2014年11月27日木曜日

日記「チャンスというのは自分でつかむものですよ(真顔)」

前に同じようなことを書いたことがあるような気がしますが、まあいつも同じようなことしか書いていませんのでお許しください。

来年50のすっかり老けこんだポンコツなので、「これからの方々への遺言」を書き始めようと、まじめに考え始めています。

何を書こうとしているかというと、まじめなタイトルをつけるとしたら、「論文の発表の仕方」のようなことです。

ただし、一般論ではなく、純粋に私の体験です。

私がこれまで書かせていただいた、まあまあ「学術的な」と評価していただけるかもしれないいくつかの論文が掲載された雑誌や書籍の「共通点」があるのです。

それは「周年もの」か「キリ番記念号」か「○○特別号」です。

(写真の説明:左から)

『三色旗』「特集 オランダ」慶応義塾大学通信教育部、2009年
『改革派神学』「第30号特別記念号」神戸改革派神学校、2003年
『改革派神学』「第34号牧田吉和校長退職記念号」同上、2007年
『改革派神学』「第35号神戸改革派神学校創立60周年特別記念号」同上、2008年
『新たな一歩を カルヴァン生誕500年記念論集』キリスト新聞社、2009年

拙論を掲載・収録していただいた雑誌・書籍に「共通点」があります

要するに「お祭り」に関係あるものばかりです。

これ、けっこう参考になると思うんです。

私みたいに致命的に「背景の弱い」人間にとって「発表の場」がないというのは、本当につらいことです。

私にとって、神学に関する「発表の場」といえば、基本的にはブログかfacebookかツイッターしかありません。本を出す金はないし、有力紙に連載記事を持てるほどの政治力もないし。学校関係からは危険人物視されているのかもしれないし。

そういう私のような「背景が弱い」が「発表の場」が欲しいという方は、けっこう多くおられると思うのです。そういう方にとって「周年もの」か「キリ番記念号」か「○○特別号」は、めっちゃチャンスです。

なぜそれが「チャンス」なのかといえば、そういうときの雑誌はふだんより分厚く作ることが多いので採用してもらえる投稿者の数が相対的に多い。

あとは、赤い文字とかで「○○記念号」と表紙に書かれている号は、通常の号よりもほんのちょっとだけ目立つ。メリットはそれくらいかな。ま、いいや。

自慢げに書かせていただきますが、私にとって唯一「ハードカバーつき」の本の中に収録していただいた論文「カルヴァンにおける人間的なるものの評価」は後にも先にもこれだけなのですが、

その(ハードカバー本としては唯一の!!)論文を、金子晴勇先生の『キリスト教霊性思想史』(教文館、2012年)に引用していただけました(この金子先生の本を私は今に至るまで買ってもないし、触ったこともないんですが)。

こんなことって、「カルヴァン」の「周年もの」の「500年」という「キリ番」をゲットできたからに決まってるじゃないですか。

「チャンス」っていうのはね、それはやっぱり「自分でつかむもの」なんですよ、たぶんね。ボケっとして待ってたって、来ない来ない。>チャンス

こんなこと、牧師が書く言葉じゃないかもしれませんけどね。「遺言」ですから。

というわけで「キリ番ゲット」、みなさんもぜひ狙ってくださいね。よろしく。

2014年11月26日水曜日

日記「『教会史』と『世界史』の両方を読むことをお勧めします」

高校時代に泣かされた「世界史」の教科書(中央)

さっきから、必要あって高校時代の世界史の教科書(『詳説 世界史(再訂版)』山川出版社、1981年)を引っぱり出し、数年前に買った『もういちど読む山川世界史』(山川出版社、2009年)と読み比べながら、唸っているところです。

「やっぱりか」と今さらながら気づかされるのは、「近代ヨーロッパの誕生」(『もういちど読む』版では「近代ヨーロッパの形成」)の章あたりの論調は、ほぼ一貫して、「教会支配から自由になること」こそが近代ヨーロッパの目標であるという描き方だということです。

そういう描き方が全く間違っていると言いたいわけではないのです。でも、そういう話を「教会支配」など自分自身で一度たりとも体験したことがない日本の高校生たちが、一方的に聞かされ、大学入試のために覚えなくちゃならなかった。

私がこういう授業を受けていた当時は、どういう言葉で表現すればいいのかが分かりませんでしたが、正直言って不快感しかありませんでした。ゼロ歳から教会に通っていた人間としては、とてもじゃないが教室の椅子に黙って座って聞いていられないという気分でした。

今ならば、ほんの少しくらいなら、当時の私が何を感じていたのかを説明するための言葉が浮かんできます。だいたい上に書いたとおりです。「教会支配」など自分自身では一度たりとも体験したことがない人たちに、「教会支配からの自由」の喜びとか口にしてもらいたくない、という気持ちです。

その後、私が「救われた」のは、東京神学大学で教会史の講義を受けたときです。事情を書くと長くなるので割愛しますが、教会史の「古代史」から「宗教改革史」までを、私は(私たちの学年は、というべきか)隣接する日本ルーテル神学大学(現「ルーテル学院大学」)の徳善義和先生から学びました。教科書はウォーカーの『キリスト教史』でした。

どういう意味での「救い」なのかといえば、「教会史も教会支配の現実も知らない人たち」が発する「一方的な教会批判」からの「救い」でした。教会に問題がないなどとは、当時から思っていませんでした。問題だらけですよ、教会は。しかし、「一方的に」言うな。「知らずに」言うな。それを私は言いたかった。

もし「そういう」問題で悩んでいる方がおられるなら、お勧めしたいのは、『もういちど読む山川世界史』とウォーカーの『キリスト教史』(全巻)を両方読むことです。「救われる」こと、請け合います。

私たぶん、小学生くらいの頃から変わっていないですね。どんなことであれ、一方的な押しつけというのが、とにかく不愉快でたまらない。アンフェアだと感じる。「卑怯だ」と言いたくなります。私を怒らせるのは簡単ですよ(怒るなよ、笑)。

2014年11月25日火曜日

スーパーで買い物しながら神学する

近所のスーパー(マルエツ小金原店)でお買い物

今日は早めのお買い物。ちょうど正午です。

この時間帯で男性客は約半数。夕方頃には7割か8割が男性客です。10年前とは状況が全く違います。

そういうことも毎日スーパーに行ってると分かる。これが社会学です。ソシオロジー。

年齢層の変化は、あまり感じないです。日中にスーパーで買い物できるのは「通勤していない」人たちだけであることはほぼ確実なので、退職なり、失職なり(ごめんなさいキツイ言葉でどなたかを傷つける意図は皆無です)あとは内職なり(SOHOといえばかっこいい)住職なり(牧師はこれかな)の人が、日中の買い物客です。平均はだいたい70代くらいかな、というところです。

夕方の一時期、午後7時前後は、東京あたりの勤務地から電車とバスで帰ってきた女性たちがどっと流入してきて、その時間帯は女性が増えますが(マルエツ小金原店はバス停の前です)、ピークをすぎれば、また男性客が多い感じになります。スーパーの買い物は男性の仕事、という感覚が定着しつつあるのかもしれません。

というか、女性たちが、大して役にも立たない男性たちに「買い物ぐらいしてくださいよ」と、仕事を与えている(命じている)というところかもしれません。

東京都(葛飾区)に隣接している千葉県松戸市、とくに松戸市小金原は、東京都の爆発的な人口増の緩和政策として、国策で人口誘導するために約50年前(1960年代)に作られた典型的な「ニュータウン」の一つです。

ですから、50年前の「入植者」のほとんどは、元東京都民です。「入植後」においても、職場が(そして「教会」も)東京にあることは変わらないのでバスと電車を使って東京まで通っていた人たちの町です。町にいる時間は、純粋に寝るだけ。文字通りの「ベッドタウン」でした。

私が松戸市小金原に来た2004年4月(10年8ヶ月前)には、まだその様相(純粋な「ベッドタウン」)がはっきりあったと思います。しかし、急激に変わった感じになったのは、ここ1、2年というところです。

日中のスーパーの男性客の加速度的急増の理由は、「団塊の世代」の定年退職、でしょう。それ以前を知っている者(私)としては、驚くべき変化です。

しかし、逆に言えば、この状況は、おそらく一時的なものに終わる、ということです。「団塊の世代」の方々の多くが100歳を超えて生きられれば話は別ですが、現実はそうではない。

だとしたら、今の状況(日中のスーパーの男性客の増加)は、10年後には全く異なる様相になる、ということではないかと予想できます。

ちなみに私は純粋な買い物客の一人です。社会学者ではありません。

「実践神学部門」ではアンケートとか統計とか、社会学のいわゆる「社会調査」の方法論を積極的に取り入れていこうという動きは、海外にはあるようです。

日本の実践神学は説教学ばっかりが極端に肥大化していて「釈義、釈義、また釈義」とか言ってしまうところが今でもあるようですが、教会が宣教しようとしている人や町の現実が「釈義、釈義、また釈義」だけで見えてくればいいのですけど、そうは問屋は卸さないです。

それで、そのような「社会調査」の方法論やパースペクティヴを、私は「組織神学部門」の中に、そして「教義学」の中に取り入れることはできないだろうかと考えてきた面があるつもりです。実現の可能性は十分あるという感触を得ています。神学とピーマンの関係を考えるのは重要なことです。

お恥ずかしながら愚息が大学に入るまで知らなかった言葉ですが、エスノメソドロジーなどの社会学の方法論は、組織神学、教義学の中にどんどん取り入れられることを、私は願っています。

聖書学にはフェミニズム批評やポストコロニアル批評、宣教学にはマーケティングやマネジメントやエスノグラフィなどの方法論が、すでに導入されていると教えていただきました。ありがとうございます。素晴らしいです。

私が考えているのは、キリスト教の教義そのものを扱う部分、たとえば三位一体論やキリスト論や聖霊論や救済論や終末論などを展開していく中で、論拠にしうるのは聖書と教会会議の決定事項のみであるという姿勢を貫くのは、大事なことではあると思いますが、一面的すぎるきらいもあるというあたりのことです。

改革派教会以外の方々からはしばしば目の敵にされてきた「二重予定論」なども、それを「慰めの教理」として語るか「恐怖の裁きの教理」として語るかで、まるきり印象が違いますよね。

なぜその教えを多くの人に受け入れていただくことができないのか、語り方を換えれば済むのか、思想の根本構造の問題なのかをチェックしなおすにしても、その教理を伝える「相手」との「対話」や「交流」の中身に踏み込んでいくような考察がないような組織神学、教義学で良いだろうかというようなことは、考えられて然るべきことだと思うわけです。あくまでも一例です。

いずれにせよ、「現場」との対話なしには組織神学は成立しません。そうであると私は考えてきましたので、ファン・ルーラーやバルトや他の組織神学者の「論」を扱うときも、なぜその神学者がその「論」を扱うに至ったのか、つまり、時代的背景とか文脈とかを明らかにすることから書き起こすことをしてきたつもりです。

「教会」と「社会」は実際には「交流」していますし(教会員は社会の一員であるという意味を含む)、かなりの面で等号(イコール)で結んでもいいのではないか(良い意味でも悪い意味でも)と言いたくなるほどの類似点・共通点があると思いますが、両者の違いを言えないようなら「教会」など無理して続ける意味はないとも言えますよね。

そのことを十分に考えたうえで、「教会」のほうも「社会」のほうもイデアではなく実在そのものであり、社会的な現象でもあることを考える必要があります。

もう少し具体的な言い方をすれば、それぞれの「教会」がその中へとほとんど入り込んでいるそれぞれの「社会」に違いがあるので、その違いを丁寧に見ていく必要があるということです。

教会の会員数や礼拝出席者の人数、年間予算といった「数字」を見るにしても、それぞれの「教会」のそれぞれの「社会」があっての数字であることは、わざわざ書き立てるほどのことではない当然すぎることではあるのですが、そのあたりのディティールが全く無視されて、「大きな教会/小さな教会」という評価やラベルだけがひとり歩きするとか、「大きな教会に属している人や役員や教師は偉大である」が、そうでない教会はそうでないというような話になってしまっていたりする。

