ルカによる福音書2章1~21節
関口 康
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」
いまお読みしました聖書の箇所に記されていますのは、わたしたちの救い主イエス・キリストがお生まれになったときに起こった出来事です。そのときどんなことが起こったのでしょうか。ここに書かれているのは、大きく分ければ、二つの場所で起こった二つの出来事です。
第一は、イエス・キリストを身ごもった母マリアと夫ヨセフの身に起こった出来事です。
第二は、ヨセフとマリアがいたのとは全く別の場所にいたベツレヘムの羊飼いたちに起こった出来事です。
第一の出来事のほうから見ていきます。ここに描かれているのは、イエス・キリストを身ごもったマリアと夫ヨセフの二人が皇帝アウグストゥスの命令に従って住民登録をするために遠い町まで旅をすることになったという話です。
皇帝アウグストゥスはローマ帝国の最高権力者でした。ヨセフとマリアが暮らしていたユダヤの国はこの当時ローマ帝国の支配下にある属国でしたので、皇帝アウグストゥスの命令は絶対に守らなければならない関係にありました。そのため、皇帝の命令とあらば子どもを身ごもって危険な状態にある女性まで、たとえつらい長旅になろうともその命令に従わなければなりませんでした。
実際、その旅は本当につらいものとなりました。だれでもそうだと思いますが、子どもを身ごもった女性が旅の途中で子どもを産むことになることがうれしいはずはありません。子どもを産んだことがある方にはこの状況がどのようなものであるかをご理解いただけるでしょう。
出産とは激しい痛みがあり、たくさん血が流れ出す恐ろしい場面です。できるだけ安心できる場所で子どもを産みたいと願う人がいるのは当然です。旅の途中で、知らない人たちばかりいる場所で出産したい人などいるはずがありません。
そのような嫌なことを彼らがしなければならなかったのは、ローマ皇帝アウグストゥスの命令に絶対に従わなければならなかったユダヤの人々のかわいそうな状況があったからです。彼らは当時の政治家や軍隊や法律の犠牲になったのです。
そのような中でキリストはお生まれになりました。次のように記されています。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」。
これでお分かりいただけるのは、イエス・キリストがお生まれになった場所は人間の住むところではなかったということです。最初に寝かされた場所は、飼い葉桶でした。それは家畜小屋の餌置き場であり、臭いにおいが漂う不潔な場所でした。
しかし、忘れられてはならないのは、彼らには神を信じる信仰があったということです。また、聖書によると、マリアが身ごもっている子どもは「神の子」であり、「救い主」であるという信仰が、マリア自身にもヨセフにもすでにありました。そのことがルカによる福音書1章を読むと分かります。彼らは信仰を全く持っていない状態でつらい目に遭っているわけではありません。
彼らには信仰がありました。だからこそ、どれほどつらい目にあっても、この子どもを産まなければならないと信じていたでしょうし、その信仰があったからこそ、つらい状況を耐えることができたのでしょう。そのようにわたしたちは信じることができます。
しかし、たとえそうであっても、やはりどうしても私が考え込んでしまうのは、彼らが旅の途中に子どもを産まなくてはならない状況に追い込まれてしまったこと自体は、はたして幸せなことだったのか、それとも不幸せなことだったのかということです。
幸せなことだったはずはありません。もっと普通の場所で、あるいはもっと安全な場所で、子どもを産みたいに決まっているではありませんか。
ローマ皇帝アウグストゥスの命令さえなければ、ユダヤの国がローマ帝国の属国でさえなければ、全国民の住民登録をしなければならないという法律さえなければ、危険な目に遭うことはなかったのにと、彼らが当時の政治家や軍隊や法律を恨む気持ちを持ったとしても当然だと思います。
次に見ていきたいのは、同じ日の、別の場所で起こった、第二の出来事です。ベツレヘムの羊飼いたちが野宿をしながら、星空の下で夜通し羊の群れの番をしていました。そのとき彼らの前に現れたのは「天使」であったと記されています。「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」と書かれているとおりです。
ここで私が言いたいのは、最初にご説明した第一の出来事を描いているときと、これからお話ししようとしている第二の出来事を描いているときとで、この書物の著者の語調が変わっているということです。雰囲気がすっかり、がらっと変わっています。
はっきり分かるのは、第一の出来事について記されている段落には「神」も「救い」も「天使」も出てこないということです。
その代わりに登場するのは、「皇帝アウグストゥス」とか「キリニウス」といった政治家たちの名前であり、「勅令」とか「住民登録」といった法律用語です。あるいはまた「シリア州」とか「ナザレ」とか「ベツレヘム」といった地名であり、生まれたばかりの子どもを「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」とか「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」という悲惨な現実の描写です。
ところが、第二の出来事に描かれていることは、それとは全く違います。ここには「天使」(?!)が登場します。「主の栄光」(?!)が周りを照らします。そして天使が羊飼いに「大きな喜び」(?!)を告げます。そして「天の大軍」(?!)が加わって神を賛美する大合唱(?!)が始まります。
天使の言葉は次のとおりです。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝かしている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。
この天使の言葉の中に出てくるのは「大きな喜び」であり、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」ことであり、その方が「主メシア」であるということです。また、その生まれたばかりの子どもが「布にくるまって飼い葉桶の中に」いることは、人類の不幸や苦しみ、あるいは悲惨や嘆きのしるしではなく、あなたがたのために救い主がお生まれになったことを教える喜びのしるしであるということが明らかにされています。
先ほど私は「語調が変わっている」と申しました。第一の出来事と第二の出来事とは雰囲気や明るさが全く違います。その意味は、第一の出来事を描いている段落には全く出てこない「神」や「天使」や「救い」や「救い主」や「喜び」という言葉が、第二の出来事を描いている段落に至って全面的に登場します。
第一の出来事について書かれていることは、ただひたすら暗い。人間の現実とはいかに悲惨で、重苦しくて、嫌なものであるかが赤裸々に描かれています。
しかし、第二の出来事について書かれていることの中心は「天使」(?!)の話です。暗い新聞記事を読んだあとに夢見心地の本を読み始めたような気分になります。
しかし確認しておきたいのは、二つの場所で起こった二つの出来事は、同じ日の同じ夜の、そして同じひとりの救い主の誕生を描いているという点では、全く同じ一つの出来事であると考えることもできるということです。
それはいわば、一つのコインを表から見、その次に裏から見るというのと同じことだと考えることができます。解釈の違いであると言われれば、そのとおりかもしれません。
私がいま考えていることをオブラートに包む必要はないでしょう。今のわたしたちが置かれている状況を考えています。
今年は特別に悲しむべき出来事が起こりました。大震災、原子力発電所事故、そこから派生する多くの問題が一気に噴出しました。
わたしたちはいま、絶望していてもおかしくないほどの状況の中にいます。生まれたばかりの子どもを、飼い葉桶どころか、何もないところに寝かさなければならない人がいる。家族を、家を、財産を失った人々が大勢いる。悲惨な現実を数えればきりがない。
しかし、厳しい言い方かもしれませんが、それは事柄のひとつの面です。わたしたちは絶望の数だけを数えるようであってはなりません。全く同じ出来事を、絶望の面からだけでなく、もう一つの面から見直す必要があります。
物事には「神」や「天使」や「救い」や「救い主」、そして「喜び」の面が必ずあります。そして、わたしたちは、物事の二つの面(喜びの面と悲しみの面)の関係はどのようになっているのかを、マリアのように「思い巡らす」必要があります。
「神」だの「天使」だの「救い」だの、そんなものを信じられるものかと拒否しないでください。むしろ、信じてください。信仰をもって世界を見つめ直すとき、世界が少し違ったものに見え始めるでしょう。
世界には、まだ希望はあるし、喜びもあります。わたしたちは、生きてもよいし、生きることができるし、生きなければならないのです。
(2011年12月18日、クリスマス礼拝)
2011年10月23日日曜日
すべての点ですべての人を喜ばせるように
コリントの信徒への手紙一10・23~11・1
「『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことが益になるわけではない。『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。『地とそこに満ちているものは、主のもの』だからです。あなたがたが、信仰を持っていない人から招待され、それに応じる場合、自分の前に出されるものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。しかし、もしだれかがあなたがたに、『これは偶像に供えられた肉です』と言うなら、その人のため、また、良心のために食べてはいけません。わたしがこの場合、『良心』と言うのは、自分の良心ではなく、そのように言う他人の良心のことです。どうしてわたしの自由が、他人の良心によって左右されることがありましょう。わたしが感謝して食べているのに、そのわたしが感謝しているものについて、なぜ悪口を言われるわけがあるのです。だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の利益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」
今日お読みしました個所に記されていることは、8章から続いてきた「真の神を信じる者たちは偶像に供えられた肉を食べてもよいか」という問いに対するパウロの答えです。結論的なことが今日の個所にまとめられています。
しかし、パウロが出した結論とはどういうものであるかといえば、非常に複雑なものです。「食べてもよいが、しかし、食べてはいけない」。もう何を言っているのか分からない、支離滅裂だと言われても仕方ないような結論です。要するにどっちなんだと問い詰めたくなります。曖昧で、煮え切らない、優柔不断な答え方であると、そうであることを認めざるをえない感じです。
しかし、私自身は、パウロの出した結論に、非常に深く共感し、同意する者です。先週の特別集会の前の週に学んだ個所で「それでも決断は必要である」と語ったばかりです。しかし、わたしたちが現実の場面で下す決断は、実際にはすっきりしたものではないし、あっさりしたものでもないのです。そのようにも言わなくてはなりません。
なぜわたしたちが現実の場面で下す決断が、すっきりしたものでも、あっさりしたものでもないのか、その理由ははっきりしていると思います。それは単純な話です。わたしたちが日々の生活の中で共に生きている仲間は、真の神を信じて生きているキリスト者だけではないということです。
わたしたちの周りにはキリスト者である人もいますが、キリスト者でない人も必ずいます。それは牧師たちも同じです。牧師たちは、教会の人とだけ付き合っているわけではなく、教会以外の人とも必ず付き合っています。かなり厳しい言い方かもしれませんが、信仰を持っていない人とは一切つき合わないと言う牧師がいるとしたら、伝道する気が無い人だと言われても仕方がありません。教会の中だけに引きこもっていて、社会の人々と一切付き合わない牧師は、伝道の仕事を放棄している職務怠慢の罪を犯していると言われても仕方がありません。
もちろん伝道とはまだ信仰を持っていない人々に信仰を持ってもらうように勧め、決断してもらうことです。しかし、その場合に重要なことは、まずは、まだ信仰を持っていない人々との付き合いを始めることです。その人々との接点を得ることです。接点も無い人々に向かって、どうしたら信仰を宣べ伝えることができるのでしょうか。一度も話したこともない、顔を見たこともない、そのような相手との間に、どうしたらコミュニケーションが成立するのでしょうか。それはありえないことです。それとも、わたしたちは、そこに誰もいない空中に向かって説教するのでしょうか。それは空しいことです。
そして、わたしたちがよく知っているもう一つの事実は、だれ一人として、生まれながらに信仰を持っている人はいないということです。信仰は、親から子へ、子から孫へと、血を通して、自動的に遺伝するものではありません。我々自身の言葉と態度を通して、汗と涙を流しながら懸命に伝えなければ決して伝わらないものです。ですから、わたしたちにできる伝道とは、まだ信仰を持っていない人々とまずは知り合いになること、まずは付き合いを始めること、まずは接点を得ることです。それ以外に伝道の可能性はありえないのです。
いま私が申し上げていることをご理解いただけるのであれば、これから申し上げることも、きっとご理解いただけるに違いありません。これから申し上げることは、もしかしたら信仰的確信をもって生きる者たちの心を乱すことになるかもしれません。しかし、そのことを私はパウロから学んできたつもりです。それはこういうことです。もしわたしたちに伝道する気があるならば、わたしたち自身の信仰的確信に基づく言葉や行いをかなりの部分で我慢したり、譲歩したりしなくてはならない面が必ず出てくるということです。それをもし「妥協」という言葉で説明するのを許していただけるなら、わたしたちの信仰生活は、日々妥協の連続であると言わなくてはならない面があるということです。
今日の個所の冒頭にパウロが書いている「すべてのことが許されている」というのは、わたしたちキリスト者の信仰的確信です。わたしたちは真の神を信じる信仰によって、あらゆる迷信や偶像礼拝やタブーから解放されています。何を食べると呪われるとか、どちらの方角に頭を向けて寝ると祟られるとか、どこに入ると汚れるとか、そのようなことは全く起こらないし、ありえません。それは、信仰を持っている人だけがそうだということではなく、信仰を持っていない人も同じです。食べ物の呪いとか方角の祟りとか場所の汚れとか、そのようなものはそもそも存在しないのですから、それが起こるかどうかは、信仰を持っているかどうかに関係ないのです。はっきり言えば、そういうことがあると思い込んでいる人たちは、だれかに騙されているとしか言いようがないのです。
しかし、わたしたちが知っている事実は、次のようなことです。わたしたちが自分の信仰的確信に基づいて、このようなことをいくら語っても、訴えても、全く耳を傾けてくれない人がいるということです。取りつく島が無い人がいるのです。
しかし、それでは、わたしたちはそのような人たちにはもう何もできないのでしょうか。取りつく島が無いのだから、放っておくか距離を置くかしか選択肢はないのでしょうか。ある意味でそのとおりと言わざるをえない面もあります。そのことも事実です。しかし、放っておくことも距離を置くこともできない人がわたしたちの周りには必ずいるということも事実です。それはたとえば家族です。あるいは親しい友人です。わたしたちの人生の中には、「もうこの人とは付き合わない」と言ってしまえば、その後の関係を断ち切ることができるという相手も、いると言えば確かにいます。しかし、みんながみんなそうではありません。たとえ信仰が違い、立場が違うとしても、死ぬまで付き合わなければならない相手も、わたしたちには必ずいるのです。死ぬまで付き合うと言っても、いろんなレベルがあることも事実です。家族ならば、あるいは親しい友人ならば、「付き合う」どころか「愛する」ことが求められているのです。
今日私は二つくらいのことを言っています。第一に言っていることは、伝道とは、まだ神を信じていない人々との付き合いを始めることなしにはありえないということです。第二に言っていることは、神を信じて生きる者たちもまた、まだ神を信じていない人々と付き合うことを避けて通ることができないということです。「付き合うことを避けて通ることができない」どころか、その人々をわたしたちは「愛さなければならない」ということです。
そして、もしそうであるならば、わたしたちの信仰生活は同じ信仰をもって生きている人たちだけが集まって営むものではなく、異なる信仰や宗教や思想を持って生きている人々の中に混ざりながら営むものであるということは明白です。信仰を持たない人々を憎んで、呪って、切って捨てて、軽蔑しながら生きることが、わたしたちの信仰生活ではない。すべて正反対である。このように言わなくてはならないのです。
しかし、私は今日、まだ言っていないことがあります。それは本当は、真っ先に言わなければならないことだったかもしれませんが、あえて後回しにしました。それは、わたしたちは、いろんな信仰や宗教や思想を持って生きている人が複雑怪奇に入り乱れた世界の中にいながら、それでも真の神を信じる信仰を貫いていくことが必要であるし、そうすることが可能であるということです。
それは可能なのです。できます。それは不可能だと言っているのではありません。わたしたちに、それはできることです。ただし、そのときわたしたちのとるべき態度は、パウロが言っているとおりです。「食べてもよいが、しかし、食べてはいけない」。こういう話になっていきます。
どういうことでしょうか。これから申し上げることは、誤解を生むような言葉かもしれませんが、事柄をはっきりさせるために、あえて言います。それは、わたしたちが自分一人でいるときと、あるいは同じ信仰を共有している信仰の仲間たちだけで集まっているときと、そうではない、異なる信仰や宗教や価値観や思想の持ち主たちと一緒にいるときとで、わたしたちの言葉や態度を変えることは許されるということです。はっきりいえば、わたしたちは、教会の中にいるときと、教会の外なる社会にいるときとで、言葉や態度において完璧な首尾一貫性をもっていないことがありうるし、そのような使い分けをすることが許されているのです。
もっとはっきり言っておきましょうか。わたしたちには、表の顔と裏の顔があってもよいし、二つの顔を使い分けてもよいということです。わたしたちが自分の生き方の首尾一貫性を追求することは、わたしたち自身の利益です。しかし、それを追求しすぎることによって、他人の利益を損なうことがありうるのです。わたしたちの信仰的確信やキリスト者としての生き方の首尾一貫性という点を重んじすぎて、教会の外側にいる人たちを傷つけるようなことがあるならば、伝道にとってはマイナスでしかないのです。
「わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばせようとしているのですから」(33節)とパウロが書いているときの「すべての人」の中には、キリスト者である人だけでなく、キリスト者でない人も含まれています。そしてわたしたちの伝道はわたしたち自身の自己満足のために行うのではありません。信仰をもって生きることはこれほどまでに自由で喜びに満ちた人生であるということを、そのことをまだ体験していない人々に、何とかして分かっていただき、その人々と共に喜びの人生を始めること、それが伝道なのです。
(2011年10月23日、松戸小金原教会主日礼拝)
2011年10月22日土曜日
「地域防災拠点運営委員会」発足
2011年9月16日金曜日
放課後の蜃気楼
ズズタト、ズズタト、タカトントン、タカトントン、トカタカトン、ジャーン!
ドラムの練習中だ。もじゃもじゃ頭の秋保くんが叩いてる。学業成績抜群、明るい性格、友達多数。
ギュワーン。おっと、次はギターだな。長ぼそい顔の三井くん。三井くんの家には正門と裏門がある。正門から玄関まで徒歩二分はかかるお屋敷だ。
キーン。おいおい、マイク、ハウってるよ。ボーカルは道明くん。お父さんは長身の商社マン。道明くんはみんなのアイドル。滑舌が若干悪いが、気にしない、気にしない。
ブベン、ブベン。ベースは坂本くん。ルックスはかなり地味だが、練習熱心。チョッパー系をベロベロベロリンとかできちゃう。
まだ聞こえないのはキーボードだ。小柄な女の子、ミーコ。今日は来てないのかな。
バンド名はまだ無い。募集中。泣く子も黙るロック系なので、「死神エースキラーGTR」とか「マッドビーナス25(トゥエンティファイブ)」とか、やたら強そうなのを考えてるらしい。
おー、いまごろミーコが走ってきた。は、は、は。息切らしてる。遅刻だね。でも大丈夫だよ、まだ彼らイラついてなさそうだし。
蜃気楼がゆらめく灼熱の校庭に響き渡る、魅惑のロックンロール、はじまり、はじまりー。
と思ったけど、あれ?部室から聞こえるのは泣き声。ミーコだ。どうした?
「なにやってんの?」とか三井くんの声が聞こえる。どうやら、ミーコがとんでもない忘れ物をしたらしい。なにやってんだ、ミーコは。
あ、泣き声が止まった。で、またキーンだ。だからマイク、ハウってるって、道明くん!
おー、やっと始まった。ドラムロール。道明くんのシャウト。「アウ!」とか言ってる、あはは。愛されるキャラだよ、あいつ。三井のギターも冴えてるなあ。昨日は、夜遅くまで麻雀やってたはずだが。
一時間たっぷり練習した彼ら。おんぼろの扇風機だけで、よくがんばってるよ。ライブの本番、近いもんなあ。えらいよ。
広い校庭には、野球部とラグビー部と陸上部の子たちがひしめき合っている。ま、棲み分けはいちおう成り立っているけど、危ないぜ、いつホームラン軌道の硬球が、陸上部の子の頭蓋骨を直撃するか分からんね。
お、ミーコが部室から飛び出してきた。ぷぷぷ、また走ってるよ。どこに行くんだろ。もう家に帰るのかな。ま、いいか。でも、かわいいなあ。
え、ぼく?
ただ見てるだけー。聞いてるだけー。ぼーっとね。図書室じゃないよ。教室でもない。暑くて死にそうな校庭のベンチに一人で座ってんの。蜃気楼が面白くてね。
だって、こんな時間、今だけだぜ、たぶん、と思うもの。大学とか入ったら、みんなバラバラだしね。
また会えるのかな。
ドラムの練習中だ。もじゃもじゃ頭の秋保くんが叩いてる。学業成績抜群、明るい性格、友達多数。
ギュワーン。おっと、次はギターだな。長ぼそい顔の三井くん。三井くんの家には正門と裏門がある。正門から玄関まで徒歩二分はかかるお屋敷だ。
キーン。おいおい、マイク、ハウってるよ。ボーカルは道明くん。お父さんは長身の商社マン。道明くんはみんなのアイドル。滑舌が若干悪いが、気にしない、気にしない。
ブベン、ブベン。ベースは坂本くん。ルックスはかなり地味だが、練習熱心。チョッパー系をベロベロベロリンとかできちゃう。
まだ聞こえないのはキーボードだ。小柄な女の子、ミーコ。今日は来てないのかな。
バンド名はまだ無い。募集中。泣く子も黙るロック系なので、「死神エースキラーGTR」とか「マッドビーナス25(トゥエンティファイブ)」とか、やたら強そうなのを考えてるらしい。
おー、いまごろミーコが走ってきた。は、は、は。息切らしてる。遅刻だね。でも大丈夫だよ、まだ彼らイラついてなさそうだし。
蜃気楼がゆらめく灼熱の校庭に響き渡る、魅惑のロックンロール、はじまり、はじまりー。
と思ったけど、あれ?部室から聞こえるのは泣き声。ミーコだ。どうした?
「なにやってんの?」とか三井くんの声が聞こえる。どうやら、ミーコがとんでもない忘れ物をしたらしい。なにやってんだ、ミーコは。
あ、泣き声が止まった。で、またキーンだ。だからマイク、ハウってるって、道明くん!
おー、やっと始まった。ドラムロール。道明くんのシャウト。「アウ!」とか言ってる、あはは。愛されるキャラだよ、あいつ。三井のギターも冴えてるなあ。昨日は、夜遅くまで麻雀やってたはずだが。
一時間たっぷり練習した彼ら。おんぼろの扇風機だけで、よくがんばってるよ。ライブの本番、近いもんなあ。えらいよ。
広い校庭には、野球部とラグビー部と陸上部の子たちがひしめき合っている。ま、棲み分けはいちおう成り立っているけど、危ないぜ、いつホームラン軌道の硬球が、陸上部の子の頭蓋骨を直撃するか分からんね。
お、ミーコが部室から飛び出してきた。ぷぷぷ、また走ってるよ。どこに行くんだろ。もう家に帰るのかな。ま、いいか。でも、かわいいなあ。
え、ぼく?
ただ見てるだけー。聞いてるだけー。ぼーっとね。図書室じゃないよ。教室でもない。暑くて死にそうな校庭のベンチに一人で座ってんの。蜃気楼が面白くてね。
だって、こんな時間、今だけだぜ、たぶん、と思うもの。大学とか入ったら、みんなバラバラだしね。
また会えるのかな。
2011年9月14日水曜日
神学者たちへの(かなり屈折した)エール
今まさに、神学を恥じる小児病のようなものにかかっているところかもしれません。「神学では食えない」と痛感するから。しかし、それじゃあ何ならば食えるのかとか、哲学なんかもっと食えないじゃんとか、そもそも物書きで食えると思っている妄想こそどうよとか考えはじめると、その小児病が少しは解けて我に返れるものがあるんですけどね。
それはともかく、神学の再構築には大賛成です。既存の本に唾を吐きかけ、「こんなもの」と罵倒する態度をもってではなく、また我々は本だけ読んで(神学的に)生きているわけではないのだから、既存の本がもたらした教会的実践的諸帰結や諸現象のほうにも目を向けて、いわばそこから「帰納的にも」神学を再構築していくことに賛成です。
あとは神学部や神学校というフレームワークというかゲシュタルトというか、まあインスティチュートで良いと思うのですが、そういうものは、「必要悪」とまでは言いませんが、どんなに欠陥や問題点が多いとしても、不可避的だし、要りますねえと思います。
それは、「ファン・ルーラー研究会」というインターネット上の(ただの)メーリングリスト(にすぎないグループ)を12年半ほど続けてきて思うことです。神学部、神学校を(少なくとも直接的な意味で)背景にもっていないグループがいかに無視され、軽んじられるかを12年半ほど痛みをもって感じ続けてくると、もうね、少しくらいは面の皮が厚くなりますよ。
カネのために神学をするんじゃない。それは声を大にして言いたいですよ。でも、「神学では食えない」と失意のうちに神学を断念する人の多くは、神学部や神学校という枠の中に入れてもらえない個人プレーヤーです。ネットに何千万字の文章を書いても、一円にも換金されない。「学校」という枠の中にいる人々ならば、カビの生えた講義ノートを毎年引っ張り出して読み上げるだけでも、地位も名誉も、ある程度の財産までも保障される。
月並みな言い方ですが、一人のイチローの陰に、失意のうちにプロ野球の道を断念した何千、何万のプレーヤーがいる。神学部、神学校の教授たちも然りですよね。なりうる人、なった人には、やっかみも集まりやすいけど、がんばってほしいなあと思います。
既存の神学部、神学校に不満を抱く人々の中に新しい学校を作りたがる人がいますけど、そういうのを見ると虚しさを感じるばかりです。既存のものを作り変えましょう。ただし、自分の生きている間にできそうなことまでしか約束できない。「三百年後に実現いたします」とか言う詐欺商法はやめる。今ある神学部、神学校を二十年、三十年くらいの単位のスパンで小改革していく。そのために教会が全力を尽くして応援する。そういうやり方を私は好みます。
それはともかく、神学の再構築には大賛成です。既存の本に唾を吐きかけ、「こんなもの」と罵倒する態度をもってではなく、また我々は本だけ読んで(神学的に)生きているわけではないのだから、既存の本がもたらした教会的実践的諸帰結や諸現象のほうにも目を向けて、いわばそこから「帰納的にも」神学を再構築していくことに賛成です。
あとは神学部や神学校というフレームワークというかゲシュタルトというか、まあインスティチュートで良いと思うのですが、そういうものは、「必要悪」とまでは言いませんが、どんなに欠陥や問題点が多いとしても、不可避的だし、要りますねえと思います。
それは、「ファン・ルーラー研究会」というインターネット上の(ただの)メーリングリスト(にすぎないグループ)を12年半ほど続けてきて思うことです。神学部、神学校を(少なくとも直接的な意味で)背景にもっていないグループがいかに無視され、軽んじられるかを12年半ほど痛みをもって感じ続けてくると、もうね、少しくらいは面の皮が厚くなりますよ。
カネのために神学をするんじゃない。それは声を大にして言いたいですよ。でも、「神学では食えない」と失意のうちに神学を断念する人の多くは、神学部や神学校という枠の中に入れてもらえない個人プレーヤーです。ネットに何千万字の文章を書いても、一円にも換金されない。「学校」という枠の中にいる人々ならば、カビの生えた講義ノートを毎年引っ張り出して読み上げるだけでも、地位も名誉も、ある程度の財産までも保障される。
月並みな言い方ですが、一人のイチローの陰に、失意のうちにプロ野球の道を断念した何千、何万のプレーヤーがいる。神学部、神学校の教授たちも然りですよね。なりうる人、なった人には、やっかみも集まりやすいけど、がんばってほしいなあと思います。
既存の神学部、神学校に不満を抱く人々の中に新しい学校を作りたがる人がいますけど、そういうのを見ると虚しさを感じるばかりです。既存のものを作り変えましょう。ただし、自分の生きている間にできそうなことまでしか約束できない。「三百年後に実現いたします」とか言う詐欺商法はやめる。今ある神学部、神学校を二十年、三十年くらいの単位のスパンで小改革していく。そのために教会が全力を尽くして応援する。そういうやり方を私は好みます。
2011年8月23日火曜日
筆談の記憶
ち、あーあ、始業のチャイムが鳴っている。
またしても無為な時間を過ごさなければならない。うんざりだ。
「無為な」だって?まさか、そんなはずはない――はずなのだが。
教室に現われたのはカワバタのおっさん。世界史の教師だ。いやいや、のっけからなかなか興味深い話をしてくれる。まあ教科書どおりなのだが、「えー歴史というのは、古代、中世、近世、近代、現代といった感じに区分していくと、その動きというか流れをうまくとらえることができるようになるのでありましてー」どうたらこうたら。クルトゥーア・ペリオーデ(文化的歴史区分)とか言うらしいというのは、それから数年後、大学で学んだことだ。
しっかし、やっぱだーめだ、興味の集中力が続かん。睡魔が襲う。夢見心地に拍車をかけるのは、出来の悪い生徒は教師からいちばん遠い、優秀な生徒たちに迷惑をかけない、いちばん後ろの席に何となく追いやられていること。
いちばん後ろだが教室右側から二列目なので、外の景色は全く見えない。教室の右側は廊下側で、廊下の向こうには中庭があり、中庭の向こうには別の教室棟が立っているので、山も空も雲もどのみち見えない。「目のやり場に困る」とはこのことだ。女の子たちは授業中は無表情なので(そりゃ真剣に勉強しているわけだし)、見とれるほどの魅力無し。気温と湿度のやたら高い虚空には、カワバタちゃんのダミ声と、彼の目の前に座っている何人かの優秀な子たちの鉛筆のカリカリ音と、ミンミンゼミの鳴き声だけが響く。
ふと薄目で隣を見ると、ぼくと同類の子が「またやるかい?」と言いたげな目でニヤニヤしている。「またやるかい?」の内容は、筆談だ。その子の席は右端のいちばん後ろ。もっとも彼は、その後かなりがんばって優秀な成績を上げ、優秀な仕事に就いたようなので(「優秀な」の定義はともかく)、ぼくなんかと同類だったのは、ほんの一時のことだったと、彼の名誉のために言っておく。
彼は吹奏楽部所属、トロンボーン担当とか言っていた。演奏中の姿を見たことはない。若い頃の田村正和の目じりを、指でさらに吊り上げたようなフェイス。潜在的なファンは多かったらしい。何より、ぼくの半分しか体重が無さそうなスリムなボディ。
しかし、そこから先の記憶が全く正確でない。当時ルーズリーフなんてのを使っていたかどうか。はっきり憶えているのは小さな紙切れだったことだけ。ノートの端っこを破ったんだっけなあ。そんなことをした気はしないのだが。
その小さな紙切れに細かい文字が新たに書き加えられるたびに、ぼくと同類の子とぼくとの間を不断に往復し続ける。もうどこにも残っていないんだけどね。その紙切れは、我々の、なんていうか、細胞レベルの閉塞感を追っ払ってくれる、自由と喜びの輝きをもっていた。
カワバタちゃんの目を盗めていたとは思わない。時々ギョロリと睨まれたし。たしか一度だけ教室から追い出されたことがあったような気もする。あのね、ぼくらの脳みそって、実に便利なものらしいのよ。自分に都合の良い記憶だけを残し、都合の悪い部分は適当に殺処分してくれるという。だから、ほんとに忘れました。記憶にございません。
あれから三十年。キツネ目の彼は(あ、言っちゃった)どこで何してるんだろう。元気でいてほしい。ただそれだけだよ。
��「FB高等學校文學部」開設記念随想、2011年8月23日)
またしても無為な時間を過ごさなければならない。うんざりだ。
「無為な」だって?まさか、そんなはずはない――はずなのだが。
教室に現われたのはカワバタのおっさん。世界史の教師だ。いやいや、のっけからなかなか興味深い話をしてくれる。まあ教科書どおりなのだが、「えー歴史というのは、古代、中世、近世、近代、現代といった感じに区分していくと、その動きというか流れをうまくとらえることができるようになるのでありましてー」どうたらこうたら。クルトゥーア・ペリオーデ(文化的歴史区分)とか言うらしいというのは、それから数年後、大学で学んだことだ。
しっかし、やっぱだーめだ、興味の集中力が続かん。睡魔が襲う。夢見心地に拍車をかけるのは、出来の悪い生徒は教師からいちばん遠い、優秀な生徒たちに迷惑をかけない、いちばん後ろの席に何となく追いやられていること。
いちばん後ろだが教室右側から二列目なので、外の景色は全く見えない。教室の右側は廊下側で、廊下の向こうには中庭があり、中庭の向こうには別の教室棟が立っているので、山も空も雲もどのみち見えない。「目のやり場に困る」とはこのことだ。女の子たちは授業中は無表情なので(そりゃ真剣に勉強しているわけだし)、見とれるほどの魅力無し。気温と湿度のやたら高い虚空には、カワバタちゃんのダミ声と、彼の目の前に座っている何人かの優秀な子たちの鉛筆のカリカリ音と、ミンミンゼミの鳴き声だけが響く。
ふと薄目で隣を見ると、ぼくと同類の子が「またやるかい?」と言いたげな目でニヤニヤしている。「またやるかい?」の内容は、筆談だ。その子の席は右端のいちばん後ろ。もっとも彼は、その後かなりがんばって優秀な成績を上げ、優秀な仕事に就いたようなので(「優秀な」の定義はともかく)、ぼくなんかと同類だったのは、ほんの一時のことだったと、彼の名誉のために言っておく。
彼は吹奏楽部所属、トロンボーン担当とか言っていた。演奏中の姿を見たことはない。若い頃の田村正和の目じりを、指でさらに吊り上げたようなフェイス。潜在的なファンは多かったらしい。何より、ぼくの半分しか体重が無さそうなスリムなボディ。
しかし、そこから先の記憶が全く正確でない。当時ルーズリーフなんてのを使っていたかどうか。はっきり憶えているのは小さな紙切れだったことだけ。ノートの端っこを破ったんだっけなあ。そんなことをした気はしないのだが。
その小さな紙切れに細かい文字が新たに書き加えられるたびに、ぼくと同類の子とぼくとの間を不断に往復し続ける。もうどこにも残っていないんだけどね。その紙切れは、我々の、なんていうか、細胞レベルの閉塞感を追っ払ってくれる、自由と喜びの輝きをもっていた。
カワバタちゃんの目を盗めていたとは思わない。時々ギョロリと睨まれたし。たしか一度だけ教室から追い出されたことがあったような気もする。あのね、ぼくらの脳みそって、実に便利なものらしいのよ。自分に都合の良い記憶だけを残し、都合の悪い部分は適当に殺処分してくれるという。だから、ほんとに忘れました。記憶にございません。
あれから三十年。キツネ目の彼は(あ、言っちゃった)どこで何してるんだろう。元気でいてほしい。ただそれだけだよ。
��「FB高等學校文學部」開設記念随想、2011年8月23日)
2011年8月22日月曜日
山岡洋一さん、ありがとうございました
たった今届いたメールマガジンに強い衝撃を受け、大げさでなく心臓が止まるかと思うほどの痛みが走りました。まだショックから立ち直りきれない。
私が日本で最も尊敬してきた一人の翻訳家であり翻訳理論家でもあった山岡洋一さん(62歳)が一昨日8月20日(土)に心筋梗塞で亡くなられた。同氏主宰のメールマガジン「翻訳通信」の号外を通じて、ご遺族が知らせてくださいました。
今月1日に第111号(2011年8月号)を受けとり、山岡さんの言葉の一字一句にいちいち首肯しながら、ほとんど舐めとるように読んだばかりでした。
山岡さんの主著となった『翻訳とは何か』(日外アソシエーツ、2001年)で翻訳論の新しい世界を教えていただき、爾来、私は変わった。たった一度だけですがメールのやりとりをさせていただいたことがあり、神学の翻訳を志している私に「翻訳の原点のような仕事に取り組んでおられて羨ましい」と温かい言葉を返してくださいました。
私の願いは、神学の翻訳をする人全員に山岡さんの本を読んでもらうことです。我々が根本的に間違っている部分を山岡さんの本が教えてくれたと思っています。
最もショックを受けているのは山岡さんのご遺族に違いないのですが、メールマガジンの読者(2500人以上)も今ごろ、私同様のショックを受けているところだと思います。まだ涙は出てきませんが、心の支えを失った感覚です。じわじわ来そうです。
書きこみをやめるという意味ではありませんが、今週(私の夏休み)は、偉大な翻訳家の生涯への敬意をこめて、喪に服したいと思います。
私が日本で最も尊敬してきた一人の翻訳家であり翻訳理論家でもあった山岡洋一さん(62歳)が一昨日8月20日(土)に心筋梗塞で亡くなられた。同氏主宰のメールマガジン「翻訳通信」の号外を通じて、ご遺族が知らせてくださいました。
今月1日に第111号(2011年8月号)を受けとり、山岡さんの言葉の一字一句にいちいち首肯しながら、ほとんど舐めとるように読んだばかりでした。
山岡さんの主著となった『翻訳とは何か』(日外アソシエーツ、2001年)で翻訳論の新しい世界を教えていただき、爾来、私は変わった。たった一度だけですがメールのやりとりをさせていただいたことがあり、神学の翻訳を志している私に「翻訳の原点のような仕事に取り組んでおられて羨ましい」と温かい言葉を返してくださいました。
私の願いは、神学の翻訳をする人全員に山岡さんの本を読んでもらうことです。我々が根本的に間違っている部分を山岡さんの本が教えてくれたと思っています。
最もショックを受けているのは山岡さんのご遺族に違いないのですが、メールマガジンの読者(2500人以上)も今ごろ、私同様のショックを受けているところだと思います。まだ涙は出てきませんが、心の支えを失った感覚です。じわじわ来そうです。
書きこみをやめるという意味ではありませんが、今週(私の夏休み)は、偉大な翻訳家の生涯への敬意をこめて、喪に服したいと思います。
東浩紀氏の「娯楽でしか繋がれないのは貧しい」という意見に同意します
ついさっきツイッターで東浩紀氏がつぶやいたことに触発されて、何か書きたくなりました。
東氏曰く、日本は「テレビと娯楽しかない国。ネットユーザーがいくら増えても、芸能人とアニメの話しかされない国。この状況はソーシャルメディアの普及ごときで変わるものではないと、もはや半ば諦めています。」納得ですね。
「年収1億でも年収100万でもみな同じアニメ見てるよね」と「娯楽で繋がる可能性」を肯定的に評価する人々に対し、最近の(とくに3.11以降の)東氏は距離を置きたがっている。「娯楽でしか繋がれないのは貧しい」と言っている。海外で「政治」が果たしている役割を担うものが、日本には無い(大意)。
今これを堂々と書ける東氏は、けっこう炯眼の持ち主のような気がします。
でも、「それ見たことか。言わんこっちゃない」というようなことを、私は口が裂けても言いませんからね。「今こそ○○の出番だ」とか「これからは○○の時代だ」とかもね。
でも、心の中では当然そう思ってますよ。思ってますよ、当たり前じゃないですか。
日本に決定的に足りないのは○○です。それが無いから、いまの状況になっているんです。
東氏曰く、日本は「テレビと娯楽しかない国。ネットユーザーがいくら増えても、芸能人とアニメの話しかされない国。この状況はソーシャルメディアの普及ごときで変わるものではないと、もはや半ば諦めています。」納得ですね。
「年収1億でも年収100万でもみな同じアニメ見てるよね」と「娯楽で繋がる可能性」を肯定的に評価する人々に対し、最近の(とくに3.11以降の)東氏は距離を置きたがっている。「娯楽でしか繋がれないのは貧しい」と言っている。海外で「政治」が果たしている役割を担うものが、日本には無い(大意)。
今これを堂々と書ける東氏は、けっこう炯眼の持ち主のような気がします。
でも、「それ見たことか。言わんこっちゃない」というようなことを、私は口が裂けても言いませんからね。「今こそ○○の出番だ」とか「これからは○○の時代だ」とかもね。
でも、心の中では当然そう思ってますよ。思ってますよ、当たり前じゃないですか。
