興味深いことばをツイッターから転載させていただきます。
Kan Kimura @kankimura 14時間
正直、原稿の締め切りに(常に/今も)追われている身としては、そもそも「書く事を前提にせずに勉強する」と言う事は最早想像もできなかったりする。だから院生さんにも「読み手を意識させてあげ」れば良いのだろうけど、修士の学生には実際なかなか自分の研究を「読んで貰う」機会はないからなぁ。
(引用終わり)
ぼくもそうで、さらに勝手に加えれば「話すことを前提にせずに書く」も想像できなかったりします。
話すために書く。書くために勉強する。
勉強のモチベーションが途絶えることは、ぼくに限ってはありえない。
「どこで」「だれに」「何を」話すかが明確だからです。
ですが、それはぼくの話ですが、
そうではない人は多いのかもしれないし、学生さんたちの中に増えているのかもしれない。
ていうか、かく言うぼくも、とても恥ずかしいことに、
15、6年前(30歳を過ぎたころ)までは「文章を書けない人間」でした。
タブラ・ラサを前にしても何にも思い浮かばないし、「てにおは」からしておかしい。
論理を整えて書くことなど想像もつかない人間でした。
変わったのは、インターネットを手に入れてからです。
メールだホムペだブログだを書きはじめて変わりました。
「炎上」も芸の肥やし。
「こういうことを書くとヤバいんじゃね?マズいんじゃね?」も、
いまだにアブナイときはありますが、
それでも少しずつながら、体感的に分かるようになりました。
メールも、ホムペも、ブログも、
雑誌投稿も、紀要論文も、ハードカバー付きの単著も、
「論理的に構成された複数の文字の集合体」であることには変わりない。
メールやブログは意味不明で支離滅裂だけど、単著なら論理明晰で読みやすい文章を書ける、
なんて人がいるなら、会ってみたいです。
話すために書く。書くために勉強する。ぜんぶつながっているんです。
ブログとかFacebookとか、いい訓練になると思うんですけどね。