2013年9月5日木曜日

「新しい酒は新しい革袋に」(新世紀の教会は新世紀の牧師に)

「失われた20年」が「30年」にも「40年」にもなるかもしれない昨今、

「就職先がない」ことを理由に牧師をめざすというのは、ありだと思う。

「召命」というのは、しばしば消去法の形をとりますよ。

それ否定できる人いないんじゃない?

それに、ぼくが言ってもナンの(こぶしが入った「ナン~ンの」)説得力も無いけど、

牧師はやりがいのある職業だと言いたい。

「あれは職業ではない」とか「仕事ではない」とかいう言いがかりは無視無視。

あ、ですが、

「牧師のいない教会が多いから」牧師をめざす、というのは、どうだろ。

論理的に間違ってはいないけど、

自分自身の将来を表現することばとしては、相当引っかかるものがあると、ぼくには思えます。

教会は統廃合があるし、するし、してきたし、せねばならない。

教団・教派にも統廃合があるし、するし、してきたし、せねばならない。

あと10年以内くらいに

教会・教界に大きな動きがあればいいし、なければならないと思うけど、

ぼくはヘタレだから、遠巻きに見ているだけでしょうね。

20年後には、ほぼ引退ですしね。

ぼくの「老人化計画」は着々と進んでいます。死滅化かな、ま、なんでもいいや。

いまから20年後くらいに今のぼくくらいになる人たちに期待してますよ。

1980年代生まれとか、90年代生まれの人とかです。

21世紀生まれになれば大歓迎。「新世紀の牧師」にふさわしいですよ。

それくらいの人たちに、ぼくは自分の持っているものを手渡したいです。

それ以上のご年配の方々は、もう自分でがんばりましょう。

そうとしか、ぼくには言いようがないです。