日本に決定的に足りないのは○○です。それが無いから、いまの状況になっているんです。
2011年8月11日木曜日
Ustream「東日本大震災を経て」
今年3月11日の東日本大震災の発生前にしばらく続けていたUstream放送「ファン・ルーラーについて」をなかなか再開できなかった理由を話しました。
Ustream放送「ファン・ルーラーについて」の5回分は以下のリンクでご覧いただけます。
ここ(↓)です。
http://www.ustream.tv/channel/ysekiguchi
2011年8月4日木曜日
これも「本の読めなさ」がもたらす悲劇だ
米空軍、核ミサイル発射担当将校にキリスト教で聖戦教育
http://www.asahi.com/international/update/0803/TKY201108030650.html
「訓練初期にある倫理の講義を担当する従軍牧師が用いた資料が、『核の倫理』という項目で、旧約・新約聖書の記述を多数引用していた。キリスト教の聖戦論を引き合いに『旧約聖書には、戦争に従事した信者の例が多い』と指摘したり、聖書の記述として『イエス・キリストは強い戦士』と位置づけたりしていた」(抜粋)。
これは本日の朝日新聞(13版)の一面記事です。先月27日までの20年間、米空軍で「核ミサイル発射の正当化」にキリスト教が利用されてきたようです。よほど米軍事情に精通している人はともかく、この事実を知っていた日本のキリスト者は皆無でしょう。
ほんとうに恥ずかしいです。聖書をどう読めば「核ミサイル発射を正当化する論理」を導き出せるのかが不明ですし、このような誤った聖書利用を受け入れてしまう米国軍人の「本の読めなさ」に驚きます。今後も警戒が必要です。
http://www.asahi.com/international/update/0803/TKY201108030650.html
「訓練初期にある倫理の講義を担当する従軍牧師が用いた資料が、『核の倫理』という項目で、旧約・新約聖書の記述を多数引用していた。キリスト教の聖戦論を引き合いに『旧約聖書には、戦争に従事した信者の例が多い』と指摘したり、聖書の記述として『イエス・キリストは強い戦士』と位置づけたりしていた」(抜粋)。
これは本日の朝日新聞(13版)の一面記事です。先月27日までの20年間、米空軍で「核ミサイル発射の正当化」にキリスト教が利用されてきたようです。よほど米軍事情に精通している人はともかく、この事実を知っていた日本のキリスト者は皆無でしょう。
ほんとうに恥ずかしいです。聖書をどう読めば「核ミサイル発射を正当化する論理」を導き出せるのかが不明ですし、このような誤った聖書利用を受け入れてしまう米国軍人の「本の読めなさ」に驚きます。今後も警戒が必要です。
2011年8月2日火曜日
「もしパウロの時代にブログがあったら」をめぐる穏やかな対話
先週ブログに公開したコリントの信徒への手紙一の「超訳」を読んでくださった方(以下「zubi先生」)が、ツイッター経由で、うれしいコメントを寄せてくださいました。ほめてもらったからというわけではありませんが(いや、ちょっとあるかな、笑)、我々のツイッター上でのやりとりをブログ用に編集しましたので、以下謹んでご紹介いたします。
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○zubi先生
関口先生の超訳は、光文社古典新訳文庫に通じる興味深い喜びです。先生のパウロ超訳を拝読すると、パウロのカーニヴァル性、すなわちすべての既存の価値観をキリストにより宙吊りにしてしまうパンクな勢いがいきいきと伝わってきます。例えば光文社のドストエフスキーは新潮社のそれのような品格や厳密さが無いと言われる。けれどもドストエフスキーの口角泡を飛ばす勢いはいきいきと伝わってくる。まさにそんな意義を感じるんです。翻訳のプロにしか出来ないこだわりというか。
○関口 康
スゴク有難い、とても勿体ない評価をいただき、うれしく思います。あの訳では、荘厳(?)で残響の長いチャペル内での朗読には不向きでしょうね。
「トークライブ風テイスト訳」に影響を与えた一人は、佐々木中さんですね。『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社、2010年)は、私にとっても近年まれにみる衝撃の一書でした。「本とは読めないものである」ということを教えてくれるあの本が、いちばん読みやすかったし、読めましたね。長年解けずに苦しんできた謎を解き明かしてくれた、というか。
聖書が分からないとか、キリスト教は難しいとか。それは、理解できない人側の「頭が悪い」んじゃないんですよね。「本」というのは本来的に「読めない」ものであり、読めば読むほど分からないものなんですよね、佐々木さんによると。目からうろこでしたね。
私は、中学時代も高校時代も、大学(と言っても神学大学=神学校でしたが)に入ってからも、成績はものすごく悪かったんです。真面目な話、「本が読めなかった」んです。読んでも読んでも全く理解できなくて、「おれは頭が悪いんだ」と思い込んでいました。まあ、頭は悪いんですけどね。それは認めます。
「本が読めない」のは、今でもそうです。何か月か前、実兄から村上春樹氏の小説本を大量に譲り受けましたので、「読んでみるか」と重い腰をようやくあげました。つい昨日も近所の古本屋で『1Q84』の第一巻(BOOK1)から第三巻(BOOK3)までを買い、開いてみるのですが、やっぱり全く入って来ないんです、心の中に。村上氏の小説が何を言いたいのかが分からない。無理に開く感じが止まない。
カール・バルトの『教会教義学』は、ドイツ語版(原著)と日本語版との全巻を買って持っています。神学生時代から何度も開いて読もうとしてもいます。でも、読み続けることができない。やっぱり俺の頭が悪いんだと悩みます。「違う」という拒絶感のほうが強すぎて、「読めない」んです。
「本が読めない」ことの悔しさは、私にとっては地獄の苦しみなんです。なんで他の人には理解できて、俺には理解できないのだろうかと思うと、「死にたい」とまでは考えませんが、人前に出るのが億劫になる。でも、同じ悩みを抱えている人がいるかもしれないと、佐々木中氏の本を読んで気づきました。
だから、と言っていいかもしれない。私の知識のほとんどは、耳学問です。本を読んでも分からない。記憶に残らないので知識にならない。でも、耳で聞いて理解できたことは、いつまでも忘れられないんです。だから、私の知識は、私の教師たちの出身地の方言で訛っているんです。
○zubi先生
分かるなあ。距離の遠さなんですよ。テクストとの。用いられる場によっては、響きや品格が重要なことは勿論です。けれども、パウロならパウロが、今生きているような共時性。そこに焦点が当てられるのもアリですよね。するとテクストはぐんと近付いてくる。
○関口 康
そう、キーワードは「共時性」ですね、たしかに。本だけ読んでも分からない。噛み砕いて解説してくれる人がいなければ、本だけあっても、どうにもならない。そのあたりに、学問に関しては大学の存在意義があり、宗教に関しては教会の存在意義があると、遅ればせながら思います。
私のパウロ超訳の話に戻せば、こういう調子というかこういう雰囲気の翻訳を全く受け付けることができないとか、生理的に拒絶してしまう人たちもいるんだろうなということは、よく分かっているつもりです。その人の生活圏内に存する宗教観、教会観が当然関係しているでしょう。私の生活圏にも、こういうパウロが出現したことはありませんでした(笑)。
○zubi先生
先生のパウロ超訳を拝読すると、パウロのカーニヴァル性、すなわちすべての既存の価値観をキリストにより宙吊りにしてしまうパンクな勢いがいきいきと伝わってきます。アラン・バディウの『聖パウロ』を読んだときに、パウロ神学におけるカーニヴァル性を知ったのでした。バフチンがドストエフスキーで論じている、価値観の宙吊りです。先生の翻訳の試みは、そういうカーニヴァルの勢いをあらためて認識させてくれるんです。
○関口 康
バディウ氏やバフチン氏という方々の本は読んだことありませんが、パウロの「カーニヴァル性」(祝祭性?)や「価値観の宙吊り」という話は面白いですね。ファン・ルーラーに言わせると、パウロはマテリアリストでした。これを「唯物論者」とか訳すとクマンバチが飛んできますね(笑)。
○zubi先生
カーニヴァルというのは、お祭りのなかで、ふだん身分の低い人が高い人をからかったり、儀式的に戴冠や奪冠を行ったりする現象に由来する、価値のひっくり返しのことです。イエスへの兵士たちの侮辱もカーニヴァルですし、死から蘇るイエスは究極のカーニヴァルなのです。
○関口 康
パウロ神学のカーニヴァル性とは、ただ「祝祭的」であるだけではなくて、そこに独特の闘争性というか、平たく言えばけんか腰の要素がある。しかし、殺意むき出しのカムフラージュ軍服着用の戦闘行為としてではなく、徹底的な遊び性の中で根源的な価値転覆をはかる、みたいな感じでしょうか。まだ十分飲み込めていませんが、新しい見方であると思いますね。
○zubi先生
ずいぶん昔に講談社の「本」という雑誌で知ったのですが、カントは自分では他人の哲学書を読んでも理解できず、友人に「ヒュームはこんなことを言ってるんだよ」みたいに説明してもらってはじめて分かったそうです。それでもあんなに鋭い考察ができた。
○関口 康
それは興味深い話ですね!私は自分とカントを並び称する根性などは持ちあわせていませんが、カントがどうしてそうだったのかは、何となく分かります。要は、幼い頃から教え込まれた(敬虔主義の)キリスト教の「体系」がほとんど彼の血肉となり、悪く言えば「閉じた体系」の中にいたのではないかと。
○zubi先生
神学部で宗教哲学の先生に徹底的に鍛えられたことは、「テクストをパラレルに読め。リニアーに読むな。」ということ、そしてレジメもそのように作成せよというものでした。けれどもこれができなかった。わたしもおそらく、本が読めない部類なんです(笑)。
○関口 康
これもすごく興味深い話ですね。「テクストをパラレル(並列的?)に読め。リニアー(直列的?)に読むな」を「通時的ではなく共時的に」と別言することは可能でしょうか。教義学のほうが向いている人と教会史のほうが向いている人とがいるとは思いますけどね。「論」で考えるか、それとも「史」で考えるかの違いのようなことでしょうか。
(2011年8月1日、ツイッターにて)
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○zubi先生
関口先生の超訳は、光文社古典新訳文庫に通じる興味深い喜びです。先生のパウロ超訳を拝読すると、パウロのカーニヴァル性、すなわちすべての既存の価値観をキリストにより宙吊りにしてしまうパンクな勢いがいきいきと伝わってきます。例えば光文社のドストエフスキーは新潮社のそれのような品格や厳密さが無いと言われる。けれどもドストエフスキーの口角泡を飛ばす勢いはいきいきと伝わってくる。まさにそんな意義を感じるんです。翻訳のプロにしか出来ないこだわりというか。
○関口 康
スゴク有難い、とても勿体ない評価をいただき、うれしく思います。あの訳では、荘厳(?)で残響の長いチャペル内での朗読には不向きでしょうね。
「トークライブ風テイスト訳」に影響を与えた一人は、佐々木中さんですね。『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社、2010年)は、私にとっても近年まれにみる衝撃の一書でした。「本とは読めないものである」ということを教えてくれるあの本が、いちばん読みやすかったし、読めましたね。長年解けずに苦しんできた謎を解き明かしてくれた、というか。
聖書が分からないとか、キリスト教は難しいとか。それは、理解できない人側の「頭が悪い」んじゃないんですよね。「本」というのは本来的に「読めない」ものであり、読めば読むほど分からないものなんですよね、佐々木さんによると。目からうろこでしたね。
私は、中学時代も高校時代も、大学(と言っても神学大学=神学校でしたが)に入ってからも、成績はものすごく悪かったんです。真面目な話、「本が読めなかった」んです。読んでも読んでも全く理解できなくて、「おれは頭が悪いんだ」と思い込んでいました。まあ、頭は悪いんですけどね。それは認めます。
「本が読めない」のは、今でもそうです。何か月か前、実兄から村上春樹氏の小説本を大量に譲り受けましたので、「読んでみるか」と重い腰をようやくあげました。つい昨日も近所の古本屋で『1Q84』の第一巻(BOOK1)から第三巻(BOOK3)までを買い、開いてみるのですが、やっぱり全く入って来ないんです、心の中に。村上氏の小説が何を言いたいのかが分からない。無理に開く感じが止まない。
カール・バルトの『教会教義学』は、ドイツ語版(原著)と日本語版との全巻を買って持っています。神学生時代から何度も開いて読もうとしてもいます。でも、読み続けることができない。やっぱり俺の頭が悪いんだと悩みます。「違う」という拒絶感のほうが強すぎて、「読めない」んです。
「本が読めない」ことの悔しさは、私にとっては地獄の苦しみなんです。なんで他の人には理解できて、俺には理解できないのだろうかと思うと、「死にたい」とまでは考えませんが、人前に出るのが億劫になる。でも、同じ悩みを抱えている人がいるかもしれないと、佐々木中氏の本を読んで気づきました。
だから、と言っていいかもしれない。私の知識のほとんどは、耳学問です。本を読んでも分からない。記憶に残らないので知識にならない。でも、耳で聞いて理解できたことは、いつまでも忘れられないんです。だから、私の知識は、私の教師たちの出身地の方言で訛っているんです。
○zubi先生
分かるなあ。距離の遠さなんですよ。テクストとの。用いられる場によっては、響きや品格が重要なことは勿論です。けれども、パウロならパウロが、今生きているような共時性。そこに焦点が当てられるのもアリですよね。するとテクストはぐんと近付いてくる。
○関口 康
そう、キーワードは「共時性」ですね、たしかに。本だけ読んでも分からない。噛み砕いて解説してくれる人がいなければ、本だけあっても、どうにもならない。そのあたりに、学問に関しては大学の存在意義があり、宗教に関しては教会の存在意義があると、遅ればせながら思います。
私のパウロ超訳の話に戻せば、こういう調子というかこういう雰囲気の翻訳を全く受け付けることができないとか、生理的に拒絶してしまう人たちもいるんだろうなということは、よく分かっているつもりです。その人の生活圏内に存する宗教観、教会観が当然関係しているでしょう。私の生活圏にも、こういうパウロが出現したことはありませんでした(笑)。
○zubi先生
先生のパウロ超訳を拝読すると、パウロのカーニヴァル性、すなわちすべての既存の価値観をキリストにより宙吊りにしてしまうパンクな勢いがいきいきと伝わってきます。アラン・バディウの『聖パウロ』を読んだときに、パウロ神学におけるカーニヴァル性を知ったのでした。バフチンがドストエフスキーで論じている、価値観の宙吊りです。先生の翻訳の試みは、そういうカーニヴァルの勢いをあらためて認識させてくれるんです。
○関口 康
バディウ氏やバフチン氏という方々の本は読んだことありませんが、パウロの「カーニヴァル性」(祝祭性?)や「価値観の宙吊り」という話は面白いですね。ファン・ルーラーに言わせると、パウロはマテリアリストでした。これを「唯物論者」とか訳すとクマンバチが飛んできますね(笑)。
○zubi先生
カーニヴァルというのは、お祭りのなかで、ふだん身分の低い人が高い人をからかったり、儀式的に戴冠や奪冠を行ったりする現象に由来する、価値のひっくり返しのことです。イエスへの兵士たちの侮辱もカーニヴァルですし、死から蘇るイエスは究極のカーニヴァルなのです。
○関口 康
パウロ神学のカーニヴァル性とは、ただ「祝祭的」であるだけではなくて、そこに独特の闘争性というか、平たく言えばけんか腰の要素がある。しかし、殺意むき出しのカムフラージュ軍服着用の戦闘行為としてではなく、徹底的な遊び性の中で根源的な価値転覆をはかる、みたいな感じでしょうか。まだ十分飲み込めていませんが、新しい見方であると思いますね。
○zubi先生
ずいぶん昔に講談社の「本」という雑誌で知ったのですが、カントは自分では他人の哲学書を読んでも理解できず、友人に「ヒュームはこんなことを言ってるんだよ」みたいに説明してもらってはじめて分かったそうです。それでもあんなに鋭い考察ができた。
○関口 康
それは興味深い話ですね!私は自分とカントを並び称する根性などは持ちあわせていませんが、カントがどうしてそうだったのかは、何となく分かります。要は、幼い頃から教え込まれた(敬虔主義の)キリスト教の「体系」がほとんど彼の血肉となり、悪く言えば「閉じた体系」の中にいたのではないかと。
○zubi先生
神学部で宗教哲学の先生に徹底的に鍛えられたことは、「テクストをパラレルに読め。リニアーに読むな。」ということ、そしてレジメもそのように作成せよというものでした。けれどもこれができなかった。わたしもおそらく、本が読めない部類なんです(笑)。
○関口 康
これもすごく興味深い話ですね。「テクストをパラレル(並列的?)に読め。リニアー(直列的?)に読むな」を「通時的ではなく共時的に」と別言することは可能でしょうか。教義学のほうが向いている人と教会史のほうが向いている人とがいるとは思いますけどね。「論」で考えるか、それとも「史」で考えるかの違いのようなことでしょうか。
(2011年8月1日、ツイッターにて)
2011年7月31日日曜日
もしパウロの時代にブログがあったら(2)
大好評(?)にお応えして、調子に乗って第二弾、行きます。
昨日の「超訳」の際に心がけたのは「ブログ風テイスト」でしたが、今日はそれに加えて「トークライブ風テイスト」を混ぜてみました。
「トークライブ風テイスト」の意味は、目の前にいろんな人がいる状況を想定しているということで、つまり、「字には書けても口には出しにくい言葉をぼやかす」という意味です。
今日ご紹介する個所には、二千年の時空を超えて今の我々の胸にグサリと突き刺さる内容があると感じていただけるかもしれません。いま私が何を言っているのかは、ご一読くだされば、お分かりいただけるでしょう。
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コリントの信徒への手紙一7・1~7
使徒パウロ著/関口 康「超訳」
皆さんからいただいたお便りの中に書いてあったご質問に今お答えしますとね、もうね、「男の人は女の人に触るのもダメ」ってくらいの線を、私は言いたいですね。
でも、あんまりそういう話にしてしまってね、皆さんの中に反動みたいなことが起こって、なんだかだんだんアヤシゲな世界に興味を持ちはじめてしまうようになるくらいならね、そちらの方面にはどうかあんまり足を踏み入れないでいただいて、というか、そちら方面に行かないように自分を抑える必要もあるのですからね、そういう意味ではやっぱり、男の人はお嫁さんを探すとか、女の人はだんなさんを探すとかのほうが、いいんじゃないですかね。私はそういうふうに考える人間です。
その代わり、と言うことでもありませんけどね、まあ、だんなさんがおくさんにすべきことと、おくさんがだんなさんにすべきことは、ちゃんとやりましょうよ。
えっとね(なんで私、こんな話してんでしょうね)、おくさんのほうは自分で自分の体をどうにかする、という話じゃなくてね、だんなさんがおくさんに、ちゃんとするんですよ(あーこのへん書きにくいなあ)。逆もそうでね、だんなさんのほうも自分で自分の体をほにゃららする、という話じゃなくてね、おくさんがだんなさんを、ほにゃららするんですよ(ね?)。その場に及んで、「やっぱりやめた」とか「もういやだー」とか言わないでくださいね。
でもですね、う~ん、まあ、長い人生ですからね。いくら好き同士で結婚した二人でも「さすがに今はちょっと無理」という時期もありますよね。仕事がメッチャクチャ忙しいとかね、子育てもありますしね。世間が嫌なことだらけなので、今は雑念を捨てて神さまのことだけを考えたいと思うようなときもありますよね。そういうときにはね、お互いによく話し合って、それなりに納得もしたうえで、しばらくお休みにする、というのは、ありかもしれませんね。
でも、はっきり言っておきますが、そんなことを二人が別れる理由なんかにしてはいけませんよ。「それでも一緒に生きていく」という大前提を確認したうえでの、あくまでも一時的なお休みでなくっちゃマズいです。そんなことを理由にして別れちゃいますとね、人間弱いですからね、たちまちその筋の人たちがニヤニヤしながら近づいて来て、「おいで、おいで」と手招きしてきますんでね、するするっと、そういう人たちのいるところに入って行っちゃうことになる。あとは、もうね、身ぐるみ剥がれてポイですよ。
ですからね、「しばらくお休みするというのも、ありかもしれませんね」と上に書いたことの意図は、「そういう可能性がないとは言い切れませんね」というくらいの微妙なニュアンスなのでしてね、「しばらくお休みにしなさい」とか「しろ」とか命令してるわけじゃあないんです、断じてね。
もちろん、私の個人的な立場を言わせてもらえばね、それはもう、私自身はいまは一人で生きてますからね。皆さんにもぜひ、一人で生きられるすべを身につけてほしいんですよ、本音を言えばね。でも、そこから先のことは言えないことでありましてね。人生それぞれですよ。神さまが我々に与えてくださったものは、人によって違うんですからね。
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【超訳者コメント】
強くお断りしておきますが、昨日からの「超訳」は、ふざけているとか、聖書の言葉を玩んでいるとか、受け狙いとか、ポピュリズム(?)とか、決してそういう気持ちではありません。
また、たしかに「超訳」ではありますが、「意訳=デタラメ」と見られることは、やや心外です。
神学者ファン・ルーラーのオランダ語テキストとの取っ組み合いを、13年ほど続けてきました。その苦しい日々の中で絶えず問われてきたことは、「翻訳とは何なのか」という根本的な問いでした。我々に問われていることは、「翻訳論」そのものです。
このたびの聖書の「超訳」が、私の長年の問いの答えになるかどうかは分かりません。でも、取り組み甲斐がある仕事かもしれないな、という手応えはありますね。
昨日の「超訳」の際に心がけたのは「ブログ風テイスト」でしたが、今日はそれに加えて「トークライブ風テイスト」を混ぜてみました。
「トークライブ風テイスト」の意味は、目の前にいろんな人がいる状況を想定しているということで、つまり、「字には書けても口には出しにくい言葉をぼやかす」という意味です。
今日ご紹介する個所には、二千年の時空を超えて今の我々の胸にグサリと突き刺さる内容があると感じていただけるかもしれません。いま私が何を言っているのかは、ご一読くだされば、お分かりいただけるでしょう。
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コリントの信徒への手紙一7・1~7
使徒パウロ著/関口 康「超訳」
皆さんからいただいたお便りの中に書いてあったご質問に今お答えしますとね、もうね、「男の人は女の人に触るのもダメ」ってくらいの線を、私は言いたいですね。
でも、あんまりそういう話にしてしまってね、皆さんの中に反動みたいなことが起こって、なんだかだんだんアヤシゲな世界に興味を持ちはじめてしまうようになるくらいならね、そちらの方面にはどうかあんまり足を踏み入れないでいただいて、というか、そちら方面に行かないように自分を抑える必要もあるのですからね、そういう意味ではやっぱり、男の人はお嫁さんを探すとか、女の人はだんなさんを探すとかのほうが、いいんじゃないですかね。私はそういうふうに考える人間です。
その代わり、と言うことでもありませんけどね、まあ、だんなさんがおくさんにすべきことと、おくさんがだんなさんにすべきことは、ちゃんとやりましょうよ。
えっとね(なんで私、こんな話してんでしょうね)、おくさんのほうは自分で自分の体をどうにかする、という話じゃなくてね、だんなさんがおくさんに、ちゃんとするんですよ(あーこのへん書きにくいなあ)。逆もそうでね、だんなさんのほうも自分で自分の体をほにゃららする、という話じゃなくてね、おくさんがだんなさんを、ほにゃららするんですよ(ね?)。その場に及んで、「やっぱりやめた」とか「もういやだー」とか言わないでくださいね。
でもですね、う~ん、まあ、長い人生ですからね。いくら好き同士で結婚した二人でも「さすがに今はちょっと無理」という時期もありますよね。仕事がメッチャクチャ忙しいとかね、子育てもありますしね。世間が嫌なことだらけなので、今は雑念を捨てて神さまのことだけを考えたいと思うようなときもありますよね。そういうときにはね、お互いによく話し合って、それなりに納得もしたうえで、しばらくお休みにする、というのは、ありかもしれませんね。
でも、はっきり言っておきますが、そんなことを二人が別れる理由なんかにしてはいけませんよ。「それでも一緒に生きていく」という大前提を確認したうえでの、あくまでも一時的なお休みでなくっちゃマズいです。そんなことを理由にして別れちゃいますとね、人間弱いですからね、たちまちその筋の人たちがニヤニヤしながら近づいて来て、「おいで、おいで」と手招きしてきますんでね、するするっと、そういう人たちのいるところに入って行っちゃうことになる。あとは、もうね、身ぐるみ剥がれてポイですよ。
ですからね、「しばらくお休みするというのも、ありかもしれませんね」と上に書いたことの意図は、「そういう可能性がないとは言い切れませんね」というくらいの微妙なニュアンスなのでしてね、「しばらくお休みにしなさい」とか「しろ」とか命令してるわけじゃあないんです、断じてね。
もちろん、私の個人的な立場を言わせてもらえばね、それはもう、私自身はいまは一人で生きてますからね。皆さんにもぜひ、一人で生きられるすべを身につけてほしいんですよ、本音を言えばね。でも、そこから先のことは言えないことでありましてね。人生それぞれですよ。神さまが我々に与えてくださったものは、人によって違うんですからね。
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【超訳者コメント】
強くお断りしておきますが、昨日からの「超訳」は、ふざけているとか、聖書の言葉を玩んでいるとか、受け狙いとか、ポピュリズム(?)とか、決してそういう気持ちではありません。
また、たしかに「超訳」ではありますが、「意訳=デタラメ」と見られることは、やや心外です。
神学者ファン・ルーラーのオランダ語テキストとの取っ組み合いを、13年ほど続けてきました。その苦しい日々の中で絶えず問われてきたことは、「翻訳とは何なのか」という根本的な問いでした。我々に問われていることは、「翻訳論」そのものです。
このたびの聖書の「超訳」が、私の長年の問いの答えになるかどうかは分かりません。でも、取り組み甲斐がある仕事かもしれないな、という手応えはありますね。
2011年7月30日土曜日
もしパウロの時代にブログがあったら(1)
いま毎週日曜日の礼拝の中で、新約聖書「コリントの信徒への手紙一」の連続講解説教を続けています。今は7章を読んでいる最中なのですが、まあ難しいといえば難しい、でも、すごく興味深いところであることも分かってきました。
このところ、ギリシア語の本文をじっくり研究するだけの余裕が無いのが残念なのですが、とにかく一冊二冊の注解書にかじりつきながら、パウロの言葉の真意を探っているところです。
以下にご紹介するのは、たったいま(「たったいま」です)大急ぎで、新共同訳聖書を開きながら、これまで学んできたパウロの意図をできるだけ反映させてパウロの文章を読みなおすと、こういうふうになるんじゃないか、という一つの例(あくまでも「一つの例」)として、書いてみたものです。
ですから、「翻訳」と言うには及びません。「超訳」で構いません。味付けとしては、「ブログ風テイスト」を加えてみました。パウロの時代にブログがあったら、こういう文章を書くんじゃないかなと、想像してみた次第です。
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コリントの信徒への手紙一7・25~35
使徒パウロ著/関口 康「超訳」
まだ結婚したことが無い人たち、いますよね、そういう人たちにこの際ちょっと言っておきたいことがあるんですよ。まあこれはあくまでも私の意見ですけどね。神さまからこう言えと言われて言うわけじゃないんですが、神さまからこの仕事を任されている者として言っておきますよ。
それはね、要するに、とにかく今は相当ヤバい状況なんだということですよ。今まさに危機が迫っているんです。そういうときには、私は皆さんにあんまり無茶なことや急激な変化が起こるようなことをしてもらいたくないんです。今のまま、現状のままに留まっていてもらいたいんです。
いま結婚している状態にある人なら、もうわざわざ離婚の手続きなんかしなきゃいいし、もしまだ結婚していない人なら、今さら相手を探そうだなんて思わなきゃいい。結婚することが罪だとか、まだセックスしたことがない人がセックスすることは罪だとか、そういうことを言いたいわけではないですよ。
私が言いたいのはね、「結婚すること」と「苦労すること」はほとんど同義語だ、ということですよ。そういう苦労をね、私はあんまりあなたたちに味わわせたいとは思わないんですよ、このご時世ですからね。
皆さんに言っときますよ、もうすぐ世界は終わりますからね、そのときが近づいてますよ。
これからの生き方はね、
・家族がある人は、ないふりをする。
・いつも泣きべそばっかりの人は、いまだかつて泣いたことがない人のふりをする。
・冗談ばっかり言っていつも笑っている人は、いまだかつて笑ったことがない人のふりをする。
・買い物好きの浪費癖の人は、財布のひもが固い人のふりをする。
・世の中の弟一線でバリバリやってきた人は、世事に疎い人のふりをする、
とまあ、こんな感じになっていくと思います。
だって、もうね、今のままの現状がこれからもずっと維持されるということは、ありえないんですよ。だから、あんまりもう、じたばたしないで開き直るしかないんですよ。
一人で生きている男の人ならね、「どうすれば神さまに喜んでもらえるだろうか」を考えることに集中できますけどね、結婚してしまったらね、そんなことはもう無理になりますよ。だってね、男の人が結婚したら、それから毎日が「どうすればカミサンの機嫌をとれるだろうか」とね、そういうことばっかりで心いっぱい頭いっぱいになってしまってね、集中力もへったくれもない状態になっていくものなんです。
一人で生きている女の人や、まだ結婚したことがない女の子たちは、体も心も神さまに清めていただこうと、ひたすら神さまのことを考えることに専念できますけどね、結婚したらね、そこから必ず変わっていきますよ。寝ても覚めても「どうすればダンナの機嫌がとれるだろうか」と、そんなことばっかりになって、世事にくたびれてしまう。
今言っていることは、あなたがたを責めてるわけじゃないですよ、厳しいことばっかり言って、「おれの言うことを聞け」とか言って、自分の価値観を押しつけたいわけじゃない。
心の中がグチャグチャにかき乱されっぱなしの日常から少し離れるときも必要だ、そんなふうにして落ち着くことができるときもある、そのような信仰生活を続けてもらいたい。私の言いたいことは、ただそれだけなんです。
このところ、ギリシア語の本文をじっくり研究するだけの余裕が無いのが残念なのですが、とにかく一冊二冊の注解書にかじりつきながら、パウロの言葉の真意を探っているところです。
以下にご紹介するのは、たったいま(「たったいま」です)大急ぎで、新共同訳聖書を開きながら、これまで学んできたパウロの意図をできるだけ反映させてパウロの文章を読みなおすと、こういうふうになるんじゃないか、という一つの例(あくまでも「一つの例」)として、書いてみたものです。
ですから、「翻訳」と言うには及びません。「超訳」で構いません。味付けとしては、「ブログ風テイスト」を加えてみました。パウロの時代にブログがあったら、こういう文章を書くんじゃないかなと、想像してみた次第です。
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コリントの信徒への手紙一7・25~35
使徒パウロ著/関口 康「超訳」
まだ結婚したことが無い人たち、いますよね、そういう人たちにこの際ちょっと言っておきたいことがあるんですよ。まあこれはあくまでも私の意見ですけどね。神さまからこう言えと言われて言うわけじゃないんですが、神さまからこの仕事を任されている者として言っておきますよ。
それはね、要するに、とにかく今は相当ヤバい状況なんだということですよ。今まさに危機が迫っているんです。そういうときには、私は皆さんにあんまり無茶なことや急激な変化が起こるようなことをしてもらいたくないんです。今のまま、現状のままに留まっていてもらいたいんです。
いま結婚している状態にある人なら、もうわざわざ離婚の手続きなんかしなきゃいいし、もしまだ結婚していない人なら、今さら相手を探そうだなんて思わなきゃいい。結婚することが罪だとか、まだセックスしたことがない人がセックスすることは罪だとか、そういうことを言いたいわけではないですよ。
私が言いたいのはね、「結婚すること」と「苦労すること」はほとんど同義語だ、ということですよ。そういう苦労をね、私はあんまりあなたたちに味わわせたいとは思わないんですよ、このご時世ですからね。
皆さんに言っときますよ、もうすぐ世界は終わりますからね、そのときが近づいてますよ。
これからの生き方はね、
・家族がある人は、ないふりをする。
・いつも泣きべそばっかりの人は、いまだかつて泣いたことがない人のふりをする。
・冗談ばっかり言っていつも笑っている人は、いまだかつて笑ったことがない人のふりをする。
・買い物好きの浪費癖の人は、財布のひもが固い人のふりをする。
・世の中の弟一線でバリバリやってきた人は、世事に疎い人のふりをする、
とまあ、こんな感じになっていくと思います。
だって、もうね、今のままの現状がこれからもずっと維持されるということは、ありえないんですよ。だから、あんまりもう、じたばたしないで開き直るしかないんですよ。
一人で生きている男の人ならね、「どうすれば神さまに喜んでもらえるだろうか」を考えることに集中できますけどね、結婚してしまったらね、そんなことはもう無理になりますよ。だってね、男の人が結婚したら、それから毎日が「どうすればカミサンの機嫌をとれるだろうか」とね、そういうことばっかりで心いっぱい頭いっぱいになってしまってね、集中力もへったくれもない状態になっていくものなんです。
一人で生きている女の人や、まだ結婚したことがない女の子たちは、体も心も神さまに清めていただこうと、ひたすら神さまのことを考えることに専念できますけどね、結婚したらね、そこから必ず変わっていきますよ。寝ても覚めても「どうすればダンナの機嫌がとれるだろうか」と、そんなことばっかりになって、世事にくたびれてしまう。
今言っていることは、あなたがたを責めてるわけじゃないですよ、厳しいことばっかり言って、「おれの言うことを聞け」とか言って、自分の価値観を押しつけたいわけじゃない。
心の中がグチャグチャにかき乱されっぱなしの日常から少し離れるときも必要だ、そんなふうにして落ち着くことができるときもある、そのような信仰生活を続けてもらいたい。私の言いたいことは、ただそれだけなんです。
2011年7月29日金曜日
私はなぜ洗礼を受けたか
とくに何の脈絡もなく、唐突に書く。私はなぜ洗礼を受けたか。それは1970年12月26日。1965年11月生まれだから、当時はもちろん5才。幼稚園児としての最後の年の、クリスマス礼拝のときだった。
受洗の意思は明確であった。やる気満々だった。いや、正確に言えば「飲み食いする気満々」だった。だから私の洗礼は幼児洗礼ではない。誰から勧められたわけでもない、と言いたいところだが、もしかしたら親が「どう?」くらいは言ったかもしれないが、それは忘れた。牧師から勧められることはありえない。消去法で考えれば、親が勧めたのでなければ、私が自分で意思決定をしたのだ。それ以外の可能性はない。
実際、私自身の中にとにかく残っている記憶は、牧師のところまで行って「洗礼を受けさせてください」と、自分の意志と言葉で”要求した”日の一部始終だ。
動機についても鮮明に憶えている。その顛末については、前にもどこかに書いたことがある。
そのクリスマス礼拝よりも半年くらい前だったろうか、教会で聖餐式があったとき、パンもぶどう酒ももらえず、目の前をスルーされた。ひどく頭に来たので、あれをもらえる方法は何かを親に聞き、洗礼というのを受ければいい(パンとぶどう酒をもらえるようになる)のかと初めて知った。
神に誓って言うが、当時の私は、特別ひもじい生活をしていたわけではない。いくら幼稚園児だったからといえ、あんなママゴトのような小さなパンだ、ぶどう酒だ、が欲しかったわけではないのだ。そんなことではない。何が頭に来たかといって、おれが小さい頃から来ているこの教会の中で、おれを無視し、おれの前を素通りしてよいものがあってよいはずがない、という思いだった。
「そういうのは傲慢だ」などと言われたくはない。当時の私が激しく自覚したことを、当時の私が適切な言葉で言い表せたはずがない。しかし、オトナになった今なら言える。それは、「おれは、ハンパなくこの教会のメンバーだ!それに関しては誰にも文句を言わせたくない。どこにも逃げやしないから心配すんな。ていうか、他になりようがないよ。ほかの人はともかく、おれに関しては信教の自由とか別にいいから。だから、お願いだから、おれに洗礼授けてくれ。頼むからおれの前をスルーしないでくれ」という意識だった。
これらのことを、あとづけの脚色として書くのではない。受洗記念日は教会が記録するものであって、自分で勝手に捏造できるものではない。私が5歳で成人洗礼を受けた事実を、教会が客観的に証明してくれる。
受洗の意思は明確であった。やる気満々だった。いや、正確に言えば「飲み食いする気満々」だった。だから私の洗礼は幼児洗礼ではない。誰から勧められたわけでもない、と言いたいところだが、もしかしたら親が「どう?」くらいは言ったかもしれないが、それは忘れた。牧師から勧められることはありえない。消去法で考えれば、親が勧めたのでなければ、私が自分で意思決定をしたのだ。それ以外の可能性はない。
実際、私自身の中にとにかく残っている記憶は、牧師のところまで行って「洗礼を受けさせてください」と、自分の意志と言葉で”要求した”日の一部始終だ。
動機についても鮮明に憶えている。その顛末については、前にもどこかに書いたことがある。
そのクリスマス礼拝よりも半年くらい前だったろうか、教会で聖餐式があったとき、パンもぶどう酒ももらえず、目の前をスルーされた。ひどく頭に来たので、あれをもらえる方法は何かを親に聞き、洗礼というのを受ければいい(パンとぶどう酒をもらえるようになる)のかと初めて知った。
神に誓って言うが、当時の私は、特別ひもじい生活をしていたわけではない。いくら幼稚園児だったからといえ、あんなママゴトのような小さなパンだ、ぶどう酒だ、が欲しかったわけではないのだ。そんなことではない。何が頭に来たかといって、おれが小さい頃から来ているこの教会の中で、おれを無視し、おれの前を素通りしてよいものがあってよいはずがない、という思いだった。
「そういうのは傲慢だ」などと言われたくはない。当時の私が激しく自覚したことを、当時の私が適切な言葉で言い表せたはずがない。しかし、オトナになった今なら言える。それは、「おれは、ハンパなくこの教会のメンバーだ!それに関しては誰にも文句を言わせたくない。どこにも逃げやしないから心配すんな。ていうか、他になりようがないよ。ほかの人はともかく、おれに関しては信教の自由とか別にいいから。だから、お願いだから、おれに洗礼授けてくれ。頼むからおれの前をスルーしないでくれ」という意識だった。
これらのことを、あとづけの脚色として書くのではない。受洗記念日は教会が記録するものであって、自分で勝手に捏造できるものではない。私が5歳で成人洗礼を受けた事実を、教会が客観的に証明してくれる。
千葉県柏市の高級住宅街内の一公園での放射線測定 放射性セシウム5万ベクレル以上を検出(2011年7月20日)
Youtube上にアップされた映像を紹介します(私が録画したわけではありません)。私の住んでいるところは松戸市と柏市の市境(の松戸側)ですので、柏市の出来事は他人事ではありえません。柏市民が声をあげたのを受けて、柏市がやっと重い腰をあげたとも知りました。
「検査結果報告書」をご覧になりたい方は、ここをクリックしてください。
「廃棄土壌管理処分場」の建設候補地に挙がっているらしい場所がわが家から片道3キロ
画像の出典: http://twitpic.com/5uk7ae
私もここ(http://togetter.com/li/165303)で見ただけの話ですので、現時点では確たることは何も分かりませんし、政治に直接タッチしている者ではありませんので、事の詳細を知る立場にはありません。そのことをあらかじめ強くお断りしておきます。
しかし、いま流れている情報の主旨は、松戸市の「21世紀の森と広場」をつぶして、こういう感じの建物(廃棄土壌管理処分場)を立てましょうという具体的な計画が進んでいるらしいということです。
しかし、ツイッターの住人たちのコメントを読みますと「村の皆さん」とか書いてあるようですが、冗談じゃない、松戸市内の「21世紀の森と広場」のある場所は「村」じゃありませんからね!
