り越え、みんなで喜んで感謝して父を礼拝する時が来る。それがこの女性に向かって語られたイエスさまの約束です。

この約束は必ず実現するということに大きな希望をもって、わたしたちはこれからも歩んでいくのです。

(2017年6月25日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝) 

2017年6月11日日曜日

その門の中に入ろう(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書3章4~5節

関口 康(日本基督教団教師)

「ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。』」

ヨハネによる福音書の学びの3回目です。3章に入ります。今日の箇所に登場するのは、ニコデモという人です。そしてイエス・キリスト。2人の会話が記されています。

ニコデモはヨハネによる福音書の中に今日の箇所を含めて3回登場します。しかも、かなり重要な場面で登場します。しかし、他の福音書には登場しません。その意味でニコデモは「色濃くヨハネによる福音書的な存在」であり、「この福音書を読み解くためのキーパーソン」です。

そこで、今日の箇所に入る前に、この福音書の中にニコデモが出てくる場面をすべて見ておきます。この人の個人情報を集めておきます。

まず最初に登場するのが3章です。今日の箇所です。「ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった」(1節)。

これで分かるのは、ニコデモはユダヤ教の教師(ラビ)であり、ユダヤの最高法院(サンヘドリン)の議員であったということです。最高法院とは70人の議員と議長・副議長で構成されたユダヤの最高権力者会議です。少数精鋭のスーパーエリート集団です。ニコデモはその一員でした。

しかもニコデモは「ファリサイ派」の人でした。パウロも回心前はファリサイ派に属していました。最高法院の与党です。強い権力をもっていました。自分たちの意思決定が国民全体を支配するだけの力を持っていました。その一人のニコデモは世間的に偉い人でした。大物でした。今で言えばテレビ的有名人のような存在だったと想像できます。

ニコデモが2回目に登場するのは7章50節以下です。「彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。『我々の律法によれば、まず本人から事情を聴き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。』」

7章には、最高法院の人々同士の会話が記されています。そこにニコデモの発言が記されているということは、彼は最高法院の議員たちの中で発言力を持っていたし、実際に発言していた人であるということです。

そして、この福音書の中での3回目、最後にニコデモが登場するのが19章39節です。それはイエスさまが十字架から引き下ろされ、墓に葬られる場面です。そこにニコデモが登場します。「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことがあるニコデモも、没薬と乳香を混ぜた物を百リトラばかり持ってきた」(19章39節)。

1リトラ326グラム。100リトラはその百倍。32.6キロ。米俵1俵60キロの半分以上です。それをニコデモがイエスさまの埋葬のときに、おそらく自分で抱えて持ってきたというのです。それを運ぶ姿がとても目立つというほどではなかったかもしれませんが、ニコデモ自身がそれをイエスさまの体に塗ったりかけたりしていたとすれば、その姿が目立たなかったというのは、ありえないことです。

ヨハネによる福音書の中でニコデモが登場する場面は、以上の3箇所です。はっきり分かるのは、彼の態度が少しずつ変化していることです。それはイエスさまと自分自身の関係についての態度決定の変化です。最初がどうだったのかは今日これからお話しします。はっきり言えば、隠していました。だれにも知られたくないと思っていました。

しかし、2回目に登場するときは、最高法院の中で事実上イエスさまをかばう発言をしました。ただし「律法にはこう書いてある」と法律論議に終始しました。あくまでも自分自身は中立の立場に立っているという装いをもって。

しかし、そういうのは見抜く人はすぐに見抜くわけです。他の議員たちから即座に反発を食らっています。「あなたもガリラヤの出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる」(7章52節)。イエスをかばう理由でもあるのかと疑われています。それにニコデモは何も答えることができません。

そして3回目。イエスさまの埋葬の場面でした。ニコデモはもはや誰はばかることなくイエスさまの前に立ちました。ただし、そのときはすでにイエスさまは息を引き取られた後でした。

そろそろ今日の箇所に入ります。「ある夜、イエスのもとに来て言った。『ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです」(2節)。

この文章の中で重要な言葉は「ある夜」です。このようなことを言うために、ニコデモがイエスさまのもとに「夜」に来た、というのが最も大事なことです。誰にも見つからないように、夜の闇に隠れて、こっそり来たのです。

「臆病者だ!」と思われるでしょうか。「イエスさまのことを信じる気があったのなら、どうしてただちに公の場で堂々と信仰を告白しなかったのか」と思われるでしょうか。そうかもしれませんが、そうでないかもしれません。

ニコデモの立場をよく考える必要があります。もしニコデモがイエスさまに会いに行ったことが世間に知られたら、その時点で議員資格を剥奪され、地位も権力も失い、その立場でしかできないことができなくなったでしょう。それだけで済まず、ニコデモ自身が殺害された可能性があります。そのほうが良かったでしょうか。すべてを捨てて命を捨てることが信仰でしょうか。

私は別の可能性を考えます。だれでもなれるわけではない特別な立場にとどまりながら、あえて隠れてイエスさまから指導を受けるという選択肢もありうるのではないでしょうか。そのほうが現実的に賢明であり、多くの人々に貢献できる道ではないでしょうか。

そのニコデモに対してイエスさまは言われました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない」(3節)。

そのようにイエスさまが「はっきり」言われましたが、ニコデモには意味が分かりませんでした。それで彼は聴き返しました。「ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母の胎内に入って生まれることができるでしょうか』」(4節)。

これはニコデモの勘違いというより、イエスさまの側の言葉足らずです。こういう誤解をされることをイエスさまが言われたのです。ニコデモは、「新たに生まれる」というのは、お母さんのおなかの中に戻ってまた出てくることでしょうか、そういうことは現実的に不可能ですよねと言っているわけです。現実的で常識的な考え方の持ち主であることが分かります。

イエスさまも決してそういう意味で言われたわけではありません。全く別の意味です。「イエスがお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない』」(5節)。

ここは簡単に言っておきます。これは「洗礼を受けなさい」という勧めです。なぜ「水」なのか「霊」なのかの説明は長くなるのでやめておきます。イエスさまが水で洗礼を授けられたのはバプテスマのヨハネから受け継いだものです。しかし、ヨハネの洗礼とイエスさまの洗礼は本質的に違います。どこが違うかの説明を始めると、これも長くなりますのでやめておきます。

今確認する必要があるのは、ニコデモへのイエスさまのお答えの「水と霊とによって生まれること」が「新たに生まれること」の意味であり、それは「洗礼を受けること」を意味するということだけです。それで十分です。

それでは「神の国に入ること」のほうの意味は何でしょうか。これも説明が難しいです。しかし、これを「それは天国に行くことです」と言えば、話が分かりやすくなるかもしれませんが、逆にかなりの注意が必要になります。

なぜなら「それは天国に行くことです」と聞けば、わたしたちの多くがほとんどただちに「死ぬこと」を連想することになるからです。「天国」とは「死後の世界」を意味すると多くの人が思い込んでいます。それを含まないわけではありませんが、それはいわば「天国」の狭い意味です。

「天国」と「神の国」は同じです。それは「死後の世界」などよりはるかに広い意味です。聖書の意味での「天国」または「神の国」は「神の支配」を意味しています。それは生きている間に十分に味わうことができます。

「神の支配」とは天地創造の初めから神の被造物すべてが神の支配下に置かれていることを意味していますので、その意味での「神の国」は死後の世界どころか神が創造された天地万物のすべてです。イエスさまがニコデモに求めた「神の国に入ること」も天地万物が神の支配のもとにあることを信じつつ生きることを意味していると考えるべきです。

それは「洗礼を受けなければ天国に行けません。だから洗礼を受けなさい」という話とは次元が違うことです。そのような単純な説明には人を傷つける要素があります。洗礼に脅迫の要素が混ざりはじめます。「洗礼を受けないと地獄に堕ちますよ」と脅迫しているのと同じですから。

イエスさまが言われているのは、そういうことではありません。あえていえば、パラダイムシフトです。「新たに生まれる」と聞けば「母の胎内に戻って再び生まれなおすこと」しか連想できないその発想そのものを根本的に変えることが求められています。

何度母の胎に戻って生まれなおしても、生まれたままの人間は「罪」から逃れることができません。そのわたしたちが生まれながらに持っている「罪」の性質が根本的に造りかえられないかぎり、地上の世界は「罪」の闇に被われたままです。

その「罪」から救い出されることが「新たに生まれること」の意味です。そして、そのわたしたちの「罪」の中からの救い出しのしるしが「水と霊の」洗礼です。イエスさまが言おうとしておられるのは、そのようなことです。

しかし、ニコデモはそのときすぐに洗礼を受けることはできませんでした。イエスさまの埋葬の日に至るまで、彼が洗礼を受けた形跡はありません。その後どうなったかはヨハネによる福音書だけでは分かりません。

しかし、少しずつ変化していった人であることは確認できます。自分の立場や生活を考えるとこの思いを公にすることはできない。しかし「洗礼を受けたい、イエス・キリストの弟子になりたい」という願いを内心に秘めている。ニコデモは「間に合いませんでした!ごめんなさい!」と人目をはばからず泣きながら、イエスさまの体に没薬を塗っていたかもしれません。

そういう方は大勢おられます。私もそのことを存じています。自慢で言うのではありませんが、これまでの私の牧師としての働きの中で、70歳を越えられてから洗礼を受けられた方が7人おられます。

その方々が一様におっしゃったのが、「本当はもっと早く洗礼を受けたかったのです」ということでした。ある方は法務省の元官僚。ある方は東京都庁の元職員。ある方は東京都立中学校の元校長。ある方は元会社社長夫人。ある方は全国新聞の元記者。

「子どもの頃に教会に行っていました」という方や「家族の中にキリスト者がいました」という方もおられました。「しかし、職務の性質上、厳しい制約があり、中立を求められました。だから、今の今まで洗礼を受けることができませんでした。申し訳ありません」とおっしゃいました。

その方々は私の親と同じ世代でしたから、私のことを子どものようにかわいがってくださった面もあります。その方々に私が繰り返し申し上げたのは、「洗礼に『遅い』ということはありませんから、大丈夫ですよ。安心してくださいね」ということでした。

教会は「ニコデモさん」を歓迎いたします。「遅い」ということはありません。どうぞ安心して、その門の中にお入りください。

(2017年6月11日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年5月28日日曜日

喜びを追い求めよう(千葉若葉教会)

ヨハネによる福音書2章9~11節

関口 康(日本基督教団教師)

「世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで言った。『だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いが回ったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。』イエスはこの最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで弟子たちはイエスを信じた。」

先週からヨハネによる福音書を学んでいます。今日は2章です。ここに記されているのは「世にも不思議な物語」です。私たちの救い主イエス・キリストが水をぶどう酒に変えられた話です。物語のあらすじは広く知られています。

この出来事が起こったのは、バプテスマのヨハネがイエスさまに対して「この方こそ神の子である」という信仰を告白した日の「三日後」(1節)でした。その日にガリラヤ地方のカナという小さな村で結婚式が行われました。そこにイエスさまの母マリアが参列していました。イエスさまも弟子たちと参列しておられました。

そこで事件が起こりました。「ぶどう酒が足りなくなった」(3節)のです。どういうことでしょうか。主催者側の準備不足でしょうか。幹事の責任でしょうか。彼らに落ち度があったのでしょうか。その方向で語られる説教を聴いたことがあります。

そういう要素が全くなかったとは言えないかもしれません。しかし、書かれていることをよく見る必要があります。「イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた」(2節)と書かれています。「招かれた」(カレオーの過去形のエクレ―セー)は「招待された」という意味です。

つまり、主催者は参列してもらいたいと願っている人々をあらかじめ正式に招待していたと考えるべきです。もしそうであれば主催者は参列者の人数を把握していたでしょうし、十分なだけの食事や飲み物を準備していたでしょう。そのための「招待」です。主催者を責めるのは一方的すぎます。

しかし、もしそうであれば、この話はどういうことになるのでしょうか。主催者が十分なぶどう酒を準備していたのにそれがなくなったということは、要するにみんなが調子に乗って飲みすぎていたということではないでしょうか。

「ぶどう酒(オイノス)」(3節)は当然アルコールです。アルコールを飲み過ぎるとどうなるでしょうか。酔っぱらいます。そこにいた人たちは飲み過ぎてすっかり出来上がっていました。それでもまだ調子に乗って「おい酒が足りないぞ、持ってこい」と不満の声を上げていた。かなり図々しい話です。そのような情景を想像するほうがよいのではないかと思います。

