2013年9月17日火曜日

あの頃ぼくたちは「神学」に夢中だっただけなんです!

もうちょっと続けます。

「神学」にネットを利用しはじめた頃の話。

直接的に、面と向かって、強く言われる、というわけでもないのです。

間接的に、なんとなく、そのにおいが伝わってくるのです。

確認すると、それが事実だと分かる、という。

ぼくたちは「神学」に夢中になっているつもりだったのですが、

人の目から見ると「パソコンをいじくっている」としか見えないようで、

関口たちは「パソコン遊び」に夢中であると批判されていたらしい。

間接的に、なんとなく、そのにおいが伝わってくるのですから、

だれがどんなことをおっしゃっていたのかは、いまだに知りません。

知りたいとは思っていませんので、ぼくには何も教えないでくださいね。

まあ、でも、だいたいのことは想像つきます。

嫌悪感を持たれた理由も、ごく最近、ふと気づきました。

原因の少なくとも一端は、たぶん「お医者さん」ですよね?違いますか。

よく愚痴を聞かされるようになったのが、ちょうどその頃です。

「わたしたちは何時間も待たされて、診てもらえるのは1分、2分なのに、

 先生(お医者さん)はその間もずっとパソコンの画面しか見ていない。

 わたしたちの顔を見てくれなくなった。」

これでパソコン嫌いになったんですよね?違いますか。

そんな中で、

教会の牧師たちまでが「パソコン遊び」を始めたと聞くと、

残念な気持ちになったんですよね?違いますか。

べつに、「パソコンいじくってた」んじゃないんですけどね。

「神学」に夢中だっただけです。

今は、その手の批判は、ほとんど聞かなくなりました。

そういうことをおっしゃっていた(世代の)方々こそが、

いま熱心にパソコン画面を見つめておられますからね。

皮肉で書いているのではありませんよ。

「誤解が解けて良かった」と思っているのです。

これからもお世話になります。よろしくお願いいたします。