2009年12月22日火曜日

いわゆる教会用語について

「クリスチャン」と呼ぶべきか、それとも「キリスト者」と呼ぶべきかという議論は、私が学生だった二十年以上前にも繰り返し行われていたものです。記憶はかなり怪しくなってはいますが、その当時私のまわりで「クリスチャンではなくキリスト者と言うべきだ」と主張していた人々の多くは、旧日本基督教会系の人々(いわゆる改革派・長老派の流れをくむ人々)だったと憶えています。

なぜ彼らがそういうことを言っていたのか、その理由までは憶えていませんが、クリスチャン(Christian)がともかく英語であることだけは確かなことですから、アングロサクソン的な背景を感じさせる言葉であることは間違いないわけで、「鬼畜米英」(不快語、すみません)とか言っていた世代の人々が、軍部から禁止されていたカタカナを使わずに「基督者」と書いていたころの“伝統”を重んじたい人々がそういうことを言っていたのではないだろうかと、今となっては思います。ドイツ語の神学を重んじたい人々が「クリステン」と言いたかったので「クリスチャンと言うな」と主張していたのかどうかは分かりません(これは半分ジョークです)。

私自身は「どちらでもいい」という立場ですが、「クリスチャンとは言うな。キリスト者と言え」と強く言い渡す教師に囲まれて青春時代を過ごしましたので、もしクリスチャンと言う場合は「ク、クリスチャ」と、どもってしまいます。私には幼い頃から強度の吃音(いわゆる「どもり」)がありましたが、それとは関係なく、です。

ただ、「ノンクリスチャン」(「ノンクリ」と略すのも含む)とか「未信者」とかいう言葉を聞くと、激しく抵抗したくなる気持ちを抑えられなくなります。「ノン」(非)にせよ「未」にせよ、他人の存在にノー(No)を突き付けているわけですから。信仰を持って生きている人々とそうでない人々を区別することが間違っているわけではありませんが、「ノン」(非)とか「未」とかそういうことを言わないでも済む、もうちょっとましな言葉は無いのかと言いたくなります。

しかし、「求道者」という言葉は嫌いです。その方自身が「私はこの道を求めています」とおっしゃっているならともかく、何回か礼拝に出席した人を、統計上「求道者」というカテゴリーに分類するというのも、なんだか失礼な感じです。分類が失礼だと言いたいのではなく「求道者」という日本語が失礼だと言いたいのです。すでに多くの人が言っていることだと思いますが、日本の教会の日本語のセンスは、全くでたらめです。

「母教会」(ぼきょうかい)という言葉にも疑問を感じます。どうして「母」であって「父」でないのかも考えさせられますが(どうして「父教会」ではいけないのでしょうか)、それ以上に疑問を持つことは、人生で最初に通い始めた(というに過ぎない)教会を、どうして「母」扱いして、いつまでも重んじ続けなければならないのかという点です。自分の意思とは関係なく、生まれる前から親が通っていた教会だったので、そこで幼児洗礼を受けた(だけの)教会。あるいは、地理的・物理的にそこ以外の教会に通う可能性がなかったのでそこで洗礼を受けた(だけの)教会が、なぜ「母」なのか。

すでに用いられている表現でいえば「出身教会」で良いのではないでしょうか。この表現で私の良心のギリギリです。「母教会」という言葉は、私の幼い頃のトラウマに触れるものです。私にとっての「出身教会」は忘れたい過去です。同じような言葉を私が牧師をしてきた教会に向かって投げつける人がいると私はショックを受けますが(実際にそういう人がいますと言っているのではありません)、しかし、そのように言いたくなる人の気持ちはよく分かります。

転勤の多い親のもとに生まれた子どもたちの中には、自分自身は見たことも行ったこともない地の「出身者」だったりして、そのことが履歴書とかを書かなければならない頃になると、このたぐいのことはいつまでも付きまとい続けるものだと分かって悩みの種になる人もいます。ちなみに私は「岡山市出身」ですが、妻は「東京都出身」であり、長男は「高知県出身」であり、長女は「神戸市出身」です。傍目には「この一家はいったいナニジンなんだ?」と思われることでしょう。

「こいつは、どこの生まれだ?どんな家の出だ?出てきた学校はどこで、誰のどんな影響を受けてきたやつだ?」という目は教会の中でも(教会の中でこそ?)強く働く面があることを否定できません。しかし、どう考えてもあまり気持ちのよいものではありませんので、なるべく抑えるべきだと私は考えています。

加えて、「修養会」も圧倒的にダメな日本語です。初めて参加するような方々に「あのー、主催者様は私メに何をさせたがっておられるんですか?」と独特の恐怖心を与えてしまうものです。もちろん、だからといって「キャンプ」とか「リトリート」とかカタカナを使って言えばよいというわけでもありませんけれど。

また、どこか特定の教会を念頭に置いて書くわけではありませんが、「バイブルクラス」とか「プレイズワーシップ」などとカタカナで書いている教会の看板を見ると、昔ながらの「聖書研究会」とか「賛美礼拝」でどうしていけないのかと疑問を感じます。

クリスチャン(Christian)と言う人は、ジーザスとかポールとかメアリーとか、宗教改革者たちについてはルーサー(Luther)とかキャルヴィン(Calvin)などと発音しなくては筋が通りません。そういう喋り方をする日本人の説教者もいないわけではありませんが、聞いているうちにだんだん不愉快になってくるものがあります。

私自身はいわゆるエスペラント主義のようなものには懐疑的です。それぞれが自分の母語にしっかり立って語ることがいちばん良いと考えています。「しっかりと考えるときは誰でも母語で考える」という山岡洋一さんの言葉を引用しながら書いたことがあります。とくに「説教」は、きちんとしたものであろうとするならば、母語でしか語ることができないと、私には思えます。我々が母語以外の言葉、たとえば英語で無理に説教などすると、どんなに流暢な発音で、正確な文法に従って語りえたとしても、内容的な深みに乏しい、幼稚な説教にしかならないと思うからです。

逆も然り、かもしれない。とても親しくしていただいている宣教師も大勢いますので彼らの悪口を言うつもりはありませんが、彼らがどれほど一生懸命日本語を勉強しても、彼らの日本語の説教は、彼らが各人の母語(たとえば英語など)で行う説教よりも、かなりクオリティが落ちてしまう。これは仕方がないことです。

良い例ではないかもしれませんが、昨年2008年12月10日にオランダで行われた「国際ファン・ルーラー学会」には、私の知るかぎりオランダ人、ドイツ人、南アフリカ人、アメリカ人、そして日本人の我々が集まっていました。それ以外の国のことは分かりません。そのような場で、驚いたことに、通訳はおらず、レジュメの一枚も配られませんでした。そして、各人はそれぞれの母語で発言する。オランダ人はオランダ語で、ドイツ人はドイツ語で、南アフリカ人はアフリカーンス語で、アメリカ人は英語で。ところが、なんと、それで十分にディスカッションが成り立っていました。さすがに我々は日本語でしゃべる勇気はありませんでしたが。

とはいえ、この日のアムステルダム自由大学の講堂に集結した約二百名中かなりの人々はドクターレベルのプロフェッサーだったわけですし、もともとオランダはバイリンガル、トリリンガルくらいは当たり前の国だそうですから、あまり参考にはなりません。

私が考えていることは、日本の教会で長らく使われてきた教会用語の中には明らかに不適切なものがあり、また明らかに「翻訳に失敗しただけの言葉」があり、修正や変更が可能であり、あるいは速やかな修正や変更を迫られていると思われるにもかかわらず、それの修正や変更を行うことが、まるで“不信仰なこと”や“冒涜的なこと”であるかのように思われることがある、ということです。

大胆に手をつけていこうではありませんか。たとえば、我々は一体、いつまで1890年訳の「主の祈り」を使い続けていくつもりなのでしょうか。二世紀も前のものを。「常に改革し続ける教会」(エクレシア・センペル・レフォルマンダ)が二世紀前の主の祈りを祈り続けている姿は滑稽というしかありません。しかし、これはまだわたしたちの教会でも変更できていません。

何にせよ、言葉をめぐる状況は、すぐに変わっていくものではなく時間がかかりますが、根本的に見直さなくてはならないときが来ていると思っています。


2009年12月9日水曜日

わが心、いまだ折れず

自分の内心を何もかも明け透けに書いたりしゃべったりするのを控えねばならないときが、そろそろ来ていると思う。自分の年齢を考えれば、「そろそろ」どころか「とっくに」と言わねばならない気もする。

背丈で子どもたちに負けそうになっているのに(長男には追い越された)、いつまでも子どもじみた言動のままでは、格好がつかない。露出度を低め、神秘性を高めていくことも、作戦としてありうる(それが何の作戦なのだかは定かではない)。

まもなく年末であることが、そういうことを考えてしまう理由かもしれない。今気づいたことだが、今月末でこのブログの開設から満二年を迎える。鉛筆とノートで構成された「日記」というものが小学生の頃から三日坊主であり続けた人間がずっと抱き続けたコンプレックスは、自分の言動を字にして書き残すことができないことだった。

ブログも続くはずがないと思っていた。それが二年も続いてしまったこと、もとい、それ「を」二年も「続けて」しまったことに、いささかの後悔がないわけではない。

少し前までは自分のことを書くのがストレス発散になっていたが、最近は、書けば書くほどストレスを溜めこむ感じだ。近況としては、とりあえずこれまで掘り当ててきた財宝の真贋判定をしていくことで手一杯で、新しい財宝を探しに行く意欲は減退してきている。

しかし、いま感じているのは、単純な「否定的な」気持ちではない。数年前に亡くなった同世代の女性歌手自身が書いて歌った詞、「もう泣かないで やっと夢がかなった」(曲名はForever You)と言える段階に近づいてきた証拠ではないかと思うことにしている。

言い方は変かもしれないが、私は本当にただ「牧師になりたかった」だけなのだ。このことは、私を知っている人は皆知っている。なりたかったものになれた。これ以上の何も私にはない。

牧師には、出世だの昇進だのは一切ない。能力や経験年数の違いはあるが、その手のものは時間と労力を注いで手に入れていけばよいのであって、今それが自分の手のうちに無いことを卑屈に思うことは何もない。

こういうことを書くと、何か自分に言い聞かせようとしているのかと思われることがあるのだが、別にそういうことではない。本当にそうではない。そういうことではないのだ。

ただ、今年一年はつらいことが多かった。とても恥ずかしい話だが、日曜日(12月6日)、説教直前の賛美歌を歌っている最中に、どうしてだろう、説教壇を前にして、涙がにじむ。「ああ、今年も無事にアドベントを迎えることができた」と思った瞬間、体から力が抜けた。

「おいおい、ちょっと待て。涙するのはまだ早い」ともう一人の自分が叱り飛ばし、ようやく説教原稿を読み始めることができた。

ジャスト一年前の昨日(2008年12月8日)、生まれて初めてオランダの地を踏むことができた。もし一年前にオランダへ行っていなかったら、今年の私は踏ん張りがきかなかったと思う。心折れずに済んだ。その意味で、行ってよかったと感謝している。

2009年12月3日木曜日

最近、朝日新聞が面白いです

最近、朝日新聞が面白いです。「新聞」が面白いし「朝日」が面白い。早く朝が来ないかと待つことさえある。こんな感覚を持ったのは、44歳まで生きてきて初めてです。私の年齢が本格的に中年化してきたせいもあるでしょうけれど、それ以上に「政権交代」の影響があるような気がします。「やっと自分たちの時代が来た」。そのような勢いを感じます。

今朝の紙面には「今の日本には、かつての丸山眞男氏のようなグランドデザインを描くことができる人がいない」と嘆く宮崎哲弥氏が登場しました。宮崎氏単独ではなく、四者の対談でしたけど。

そうそう、これこれと膝を打ちました。「グランドデザイン」です。政治や経済、家庭や宗教、これらすべての共通土台となるもの。そのような土台を築き上げるための構想力。こういう適切な言葉がなかなか思い浮かばないので困っています。「さすが宮崎氏」と称賛すべきところですが、「また朝日新聞に教えられました」とも言っておきます。

この「グランドデザイン」なるものを、かつてなら、なるほどたしかに、丸山眞男氏なり大塚久雄氏なりが描いていたのでしょう。

そして改めて思い起こすことは、丸山氏と大塚氏の共通点がマックス・ヴェーバー研究者(好きでない表現で言えば「ヴェーバー学者」)であったということです。私は丸山氏の本はいまだに全く読んだことがなく、読む気もしないのですが、大塚氏の本なら、たしなみ程度に読んできました。お二人の共通点を短く言えば「現代社会とは要するに何なのであり、これから人類は要するにどこに向かっていくべきなのか」ということを端的に語りきることができる視座をもっていた人々。そう、まさしく「グランドデザインの描出ができた人々」です。

ところが、すでに広く知られているとおり、ヴェーバーの「犯罪」を暴いたのが羽生辰郎先生です。「ヴェーバー学者」からの有効な反論が聞こえてこない以上、羽生先生の議論は正しいと認めざるをえません(羽生辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』、『学問とは何か』参照)。

しかし他方、羽生氏登場以前の「ヴェーバー学」が有していた「グランドデザイン描出力」そのものは、今日ますます必要とされているのではないかということを、宮崎氏の発言を読みながら思わされました。

とすれば、新しい時代に求められている知的作業の一つは、「ヴェーバー学の継承」というよりも、ヴェーバー自身もそれの分析と解釈のために労苦したところの「プロテスタンティズム」ないし「カルヴィニズム」の全体像を、もう一度真剣に見直してみることではないでしょうか。「それは果たして本当に小沢一郎氏が言うほど排他的なものなのか」と問いながらでも構いません。

先日も書きましたように、オランダのキリスト教民主党(CDA)党首にしてオランダ国王首相であるヤン・ペーター・バルケネンデ氏が、慶應義塾大学名誉博士称号授与式で、「アブラハム・カイパーと福澤諭吉」というタイトルをつけても良さそうな内容のかなり長文の挨拶を行いました。バルケネンデ氏は、20世紀初頭のオランダで同国史上初めて結党されたキリスト教民主党(党名は「反革命党」)の党首としてオランダ国王首相になったプロテスタント神学者アブラハム・カイパーが果たした役割と、日本において福澤氏が果たした役割との共通点を熱心に語りました。

ちなみに、このバルケネンデ氏は、先日行われた欧州連合(EU)初代大統領選挙の際の候補者の一人でしたが、「米国寄り」と見られて落選しました。しかし、「米国寄り」であるという評価は、欧州では非難の対象かもしれませんが、日本では逆でしょう。

このように申し上げる私が今とにかく願っていることは、日本の政治家や思想家たちにはどうか、バルケネンデ氏が日本人向けに語った「アブラハム・カイパーの意義」という点に注目していただきたいということです。

カイパーがアメリカのプリンストンで行った有名な講演「カルヴィニズム」(1898年)こそが、ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904年~1905年)の成立に決定的な影響を与えたのです。日本の「ヴェーバー学者」が受け継いだグランドデザイン描出力は、歴史を遡ればカイパーに由来するものだと分かります。

ただし、カイパー自身は「グランドデザイン」とは言わず「人生観・世界観」(levens- en wereldbeschouwingen)という古めかしい言葉を用いました。その前に「有神的」(theistisch)という形容詞を付して、「有神的人生観・世界観」と言ったのです。また、この「人生観・世界観」が、プリンストンでの講演においては「生活原理」(life-systems)と英訳されました。しかし「人生観・世界観」にせよ「生活原理」にせよ、「グランドデザイン」と言い換えても内容は全く同じです。

しかしだからといって私は「カイパー主義者になること」を多くの人に勧めたいのではありません。それどころかカイパーの描いたグランドデザインである「有神的人生観・世界観」というものの問題性を鋭く見抜き、徹底的に批判すべきであると考えています。

しかし、カイパーのそれを我々自身が徹底的に批判しつくしたうえで、その次に行うべきことは何なのかを考えて行った先に辿りつく結論は、「カイパーのカルヴィニズムに匹敵する巨大な規模をもつ新しいグランドデザイン」を描き出すこと以外にありえない、ということです。

そして、まさにこの意味での「新しいグランドデザイン」を描き出すためにこそ――再び論理を飛躍させますが――「組織神学」が必要である、と訴えたいのです。

あるいは別の言い方をすれば、新しいグランドデザインを描いてみせるとがんばっている人たちは、カイパーやウェーバーの議論を批判的に検証するというプロセスを通ることを絶対に避けて通ることができませんので、そのときにこそ「組織神学」を勉強しなければならない、ということです。

たとえば、カイパーの「カルヴィニズム講演」は、なんといっても彼自身の組織神学的考察によって生み出されたものです。この講演は組織神学における「弁証学」(Apologetiek)の側面が強く前面に出ているものですが、「教義学」(Dogmatiek)や「キリスト教倫理」(Christelijke ethiek)の側面も、当然のことながら深く組み合わされています。