しかし、これは結婚式です。お祝いの席です。厳粛な要素もあります。そして何より、招待された人々が集まる場所でした。不特定多数の集まりではありませんでした。

そうだとしたら、主催者側が用意したものが尽きた時点でお開きにしてもよかったはずです。「宴もたけなわではございますが、そろそろお開きとしたいと思います。 本日は忙しい中お集まりいただき、ありがとうございました」と丁重にご挨拶して、みなさんにお帰りいただいたらいいのです。

ところが、そこでマリアが動きました。イエスさまのところに「ぶどう酒がなくなりました」(3節)と言いに来ました。イエスさまとしては、それがどうしたの、という話です。そのことを私に言いに来て、私にどうしてほしいのですか、とおっしゃってもおかしくないような話です。

普通に考えれば、マリアの要求は「近くのお店までひとっ走り行ってきておくれ」だと思いますが、マリアが息子にお金を渡した形跡はありません。イエスさまはどうしたらいいのでしょうか。立て替えでしょうか、つけでしょうか。何をしてもらいたいのかがさっぱり分かりません。マリアはただ「ぶどう酒がなくなりました」と言いに来ただけです。

そして、このときの状況を想像するに、イエスさまも弟子たちも、おいしいごちそうをいただいてひと安心、さてそろそろおうちに帰りましょう、と腰を上げようとしていた頃です。いくらお母さまのお言いつけだからと言って簡単に引き受けるわけには行かないよと、イエスさまがお断りになっても無理のない状況だったのではないでしょうか。

いや、そうではない。当時の結婚式は何日も続けて行っていたので、お酒が尽きたのだという説明を聴いたこともあります。しかし、もしそうであればなおさら、主催者が追加分を買いに行けばいいだけです。何もわざわざ招待客であるイエスさまを使い走りにしなくてもいいではありませんか。

マリアが言ったのは「ぶどう酒がなくなりました」ということだけです。買って来いとも、借りて来いとも、盗んで来いとも言っていません。しかし、それだけ言われると、かえって困ります。その次の言葉は何かが気になります。どうしてほしいのか、何をしてもらいたいのか。

しかし、イエスさまは賢明な方ですので、お母さまに対して失礼のないように、丁重にお応えになりました。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(4節)。

ここで必ず問題になるのは、イエスさまがご自分の母親であるマリアのことを「婦人」(ギュネー)と呼んでおられることです。実のお母さんによそよそしいことを言っている。冷たく突き放した言い方だと説明されることもありますが、そうではありません。

ギリシア語辞典に書いてあることですが、「婦人」に失礼な意味はありません。反抗期の子どもが母親を「ばばあ」呼ばわりしたというような話とは違います。一緒くたにしないでください。

ただ、そうは言っても、それではなぜイエスさまはマリアを「お母さん」とお呼びにならなかったのかは確かに気になります。その理由を考えてみました。あくまでも私の想像です。私が思い至ったのは、イエスさまの近くには弟子たちや結婚式の参列者が大勢いたということです。そこは「公の」場所だったということです。

そういう場所でマリアがしくじりました。マリアには厳しい言い方になりますが、彼女は公の場でイエスさまに対して母親づらをしました。これは公私混同です。そうではないでしょうか。

この結婚式の中でイエスさまはどういう扱いを受けていたでしょうか。若い先生だったかもしれませんが、弟子たちと共に参列なさいました。まるで友達のように「来てもいいけど来なくてもいいよ」というようなどうでもいい扱いで新郎新婦がイエスさま宛ての招待状を書いたでしょうか。それは考えにくいです。むしろイエスさまは主賓扱いだったのではないでしょうか。

もしそうであれば、マリアがしたことはやはり問題です。主賓席に座っている人を公の場で自分の息子として扱い、母親の立場で何かを言いつけようとしました。そういうのを公私混同というのです。

そのことをイエスさまがお気づきになり、マリアに伝えるために、つまり「あなたはこの場所では母親として振る舞うべきではない」と窘(たしな)めるために「婦人よ」とおっしゃったのではないでしょうか。

今申し上げたのと似たようなことが教会で問題になることがあります。具体例をあげるといろいろ差し障りが出てきますのでやめておきますが、牧師と教会との関係の中で難しい問題になることがありうるのは、牧師の家族と教会との関係です。私の家族はそういうことは重々心得ていましたので、教会の中では私に対して個人的に話しかけて来ることもありませんでした。

少し脱線しました。元に戻します。イエスさまがマリアを「婦人」と呼んだのは冷たい言い方ではなく丁寧な言い方です。イエスさまがおっしゃっているのはおそらく次のようなことです。

「親愛なるご婦人のかた、誠に申し訳ありませんが、用意された酒を全部飲み尽くしてまだ足りないと文句を言っている方々の面倒まで、わたくしどもが見なくてはならないとおっしゃるのでしょうか。そのようなことがわたくしどもの出番であると、失礼ですがご婦人はおっしゃっておられるのでしょうか」。

「わたしの時はまだ来ていません」という言葉に深い神学的な意味を読み取ろうとする人々は多いのですが、あまり難しく考えすぎないほうがよいと私は考えます。

イエスさまからそう言われてマリアは引き下がります。しかし、召し使いたちには「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言いつけます(5節)。こういうのを読むと私はカチンと来ます。「自分で買いに行けばいいのに」と言いたくなります。私がまだ反抗期なのかもしれません。

しかし、イエスさまはどこまでも優しい方です。マリアの願いを退けず、しっかりお応えになりました。

そこに石の水がめが6つありました。1つの容積は「2ないし3メトレテス」でした。1メトレテス39リットル。2メトレテスで78リットル、3メトレテスで117リットル。どちらの水がめが多かったのか分かりませんので両方を足して2で割って平均97.5リットルで計算します。

石がめは6つあったので6かけて585リットル。コンビニで売っている手持ちワインボトルのサイズが750ミリリットル。その780本分。65ダース。プロ野球の優勝チームのビールかけはビール3000本とか5000本とかを開けるそうです。それにはかなわないとしても、ワインボトル780本分の「水」はかなりの量です。

イエスさまは召し使いたちに、その6つの石の水がめに「水をいっぱい入れなさい」(7節)、そして「さあ、水をくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」(8節)と言われました。水の重さは1リットル1キログラム。6つで585キログラム。しかも石の水がめ自体が重い。ひとりで運ぶのは無理。何人かで苦労して運ぶことになります。

しかし、ともかく彼らはイエスさまのおっしゃるとおりにしました。そして、その「水」を世話役が味見したところ、なんと驚くべきことに「ぶどう酒」でした。これが「世にも不思議な物語」です。

それが「どのようにして」起こったのかは分かりません。しかしこれだけは言えます。イエスさまはお母さまの言いつけを守られました。楽しい宴は続きました。喜びが持続しました。そのようなことのためにイエスさまは不思議な力を示してくださいました。

この出来事の「意味」は何かがしばしば問われます。いろんな説明があります。いくつか読みましたが、しっくり来る説明は見当たりません。理由は分かっています。この物語の「意味」を説明したがる人に限って、水がぶどう酒に変わることはありえないという前提を初めから持っています。これは事実無根の作り話なのだ。たとえばなしのようなものなのだ。だから「意味」を考えなければならないのだ、という主張です。

そういうのは面白くないです。ユーモアが感じられません。「ありえない」「作り話だ」「うそだ」と言われてしまうと二の句が継げません。思考停止が起こります。

しかし「物は考えよう」です。想像力を働かせる余地がまだたくさん残っています。私もひとつ考えました。ただし「冗談」です。真に受けないでください。

先週の礼拝後、みなさんからきれいなお花をいただきました。名前は覚えています。カスミソウ、芳純、ロイヤル・ハイネス、シャルル・ド・ゴールです。

カスミソウ以外の3つはすべて「バラ」であると、みなさんから教えていただきました。そういうことを全く知らずに51歳になりました。家に帰ってインターネットで調べたら、バラの種類は2万種以上あると書いてあって驚きました。

ワインの種類はどのくらいあるでしょうか。3種類です。赤、白、ロゼ。これは冗談です。産地などが異なる多くの種類のワインがあるようです。そういうこともインターネットですぐに分かる時代です。

私が言いたいのは、バラにしろ、ワインにしろ、たくさんの種類があるということは、それぞれの種類に最初に名前をつけた人がいることを意味している、ということです。

「これはバラである」と見極めた人がいる。新しい色や花びらの形を見つけるたびに名前を付けた人がいる。だれかが「これはバラだ」と決めたら、それが「バラ」になるのです。

私が言おうとしている「冗談」がお分かりでしょうか。ワインボトル780本分の「水」を召し使いたちが抱えて持ってきました。それを世話役が味見しました。その世話役が「これはぶどう酒である」と名付けたから、それは「ぶどう酒」なのです。

私は、イエスさまは素晴らしい力の持ち主であると信じています。しかし、もし仮にその「水」が水のままだったとしても、「ああ、これはなんておいしいワインだ」と楽しむことも可能だと思っています。

それと同じことを、わたしたちは聖餐式のたびごとにしているではありませんか。

「これはわたしの体です」「わたしの血です」と言いながら差し出されるパンとぶどう酒を、わたしたちはイエス・キリストの真実の体と血として味わいます。「ああ、これはなんて血なまぐさい、気持ち悪いワインだ」などとはだれも言いません。

説教も讃美歌もお祈りも同じです。わたしたちが信仰生活の中で味わうものはすべて、多くの想像力を働かせながら楽しむためにあるのです。

(2017年5月28日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年5月21日日曜日

信仰生活を始めよう(千葉若葉教会)

ヨハネによる福音書1章32~34節

関口 康(日本基督教団教師)

「そしてヨハネは証しした。『わたしは、〝霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、「〝霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が〝聖霊によって洗礼を授ける人である」とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

4月から9月まで月2回説教するようにというご依頼を千葉若葉教会の皆さまからいただきました。それでいろいろ考えまして、ある程度連続的な聖書の取り上げ方をするのをお許しいただこうと願うに至りました。ただし、「連続講解説教」というほど堅苦しいことは考えていません。「続きもののお話」というくらいです。それで選ばせていただきましたのがヨハネによる福音書です。

そして、先ほどは1章32節から34節を朗読していただきました。この箇所に登場するのはイエスさまに洗礼を授けたことで知られるバプテスマのヨハネです。「そしてヨハネは証しした」(32節)と記されています。このヨハネの「証し」のことを中心に、今日はお話しします。

「証しした」とは「証言した」という意味です。この言葉が多く用いられるのは裁判所の法廷です。原告側であれ被告側であれその場にいる人々が、被告人について「これこれこういう事実があります」と具体的な証拠をあげて「だからこの人は罪に定められるべきだ」「この人の罪は赦されるべきだ」「この人は無罪だ」などと主張することです。それが「証言」という意味での「証し」です。

その場合重要なのは、具体的な証拠をあげることです。証拠がなければ「証言」とは言えません。ただの思い込みや憶測にすぎません。そして、法廷で証言する人がもしそこで嘘をつけば、証言した人自身が偽証罪に問われ、罰を受けなければなりません。ですから「証言する」とは、虚偽ではなく真実を述べることを意味しますし、そうでなければなりません。

しかし、この「証し」には「証言」以外にも重要な意味があります。それは「信仰を告白する」という意味です。「信仰を告白すること」を意味するギリシア語の表現がこれしかないという意味ではありません。他の表現もあります。しかし、「証しする」という語に「信仰を告白する」という意味があるという事実が重要であると私は考えます。

なぜそう考えるのかといえば、両者に共通する要素があることが分かるからです。それがやはり、証拠・根拠・理由をあげて言うことです。そういうものが一切なく、ただ言い張るのとは違います。「信仰を告白すること」にも「証言すること」と同じように証拠・根拠・理由が必要なのです。

本当にそうでしょうか。そんなことを言われると困るとおっしゃる方がおられるかもしれません。「私の信仰には証拠も理由もない。ただ信じているだけだ。それで何が悪いのか」と。その気持ちは分かります。

だって、神を見たことがある人はひとりもいないのです。それはヨハネによる福音書の中に書いてあることです。「いまだかつて、神を見た者はいない」(1章18節)とはっきりと書かれています。それは二千年前も今も同じです。だとすれば、だれも見たことがない神さまを、だれが信じることができるというのでしょうか。「具体的な証拠をあげてください。嘘をつけば偽証罪に問われます」とまで言われると、どうしたらよいのでしょうか。

