ウェストミンスター信仰告白のことを高く肯定的に評価してくれている話を耳にすると、自分の頭を優しく撫でてもらっているような気持ちになる改革派教会のメンバーは少なくないんじゃないかなと思います。
ウェストミンスター信仰告白の面白さの一つであると私が考えていることは、「ウ告白は近代哲学の父、ルネ・デカルトを知っている」という点です。16世紀のハイデルベルク信仰問答はデカルト(1596年3月31日〜1650年2月11日)の出現をまだ知りません。しかし、17世紀のウェストミンスター信仰告白はデカルトを知っています。それが意味することは、「ウェストミンスター信仰告白は近代哲学を知っている」ということです。換言すれば、「ウェストミンスター信仰告白は現代人の感性を知っている」ということです。
ウェストミンスター信仰告白とデカルト哲学との歴史的関係というテーマについては、日本では研究がほとんど全くなされていない状態ですので、修士論文や博士論文で取り上げる人が出て来てほしいところですが、私見によれば、歴史的にはほぼ確実に証明しうることです。
デカルト哲学が流行しはじめたことを懸念して猛烈な反対運動をおこした(「デカルトを弾圧した」と評されても仕方がないほど)急先鋒の神学者は、オランダのユトレヒト大学神学部の開設者として知られるヒスベルトゥス・フーティウス(Gisbertus Voetius、「ヴォエティウス」とも)(1589年〜1676年)です。フーティウスを中心とするデカルト哲学排斥運動は、ウェストミンスター神学者会議(1643〜1649年)より少し前から始まっていたことですが、この運動を知らないようなヨーロッパの改革派神学者はいませんでした。また、ウェストミンスター神学者会議に参加した議員の中にはブリテン島からヨーロッパ大陸に、なかでも特にオランダに留学した人が何人かいることが知られていますので、彼ら経由でフーティウスから直接情報を得ていたことも十分考えられます。
先週末ここに書きましたように、このたびの大震災を「神の御心」と信じるべきかどうかという問いに対して、もしハイデルベルク信仰問答の線に立とうとするならば、「天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができない」(問1の答え)のですから、そうであるということ(「大震災は神の御心である」ということ)を躊躇なく全面的に肯定することからすべての思索を開始する道以外ありえない。
しかし、ウェストミンスター信仰告白の線に立つならば、「第二原因の自由や偶然性(the liberty or contingency of second causes)は奪い去られない」(3・1)と書かれていることに基づいて、「大震災は偶然である」と受けとめる余地が与えられる。
この違いがヨーロッパ大陸の改革派神学とデカルト哲学との大論争とどのように関係しているかはまだ分かりません。しかし、16世紀のハイデルベルク信仰問答と17世紀のウェストミンスター信仰告白との間に起こったと思われる神学的・教義学的な発展は、現代社会に生を得ている我々にとっては決して小さくない、軽んじられてもならない要素であると、私には思われてならないのです。
いま書いたことの主旨は、ウェストミンスター神学者会議の中にデカルト主義者が紛れ込んでいたというようなことではありません。私が考えていることは、彼ら神学者たちの視野の中にデカルトの問題提起が含まれていて、16世紀までほどのストレートさをもって「神の御心」を語ることに一種の躊躇があったと言えるのではないかということであり、その躊躇は「現代人の感性」に対する配慮や目配せというべきものであり、21世紀の我々にも通じるものではないかということです。
ところで、ウェストミンスター神学者会議のような会議は、現代においては、どのようにすれば実現可能でしょうか。それは、「顔ぶれだけ見れば全くまとまりようのない会議」と評されるような会議です。
現時点で考えられることは、インターネットしかありませんよね。たとえばフェイスブックのようなコミュニケーションツールを活用するならば、21世紀の我々が17世紀のウェストミンスター神学者会議の続きのようなことをやっていくことができるかもしれません。
インターネット上の会議であれば開催のための費用(交通費や会場費や宿泊費といったもの)は一切かかりませんし、17世紀のそれよりもはるかに大規模に、そして徹底的にデータに基づいた緻密な議論を行なうことができるでしょう。