2011年6月8日水曜日

近日中に新設予定の「復興庁」(仮称)への要望事項

近日中に新設予定の「復興庁」(仮称)への要望事項

(1)「復興のための自衛隊員」には迷彩服(国際的には「戦闘服」を意味するはずです)ではなく、我々一般市民に安心を与える服を着てほしい。

(2)「大連立」には賛成しかねますが、もし成立し(てしまっ)た場合にも、数の力で「憲法改正」など絶対しないことを、国民の前で約束してほしい。

「復興庁」なのか「復興府」なのかはともかく、そういうものが作られることになると言われる「復興基本法(案)」なるものの内容を、我々一般市民はどこで確認することができるのでしょうか。

とにかく首相の権限が高められるらしいですね。それはつまり、首相の「自衛隊の最高指揮監督権」を、そして、自衛隊そのものを「増強」することを帰結せざるをえないのではないかと、法案を手にすることができない一般市民として勝手に予想しています。だからこそ「石破茂首相」というような下馬評が出てきているのでしょう。

そして、そういうことになりそうだからこそ、我々にとって気になるのが、「改憲論者」が提唱する「大連立」が導こうとしている(ように見える)「自衛隊増強」の行き先はどこなのか、ということです。

最速の初動を見せてくれたトモダチ米軍の活躍は、「軍の力」というものこそがドラスティックな被災地復興をもたらすに違いないと印象づけることに十分に寄与したと思います。――が、しかし。

また、自衛隊が「増強」されることになれば、職探しに困っていた人たちの問題も解決する(かもしれない)し、規則正しい生活が身に着く(かもしれない)ので、だれきった(と言われ続けてきた)青少年に「秩序」を与えることができるし、何より政治家たちにとっては、まさに文字どおりの「権力」の増大を意味するでしょう。――が、しかし。

やはり気になるのは、「今の未曾有の国難を解決する」という、国民のだれにも異存のない目的のもとに、すべて良いことずくめの(ように見える)、あまりにもスッキリしている(かもしれない)「復興のための三段論法」には、必ずや大きな落とし穴があるに違いないし、実際にすでにどこかしら(否、あからさまな)危険なニオイが漂っているようだ、と感じることです。

それとも、全く違うのでしょうか。私の想像力があまりにも乏しすぎるので、単純な予想しかできていないのでしょうか。それなら、そのほうが良いに決まっています。全く異なるシナリオで思いっきり恥をかかせてほしいです。その恥ならば甘んじて受けます。私が願っていることは、日本は何があっても「憲法九条」を守り抜く国のままであってほしいという一点に尽きます。

私は「小金原九条の会」のメンバーですが、「メンバーだから」九条堅持を願うのではなく、「九条堅持を願っていたから」メンバーになりました。そのこと――憲法九条の問題――と「被災地復興」は本来全く無関係なことであるということも理解しているつもりです。しかし、それならばなぜ自衛隊員たちが「被災地」を「迷彩服」(これは元々「戦闘服」です)で歩き回っておられるのかがとても気になるという話に行き着いてしまうのです。

もちろん、政治家というのは賢い人たちですから、実際には憲法改正はしないでしょうし、まかり間違っても「日本軍」などと改称したりもしないでしょう。しかしまた、過去の経緯を鑑みれば、法文上の形式面はそのままにしておいて、実質面のさまざまな点で憲法九条の許容範囲を突破してきていることは周知の事実です。そういう中でこれから警戒が必要なのは、たとえば事実上の「徴兵制」導入に近づいていくような「被災地ボランティア義務化」のようなことでしょうか。まだよく分かりませんが、巧みな抱き合わせに要注意です。

私の文章を読んでくださった複数の方から、「迷彩服を普通の作業着に買い替える費用があるなら、復旧復興に回すほうがいい」と言われました。しかしあの迷彩服、わりとすぐに破れたりするそうです。新しいのに換える順に取り換えればよいのではないでしょうか。こう返事すると今度は「制服は全員がお揃いでなければ無意味である」とも言われました。しかし今でも迷彩服2式と、より新型の3式とが混在していて必ずしも全員が揃っているわけではないようです。

私が書いていることの趣旨は、分かりにくいでしょうか。「大連立」などという危険なことを画策しているときだからこそ、せめて被災地復興の場では迷彩服を脱いでいただいて、「自衛隊は軍隊ではない」ということを、はっきりさせてもらいたいと言っているのです。

「自衛隊は軍隊ではない」というのは政府の矛盾した答弁なのであって、それにお前は同調するつもりなのかという趣旨のご意見もいただきました。私の趣旨は政府答弁のオウム返しではありません。全く正反対です。なるほど現時点では詭弁かもしれない政府答弁の矛盾を解消するためにこそ、せめて被災地支援の場では戦闘服を脱いでいただいて、「自衛隊は軍隊ではない」ということをはっきりさせていただきたいということです。これは心からのお願いです。

「自衛隊は軍隊である」と明言する方からも意見をいただきました。そういうことをおっしゃる方の次なる言葉は、「世界の常識はこれこれこうだ」です。なるほど憲法九条は世界の常識ではありません。我々は、世界の常識(国際的には圧倒的多数派)を果敢に退け、憲法九条堅持(国際的には圧倒的少数派)を言い続けていこうとしているのですから、肩身が狭いのは常に我々のほうです。

服装の問題は、もちろん美意識の問題です。感性の次元の話。十人十色。私自身は、軍服や制服というもののすべてを否定しているわけでもありません。ただ、迷彩色(カムフラージュ)を、なぜ「敵国の攻撃があるわけでもない」被災地復興のために着なくてはならないのかと疑問に思い、強い不快感を覚えているだけです。

現地でがんばっておられる自衛隊員たちを、いささかでも貶す意図はありません(これは決して誤解のないようお願いしたいです)。彼らに迷彩服の着用命令を出している人たちに文句を言っているだけです。