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2024年6月16日日曜日

天の国籍

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「天の国籍」

ヘブライ人への手紙12章18~29節

関口 康

「わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう」(28節)

今日の説教題「天の国籍」は、直接的にはフィリピの信徒への手紙3章20節にある「しかし、わたしたちの本国は天にあります」(口語訳「わたしたちの国籍は天にある」)と結びつきます。私の知るかぎり「わたしたちの国籍は天にある」は、しばしば厭世(えんせい)的な意味で理解され、使用されてきました。だからこそ、この言葉は使い方に気を付ける必要があります。

「厭世的」とはこの世界が嫌なものであり、わたしたちの人生は価値なきものであると感じることを意味します。「わたしたちの国籍は天にある」のだから、という理由で、自分の人生を早く終わらせたい、一日も長く生きていたくないという思いを呼び起こし、希死念慮を助長する言葉に事実上なってきました。

いま申し上げたのと同じ趣旨で、「偽りの世に別れを告げ、罪と汚れを打ち退け、ただひたすらに我は慕う、永遠(とわ)に変わらぬあまつ国を」という讃美歌(334番)も、受け止め方次第で危険な歌になります。

しかし、「わたしたちの国籍は天にある」という言葉には続きがあります。「そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」(口語訳「そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる」)。天から地上へと戻る矢印(ベクトル)が表現されています。

先週ある方から、使徒信条でイエス・キリストが「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」とある中の「神の右」が「我々から見て右」だとしたら「神の左」になるでしょうかとご質問をいただきました。

調べてみました。「神は右手を持ってはおられないし、神には右側さえありません」(A. ファン・リューラー『キリスト者は何を信じているか 昨日・今日・明日の使徒信条』近藤勝彦・相賀昇訳、教文館、2000年、220ページ)という身も蓋もない説明しか見当たりませんでした。

とはいえ、これは旧約聖書的背景を持つ言葉だと思われますので、おそらく右手です。族長や祭司や王が権限の継承をする際の油注ぎや按手は右手で行われました。つまり、わたしたちから見た左側が「神の右」。あくまでたとえです。神と等しいお立場であることを意味するだけです。

しかし、使徒信条にも続きがあります。「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とをさばきたまわん」。これも天国から地上へと戻る矢印(ベクトル)です。主イエスは天国の神の右の座にどっかり座りこんでふんぞり返っておられません。もう一度、何度でも、わたしたちへと、人と世界へと近づいてくださる方です。じっとしているのではなく、動き回る方です。

わたしたちも、天国でおやすみなさいで終わるのではなく、もう一度地上に戻って来る、元通りの世界に戻る、というのが、キリスト教的な意味での「復活」のイメージです。

復活の説明も難しいです。「さんざん苦労させられて、また人生やり直しですか、もう勘弁してください。復活はごめんです」と言われることが実際にあります。

天国のイメージの問題です。福祉関係者にはきっとご理解いただけるはずです。高齢の方々が最も安心できる場所は「これまでどおり」です。これまでとは違う別世界に移されると、不安になります。聖書の「天国」は、人っ子ひとりいない、真空で透明で冷たいところではありません。そこにひとがいるし、長く親しんだ家や街があるし、色もある、カラフルな世界がそこにある、というのが聖書の「天国」のイメージです。

今日開いていただいたのはヘブライ人への手紙です。難解な書物です。著者の思考回路を理解するのが特に難しい。それと、「手紙」といいましたが、差出人も受取人も記載されていないので手紙ではありません。手紙というよりは説教の性格を持っていると考えられています。

著者の居場所を予想するための情報は、13章24節の「イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています」だけです。著者がイタリアおそらくローマにいて、この地域外の教会に書き送っている可能性があります。しかし、逆もありえます。著者がイタリアではないところから彼の出身国の教会へ「イタリア出身の人たちからよろしく」と書いているかもしれません。

「手紙ではない」と言いながら、便宜的に「手紙」と呼ばせていただきます。この手紙の送り先の教会は、創設後すぐ迫害を受けました。10章32節以下の「あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください」から始まる箇所に、この教会の初期の苦労が描かれています。「あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり」(33節)。「財産を奪われた」(34節)。

この教会が苦しんだ創設期については、2章3節に「この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され」とあることから、まずイエスが語り、それをイエスの弟子たちが伝え、さらに著者の世代を通じて、読者の世代へと伝えられたことが分かります。これはイエスからこの教会までの間に「2世代」があったことを意味します。