東京の中心がどこであるかは知りません。しかし、もしそれを仮に「東京駅」だとするならば、東京駅から現地までの直線距離は「30キロ」です。東京駅から30キロがどれくらいかをイメージするための参考になリそうな例を挙げるとすれば、たとえば、東京駅から(東京都)国立駅までが30キロです。東京駅から(神奈川県)横浜駅までも30キロ。東京駅から(埼玉県)大宮駅までも30キロ。
つまり、東京のど真ん中から数えれば「国立、横浜、大宮」などとほぼ等距離の場所に関東広域の放射能土を集める最終処分場を作りましょう、という話であると思っていただけば、事の深刻さをご理解いただけるでしょう。
「21世紀の森と広場」のほうから数えて半径30キロ以内といえば、北は(茨城県)つくば市、東は(千葉県)成田市、南は千葉市、西は新宿区、中野区あたりまでを、すっぽりおさめますからね。
ちなみに、「21世紀の森と広場」は、わが家から片道3キロ、自動車で10分弱です。
もう一つ、重要なことに気づきました。「21世紀の森と広場」の位置は、現在私がPTA会長を仰せつかっている公立中学校の学区内です。子どもたちの健康と安全を守ることがPTAの使命です。
2011年7月26日火曜日
現在「ミニコミ誌並み」だそうです
勝間和代氏の『目立つ力』(小学館新書、2009年)という本は、二年も前に出版されたものですので、もしかしたら巷では「すでに相当古い本」というような評価になっているのかもしれませんが、私は数か月前にたいへん興味深く読みました。
特に考えさせられたのは、ブログのユニークアクセス(異なる人によるアクセス)とそのブログのいわゆる対社会的影響力のようなこととの関係を書いているくだりです。
ユニークアクセス/日 対社会的影響力
100 人未満 まだ完全な個人ブログ
100~1000人未満 一部の人の興味を引きつつあり、ミニコミ誌並み
1000~10000人未満 特定のファン層には食い込んでいる。専門誌並みの力がある
10000~50000人未満 かなり影響力がある。一般雑誌並み
50000人以上 日本有数のブログ。マスコミ並みの力がある
ちなみに、私のブログ(関口康日記」と「今週の説教」と「A. A.ファン・ルーラー著作集」との各ユニークアクセス数を合算しますと「100~1000人未満/日」のステージには到達していることになりますので、勝間氏の言葉を借りれば一応「ミニコミ誌並み」ということになります。
しかし、そのような実感(ミニコミ誌並みの影響力があるという実感)は、このブログを書いている本人には全く無いので、勝間さんのこの本を最初に読んだときには「それは本当なのか」と疑問を抱きました。
しかし、もし私のブログがそれほどの影響力をもっているとしたら(持っていないと思いますが)、そのことを私はやはり率直に「うれしい」と感じます。
実際に面と向かってはっきり言われたことはありませんが、「ネット牧師」とか「ブログ先生」とか、そういう呼ばわられ方は、私はされたくないし、そういう言葉遣いがあまり好きでもありません。
しかし、本や雑誌類が売れない・買われない・読まれない時代の中で、せめてブログでも書くことによってキリスト教的言説をなんとかして世間に広めようとでもするでなければ、それほど遠くない未来にも「日本の牧師と教会はほとんど何も言っていないのと同じだ」と(教会の中の人からも)批判されてしまう時代が来てしまうのではないかと私は考えています。
特に考えさせられたのは、ブログのユニークアクセス(異なる人によるアクセス)とそのブログのいわゆる対社会的影響力のようなこととの関係を書いているくだりです。
ユニークアクセス/日 対社会的影響力
100 人未満 まだ完全な個人ブログ
100~1000人未満 一部の人の興味を引きつつあり、ミニコミ誌並み
1000~10000人未満 特定のファン層には食い込んでいる。専門誌並みの力がある
10000~50000人未満 かなり影響力がある。一般雑誌並み
50000人以上 日本有数のブログ。マスコミ並みの力がある
ちなみに、私のブログ(関口康日記」と「今週の説教」と「A. A.ファン・ルーラー著作集」との各ユニークアクセス数を合算しますと「100~1000人未満/日」のステージには到達していることになりますので、勝間氏の言葉を借りれば一応「ミニコミ誌並み」ということになります。
しかし、そのような実感(ミニコミ誌並みの影響力があるという実感)は、このブログを書いている本人には全く無いので、勝間さんのこの本を最初に読んだときには「それは本当なのか」と疑問を抱きました。
しかし、もし私のブログがそれほどの影響力をもっているとしたら(持っていないと思いますが)、そのことを私はやはり率直に「うれしい」と感じます。
実際に面と向かってはっきり言われたことはありませんが、「ネット牧師」とか「ブログ先生」とか、そういう呼ばわられ方は、私はされたくないし、そういう言葉遣いがあまり好きでもありません。
しかし、本や雑誌類が売れない・買われない・読まれない時代の中で、せめてブログでも書くことによってキリスト教的言説をなんとかして世間に広めようとでもするでなければ、それほど遠くない未来にも「日本の牧師と教会はほとんど何も言っていないのと同じだ」と(教会の中の人からも)批判されてしまう時代が来てしまうのではないかと私は考えています。
2011年7月24日日曜日
いろいろ抱えながら楽しんで生きる
コリントの信徒への手紙一7・32~35
「思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。」
今日の個所にも引き続き扱われているのは結婚の問題です。ここに書かれているのは結婚に関するパウロの意見です。はっきり申し上げますと、この手紙の中でパウロが結婚について否定的な意見を述べていることは否定することができません。
しかし、私は皆さんを必要以上に不安な気持ちにさせたくありません。なるほどたしかにパウロは結婚について否定的な意見を述べています。しかし、彼自身の中にも、聖書全体の中にも、キリスト教信仰の中にも、結婚すること自体が罪であるという考え方は全くありません。結婚は、してもよいのです。それは神が許しておられることです。結婚は神御自身がお定めになった制度です。そして、パウロも結婚することを許しています。結婚してはいけないと禁止したことはないのです。
パウロが結婚について否定的なことを述べているのは、禁止しているのではなく、心配しているのです。それは先週の個所に書かれていたとおりです。「しかし、あなたが結婚しても罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです」(7・28)。
パウロが言おうとしていることは、ある意味で単純です。また、実際に結婚した人たちにとっては、言わずと知れたことだとでも言いたくなるくらいの当たり前のことです。それは要するに、結婚には楽しい面ばかりではなく苦しい面もあるということです。結婚する人たちは、そのことをすべて承知したうえでなければならないということです。
ですから、私は先週の説教の最後に、パウロが書いていることは逆説であると申し上げたのです。
先週の個所には「定められた時は迫っています」(7・29)とか「この世の有様は過ぎ去るからです」(7・31)という言葉がありました。これはパウロの終末論であると言いました。終末の時が近づいている、その日はまもなく訪れるとパウロは信じていました。わたしたちにとって終末は、神のみもとに召されることであり、天国に受け入れられることであり、永遠の祝福と喜びのうちに置かれることを意味するのですから、悪い意味での破滅や破局を思い描く必要はありません。しかしたとえそうだとしても、終末は、地上に生きる者にとっては、やはり別れを意味するのです。そこに死別の悲しみが伴うのです。
結婚した者たちが味わう最大の苦しみは、心から愛した人と死別しなければならないときが来ることです。死別の苦しみは、愛が深ければ深いほど耐えがたいものとなるでしょう。その苦しみにあなたは耐えられますかという問いかけが、パウロの言葉の裏側にある。私はそのような意味で、パウロの言葉を逆説だと申し上げたのです。
ですから今日の個所に書かれていることも、逆説なのです。しかし、パウロが書いていること自体は全く反論の余地もない事実です。これを否定できる人がいるでしょうか。私は自信がありません。パウロは次のように書いています。「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます」(7・33~34)。
私は自信がないと言っておきながら、すぐに別のことを言わなければなりませんが、いま申し上げたことは、私が「どうすれば妻に喜ばれるか」といつも考えているという意味ではありません。もしそうであれば妻はもっと喜んでいるはずですが、そちらの自信もありません。しかし、あまり私の顔ばかり見ないでください。いま申し上げていることは、私の話としてではなく、一般論として聴いていただきたいことです。
パウロが言おうとしていることを別の言葉で言い換えれば、「結婚は独りで成り立つものではない」ということになるかもしれません。これも考えてみれば全く当たり前の話です。しかし、あまりにも当たり前すぎて忘れられてしまう可能性がある、実は非常に重要なことなのかもしれません。
独りで成り立つ結婚というものなどはありえません。しかし、結婚生活の中でしばしば問題になり、トラブルにもなるのは、どちらか一方が他方に対して横暴な態度をとるとか、あるいは自分の考えや要求を一方的に押しつけるときだったりするではありませんか。
そういうことと比べれば、パウロが言っていることは、はるかにましなことです。「どうすれば妻に喜ばれるか」と、一生懸命考える夫は、良い夫でしょう。そういう人がなぜ責められなければならないのでしょうか。多くの男性はこういう人に見習わなければならないはずです。もしそうであるならば、パウロが「どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣う」人のことを責めているのかといえば、必ずしもそうとは限らないと考えることもできるはずです。あるいは、ここでパウロが「心が二つに分かれてしまう」ことは悪いことだと責めているのかといえば、必ずしもそうとは限らないと読むことができるはずなのです。
あるいはパウロは男性の側の話だけではなく女性の側に対しても、ほとんど同じことを繰り返しています。「独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います」(7・34)。パウロがほとんど同じことを繰り返していますので、私も同じような言葉を繰り返しておきます。「どうすれば夫に喜ばれるか」と心を遣う妻は、良い妻でしょう。そういう人がなぜ責められなければならないのでしょうか。なぜそれが悪いことなのでしょうか。そんなはずがないのです。
しかし、それでも、パウロが言っていることは紛れもない事実であるということは全く否定できません。なるほどたしかに、わたしたちがいったん結婚生活ということを始めたら、何か一つのことに脇目もふらず、ひたすら集中するということができにくくなるでしょう。心も意識もありとあらゆる方面へと拡散していき、分散していくでしょう。学者肌の人や芸術家肌の人にとっては、何か一つのことに対する集中力を奪われることは、本当に困ったことだと認識してしまう可能性があるかもしれません。
ですから、パウロが書いていることも、いま申し上げたとおりのことかもしれません。「このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです」(7・35)と書かれています。
ここで気になるのは、最後の「ひたすら主に仕えさせるため」という文章です。パウロにとって要するに大事なのは「ひたすら主に仕えること」だけであって、そのための邪魔になるようなことについては、いっさい切り捨てるべきであると言っているのでしょうか。大事なのは、神だけであり、宗教だけであり、教会だけである。その大事なことを守るために邪魔になるようなものはすべて切り捨てるべきであり、全く捨て去るべきであると、そのようなことをパウロは言いたいのでしょうか。
そのようなことをパウロは書いていないということを、これまでわたしたちは学んできたはずです。少なくとも私は、そのような意味にパウロの言葉を読みません。
もしいま申し上げたような読み方をしなければならないのだとしたら、たとえば、すでに学んだ個所に書かれていた「ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない」(7・12)というパウロの言葉をどのように理解すればよいのでしょうか。あるいは、「ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない」(7・13)という言葉はどうでしょうか。だって、結婚すると「心が二つに分かれてしまう」のでしょう?それはその通りだと思いますが、しかしもし「心が二つに分かれてしまうこと」が、悪いことであり、駄目なことであり、許されないことであり、「ひたすら主に仕えること」の妨害や障害でしかないということであるならば、未信者の配偶者とは離縁すべきでないと書いているパウロの言葉は、全く矛盾以外の何ものでもないではありませんか。
ですから、私は、パウロが書いている「心が二つに分かれること」を、彼がただひたすら悪い意味だけで書いているとは思えないのです。そうなってはいけないのだ、心や意識が分散するようなことに近づいてはいけないのだ、ただひたすら神さまのことだけ考えるべきであって、他のことは何一つ考えてはいけないのだと、そのような意味のことをパウロが書くはずがないと、私は信じています。そういう考え方は大げさすぎるし、極端すぎるし、あまりにも現実離れしすぎていて、非常に危険な考え方でさえあると思われてなりません。
そういうことではないのです。パウロはただ、ありのままの事実を書いているだけです。「結婚とは、そういうものです」と、淡々と事実を述べているだけです。結婚には楽しい面だけではなく苦しい面もある。集中力が必要なときも、あっちに走り、こっちに飛び回りしなければならないこともある。あのことも、このこともしながら、わたしたちは生きていく。その覚悟があなたがたにありますかと、パウロはこの手紙の読者に問いかけているのです。
結婚というどう考えてもデリケートすぎる問題について、あまり具体的な話をしすぎると必ず語弊が出てくるし、だれかが傷つくということが起こるので、なるべくなら避けたい面もあるのですが、一つだけお許しいただきたい話があります。それは牧師の話です。独身の牧師がいないわけではありません。しかし、神学校を卒業したばかりの若い独身の(現在の日本キリスト改革派教会の場合は、すべて男性の)牧師たちに対して、ほとんどの教会が、他の何をさておいてもまず最初に願うことは「早く結婚してほしい」ということだったりします。これも事実でしょう。
皆さんにぜひ考えてみていただきたいことは、その理由は何なのだろうかということです。パウロが書いていることを尊重するならば、「心が二つに分かれてしまう」ようなことを牧師たちが率先して行うのは間違っているということになるではありませんか。しかし、多くの教会は独身の牧師たちに「早く結婚してください」と言う。その意味は何なのでしょうか。
その答えを詳しく解説する時間は無くなりました。一つのヒントだけ申し上げておきます。教会に通っている皆さんは「あれもこれも抱えながら」生きているということです。そのことを理解できるようになるために、牧師たちも「あれもこれも抱えながら楽しんで」生きていく必要があるのです。
(2011年7月24日、松戸小金原教会主日礼拝)
2011年7月22日金曜日
もう国民は官僚を恐れはしない(2) とんねるず系番組
「もう国民は官僚を恐れはしない」をシリーズ化したい気もするのですが、長期的な執筆のヴィジョンのようなものをもっているわけではありません。
前回は「平成教育委員会」(フジテレビ)をやり玉に挙げましたが、もう一つずっと気になっていたのは、とんねるず系の人たちがやっている「みなさんの・・・」なんとかかんとか、いうテレビ番組ですね。これもフジテレビです。
これは1980年代後半から始まっているので、平成教育委員会より少し先輩です。しかし、平成教育委員会にも同じことが言えそうですが、放送開始の頃は、まだましだった。直視に耐えなくなってきたのは、正確な時期までは言えませんが、おそらくは「第一次小泉内閣」が発足した頃じゃないですかね、Wikipediaによると、2001年4月以降だそうですが。
あの番組の中で比較的人気の高い企画の中に「博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」というのがあるじゃないですか。開始は2004年4月だそうですが(これもソースはWikipedia)、あれには「平成教育委員会」に匹敵するほどの政治利用を感じます。
だって、ですね、「テレビに出られる」とはどれほどエライことであり、どれほど苦しいことなのかということを国民感情の中に焼きつけるために、あんなふうに「スイッチ一つで、床に開けた穴の中に落とす」わけですよね、テレビに出たがっている人を。そして、穴に落ちた人のことを、ただゲラゲラ笑う。
ああいう番組を見ながら、あれはとんねるずの二人が好き放題やっているとか、あんまりそんなふうに考えないほうがよいのだと思っています。テレビ局の仕組みもアンタッチャブルなブラックボックスなのでしょうから、一般人は見えません。しかし、さまざまな利害関係を乗り越えてああいう番組が出てくるまでに激しく複雑怪奇な仕組みがあるのでしょうから、とんねるずの二人の意思が全体を動かしている、などと思わないほうがよいのでしょう。
いずれにせよ、あのような番組を放送している人々が視聴者たちに植えつけたがっていることは、繰り返しますが、「テレビに出られる人」と「出られない人」との間には《これだけの差》があるのだという、寝ても覚めても打ち消しがたいほどの印象です。そのことは間違いなく言えるでしょう。
そして、このことと平成教育委員会などの影響力とが相乗作用を引き起こすことによって、「スゴイ学校」の卒業生か「スゴイ経歴」の持ち主のどちらかの中で「テレビに出られる」人こそが「最強のエライ人」であるという神話を捏造しようとしてきた。神話捏造のために奔走してきた張本人は、(彼ら自身はテレビに出ない)官僚たちその人々だ、と思い至らざるをえないのです。
だって、それは彼らにとっての莫大な利益につながるからです。官僚たちが書きあげた原稿を読む政治家たちの圧倒的な力を誇示できる手段は、長い間「テレビ」しかなかったのですから。一般人でもだれでもそう簡単にテレビに出られては困るのは、芸能界のライバルたちだけではなかった。政治家たちも、その後ろにいる官僚たちも、全く同様の利害関係にあったのです。
しかし、当たり前のことを書きますが、「テレビに出られる人」がエライわけではないですよ。「なぜ」とか「どうして」とか問われても、答えられませんけどね。
それにしても、とんねるず系の番組、いまだに懲りませんね。3月11日以降も、あいかわらず、ゲラゲラニヤニヤ。吐き気を催すばかりですが、見たくない人は見なきゃいいというスタンスなのでしょうね。しかし、なんでもかんでも「不謹慎」という殺し文句を使って排除したいとは思いませんが、あのようなクダラナイ番組をなぜいまだにキープし続けなければならないのか、全く理解に苦しみます。「少しくらいは空気を読めよ」と言いたくなります。
前回は「平成教育委員会」(フジテレビ)をやり玉に挙げましたが、もう一つずっと気になっていたのは、とんねるず系の人たちがやっている「みなさんの・・・」なんとかかんとか、いうテレビ番組ですね。これもフジテレビです。
これは1980年代後半から始まっているので、平成教育委員会より少し先輩です。しかし、平成教育委員会にも同じことが言えそうですが、放送開始の頃は、まだましだった。直視に耐えなくなってきたのは、正確な時期までは言えませんが、おそらくは「第一次小泉内閣」が発足した頃じゃないですかね、Wikipediaによると、2001年4月以降だそうですが。
あの番組の中で比較的人気の高い企画の中に「博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」というのがあるじゃないですか。開始は2004年4月だそうですが(これもソースはWikipedia)、あれには「平成教育委員会」に匹敵するほどの政治利用を感じます。
だって、ですね、「テレビに出られる」とはどれほどエライことであり、どれほど苦しいことなのかということを国民感情の中に焼きつけるために、あんなふうに「スイッチ一つで、床に開けた穴の中に落とす」わけですよね、テレビに出たがっている人を。そして、穴に落ちた人のことを、ただゲラゲラ笑う。
ああいう番組を見ながら、あれはとんねるずの二人が好き放題やっているとか、あんまりそんなふうに考えないほうがよいのだと思っています。テレビ局の仕組みもアンタッチャブルなブラックボックスなのでしょうから、一般人は見えません。しかし、さまざまな利害関係を乗り越えてああいう番組が出てくるまでに激しく複雑怪奇な仕組みがあるのでしょうから、とんねるずの二人の意思が全体を動かしている、などと思わないほうがよいのでしょう。
いずれにせよ、あのような番組を放送している人々が視聴者たちに植えつけたがっていることは、繰り返しますが、「テレビに出られる人」と「出られない人」との間には《これだけの差》があるのだという、寝ても覚めても打ち消しがたいほどの印象です。そのことは間違いなく言えるでしょう。
そして、このことと平成教育委員会などの影響力とが相乗作用を引き起こすことによって、「スゴイ学校」の卒業生か「スゴイ経歴」の持ち主のどちらかの中で「テレビに出られる」人こそが「最強のエライ人」であるという神話を捏造しようとしてきた。神話捏造のために奔走してきた張本人は、(彼ら自身はテレビに出ない)官僚たちその人々だ、と思い至らざるをえないのです。
だって、それは彼らにとっての莫大な利益につながるからです。官僚たちが書きあげた原稿を読む政治家たちの圧倒的な力を誇示できる手段は、長い間「テレビ」しかなかったのですから。一般人でもだれでもそう簡単にテレビに出られては困るのは、芸能界のライバルたちだけではなかった。政治家たちも、その後ろにいる官僚たちも、全く同様の利害関係にあったのです。
しかし、当たり前のことを書きますが、「テレビに出られる人」がエライわけではないですよ。「なぜ」とか「どうして」とか問われても、答えられませんけどね。
それにしても、とんねるず系の番組、いまだに懲りませんね。3月11日以降も、あいかわらず、ゲラゲラニヤニヤ。吐き気を催すばかりですが、見たくない人は見なきゃいいというスタンスなのでしょうね。しかし、なんでもかんでも「不謹慎」という殺し文句を使って排除したいとは思いませんが、あのようなクダラナイ番組をなぜいまだにキープし続けなければならないのか、全く理解に苦しみます。「少しくらいは空気を読めよ」と言いたくなります。
2011年7月19日火曜日
「今週の説教」の人気記事ランキング
このところ更新が滞っていて非常に心苦しく思っているのは、私設ブログ「今週の説教」のことです。原則として毎週日曜日の礼拝説教の生原稿を掲載していくことにしているのですが、ままなりません。「『明日しよう』と考えた瞬間にその仕事は永久にたなざらしになる」とビジネス指南書に書いてあることが見事に的中しているブザマさです。
誰から求められたわけでもなく自分の意思といささかのサービス精神とで始めたことですから、自分のペースでやっていけばよいことです。しかし、別の観方をすれば、自分に対して自分で立てたルールを自分で破っているようなものですから一種の自己矛盾の状態でもあるわけで、大変よろしくない状態であると自覚しています。でも、まあ、できないんだから仕方がない。いろいろ忙しくなってしまって、手が回らないです。
ところで、「今週の説教」も、この「関口 康日記」も、「A. A. ファン・ルーラー著作集」も、アットニフティ社の「ココログ」というサービスを利用させていただいているのですが、私にとってはとても有難いと感じる機能がついています。
それは「人気記事ランキング」という機能です。各ブログ上に公開してありますので、どなたでもご覧いただけます。
この機能についての詳しい説明は割愛しますが、要するに、ブログ上に自分で書いた記事についてのアクセスランキング表を自動的に生成してくれる機能です。
これがなぜ私にとって有難いのかといえば、この「人気記事ランキング」の中に、自分の説教を改善していくためのヒントがあふれていると思うからです。
ちなみに、「過去4か月」のアクセスランキングは、次のとおりです。
1位:「わたしはまことのぶどうの木」
2位:「らくだは針の穴を通れない~誰のための人生か~」
3位:「徴税人ザアカイ」
4位:「苦難の僕―受難週―」
5位:「狭き門より入れ」
6位:「善いサマリア人」
7位:「マルタとマリア」
8位:「わたしが命のパンである」
9位:「いつも喜んでいなさい」
10位:「主の祈り」
もちろん「人気記事ランキング」という表現そのものには軽薄な印象というものを払拭しきれないものがあります。そういうことはよく分かっているつもりです。しかし、このランキング表を見て私が思うことは、「ネット上の評価は、容赦なく客観的であるゆえに、信頼できる」ということです。
ともかくはっきり分かることは、これらの説教が選ばれた(というより「残された」)理由です。自画自賛をするつもりなどは毛頭ありませんが、このランキング表に「残った」説教は、私自身の記憶の中にも鮮明に残っているものばかりです(「今週の説教」に掲載している説教は、現在「301件」です)。
そのことが分かると次に何が分かるのかといえば、説教者である私が、今の時代の中で・21世紀の日本の中で・日本語で「聖書の言葉を解説する」とはどういうことを意味するのかが分かる。今の時代に生きている聴き手側の人たちが、聖書や教会、あるいは牧師と説教とに対して、どのようなことを求めているのかが分かります。
大衆迎合(ポピュリズム)のようなことをしてみせようという話ではありません。そもそも「説教」というものは、説教者だけで成り立つものではありえず、説教を聴いてくださる方々と共に作り上げていくものなのですから、聴き手側の評価や視点を客観的に表示するための何らかの方法が必要だったのです。しかし、そのための適切な方法が、インターネットが普及する以前には見当たりませんでした。
それで、いわば仕方なく、先輩牧師たちや神学校の説教学の教授だったような人たちが「あなたの説教は良い」だの「悪い」だのと講評するのを茶坊主たちがうんうん肯いて聴く勉強会のようなものが、ちょっとした流行を見せるようにもなりました。しかし、それってどれ程度まで客観性なるものが確保できているのでしょうか。「良い」だ「悪い」だ言う聴き手側の基準や根拠は何でしょうか。私にはよく分かりません。「前世紀的な」営みであるような気がします。
私のやり方が正しいかどうかは不明です。しかし、茶坊主にだけはなりたくなかったので、その種の勉強会には関わらないようにしてきました。しかし、上記のとおり、このところ身辺が多忙をきわめているため、ブログの更新すらままならなくなってきました。こういうときはむしろ、高名な先生のもとに通って指導を乞うほうが手っ取り早くてラクかもしれないなと考えなくもありません。「そろそろ白旗を上げようかな」と、すっかり弱気になっている今日この頃です。
誰から求められたわけでもなく自分の意思といささかのサービス精神とで始めたことですから、自分のペースでやっていけばよいことです。しかし、別の観方をすれば、自分に対して自分で立てたルールを自分で破っているようなものですから一種の自己矛盾の状態でもあるわけで、大変よろしくない状態であると自覚しています。でも、まあ、できないんだから仕方がない。いろいろ忙しくなってしまって、手が回らないです。
ところで、「今週の説教」も、この「関口 康日記」も、「A. A. ファン・ルーラー著作集」も、アットニフティ社の「ココログ」というサービスを利用させていただいているのですが、私にとってはとても有難いと感じる機能がついています。
それは「人気記事ランキング」という機能です。各ブログ上に公開してありますので、どなたでもご覧いただけます。
この機能についての詳しい説明は割愛しますが、要するに、ブログ上に自分で書いた記事についてのアクセスランキング表を自動的に生成してくれる機能です。
これがなぜ私にとって有難いのかといえば、この「人気記事ランキング」の中に、自分の説教を改善していくためのヒントがあふれていると思うからです。
ちなみに、「過去4か月」のアクセスランキングは、次のとおりです。
1位:「わたしはまことのぶどうの木」
2位:「らくだは針の穴を通れない~誰のための人生か~」
3位:「徴税人ザアカイ」
4位:「苦難の僕―受難週―」
5位:「狭き門より入れ」
6位:「善いサマリア人」
7位:「マルタとマリア」
8位:「わたしが命のパンである」
9位:「いつも喜んでいなさい」
10位:「主の祈り」
もちろん「人気記事ランキング」という表現そのものには軽薄な印象というものを払拭しきれないものがあります。そういうことはよく分かっているつもりです。しかし、このランキング表を見て私が思うことは、「ネット上の評価は、容赦なく客観的であるゆえに、信頼できる」ということです。
ともかくはっきり分かることは、これらの説教が選ばれた(というより「残された」)理由です。自画自賛をするつもりなどは毛頭ありませんが、このランキング表に「残った」説教は、私自身の記憶の中にも鮮明に残っているものばかりです(「今週の説教」に掲載している説教は、現在「301件」です)。
そのことが分かると次に何が分かるのかといえば、説教者である私が、今の時代の中で・21世紀の日本の中で・日本語で「聖書の言葉を解説する」とはどういうことを意味するのかが分かる。今の時代に生きている聴き手側の人たちが、聖書や教会、あるいは牧師と説教とに対して、どのようなことを求めているのかが分かります。
大衆迎合(ポピュリズム)のようなことをしてみせようという話ではありません。そもそも「説教」というものは、説教者だけで成り立つものではありえず、説教を聴いてくださる方々と共に作り上げていくものなのですから、聴き手側の評価や視点を客観的に表示するための何らかの方法が必要だったのです。しかし、そのための適切な方法が、インターネットが普及する以前には見当たりませんでした。
それで、いわば仕方なく、先輩牧師たちや神学校の説教学の教授だったような人たちが「あなたの説教は良い」だの「悪い」だのと講評するのを茶坊主たちがうんうん肯いて聴く勉強会のようなものが、ちょっとした流行を見せるようにもなりました。しかし、それってどれ程度まで客観性なるものが確保できているのでしょうか。「良い」だ「悪い」だ言う聴き手側の基準や根拠は何でしょうか。私にはよく分かりません。「前世紀的な」営みであるような気がします。
私のやり方が正しいかどうかは不明です。しかし、茶坊主にだけはなりたくなかったので、その種の勉強会には関わらないようにしてきました。しかし、上記のとおり、このところ身辺が多忙をきわめているため、ブログの更新すらままならなくなってきました。こういうときはむしろ、高名な先生のもとに通って指導を乞うほうが手っ取り早くてラクかもしれないなと考えなくもありません。「そろそろ白旗を上げようかな」と、すっかり弱気になっている今日この頃です。
2011年7月16日土曜日
もう国民は官僚を恐れはしない(1) 平成教育委員会
確たることなどは知る由もありませんし、すでに一部では論じ尽くされた観方かもしれません。しかし、私にもちょっとだけ言わせてください。ここ数年のわが国における政治と市民との絶望的な乖離の原因について、私が現時点で考えていることは、それほど複雑な話ではありません。
旧来の概念としてのいわゆる「エリート」とそれ以外の人々との知性ないし知識の差が、実はもはやほとんど無くなってきている。そのため、早い話が、国民の中に「エリート」を畏怖する思いが薄らいできている、あるいはほとんど皆無である。しかし、そういう状態では、政治というものは成り立たない。なぜなら、政治とは「上に立つ人」(と称する人たち)が、それ以外の人たちを「支配する」ことであるゆえに。そのため、何とかして、無理やりにでも、その「差」を作り出そうと、旧来の政治体質を受け継ぐ官僚たちが躍起になってきたに違いないのです。
とくに利用されてきたのはテレビでしょう。象徴的なのは約10年前から始まった「平成教育委員会」(フジテレビ)。出演者についてやたら「あなたは何々大学卒業だから」、「あなたは優秀な経歴の人だから」といった口上を繰り返すことで、その大学の卒業生、その経歴の人は「スゴイ」という価値観を国民に植えつける。おそらくその何々大学からは相当な額の広告料がテレビ局側に支払われてきたに違いないわけですが、大学側もテレビの圧倒的な影響力を利用する。そして、それらの大学を卒業した政治家や官僚の「スゴサ」をアピールし、それ以外の人々との「大差」があるかのように演出する、といった次第です。
でも、出演者たちが答えてるのって、(すみません、「たかが」と言わせていただきますが)「クイズ」なんですけどね。クイズができる人がスゴイ人、なんですかね。私にはよく分かりません。
そして、そのようにして、実はあまりスゴクない人たちが「おれたちはスゴイんだ、スゴイんだ」を言いたいがために、「スゴイ学校」や「スゴイ経歴」を無理やり創出したうえで、そのルートを通り抜けてきた人たちを特別扱いし、政治空間をまるでその人たちの秘密クラブのようなものとする。そのようにして政治空間をできるだけブラックボックス化し、アンタッチャブルなものにし、あたかも恐怖の対象であるかのように演出する。
という既定路線にそったやり方を、これからも半永久的に続けて行けると思っていたら、今年3月11日が訪れた。
爾来、それまでの無理やりなブラックボックス化によって不可視化されていた政治空間が、外側からでも次第に見えるようになってきた。その可視化の流れをユーチューブやフェイスブックやツイッターやユーストリームなどが後押しした。彼らが「隠し通せる」と思い込んできたことが、もはや隠しきれなくなった。
「なんだよ、あの連中、ウソばっかりだし、恫喝しか能がない人たちの集まりだし、逃げ口上だけは人一倍上手だが、人の弱さや悲しみに対する深い配慮や想像力、あるいは普遍的な良心に裏打ちされているような真の知性や教養が無い」ということが、一部の有識者だけではなく、国民の多くの知りうるところとなってきた、というのが、2011年7月16日現在の日本国内の精神状況ではないでしょうか。
旧来の概念としてのいわゆる「エリート」とそれ以外の人々との知性ないし知識の差が、実はもはやほとんど無くなってきている。そのため、早い話が、国民の中に「エリート」を畏怖する思いが薄らいできている、あるいはほとんど皆無である。しかし、そういう状態では、政治というものは成り立たない。なぜなら、政治とは「上に立つ人」(と称する人たち)が、それ以外の人たちを「支配する」ことであるゆえに。そのため、何とかして、無理やりにでも、その「差」を作り出そうと、旧来の政治体質を受け継ぐ官僚たちが躍起になってきたに違いないのです。
とくに利用されてきたのはテレビでしょう。象徴的なのは約10年前から始まった「平成教育委員会」(フジテレビ)。出演者についてやたら「あなたは何々大学卒業だから」、「あなたは優秀な経歴の人だから」といった口上を繰り返すことで、その大学の卒業生、その経歴の人は「スゴイ」という価値観を国民に植えつける。おそらくその何々大学からは相当な額の広告料がテレビ局側に支払われてきたに違いないわけですが、大学側もテレビの圧倒的な影響力を利用する。そして、それらの大学を卒業した政治家や官僚の「スゴサ」をアピールし、それ以外の人々との「大差」があるかのように演出する、といった次第です。
でも、出演者たちが答えてるのって、(すみません、「たかが」と言わせていただきますが)「クイズ」なんですけどね。クイズができる人がスゴイ人、なんですかね。私にはよく分かりません。
そして、そのようにして、実はあまりスゴクない人たちが「おれたちはスゴイんだ、スゴイんだ」を言いたいがために、「スゴイ学校」や「スゴイ経歴」を無理やり創出したうえで、そのルートを通り抜けてきた人たちを特別扱いし、政治空間をまるでその人たちの秘密クラブのようなものとする。そのようにして政治空間をできるだけブラックボックス化し、アンタッチャブルなものにし、あたかも恐怖の対象であるかのように演出する。
という既定路線にそったやり方を、これからも半永久的に続けて行けると思っていたら、今年3月11日が訪れた。
爾来、それまでの無理やりなブラックボックス化によって不可視化されていた政治空間が、外側からでも次第に見えるようになってきた。その可視化の流れをユーチューブやフェイスブックやツイッターやユーストリームなどが後押しした。彼らが「隠し通せる」と思い込んできたことが、もはや隠しきれなくなった。
「なんだよ、あの連中、ウソばっかりだし、恫喝しか能がない人たちの集まりだし、逃げ口上だけは人一倍上手だが、人の弱さや悲しみに対する深い配慮や想像力、あるいは普遍的な良心に裏打ちされているような真の知性や教養が無い」ということが、一部の有識者だけではなく、国民の多くの知りうるところとなってきた、というのが、2011年7月16日現在の日本国内の精神状況ではないでしょうか。
2011年7月15日金曜日
次善(セカンド・ベスト)としての「教会の政治的態度決定」を要望いたします
今週の私はいつになく、自分自身が実際に所属していた教団と、その中で実際に味わった過去の経験と、そして私の記憶の中でいまでも元気に生き続けている何人かの重要な登場人物とに対して、きわめて否定的ないし攻撃的なスタンスに立っているということを否定しないでおきます。
あれだけのことを書いた上で今さら白を切るつもりはありません。もし必要あれば、自分が書いたことについてはどのような責任でもとらせていただきます。
しかし、今週書いたこと(特に火曜日に書いた「1983年のアナーキスト」)は、いまだかつて一度もきちんとした形で文章にしたことがないことばかりでしたし、また、このことはもう二度と書かないつもりです。あとにも先にも、こういうのは私の人生の中で一回かぎりです。
そして、語弊なるものをやや恐れつつ言わせていただけば、私は日本基督教団の人々を今でも心から愛しています。いまだかつて日本基督教団の人々を憎んだことなどない。「日本基督教団というシステム」はとことん駄目だと私は思いましたが(「私は」ね)、中身(住人ですね)は実に素晴らしかった。
私が日本基督教団の人々を今でも愛していることは、現実の私を知っているすべての人が証言してくれるはずです。考えてみれば(考えてみなくても)、こんなの当たり前のことですよね。同じキリスト者であることは間違いないですから。
そして、上に書いた「日本基督教団というシステム」に対する失望の件も、私には(「私には」です)耐えることができませんでしたが、その思いを日本基督教団の方々自身に押しつけるつもりなどは全くありません。「耐えられなかった」のは、私の弱さゆえであって、日本基督教団の皆さんのせいではない。何でもかんでも他人のせいにするほど落ちぶれてはいないつもりです。
そして、「日本基督教団というシステム」には最大の長所があるということも分かっているつもりです。それは要するに「スケールメリット」でしょう。これはまた語弊を恐れながら書かなくてはならないことですが、私がいま書いていることの趣旨は、日本におけるキリスト教の他の教団・教派と比較してみたときに、ヒトとカネの力において最もスケールが大きいのが日本基督教団でしょうということです。
そしてそのことは、まさに今の状況の中でこそ、期待すべきことですよね。「日本基督教団というシステム」が実際に持っているそのスケールメリットを、世のため・人のため、そして被災地の復旧・復興のために惜しみなくふんだんに用いていただくのでなければ、これからの日本の中でキリスト教について語ることは、本当にもう、どうしようもないほど恥ずかしいことになってしまうでしょう。
もちろん小規模の教派もがんばりますよ、ていうか、もうすでに必死で全力でがんばってますよ。でも、まるで「スケール」が違いますからね、日本基督教団は、他と比べて。皮肉とか嫌味とかじゃなくて、事実として「日本最大のプロテスタント教団」なのですからね。
私が日本基督教団に対してこの面での期待をもっていることには、ここに繰り返し書いてきたことが当然関わっています。それは「日本にはオランダやドイツには存在する『キリスト教民主党』(Christian Democratic Party)というものが存在しない」ということです。
キリスト者である政治家が日本には全く存在しないわけではなく、実はけっこうたくさんいるのです。しかし、その人々の「信仰に基づく決断」を一政党としてのアクションという仕方で現実政治の場において生かすことができるようなシステムが、今の日本にはまだ存在しません。いま書いたことはだれもが知っている事実です。
しかし、私が言いたいことは、ここから先のことです。
実際問題としても、神学の問題としても、我々は「教会は政治にかかわるべきではない」というような屁理屈をいつまで通せると思っているのでしょうか。その屁理屈はちょうど、もし日本にキリスト教主義の保育園や幼稚園や学校や社会福祉施設が存在しなかったとしたら、日本の教会は日本の子どもたちの教育や社会福祉にはかかわらなくてもよい、と言っているのと同じような理屈です。
もしキリスト教主義の学校が存在しないなら、教会が子どもたちをキリスト教主義で教育するしかないでしょう。それと同じように、もし我々の国にキリスト教政党が無いのであれば、教会が政治に取り組むしかないでしょう。
私自身の考えでは、日本にヨーロッパ型の「キリスト教民主党」が誕生することが最善の選択肢です。しかし、それは今の様子では百年先でも二百年先でも不可能です。現時点では悪い妄想にすぎません。
だからこそ、《現時点では》「教会が」政治と社会問題に対して徹底的に取り組まなければならないのです。それは「最善」(ベスト)ではないかもしれませんが、「次善」(セカンド・ベスト)ではあるのです。
そして、教会が政治に取り組むこと、つまり、(20世紀のオランダのバルト主義者が実際に用いた表現を借りていえば)「教会の政治的態度決定」(Politieke stellingsname van de kerk)において不可欠な要件は、政治に取り組むその教団・教派・教会の「スケールメリット」が確保されていることです。規模の小さな教団・教派からは逆立ちしても出てこないほど多くのヒトとカネの力が、教会が政治に取り組むためには必要なのです。
こういう話をするとすぐに「教会よ、お前もか」と罵倒される。「結局は金まみれ、利権まみれか」と軽蔑されるのかもしれない。しかし、被災地の復旧・復興という課題を前にすると、今の日本の教会がいかに乏しく惨めであるかを、否が応でも見せつけられる。人もいない、お金もない。これで何ができるのか。
私にとっては、その言葉を聞いたほとんど最初の日から全く不思議でならなかったのです、「教会は伝道すべきである。しかし、政治にかかわるべきでない」とは何のことなのだろうか、ということが。
「教会は伝道すべきである」とは、信者の人数を増やすべきであるという意味であることは分かる。
「しかし、政治にかかわるべきでない」というのであれば、人数が増えた教会が政治的に無関心(ノンシャラン)であることを意味するわけだから、つまりそれは、完全なる現実逃避へと向かっていくように、という呼びかけではないだろうかと。
「日本最大のプロテスタント教団」の皆さまにおかれましては、東日本大震災以降のわが国においては、これまで以上にもっと真剣に、日本の政治に直接目を向けていただき、一つ一つの問題に全力で取り組んでいただくことを謹んで要望いたします。これこそが、そしてこれだけが元日本基督教団教師であった者としての唯一かつ最後のお願いです。
貴教団が「日本最大」であることのメリットは、どこをどう間違えてもまさか貴教団に所属している人たちの自己満足のためではないはずです。まして、それは「日本最大教団における最大教会」の人たちの(それ自体は意味不明な)優越感のためではありえないはずです。
日本にキリスト教政党ができるまでは、日本基督教団に「事実上のキリスト教政党のようなもの」としての役割を果たしていただく他はないのです。
私はいま、このことを一度言いました。生まれて初めて文字にしました。もう二度と言いません。これで終わりにします。
あれだけのことを書いた上で今さら白を切るつもりはありません。もし必要あれば、自分が書いたことについてはどのような責任でもとらせていただきます。
しかし、今週書いたこと(特に火曜日に書いた「1983年のアナーキスト」)は、いまだかつて一度もきちんとした形で文章にしたことがないことばかりでしたし、また、このことはもう二度と書かないつもりです。あとにも先にも、こういうのは私の人生の中で一回かぎりです。
そして、語弊なるものをやや恐れつつ言わせていただけば、私は日本基督教団の人々を今でも心から愛しています。いまだかつて日本基督教団の人々を憎んだことなどない。「日本基督教団というシステム」はとことん駄目だと私は思いましたが(「私は」ね)、中身(住人ですね)は実に素晴らしかった。
私が日本基督教団の人々を今でも愛していることは、現実の私を知っているすべての人が証言してくれるはずです。考えてみれば(考えてみなくても)、こんなの当たり前のことですよね。同じキリスト者であることは間違いないですから。
そして、上に書いた「日本基督教団というシステム」に対する失望の件も、私には(「私には」です)耐えることができませんでしたが、その思いを日本基督教団の方々自身に押しつけるつもりなどは全くありません。「耐えられなかった」のは、私の弱さゆえであって、日本基督教団の皆さんのせいではない。何でもかんでも他人のせいにするほど落ちぶれてはいないつもりです。
そして、「日本基督教団というシステム」には最大の長所があるということも分かっているつもりです。それは要するに「スケールメリット」でしょう。これはまた語弊を恐れながら書かなくてはならないことですが、私がいま書いていることの趣旨は、日本におけるキリスト教の他の教団・教派と比較してみたときに、ヒトとカネの力において最もスケールが大きいのが日本基督教団でしょうということです。
そしてそのことは、まさに今の状況の中でこそ、期待すべきことですよね。「日本基督教団というシステム」が実際に持っているそのスケールメリットを、世のため・人のため、そして被災地の復旧・復興のために惜しみなくふんだんに用いていただくのでなければ、これからの日本の中でキリスト教について語ることは、本当にもう、どうしようもないほど恥ずかしいことになってしまうでしょう。
もちろん小規模の教派もがんばりますよ、ていうか、もうすでに必死で全力でがんばってますよ。でも、まるで「スケール」が違いますからね、日本基督教団は、他と比べて。皮肉とか嫌味とかじゃなくて、事実として「日本最大のプロテスタント教団」なのですからね。
私が日本基督教団に対してこの面での期待をもっていることには、ここに繰り返し書いてきたことが当然関わっています。それは「日本にはオランダやドイツには存在する『キリスト教民主党』(Christian Democratic Party)というものが存在しない」ということです。
キリスト者である政治家が日本には全く存在しないわけではなく、実はけっこうたくさんいるのです。しかし、その人々の「信仰に基づく決断」を一政党としてのアクションという仕方で現実政治の場において生かすことができるようなシステムが、今の日本にはまだ存在しません。いま書いたことはだれもが知っている事実です。
しかし、私が言いたいことは、ここから先のことです。
実際問題としても、神学の問題としても、我々は「教会は政治にかかわるべきではない」というような屁理屈をいつまで通せると思っているのでしょうか。その屁理屈はちょうど、もし日本にキリスト教主義の保育園や幼稚園や学校や社会福祉施設が存在しなかったとしたら、日本の教会は日本の子どもたちの教育や社会福祉にはかかわらなくてもよい、と言っているのと同じような理屈です。
もしキリスト教主義の学校が存在しないなら、教会が子どもたちをキリスト教主義で教育するしかないでしょう。それと同じように、もし我々の国にキリスト教政党が無いのであれば、教会が政治に取り組むしかないでしょう。
私自身の考えでは、日本にヨーロッパ型の「キリスト教民主党」が誕生することが最善の選択肢です。しかし、それは今の様子では百年先でも二百年先でも不可能です。現時点では悪い妄想にすぎません。
だからこそ、《現時点では》「教会が」政治と社会問題に対して徹底的に取り組まなければならないのです。それは「最善」(ベスト)ではないかもしれませんが、「次善」(セカンド・ベスト)ではあるのです。
そして、教会が政治に取り組むこと、つまり、(20世紀のオランダのバルト主義者が実際に用いた表現を借りていえば)「教会の政治的態度決定」(Politieke stellingsname van de kerk)において不可欠な要件は、政治に取り組むその教団・教派・教会の「スケールメリット」が確保されていることです。規模の小さな教団・教派からは逆立ちしても出てこないほど多くのヒトとカネの力が、教会が政治に取り組むためには必要なのです。
こういう話をするとすぐに「教会よ、お前もか」と罵倒される。「結局は金まみれ、利権まみれか」と軽蔑されるのかもしれない。しかし、被災地の復旧・復興という課題を前にすると、今の日本の教会がいかに乏しく惨めであるかを、否が応でも見せつけられる。人もいない、お金もない。これで何ができるのか。
私にとっては、その言葉を聞いたほとんど最初の日から全く不思議でならなかったのです、「教会は伝道すべきである。しかし、政治にかかわるべきでない」とは何のことなのだろうか、ということが。
「教会は伝道すべきである」とは、信者の人数を増やすべきであるという意味であることは分かる。
「しかし、政治にかかわるべきでない」というのであれば、人数が増えた教会が政治的に無関心(ノンシャラン)であることを意味するわけだから、つまりそれは、完全なる現実逃避へと向かっていくように、という呼びかけではないだろうかと。
「日本最大のプロテスタント教団」の皆さまにおかれましては、東日本大震災以降のわが国においては、これまで以上にもっと真剣に、日本の政治に直接目を向けていただき、一つ一つの問題に全力で取り組んでいただくことを謹んで要望いたします。これこそが、そしてこれだけが元日本基督教団教師であった者としての唯一かつ最後のお願いです。
貴教団が「日本最大」であることのメリットは、どこをどう間違えてもまさか貴教団に所属している人たちの自己満足のためではないはずです。まして、それは「日本最大教団における最大教会」の人たちの(それ自体は意味不明な)優越感のためではありえないはずです。
日本にキリスト教政党ができるまでは、日本基督教団に「事実上のキリスト教政党のようなもの」としての役割を果たしていただく他はないのです。
私はいま、このことを一度言いました。生まれて初めて文字にしました。もう二度と言いません。これで終わりにします。
2011年7月14日木曜日
原曲に合わせて歌えるように修正しました
昨日アップしたGod Save the Queenの日本語訳にはいろいろ問題があることは分かっていますが、とりあえず最後の部分だけ書き直しました。
原詩では
No future no future
No future for you
No future no future
No future no future for me
と同じ言葉が繰り返されているのですが、そこは工夫の為所です。
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
と直してみました。
これなら原曲に合わせて歌うこともできるはずです(「歌ってください」と奨励しているわけではありませんよ!)
