2013年9月3日火曜日

「支離滅裂なメールを書く人に論理明晰な単著が書けるか」という問題です

興味深いことばをツイッターから転載させていただきます。

Kan Kimura @kankimura 14時間
正直、原稿の締め切りに(常に/今も)追われている身としては、そもそも「書く事を前提にせずに勉強する」と言う事は最早想像もできなかったりする。だから院生さんにも「読み手を意識させてあげ」れば良いのだろうけど、修士の学生には実際なかなか自分の研究を「読んで貰う」機会はないからなぁ。

(引用終わり)

ぼくもそうで、さらに勝手に加えれば「話すことを前提にせずに書く」も想像できなかったりします。

話すために書く。書くために勉強する。

勉強のモチベーションが途絶えることは、ぼくに限ってはありえない。

「どこで」「だれに」「何を」話すかが明確だからです。

ですが、それはぼくの話ですが、

そうではない人は多いのかもしれないし、学生さんたちの中に増えているのかもしれない。

ていうか、かく言うぼくも、とても恥ずかしいことに、

15、6年前(30歳を過ぎたころ)までは「文章を書けない人間」でした。

タブラ・ラサを前にしても何にも思い浮かばないし、「てにおは」からしておかしい。

論理を整えて書くことなど想像もつかない人間でした。

変わったのは、インターネットを手に入れてからです。

メールだホムペだブログだを書きはじめて変わりました。

「炎上」も芸の肥やし。

「こういうことを書くとヤバいんじゃね?マズいんじゃね?」も、

いまだにアブナイときはありますが、

それでも少しずつながら、体感的に分かるようになりました。

メールも、ホムペも、ブログも、

雑誌投稿も、紀要論文も、ハードカバー付きの単著も、

「論理的に構成された複数の文字の集合体」であることには変わりない。

メールやブログは意味不明で支離滅裂だけど、単著なら論理明晰で読みやすい文章を書ける、

なんて人がいるなら、会ってみたいです。

話すために書く。書くために勉強する。ぜんぶつながっているんです。

ブログとかFacebookとか、いい訓練になると思うんですけどね。