この手紙の執筆目的は 6章1~2節に記されています。「基本的なことを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して歩みましょう」。

「成熟」の意味は大人になることです。勉強したことを知識で終わらせず、教えに基づいて生きているかどうか、つまり、知識よりも実践が大切であることが強調されています。

「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神の素晴らしい言葉と来たるべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません」(6章6節)と、恐ろしいことが書かれています。

一度救われた人が堕落したら二度と救われない、という意味です。これは原理原則にしないほうがいいと思います。「わたしたちは何度でも救われる。何度でも悔い改めができる」と言うほうがいいと思います。しかし、ここに書いてあることにも独特のリアリティがあります。

この手紙の送り先の教会は、パレスティナではない地域のユダヤ教の教会にいったん参加した後に、キリスト教の説教に触れるようになった元異教徒で構成されていました。彼らはユダヤ教的に解釈された旧約聖書の知識を持っていました。

著者が最初から最後まで読者に訴えているのは、ユダヤ教的に解釈された旧約聖書の教えよりも、キリスト教のほうが「より良いもの」であり、「より優れているもの」である、ということです。

このような語り方には注意が必要です。自分たちの優位性を示すために他をおとしめるような話し方になってしまうからです。しかし、ケースによってはこのような語り方が必要になることもあります。今までいた教会(他宗教含む)に疑問を感じたり傷ついたりした人々に対して二度と元に戻らないように説得することが必要な場合があります。

今日の箇所で著者は、シナイ山とシオン山の比較を始めます(22節)。シナイという名前や山という言葉さえも言及していませんが、それが分かるように記されています。ユダヤ人にとって、シナイ山は文字通りの恐怖の場でした。モーセも例外ではありません。戒律ずくめの宗教は恐怖の場です。

しかし、あなたがたは「シオンの山」に近づいたと言われています。「シナイ」がモーセが律法をいただいた山であるのに対し、「シオン」はエルサレム神殿が建てられた山です。そして、この手紙の著者にとって「シオン」は、大祭司イエス・キリストがおられる場です。

今日の聖書箇所の趣旨は、ユダヤ教とキリスト教の対比であり、ユダヤ教をやめてキリスト教に入信した人たちを説得する言葉です。戒律ずくめの宗教で人は救われない。イエス・キリストへの信仰のみで救われる宗教にこそ救いがあることを教えようとしています。

(2024年6月16日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2017年1月22日日曜日

信仰でしか開かない扉(千葉若葉教会)

ヘブライ人への手紙11章17~19節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、『イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる』と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。」

今日はヘブライ人への手紙を開いていただきました。中身に入っていく前に、この手紙の緒論的なことについて、いくつかのことを申し上げておきます。

1つめは、この手紙の著者はだれかという問題です。そもそもこの手紙のどこにも差出人の名前が記されていません。ですから、この手紙の著者は不明であると言えば済むことです。しかし1箇所だけですが、パウロの弟子の「テモテ」の名前が出てきます(13章23節)。それでパウロが書いたものかもしれないと考える人はいます。しかし、かなり以前から言われているのは、ヘブライ人への手紙はパウロ書簡ではないということです。16世紀の宗教改革者カルヴァンもパウロでないと考えています。

2つめは、たとえこの手紙の著者がパウロでないとしても、だからといってパウロ書簡よりも価値が低いとか、読む価値がないというような考え方をすべきでないということです。私はどちらかといえばそのように考えてしまうほうの人間ですので、自戒をこめて申し上げておきます。大昔からパウロ書簡であると言われていたものが最近の研究によって「これはパウロの偽名書簡である」などと言われると、私はがっかりします。急に価値が低いものになったような気がします。しかし、重要な問題は「誰が書いたか」よりも「何が書かれているか」です。

もともとヘブライ人への手紙をパウロ書簡だと考える人はほとんどいませんでしたので、どうしても今日話さなければならないことではないかもしれません。とにかく申し上げたいのは、ヘブライ人への手紙はパウロ書簡より価値が低いとか読む価値がないというような見方をするのは偏見に満ちていて間違っているということです。

3つめは、この手紙の中で歴史的に最も危険視されてきたのはどの箇所かです。それは6章4節から6節までに書かれていることです。「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです」。