そのうち「大きな教会」が「小さな教会」を叩き壊そうとしているのではないかと感じられる動きまで出てくる。

こういうのは、本当のところを言えば、神学の大問題なのだと思うのですが、表立った場所でのそういう議論は寡聞にして知りません。そういう問題について議論が起こらないのは、神学部や神学校の経営が「大きな教会」の手に握られているようなところがあるからかもしれません。良い傾向だとは思えませんけどね。

なんと言えばよいのでしょうか、「神学利権」(?)みたいなものがあるのかないのか(「ないだろ!」と言いたいところですが)、在野でいくら声を大にして訴えても、鼻であしらわれるイヤな感覚がありますね。

いったん自分が「(その世界の)エリート」だと思い込んでしまった「神学者」は取り付く島がなくなりますね。アンタッチャブルになっていくところがあります。そんな妄想野郎に負けてる場合じゃないんですが。

自分ひとりとか少数の「エリート(笑)」の指先で日本の全キリスト教界をつまんでいるような錯覚に陥っているのかもしれない人たちに冷水をぶっかけて、正気に戻ってもらう必要がありますね。

2014年11月24日月曜日

アジア・カルヴァン学会 日本カルヴァン研究会 合同講演会 開催のお知らせ

カルヴァン(16世紀)
ファン・ルーラー(20世紀)

PDF版はここをクリックしてください

「アジア・カルヴァン学会 日本カルヴァン研究会 合同講演会」を以下のように開催いたします。

◆日 時 2015年3月9日(月)13時~17時

◆場 所 青山学院大学(渋谷キャンパス)
     (総合研究所ビル5階、正門を入ってすぐ右の建物です)

【講 演】

「ファン・ルーラー研究の過去・現在・未来」
元・ファン・ルーラー研究会代表   関口 康

「カルヴァンの聖書解釈の技法」
本学会代表 東北学院大学教授   野村 信

【研究発表】

「カルヴァンとルターのマリア理解」
テュービンゲン大学プロテスタント神学部留学中   木村あすか

どなたでも、自由にご参加ください (入場無料)

連絡先 野村 信 Tel:090-2990-4109 email : sn111@hotmail.co.jp

アジア・カルヴァン学会ブログ http://calvin-research.blogspot.jp

2014年11月22日土曜日

ヒマになりたかったのは我々自身だと思うんだけど

すべては「夢の道具」(当時)でした

なんか我々「ヒマだヒマだ」と言いたくなることあると思うんですけど、デジタルツールとインターネットがなかった頃にはものすごく時間がかかっていたことが、今はものすごく短時間でできるようになったので、「外見上何もしていないように見える」時間が増えただけ、という面があると思いますよ。

私は来年で50歳になるので、47年くらい前までの記憶はかろうじて残っています。大人たちがガリ版刷りしていた頃のことを覚えています。白黒テレビで浅間山荘の立てこもりだの突入だのをリアルタイムで見ていた記憶がはっきりあります。故郷の岡山には地下鉄はありませんでした(今もありません)。

手間や時間がかかることを億劫に思い、「こんな面倒くさいことはもうイヤだ。こんなことをぜんぶ代わりにやってくれるロボがほしい。そういう世の中にならないかなあ」と当時の人は大真面目に願っていました。忘れたとは言わせません。私ははっきり覚えています。当時の夢の多くが今叶っているのです。

「ヒマになりたいヒマになりたい」とみんな願っていました。いまその夢が見事に叶い、多くの人がヒマになりました。そうなった途端、わりと多くの人が「ヒマだヒマだ。何もすることがない。むなしくて仕方ない。生きている意味を感じない」と言い出しました。その流れを全部見ました。それなんなのと。

だれかの悪口を言ってるんじゃないですよ。私も「同じ時代を生きてきた仲間」だからね。面倒なことをなんでも代わりにやってくれるロボが欲しいと思ってたじゃん。コンピュータとか、携帯通信ツールとか、夢のまた夢だったじゃん。それ、「ヒマになりたかった」んだよね。その夢が今かなったんだよね。

だったらね、いま「ヒマでヒマで仕方がない」ことを、今の40代以上くらいの人はもっと喜ばなくっちゃ。自分だけがヒマだと思わないほうがいいですよ。みんな条件は同じです。指先をちょいちょいと動かすだけで、何でも欲しいものを注文できて、寝そべってても宅配してもらえる時代になったんですよ。

時代に逆行してもらいたいとは私は思いません。「過去に」帰りたい方はどうぞご自由に。尊重はします。しかし私はイヤです。レトロの趣味はありません。はっきり言ってどうでもいいです。過去を今よりも良いものと考えるノスタルジアもありません。帰るなら「未来に」帰りたいです。帰らせてください。

目ばかりギョロギョロ動いていることを除けば、せいぜい両手の第一関節のチャカチャカした動きだけで(キーボードへの打ち込みの様子を字にしてみました)、我々の子どもの頃は特撮かアニメの中だけで実現していたことが、本当にできるようになりました。当時と比べれば便利になったんだと思いますよ。

でも、実際にそういう世の中になったらなったで「ああ、空しい空しい。ヒマだヒマだ。何もすることがない」みたいなことを言いだしてしまった我々でした。「ヒマでいいじゃん。なにが文句あるのよ」と言いたいんだけど。だれかに言ってるんじゃないですよ。自分自身に言い聞かせているだけですよ。ね。

日記「改革派教会」


今夜はヘッセリンク先生の『改革派とは何か』(廣瀬久允訳、教文館、1995年)をちょっとだけ読み直して、大いに励まされています。

「今日では、オランダの改革派教会は極めて活気に満ち、また大きな影響力を持っているが、改革派という用語とオランダの教会とを同一視すべきではない。オランダの改革派系の信者は、全部併せても総人口の約40パーセントに過ぎない。

より重要なことは、スイス、ハンガリーおよびフランスで最も有力な教会が改革派だということである。その神学から言って、イタリアのヴァルドー派は基本的には改革派である。またドイツやポーランドにも、有力な改革派教会が今もなお存在している。これらに、スコットランド、イングランドおよびアイルランドの長老派教会を加えれば、改革派がヨーロッパで最大の教派の一つであることは明白であろう。

今日、自らの改革派に属すると考えているキリスト者の数は、全世界で2500万人以上と推定されている。

アメリカでは、改革派/長老派の教会は、プロテスタントで第三位の教派である。アジア、アフリカ、およびラテン・アメリカでも、プロテスタント教派の最大のものの幾つかは、改革派/長老派の背景を持っている。メキシコ、ブラジル、韓国、台湾およびインドネシアでも、(また、改革派という名前が必要以上に悪名の高い南アフリカは言うに及ばず)、最有力の教派はみな改革派/長老派である。

今日では、改革派/長老派の教会として最大のものは、ジュネーヴ、アムステルダム、エディンバラ、あるいはピッツバーグといった伝統的な中心地にではなく、ナイロビやソウル、またサン・パオロに存在しているのである!」(25~26ページ)

すっかり遅くなりましたので、お祈りしてから休みます。それでは、おやすみなさい。

2014年11月21日金曜日

希望は最後までぼくらの味方だ


エンジンを切り 夕闇の中 人を待つ

また聴いている ガラケーで 昔の歌

思い出があるわけでない ただ好きな歌

あの頃は忙しかった 記憶がないくらい

ちょっと変だったかもしれない 今も変か

状況が似てるのか 違うのか まだ分からない

「希望の神学」と口にしてみたものの

出てくるのは ためいきばかりだ

ルララ 宇宙の風に乗るぜ

それ パクリだから

希望は最後までぼくらの味方だ

2014年11月20日木曜日

ファン・ルーラーという神学者は『知りませんでした』では済まされないほど巨大な存在でした

『ファン・ルーラー教授文庫目録』(ユトレヒト大学図書館、1997年)

オランダの古書店から購入を予定している本(本日支払完了しました)は『アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー教授文庫目録』(ユトレヒト大学図書館、1997年)です。

これが発行された1997年に私も購入しましたので、17年前の購入ということになります。頻繁に利用し、ボロボロになりましたので、2冊めの購入に踏み切ることにしました。

ユトレヒト大学図書館がこの『文庫目録』(1997年)を作成するに至った経緯は、以下のとおりです。

1970年12月15日にファン・ルーラーが突然亡くなりました。62歳の若さでした。ユトレヒト大学神学部教授の現職のままの、心臓発作による、まさに突然死でした。

ファン・ルーラーの死後、彼の書斎に残された膨大な蔵書は、その後約20年間は妻J. A. ファン・ルーラー=ハーメリンク(法学博士、改革派教会長老)が厳重に保存していましたが、1990年代初頭に妻が要介護の状態になった頃、子どもさんたちの手でユトレヒト大学図書館に寄贈されたもの以外は、古書店にほとんど売却することになりました。

しかし、寄贈の際に、ユトレヒト大学図書館の人々が驚愕したそうです。ファン・ルーラーの書斎の中に、非常に大量の未出版の手書き原稿やタイプ原稿が眠っていたことが分かったからです。

それで同図書館は『ファン・ルーラー教授文庫目録』を作成することにしました。この『目録』は出版されたファン・ルーラーの本やパンフレットだけではなく、1990年代になってから「見つかった」未出版の原稿のタイトルと日付と発表場所が分かるように整理してくれているものです。

簡単に言えば「ファン・ルーラーの全著作のカタログ」ですが、それが297ページもあります。それは複数の神学者による巻頭論文や索引等の巻末付録を含むページ数ではありますが、ものすごい量であることは間違いありません。

あえて「権威主義的な」言い方をさせていただけば、ファン・ルーラーは、これほどまで分厚い『文庫目録』を、オランダで古い方から2番めのヨーロッパ有数の伝統校であるユトレヒト大学の図書館が出しているほどの神学者なのです。

日本ではいまだにほとんど名前が知られていないファン・ルーラーですが、「知りませんでした」では済まされないほど巨大な存在だったと、私は声を大にして言わせていただきます。

しかし、これまで日本で「ファン・ルーラー」の名前が知られてこなかったのは、ある意味で当然というか自然のことですので、ほとんどの人が同じです。

それは、当時のオランダでそういう言葉づかいで議論されていたという意味ではありませんが、今ちょうど議論になっている「G(グローバル)型大学」と「L(ローカル)型大学」という話と関連づけることができそうな話です。

カール・バルトの流行は、日本を含めて世界的なものでした。当時の世界トップの(国立大学系の)神学部だと思われたベルリン大学神学部のアードルフ・フォン・ハルナック教授のもとで学んだ一人でありながら、そのハルナックを激烈に批判した新進気鋭の神学者、というような感じの売り込み方がいくらでもできそうな、まさに「G型神学者」がカール・バルトでした。

そのことをバルト自身もかなり意識していたようで、彼の本は、どの国の、どの教派・教団の人でも読めるような内容を目指していたところがありました。だから、どの国でも売れるし、どの教派・教団の人にも読まれました。

しかし、その反面、バルトの神学は「ローカルな局面」(このたび文科省でプレゼンした某氏の言い方を借りれば「Lの世界」)でどの程度通用し、どの程度意味を持つのかということは、本当はもっと問題にされなければならないはずでした。

深井智朗先生が明言しておられましたが、バルトはバーゼル大学神学部の教授になってからは、日曜日は教会に行かなくなりました。日曜日に教会に通わない『教会教義学』(バルトの主著のタイトル)の著者でした。それってどうなのでしょうか。

「Gの世界」では売れるかもしれませんが、各個教会(ローカルチャーチ)での生きた営みのない、抽象的な教会論が展開されていたにすぎないものだ、と言われても仕方ないではありませんか。