原詩では
No future no future
No future for you
No future no future
No future no future for me
と同じ言葉が繰り返されているのですが、そこは工夫の為所です。
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
と直してみました。
これなら原曲に合わせて歌うこともできるはずです(「歌ってください」と奨励しているわけではありませんよ!)
2011年7月13日水曜日
God Save the Queenを訳してみました
本当のことをいえば、S. ピストルズの曲を聴くのは、私にとっても久しぶりなんです。それこそ30年ぶりじゃないかな。ひとえにYoutubeのおかげです。
聴いていた当時(高校生でした)は、意味など何も分からず、ただ雰囲気と音量ばかりに魅了されていましたが、いま改めて歌詞を読むとなかなか興味深いですね。
それでさっそく、たいへん大急ぎではありますが訳してみましたのでご紹介いたします。ネット上にいろんな人の試訳が見つかりましたので、それらも参考にしました。逐語訳にしませんでしたので、原意を知りたい方は英語テキストを直接お読みください。
純粋に翻訳の題材として非常に優れています。そして、神学が真剣に考えるべきテーマが潜んでいます。
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女王陛下バンザーイ (神のご加護を)!
God Save the Queen
作詞 S. ピストルズ 訳 関口 康
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
この国はファシズムでーす
愚民化政策していまーす
水爆どこかに隠してまーす
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
あの人は人間ではありませーん
この国の野望に未来などありませーん
何が欲しい
何が必要だ
そういうことはもう言わないでくださいまし
だって
あんたらに未来はないんだからさ
あんたらマジで もうダメだから
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
だからそう言ってるじゃないすか
わたしらは
「神がかった」女王をお慕い申しているんすよ
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
ツアー客はお金くださーい
でも、あのおばちゃんは見かけ倒しでーす
この国の歴史は素敵でーす
狂ったパレードとかあるよー
おお主よ、あわれみたまえ
すべての罪をゆるしたまえ
でも「未来がない」ってことは「罪もない」ってことだよな
おれたちは捨てられた花
官僚機構の妨害者
でもな、今のおれたちが、あしたのお前らなんだよ
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
だからそう言ってんでしょうが
うちらの女王は
「神」とかに助けてもらわなきゃいけないやつだってね
女王陛下バンザーイ(神のご加護を)!
「神」とかマジでありえねえ
こんな国には夢も希望もありませーん
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
終末 崩壊 絶望 くに
終末 崩壊 絶望 おれ
(原詩)
God save the queen
The fascist regime
They made you a moron
Potential H-bomb
God save the queen
She aint no human being
There is no future
In englands dreaming
Don't be told what you want
Don't be told what you need
There's no future no future
No future for you
God save the queen
We mean it man
We love our queen
God saves
God save the queen
'Cos tourists are money
Our figures head
Is not what she seems
Oh god save history
God save your mad parade
Oh lord god have mercy
All crimes are paid
When there's no future
How can there be sin
We're the flowers in the dustbin
We're the poison in your human machine
We're the future you're future
God save the queen
We mean it man
We love our queen
God saves
God save the queen
We mean it man
And there is no future
In englands dreaming
No future no future
No future for you
No future no future
No future no future for me
No future no future
No future for you
No future no future
No future no future for you
オリジナルデザインTシャツ
今日は夕方6時半からつい先ほどまで、東関東中会の「東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」の部門会議を行いました。被災地への訪問団派遣の計画等を決めてきました。じっくり腰を据えた長期の支援を行うための体制が整いつつあります。今日届いたばかりの、ボランティアスタッフ用オリジナルデザインTシャツを見て、感動しました。
オリジナルデザインTシャツ作成の意図は(1)被災地に入るときの身分証明(ID)になること、(2)被災地に行けない人たちにも買っていただくことで参加意思を表わせること、(3)販売益をボランティアの活動費に充てること、です。
Tシャツは一枚2,000円です。色はネイビーブルー。サイズは六種類(S、XS、M、L、XL、XXL)ありますが、XLは予約完売、XXLは残り僅少です。
前
後
ロゴ(前)
ロゴ(後)
オリジナルデザインTシャツ作成の意図は(1)被災地に入るときの身分証明(ID)になること、(2)被災地に行けない人たちにも買っていただくことで参加意思を表わせること、(3)販売益をボランティアの活動費に充てること、です。
Tシャツは一枚2,000円です。色はネイビーブルー。サイズは六種類(S、XS、M、L、XL、XXL)ありますが、XLは予約完売、XXLは残り僅少です。
前
後
ロゴ(前)
ロゴ(後)
1983年のアナーキスト(下)
文章のタイトルは、だいたいは、全体を書き終えてから付けるようにしています。「上」までのところを書き終えたとき、いかにも「にわか村上春樹読者」らしいタイトルを思いつきました。
しかし、いくらなんでも、あの「上」で、話を終わらせるわけには行かない。ただちに「下」を続ける必要があります。
いちばん重要なことを、まだ書いていません。永倉牧師は「康(やすし)」という名前を、生まれたばかりの私のために考えてくださった名付け親なのです。
さんざん憎まれ口も叩いてきましたが、まだそう長くもない私の生涯の中で、あまりにも決定的すぎる意味をもつ、最も重要な人(の中の重要すぎる一人)であることは間違いありません。
そして、彼の言っていることは、なるほど何ひとつ嘘ではないのです。すべて事実でした。なるほど「日本最大の教会」だったのかもしれませんし、今でもそうなのかもしれません。
しかし、私は、それがたとえ事実であったとしても、このような尊大な言葉を、幼少の頃からお世話になった恩師の口からは聞きたくありませんでした。
「上」にいろいろ書き連ねた恩師の経歴や発言は、個人的に聞いたことを暴露しているわけではありません。すべては日曜日の礼拝の説教の中で語られた言葉です。200とも250とも言っていた大勢の出席者の前で。「公の」場で。
それに、半世紀以上も年齢差のある、まるで「雲の上」のような先生から、どうして「個人的に」話をお聞かせいただける機会があったでしょうか。
愕然とさせられた言葉を挙げていけば枚挙にいとまがありませんが、さすがにこれ以上はやめておきます。もう、とっくの昔に時効ですしね。
そして、私のほうも悪いことをしました。これはすでに、いろんなところに書いてきたことです。東京神学大学を受験するために所属教会の牧師の推薦書が必要だったため、牧師室を訪ね、「私は先生のようになりたいです」と、心にもないことを言いました。そのとき先生は喜んで推薦書を書いてくださいました。本当に申し訳ありませんでした。
しかし、そのとき言ったもう一つの言葉は偽りなき本心でした。「私は教会の便所掃除のような仕事がしたいです」と言いました。「それなら牧師になりたまえ」と、ちょっと笑いながら温かい目を向けてくださいました。
あれからもう、28年も経つのですね。また夏がめぐってきました。掃除のほうはあまり得意でない、とてもだらしない人間のままですが、おかげさまで、今でもなんとか牧師を続けています。
(とりあえず完)
しかし、いくらなんでも、あの「上」で、話を終わらせるわけには行かない。ただちに「下」を続ける必要があります。
いちばん重要なことを、まだ書いていません。永倉牧師は「康(やすし)」という名前を、生まれたばかりの私のために考えてくださった名付け親なのです。
さんざん憎まれ口も叩いてきましたが、まだそう長くもない私の生涯の中で、あまりにも決定的すぎる意味をもつ、最も重要な人(の中の重要すぎる一人)であることは間違いありません。
そして、彼の言っていることは、なるほど何ひとつ嘘ではないのです。すべて事実でした。なるほど「日本最大の教会」だったのかもしれませんし、今でもそうなのかもしれません。
しかし、私は、それがたとえ事実であったとしても、このような尊大な言葉を、幼少の頃からお世話になった恩師の口からは聞きたくありませんでした。
「上」にいろいろ書き連ねた恩師の経歴や発言は、個人的に聞いたことを暴露しているわけではありません。すべては日曜日の礼拝の説教の中で語られた言葉です。200とも250とも言っていた大勢の出席者の前で。「公の」場で。
それに、半世紀以上も年齢差のある、まるで「雲の上」のような先生から、どうして「個人的に」話をお聞かせいただける機会があったでしょうか。
愕然とさせられた言葉を挙げていけば枚挙にいとまがありませんが、さすがにこれ以上はやめておきます。もう、とっくの昔に時効ですしね。
そして、私のほうも悪いことをしました。これはすでに、いろんなところに書いてきたことです。東京神学大学を受験するために所属教会の牧師の推薦書が必要だったため、牧師室を訪ね、「私は先生のようになりたいです」と、心にもないことを言いました。そのとき先生は喜んで推薦書を書いてくださいました。本当に申し訳ありませんでした。
しかし、そのとき言ったもう一つの言葉は偽りなき本心でした。「私は教会の便所掃除のような仕事がしたいです」と言いました。「それなら牧師になりたまえ」と、ちょっと笑いながら温かい目を向けてくださいました。
あれからもう、28年も経つのですね。また夏がめぐってきました。掃除のほうはあまり得意でない、とてもだらしない人間のままですが、おかげさまで、今でもなんとか牧師を続けています。
(とりあえず完)
2011年7月12日火曜日
1983年のアナーキスト(上)
何を隠そう、昨日の記事にご登場いただいた「教会批判者」のモデルは、私です。
時は西暦1983年(昭58)8月某日。Wikipediaによると、清原・桑田の一年生コンビの力でPL高校が甲子園で全国優勝(2度目)した夏。当時の私は高校3年生(17才)。その日は教会主催の高校生夏期修養会に出席していました。
その日そのときに私の胸に強く迫った「論理」の全行程こそが、昨日書いたことでした。翌1984年(昭59)4月には東京神学大学(東京都三鷹市)の学生寮での生活を開始することになります。
高3当時はレッド・ツェッペリン以上にS.ピストルズにハマっていたアナーキスト少年Sは、0才から18才まで通った教会の老牧師を「講壇から引きずりおろす」ために「自分が牧師にならねばならない」という妄想(ですね、これは)にとりつかれ、神学校の門を叩いたのでした。ここで言いたいことは「高校生の考えることなんて、その程度の浅はかなものだ」ということです。
あまりにも具体的な状況を詳述しすぎると、「出身教会を恨んでいるのかこの人は」というだけの話だと誤解されかねません。しかし別にそういうことではない(憎んでいるわけでも恨んでいるわけでもない)と思っている私としては、これ以上のことを書くことに、いささかの躊躇と迷いがあります。
でも、う~ん、そうですね、行きがかり上、私の出身教会に登場してもらわないかぎり、この先の話を続けることができそうもありません。それは、私の人生の最初の20年間を全く支配していたというほかに表現しようがない何ものかなのですから。ほんとうに私は恨んでなんかいませんので、この点はぜひご理解ください。
その教会の名前は「日本基督教団岡山聖心教会」といいます。
当時の牧師は永倉義雄氏(現在は故人)。その教会は現在、義雄氏の二男が主任牧師、義雄氏の孫が副牧師を務める、純粋な世襲教会になっています。私がいた頃の礼拝出席者は200とか250とか言っていました。所在は岡山市の中心地ですが、第二次大戦時の大空襲を免れて焼け残った江戸時代の武家屋敷の家屋を買い上げ、床の間つきの畳の部屋に座布団を敷きつめて正座して礼拝するという、いろんな意味で「痛い」教会でした。
「私の出身教会」と書かざるをえませんが、しかし、自分の手で門を叩いた記憶も事実もありません。教会員になったのが最も古いのは母で、母の実家から徒歩約五分のところに第二次大戦直後に開設された教会でした。父は群馬県前橋市の出身者ですが、岡山聖心教会に父は大学時代に洗礼を受けた教会からの紹介で通うようになりました。こういう事情ですので、岡山聖心教会は、私にとっては「不可避的な関係」ではありましたが、自分の明確な意思をもって通いはじめたものではありません。
日本基督教団の場合、必ず問われるのは「そこは教団の中の何派の教会なのですか」ということに決まっていますので、その件にも触れておきます。以下はすべて永倉牧師自身が語ったことです。
若い頃に受洗した教会は日本聖公会であったが、その後救世軍に移籍し、救世軍士官学校を卒業。救世軍の教会の牧師になるが、山室軍平氏と対立して救世軍を脱退。戦前の日本聖教会(ホーリネス系)に移るが、1941年(昭16)に日本基督教団に合流し、教団第九部に属する日本基督教団南京(ナンキン)教会の牧師になる。戦時中は「ホーリネス(教団六部・九部)弾圧」の対象となり、南京で逮捕・抑留。戦後は日本への引揚隊の隊長となり、帰国。そのときの帰国仲間を中核とする教会を立てようという機運が起こり、岡山聖心教会ができた。ところが、永倉牧師は戦後の日本基督教団の中で「ホーリネス系」の中にとどまることを不服として、ホーリネスの群れを脱退。その後は「無教派・無信条の教団主義」を自称するようになる。
そして私が生まれたのが1965年(昭40)。つまり戦後20年。岡山聖心教会の設立から数えても約20年。牧師は当時70台。教会附属の幼稚園を三つ(当時)持っていましたので、世間では大規模幼稚園の「理事長」として知られたからでもあるでしょう、私がいた頃には毎週日曜日に上記のとおり200とか250とかの人が(武家屋敷にね)集まる教会となり、教会の会計は「年間予算7千万」だと言っていました。たぶん今もそんな感じのままだと思います。教団年鑑には書いてあるはずです。
そのような中、永倉牧師がしょっちゅう用いていたレトリックを、その三段論法を、いまだに忘れることができません。彼は繰り返しこう言いました。
「岡山聖心教会は日本基督教団における最大の教会である。そして日本基督教団は日本最大のキリスト教団である。それゆえ岡山聖心教会は『日本最大の教会』である」。
私のキャパシティ(別名「堪忍袋」)を超えはじめたのは、この三段論法を彼が繰り返すようになった頃からです。1983年のアナーキストはNo future for you !と『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』の歌詞を大声で叫びながら、倒さなければならない相手は教会の「外」ではなく「内」にこそいる、と確信していたものでした。若かったですね。
(「1983年のアナーキスト(下)」に続く)
時は西暦1983年(昭58)8月某日。Wikipediaによると、清原・桑田の一年生コンビの力でPL高校が甲子園で全国優勝(2度目)した夏。当時の私は高校3年生(17才)。その日は教会主催の高校生夏期修養会に出席していました。
その日そのときに私の胸に強く迫った「論理」の全行程こそが、昨日書いたことでした。翌1984年(昭59)4月には東京神学大学(東京都三鷹市)の学生寮での生活を開始することになります。
高3当時はレッド・ツェッペリン以上にS.ピストルズにハマっていたアナーキスト少年Sは、0才から18才まで通った教会の老牧師を「講壇から引きずりおろす」ために「自分が牧師にならねばならない」という妄想(ですね、これは)にとりつかれ、神学校の門を叩いたのでした。ここで言いたいことは「高校生の考えることなんて、その程度の浅はかなものだ」ということです。
あまりにも具体的な状況を詳述しすぎると、「出身教会を恨んでいるのかこの人は」というだけの話だと誤解されかねません。しかし別にそういうことではない(憎んでいるわけでも恨んでいるわけでもない)と思っている私としては、これ以上のことを書くことに、いささかの躊躇と迷いがあります。
でも、う~ん、そうですね、行きがかり上、私の出身教会に登場してもらわないかぎり、この先の話を続けることができそうもありません。それは、私の人生の最初の20年間を全く支配していたというほかに表現しようがない何ものかなのですから。ほんとうに私は恨んでなんかいませんので、この点はぜひご理解ください。
その教会の名前は「日本基督教団岡山聖心教会」といいます。
当時の牧師は永倉義雄氏(現在は故人)。その教会は現在、義雄氏の二男が主任牧師、義雄氏の孫が副牧師を務める、純粋な世襲教会になっています。私がいた頃の礼拝出席者は200とか250とか言っていました。所在は岡山市の中心地ですが、第二次大戦時の大空襲を免れて焼け残った江戸時代の武家屋敷の家屋を買い上げ、床の間つきの畳の部屋に座布団を敷きつめて正座して礼拝するという、いろんな意味で「痛い」教会でした。
「私の出身教会」と書かざるをえませんが、しかし、自分の手で門を叩いた記憶も事実もありません。教会員になったのが最も古いのは母で、母の実家から徒歩約五分のところに第二次大戦直後に開設された教会でした。父は群馬県前橋市の出身者ですが、岡山聖心教会に父は大学時代に洗礼を受けた教会からの紹介で通うようになりました。こういう事情ですので、岡山聖心教会は、私にとっては「不可避的な関係」ではありましたが、自分の明確な意思をもって通いはじめたものではありません。
日本基督教団の場合、必ず問われるのは「そこは教団の中の何派の教会なのですか」ということに決まっていますので、その件にも触れておきます。以下はすべて永倉牧師自身が語ったことです。
若い頃に受洗した教会は日本聖公会であったが、その後救世軍に移籍し、救世軍士官学校を卒業。救世軍の教会の牧師になるが、山室軍平氏と対立して救世軍を脱退。戦前の日本聖教会(ホーリネス系)に移るが、1941年(昭16)に日本基督教団に合流し、教団第九部に属する日本基督教団南京(ナンキン)教会の牧師になる。戦時中は「ホーリネス(教団六部・九部)弾圧」の対象となり、南京で逮捕・抑留。戦後は日本への引揚隊の隊長となり、帰国。そのときの帰国仲間を中核とする教会を立てようという機運が起こり、岡山聖心教会ができた。ところが、永倉牧師は戦後の日本基督教団の中で「ホーリネス系」の中にとどまることを不服として、ホーリネスの群れを脱退。その後は「無教派・無信条の教団主義」を自称するようになる。
そして私が生まれたのが1965年(昭40)。つまり戦後20年。岡山聖心教会の設立から数えても約20年。牧師は当時70台。教会附属の幼稚園を三つ(当時)持っていましたので、世間では大規模幼稚園の「理事長」として知られたからでもあるでしょう、私がいた頃には毎週日曜日に上記のとおり200とか250とかの人が(武家屋敷にね)集まる教会となり、教会の会計は「年間予算7千万」だと言っていました。たぶん今もそんな感じのままだと思います。教団年鑑には書いてあるはずです。
そのような中、永倉牧師がしょっちゅう用いていたレトリックを、その三段論法を、いまだに忘れることができません。彼は繰り返しこう言いました。
「岡山聖心教会は日本基督教団における最大の教会である。そして日本基督教団は日本最大のキリスト教団である。それゆえ岡山聖心教会は『日本最大の教会』である」。
私のキャパシティ(別名「堪忍袋」)を超えはじめたのは、この三段論法を彼が繰り返すようになった頃からです。1983年のアナーキストはNo future for you !と『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』の歌詞を大声で叫びながら、倒さなければならない相手は教会の「外」ではなく「内」にこそいる、と確信していたものでした。若かったですね。
(「1983年のアナーキスト(下)」に続く)
この文章に「献身のすすめ」というタイトルを付けておきます
さっきから何度も出るのは、ためいきばかりです。教会の中で起こる問題のほぼ9割9分9厘が牧師の弱さや罪や欠けに端を発していることは火を見るよりも明らかなのだから、教会の体質を良い方向に「変えたい」と願っている人は、その人自身が牧師になる以外に無いんじゃないのかね、と思うんですよ。いま書いていることは、これを読んでくださっている「あなた」に言ってることです。
日本の教会ってね、一部を除くほとんどは、建物は小さいし、組織は弱いし、動員力もお金も無いしでね、傍目からみれば「ごっこ遊び」してるようにしか見えないんでしょうけどね。でもね、これはこれでね、湾岸署の署長さんのセリフを借りれば、「できそこないでも命張ってんだ!」と言いたい面がありますよ。
教会の外に立っている人が教会のことを何と言おうと、それは仕方無いことですよ。人の口に戸は立てられない。でも、教会の悪口を先頭に立って言うのはたいてい教会の中の人ですし、教会の中で中途半端に責任を負っているような感じの人。ひたすらブザマですよ。「あなた自身が教会でしょーが?」と言ってあげたいですよ。
教会の悪口を言っちゃあいけないって言ってるんじゃないですよ。まさか、どう間違ってもそんなことを私が言うはずが無い。正反対ですよ。中途半端な論評なんかでは教会というのはビクともしやしないんだから、教会の体質を変えたければ、教会のど真ん中に入って行く以外どうしようもないじゃん、と言いたいだけです。
教会のど真ん中ってね、まさか、教団・教派や個々の教会の「役員会」のことじゃないですよ。そんなふうに思っている人は、誤解してるんです。教会の役員たちの悪口を言ってみたところで、何も変わりゃあしませんよ。それじゃあその人自身が選挙で選ばれて役員になれば教会の体質が変わるのかといえば、たぶん変わらない。かえって前よりもっと悪くなるんじゃないかな、教会の悪口を言いたいためだけに教会の役員になった、というだけならね。
それでは「教会のど真ん中」はどこ、あるいは何なのでしょうね。この問題の答えは、しばらく書かないでおきますよ。私の結論はいつも単純すぎて拍子抜けさせてしまうので、ちょっとくらい勿体をつけてからにしますね。
日本の教会ってね、一部を除くほとんどは、建物は小さいし、組織は弱いし、動員力もお金も無いしでね、傍目からみれば「ごっこ遊び」してるようにしか見えないんでしょうけどね。でもね、これはこれでね、湾岸署の署長さんのセリフを借りれば、「できそこないでも命張ってんだ!」と言いたい面がありますよ。
教会の外に立っている人が教会のことを何と言おうと、それは仕方無いことですよ。人の口に戸は立てられない。でも、教会の悪口を先頭に立って言うのはたいてい教会の中の人ですし、教会の中で中途半端に責任を負っているような感じの人。ひたすらブザマですよ。「あなた自身が教会でしょーが?」と言ってあげたいですよ。
教会の悪口を言っちゃあいけないって言ってるんじゃないですよ。まさか、どう間違ってもそんなことを私が言うはずが無い。正反対ですよ。中途半端な論評なんかでは教会というのはビクともしやしないんだから、教会の体質を変えたければ、教会のど真ん中に入って行く以外どうしようもないじゃん、と言いたいだけです。
教会のど真ん中ってね、まさか、教団・教派や個々の教会の「役員会」のことじゃないですよ。そんなふうに思っている人は、誤解してるんです。教会の役員たちの悪口を言ってみたところで、何も変わりゃあしませんよ。それじゃあその人自身が選挙で選ばれて役員になれば教会の体質が変わるのかといえば、たぶん変わらない。かえって前よりもっと悪くなるんじゃないかな、教会の悪口を言いたいためだけに教会の役員になった、というだけならね。
それでは「教会のど真ん中」はどこ、あるいは何なのでしょうね。この問題の答えは、しばらく書かないでおきますよ。私の結論はいつも単純すぎて拍子抜けさせてしまうので、ちょっとくらい勿体をつけてからにしますね。
2011年7月9日土曜日
「創造論VS進化論」というクマンバチの巣についての雑感
このところ「創造論VS進化論」という、聞くたびにうんざりしてきた話題に関するツイートがやたら来るなあと思っていたら、どうやらこれですね。埼玉医科大学の准教授氏が言い放ったという 「聖書は正しく、進化論は間違い。日本人は騙されている」が、クマンバチの巣をつついてしまったようです。
この件について議論したい気持ちなどは私には全くありません。しかし、今の原発問題(特に利権問題)と絡めて考えると、さかのぼれば19世紀から懲りずに続けられてきた「創造論VS進化論」という議論の本質が見えてくるような気がするのは私だけだろうかと考えなくもありません。
いま書いたことをもう少しだけ説明しておきます。今は「聖書利権」(?)というようなものは、世界のどこを見回しても、もはや死滅しているというか、ほとんど皆無の状態なので、「創造論叩き」は「マルクス主義叩き」同様、一種の弱い者いじめみたいなものです。
他方、「進化論利権」(?)はまだあるというか、この理屈で世界が回っている感が無きにしもあらずです。世界はいかようにも多様に解釈しうるはずなのに。この既定路線に立たなければ学界から締め出されるとか、そういうのは科学的でも学問的でもないと思わなくもない。
私は、創造論は「詩」(ポエム)みたいなものだととらえています。しかし、「だからそれは非科学的なのだ」と責め立てられるのはあんまりですよねとも思う。進化論そのものというより「進化論利権」のようなものとしては、とくに新薬の開発とかの場合、「モルモットに効くのだから人間にも効く(はずだ)」というような、まるで人間と他の動物との間の区別は全く無いかのような、あまりにもシームレスすぎる関係性の論じ方とかね。
あとは「ウルトラマンガイア」の中心テーマのように扱われた「環境破壊をするような人間は環境によって滅ぼされて淘汰されるほうがよい」というウルトラマンアグルの考え方も、人間と他のあらゆるものとの関係をあまりにも連続的に考えすぎる思想傾向の産物であるといえなくもない。人間と他者との関係には「連続性」も、限りなく100%に近いと思うほどある。しかし、「非連続性」もあるのだと言えないといけない。人間が「獣化」しすぎることを、科学ないし学問の名のもとに援護・補強するのは、それはそれで危険です。
うちの長男は、幼稚園くらいの頃に教会の本棚から手に取った「子ども聖書物語」のようなもので「世界は神が創造された」という話を素朴に受けとめていましたが、小学校の高学年か中学に入った頃かに「これまで考えてきたことが一気に崩れ去った」と初めて自分から口を開いて言いました。そのとき「で、お前はどっちなの?」と私が尋ねると、「う~ん、『両方言える』でいんじゃね?」と答えました。こいつは大物になりそうだと、バカ親の親バカ心が発動しました。
もうひとつ加えるとしたら、改革派教義学の伝統的な議論の中では、「創造」(Creation)の概念は「摂理」(Providence)の概念と一対の関係にあるものとして扱われなければ意味をなさないものだとみなされてきました。「創造」とは最初の瞬間の出来事としての「つくること」。他方の「摂理」は最初の「創造」が行なわれた後の全時間における出来事としての「まもり、ささえ、そだてること」。
たとえば、我々にとっての出産ないし誕生は、神学的にいえば「創造」というカテゴリーで説明されてはならず、「摂理」というカテゴリーで説明されなければならない。なぜなら、もし我々が「創造」というカテゴリーで出産ないし誕生を説明してしまうと、事実上「我々の両親は神である」と言っているのと同じことになってしまう。しかし、我々はどう間違っても「子どもを創造した(つくった)」わけではないし、あるいは「両親がおれ/あたしを創造した(つくった)」わけではない。
自分の赤ちゃんを前にして「おれが/あたしが、こいつをつくった」とでも思っているから、虐待しようが何しようが、創造者なるおれ/あたしの思いのままだと考えている(ごめんなさいね、ちょっと言わせてもらいますが)バカ親が少なくないのではないかと感じられる昨今。あるいは、自分のペットにもつけないような(これも言わせてもらえば)恥ずかしい名前を、自分の子どもにつける親もいる。
「人間よ、なんじはいかなる意味でも創造者ではありえないし、なんじの子どもはなんじのペットではありえない」ということをトコトン言い続けるためにこそ、「創造」と「摂理」の区別、あるいは「創造」と「出産」(ないし「誕生」)との概念上の区別を厳密にする必要がある。つまり、今日においてこそ創造論を欠くことはできないと思われてならない。
「創造」というカテゴリーは、思春期の子どもたちが親に向かってよく言う(ことになっている)「おれをつくってくれと頼んだ憶えはネエ!」という言い分を一部理解しつつ、「おれ/あたしが、お前をつくったわけじゃネエ!」という親側からの反論に微妙な根拠を提供するためのマクラコトバとして意味をもちうる、と言いたいだけです。
ちなみに、いま書いた、「おれ/あたしが、お前をつくったわけじゃネエ!」という親側のセリフに続く言葉は、「お前をつくったのは神さまだからね」ではありませんからね。「おれ/あたしはお前を産んだだけだ。産むことと造ることとは全く違うことなんだよ。文句あるか?」ですからね。
19世紀から前世紀にかけての「創造論VS進化論」という押し問答は、まさに利権問題としてとらえれば、よく分かる。各国の文科省(に相当する公的機関)と学校教育における「キリスト教利権」と「非キリスト教利権」のヘゲモニー争いでした。この論争の当事者たちにとって「聖書の解釈」という点こそマクラコトバにすぎませんでした。
本当に議論はしたくありません。しかし、「創造論は詩(ポエム)である」と書いたことについてだけは、異論が吹き出す可能性が高いので、先回りして書いておきます。
私の意図は「それは詩にすぎない」(It's only a poem)というふうに、それを低く評価することではありません。それは詩をバカにしすぎています。そういうのは全世界の全歴史における歌や音楽を全否定するのと同じ態度を意味しているわけですから、とんでもないことです。私に言わせてもらえば、創造論の詩を、ジミー・ペイジの奏でるダブルネックのイバニーズに合わせて、ロバート・プラントにシャウトしてもらいたい。それくらいの思いです。
しかしまた、「創造論は詩(ポエム)である」と私が受けとるもう一つの意味として言っておきたいことは、やはり、時と場所と状況をわきまえた語り方というのがある、ということです。
あくまでもたとえばの話ですが、我々の住んでいる国(まあ日本ですが)のプリンスとプリンセスが初めての子どもを産んだとき、マスコミの前で言った言葉は「コウノトリが来てくれた」でしたよね。「聖書とキリスト教の創造論は非科学的である」とか言ってつっこむ人たちには、あのプリンスの言葉にもつっこめよと言いたいですね。詩歌(しいか)の表現を用いて語るほうが適切な場面というのが、我々の人生にはあるのです、明らかにね。
でも、逆の言い方をすれば(逆かどうかは微妙ですが)、もしあの場面、あの状況でわが国のプリンスが「いやー、じつは、おれとこいつ(隣に座っていた人)があれをしたら、これができちゃったんですよ」と言えたか(Could he say that?)。そういう言葉づかいが「科学的」なのか。そうとは言えないと思うのですよ。
改革派神学の筋道の中で「進化」(evolution)というカテゴリーをどこに位置づけられるかといえば、おそらく「摂理」のところでしょうね。「摂理」は「創造」と共に「聖定」の枠組みの中に置かれます。創造は「第一の聖定」、摂理は「第二の聖定」ですから。
しかし、某准教授氏が言い放った「人間優越論」のような考え方は、改革派神学には全くそぐわないですね。改革派神学は、人間に対して全被造性(whole creativity)の一要素というくらいの位置づけしか与えて来なかったと思います。しかし、そうは言っても「上か下か」(優位か劣位か)という区別ではなく、両者(人間と世界)の非連続性(discontinuity)については、改革派神学はむしろ強調してきたはずです。
繰り返しますと、改革派神学の筋道からいえば「創造」が第一の聖定で、「摂理」が第二の聖定なのですが、後者「摂理」の中に「進化」を位置づけることは、それほど問題ではないはずです。しかし問題は、「創造」のほうは否定して「摂理」だけを残し、その上で「摂理」の中に「進化」を位置づけてしまうとどうなるかです。そのとき我々は、誰によっても(または何によっても)造られなかった世界が過去・現在・未来を通じて永久に存在し続けている状態、ということを想定せざるをえません。
その場合には、この世界には「はじまり」(beginning)が無いし、するとまた当然「おわり」(end)も無い。そうなると、すぐさま「終わりなき日常を生きろ」みたいな話になっていくのかどうかは分かりませんが、途方もない気持ちにさせられることは確かですね。私は某准教授氏がいうような意味での進化論否定論の立場にはいませんが、「詩(ポエム)としての創造論」まで否定されると、私などは「終わりなき日常」のプレッシャーに耐えかねて世界の外側へと飛び出していきたくなるような気がします(「死にたくなる」という意味です)。
というわけで、私自身はアメリカなどの福音派の事情は(そういう教会に通ったことがないので体験的知識がゼロであるという意味で)全く知らないのですが、相手を組み伏せるような議論を好まない福音派の人たちがいるなら、その人たちとだけは仲良くできそうです。
「創造論」の基本命題は「世界を創造したのは神である」というものであることは間違いありませんが、逆命題的に言い直せば、「もし世界が永遠に存在しているのではなく、何かあるいは誰か(どなたか)によって『はじめられた』ものであるならば、この世界を『はじめた』存在を『神』と呼ぶことにしよう」というあたりのことでもあるわけなので、「この世界にははじまりも終りもない」と言い張る科学者でもないかぎり、いま書いた意味での「創造論」を否定するほどの理由はないはずなのです。
しかし、そうは言っても、感覚的にいえば、カトリックや福音派の立場に全く同意できるとは思えない。彼らがとにかく嫌うのは、医学などの生命科学や物理学などが絶対的な自立性を持って優位性を主張しはじめ、神学部の営みを「非学問的」などと決めつけて罵倒してくるような場面でしょう。神学部の側も適当にスルーしておけばいいのに、売られたケンカを買おうとする。こうした彼らの神学的な勇ましさは「諸学は神学の婢(ancilla theologiae)である」と言えていた数百年前の時代の名残かもしれませんね。
この件について議論したい気持ちなどは私には全くありません。しかし、今の原発問題(特に利権問題)と絡めて考えると、さかのぼれば19世紀から懲りずに続けられてきた「創造論VS進化論」という議論の本質が見えてくるような気がするのは私だけだろうかと考えなくもありません。
いま書いたことをもう少しだけ説明しておきます。今は「聖書利権」(?)というようなものは、世界のどこを見回しても、もはや死滅しているというか、ほとんど皆無の状態なので、「創造論叩き」は「マルクス主義叩き」同様、一種の弱い者いじめみたいなものです。
他方、「進化論利権」(?)はまだあるというか、この理屈で世界が回っている感が無きにしもあらずです。世界はいかようにも多様に解釈しうるはずなのに。この既定路線に立たなければ学界から締め出されるとか、そういうのは科学的でも学問的でもないと思わなくもない。
私は、創造論は「詩」(ポエム)みたいなものだととらえています。しかし、「だからそれは非科学的なのだ」と責め立てられるのはあんまりですよねとも思う。進化論そのものというより「進化論利権」のようなものとしては、とくに新薬の開発とかの場合、「モルモットに効くのだから人間にも効く(はずだ)」というような、まるで人間と他の動物との間の区別は全く無いかのような、あまりにもシームレスすぎる関係性の論じ方とかね。
あとは「ウルトラマンガイア」の中心テーマのように扱われた「環境破壊をするような人間は環境によって滅ぼされて淘汰されるほうがよい」というウルトラマンアグルの考え方も、人間と他のあらゆるものとの関係をあまりにも連続的に考えすぎる思想傾向の産物であるといえなくもない。人間と他者との関係には「連続性」も、限りなく100%に近いと思うほどある。しかし、「非連続性」もあるのだと言えないといけない。人間が「獣化」しすぎることを、科学ないし学問の名のもとに援護・補強するのは、それはそれで危険です。
うちの長男は、幼稚園くらいの頃に教会の本棚から手に取った「子ども聖書物語」のようなもので「世界は神が創造された」という話を素朴に受けとめていましたが、小学校の高学年か中学に入った頃かに「これまで考えてきたことが一気に崩れ去った」と初めて自分から口を開いて言いました。そのとき「で、お前はどっちなの?」と私が尋ねると、「う~ん、『両方言える』でいんじゃね?」と答えました。こいつは大物になりそうだと、バカ親の親バカ心が発動しました。
もうひとつ加えるとしたら、改革派教義学の伝統的な議論の中では、「創造」(Creation)の概念は「摂理」(Providence)の概念と一対の関係にあるものとして扱われなければ意味をなさないものだとみなされてきました。「創造」とは最初の瞬間の出来事としての「つくること」。他方の「摂理」は最初の「創造」が行なわれた後の全時間における出来事としての「まもり、ささえ、そだてること」。
たとえば、我々にとっての出産ないし誕生は、神学的にいえば「創造」というカテゴリーで説明されてはならず、「摂理」というカテゴリーで説明されなければならない。なぜなら、もし我々が「創造」というカテゴリーで出産ないし誕生を説明してしまうと、事実上「我々の両親は神である」と言っているのと同じことになってしまう。しかし、我々はどう間違っても「子どもを創造した(つくった)」わけではないし、あるいは「両親がおれ/あたしを創造した(つくった)」わけではない。
自分の赤ちゃんを前にして「おれが/あたしが、こいつをつくった」とでも思っているから、虐待しようが何しようが、創造者なるおれ/あたしの思いのままだと考えている(ごめんなさいね、ちょっと言わせてもらいますが)バカ親が少なくないのではないかと感じられる昨今。あるいは、自分のペットにもつけないような(これも言わせてもらえば)恥ずかしい名前を、自分の子どもにつける親もいる。
「人間よ、なんじはいかなる意味でも創造者ではありえないし、なんじの子どもはなんじのペットではありえない」ということをトコトン言い続けるためにこそ、「創造」と「摂理」の区別、あるいは「創造」と「出産」(ないし「誕生」)との概念上の区別を厳密にする必要がある。つまり、今日においてこそ創造論を欠くことはできないと思われてならない。
「創造」というカテゴリーは、思春期の子どもたちが親に向かってよく言う(ことになっている)「おれをつくってくれと頼んだ憶えはネエ!」という言い分を一部理解しつつ、「おれ/あたしが、お前をつくったわけじゃネエ!」という親側からの反論に微妙な根拠を提供するためのマクラコトバとして意味をもちうる、と言いたいだけです。
ちなみに、いま書いた、「おれ/あたしが、お前をつくったわけじゃネエ!」という親側のセリフに続く言葉は、「お前をつくったのは神さまだからね」ではありませんからね。「おれ/あたしはお前を産んだだけだ。産むことと造ることとは全く違うことなんだよ。文句あるか?」ですからね。
19世紀から前世紀にかけての「創造論VS進化論」という押し問答は、まさに利権問題としてとらえれば、よく分かる。各国の文科省(に相当する公的機関)と学校教育における「キリスト教利権」と「非キリスト教利権」のヘゲモニー争いでした。この論争の当事者たちにとって「聖書の解釈」という点こそマクラコトバにすぎませんでした。
本当に議論はしたくありません。しかし、「創造論は詩(ポエム)である」と書いたことについてだけは、異論が吹き出す可能性が高いので、先回りして書いておきます。
私の意図は「それは詩にすぎない」(It's only a poem)というふうに、それを低く評価することではありません。それは詩をバカにしすぎています。そういうのは全世界の全歴史における歌や音楽を全否定するのと同じ態度を意味しているわけですから、とんでもないことです。私に言わせてもらえば、創造論の詩を、ジミー・ペイジの奏でるダブルネックのイバニーズに合わせて、ロバート・プラントにシャウトしてもらいたい。それくらいの思いです。
しかしまた、「創造論は詩(ポエム)である」と私が受けとるもう一つの意味として言っておきたいことは、やはり、時と場所と状況をわきまえた語り方というのがある、ということです。
あくまでもたとえばの話ですが、我々の住んでいる国(まあ日本ですが)のプリンスとプリンセスが初めての子どもを産んだとき、マスコミの前で言った言葉は「コウノトリが来てくれた」でしたよね。「聖書とキリスト教の創造論は非科学的である」とか言ってつっこむ人たちには、あのプリンスの言葉にもつっこめよと言いたいですね。詩歌(しいか)の表現を用いて語るほうが適切な場面というのが、我々の人生にはあるのです、明らかにね。
でも、逆の言い方をすれば(逆かどうかは微妙ですが)、もしあの場面、あの状況でわが国のプリンスが「いやー、じつは、おれとこいつ(隣に座っていた人)があれをしたら、これができちゃったんですよ」と言えたか(Could he say that?)。そういう言葉づかいが「科学的」なのか。そうとは言えないと思うのですよ。
改革派神学の筋道の中で「進化」(evolution)というカテゴリーをどこに位置づけられるかといえば、おそらく「摂理」のところでしょうね。「摂理」は「創造」と共に「聖定」の枠組みの中に置かれます。創造は「第一の聖定」、摂理は「第二の聖定」ですから。
しかし、某准教授氏が言い放った「人間優越論」のような考え方は、改革派神学には全くそぐわないですね。改革派神学は、人間に対して全被造性(whole creativity)の一要素というくらいの位置づけしか与えて来なかったと思います。しかし、そうは言っても「上か下か」(優位か劣位か)という区別ではなく、両者(人間と世界)の非連続性(discontinuity)については、改革派神学はむしろ強調してきたはずです。
繰り返しますと、改革派神学の筋道からいえば「創造」が第一の聖定で、「摂理」が第二の聖定なのですが、後者「摂理」の中に「進化」を位置づけることは、それほど問題ではないはずです。しかし問題は、「創造」のほうは否定して「摂理」だけを残し、その上で「摂理」の中に「進化」を位置づけてしまうとどうなるかです。そのとき我々は、誰によっても(または何によっても)造られなかった世界が過去・現在・未来を通じて永久に存在し続けている状態、ということを想定せざるをえません。
その場合には、この世界には「はじまり」(beginning)が無いし、するとまた当然「おわり」(end)も無い。そうなると、すぐさま「終わりなき日常を生きろ」みたいな話になっていくのかどうかは分かりませんが、途方もない気持ちにさせられることは確かですね。私は某准教授氏がいうような意味での進化論否定論の立場にはいませんが、「詩(ポエム)としての創造論」まで否定されると、私などは「終わりなき日常」のプレッシャーに耐えかねて世界の外側へと飛び出していきたくなるような気がします(「死にたくなる」という意味です)。
というわけで、私自身はアメリカなどの福音派の事情は(そういう教会に通ったことがないので体験的知識がゼロであるという意味で)全く知らないのですが、相手を組み伏せるような議論を好まない福音派の人たちがいるなら、その人たちとだけは仲良くできそうです。
「創造論」の基本命題は「世界を創造したのは神である」というものであることは間違いありませんが、逆命題的に言い直せば、「もし世界が永遠に存在しているのではなく、何かあるいは誰か(どなたか)によって『はじめられた』ものであるならば、この世界を『はじめた』存在を『神』と呼ぶことにしよう」というあたりのことでもあるわけなので、「この世界にははじまりも終りもない」と言い張る科学者でもないかぎり、いま書いた意味での「創造論」を否定するほどの理由はないはずなのです。
しかし、そうは言っても、感覚的にいえば、カトリックや福音派の立場に全く同意できるとは思えない。彼らがとにかく嫌うのは、医学などの生命科学や物理学などが絶対的な自立性を持って優位性を主張しはじめ、神学部の営みを「非学問的」などと決めつけて罵倒してくるような場面でしょう。神学部の側も適当にスルーしておけばいいのに、売られたケンカを買おうとする。こうした彼らの神学的な勇ましさは「諸学は神学の婢(ancilla theologiae)である」と言えていた数百年前の時代の名残かもしれませんね。
2011年7月5日火曜日
新しい復興相は「癒し系」でお願いします
復興相には羽田雄一郎さんのような人がいいなあと、昨夜からしきりと考えていました。
羽田さんはクリスチャンですから贔屓目もあることを否定しませんが、表情といい、体型といい、「ちょっぴり癒し系のリーダー」として、復興相のイメージにぴったりです。
民主党様、どうかよろしくお願いいたします。
羽田さんはクリスチャンですから贔屓目もあることを否定しませんが、表情といい、体型といい、「ちょっぴり癒し系のリーダー」として、復興相のイメージにぴったりです。
民主党様、どうかよろしくお願いいたします。
「 」しかないんですけどね
まあ、だから、あれじゃないですかね、恫喝・横柄・傲岸のやからは、どの社会にもどの団体にもいる。どの政党にも、どの会社にも、どの学校にも、どのチームにも、どの教会にも、ね。
そして、各団体に属している人々は、実をいうと、そういうやからが全体を管理していることを苦にしている。だって、根拠も能力も無いのに、ただ威張ってるだけ。やたら要求がましい。それでいて他人に対しては常に上から目線。ごねる、どなる、すねる。だから多くの人は「嫌だなあ。いなくなってもらいたいなあ」と心底から願ってもいる。
しかし、その一方で人々は、そういうやからの持っている独特の「人を従わせてしまう魔性の力」のようなものの一部は、あわよくば利用できそうだと、どこかで期待していたりもする。
「まあ、あれだ。ああいうのも一種の必要悪ってやつだな。あんなのに自分が直接支配されることを想像するとぞっとして鳥肌がたつが、まあ、おれ/あたし以外の人たちが被害を受けてる分には別にいいや。対岸の火事はどこかしら観ていてオモロイところもあるし」というあたりで自分を言い聞かせながら許容しているところがある。
でも、やっぱりだめなんですよね、理性を用いて誠実な情熱をもって謙遜でも常に力強く肯定的に語る「革命気質の」人たちの口を封じんとするために恫喝・横柄・傲岸をもってへばり付いて来る腐りきったやからに、いったん支配権を譲ってしまった社会や団体は。その時点・その瞬間が、その社会・その団体の「死」を意味します。
でも、「残念!」(もはや古いがギター侍)。その「死」は避けがたい。
なぜならば、そういうやからに運営を任さざるを得なくなっている状況にまで追い込まれているのは、その社会・その団体が「行き詰っている」ことの何よりの証左。要するに人材難です。もっといい人(適任者)がいるなら、そんなやからに運営を任す必要は全くないのだが、いないから(適任者がね)仕方がない。
ほんと、どうしたらいいんでしょうかね。
まあ、答えはひとつ、「 」しかないんですけどね。任侠党の恫喝大臣だらけになったときにはね(今の日本が完全にそういう状態になっていると私が思っている、という意味ではありませんよ)。それにしても「 」以外にどんな選択肢があるでしょうかね。
この文章を書いている最中に「復興相、引責辞任」のニュースが、ツイッターで飛び込んできました。よし!