ヨハネは「証し」しました。それは「証言した」という意味です。そして同時に、それは「信仰を告白した」という意味でもあります。このときヨハネは「イエスさまこそ神の子である」という彼の信仰を初めて公に言い表したのです。ヨハネはこの日このときから新しい信仰生活を始めたのです。 

「ええっ」と思われるかもしれません。私はこういう言い方をして本当に大丈夫なのでしょうか。

バプテスマのヨハネはイエスさまに洗礼を授けた人です。人間的観点から言えばヨハネはイエスさまの師匠です。年齢的な意味での先輩でもあります。そして、ヨハネはもちろん神を信じていました。十分な意味での信仰者でした。多くの弟子を持つ指導者でもありました。

そのヨハネについて、まるでこのとき初めて信仰生活を始めたかのように言うのは、名誉棄損であり、侮辱ではないでしょうか。

しかもヨハネはやはりだんぜん「先生」でした。みんながみんな同じではないかもしれませんが、かなり多くの「先生」は強いプライドを持っています。そうでなければ「先生」なんか務まらないという面もあります。

この文脈で私が自分のことを言うのはおこがましい限りですが、ほんの少しだけお許しください。前々からお話ししているとおり、私は高校を卒業してすぐに神学大学に入学し、卒業後すぐに牧師になりました。24歳から今年51歳までの27年、牧師をしてきました。

しかももう少し前があります。18歳まで神学大学に入学した最初の年、東京で神学生として奉仕した教会の日曜学校の教師になったときから、教会では「先生」と呼ばれ始めました。18歳で「先生」です。面映ゆかったことを覚えています。つまり私は18歳から51歳まで33年間「先生」をしてきました。人生の64パーセントです。

私自身がそんなふうに呼ばれたがっているわけではありません。しかし「先生」と呼ぶのを意図的に避けられていると感じるときはなんとも言えない気持ちになります。そういうときは私も「先生」であることに慣れ過ぎたかなと反省させられます。

ヨハネはどうだったでしょうか。もちろんまだ別の可能性は残っています。ヨハネにとってイエスさまは自分が洗礼を授けた、いわば自分の子どものような存在でした。年齢も後輩でした。しかし、いわば先生同士であり、同僚が増えたのだと考えることはできそうです。それならばヨハネも「先生」のままでイエスさまも「先生」であるという関係が維持できますので、ヨハネのプライドは傷つかずに済みます。

私は今、どうしてこんな話をしているのでしょうか。そんなことどうでもいいではないかと思われるかもしれません。しかし、今申し上げているようなことが今日の箇所で、あるいはヨハネによる福音書の中で、あるいは新約聖書の中で全く問題になっていないかというと、全くそうではないところがあるのです。どうでもいい話であるどころか大問題になっています。

たとえば1章24節以下はどうでしょうか。ファリサイ派の人々がヨハネにずいぶんずけずけと余計なことを言っています。

「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」。彼らはヨハネに、あなたは何の資格や権限があってそういうことをしているのですかと問うています。

ヨハネは次のように答えています。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人は、わたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(26~27節)。

これで分かるのは「あなたが先生かどうか」とか「あなたは誰の先生であり、だれの弟子なのか」とか、もっとはっきりいえば「あなたは誰の上で誰の下なのか」とかいうようなことは決して小さな問題ではなく、大問題だったということです。

順位とか、格付けとか、資格とか、そのようなことは本人が気にしていなくても、周りにいる多くの人にとっては興味津々であるということです。

だいたいどこでも同じです。人が2人3人集まってだれかのうわさを始めれば、たいていその話題になります。人事の話がいちばん盛り上がります。そして、その話題の参加者の心を支配しているのは「あの人は自分よりも上なのか下なのか」というような、競争心や劣等感に基づく関心です。

ヨハネはそういう感覚からすっかり解放されていたでしょうか。もしそうだったとすれば、ヨハネという人はものすごく謙遜で偉大な人だったと言えます。だってそんな人、そうそういないですから。

あるいは、それと同じ理由で、全く逆の方向でヨハネを悪く否定的に評価することも可能性としてありえます。ヨハネという人は、後輩に追い抜かれようと、ライバルに出し抜かれようと、全く気にならない人でした。この人はとっても変わり者で、この世離れしている、世捨て人でしたという評価になるかもしれないし、実際はその可能性のほうが高いわけです。

現実のヨハネがそうでした。彼はユダヤ教の「エッセネ派」に属する禁欲主義者でした。生活様式は「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べものとしていた」(マタイ3章4節)というものでした。

どのように生きようとすべては個人の自由です。差別してはいけません。しかし、当時のユダヤ社会の中でのヨハネの生活様式が、他の人とはかなり異質であったという意味で「特筆すべき」ものであったことは否定できません。

そういうわけですので、「ヨハネはそういう人だったのだ」と言って片付けてしまうことも可能かもしれません。そのような、風変わりでこの世離れした人がイエスさまのことを「その履物のひもを解く資格もない」とか言って尊敬し、「この方こそ神の子である」と言い始めたのだと。

つまり、ヨハネのようなそういう人だから、そういうことができたのだと。自分についての他人の評価など全く意に介さないし、プライドがないから競争もしない。そういうタイプの人だから、自分よりも若くて後輩のイエスさまに従うことができたのだと。そのような片付け方です。

私は今おかしなことを言っているように聞こえているかもしれません。しかし、実際にはよくある話です。「宗教を求める人だとか信仰の道を志す人だとかは、そもそもそういうこの世離れしていてプライドがない人たちなのだ。だからそういうことができるのだ」と。こういう話はよく耳にします。

実際のヨハネがどういう人だったのかは、ヨハネ自身に訊いてみなくては分かりません。私は今、いくつかの可能性を申し上げているだけです。しかし、私自身はもう少し違う次元のとらえ方をしているつもりです。とはいえ、それをどう説明すれば納得していただけるのかがよく分からないのです。

それは今日の箇所でまだ触れていないところです。ヨハネが「証し」したその内容そのものです。最も大事なところなのですが、どう説明すればいいのかがよく分からないので、後回しにしました。

それは「わたしは、〝霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」(32節)と記されていることです。

もうひとつあります。「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『〝霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た」(33節)です。

これでヨハネは、私の証言は思い込みではないと言おうとしています。ヨハネを「遣わした方」とは「神」(1章6節)です。イエス・キリストの父なる神です。その方があらかじめヨハネにお告げになっていたことがそのとおり起こった。だから真実なのだと言おうとしています。

つまりヨハネの「証し」には2つの要素があるということです。第一は「イエスに聖霊が鳩のように降るのを見たこと」、そして第二は「そのようなことが起こるとあらかじめ告げられていたことがその通り起こったこと」です。

ちょっと待ってくださいよ、そんなことが「証拠」であるはずがないではありませんかと思われるかもしれないわけです。その疑問はある意味で当然です。

聖霊(?)が鳩のように降る(?)のが「どのように」見えた(?)のか。そもそも、聖霊は人の目に見えるものなのか。見えるというなら「どのように」見えるのか。

そして、そういうことが起こると「どのように」あらかじめ告げられた(?)のか、そのあたりを言ってもらわないと、なるほど確かに「証拠」ではありえないわけです。

ヨハネの「証し」の内容は信仰そのものです。つまり、彼の「信仰告白」の根拠は信仰なのです。それでは納得できないとお思いになる方はおられるでしょう。

しかし、ひとつだけ申し上げておけば、そのような疑問のすべては合理主義的な考え方です。物理的な現象しか「証拠」として認めないわけですから。しかし、わたしたちの現実はそのようなことだけで説明できるものではありません。多くの異なる次元の事柄があります。それをどう説明するかは本当に難しいことです。

「聖霊は鳩のように降ります!神のお告げはあります!」

私もそのように言い張っておきます。

(2017年5月21日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年4月30日日曜日

確かなる希望としての復活(千葉若葉教会)

コリントの信徒への手紙一15章20~21節

関口 康(日本基督教団教師)

「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。」

先々週の日曜日がイースター礼拝でした。私は日本基督教団下関教会(山口県下関市)から説教者としてお招きを受けて行ってきました。羽田空港から山口宇部空港までジェットに乗りました。帰りは新幹線でした。広島や岡山の実家にも立ち寄りました。そのような五泊六日の旅をしてきました。千葉若葉キリスト教会でもきっと盛大なイースター礼拝が行われたことでしょう。そういうわけで、皆さんに申し上げるのが遅くなりました。イースターおめでとうございます。

言うまでもないことですが、教会がイースターをお祝いするのはもちろん宗教的理由です。最近は日本の各地でイースターをお祝いしてくださる方々が増えているようですが、必ずしも宗教的理由ではないようです。しかし教会は間違いなく宗教団体ですので、遠慮なく宗教的理由でお祝いします。

イースターとは、イエス・キリストが死者の中から復活されたのは歴史的事実であるということを信じる人々の喜びの祝いの日です。その意味でイエス・キリストは「本当に」よみがえられたことを喜び、感謝する思いで、教会はイースター礼拝を毎年行っています。

しかし、教会がイースターをお祝いする理由は厳密に言うとそれだけではありません。少なくとももうひとつあります。それは何かといえば、イースターは「死者の中から復活したのは現時点ではイエス・キリストだけであるが、復活そのものはイエス・キリストだけで終わるものではない」ということを信じ、やがて訪れる将来において自分自身も復活するのだと信じる人々の希望の祝いの日であるということです。

私が今、やや早口で何を申し上げたのかは、きっとお分かりいただけていると信じます。それが、実は先ほど朗読していただきましたコリントの信徒への手紙一15章20節と21節に書かれている内容そのものです。それを私なりの言葉で言い換えて申し上げただけです。

まず20節を読みますと、「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(20節)と書かれています。重要な言葉は「初穂」です。この「初穂」は英語の聖書ではだいたいfirst fruitと訳されています。つまり「最初の果実」です。

ここで考えなければならないことは、イエス・キリストの復活が「最初」(ファースト)であるということは、その「次」(ネクスト)の復活もあるということです。最初の1つだけで終わるのではなく、2つ目も3つ目もあるし、もっとたくさんあるということです。

何がもっとたくさんあるのかといえば、それが復活です。何と驚くべきことに、イエス・キリスト以外にも復活する存在があるのです。イエス・キリストが「初穂」(ファーストフルート)ならば、「次の果実」(ネクストフルーツ)もあるのです。それが全人類です。何と驚くべきことに全人類が復活するのです。そのようなことを誰が信じられるだろうか、冗談は休み休みに言ってくれと、多くの人に思われるに違いないのですが、パウロが書いているのはそのようなことです。

しかし、驚くべきことはまだ残っています。それは、この箇所にパウロが書いていることの趣旨は「イエス・キリストの復活」のほうではなく「全人類の復活」のほうであるということです。「全人類の復活」は本当に起こるのだということを言うために、その根拠として「イエス・キリストの復活」を持ち出しているだけです。このような書き方をしている以上、どちらに強調点があるかといえば、前者ではなく後者であることは明らかです。

しかも、「イエス・キリストの復活」と「全人類の復活」を聖書に基づいて比較してみると、両者が全く同じことの単純な反復ではないことが分かります。聖書によると、「イエス・キリストの復活」は40日間弟子たちの前で起こりましたが、その後父なる神のもとへと昇天することによって弟子たちの前から姿を消し、見えなくなりました。しかし「全人類の復活」は、わずか40日で終わるような一時的な出来事ではなく、永久に続く出来事として理解されるべきものです。

ですから、次のように考えることさえできます。「イエス・キリストの復活」は、今はまだ起こっていないが将来起こるであろう「全人類の復活」にとっての「予告編」の意味を持っていました。しかし、それはまだ「本編」ではありませんでした。「イエス・キリストの復活」においては「全人類の復活」のさわりの部分をほんの少しだけ、ちらりと見せてもらえたに過ぎません。

さらに次のように考えることもできます。「イエス・キリストの復活」は、キリスト信仰全体の目標ではなく、途中の通過点にすぎません。キリスト教信仰の目標は「イエス・キリストの復活」を信じることのほうではなく「全人類の復活」を信じることのほうにあります。このように申し上げるからと言って、「イエス・キリストの復活」を信じることが重要ではないと言っているのでは決してありません。それを信じることも重要です。しかしだからといってわたしたちは「イエス・キリストの復活」のほうだけを信じて事足れりとすることはできません。