しかし、「Lの世界」に徹しようとする神学者の書く本は「Lの世界」の人にしか読まれず、「Gの世界」では読まれない。ファン・ルーラーは「Lの世界」の神学者だったのです。

だから、バルトが売れている間は、日本の人に知られることはありませんでした。

教会が「Gの世界」ばかりを見ている間は、バルトは売れ続けるでしょう。

しかし、そのような教会のあり方が行き詰まったら、その先にファン・ルーラーの神学の需要が起こるでしょう。

私は、その日を待っている最中です。

オランダ語古書の購入方法(マニュアル)

本日、松戸北郵便局でオランダ宛て国際送金手続きを行いました。「20ユーロ」の古書(1冊)の購入代金です。

ファン・ルーラー研究に欠かせない一書です。日本の所有者は多くて5人位ではないかと思う、貴重なものです。

うちに1冊あるのですが、17年前に購入し頻繁に開いたのでボロボロです。古書店から届く本が「アップデート」になるのかどうかは微妙ですが、うちのよりはましだろうと信じて、2冊めを購入することにしました。

古書店側の送料が「9.45ユーロ」で、合計「29.45ユーロ」。本日は「1ユーロ=149.64円」の換算でした。加えて、ゆうちょ銀行料金が2,500円(これが高い)。合計「6,906円」でした。

「20ユーロ」の本で「ほぼ7000円」です。愕然としますが、毎度のことです。

「神学のゆく道は 果てしなく遠い

  だのに なぜ 歯を食いしばり

  きみは行くのか そんなにしてまで」です。

「オランダ宛て国際送金手続」完了後のほっと一息
私ができるのは「神学限定」の話ですが、

外国語の新刊書や古書を購入する方法については、私などが出る幕などないほど、多くの方々に熟知されていることでしょうし、最近の大学や神学校の講義やゼミなどでは「当然」教えられていることだと思っています(未確認)。

しかし、大学や神学校の「昔の」卒業生は聴いたことがない話かもしれませんので、私のやり方をちょっとだけ書かせていただきます。

ただし、私が知っているのは「オランダ語の本」限定です。他の国の言語の本のことは分かりません。また、「クレジットカードを使用しない購入方法」です。

(1)自分が購入を希望する本のタイトルをとにかくGoogleなどで検索する。そのタイトルの本が、もし「神学の古書店」のサイトの商品リストに載っている場合は(3)に進む。

(2)(1)の方法で「神学の古書店」のサイトの商品リストに自分が購入を希望する本のタイトルが見つからない場合は、そこであきらめないで、オランダ語の「神学の古書店」を意味する「theologische antiquariaat」という語などで検索して、いくつかの「神学の古書店」のサイトを見つけ、そのサイトの書名または著者名検索で、自分が購入を希望する本のタイトルを見つける。
(ここまでで話についていけなくなった人は、手を挙げてください。もう一回説明します)。

(3)自分が購入を希望する本が見つかったら、多くの場合、その本のタイトルの近くに「チェックボタン」がありますので、それをチェックする。複数の本の購入を希望する場合は、希望する本のすべての「チェックボタン」をチェックする。

(4)自分が購入を希望する本の「チェック」が終わったら、「お会計」(winkelmandje)というボタンを押す。次に出てくる注文者本人(あなた)の氏名、住所などを記入して「ご注文」(bestellen)を押すと注文完了。

(5)注文完了後まもなく、古書店から確認のメールが届くので、それに返信する(オランダの古書店の場合は、英文メールでほとんど対応してくれます)。内容の変更や値段の交渉が必要な場合は、きちんと書きさえすれば、それなりに対応してくれる場合があります。

オランダの古書店とのメールのやりとり
(6)今回私も、最初に注文した内容で計算されたコストがあまりにも高額すぎることが分かったので、注文する本の点数を大幅に減らす交渉をしましたが、嫌がることなく受け容れてくださいました。

(7)郵便局の「ゆうちょ銀行」に行き、「国際送金をしたいのですが」と窓口で言えば、「国際送金請求書兼告知書」を渡してくれるので、古書店から送られてきたメールに書いてある口座名や口座番号を書き込んで窓口に返せば、その日の為替レートに基づいて換算された日本円での金額を教えてくれますので、その金額を窓口で支払うだけです。

郵便局(ゆうちょ銀行)でもらえる「国際送金請求書兼告知書」
(8)今は速いですよ。注文完了後1週間もすれば、オランダからでも商品が届きます。あとは、ダンボール箱の封を外すだけです。

簡単簡単。だれでもできます。みなさんぜひやってみてください。

2014年11月19日水曜日

日記「クリスマスローズの関口です」

49歳が描いた絵(ひどすぎる)

私の今年の誕生日は日曜日(11月16日)でした。バースデーメッセージをくださった方々にお礼を申し上げましたが、漏れている方がおられたらお詫びします!

メッセージをくださった男性の方が「誕生花はクリスマスローズですね!」と書いてくださいました。すっごく慰められました。

「1965年(S40年)11月16日生まれ」は、世間的に言えば「へび年のサソリ座」。こういうのを「ダブルポイズン」というんですかね、ハチとブヨに同時に刺されるみたいなもので。私という人間はどんな相手でも確実にしとめる猛毒の持ち主なのではないかと、長年気に病んできました。

すると、ここに来て、「誕生花はクリスマスローズですね!」の朗報です。目の前が一気に明るくなりました。これからは「クリスマスローズの関口です☆彡」と自己紹介することにします。

えっとみなさん、これからもどうかよろしくお願いいたします。

2014年11月19日 関口 康

日記「教会は『どちらでもある』ところです」

教団や教派という意味でない、個別単位の「教会」の規模が小さくなりすぎると、悪く行けば昔の五人組制度のように「監視」や「取り締まり」の側面が強く出すぎて、だんだん物を言えなくなる。キリスト教に関する発信内容から自由な議論の要素が失われ、純粋な「宣伝」か「心温まる言葉」に限定される。

しかし他方、自由な議論の要素を好む人たちばかりが集まる純粋な「小規模教会」になると、「監視」や「取り締まり」の側面は取り去られるかもしれないが、そういうのは教会というよりサロンと呼ばれるべきものであろうし、声の大きい強者が常に支配する場になる。ルール無用の虎の穴みたいなものかも。

はたして「教会」とは「監視目的の五人組制度」なのか、それとも「ルール無用のサロン」なのかという二者択一を、この言葉通りでなくても内容的に事実上同じ趣旨の問いを、やたら人に迫ろうとする人たちがいるが、「どちらか一方」ではなく「どちらでもある」というのが健全な答え方であると私は思う。

しかし、「どちらでもある」と答える人は、どちらからも嫌われることに相場が決まっているので悩ましい。でも、教会の中で嫌われることに私は慣れている。そのために牧師になったんじゃないの。あれ、違ったっけ。いつくしみ深き友なるイエスさまは、世の友われらを捨て去るときも労ってくださるよ。

2014年11月16日日曜日

主イエスは命の力に満ちていました

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

マルコによる福音書5・21~43

「イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。『わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。』そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。『この方の服にでも触れればいやしていただける』と思っていたからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、『わたしの服に触れたのはだれか』と言われた。そこで、弟子たちは言った。『群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。』しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。』イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。『お嬢さんは亡くなられました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。』イエスはその話をそばで聞いて、『恐れることはない。ただ信じなさい』と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。『なぜ泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。』人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って、『タリタ、クム』と言われた。これは、『少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい』という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。」

今日は長く読みました。この個所に記されているのは大きく分けると二つの出来事です。ただし、二つのうちの一つは、もう一つの出来事の途中で起こりました。その関係が分かるように一つの出来事が前後二つに分けられ、もう一つの出来事をサンドイッチのように間に挟むように書かれています。その関係が分かるように読む必要がありましたので、朗読の個所が長くなりました。

先週学んだ個所に記されていたのはゲラサ人の地方でイエスさまがなさった奇跡です。詳しい内容を繰り返すことはしません。イエスさまがなさったことは、悪霊に取りつかれていた人の中から悪霊を追い出し、その悪霊を二千匹ほどの豚の中に乗り移らせ、豚たちをガリラヤ湖になだれ落とすことによって悪霊を退治なさるということでした。

そのような方法は今のわたしたちが再現できることではありません。イエスさまだけに可能な特別な方法であったと考えるほかはありません。しかし、大事なことは結果です。イエスさまがなさったことによって悪霊に取りつかれていた人は正気に戻りました。この人に取りついていた悪霊はいなくなったのです。

しかし、その結果、二千匹ほどの豚が死んでしまったことで町の人たちが腹を立てて、イエスさまに町から出て行ってもらいたいと言いました。それは無理もないことですのでイエスさまも納得してカファルナウムに引き返されました。それで場面は再びカファルナウムに戻りました。

するとまた、イエスさまの周りに大勢の群衆が集まって来ました。イエスさまがどこに行かれたのか分からなくて心配だった人たちもいたでしょう。本当に帰ってくるのだろうか。もう戻ってこないのではないだろうか。あるいは、わたしたちを見捨てたのか。裏切ったのか。そういう逆恨みに似たような思いを抱いていた人たちまでいたかもしれません。しかし、イエスさまはまた戻ってきました。多くの人は安心したことでしょう。

しかし、そのイエスさまの帰りを待っていた人々の中に、明らかに切羽詰まった状態にあった人々が何人かいました。それが今日の個所に出てきます。ここに出てくる人々の中で、切羽詰まった状態にあったのは、一つの家族と、一人の人です。

一方は、一つの家族でした。カファルナウムの会堂長ヤイロと娘さんです。何度もお話ししてきましたとおり、イエスさまは毎週土曜日の安息日にカファルナウムの会堂での礼拝で説教しておられました。そういう関係ですので、その会堂の管理や活動の責任者である会堂長ヤイロには、イエスさまとしても、いろいろな面でお世話になっていたに違いありません。

その会堂長であるヤイロがイエスさまのところに来てひれ伏しました。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば娘は助かり、生きるでしょう」と懇願しました。イエスさまもご承知くださり、ヤイロと一緒に家に向かうことになさいました。

ところが、そこに、もう一人の切羽詰まった状態の人が現れました。その人のことをマルコは次のように詳しく書いています。「ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。『この方の服にでも触れればいやしていただける』と思ったからである」(25~28節)。

このもう一人の人のことを、会堂長ヤイロとその娘さんと全く同じ意味で「切羽詰まった状態の人」とみなすことができるかどうかには難しい面があるかもしれません。

ヤイロの娘さんはもうすぐ死ぬ、危篤の状態でした。しかも、いつもお世話になっている会堂長のご家族のことであれば、何を差し置いても真っ先に飛んでいかなくてはならない。優先順位で言えば当然最優先されるべき存在である。寄り道したりよそ見したりすることはありえない。そういう考え方を持つ人は十分ありうると思います。

もう一人の女性のほうは、「切羽詰まっている」といっても話が全く違う。十二年も病気が治らない状態だったかもしれないが、逆に言うとすぐに死ぬという話ではない。全財産を使い果たして無一文になったのは可愛そうではあるが、自業自得であるとも言える。素性の知れない無一文の貧乏な人。しかもその人は「イエスさまの服に触れさえすれば自分の病気が治る」と思い込んでいるような人だ。

そんな人は放っておけばいい。そんな人は後回しにして、まっすぐに会堂長の家に行くのが当然だ。まして、娘さんは危篤の状態だ。そういう考えを持つ人がいるかもしれません。

しかし、イエスさまという方は、そういう考えを全くお持ちにならない方であるということが今日の個所を読めば分かります。

イエスさまは逆にヤイロの娘さんのほうを後回しにされました。それより先にしなければならないことがあるという確信をイエスさまはお持ちになりました。群衆の中のどこからともなく伸びてきた手が、わたしに助けを求めている。そのことをイエスさまは感じとり、助けを求めた人を探し始められました。ヤイロの家に向かう足はとめて、逆方向に引き返して、探し始められました。