そして、各団体に属している人々は、実をいうと、そういうやからが全体を管理していることを苦にしている。だって、根拠も能力も無いのに、ただ威張ってるだけ。やたら要求がましい。それでいて他人に対しては常に上から目線。ごねる、どなる、すねる。だから多くの人は「嫌だなあ。いなくなってもらいたいなあ」と心底から願ってもいる。
しかし、その一方で人々は、そういうやからの持っている独特の「人を従わせてしまう魔性の力」のようなものの一部は、あわよくば利用できそうだと、どこかで期待していたりもする。
「まあ、あれだ。ああいうのも一種の必要悪ってやつだな。あんなのに自分が直接支配されることを想像するとぞっとして鳥肌がたつが、まあ、おれ/あたし以外の人たちが被害を受けてる分には別にいいや。対岸の火事はどこかしら観ていてオモロイところもあるし」というあたりで自分を言い聞かせながら許容しているところがある。
でも、やっぱりだめなんですよね、理性を用いて誠実な情熱をもって謙遜でも常に力強く肯定的に語る「革命気質の」人たちの口を封じんとするために恫喝・横柄・傲岸をもってへばり付いて来る腐りきったやからに、いったん支配権を譲ってしまった社会や団体は。その時点・その瞬間が、その社会・その団体の「死」を意味します。
でも、「残念!」(もはや古いがギター侍)。その「死」は避けがたい。
なぜならば、そういうやからに運営を任さざるを得なくなっている状況にまで追い込まれているのは、その社会・その団体が「行き詰っている」ことの何よりの証左。要するに人材難です。もっといい人(適任者)がいるなら、そんなやからに運営を任す必要は全くないのだが、いないから(適任者がね)仕方がない。
ほんと、どうしたらいいんでしょうかね。
まあ、答えはひとつ、「 」しかないんですけどね。任侠党の恫喝大臣だらけになったときにはね(今の日本が完全にそういう状態になっていると私が思っている、という意味ではありませんよ)。それにしても「 」以外にどんな選択肢があるでしょうかね。
この文章を書いている最中に「復興相、引責辞任」のニュースが、ツイッターで飛び込んできました。よし!
同じ言葉をそのまま返したい
昨日の私は、自分が住ませてもらっている家をバッラバラに破壊したい衝動にかられるほど、激怒していました。
なにが「長幼の序」だ。あなた自身の、その幼稚な態度のほうが、よっぽど「幼」だろ、とね。
「最初にバーンと格の差を見せつけてやりゃあいいんだよ」みたいな入れ知恵でもあったのか、それともこの人に長年染み付いてきた何かなのかは、知る由もありませんですけどね。
恫喝やこけおどし(ググったら「虚仮威し」と書くらしいと分かりました。またひとつ勉強になりました)のことを「政治主導」だとか「真のリーダーシップ」だとか本気で思ってるんだとしたら、もうダメですね。
もう言い古された表現なのかもしれませんが、政治家さんたちにも必要なことは「サーバント・リーダーシップ」ってやつですよ。
人はしもべのごとく謙遜に仕えることにおいてこそ、全体を率いるリーダーでありうる。震災後の日本と世界には「ちょっぴり癒し系のリーダー」が求められていると思うんですけどね~、甘いですかね。
でも、また今、ふと思った。
この人って、こういうことをとにかく一度やりたかったんだろうなあってね。
子どもの頃から夢見てきたのかどうかは知りませんが、「国家権力の椅子」みたいものにずっと憧れてきて、その椅子に座るために頑張り、やっと座ることができた。
「じゃじゃ~ん、おれって国家権力だぜ。どうだマイッタか、ちゃんちゃん」みたいな気分を、しばし味わった。
でも、「お、おれさまが来てやったのに、ち、遅刻しやがった」(ジャイアンの声)。
ていうか、たぶん、あいつは、おれのことをなめている。
「くしょ~、あいつ、ぜったい仕返ししてやる~」(スネオの声)。
「えっと、あれ、なんだっけ、こういうときに使う言葉――そうそう、『長幼の序』。いまどき携帯でもググれるぜ。これ言ってやろう。マスコミの前で、わざとね。そうすりゃマスコミはぜったいオレに食いついてくるから、テレビに出られるぜ」。
じゃじゃ~ん、ピース、ピース。田舎のかあちゃん、おれ、テレビに出てるじぇ~。
なにが「長幼の序」だ。あなた自身の、その幼稚な態度のほうが、よっぽど「幼」だろ、とね。
「最初にバーンと格の差を見せつけてやりゃあいいんだよ」みたいな入れ知恵でもあったのか、それともこの人に長年染み付いてきた何かなのかは、知る由もありませんですけどね。
恫喝やこけおどし(ググったら「虚仮威し」と書くらしいと分かりました。またひとつ勉強になりました)のことを「政治主導」だとか「真のリーダーシップ」だとか本気で思ってるんだとしたら、もうダメですね。
もう言い古された表現なのかもしれませんが、政治家さんたちにも必要なことは「サーバント・リーダーシップ」ってやつですよ。
人はしもべのごとく謙遜に仕えることにおいてこそ、全体を率いるリーダーでありうる。震災後の日本と世界には「ちょっぴり癒し系のリーダー」が求められていると思うんですけどね~、甘いですかね。
でも、また今、ふと思った。
この人って、こういうことをとにかく一度やりたかったんだろうなあってね。
子どもの頃から夢見てきたのかどうかは知りませんが、「国家権力の椅子」みたいものにずっと憧れてきて、その椅子に座るために頑張り、やっと座ることができた。
「じゃじゃ~ん、おれって国家権力だぜ。どうだマイッタか、ちゃんちゃん」みたいな気分を、しばし味わった。
でも、「お、おれさまが来てやったのに、ち、遅刻しやがった」(ジャイアンの声)。
ていうか、たぶん、あいつは、おれのことをなめている。
「くしょ~、あいつ、ぜったい仕返ししてやる~」(スネオの声)。
「えっと、あれ、なんだっけ、こういうときに使う言葉――そうそう、『長幼の序』。いまどき携帯でもググれるぜ。これ言ってやろう。マスコミの前で、わざとね。そうすりゃマスコミはぜったいオレに食いついてくるから、テレビに出られるぜ」。
じゃじゃ~ん、ピース、ピース。田舎のかあちゃん、おれ、テレビに出てるじぇ~。
『改革派教会信仰告白集』を購入することにしました
みんな気づいているのに言わずに我慢しているんだろうと思うので、口火を切ります。一麦出版社(北海道札幌市)が、同社の「創立20周年記念出版」として今年9月から刊行を始めようとしておられる『改革派教会信仰告白集』(全六巻・別巻一、大崎節郎編集、一麦出版社)を盛り立てる翻訳者陣の中に、日本キリスト改革派教会のメンバーが一人も選ばれていない。これはけっこう、いろんな意味で深刻なことであると自覚する必要がありそうです。
しかし、いま書いたことは『改革派教会信仰告白集』に対する批判ではありません。批判どころか、とても素晴らしい企画ですねと心から絶賛します。これは私の本心です。実際問題として、『改革派教会信仰告白集』の訳者の中に日本キリスト改革派教会のメンバーが一人も加わっていないことに、日本キリスト改革派教会のメンバーがふて腐れる必要も理由も全くないと思っています。
カタログの文章の中に「本信仰告白集の発刊によって偏狭な信条主義が刺激されることではなく」とか「狭義の改革派教会に止まらず」とか、まるで仮想敵(?)を強く意識したような言葉が目につくのは若干気にはなります。しかし、その感覚自体は完全に時代遅れのものですので、「はいはい分かりました」とでも言って受け流しておけば済むでしょう。
彼らが「偏狭な」とか「狭義の」という形容詞をもって、何を言おうとしているのかは何となく分かります。しかし、疑問に思うことは、そういうものを排したところに生まれる『改革派教会信仰告白集』とはどういう性格のものなのだろうかということです。
「偏狭な信条主義」に立つ「狭義の改革派教会」がその教派の《標準訳》のようなものを作ろうとする場合、一教派の大会の憲法委員会の発案であるとか、大会での議論といったような、しちめんどくさいけれども不可避的な手続きを踏んでいきます。しかし《個人訳》にはそのような手続きはありません。その意味で『改革派教会信仰告白集』は「気楽な個人訳」であるということです。ですから、仮想敵(?)に対するチクチク攻撃を前にしても「はいはい分かりました」で済みます。
その種の枝葉末節よりはるかに重要なことは、彼らの言うところの「偏狭な信条主義」に立っているらしい「狭義の改革派教会」のメンバーたちが「また信条の話ですか」とそろそろうんざりしてきているときに(実際そんなふうな顔をされるときがあります)、「派」のついた「改革派教会」を名乗らない人たちが、「派」のついた「改革派教会信仰告白」についての研究活動を、ようやく本腰をあげて始めてくださったということです。
これは諸手をあげて感謝すべきことです。翻訳のヴァージョンはいくらあっても構わないわけですし。そして、この世には絶対に壊れない「完璧な機械」などは存在しない。それと同じように、この世には「完璧な翻訳」も存在しない。いろいろ読み比べることができる、大規模な学習教材を提供していただけることがうれしいです。
ちなみに、昨日のことですが、松戸小金原教会の定期小会において、『改革派教会信仰告白集』全巻を予約購入することを全会一致で決議しました。
一麦出版社様、どうかよろしくお願いいたします。
しかし、いま書いたことは『改革派教会信仰告白集』に対する批判ではありません。批判どころか、とても素晴らしい企画ですねと心から絶賛します。これは私の本心です。実際問題として、『改革派教会信仰告白集』の訳者の中に日本キリスト改革派教会のメンバーが一人も加わっていないことに、日本キリスト改革派教会のメンバーがふて腐れる必要も理由も全くないと思っています。
カタログの文章の中に「本信仰告白集の発刊によって偏狭な信条主義が刺激されることではなく」とか「狭義の改革派教会に止まらず」とか、まるで仮想敵(?)を強く意識したような言葉が目につくのは若干気にはなります。しかし、その感覚自体は完全に時代遅れのものですので、「はいはい分かりました」とでも言って受け流しておけば済むでしょう。
彼らが「偏狭な」とか「狭義の」という形容詞をもって、何を言おうとしているのかは何となく分かります。しかし、疑問に思うことは、そういうものを排したところに生まれる『改革派教会信仰告白集』とはどういう性格のものなのだろうかということです。
「偏狭な信条主義」に立つ「狭義の改革派教会」がその教派の《標準訳》のようなものを作ろうとする場合、一教派の大会の憲法委員会の発案であるとか、大会での議論といったような、しちめんどくさいけれども不可避的な手続きを踏んでいきます。しかし《個人訳》にはそのような手続きはありません。その意味で『改革派教会信仰告白集』は「気楽な個人訳」であるということです。ですから、仮想敵(?)に対するチクチク攻撃を前にしても「はいはい分かりました」で済みます。
その種の枝葉末節よりはるかに重要なことは、彼らの言うところの「偏狭な信条主義」に立っているらしい「狭義の改革派教会」のメンバーたちが「また信条の話ですか」とそろそろうんざりしてきているときに(実際そんなふうな顔をされるときがあります)、「派」のついた「改革派教会」を名乗らない人たちが、「派」のついた「改革派教会信仰告白」についての研究活動を、ようやく本腰をあげて始めてくださったということです。
これは諸手をあげて感謝すべきことです。翻訳のヴァージョンはいくらあっても構わないわけですし。そして、この世には絶対に壊れない「完璧な機械」などは存在しない。それと同じように、この世には「完璧な翻訳」も存在しない。いろいろ読み比べることができる、大規模な学習教材を提供していただけることがうれしいです。
ちなみに、昨日のことですが、松戸小金原教会の定期小会において、『改革派教会信仰告白集』全巻を予約購入することを全会一致で決議しました。
一麦出版社様、どうかよろしくお願いいたします。
ウェストミンスター信仰告白はルネ・デカルトを知っている
ウェストミンスター信仰告白のことを高く肯定的に評価してくれている話を耳にすると、自分の頭を優しく撫でてもらっているような気持ちになる改革派教会のメンバーは少なくないんじゃないかなと思います。
ウェストミンスター信仰告白の面白さの一つであると私が考えていることは、「ウ告白は近代哲学の父、ルネ・デカルトを知っている」という点です。16世紀のハイデルベルク信仰問答はデカルト(1596年3月31日〜1650年2月11日)の出現をまだ知りません。しかし、17世紀のウェストミンスター信仰告白はデカルトを知っています。それが意味することは、「ウェストミンスター信仰告白は近代哲学を知っている」ということです。換言すれば、「ウェストミンスター信仰告白は現代人の感性を知っている」ということです。
ウェストミンスター信仰告白とデカルト哲学との歴史的関係というテーマについては、日本では研究がほとんど全くなされていない状態ですので、修士論文や博士論文で取り上げる人が出て来てほしいところですが、私見によれば、歴史的にはほぼ確実に証明しうることです。
デカルト哲学が流行しはじめたことを懸念して猛烈な反対運動をおこした(「デカルトを弾圧した」と評されても仕方がないほど)急先鋒の神学者は、オランダのユトレヒト大学神学部の開設者として知られるヒスベルトゥス・フーティウス(Gisbertus Voetius、「ヴォエティウス」とも)(1589年〜1676年)です。フーティウスを中心とするデカルト哲学排斥運動は、ウェストミンスター神学者会議(1643〜1649年)より少し前から始まっていたことですが、この運動を知らないようなヨーロッパの改革派神学者はいませんでした。また、ウェストミンスター神学者会議に参加した議員の中にはブリテン島からヨーロッパ大陸に、なかでも特にオランダに留学した人が何人かいることが知られていますので、彼ら経由でフーティウスから直接情報を得ていたことも十分考えられます。
先週末ここに書きましたように、このたびの大震災を「神の御心」と信じるべきかどうかという問いに対して、もしハイデルベルク信仰問答の線に立とうとするならば、「天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができない」(問1の答え)のですから、そうであるということ(「大震災は神の御心である」ということ)を躊躇なく全面的に肯定することからすべての思索を開始する道以外ありえない。
しかし、ウェストミンスター信仰告白の線に立つならば、「第二原因の自由や偶然性(the liberty or contingency of second causes)は奪い去られない」(3・1)と書かれていることに基づいて、「大震災は偶然である」と受けとめる余地が与えられる。
この違いがヨーロッパ大陸の改革派神学とデカルト哲学との大論争とどのように関係しているかはまだ分かりません。しかし、16世紀のハイデルベルク信仰問答と17世紀のウェストミンスター信仰告白との間に起こったと思われる神学的・教義学的な発展は、現代社会に生を得ている我々にとっては決して小さくない、軽んじられてもならない要素であると、私には思われてならないのです。
いま書いたことの主旨は、ウェストミンスター神学者会議の中にデカルト主義者が紛れ込んでいたというようなことではありません。私が考えていることは、彼ら神学者たちの視野の中にデカルトの問題提起が含まれていて、16世紀までほどのストレートさをもって「神の御心」を語ることに一種の躊躇があったと言えるのではないかということであり、その躊躇は「現代人の感性」に対する配慮や目配せというべきものであり、21世紀の我々にも通じるものではないかということです。
ところで、ウェストミンスター神学者会議のような会議は、現代においては、どのようにすれば実現可能でしょうか。それは、「顔ぶれだけ見れば全くまとまりようのない会議」と評されるような会議です。
現時点で考えられることは、インターネットしかありませんよね。たとえばフェイスブックのようなコミュニケーションツールを活用するならば、21世紀の我々が17世紀のウェストミンスター神学者会議の続きのようなことをやっていくことができるかもしれません。
インターネット上の会議であれば開催のための費用(交通費や会場費や宿泊費といったもの)は一切かかりませんし、17世紀のそれよりもはるかに大規模に、そして徹底的にデータに基づいた緻密な議論を行なうことができるでしょう。
ウェストミンスター信仰告白の面白さの一つであると私が考えていることは、「ウ告白は近代哲学の父、ルネ・デカルトを知っている」という点です。16世紀のハイデルベルク信仰問答はデカルト(1596年3月31日〜1650年2月11日)の出現をまだ知りません。しかし、17世紀のウェストミンスター信仰告白はデカルトを知っています。それが意味することは、「ウェストミンスター信仰告白は近代哲学を知っている」ということです。換言すれば、「ウェストミンスター信仰告白は現代人の感性を知っている」ということです。
ウェストミンスター信仰告白とデカルト哲学との歴史的関係というテーマについては、日本では研究がほとんど全くなされていない状態ですので、修士論文や博士論文で取り上げる人が出て来てほしいところですが、私見によれば、歴史的にはほぼ確実に証明しうることです。
デカルト哲学が流行しはじめたことを懸念して猛烈な反対運動をおこした(「デカルトを弾圧した」と評されても仕方がないほど)急先鋒の神学者は、オランダのユトレヒト大学神学部の開設者として知られるヒスベルトゥス・フーティウス(Gisbertus Voetius、「ヴォエティウス」とも)(1589年〜1676年)です。フーティウスを中心とするデカルト哲学排斥運動は、ウェストミンスター神学者会議(1643〜1649年)より少し前から始まっていたことですが、この運動を知らないようなヨーロッパの改革派神学者はいませんでした。また、ウェストミンスター神学者会議に参加した議員の中にはブリテン島からヨーロッパ大陸に、なかでも特にオランダに留学した人が何人かいることが知られていますので、彼ら経由でフーティウスから直接情報を得ていたことも十分考えられます。
先週末ここに書きましたように、このたびの大震災を「神の御心」と信じるべきかどうかという問いに対して、もしハイデルベルク信仰問答の線に立とうとするならば、「天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができない」(問1の答え)のですから、そうであるということ(「大震災は神の御心である」ということ)を躊躇なく全面的に肯定することからすべての思索を開始する道以外ありえない。
しかし、ウェストミンスター信仰告白の線に立つならば、「第二原因の自由や偶然性(the liberty or contingency of second causes)は奪い去られない」(3・1)と書かれていることに基づいて、「大震災は偶然である」と受けとめる余地が与えられる。
この違いがヨーロッパ大陸の改革派神学とデカルト哲学との大論争とどのように関係しているかはまだ分かりません。しかし、16世紀のハイデルベルク信仰問答と17世紀のウェストミンスター信仰告白との間に起こったと思われる神学的・教義学的な発展は、現代社会に生を得ている我々にとっては決して小さくない、軽んじられてもならない要素であると、私には思われてならないのです。
いま書いたことの主旨は、ウェストミンスター神学者会議の中にデカルト主義者が紛れ込んでいたというようなことではありません。私が考えていることは、彼ら神学者たちの視野の中にデカルトの問題提起が含まれていて、16世紀までほどのストレートさをもって「神の御心」を語ることに一種の躊躇があったと言えるのではないかということであり、その躊躇は「現代人の感性」に対する配慮や目配せというべきものであり、21世紀の我々にも通じるものではないかということです。
ところで、ウェストミンスター神学者会議のような会議は、現代においては、どのようにすれば実現可能でしょうか。それは、「顔ぶれだけ見れば全くまとまりようのない会議」と評されるような会議です。
現時点で考えられることは、インターネットしかありませんよね。たとえばフェイスブックのようなコミュニケーションツールを活用するならば、21世紀の我々が17世紀のウェストミンスター神学者会議の続きのようなことをやっていくことができるかもしれません。
インターネット上の会議であれば開催のための費用(交通費や会場費や宿泊費といったもの)は一切かかりませんし、17世紀のそれよりもはるかに大規模に、そして徹底的にデータに基づいた緻密な議論を行なうことができるでしょう。
2011年7月2日土曜日
「意味を問うてはならない」と言いたいのではない
「これは神の御心なのか」。この問いを避け通す説教者は、不誠実だと言われても仕方がないかもしれない。
なぜなら、「牧師ならば、説教者ならば、この問いには当然答えてくれるだろう」と答えを待っている(と思われる)人がいる。また、「これには意味がある」と言って無理やりこじつけた「意味」を語る説教者の言葉に傷ついたり悩んだりしている人がいることも、分かっていた。だから、いつかきちんと決着をつける必要があるとは思っていた。
「これは偶然である」と考えるからといって、「意味を問うてはならない」と言いたいのではない。そんなふうに禁じられても、問う人は問うし、答えが欲しい人は答えが欲しいのだ。その気持ちを理解することが必要だ、という話ならばよく分かる。その問い方は、生きている場所や位置にも当然関係しているだろう。
いま気になっていることは、直接被災地にいない人々のこと、あるいは事実上何の対応もできない(または「できなかった」)人たちのことだったりする。被災地で苦しんでいる人のことを気にしていないという意味ではないが、被災地のために何もできない(または「できなかった」)ということを気に病んでいる人たちのこと、あるいは、早くも記憶から消えそうになっていることを気に病んでいる人たちのことが気がかりなのだ。
かなり自戒をこめていえば、こういうときに「行動あるのみ。現地に行くのみ。現場にこそイエスは赴かれる」という信仰に突き動かされて「動ける」人と、必ずしもそうでない人がいる。 私は4月18日から20日まで宮城県内の被災地・被災教会のお見舞いに行くことができたが、委員会活動であるという「意味づけ」があったからだということを否定できない。
生まれ故郷であるとか、親戚や友人がいるとか、一度でも行ったことがあるとか、なんらかの思い出があるとか、その他どんなことでもいいから自分自身との関連性ないし連関が見出せることであるならともかく、そうでない場合は「意味」を持続しにくいと感じる人は少なくないと思うのだ(いま書いたことは私自身のことではない)。
あとはやや言いにくいことだが、「毎月11日に祈ろう」、「半年後の9月11日が日曜日なので何かしよう」、「毎年3月11日に何かしよう」というふうに、「11日」ということに意味づけを図ろうとする人たちがいる。「そういうのが全部駄目とは申しませんが、教会のやり方としてはあまりにも俗っぽ過ぎませんか」と、私はある委員会で発言した。そのことも公開しておくことにしよう。
私がつい「あちらも、こちらも」両方立てようとするのは、なんだかドラマのセリフみたいだが、「もうだれも教会からいなくなって欲しくない!」と、いつも思っているからだろう。20年も牧師やっていると、いろんな人を傷つけ、失ってきた。反省、反省。
牧師や長老や教会全体に文句があって、なんだかんだ、いろいろと噛みついてきても構わないから(「構わない」は「スルーする」の意味ではない)、とにかく教会にとどまってほしいのだ。
しかし、「教会にとどまる」は「毎週日曜日の礼拝に出てこい。出てこない奴は去れ」という意味ではない。「教会の礼拝や諸集会のアタマ数や献金の口数や金額が少なくなってもらっては困る」という意味でもない。私に限っては、それはありえない。そんな要求をするくらいなら、パウロの言葉を借りれば「死んだ方がまし」(新約聖書 コリントの信徒への手紙一9・15)だと本気で思う。
そんなことではなくて、表現するのが難しいのだが、「あなたには教会が必要です」という感じのことが言いたいのだ。
そう、古いネタで申し訳ないが、むかし中村雅俊さんが歌っていた「人はみな、ひとりでは生きてゆけないものだから」みたいなことだと思う。いまググったら、あの歌のタイトル、「ふれあい」というそうだ、初めて知った。
「ひとりで信仰を保つのは無理ですよ」みたいなことが言いたい。「信仰者には信仰共同体が必要です」と言いたいんだと思う、たぶん私はね。
ちなみに、こんなことを書きながら思い出していることは、もう完全にうろ覚えの状態だが、美少女戦士セーラームーン(古いね)の最終話みたいな状況の中で主人公の月野うさぎが「もうだれも死なせない。私が世界を守る!」みたいなことを言ったセリフだったりする。
私はね、上手な言い方をすれば「守備範囲が広い」人間なのだ。セーラームーンは、子どもたちと一緒に観た。おじゃ魔女ドレミとかもね。「オタク目線」ではなくて「親目線」でね。
と書いているうちに、もう見つかってしまった。インターネット恐るべし。 子どもたちと一緒に観たのは、どうやらこれだ。土曜日なのに、久しぶりに見入ってしまった。正確に書けば、「劇場版 美少女戦士セーラームーンR」のラスト10分間くらいのクライマックスシーンだ。
主人公が言ったのは、「みんなは私が守ってみせる!」(1:05)、「お願い、銀水晶!もっと私に力を貸して!みんなを守れる力を!だれもひとりにしない力!」(1:22)、「もう、だれもひとりにしない!」(3:48)だった。
これ、何度観ても泣けますね。いやマジで。
なぜなら、「牧師ならば、説教者ならば、この問いには当然答えてくれるだろう」と答えを待っている(と思われる)人がいる。また、「これには意味がある」と言って無理やりこじつけた「意味」を語る説教者の言葉に傷ついたり悩んだりしている人がいることも、分かっていた。だから、いつかきちんと決着をつける必要があるとは思っていた。
「これは偶然である」と考えるからといって、「意味を問うてはならない」と言いたいのではない。そんなふうに禁じられても、問う人は問うし、答えが欲しい人は答えが欲しいのだ。その気持ちを理解することが必要だ、という話ならばよく分かる。その問い方は、生きている場所や位置にも当然関係しているだろう。
いま気になっていることは、直接被災地にいない人々のこと、あるいは事実上何の対応もできない(または「できなかった」)人たちのことだったりする。被災地で苦しんでいる人のことを気にしていないという意味ではないが、被災地のために何もできない(または「できなかった」)ということを気に病んでいる人たちのこと、あるいは、早くも記憶から消えそうになっていることを気に病んでいる人たちのことが気がかりなのだ。
かなり自戒をこめていえば、こういうときに「行動あるのみ。現地に行くのみ。現場にこそイエスは赴かれる」という信仰に突き動かされて「動ける」人と、必ずしもそうでない人がいる。 私は4月18日から20日まで宮城県内の被災地・被災教会のお見舞いに行くことができたが、委員会活動であるという「意味づけ」があったからだということを否定できない。
生まれ故郷であるとか、親戚や友人がいるとか、一度でも行ったことがあるとか、なんらかの思い出があるとか、その他どんなことでもいいから自分自身との関連性ないし連関が見出せることであるならともかく、そうでない場合は「意味」を持続しにくいと感じる人は少なくないと思うのだ(いま書いたことは私自身のことではない)。
あとはやや言いにくいことだが、「毎月11日に祈ろう」、「半年後の9月11日が日曜日なので何かしよう」、「毎年3月11日に何かしよう」というふうに、「11日」ということに意味づけを図ろうとする人たちがいる。「そういうのが全部駄目とは申しませんが、教会のやり方としてはあまりにも俗っぽ過ぎませんか」と、私はある委員会で発言した。そのことも公開しておくことにしよう。
私がつい「あちらも、こちらも」両方立てようとするのは、なんだかドラマのセリフみたいだが、「もうだれも教会からいなくなって欲しくない!」と、いつも思っているからだろう。20年も牧師やっていると、いろんな人を傷つけ、失ってきた。反省、反省。
牧師や長老や教会全体に文句があって、なんだかんだ、いろいろと噛みついてきても構わないから(「構わない」は「スルーする」の意味ではない)、とにかく教会にとどまってほしいのだ。
しかし、「教会にとどまる」は「毎週日曜日の礼拝に出てこい。出てこない奴は去れ」という意味ではない。「教会の礼拝や諸集会のアタマ数や献金の口数や金額が少なくなってもらっては困る」という意味でもない。私に限っては、それはありえない。そんな要求をするくらいなら、パウロの言葉を借りれば「死んだ方がまし」(新約聖書 コリントの信徒への手紙一9・15)だと本気で思う。
そんなことではなくて、表現するのが難しいのだが、「あなたには教会が必要です」という感じのことが言いたいのだ。
そう、古いネタで申し訳ないが、むかし中村雅俊さんが歌っていた「人はみな、ひとりでは生きてゆけないものだから」みたいなことだと思う。いまググったら、あの歌のタイトル、「ふれあい」というそうだ、初めて知った。
「ひとりで信仰を保つのは無理ですよ」みたいなことが言いたい。「信仰者には信仰共同体が必要です」と言いたいんだと思う、たぶん私はね。
ちなみに、こんなことを書きながら思い出していることは、もう完全にうろ覚えの状態だが、美少女戦士セーラームーン(古いね)の最終話みたいな状況の中で主人公の月野うさぎが「もうだれも死なせない。私が世界を守る!」みたいなことを言ったセリフだったりする。
私はね、上手な言い方をすれば「守備範囲が広い」人間なのだ。セーラームーンは、子どもたちと一緒に観た。おじゃ魔女ドレミとかもね。「オタク目線」ではなくて「親目線」でね。
と書いているうちに、もう見つかってしまった。インターネット恐るべし。 子どもたちと一緒に観たのは、どうやらこれだ。土曜日なのに、久しぶりに見入ってしまった。正確に書けば、「劇場版 美少女戦士セーラームーンR」のラスト10分間くらいのクライマックスシーンだ。
主人公が言ったのは、「みんなは私が守ってみせる!」(1:05)、「お願い、銀水晶!もっと私に力を貸して!みんなを守れる力を!だれもひとりにしない力!」(1:22)、「もう、だれもひとりにしない!」(3:48)だった。
これ、何度観ても泣けますね。いやマジで。
私はあえて「偶然」と呼びたい
3月11日以来、意図的に避けてきた話題がある。「これは神の御心なのか」という、だれもが問う問いへの答えである。
もちろん私も自分なりに「意味」を考えてきた。しかし公言しないできた。ブログでも、説教でも、この一点に関しては沈黙してきた。
しかし、そろそろ言ってもいいだろう。現時点での結論は「偶然」である。
私は、改革派教会が歴史の中で教え続けてきたところの「予定論」ないし「聖定論」を心から確信している者であるが、だからこそ、結論は「偶然」である。
周知のとおりハイデルベルク信仰問答(16世紀)には「天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます」(問1の答え)と書かれている。この線で考えていけば、あらゆる出来事は「神の御心」なのであって、例外はない。
しかし、ウェストミンスター信仰告白(17世紀)には、明らかに異なるニュアンスが加えられている。
ウェストミンスター信仰告白3・1には、「神は、全くの永遠から、ご自身のみ旨の最も賢くきよい計画によって、起こりくることは何事であれ、自分にしかも不変的に定められたが」と言いつつ(ここまではハイデルベルク信仰問答と同一線上に立っている)、間髪いれず、「それによって、神が罪の作者とならず、また被造物の意志に暴力が加えられることなく、また第二原因の自由や偶然性が奪い去られないで、むしろ確立されるように、定められたのである」と書かれている。
これで分かることは、改革派教会の信仰と神学は「神の永遠の聖定」(God's eternal decree)を主張してきたからといって「第二原因」(second causes)としての「自由」(liberty)や「偶然性」(contingency)を否定してきたわけではないということである。
教会の教えは歴史の中で発展していくものである。その発展を「変化」と呼ぶことに私は躊躇がない。
我々にとってこのたびの地震と津波と原発事故と近隣住民の被ばくは、「神の御心」という言葉をもって何が何でも無理やり甘受しなければならないものではない。
そして、「神」(God)は「罪の作者」(author of sin)ではない。
この国、この時代、この状況、この地域に我々が立ち会ったことは「たまたま」であり、つまり、あくまでも「偶然」なのであって、このこと自体には何の意味も必然性もないのだと我々自身が告白することは、反キリスト教的な考えではないし、非改革派的な教えでもないのである。
私が岡山に生まれ育ったことは、全くの「偶然」である。東京と神戸で勉強したことも、高知と福岡と山梨の教会をめぐり歩いてきたことも、そしていま松戸に住んでいることも「偶然」である。そうであるならば、いま松戸がホットスポットになっているらしいことも「偶然」なのであって、そのこと自体は何の意味もないし、必然性もない。
だから、言い方は乱暴かもしれないが、逃げたい人は逃げてもいいし、とどまりたい人はとどまってもよい。どちらを選択するにせよ、そのこと自体は(たとえそれが「信仰に基づく」忠告であっても)誰から責められるべきことでもない。
我々は「偶然」から「偶然」へと、飛び石をまたぎ続けることが許されるのだ。
もちろん私も自分なりに「意味」を考えてきた。しかし公言しないできた。ブログでも、説教でも、この一点に関しては沈黙してきた。
しかし、そろそろ言ってもいいだろう。現時点での結論は「偶然」である。
私は、改革派教会が歴史の中で教え続けてきたところの「予定論」ないし「聖定論」を心から確信している者であるが、だからこそ、結論は「偶然」である。
周知のとおりハイデルベルク信仰問答(16世紀)には「天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます」(問1の答え)と書かれている。この線で考えていけば、あらゆる出来事は「神の御心」なのであって、例外はない。
しかし、ウェストミンスター信仰告白(17世紀)には、明らかに異なるニュアンスが加えられている。
ウェストミンスター信仰告白3・1には、「神は、全くの永遠から、ご自身のみ旨の最も賢くきよい計画によって、起こりくることは何事であれ、自分にしかも不変的に定められたが」と言いつつ(ここまではハイデルベルク信仰問答と同一線上に立っている)、間髪いれず、「それによって、神が罪の作者とならず、また被造物の意志に暴力が加えられることなく、また第二原因の自由や偶然性が奪い去られないで、むしろ確立されるように、定められたのである」と書かれている。
これで分かることは、改革派教会の信仰と神学は「神の永遠の聖定」(God's eternal decree)を主張してきたからといって「第二原因」(second causes)としての「自由」(liberty)や「偶然性」(contingency)を否定してきたわけではないということである。
教会の教えは歴史の中で発展していくものである。その発展を「変化」と呼ぶことに私は躊躇がない。
我々にとってこのたびの地震と津波と原発事故と近隣住民の被ばくは、「神の御心」という言葉をもって何が何でも無理やり甘受しなければならないものではない。
そして、「神」(God)は「罪の作者」(author of sin)ではない。
この国、この時代、この状況、この地域に我々が立ち会ったことは「たまたま」であり、つまり、あくまでも「偶然」なのであって、このこと自体には何の意味も必然性もないのだと我々自身が告白することは、反キリスト教的な考えではないし、非改革派的な教えでもないのである。
私が岡山に生まれ育ったことは、全くの「偶然」である。東京と神戸で勉強したことも、高知と福岡と山梨の教会をめぐり歩いてきたことも、そしていま松戸に住んでいることも「偶然」である。そうであるならば、いま松戸がホットスポットになっているらしいことも「偶然」なのであって、そのこと自体は何の意味もないし、必然性もない。
だから、言い方は乱暴かもしれないが、逃げたい人は逃げてもいいし、とどまりたい人はとどまってもよい。どちらを選択するにせよ、そのこと自体は(たとえそれが「信仰に基づく」忠告であっても)誰から責められるべきことでもない。
我々は「偶然」から「偶然」へと、飛び石をまたぎ続けることが許されるのだ。
2011年6月30日木曜日
これでもあなたはファン・ルーラーをイロモノ扱いするか
もうそろそろ、いいだろう。ひとことだけ言わせてほしいことがある。
物心つく頃からずっと探して来たのは、尊敬できる教師だ。「真の権威者」と言ってもいい。「絶対的な」服従などは、もし求められても、決してやらない。この私にそのような態度は似合わないし、いまだかつてやったことがない。隷属などは、相手が誰であれ真っ平だ。そういうのが嫌だからこそ、このご時世の中で(このご時世にもかかわらず)「神」なるものを信じてきたし、神が人に与える「自由」を信じてきた。
しかし、私が長年苦悩してきたことは、「神」は私の教師ではない、ということだ。「教師は神ではない」は正しい命題であるが、「神は教師ではない」も正しい。言葉にすれば陳腐になるが、究極的な(≠絶対的な)真理をその根拠と共に適切に提示し、納得させてもらえる教師が欲しかった。
「金八先生」とか「ごくせん」の話をしたいのではない。私がまさに物心つく頃から一度も切れ目なく関わり続けてきた「キリスト教」の話であり、「教会」の話だ。「説教」の話と言ってもいい。やや傍観者的な言い方をすれば「ぼくの日曜日をハッピーにしてくれる人」だ。「来るんじゃなかった」という暗澹たる気分ではなく、「今日はここに来ることができて、本当によかった」と感謝しながら帰宅することができる、そのような礼拝を作り上げることができる説教者だ。
こういう話をしなければならないときは、自分のことを棚に上げることが許されなければならない。「自分がそういう説教ができるようになってから言え」という弾圧に屈するつもりはない。
私には尊敬できる説教者がいなかった。「真似したい」と思える人がいなかった。何度礼拝に出席しても、言われていることに納得できなかった。それは地獄の日々だった。
何度も書いてきたつもりだが、生まれてこのかた、日曜日の礼拝を病気以外の理由で欠席したことはない。日曜日に礼拝を欠席するほどの病気にかかった正確な回数などは分からないが、ほぼ間違いなく、両手の指で数えられるくらいしかないはずだ。そういう人生を45年も続けてきたことが、ただそれだけが、私の矜持なのだ。
しかし、納得できない、分からない。論理的な筋道を追いながら聞いていると、ところどころ、耐えがたくおぞましい矛盾があり、ごまかしがあり、隠蔽があり、行きすぎた美化があり、「丸めこみ」がある。そのうち聞いていられなくなる。眠たくなってしまうのだ。
説教で重要なことは「論理」だ。笑顔でなくても、美声でなくても、原稿から目を上げて礼拝出席者の顔を見ながら語ることができなくても、そんなことはどうでもいい。論理が破綻している説教は聞けない。座っている椅子を蹴っ飛ばして退室したくなる。あの説教を聞くための時間は無駄だと、あらかじめ分かっている礼拝には、なるべく行きたくない。