ここに確かに書かれているのは、「一度救われた人がその後堕落したら、その後に悔い改めることはもはや不可能である」という意味のことです。それは間違っているのではないかと言われてきました。そのように言われるなら、イエスの教えにもパウロの教えにも共通する「神の無条件の赦し」という点と著しく矛盾することになるのではないかと考える人が出てくるのは、ある意味で当然です。

しかし、この点についても、カルヴァンは、この箇所(6章4節以下)を理由にヘブライ人への手紙を退けるべきではないと述べています。なぜカルヴァンを引き合いに出すのかといえば、カルヴァンの教えを広めたいからではありません。この議論は大昔からあり、16世紀にもあり、いまだに十分な解決に至っていないものの、かなり解決済みの問題であるということをご理解いただきたいからです。

カルヴァンは次のように書いています。「要するに、使徒は私たちに、悔い改めは人間の意志によるものではなく、神が信仰からすっかり堕ちてしまってはいない人々にだけ与えたもうということを諭すのである。この諭しは私達にはひじょうに有益である。一日また一日と延期することによって、私たちがますます神から遠ざかることのないためであるから。(中略)もし、だれかその滅びから立ち上がる者がいたら、その点では他の点で大きな罪を犯していたにしても、全く反逆してしまったわけではないと言うべきである」(『カルヴァン新約聖書註解Ⅷヘブル書・ヤコブ書』久米あつみ訳、新教出版社、1975年、152~153頁)。

途中で省略した箇所には、人間の回心は並大抵のわざではない、神のわざであると記されています。つまり、カルヴァンが言っているのは、悔い改めも回心も人間の努力ではなく、神のみわざであるということです。

わたしたちの教会の現実に照らし合わせていえば、たとえば、あの人は何年も教会に来ていないし、連絡もとれなくなっているし、「私はもう信仰を捨てた」と自分で言っているのだから、そういう人はもう救われないのだ、滅びに至るのだなどと安易に考えてはならないということです。

私の過去の牧師としての経験の中で出会った人の中に、こういう方がおられました。「私は20歳で洗礼を受けました。しかし、その後50年教会から離れていました。しかし、その50年間、教会のことを忘れたことはありませんし、信仰を失ったことはありません。もう一度教会生活を始めたいです」と言われ、復帰願いを出されました。

その意志を教会として受け容れました。その方は、その後はとても忠実な教会生活を送られました。人の目で見れば50年も教会を離れている人にはもはや信仰がないと見えるでしょう。しかしそういう見方をしてはいけません。だれが堕落した者かを見分けることは人間には不可能だからです。

ある意味で最も分かりやすい見分け方は、教会生活を続けているかどうか、日曜日の礼拝への出席を続けているかどうか、教会の献金を続けているかどうかかもしれません。それを続けていないから、あの人はもう堕落したのだ、あの人は天国に行けないのだなどという考え方がもし正しいなら、「教会とは行為によって救われることを教える団体である」ということを自ら主張しているのと同じです。礼拝出席という行為、献金という行為を怠っている人は救われないというならば。

しかし、聖書の教えはそういうものではありません。ヘブライ人への手紙の教えもまた、そういうものではありません。むしろ逆のことを言おうとしています。

ここまでお話ししたうえで、今日開いていただいた箇所の解説に入っていきます。ただ、これからお話しすることは、今の話の流れの続きです。3つカウントしました。4つめを申し上げます。

4つめは、ヘブライ人への手紙はどこが面白いかです。挙げていけばいろいろあります。しかしその中のひとつだけ言えば、ヘブライ人への手紙と呼ばれるだけあって旧約聖書がとても強調されていて、いわば旧約聖書の解釈に基づく説教のように読めることです。実際に、この手紙はいわゆる「手紙」ではなく「説教」であると考える人もいます。

今日開いていただいた箇所も説教です。新共同訳聖書が「信仰」という小見出しを付けている11章のすべてを本当は読みたいと思いましたが、長いので一箇所だけ読みました。アブラハムが神の命令で息子イサクを犠牲の供え物として献げる物語は、旧約聖書の創世記22章に出てきます。その物語の解釈に基づく説教が今日の箇所に記されています。

つまり、いま私が強調して申し上げたいのは、今日の箇所に記されているのはあくまでもひとつの解釈であるということです。「アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです」(19節)と記されていますが、そのようなことは創世記22章にはどこにも書かれていません。実際の文字としては書かれていないことについて、ヘブライ人への手紙の著者が想像して書いたのです。別の解釈も可能ですし、別の解釈は必ず退けなければならないわけでもありません。