そして自分がそうであることを申し出た女性に「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」と優しい言葉をかけてくださいました。

それで会堂長ヤイロはどうなったでしょうか。ヤイロはイエスさまと一緒にいたはずです。しかし、イエスさまが見ず知らずの通りがかりの女性をお助けになっている間に、ヤイロは先に自分の家へと帰りました。それは当然のことです。そして、ヤイロの娘さんは亡くなりました。

それで「会堂長の家から人々が来て言った」(35節)と書いてあるところを見ると、会堂長ヤイロはイエスさまに腹を立てていたに違いないことが分かります。ヤイロ自身がイエスさまのもとに行かず、人を遣わして自分の言葉を伝えさせる。ヤイロとしては、イエスさまの顔を見たくないという感情を持っていたからでしょう。

自分がわざわざひれ伏してお願いして命の助けを求めた娘のことよりも、通りがかりの見知らぬ女性のことで、あなたが時間を使っている間に、自分の娘は死んだ。だから「もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」と言わせる。ヤイロの本音は「もう来てもらわなくて結構だ。ついでに、この町から出て行ってもらいたい。我々の大切な会堂など使ってもらいたくない」というほどの激しい思いを抱くに至ったに違いありません。

しかし、イエスさまは、ヤイロの娘さんを助けることをお忘れになっていたわけではありません。もう亡くなっている。みんな泣いている。ヤイロは怒っている。おそらくヤイロだけではなく、そこに集まった人みんなが感じていたことは、ヤイロの娘さんが亡くなったことの悲しみ以上に、イエスさまが自分たちを後回しにしたことへの怒りだったと思われます。彼らとしては、我々のプライドが傷つけられたというような感情を抱いていた可能性があります。

しかし、そういう状態のヤイロの家庭の中にイエスさまは躊躇なく入って行かれました。しかし、ずけずけと遠慮なく入っていく感じではありません。慎重に、丁寧に、ことをお運びになりました。最も信頼する三人の弟子ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを選んで同行させました。

そして「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」とおっしゃいました。そのイエスさまの言葉に対する反応として「人々はイエスをあざ笑った」と書かれているのは、死者を眠っていると言い張ることの愚かさへの嘲笑であったと同時に、自分たちのことを後回しにしたのにそんなことがよく言えるなと思ったからでもあるでしょう。しかし、イエスさまはその子を見事に生き返らせてくださいました。

今日の個所でわたしたちが考えるべきことは、人助けの優先順位はどうあるべきかということです。物理的・時間的には一人一人に対応するしかありませんので、申し込みが先でも、結果的に後回しになってしまうことがありえます。しかし、腹を立てないで待ってください。両方とも助けますから。それがイエスさまのなさり方です。イエスさまは服に触れば長年の病気がたちどころに治ってしまうほど命の力に満ちておられます。けちくさい方ではありません。

(2014年11月16日、松戸小金原教会主日礼拝)

2014年11月15日土曜日

日記「日本のバルト神学受容の出発点は『東京神学社』と『同志社』でした」

バルト神学受容史研究会『日本におけるカール・バルト』(2009年)

バルト神学受容史研究会編『日本におけるカール・バルト――敗戦までの受容史の諸断面』(新教出版社、2009年)の中で平林孝裕先生が興味深い発言をしておられます(38ページ以下。引用ではなく私が要約しました)。

日本におけるバルト神学の受容は1920年代後半から始まったが、窓口は以下の二つであったことが定説となっている。

(1)高倉徳太郎を中心とした「東京神学社」(現在の東京神学大学)の動き

(2)大塚節治、魚木忠一、蘆田慶治、橋本鑑ら「同志社」の動き

高倉徳太郎の『福音的基督教』(1927年)におけるバルトへの言及がきわめて簡潔であることは倉松功も率直に認めているところであり、これの刊行をもって日本におけるバルト受容の功を評価するのはゆきすぎである。

高倉が折に触れてバルトを「言葉」で紹介していたことは考慮されるべきであるが、バルト神学がまとまった「文章」で議論されたのは、同志社における働きが具体的なものであった。

(以上、要約終わり)

過去には「バルト神学といえば東京神学大学。東京神学大学といえばバルト神学」というように思われていた時期があったことを、私もよく覚えています。しかしそれは、全く外れていたとは言い切れない面がありつつも、歴史認識において偏りがあったと、今では言わざるをえません。

いま我々が続けている「カール・バルト研究会」の常連参加者は6名ですが、出身神学校は、東京神学大学、同志社大学神学部、日本聖書神学校、神戸改革派神学校などです(もう一人おられますが匿名希望者なので出身校も非公開です)。

繰り返し書いてきたことですが、バルトを読む人が必ず「バルト主義者」にならなくてはならないわけではありません。「カール・バルト研究会」の常連参加者に「バルト主義者」はいません。「主義者」に冷静な「研究」は不可能です。

しかし、我々はカール・バルトへのリスペクトは大いに持っています。「主義者」による「研究」も不可能ですが、「読む価値がないと感じられる本」の「研究」はもっと不可能です。

カール・バルトの神学に大いに惹かれ、大いに巻き込まれつつ、大胆かつ徹底的に批判する。そのようなスタンスを保てる「研究会」でありたいと願っています。

日記「カール・バルト研究会の歩み(結成から現在まで)」

カール・バルト『教義学要綱』(1947年)を読んでいます

昨夜「第40回 カール・バルト研究会」を行いました。以下、過去の歩みをまとめました。

【趣 旨】

「カール・バルト研究会」は、日本プロテスタント教会史150年の後半80年間の神学思想を圧倒的な支配力をもって席巻し続けてきた「カール・バルトの神学」を批判的に問いなおすことによって、日本のキリスト教の特質を自己検証し、質的にも量的にも隘路と苦境に立っている日本の教会の活路を見出すための研究会です。

【ブログ】

http://barth-research.blogspot.jp/

【手 段】

インターネットのグループビデオ通話(Google+ハングアウト)

【開 催】

第 0回 2013年 1月11日(金) 2名
    準備会

第 1回 2013年 1月25日(金) 4名
    『教義学要綱』 「1 課題」

第 2回 2013年 2月 8日(金) 4名
    『教義学要綱』 「1 課題」

第 3回 2013年 3月 1日(金) 4名
    『教義学要綱』 「2 信仰とは信頼を意味する」

第 4回 2013年 3月15日(金) 4名
    『教義学要綱』 「2 信仰とは信頼を意味する」

第 5回 2013年 3月29日(金) 4名
    『教義学要綱』 「3 信仰とは認識を意味する」

第 6回 2013年 4月12日(金) 3名
    『教義学要綱』 「3 信仰とは認識を意味する」

第 7回 2013年 4月26日(金) 5名
    『教義学要綱』 「4 信仰とは告白を意味する」

第 8回 2013年 5月10日(金) 4名
    『教義学要綱』 「4 信仰とは告白を意味する」

第 9回 2013年 5月24日(金) 4名
    『教義学要綱』 「5 高きにいます神」

第10回 2013年 6月 7日(金) 4名
    『教義学要綱』 「5 高きにいます神」(ニコ生神学部出演)

第11回 2013年 7月 5日(金) 4名
    『教義学要綱』 「6 父なる神」

第12回 2013年 7月19日(金) 6名
    『教義学要綱』 「7 全能の神」

第13回 2013年 8月 2日(金) 4名
    『教義学要綱』 「7 全能の神」

第14回 2013年 8月30日(金) 4名
    『教義学要綱』 「8 造り主なる神」

第15回 2013年 9月13日(金) 5名
    『教義学要綱』 「8 造り主なる神」

第16回 2013年 9月27日(金) 5名
    『教義学要綱』 「9 天地」

第17回 2013年10月11日(金) 4名
    『教義学要綱』 「9 天地」

第18回 2013年10月25日(金) 4名
    『教義学要綱』 「10 イエス・キリスト」

第19回 2013年11月 8日(金) 4名
    『教義学要綱』 「10 イエス・キリスト」

第20回 2013年12月 6日(金) 4名
    『教義学要綱』 「11 救い主にして神の僕」

第21回 2013年12月27日(金) 5名
    『教義学要綱』 「11 救い主にして神の僕」(忘年会)

第22回 2014年 1月10日(金) 3名
    『教義学要綱』 「11 救い主にして神の僕」

第23回 2014年 1月24日(金) 3名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第24回 2014年 2月 7日(金) 5名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第25回 2014年 3月14日(金) 3名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第26回 2014年 3月28日(金) 3名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第27回 2014年 4月11日(金) 4名
    『教義学要綱』 「12 神の独り子」

第28回 2014年 4月25日(金) 5名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第29回 2014年 5月 9日(金) 4名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第30回 2014年 5月23日(金) 3名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第31回 2014年 6月 6日(金) 4名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第32回 2014年 6月20日(金) 4名
    『教義学要綱』 「13 われらの主」

第33回 2014年 7月 4日(金) 4名
    『教義学要綱』 「14 降誕節の秘義と奇蹟」

第34回 2014年 7月18日(金) 3名
    『教義学要綱』 「14 降誕節の秘義と奇蹟」

第35回 2014年 8月 8日(金) 3名
    『教義学要綱』 「15 苦しみを受け」

第36回 2014年 8月22日(金) 5名
    『教義学要綱』 「15 苦しみを受け」

第37回 2014年 9月 5日(金) 4名
    『教義学要綱』 「16 ポンテオ・ピラトのもとに」

第38回 2014年 9月19日(金) 3名
    『教義学要綱』 「16 ポンテオ・ピラトのもとに」

第39回 2014年10月24日(金) 5名
    『教義学要綱』 「17 十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」

第40回 2014年11月14日(金) 4名
    『教義学要綱』 「17 十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」

2014年11月13日木曜日

我々牧師自身の人生経験が最終的に問われるだけです


そもそも聖書的・キリスト教的な意味での「あがない」は、旧約的な背景から切り離して考えることは実は全くできない事柄であるはずです。

旧約の動物犠牲の趣旨は、我々人間が犯した罪に対して本来的には当然罪を犯した本人が受けなければならない罰を、動物に代わりに受けてもらうということです。

動物としてはたまったものではありませんが、人間の犯した罪の身代わりに悶え苦しんでもらう。その動物の姿を見て、「ごめんなさい。もう二度とあんな悪いことはしません」と自分の犯した罪を激しく悔い、自分の思いと行いを改める。

「動物さまがわたしたちの身代わりに死んでくださった」とか言わないでしょう。死を美化してしまっては、「あがない」の意味も本当は成立しないのだと思います。

「贖罪論一辺倒の神学」のことを考えれば考えるほど、底なしの泥沼に落ちていくような感じがしてきて、気が滅入ってくるものがあります。

「あがない」こそが救いであると言いたいがために(そのこと自体が間違っているわけではない)、キリストの苦しみや死を肯定的に意味づけ、それがたとえキリストの死であれ、「死んでくださった」という、日本語としては間違いなく不気味な丁寧語で語り続けて来たのが、我々(日本の)教会です。

そして、ここから先は隠そうとしても隠し切れない厳然たる事実として言わざるをえないのは、教会が人の死をかなりの程度美しいものとして描き続けてきた面があるということです。ご遺族の慰めのために。それはまたもちろん、ご本人のためでもある。そのすべてが間違っているわけではない!

