2011年7月30日土曜日

もしパウロの時代にブログがあったら(1)

いま毎週日曜日の礼拝の中で、新約聖書「コリントの信徒への手紙一」の連続講解説教を続けています。今は7章を読んでいる最中なのですが、まあ難しいといえば難しい、でも、すごく興味深いところであることも分かってきました。

このところ、ギリシア語の本文をじっくり研究するだけの余裕が無いのが残念なのですが、とにかく一冊二冊の注解書にかじりつきながら、パウロの言葉の真意を探っているところです。

以下にご紹介するのは、たったいま(「たったいま」です)大急ぎで、新共同訳聖書を開きながら、これまで学んできたパウロの意図をできるだけ反映させてパウロの文章を読みなおすと、こういうふうになるんじゃないか、という一つの例(あくまでも「一つの例」)として、書いてみたものです。

ですから、「翻訳」と言うには及びません。「超訳」で構いません。味付けとしては、「ブログ風テイスト」を加えてみました。パウロの時代にブログがあったら、こういう文章を書くんじゃないかなと、想像してみた次第です。

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コリントの信徒への手紙一7・25~35

使徒パウロ著/関口 康「超訳」


まだ結婚したことが無い人たち、いますよね、そういう人たちにこの際ちょっと言っておきたいことがあるんですよ。まあこれはあくまでも私の意見ですけどね。神さまからこう言えと言われて言うわけじゃないんですが、神さまからこの仕事を任されている者として言っておきますよ。

それはね、要するに、とにかく今は相当ヤバい状況なんだということですよ。今まさに危機が迫っているんです。そういうときには、私は皆さんにあんまり無茶なことや急激な変化が起こるようなことをしてもらいたくないんです。今のまま、現状のままに留まっていてもらいたいんです。

いま結婚している状態にある人なら、もうわざわざ離婚の手続きなんかしなきゃいいし、もしまだ結婚していない人なら、今さら相手を探そうだなんて思わなきゃいい。結婚することが罪だとか、まだセックスしたことがない人がセックスすることは罪だとか、そういうことを言いたいわけではないですよ。

私が言いたいのはね、「結婚すること」と「苦労すること」はほとんど同義語だ、ということですよ。そういう苦労をね、私はあんまりあなたたちに味わわせたいとは思わないんですよ、このご時世ですからね。

皆さんに言っときますよ、もうすぐ世界は終わりますからね、そのときが近づいてますよ。

これからの生き方はね、

・家族がある人は、ないふりをする。
・いつも泣きべそばっかりの人は、いまだかつて泣いたことがない人のふりをする。
・冗談ばっかり言っていつも笑っている人は、いまだかつて笑ったことがない人のふりをする。
・買い物好きの浪費癖の人は、財布のひもが固い人のふりをする。
・世の中の弟一線でバリバリやってきた人は、世事に疎い人のふりをする、

とまあ、こんな感じになっていくと思います。

だって、もうね、今のままの現状がこれからもずっと維持されるということは、ありえないんですよ。だから、あんまりもう、じたばたしないで開き直るしかないんですよ。

一人で生きている男の人ならね、「どうすれば神さまに喜んでもらえるだろうか」を考えることに集中できますけどね、結婚してしまったらね、そんなことはもう無理になりますよ。だってね、男の人が結婚したら、それから毎日が「どうすればカミサンの機嫌をとれるだろうか」とね、そういうことばっかりで心いっぱい頭いっぱいになってしまってね、集中力もへったくれもない状態になっていくものなんです。

一人で生きている女の人や、まだ結婚したことがない女の子たちは、体も心も神さまに清めていただこうと、ひたすら神さまのことを考えることに専念できますけどね、結婚したらね、そこから必ず変わっていきますよ。寝ても覚めても「どうすればダンナの機嫌がとれるだろうか」と、そんなことばっかりになって、世事にくたびれてしまう。

今言っていることは、あなたがたを責めてるわけじゃないですよ、厳しいことばっかり言って、「おれの言うことを聞け」とか言って、自分の価値観を押しつけたいわけじゃない。

心の中がグチャグチャにかき乱されっぱなしの日常から少し離れるときも必要だ、そんなふうにして落ち着くことができるときもある、そのような信仰生活を続けてもらいたい。私の言いたいことは、ただそれだけなんです。