2013年9月4日水曜日

「一般社会の常識」を代弁して語る、キミはいったいだれなんだ

ぼくは、面と向かってそんなことを言われることは、あんまりないのですが、

(ぼくの知らないところで、ぼくについて何を言われているかということまでは知らん知らん)、

教会の中で(松戸小金原教会の中で、という意味ではなくて、あくまでも一般論です)

「一般社会では通用しない」ということばを、スゴまれたり、恫喝っぽく言われたりすることが、たまにありますよね。

なかでも、「その口で言うか」と言いたくなるような人の口からその言葉を聞くと、心底がっかりするし、しばらく立ち直れなくなる。

吹けば飛ぶような、踏めば跡形もなく粉砕することが分かっているような、ほんの一握りの信者の集まりが「一般社会の常識」を変えていくことが「伝道」なんじゃないの?と言いたくなるけど、

そういう話はいっさい通用しないもんね、そういうこと言い出す人には。

「反骨精神」とか、そういう話じゃないですよ。マイノリティなんとか、でもないと思う。

「一般社会」にビビりすぎなんじゃないのかなと思うだけです。

なめてはいけないと思ってはいますよ。なめてはいけない。だけど、ビビらんでもいいだろとは思う。

ていうか、「一般社会の常識」を代弁して語る、キミはいったいだれなんだよ、とも言いたいかな。

まあ、たぶん、結局ハッタリなんだよね。大きな声では言えないけど。

教会が「甘い」かどうかは、いろんな判断がありえますけど、うるさいこと言われたら「うるさい」と言えばいいし、できないことを押しつけられたら「できない」と言えばいいじゃん、とかは思います。

甘えた人は教会だけにいるわけじゃないでしょうに。

「教会には甘えた人が多い」とか言われることありますけど、「いやっ、それ言いすぎ」と、ぼくは毎回、内心で思っています。