2013年9月19日木曜日

ほぼ最初の日から「ほとんど日本キリスト改革派教会の教師」でした


1990年4月、東京神学大学大学院を卒業して

補教師として赴任した日本基督教団南国教会(高知県南国市)の

当時「主任牧師」であった鈴木實先生のご夫人が、

初めてお目にかかった日に

「父が書いた本です」と言いながらプレゼントしてくださったのが、

岡田稔著『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)でした。

鈴木先生のご夫人の純さんは、岡田稔先生のご長女でした。

『改革派教理学教本』は粗削りであると思いましたが、武骨さに魅了されました。

岡田稔先生は1992年7月に亡くなられました。

神港教会での葬儀には、鈴木先生ご夫妻と共にぼくも参列しました。

1992年9月から1993年9月までに『岡田稔著作集』全5巻が出版されました。

『岡田稔著作集』もすべて、鈴木先生ご夫妻からのプレゼントです。

こんな感じでしたので、

ぼくは日本基督教団の補教師になったほぼ最初の日から、

心の中は「ほとんど日本キリスト改革派教会の教師」でした。

当時感じたことを偽りなく書きますが、

「姦淫」の罪を犯している気がしてきたので(そのように何度か公言しました)、

1998年6月、日本キリスト改革派教会の教師にしていただきました。

日本基督教団の制度には問題を感じていましたが、人を憎む思いは皆無でした。

神戸改革派神学校には2年次編入し、在学は1年3か月でしたが、卒業しました。

その短い間に、

牧田吉和先生と市川康則先生の「改革派教義学」のすべての講義を聴きました。

卒業論文も書きました。ファン・ルーラーの神学を取り上げました。

その後、東部中会で「厳しい」加入試験を受けて合格しました。

なんら、モグリではありません。

日本キリスト改革派教会に加入して16年目です。

しかし、『改革派教理学教本』と出会った日から数えれば24年目です。

妻と結婚して23年目(これは余談)。

日本キリスト改革派教会加入以来、

「新入り」と自称してモジモジしてきましたが、

ぼくよりも20歳も若い人が教師になりましたので、

もう「新入り」を名乗るのはやめようと思います。

今年度は大会では無役でヒマでしたが、中会では5つの委員会に加えられています。

ぼくはぼくなりに充実した毎日を過ごしております。

ありがとうございます。