しかし、そのために(慰めの言葉を語るために)教会がしてきたことは、「キリストのあがない」と我々(普通の)人間の死とを重ねあわせ、類比のロジックを駆使しながら語ることでした。「○○さんはわたしたちのために死んでくださった」という不気味な文法を用いてではないにしても。死を悲惨なものとしてではなく、かなりの程度美しいものとして描くことに労力を費やしてきたと思います。

しかし、それで本当に良いのかどうかを、我々はどれくらい反省してきたでしょうか。

話は突然飛躍するようですが、ここに来て元AKBの女の子が「キリストを超えた」と言われてみたりする。セーラームーンだって、プリキュアだって、まどか☆マギカだって、自己犠牲だ贖罪だという話に結び付くものが、あるといえばある。類似性に着目するという方法で「キリスト」と「現代」を結びつけようとする試みそのものが激しく糾弾されるべきであるとは、私は思わない。

しかし、気になるのは、いま書いたことのすべてが一直線につながっているのではないかと、私には思われることです。苦しみや死の美化の問題です。

もしその思想的淵源が「キリストのあがない」そのものではなく(「キリストのあがない」そのものであれば大きな問題はないのです)、「贖罪論一辺倒の神学」と称されるべきモニズム(一元論)やトートロジー(同語反復)やモノマニア(偏執)にあるとしたら(そうでないならこの話題はこれにて終了)、それは危険であると私は言わざるをえない。

キリスト教は、少なくとも組織神学は、なかでも教義学は「贖罪論」だけで構成されるものではありません。天地創造から神の国の完成までのすべてを考えぬくのがキリスト教です。

ワンポイント、ピンポイントの「贖罪」だけを取り出して、それがキリスト教のすべてであるかのように巨大化させてみせる手法は、今の私には全くついていくことができません。

私が(ファン・ルーラーと共に)悩んできた問題は、教会だけにとどまるものではなく、むしろ病院であり、学校であり、地域社会の中でこそ問われるべきことであると考えてきたところがあります。

死を迎える心構えのことにしても、キリスト者であっても(「であっても」という言い方は適切でないかもしれません)難しい面があるのに、キリスト者でない方に、教会があるいは牧師が、何を語るべきなのか、何を「語ってはいけない」のかは、神学的に非常に深刻な問いであると認識しています。

我々が変なふうに開き直ってしまって、「我々のやることなんて、しょせん宗教ビジネスのようなものなのよ」とか言ってしまって、まるでバッティングセンターのピッチングマシーンのように、同じ角度、同じ速度の球をほうっておけばいいのよと、投げやりになる。そういうふうな仕方で、「慰めを語る」ようになる。

それでいいのかと、私はどうしても考えこんでしまいます。「いやダメだろ」と、私の心にどなたかの声が聞こえてきます。

「だれ一人同じ歴史を刻む方はいない」という至言を教えてくださった先生がおられます。しかし(という接続詞は危険な響きがありますが、これから書くことは反論ではありません)、我々がそのお一人お一人とじかに接する時間と空間はごくわずか。ある意味で「一瞬」でもある。

そこで瞬時に判断しなければならないのが、その方々お一人お一人の「個別性」(「だれ一人同じ歴史を刻む方はいない」というまさにその意味での個別性)だと思います。

その判断はとても難しいものですし、「不可能である」と言い切るほうが正直なほどですが、それでも我々はその判断をしなくてはならない。

それでは、その判断に必要なものは何だろうかと考えてみれば、何のことはない、我々牧師自身の人生経験が最終的に問われるだけです。そうとしか言いようがないです。

ネットでも(facebook然り、ブログ然り)「なぜこの人はこのタイミングでこのことをお書きになったのか」が分かる方と、分かりにくい方と、おられます。

分かるときは、「なぜ私はそのことが分かるのか」を、一瞬でも考えてみるとよさそうな気がします。それがおそらくは我々自身の人生経験(読書や交友を含む)に照らし合わせる作業に該当すると思います。

逆に、分かりにくい、または全く分からないときは、直接質問(コメントなど)するか、様子を見るか、批判・攻撃するかを、かなり真剣に考えなくてはならないでしょう。そういうことが我々のやっていることの訓練になると思います。

2014年11月12日水曜日

日記「北九州市立大学の皆さん、素晴らしいご活躍、ありがとうございました!」

おじさんの書斎もデジタル化

北九州市立大学の「誤発注ポッキー完売」の朗報に、私は本気で感動しています。

感動のワケを書き始めると長くなってしまうのですが、うちの子たちが小学校の低学年と幼稚園児だった頃(当時山梨県に住んでいました)、「デジモンアドベンチャー」というアニメをやっていました。

登場人物の太一くんとか空ちゃんとかヤマトくんとかが小学生という設定で、パソコンとかタブレットとか駆使しながらデジモンたちと協力してデジタルワールドの敵と戦うみたいな話でした。あの頃あのアニメを見ていた小学生たちが、いまの大学生たちです。北九州市立大学の学生さんたちも同じ世代です。

彼らはまさに「デジタルネイティヴ」ですが、使いこなし方が我々おっさん世代とは次元が違う。まるで自分の体の一部でもあるかのようです。しかも、ある子たちはできるが、他の子たちはできないというほどの差はほとんどなくて、みんな同じように使える。だからコミュニケーションがフラットです。

「本来の10倍の3200個」の誤発注。返品不可能。やばい。その限界状況に追い詰められたお店の人をデジタルネイティヴたちが力を合わせて助ける。すごい。

とか言う話を子どもたちにしたら、やつらキョトンとしてやがる。私が興奮してる意味が分からんという顔してる。デジタルネイティヴ恐るべし。

デジタルネイティヴの彼らにとってネットは全くの日常的な時空なので、そういう場所で「ネット使って一儲けしてやる」とか「だましてやる」みたいな策を、悪いおっさんたちが練ったとしても、そんなのはすぐ見抜くし、相手にしない。単純に困っている人を、単純に助ける。そういうことにネットを使う。

なんか、こういう時代が来るのを、私はずっと待ってました。おじさんはうれしいです!

北九州市立大学の皆さん、素晴らしいご活躍、ありがとうございました!

2014年11月10日月曜日

日記「講演依頼が2件押し寄せてきました(波が来ている!)」


今日はネットでつながりのある方々(団体含む)が送ってくださったものが集中的にポストに入っていました。「純粋なぼっちの私」は、とても励まされました。至福、ありがとうございます。

ついでに書かせていただけば、「解散ビジネス」を仕掛けたつもりは全くありませんが(私の神に誓って全くないです)、10月27日(月)の「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」終了後、私のところに「講演依頼」(キラキラ☆彡)が、な、な、なんと、2件も押し寄せてきました。

学者でも何でもありえない「純粋なオタクの私」にとっては面映いばかりですが、せっかくのご依頼、喜んでお引き受けいたしました。詳細が決まり次第、ブログ、facebook、ツイッター等でお知らせいたします。

「ぜひ来てください!」とはとても言えない内気な私ですが、こういう機会は最後だと思いますので(「読者よ悟れ」と言いたいところですが何を悟ればいいんだか)、よろしくお願いいたします。

青野太潮先生とファン・ルーラーは共闘可能です


青野太潮先生の「十字架の神学」の根本モチーフは「贖罪論一辺倒の神学に対するアンチテーゼ」であるということは、ご自身で明言されているとおりです。

そのことをおっしゃるときの青野先生にとって最も重要なことは、「イエスの死」を描いている複数の聖書箇所を厳密に読み比べて行くと、「わたしたちの身代わりに死んでくださった」という贖罪論的な、その意味でポジティヴな解釈において描かれている箇所がないわけではないが、それだけでなく(not only)、イエスは「殺害」された人であるという、明らかにネガティヴな、そのこと自体においては誰も救われないような凄惨な事実として描かれている箇所も(but also)ある、ということです。

そして、その青野先生が「逆説」とおっしゃるのは、後者のネガティヴな意味で「殺害された」 イエスこそキリストであると告白することの価値というか今日的意味づけをおっしゃりたいときです。

それはどういう感じのことかといえば、青野先生の本からの引用としてではなく私の言葉で言ってみるとすれば、「イエスさまはわたしたちの身代わりに死んでくださった」という物の言い方は、どうしても「死の美化」につながりやすい、ということです。

キリストの死を一般的な意味での「他者のための犠牲の死」とほとんど同一視したうえで美化しはじめることは、宗教の戦争利用のようなものにつながりやすい。

同じような意味で、高橋哲也先生がキリスト教の贖罪信仰の戦争賛美へのつながりやすさを警戒しておられると思います。私は、この問題についての高橋先生の意見も、青野先生の意見も、よく分かるし、納得できます。お二人の主張の共通点は、贖罪論一辺倒の神学は「死の美化」を生み出しやすい、ということです。

「○○一辺倒の神学」には必ずどこかに落とし穴があり、危険があり、隘路になっている。そのことを警戒するゆえに、そのような「○○一辺倒」に陥る神学的ロジック(とその主張者)に対するアンチテーゼないしはリアクションという仕方で神学を展開しているのが、私は、一人は青野先生であり、もう一人はファン・ルーラーだと言いたいところがあります。

そして、ご自身の神学の性格が「アンチテーゼ」であり「リアクション」であるからこそ、青野先生は、ご自分で「ユニテリアンではない」と繰り返し言わなくてはならない面があるのだとも思います。

青野先生は「○○一辺倒」になってはいけませんよ、とおっしゃっているだけなのですが、そのようにして青野先生から批判された人々自身は「○○一辺倒」の人たちなわけですから、その「○○一辺倒」の立場の人たちから見れば、青野先生の神学は「ユニテリアン」のようなものに見えるのでしょう。それはある意味で仕方がないことです。

ここから先はファン・ルーラーの話ですが、ファン・ルーラーの三位一体論的神学の発想からいえば、「聖霊」は「父と子の霊」であるゆえに、「父」へと主に充当される「創造」と「子」へと主に充当される「贖い」とを統合する神である、ということになります。

「聖霊」は「創造(Creatio)と贖い(Redemptio)を統合する霊」である。そして、「創造」は事物の存在すべてにかかわるのであって、キリスト者だけにかかわるものではない。「贖い」はキリストにかかわり、キリストのみわざである罪からの救いにかかわる。この「創造」と「贖い」は、聖霊において「統合」されるべきである。また「三位一体の神の外なるみわざは区別されない」(opera Dei trinitatis ad extra sunt indivisa)という命題は守られるべきである。しかし、だからといって「創造」と「贖い」は同一視されるべきではない。

もし我々が「創造」と「贖い」を同一視するならば、創造されたすべての存在(人間と世界)はア・プリオリに贖われているという一種の万人救済論になるだけだから(その罠に陥ったのがカール・バルトである)、キリストの贖罪死の意味はなくなる。

このファン・ルーラーの「創造」と「贖い」の二重性を三位一体論(内在的三位一体と経綸的三位一体の立体的組み合わせ)によって確保しようとするロジックは、万人救済論の対立概念としての二重予定論の発想を根本にした神学をファン・ルーラーが持っていたからこそ出てきたものだと考えられます。

二重予定論というのは、たいていいつもワルモノ扱いになるのですが、実はそんなにワルモノでもないのです。「創造」と「贖い」の二重性をロジカルに確保できる唯一の根拠が二重予定論であるとさえ言えます。

なぜ「創造」と「贖い」の二重性の確保が重要なのかといえば、贖われた人(それを我々は「キリスト者」と呼ぶ)と、(まだ)贖われていない(が、それでもたしかに神がその人を創造した)人との「共存」を保証することは「教会の内」(intra ecclesiae)と「教会の外」(extra ecclesiae)の間の「壁」(muros)を確保するロジックを獲得することを意味するわけですから、教会のアイデンティティや存在意義をそれによってやっと見出すことができるわけです。もし教会の内と外との間に「壁」がないならば、教会は世界へと吸収され、消滅するだけです。

「贖罪論一辺倒の神学への批判としての十字架の神学」という青野先生の神学的モチーフ(その一点の批判だけを青野先生がおっしゃりたいのではないと思いますが)と、ファン・ルーラーの「創造」と「贖い」の二重性を確保するための三位一体論的神学のモチーフとは、相互補完的な関係でありうると、私はいま、心躍らせながら両者の噛み合わせを考えているところです。

青野先生の神学思想には「九州の状況」が深く関係していると思います。日本バプテスト連盟の方で、西南学院大学の先生でもあられるわけですが(現在は引退されています)、著書の中で明示されている批判相手は寺園喜基先生や天野有先生といった方々です。

