「大連立」には賛成しかねます。意図と目的が分かりません。
大震災後、被災地を直接訪問して感じたことは「迷彩服」の人たちのあまりの多さでした。自衛隊員のご苦労には感謝しています。しかし、迷彩服は不気味でした。別の服は無いのでしょうか。もし大連立が「日本軍再建」のような方向に向かう意図をもつなら、反対せざるをえません。
うちの子たちには「迷彩色」をファッションとして着てはならないと、厳しく言い渡しています。何をそんなにカッカしているのかが分からないらしく、怪訝な顔で見返してきますが、私は譲りません。迷彩色(カムフラージュ)に「隠れる」という意味以外、何があるでしょうか。被災地復興のどの場面で、どこで、だれから「隠れる」必要があるでしょうか。もし着るなら「防護服」ではないかと思いました。
なぜ今、大連立なのでしょうか。大震災以前から大連立を唱えてきた人たちは必ず改憲論者であり、主張の核心は「九条改正」でした。トモダチ米軍の恩義に応えるべく、自衛隊は「日本軍」となり、真のパートナーとして国際正義に仕えるべきである。その共同訓練の演習場が被災地だ。もしそのようなシナリオを進めるための大連立だとしたら、私は反対です。
本気で聞いてみたいことは、被災地復興の場で、彼らはどうして「迷彩服」でなくてはならないのですかということです。もちろん隊員たちの個人的な希望ではなく、上司からの着用命令があるに決まっています。自衛隊員に「迷彩服着用」を命令する意図は何でしょうか。もし士気の問題だとしたら、その士気こそが問題です。「迷彩服を着なければ出てこない士気」(もしそういうものがあるならば)とは、いったい何なのでしょう。
なるほどたしかに、今は「平時」ではないのかもしれません。しかし、だからといって、今の日本は、言葉の通常の意味での「戦時」ではありません。自衛隊員が敵国の攻撃から「隠れる」ための迷彩服(カムフラージュ)を着なくてはならない状況は、今の被災地のどこにもありません(それとも、あるのでしょうか)。強いていえば、着用すべきは「防護服」でしょう。
おやおや、これを書いている間に、さっそく妨害が飛び込んできました。「日本軍再建」などとは誰も言っていない。思いこみはやめろ、と。「思いこみ」であると認めることは、やぶさかではありません。しかし、言わせてもらえば、これも「想定」の一種ですよ。「想定外だった。こんなはずじゃなかった」と、後になって慌てふためかないための、ね。
石原伸晃さんが先週(6月2日)の内閣不信任決議案の賛成演説の中で、「国民の原発に対する不安につけ込んで自分の人気取りに利用する姿は、共産主義の危機をあおり立て、その不安につけ込んで権力の座を掌握した独裁者ヒトラーとどこが違うのか」と言いました。政治とはまさにそういうものだと、物事の本質を知っている人らしい発言でした。
かつて菅さんも、伸晃さんのお父さん(慎太郎氏)をヒトラー呼ばわりしたようですね。2006年4月15日、仙台市内での講演で。当時の菅さんは民主党代表代行。「石原氏の目指す政治は、もしかしたらヒトラーのような自分の理想を権力で実現したい政治だ。権力を持つほど使い方を考えるのが(政治の)原点だ」(毎日新聞、2006年4月16日)。伸晃さんが「父の仇」を意識したのかどうかは藪の中です。
ここで笑っていいのか腹を立てるべきかは分かりません。しかし、要するに民主党も自民党も(元自民党の人も)お互いを「ヒトラーみたいなもの」と認識し、罵倒し合っていることが非常によく伝わってきます。「国民の○○に対する不安につけ込んで自分の人気取りに利用すること」あるいは「自分の理想を権力で実現すること」こそが政治の本質であるということを、彼らが認識している証左です。
自衛隊員の迷彩服については、以下の記述が参考になります。
「迷彩戦闘服は基本的に『戦闘』を目的とし、通常の作業等には使用されない予定であったが、2001年頃より中部方面隊や北部方面隊の一部部隊が通常勤務で使用したのを皮切りに全国の部隊で使用が開始され、現在では多くの部隊で日常的に着用されている」(Wikipedia「迷彩服2型」)。
つまり、迷彩服についての変化が、今からちょうど10年前(2001年)にあったということです。「あれ?迷彩服の人が急に増えたなあ。嫌だなあ」と感じた私のおぼろげな記憶とも合致しています。2001年といえば、総理大臣が森喜朗さん(4月26日まで)から小泉純一郎さんに替わった年。そして防衛庁(当時)長官は斉藤斗志二さん(4月26日まで)から中谷元さんに替わった年です。
それを着ている彼ら自身に象徴的な意図などはなくても、彼らの迷彩服が一般市民に威圧感を与えていることは否定できません。「頼もしい」?――それは何の頼もしさでしょうか。意味が分かりません。「迷彩服は単なる作業服である」?――そうでしょうか。通常の作業服ならば自衛隊員でない人でも持っていますが、迷彩色ではありません。「お金がかかる」?――そうでしょうか。自衛隊員分の「迷彩色でない」作業服を買い揃えるだけの話なのですが。
今回の被災地支援において最速の初動を見せたのが米軍だったことは確実です。「軍の力」というものを改めて思い知らされる場面になりました。しかし、「国民の○○に対する不安につけ込んで」次のアクションを起こす人は、石原伸晃さんの理屈のとおりなら、「ヒトラーとどこが違うのか」という話です。
私が大連立に不安をもつのは、今それを提唱している人たちが、大震災前から「改憲論者」だったからです。そんな人たちを、なんで信用できるんですか。どさくさに紛れて「憲法を変えましょう」と言い出しかねない人たちなのです。