この一例を挙げるだけでも、この一つの事実の背後にあるものは何なのかを深く考えていくならば、組織神学における「教義学」と「倫理学」と「弁証学」の相互関係はどうなっているのかというような問いや、「弁証学」というものは現代神学の中でどのような役割を果たし、あるいは批判されてきたのかという問いなどが、次々にわきおこってきます。これらすべてが「組織神学の問い」なのです。組織神学は「グランドデザイン」を描くために避けて通れない必須の課題なのです。

今の日本の政治家たちは「神学議論」という言葉を悪い意味でしか使いません。しかし、神学を全く学んだことがないような人が「神学議論」なるものに参戦できるはずがないわけですから、「神学議論」が良いものなのか悪いものなのかを知る由もないはずなのです。どんなことをおっしゃるのも自由ですが、そういうことはどうか、神学をとにかく一度徹底的に学んでから言ってくれ、と思わなくもありません。

2009年11月29日日曜日

説教の「商業主義化」に反対する

拙文に対して御意見をいただくことができましたので、以下、謹んでお答えいたします。

「説教集批判」だなんてことを書くと、この業界から“干される”ことを熟知しつつ、すでにとっくの昔から干されきっている者にしか書けないことだと思って、勇気(?)をもって発言しました。

お察しのとおり、「金銭の授受」は私にとっては大問題です。それだけというわけではありません。しかし、この問題は短い言葉でお答えできるものではありません。私がブログに書いてきたこと、これから書こうとしていることのほとんどすべては、この問題に集約していきますので、「そのうち書きます」というあたりでご勘弁いただけますと助かります。

ちなみに、私の説教のブログ公開に「ポジティヴな意図」(「ネットで伝道しましょう!」など)は皆無に等しいということは、すでに白状済みです。

牧師になりたての頃教会員とモメタ原因の一つに「あなたは説教の中でこう言った。あれは私への当てこすりだ」、「それは違う。私があなたに当てこすりなんか言うわけがない」という不毛な口論(言った言わない論争)が続いた時期があり、それへの反省として、説教で言ったことのすべてをブログで公開することこそが教会員に「言質」を与えることになる、と考えてのことです。書物にして売ろうなどという話とは、全く次元がかけ離れているものです。

また、批判対象としている「説教集」には、リソグラフで印刷してホッチキス止めした私家版のようなもののことは全く含まれていません。また、ブログで無料で公開している説教も含まれていません。それらと、キリスト教書店の本棚に並んでいる「説教集」との違いは、私などが念押しなどするまでもなく、多くの人々の目に歴然としているでしょう。

私が問題にしているのは、いかにも威嚇的な装丁をもって日本の諸教会と牧師たちとを圧倒せんとする「権威ある」説教集のことです。著者の名前をはっきり書いても私自身は一向に構いませんが、有名な「塾」とその「塾長」の名前と結びつく話をしているということは、お分かりいただけるはずです。



しかし、その「塾長」には大いなるリスペクトも持っております。7月6日には直接お会いしてお話しする機会がありましたし、その後メールもいただきました。「私怨」のようなものは皆無です。

それに、「装丁」に関しての責任は、著者自身のほうよりも出版社のほうにこそあると言わねばならないかもしれません。大した内容も無いものを物々しく作り、高く売る。この点には確かに問題があります。そのような「権威ある」説教集なるものによって、神の言葉と教会のために格闘し、泣き笑っている者たちの日々の苦闘が、どこかしら高みから見下ろされているような感覚が私にはあります。

もう少しはっきり書きましょう。

「権威ある」(装丁の)説教集には、「わが教会の牧師のクズ説教を聴いて惨めな思いに陥るくらいなら、自室でこの説教全集を読んで日曜日の貴重な休日を過ごすほうがましだ」という、多くの信徒の内心にあると思われる、打ち消しがたい素朴な思いを強化し、助長するものがあります。これは当て推量で書いていることではなく、現にそういう声を何度となく聞いてきました。

そのようなものを、当の牧師たちこそが有難がって読んでいる姿が、なんとも滑稽です。だって、批判されているのはわたしたちです。「悔しい」とか「恥ずかしい」とかいう感情は無いのだろうかと、正直思う。

それとも、その牧師たちは「このような優れた説教集から今後とも学び続けていきさえすれば、いつの日か私の説教も、このような権威ある『装丁の』説教集になっていくに違いない」という夢か幻でも思い描いているのでしょうか。それはもはや私などの拙い想像力を超えるほどの勘違いなので、フォローしきれませんが。

リソグラフ私家版やブログ版の説教集を応援することならば、やぶさかではありません。「高いばかりで内容がない、あのような説教全集よりも、こちらのほうがはるかに良いぞ」と多くの人々に言わしめる説教集を、我々の手で作ろうではありませんか。

なお、私が書いてきたことには、初めから「若干の逆説性」があります。言いたいことは、キリスト教書店に並んでいる(「席巻している」とさえ言える)あの『説教全集』のようなものが全く不要になるほどまで、各個教会の牧師の説教たちの実力をアップさせていかねばならないということです。このこと以外のことを、私は実は全く言っていません。

これが「逆説」であるということには説明は不要かもしれませんが、あえて付言すれば、あのような『説教全集』に市場のニードを許しているほど、各個教会の牧師たちの説教は惨憺たる有り様であるということを、徹底的に反省する必要があるでしょうということです。

そのような中で今日、私の目にいちばん愚かしく見えているのは、自分の書斎の本棚のいちばん目立つ位置にあの(威嚇的な装丁をもった)『説教全集』を並べつつ、定期的に「塾」に通い、ことあるごとに「塾長」のお言葉を復唱することこそが自分の説教の実力アップになると言いたげな、一部の牧師たちの姿です。

あんなふうなことで、説教の実力がアップするはずがない。そんなことは、おそらく彼ら自身も分かっています。分かっているけど通う。なぜか。

私の目に映る彼らの姿は、谷川俊太郎さんが朝日新聞のインタヴューで言っておられる「短歌・俳句は結社として、作品がお金にからんだりします」とそっくりです。彼らは短歌や俳句の場合と同じ意味での「結社」です。「説教結社」です。

なぜそれが「お金にからむ」のか。短歌・俳句の場合はその結社に加わっているかぎり、「世に認められるチャンス」(出版や発表の機会)が確保される(と思い込まされている)のです。結社ににらまれると“干される”のです。

事実誤認かもしれない点は、事実が確認できるまで保留してもいいですが、関口ごときがどこで何を言おうとあの方々はびくともしませんので、今はどうか言わせてください。私が抱いている結論めいた思いは、次のようなことです。

説教批評なることが本来行われるべき場所は「教会法廷」(church court)であり、また、そこで判定基準とされるのは厳密かつ歴史的な教義学的判断を伴う「教理規準」(doctrinal standard)なのであって、「塾長のみこころ」のようなものの恣意的なサジ加減が事を決するのではないということです。

その説教批評が「塾長」個人でなく、「塾」の諸々のリーダーたちの複数審査員による場合でも、結果は同じです。私は、説教は(お笑い界の)「M1グランプリ」のようなもので評価されてはならないと思っているのです。谷川俊太郎さんのおっしゃる「好きか嫌いか」あるいは「売れてるか売れていないか」で。そのようなことこそが悪い意味の「説教の商業主義化」、「~資本主義化」、「~ミシュラン化」であると言いたいのです。「売ってやろう、うけてやろう」という心性は、説教の心性にそぐわないのです。



2009年11月26日木曜日

『他人の説教は使用してよいか カットアンドペースト時代の説教』(2008年)を読んで痛感すること

「一昔前のパソコンか」と思うほど起動も作動も遅い私です。昨夜ふと気づかされたことは、「これはブログに書いておこう」と思うときは、たいてい何かの釈明をしたくなるときであるということです。自分の過去の発言に不足や過誤があると判明したときに、古くなった情報をアップデートしたくなる。私にとってはこれこそが「ブログ発信」の根本契機です。そうであったということに今さらながら気づかされました。何もわざわざ大げさに字にするまでもないことではありますが、今夜まで憶えていられそうにないので書きとめておきます。



私自身は、新聞や雑誌というものを「説教の原稿用紙のマスを埋めるための題材を探す眼」で読むということは一切ありません。今書いた表現そのものは比喩で、私は説教を「原稿用紙」に書いたりなどはしていません。しかしひとまず確信していることは、そのようなプロセスを経て書き上げられるような「説教」は、とても聞くに堪えないものだということです。



説教者である者の務めは、いうならば「聖書自身がうずうずするほど語りたがっていることを代弁させていただく」というようなことなのであって、聖書の意思を差し置いて何か別の題材を探してあげる必要はないし、聖書が語りたがっていること以外の事柄でマスを無理に埋めてあげる必要もない。そのようなやり方では聖書に対して失礼な態度であるし、聖書が迷惑します。今書いたことも比喩といえば比喩です。



この点はブログも同じでしょう。題材を無理に探さなければ書けないようなら、書かなければよいのです。ご親切に「ブログネタ」を提供してくれるサイトまでありますが、その「ネタ」自体がすでにつまらないし、そのようなものを追いかけて書かれたブログ記事はもっとつまらない。書き手の側に「書きたい」「伝えたい」あるいは「書かねば」「伝えねば」という強い意思がなければ、ブログも、そして説教も、底無しに虚しいだけです。



昨日の朝日新聞のほぼ一面を用いて掲載された谷川俊太郎氏インタヴューは面白かったです。



「批評の基準というものが共有されなくなっていますから、みんな人気ではかる。詩人も作家も美術家も好きか嫌いか、売れてるか売れてないかで決まる。タレントと変わりなくなっています。ぼくの紹介は『教科書に詩が載っている』『スヌーピーの出てくる人気マンガを翻訳している』谷川さんです。でも、それはあんまりうれしくない。」



谷川氏のおっしゃる「批判の基準というものが共有されなくなっています」という点は、前世紀初頭ハイデルベルク大学とベルリン大学で神学と哲学を教えたエルンスト・トレルチが問題視した「万事の歴史化(Historicization)のもたらす価値基準の相対化と流動化」を彷彿する見方です。万事の資本主義化(ないし「商品化」)に対して十分な意味でその中に巻き込まれつつ、どっぷり浸かりつつ、ほとんど飲み込まれつつ、しかしそのことをなんとなく憂う気持ちを抱いていそうな感じも、「谷川氏はトレルチ的だ」となど思いながら読めるものでした。



そして、「当然!」と言っておきますが、谷川氏の見方には大いに共感しましたし、説教者として肝に銘じるべきところが多くありました。



「(詩と)資本主義とは特に(折り合いが悪い)。短歌・俳句は結社として、作品がお金にからんだりしますが、現代詩は、貨幣に換算される根拠がない。非常に私的な創造物になっています。」



「(今の若者は)どう生きるかが見えにくい。圧倒的に金銭に頼らなくちゃいけなくなってますからね。お金を稼ぐ能力がある人はいいけれど、おれは貧乏してもいい詩を書くぞ、みたいなことがみんなの前で言えなくなっている。それを価値として認める合意がないから『詩』よりも『詩的なもの』で満足してしまう。」



今の私がとにかく考えさせられていることは、教会の説教の問題です。谷川氏が「詩」について語っておられることのほとんどすべてが「説教」にも当てはまるのです。こう書くと鋭い人にはすぐに見抜かれてしまいますが、「『説教集』なるものを売る意味が分からない」と書いたことと全く同じ内容を別の言葉で言い換えてみたくなっています。「説教の商業主義化」、「~の資本主義化」、「~のミシュラン化」、まあ何でもよいわけですが、そういうものが現代の教会の説教に、致命的な(悪い意味の)「変質」をもたらした。そう言いたいのです。



神学校を卒業したばかりの説教者たちの中に、初めから自分の説教の「商品化」を目指して原稿用紙を前にする人間は皆無であるか、あるいは、いるとしても極めて稀でしょう。天才肌の人か、変人か。そんな輩(やから)は説教者の風上にも置けないと、誰でも直感することでしょう。しかし、どうしたことか、そのうち説教者たちは、自分の原稿の「商品化」を目論見はじめる。「説教だけでは食べられません」と現実を突きつけられ、配偶者から突き上げられるからか。



「教会員から勧められたから」、「神学校の先生から~」、「出版社から~」は言い訳になりません。日本にもいる、とりわけ「神の言葉の神学の説教(学)者たち」が、ほぼ半世紀ほどもかけてひたすら続けてこられたことは、「神の言葉という名の商品」を販売しようとすること、短く言えば「神の言葉の商品化」でしょう。気色悪い、と書いたのはこのことです。



「ネタ不足」ゆえに新聞や雑誌の記事から切り貼りされた説教は、聞くに値しません。しかし他方、明らかに「ネタ不足」なのに、そのことを認めず、そうでないふりを貫くために、商品化された説教集から切り貼りされた説教は、もっと犯罪的です。



過日、東関東中会教師会でS. M. ギブソン著『他人の説教は使用してよいか カットアンドペースト時代の説教』(Scott M. Gibson, Should We Use Someone Else's Sermon?: Preaching in a Cut and Paste World, Zondervan, 2008)を英語版原著で学びました。説教の盗用(カットアンドペースト=データの切り貼り)の問題を真剣に取り上げた好著でした。面白かったというよりも悲しかった。「盗用説教」は重大な罪であるということがよく分かりました。日本語版が出版されないかと期待しています。



どんなに拙くても構わないから、説教者であるかぎり自分の言葉で書き、語れと私は言いたい。他人の猫を借りてきても、あなたの懐でおとなしくしてはくれません。自分の言葉で語りえたうえでなお教会員や先輩牧師から「あまりにも拙すぎて、とても聞くに値しない」と批判してもらえるなら、むしろ喜ぶべきです、他人の説教を「盗用」までして称賛を受けようとするくらいならば。その批判が耐えられないなら即刻辞職すべきです。神が、あなたを牧師として召しておられなかったのです。



牧師の仕事は説教だけではありませんが、日曜日の朝の礼拝の説教だけなら、毎週四千字ほどの作文です。四百字詰め原稿用紙10枚分。小学生や中学生がそれを耐え難い分量だと泣きわめくのは理解できますが、高校生以上ならばそれくらい難なく書けます。牧師を名乗る者がその程度の宿題を果たすことができず、「盗用」せざるをえないというのであれば、その牧師は何もしていないのと同じです。「職務怠慢」どころではない、「職務放棄」です。



毎週の説教原稿を書く仕事は「関口ごとき」にもできることです。それもできない人は「関口以下」です。悔しくありませんか。



説教のブログ公開は、それが「盗用説教」かどうかを“衆人環視”する方法としても十分に活用できそうです。この説教者がどの記事を盗用したかなどは、GoogleやYahoo等の検索で即時に判明する時代ですから。



今日は午後から家庭集会です。そろそろ出かける準備を始めねばなりません。



2009年11月20日金曜日

また原稿書きに没頭していました

また一つ、雑誌に掲載していただく原稿を書いていました。アリスター・E. マクグラス著『ジャン・カルヴァンの生涯 上 西洋文化はいかにして作られたか』(芳賀力訳、キリスト新聞社、2009年)の書評です。



1400字程度のごく小規模の書き物でしたが、月並みにいう「短い文章ほど書くのが難しい」を、このたびも体験しました。19日(木)の午前中から書き始めましたが、途中で休んだり、「できた」と思って一度編集者に送った後、いろんな問題が見えてきたので全面的に書き直したりして、結局は今朝の4時ごろ脱稿することになりました。



2009年11月18日水曜日

「説教集」なるものを売る意味が分からない

「Googleで『説教』」という一文を、一昨日に書きました。その翌日の昨日、同じようにGoogleで「説教」を検索してみましたら、あらら、私の「今週の説教」は、上位グループの中から消え、はるか後方を走っていました。一夜明けると、あっという間に下位転落です。



いえ別に、だからどうしたと言いたいわけではありません。「悔しい」というような思いはありません。牧師を引退する日まで、ただひたすら黙々とこの競争を続けていくだけです。「これは面白いことになったぞ」と血沸き肉踊るものを感じています。



自分の説教が(キリスト教書店に整然と並ぶ)『説教全集』のようなものになっていくことを憧れたり夢見たりしたことは一度もありませんし、そういうことには全く興味がありません。それどころか、ああいうやり方には違和感を覚えるばかりです。



そもそも、「説教集」なるものが書店で売られているという現象自体が私には全く理解できません。この仕事を20年近く続けてきましたが、「説教集を売る」という行為の意味がいまだに分かりません。事の初めから言えば、「そもそも説教とは金で売ってよいものなのか」という疑問さえ持っています。私が抱いている問いをより正しい文法に則って問い直すなら、「金で売るものが説教なのか」です。違うんじゃないかと思っています。



もっとはっきり言えば、私は、「説教集」なるジャンルの本がキリスト教書店の棚から消え失せる日が来ることを願ってきました。もちろん、現時点では、この国の中でそのような本が売られ、買われるべき何らかのニードがあるからこそ、そのようなたぐいのものが流通しているのでしょうから、他人のしていることに無理にケチをつけるつもりはありません。ただ、「気色悪いものを感じる」とは言っておきます。