愚痴が長くなった。ここから先は明るい話だ。尊敬できる教師が「見つかった」話だ。
それは、私にとってはファン・ルーラーである。やっと巡りあえた。だから、今の私は安堵している。
しかし、これまでは、オランダ国内はともかく、国際的に見れば、ファン・ルーラーの知名度は低かった。それにはさまざまな事情が絡んでいることも分かっている。多くの嫉妬を買い、妨害されてきた人でもある。その理由も、今の私なら分かる。彼の「論理」が、あまりにも魅力的だからだ。こういうふうに言えたらどんなに胸がすくかと多くの人がもどかしく感じてきたことを、躊躇なく明快に語る。こういう説教者に、私は出会ったことがなかった。しかし、その人がいた。ファン・ルーラーだ。
悔しいことが二つある。一つは、これまでの神学の多くの村民たちが、ファン・ルーラーを「イロモノ」扱いしてきたことだ。「ファンタスティックな神学者だ」などという。しかし、ファン・ルーラーの神学はとりたててファンタスティックなわけではない。彼はただ、彼の教会と彼の社会を念頭に置きながら、冷静にコツコツと学問をしているだけだ。
もう一つある。言うまでもなくファン・ルーラーのテキストは「オランダ語」なのだが、それを読みもしないで彼を批判しようとする神学者がいまだに少なくないということだ。テキストを読まずに論評するというのは、風評のようなものを根拠にして学問する態度に等しいわけだから言語道断だろう。そういうことをファン・ルーラーに関しては「してもよい」と思っているのは、彼を「イロモノ」扱いしている証拠だろうし、要するになめているのだ。
なめたければ、なめても構わない。ファン・ルーラーをこれからも「イロモノ」扱いし続けたければ、それも構わない。しかし、その態度はこれからは、その人自身の恥となるだけだ。そのうち身にしみて分かる日が来るだろう。
このような私の考えを「ファナティック」と呼びたければ、それもどうぞご自由に。尊敬できる権威者のもとに立つとは、しばしばそのようなものだ。
「あなたには尊敬できる人はいないのか」と、聞き返したい。いるんだよ。うじゃうじゃと。ヒトのことだけ言えないはずだ。
もう少しだけ核心に踏み込んでおこう。私のほうが遠慮する理由は、もはや何もない。
権威の座にある(と周囲から見られている)人が根拠薄弱なことを書き散らすとき、後進の者たちがどれくらい迷惑するかということを、丸十年以上痛感し、苦汁を飲んできた。
ただ、こちら側の根拠も薄かった。それはまるで死海文書の発見にも近いありさまで、ファン・ルーラーの「膨大な量の」未公開テキストが、宝の山のように眠っている、という話だけを聞かされていた。
だから、それらのテキストの公開を待つべきだ、ファン・ルーラーについて「本を書く」ことができるのはテキスト公開の後だ、そうでなければ学問的に無責任の謗りを免れない、ということは、我々(あえて「有識者」と自称させていただく)の間では分かっていたことであった。
ところが、つい最近も、ファン・ルーラー(彼らは「ファン・リューラー」と表記する)を大々的に取り上げた章を含む「本」を出版なさった方がいる。そこで、またしても彼は、自分自身はファン・ルーラーのオランダ語のテキストは読んでいないと断りつつ、(なんと尊大にも)“一定の評価”をした上で、批判する。
もうダメだろう。この恥知らずな態度はいつか厳しく断罪されるべきだと、私は考えている。
物心つく頃からずっと探して来たのは、尊敬できる教師だ。「真の権威者」と言ってもいい。「絶対的な」服従などは、もし求められても、決してやらない。この私にそのような態度は似合わないし、いまだかつてやったことがない。隷属などは、相手が誰であれ真っ平だ。そういうのが嫌だからこそ、このご時世の中で(このご時世にもかかわらず)「神」なるものを信じてきたし、神が人に与える「自由」を信じてきた。
しかし、私が長年苦悩してきたことは、「神」は私の教師ではない、ということだ。「教師は神ではない」は正しい命題であるが、「神は教師ではない」も正しい。言葉にすれば陳腐になるが、究極的な(≠絶対的な)真理をその根拠と共に適切に提示し、納得させてもらえる教師が欲しかった。
「金八先生」とか「ごくせん」の話をしたいのではない。私がまさに物心つく頃から一度も切れ目なく関わり続けてきた「キリスト教」の話であり、「教会」の話だ。「説教」の話と言ってもいい。やや傍観者的な言い方をすれば「ぼくの日曜日をハッピーにしてくれる人」だ。「来るんじゃなかった」という暗澹たる気分ではなく、「今日はここに来ることができて、本当によかった」と感謝しながら帰宅することができる、そのような礼拝を作り上げることができる説教者だ。
こういう話をしなければならないときは、自分のことを棚に上げることが許されなければならない。「自分がそういう説教ができるようになってから言え」という弾圧に屈するつもりはない。
私には尊敬できる説教者がいなかった。「真似したい」と思える人がいなかった。何度礼拝に出席しても、言われていることに納得できなかった。それは地獄の日々だった。
何度も書いてきたつもりだが、生まれてこのかた、日曜日の礼拝を病気以外の理由で欠席したことはない。日曜日に礼拝を欠席するほどの病気にかかった正確な回数などは分からないが、ほぼ間違いなく、両手の指で数えられるくらいしかないはずだ。そういう人生を45年も続けてきたことが、ただそれだけが、私の矜持なのだ。
しかし、納得できない、分からない。論理的な筋道を追いながら聞いていると、ところどころ、耐えがたくおぞましい矛盾があり、ごまかしがあり、隠蔽があり、行きすぎた美化があり、「丸めこみ」がある。そのうち聞いていられなくなる。眠たくなってしまうのだ。
説教で重要なことは「論理」だ。笑顔でなくても、美声でなくても、原稿から目を上げて礼拝出席者の顔を見ながら語ることができなくても、そんなことはどうでもいい。論理が破綻している説教は聞けない。座っている椅子を蹴っ飛ばして退室したくなる。あの説教を聞くための時間は無駄だと、あらかじめ分かっている礼拝には、なるべく行きたくない。
愚痴が長くなった。ここから先は明るい話だ。尊敬できる教師が「見つかった」話だ。
それは、私にとってはファン・ルーラーである。やっと巡りあえた。だから、今の私は安堵している。
しかし、これまでは、オランダ国内はともかく、国際的に見れば、ファン・ルーラーの知名度は低かった。それにはさまざまな事情が絡んでいることも分かっている。多くの嫉妬を買い、妨害されてきた人でもある。その理由も、今の私なら分かる。彼の「論理」が、あまりにも魅力的だからだ。こういうふうに言えたらどんなに胸がすくかと多くの人がもどかしく感じてきたことを、躊躇なく明快に語る。こういう説教者に、私は出会ったことがなかった。しかし、その人がいた。ファン・ルーラーだ。
悔しいことが二つある。一つは、これまでの神学の多くの村民たちが、ファン・ルーラーを「イロモノ」扱いしてきたことだ。「ファンタスティックな神学者だ」などという。しかし、ファン・ルーラーの神学はとりたててファンタスティックなわけではない。彼はただ、彼の教会と彼の社会を念頭に置きながら、冷静にコツコツと学問をしているだけだ。
もう一つある。言うまでもなくファン・ルーラーのテキストは「オランダ語」なのだが、それを読みもしないで彼を批判しようとする神学者がいまだに少なくないということだ。テキストを読まずに論評するというのは、風評のようなものを根拠にして学問する態度に等しいわけだから言語道断だろう。そういうことをファン・ルーラーに関しては「してもよい」と思っているのは、彼を「イロモノ」扱いしている証拠だろうし、要するになめているのだ。
なめたければ、なめても構わない。ファン・ルーラーをこれからも「イロモノ」扱いし続けたければ、それも構わない。しかし、その態度はこれからは、その人自身の恥となるだけだ。そのうち身にしみて分かる日が来るだろう。
このような私の考えを「ファナティック」と呼びたければ、それもどうぞご自由に。尊敬できる権威者のもとに立つとは、しばしばそのようなものだ。
「あなたには尊敬できる人はいないのか」と、聞き返したい。いるんだよ。うじゃうじゃと。ヒトのことだけ言えないはずだ。
もう少しだけ核心に踏み込んでおこう。私のほうが遠慮する理由は、もはや何もない。
権威の座にある(と周囲から見られている)人が根拠薄弱なことを書き散らすとき、後進の者たちがどれくらい迷惑するかということを、丸十年以上痛感し、苦汁を飲んできた。
ただ、こちら側の根拠も薄かった。それはまるで死海文書の発見にも近いありさまで、ファン・ルーラーの「膨大な量の」未公開テキストが、宝の山のように眠っている、という話だけを聞かされていた。
だから、それらのテキストの公開を待つべきだ、ファン・ルーラーについて「本を書く」ことができるのはテキスト公開の後だ、そうでなければ学問的に無責任の謗りを免れない、ということは、我々(あえて「有識者」と自称させていただく)の間では分かっていたことであった。
ところが、つい最近も、ファン・ルーラー(彼らは「ファン・リューラー」と表記する)を大々的に取り上げた章を含む「本」を出版なさった方がいる。そこで、またしても彼は、自分自身はファン・ルーラーのオランダ語のテキストは読んでいないと断りつつ、(なんと尊大にも)“一定の評価”をした上で、批判する。
もうダメだろう。この恥知らずな態度はいつか厳しく断罪されるべきだと、私は考えている。
2011年6月28日火曜日
鼻血が出そうです
ああ、ちょっと興奮しすぎて鼻血が出そうだ。
ついさっきのこと、ドアチャイムが鳴り、戸を開けたら「ゆうパックです」と郵便配達員。「え?何か注文したっけ。お金あるかな」と不安になりながら受けとった小包にオランダ語の文字が!
待ちに待った『A. A. ファン・ルーラー著作集』(オランダ語版)第四巻の「上」と「下」が、やっと届きました。タイトルは「キリスト、聖霊、救済」です。
内容はスゴイ、ひたすらスゴイ。筆舌に尽くしがたいものがあります。魅力的なテーマ、圧倒的な筆致。翻訳を志す者の腕が鳴る、と言いたいところですが、今度こそ心折られそうです。
敵う相手ではありえないと最初から分かっていましたが、それでも何とか数ミリでも近づきたい、ものにしたいと食らいついてきたつもりなのですが、これほどのレベルの差を見せつけられると、どうしようもない。
でもね、こうなったら、まあ、私なりの草野球を楽しむことにしますよ。そして、最後までゼッタイにあきらめない。私があきらめないことが誰かの励ましになるかもしれない。今の日本に私のような馬鹿が一人くらいいても許されるだろう。そう思うことにします。
はいはい分かりましたよ、訳しますよ。
待ってろよ、日本。見てろよ、ファン・ルーラー。
ついさっきのこと、ドアチャイムが鳴り、戸を開けたら「ゆうパックです」と郵便配達員。「え?何か注文したっけ。お金あるかな」と不安になりながら受けとった小包にオランダ語の文字が!
待ちに待った『A. A. ファン・ルーラー著作集』(オランダ語版)第四巻の「上」と「下」が、やっと届きました。タイトルは「キリスト、聖霊、救済」です。
内容はスゴイ、ひたすらスゴイ。筆舌に尽くしがたいものがあります。魅力的なテーマ、圧倒的な筆致。翻訳を志す者の腕が鳴る、と言いたいところですが、今度こそ心折られそうです。
敵う相手ではありえないと最初から分かっていましたが、それでも何とか数ミリでも近づきたい、ものにしたいと食らいついてきたつもりなのですが、これほどのレベルの差を見せつけられると、どうしようもない。
でもね、こうなったら、まあ、私なりの草野球を楽しむことにしますよ。そして、最後までゼッタイにあきらめない。私があきらめないことが誰かの励ましになるかもしれない。今の日本に私のような馬鹿が一人くらいいても許されるだろう。そう思うことにします。
はいはい分かりましたよ、訳しますよ。
待ってろよ、日本。見てろよ、ファン・ルーラー。
原発停止は「ヒステリックでポピュリズムのヒットラー」ではないと思う
原発を停止させると「ヒステリックでポピュリズムのヒットラー」だと言われなくちゃならないなら、ヒステリックでポピュリズムのヒットラーでもいいや、という気分に襲われます。でも、そういう言葉で突っかかって来る人たちの形相を見ると、彼らこそヒステリックでポピュリズムのヒットラーだよな、と実際思います。
あえて名指しすれば、石原伸晃氏は慶應義塾大学文学部、前原誠司氏は京都大学法学部の卒業生のようですが、彼ら(もしくは彼らの原稿を書いている部下たち)に「現代西洋政治思想史」を教えた教師はだれなのかを知りたいところですね。その教師たちの歴史感覚が全くダメでしょう。
谷垣禎一さんはクリスチャンだそうですね。でも、どこの教会に通っておられるのでしょうか。そういう話は聞いたことありません。政治的立場はともかく石破茂さんのほうが教会とのつながりを公言している分だけ、その面がはっきり見えるので、「議論が成り立つかも」という信頼感がありますね。
政治家が(特に宗教的な意味での)信条を貫くのが難しいことはよく分かります。ただ、私の考えはやや過激すぎるきらいがあるので公言を控えめにすべきだと自覚していますが、政治家の仕事が世のルールを作ったり変えたりすることであるならば、政治家として信条(信仰!)を貫くことができる社会にすることこそがクリスチャン政治家の仕事ではないかと思いたいのですけどね。
あえて名指しすれば、石原伸晃氏は慶應義塾大学文学部、前原誠司氏は京都大学法学部の卒業生のようですが、彼ら(もしくは彼らの原稿を書いている部下たち)に「現代西洋政治思想史」を教えた教師はだれなのかを知りたいところですね。その教師たちの歴史感覚が全くダメでしょう。
谷垣禎一さんはクリスチャンだそうですね。でも、どこの教会に通っておられるのでしょうか。そういう話は聞いたことありません。政治的立場はともかく石破茂さんのほうが教会とのつながりを公言している分だけ、その面がはっきり見えるので、「議論が成り立つかも」という信頼感がありますね。
政治家が(特に宗教的な意味での)信条を貫くのが難しいことはよく分かります。ただ、私の考えはやや過激すぎるきらいがあるので公言を控えめにすべきだと自覚していますが、政治家の仕事が世のルールを作ったり変えたりすることであるならば、政治家として信条(信仰!)を貫くことができる社会にすることこそがクリスチャン政治家の仕事ではないかと思いたいのですけどね。
2011年6月26日日曜日
「笠地蔵」さま、ありがとうございます
あれれ、昨日と今日続いたことですが、わが家に「笠地蔵」が来てくれるようになりました。
ただし現代版なので、モチは郵便ポストに届きます。しかも、そのモチにはオランダ語や英語がたくさん書いてあるんです。本の形をしていましてね。どうやらその内容はキリスト教とか神学とか、そういうことが書いてるようなんです。
でも、なんと困ったことに、そのモチが入った封筒には名前が書いてないんです。手紙も入っていない。「ありがとうございます」って、お礼が言えないじゃないですか。切手の消印は押されているので、どこで投函したかは分かるんですけどね。
でも、ほんと、たくさん送ってくださって申し訳ないです。大事にします。もちろん字の部分は読ませていただきますね。
オランダ語のモチで、もし「もう要らない」という方は、私のところに送ってくださると、とてもありがたいです。
〒270-0021 千葉県松戸市小金原7-21-11 松戸小金原教会 関口 康 (電話 047-342-1576)
ただし現代版なので、モチは郵便ポストに届きます。しかも、そのモチにはオランダ語や英語がたくさん書いてあるんです。本の形をしていましてね。どうやらその内容はキリスト教とか神学とか、そういうことが書いてるようなんです。
でも、なんと困ったことに、そのモチが入った封筒には名前が書いてないんです。手紙も入っていない。「ありがとうございます」って、お礼が言えないじゃないですか。切手の消印は押されているので、どこで投函したかは分かるんですけどね。
でも、ほんと、たくさん送ってくださって申し訳ないです。大事にします。もちろん字の部分は読ませていただきますね。
オランダ語のモチで、もし「もう要らない」という方は、私のところに送ってくださると、とてもありがたいです。
〒270-0021 千葉県松戸市小金原7-21-11 松戸小金原教会 関口 康 (電話 047-342-1576)
2011年6月22日水曜日
聖書学と教義学の関係について
聖書学と教義学の関係という問題については、ファン・ルーラー自身が書いた「聖書学との比較における教義学の方法と可能性」というドンピシャの論文があります。だいぶ前に最初のほうだけ訳しましたが、多忙にかまけて放置したままです。非常に重要な論文であることは間違いありません。
その論文に「教義学から聖書学へという順序もある」という興味深いテーゼがあります。「教義学の土台となっている聖書学」という、多くの人はおそらくこのように考えてきたであろう順序の逆、つまり「聖書学の土台となっている教義学」という順序もあるのだということをファン・ルーラーは明言しています。
実際問題として、私もそのとおりだと考えています。教義学の土台が「聖書」であることは確実ですが、しかし「聖書学」ではないと思います。「聖書学」こそが非常に独善的(ドグマティック)であることが十分にありえます。教義学は聖書学に幻惑されすぎないほうがよいと、私はファン・ルーラーを読みはじめるよりもずっと前から考えてきました。聖書学だけが進歩していて教義学はいつも後追いしているというような見方は(そのような見方がもしあるとしたら)、完全な事実誤認であるし、教義学というものをなめすぎなんです。教義学が不動で不自由な体系だったことなど、いまだかつて一度もないですよ。そう思い込んでいる人がいるとしたら、教義学をちゃんと学んだことがないんです。
教義学をさらに豊かに展開していくために、「聖書学」(≠聖書)の力を借りる必要なんか無いですよ。ていうか、そういう教義学ならば、もうずいぶん前から始まっているし、そろそろもう十分やっただろ、という域に達しつつあるんです。その典型がモルトマンですよ。モルトマンの最初期の論文は「神義論」とか「聖徒堅忍論」とかきわめて保守的な改革派教義学を題材にしたものでしたが、そこから出発して、現代の聖書学との徹底的な対話を経て、現在の彼の神学がある。たとえば日本キリスト改革派教会は、あのモルトマンの神学のようなものでやれるでしょうか。私にはとても信じがたい。
「聖書が教義学を支える」は当然の話です。しかし「聖書学が教義学を支える」という関係にはないと言っているだけです。もしそういうふうに言い張る聖書学者がいるのだとしたら(いるかどうかは知りません)、その聖書学者自身が「神学」の何たるかをそもそも誤解しているのか、そうでなければ学生たちを罠にかけているかのどちらかなんです。まさか後者ではないと信じたいので、たぶん前者なのでしょうね。困った話です。
誤解を避けるために付言すれば、「聖書が教義学を支える」と書きましたが、教義学を支えるのは聖書だけではありません。教会の伝統も、十分な意味で教義学の根拠です。それは歴史でもあり、哲学でもある。人間の理性的判断や素朴な感情、あるいは屈託ない空想や怪しげな妄想までも含みます。それらのものを排除するならば、教義学は成り立ちません。聖書テキストが明示していない事柄についても、教義学は遠慮なく踏み込み、独自の論理を展開することができます。それが禁じられるなら、教義学の存在意義はありません。
教義学の役割は、「神」をめぐるあらゆる問いや悩みをもつ人間に寄り添い、不断に対話することです。「○○という事件が起こった。△△という災害が発生した。それは神の裁きか。それは神の罰か。神とは何ものか」。このような問いを前にして、もし教義学者が「聖書に書いていないことについては沈黙する」という態度を貫くだけだとするなら、ただ愛想を尽かされるだけで、その人は二度と教義学者の部屋を訪ねようとしないでしょう。
反論や反発を予想しながら先回りして書いておきますが、「教義学を支えるのは聖書だけではない」と言うとたちまち「それはプロテスタントの聖書原理(sola scriptura)に反する」という意見が出てくる。しかし、そのまさに「プロテスタントは○○である」というテーゼこそがドグマティックなものです。もし聖書学者が「プロテスタントは『聖書のみ』である」というドグマを暗黙の前提にしながら自説を展開するならば、皮肉なことに、その聖書学者は悪い意味での独善論者に陥っているのです。
それに、これは前にも書いたことがありますが、プロテスタントの聖書原理(sola scriptura)そのものは、なんら単独で立っているわけではなく、「恵みのみ」(sola gratia)や「信仰のみ」(sola fidei)などと共に立っています。面白いことに、プロテスタントには「のみ」(solo)が、最低でも三つもあるんです。数学的論理に立つとすれば、「のみ」は一つでなければならないはずですがね。しかも、これら三つの「のみ」は互いに緊張関係にある。一元化できないんです。こういう矛盾を楽しむところに教義学の面白さがあるんじゃないでしょうか。
その論文に「教義学から聖書学へという順序もある」という興味深いテーゼがあります。「教義学の土台となっている聖書学」という、多くの人はおそらくこのように考えてきたであろう順序の逆、つまり「聖書学の土台となっている教義学」という順序もあるのだということをファン・ルーラーは明言しています。
実際問題として、私もそのとおりだと考えています。教義学の土台が「聖書」であることは確実ですが、しかし「聖書学」ではないと思います。「聖書学」こそが非常に独善的(ドグマティック)であることが十分にありえます。教義学は聖書学に幻惑されすぎないほうがよいと、私はファン・ルーラーを読みはじめるよりもずっと前から考えてきました。聖書学だけが進歩していて教義学はいつも後追いしているというような見方は(そのような見方がもしあるとしたら)、完全な事実誤認であるし、教義学というものをなめすぎなんです。教義学が不動で不自由な体系だったことなど、いまだかつて一度もないですよ。そう思い込んでいる人がいるとしたら、教義学をちゃんと学んだことがないんです。
教義学をさらに豊かに展開していくために、「聖書学」(≠聖書)の力を借りる必要なんか無いですよ。ていうか、そういう教義学ならば、もうずいぶん前から始まっているし、そろそろもう十分やっただろ、という域に達しつつあるんです。その典型がモルトマンですよ。モルトマンの最初期の論文は「神義論」とか「聖徒堅忍論」とかきわめて保守的な改革派教義学を題材にしたものでしたが、そこから出発して、現代の聖書学との徹底的な対話を経て、現在の彼の神学がある。たとえば日本キリスト改革派教会は、あのモルトマンの神学のようなものでやれるでしょうか。私にはとても信じがたい。
「聖書が教義学を支える」は当然の話です。しかし「聖書学が教義学を支える」という関係にはないと言っているだけです。もしそういうふうに言い張る聖書学者がいるのだとしたら(いるかどうかは知りません)、その聖書学者自身が「神学」の何たるかをそもそも誤解しているのか、そうでなければ学生たちを罠にかけているかのどちらかなんです。まさか後者ではないと信じたいので、たぶん前者なのでしょうね。困った話です。
誤解を避けるために付言すれば、「聖書が教義学を支える」と書きましたが、教義学を支えるのは聖書だけではありません。教会の伝統も、十分な意味で教義学の根拠です。それは歴史でもあり、哲学でもある。人間の理性的判断や素朴な感情、あるいは屈託ない空想や怪しげな妄想までも含みます。それらのものを排除するならば、教義学は成り立ちません。聖書テキストが明示していない事柄についても、教義学は遠慮なく踏み込み、独自の論理を展開することができます。それが禁じられるなら、教義学の存在意義はありません。
教義学の役割は、「神」をめぐるあらゆる問いや悩みをもつ人間に寄り添い、不断に対話することです。「○○という事件が起こった。△△という災害が発生した。それは神の裁きか。それは神の罰か。神とは何ものか」。このような問いを前にして、もし教義学者が「聖書に書いていないことについては沈黙する」という態度を貫くだけだとするなら、ただ愛想を尽かされるだけで、その人は二度と教義学者の部屋を訪ねようとしないでしょう。
反論や反発を予想しながら先回りして書いておきますが、「教義学を支えるのは聖書だけではない」と言うとたちまち「それはプロテスタントの聖書原理(sola scriptura)に反する」という意見が出てくる。しかし、そのまさに「プロテスタントは○○である」というテーゼこそがドグマティックなものです。もし聖書学者が「プロテスタントは『聖書のみ』である」というドグマを暗黙の前提にしながら自説を展開するならば、皮肉なことに、その聖書学者は悪い意味での独善論者に陥っているのです。
それに、これは前にも書いたことがありますが、プロテスタントの聖書原理(sola scriptura)そのものは、なんら単独で立っているわけではなく、「恵みのみ」(sola gratia)や「信仰のみ」(sola fidei)などと共に立っています。面白いことに、プロテスタントには「のみ」(solo)が、最低でも三つもあるんです。数学的論理に立つとすれば、「のみ」は一つでなければならないはずですがね。しかも、これら三つの「のみ」は互いに緊張関係にある。一元化できないんです。こういう矛盾を楽しむところに教義学の面白さがあるんじゃないでしょうか。
聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか
本日のことですが、一人の親しい先生からファン・ルーラーについてのご質問をいただきましたので、それにお答えしました。スカイプのチャット上のやりとりなので、文体はやや雑ではありますが、もしかしたら多くの方々が疑問に思っておられることかもしれませんので、質問者の許可を得て、ブログに公開させていただきます(公開用に若干編集しました)。
【質問】
聖霊論を論じた神学者は数々いますが、例えばファン・ルーラーの場合、バルトを超えようとした背景があると聞いています。他の神学者も、何かしらの背景は当然あります。
私が最近疑問に思っていることは、例えばファン・ルーラーなどの組織神学者が聖書学・聖書神学の発展をきちんと有効活用しているのかどうかです。言い換えれば、聖書学・聖書神学がきちんと組織神学に生きているのかどうかという単純な疑問です。もし私が誰かに聞かれたら、あれこれと周辺的なことを答えると思いますが、きっとストレートに答えられないと思います。
たとえばファン・ルーラーだったら、その時代の(あるいは彼が依拠した)聖書学・聖書神学のどの部分が彼の聖霊論の発展に貢献したのか。その点、関口先生はどんなふうにお考えになっているか質問をさせてください。
何となく最近の聖書学の進歩をあまり活用せず、過去の聖書学・聖書神学にたっている気がするのです。例えばファン・ルーラーが聖霊論を発展させたといっても、その発展のきっかけになっているのが聖書学・聖書神学ではなく、神学者のライバルだったり、時代の政治家だったり、それは正しく悪いことではないのですが、そればっかりのようなところが気になるのです。
【回答】
私はファン・ルーラーのことしか答えられませんが、彼の博士論文『律法の成就』(副題:神の啓示と現実存在との関係についての教義学的研究。出版年1947年)のほぼ半分(ページ数)は、純粋に聖書学・聖書神学的な考察です。
また、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部でいちばん最初に教えたのは聖書学(旧約聖書学)でした。そして、その成果としてまとめられたのが、邦訳もある『キリスト教会と旧約聖書』です。
ファン・ルーラーの場合、確かに「バルト越え」の要素があると言えばありますが、これについては正確に理解していただく必要があります。
(1)ファン・ルーラーが子どもの頃から通っていた教会に赴任してきた若い牧師ハイチェマこそが、オランダ国内でいちばん最初にバルトにかぶれた神学者だった。そのハイチェマ牧師の影響をファン・ルーラーはギムナジウム時代に受けた。なぜならファン・ルーラーの信仰告白準備会(カテキズム)をハイチェマが担当したから。しかし、ハイチェマはその後、その教会を辞任し、フローニンゲン大学神学部の教授になる。
(2)幼い頃から「牧師になりたかった」ファン・ルーラーがギムナジウムを卒業してすぐに入学したフローニンゲン大学神学部の教義学の教授がハイチェマだった。それでファン・ルーラーは引き続き「バルトかぶれの」ハイチェマの影響下で神学教育を受ける。
(3)しかし、ファン・ルーラーはフローニンゲン大学を卒業後、牧師になってから、「ん?どうも変だな」とハイチェマを、そしてハイチェマの背後にいるバルトを疑いはじめる。バルトでは教会の現場の問題が解決しないと気づく。
(4)しかし、自分を教えた神学部の教授たちは「バルト狂」ばっかり。それで仕方なく、ファン・ルーラーは独学を始めた。孤独な独自研究によって新しい道を切り開かざるをえなかった、
というわけです。
しかし、ファン・ルーラーの「独学」は、実に徹底的でした。組織神学において徹底的だっただけではなく、聖書学においても徹底的でした。
『キリスト教会と旧約聖書』の日本語版はぜひとも購入して読んでいただきたいのですが、オランダの著名な旧約聖書学者フリーゼンも評価したことで知られる、非常に純粋で高度な聖書学論文です。ファン・ルーラーは、ヘブライ語とギリシア語がずば抜けてよくできましたし、フォン・ラートなども読み抜いていました。
『キリスト教会と旧約聖書』のテーマは、ある意味でものすごく単純なものです。要するに「旧約聖書をキリスト教会の書物として読みつつ、しかし同時に、旧約聖書を旧約聖書として読むとはどういうことか」を問うものだと言ってよいです。バルトのように「イエス・キリスト」というただ一点をめざすことだけが目標であるような書物として旧約聖書をとらえるのか、それとも、そうでないのか。
ただし、このコンテキストで登場するバルトは、ファン・ルーラーにとっては「ライバルだから叩く」という意図をもつ引用ではありません。「変なことを言ってるおっさん(バルト)がいるけど、あんまり気にしないでね」と、学生たちを諭しているだけです。
というわけで、本当に私はファン・ルーラーのことしかお答えできませんが、お尋ねくださった「聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか」という問いに対しては、ファン・ルーラーに限っては「ご心配なく!」と断言できると思っています。
何度もしつこく書くようですが、とにかく『キリスト教会と旧約聖書』読んでみてください。あの本が分からないと、ファン・ルーラーは分からない。それくらい重要かつ貴重な本です。
ファン・ルーラーに組織神学と聖書神学との両方の講義や著書があることについても、一応説明しておきます。
ファン・ルーラーの時代の正確な情報はつかみ切れていませんので若干憶測が交じりますが、彼らの場合、国立大学の神学部の中に「旧約聖書の教授」や「新約聖書の教授」がいても、それはもう純粋に歴史的・批評的・学問的な見地からのそれで、カトリックもプロテスタントもないし、一部はキリスト教かどうかさえ分からない面もあったかもしれない。
でも、そのような中でファン・ルーラーは「オランダ改革派教会担当教授」という肩書きを与えられて、教義学も倫理学も弁証学も、旧約聖書学も新約聖書学も、説教学も宣教学も礼拝学も、教会規程もカテキズムも教える教授だったんです。それはファン・ルーラーだけがそうだったわけではなく、ファン・ルーラーの頃からイミンク先生あたりまで続いた、長い間の制度でした。
この「オランダ改革派教会担当教授」という役職(ポスト)は、学問でのし上がってきたような人が就く所ではなく、オランダ改革派教会の大会が選挙でえらぶ純粋に「教会的な」教授職だったので、大学の教授会では「疎ましい」存在だったんです。だから、ファン・ルーラーもユトレヒト大学で教えはじめた最初の頃に「教授会の全員から無視される」という陰湿な仕打ちを受けたと、ファン・ルーラーの伝記(短い論文ですが)に書いてあります。
【質問】
聖霊論を論じた神学者は数々いますが、例えばファン・ルーラーの場合、バルトを超えようとした背景があると聞いています。他の神学者も、何かしらの背景は当然あります。
私が最近疑問に思っていることは、例えばファン・ルーラーなどの組織神学者が聖書学・聖書神学の発展をきちんと有効活用しているのかどうかです。言い換えれば、聖書学・聖書神学がきちんと組織神学に生きているのかどうかという単純な疑問です。もし私が誰かに聞かれたら、あれこれと周辺的なことを答えると思いますが、きっとストレートに答えられないと思います。
たとえばファン・ルーラーだったら、その時代の(あるいは彼が依拠した)聖書学・聖書神学のどの部分が彼の聖霊論の発展に貢献したのか。その点、関口先生はどんなふうにお考えになっているか質問をさせてください。
何となく最近の聖書学の進歩をあまり活用せず、過去の聖書学・聖書神学にたっている気がするのです。例えばファン・ルーラーが聖霊論を発展させたといっても、その発展のきっかけになっているのが聖書学・聖書神学ではなく、神学者のライバルだったり、時代の政治家だったり、それは正しく悪いことではないのですが、そればっかりのようなところが気になるのです。
【回答】
私はファン・ルーラーのことしか答えられませんが、彼の博士論文『律法の成就』(副題:神の啓示と現実存在との関係についての教義学的研究。出版年1947年)のほぼ半分(ページ数)は、純粋に聖書学・聖書神学的な考察です。
また、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部でいちばん最初に教えたのは聖書学(旧約聖書学)でした。そして、その成果としてまとめられたのが、邦訳もある『キリスト教会と旧約聖書』です。
ファン・ルーラーの場合、確かに「バルト越え」の要素があると言えばありますが、これについては正確に理解していただく必要があります。
(1)ファン・ルーラーが子どもの頃から通っていた教会に赴任してきた若い牧師ハイチェマこそが、オランダ国内でいちばん最初にバルトにかぶれた神学者だった。そのハイチェマ牧師の影響をファン・ルーラーはギムナジウム時代に受けた。なぜならファン・ルーラーの信仰告白準備会(カテキズム)をハイチェマが担当したから。しかし、ハイチェマはその後、その教会を辞任し、フローニンゲン大学神学部の教授になる。
(2)幼い頃から「牧師になりたかった」ファン・ルーラーがギムナジウムを卒業してすぐに入学したフローニンゲン大学神学部の教義学の教授がハイチェマだった。それでファン・ルーラーは引き続き「バルトかぶれの」ハイチェマの影響下で神学教育を受ける。
(3)しかし、ファン・ルーラーはフローニンゲン大学を卒業後、牧師になってから、「ん?どうも変だな」とハイチェマを、そしてハイチェマの背後にいるバルトを疑いはじめる。バルトでは教会の現場の問題が解決しないと気づく。
(4)しかし、自分を教えた神学部の教授たちは「バルト狂」ばっかり。それで仕方なく、ファン・ルーラーは独学を始めた。孤独な独自研究によって新しい道を切り開かざるをえなかった、
というわけです。
しかし、ファン・ルーラーの「独学」は、実に徹底的でした。組織神学において徹底的だっただけではなく、聖書学においても徹底的でした。
『キリスト教会と旧約聖書』の日本語版はぜひとも購入して読んでいただきたいのですが、オランダの著名な旧約聖書学者フリーゼンも評価したことで知られる、非常に純粋で高度な聖書学論文です。ファン・ルーラーは、ヘブライ語とギリシア語がずば抜けてよくできましたし、フォン・ラートなども読み抜いていました。
『キリスト教会と旧約聖書』のテーマは、ある意味でものすごく単純なものです。要するに「旧約聖書をキリスト教会の書物として読みつつ、しかし同時に、旧約聖書を旧約聖書として読むとはどういうことか」を問うものだと言ってよいです。バルトのように「イエス・キリスト」というただ一点をめざすことだけが目標であるような書物として旧約聖書をとらえるのか、それとも、そうでないのか。
ただし、このコンテキストで登場するバルトは、ファン・ルーラーにとっては「ライバルだから叩く」という意図をもつ引用ではありません。「変なことを言ってるおっさん(バルト)がいるけど、あんまり気にしないでね」と、学生たちを諭しているだけです。
というわけで、本当に私はファン・ルーラーのことしかお答えできませんが、お尋ねくださった「聖書学の成果を組織神学者は神学の発展に生かしているか」という問いに対しては、ファン・ルーラーに限っては「ご心配なく!」と断言できると思っています。
何度もしつこく書くようですが、とにかく『キリスト教会と旧約聖書』読んでみてください。あの本が分からないと、ファン・ルーラーは分からない。それくらい重要かつ貴重な本です。
ファン・ルーラーに組織神学と聖書神学との両方の講義や著書があることについても、一応説明しておきます。
ファン・ルーラーの時代の正確な情報はつかみ切れていませんので若干憶測が交じりますが、彼らの場合、国立大学の神学部の中に「旧約聖書の教授」や「新約聖書の教授」がいても、それはもう純粋に歴史的・批評的・学問的な見地からのそれで、カトリックもプロテスタントもないし、一部はキリスト教かどうかさえ分からない面もあったかもしれない。
でも、そのような中でファン・ルーラーは「オランダ改革派教会担当教授」という肩書きを与えられて、教義学も倫理学も弁証学も、旧約聖書学も新約聖書学も、説教学も宣教学も礼拝学も、教会規程もカテキズムも教える教授だったんです。それはファン・ルーラーだけがそうだったわけではなく、ファン・ルーラーの頃からイミンク先生あたりまで続いた、長い間の制度でした。
この「オランダ改革派教会担当教授」という役職(ポスト)は、学問でのし上がってきたような人が就く所ではなく、オランダ改革派教会の大会が選挙でえらぶ純粋に「教会的な」教授職だったので、大学の教授会では「疎ましい」存在だったんです。だから、ファン・ルーラーもユトレヒト大学で教えはじめた最初の頃に「教授会の全員から無視される」という陰湿な仕打ちを受けたと、ファン・ルーラーの伝記(短い論文ですが)に書いてあります。
2011年6月21日火曜日
ペンネームが欲しい
気が散っている証拠だと思いますが、このところ妙な考えがいろいろと浮かんできます。昨夜アップした「短編小説」も大混乱状態の表れだと見ていただけば、そのとおりですから。
ちなみに、昨日は「東関東中会 東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」でした。書記を仰せつかっているので、連日メールのラッシュです。
朝早くから起きて議案書作成。とんでもなく分厚くなった書類のホッチキスどめが終わったのが午後四時頃でした。
すぐに自動車に飛び乗って、会議が行なわれる稲毛海岸教会(千葉市)まで、高速を使っても約一時間半の道を、捕まらない程度のスピードでぶっ飛ばす。夕食は、会場近くのセブンイレブンで買った380円の幕の内弁当を、車内で食べました。
