2013年9月16日月曜日

神学をもっと学ぶことしかないと思うんですけどね

台風一過の江戸川堤防(2013年9月17日18:30)

牧師の仕事に「説教」があり、

その「説教」が《ある一定の論理》に基づく「ことば」であり、

その「ことば」を長期にわたり聴き続ける「教会」があり、

その「教会」は「人間」であり、

その「人間」は、3回同じ話を聴くと「飽きる」という性質を持ち、

その「飽きる」という性質がかなり普遍的なものである以上、

「説教」が常に更新される必要がある。

その「更新」とは、

プレゼンの方法(話法、姿勢、服装など)と無関係とは言えませんが、

それよりも

《ある一定の論理》のほうに、より多く関係しているものと思われます。

その《ある一定の論理》が、ぼくは「神学」だと言いたいわけなので、

牧師が「神学」を学び続けることを、

「神学オタク」だの、「勉強好き」だの、言われたくはないわけです。

それは「説教の更新」に直接関わることであり、

「飽き飽きする退屈な礼拝」から教会を解放する唯一の道ですから。

ただ、神学も一つの学問である以上、お金かかります。

「自腹の神学」には限界があります。

とっくの昔にその限界にぶち当たり、

ごきぶりホイホイの粘着シートにひっついて先に進めません。モガモガ。

と、ここまで書いて、

「あ、そうか。『自腹の神学』という本を書けば売れるかも」と

アクドイ商売を思いつき、

その次の瞬間に「やっぱダメだ。売れそうにない」と自分で却下する

アクドクナイ牧師でした(ぼくのことです、笑)。