そして、今の私が信じていることは、次のことです。すなわち、もし各個教会の牧師たちが自分の説教にもっともっと力を注ぐようになれば、あのような「説教集」なるジャンルの本へのニードは、たちまちのうちに失われていくだろうということです。



そうです、私が今書いているのは、「あんなくだらない本を読むよりも、うちの牧師の説教を聴くほうがはるかにましだ」と言ってもらえるようになりさえすれば、日本の教会はたちどころに復活するだろうという話です。



「説教集」なるジャンルの本が、大した内容も無いのに、ひどく勿体ぶった豪華な装丁で日本の教会を威嚇し続けるかぎり、気の弱い牧師たちはすっかり萎縮したままです。萎縮するほうが悪いと言われるならばそれまでで、そちらはそちらでみっともないものが確かにありますが、「威嚇する側」にいると思しき人々の姿は、さらにみっともない。



言うまでもないことですが、日本の教会が復活する日には、私が出しているような「説教ブログ」などは、もっと不要になることでしょう。とはいえ、私のうちに「皆さまのニードにお応えし(てあげ)ましょう」というような、それこそ勿体ぶった動機などはさらさら無く、誰の指図でも命令でもなく、何の必然性も無く、本当にただ好き勝手に続けていることなのですから、もし読んでくださる方が一人もいなくなったとしても、続けていくつもりです。



2009年11月15日日曜日

Googleで「説教」

自慢げな書き方をすると反発を招くだけですが、まあお許しください。



以前からGoogleで「今週の説教」という検索語で探すと第一位に表示されることを感謝し、かつ誇りに思ってきました。



しかし、どんなことであれ、欲の皮というのはだんだん突っ張ってくるものです。「今週の」を外した「説教」だけを検索語にしても上位に表示されるようになってみたいものだと、願うようになりました。



とはいえ、「説教」だけとなりますと、いわゆる「キリスト教会の礼拝の説教」だけにとどまらず、「お説教」や「説教くさい」などの言葉まで引っかかってきますので、第一位を獲得するのが難しいことは分かっております。



しかし、最近はかなりうれしい状況になってきました。実際に「説教」だけの検索を試みていただくと、その結果をご覧いただけます。「キリスト教会の礼拝の説教」という意味の「説教」に当てはまるのは、以下のサイトです(2009年11月15日現在)。



第一位 小石泉牧師の説教集



第二位 説教塾



第三位 モーセ神父の説教集



第四位 四国説教塾



第五位 晴佐久昌英神父の説教集



第六位 山陽聖約キリスト教会の説教集



第七位 関口康「今週の説教」



(以下略)



※Wikipedia(インターネット辞書)等の「説教」や「説教者」に関する用語解説やAmazon.com(インターネット書店)等の『説教集』の広告は除き、実際に説教の文章を公開しているサイトだけに限定させていただきました。



この結果が示しているものが何なのかは、Googleの仕組みをまるで知らない私にはよく分かりませんが、上位にあるほうが見ていただきやすいことだけはおそらく確実ですので、見ていただいている方々に感謝しつつ、謹んで報告させていただく次第です。



「塾」には敵いませんが(とてもとても)、プロテスタント系(牧師)の個人としては第三位にランクインさせていただいたことを非常にありがたく思っています。



「説教の評価に(インターネット的な)競争原理はそぐわない」という思いは、私とて同じです。しかし、「塾の先生」に良いの悪いのと評価していただくことに匹敵するほどの緊張感や畏怖心は、それなりに味わっております。何度となく書いてきましたように、「ブログ公開」は説教の改善に役に立つと信じております(「説教の改善方法について」「私がインターネットで説教を公開している理由」など参照)。





2009年11月10日火曜日

「なぜ日本にキリスト教は広まらないのか」と問うことをあえて問う

先ほどTwitterで朝日新聞社の@asahiのつぶやきのフォロワー(いわゆる読者)が「20万人をこえちゃいました」(原文)との一報に接しました。毎日新聞社の@mainichijpeditのフォロワーは現在約19万人弱で追走中です。勝間和代さんのフォロワーもかなり肉薄してきています。

香山リカさん(ファンです)が新著『しがみつかない生き方 「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』(幻冬舎新書、2009年)の中に「勝間和代を目指さない」というルールをお書きになって以来、勝間さんのことを書きにくくなってしまいましたが、私は香山さんと勝間さんを応援したいと思っています。けっこう似ているのではないかとか言うと、お二人ともお怒りになるでしょうか。共著が出るようでしたら買います。ともかく仲良くしていただきたいものです。

それにしても気になるのは「オバマ氏も使っている」というふれこみで爆発的に広がった感のあるTwitterです。「今ごはん食べました」、「おいしかったです」、「次はどこに行こうかな」、「喫茶店でコーヒーを飲み始めました」、「そろそろ帰ります」というような逐一の言葉(つぶやき)がネットブックや携帯電話などのモバイルツールによって書き込まれ、それこそ20万倍ものヴォリュームの拡声器にかけられて津々浦々まで伝えられる時代になったというわけです。面白いと言えば、なるほど面白い。うるさいと言えば、これほどうるさいものはありません。

このことは批判的な意味で書いているのではありません。私もTwitterを試してみている一人ですから。考えさせられていることは、結局自分のことです。私のつぶやきをフォローしてくださっているのは13人の方々。サクラではなく、一度もお会いしたことのない方々ばかりです。「まだ始めたばかりですから!」と書いてはおきますが、それでも現実の数字を見てしまうと何だか寂しい思いになるのは、自意識過剰の証拠なのでしょう。

「増えたらいいな」と、そういうこともあまり考えていません。「今週の説教」と「関口康日記」に一応アクセスカウンターをつけてありますが、前者(開設後3年4ヶ月)はやっと5万アクセスを超えたところ、また後者(開設後1年10ヶ月)はもうすぐ4万アクセスというあたり。地味なものです。ブログがこの程度なのに、どうしてTwitterのフォロワーが増えるでしょうか。

開き直るつもりはありませんが、もし私が今のままの話題(「改革派の」教会と神学の話題)だけで20万人以上ものフォロワーを得られる日が来たら、その時点ですでに日本に(無血の)「革命」が起こっていると言ってもよいのではないかと思います。

キリスト教書として今年(2009年)のベストセラーになっているらしい古屋安雄氏の『なぜ日本でキリスト教は広まらないのか 近代日本とキリスト教』(教文館、2009年)は、買いませんし、読みません。別に不買運動をしたいわけではなく、古屋先生はかつて直接教えていただいた教師(「恩師」と呼ばせていただきたいです)の一人でもありますが、逆に言えば、「ぶれない」先生ですから、読む前から結論が分かりますし、私にとっては何の新鮮味もありません。今年6月に久しぶりに講演を聴く機会がありましたので、そのことを確認できました。25年前と全く同じことをおっしゃていました。

そして、何より思うことは、このような恥ずかしいタイトルの本が飛ぶように売れているという状況自体が私にとってはものすごく恥ずかしいことであるということです。だから、買いません。「神さま、どうか、この国をあのようなタイトルの本が全く売れない国(キリスト教が広まる国)にしてください」と毎日祈っているので、買いません。買い「たくあり」ません。

それでも、たとえ牧師であっても(という言い方自体が間違っているわけですが)毎日突きつけられているのは「数の問題」です。今月の礼拝出席者は平均○名だった、増えた、減った。今年の収入はいくらだった、増えた、減った。地上に生きているかぎり、この種の事柄から逃げることはできません。

しかし、です。私が「若い」からでしょうか、まだまだ当分譲れそうもない矜持(きょうじ)があります。それは上に書いたことの繰り返しです。『なぜ日本でキリスト教は広まらないのか』というような、日本の教会とキリスト者たちの日々の苦闘を愚弄するようなタイトルの(お高くとまった)評論で一儲けしようとは思わないということです。

先週「お金、お金、お金。」と書いたばかりですが、そんな金なら要らない。出版の夢を断念して、一生ブログだけで通します。別にそれでも一向に構いませんし、むしろそのほうがはるかに気楽です。「なんとかしてお知らせしたいこと」があると思っているのでシコシコと文字を書いているだけであって、それをどういう形であれ(おそらくは書籍や雑誌の形かブログやメールの活字かのどちらかでしょうけれど)読んでいただける方がいてくださりさえすれば、それ以上の何も要りません。

それと、彼の状況分析は当たっていないと、私自身は考えています。デタラメとまでは申しませんが、あの種の単純な三段論法によって現実の教会は微動だにしないし、あの程度のことで動くくらいなら、あのようなタイトルの本が書かれる必要もないほど日本にキリスト教は「広まって」いることでしょう。

ちなみに、私の夢(たくさんある夢の一つ)は、いつの日かファン・ルーラーの翻訳と研究についての本を書きあげて香山リカ先生に朝日新聞上に書評を書いていただくことです。勝間さんの『目立つ力 インターネットで人生を変える方法』(小学館新書、2009年)によると、こういうことはブログで大々的に公言しておくほうが実現の可能性が高まるそうですので、恥も外聞もなく書いておきます。

しつこいようですが、同じ「本を書く」と言っても、「なぜキリスト教は広まらないのか」というような本は書かないし、書きたくないし、恥ずかしくて仕方がない。芸能界の暴露本のようなものと大差ありません。


2009年11月9日月曜日

少年易老学難成 一寸光陰不可軽

今朝、ある方に以下のメールを送りました(宛て名のイニシャルはその方の名前とは関係ありません)。



--------------------------------------------------------------------



A様、メールをありがとうございました。



親指だけで文字を書くことが私は苦手なので、携帯電話で長いメールを書くことができる方を尊敬しています(お世辞ではなく)。



時間が短いと感じているのは、なぜか(?)私も同じです。今年は、どうしたことでしょう、本当にあっという間でした。昨年12月にオランダに行かせていただきましたが、あれからまもなく1年なのかと思うと、ぞっとします。



10月25日(日)東仙台教会で礼拝説教と神学講演をおこなった夜に泊まらせていただいた宮島のホテルの床の間に、「少年易老学難成(しょうねんおいやすく がくなりがたし) 一寸光陰不可軽(いっすんのこういん かろんずべからず)」というあの有名な漢詩の全文が書かれた掛け軸がありました。高校のとき習いましたが、当時は国語の教師から何度説明を受けても意味を理解することができませんでした。しかし、今は痛いほど分かります。それはおそらく次のような意味です。



「若い頃は、勉強なんかいつでもできると思って、真面目に勉強などしやしない。しかし、まさに光陰矢のごとし。時間というものは、あっという間に過ぎていくものである。だからこそ、もし夢を実現したいならば、若い頃から寸暇を惜しんで勉強すべきである。



・・・と、今頃気づいた私はすでに年老いてしまった。でも、いまだに夢を捨て去ることができず、悔しい思いをしながらも、老骨に鞭打ちながら勉強を続けているよ」。



こういう言葉の意味が少しは分かる年齢にならせていただいたのかなと感慨無量です。ちょうど一週間後の16日(月)に44歳になります。



自分のことばかり書いてすみません。A様、今後ともよろしくお願いいたします。お兄様にくれぐれもよろしくお伝えくださいませ。



2009年11月9日



関口 康



2009年11月6日金曜日

「10年後の」民主党に期待します

民主党政権が誕生した日に「民主党に期待します」と書きました。もちろん本心から書きました。しかし意図的に書かなかったというか、いったんは書こうとして「いや、今はよそう」と思いとどめた部分がありました。あまり遅くなると「あとだしジャンケン」のようになってしまいますので、そろそろ白状します。

迷った言葉は「10年後の」でした。初めから「10年後の民主党に期待します」と書くつもりでした。応援したいと思ったのは「現在の」ではなく、「次の次の次くらいの」民主党です。まだテレビで顔を見たことがない議員たちと、これから議員になる人たちとに期待しています。

もちろんそのために必要なことは、「民主党政権」なる今の状況を、とにかく10年間維持することです。くだらないスキャンダルに足をすくわれたりしないこと。そのうえで、日本を「前時代的なもの」に戻さないことです。ところが、今の政権中枢にいる民主党の人々は、私に言わせていただけば(私が何も言わなくとも)「前時代的なもの」で満ち満ちています。共感していただける方は多いでしょう。

しかし「だから民主党も同じだ。権力を握った人間の末路はあんなもんだ。政治がどうなろうと日本は何も変わらない」と見るのか、それとも「いや、それは違う。新しい時代に芽生えたものを大事に育てていくべきだ」と思い定めるのかで、これから先の我々の生き方に小さからぬ違いが出てくるであろうとさえ感じています。

現在テレビに顔を出しておられる政権担当者の方々に感じる「前時代的なもの」が、ご両親のお言いつけ(帝王教育?)を素直に守っておられる結果なのか、それともどこかで教え込まれた結果なのかは分かりません(「インターネット時代における帝王教育の不可能性」参照)。

しかし「化石」とまでは言いませんが、ちょっとありえないくらい耐えがたい古さがあります。その正体はまだ見えませんが、いま感じていることは「民主党」の看板を預けることを躊躇せねばならないほどの帝国主義(Imperialism)です。

「帝国主義的民主主義」は完全な概念矛盾です。しかし、そういうものの残滓(ざんし)を民主党の現執行部には感じます。その様相たるや、まさかとは思いますが、「民主主義を勉強しろ!」と親や教師たちから体罰でも受けながら育てられたのかなと心配になるほどです。さまになっていない口先だけのデモクラシー。羊の衣を着た狼。博愛主義の体裁をとった任侠道。

それと、現執行体制に「思想が無い」とは言いませんが「浅い」とは感じます。目先のこと、小手先のことしか考えていない様子がありありと伝わってきます。学生時代は数学と英語とスポーツは得意だったという感じ。見るからにスマートでカッコイイ。教え込まれた事柄についての正確な反復と高速演算の能力は高い。体脂肪率が低くて、テレビ映りがよい。しかし、思想家然としたところがほとんど無い。

もし「官僚に頼らない政治」を本気でめざしておられるなら、すなわち、「事情通の方々に原稿を書いていただくことを前提としない政治」を本気で実現したいと思っておられるなら、もっともっと自分の頭と心で考えなくてはならないはずです。付け焼刃では何も切れません。国会議員自身が思想的に「深い」ものを持たなければ。

私の思いを率直にいえば、政治を行う人は「組織神学」を徹底的に勉強すべきです(政治には組織神学が「役に立つ」とはっきり言ってくれる佐藤優さんを応援しています)。

「組織神学」を学ぶ以外に政治に関する真の意味での「深い」問題解決はありません。教会と神学が二千年来教えてきたことは「神の法(ロー)」であり、「神の統治(ポリティクス)」であり、「神の経綸(エコノミー)」であり、「神の弱者救済(エイド)」です。

法と政治と経済と福祉は「三位一体の神の視点から」徹底的に考え抜かれる必要があります。その神に愛と恵みと喜びがあるのですから、政治のめざすべき目標もまた、愛と恵みと喜びに満ちた社会と個人なのです。それが我々キリスト教会の確信です。

10年後の民主党が「キリスト教民主党」になっているというような妄想を抱いているわけではありません。それどころか、10年後の日本に「キリスト教会」がなおきちんと立っているかどうかのほうを心配しなければなりません。

しかし、10年後の政権与党担当者に期待していることは「神学をしっかり学んだ政治家」であってほしいということです。神学は「誰でも取り組むことができる」という意味で普遍的なものです(「説教と神学は誰でもできる」参照)。そしてきちんと勉強するにはどんなことでも10年かかる。つまり、今から猛勉強を始めていただけば10年後には使い物になるでしょう。そういう人を私は陰ながら応援したいと願っています。

民主党の幹事長なる御仁が、本日、和歌山県高野町で次のように語ったと朝日新聞が伝えました。

「キリスト教もイスラム教も非常に排他的だ。その点仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ。欧米人に仏教の神髄を説いてやるのは非常に意義がある。大変うれしい。排他的なキリスト教を背景とした文明は今、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」。

まさにこれです、何十年も我々を苦しめてきたものは。根も葉もないデタラメな当て推量。世界の40億人ほどの宗教を「排他的」の三文字で十把ひとからげ。右も左も分からない子供じゃあるまいし、67年も生きてきて、国家権力の絶頂点にまで達しながら、まだこんなことを言っているのかと思うと、ため息が出ます。

くだらない。「排他的」なのは貴方だ。「キリスト教もイスラム教も」知りもしないような人には言われたくない。

私が期待しているのは「10年後の」民主党です。低劣な恐怖政治を克服した後に姿を現す、真に民主主義的な民主党。「次の次の次くらいの」民主党。まだテレビで顔を見たことがない議員と、これから議員になる人たち。その方々には、今しばらくの苦難のときを、忍耐と勇気をもって乗り越えていただきたいものです。

しかし、私の話には、いつも続きがあります。これで多くの人々をがっかりさせてきました。

教会のほうは教会のほうで、以下のような考え方をしてこなかったでしょうか。

「仏教も神道も非常に排他的だ。その点キリスト教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ。日本人にキリスト教の神髄を説いてやるのは非常に意義がある。大変うれしい。排他的な仏教や神道を背景とした文明は今、日本社会の行き詰まっている姿そのものだ」。