会議の開始は午後六時。出席者は12名。午後十時近くまでやっていました。帰宅は深夜零時過ぎ。家族は就寝後でした。
でも、これしき、まさか苦労でも何でもありません。大震災(地震、津波、原発事故)の被災地の方々に、ほんの少しでもお役に立ちたいと願う一心です。
しかし、こういうとき、自分がどういうバランス感覚の持ち主なのかは評価しづらいのですが、とにかくなんやかんやと書きたくなるところがあって困ります。
まあ、もちろんね、こういうときはたわいない(「他愛無い」は当て字ですよと辞書にかいてあります)ことしか書けないのですが、あのね、「他愛」(たあい)のあることなんか書けるかよ、というか、そういうこと(他愛のあること)を書きうる時間が残されていることを「ひま」と言うのであって、そういうことを書くこと自体が「仕事」だろ、と言いたくなります。
でも、そう、たわいないことを書きたいときのペンネームが欲しくなりますね、こういうときは。
先週火曜日から木曜日までは浜名湖畔の研修施設で二泊三日の缶詰会議でしたが、八か月ぶりに会った人たちから口々に「太った、太った」の大合唱。
ちっ、あのね、その人たちにも言いましたが、私の45年の人生の中で痩せてたときなんて数分も無いんだってーの。何を言われてんだか分かんないのですよ、実際問題としてね。通り魔に遭った気分ですね。
それはともかくね、傍目から見ると(八か月前より)太ったらしいので、「肉口 康」とか「肉 愚痴屋 寿司」とかね、そういうペンネームもいいかなと、冷や汗をたらしながら、朝から考えているところです。
もう、どうでもいいや。
先々週からカラ咳止まらんしね(放射能の影響でないことだけを望む)。今日も書類の山との戦いです。どれくらい減らせるんでしょうか。げほんげほん。
ちなみに、昨日は「東関東中会 東日本大震災被災教会緊急支援特別委員会」でした。書記を仰せつかっているので、連日メールのラッシュです。
朝早くから起きて議案書作成。とんでもなく分厚くなった書類のホッチキスどめが終わったのが午後四時頃でした。
すぐに自動車に飛び乗って、会議が行なわれる稲毛海岸教会(千葉市)まで、高速を使っても約一時間半の道を、捕まらない程度のスピードでぶっ飛ばす。夕食は、会場近くのセブンイレブンで買った380円の幕の内弁当を、車内で食べました。
会議の開始は午後六時。出席者は12名。午後十時近くまでやっていました。帰宅は深夜零時過ぎ。家族は就寝後でした。
でも、これしき、まさか苦労でも何でもありません。大震災(地震、津波、原発事故)の被災地の方々に、ほんの少しでもお役に立ちたいと願う一心です。
しかし、こういうとき、自分がどういうバランス感覚の持ち主なのかは評価しづらいのですが、とにかくなんやかんやと書きたくなるところがあって困ります。
まあ、もちろんね、こういうときはたわいない(「他愛無い」は当て字ですよと辞書にかいてあります)ことしか書けないのですが、あのね、「他愛」(たあい)のあることなんか書けるかよ、というか、そういうこと(他愛のあること)を書きうる時間が残されていることを「ひま」と言うのであって、そういうことを書くこと自体が「仕事」だろ、と言いたくなります。
でも、そう、たわいないことを書きたいときのペンネームが欲しくなりますね、こういうときは。
先週火曜日から木曜日までは浜名湖畔の研修施設で二泊三日の缶詰会議でしたが、八か月ぶりに会った人たちから口々に「太った、太った」の大合唱。
ちっ、あのね、その人たちにも言いましたが、私の45年の人生の中で痩せてたときなんて数分も無いんだってーの。何を言われてんだか分かんないのですよ、実際問題としてね。通り魔に遭った気分ですね。
それはともかくね、傍目から見ると(八か月前より)太ったらしいので、「肉口 康」とか「肉 愚痴屋 寿司」とかね、そういうペンネームもいいかなと、冷や汗をたらしながら、朝から考えているところです。
もう、どうでもいいや。
先々週からカラ咳止まらんしね(放射能の影響でないことだけを望む)。今日も書類の山との戦いです。どれくらい減らせるんでしょうか。げほんげほん。
短編小説「腹が立つほど楽しい毎日」
今日一日、私はどのように過ごしたでしょうか。
午前中ずっと布団の中にいました。もうとにかく、こんこんと。目覚まし時計の爆音も聞こえないほどに。あはは、目覚まし時計、一個も持っていませんけどね。
しかし、そのあいだ、ひたすら考え続けました。眠っているときの私が最も哲学者なのです。「学問は人が何もしていないときこそ進歩する」と誰が書いていたかは忘れました。
アルコールは飲みません、全くね。ついでにいえば、入眠剤も飲まない。かわりに口にするのは、ひたすらウーロン茶です。一日二リットル、毎日二リットル。私のからだから福建省の香りがすると、よく言われます。
水がわりです。水は放射能で汚染されているからです。蛇口から出てくるものは常に毒薬です。
起きたのは午後一時でした。最初にしたことは欠伸です。次にしたことは背伸びです。その次は大便。
それから風呂に入りました。丸一時間、湯ぶねで泳いでいました。死ぬほど生ぬるいんですけどね。だって、夜じゅうポタポタと、蛇口から毒薬が落ち続けていましたから。握力が弱いんです。だから水道代が毎月高い。
パソコンの電源ボタンを押したのは午後三時でした。その直前にコンビニまで自動車を走らせて、「しゃきしゃきレタス」サンドイッチと、サラダと、「焙煎ごま」ドレッシングと、またウーロン茶を買ってきて、それらを頬張り、がぶ飲みしながらアルファベットばかりの初期画面を眺めていました。
そして何をしたか。何もしませんでした。メールは一通も来ませんでした。来るはずないじゃないですか。だって、世のため人のために働いてないんだもの。だれも私に期待していない。期待されても困るんです。だって、何もできないんだもの。
気が付いたら午後七時でした。テレビをつけました。また放射能の話です。怖くなったので、すぐに消しました。
しんとした室内に「ごそごそ」というおぞましい音が響きました。どうやら鼠が住んでいるんです。まあ、でも天井裏にいてくれるので、私の人生にはとりあえず関係ありません。家族の一員だとは思わないけど、死んでほしいとも思わない。「どうぞ、ご自由に。」
元気が出てきたのは午後十時を過ぎる頃でした。これから何をなすべきかと、卸したての大学ノートを開き、鉛筆の先をなめました。おっと、こういう場合は消しゴムが必要だよね、と急に思い立ち、またコンビニまで自動車を走らせました。書斎の机のうえには、ノートと、消しゴムと、命より大切な一枚の写真。
こんな感じの充実した一日でした。だれにも会わず、何もしませんでした。
おやすみなさい。さようなら。
(必ず誤解する人がいるので一応書いておきますが、フィクションですからね、これは。ここ数日、仕事の合間に村上春樹さんの小説を読んでいるので、ちょっとだけ触発されました。そろそろ病気かもしれません。)
午前中ずっと布団の中にいました。もうとにかく、こんこんと。目覚まし時計の爆音も聞こえないほどに。あはは、目覚まし時計、一個も持っていませんけどね。
しかし、そのあいだ、ひたすら考え続けました。眠っているときの私が最も哲学者なのです。「学問は人が何もしていないときこそ進歩する」と誰が書いていたかは忘れました。
アルコールは飲みません、全くね。ついでにいえば、入眠剤も飲まない。かわりに口にするのは、ひたすらウーロン茶です。一日二リットル、毎日二リットル。私のからだから福建省の香りがすると、よく言われます。
水がわりです。水は放射能で汚染されているからです。蛇口から出てくるものは常に毒薬です。
起きたのは午後一時でした。最初にしたことは欠伸です。次にしたことは背伸びです。その次は大便。
それから風呂に入りました。丸一時間、湯ぶねで泳いでいました。死ぬほど生ぬるいんですけどね。だって、夜じゅうポタポタと、蛇口から毒薬が落ち続けていましたから。握力が弱いんです。だから水道代が毎月高い。
パソコンの電源ボタンを押したのは午後三時でした。その直前にコンビニまで自動車を走らせて、「しゃきしゃきレタス」サンドイッチと、サラダと、「焙煎ごま」ドレッシングと、またウーロン茶を買ってきて、それらを頬張り、がぶ飲みしながらアルファベットばかりの初期画面を眺めていました。
そして何をしたか。何もしませんでした。メールは一通も来ませんでした。来るはずないじゃないですか。だって、世のため人のために働いてないんだもの。だれも私に期待していない。期待されても困るんです。だって、何もできないんだもの。
気が付いたら午後七時でした。テレビをつけました。また放射能の話です。怖くなったので、すぐに消しました。
しんとした室内に「ごそごそ」というおぞましい音が響きました。どうやら鼠が住んでいるんです。まあ、でも天井裏にいてくれるので、私の人生にはとりあえず関係ありません。家族の一員だとは思わないけど、死んでほしいとも思わない。「どうぞ、ご自由に。」
元気が出てきたのは午後十時を過ぎる頃でした。これから何をなすべきかと、卸したての大学ノートを開き、鉛筆の先をなめました。おっと、こういう場合は消しゴムが必要だよね、と急に思い立ち、またコンビニまで自動車を走らせました。書斎の机のうえには、ノートと、消しゴムと、命より大切な一枚の写真。
こんな感じの充実した一日でした。だれにも会わず、何もしませんでした。
おやすみなさい。さようなら。
(必ず誤解する人がいるので一応書いておきますが、フィクションですからね、これは。ここ数日、仕事の合間に村上春樹さんの小説を読んでいるので、ちょっとだけ触発されました。そろそろ病気かもしれません。)
2011年6月19日日曜日
教会の祈りと個人の祈り
PDF版はここをクリックしてください。
松戸小金原教会2011年度第二回勉強会発題
はじめに
御承知のとおり、3月20日(日)に予定していた今年度の教会勉強会の第一回目は、3月11日(金)に発生した東日本大震災を考慮して中止しました。そのときにお話ししようと思っていた内容の一部を『まきば』370号に載せました。しかし、まだ何の解説もしていませんので、『まきば』に書いたことから今日の話を始めさせていただきます。
1、「祈りが苦手」な理由
率直なところから申し上げますと、今年度の教会勉強会の総合テーマを「祈り」にしましょうと教会学校委員会で決めたとき各委員の念頭にあったのは、わたしたちの教会の中におられる受洗してまだ日の浅い方、しかも高齢になられてから受洗された方の中に「わたしはお祈りが苦手です」とおっしゃる方々が数名おられるということについて、教会として無策であってよいだろうかという問いでした。
「お祈りが苦手」という方々の気持ちは、私にはよく分かります。実をいえば、痛いほど分かってしまいます。こういうことは、牧師という立場にある人間が言うべきことではないかもしれませんが、しかし、やはり黙っていることができません。あくまでも私の勝手な想像ですが、「お祈りが苦手」とお感じの方々は、おそらく、お祈りというものを唱えている御自身の姿が恥ずかしいものだと感じておられるのです。
わたしたちの場合、当然のことながら、改革派教会としての独特の祈りのスタイルを持っています。第一の特徴は、いくらか逆説的な言い方になりますが、目に見える形を持ついかなるもの(祭壇や神像や奉納物やアクセサリーなど)も拝まないという祈り方です。それは、改革派教会だけではなく、プロテスタント教会全般にも当てはまることです。いずれにせよわたしたちは、目に見えるものに向かって拝礼するというような形を全くとりません。そうであることが改革派的・プロテスタント的な祈りの形の特徴であると言えます。
するとどうなるか。わたしたちは、そこに何もない空中に向かって、わたしたちの祈る言葉をどなたが聴いてくださっているかについての物理的な確証(?)など一切持つことができないまま、“まるで独り言をブツブツつぶやいているかのように”祈るのです。その姿はスタイリッシュであることの正反対です。「なんともサマにならない、不格好な」祈り方なのです。そういうのは心理的に耐えがたいと感じる方がおられるのは、無理もないことなのです。
わたしたちの祈りの第二の特徴は、その内容が「お願い」だけではないということです。わたしたちの祈りには、神への賛美、神の恵みへの感謝、罪の告白などの要素があります。しかし、それだけでもなく、わたしたちの場合、祈りをささげている相手(神さま)が目に見えないお方ですので、いわばその分だけ「言葉で神さまのお姿を描き出すように」祈ります。神さまとは、そもそもこういうお方であると祈ります。天におられる神である、と。恵みと憐みに富んでおられる神である、と。実際に自分の目で見たことがあるわけではない「神」という方のお姿を、もちろん聖書の御言葉に基づいてではありますが、“まるで自分のこの目で見てきたかのように”祈るのです。おそらくその姿は、科学実証主義の教育を受けてきた人々の知性や感性に著しく対立するものです。自分の目で見たこともない存在については何も語ることができないと考えてきた人々にとって、改革派的・プロテスタント的祈りは心理的に耐えられないものかもしれないということは、私自身にとっても、十分に共感できる話なのです。
2、祈りには「話し相手」が存在する
しかし、(私自身を含む)わたしたちは、お祈りが苦手であるという状態をなんとかして乗り越え、克服しなくてはなりません。そのこと――苦手の克服――こそが今年度の教会勉強会においてわたしたちに(神から)与えられた宿題です。そのために、そもそも祈りとは何なのかということ、つまり、祈りの本質というものを、真剣に考えてみなくてはなりません。
そのために参考になるかもしれない文章をご紹介いたします。それは再び(例によって)オランダ改革派教会の神学者A. A. ファン・ルーラーの文章です。ファン・ルーラーが「主の祈り」について語った1953年の説教集『われらの父よ』(Het Onze Vader, Nijkerk, 1953) の中の一文です。
「キリストがわたしたちにお命じになったことは、神に向かって『われらの父よ』と言いなさいということです。これでお分かりいただけることは、すべての正しい祈りには“話し相手”が存在するということです。わたしたちは何ものかに向かって祈るのです。祈りとは神へと語りかけることです。祈りは夢の中を漂うことではありません。あるいはそれは、夢中になって無限の宇宙の中へと自分の魂を注ぎ出すことでもありません。あるいはまた、人間の内面的な心の動きのようなものでもありません。祈りとは神へと語りかけることです。わたしが神の御前に立つことです。個人として、または教会の一員として、わたしが神の御前に立つのです。そして、わたしは神と語り合うのです。つまり、祈りとは“対話”なのです」 。
このファン・ルーラーの短い言葉の中に、祈りについてわたしたちが学ぶべき重要な点がいくつもあります。
第一に、キリスト教会のすべての祈りには、イエス・キリストが命じられた「祈り方」がある、ということです。それは、神に向かって「われらの父よ」と呼びかける、という祈り方です。その場合、わたしたちにとっては「わたしの父」ではなく「われらの父」であると呼びかけるべきであるという点が重要です。神は全人類の創造者であるという意味での彼らの父でもありますが、同時に「われらの父よ」と祈る者たちの父であろうとしてくださいます。神を信じる者以外は「神に」祈らないわけですから、今申し上げた「神は祈る者たちの父である」とは「神は信者の父でもある」ということを意味します。しかし、信者は個人ではなく、常に信仰共同体と共に、すなわち、教会と共に祈ります。「われらの父よ」と祈るとき、わたしたちは常に共同体としての教会を意識するのです。つまり別の言い方をすれば、わたしたちが教会との関係を嫌がって、自分の部屋に独りで引きこもって「われらの父よ」と祈ることは矛盾であるということでもあります。イエス・キリストが教えられたとおりに祈るならば、(教会の祈りを抜きにした)個人の祈りというものは、そもそも言葉の矛盾に近いものであるということに気づかされるのです。
しかし、ファン・ルーラーの言葉から学びうる第二の点は、彼自身が強調しているように、すべての祈りには「話し相手」が存在する、ということです。そして、その「話し相手」とは、もちろん、神御自身だということです。しかし、ここで難しい問題が生じます。先ほど私は、祈りとは本質的に「われらの父よ」と神に呼びかけるものである以上、常に共同体を意識しながら行われるものであると申しました。そのこと自体は丁寧に説明すればお分かりいただけることでしょう。ところが、ここで生じる難しい問題とはどういうものか。共同体の中で祈るわたしたちの「話し相手」は、共同体の内側の「人間」ではなく、あくまでも共同体の外側におられる「神」であるということです。それはつまり、わたしたちの祈りは「人に聞かせるもの」ではなく「神に聞いていただくもの」であるということです。「ひとまえで祈るのは緊張する」という話をよく聞きますが、その気持ちは理解できないものではないとしても、その考え方自体は根本的に間違っているのです。祈りは人に聞かせるものではないからです。まして、祈りの言葉をもってその場にいる他のだれかを批判するとか、当てこすりや皮肉を述べるなどというのは論外中の論外です。邪道と言う他はありません。「人に聞かせてやろう。あの人に聞かせてやろう。この際、言いたいことを言っておこう」というその意識が、祈りの本質に反しています。そのようなやり方は、祈りにおける「話し相手」を間違えている態度なのです。
しかしまた、第三点として――しかし、ここから先はファン・ルーラーが述べていることから離れますが――わたしたちの祈りの「話し相手」はたしかに神であるけれども、その祈りをささげる場には多くの兄弟姉妹が共にいる、ということも同時に意識しなければならないことだということも事実です。祈りは「人に聞かせるもの」ではありませんが、だからといって、あなたの祈りを共に聞いている人々に理解できる言葉でなくてもよい、ということではありません。「何を祈りたいのか」を明確にすることが必要です。そのために、祈りの原稿を書き、何度も推敲することが大切です。あるいは、祈りが「言葉」であるならば、その祈りには「その言葉を語りはじめてから語り終えるまでの時間」が必要ですから、長々とした祈りによって共に集まっている兄弟姉妹たちの時間を浪費してはなりません。もし教会で祈ることが求められたときには、よく準備された簡潔な祈祷文を読み上げることによって、論理と時間の整理を図ることを検討していただきたく願っています。
3、教会の祈りと個人の祈り
ところで、今日の第二回勉強会のテーマとして考えたのは「教会の祈りと個人の祈り(の違い)」ということでした。「教会の祈り」とは、先ほどから申し上げている言葉で言い直せば「共同体の祈り」です。つまり「われらの祈り(Our prayer)」です。それに対して「個人の祈り」とは「わたしの祈り(My prayer)」です。この両者の違いを考えてみようというのが今日の目標として考えたことでした。
しかし、拍子抜けさせてしまうかもしれないことをあえて申せば、両者に本質的な違いがあるわけではありません。祈りは祈りです。「神への語りかけ」であることにおいても、「神との対話」であることにおいても、変わりはありません。
しかし、強いて両者の違いを挙げるとしたら、神に願う事柄の内容や規模や方向性であると言えるかもしれません。「わたしの祈り」(個人の祈り)の中では、自分のこと、家族のこと、友人のこと、職場のこと、地域社会のことについて、具体的に、場合によっては実名を挙げて、祈ってもよいし、祈らなければなりません。そういう祈りでなければ、個人として祈る意味がほとんどないと言っても過言ではありません。徹底的に「私事(わたくしごと)について祈ること」が「わたしの祈り」です。しかし、それは個人情報(プライバシー)を含むことですので、門外不出にしなくてはなりません。あなたの心の中だけにしまっておかなくてはなりません。
これと区別される必要があるのが「われらの祈り」(教会の祈り)です。その中では、自分のこと、家族のこと、友人のこと、職場のこと、地域社会のことについて、具体的に、あるいは実名を挙げて祈ることについては、慎重でなければなりません。それは日曜日の礼拝の場だけではなく、水曜日の祈祷会の場でも同じです。礼拝や祈祷会を個人情報の暴露の場にしてはいけません。「教会の中のあのことも、このことも、私は知っている」というアピールの場にすることも慎まなくてはなりません。これは松戸小金原教会で見かけた実例ではなく、一般論として申し上げています。
しかし、それでは「われらの祈り」(教会の祈り)においてわたしたちは、どのようなことを祈ればよいのでしょうか。それは、おそらく、同心円的に考えていくことがいちばん捉えやすいでしょう。わたしたちにとっての同心円の、いちばん小さな内円は「松戸小金原教会」です。次は「東関東中会」、その次は「日本キリスト改革派教会」です。さらに日本と世界の中で協力関係にある改革派・長老派諸教会、そして、教派を越えたすべてのキリスト教会のことを祈るべきです。
しかしまた、わたしたちは教会のことだけを祈るわけではなく、教会の外なる世界のためにも当然祈ります。日本のため、アジア諸国のため、そして国際社会全体のために祈ります。その中には当然、キリスト者以外の人々も含まれています。わたしたちは、キリスト者のことだけを祈るのではなく、他の宗教、他の信仰の持ち主のためにも祈ってよいのです。
ただしその場合、わたしたちが真剣に考えるべきことは、他の宗教の人々のために、わたしたちが何を祈るべきかです。私の考えでは、彼らの「救い」を祈ること、すなわちそれは、彼らがイエス・キリストへの信仰を告白し、洗礼を受けること、それによって、彼らがそれまでの「神」から離れて生きるようになることを祈ること、以外にありません。
そこには戦いがあり、悩みや葛藤が伴います。しかし、その祈りを教会はやめることができない。個人としてのわたしたちは、家族や友人や地域社会の中で圧倒的に弱く無力な存在であるということをしばしば自覚させられます。教会もまた、社会的な団体としては(人数や経済力の観点から見れば)、無力そのものです。
しかし、教会は「祈ることをやめない」ことにおいて、無力ではないのです。個人が「言葉を失う」体験を味わい、祈りの言葉を喪失しそうなときにも、個人の弱さを教会が補うのです。「教会の祈り」と「個人の祈り」の関係とは、いわばそういうものです。
(2011年6月19日)
松戸小金原教会2011年度第二回勉強会発題
はじめに
御承知のとおり、3月20日(日)に予定していた今年度の教会勉強会の第一回目は、3月11日(金)に発生した東日本大震災を考慮して中止しました。そのときにお話ししようと思っていた内容の一部を『まきば』370号に載せました。しかし、まだ何の解説もしていませんので、『まきば』に書いたことから今日の話を始めさせていただきます。
1、「祈りが苦手」な理由
率直なところから申し上げますと、今年度の教会勉強会の総合テーマを「祈り」にしましょうと教会学校委員会で決めたとき各委員の念頭にあったのは、わたしたちの教会の中におられる受洗してまだ日の浅い方、しかも高齢になられてから受洗された方の中に「わたしはお祈りが苦手です」とおっしゃる方々が数名おられるということについて、教会として無策であってよいだろうかという問いでした。
「お祈りが苦手」という方々の気持ちは、私にはよく分かります。実をいえば、痛いほど分かってしまいます。こういうことは、牧師という立場にある人間が言うべきことではないかもしれませんが、しかし、やはり黙っていることができません。あくまでも私の勝手な想像ですが、「お祈りが苦手」とお感じの方々は、おそらく、お祈りというものを唱えている御自身の姿が恥ずかしいものだと感じておられるのです。
わたしたちの場合、当然のことながら、改革派教会としての独特の祈りのスタイルを持っています。第一の特徴は、いくらか逆説的な言い方になりますが、目に見える形を持ついかなるもの(祭壇や神像や奉納物やアクセサリーなど)も拝まないという祈り方です。それは、改革派教会だけではなく、プロテスタント教会全般にも当てはまることです。いずれにせよわたしたちは、目に見えるものに向かって拝礼するというような形を全くとりません。そうであることが改革派的・プロテスタント的な祈りの形の特徴であると言えます。
するとどうなるか。わたしたちは、そこに何もない空中に向かって、わたしたちの祈る言葉をどなたが聴いてくださっているかについての物理的な確証(?)など一切持つことができないまま、“まるで独り言をブツブツつぶやいているかのように”祈るのです。その姿はスタイリッシュであることの正反対です。「なんともサマにならない、不格好な」祈り方なのです。そういうのは心理的に耐えがたいと感じる方がおられるのは、無理もないことなのです。
わたしたちの祈りの第二の特徴は、その内容が「お願い」だけではないということです。わたしたちの祈りには、神への賛美、神の恵みへの感謝、罪の告白などの要素があります。しかし、それだけでもなく、わたしたちの場合、祈りをささげている相手(神さま)が目に見えないお方ですので、いわばその分だけ「言葉で神さまのお姿を描き出すように」祈ります。神さまとは、そもそもこういうお方であると祈ります。天におられる神である、と。恵みと憐みに富んでおられる神である、と。実際に自分の目で見たことがあるわけではない「神」という方のお姿を、もちろん聖書の御言葉に基づいてではありますが、“まるで自分のこの目で見てきたかのように”祈るのです。おそらくその姿は、科学実証主義の教育を受けてきた人々の知性や感性に著しく対立するものです。自分の目で見たこともない存在については何も語ることができないと考えてきた人々にとって、改革派的・プロテスタント的祈りは心理的に耐えられないものかもしれないということは、私自身にとっても、十分に共感できる話なのです。
2、祈りには「話し相手」が存在する
しかし、(私自身を含む)わたしたちは、お祈りが苦手であるという状態をなんとかして乗り越え、克服しなくてはなりません。そのこと――苦手の克服――こそが今年度の教会勉強会においてわたしたちに(神から)与えられた宿題です。そのために、そもそも祈りとは何なのかということ、つまり、祈りの本質というものを、真剣に考えてみなくてはなりません。
そのために参考になるかもしれない文章をご紹介いたします。それは再び(例によって)オランダ改革派教会の神学者A. A. ファン・ルーラーの文章です。ファン・ルーラーが「主の祈り」について語った1953年の説教集『われらの父よ』(Het Onze Vader, Nijkerk, 1953) の中の一文です。
「キリストがわたしたちにお命じになったことは、神に向かって『われらの父よ』と言いなさいということです。これでお分かりいただけることは、すべての正しい祈りには“話し相手”が存在するということです。わたしたちは何ものかに向かって祈るのです。祈りとは神へと語りかけることです。祈りは夢の中を漂うことではありません。あるいはそれは、夢中になって無限の宇宙の中へと自分の魂を注ぎ出すことでもありません。あるいはまた、人間の内面的な心の動きのようなものでもありません。祈りとは神へと語りかけることです。わたしが神の御前に立つことです。個人として、または教会の一員として、わたしが神の御前に立つのです。そして、わたしは神と語り合うのです。つまり、祈りとは“対話”なのです」 。
このファン・ルーラーの短い言葉の中に、祈りについてわたしたちが学ぶべき重要な点がいくつもあります。
第一に、キリスト教会のすべての祈りには、イエス・キリストが命じられた「祈り方」がある、ということです。それは、神に向かって「われらの父よ」と呼びかける、という祈り方です。その場合、わたしたちにとっては「わたしの父」ではなく「われらの父」であると呼びかけるべきであるという点が重要です。神は全人類の創造者であるという意味での彼らの父でもありますが、同時に「われらの父よ」と祈る者たちの父であろうとしてくださいます。神を信じる者以外は「神に」祈らないわけですから、今申し上げた「神は祈る者たちの父である」とは「神は信者の父でもある」ということを意味します。しかし、信者は個人ではなく、常に信仰共同体と共に、すなわち、教会と共に祈ります。「われらの父よ」と祈るとき、わたしたちは常に共同体としての教会を意識するのです。つまり別の言い方をすれば、わたしたちが教会との関係を嫌がって、自分の部屋に独りで引きこもって「われらの父よ」と祈ることは矛盾であるということでもあります。イエス・キリストが教えられたとおりに祈るならば、(教会の祈りを抜きにした)個人の祈りというものは、そもそも言葉の矛盾に近いものであるということに気づかされるのです。
しかし、ファン・ルーラーの言葉から学びうる第二の点は、彼自身が強調しているように、すべての祈りには「話し相手」が存在する、ということです。そして、その「話し相手」とは、もちろん、神御自身だということです。しかし、ここで難しい問題が生じます。先ほど私は、祈りとは本質的に「われらの父よ」と神に呼びかけるものである以上、常に共同体を意識しながら行われるものであると申しました。そのこと自体は丁寧に説明すればお分かりいただけることでしょう。ところが、ここで生じる難しい問題とはどういうものか。共同体の中で祈るわたしたちの「話し相手」は、共同体の内側の「人間」ではなく、あくまでも共同体の外側におられる「神」であるということです。それはつまり、わたしたちの祈りは「人に聞かせるもの」ではなく「神に聞いていただくもの」であるということです。「ひとまえで祈るのは緊張する」という話をよく聞きますが、その気持ちは理解できないものではないとしても、その考え方自体は根本的に間違っているのです。祈りは人に聞かせるものではないからです。まして、祈りの言葉をもってその場にいる他のだれかを批判するとか、当てこすりや皮肉を述べるなどというのは論外中の論外です。邪道と言う他はありません。「人に聞かせてやろう。あの人に聞かせてやろう。この際、言いたいことを言っておこう」というその意識が、祈りの本質に反しています。そのようなやり方は、祈りにおける「話し相手」を間違えている態度なのです。
しかしまた、第三点として――しかし、ここから先はファン・ルーラーが述べていることから離れますが――わたしたちの祈りの「話し相手」はたしかに神であるけれども、その祈りをささげる場には多くの兄弟姉妹が共にいる、ということも同時に意識しなければならないことだということも事実です。祈りは「人に聞かせるもの」ではありませんが、だからといって、あなたの祈りを共に聞いている人々に理解できる言葉でなくてもよい、ということではありません。「何を祈りたいのか」を明確にすることが必要です。そのために、祈りの原稿を書き、何度も推敲することが大切です。あるいは、祈りが「言葉」であるならば、その祈りには「その言葉を語りはじめてから語り終えるまでの時間」が必要ですから、長々とした祈りによって共に集まっている兄弟姉妹たちの時間を浪費してはなりません。もし教会で祈ることが求められたときには、よく準備された簡潔な祈祷文を読み上げることによって、論理と時間の整理を図ることを検討していただきたく願っています。
3、教会の祈りと個人の祈り
ところで、今日の第二回勉強会のテーマとして考えたのは「教会の祈りと個人の祈り(の違い)」ということでした。「教会の祈り」とは、先ほどから申し上げている言葉で言い直せば「共同体の祈り」です。つまり「われらの祈り(Our prayer)」です。それに対して「個人の祈り」とは「わたしの祈り(My prayer)」です。この両者の違いを考えてみようというのが今日の目標として考えたことでした。
しかし、拍子抜けさせてしまうかもしれないことをあえて申せば、両者に本質的な違いがあるわけではありません。祈りは祈りです。「神への語りかけ」であることにおいても、「神との対話」であることにおいても、変わりはありません。
しかし、強いて両者の違いを挙げるとしたら、神に願う事柄の内容や規模や方向性であると言えるかもしれません。「わたしの祈り」(個人の祈り)の中では、自分のこと、家族のこと、友人のこと、職場のこと、地域社会のことについて、具体的に、場合によっては実名を挙げて、祈ってもよいし、祈らなければなりません。そういう祈りでなければ、個人として祈る意味がほとんどないと言っても過言ではありません。徹底的に「私事(わたくしごと)について祈ること」が「わたしの祈り」です。しかし、それは個人情報(プライバシー)を含むことですので、門外不出にしなくてはなりません。あなたの心の中だけにしまっておかなくてはなりません。
これと区別される必要があるのが「われらの祈り」(教会の祈り)です。その中では、自分のこと、家族のこと、友人のこと、職場のこと、地域社会のことについて、具体的に、あるいは実名を挙げて祈ることについては、慎重でなければなりません。それは日曜日の礼拝の場だけではなく、水曜日の祈祷会の場でも同じです。礼拝や祈祷会を個人情報の暴露の場にしてはいけません。「教会の中のあのことも、このことも、私は知っている」というアピールの場にすることも慎まなくてはなりません。これは松戸小金原教会で見かけた実例ではなく、一般論として申し上げています。
しかし、それでは「われらの祈り」(教会の祈り)においてわたしたちは、どのようなことを祈ればよいのでしょうか。それは、おそらく、同心円的に考えていくことがいちばん捉えやすいでしょう。わたしたちにとっての同心円の、いちばん小さな内円は「松戸小金原教会」です。次は「東関東中会」、その次は「日本キリスト改革派教会」です。さらに日本と世界の中で協力関係にある改革派・長老派諸教会、そして、教派を越えたすべてのキリスト教会のことを祈るべきです。
しかしまた、わたしたちは教会のことだけを祈るわけではなく、教会の外なる世界のためにも当然祈ります。日本のため、アジア諸国のため、そして国際社会全体のために祈ります。その中には当然、キリスト者以外の人々も含まれています。わたしたちは、キリスト者のことだけを祈るのではなく、他の宗教、他の信仰の持ち主のためにも祈ってよいのです。
ただしその場合、わたしたちが真剣に考えるべきことは、他の宗教の人々のために、わたしたちが何を祈るべきかです。私の考えでは、彼らの「救い」を祈ること、すなわちそれは、彼らがイエス・キリストへの信仰を告白し、洗礼を受けること、それによって、彼らがそれまでの「神」から離れて生きるようになることを祈ること、以外にありません。
そこには戦いがあり、悩みや葛藤が伴います。しかし、その祈りを教会はやめることができない。個人としてのわたしたちは、家族や友人や地域社会の中で圧倒的に弱く無力な存在であるということをしばしば自覚させられます。教会もまた、社会的な団体としては(人数や経済力の観点から見れば)、無力そのものです。
しかし、教会は「祈ることをやめない」ことにおいて、無力ではないのです。個人が「言葉を失う」体験を味わい、祈りの言葉を喪失しそうなときにも、個人の弱さを教会が補うのです。「教会の祈り」と「個人の祈り」の関係とは、いわばそういうものです。
(2011年6月19日)
2011年6月18日土曜日
『風の歌を聴け』(1979年)読了
まずは一冊目、『風の歌を聴け』(1979年)、たった今、読了しました。
これは面白いですよ。村上を読める年齢に私がやっとなったようだ、という感覚です。たぶんひたすら幼稚すぎたんですね。「好き」とも「嫌い」とも思っていませんでしたよ、書いたとおり「読んだことがない」だけでした。
そうね、強いていえば、「全共闘世代」(なんてふうにひとくくりにすると怒られるかもしれませんが)の「連中」に興味がなかった、というか、どこかしら嫌悪感をもった少年だった、ということはあるかもしれない。「連中」の言い草に不信感をもっていた、かな。
でも、いま、その「彼らの思い」を一部共有できるようになって来ているのかもしれない。彼らの政治思想とか哲学とか、そういうのではなくて。まだ上手く言葉にできませんが、無力さの自覚というか、ね。
これは面白いですよ。村上を読める年齢に私がやっとなったようだ、という感覚です。たぶんひたすら幼稚すぎたんですね。「好き」とも「嫌い」とも思っていませんでしたよ、書いたとおり「読んだことがない」だけでした。
そうね、強いていえば、「全共闘世代」(なんてふうにひとくくりにすると怒られるかもしれませんが)の「連中」に興味がなかった、というか、どこかしら嫌悪感をもった少年だった、ということはあるかもしれない。「連中」の言い草に不信感をもっていた、かな。
でも、いま、その「彼らの思い」を一部共有できるようになって来ているのかもしれない。彼らの政治思想とか哲学とか、そういうのではなくて。まだ上手く言葉にできませんが、無力さの自覚というか、ね。
2011年6月17日金曜日
もうね、今日から村上春樹先生の生徒ですよ
二泊三日の会議(日本キリスト改革派教会の臨時大会)から夕方帰ってきました。
テーマは「東日本大震災」。教派あげての支援体制を整えました。
なるほど事件は会議室では起きませんが、会議室でできることをしてきました。今日から現場に戻ります。
ところで、びっくり。
私のブログを読んだ実家の両親が、実兄が読み終わったという村上春樹さんの小説を、ぬあ、ぬあんと、25冊も(!?)送ってくれました(ぐはあ)。
というわけで、これからしばらく、『ねじまき鳥クロニクル』はじめ25冊を、ねじりはちまきで読むことにします。
まずは『風の歌を聴け』(1979年)からだと、めくりはじめています。が。
あらら、けっこう面白いぞと、さっきからズイズイ引き込まれています。
テーマは「東日本大震災」。教派あげての支援体制を整えました。
なるほど事件は会議室では起きませんが、会議室でできることをしてきました。今日から現場に戻ります。
ところで、びっくり。
私のブログを読んだ実家の両親が、実兄が読み終わったという村上春樹さんの小説を、ぬあ、ぬあんと、25冊も(!?)送ってくれました(ぐはあ)。
というわけで、これからしばらく、『ねじまき鳥クロニクル』はじめ25冊を、ねじりはちまきで読むことにします。
まずは『風の歌を聴け』(1979年)からだと、めくりはじめています。が。
あらら、けっこう面白いぞと、さっきからズイズイ引き込まれています。
2011年6月11日土曜日
村上春樹を読んだことがない
言わないほうが身を守れるというか、沽券を保てる気がしなくもないが、つい自慢したくなる無知というのがあります。言いたくて言いたくて仕方がない。
以前、「丸山真男を読んだことがない」と書いたことがあります。しかし、それに匹敵するくらい恥ずかしい、私のもう一つの事実は「村上春樹を読んだことがない」です。
「読んでみよう。読まなければ。読まずにいられるか」と、過去何度か村上春樹氏と向き合う気持ちになったことがないわけではない。何冊かは買って持ってもいる。しかし、パラパラめくってみても、食指が動かない。興味がわく単語が見当たらない。心のどこにも引っかかってこない。自分の読解力の無さのせいにして、放置したまま、20年ほど過ごしてしまいました。
タイトルくらいは知ってるんですけどね。ノルウェイとか、ねじまき鳥とか、ハードボイルドとかね。