「何を言っているのだ。ヘブライ人への手紙は新約聖書の権威ある正典だ。正典たる書物が示している旧約聖書の解釈は絶対的に正しいのであって別の解釈はありえない」という批判が出てくるかもしれませんが、そういう考えに立つ必要はないという趣旨のことを今申し上げています。

しかし、「これはあくまでもひとつの解釈である」ということを私がいま強調しているのは別の解釈を持ち出して主張したいからではなく、むしろ逆で、今日の箇所に記されていることは、これはこれでひとつの解釈として受け容れるべきだということを申し上げたいからです。

ヘブライ人への手紙の著者が11章全体で言おうとしていることの要点は「何が信仰なのか」ということです。最初に定義が記されています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました」(11章1~2節)。

自分自身が望み、希望、願い、祈りとして抱いているが、まだ見ていない。将来的には実現するかもしれないが、眼前の事実としては全く見えないし、具体的な姿を想像することすら不可能であると思うようなことは、わたしたちにもいくらでもあるでしょう。しかし、それが必ず実現するということを確信すること、それが「信仰」だということです。

アブラハムがイサクを神に献げた物語の内容は、話としてひどすぎます。神がアブラハムに星の数ほど子孫を与えると約束してくださったのに、アブラハムと妻サラの間に生まれた子どもはひとりでした。しかも、そのひとりの子どもを献げろと神が命じました。つまり殺せと命じました。

意味不明すぎて頭が混乱します。人間の論理は完全に崩壊します。自己破綻します。「たくさん子孫が与えられること」と「眼前のひとりごをその親自身が殺すこと」という絶対的に矛盾するふたつの命題が同時に提示され、それが両立するといくら言われても、それを受け容れることは通常無理です。

しかし、それをアブラハムは受け容れました。そこで人間の論理を放棄しました。「神が何とかしてくださる」というような信じ方をしました。しかし、それもまた、ある意味で人間の論理です。もし「神」がいなければ絶対に成り立たない論理ですが、逆にもし「神」がいるならば成り立つ論理です。人間の論理を超える神の論理、つまり「超論理」です。

「そんな危なっかしい考え方の人とは付き合えない。いつも賭けごと、ばくちをしているようなものではないか」と嫌われるかもしれません。しかし、そこで考えてみる必要があるのは、それならば人間の計画や計算がどれほど確実なものなのかということです。なんら確実ではありません。

アブラハムには神に逆らう選択肢がなかったわけではないし、そのほうが人道的に正しかったかもしれません。しかしアブラハムはそうしませんでした。「信仰でしか開かない扉」があることを知っていたからです。その扉を開けるにはおそらく「勇気」が必要ですが、その扉の向こうに進むべき未来があります。

(2017年1月22日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会 主日礼拝)

2010年2月21日日曜日

天の故郷


ヘブライ人への手紙11・13~16

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが、実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」

梅原知英子さんと私は、親子ほど歳が離れた関係でしたし、教会のメンバーと牧師との関係という以外の何ものでもありません。しかし、それでも何か本当に深い心のつながりを感じる方だったと、いま改めて思い返すことができます。

他の方とは違う、というようなことを申し上げたいのではありません。牧師はえこひいきしません。ただ、いつも心配していました。家が教会から遠かったので、通うのに苦労がおありではないかという思いが常にありました。毎週のように「遠くから通ってくださってありがとうございます」と言いたくなりました。しかし、梅原さんは「いいのよ」とおっしゃいました。「私は電車に乗り慣れているから気にしないでいいのよ。通い慣れている教会が一番いいのよ」と言ってくださいました。「そんなふうに言っていただいてありがとうございます」と、また言いたくなる。そんなにペコペコしなくてもいいのに、と思っておられる様子も伝わってくるのですが、私の気持ちはそういうものでした。

毎週日曜日に教会に通うということは実際には非常に苦労の多いことなのだということを、私は知っているつもりです。これは私が幼い頃から感じてきたことですし、牧師となった今でも分かります。私は今でも毎週教会に通っているのです。牧師は説教するためだけに教会に来ているわけではありません。みんなで一緒に賛美歌を歌いますし、みんなで祈りますし、みんなで奉仕しています。しかし、私の家(牧師館)は近いので、遠くから来てくださっている方々には申し訳ない気持ちになるのです。