これは民主党の御仁の言葉をそっくりそのまま書き換えてみただけのものです。「説いてやる」というあたりの不遜さもそのまま再現しました。

他人のせいにしたくはありませんが、今からちょうど150年前から日本伝道を開始した(当初は主にアメリカの)プロテスタント宣教師の「伝道精神」の中に、この種の不遜さが潜んでいなかったでしょうか。このような「伝道精神」を、日本の教会は、ほとんどそのまま受け継ぎ、それをかなり長い間、保ち続けこなかったでしょうか。

このことを完全に否定する自信は、私にはありません。教会の側にもいろいろと反省すべき点があるかもしれないと、今朝あたりから考え直しているところです。

とはいえ、民主党の御仁がこのたび突如として発した「バテレン禁制令」にも似た凶悪なメッセージは、かの「9・11」をイスラム教の仕業と見立て、また「イラク戦争」をキリスト教の仕業と見立てての単純な図式化ではないかと何となく想像いたします。だから「キリスト教もイスラム教も非常に排他的だ」となる。「あの連中と比べれば仏教は広い」となる。

このような図式化は、コンビニエンスストアの雑誌棚に立ち並ぶゴシップ系雑誌の表紙に大きな文字で書かれる見出し語にするにも躊躇がありそうな、全くのデマです。しかし、宗教についての知識に乏しい人々には「分かりやすい話だ」と歓迎されてしまうのかもしれません。

イスラム教徒のすべてが「9・11」の主犯者であり、キリスト教徒のすべてが「イラク戦争」の主犯者でしょうか。ありえない。この種の大衆扇動は、ものすごく危険なものです。正直、勘弁していただきたい。いずれにせよ、国家の最高権力者が口にすべき言葉ではない。民主主義の根幹を危険にさらします。

「民主主義ではない民主党」は、概念矛盾であり、何一つ期待できません。

それでは、我々教会の者たちが反省すべき点は何でしょうか。

私が考えさせられているのは、御仁がしたような「キリスト教とイスラム教は○○だ」という十把ひとからげと同じような「仏教は○○だ」「神道は○○だ」という括り方の乱暴さです。

それはちょうど、数年前に再流行した血液型占いのようなものです。「O型の人は○○だ」「A型の人は○○だ」「B型は○○だ」「AB型は○○だ」。まるで60億人のキャラクターがたった四種類しか存在しないかのようです。これは危ない。

しかし、このような仕分けを、なるほどたしかに、一度ならずキリスト教会自身もしてしまったことを否定できません。

たとえば、19世紀末から20世紀初頭にかけてオランダで活躍した改革派神学者アブラハム・カイパーがその著『カルヴァン主義』(Calvinism)に採用した方法は、いわば全世界の思想を「異教主義」「(ローマ)カトリック主義」「ルター主義」「カルヴァン主義」の四種類に区別したうえで「カルヴァン主義」の偉大さを説明するというものでした。

私自身はカイパーを「大衆扇動者」呼ばわりするつもりはありませんが、この種の議論をキリスト教会自身が続けるかぎり民主党の御仁に言い分を与えてしまうことになりかねません。

ちなみに、カイパーが『カルヴァン主義』で行った議論は、ドイツの宗教社会学者マックス・ヴェーバーやヴェーバーの友人だった神学者エルンスト・トレルチのお気に入りのところとなり、とくにヴェーバー経由で日本の碩学たちに受け継がれてしまっているものでもあります。ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はカイパーの議論なしには成り立たなかったものであると断言できます。

このように申し上げている私は、カイパーの議論の「危険さ」を指摘している以上、ヴェーバーやトレルチの議論も「危険」であると申し上げているのです。両者は一蓮托生の関係にあると言えます。

その意味では、日本においては「神学」や「キリスト教学」よりも(その外見上の「学術的客観性」ゆえに)はるかに好意的に評価されてきた「比較宗教学」や「宗教社会学」も、一定の役割があることを理解してはおりますが、そのうえでなお「きわめて危険である」と言わざるをえません。

宗教を「理念型」によって仕分けることは、国家権力者による宗教団体の「管理」を確保する方法であると思われます。しかし彼らに「できること」と「できないこと」、あるいは彼らが「してもよいこと」と「してはならないこと」があるということを、我々教会の者たちとしては、はっきり伝える必要があるでしょう。

しかし、教会自身の反省は、このたびの件に限っては、あまりしすぎる必要はないとも感じています。

このたびの問題は、政権与党の幹事長なる御仁が自分の置かれた立場をわきまえていないとしか思えないことを口にした(それは通常「失言」と呼ばれる)という点もさることながら、もう一つのより深刻かつ重大な点として、御仁が身を置く政権与党の名称が「民主党」(Democratic Party of Japan)であるということにこそあります。

こちらから喧嘩を吹っ掛けるつもりはありませんが、「キリスト教もイスラム教も非常に排他的だ。欧米人に仏教の神髄を説いてやる」などとおっしゃった以上、まずは御仁自身の「仏教民主主義」なるものでも提示していただかなければ、フェアな話とはとても言えないでしょう。その際教えていただきたいことは、「仏教」がその教義においてどのように「民主主義」と結びつくのかです。あるいは、「仏教」がその教義において、現在と未来の「民主主義の国」をどのように形づくることができるのかです。

そのことを、誰かの言葉や著書を読みなさいで済ませるのではなく、御仁自身の言葉と著書で、『仏教民主主義』なるタイトルで世に問うていただきたい。そして世界に広がる「キリスト教民主党」(Christian Democratic Party)を支持する人々と国際的な対話を展開していただきたい。

せめてそれくらいはしていただかなければ、政治家としての御仁の発言は、無責任極まりない、世襲たちの酒席のたわごとであると言わざるをえません。おふざけにしては影響力が大きすぎる。意図的ならば悪質です。

「キリスト教とイスラム教に排他的要素がないか」と問われるならば、「なるほど、そのような要素は過去にあったし、現在もあるし、将来もありうるでしょう」とお答えします。しかし、「はて、仏教と比べられて云々されるほどの排他性が我々にあるだろうか」と自問するなら、「それほどでもない」と自答するでしょう。

フランシスコ・ザビエル初来日から数えれば四世紀、プロテスタント宣教師初来日から数えれば150年、「キリスト教」は「仏教と神道の国」から不当に締め出され続けました。この歴史的事実を知らない者は、この国にはおりません。

それとも、「仏教」と「民主主義」の関係は必ずしも明白ではないとお答えになるのでしょうか。たとえば「私は仏教徒ではあっても民主主義者ではない。キリスト教とイスラム教に対しては弾圧的な立場をとり続けることこそが日本の国益につながる」とお答えになるのでしょうか。

そのような思想をもちうる権利は万人に保障されていると思います。しかし、もしそうであるならば「民主党」なるものの責任ある立場にとどまることはできないでしょう。「民主主義」という看板を悪用することは許されないでしょう。

先に「政治を行う人は組織神学を学ぶべきである」と、論理的には飛躍していることを承知しながら書いたことの一切は、このあたりに結びつきます。キリスト教を批判してくださることも結構。我々にとっては、そのようなことは言われ慣れていることです。

求めているのはフェアな議論の場です。それを成立させるために、キリスト教を、その教義を、十分に学んでいただく必要があるでしょう。申し上げているのは、そのことだけです。

2009年11月3日火曜日

オランダ国王首相の名誉博士称号授与式に出席しました

このところ落ち着かず、なかなか思うように書けません。先々週は大阪や仙台までの出張がありました。今日も、新幹線で盛岡まで行かねばなりません(日本キリスト改革派盛岡教会の新会堂献堂式です)。

さて、そのようなあわただしい中ではありましたが、10月27日(火)慶應義塾大学で行われた、オランダ国王首相ヤン・ペーター・バルケネンデ氏への名誉博士称号授与式に出席することが許されました。忘れないうちに書きとめておきます。

授与式が行われたのは、バルケネンデ氏が天皇と鳩山首相との会談を行った翌日でした。私がそのような場所に立ち入ることができたのは、法学部政治学科の田上雅徳先生が推薦してくださったおかげです。ファン・ルーラーについての拙文が慶大通信教育部教材誌『三色旗』に掲載されたことを労っていただいた格好です。

しかし、もちろん、慶大からの正式な招待状をいただき、IDチェックを受けたうえで入場させていただきました。会場の慶大三田キャンパスには、どれだけいるか分からないほど大勢の私服警官たちが、鋭い目で見張っていました。

その授与式には、『三色旗』の同じ号に素晴らしい論文をお書きになった、千葉大学法経学部の水島治郎教授も出席しておられました。水島先生、初めてお目にかかれてうれしかったです!

そのバルケネンデ氏が授章のあいさつとしておっしゃったことは、特筆すべきものでした。かなり流暢な英語で能弁なスピーチをなさいましたが、もしタイトルをつけるとしたら、「アブラハム・カイパーと福澤諭吉」(!)と付けても良さそうな話でした。

カイパーが設立したアムステルダム自由大学はバルケネンデ氏の母校でもあります。また、カイパーが設立したキリスト教政党「反革命党」は、バルケネンデ氏の所属政党(現在のオランダ与党)である「キリスト教民主党」の歴史的ルーツでもあります。

そのようにバルケネンデ氏の存在と歴史的に関係が深いアブラハム・カイパーと、慶應義塾大学の創設者福澤諭吉氏との共通点を、バルケネンデ氏は熱心に語られました。「なんかスゴイことになってきたなあ」と、まるで我がことのように感激しました。

私は、現在の慶大教授会の政治学専攻の先生の中でアムステルダム自由大学で学んだ経験を持っておられるのは田上先生だけではないかと思いましたので、「いよいよ田上さんの時代が来ましたねえ」と肘でつついたら、怖い顔で睨み返されました。田上先生があの顔をするのは「望むところだ」と武者震いしておられるときだと、勝手に解釈しております。

2009年11月1日日曜日

信仰とは諦めることの反対である


ヨハネによる福音書9・1~12

「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。』こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、『シロアム――「遣わされた者」という意味――の池に行って洗いなさい』と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、『これは、座って物乞いをしていた人ではないか』と言った。『その人だ』と言う者もいれば、『いや違う。似ているだけだ』と言う者もいた。本人は、『わたしがそうなのです』と言った。そこで人々が、『では、お前の目はどのようにして開いたのか』と言うと、彼は答えた。『イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、「シロアムに行って洗いなさい」と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。』人々が『その人はどこにいるのか』と言うと、彼は『知りません』と言った。」

今日から何回かに分けて、ヨハネによる福音書の9章を学んでいきます。この章は、時間をかけて学ぶ価値があります。私はこの章がヨハネによる福音書の一つの絶頂点であると信じています。ここではっきり分かることは、救い主イエス・キリストが父なる神のもとから地上に遣わされた目的です。そのことが見事に描かれています。ひとがイエス・キリストによって救われるとはどのようなことであるのかがよく分かります。ヨハネによる福音書を学び始めて以来、「この書物は難しい、難しい」と頭を抱えながらお話ししてきました。皆さんに我慢を強いてきたことをお詫びする必要があります。しかし、この9章は面白い!そのことをお約束いたします。

イエスさまが歩いておられたとき、その道の脇に「生まれつき目の見えない人」と呼ばれていた男の人が座っていました。その人を見たイエスさまの弟子たちが、イエスさまに次のような質問をしたというのです。「ラビ」とは教師のことです。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」と彼らは言ったのです。

この質問の意図は、わたしたちにとって馴染み深いものです。「わたしたち」とは日本人のことです。それは、「生まれつき」の病気や障がいの持ち主はいわゆる何かのばちが当たった人なのだという考え方です。私はこういう考え方がとにかく大嫌いです。聞くたびに嫌な気持ちにさせられます。絶対に受け入れるべきではない、非常に間違った考え方です。いわば「異教的な因果応報論」です。しかし、わたしたちはこの言葉を何度となく聞かされてきました。その意味で馴染み深い言葉です。

ただし、このとき弟子たちは、少しくらいは慎重に物事を考える力を持っていたようです。この人の生まれつきの病気は、何かのばちが当たった結果であるに違いないと、このような考え方を彼らはしました。しかしまた、このとき弟子たちは、いくらなんでもこの人が生まれる前にこの人自身が罪を犯すということは、たぶんないだろうと、これくらいのことは頭に浮かんだ様子です。「お腹の中で罪を犯す人間」というのがいて、そのような本人が絶対に自覚しようのない罪に対する罰を神さまがくだされたその結果が「目が見えない」という彼の生まれつきの病気であるというような奇妙な三段論法を思い描くことは、いくらなんでもできないと思ったようです。

それで彼らがその次に考えたことは、本人の罪でないならば、やはりあの人の両親かということでした。しかし、彼らがたどり着いた結論は、本人かそれとも両親かの二者択一であったということは間違いなさそうです。だからこそ彼らはイエスさまにこのような質問をしたのです。

いま申し上げたことは、もちろんあくまでも私の想像です。彼ら自身がイエスさまに期待した答えは、彼が受けている罰の原因は、彼自身の罪ではなく、彼の両親の罪にあるということではなかっただろうかと私は考えます。本人が生まれる前に罪を犯すということは、どう考えてもありえないことです。ばかげているとしか言いようがありません。

しかし、両親の罪であると言われる場合には、どうでしょうか。もしかしたら多くの人が納得してしまうかもしれません。単に宗教的な「神の罰」という話としてだけではなく、たとえば遺伝の話、あるいは今の人が言うところの薬害の話、あるいは妊娠中にかかった病気や怪我や事故の話、あるいはいわゆる「生活習慣病」と呼ばれるようなものを両親またはどちらかの親が持っていて、そのせいで子どもが苦しみを味わっているのだというような話。あえて名づけるとしたら「医学的な因果応報論」です。このような話になっていきますと、そのような子どもたちを持っている親たちの中には、とても肩身の狭い思いにどんどん押しやられていくものを感じる人が出てくるでしょう。

こういう話になってきた場合には、「全く身に覚えがないか」と問われると、そうとも言い切れないと感じるであろう親たちは決して少なくないはずです。いまさら責められても自分たちから生まれた子どもに対して何をどうしてあげることもできないのだけれども、「お父さん、お母さん、あなたがたにも責任があります」と指摘する人がいれば、心の中で悲鳴をあげながらではありますが、「なるほど言われるとおりかもしれない」と認めざるをえないものを持っている親たちはいるのだと思います。

しかし、まさにいまさら責められてもどうしてあげることもできないと思うのが親でもあります。生まれてきた子どもが自分に似ていると、親たちはたいてい喜びますが、子どもたちには迷惑な話かもしれません。子どもたちが思春期になる頃に「あなたの子どもとして生まれてきたことが残念だ」と言われてしまう日が来る(すでに?)かもしれません。

しかし、そんなことをお互いに言いあってみても何一つ状況は変わりませんし、幸せになる要素は何にもありません。ただ傷つけあい、ただ嫌な思いをし、子どもたちも親たちも、泣きわめくくらいしかなすすべがありません。「あの人の病気はだれの犯した罪のばちですか。本人ですか、両親ですか」。誰のせいなのか。誰が悪いのか。こういう問いかけ自体が大きな落とし穴であり、罠です。問うことそれ自体を禁じることはできませんが、問うてみたところで、誰も幸せになりません。

もしこの問いにイエスさまが「それは本人ですよ」と、あるいは「それは両親に決まっていますよ」とお答えになったとしても、それによって弟子たちに何が分かるというのでしょうか。そもそも彼らはこの質問によって何を知りたかったのでしょうか。生まれつき目の見えないという人がもう二度と生まれないように、再発防止策(?)でも考えたかったのでしょうか。そのような医学的関心からでしょうか。いや、そんなはずはありません。おそらくはただの興味本位です。あるいは、イエスさまの弟子である人々は同時に聖書を学ぶ人々でもあったわけですから、「この障がい者の問題」を聖書的に考えるとしたらどのような答えが出るだろうかというようなことを考え始めたのです。私自身は、そのような考え方や態度や物の言い方が、本人に対しても、親たちに対しても、いかに失礼で迷惑なものであるかと、常日頃から感じています。

弟子たちの言葉をお聞きになったイエスさまが怒りを覚えられたかどうかは分かりません。しかしイエスさまがおっしゃった言葉は、かなり激しい勢いで、弟子たちの前にまるで仁王のようにお立ちになっておっしゃっているように思います。そして、イエスさまは、生まれつき目の見えない人と、その人の両親が置かれた苦しい立場を強く弁護し、かばおうとして、おっしゃっています。そのように捉えることは間違ってはいないだろうと私は信じます。

仮に百歩譲ってそれが本人の罪によるものであろうと、両親の罪によるものであろうと、共通しているのは、そのことが分かったところで、だれも幸せにならないという点です。たとえば、こういう話を聞くことがあります。「あの人は熱心なクリスチャンなのに、どうしてあんな重い病気にかかっているのだろうか。やはり神などおられないのか。それともあの人は自分や家族が犯した罪の罰を受けている、とでも考えるべきなのか」。もちろんこういうことを“考えること”が絶対に許されないとは思いません。“考えること”は万人に許された自由です。しかし、問題はこの先です。わたしたちは、自分の頭で考えたことを何でもかんでも口に出して言ってよいわけではありません。こういうことを言うと、いつ・だれが・どのような形で傷つくだろうかと、それこそ深く考えなければなりません。

弟子たちが「神などおられない」と考えることは無かったかもしれません。そのように考えることは、神を信じる彼らにはできなかったでしょう。その選択肢を選ぶことは、弟子たちにはなかったでしょう。しかし、その選択肢を選ぶことができないからこそ、的外れな責任追及の矛先が本人や両親に向かってしまうことはありえたでしょう。「神」を疑うことはできないゆえに、とことん「人間」を責め続ける。そのような「神中心的因果応報論」に陥ることがありえたでしょう。

すべての不幸は人間の罪の結果であると考えることが全く間違っていると申し上げているわけではありません。しかし、そのことと、何か特定の病気や障がいが、あの人・この人が犯した罪の結果として起こったことなのだと、そのような結び付け方をして誰かを傷つけることとは、全く違うことなのです。しかし、このような一種独特の歪んだ考え方、間違った信じ方が弟子たちの中に染み付いてしまっていたかもしれない。この個所を読む限り、そのように考えてみることもできそうなのです。

病気や障がいの中で苦しんでいる人々の側からすれば、それはあなたのせいだ、自業自得だと言われることに反論するのは難しいと感じるでしょう。あるいは、誰かのせいだ、親のせいだと言われることにも、言い知れぬ苦痛を味わうことでしょう。この病気が、障がいが、動かしがたい事実として、自分の目の前に立ちふさがっているかぎり。責められれば責められるほど絶望するしか道が無くなるのです。明るく生きること、いや、生きることそれ自体を諦める以外の道を奪われてしまうのが、我々のよく知っている「因果応報」の考え方です。

しかし、イエスさまのお答えは、絶望の闇を払いのけるものでした。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」。

もう時間ですので、続きは来週お話しします。最後に一言だけ申し上げておきたいことは、イエスさまがこの人の前でおっしゃったことは、「お上手な言い方をなさった」というような次元で捉えてはならないものであるということです。その人の苦しみの原因を美しい言葉で解釈してあげた、というようなことではありません。事実として神の業がこの人に現れました。彼は神を信じるようになりました。それによってこの人は「諦めること」をやめました。それが彼の救いになったのです!