つまり、明示的なバルト主義に立っておられる先生たちが、直接的な意味での青野先生の「相手」です。しかし、それは感情的な対立のようなものでは全くなく、神学的ロジックの隘路性への批判です。

ですから、青野先生が批判する「贖罪論一辺倒の神学」は、バルト的な意味での「キリスト論的集中の神学」と同義であると、ほぼ断言できます。バルトとバルト主義の隘路に陥らない、別の道を青野先生は目指しておられます。その一点で青野先生とファン・ルーラーは「共闘可能」だと私には感じられる、というのが私の趣旨です。

聖霊が「創造」と「贖い」を統合するというファン・ルーラーの聖霊論の根本概念がよく現れていると私などが感じ取る彼の有名な名言は、「我々はキリスト者になるために人間であるのではなく、人間になるためにキリスト者であるのである」(英訳 We are not human in order to become Christians, but we are Christians in order to become human.)というものです。

このファン・ルーラーの言葉を「手段と目的」というロジックを用いて図式化するとしたら、「贖い」は手段で「創造」(創造の回復)は目的であるということになります。

この事態をファン・ルーラーは「キリストにおける贖いは単なる通過点に過ぎず、緊急措置(英訳 emergency measure)に過ぎない」というような挑発的な言葉で説明してしまうので、キリスト論的集中の御仁たちを怒らせてしまうのですが、ファン・ルーラーはユニテリアンでもなんでもなく、きわめて伝統的で保守的な「改革派神学者」として、改革派神学の根本構造に基づいていえばこうなりますよと、面白く説明してくれているだけです。

ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部で教えた学生たちは(大学教員だった期間は1947年から1970年までの23年間です)十分な意味で「現代っ子たち」ですから、ナウい(死語)面白い講義じゃないと聞く耳を持ってくれません。

青野先生のお立場と田川建三先生のお立場は、もちろん似ている面もありますが(聖書学者としての方法論は、ある意味で万国共通です)、決定的に違うところがあります。そのことを青野先生自身がよく自覚しておられます。

ごく単純にいえば、田川先生は「not..., but...」ですが、青野先生は「not only..., but also...」です。

「イエスの十字架死は贖罪ではない」とは、青野先生はひとことも言っておられません。

2014年11月9日日曜日

カール・バルトとオランダのバルト主義者の関係を扱う最適の解説書はこれです

カール・バルトとオランダのバルト主義者の関係を扱う最適の解説書は、この二冊です。

ブリンクマン教授のバルト研究二部作

左『カール・バルトの社会主義的態度決定』(1982年)

右『バルトの神学はキリスト者の行動のダイナマイト(破壊力)かダイナモ(推進力)か』(1983年)

二冊の著者は、アムステルダム自由大学神学部のM. E. ブリンクマン教授です。

ブリンクマン教授は、2008年12月10日「国際ファン・ルーラー学会」のときユルゲン・モルトマン教授との記念撮影に加わってくださった気さくな先生(左端)です。

左からブリンクマン教授、私、モルトマン教授、石原知弘先生

私が特に重要だと思うのは、『バルトの神学はキリスト者の行動のダイナマイト(破壊力)かダイナモ(推進力)か』(1983年)のほうです。

副題は「オランダのバルト主義者と新カルヴァン主義者との政治的・神学的論争」です。

副題は「オランダのバルト主義者と新カルヴァン主義者との政治的・神学的論争」

この二冊を読めば、カール・バルトとオランダのバルト主義者との関係や、バルト主義者がオランダの「新カルヴァン主義」(とくにアブラハム・カイパーの神学的後継者)とどのように対立し、どのような手段で「キリスト教政党」を倒す側に立とうとしたかが分かります。

この二冊は面白いです。あ、だけど「日本語に訳してください」というリクエストはノーサンキューですからね。そういうのは無しの方向で。

これからの学生さんの中に、このテーマに集中する人が登場することを期待したいです。

めちゃくちゃ面白いこと、請け合います。

日記「カール・バルトはファン・ルーラーを知っていた」

カール・バルトの『ローマ書』(第一版1919年、第二版1922年)は、出版直後からオランダに読者がいたようです。

あと、日本語版も複数種類あるバルトの使徒信条解説『われ信ず』(1935年)は、オランダのユトレヒト大学での講義です。

オランダ改革派教会(と称する複数の教団)は、バルトの神学の評価をめぐって二分した歴史を持っています。

私の知るかぎり、カール・バルトの著作の中でファン・ルーラーの名前が引用されている個所は皆無です。しかし、バルトがファン・ルーラーの存在と彼がバルトを批判していたことを知っていたことが確実であることは、論拠を挙げて説明できることです。

これは、バルトの「オランダの親友」のライデン大学神学部ミスコッテ教授が1966年に出版した論文集『信仰と認識』(Geloof en Kennis)です【写真1】。

【写真1】
『信仰と認識』(1966年)の中に、1951年に書かれた《ドイツ語の》論文「自然法とセオクラシー」(Naturrecht und Theokratie)が収録されています【写真2】。

【写真2】
ミスコッテ教授の論文「自然法とセオクラシー」(1951年)の「セオクラシー」に関する部分の中心テーマは「ファン・ルーラー批判」です【写真3】。

【写真3】
このミスコッテこそは、ファン・ルーラーの「論敵」として登場する、オランダを代表するバルト主義者でした。

ミスコッテが1951年論文を《ドイツ語で》書いた理由は、どう考えても明らかに、バルトその人に読んでもらうためでした。1951年といえば、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部教授になった1947年のわずか4年後であり、ファン・ルーラーのドイツ語訳文献が出回る前です。

ミスコッテが1951年という非常に早い時期に《ドイツ語で》ファン・ルーラー批判の論文を書いてバルトその人にも読めるようにした動機は、もちろんミスコッテ本人しか知らないことですが、ミスコッテの非常に強い警戒心の現れであったと考えることは邪推とは言えないと思います。

「ミスコッテの親友」バルトは、間違いなくミスコッテの1951年論文を読んだはずです。それを読んだ上で、ファン・ルーラーを完全に無視することにしたのです。バルトがファン・ルーラーの名前を一切引用しないので、バルトの国際的な読者はファン・ルーラーの存在を知りません。

かたや、ファン・ルーラーのバルト批判は、バルト自身への攻撃というよりも、オランダ改革派教会の中のミスコッテ教授を頂点とする「バルト主義者」への批判であったと考えるほうが正しいと、私は考えています。だって、オランダとスイスやドイツでは教会史の文脈が異なるのですから。

加えて、ファン・ルーラーのバルト批判は、オランダの「キリスト教政党」の評価問題と結びついていました。バルト主義者は「キリスト教政党解体論」に立ち、「労働党」の支持を訴えました。キリスト教会がキリスト教政党をつぶす側に立つ。ファン・ルーラーには我慢できないことでした。

しかし、ミスコッテとファン・ルーラーの対立の結果は、ミスコッテ側の勝利に終わりました。教会政治的にも、出版事業的にも。ファン・ルーラーには「判官(ほうがん)びいき」の性質があり、弱い者の味方をして自ら負けるところがありました。根っからの牧師さんなんですね。

2014年11月8日土曜日

日記「長期的視野をもってネットに書いてきたことの『文脈』を説明する方法に悩む日々です」

ブログに書いた「超訳聖書」が独り歩きしたことがあります。

あれは「翻訳とは何か」と考えての「例示」でした。それは拙ブログの長年の読者の方には分かることでした(私の「ネットに字を書く」という行為は18年も続けてきたことです)。山岡洋一先生の示唆に基づき「金子武蔵型」でなく「長谷川宏型」で訳すとこうなるのではないかと、大まじめに考えた「例示」でした。

しかし、最近ネットを始めたばかりの(高齢の)方々が「超訳聖書」だけをご覧になったようです。文脈がある話を、文脈を知らない人が、突如つまみ食いをするとどういうことになるか、ネット生活が長い方々にはお分かりになると思います。実は相当ひどい目に会いました。説明するのに時間がかかりました。

ひどい目に会ったのは、昨日今日の話ではありません。もうずっと前のことです。ほとぼりが冷めたので、書く気持ちが湧いてきました。

その点では、紙の本は「文脈」の説明がしやすくていいなと思います。前後関係が目で見える。部分的に切り取って「お前こんなこと書いただろ」とか持ち出されても、その紙の本一冊を《法廷》に提示すれば、たちどころに疑惑がとける。しかし、ネットの書き物は分断されやすい。都合よく引用されやすい。

しかし、今さらネットから撤退する気はないし、これからはネットからの撤退は廃業に近いものがあると思うので、どうしたものか日々悩んでいます。しばしば考えこむことは、長期的視野をもってネットに書いてきたことの「文脈」を説明する方法です。

紙の本を出すためには、汲めども尽きぬほどの「財力」が必要です。すべて自費で本にして、売れずにほとんど戻ってきたものを長期保管できる倉庫を持っているような人しか、紙の本は出せない。今書いていることはほとんど皮肉と嫌味です。でも外れているとは思いません。かなり当たっているはずです。

日本におけるファン・ルーラー研究はまだ始まったばかりです


先日ご紹介した、オランダの古書店から購入した古書に挟まっていた1955年の新聞の切り抜きに次の文章が書かれていました。

(原文)
Prof. van Ruler is een Gereformeerd theoloog, die eens heeft geschreven, dat alle kleinodien van het klassieke Calvinisme hem dierbaar zijn. De theocatie en het Psalmgezang, het Oude Testament en de praedestinatie.

(拙訳)
ファン・ルーラー教授は「古典的カルヴァン主義の宝のすべてを愛している」と書いたことがある改革派神学者である。それはセオクラシー、詩編歌、旧約聖書、予定論のことである。

「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」(2014年10月27日)の講演の中で石原知弘先生が明言されたことは「ファン・ルーラーは伝統的で保守的なカルヴァン主義の線をしっかり守っている」ということでした。私も石原先生のおっしゃるとおりだと思っています。

しかし、そのファン・ルーラーの神学は、しばしば「端的に面白い」と評されてきました。ユーモアとギャグ満載でオチまでついている。

カルヴァン主義とか改革派と聞けば「固い」だ「暗い」だ「苦しい」だと言われることが多い。しかし、ファン・ルーラーは真逆である。だからといって彼の神学が歪んでいたわけではないし、伝統から逸脱していたわけでもない。

それどころか、カルヴァン主義なり改革派なりこそが、もともと「端的に面白い」ものだったのではないかと思わせてくれる何かが、ファン・ルーラーの神学の中にあります。これは私の意見です。

カルヴァン主義の影響力の大きさについては、私などが声を大にして言わなくても、多くの歴史家が立証してきたことです。

ならば、話は単純です。「固い」「暗い」「苦しい」「つまらない」ものが世界的に影響を及ぼすものになるだろうかと考えてみると、どうも違うような気がする。

本来「端的に面白い」ものだったかもしれないそれを「固い」「暗い」「苦しい」「つまらない」ものにしたのは誰かという犯人探しをしたいわけではありません。そんなことをしても、だれも幸せになりません。

私が願うのはそのような猟奇的なやり方ではなく、「ありのままのカルヴァン主義」「ありのままの改革派」こそが「端的に面白い」と言わしめたいだけです。

そして、そのためにファン・ルーラーが多くの人に読まれるようになってほしいということだけです。小さな小さな願いです。

しかし、私にできることは非常に限られています。そろそろ限界だ(というか、とっくに限界を超えている)と思っています。

カール・バルトの『教会教義学』が吉永正義先生と井上良雄先生の二人で訳されたのはすごいことだと思っています。

しかし、その名誉をいささかも毀損しない意味で申し上げますが、あの翻訳よりも30年くらい前から日本のバルト研究の蓄積がありました。それなしに吉永先生と井上先生がいきなり、という話ではありません。

