「失われた20年」が「30年」にも「40年」にもなるかもしれない昨今、
「就職先がない」ことを理由に牧師をめざすというのは、ありだと思う。
「召命」というのは、しばしば消去法の形をとりますよ。
それ否定できる人いないんじゃない?
それに、ぼくが言ってもナンの(こぶしが入った「ナン~ンの」)説得力も無いけど、
牧師はやりがいのある職業だと言いたい。
「あれは職業ではない」とか「仕事ではない」とかいう言いがかりは無視無視。
あ、ですが、
「牧師のいない教会が多いから」牧師をめざす、というのは、どうだろ。
論理的に間違ってはいないけど、
自分自身の将来を表現することばとしては、相当引っかかるものがあると、ぼくには思えます。
教会は統廃合があるし、するし、してきたし、せねばならない。
教団・教派にも統廃合があるし、するし、してきたし、せねばならない。
あと10年以内くらいに
教会・教界に大きな動きがあればいいし、なければならないと思うけど、
ぼくはヘタレだから、遠巻きに見ているだけでしょうね。
20年後には、ほぼ引退ですしね。
ぼくの「老人化計画」は着々と進んでいます。死滅化かな、ま、なんでもいいや。
いまから20年後くらいに今のぼくくらいになる人たちに期待してますよ。
1980年代生まれとか、90年代生まれの人とかです。
21世紀生まれになれば大歓迎。「新世紀の牧師」にふさわしいですよ。
それくらいの人たちに、ぼくは自分の持っているものを手渡したいです。
それ以上のご年配の方々は、もう自分でがんばりましょう。
そうとしか、ぼくには言いようがないです。