2011年7月22日金曜日

もう国民は官僚を恐れはしない(2) とんねるず系番組

「もう国民は官僚を恐れはしない」をシリーズ化したい気もするのですが、長期的な執筆のヴィジョンのようなものをもっているわけではありません。

前回は「平成教育委員会」(フジテレビ)をやり玉に挙げましたが、もう一つずっと気になっていたのは、とんねるず系の人たちがやっている「みなさんの・・・」なんとかかんとか、いうテレビ番組ですね。これもフジテレビです。

これは1980年代後半から始まっているので、平成教育委員会より少し先輩です。しかし、平成教育委員会にも同じことが言えそうですが、放送開始の頃は、まだましだった。直視に耐えなくなってきたのは、正確な時期までは言えませんが、おそらくは「第一次小泉内閣」が発足した頃じゃないですかね、Wikipediaによると、2001年4月以降だそうですが。

あの番組の中で比較的人気の高い企画の中に「博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」というのがあるじゃないですか。開始は2004年4月だそうですが(これもソースはWikipedia)、あれには「平成教育委員会」に匹敵するほどの政治利用を感じます。

だって、ですね、「テレビに出られる」とはどれほどエライことであり、どれほど苦しいことなのかということを国民感情の中に焼きつけるために、あんなふうに「スイッチ一つで、床に開けた穴の中に落とす」わけですよね、テレビに出たがっている人を。そして、穴に落ちた人のことを、ただゲラゲラ笑う。

ああいう番組を見ながら、あれはとんねるずの二人が好き放題やっているとか、あんまりそんなふうに考えないほうがよいのだと思っています。テレビ局の仕組みもアンタッチャブルなブラックボックスなのでしょうから、一般人は見えません。しかし、さまざまな利害関係を乗り越えてああいう番組が出てくるまでに激しく複雑怪奇な仕組みがあるのでしょうから、とんねるずの二人の意思が全体を動かしている、などと思わないほうがよいのでしょう。

いずれにせよ、あのような番組を放送している人々が視聴者たちに植えつけたがっていることは、繰り返しますが、「テレビに出られる人」と「出られない人」との間には《これだけの差》があるのだという、寝ても覚めても打ち消しがたいほどの印象です。そのことは間違いなく言えるでしょう。

そして、このことと平成教育委員会などの影響力とが相乗作用を引き起こすことによって、「スゴイ学校」の卒業生か「スゴイ経歴」の持ち主のどちらかの中で「テレビに出られる」人こそが「最強のエライ人」であるという神話を捏造しようとしてきた。神話捏造のために奔走してきた張本人は、(彼ら自身はテレビに出ない)官僚たちその人々だ、と思い至らざるをえないのです。

だって、それは彼らにとっての莫大な利益につながるからです。官僚たちが書きあげた原稿を読む政治家たちの圧倒的な力を誇示できる手段は、長い間「テレビ」しかなかったのですから。一般人でもだれでもそう簡単にテレビに出られては困るのは、芸能界のライバルたちだけではなかった。政治家たちも、その後ろにいる官僚たちも、全く同様の利害関係にあったのです。

しかし、当たり前のことを書きますが、「テレビに出られる人」がエライわけではないですよ。「なぜ」とか「どうして」とか問われても、答えられませんけどね。

それにしても、とんねるず系の番組、いまだに懲りませんね。3月11日以降も、あいかわらず、ゲラゲラニヤニヤ。吐き気を催すばかりですが、見たくない人は見なきゃいいというスタンスなのでしょうね。しかし、なんでもかんでも「不謹慎」という殺し文句を使って排除したいとは思いませんが、あのようなクダラナイ番組をなぜいまだにキープし続けなければならないのか、全く理解に苦しみます。「少しくらいは空気を読めよ」と言いたくなります。