現時点での日本におけるファン・ルーラー研究は、日本におけるバルト研究の1930年代くらいの状況に似ていると思います。まだ始まったばかりです。というか、まだ始まっていないと言えるかもしれないほどです。

なので、これからいくらでも新規参入できます。今の20代、10代の方々、ぜひ取り組みを始めてください。よろしくお願いいたします。

【追記】

ちなみに、ファン・ルーラーの神学を取り上げた過去の神学博士号請求論文の中で最大規模の一冊を書いたのは、P. W. J. ファン・ホーフというユトレヒト大学とナイメーヘン大学(オランダの上智大学)を卒業したカトリック神学者です。




2014年11月7日金曜日

キリスト教は何の逃げ場でもありえないです

ファン・ルーラー著作集草稿 (編訳)関口 康

最近ある方に「私は高校時代の成績は最悪で、いつもだいたいビリでした」と衝撃告白(というほどでもない)をしたばかりです。「でもそれは今に至るまで私を支えている貴重な経験でした」と今さらの負け惜しみ発言を続けました。「どん底を知っている人は強いですよ。だってそれ以下がないんだから」。

「キリスト教も、今ではチャラチャラしたイメージとか、ブルジョアの宗教みたいに思われているかもしれませんが、イエスさまにしても、パウロにしても、旧約の預言者にしても、逮捕・監禁・収監・処刑。そういう場所の雰囲気とか臭いを知っている人たちの宗教がキリスト教でなければならないはず」。

「どこが上なのか、どこが下なのかは一概には言えないことです。自分はどん底だと思っていても、そこよりもっと底があるとか、変な争いが始まる場合もないわけではない。そういうのに巻き込まれると面倒くさい。自分はどん底にいる、という自覚があれば十分じゃないですか」。

「そして、それは貴重な経験だと私は本気で考えています。だって、自分はどん底から出発した、という思いがあれば、その後どれだけ高く昇ることができたとしても、失敗を恐れることがないですよ。失敗して落っこちても、元々のどん底の自分に戻るだけだから」という話をしました。

別に私のオリジナリティを主張したいわけではない、どこでもよく聞く、当たり前のような話です。

この話をしながら考えていたのは、拙訳でネット公開しているファン・ルーラーのショートエッセイ、「真理は未だ已まず」(1956年)のことです。

「真理は未だ已まず」(1956年) |  ファン・ルーラー著作集草稿 (編訳)関口 康

ファン・ルーラーの意図や息遣いを伝ええている自信はありませんが、訳しながら興奮を覚えました。彼の神学思想の真骨頂が表現されています。キリスト教こそ唯物論であると主張しています。それを肯定的に言っています。その意味は、自分の現実と世界の現実から一瞬たりとも逃避するなということです。

ただし、この論文はしかめっ面で読むべきではなく、ユーモアとしてとらえるべきです。悪しからず。

私、来年で50歳になるので、50年教会に通ってきた人間だという自覚があるのですが、世間でよく言われる「宗教を逃げ場にする」という言葉の意味が感覚的に全く分からないのです。他の宗教のことは分かりませんが、キリスト教は何の逃げ場でもありえないです。少なくとも私はそう感じてきました。

その私の幼い頃からの感覚をズバリ言葉にしてくれているのが、ファン・ルーラーのこの論文です。よい論考に出会えて、私自身が喜んでいます。

「高校時代の成績」というものが、その人の人生のある部分を決定づけてしまう社会であることは事実かもしれません。しかし、そういう社会は、まもなく終わります。崩壊するでしょう。我々が考えなくてはならないことは、「そういう社会」が崩壊した後どうするかです。

2014年11月6日木曜日

2014年11月5日水曜日

日記「『関口康が選ぶ 二年で最高の本 BEST BOOK OF TWO YEARS 2013-2014』を行います」

私の書棚にあるものだけです、悪しからず
一昨年(2012年)初めて行いました。しかし、昨年(2013年)は残念ながらできませんでした。それで今年(2014年)は昨年と合わせた2年分にします。

「関口康が選ぶ 二年で最高の本 BEST BOOK OF TWO YEARS 2013-2014」

2013年から2014年にかけての「新刊本」に限ります。ジャンル不問です。

一昨年は100%冗談でした(すみません)。今年もふわふわした気持ちが全くないわけではありません(言い切った)。

しかし、一昨年はともかく今年は、ただのおふざけではなく、著訳者の方々と出版社、書店の皆さまへの「感謝の思い」を表したいと思っての企画です。

字を書き、本にし、売ることは本当にたいへんなことだと思います。なので、とにかく応援したいだけです。全く悪意も他意もありませんので、どうか悪しからず。

賞状も賞金もないのがたいへん申し訳ないのですが、「純粋に主観で」選ばせていただきます。

発表は2014年12月31日(水)。年末ジャンボの発表日と同じ日にしておきますね。お楽しみに。

2014年11月4日火曜日

百瀬奏くんがFacebookで私の書き込みを、おおおお!

北海道と千葉県、距離は遠くても心は一つだ!

先月、私に丁寧なお手紙をくださった

北海道の日本キリスト教団置戸教会の小学2年生、

百瀬奏(ももせ かなと)くんが

Facebookで私の書き込みを読んでくださっている様子を

お父さまが写してくださいました。

その写真のブログ掲載をお父さまが許可してくださいました。ありがとうございます。

すっごいうれしいです!奏くん、ありがとう!これからもよろしくね!

日記「『そもそも翻訳とは何なのか』という問いに苦しんできました」

ファン・ルーラーの『宣教の神学』を紹介するオランダの新聞の切り抜き(1955年8月20日付、関口康所蔵)
昨日、ふと思いついて、ファン・ルーラーの『宣教の神学』(Theologie van het Apostolaat)の第一章の冒頭部分の試訳を書いて、facebookに貼り付けました。

そのようにしたことには、一つの明確な意図がありました。過去に出版された二種類の日本語版と拙訳(試訳)を読み比べていただきたいと思ったのです。

長くなりますが、以下のとおりです。

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①後藤憲正訳、ディアコニー研究会、1997年

まず最初に考察しなければならないのは、終末論的な観点についてである。すでにこのことは、直接に、組織神学をして次のような興味深い結果に直面させる。すなわち、教会の機能と本質についての使徒的宣教構想は、終末論の持つ位置を強く強調するものであって、そのため、終末論が必然的に反省の出発点となるのである。確かに、このことは現代の聖書学研究の重要な強調点と一致している。また「終局のもの」に強調を置くというこの点は、とりわけ、文化危機に直面した精神の状態と非常によく符号している。しかし、使徒的宣教構想は、活動する主体の立場からものごとを見る。だから「終局のもの」は、単純に破滅へ向かうものという「状態」としては見られないで、そのかわり、「主体の活動に伴う」勇気や喜びに直面させられるのである。それゆえ、終末論的な強調は、組織神学を再建するように私たちを根本から駆り立てる、ということを意味している。

②長山道訳、教文館、2003年

第一点として、わたしは終末論的視点を扱いたい。それは神学的体系にとって、すでにただちに、教会の本質と機能についての使徒的観点の影響下で、終末ノ場が非常に前面に出てくるので、その結果、終末ノ場が必然的に思考の出発点になるという注目するべき結論を意味している。この点で、使徒的観点は、現在の聖書解釈の重要な路線と確かに一致している。たとえ使徒的観点が、終末においてものごとが行為している(それゆえ、過ぎ去っていくのではない)のを見るとしても、すなわち、たとえ使徒的観点が勇気と喜びをもってものごとを見るとしても、ここで終末に置かれている強調は、文化の危機的状況に特徴的な没落の気運とともに、強い共鳴を得ることも考えられる。いずれにせよ、終末論的強調は、徹底的な仕方で神学的体系の再建を促す。

③関口康訳(試訳)、ネット私家版、2014年

最初に取り上げたいと私が願っていますのは「終末論」の視点です。教会の存在と役割を宣教論の立場から考えていくと次第に分かってくることは、終末論には非常に大きな意義があるということです。その意義たるや、「終末論から書きはじめる組織神学」を考えなくてはならないと思うほどです。終末論への強調は現代の聖書学の動向とも合致しています。「世界の終わり」を大げさに扱うことには一般的な社会不安に迎合する面が全くないわけではありません。しかし、宣教論はあくまでも宣教の主体である教会の立場から考え出されるものです。教会が教える「終末」の意味は破滅ではありません。宣教の主体としての教会がその「目標」や「目的」をめざす勇気や喜びを表現するのが終末論です。終末論への強調は、組織神学をそのような神学へと全面的に書き直すことを求めていると私自身は考えています。

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過去の二種類の日本語版の訳者の人格や名誉を傷つけようとする意図は皆無ですので、以下、①と②と呼ばせていただきます。

①も②も、ドイツ語版に基づく訳です。しかし、ドイツ語版の出版時にはファン・ルーラーは存命中でした。また、ファン・ルーラーはオランダ人ですが、ドイツ語が堪能であったことが知られています。

そのため、ドイツ語版の完成稿の最終チェックを原著者ファン・ルーラー自身が行ったということは確実に言えることですので(そうでないようなものが当時の市場に出回ることはありえない)、①と②がドイツ語版に基づく訳だからという理由をもって「重訳」と決め付けて批判することは控えなければならないと、私は考えています。

「重訳」であるかどうかということよりも、私にとって大きな問題は、①も②も、おそらく人はこういうのを「原典に忠実な、厳密な翻訳」と呼ぶのだと思うのですが、このようなタイプの「厳密な」翻訳こそが、ファン・ルーラーの読者を日本において獲得することができず、かえって読者を失うことになった致命的な原因になったと思われることです。

単純な話です。読んでも分からないものを誰が買おうと思うでしょうか。店頭での立ち読みの時点で購入する気になれない。「立ち読み禁止」でラップでもつけますか。「ラップつきの神学書」を誰が買うでしょうか。ありえないことでしょう。

先週月曜日(2014年10月27日)に解散した「ファン・ルーラー研究会」の15年半で、私が最も苦しんだのは、「そもそも翻訳とは何なのか」という問いでした。ある意味で、翻訳そのものに苦しむ以上に、翻訳論に苦しんできました。

結局、その答えはいまだに分かりません。

拙ブログには繰り返し書いてきたことですが、『翻訳とは何か 職業としての翻訳』(日外アソシエーツ、2001年)という小さな本を出版された故・山岡洋一氏のことを忘れることができません。山岡氏が死の間際まで発行しておられた「翻訳通信」というメールマガジンは、毎号熟読していました。

山岡氏が繰り返し言及なさったことは、哲学者ヘーゲルの日本語版の訳者として著名な金子武蔵氏と長谷川宏氏の比較です。

「翻訳とは何か」を考える場合、「金子型」と「長谷川型」を比較してみることが最も分かりやすいということを私が知ったのは、山岡氏の『翻訳とは何か』を読んだときです。

山岡氏は「金子型」は「翻訳ではない」と断言なさいました。それはドイツ語ならドイツ語、英語なら英語の原文の一単語ごとに日本語の一単語を対応させる仕方で、一種のパッチワークをすることです。

そのようなやり方は、大学や神学校での原典講読ゼミのような場所で、出席者全員が外国語の原書を開いて読んでいるというような状況の中では有効な方法かもしれません。その場にいる人々が見ているのは、外国語原書のテキストであり、そのテキストに記されている外国語の構文だからです。

原書の文字を逐語的に目で追っている人たちにとっては、原書の外国語の一単語ごとに一つずつの日本語をパッチしていく作業の「模範解答例」になりうるという意味で、金子型の方法が役立つ場合がありえます。原典講読ゼミ出席者の「あんちょこ」としては有効に機能する可能性があります。「昨日は夜遅くまでバイトがあったので、予習ができなかった」というような学生たちにとっては。

