2013年9月5日木曜日

「就活」の選択肢に「牧師」も加えてほしいという趣旨でした

ぼくの論調に汚らわしいもの(?)を感じる向きもあるかもしれません。

例によって「それは人間的な考えだ!」と罵倒されるかもしれない。

「そうだよ、ぼく人間だもん」とか答えると、ますます腹を立てる人たちもいる。

だけどね、

「召命」とかって、あんまりブリリアントにキラキラ輝いてなくてもいいと思うんです。

そういう部分だけ神秘のベールに包んで。

キツメにいえば、自分を大きく見せようとしているだけ。

それを日本語では、やっぱり「ハッタリ」と言うんだと思います。

いかがわしいと言わざるをえませんね。

あ、でも、もちろんね、

言いたくない過去をほじくり出して言わなくちゃならないとか、

わざわざ偽悪者ぶるとかみたいな芝居がかったのも、アウトですからね。

昔からぼくの周りに常に一定数いましたよ。

キラキラ系の召命バナシをする人たちにコンプ抱いている人たち。

キラキラ系の代表者は、パウロとアウグスティヌスですかね。

あんなふうに「ドラマ仕立て」で、「180度の転換」で、

「昔は極悪人だったアピールつき」でなければ「召命」じゃない、みたいなハナシに

ドン引きしてる人たち、けっこういました。

ぼくが「牧師」とか「教会」とか書いている意味は、

暗黙の裡ながら、日本キリスト改革派教会の(教会規程が定義している)意味で用いていますので、

他の教団・教派のケースとは必ずしも一致しないかもしれません。

そして、ぼく自身は昔ながらの「牧師」と「教会」に永続的な存在意義を見出している人間ですので、

「自給開拓伝道」の可能性を全く否定するものではありませんが、

それは(日本キリスト改革派教会で「宣教教師」と区別される)「牧師」の本来のあり方ではないと考えています。

そして、ぼくが最初に書いたことの趣旨は一つです。

「若い教師たちに牧師の仕事を明け渡せ」の一つです。

「(他に)就職先がある人は牧師になるな」の一つです。

「自給開拓を思い詰めなくても、安心して牧師になれる道を切り開け」の一つです。

「専業牧師の需要が低下しているとか言い出すなら、教会はその考え方を根本から変えろ」の一つです。

それはまた、次世代の「就活」の選択肢の中に「牧師」も加えてほしい、という趣旨でもあります。

人気のある職種はどんどん無くなり、最後の最後に「牧師」が残ったら、

観念して牧師になる気になってくれる子たちがいればいいのだが、という

地引き網(?)のようなことを考えていました。

最初は「メンタルヘルス、コミュニティ関連サービス」という感じかなあと予想して始めてみたら、

とんでもなかった。

「特定宗教組織の職員」だったと分かり、

さらにヒブル語、ギリシア語、ラテン語はじめ英語、ドイツ語などなどを詰め込まれ、

ドンドカドンドカ本を読まされ、

毎週毎週、長文の作文を書きおろさなければならない仕事だと分かる、という。

そういうワナにかかってくれる若者、いないかなあという話です。

お騒がせしました。