イースターをお祝いする目的も同じです。「イエス・キリストの復活」をお祝いすることだけではなく、少なくとももうひとつあると申し上げたとおりです。それは、将来における「全人類の復活」を期待することです。イースターは、わたしたち自身の復活を待ち望む将来をめざす希望の祝いです。それは「イエス・キリストの復活」をお祝いすること以上に重要です。

私が言いたいのは次のようなことです。「イエス・キリストの復活」はありえないことだが、不合理なことであっても、理性を犠牲にして無理やりにでも信じ込むことがキリスト教信仰の本質なのだ、という仕方で、ようやくのところ「イエス・キリストの復活」を信じることができたというだけでキリスト教信仰が完結するわけではないということです。キリスト教信仰には、もっと大きな、人をつまずかせる要素があります。それが「全人類の復活」です。

歴史的な事実としては、「全人類の復活」についての思想はパウロが生み出した思想ではないし、新約聖書の著者たちが発明した思想でもありません。それは旧約聖書の時代からあり、サドカイ派を除くユダヤ教の人々に広く受け入れられていた思想でした(ヘンドリクス・ベルコフ『確かなる希望』藤本治祥訳、日本基督教団出版局、1971年、42頁)。事柄の歴史的な順序としては、「全人類の復活」を信じる信仰は「イエス・キリストの復活」を信じる信仰より古いです。

これで分かるのは、イエス・キリストの復活の事実が「全人類の復活」を信じる信仰を生み出したのではなく、順序はその逆であるということです。「全人類の復活」を信じる信仰が先にあり、それは「本当に」起こるのだということを、「イエス・キリストの復活」を目の当たりにした人々がその確証を得たと信じて受け入れたということです。

今日なぜ私がこのようなことをしつこいほど繰り返し強調するのかについても申し上げておきます。

「イエス・キリストの復活」を信じるだけならば、ある意味で簡単なことです。自分に当てはめて考えることをしなくて済むからです。イエス・キリストはわたしたちにとって他人ですから、他人事として考えるだけで済ますことができます。「へえ、そんな不思議なことがあったのですね。神さまの力はすごいですね」と言っていればいいだけです。

しかし「全人類の復活」は違います。他人事で済ますことができません。なぜなら、全人類の中にあなたも私も含まれるからです。あなたも私も復活するのです。そのようなことを本気で信じなければならなくなります。そのほうがわたしたちにとって、「イエス・キリストの復活」を信じることよりも、はるかに難しいはずです。

しかし、難しいことをわたしたちは信じかつ受け入れる必要があります。そうでないかぎり、復活がわたしたち自身の希望にならないからです。なぜ他人事で済ましてはいけないのでしょうか。そのことを最後に申し上げておきます。そのことを理解するために、今日の箇所の31節に書かれていることが重要です。

「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです」(31節)と書かれています。その説明が22節にあります。「つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです」(22節)。

論理は単純です。「死が一人の人によって来た」と言われている中の「一人の人」とは最初の人類アダムです。「アダムによって死が来た」とはアダムが罪を犯したためすべての人に死が定められたという意味です。しかし、その死の定めを打ち消すために「一人の人」イエス・キリストが来ました。イエス・キリストが来てくださったので、すべての人から死が取り除かれた、ということです。

ここで考えなければならないのは、アダムによって何が始まったのかということです。この箇所には記されていませんが、それが「罪」であることは明らかです。アダムの「罪」によって「死」が来ました。しかし「キリストによってすべての人が生かされることになる」。その意味は、キリストによって「罪」が除去されるならば「死」が除去される、ということです。

そしてそれでわたしたちが理解すべきことは、「全人類の復活」を信じることは、全人類が罪から完全に取り除かれ、罪から解放される日が来ることを信じるのと同じであるということです。つまり、わたしたちは、「罪」との関係で「死」を、そして「復活」を理解する必要があるということです。

今かなりややこしいことを言いましたが、ご理解いただきたいのは、ひとつのことです。それは、「全人類の復活」と信じることと「世界と人類からすべての罪が取り除かれること」を信じることは同じことである、ということです。そういう日が必ず来ると信じることが必要なのです。

罪は永遠の存在ではありません。罪の力に飲み込まれてはいけません。罪に市民権を与えて当然視してはいけません。「人類が罪を犯すのは当然なのだ」とか「やむをえないことなのだ」などと言って是認してはいけません。そのようなことを聖書が教えているわけではありません。

しかも、わたしたちは、自分自身は罪に対して無抵抗であり、人生の最期の最期のぎりぎりまで罪の甘い蜜を味わい尽くしながら、天国に行きさえすれば罪から自由になれるなどと考えるべきではありません。神にお委ねするだけではなく、わたしたち自身も、罪の力、悪の力に対して徹底的に抵抗しなければなりません。

わたしたちは主の祈りにおいて「御国を来たらせたまえ」と祈ります。「我らを試みにあわせず、悪よりすくいいだしたまえ」と祈ります。このように祈りつつ生きていくわたしたちの人生の将来に「復活の日」が訪れます。

罪は完全に滅ぼされ、世界と人類の中から完全に取り除かれる日が来ます。罪が取り除かれれば、わたしたちが死ぬこともなくなります。その意味での「完全な救いの日」が来ます。それが「全人類の復活」です。

(2017年4月30日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年4月9日日曜日

信仰が希望を支える(千葉若葉教会)

ローマの信徒への手紙4章18~22節

関口 康(日本基督教団教師)

「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。」

千葉若葉教会で説教させていただくのは3月12日で終わりというお約束でしたが、もう少し続けてほしいという依頼を主任牧師の内山幸一先生からいただきました。それで戻ってきました。よろしくお願いいたします。

先ほどはローマの信徒への手紙4章18節から22節までの箇所を朗読していただきました。最初の「彼」は「信仰の父」と呼ばれるアブラハムです。アブラハムは、まだ「アブラム」と呼ばれていた頃、父テラが住む故郷ハランの地を離れ、妻サライ(後に「サラ」と改名)と甥ロトと共に、カナン地方に移住しました。

移住の理由は不明です。しかしハランが異教の地であったことと関係していると考えられています。アブラハムは真の神への信仰を求めて新しい地に移住しました。そして、そのアブラハムに主なる神が約束してくださったことがあります。

それは「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」(創世記12章2節)という約束でした。この約束の意味は、アブラハムとサラに「天の星の数ほど多くの」子孫を与えるということでした(創世記15章5節)。

その約束をアブラハムは信じました。その「信仰」を主なる神が「彼の義と認め」ました(創世記15章6節)。ところが彼らに与えられた子どもはひとりでした。その名はイサクと名付けられました。そのときアブラハムは100歳、サラは90歳でした。主なる神の約束は「天の星の数ほど多くの」子孫を与えるということでしたが、現実に与えられたのはひとりでした。それはある意味で矛盾です。

もうひとつ、これもやはりある意味で矛盾であると言わざるをえないことがあります。それは神がアプラハムに最初に約束してくださったことに含まれていたもうひとつの点に関係しています。それは「あなたの子孫にこの土地を与える」(創世記12章7節)という約束でした。

「この土地」とはカナン地方全域を指しています。しかしアブラハムが最終的に自分の所有の土地として手に入れたのは、ひとつの小さな畑と洞窟でした。

それは、127年の生涯を終えた妻サラを葬るためにヘト人エフロンから銀400シェケルで購入したものです。「カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑」と記されています(創世記23章19節)。それはカナン地方全域とは比較にならない小さな土地でした。最初の約束と違うではないかと言おうと思えば言えなくありません。

子孫の数についての約束と、手に入れる土地についての約束とで共通しているのは、最初の約束の内容の大きさと比較すると結果的に彼らが現実に受け取ったものがあまりにも小さいものだった、ということになるでしょう。その差は歴然としています。

しかし、そのことについてアブラハムが神を批判した形跡はありません。「神は嘘つきだ」とか「神が騙した」とアブラハムが神を批判する言葉は見当たりません。しかしそのこと自体は重要な問題ではありません。

創世記に記されているのは、アブラハムという人は、神に対して言いたいことがあってもそれを決して口に出さなかった我慢強い人でした、その「我慢強さ」を神は「彼の義」と認めました、という話ではありません。

神がアブラハムに「あなたをこんなふうにしてあげる」「あなたにこれだけのものを与える」とうまい話をもちかけてきた。うまい話に乗せられたアブラハムが故郷を捨てて出てきたのに神は彼を裏切った。しかしアブラハムはどんなに裏切られても騙されても神を信じるのをやめませんでした、という話でもありません。そういう話のほうが面白い展開になるかもしれませんが。

それではどういう話なのでしょうか。そのことをお話ししたいと思って、ローマの信徒への手紙の今日の箇所を開いていただきました。

この箇所に記されているのは、神がそれを「彼の義」と認めてくださった「アブラハムの信仰」とはどのような性質のものだったかについてのパウロの解釈です。解釈だと申し上げる意味は、パウロが書いていることが創世記に明確に書かれているわけではないということです。明確に書かれていないことについてパウロが想像力を働かせて解釈しているのです。

さて、この箇所にパウロが書いているのは、次のようなことです。便宜的に三つに分けておきます。

第一に「アプラハムの信仰」は「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じる」という性質のものだったということです。それは「希望」という(「信仰・希望・愛」と三者を区別して言うように)「信仰」とは区別される事柄との関係で理解されるべきものであるということです。説明は後でします。

第二に「アブラハムの信仰」とは「神の約束を信じる」という性質のものであったということです。そしてこの「神の約束」もやはり「希望」との関係の中で理解されるべきだと申し上げておきます。これも後で説明します。

第三に「アブラハムの信仰」とは「神は約束を実現させる力をお持ちである方であるということを確信する」という性質のものだったということです。これについても同じことを繰り返します。「約束」と、「約束が実現すること」(未来の現実)と、それを実現する「力」を神が持っていることを信じること(信仰)と、「希望」の四つは互いに区別されつつ不可分の関係にある、ということです。

以上の三つをまとめていえば要するに、アブラハムの「信仰」は「希望」という要素に結びついているということです。そのようにパウロが理解しているということです。そして、今日私が強調したいのは、いま申し上げた意味での「希望」との関係で理解されるべき「アブラハムの信仰」には時間的な次元が必ずある、ということです。

難しいことを言っているつもりはありません。当たり前のことを言っているつもりです。「希望」というかぎり、その実現には「時間がかかる」ということです。それは必ずご理解いただけることです。そして、もしそうであるなら、実現までに多くの時間がかかる「希望」との関係において理解されるべき「信仰」もまた、時間との関係を無視することはできないということです。

ここから先に申し上げることで、もしかしたら皆さんの心を少し傷つけてしまうかもしれません。しかし、私も例外ではありえないことですのでお許しください。私が申し上げたいのは、「大きな希望が実現するためにかかる時間はひとりの人の人生の長さよりも長い」ということです。小さな希望であれば、実現までに長い時間はかからないかもしれません。しかし、大きな希望が実現する頃には、最初にその希望を抱いた人は、地上にはもういない、ということです。

しかし、最初にその大きな希望を抱いた人もまた、たとえその人自身はその希望が実現する頃にはもはや生きていないとしても、自分になしうることをコツコツと忠実になすことが求められている、ということです。それが、アブラハムが抱いた意味での「信仰」です。

アブラハムにとって「希望」とは、ひとつの大きな国を築くことを意味していました。その大きな希望が実現するのは、アブラハムにとっては未来に属することでした。そのことは彼も分かっていたことです。私の目の黒いうちにすべてが必ず実現しなければならないなどとは考えていませんでした。独裁者タイプの人は、どんな暴力をしてでも、急進的な実現を目指すでしょう。しかし、アブラハムは違いました。

アブラハムにとって、ひとりのこどもが生まれることと、ひとつの畑を手に入れることは神の約束の実現に向けての確かな一歩でした。それ以上は彼に与えられませんでしたが、その確かな一歩からすべてが始まりました。だからこそ、アブラハムは「信仰の父」と呼ばれる存在になりました。

ですから、アブラハムが抱いた「希望」の意味は「未来待望」です。彼が待ち望んだのは時間的・歴史的な意味での「未来」です。そして、その意味での「希望」との関係で理解される「信仰」は、必ず時間的・歴史的な次元が関係しています。「希望」との関係で理解されるべき「信仰」は、無時間的なものではなく、時間の中で神の約束の実現を待ち望むことを意味しています。

