2008年1月26日土曜日

前例がないわけでもない

「実践的教義学」の構想について、やや得意げな調子で長々と書いてきました。しかし、前例が全くないと思っているわけではありません。私の関知するかぎりのことですが、現代オランダの、主として実践神学の側に、これまで書いてきたことにかなりの点で似ている例があります。すでに言及したオランダプロテスタント神学大学総長でユトレヒト大学教授であるヘリット・フレデリク・イミンク教授(prof. dr. Gerrit Frederik Immink)の主著『信仰論』(原題In God gelovenを直訳すると『神を信じる』)や、長くアムステルダム自由大学神学部で牧会学を教えてこられ、今は引退しておられるヘルベン・ヘイティンク先生(dr. Gerben Heitink)の主著『実践神学』(Praktische Theologie)などのなかに繰り返し出てくるpraktische-theologische wetenschap (英訳すればPractical-Theological Science)という表現が、それです。強いて日本語に訳すとしたら「実践的・神学的学問」でしょうか。旧来の「実践神学」という語の「実践」と「神学」の間に中黒を入れただけです。しかし、そのような解決法では日本語として何のことかさっぱり分からないこと、またイミンク先生やヘイティンク先生がpraktischeとtheologischeの間に小さなハイフンをつけている意図の深いところを日本語として表現しようとする場合、小さな中黒一つ付けて事足れりとすることで許されるとはどうしても思われないことなど、いくつかの点で不満や心配が残ります。また同じハイフン付きのpraktische-theologische wetenschapという表現にしても、イミンク先生とヘイティンク先生の間でその意図が微妙にあるいは明確に異なっているとも感じられるため、事柄がいっそう複雑化します。イミンク先生がおっしゃる場合のpraktische-theologische wetenschap(実践的・神学的学問)は、私の思い描く「実践的教義学」(Practical Dogmatics)のイメージに非常に近いものです。かたや、ヘイティンク先生の場合のそれは、むしろ「神学的行動理論」(Theological Action Theory)というべきものです。この違いは、同じ実践神学者とはいえ、イミンク先生が主に「説教学者」であるのに対して、ヘイティンク先生のほうは主に「牧会学者」ないし「牧会心理学者」であるという差異から生じているものかもしれません。イミンク先生の『信仰論』もヘイティンク先生の『実践神学』もいわゆる「実践神学概論ないし基礎論」の教科書として書かれたものですが、前者(イミンク)の論述のかなりのスペースが聖書的・教義学的裏付けのために割かれているのに対して、後者(ヘイティンク)の論述においては、教会史や神学史や哲学史を含む思想史的裏付けのために割かれています。しかし、以上の例は、前述のとおり実践神学側に見られるものです。それでは教義学側ではどうか。真に「実践的」(praktisch)であることを徹底的に追求している教義学(dogmatiek)の前例があるでしょうか。私はそのような例を寡聞にして知りません。「実践的教義学」とは、いわゆる「信徒向けの実用的で分かりやすい教理入門書」のことではありません。そのような入門的な書物には価値がないと言っているわけではなく(それは全くの誤読です)、「実践的教義学」の意図はそのようなものではないと言っているのです。それではそれは何なのか。ここまで書いたことでお分かりいただけそうなことは、私の「実践的教義学」の構想には、現代オランダの最も代表的な実践神学者たちが続けてこられた血の滲むような努力に対する、教義学側からの真摯なレスポンスとしての意図がある、ということです。