2013年9月16日月曜日

「御心のままに」はたのしくたのしくやさしくね


激しく自分から動き回ってつかみとる。

黙って待つことで初めて与えられる。

能動性と受動性。

自慢じゃないですが(自慢かなあ)

両方やりました、ぼくは今まで、ぼくなりに。

結果、どっちがよかったかなあ。

自分でつかみとると言っても、

自己目的性は低いんですけどね、ぼくらの場合は。

自分の十字架に架かりに行くようなものかも。

日本語聖書で伝統的に「御心」と訳されてきたευδοκίαは

英語聖書の伝統ではgood pleasure of Godですよね。

オランダ語聖書でもwelbehagen van Godです。

welがgood、behagenがpleasureと同義ですので。

「良い」+「喜び」=ευδοκία、と長らく理解されてきた。

だけど「御心」という日本語には

goodな雰囲気も、pleasureな弾ける感覚も、ないなあ。

なんか暗ーい感じ。呪術的とさえ言える。

「御心のままに」(・_・)

ぼくも言いますけどね。牧師ですしね、これでもまあ。

でも、呪術的におどろおどろしくは言わない。

「神の良い(good)喜び(pleasure)」に満ち満ちた顔で

「御心のままに」\(^o^)/

と言わなくちゃね。

そういうのウザい、と思われちゃうのかもしれませんけどね。