ですから梅原さんとの思い出の中に一番多くあるのは、ペコペコ頭を下げる私に「いいのよ、いいのよ」と梅原さんが慰めてくださる場面です。お話しできたのは、せいぜい礼拝が終わってお帰りになるときの一言、二言でした。やっとゆっくり話せるようになったのは、入院先の病院へのお見舞いのときです。

入退院を始められてからの梅原さんは本当に尊敬すべき方でした。ご家族の方から教えていただくかぎり、御自分の病状をはっきりとご存じであった面と、必ずしもそうでなかった面とがあられたようですが、ほとんどすべての覚悟ができておられたと、私には見えました。自分の死という問題と、まさに真剣に向き合っておられました。

そして、私が最も重く受けとめたことは、梅原さんが最後の最後まで「日曜日の教会の礼拝に出席したい」という願いを持ち続けておられたことです。誤解がないようにしておきたいのですが、私は「牧師だから」こういうことを言うのではありません。クリスチャンたる者は、どんなに重い病気にかかっても、自分の体を引きずってでも日曜日は必ず教会に来るべきであると、そのような考え方が私にはできません。私は今年で伝道生活20周年になりますが、いまだかつて一度として教会の方々にそういう言い方をしたことがありません。「義務だ、責任だ」という点から教会の方々に何かを強いたいとは思いません。この点は、どうか勘弁してください。私にそういう言い方をさせようとしても無理であると諦めてください。

ですから、どうか、そのようなことを抜きにして聞いていただきたいのです。「毎週日曜日に教会に通う」というその願いは、梅原さん自身にとって最も大切なことなのだと理解できたので、それは素晴らしいことだと私は感じたのです。

「神は信じるが教会には通わないというのは、音楽は聴くがコンサートには行かないというのと同じである」と言った人がいます。私はこの言葉が好きで、ことあるごとに思い起こします。教会に通うということは、勉強をしに来ることとは違います。教会に何十年通っても、何かの資格や免状をもらえるわけではありません。教会でもらえるのは、日曜学校の皆勤賞くらいです。しかし、日曜学校にも卒業証書はありません。教会は誰も卒業しないのです。人生の最後も、卒業式ではありません。

もし、「教会に来ても何ももらえないし、ここで得られるものは何もない」という不満を感じている人がいるのだとしたら、その不満は、物やお金や賞状をもらえないことではないのだと思うのです。わたしたちが教会に期待するのはそのようなことではないと思うのです。

しかし、ここから先は、言葉でうまく説明することのできない次元に入っていきます。わたしたちは「教会に通う」とは何なのかを、うまく説明することができません。毎週教会に通いながらその意味を説明できないだなんて、おかしなことではあるのですが、そういうものだとしか言えません。

しかし、それでも、強いてたとえるとしたら、それは、わたしたちが「自分の家に帰ること」の意味を問われたときに、うまく答えられるだろうかという問題に似ているかもしれません。子どもたちが学校から家に帰ってきたとき、「どうして帰ってきたの?」と、そんな馬鹿なことを尋ねる親がいるでしょうか。そもそも「なぜ私は自分の家に帰らなければならないのか」と、そんなことを考える子どもがいるでしょうか。「自分の家に帰ること」に、理由が必要でしょうか。

梅原さんが最後まで抱き続けられた思いはそのようなものであったに違いありません。そして今、梅原さんは神が備えてくださった都としての「天の故郷」(16節)におられます。その場所は、わたしたちの信仰によりますと、教会とそっくりのところなのです。そこには、神さまがおられ、神の御言葉と賛美の歌が響きわたり、永遠の喜びと平安が豊かにあふれているのです!

(2010年2月21日、梅原知英子姉記念会、松戸小金原教会)

1988年7月10日日曜日

最初の確信(初芝教会)

日本基督教団初芝教会(大阪府堺市)

関口 康(東京神学大学学部4年)

ヘブライ人への手紙3章12拙~4章16節

夏の間、みなさんとご一緒に聖書の学びの時を送ることができます幸いを、心より感謝いたしております。

今年も東京神学大学から43名もの神学生が、全国各地の教会に派遣されておりまして、同じように夏期伝道実習をしております。

心から思いますことは、全国各地で、あるいは世界全体で、主イエス・キリストが宣べ伝えられ、喜びのうちに心からなる礼拝がささげられ、賛美の歌がうたわれている、また同じ志をもつ者が神さまと人とに仕えることを生きがいとして励んでいる、その事実は、何ごとにも換えがたくすばらしいことだ、ということです。