少なくとも、自分の個人的欲望を満たすことが聖書の意味での「希望の実現」ではありません。しかし私は、自分の個人的な欲望を満たすことが悪いと言いたいのではありません。

たとえばわたしたちは、「あなたの希望は何でしょうか」と聞かれたらどう答えるでしょうか。子どもたちは、行きたい学校とか、なりたい職業を答えるのではないでしょうか。もう少し大人になれば、住みたい家とか、乗りたい車を答えるかもしれません。年配の人たちはどうでしょうか。葬儀をどうするか、お墓をどこにするかを答えるかもしれません。

それらのことを真剣に考えることが悪いわけではありません。しかし、わたしたちにとっての「希望」はそれだけでしょうか。あまりも個人的すぎないでしょうか。どうしてもっと「大きな希望」を持てないでしょうか。

しかしそこで、教会に通っている人は違うと、私は言いたいです。教会は、キリストの体であり、信者の集まりです。そのような、きわめて具体性ある存在としての「教会」の「未来」を「待望」することができるのですから。かつそのために「今」なすべきことをコツコツと続けていくという、具体的な「希望」を、教会に通っているわたしたちは実際に抱くことができます。

たとえば、教会の土地・建物を手に入れることには何十年もかかります。教会に人が集まるようになり、小さな教会が大きな教会になっていくことにも何十年もかかります。

小さい教会が大きくなれば、それがやがて村になり、町になり、市になり、県になり、国になっていくでしょうか。

そういう「希望」をわたしたちはなかなか抱くことはできません。あまりにも大げさすぎて、そういうことを真面目に考えることができません。しかし、「アブラハムの信仰」は、いわばそのような性質のものでした。

わたしたちは急ぎすぎのところがあります。すぐ結果が出なければ気が済まないところがあります。自分の目の黒いうちに自分の努力の結果を見たいと思ってしまうところがあります。

しかし、あえて乱暴な言い方をすれば、たかが自分の目の黒いうちに結果が見える程度のことなどは、「小さな希望」にすぎません。そんなのは大したことがありません。わたしたちは、もっと「大きな希望」を持とうではありませんか。

「未来待望」としての「希望」の行き先には、わたしたちはもういません。その覚悟は必要です。しかし、だからこそわたしたちには「信仰」が必要です。それは、わたしたちの未来に、わたしたちの信仰を受け継ぐ人々が必ず起こされることを信じる信仰です。

わたしたちに求められているのは、わたしたちが待ち望んでいる未来にはもはや自分自身はいなくても、未来に生きる人を信頼し、その人々にすべてを託すことです。

(2017年4月9日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年3月12日日曜日

目標めざしてひたすら走る(千葉若葉教会)

フィリピの信徒への手紙3章12~14節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標をめざしてひたすら走ることです。」

先月も、と言っても2週間前ですが、同じことを申し上げました。千葉若葉キリスト教会で1年間、説教の機会を与えていただき、ありがとうございました。今日もよろしくお願いいたします。

先ほど朗読していただいたのは使徒パウロのフィリピの信徒への手紙です。フィリピはパウロ自身の伝道地です。パウロのフィリピ伝道の様子は使徒言行録16章11節から40節までに描かれています。第3回伝道旅行の最も重要な滞在地のひとつです。

使徒言行録に基づくパウロのフィリピ伝道の概要は次のとおりです。フィリピにはシラスとテモテがパウロに同行しました。紫布商人のリディアがパウロの説教を聴いて洗礼を受けました。その後、リディアの家が彼らの伝道の拠点となりました。

しかし、フィリピはパウロがひどく苦しんだ町にもなりました。パウロが占い師の女性から「占いの霊」を追い出しました。それで、その女性が占いの仕事をやめたため、その女性の占いを収入源にしていた人々が腹を立て、パウロを告訴しました。パウロはシラスと共に逮捕され、投獄されました。

ところが大地震が起こり、監獄の土台が揺れ、牢の戸がすべて開きました。逃げようと思えばいつでも逃げられる状態になったのに、パウロは逃げませんでした。囚人がみんな逃げてしまったと思い込み、責任を感じた看守が自害しようとしたとき、パウロが「自害してはならない」と止めました。

その後、その看守がパウロとシラスに「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と言い、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒言行録16章31節)と教え、看守とその家族が洗礼を受けました。それがフィリピ伝道最大の出来事となりました。

「占いの霊」を追い出す(?)とか、大地震で監獄の戸がすべて開く(?)とか、そのようなことが書かれている箇所を読むと、それは一体どういう現象なのか、本当にそういうことが起こったのかと、いろいろ疑問に思う人は必ず出てくるでしょう。

よくできた作り話だと言い出す人がいても、それはそれで構いません。はすに構えた聖書の読み方がすべて間違っていると、私は思いません。霊だの奇跡だのというような次元で出来事をとらえるのではなく、ごくふつうの感覚で理解できる話であれば納得できるということであれば、それでも全く問題ありません。

たとえば、「占いを商売にしていた人がその商売をやめた」ということだけを言えば、そのほうが納得していただけるかもしれません。そういうことはよくあることだからです。あるいは、「偶然起こった大地震でたまたま監獄の戸が開いた」と言えば、納得していただきやすいでしょう。すべては神の御心だった、神の計画だったという話にわざわざしなくてもいいでしょう。

今の私もそうです。過去25年、教会の牧師だけしてきた人間が、今年たまたま学校で宗教科(聖書科)教員をさせていただきました。たまたま私が宗教科の教員免許を持っていて、たまたま学校でおやめになる先生や大学院で1年間お勉強なさる先生が出て、たまたま空席ができました。それで私が学校で教えることになりました。

「すべて偶然だった」と説明することもできます。しかし「すべて神の導きだった」と信じようと思えば信じられますし、そのように私が説明するとしてもだれから文句を言われる筋合いのことでもないわけです。

そして実際、私が仕えてきた伝道と教会形成のわざのすべては神の御心であり、神の計画であると私は心から信じています。正直言ってつらいことのほうが多いです。しかし、「これは神の御心であり、神の命令である」と信じることができるからこそ、どんなにつらくても取り組むことができます。そのような次元でとらえるのでないかぎりとても耐えがたいと言わざるをえない過酷さが、伝道と教会形成のわざにはあります。

いま申し上げているのは、牧師だけが過酷だということではなく、教会の信徒の方々すべての働きが過酷であるということです。「すべては神の御心である」という告白は、そのように信じるのでもないかぎりとても耐えることができない究極的な限界状況に立っている人の告白であると、私自身は考えています。

さて、そのようにパウロがひどく苦しんだ結果としてフィリピに生み出された教会に宛てて書かれた手紙が、このフィリピの信徒への手紙です。

「わたしは既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです」(12節)と記されています。

この中の「それ」という指示代名詞は直前の文章にかかっています。直前の文章は「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(10~11節)です。

いろんな要素が複合されているこの文章の中のどの言葉が最も「それ」なのかといえば、「キリストの死の姿」です。この特定が私にできるようになったのは、石黒義信先生(千葉英和高等学校チャプレン、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会牧師)のもとで青野太潮先生の「十字架の神学」を学んできた成果です。

ここでパウロが言っているのは「わたしは既にキリストの死の姿を得たというわけではない」ということです。「キリストの死の姿との一致において既に完全な者となっているわけでもありません」ということです。言い方を換えれば、「まだ完全に死にきれていない」ということです。「まだ自分が生きている」ということです。

そのように青野太潮先生がこの箇所を説明しておられるかどうかは分かりません。私が青野先生の受け売りをしているという意味ではありません。青野先生の「十字架の神学」の立場に立ってこの箇所を読むと、こういうふうに読むことができるのではないかと思っているだけです。

「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(13~14節)と記されています。

この「目標」も「キリストの死の姿」であると考えることができます。それは、裸にされ、ずたずたに傷つけられ、十字架上にはりつけにされたうえで、「他人を救っても自分を救えない」と罵られるという、肉体的にも精神的にも追いつめられた、惨めで弱いイエスの姿です。

そのイエスの姿、キリストの死の姿こそが、パウロの「目標」です。その目標を目指してひたすら走る人生を私は送っているのだ、とパウロが言っています。そのことは前後の文脈からも分かります。3章2節から始まる話題との関係が特に重要fです。

「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です」(2~3節)と記されています。

「割礼」と書かれていますので、ここに書かれているのはきっとユダヤ教徒に対する警戒の問題だろうと単純に読んで早とちりしてしまいそうですが、そうではありません。ここに書かれていることは、パウロの第1回伝道旅行が終わって第2回伝道旅行に出かけるまでの間に行われたいわゆる「エルサレム会議」(使徒言行録15章)で取り上げられた問題との関連で理解されるべきです。

エルサレム会議で取り上げられた問題とは、「人は洗礼を受けるだけでは救われない。洗礼に加えて割礼を受けなければ救われない」というようなことを教えるようになった人々とパウロとのあいだの対決の問題です。

こともあろうに、そのようなことを教えるようになった人々の側のリーダーが使徒ペトロだったことは非常に厄介だったに違いありません。しかし、エルサレム会議の結論は、パウロの主張を支持するものでした。しかし、詳細に立ち入るいとまはありません。今申し上げたいのは、3章2節以下に記されていることの歴史的背景だけです。

「切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」と書かれているのは、ユダヤ教徒に対する警戒ではなく、むしろキリスト教の伝道者の中にいる人々に対する警戒であるということです。その人々はもしかすると、当時のキリスト教会の中の主流派だったかもしれません。そのような人々に対する対抗の意味でパウロが書いているのが3章4節以下です。

「とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした」(4~6節)。

しかしパウロは、「キリストの死の姿」を「目標」にして生きるようになってからは、過去においては拠り所にしていた「肉の誇り」は、今の自分にとっては「損失」であり「塵あくた」であると思うようになりました。

「十字架の神学」も、ただエラそうに論じるだけなら、いとも簡単です。自分に都合がよいように引用するだけなら、いとも簡単です。自分自身が「イエスの死の姿」を「目標」にして生きようとしないなら、否、死のうとしないなら、全くの「損失」であり「塵あくた」です。

最後に私の話をするのをお許しください。私はまだ教会の牧師の仕事に復帰することを諦めているわけではありません。ずっと祈り求めていますが、どの教会からもいまだ確約をいただいていません。かっこよくいえば「フリーエージェント」です。

私はパウロほど腹をくくれていません。しかし、今の私は、いろいろ取り去られた結果、以前より少しくらいは「イエスの死の姿」に近づくことができているのではないかと思っています。

私も「肉の誇り」を持っています。私は生まれたときからずっと教会に通っています。6歳で成人洗礼を受けました。小学校に入学する前の幼稚園児の私が、自分の意志で牧師のところまで行き、「私に洗礼を授けてください」とお願いしました。その日のことを今でもよく覚えています。

高等学校を卒業してすぐに東京神学大学(東京都三鷹市)に入学しました。24歳から25年間、牧師の仕事だけをしてきました。

私の出身教会は、日本最大のプロテスタント・キリスト教団である「日本基督教団」の中の最大規模の教会です。「日本基督教団岡山聖心教会」(岡山県岡山市)です。

私の出身教会のルーツは「ホーリネス派」です。熱心さの点では太平洋戦争中に日本政府から弾圧を受け、日本基督教団南京教会の牧師として特高警察に逮捕抑留された永倉義雄牧師から、私は洗礼を受けました。

そして私は、今は元に戻っていますが、19年もの間、「日本基督教団」を離れていました。その間は「日本キリスト改革派教会」に教師として在籍していました。

「日本キリスト改革派教会」に在籍していた間は、教会の牧師としての仕事のかたわら、新しい中会(プレスビテリ)を生み出す仕事をしました。大会(ジェネラルアッセンブリ)では教師学科試験委員会に属し、新しく牧師になる人々の試験問題の作成や採点や面接などをしました。

そういうことを私が誇ろうと思えば誇れないわけではありません。しかし、それらすべては今の私にとってはどうでもいいことです。「損失」であり「塵あくた」です。「後ろのもの」は忘れました。「キリストの死の姿にあやかること」のほうがはるかに大事です。

(2017年3月12日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会主日礼拝)

2017年2月26日日曜日

恐れるな、語り続けよ(千葉若葉教会)

使徒言行録18章9~11節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』パウロは一年六か月ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。」

今日の箇所の文脈は、使徒パウロの第3回伝道旅行です。パウロはそろそろ高齢者と言える年齢になっていました。あらゆる困難を乗り越えて神の御言葉を宣べ伝える働きを続けてきました。

