とくに何の脈絡もなく、唐突に書く。私はなぜ洗礼を受けたか。それは1970年12月26日。1965年11月生まれだから、当時はもちろん5才。幼稚園児としての最後の年の、クリスマス礼拝のときだった。
受洗の意思は明確であった。やる気満々だった。いや、正確に言えば「飲み食いする気満々」だった。だから私の洗礼は幼児洗礼ではない。誰から勧められたわけでもない、と言いたいところだが、もしかしたら親が「どう?」くらいは言ったかもしれないが、それは忘れた。牧師から勧められることはありえない。消去法で考えれば、親が勧めたのでなければ、私が自分で意思決定をしたのだ。それ以外の可能性はない。
実際、私自身の中にとにかく残っている記憶は、牧師のところまで行って「洗礼を受けさせてください」と、自分の意志と言葉で”要求した”日の一部始終だ。
動機についても鮮明に憶えている。その顛末については、前にもどこかに書いたことがある。
そのクリスマス礼拝よりも半年くらい前だったろうか、教会で聖餐式があったとき、パンもぶどう酒ももらえず、目の前をスルーされた。ひどく頭に来たので、あれをもらえる方法は何かを親に聞き、洗礼というのを受ければいい(パンとぶどう酒をもらえるようになる)のかと初めて知った。
神に誓って言うが、当時の私は、特別ひもじい生活をしていたわけではない。いくら幼稚園児だったからといえ、あんなママゴトのような小さなパンだ、ぶどう酒だ、が欲しかったわけではないのだ。そんなことではない。何が頭に来たかといって、おれが小さい頃から来ているこの教会の中で、おれを無視し、おれの前を素通りしてよいものがあってよいはずがない、という思いだった。
「そういうのは傲慢だ」などと言われたくはない。当時の私が激しく自覚したことを、当時の私が適切な言葉で言い表せたはずがない。しかし、オトナになった今なら言える。それは、「おれは、ハンパなくこの教会のメンバーだ!それに関しては誰にも文句を言わせたくない。どこにも逃げやしないから心配すんな。ていうか、他になりようがないよ。ほかの人はともかく、おれに関しては信教の自由とか別にいいから。だから、お願いだから、おれに洗礼授けてくれ。頼むからおれの前をスルーしないでくれ」という意識だった。
これらのことを、あとづけの脚色として書くのではない。受洗記念日は教会が記録するものであって、自分で勝手に捏造できるものではない。私が5歳で成人洗礼を受けた事実を、教会が客観的に証明してくれる。