もうちょっと続けます。
「神学」にネットを利用しはじめた頃の話。
直接的に、面と向かって、強く言われる、というわけでもないのです。
間接的に、なんとなく、そのにおいが伝わってくるのです。
確認すると、それが事実だと分かる、という。
ぼくたちは「神学」に夢中になっているつもりだったのですが、
人の目から見ると「パソコンをいじくっている」としか見えないようで、
関口たちは「パソコン遊び」に夢中であると批判されていたらしい。
間接的に、なんとなく、そのにおいが伝わってくるのですから、
だれがどんなことをおっしゃっていたのかは、いまだに知りません。
知りたいとは思っていませんので、ぼくには何も教えないでくださいね。
まあ、でも、だいたいのことは想像つきます。
嫌悪感を持たれた理由も、ごく最近、ふと気づきました。
原因の少なくとも一端は、たぶん「お医者さん」ですよね?違いますか。
よく愚痴を聞かされるようになったのが、ちょうどその頃です。
「わたしたちは何時間も待たされて、診てもらえるのは1分、2分なのに、
先生(お医者さん)はその間もずっとパソコンの画面しか見ていない。
わたしたちの顔を見てくれなくなった。」
これでパソコン嫌いになったんですよね?違いますか。
そんな中で、
教会の牧師たちまでが「パソコン遊び」を始めたと聞くと、
残念な気持ちになったんですよね?違いますか。
べつに、「パソコンいじくってた」んじゃないんですけどね。
「神学」に夢中だっただけです。
今は、その手の批判は、ほとんど聞かなくなりました。
そういうことをおっしゃっていた(世代の)方々こそが、
いま熱心にパソコン画面を見つめておられますからね。
皮肉で書いているのではありませんよ。
「誤解が解けて良かった」と思っているのです。
これからもお世話になります。よろしくお願いいたします。