(2009年11月1日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年10月31日土曜日

説教と神学は誰でもできる

ともかく願っていることは「神学の価値を安く見積もらないでください」ということです。「教会の生命としての神学」に手抜き工事があるような教会は、まともな教会にはならないし、教会堂その他の見てくれが立派なだけの張り子の虎にすぎません。そんな程度のもので「神の栄光を表す教会」と言えますかと、問うてみたい。



いずれにせよ、教会は神学をなめないほうがいいと、私は思います。神学なき説教は空言です。説教が「神学的に見てまともでない」教会は、そもそも「教会」ではありません。神学とは日々の苦闘の賜物なのです。苦もなく、どこからともなく自動的に繰り出されてくるようなものではないのです。どこかに勘違いがありはしませんか。



「説教なんて誰でもできる」と思われていることは、好ましいことでもありますので、その見方は甘受します。事実、牧師たちは「誰でもできること」をやっています。長老たちにも、日曜学校教師たちにも、すべての教会員にも、「説教すること」は可能です。「上手に話すこと」なら、牧師たちよりはるかに優れた人たちが、どの教会にもいます。



ただし、「説教ができる」とは「神学ができる」ということとほとんど同義語です。神学も「誰でも」できます。ぜひ今すぐに取り組みを始めてください。多くの人たちが神学に真剣に取り組むようになれば、「神学なしにも説教はできる」という誤解や甘い見方から我々は全く解き放たれるでしょう。そのような日が来ることを心待ちにしています。



しかも、「神学」は、大学や神学校の在学中にだけ取り組むものではありません。「在学中は神学研究に熱心でしたが、卒業後、教会の牧師になってからは、神学どころじゃなくなりました」と言い出す教師たちが多いことも私はよく知っています。同業者ですので、その気持ちが全く分からないわけではありません。



しかし、はっきり言っておきます。「神学どころじゃない」人は、たぶん「説教どころじゃない」のです。「説教どころじゃない」人は、たぶん「教会どころじゃない」のです。そういう人はたぶん「牧師どころじゃない」人なのです。その人はたぶん、自分の本務とは別の何ごとかに熱心に取り組んでいるのです。



2009年10月30日金曜日

具体的なモデルはある

「お金、お金、お金。」などと書いた途端、今やすっかり悪役キャラでしょう。私はだれから何と思われようと構いませんが(これまでも恥の多い生き方をしてきましたので少し慣れました)、「神学にどうしてそんなにお金がかかるの?」と見ている人々がいるとしたら、その考えを根本的に改めていただきたいという思い余っての「お金。お金。お金。」です。



しかし、私が求めてきたことには、優れた先例とすべき具体的なモデルがあります。それは、東京の信濃町教会様が設けておられる「神学教育助成資金」です。



日本基督教団信濃町教会「神学教育助成資金」
http://www.shinanomachi-c.jp/jyosei.html



このことを日本キリスト改革派教会の教師である私がどうして知っているのかといえば、ネットで検索すれば誰でも探せるという面もありますが、私の場合はその理由ではありません。数年前、ある方の紹介を受けて、私が「代表」をしている研究会の名前で申請してみたことがあるからです(残念ながら落選となりましたが)。



この「神学教育助成資金」の「改革派神学」に特化された制度をつくることが、我々にどうしてできないでしょうか。できないはずがないと考えている私は甘いでしょうか。「盗用」は許されませんが、もしゼロから考えはじめることが難しいとしたら、初動段階では信濃町教会様の模範的先例に倣えばいいのです。「神学」とあるところを「改革派神学」に、また「信濃町教会」とあるところを「日本キリスト改革派教会」なり、「○○中会」なり、「神戸改革派神学校」なりに、それぞれ書きかえるだけです。



あとは、このファンドを管理する委員会を作り、委員長を決めるだけ。初めての取り組みにはさまざまな不安が伴うでしょうから、運営上の問題点をあらかじめ信濃町教会様にご指導いただくこともよし。そこまで行けば、あとはゴーサインを待つばかりです。



信濃町教会様、申し訳ありませんが、以下に引用させていただきます。



--------------------------------------------------------------------



信濃町教会の「神学教育研究資金」



信濃町教会は、神学的自覚に立った宣教と教会形成を促進するため、【神学教育研究資金】を設け、[A]研究助成、[B]出版助成の対象企画を募集いたします。ふるってご応募ください。               



[A]研究助成の対象
 教会と神学に関する個人研究または共同研究



[B]出版助成の対象
 神学上の優れた著作。広く宗教学や精神史の領域にまたがる研究も含みます。
 日本語による原稿で、出版社が決定しているものに限ります (申請は一出版社一点に限ります)。



★ 助成金額
 1件につき50~100万円の範囲で助成いたします。
 なお、「研究助成」の場合、その成果を何らかの形(公刊、報告書、講演)で報告して頂きます。



★ 申請に必要なもの
 ① 規定の申請書(お申し出により郵送)
 ② 出版助成の場合 原稿を3部(コピー)



--------------------------------------------------------------------
(引用終わり)



2009年10月29日木曜日

神学、神学、神学。お金、お金、お金。

前稿は「何のために頑張って来たのかが分からなくなってしまいました」で終わってしまいました。気持ち自体は書いたとおりですが、ここで終わってしまっては、まるで今の私が絶望のどん底にでもいるかのようです。そういうことにしておいて(私が「絶望のどん底にいる」ふりをして)同情者を募るという手を使うというやり方も要検討課題かもしれませんが、そういう姑息っぽいやり方は私のポリシーに反します。



というか、関口という人間は「同情しがいのない人間」であるということが個人的に知っている多くの人に認識されてしまっていますので、同情作戦は完全な無駄骨に終わります。見た目的(みためてき)には私は元気そのものなのです。内心ではどんなに落ち込んでいても、はた目には何事も無かったかのようです。しかし、それはそれは私にとっては突然飛んできたパンチでした。「効いていませんか」と問われれば「いいえ。かなり」とお答えするでしょう。



今年の夏頃のことです。私自身もそのために力を注いできた“小さな神学共同体”が一夜にして崩壊するというひどい目に遭いました。こういうところに個人名を書くわけにはいきませんので詳しいことは何一つ書くことができませんが、どのようなことがあったのかを日本キリスト改革派教会の人たちは知っています。



最愛の妻に言わせると「そんなに簡単に崩れるようなものは、最初から大したものじゃなかったのよ」とのことですので、なるほどそうかもしれないと諦めることにしました。



その意味ではもう諦めたのですから、後ろを振り向きたいとは思いません。まさに「無かったことにする」しかない。しかし、言葉にならない空虚感を抱えて、ひたすらため息とうめき声を吐き出すばかりです。「言葉」が信頼を失ったのです。すると、どうなるか。「あなたがたが何を言っても無駄である。なぜなら、あなたがたの口から発せられる言葉自体がもはや信頼できないのだから」というダッチロール状態に陥り、墜落の一途を辿らざるをえません。



私が求めてきたことは「神学研究の経済的根拠」です。「全額個人負担の神学」が、どうして「教会の学」でありうるのでしょうか。これこそ概念矛盾というのです。



最も理想的にいえば「教会の学(Wissenschaft der Kirche)としての神学」は、中会(presbytery)こそが営むべきです。そして「中会が神学を営む」と私が言う場合の意味は「中会の経常会計から神学研究活動を支出する」ということです。その方法としてともかく思いつくのは、以下の四つの方法です。



■方法1
中会に「改革派神学研究ファンド」(仮称)を設置し、同ファンドを管理・運営する委員会を中会内に設ける。そして神学研究に取り組んでいる人々を同ファンドが(厳正な審査を経て)経済的に支援する。



■方法2
中会に「改革派神学研究委員会」(仮称)を設ける。同委員会は神学研究の場(講演会、シンポジウム、原書講読会など)を自ら提供しつつ、中会内の「神学に関する経済的ニード」(資金不足を理由に頓挫している神学研究者たちのニード)があれば、支援の方法を検討・善処する。



■方法3
改革派神学研修所の「○○教室」を有志で設け、最寄り中会との連携の可能性を模索しながら、自主的な神学活動を続ける。



■方法4
改革派神学研修所または神戸改革派神学校の「エクステンション制度」を利用する。年に数回程度、研修所または神学校から神学教師を派遣してもらい、中会主催の、または自主的な講演会を開く。



ちなみに、これら四つの方法の順序は、上から「お金がより多くかかる順」です。「■方法4」には自己負担的要素はありませんが、自由裁量度は低くなります。



今年崩れ去ったのは、「■方法3」です。いろいろあって、あれよあれよの間に「閉鎖」を余儀なくされました(これが私の憂鬱の原因です)。



しかし、これで終わりではありません。少なくともあと二つの方法が残っていますし、もっと多く残っています。



「お金、お金、お金。」と書きますと、自分がまるで拝金主義者になってしまっているようで本当は嫌なのです。私ほどお金そのものに執着のない人間はいないでしょうに!



しかし、これまで10年間、いえ、19年前に伝道の仕事に就いて以来悩み続けてきたのは、以下の問いです。



「神学研究に真剣に取り組まないかぎり、真の教会は立たない。しかも、神学研究を(非教会的な)大学教授たちの専売特許にさせないためには、とにかく教会の牧師たちが率先して神学に取り組むしかない。しかし、牧師たちには神学研究に必要十分な経済基盤がない。無い袖は振れない。たしかにそうではある。しかし、『無くとも振るべき袖がある』と言わなければならないのも神学である。神学を放棄することは教会を放棄するのと同義語である。ならば、我々はどうすればよいのだろうか」。



これを短く言えば、「神学、神学、神学。お金、お金、お金。」となるわけです。





2009年10月27日火曜日

砂上の楼閣

過去10年間求めてきたもう一つの願いは、我々の神学研究に「経済的裏打ち」が欲しいということでした。「神学、神学、神学」といくら叫び続けても、お金がなければ資料を購入することができないし、パンフレット一冊、自著一冊出版することもできません。資料的裏付けに乏しい本は、出版する価値がありません。紙資源の無駄であり、環境破壊以外の何ものでもありません。神学に関していえば、一冊の本を書くために数百万円規模の基礎資料が必要です。それくらいの費用がかかっていない本は、読む価値がありません。出版費用の問題は「印刷・製本費用」の問題だけではないのです。より深刻な問題は中身のほうです。



しかし他方、「本にならない神学」はいつでも必ず趣味、妄想の扱いです。実際これまで何度となく「関口牧師はなんだかいつもパソコンで遊んでばかりなんですね」と言われて悔しい思いをしてきました。これは私にとって最も言われたくない痛い言葉です。何度も言われてきましたのでいくらか打たれ強くもなりましたが、それでも実はいまだに寝込んでしまいそうなほどきついです。「本にならない字」をどれほどたくさん書こうとも、趣味、妄想のたぐいだと思われてしまうことに変わりはないのです。そういうことは自分自身が一番よく分かっていますので、これを言われると本当につらいです。私の最大の弱点です。



このところ日本のキリスト教出版社が進めている事業のひとつは、絶版となった名著の「オンデマンド化」です。あるいは世界的に見ても、版権の切れた名著の多くがインターネットで全文公開されるようになりました。しかし、我々の場合は、言ってみれば「初めからオンデマンド」です。一度もきちんと印刷・製本されたことがないし、表紙がついたこともない。物笑いの種以上のものになったことがない。



我々の言葉が「本にならない」理由は「お金がないから」です。私が求めてきたことを一言で言えば「改革派神学の日本における地位向上」です。そのために必要なことは「本にすること」です。そして、そのために「神学の研究ならびに出版資金を得るための制度を構築すること」が必要不可欠であると信じ、10年以上頑張ってきたつもりです。



その願いがもしかしたら実現するのではないかと期待できるまで状況が整ったのは、今年の前半のことでした。手が届きそうな距離にやっと近づいたと感じました。



しかし、この願いが、今年の夏頃、無残にも破壊されました。砂上の楼閣はあっという間に崩れ落ちました。そのことが夏以降、私の大きな悩みとなり、物事に取り組む意欲がガクンガクンと減退しています。何のために頑張って来たのかが分からなくなってしまいました。



正面玄関の改装

トップページ(旧「信仰の道を共に歩もう」)の名称を「改革派信仰の新しい視点」に変更し、デザインを更新しました。一応ここ(トップページ)が正面玄関からフロントにかけての場に当たる部分ですので、お客さまにはできればここから入っていただきたいなと思いつつ作りました。



「改革派信仰の新しい視点」
http://www.reformed.jp



mixi退会しました

mixiを退会しました。plaxoも退会しました。ブログの情報量や更新頻度も、これからは大幅に制限していくことにしました。



何度も書いてきましたとおり1998年以降インターネットにかかわるようになった動機は、苦しみと涙をもって地方伝道に従事している牧師と教会員に「神学」に関する情報を提供することでした。



そのために、最初はメーリングリスト、次にブログ、そしてmixiなどSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を用いてみました。その実験に成功したとは思っていませんし、満足感なども一向にありませんが、地方(≠首都圏ならびに大都市部)では得られないような質の情報提供をめざしてきたつもりです。喜んでくださる方々も少なからずいました。



地方伝道の何が苦しいのかといえば、情報不足が苦しいのです。情報格差による孤立感はとにかくひどいものです。他のことは大したことではありません。私も苦しみました。自ら苦しみながら、互いに助け合うことができる方法を模索しはじめました。しかし最初は何をどうしたらよいのか、さっぱり分かりませんでした。インターネットの活用方法が分かりませんでした。それでいろいろ手を出してみました。mixiもその一つでした。



ともかく、いつまでもダラダラ続けるつもりは最初からありませんでした。そろそろ潮時です。



2009年10月25日日曜日

伝道の神学 喜びの人生をめざす旅人の力

ファン・ルーラーが幼少期に通ったアペルドールン改革派教会
(2008年12月9日 関口康撮影)

講演「伝道の神学 喜びの人生をめざす旅人の力」

関口 康

Ⅰ 「伝道の神学」の主体としての「地域性密着型中会」

この改革派神学研修所東北教室は、厳密に言えば東北中会とのダイレクトな関係にはない、あくまでも有志のグループであるという事情はよく理解しているつもりです。しかしまた、このグループが日本キリスト改革派教会東北中会に所属する教会・伝道所との緊密な関係の中で営まれて来たものであるということは明言してよいはずです。

私は以前、東関東中会議長書記団を代表して東北中会の定期会を問安させていただいたことがあります。そのときが東北中会の皆さまとの正式な形での初顔合わせでした。そのときの会場も、今日と同じ東仙台教会でした。その日を含めると、東関東中会のメンバーになって以来二回目の「東北中会訪問」ということになります。