神学生たちはみんな若くてちゃらんぽらんに見えたりしますけれども、主イエス・キリストにとらえられて信仰をもって日を過ごすことの喜びを自ら知り、またそれを多くの人に宣べ伝えることにこのいのちすべてを賭けていこうと確信している者たちでありまして、夏期伝道となると、始まるのがうれしくってしょうがない。そこでありがたい訓練を受けて、将来みなさんのお祈りに支えられて、新たなる伝道の旅に出かけるための備えをするのであります。

信仰をもって日を過ごすことは、じつに喜ばしいことであるはずなのです。神さまにのみ一切の希望を抱き、決して絶望しない。神さまにのみ依り頼む者たちが召し集められている教会に連なり、支えあって、励ましあって、生涯を送る。友なくして生きていくことを欲しない。愛し合うことを学びあいながら成長していく。

教会は、聖霊降臨のときから今日に至るまで、神さまのお約束を固く信じて疑わない者たちの群れであり続けています。

そしてまた、その信仰を未だ受け入れていない者に対して、その人にもまた救いの御手が働いているのだということを、なんとかして知らせようと働く群れであります。

たとえば、親ならば、自分の子どもに信仰の継承をしていくこと、ただそれだけを生きがいとしていく、そのような「心の貧しい」伝道者たちであるはずなのです。

しかしながら、教会は、じつに初めから、新約聖書の時代から、その内側に常に一つの大きな問題を抱えてまいりました。

そもそもキリスト教会は、いつでも、外側からの攻撃、迫害といったことには強かったようです。かえってそのことによって結束力を固め、信仰は深まり、祈りは熱っぽくなる。教会が教会であることの確固たる根拠を追求するようになり、ちょっとやそっとでは崩されない、どんなことにでも怖気づかない群れとされていく、そういったものでありました。

しかしながら、教会は、内側から沸きあがって来る問題には甚だ弱く、ともすれば一切の希望を失い、そのことによって霊的な力を失い、それでもって弱く小さくなっていく。

今朝ご一緒に開きました聖書の個所、ヘブライ人への手紙の著者が問題にしていることは、まさに彼が深くかかわっているとある教会が、非常に深刻な事態に陥っていて、その問題の大きさたるや、まさに教会を教会でなくするような事柄なのだ、ということであります。

それは、キリスト者第二世代への信仰の継承の問題でした。つまり、主イエスの十字架と復活とを直接には知らない世代に対する伝道の問題でした。信仰は継承されていくものだ、と一言で申し上げましても、それが言葉で言うほど容易なことではないということは、みなさんもご経験なされていることと思います。

初めのキリスト者たち、たとえば、「使徒」と呼ばれた主イエスの弟子たちの勇ましいほどの信仰は、聖書にさまざまに記されているとおりですが、その初めのキリスト者たちの信仰を、歪めることなく正しく後に続くものたちに伝えていくことがいかに困難であったかということは、聖書の至るところに取り上げられていると言えます。このヘブライ人への手紙においてそれは中心的テーマでありました。

たとえば、第1章の14節には、「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか」と書かれています。この「救いを受け継ぐことになっている人々」というのが第二世代のキリスト者だというわけです。

また、第2章の1節をご覧ください。「だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます」と言われております。

主イエスがお語りになった御言葉、教会が信仰をもって語ってきた言葉、伝えられてきた言葉を「強く心に留めよ」(口語訳)とは、わたしたちにとっては、何をいまさらお説教されなくとも、信仰者ならば当たり前のことだ、と思われることかもしれません。

しかしながら、その当たり前のことが、当たり前でなくなっている。「そうでないと、押し流されて」しまう。確固たる信仰の基礎がゆるがせにされ、教会が教会でなくなってしまう。そのような危機が訪れているというのであります。

3章の12節にも、こう言われています。「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。」

つまり、このヘブライ人への手紙の著者は、初めのキリスト者たちの抱いていた喜びと希望に満ちあふれた確固たる信仰を、第二世代のキリスト者たちが正しく受けとめることをせず、別の思いにとらわれて、信仰から離れてみたり、別の信念をもってみたりして、結局神さまと教会から失われてしまうかもしれない。いや、そうなってしまっていると。

