2011年7月12日火曜日

この文章に「献身のすすめ」というタイトルを付けておきます

さっきから何度も出るのは、ためいきばかりです。教会の中で起こる問題のほぼ9割9分9厘が牧師の弱さや罪や欠けに端を発していることは火を見るよりも明らかなのだから、教会の体質を良い方向に「変えたい」と願っている人は、その人自身が牧師になる以外に無いんじゃないのかね、と思うんですよ。いま書いていることは、これを読んでくださっている「あなた」に言ってることです。

日本の教会ってね、一部を除くほとんどは、建物は小さいし、組織は弱いし、動員力もお金も無いしでね、傍目からみれば「ごっこ遊び」してるようにしか見えないんでしょうけどね。でもね、これはこれでね、湾岸署の署長さんのセリフを借りれば、「できそこないでも命張ってんだ!」と言いたい面がありますよ。

教会の外に立っている人が教会のことを何と言おうと、それは仕方無いことですよ。人の口に戸は立てられない。でも、教会の悪口を先頭に立って言うのはたいてい教会の中の人ですし、教会の中で中途半端に責任を負っているような感じの人。ひたすらブザマですよ。「あなた自身が教会でしょーが?」と言ってあげたいですよ。

教会の悪口を言っちゃあいけないって言ってるんじゃないですよ。まさか、どう間違ってもそんなことを私が言うはずが無い。正反対ですよ。中途半端な論評なんかでは教会というのはビクともしやしないんだから、教会の体質を変えたければ、教会のど真ん中に入って行く以外どうしようもないじゃん、と言いたいだけです。

教会のど真ん中ってね、まさか、教団・教派や個々の教会の「役員会」のことじゃないですよ。そんなふうに思っている人は、誤解してるんです。教会の役員たちの悪口を言ってみたところで、何も変わりゃあしませんよ。それじゃあその人自身が選挙で選ばれて役員になれば教会の体質が変わるのかといえば、たぶん変わらない。かえって前よりもっと悪くなるんじゃないかな、教会の悪口を言いたいためだけに教会の役員になった、というだけならね。

それでは「教会のど真ん中」はどこ、あるいは何なのでしょうね。この問題の答えは、しばらく書かないでおきますよ。私の結論はいつも単純すぎて拍子抜けさせてしまうので、ちょっとくらい勿体をつけてからにしますね。