私は、東北地方とは縁もゆかりもない岡山県岡山市の出身者です。しかしそのような私でも、日本キリスト改革派教会の教師にしていただいて以来、東北中会の諸教会のために祈らなかった日はありません。伝道の戦いにおいては同志であり、同労者であると信じています。伝道に伴う苦しみや悩みは、それに携わったことがある者にしか分かりません。私も今、毎日のように涙を流していますので、皆さんの思いは痛いほど理解しているつもりです。

「おやおや、東関東中会は東北中会よりもラクチンではないのですか」と思われてしまうかもしれませんが、決してそんなことはありません。都会には都会なりの悩みがあり、独特の誘惑や罠が手ぐすね引いて待ち受けています。伝道がラクチンな地域など、地上には存在しないのです。

しかしまた、この日本の国土環境や経済状況などを考えますと、首都圏の伝道と地方都市や農村部の伝道とを全く一緒くたに丸めてしまうような議論や、各地の個性や固有性や特色を完全に無視してアイロンやローラーのようなもので均してしまうようなやり方がきわめて乱暴であることも事実です。

イエス・キリストの福音を宣べ伝えることを本旨とする「伝道」においても「地域性」(locality)というものが最大限に尊重される必要があると信じています。象徴的な言い方をお許しいただくなら、 伝道とは、飛行機の上から種をまき散らすような(大雑把で当てずっぽうな)仕事ではなく、ミミズの目を探すような(緻密で繊細な)仕事であると考えております。

東関東中会をわたしたちが2006年7月に設立したときに掲げた、自己紹介のための理念は「地域性密着型中会」(locality-oriented presbytery)というものでした。この理念を考えたのは私ですが、 初代中会議長になられた横田隆先生が、大会向けにお書きになった文章に採用してくださいました。

この「地域性密着」という表現は、私の中では、一般的な意味での「地域密着」とは異なる概念です。しかし、このことについては中会設立時点の私にはきちんと説明する場も立場も与えられていませんでしたので、一緒くたにされたまま誤解されています。

現に、たとえば「地域性密着型中会としての東関東中会」という言葉を見た他中会の人々の中に、「東関東中会のような地域癒着型で利益誘導型の中会では、日本キリスト改革派教会としてのアイデンティティを保つことができない」という理由で批判している人がおられるということを後で知りました。その話を最初に聞いたとき、私は心底がっかりしたのです。人間の耳と心というものは、かくも歪んでいるのかと。

そして、もう一つのことを考えさせられました。それは「それでは改革派教会のアイデンティティとは何なのか」ということでした。

改革派教会のアイデンティティとは何なのでしょうか。大会決議を守ることでしょうか。それならそれでも結構です。しかしそれでは大会決議とは何なのでしょうか。それは、都会の有力教会の多数意見を力任せに押し通すことであってはならないでしょう。そもそも大会決議なるものは、地方の教会の現実が反映されていないようなものであってはならないでしょう。「地域性密着型中会」が無いようであっては、健全な大会決議もありえないでしょう。

突き詰めていえば、「地域性」(locality)というものに関心を払わないような教会、すなわち、各中会の意見を反映することを怠る大会のもとにある一全体としての教派は、真の意味での「改革派教会」ではありえないでしょう。我々の大切な教派が、そのようなものになっては、あるいは「しては」なるまいと、私は考えました。

「地域性密着型中会」という東関東中会の理念を「地域癒着型中会」だとか「利益誘導型中会」などと聞きまちがえた人たちを責めたい気持ちは、私にはありません。故意や悪意であるとも思っていません。ただひたすら、ぜひ正しく理解していただきたいと願っているだけです。

しかしまた、私は今日ここに、東関東中会を代表して来ているのではなく、あくまでも個人的な奉仕として来ています。これから申し上げることはすべて、私の個人的見解にすぎません。誰とも相談していません。発言の責任もすべて関口個人にあります。

しかしまた、そうであるという事情をあらかじめしっかりと確認したうえで、私が掲げた「伝道の神学」というテーマの中には、私自身の眼前に常に現実に存在する「東関東中会」の存在が念頭にあるのだということも否定できない事実であると明言しておきます。

そしてもし可能でしたら、定期大会記録に明記されている東関東中会が掲げた「地域性密着型中会」という理念を思い起こしていただきたいと願っています。この理念の本当の意味は何なのかということを正しく理解していただくことが、今日の講演の第一の目標であると申し上げておきます。

そして、この講演の第二の目標として考えておりますのが、講演のタイトルとして掲げた「喜びの人生をめざす旅人の力」としての「伝道の神学」とは何かということを理解していただきたいということです。

もちろん第一の目標と第二の目標は直接つながっている関係にあると私は信じています。すなわち、第一の目標である「地域性密着型中会」とは何かを理解していただくことと、第二の目標である「伝道の神学」とは何かを理解していただくこととが、私の中ではっきりとつながっています。

第一のつながりは、「伝道の神学」なるものを展開していく具体的な場は、大会でも神学校でもなく、「中会」であるということです。「いや、それは各個教会ではないのか」と思われるかもしれませんが、各個教会が単独で「神学」を営むことにはちょっと荷が重すぎる面があります。もちろん、伝道そのものの主体は各個教会であると言わなければなりません。しかし、「伝道の神学」を構築し、展開していくための場ないし主体は「中会」でなければなりません。

ですから、私の思いからすれば、各中会に「神学委員会」のようなものが設置されることが理想です。しかし、それが叶わなくても、せめて各中会に(東北中会にあるような)「改革派神学研修所○○教室」のようなものが置かれるべきです。

しかも、その場合の中会とは「地域性密着型中会」、すなわち、その中会が置かれている地域の地域性 (locality)を最大限に尊重すべきことを自覚し、かつ実践する人々の集まりでなければなりません。

 同じ一つの日本キリスト改革派教会に属する同志であっても、たとえば「東北中会の伝道の神学」と「東関東中会の伝道の神学」と「東部中会の伝道の神学」とその他の中会の「伝道の神学」との間には(一致点や共通点とともに)相違点があって然るべきです。

すべてが同じでなければならないと、自分たちの「伝道の神学」を押し付け合うことは問題を抽象化することであり、妄想に通じるとさえ言わざるをえません。

第二のつながりは、第一に申し上げたことのほとんど繰り返しであり、同じことの別の観点からの言い換えです。それは、そもそも「神学」とは個人のわざではなく、共同体のわざであるということです。それは信仰共同体としての教会のわざであり、教団・教派のわざでなければなりません。

神学とは個人的な思想・信条ではありません。ですから、はっきりいえば「中会なしに神学なし」です。そして逆も然りです。「神学なしに中会なし」でもあります。

まとめていえば、「中会の第一義は神学共同体である」ということです。神学を放棄した中会は、本来の意味での「中会」ではありえません。「中会」とは神学、とくに「伝道の神学」を共有する場なのです。

そして、中会には教師だけがいるのではなく、少なくとも(「教会の会議において、教師と同等の権威を有する」)長老がおり、そして すべての教会員が属しています。

もしそうであるならば、「地域性密着型中会の神学」としての「伝道の神学」は、(何らかの学位や留学経験をもった)神学教授職にある人の専売特許ではなく、すべての 教会員のものでなければならないのです。

Ⅱ ファン・ルーラーの「伝道の神学」

さて、序論的な話をひとまず終えて、次の話に進めます。以下の主題は伝道の神学とは何かという ことです。この件に関して私は一つのモデルをご紹介したいと願っています。

それは〝国教会系〟等 と称された、歴史的に古いほうの「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde Kerk)の中で、1950 年代に考案された「伝道の神学」の例です。

発案者は、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])です。私はこの神学者についての研究を10年ほど続けてきました。この神学者はオランダ改革派教会 (NHK)の牧師であり、ユトレヒト大学神学部において「オランダ改革派教会担当教授」の職務に 就いた人でもあります。

このように紹介しますと、先ほど申しあげた、「伝道の神学とは神学教授職にある人の専売特許ではない」という話と矛盾するとお感じになるかもしれません。しかし、この点で申し上げておきたいことは、ファン・ルーラーが「伝道の神学」を考案した動機は、その時代に実施されていたオランダ改革派教会の『教会規程』の全面的な改定作業という歴史的大事業に寄与することであったという点です。

改定以前の古い版の同教会の『教会規程』は、なんとナポレオン統治時代のものでした。そのような古文書(こもんじょ)を改訂する委員会における主要なメンバーの一人がファン・ルーラーでした。

つまり、ファン・ルーラーの「伝道の神学」は、抽象的な机上の空論などではありえず、きわめてリアルなプレゼンスを持つ一つの「オランダ改革派教会」をそれに基づいて動かすこと、さらに「カルヴァン主義の国」とまで呼ばれたオランダの歴史と伝統そのものを動かすことを目標にした、きわめて具体的で現実的で実際的な提案であったということです。

そのファン・ルーラーの「伝道の神学」とはどのようなものだったのでしょうか。その概要をこれからご説明していきたいと思います。

しかし、まずそのテキストについて申し上げておくべきことがあります。ご存じの方もおられると思いますが、ファン・ルーラーの「伝道の神学」(Theologie van het Apostolaat)の日本語版が 2003年に教文館から出版されました。しかし、非常に残念なことに、これがものすごく読みにくい訳でした。はっきりいえば、ちんぷんかんぷんの、ひどいものでした。

私はこれを訳した人を個人的に知っていますので、悪口のようなことはなるべく言いたくないのですが、このようなひどい訳を流通させたままではファン・ルーラー先生に申し訳ないという思いさえ持っています。

ファン・ルーラーのこの書物は、国際的に高い評価を得ている、非常に優れた「伝道の神学」のモデルなのです。これを私は日本の教会の多くの人々に読んでいただきたいと願っています。そのために私は、今の訳本が早く絶版にされ、一刻も早く新訳で紹介し直されることを願っています。

ファン・ルーラーは「伝道の神学」を順序立てて考えて行くために、次の五つの教義学的な視点を設定しました。第一は終末論の視点であり、第二は聖定論の視点であり、第三は聖霊論の視点であり、第四は人間論の視点であり、第五は教会論の視点です。

これらすべての内容をご紹介する時間はありませんし、ファン・ルーラーの説明そのものを詳細に紹介することもできません。

そのため私は、わたしたち日本の教会的文脈の中で比較的理解しやすいと思われる視点をいくつかピックアップして私なりの言葉で解説していくことにします。それは最初の「終末論の視点」です。もう一つ挙げておきたいのが第四の「人間論の視点」です。

Ⅲ 終末論の視点から見た「伝道」

終末論から話を始めるというのは、人によっては奇妙な見方であると感じるものでもあるでしょう。なぜなら、ファン・ルーラーが登場するよりも前の時代の教義学において、終末論が置かれる位置は、「巻末付録」とまでは言われないにしても、ほとんど例外なくいちばん最後のほうの数ページの部分に割り当てられることになっていたからです。

実際、ファン・ルーラーの神学は「終末からの思惟」 (thinking from the End/ Denken vanuit einde)などと評せられるものであり、終末論からすべての神学を出発することが、彼の神学の特徴であるとさえ考えられています。

しかし、このファン・ルーラーの終末からの思惟は、「伝道の神学」を考えて行くためには、わたしたちにとって非常に有益であると思われます。なぜなら、間違いなくわたしたちの多くは、「終末」(the End)という言葉には「目的」(purpose)ないし「目標」(goal)という意味があるということを知っているからです。

なぜわたしたちの多くがそのことを知っているかといえば、わたしたちが常日頃から慣れ親しんでいるウェストミンスター信仰規準(とくに、ウェストミンスター小教理問答の第一問答)に何が書かれているかを知っているからです。

「問 ひとの主な目的(end)は何であるか。

 答 人の主な目的(end)は神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶことである。」 

そうです。わたしたちがウェストミンスター小教理問答の第一問において「目的」と訳してきた言葉こそがendなのです。

つまり、この問い(ウ小教理 1 )の趣旨を考えますと、これは endを問うている問いである以上、そのままで「終末論的な」問いかけでもあるのだということを、わたしたちは知っているのです。

すると、どうなるでしょうか。たった今申し上げたことからお分かりいただけることは、ファン・ルーラーの伝道の神学の特徴である「終末からの思惟」とは、将来においてわたしたちが実現すべき目的、ないし到達すべき目標のほうから現在のあり方を考えるということを意味するのだということです。

この点がわたしたち自身の「伝道の神学」を考える際に非常に役立ちます。なぜなら、「目的」ないし「目標」を定めることが、伝道にはどうしても必要不可欠だからです。

ただし、問題は、わたしたちはそれをどのようなものと定めるかです。ここから先はファン・ルーラーが言っていることではなくて、私が申し上げたいことです。

伝道の目標とは、たくさんの人数を集めることでしょうか。伝道の目的とは、大きな教会堂を立てることでしょうか。もちろん、それらのことも重要であるとは思います。しかし、あえて問いたいことは、それだけでしょうかということです。

いみじくもわたしたちは、ウェストミンスター信仰規準(とりわけウェストミンスター小教理問答の第一問答)と共に、わたしたちの人生の目標とは「神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶこと」であると、声を大にして告白し続けてきたのです。

このことは、伝道の目標にも通じるはずです。ただし、「神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶこと」を伝道の目標にすると私が言いますと、この人は問題を抽象化していると感じられてしまうかもしれません。しかし、これは決して問題の抽象化ではないと申し上げておきます。

考えていただきたいのは、 このウェストミンスター小教理問答における最も重要な点は「わたしが喜ぶこと」にあるということです。この答えを短く言い直せば、「わたしの目標ないしわたしの人生の目的は、このわたしが喜ぶことである」と言っているのと同じであるということです。

このことを伝道の神学に当てはめて言えば、こうなります。「伝道の目標もまた、このわたしが喜びの人生をめざすことにある」ということです。「喜び」とは、もちろん人間的・主観的・感情的・生理的な要素です。私が申し上げたいのは「伝道の神学」からそのような要素(人間的・主観的・感情的・生理的な要素)を切り落としてはならないということです。

わたしたちは、そのような要素を非常に強く抑制してきた面があります。「人間的な考えをやめよ」、「主観に陥るな」、「感情に走るな」、「生理的なことを教会に持ち込むな」。このような考えは、まさに悪い意味での禁欲主義なのだと思います。

しかし、わたしたちの教派においては、ウェストミンスター小教理問答第一問が「わたしが(神を)喜ぶこと」を人生の目標に定めていることにおいて、悪い意味での禁欲主義というものが禁止されているのだと読むことが可能です。そしてわたしたちは次のように考えることができます。

「伝道の目標とは、このわたしの喜びにこそある。このことを終末論的に考え直すならば、わたしの喜びを究極的に実現するための伝道とはどのようなものであるのかということこそが重要な問題なのである」。このような順序で、わたしたちは、伝道の神学を考えて行くことができるのです。

この文脈でファン・ルーラーが主張するもう一つの重要な点は、伝道のキリスト論的位置づけです。 彼によると、伝道は「キリストの昇天」と「キリストの再臨」の中間時(ちゅうかんじ)になされるものであり、かつ両者の間をつなぐ要素はローマ・カトリック教会が考えたような連続性(キリストの受肉の継続としての教会など)や自然的要素(血縁、血統、遺伝など)ではなく「飛躍」(sprong)であると言っています。

いま、私は二つのことを申し上げました。第一は、「伝道とは中間時の事柄である」ということです。 第二は、「キリストの昇天と再臨をつなぐ要素は飛躍である」ということです。

前者の「伝道とは中間時の事柄である」という命題から引き出される帰結は、伝道の未完結性です。伝道が未完結であるということは、わたしたち自身の信仰も、信仰者としての実存も、そして教会の存在や活動も、すべては未完結のままであるということです。

この点は、牧会的にいえば非常に大きな意味を持つはずです。とくに日本の教会には、家族揃ってあるいは夫婦揃って教会に通っているという方々は少なく、家族の中で一人だけ通っているという方々が非常に多いことを、私はもちろん知っています。その場合にわたしたちが関心を持たざるをえない問題は、家族の救いということです。

そして、この文脈の中で、わたしたちが「伝道の未完結性」という点から考えていくことができるのは、いわゆる「未信者」とは、まさに読んで字のごとく「未だ信仰に至っていない人」のことであり、しかしまたそれは「今は未だ信仰に至っていないが、これから信仰に至るであろう人」のことでもあるという、希望の告白をなすこともできるということです。

さて、ファン・ルーラーが書いているもう一つの点としての「伝道とはキリストの昇天と再臨との中間時を橋渡しする飛躍である」という言葉の意味は何でしょうか。あらかじめ申しあげておきたいのは、これもわたしたちにとっての希望のメッセージになりうるものであるということです。先ほど少しだけ触れましたように、ファン・ルーラーは、この「飛躍」の意味を連続性や自然というものとは反対の意味を持つ言葉としてとらえました。その場合のとくに「自然」とは、血のつながりや民族的一致のことなどを意味しています。

しかし、「伝道」とは、なるほど「飛躍」であるかぎり、「自然的な連続性」という概念では決してとらえることができないものです。この点でわたしたちが知っている現実は、信仰こそは血縁あるいは遺伝によって自動的(オートマティック)に継承されるものではありえないということです。