そのパウロに神が幻の中で「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」と励ましの言葉を語りかけてくださいました。これはパウロに神が語った言葉です。しかし同時に、すべての伝道者、そして教会にも神が語り続けています。伝道者は個人的に神の言葉を宣べ伝えているのではなく、教会と共に働く存在だからです。

もちろん伝道者は個人的にも語ります。そこに教会がなければ伝道者は何も語ることができないのではなく、伝道者は新しく教会を生み出すことができます。しかし、親のいない子どもはいません。子どもは自分で自分を生むことはできません。教会も同じです。新しい教会にも生み出す母体となる親の教会が必ずあります。

しかしまた、ここで私が声を大にして言いたいのは、すべての教会の生みの親は神であるということです。教会はイエス・キリストの体です。究極的にいえば、伝道者と教会が属している母体は神御自身であり、神の御子イエス・キリスト御自身です。だからこそ、伝道者と教会が恐れず黙らず神の言葉を宣べ伝える働きを続けるために、神御自身の励ましの言葉を必要としています。

ここで問題があります。それは、伝道者と教会を励ます神の言葉は、わたしたちが手にしているこの聖書という書物そのものなのかといえば、必ずしもそうとは言い切れません。これはもしかしたら皆さんを驚かせ、不安な気持ちに陥れる言い方かもしれません。

しかし、今日の箇所に書かれているとおり、伝道者パウロに神が励ましの言葉を語りかけてくださったのは「幻の中で語りかける」形式であったことが分かります。「パウロは聖書を読んだ。こう書かれていた。だからパウロはそう信じた」というようなことを使徒言行録が書いていないという点が重要です。

パウロが自分の働きの支えとし、根拠とし、その上に立って伝道の仕事を続けた神御自身の励ましの言葉は、いわばたかが「幻の中で語りかけられたもの」にすぎないものでした。第三者が客観的にそれを証明できるわけではありません。何の証拠にもなりませんし、何の保証もありません。「それはあなたの思い込みだ」と言われてしまえば、それまでです。

伝道者と教会の存在は、その意味では、砂上の楼閣です。常に危険な綱渡りをしていると自覚するほうが、よほど現実的かもしれません。

しかしまた、だからこそ、伝道者と教会にとって「祈り」が意味を持ちます。祈りとは願いです。まだ実現していないことが実現しますようにとただ思っているだけです。ただ願っているだけです。私はこれだけのことをしたのだから当然これだけの評価を受けるべきだというような権利主張をすることが祈りではありません。

その意味では伝道者も教会も常に不安の中にあります。この務めにだれが耐えうるのでしょうか。しかし、神はこの務めを担う人々を世の中から選び出して、無理にでも担わせる方です。そのような、光栄でもあり、重荷でもあるのが伝道の働きです。

パウロが「幻の中で」この励ましの言葉を聴いたのはコリント伝道の最中だったことが分かります。使徒言行録によれば、パウロがコリントを訪れたのは、ギリシアの首都アテネの次でした。アテネとコリントはさほど遠くない距離にあります。

パウロのアテネ伝道は、しばしば評価が分かれるところです。パウロはアテネで伝道に失敗したととらえる人もいれば、失敗したとまで言うのは間違っているととらえる人もいます。私はどちらかといえば、パウロのアテネ伝道は失敗したと考えるほうです。

パウロがアテネで出会ったのは、多くの偶像でした。あるいはギリシアの神々をまつる神殿でした。それを見て彼は「憤慨した」(17章16節)と記されています。エピクロス派やストア派の哲学者たちと討論をしたとも記されています(17章18節)。エピクロス派(エピキュリアン)といえば快楽主義、ストア派(ストイシズム)といえば禁欲主義ですが、そのあたりに立ち入るいとまはありません。

そのようなアテネでパウロが力説したのは、大きく分ければ2つのことでした。第一は「神は手で作った神殿などにはお住みにならない」(17章24節)ということでした。そして第二は「神がひとりの人を死者の中から復活させて(イエス・キリストの復活)、すべての人にそのこと(すべての人の復活)の確証を与えた」(17章31節)ということでした。

ところが、特に後者の「死者の復活」を語ったことで、あざ笑われ、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と立ち去られてしまいました(17章32節)。しかし、何人かの人はパウロに従って信仰に入った、とも記されています(17章34節)。パウロのアテネ伝道は失敗とまでは言えないと考える人々の根拠は、この点にあります。

しかし私は、パウロのアテネ伝道は失敗だったと考えています。それはパウロが死者の復活について語ったから失敗だったという意味ではありません。私が考えるのはもっと根源的なことです。

パウロのアテネ伝道には「憤慨」すなわち「怒り」という動機があったという点が問題です。腹立ち紛れに当てこすりの言葉を語ったのです。そのような動機で語られる言葉で心が動く人がいるでしょうか。それが「伝道」と言えるでしょうか。と、そのあたりのことを私は考えています。

そういうのは今の人なら「上から目線」と言います。私が過去に出会った少なくない数の外国から日本に来た宣教師たちの中に、そのタイプの人々がいました。「日本は霊的に貧しい国である。日本人は霊的に貧しい人々である。だから我々は日本に伝道し、日本人を回心させなければならないのだ」というようなことを書いたり語ったりする人々と出会ったことがあります。

外国の宣教師だけを悪者にするつもりはありません。日本人の伝道者にも、日本の教会にもそのタイプの人々がいます。私自身も同じような感覚に陥ることがありますので、自戒しなければなりません。

そのようなやり方で誰の心が動くでしょうか。ばかにされた、けなされたとしか感じないでしょうし、ますます心を閉ざされてしまうでしょう。自分が逆の立場であればその気持ちは分かるはずです。「怒り」や「軽蔑」が動機であるような伝道がうまく行くはずがありません。結果的に何人かの人が信仰に入ったとしても、長い目で見れば、パウロのアテネ伝道は失敗だったと言わざるをえません。

さて、パウロはアテネの次にコリントに行きました。コリントでパウロは、アキラとプリスキラというテントづくりを職業とするユダヤ人夫婦の家に住み、彼らの仕事を手伝うアルバイトをしながら伝道しました(18章1~4節参照)。

この箇所を根拠にして日本の教会でも「牧師たちはパウロと同じようにアルバイトをしながら伝道すべきである」というようなことがしばしば語られてきました。その趣旨を私は理解できるほうです。しかし、この箇所に記されていることが、伝道者の活動をサポートする教会の責任がまるで全く免除され、放棄されてもよいかのような意味で引用されることもありますので、警戒心が私にはあります。

話の流れをよく考えていただけば、コリントでのパウロのアルバイトは、あくまでも一時的な緊急避難だったことが分かります。恒常的なことでも固定的なことでもありません。

そして、シラスとテモテがマケドニア州からコリントに来てからは、パウロは御言葉を語ることに「専念した」と記されていますが(5節)、これはおそらく彼らがマケドニア州の教会で集めた献金を持ってきてくれたので、アルバイトで食いつなぐ必要がなくなったことを意味していると思われます。

お金を稼ぐことが伝道の目的ではありません。しかし、伝道の継続のために、そして伝道に専念するために教会の支えが必要です。

しかし、パウロがどれほど伝道に専念できるようになっても、必ず妨害が入り、そのたびに伝道の継続が困難になったことも事実です。それでパウロは移動を余儀なくされ、働きの場を転々とすることになりました。

その苦労がパウロを伝道者として成長させました。コリントでは多くの人々が信仰に入り、洗礼を受けました。教会の仲間が増え、パウロの伝道を支えてくれる人々が増え、1年6か月コリントにとどまって伝道を続けることができました。

繰り返します。お金を稼ぐことが伝道の目的ではありません。しかし伝道の継続のために、そして伝道に専念するために教会の支えが必要です。

「教会は伝道者を助けることができませんので、自分でアルバイトをしてください。パウロもそうしたではありませんか」という言い方は、文脈を無視した間違った引用であるとしか言いようがありません。

「幻の中で」神がパウロに語りかけてくださった「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」(9~10節)という言葉は、このような文脈の中で理解されるべきです。

伝道は賭けごとではありませんが、賭けの要素があることを否定できません。パウロにとっての伝道の究極の根拠は「幻」でした。それが何なのかは、彼以外の誰にも見ることができないし、理解することもできません。それは、ただ願いであり、祈りです。「にすぎない」ものです。

しかし、それを必要としている人々が大勢います。神の言葉を必要としている人々がいます。救いを求めている人々がいます。そのためにわたしたちは伝道を続けるのです。それ以上でもそれ以下でもありません。

(2017年2月26日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年1月22日日曜日

信仰でしか開かない扉(千葉若葉教会)

ヘブライ人への手紙11章17~19節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、『イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる』と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。」

今日はヘブライ人への手紙を開いていただきました。中身に入っていく前に、この手紙の緒論的なことについて、いくつかのことを申し上げておきます。

1つめは、この手紙の著者はだれかという問題です。そもそもこの手紙のどこにも差出人の名前が記されていません。ですから、この手紙の著者は不明であると言えば済むことです。しかし1箇所だけですが、パウロの弟子の「テモテ」の名前が出てきます(13章23節)。それでパウロが書いたものかもしれないと考える人はいます。しかし、かなり以前から言われているのは、ヘブライ人への手紙はパウロ書簡ではないということです。16世紀の宗教改革者カルヴァンもパウロでないと考えています。

2つめは、たとえこの手紙の著者がパウロでないとしても、だからといってパウロ書簡よりも価値が低いとか、読む価値がないというような考え方をすべきでないということです。私はどちらかといえばそのように考えてしまうほうの人間ですので、自戒をこめて申し上げておきます。大昔からパウロ書簡であると言われていたものが最近の研究によって「これはパウロの偽名書簡である」などと言われると、私はがっかりします。急に価値が低いものになったような気がします。しかし、重要な問題は「誰が書いたか」よりも「何が書かれているか」です。

もともとヘブライ人への手紙をパウロ書簡だと考える人はほとんどいませんでしたので、どうしても今日話さなければならないことではないかもしれません。とにかく申し上げたいのは、ヘブライ人への手紙はパウロ書簡より価値が低いとか読む価値がないというような見方をするのは偏見に満ちていて間違っているということです。

3つめは、この手紙の中で歴史的に最も危険視されてきたのはどの箇所かです。それは6章4節から6節までに書かれていることです。「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです」。

ここに確かに書かれているのは、「一度救われた人がその後堕落したら、その後に悔い改めることはもはや不可能である」という意味のことです。それは間違っているのではないかと言われてきました。そのように言われるなら、イエスの教えにもパウロの教えにも共通する「神の無条件の赦し」という点と著しく矛盾することになるのではないかと考える人が出てくるのは、ある意味で当然です。

しかし、この点についても、カルヴァンは、この箇所(6章4節以下)を理由にヘブライ人への手紙を退けるべきではないと述べています。なぜカルヴァンを引き合いに出すのかといえば、カルヴァンの教えを広めたいからではありません。この議論は大昔からあり、16世紀にもあり、いまだに十分な解決に至っていないものの、かなり解決済みの問題であるということをご理解いただきたいからです。

カルヴァンは次のように書いています。「要するに、使徒は私たちに、悔い改めは人間の意志によるものではなく、神が信仰からすっかり堕ちてしまってはいない人々にだけ与えたもうということを諭すのである。この諭しは私達にはひじょうに有益である。一日また一日と延期することによって、私たちがますます神から遠ざかることのないためであるから。(中略)もし、だれかその滅びから立ち上がる者がいたら、その点では他の点で大きな罪を犯していたにしても、全く反逆してしまったわけではないと言うべきである」(『カルヴァン新約聖書註解Ⅷヘブル書・ヤコブ書』久米あつみ訳、新教出版社、1975年、152~153頁)。

途中で省略した箇所には、人間の回心は並大抵のわざではない、神のわざであると記されています。つまり、カルヴァンが言っているのは、悔い改めも回心も人間の努力ではなく、神のみわざであるということです。

わたしたちの教会の現実に照らし合わせていえば、たとえば、あの人は何年も教会に来ていないし、連絡もとれなくなっているし、「私はもう信仰を捨てた」と自分で言っているのだから、そういう人はもう救われないのだ、滅びに至るのだなどと安易に考えてはならないということです。

