2011年8月23日火曜日

筆談の記憶

ち、あーあ、始業のチャイムが鳴っている。

またしても無為な時間を過ごさなければならない。うんざりだ。

「無為な」だって?まさか、そんなはずはない――はずなのだが。

教室に現われたのはカワバタのおっさん。世界史の教師だ。いやいや、のっけからなかなか興味深い話をしてくれる。まあ教科書どおりなのだが、「えー歴史というのは、古代、中世、近世、近代、現代といった感じに区分していくと、その動きというか流れをうまくとらえることができるようになるのでありましてー」どうたらこうたら。クルトゥーア・ペリオーデ(文化的歴史区分)とか言うらしいというのは、それから数年後、大学で学んだことだ。

しっかし、やっぱだーめだ、興味の集中力が続かん。睡魔が襲う。夢見心地に拍車をかけるのは、出来の悪い生徒は教師からいちばん遠い、優秀な生徒たちに迷惑をかけない、いちばん後ろの席に何となく追いやられていること。

いちばん後ろだが教室右側から二列目なので、外の景色は全く見えない。教室の右側は廊下側で、廊下の向こうには中庭があり、中庭の向こうには別の教室棟が立っているので、山も空も雲もどのみち見えない。「目のやり場に困る」とはこのことだ。女の子たちは授業中は無表情なので(そりゃ真剣に勉強しているわけだし)、見とれるほどの魅力無し。気温と湿度のやたら高い虚空には、カワバタちゃんのダミ声と、彼の目の前に座っている何人かの優秀な子たちの鉛筆のカリカリ音と、ミンミンゼミの鳴き声だけが響く。

ふと薄目で隣を見ると、ぼくと同類の子が「またやるかい?」と言いたげな目でニヤニヤしている。「またやるかい?」の内容は、筆談だ。その子の席は右端のいちばん後ろ。もっとも彼は、その後かなりがんばって優秀な成績を上げ、優秀な仕事に就いたようなので(「優秀な」の定義はともかく)、ぼくなんかと同類だったのは、ほんの一時のことだったと、彼の名誉のために言っておく。

彼は吹奏楽部所属、トロンボーン担当とか言っていた。演奏中の姿を見たことはない。若い頃の田村正和の目じりを、指でさらに吊り上げたようなフェイス。潜在的なファンは多かったらしい。何より、ぼくの半分しか体重が無さそうなスリムなボディ。

しかし、そこから先の記憶が全く正確でない。当時ルーズリーフなんてのを使っていたかどうか。はっきり憶えているのは小さな紙切れだったことだけ。ノートの端っこを破ったんだっけなあ。そんなことをした気はしないのだが。

その小さな紙切れに細かい文字が新たに書き加えられるたびに、ぼくと同類の子とぼくとの間を不断に往復し続ける。もうどこにも残っていないんだけどね。その紙切れは、我々の、なんていうか、細胞レベルの閉塞感を追っ払ってくれる、自由と喜びの輝きをもっていた。

カワバタちゃんの目を盗めていたとは思わない。時々ギョロリと睨まれたし。たしか一度だけ教室から追い出されたことがあったような気もする。あのね、ぼくらの脳みそって、実に便利なものらしいのよ。自分に都合の良い記憶だけを残し、都合の悪い部分は適当に殺処分してくれるという。だから、ほんとに忘れました。記憶にございません。

あれから三十年。キツネ目の彼は(あ、言っちゃった)どこで何してるんだろう。元気でいてほしい。ただそれだけだよ。

��「FB高等學校文學部」開設記念随想、2011年8月23日)