もしそういうことが現実に起こるであれば、わたしたちが伝道のために死に物狂いで戦うことなど全く無駄で無意味なことになります。子どもたちを苦労して日曜学校に通わせる必要もありません。もし信仰というものが、血から血へと、自動的に、遺伝的に継承されるものであるとするならば、です。

しかし、そのようなことは起こりえないということを、わたしたちは知識の上でも体験の上でも知っています。信仰の継承には、伝道というプロセスがどうしても必要不可欠です。そこに、洗礼を受けた信仰者としての「人間」の存在が必要不可欠であり、かつ信仰者の共同体としての「教会」が必要不可欠なのです。

なぜこのことが、ここにいるわたしたちにとっての希望のメッセージになるのかといえば、「伝道」の意味を考えるときにこそ、わたしたちが教会に集まる理由がはっきりと分かり、さらに教会の存在理由(レゾンデートル)そのものがはっきりと分かるからです。

わたしたちは、日曜日のたびごとに無駄で空しいことをしているわけではありません。神がこの地上で「伝道」のみわざをお進めになるための「道具」として、わたしたち、キリスト者としての個々人と教会とが選ばれ、用いられているのです。

これらの議論が、ファン・ルーラーの『伝道の神学』における第二点の「聖定論的視点」と 第五点の「教会論的視点」の項で扱われています。

人間論的視点から見た「伝道」

次に見ていきますのは、「伝道の神学」を構築していくためにファン・ルーラーが設定した「人間論の視点」とは何なのかということです。

ファン・ルーラーが「人間論」(anthropologie)という概念を用いる場合の意味は、言うまでもなく「神学的人間論」のことであり、とくに改革派神学、あるいは改革派教義学におけるそれのことを指しています。そのことが分かるのは、彼が「人間論的視点」において重要であるとする概念が「神との契約のもとにある人間」、そして「神のかたちとしての人間」の二つであることです。

ファン・ルーラーは、「神との契約」という概念は「人間とは生ける神が御自身の歴史的なみわざに おいて御自身の周りに創出される共同体にはめこまれ受容された、神の協力者(パートナー)である」 ということを我々に理解させるものであるとしています。

また、「神のかたち」という概念は「人間と は神と向き合う位置にある者であり、神は人間においてこそ御自身の本質を表され、映し出してくださる」ということを理解させるものであると言っています。ファン・ルーラーによると、「神のかたち」 という概念のほうが「神との契約」という概念よりも広い範囲を包括している、とも言っています。

そして、このあたりからファン・ルーラーならではの独特の議論が開始されるのですが、彼は「神のかたちとしての人間」という命題の中の「神」を、とくに「聖霊なる神」と結び合わせてとらえています。すると、どうなるか。

「聖霊(なる神)は終始一貫、人間的な姿をおとりになる。聖霊の判断は、人間の判断という形態をとる。聖霊のみわざは人間の体験の中に具体性を持つ。聖霊(プネウマ) 全体は、人間的なるものの中で形態を獲得するのである。」

この個所でファン・ルーラーが描いているのは、伝統的な神学的概念を用いて言えば「聖霊の内住」 (inhabitatio Spiritus sancti)の事態です。つまり、それは、聖霊(なる神)が人間存在の内側に 「住む」ないし「宿る」という事態です。

そして、この「聖霊の内住」という事態は 17世紀の改革派神学者ヨードクス・ファン・ローデンステインの言葉を借りて言うと「三位一体の内住」(inhabitatio Dei trinitatis)でもあるのだと、ファン・ルーラーは他の書物の中で書いています。

つまり、彼に言わせると、「聖霊なる神が人間の中に住んでくださる」ゆえに、結局は、父・子・聖霊なる三位一体の神御自身の判断とわたしたち人間自身の判断とは重なり合うものになっていくのであり、そのようにして、「神御自身のみわざは・わたしたち人間の体験の中で・地上的な形態を獲得するのである」と語ることができるようになるのです。

そして、ファン・ルーラーは次のような衝撃的な命題に至ります。「キリスト教とは啓示と異教主義の混合(アマルガム)である」。

この命題によって彼が何を問いたいのかといえば、たとえば、芸術や科学、また「異教的本性をもつ生の衝動や霊性から生まれる文化」といったものが神の御前に有する価値は何なのかという問いです。たとえば、わたしたちキリスト者は、芸術や科学のすべてを「それは虚偽である」とか「それは偶像礼拝である」などとそっけなく拒否することができるのだろうかという問いです。あるいは、「キリスト教的芸術」や「キリスト教的文化」とは結局何を意味しているのかという問いでもあります。

そのようなものは成り立ちうるのか。わたしたちは何をもってそれらが「キリスト教的」であると判断しうるのかという問いです。この文脈においてファン・ルーラーは、「我々は広範な人間関係の土台をもたず、いかなる具体的な形ももたず、常に狭い稜線を歩くような仕方で、ひたすら潔癖な信仰生活を送らなければならないのだろうか」と書いています。

このファン・ルーラーの問いは、わたしたちの伝道にとって根本的な意義を持っていると思います。 伝道が異教主義に飲み込まれてしまうようなことは決してあってはならないことであるということは よく分かる話です。

この異教の国日本の中で徹底的に非妥協主義の線をとることこそが伝道であるという理解は、ある意味で正しいし、正しすぎるほど正しいものです。しかし、その次にすぐに間違い なく起こる問いは、「それでは、わたしたちは、どこに生きればよいのでしょうか」ということです。

もし異教の要素というものが全く存在しない、いわば「真空領域」というようなものがもはや地上のどこにも無いのだとしたら、わたしたちは「生きる場を失った」、つまり「死ぬしかない」と考えなければならないのでしょうか。

わたしたちの信仰的確信によると、異教とは罪です。しかし、文化そのものは罪でしょうか、芸術は罪でしょうか。いわゆる「俗世間」と呼ばれる何かに対してわたしたちがポジティヴにかかわることは決して許されてはならないことなのでしょうか。キリスト者はそれらのものと常に対立し続ける存在でなければならないのでしょうか。

そうではないはずだということを、ファン・ルーラーは訴えています。この神学者に聞くべきことは多いと、私は信じています。

具体的な提案

最後に、各個教会の伝道の実践に寄与するための具体的な提案をさせていただきます。何の具体性も持たないような「伝道の神学」は概念矛盾です。

しかしまた、これから私が申し上げることの中に、目新しいことはほとんどありません。伝道の新しい方策を私が知っているようなら、松戸小金原教会は今よりもっと成長しているでしょうし、自らの成功例をひっさげて日本キリスト改革派教会と日本の教会全体に向かって大いにアピールしていることでしょう。しかし、そのようなことを私はできていませんし、できません。

第一の提案は、「とにかく〝教会〟を重んじましょう」ということです。わたしたちの主なる神は、「教会を用いて」御自身のみわざを行ってくださるのです。わたしたちが教会において、また教会として行っている奉仕の働きは、それ自体が「神のみわざ」なのです。

第二の提案は、「教会においてこそ、とにかく〝人間〟を重んじましょう」ということです。これを言うと、つまずきを感じるという方がおられるかもしれません。「教会とは、人間を重んじる場所ではなく、神を重んじる場所である」と語るほうが、その方々には納得していただけるかもしれません。しかし、ここでこそ、もう一度思い起こしていただきたいことは、たった今申し上げた「教会は神のみわざである」ということです。

教会においては、神御自身が人間を重んじてくださるのです。神は教会において、教会を通して、わたしたち人間を、神御自身のみわざを推進するための道具として、尊く用いてくださるのです。神がわたしたち人間と「このわたし」を重んじてくださるのですから、神と共に判断すべきわたしたちもまた、〝人間〟 を重んじなければならないのです。

ただし、いま申し上げていることは、わたしたちは「教会に通っている人」だけを重んじるべきであって、それ以外の人々は軽んじるべきであるというような意味ではありません。そのようなことを神がお考えになるだろうかと考えてみるべきです。

そもそも伝道とは、誰に向かってすることでしょうか。わたしたちは、通常の理解によれば、すでに洗礼を受けている人々、すなわち、すでに教会の内側にいる人々に対して「伝道」はしないのです。わたしたちは、いまだに洗礼を受けていない人々、すなわち、いまだ教会の外側にいる人々に対してこそ「伝道」するのです。

事の真相がそうであるという場合に、わたしたちが繰り返し自分自身に問い続けなければならないことは「伝道は嫌味や皮肉や喧嘩腰で可能だろうか」ということです。「俗世間」を一方的に批判し、攻撃するばかりの、常にワサビと辛子を練り合わせたような、辛辣でネガティヴな言葉を重ねることが「伝道」でしょうか。

私には、そのようなやり方で「伝道」は無理だと思われてなりませんので、このことを一つの問いとして、皆さんの前に置いておきます。

第三の提案は、「伝道においてこそ、とにかく〝ノーマルであること〟を重んじましょう」ということです。

ファン・ルーラーの有名な言葉に「我々はキリスト者になるために人間なのではない。人間になるためにキリスト者なのだ」(英訳We are not human in order to become Christian, but we are  Christian in order to become human.)というのがあります。これを別の言葉で言い換えるとしたら、 伝道の目的とは「特殊な人間」を生み出すことではなく、わたしたちが「普通の人間」になることにこそある、ということです。

私は、このファン・ルーラーの命題は非常に正しいものであると信じています。どう間違えても、傲慢の高みに立って「俗世間」を見くだすことが、わたしたちの伝道の目的ではありえないからです。

(2009年10月25日、改革派神学研修所東北教室神学講演会、日本キリスト改革派東仙台教会)

2009年10月21日水曜日

牧師のブロガー化の行き着く先(3)

私が「病床聖餐」ないし「訪問聖餐」の反対者であることについては、ブログ上に一度だけ、「基本的立場と主張」というタイトルをつけた文章の中に書いたことがあります。こういうふうにたくさんの文字の中にちょっとだけ書いておけば、誰の目にもとまらず騒ぎも起きないだろうと思いながら、そっと書きました。しかし、反対の理由はそのとき書いた程度の二、三の点にとどまるものではなく、(ルターを模倣して)95カ条くらいは挙げることができます。それほどまでに私はそれに反対しています。1992年に牧師に任職されて以来「病床聖餐」ないし「訪問聖餐」なることを一度も行ったことはないし、(神学的良心に基づいて)「私は行うことができない」と信じてきました。



2009年10月20日火曜日

牧師のブロガー化の行き着く先(2)

かつて親しい友人と議論する中、彼が次のように言いました。



「説教のほうはインターネットで聴くことができるが、聖餐式はそうは行かない。したがって、我々が日曜日に教会に集まる意味を失わないための鍵は聖餐式である」。



しかし、私はそのような解決策に対して半信半疑です。どちらかといえば疑う気持ちのほうが強い。はっきり言えば否定的です。「そんなふうにウマい具合に事が運ぶだろうか」と首を傾げています。



半信半疑である(はっきり言えば否定的である)理由の一つは、今のトレンドとしての「病床聖餐式」の流行です。あのようなことが流行しているかぎり、聖餐式の意義の強調による問題解決の道はきわめて疑わしいものであると判断せざるをえません。



「病床聖餐式とは何か」ということについての説明は省略しますが、「聖餐式が行われるゆえに、日曜日に教会に人が集まる」というシナリオとは、ちょうど正反対の方向にあるものです。なぜならそれは、聖餐のデリバリーサービスなのですから。「集まる・集める」ベクトルではなく「散る・散らす」ベクトルにあるのが「病床聖餐式」です。



これを明かすと多くの人から嫌われるのでできるだけ書くのを避けてきたのですが、実を言うと、私は「病床聖餐式」の確信的な反対者です。今の流行が去っていくことを心待ちにしています。



私の「病床聖餐反対論」の詳細な内容を親しい人たちは知っていますが、激論を起こしかねないのでこういうところには書かないでおきます。もし個人的にお会いする機会があれば(「もしあれば」です)そのときお話しいたします。逃げも隠れもいたしません。



「病床訪問」が教会役員(牧師、長老、執事)の重要な務めであることは確実です。この点に議論の余地はありません。しかし、それが「病床聖餐式」とセットであることの必然性は全くありません。そのあたりが大抵いつもゴチャ混ぜにされるので、冷静な話ができなくなります。



2009年10月19日月曜日

牧師のブロガー化の行き着く先(1)

「新しい時代の宣教」と題するサイトは、深く広く展開していける自信を持てなくなりましたので廃止しました。



ただ、「インターネット時代の宣教」という点の問題意識を失ったと言っているのではありません。“書かざるをえない衝動”のようなものを感じるときに、随時、この日記に書いていくことにします。



ともかくしきりと考えさせられていることは、言うならば、バランスのとり方のようなことです。



今の「若い人」(※)は、情報のほとんどの部分をインターネットから得ていると言っても過言ではないほどなのです。その人たちにとっては、インターネット内の「公の場」(ブログ、SNSなど)に何も書かないとしたら「何も言っていない」のと同義語なのです。



※日本の教会では70歳くらいの方まで「若い人」と呼ばれることがありますので慎重に言葉を選ぶ必要がありますが、ここでは一応40台くらいまでの人たちのことを言おうとしています。その中には私自身も含めています。



しかし、そのときにこそ考えさせられることは、「教会をブログ化してしまうことができない理由は何か」です。もしそれが何もないとしたら、いわゆる「教会」は不要になります。ブログの書き手と読み手だけで、すべてが成立してしまいます。日曜日に教会堂またはどこかの建物に集まることの意味がもしあるとしても、それはいわゆるインターネット用語で言うところのただの「オフ会」になってしまいます。教会は「情報を得る場」ではなく、純粋に「視認と親睦の場」となります。



しかし、日本の教会の中で昔から(少なくとも私が子どもの頃から)繰り返し使われてきた(が、私は嫌いな)表現は「聞きに行く」です。何のことかといえば、「日曜日に教会の礼拝に出席すること」です。何を「聞きに行く」のかといえば、「牧師の説教」です。つまり、礼拝に出席するとは「牧師の説教を聞きに行くこと」を意味していたというわけです。礼拝の他の要素に関心が無かったのです。賛美歌も祈りも奉仕も交わりも。そういうのはウザいと。今でも「聞きに行く」という言葉をたまに耳にすることがありますので、同じ見方が教会の中で思わず知らず伝承され、再生産されているのだなと感じます。



事実、再生産されているのだと思います。「聞きに行くこと」こそキリスト者が日曜日にすることであると考えてきた人々にとっては、いまは「教会」の存在は不要になってしまっているはずです。なぜなら、パソコンを開きさえすれば、日曜日の朝の数時間を用いて教会堂まで(苦労して)移動して得られるよりもはるかに膨大かつ「正確な」キリスト教に関する情報を得られるからです。賛美歌も祈りも奉仕も交わりも、そのような“ウザい”要素は一切抜きにして、自宅の快適な環境で、ひとりコーヒーでもすすりながら、あるいはベッドに寝そべりながら、「聞きに行くこと」が、インターネットによって可能になってしまったのです。



この趨勢は止められません。止められないからこそ、上記のとおり「バランスのとり方」を考えざるをえなくなります。



私の問いは、「この趨勢の中で牧師は何をすべきか」です。繰り返しいえば、今の「若い人」にとっては、自分のブログを持たない牧師は「何も言っていない」のと同じです。実際たとえば、私がブログやメールを書けない期間が続いたりでもすると「病気にかかられたのですか」と本気で心配していただくことがあるほどです。



だから、牧師もブログを始めざるをえないし、始めた以上続けざるをえない。私がブログを続けているのは、これ、別に、私のひまつぶしではありません。私の言葉を伝えるためにはこの方法以外にはありえない人々が大勢いることが分かっているので、続けているのです。



しかし「牧師のブロガー化」の行き着く先は、日曜日に集まる意味の喪失です。そのことも痛いほど分かっているつもりです。



実際「日曜日に集まる意味など何もない」と考えている人が多いからこそ、日曜日の教会堂はどこも閑散としているのです。日曜日の教会堂が閑散としているのを寂しいと思っているのは牧師も同じです。



このように書くと「別に我々は、牧師に会いに行くために教会に通っているわけではないし、まして牧師を喜ばせるためなどではありえない」という反発を招くだけかもしれませんが(そのような反発を期待したいくらいですが)、もしその要素が完全に否定されるべきなら、牧師は要らないのです。「牧師がいない」という問題で悩み苦しんでいる(いわゆる無牧の)教会の労苦はむなしいものだということになります。



それほど遠くない将来には、パソコンの前に座ってブログを書くだけの牧師(かどうかも分からない人)だけが存在意義を持つようになるでしょう。そのようになって(して)しまってはならないと私自身は(いまだに)信じているので「パソコンの前に座ってブログを書きながら」悩んでいるのです。



2009年10月18日日曜日

わたしの命を守ってくださる方


ヨハネによる福音書8・1~11

「イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。『先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。』イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者たちは、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」

今日は松戸小金原教会の特別伝道集会です。毎年10月にこの集会を計画し、地域の方々にチラシを配ってご案内させていただいています。今日初めて教会の門をくぐってくださった方々を心から歓迎いたします。どうかよろしくお願いいたします。