私の過去の牧師としての経験の中で出会った人の中に、こういう方がおられました。「私は20歳で洗礼を受けました。しかし、その後50年教会から離れていました。しかし、その50年間、教会のことを忘れたことはありませんし、信仰を失ったことはありません。もう一度教会生活を始めたいです」と言われ、復帰願いを出されました。

その意志を教会として受け容れました。その方は、その後はとても忠実な教会生活を送られました。人の目で見れば50年も教会を離れている人にはもはや信仰がないと見えるでしょう。しかしそういう見方をしてはいけません。だれが堕落した者かを見分けることは人間には不可能だからです。

ある意味で最も分かりやすい見分け方は、教会生活を続けているかどうか、日曜日の礼拝への出席を続けているかどうか、教会の献金を続けているかどうかかもしれません。それを続けていないから、あの人はもう堕落したのだ、あの人は天国に行けないのだなどという考え方がもし正しいなら、「教会とは行為によって救われることを教える団体である」ということを自ら主張しているのと同じです。礼拝出席という行為、献金という行為を怠っている人は救われないというならば。

しかし、聖書の教えはそういうものではありません。ヘブライ人への手紙の教えもまた、そういうものではありません。むしろ逆のことを言おうとしています。

ここまでお話ししたうえで、今日開いていただいた箇所の解説に入っていきます。ただ、これからお話しすることは、今の話の流れの続きです。3つカウントしました。4つめを申し上げます。

4つめは、ヘブライ人への手紙はどこが面白いかです。挙げていけばいろいろあります。しかしその中のひとつだけ言えば、ヘブライ人への手紙と呼ばれるだけあって旧約聖書がとても強調されていて、いわば旧約聖書の解釈に基づく説教のように読めることです。実際に、この手紙はいわゆる「手紙」ではなく「説教」であると考える人もいます。

今日開いていただいた箇所も説教です。新共同訳聖書が「信仰」という小見出しを付けている11章のすべてを本当は読みたいと思いましたが、長いので一箇所だけ読みました。アブラハムが神の命令で息子イサクを犠牲の供え物として献げる物語は、旧約聖書の創世記22章に出てきます。その物語の解釈に基づく説教が今日の箇所に記されています。

つまり、いま私が強調して申し上げたいのは、今日の箇所に記されているのはあくまでもひとつの解釈であるということです。「アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです」(19節)と記されていますが、そのようなことは創世記22章にはどこにも書かれていません。実際の文字としては書かれていないことについて、ヘブライ人への手紙の著者が想像して書いたのです。別の解釈も可能ですし、別の解釈は必ず退けなければならないわけでもありません。

「何を言っているのだ。ヘブライ人への手紙は新約聖書の権威ある正典だ。正典たる書物が示している旧約聖書の解釈は絶対的に正しいのであって別の解釈はありえない」という批判が出てくるかもしれませんが、そういう考えに立つ必要はないという趣旨のことを今申し上げています。

しかし、「これはあくまでもひとつの解釈である」ということを私がいま強調しているのは別の解釈を持ち出して主張したいからではなく、むしろ逆で、今日の箇所に記されていることは、これはこれでひとつの解釈として受け容れるべきだということを申し上げたいからです。

ヘブライ人への手紙の著者が11章全体で言おうとしていることの要点は「何が信仰なのか」ということです。最初に定義が記されています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました」(11章1~2節)。

自分自身が望み、希望、願い、祈りとして抱いているが、まだ見ていない。将来的には実現するかもしれないが、眼前の事実としては全く見えないし、具体的な姿を想像することすら不可能であると思うようなことは、わたしたちにもいくらでもあるでしょう。しかし、それが必ず実現するということを確信すること、それが「信仰」だということです。

アブラハムがイサクを神に献げた物語の内容は、話としてひどすぎます。神がアブラハムに星の数ほど子孫を与えると約束してくださったのに、アブラハムと妻サラの間に生まれた子どもはひとりでした。しかも、そのひとりの子どもを献げろと神が命じました。つまり殺せと命じました。

意味不明すぎて頭が混乱します。人間の論理は完全に崩壊します。自己破綻します。「たくさん子孫が与えられること」と「眼前のひとりごをその親自身が殺すこと」という絶対的に矛盾するふたつの命題が同時に提示され、それが両立するといくら言われても、それを受け容れることは通常無理です。

しかし、それをアブラハムは受け容れました。そこで人間の論理を放棄しました。「神が何とかしてくださる」というような信じ方をしました。しかし、それもまた、ある意味で人間の論理です。もし「神」がいなければ絶対に成り立たない論理ですが、逆にもし「神」がいるならば成り立つ論理です。人間の論理を超える神の論理、つまり「超論理」です。

「そんな危なっかしい考え方の人とは付き合えない。いつも賭けごと、ばくちをしているようなものではないか」と嫌われるかもしれません。しかし、そこで考えてみる必要があるのは、それならば人間の計画や計算がどれほど確実なものなのかということです。なんら確実ではありません。

アブラハムには神に逆らう選択肢がなかったわけではないし、そのほうが人道的に正しかったかもしれません。しかしアブラハムはそうしませんでした。「信仰でしか開かない扉」があることを知っていたからです。その扉を開けるにはおそらく「勇気」が必要ですが、その扉の向こうに進むべき未来があります。

(2017年1月22日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会 主日礼拝)

2016年12月11日日曜日

最後の希望の光(千葉若葉教会)

ルカによる福音書2章8~14節

関口 康

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」

プロテスタントの教会にもいろいろありますが、「ふだんは教会暦のことなど全く無視しているのに、クリスマスとイースターとペンテコステばかり騒ぐのはいかがなものか」という意見が昔から根強くあることを皆さんもご存じだと思います。私もどちらかといえばそちらの影響を強く受けている人間ですので、アドベントになってもクリスマスになってもポカンとしているほうです。皆さんのお考えと違うようでしたらお許しください。

イエス・キリストの降誕の出来事を描いた聖書の箇所は、教会では何度も何度も読まれますので、さすがに聞き飽きたと思われる方が多いと思います。私も過去51年間教会生活をしてきましたので、50回はクリスマス礼拝をささげました。そのたびに同じ聖書の箇所が読まれますのでうんざりするのですが、今年の私はちょっと違います。新しい視点が与えられたという思いでいます。

新しいと言ってもそれほど新しくもないのですが、それは私にとっては新しい、とても新鮮な視点です。まだ先々週の12月2日金曜日に古書として入手して読み始めたばかりの本ですが、ドロテー・ゼレ先生の『神を考える 現代神学入門』(三鼓秋子訳、新教出版社、1996年)に書かれていることを読んで与えられた、私にとってはとても新しい視点です。

ゼレ先生は、ドイツで生まれ、アメリカのニューヨーク・ユニオン神学大学で教え、再びドイツに戻って活躍した女性の神学者です。1929年生まれとのことで、私の親とほぼ同世代の方です。そして、2003年に73歳で亡くなられました。

『神を考える』の日本語版の出版は1996年です。ちょうど20年前です。原著ドイツ語版の出版は1990年ですので26年前です。1990年といえば、私が東京神学大学大学院を修了して高知県の日本基督教団の教会の伝道師として仕事を始めた年です。当時の私は24歳で、現在51歳です。その頃のことを思い返すと、懐かしいと言えば懐かしい。しかし、教会と神学の歴史の長さを考えれば、ゼレ先生の神学はまだまだ新しい考え方です。

ゼレ先生の著書の日本語版は『神を考える』以外に、『苦しみ』(西山健路訳、新教出版社、1975年)、『働くこと愛すること』(関正勝訳、新教出版社、1988年)『幻なき民は滅びる 今、ドイツ人であることの意味』(山下秋子訳、新教出版社、1990年)などがあります。私が最初に購入したのは『苦しみ』ですが、ずっと前に購入しましたが全く理解できず、放置していました。しかし、やっと理解できるようになりました。ゼレ先生が何を言おうとしているのかが分かるようになりました。

そういうわけで今日は、聖書そっちのけでゼレ先生の本をずっと読んでいたい気持ちですが、そうも行かないと思いますが、今日はゼレ先生の文章を長めに引用することをお許しいただきたく願っています。以下のように記されています。

「一つ聖書の例を引いて、いろいろな神学的伝統における解釈の多様性を明らかにしてみたい。その例として、イエスが処女マリアから生れたという話を考えてみよう。正統主義は、この話を字句通りそのまま解釈する。イエスは処女から生れたのである。この教義的な表明は、アメリカのファンダメンタリストたちからは五つの根本的信条の一つとまでされ、信仰的財産に修正を加えようとする今世紀初めの自由主義的試みに対抗した」(65頁)。

解説の必要があるでしょうか。「正統主義」とか「ファンダメンタリスト」と呼ばれているのは聖書解釈の「保守的な」立場の人々です。「今世紀初め」は今では「前世紀の初め」です。引用を続けます。

「保守的な福音絶対主義の人たちの間では、処女降誕の教えはキリスト教信仰の本質的な構成要素とされ、これがなければ信仰は告白されることができない。この人たちにとって、信仰を決定する意味を持つのは戦争や大量虐殺の手段に対する態度ではなく、恐らく処女降誕の教えであろう」(65~66頁)。

ゼレ先生はこれを皮肉で書いておられるのではありません。全く書いてあるとおりです。「保守的な福音絶対主義の人たち」は、名指しは避けますが、つい最近まで私の身近なところにいましたので、私も肌感覚で分かります。真面目な人々ですが、ぞっとするところを持っています。引用を続けます。

「そこへ自由主義的な批評家がやって来て、聖書を開き、新約聖書の最も重要な記者はこの話を全く知らないか、或いは述べていないということを確認する。マルコはその福音をイエスが既に三十歳のときの受洗から書き始め、子供時代のことについては何も述べていない。マルコにとっては処女マリアに何があったのか、イエスがどのようにして生れたのかは、重要なことではなかった。ヨハネはイエスをずっと神のもとにおき、誕生の話を深く考えてはいない。それはパウロも全く同じである」(66頁)。

これは解説の必要はないでしょう。他の箇所にはっきり書かれていますが、「自由主義的な批評家」というのは、ゼレ先生が卒業したドイツのゲッティンゲン大学神学部や他のドイツの大学の神学者を指しています。引用を続けます。

「諸宗教をそれぞれの文脈において比較する、自由主義神学の副業であるいわゆる宗教史学派の助けを借りて、自由主義神学は処女降誕が古代ではかなり広まっていたモチーフであることを発見した。人々は好んで重要な人物や偉大な英雄が、処女から生れたと言ったのである。この各地で見られるモチーフは、父親が誰であるかはっきりとわかっている人でも、処女から生れたといわれるほど広く語られた。例えばソクラテスの父親も母親も私たちはよく知っているが、彼が死んで四百年のちには、処女降誕が語られた。ソクラテスの神性をより一層明らかに表すことができると考えたからである。したがってこのモチーフはユダヤ教ではなく、ヘレニズムに端を発したものであった。ヘブライの聖書は預言的に『おとめ』について語っている(イザヤ7・14)。そしてこのモチーフがルカの報告となって、教会史の中に入り込んできた。性や女性を敵視する響きは、聖書にはない」(66頁)。

「処女降誕物語」のヘレニズム起源説については、青野太潮先生も近著『最初期キリスト教思想の軌跡』(新教出版社、2013年)に書いておられます。ソクラテスが処女から生れたという話が実在することを知っている方々は、同じような話が聖書の中に紛れ込んできたことを証明できると考えておられます。私も特に異存はありません。しかし、ゼレ先生の意見は、ここから先です。

「私は18歳のときに持ったキリスト教への疑念を思い出すことができる。私が砕くことができなかった石(一番大きなものではなかったが、しかし一つの石であった)の一つが、私には理解できないこの処女降誕であった。なぜこのことを信じなければならないのか、解らなかった。処女から生れたイエスのほうが、父親がいるイエスよりも立派だというのか。それが私の救い、罪と悲しみからの解放に何の役に立つのか、私は理解しなかった。この信仰的財産がヘレニズム的解釈の一つに過ぎず、私がキリスト者であることにとって本質的なことではないということを自由主義神学を通して知ったとき、私がどんなに解放されたと感じたかを、今でもはっきりと覚えている。自由主義のパラダイムは、人間をしばしば信仰の躓きから解放してくれた」(66~67頁)。

