2013年9月17日火曜日

ぼくが「神学」にネットを利用しようと考えた最初の動機はこれでした


これは書いておこうと、いま思いました。

ぼくが「神学」にネットを利用しようと考えた最初の動機です。

あとからとってつけた話ではありません。

それはローマの信徒への手紙の次のことばです。

「五体を義のための道具として神に献げなさい」(6:13)

前から書いているように、ぼくは、

1996年にウィンドウズ3.1機を実兄からもらって「パソコン通信」を始め、

1998年(ウィンドウズ98発売年)に買ったパソコンで「ネット」を始め、

1999年2月からメーリングリスト「ファン・ルーラー研究会」を始めました(複数の友人と共に「始めた」中の一人でした、という意味です、念のため)。

他のグループについて正確なことは分かりませんが、インターネットを利用した「神学研究会」としては、ファン・ルーラー研究会は日本でおそらく最初期のほうではないかと思います。

なぜ「ネット」を利用しようと考えたか。

当時「ネット」は、いかがわしい道具だと、かなり多くの人から見られていたからです。

「出会い系」という言葉はまだ無かったんじゃないかと思いますが、その種のもろもろ。

凶器でもクスリでも何でも手に入る、など。今ほど監視の目が強くなく、実際にそういう危険な取り引きが成り立っていた時期だったとは思います。

そして、匿名掲示板、学校裏サイトなどでの叩き、いじめ。

多くの人からいかがわしい道具だと思われているからこそ、それを利用して「神学研究会」をやろうと考えました。

ネットそのものは罪でも悪でもないはずだ。悪く使うのも人間。だけど、「義のための道具として神に献げる」(ローマ6:13)のも人間だ。そんなことを、その頃、しきりと考えていました。

なので、もしかしたら「ネットで神学がけがれる」と考える人がいるかもしれないとしても、とりあえず放置することにしました。

逆だと思いました。「ネットを神学できよめる」効果を期待しました。

玉石混交のデータの中の「きらぼし」であれたらいいなと願いました。

パソコン作業でお疲れの方々の「箸休め」であれたらとも思いました。

実際には、ネット特有のドンパチ炎上も、なかったわけではありません。

ぼくが原因のときには落ち込みもしました。

しかし、参加者からは、「あのときの刺激的なやりとりが面白かった」と評価してもらえることも少なくありませんでした。

あれから14年。

当事者性を自覚している者の自己評価などは何の当てにもなりませんが、なんとかうまくやってこれたのではないかと自負しています。

めざましい結果などは出せていませんけど。

でもそれは、ぼくだけではないので(と言い逃れておきます)。