大学や神学校で「聖書釈義」や「聖書原典講読」などを履修した人たちはおそらく必ず持っている「インターリニア(行間逐語訳)聖書」というのがありますが、言ってみれば、あの手のパッチワークが山岡氏の言うところの「金子型」であると考えていただけばよいと思います。

しかし、原文の一単語に日本語の一単語を対応させた上で、それをそれらしく並べ替えただけの文章は「日本語ではない」と、山岡洋一氏は死の直前まで繰り返し訴えました。しかし「翻訳とは日本語にすることでなければならない」。

山岡氏のおっしゃるとおりだと私も思いました。「原典に忠実な、厳密な翻訳」かもしれないが、日本語としては全く意味不明な文字の羅列にすぎない、そういう「訳書」によって日本国内に広く読者を得ることは不可能である。私にはそうであるとしか言いようがありません。

これも繰り返し書いてきたことですが、最も単純な例は、I love youは「私はあなたを愛しています」なのかという問題です。「私はあなたを愛しています」と書けば、日本の学校教育の中では合格点をもらえる回答かもしれません。しかし、現実の場面で「私はあなたを愛しています」という言葉を述べる日本の人はいない(皆無とは言えないかもしれませんが)。つまり、そんな日本語は「ない」。

そのような「金子型」に対して「長谷川型」は、全くタイプが異なります。両者は対極の位置にあると言えるほどの違いです。「長谷川型」は「日本語」です。山岡氏は「長谷川型」こそが「翻訳である」と推奨なさいました。

しかし、これは非常に難しい問題であると、私はずっと悩んできました。

「金子型」のほうが、明らかに「学問的に厳密である」という体裁をとりやすい。原書に通暁している学者たちからの批判をかわしやすい面が、あるといえばある。しかし、それは「日本語ではない」。広範な読者を得ることは不可能である。せいぜい、原書テキストの構文を眼前に置いている人たちを利するだけのものとなる。

他方、「長谷川型」は「日本語である」。しかし、意訳だ、でたらめだ、超訳だ、あのようなものは学問的な信頼に値しないという罵倒をうけやすい。

「どちらを選ぶべきか」という問いの答えは、結局、私には分かりませんでした。

そして、その答えが分からない以上、私はそろそろ翻訳から手を引くほうがよさそうだという答えにたどり着きました。これが、現時点での私の心境です。

しかし、これはネガティヴで後ろ向きの意味ではありません。

「金子武蔵型」の隘路にだけは進んでいくことは決してすまいという決意表明のつもりです。

しかし、「長谷川宏型」を「あれは翻訳ではない」とみなす人々に逆らい、抗うほどの動機はないので、「翻訳から手を引くほうがよさそうだ」と書いたまでです。


2014年11月2日日曜日

主イエスは嵐をしずめました

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

PDF版はここをクリックしてください

マルコによる福音書4・35~40

「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。』弟子たちは非常に恐れて、『いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか』と互いに言った。」

いまお読みしました個所に描かれているのは、イエスさまがガリラヤ湖に浮かぶ舟の中におられたときに起こった出来事です。そのとき、イエスさまと共に弟子たちも舟に乗っていました。

イエスさまはなぜ舟に乗っておられたのでしょうか。イエスさまご自身が「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われ、弟子たちがそのとおりにしたからです。それではイエスさまはなぜ「向こう岸に渡ろう」と言われたのでしょうか。それはもちろん伝道のためです。

「向こう岸」とはガリラヤ湖のカファルナウム側とは反対の場所を指しています。カファルナウムにはイエスさまが滞在されていたシモン・ペトロの家がありました。安息日ごとにそこでイエスさまが聖書の御言葉に基づく説教をなさった会堂がありました。週日にはカファルナウムの町の大勢の人がイエスさまのもとに集まっていました。そのような活動を通してイエスさまは、カファルナウムの人々の信頼を獲得して行かれました。

もっともその人々は、イエスさまを神の御子であられ真の救い主であられる方であるというふうな意味で信仰していたとまでは言えない状態だったと思います。興味があるという程度であったと言うべきでしょう。しかし、とにかくこの方はなんだかすごい方である。困っている人を助けてくださる。病気の人をいやしてくださる。孤独な人の友達になってくださる方である。あの手で触っていただくだけで病気がいやされる。そういうすごい力をお持ちの方であるというふうに見ていました。

しかし、マルコによる福音書が描いている時間の流れに基づいて言えば、これまでの時点ではまだイエスさまはガリラヤ湖の向こう岸には行っておられません。ですから、これから行くのは、いわば初めての向こう岸です。目的はもちろん伝道です。そして伝道の目的は、カファルナウムでなさったのと同じです。場所が変われば、することも変わるということではありません。それは聖書の御言葉に基づいて説教することです。そして、困った人を助け、病気の人をいやし、孤独な人の友達になることです。

しかし、だからこそイエスさまはガリラヤ湖の向こう岸に渡ることを弟子にお命じになりました。伝道の範囲を拡大することになさったのです。それはカファルナウムでの伝道はもう終わった、もう十分であるということではありません。カファルナウムにもまた戻って来られます。しかし、伝道の範囲を広げることになさった。そのためにイエスさまはガリラヤ湖の向こう岸に渡ることになさったのです。

なぜ私はこういう話をしているのかといいますと、いま申し上げたことを理由にすることができるかどうかは微妙な面があるのですが、この個所を読みながら私が考えたことは、イエスさまが嵐の中だったのに、なぜぐっすり眠っておられたのかということです。その答えはわりとはっきりしていると思います。イエスさまは、これから始まる新しい伝道の準備をしておられたのです。

その準備に当たるのがぐっすり眠ることです。冗談のように聞こえるかもしれませんが事実です。伝道の準備として重要なことは、よく眠ることです。疲れた状態で伝道することはできません。

マルコはこの出来事が起こった時間帯が「その日の夕方」(4・35)であったことをわざわざ書いています。日の高い真昼の時間帯に眠っておられたわけではありません。ガリラヤ湖のカファルナウム側の岸辺に集まった多くの人々に説教なさった日の夕方であったことをマルコはわざわざ明記しています。人前で話をするのは疲れることです。イエスさまも肉の体を持っておられますので、お疲れになります。だから眠っておられました。眠ること自体を責められる理由はありません。

そして、このときのイエスさまにとって大切だったことは、ガリラヤ湖の向こう岸で伝道するために準備なさることでした。だからぐっすり眠っておられました。理由はそれだけです。イエスさまに悪意などは全くありません。

ところが、弟子たちは違いました。嵐が始まったとき、自分たちがおびえ、うろたえている状態であるにもかかわらず、イエスさまおひとりが「艫の方で枕をして眠っておられた」(38節)ことが気に食わなくて気に食わなくて仕方ない思いになりました。それで、ぐっすり眠っておられるイエスさまをわざわざ揺すって起こしました。そして起きたイエスさまに文句を言いました。「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言いました。

弟子たちの中の誰がこんなことを言ったのかは書かれていません。同じ内容のことが書かれているマタイによる福音書にも、ルカによる福音書にも、こんなことをイエスさまに言った弟子は誰だったのかは記されていません。すべて「弟子たち」と複数形で書かれています。複数の弟子、または弟子の全員が、イエスさまにこんなことを言ったのです。

しかし、私には少し気になることがあります。それは、このとき弟子たちが言った「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」という言葉の中の「わたしたち」の中にイエスさまのことが含まれているのかどうかという点です。

イエスさまも舟に乗っておられたわけです。舟が転覆すれば当然イエスさまも湖に投げ出され、おぼれて死んでしまいます。嵐の中で舟が波をかぶって水浸しになるほどの状態であったと記されています。それほどの状態であれば、いくらイエスさまがお疲れになっておられたとしても、ご自分の身に危険を感じるほどの状態かどうかくらいはお分かりになったはずです。

このように考えることは間違っているでしょうか。イエスさまは気絶しておられたのでしょうか。あるいは、イエスさまという方はよほど鈍感で、一度眠ってしまわれれば、ご自分の身に危険が襲いかかってきているどうかを全く察知できないほどの深い眠りにおちいられるような方なのでしょうか。いくらなんでもそんなことはないと、私は思うのです。

私は3年半前の震災のことをもちろんよく覚えています。あのときは昼間でした。私も家族も当然起きていました。娘は学校にいました。ですから、あのときの恐怖ははっきり覚えています。20年前の阪神淡路大震災のとき、私はたまたま岡山に主張で、前の晩から岡山の実家にいました。あのときは早朝でした。岡山は震源地の隣の県ではありましたが、大きな揺れはありませんでした。しかし、目くらいは覚めました。「揺れているなあ」とすぐ気づきました。

人間の体はそのようにできています。自分の身に危険が迫っているかどうかは眠っていても分かるものです。目が覚めます。イエスさまは全く気づかなかったのでしょうか。そんなことはないと思うのです。

この一ヶ月ほどの間は、あまり地震がなかったように思います。しかし、その前はけっこう頻繁に地震がありました。大きな地震ならば、眠っていても目が覚めるものです。もちろん気づかなかったときもあったでしょう。それは、よほど疲れていたからかもしれません。しかし、目を覚ますほどの危険はないとわたしたちの体が判断した面もあったでしょう。

なぜ私はこのような話をしているのかといえば、イエスさまという方はいったん眠ってしまわれれば、ご自分の身に迫る生命の危険にも気づかないほど鈍感な方だったのでしょうかということをぜひ考えていただきたいからです。そんなことはないと私は思うのです。

イエスさまはわたしたちと全く同じ肉の体を持っておられる方です。全く別次元の全く異なる肉体をお持ちの方だったわけではありません。そのことをわたしたちはよく考える必要があります。

それで私が先ほど申し上げたのは、弟子たちがイエスさまに言った「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」という言葉の中の「わたしたち」の中にイエスさまは含まれていたでしょうかということです。もちろん、含まれていたと考えることもできます。しかし、含まれていなかったと考えることもできます。

もし含まれていなかったとしたら、どういうことになるのでしょうか。このとき弟子たちが眠っておられるイエスさまに起きていただいたのは、イエスさまならばこの危機を必ず乗り越えてくださるであろうという期待や信仰をもっていたわけではなく、八つ当たりをしたかっただけだということになります。彼ら自身が不安になり、恐怖におびえていただけです。その不安、その恐怖をイエスさまにも分かってほしかっただけです。一緒におびえてほしかったのかもしれません。

弟子たちの中には、シモンやアンデレ、ヤコブやヨハネという元漁師だった人もいました。彼らにとっては舟や湖は専門領域です。彼らがいるなら、わざわざイエスさまに起きていただく必要はないでしょう。イエスさまに文句を言う必要はないでしょう。自分たちの手でなんとかすればいいのです。しかし、そうではなかった。自分たちが怯えているのに、そのことを無視して眠っておられるように見えたイエスさまのことが許せなかったのです。

このような弟子たちの心理状態を、いまの心理学者ならばどのように名付けるのでしょうか。私は心理学の知識がほとんどありませんので分かりません。

恐怖心を持っている人が、持っていない人の存在を許せず、自分と同じ恐怖心を持たせようとする。自分だけが恐怖心を持っている状態であることが我慢できず、恐怖心を持っていない人まで巻き添えにしようとする。このときの弟子たちの心の中にあったのは、そのような心理状態だったと思われます。

イエスさまはそれらすべてをお見通しでした。起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われました。すると、風はやみ、すっかり凪になりました。

そして、弟子たちに言われました。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」。イエスさまがお叱りになったのは風と湖であると聖書には書かれていますが、それだけではないように思います。むしろ、イエスさまは弟子たちをこそお叱りになりました。「黙れ。静まれ」。

危機的な状況はあります。その中で不安になることが悪いわけではありません。不安で眠れない夜もあるでしょう。しかし、危機の只中でこそ、わたしたちは落ち着く必要があります。ただおびえ、ただ騒ぐだけでは、何一つ解決しません。

(2014年11月2日、松戸小金原教会主日礼拝)