しかし、ここでゼレ先生のお話は終わりません。ここから先が最も大事です。

「しかし、ラテン・アメリカの解放の神学では全く違っている。処女降誕のモチーフは不必要なものとされるのではなく、解放闘争の中へと組み込まれている。決定的なことは、解放者は貧しい人々の間でこの世に生れたということである。ラテン・アメリカでは多くの人々が未婚の母から生れ、父親を知らない。保護や援助を当てにすることができないまま、子どもを生む若い女性がいるという状況がごく普通なのである。彼女は困難に陥っており、恐らくエリサベトのような年上の女友達に助言を求めるだろう。彼女は見捨てられ、不貞を罰せられるのではないかと不安に思っている。これらはすべて私たちの社会にもある正常な状況である。この状況は解放の神学では次のように受け入れられている。マリアは私たちのうちの一人であり、彼女は光を、解放者を、救済者を生んだと。彼女に受胎を告げる天使は、『ソレンチナーメの農民の福音書』では、『反体制的』と見られている。『そしてマリアもまた、この知らせを聞くと、すぐに反体制的になる。彼女は地下組織に加わったかのように感じていたのではないかと思う。解放者の誕生は、秘密にされていなければならない』」(67頁)。

どうでしょうか。全く受け入れられないでしょうか。私はとても魅力を感じる解釈です。

「これはこの物語への全く新しい近づき方である。貧しい人たちから、しかも貧しい人々に属する女性という最も貧しい人々の立場から考えているという点で、全く異なっている。このような意味で、処女降誕の話が自由主義のように不必要なものとして批判されるのではなく、正統主義的パラダイムとつながりを持ちつつ、しかし同時に、貧しい人たちから、そして貧しい人たちのためにという新しい解釈の枠組みの中で、新しく解釈されている。そこからは性への敵意と支配ではなく、反体制と抵抗が伝わってくる。自由主義神学にとって処女降誕は、取り去ってしかるべき躓きの石である。解放の神学にとってそれは、一個のパンである」(68頁)。

今日開いていただいた聖書の箇所は処女降誕には直接関係ありませんが、まさに「貧しい人たちのもとで、貧しい人たちのために」イエス・キリストがお生まれになったことが分かるように記されている箇所です。この最も大切な視点の意味を教えてくれたゼレ先生の著書に感謝しつつ、皆さんにもご紹介したいと願った次第です。

明日(12月12日)は学校礼拝で私が説教します。そこでも私はこのことを話したいと考えています。

イエス・キリストは「貧しい人たちのもとで、貧しい人たちのために」お生まれになりました。イエスの両親も、イエスの誕生を祝いに来た羊飼いたちも、貧困と孤独の中にいた人々でした。イエスが最初に寝かされたのは、家畜小屋の飼い葉桶でした。夜通し働いていた羊飼いたちを明るく照らしたのは、夜空の星と「主の栄光」でした。後者はもしかしたら「マッチ売りの少女」(アンデルセン作)が最期に見た光のようなものかもしれません。

学校礼拝で話そうと思っているのは次のようなことです。「私は貧しくもないし、孤独でもない」と思える人は幸いです。しかし、そうでない人々のことを深く考え、真剣に向き合うことができないような心の持ち主であるなら不幸です。そのことをクリスマスが、そしてイエスがあなたに問いかけています。どういうふうに聞いてもらえるでしょうか。

イエス・キリストは、貧しい人々にとっての最後の光、最後の望みです。「私は貧しくないから関係ない」でしょうか。「私が貧しくなることはありえない」でしょうか。そんなことはないのではないでしょうか。そのようなことを考えながら過ごすアドベントでありたいと願います。

(2016年12月11日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会 主日礼拝)

2016年11月27日日曜日

聖霊の結ぶ実(千葉若葉教会)

ガラテヤの信徒への手紙5章22~26節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。」

今日も使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙を開いていただきました。先ほど朗読していただいた箇所のひとつ前の段落から読んでいきます。

「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲を満足させるようなことはありません」(16節)と記されています。ここで言われていることの主旨は、「肉の欲を満足させること」と「霊の導きに従って生きること」とは矛盾し、対立する関係にあるということです。

そのとおりのことが次の節に記されています。「肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです」(17節)。

そしてその続きに「肉の業」とはどのようなものであるかが記されています。「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」(19~21節)。

これは悪徳表と呼ばれるものです。並べられている悪徳は、どちらかといえば個人的な要素が強いものばかりです。社会全体で取り組まなければならない構造的な悪の問題、たとえば戦争、人種差別、搾取、経済格差といったことについては述べられていません。

しかし、個人的なことと社会的なことが無関係であることはありえません。両者がどのような関係にあるかを説明するのは難しいことです。謎めいた関係にあります。しかし、間違いなく言えるのは、個人が集まって社会が形成されるということです。小さな悪や罪の根や種を放置したままでいれば、それらはやがて必ず大きく成長していくでしょう。

いま学校の授業で扱っているのはそのことです。罪の問題を扱っています。一般的な意味での「罪」はほとんどもっぱら行為を指します。それに対し、聖書の意味での「罪」は、行為を含まないわけではありませんが、それ以上に行為の根や種となる心の性質を指します。行為と性質を合わせた全体を、聖書は「罪」と呼びます。そのように説明しています。

いま申し上げたこととの関係でいえば、パウロが記しているこの悪徳表は、「肉の業」とあるとおり、その内容は「業」すなわち「行為」です。しかし「肉の業」と言われていることが大事です。「肉」に罪が潜むのです。そして、その罪が悪を生み出すのです。

しかしそれは、「肉」そのものが罪だとか悪だとかいう意味ではありません。「肉」そのものはただの物質です。物質そのものを悪とするのは、聖書的な価値判断ではありません。別の宗教の思想です。

しかしまた、「肉」とは弱いものです。罪に負けやすく、悪に染まりやすい弱さという性質を持っています。その「肉」に罪が潜みます。悪の行為の根や種を容易に抱え込みます。それを放置すると世界を脅かす巨悪が育ちます。厳密に言おうとするなら、今申し上げたようなことをじっくり丁寧に考えていかなくてはなりません。

ここまでお話ししたうえで、ほんの少しだけ聖書から離れて考えてみたいことがあります。それは肉の弱さについてです。難しい話ではなく、分かりやすい話です。疲れるとか眠いとかという話です。それは昨日の私自身の状態です。

学校の仕事はとても楽しいです。本当に楽しいです。しかし、教会の仕事とは性質が違う疲れ方をするものだということが分かるようになりました。それを説明するのは難しいことですが、土曜日になるとぐったりしています。それでも土曜の朝もいつもと同じ時刻に目が覚めるようになりました。完全な昼夜逆転人間でしたので今の自分に自分で驚いています。しかし「今日は土曜日だ」と気づくとまた布団に潜って昼まで眠ってしまうことがよくあります。

昨日の私もそうでした。これも「罪」でしょうか。そうかもしれません。今日の礼拝で説教させていただくための準備を怠ってぐっすり眠りこんでいる説教者はだめでしょうか。そうかもしれないなと反省して、目が覚めた後は、説教の準備に集中しました。

しかしふと考えました。話が飛躍しているかもしれませんが、パウロが記している悪徳表の内容は、昨日の私の状態と同じような意味での「疲れること」と多くの点で結びつくことばかりではないかと考えさせられました。

お酒やわいせつなことにのめり込む人がいます。すぐに腹を立てる人がいます。その人々の言い訳は多くの場合、ストレスの発散です。そのようなことは全く言い訳にならないし、言い訳にすることが断じて許されないのは、そのとおりです。しかし、ストレス発散の方法を他に知らない人たちは、ストレスをたくさん溜め込み、そのうち心身に不調をきたし、壊れてしまいます。

だからこういうことにのめり込むのはやむをえないのだ、だから許してあげましょうという話にはなりません。そのようなことでは、問題は全く解決しないどころか、家族の関係も友人関係も会社や社会での信頼関係も全く破壊されてしまい、もっと多くのストレスを抱え込むことになるでしょう。全く別のストレス発散の方法が真剣に考えられなくてはなりません。

とにかくよく眠ることが大事です。暇さえあれば眠る。ところかまわず眠る。そのほうがいいです。歳をとると眠りが浅くなると言われます。しかし、じっとしているだけで体も心も休まります。動き回って余計なストレスを抱え込んで、そのストレスを発散するためにいかがわしいことにのめり込むよりは、はるかにましです。

じっとしていても構わないし、引きこもっていても構いません。引きこもって、内弁慶になって、家の中でいばり散らされると、家族は迷惑するかもしれません。でも、そんなことはあまり言わないであげてください。お願いします。

高齢者を揶揄する意図は全くありません。パウロが記している悪徳表に並べられている「肉の業」は厳しい社会で戦っている人々が抱え込むストレスの問題と結びつくところがありそうだと気づいたので、申し上げました。そして、ストレスの問題を解決するためには、全く別の、いわばもうひとつのストレス発散方法を真剣に考える必要があることを訴えたかっただけです。

「これに対して」と、パウロは続けます。今日の箇所にたどり着きました。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(22節)。

この「霊」に新共同訳はダブルクオーテーションを付けていませんが(凡例三(2)参照)、だからといってこの「霊」が「聖霊」であることを否定しなくてはならないわけではありません。この手紙の中に記された「霊」という字の多くにダブルクオーテーションが付けられていることを確認することができます(3章2節、3章5節、3章14節、4章29節、5章5節、6章1節)。

また、「聖霊」以外の意味でありえない「霊」にダブルクオーテーションを付けていない箇所があります。そのひとつは4章6節です。「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります」(4章6節)。

この箇所は、気をつけて読まなくてはなりません。「わたしたちの心」に「神」が送ってくださった「御子の霊」について記されています。しかしその意味は、「御子の霊」を送ってくださった御子の父なる「神」の「霊」でもあるということです。御子だけの霊であって父なる神の霊ではないわけではありません。「わたしたちの心」へと送られ、注ぎ込まれるのは「御父と御子の霊」としての「聖霊」です。

しかも、その「霊」(ダブルクオーテーション付き!)は「福音を聞いて信じる」(3章2節)こと、つまり「信仰によって受ける」(3章14節)ものであると記されています。これで分かるのは「聖霊」と「福音」と「信仰」はワンセットであるということです。ばらばらに受け取るわけではありません。

「聖霊」が先か「福音」が先か、それとも「信仰」が先かについて順序や時間差があるかどうかには議論があります。申し訳ないことに、私はバプテスト教会の教えを存じませんので、もしかすると皆さまのお考えに反することを申し上げるかもしれません。それを避けるために詳細に立ち入ることは控えます。

ただ、これだけははっきり言えると思いますのは、先ほど申し上げたとおり、「聖霊」と「福音」と「信仰」はワンセットであるということです。そして、この場合の「福音」は「説教」と呼びかえることができます。

その意味は、「説教」は聞かないが「聖霊」も「信仰」もある、ということはない、ということです。あるいはまた、「説教」を聞いても「信仰」に至らないが(それはよくあることです)「聖霊」はある、ということもない、ということです。

そして「聖霊」を理解するためにもうひとつ大事な点、そして私がそれこそが最も大事だと考えている点は、「聖霊」はすべての人が生まれつき持っているものではないということです。すべて後から追加されるものです。

もし生まれつき「聖霊」を持っている人がいるなら、「福音」も「信仰」も不要です。「教会」も不要です。「聖霊」を生まれつき持っている人がいるなら、それを生まれつき与えられていない人に後から与えられることを期待するのはおかしいことだからです。

しかし、そういう事情でないからこそ、わたしたちは「教会」を続けているのではないでしょうか。「福音」も「信仰」も必要だからこそ、それを宣べ伝える「教会」が必要だと信じているのではないでしょうか。「聖霊」も「信仰」も親や先祖から遺伝するものではありません。だからこそわたしたちに「教会」が必要であり、福音の説教による「伝道」が必要なのです。

これは私の心の底からの問いかけです。そしてこの思いは、パウロ自身も持っていたのではないかと、私が信じたいと願っているところです。

「霊の結ぶ実」とは、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。すべてを暗記する必要はありません。ばらばらのことではありえないからです。先ほど申したこととの関係でいえば、ストレス発散のもうひとつの方法がこれです。それは「教会」で「福音の説教」を聞き、「聖霊の結ぶ実」を実らせていくことです。これは確かに効き目があります。効き目があるということを教会の歴史が証明しています。

そしてまた、わたしたちは、教会でストレスを抱え込むことがないように、「聖霊の結ぶ実」が実るような教会をかたちづくっていくのを目指すことが大切です。そのことを最後に一言だけ申し上げておきます。

(2016年11月27日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会 主日礼拝)