さらにまた、神さまに希望を持つことができないのですから、あらゆるものに絶望しつつ、神も何とかもあるものかと神と人とを恨みながら、どうしていいのやら分からないうちに世を去っていくと。

そのような事態が教会の中にあることを、あたかも父親が自分の言うことを聞かない息子のことを心のうちで心配しながら、険しい顔で戒めるように、語るのであります。

そもそも、なぜこのような事態が起こってきたのか、ということについて考えてみますときに、必ずしも簡単に答えられるようなことでない、複雑な事情があったように思われます。ただ言うことを聞かない新人類、というようなことではないように思うのであります。

それはおそらく、初めのキリスト者たちが抱いていた信仰の根本問題と関係があったのであります。

いつでもそれはこう言われてきました。主イエス・キリストは苦難の生涯を歩まれた後、十字架につけられてこの世の罪を贖い、よみがえられて御神の栄光をあらわし、天に昇られたのだと。そしてその後、主イエスは終わりの日にもう一度おいでになるのだと。

わたしたちの主の祈りにありますように、わたしたちの信仰の核心部分には、たしかに「御国を来たらせたまえ」があります。神さまのご支配を早く実現してくださいと、そのために主イエス・キリストが再び来たりたもう日を待ち望んでまいりました。

しかし、主イエスは、まだおいでくださらない。この世に悪の力はなくならない。「御国を来たらせたまえ」という祈りには、いっこうに答えられない。

初代のキリスト者たちは、イエスさまはすぐにおいでくださるのだと、だから今どんなつらい目にあっても、どんなに苦しくてもこの信仰を捨ててはならんのだと、そう素朴に信じて外からの猛烈なほどの迫害の手に対してたじろぎもせずに、勇ましく、これこそが信仰だと言わんばかりに派手な殉教の死を遂げていったというわけであります。

キリスト者第二世代は、そうした最初の世代の人たちの殉教の死をおそらくは目の当たりにしながら、あるものは恐怖におびえながら、あるものは肉親を失った悲しみにうちふるえ、迫害者に対する復讐心もさることながら、主イエス・キリストを信じたゆえに殺されたと考えるときに、主イエス・キリストの救いに対する不信感、信仰そのものに対する疑いを持つようになる。

信じて祈ったが結局報われなかったではないか、父親や母親は死んでしまっていなくなってしまったではないか。天国で逢えるという言葉を信じて、どれほどの慰めがあるというのであろうか。せいぜいおとぎ話の、人をだますような、むなしい信仰。

キリスト者第二世代の者たちにとって、すさまじい迫害の前に次々と倒れていく殉教者群像を見ながら、それでももし、主はわれらの救い主なり、と心から告白するためには、相当の勇気と、力と、なにものにもまさる慰めの言葉とを必要としたかということを思うのです。

ですから、3章12節の御言葉の中の「信仰のない悪い心」というのは、何か大罪人の心の中にあるような不気味なドロドロとしたような思いというのとは少し語感が違うと思うのです。

その「信仰のない悪い心」とは、人間的にいうと同情に値するような、なぜなら信仰をもって死んでいった父や母、友や先生の姿を目の当たりにして、信仰の意味について深く考え込んでしまうような「信仰のない悪い心」なのですから。

また、何よりも、主イエス・キリストが、まだ来てくださらない。この世に悪の力はなくならない。福音の御言葉は結局嘘だったのか、信じるだけ馬鹿馬鹿しいことだったのかと考えてしまうような「信仰のない悪い心」なのでありますから、わたしたちにとって、受け入れるに耐えない、あまりにもひどい考え方と言ってしまえないものなのであります。

もし、キリスト者が個人個人孤独であって、たった一人で信仰生活を送れと言われたならば、誰がそれに耐えることができるのでしょうか。何か厳しい精進を経て悟りを開くようにして、この信仰を維持せよと言われて、誰がそれをなしえましょうか。

わたしたちはそんなに強くないのです。わたしたちは日々の生活の中で、常にドロドロとした人間関係の中ですぐにでも押しつぶされてしまいそうなほどにもみくちゃにされて、いやな思いにさせられる、すぐにでも恨み言、つらみ言を口にしてしまうほどに弱いのです。