最近のも知ってますよ。1Q84、でしたっけ。私が東京で学生を始めたのが1984年ですから、当時の何かを彷彿するような内容があるのだとしたら(読んでいないので、そういうことが書かれているかどうか知りませんが)、もっと興味があってもいいはずなんですけどね。
なんででしょうかね。小説はけっこう読んでいましたよ。中学か高校くらいの頃にいちばん興味を抱けたのは星新一さんのショートショートでしたね。あれは、ほんとに面白かった。真似はできないけれど、自分も何か書いてみようという気持ちにさせてくれるものがありました。
でも、村上春樹さんの本は、みんな読んでいるらしいのに、私は読めなかった。何を言いたいんだか分からなかった。
しかし、一昨日(6月9日)の村上氏のバルセロナでのスピーチは、素晴らしかったですね。とてもいいと思いました。村上氏の言葉に、生まれて初めて共感できました。
「被爆国日本は、核に対するノーを叫び続けるべきだった」(大意)。こういうふうに端的に語ることができる人だということを、今まで知らずにいたことを恥じました。だからといって、「ここは一つ、村上小説を読んでみよう」という気にはなれないのですが。
そうですね、持って回った話というのが、とにかく嫌いなのかもしれません。村上氏の小説を読めなかった理由はそれだけではない気もしますが、少なくとも理由の一つにそれ(回りくどいよ!)があるかな。
結論から言ってほしい。そんなこと言ったら小説なんか成り立たないと言われればそれまでですが。
村上氏が一昨日受賞なさった何とか賞は、もちろん氏の作品への評価なのでしょうけれど、それよりも今回のスピーチが評価されるべきです。あのスピーチにこそ、だれかが賞を授けるべきです。
以前、「丸山真男を読んだことがない」と書いたことがあります。しかし、それに匹敵するくらい恥ずかしい、私のもう一つの事実は「村上春樹を読んだことがない」です。
「読んでみよう。読まなければ。読まずにいられるか」と、過去何度か村上春樹氏と向き合う気持ちになったことがないわけではない。何冊かは買って持ってもいる。しかし、パラパラめくってみても、食指が動かない。興味がわく単語が見当たらない。心のどこにも引っかかってこない。自分の読解力の無さのせいにして、放置したまま、20年ほど過ごしてしまいました。
タイトルくらいは知ってるんですけどね。ノルウェイとか、ねじまき鳥とか、ハードボイルドとかね。
最近のも知ってますよ。1Q84、でしたっけ。私が東京で学生を始めたのが1984年ですから、当時の何かを彷彿するような内容があるのだとしたら(読んでいないので、そういうことが書かれているかどうか知りませんが)、もっと興味があってもいいはずなんですけどね。
なんででしょうかね。小説はけっこう読んでいましたよ。中学か高校くらいの頃にいちばん興味を抱けたのは星新一さんのショートショートでしたね。あれは、ほんとに面白かった。真似はできないけれど、自分も何か書いてみようという気持ちにさせてくれるものがありました。
でも、村上春樹さんの本は、みんな読んでいるらしいのに、私は読めなかった。何を言いたいんだか分からなかった。
しかし、一昨日(6月9日)の村上氏のバルセロナでのスピーチは、素晴らしかったですね。とてもいいと思いました。村上氏の言葉に、生まれて初めて共感できました。
「被爆国日本は、核に対するノーを叫び続けるべきだった」(大意)。こういうふうに端的に語ることができる人だということを、今まで知らずにいたことを恥じました。だからといって、「ここは一つ、村上小説を読んでみよう」という気にはなれないのですが。
そうですね、持って回った話というのが、とにかく嫌いなのかもしれません。村上氏の小説を読めなかった理由はそれだけではない気もしますが、少なくとも理由の一つにそれ(回りくどいよ!)があるかな。
結論から言ってほしい。そんなこと言ったら小説なんか成り立たないと言われればそれまでですが。
村上氏が一昨日受賞なさった何とか賞は、もちろん氏の作品への評価なのでしょうけれど、それよりも今回のスピーチが評価されるべきです。あのスピーチにこそ、だれかが賞を授けるべきです。
久々のブログ更新です 第11回アジア・カルヴァン学会韓国大会報告
久しぶりにアジア・カルヴァン学会のブログが更新されましたので、謹んでお知らせいたします。
ニュースレター『常に新たに』第7号(最新号)には今年1月、韓国で開催された「第11回アジア・カルヴァン学会韓国大会」の詳しい報告が掲載されています。野村信先生、久米あつみ先生、菊地純子先生、豊川修司先生、青木義紀先生の報告文があります。ぜひどなたもご一読ください。
また、ブログには、毎年6月に好評開催されている日本カルヴァン研究会(会場 青山学院大学)の「休会」も報じられています。ご確認ください。
アジア・カルヴァン学会ブログのURLは
http://society.protestant.jp
です。「お気に入り」などにご登録いただき、毎日チェックしてみてくださいね。それではまた。
ニュースレター『常に新たに』第7号(最新号)には今年1月、韓国で開催された「第11回アジア・カルヴァン学会韓国大会」の詳しい報告が掲載されています。野村信先生、久米あつみ先生、菊地純子先生、豊川修司先生、青木義紀先生の報告文があります。ぜひどなたもご一読ください。
また、ブログには、毎年6月に好評開催されている日本カルヴァン研究会(会場 青山学院大学)の「休会」も報じられています。ご確認ください。
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2011年6月8日水曜日
近日中に新設予定の「復興庁」(仮称)への要望事項
近日中に新設予定の「復興庁」(仮称)への要望事項
(1)「復興のための自衛隊員」には迷彩服(国際的には「戦闘服」を意味するはずです)ではなく、我々一般市民に安心を与える服を着てほしい。
(2)「大連立」には賛成しかねますが、もし成立し(てしまっ)た場合にも、数の力で「憲法改正」など絶対しないことを、国民の前で約束してほしい。
「復興庁」なのか「復興府」なのかはともかく、そういうものが作られることになると言われる「復興基本法(案)」なるものの内容を、我々一般市民はどこで確認することができるのでしょうか。
とにかく首相の権限が高められるらしいですね。それはつまり、首相の「自衛隊の最高指揮監督権」を、そして、自衛隊そのものを「増強」することを帰結せざるをえないのではないかと、法案を手にすることができない一般市民として勝手に予想しています。だからこそ「石破茂首相」というような下馬評が出てきているのでしょう。
そして、そういうことになりそうだからこそ、我々にとって気になるのが、「改憲論者」が提唱する「大連立」が導こうとしている(ように見える)「自衛隊増強」の行き先はどこなのか、ということです。
最速の初動を見せてくれたトモダチ米軍の活躍は、「軍の力」というものこそがドラスティックな被災地復興をもたらすに違いないと印象づけることに十分に寄与したと思います。――が、しかし。
また、自衛隊が「増強」されることになれば、職探しに困っていた人たちの問題も解決する(かもしれない)し、規則正しい生活が身に着く(かもしれない)ので、だれきった(と言われ続けてきた)青少年に「秩序」を与えることができるし、何より政治家たちにとっては、まさに文字どおりの「権力」の増大を意味するでしょう。――が、しかし。
やはり気になるのは、「今の未曾有の国難を解決する」という、国民のだれにも異存のない目的のもとに、すべて良いことずくめの(ように見える)、あまりにもスッキリしている(かもしれない)「復興のための三段論法」には、必ずや大きな落とし穴があるに違いないし、実際にすでにどこかしら(否、あからさまな)危険なニオイが漂っているようだ、と感じることです。
それとも、全く違うのでしょうか。私の想像力があまりにも乏しすぎるので、単純な予想しかできていないのでしょうか。それなら、そのほうが良いに決まっています。全く異なるシナリオで思いっきり恥をかかせてほしいです。その恥ならば甘んじて受けます。私が願っていることは、日本は何があっても「憲法九条」を守り抜く国のままであってほしいという一点に尽きます。
私は「小金原九条の会」のメンバーですが、「メンバーだから」九条堅持を願うのではなく、「九条堅持を願っていたから」メンバーになりました。そのこと――憲法九条の問題――と「被災地復興」は本来全く無関係なことであるということも理解しているつもりです。しかし、それならばなぜ自衛隊員たちが「被災地」を「迷彩服」(これは元々「戦闘服」です)で歩き回っておられるのかがとても気になるという話に行き着いてしまうのです。
もちろん、政治家というのは賢い人たちですから、実際には憲法改正はしないでしょうし、まかり間違っても「日本軍」などと改称したりもしないでしょう。しかしまた、過去の経緯を鑑みれば、法文上の形式面はそのままにしておいて、実質面のさまざまな点で憲法九条の許容範囲を突破してきていることは周知の事実です。そういう中でこれから警戒が必要なのは、たとえば事実上の「徴兵制」導入に近づいていくような「被災地ボランティア義務化」のようなことでしょうか。まだよく分かりませんが、巧みな抱き合わせに要注意です。
私の文章を読んでくださった複数の方から、「迷彩服を普通の作業着に買い替える費用があるなら、復旧復興に回すほうがいい」と言われました。しかしあの迷彩服、わりとすぐに破れたりするそうです。新しいのに換える順に取り換えればよいのではないでしょうか。こう返事すると今度は「制服は全員がお揃いでなければ無意味である」とも言われました。しかし今でも迷彩服2式と、より新型の3式とが混在していて必ずしも全員が揃っているわけではないようです。
私が書いていることの趣旨は、分かりにくいでしょうか。「大連立」などという危険なことを画策しているときだからこそ、せめて被災地復興の場では迷彩服を脱いでいただいて、「自衛隊は軍隊ではない」ということを、はっきりさせてもらいたいと言っているのです。
「自衛隊は軍隊ではない」というのは政府の矛盾した答弁なのであって、それにお前は同調するつもりなのかという趣旨のご意見もいただきました。私の趣旨は政府答弁のオウム返しではありません。全く正反対です。なるほど現時点では詭弁かもしれない政府答弁の矛盾を解消するためにこそ、せめて被災地支援の場では戦闘服を脱いでいただいて、「自衛隊は軍隊ではない」ということをはっきりさせていただきたいということです。これは心からのお願いです。
「自衛隊は軍隊である」と明言する方からも意見をいただきました。そういうことをおっしゃる方の次なる言葉は、「世界の常識はこれこれこうだ」です。なるほど憲法九条は世界の常識ではありません。我々は、世界の常識(国際的には圧倒的多数派)を果敢に退け、憲法九条堅持(国際的には圧倒的少数派)を言い続けていこうとしているのですから、肩身が狭いのは常に我々のほうです。
服装の問題は、もちろん美意識の問題です。感性の次元の話。十人十色。私自身は、軍服や制服というもののすべてを否定しているわけでもありません。ただ、迷彩色(カムフラージュ)を、なぜ「敵国の攻撃があるわけでもない」被災地復興のために着なくてはならないのかと疑問に思い、強い不快感を覚えているだけです。
現地でがんばっておられる自衛隊員たちを、いささかでも貶す意図はありません(これは決して誤解のないようお願いしたいです)。彼らに迷彩服の着用命令を出している人たちに文句を言っているだけです。
(1)「復興のための自衛隊員」には迷彩服(国際的には「戦闘服」を意味するはずです)ではなく、我々一般市民に安心を与える服を着てほしい。
(2)「大連立」には賛成しかねますが、もし成立し(てしまっ)た場合にも、数の力で「憲法改正」など絶対しないことを、国民の前で約束してほしい。
「復興庁」なのか「復興府」なのかはともかく、そういうものが作られることになると言われる「復興基本法(案)」なるものの内容を、我々一般市民はどこで確認することができるのでしょうか。
とにかく首相の権限が高められるらしいですね。それはつまり、首相の「自衛隊の最高指揮監督権」を、そして、自衛隊そのものを「増強」することを帰結せざるをえないのではないかと、法案を手にすることができない一般市民として勝手に予想しています。だからこそ「石破茂首相」というような下馬評が出てきているのでしょう。
そして、そういうことになりそうだからこそ、我々にとって気になるのが、「改憲論者」が提唱する「大連立」が導こうとしている(ように見える)「自衛隊増強」の行き先はどこなのか、ということです。
最速の初動を見せてくれたトモダチ米軍の活躍は、「軍の力」というものこそがドラスティックな被災地復興をもたらすに違いないと印象づけることに十分に寄与したと思います。――が、しかし。
また、自衛隊が「増強」されることになれば、職探しに困っていた人たちの問題も解決する(かもしれない)し、規則正しい生活が身に着く(かもしれない)ので、だれきった(と言われ続けてきた)青少年に「秩序」を与えることができるし、何より政治家たちにとっては、まさに文字どおりの「権力」の増大を意味するでしょう。――が、しかし。
やはり気になるのは、「今の未曾有の国難を解決する」という、国民のだれにも異存のない目的のもとに、すべて良いことずくめの(ように見える)、あまりにもスッキリしている(かもしれない)「復興のための三段論法」には、必ずや大きな落とし穴があるに違いないし、実際にすでにどこかしら(否、あからさまな)危険なニオイが漂っているようだ、と感じることです。
それとも、全く違うのでしょうか。私の想像力があまりにも乏しすぎるので、単純な予想しかできていないのでしょうか。それなら、そのほうが良いに決まっています。全く異なるシナリオで思いっきり恥をかかせてほしいです。その恥ならば甘んじて受けます。私が願っていることは、日本は何があっても「憲法九条」を守り抜く国のままであってほしいという一点に尽きます。
私は「小金原九条の会」のメンバーですが、「メンバーだから」九条堅持を願うのではなく、「九条堅持を願っていたから」メンバーになりました。そのこと――憲法九条の問題――と「被災地復興」は本来全く無関係なことであるということも理解しているつもりです。しかし、それならばなぜ自衛隊員たちが「被災地」を「迷彩服」(これは元々「戦闘服」です)で歩き回っておられるのかがとても気になるという話に行き着いてしまうのです。
もちろん、政治家というのは賢い人たちですから、実際には憲法改正はしないでしょうし、まかり間違っても「日本軍」などと改称したりもしないでしょう。しかしまた、過去の経緯を鑑みれば、法文上の形式面はそのままにしておいて、実質面のさまざまな点で憲法九条の許容範囲を突破してきていることは周知の事実です。そういう中でこれから警戒が必要なのは、たとえば事実上の「徴兵制」導入に近づいていくような「被災地ボランティア義務化」のようなことでしょうか。まだよく分かりませんが、巧みな抱き合わせに要注意です。
私の文章を読んでくださった複数の方から、「迷彩服を普通の作業着に買い替える費用があるなら、復旧復興に回すほうがいい」と言われました。しかしあの迷彩服、わりとすぐに破れたりするそうです。新しいのに換える順に取り換えればよいのではないでしょうか。こう返事すると今度は「制服は全員がお揃いでなければ無意味である」とも言われました。しかし今でも迷彩服2式と、より新型の3式とが混在していて必ずしも全員が揃っているわけではないようです。
私が書いていることの趣旨は、分かりにくいでしょうか。「大連立」などという危険なことを画策しているときだからこそ、せめて被災地復興の場では迷彩服を脱いでいただいて、「自衛隊は軍隊ではない」ということを、はっきりさせてもらいたいと言っているのです。
「自衛隊は軍隊ではない」というのは政府の矛盾した答弁なのであって、それにお前は同調するつもりなのかという趣旨のご意見もいただきました。私の趣旨は政府答弁のオウム返しではありません。全く正反対です。なるほど現時点では詭弁かもしれない政府答弁の矛盾を解消するためにこそ、せめて被災地支援の場では戦闘服を脱いでいただいて、「自衛隊は軍隊ではない」ということをはっきりさせていただきたいということです。これは心からのお願いです。
「自衛隊は軍隊である」と明言する方からも意見をいただきました。そういうことをおっしゃる方の次なる言葉は、「世界の常識はこれこれこうだ」です。なるほど憲法九条は世界の常識ではありません。我々は、世界の常識(国際的には圧倒的多数派)を果敢に退け、憲法九条堅持(国際的には圧倒的少数派)を言い続けていこうとしているのですから、肩身が狭いのは常に我々のほうです。
服装の問題は、もちろん美意識の問題です。感性の次元の話。十人十色。私自身は、軍服や制服というもののすべてを否定しているわけでもありません。ただ、迷彩色(カムフラージュ)を、なぜ「敵国の攻撃があるわけでもない」被災地復興のために着なくてはならないのかと疑問に思い、強い不快感を覚えているだけです。
現地でがんばっておられる自衛隊員たちを、いささかでも貶す意図はありません(これは決して誤解のないようお願いしたいです)。彼らに迷彩服の着用命令を出している人たちに文句を言っているだけです。
2011年6月7日火曜日
「迷彩色の大連立」には賛成しかねます
「大連立」には賛成しかねます。意図と目的が分かりません。
大震災後、被災地を直接訪問して感じたことは「迷彩服」の人たちのあまりの多さでした。自衛隊員のご苦労には感謝しています。しかし、迷彩服は不気味でした。別の服は無いのでしょうか。もし大連立が「日本軍再建」のような方向に向かう意図をもつなら、反対せざるをえません。
うちの子たちには「迷彩色」をファッションとして着てはならないと、厳しく言い渡しています。何をそんなにカッカしているのかが分からないらしく、怪訝な顔で見返してきますが、私は譲りません。迷彩色(カムフラージュ)に「隠れる」という意味以外、何があるでしょうか。被災地復興のどの場面で、どこで、だれから「隠れる」必要があるでしょうか。もし着るなら「防護服」ではないかと思いました。
なぜ今、大連立なのでしょうか。大震災以前から大連立を唱えてきた人たちは必ず改憲論者であり、主張の核心は「九条改正」でした。トモダチ米軍の恩義に応えるべく、自衛隊は「日本軍」となり、真のパートナーとして国際正義に仕えるべきである。その共同訓練の演習場が被災地だ。もしそのようなシナリオを進めるための大連立だとしたら、私は反対です。
本気で聞いてみたいことは、被災地復興の場で、彼らはどうして「迷彩服」でなくてはならないのですかということです。もちろん隊員たちの個人的な希望ではなく、上司からの着用命令があるに決まっています。自衛隊員に「迷彩服着用」を命令する意図は何でしょうか。もし士気の問題だとしたら、その士気こそが問題です。「迷彩服を着なければ出てこない士気」(もしそういうものがあるならば)とは、いったい何なのでしょう。
なるほどたしかに、今は「平時」ではないのかもしれません。しかし、だからといって、今の日本は、言葉の通常の意味での「戦時」ではありません。自衛隊員が敵国の攻撃から「隠れる」ための迷彩服(カムフラージュ)を着なくてはならない状況は、今の被災地のどこにもありません(それとも、あるのでしょうか)。強いていえば、着用すべきは「防護服」でしょう。
おやおや、これを書いている間に、さっそく妨害が飛び込んできました。「日本軍再建」などとは誰も言っていない。思いこみはやめろ、と。「思いこみ」であると認めることは、やぶさかではありません。しかし、言わせてもらえば、これも「想定」の一種ですよ。「想定外だった。こんなはずじゃなかった」と、後になって慌てふためかないための、ね。
石原伸晃さんが先週(6月2日)の内閣不信任決議案の賛成演説の中で、「国民の原発に対する不安につけ込んで自分の人気取りに利用する姿は、共産主義の危機をあおり立て、その不安につけ込んで権力の座を掌握した独裁者ヒトラーとどこが違うのか」と言いました。政治とはまさにそういうものだと、物事の本質を知っている人らしい発言でした。
かつて菅さんも、伸晃さんのお父さん(慎太郎氏)をヒトラー呼ばわりしたようですね。2006年4月15日、仙台市内での講演で。当時の菅さんは民主党代表代行。「石原氏の目指す政治は、もしかしたらヒトラーのような自分の理想を権力で実現したい政治だ。権力を持つほど使い方を考えるのが(政治の)原点だ」(毎日新聞、2006年4月16日)。伸晃さんが「父の仇」を意識したのかどうかは藪の中です。
ここで笑っていいのか腹を立てるべきかは分かりません。しかし、要するに民主党も自民党も(元自民党の人も)お互いを「ヒトラーみたいなもの」と認識し、罵倒し合っていることが非常によく伝わってきます。「国民の○○に対する不安につけ込んで自分の人気取りに利用すること」あるいは「自分の理想を権力で実現すること」こそが政治の本質であるということを、彼らが認識している証左です。
自衛隊員の迷彩服については、以下の記述が参考になります。
「迷彩戦闘服は基本的に『戦闘』を目的とし、通常の作業等には使用されない予定であったが、2001年頃より中部方面隊や北部方面隊の一部部隊が通常勤務で使用したのを皮切りに全国の部隊で使用が開始され、現在では多くの部隊で日常的に着用されている」(Wikipedia「迷彩服2型」)。
つまり、迷彩服についての変化が、今からちょうど10年前(2001年)にあったということです。「あれ?迷彩服の人が急に増えたなあ。嫌だなあ」と感じた私のおぼろげな記憶とも合致しています。2001年といえば、総理大臣が森喜朗さん(4月26日まで)から小泉純一郎さんに替わった年。そして防衛庁(当時)長官は斉藤斗志二さん(4月26日まで)から中谷元さんに替わった年です。
それを着ている彼ら自身に象徴的な意図などはなくても、彼らの迷彩服が一般市民に威圧感を与えていることは否定できません。「頼もしい」?――それは何の頼もしさでしょうか。意味が分かりません。「迷彩服は単なる作業服である」?――そうでしょうか。通常の作業服ならば自衛隊員でない人でも持っていますが、迷彩色ではありません。「お金がかかる」?――そうでしょうか。自衛隊員分の「迷彩色でない」作業服を買い揃えるだけの話なのですが。
今回の被災地支援において最速の初動を見せたのが米軍だったことは確実です。「軍の力」というものを改めて思い知らされる場面になりました。しかし、「国民の○○に対する不安につけ込んで」次のアクションを起こす人は、石原伸晃さんの理屈のとおりなら、「ヒトラーとどこが違うのか」という話です。
私が大連立に不安をもつのは、今それを提唱している人たちが、大震災前から「改憲論者」だったからです。そんな人たちを、なんで信用できるんですか。どさくさに紛れて「憲法を変えましょう」と言い出しかねない人たちなのです。
大震災後、被災地を直接訪問して感じたことは「迷彩服」の人たちのあまりの多さでした。自衛隊員のご苦労には感謝しています。しかし、迷彩服は不気味でした。別の服は無いのでしょうか。もし大連立が「日本軍再建」のような方向に向かう意図をもつなら、反対せざるをえません。
うちの子たちには「迷彩色」をファッションとして着てはならないと、厳しく言い渡しています。何をそんなにカッカしているのかが分からないらしく、怪訝な顔で見返してきますが、私は譲りません。迷彩色(カムフラージュ)に「隠れる」という意味以外、何があるでしょうか。被災地復興のどの場面で、どこで、だれから「隠れる」必要があるでしょうか。もし着るなら「防護服」ではないかと思いました。
なぜ今、大連立なのでしょうか。大震災以前から大連立を唱えてきた人たちは必ず改憲論者であり、主張の核心は「九条改正」でした。トモダチ米軍の恩義に応えるべく、自衛隊は「日本軍」となり、真のパートナーとして国際正義に仕えるべきである。その共同訓練の演習場が被災地だ。もしそのようなシナリオを進めるための大連立だとしたら、私は反対です。
本気で聞いてみたいことは、被災地復興の場で、彼らはどうして「迷彩服」でなくてはならないのですかということです。もちろん隊員たちの個人的な希望ではなく、上司からの着用命令があるに決まっています。自衛隊員に「迷彩服着用」を命令する意図は何でしょうか。もし士気の問題だとしたら、その士気こそが問題です。「迷彩服を着なければ出てこない士気」(もしそういうものがあるならば)とは、いったい何なのでしょう。
なるほどたしかに、今は「平時」ではないのかもしれません。しかし、だからといって、今の日本は、言葉の通常の意味での「戦時」ではありません。自衛隊員が敵国の攻撃から「隠れる」ための迷彩服(カムフラージュ)を着なくてはならない状況は、今の被災地のどこにもありません(それとも、あるのでしょうか)。強いていえば、着用すべきは「防護服」でしょう。
おやおや、これを書いている間に、さっそく妨害が飛び込んできました。「日本軍再建」などとは誰も言っていない。思いこみはやめろ、と。「思いこみ」であると認めることは、やぶさかではありません。しかし、言わせてもらえば、これも「想定」の一種ですよ。「想定外だった。こんなはずじゃなかった」と、後になって慌てふためかないための、ね。
石原伸晃さんが先週(6月2日)の内閣不信任決議案の賛成演説の中で、「国民の原発に対する不安につけ込んで自分の人気取りに利用する姿は、共産主義の危機をあおり立て、その不安につけ込んで権力の座を掌握した独裁者ヒトラーとどこが違うのか」と言いました。政治とはまさにそういうものだと、物事の本質を知っている人らしい発言でした。
かつて菅さんも、伸晃さんのお父さん(慎太郎氏)をヒトラー呼ばわりしたようですね。2006年4月15日、仙台市内での講演で。当時の菅さんは民主党代表代行。「石原氏の目指す政治は、もしかしたらヒトラーのような自分の理想を権力で実現したい政治だ。権力を持つほど使い方を考えるのが(政治の)原点だ」(毎日新聞、2006年4月16日)。伸晃さんが「父の仇」を意識したのかどうかは藪の中です。
ここで笑っていいのか腹を立てるべきかは分かりません。しかし、要するに民主党も自民党も(元自民党の人も)お互いを「ヒトラーみたいなもの」と認識し、罵倒し合っていることが非常によく伝わってきます。「国民の○○に対する不安につけ込んで自分の人気取りに利用すること」あるいは「自分の理想を権力で実現すること」こそが政治の本質であるということを、彼らが認識している証左です。
自衛隊員の迷彩服については、以下の記述が参考になります。
「迷彩戦闘服は基本的に『戦闘』を目的とし、通常の作業等には使用されない予定であったが、2001年頃より中部方面隊や北部方面隊の一部部隊が通常勤務で使用したのを皮切りに全国の部隊で使用が開始され、現在では多くの部隊で日常的に着用されている」(Wikipedia「迷彩服2型」)。
つまり、迷彩服についての変化が、今からちょうど10年前(2001年)にあったということです。「あれ?迷彩服の人が急に増えたなあ。嫌だなあ」と感じた私のおぼろげな記憶とも合致しています。2001年といえば、総理大臣が森喜朗さん(4月26日まで)から小泉純一郎さんに替わった年。そして防衛庁(当時)長官は斉藤斗志二さん(4月26日まで)から中谷元さんに替わった年です。
それを着ている彼ら自身に象徴的な意図などはなくても、彼らの迷彩服が一般市民に威圧感を与えていることは否定できません。「頼もしい」?――それは何の頼もしさでしょうか。意味が分かりません。「迷彩服は単なる作業服である」?――そうでしょうか。通常の作業服ならば自衛隊員でない人でも持っていますが、迷彩色ではありません。「お金がかかる」?――そうでしょうか。自衛隊員分の「迷彩色でない」作業服を買い揃えるだけの話なのですが。
今回の被災地支援において最速の初動を見せたのが米軍だったことは確実です。「軍の力」というものを改めて思い知らされる場面になりました。しかし、「国民の○○に対する不安につけ込んで」次のアクションを起こす人は、石原伸晃さんの理屈のとおりなら、「ヒトラーとどこが違うのか」という話です。
私が大連立に不安をもつのは、今それを提唱している人たちが、大震災前から「改憲論者」だったからです。そんな人たちを、なんで信用できるんですか。どさくさに紛れて「憲法を変えましょう」と言い出しかねない人たちなのです。
2011年6月5日日曜日
人間の存在はこの上なく価値がある
コリントの信徒への手紙一6・12~14
「『わたしには、すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことが益になるわけではない。『わたしには、すべてのことが許されている。』しかし、わたしは何事にも支配されはしない。食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。」
いま短めに読みました。この個所にはキリスト教信仰の核心部分が端的に表現されています。ここで問題になっていることを少し丁寧にいえば、神がわたしたちに与えてくださる自由(キリスト者の自由!)と、その自由を間違った目的のために用いてしまう人間の罪との関係はどうなっているのかということです。しかし、こういうことをさっと言うだけでは何のことかお分かりいただけるはずはありませんので、これから説明いたします。
「わたしには、すべてのことが許されている」という一文にかぎかっこが付けられている理由は、分かりません。このような言葉が旧約聖書かあるいは新約聖書のどこかに書かれているのかと思って調べてみましたが、見当たりません。どこかから引用したことを示すためのかぎかっこではなさそうです。しかし、書かれているとおりの言葉が聖書に出て来ないとしても、この「わたしには、すべてのことが許されている」という一言こそが、神がわたしたちに与えてくださる自由を端的に表現していると語ることができます。わたしたち、キリスト者は、全く自由なのです。
まさに書いているとおり「わたしたちには、すべてのことが許されている」のです。わたしたちには「あれをしてはいけない」「これをしてはいけない」というタブーがないのです。あの日はいけない、この日はいけない。あの方向はいけない、この場所はいけない。そういうのが全く無い。あるいは、あれを食べてはいけない、これを飲んではいけない。そういうのも全く無い。他の宗教にはよくあるその種の拘束や束縛が、わたしたちキリスト者には全く無いのです。
そんなことはないだろうと、反発を受けるかもしれません。キリスト者こそが、あれもいけない、これもだめだと、そんなことばかり言ってきたではないかと。また、聖書の中には、あるいは、教会の教えの中には「あれをしてはいけない」「これをしてはいけない」というような言葉がたくさんあるではないかと言われてしまうかもしれません。
なるほど、たしかにそうです。たとえば聖書には、有名なモーセの十戒が書かれています。皆さんがもっておられる今週の週報の最後の面にも十戒の全文を印刷してあります。「あなたは、殺してはならない。あなたは、姦淫してはならない。あなたは、ぬすんではならない。あなたは、隣人について、偽証してはならない。あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。」
たしかに、わたしたちには、すべてのことが許されています。しかし、殺してもよいわけではありませんし、姦淫してもよいわけではありませんし、ぬすんでもよいわけではありません。まさかそんなことまで許されているわけではありません。
しかし、もしそうだとしたら、わたしたちは少しも自由ではないと考えなければならないでしょうか。教会はいろんなことを禁止しているではないかと、反発されなくてはならないでしょうか。いやいや、ちょっと待ってくれ。いくらなんでもそういう理屈はないだろうということくらいは、聖書を毎週学んでいる人でなくても、常識で考えても理解していただけることではないかと思います。
詳しい事情を話しはじめますと長くなってしまいますので、途中の説明を省いた結論だけ申します。わたしたちが人を殺すということは、わたしたちが殺すその相手の自由を奪ってしまうことを意味します。また、それだけではなく、人を殺した人自身の自由が奪われることをも意味します。姦淫も、あるいは盗みも、偽証することも、むさぼることも、みな同じです。わたしたちは自由だ。しかし、その自由を間違ったことのために用いてしまうならば、その結果として、自分の自由も他人の自由も奪ってしまうことになるのです。
パウロが今日の個所に書いているのは、そのことです。わたしには、すべてのことが許されている。「しかし、すべてのことが益になるわけではない」のです。神がわたしたちに与えてくださる自由を間違ったことのために用いるならば、それは自分自身と他人に対して被害をもたらす結果を生むことは間違いないわけですから、その意味では、わたしたちは何をしてもよいわけではないのです。神がわたしたちに与えてくださる自由は、罪を犯してもよい自由ではないのです。
いまわたしは「罪」と言いました。パウロが書いていることは、結局のところ、神がわたしたちに与えてくださる自由と、わたしたち人間が犯す罪との関係である、と説明することができます。そうしますと、今度は「罪とは何か」についての説明をしなくてはならなくなりますが、それも長くなりますので、途中の説明を省いて結論だけ言います。
私の結論は、罪とは自由の正反対であるということです。このことは前に一度、お話ししたことがあります。わたしたちにとって自由が遊びの本質だとしたら、罪は仕事です。いま私は「仕事が罪だ」と言ったわけではありません。それは主語と述語が逆さまです。「罪は仕事だ」と言ったのです。昔のテレビドラマに「必殺仕事人」というのがあったではありませんか。人殺しのことを「仕事」と呼んでいるのです。国際的なテロを働くような人たちは、綿密な計画を立てて、ありとあらゆる可能性を想定して行動します。そうでなければ彼らの犯行は決して成立しませんし、失敗に終わるでしょう。
あるいは、姦淫を犯すこと、不倫を働くこと。こういうのも、最初は遊びなのかもしれませんが、そのうち必ず仕事になります。こちらにもあちらにも嘘をつき、こちらにもあちらにも隠しごとをし、結局どちらも重くなる。どちらかを捨てざるをえなくなるし、どちらからも捨てられる。多くの人を傷つけ、家族を傷つけ、自分自身を傷つけて、何もかも破壊する。
盗みも、偽証も、むさぼりもみな同じです。自分の犯した罪を隠すために嘘をつき、その嘘を隠すために、また嘘をつく。ピノキオの鼻はどんどん伸びていくばかりです。
仕事は罪ではありません。そんなことを言ったら怒られてしまいます。しかし、罪は仕事なのです。人間は汗水たらし、苦労して罪を犯すのです。しかしその結果は常に悪いものです。罪の結果が良いことはありえません。自分自身を不幸にし、多くの人を不幸にするだけです。そんなことのためにも、人間は汗水たらすのです。まるで馬鹿みたいな話ですが、いったん罪の電車の中に乗ってしまうと、途中で降りられなくなってしまうのです。
今日の個所でパウロが書いているもう一つのことは、そのことです。わたしには、すべてのことが許されている。「しかし、わたしは何事にも支配されはしない」。ここでパウロが「支配」という言葉で表現しているのが罪のことです。罪はわたしたちを自由にせず、むしろがんじがらめに支配します。電車の扉は、次の駅まで開かないのです。無理やり開けて、走っている電車から飛び降れば、死んでしまう。それほどに罪はわたしたちを支配するのです。乗ったら最後なのです。だから、わたしたちは、よくよく気をつけなければならないのです。
「食物は腹のため、腹は食物のためにある」と続いています。パウロが「腹」という字を書くときの意味は、たいていの場合、狭い意味ではなく、広い意味です。「腹」は人間の欲求や欲望の象徴です。と言いますと、私はこの場から逃げたくなってしまいますので、このことをあまり強調したくはありません。しかし、ここでパウロが言いたいことは「食べすぎたらお腹が出っ張る」というような単純な話ではないと申し上げたいのです。
パウロがしているのは食べ物の話だけではありません。だからこそ、このあとすぐ、間髪いれずに「みだらな行い」の話が続いています。いわゆる三大欲求とは食欲、性欲、睡眠欲だと言われますが、睡眠の話をパウロはしていません。パウロがしているのは残りの二つの話です。人間が欲求や欲望を持つこと自体が悪いと言っているのではありません。わたしたちが人間であるかぎり、地上に生きているかぎり、そういうものと全く無関係に生きることは不可能です。その意味での避けがたさ、「欲求の不可避性」を指して、パウロは「食物は腹のため、腹は食物のためにある」と言っているのです。
いま申し上げていることは日本では強調しておく必要があるかもしれません。クリスチャンというのは何も食べない人(?)であるかのように誤解している人がいないともかぎらない国の中では。
しかし問題は、そこから先のことです。ごく当たり前の話ですが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。自分自身を傷つけ、家族を傷つけ、多くの人を傷つけるほどの過度の欲求、過剰な欲望をもつことが悪いと言っているのです。そこまで行くと罪だと言っているのです。だからその次にパウロは「神はそのいずれをも滅ぼされます」と書いています。行きすぎた欲望追求は、神の厳しい裁きの座に耐えることができないのです。
だから、次の言葉が大事です。「体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです」とパウロは書いています。「体」という字をパウロが書くときの意味も、たいていの場合、狭い意味ではなくて、広い意味です。わたしたちがよく言う「心と体」という区別を置いた上での「体だけ」の話をしているのではありません。そのような区別がパウロの考えの中に全く無いと言いたいのではありませんが、少なくとも今日の個所に「体」と書かれているのはもっと広い意味です。それはほとんど「人間の存在そのもの」を指していると言ってよいでしょう。
ですから、いま申し上げたことを踏まえていただいたうえで、パウロの言葉の中の「体」という字を「人間の存在」と言い換えていただけば、パウロの意図をよく分かっていただけるでしょう。実際に言い換えてみます。「人間の存在はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は人間の存在のためにおられるのです」。
いかがでしょうか。まだ日本語として分かりにくさが残っているようです。もう少し噛み砕く必要がある。それなら、これでどうでしょうか。
「わたしたちは、みだらな行いをするために生まれてきたのではない!
罪を犯すことが人生の目的ではない!
罪は人間の運命でも定めでもない!
人生の目的は、神の栄光を表わし、永遠に神を喜ぶことなのだ!(ウェストミンスター小教理問答1)
わたしたちは、神を喜ぶために生まれてきたのだ!
神は、わたしたちの存在を喜んでくださるためにわたしたちを造ってくださったのだ!」
わたしたちの存在は、神の目から見てこの上なく価値があります。だから、みだらな行いはただちにやめなければならないのです。
(2011年6月5日、松戸小金原教会主日礼拝)
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