それでも、まったくもって絶望してしまわず、何か依り頼むべきお方にすがるような気持ちで、信仰を持って来たのだと思います。あるいは、教会に来て、そこに集まってきた人々の赤裸々な、それでも何か純粋で素朴な信仰の証しの言葉に励まされながら、世を去る日までこの確信を抱き続けようと決心を新たにしてきたのだと思います。

ヘブライ人への手紙の著者は、その若者たちに本当の慰めの言葉を語り始めるのであります。第3章の初めから、押し流されてしまいそうな弱い信仰の持ち主たちに向かって、旧約聖書の詩編95編を紐解いて、説教しているのです。それはちょうど教会学校の先生が生徒に向かって、聖書を開いて、その中の一言一言をよく吟味しながら、「きょう」という題名で教え諭しているのと同じ光景を思い浮かべられたらよいと思います。

「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
 荒れ野で試練を受けたころ、
 神に反抗したときのように、
 心をかたくなにしてはならない。」

3章13節をご覧ください。「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」とあります。

「罪に惑わされてかたくなになった人」がいたならば、叱り飛ばし、あるいはその罪を指摘して、交わりを絶ってしまいなさい、というようなことは、ここでは全く語られていないのであります。

「日々励まし合いなさい」という言葉は、信仰者には常に友が必要である、ということを指し示しているとも言えます。

しかも「今日」ということが、大切なのであります。明日の態度、将来の態度について問われてはいないのであります。初めのキリスト者は、迫害の中で明日も知れぬ身であったのです。その恐怖の真っ只中で、一日一日を厳かな思いをもって、涙の祈りをささげつつ、信仰を全うしていったのです。

それは、将来来たるべき神の国を夢見つつ、それをただ一つの慰めとして、今、その日、そのときを充実したものとして、受け取っていったのであります。それが主イエスを待ち望む信仰の本当の意味なのであります。

その信仰を継承する者たち、今にも乱れそうな、砕け散りそうな信仰の持ち主に向かって、その日一日、主に守られたことを感謝せよと、神さまのご臨在を信じて、安心して歩みなさいと、それ以上のことは求められていないのであります。

「荒れ野における試練の日々」、つまりエジプトを出たモーセ率いるイスラエルの一行が、約束の地カナンを目の前にして四〇年間入ることを許されずに、荒れ野で試練のときを送ったとき、神さまは決して約束を破られるような方ではないということは、彼らにはよく分かっていたにもかかわらず、目の前の食べ物は尽き、貧しくておいしくない、一日分のマナだけで生活することに耐えられなくなっていった。

「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」(民数記11・4~6)と泣き叫ぶようになっていった。

モーセさえも弱気になって、こんな目に遭うならば、主よ、むしろわたしを一思いに殺してください、と祈りさえするようになってしまった。猜疑心が猜疑心を煽り立て、罪が罪を上塗りするようになった。それはイスラエルが神の言葉を「聞いたのに背いた」からだ、ということなのであります。それが、神さまに望みを失った者の哀れな姿なのであります。

3章14節に「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです」とあります。

この「最初の確信」、このことが大切なのであります。これは、人間的な決心とか、思い込みの部類には決して属さないことなのであります。

信仰は決して一人では持ちえないと申し上げましたが、教会もまた各個教会では立ちえないのであります。もっと大きなキリストのからだなる教会、しかも歴史的な、初めのキリスト者たちから現代の私ども一人一人に至るまで、一つの幹に連なる枝としてつながっている、そのようなものとして教会は確固として立っているのであります。

その教会の「最初の確信」。それは、ここでは全世界の創造主なる神さまの安息のうちにわたしたち信じる者たちを入れてくださる、というお約束を信じることと結びつけられて語られています。それがキリストにあずかることなのだと。

信仰の継承は、個人的な信念の伝授ではありません。そうではなくて、歴史の中に脈々と伝えられてきた、決して絶望することのない、明るい希望の根拠、「最初の確信」を「最後まで」、つまり、この世界の終わりまで、主イエスの再び来たりたもうその日まで「しっかりと持ち続け」なさい、ということなのであります。

神さまの救いのみわざは真実であり、たしかである、ということを、どんなにそれが目に見えなくとも、それが全く疑わしいほどに困難な状況にあっても信じ続ける、そのような信仰が、今日に至るまで伝えられてきているのだと思います。

伝えられてきたことを、また伝えていく。それがわたしたちキリスト者の使命なのであります。

(1988年7月10日、日本基督教団初芝教会主日礼拝)