さて、今日、皆さんと共に行いたいと願っておりますことは、聖書のみことばを学ぶことです。今お読みしましたのは、新約聖書のヨハネによる福音書8章のみことばです。この個所にはたくさんの人が登場します。まずわたしたちの救い主イエス・キリストが登場いたします。二番目にイエスさまのところにひとりの女性を連れて来た大勢の人たちが登場します。そして三番目にその人々に連れて来られたひとりの女性が登場します。

このときイエスさまがなさっていたことは、エルサレムの神殿の境内で、多くの人々の前で、聖書に基づいて神を信じて生きるとはどのようなことであるかをお話しすることでした。つまり、今ここで私がしていることと同じです。ただし、私は今、立ってお話ししていますが、イエスさまは座ってお話ししておられたと書かれています。

そのイエスさまの前に大勢の人々が、どやどやと押しかけてきました。イエスさまのお話を聞いていた人々ではありません。イエスさまが話しておられるのを多くの人々が静かに聞いているその場所に、その話の邪魔をするために、異様な雰囲気の人々が押しかけてきたのです。

その人々がイエスさまのところに来た目的が6節に書かれています。「イエスを試して、訴える口実を得るために」、つまり、彼らはイエスさまの話を聞く気などさらさら持っておらず、ただイエスさまを試すために、イエスさまを罠にかけるために、その場所に押しかけてきたのです。

そのためにこの人々がしたことは、ひとりの女性を連れてくることでした。連れてくるといっても、「どうぞこちらにおいでください」というような紳士的な態度ではなく、服かあるいは髪の毛かでもつかんで引きずって来るというような乱暴な態度で、女性を引っ張って来たのです。

その女性は「姦通の現場で捕らえられた女」(3節)であったと書かれています。捕らえられたとき、あるいはイエスさまの前に引きずって来られたときに、この女性がどんな姿であったかは書かれていませんので分かりません。もしかしたら裸同然だったかもしれません。どのような連れて来られ方をしたかにもよりますが、多くの人々の前に立たされること自体が、本人にとっても、彼女を見る人々にとっても、耐えられないような姿だったのではないかということは容易に想像がつきます。

連れて来た人々は、得意そうな顔をしていたはずです。現行犯逮捕でしたと。疑いの余地はありませんと。また、この女性が連れて来られたときに、イエスさまのお話を聞いていた人々の中にもその女性の姿を興味津津で眺めた人々もいたはずです。ゴシップ記事に興味が集まることは今に始まったことではなく、いつの時代にもあることです。

そして彼らは言いました。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

彼らが言っていることは正しいことです。正しすぎるくらい正しい。なるほどたしかにイスラエル社会では、いわゆる姦通罪は重罪でした。法律的には死刑に値するものでした。しかも、この女性は現行犯でした。現場を押さえられたとなると、言い逃れの余地はありません。

この女性を連れて来た人々の言い分としては、こいつは最悪の罪を犯した人間であり、言い逃れの余地もない状態で押さえられたのだから、どんなに乱暴に扱おうと、公衆の面前にさらそうと構いやしないとばかりに、引きずり出したのです。

しかし、彼らの関心は、この女性をどうするかということ自体には無かったということは、先ほど申し上げたとおりです。彼らの関心は、イエスさまを試すことでした。別の言い方をすれば、イエスさまの化けの皮をはがすことでした。このイエスという人は、なんだかきれいごとを言っているようであるが、本当は違うのだと。

そして、そのことは、この現行犯で捕まった、死刑に値する罪を犯した人間をどのように扱うかを見れば分かる。もし「死刑にすればよい」と言えば、このイエスがいつも言っている愛だの罪の赦しだのというきれいごとは、たちまち崩れてしまうであろう。また、「死刑にしてはならない」と言えば、この男もこの女と同罪である。法律を無視し、罪人に加担する、ひどい人間であると告発することができる。さあ、どっちだと、彼らは手ぐすね引いてイエスさまがどう答えるかを待ちわびたのです。

さて、イエスさまの答えは何だったでしょうか。ここには二つのことが書かれています。私はそのように理解します。第一に書かれているのは「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた」ということです。これがイエスさまの答えであると私は理解します。何も答えていないではないかという見方も、当然ありえます。実際、イエスさまは何も答えておられません。私が申し上げたいことは、要するにそういうことです。つまり、「何も答えない」という答え方があるということです。

イエスさまはしゃがみこまれ、指で地面に何か字を書かれ始めました。何を書かれたのでしょうか。はっきり言いますが全く分かりません。ここにはイエスさまがどんなことをお書きになったかを証明するための根拠は何一つありません。

ところが、実はいくつか説があります。それは、私に言わせていただけば全くデタラメな説です。その中で「こんなことをよく思いついたものだ」と感心しながら読んだ説を、一つだけ紹介します。それは、このときイエスさまがお書きになったのは、旧約聖書の次の御言葉であるというものです。それは「あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人になってはならない」(出エジプト記23・1)と「罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない」(出エジプト23・7)であると。

しかし、これは本当にデタラメな説です。彼女の罪は、現場を押さえられたと言われている以上、疑いの余地のないものだったはずです。彼らは確かなる根拠をもって連れて来たのであり、罪ある人、正しくない人を連れて来たのです。そのことを、詭弁を使って、ごまかしてはいけません。

事実として言えることは、このときイエスさまが何をお書きになっていたかはわたしたちには全く分からないということです。そしてそれに加えて申し上げたいことは、わたしたちはそれを知る必要もないということです。私も今からデタラメなことを言います。最も考えられる可能性として言えることは、おそらくイエスさまは、何か意味のあることをお書きにならなかったのではないかということです。昔のイスラエルに「へのへのもへじ」は無かったと思いますが、それに似たようなことではないでしょうか。そのように考えるほうが、はるかに当たっていると感じます。意味ある言葉を書く必要など全く無かったはずです。彼らを無視すること、相手にしないことこそが、イエスさまの目的であったと思われるのですから。

それどころか、イエスさまは彼らのほうを向いてさえおられません。目を合わせることもしておられません。下を向いて、地面に落書きをされていたのですから。わたしたちなら、アンパンマンの絵でも描いたらいいのです。そのような“抵抗”の仕方が、わたしたちには可能です。

もう一つの点に進みます。今度こそはイエスさまがきちんと口を開いてお答えになった言葉です。彼らがしつこく問い続けるのでイエスさまは身を起こされ、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」とお答えになりました。

このお答えは、これを聞く人々の側でいろんな意味を持ちはじめる言葉だったと思われます。どうとでも解釈できる言葉です。ただし、この場面で直接問題になっていることが姦淫でしたから、その意味で考えた人もいたはずです。「あなたたちの中で、おくさん以外の女性に興味を持ったことが一度もないと言える人がおられるのであれば、どうぞその人から順にこの女性に石を投げて、この女性を打ち殺しなさい」と。

このイエスさまのお答えは「あなたがたに、この女性についてとやかく言う資格がありますか」という逆質問であると理解することも、もちろん可能でしょう。しかし、もう少し深く考えてみる必要がありそうです。なぜなら、ここで問題になっていることは死刑だからです。死刑とは、一人の人間の命を断つことです。「もう二度とこんなことはしません」と反省する余地を与えないことです。そのことを、あなたがたにできますかと、イエスさまは問うておられるのです。ただ単に、どうせあなたたちにもやましいことの一つや二つあるのだから、人を裁く資格などないはずだと言っておられるのとは違うものがあると思われるのです。

ここまでお話ししますと、皆さんの中には、さあこれから関口さんは死刑反対の演説でも始めるのではないかと思われる方がおられるかもしれませんが、今日はそういう話をしたいのではありません。もう少し身近なこと、あるいは日常的なことです。それは、わたしたちが毎日のように体験していることです。

それは、ある人が誰かから責められているときに、どうしたら助けてあげることができるかです。もちろんその場合、責められても仕方がないようなことをした人のことも含まれます。しかし、その人々の中には、死刑にならない場合でも、自分で命を絶とうとする人もいるはずです。責められて、責められて。生きている価値もないと罵られて。周りのすべての人に追い詰められて。

もちろん、わたしたち自身にも、どうしても赦すことができない人がいるという場合もあります。徹底的に責め抜くこと。わたしたちの追及によってその人が追い詰められようと、その先どうなろうとお構いなしに。あるいはまた、わたしたち自身が責められる立場に立つこともあります。長い人生の中で、何度となく。

しかし、そのときに、体を張ってわたしたちの命を守ってくださる方がおられるとしたら、どうでしょうか。イエス・キリストは、この女性の命を守ってくださったのです。悪意に満ちた人々と興味本位の野次馬たちと、このわたし、彼女自身との間に挟まってくださることによって。

彼女もまた、多くの人々の前で罪を暴露された以上、人々が死刑にしなかったとしても、自分で命を断つという道を選んだかもしれません。もし、彼女をかばってくれる人が誰もいなかったとしたら、です。彼女の言い分に耳を傾けてくれる人が一人もいなかったとしたら、です。

私が今日皆さんにお尋ねしたいことは、皆さんは、そのようにして皆さんのことをかばってくれる方を持っておられるでしょうかということです。おくさん、またはだんなさんは、どうでしょうか。子どもさんたちはどうでしょうか。私は別に、皆さんのご家庭に不和をもたらそうとしているわけではありません。けんかしないでください。しかし、家族は最後の最後に頼れますか。頼れるならば、もちろん幸いなことです。しかし、わたしたちが知っている現実は必ずしもそれだけではありません。むしろ決して少なくないケースは、家族の誰かのことで家族全員が第三者から責められる立場に立たされたりすることになるというようなことだったりする。あるいは家庭内に不和があり、互いに責め合うことこそが日常茶飯事になっていたりする。

会社はどうでしょうか。町内会はどうでしょうか。学校時代の同級生や同窓生はどうでしょうか。最後の最後まで皆さんをかばってくれるでしょうか。

私に限ってはそういう人が思い当たりません。友達が少ないなあと思っています。家族は味方してくれると信じていますが、甘いかもしれません。他でもない私自身が家族を傷つけている張本人かもしれませんので。

しかし、私は、それでも生きていくことができます。イエスさまを信じているからです。最後の最後までイエスさまは私をかばってくださると信じているからです。このイエスさまの前で生きているかぎり、ひどい罪を犯すことはできないと自分に言い聞かせることができる。そして私もイエスさまにかばっていただいている者なのだから、責められている人をかばって生きていこうと決心することができます。

困ったときには、どうぞ教会を訪ねてください。皆さんにとって耳触りのよい話ばかりできるわけではありません。罪は罪です。イエスさまがこの女性に最後におっしゃったように「これからはもう罪を犯してはならない」と言わなくてはならない場面もあるでしょう。自分の罪を悔い改めることからしか始めることのできない新しい人生というものがあるのです。

しかし、ひとりで思い詰めないでください。絶望しないでください。生きることをあきらめないでください。わたしには教会があると信じてください。

責める人々の前で、私が地面に何の絵かを描いてみても、それ自体が何の解決にもならないことは分かっています。しかし、皆さんと共にイエスさまが生きておられます。そのことを信じていただくときに必ず道は開けます。イエスさまが皆さんの側に立ってくださり、皆さんの命を守ってくださいます。そのことをどうか信じてください。

(2009年10月18日、松戸小金原教会特別伝道集会)

計画変更です

オランダで2007年より刊行が続いている新訂版『ファン・ルーラー著作集』の未刊分の計画が、このたび大きく変更されました。この件が出版社サイトを通して発表されました。全8巻(11冊)にするとしてきた従来の予定が、全9巻(12冊)になったようです。しかも、第八巻として「説教と黙想」が収録されることになりました。これはとても素晴らしいことです。



巻数を増やすことになった理由は、たぶん間違いなく既刊分(第一巻から第三巻まで)の売れ行きが良いからだと思います。もしかしたら『著作集』の今後の売れ行き次第では、第八巻も二冊ないし三冊くらいまで分冊を出しましょうということになるかもしれません。ぜひそうなってほしいです。



ファン・ルーラーの説教や黙想は存命中から(ある意味、彼の神学以上に)高い評価を与えられてきたというのは、この筋では有名な話です。「『著作集』に説教や黙想を収録する予定はない」と主張してきた従来の出版計画に大いに不満を感じてきただけに、嬉しさひとしおです。



『ファン・ルーラー著作集』全巻タイトル
http://www.aavanruler.nl/index.php?cId=663



Deel 1 De aard van de theologie (prolegomena)
Deel 2 Openbaring en Heilige Schrift
Deel 3 God, schepping, mens, zonde
Deel 4 Christus, Heilige Geest en het heil
Deel 5a en b   Koninkrijk, apostolaat en kerk
Deel 6a en b Politiek, staat en theocratie; Ambt en oecumene
Deel 7 In gesprek: relatie Rome-Reformatie en theologen/filosofen
Deel 8 Preken en meditaties
Deel 9 Register en archiefverwijzingen



2009年10月16日金曜日

バルトとハルナックの論争について

以下は本日、ある牧師に送ったメールの内容です(ブログ公開用に若干修正しました)。



--------------------------------------------------------------------



カール・バルトとアドルフ・フォン・ハルナックの論争を初めて知った場所は、東京神学大学2年生(1985年、19歳)のときに受講した大木英夫先生の「教義学講義」ですので、24年前です。当時は日本語版訳者の水垣渉氏なる方の存在を(名前も)知る由も無かった頃です。



1985年当時は新教出版社版『カール・バルト著作集』既刊巻の初版がだいたい完売した頃だったようで、キリスト教書店の本棚には新刊として第八巻と第十巻が並んでいるだけで、後のすべては非常に入手困難であったことを懐かしく思い起こします。



とくに第一巻は人気があったのか、古本屋で見かけることが滅多に無く、たまに見つけると一万円近い値段がついていたりするシロモノでした。私が持っている第一巻もかなり苦労して古本屋で買ったものです。外の箱がついていないものでしたが、九千円くらいしたはずです。



さて内容に関してですが、先生のおっしゃる「バルトとハルナックのどちらが言っていることも正しい」という点は同感です。ただ、結論の部分に今の私の考えと違うところがあるというか、よく考えてみる必要があると思っている点がありますので、ちょっとだけ書かせていただきます。二点あります。



第一点は、「ただし」以下にお書きになったことです。「どちらも結局、『これが学問的だ』『これが聖霊の導きだ』と言いながら、主観的な言葉に陥っていく危険から逃れられないと思いました」とおっしゃるときの「主観的な言葉」はおそらくネガティヴな意味でおっしゃっているはずです。しかし、「主観的な言葉」のどこが悪いのでしょうか。ここに疑問を感じました。



私の長年の問題意識は「(大学の)学問は客観的なるものであるが、(教会の)信仰は主観的なるものである」→「客観的なるものこそ真理であり、主観的なるものは虚妄である」→「したがって、大学教授になることこそ栄誉であり、田舎牧師のままの一生は悲惨である」という図式をこそ問題にしなければならないというものです。この図式を丸呑みするくらいなら首吊って死ぬ方がましです。



現代思想のトレンドを見ても、純粋な意味での「客観性」を言い張る人々は物笑いのネタにされるのが落ちです。少し目が覚めている人々は「相互主観性」(inter subjectivity)ということを必ず言います。私もそのトレンドに同意しています。



現実に可能なことは、すべての人が「主観的なること」を主張し合うことだけであり、それを互いに調整し合うことによってなるべく普遍的な一致点を見いだしていくしかないのです。その意味ではノーベル物理学賞受賞者の学説も「単なる一つの主観的見解」にすぎません。



第二点は、先生に対する疑問ではなく、引用してくださった岡田稔先生の見解に対する疑問です。



なるほど、岡田先生は『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)で、バルトとハルナックの論争の解決の糸口を「キリストの二性一人格論」に求め、問題解決の模範を四世紀のアウグスティヌスに見いだしています。そして、この岡田先生の解決方法を日本キリスト改革派教会が60年間守り続けて来たのだろうということは、容易に想像できることです。



しかし、この道が問題解決になるとは私にはどうしても思えません。そのように言いうる根拠は以下の二つです。



第一の根拠は、バルト自身がハルナックとの論争後、とくに『教会教義学』の中で求めた道がまさに「キリストの二性一人格論」(「キリスト両性論」でも同じ)における解決であったということです。まさにこの解決方法をこそバルト自身は「キリスト論的集中」(Christological concentration)と呼びましたし、同じことをバルト神学に批判的な人々(この中にファン・ルーラーが含まれます)は「キリスト一元論」(Christ monism)と呼んだのです。



すると、どうなるか。バルト研究者たちは、ハルナックと論争した頃のバルトを「初期バルト」というカテゴリーの中に押し込み、『教会教義学』執筆中のバルト(後期バルト)と区別します。その上で、彼らは次のように説明するでしょう。



「ハルナックとの論争を経たバルトは、キリストの二性一人格論(「キリスト両性論」でも同じ)に信仰と学問との(キリスト教的に)正しい関係を構築するための根拠を見出した。それゆえ岡田氏のバルト批判は当たっていない。アウグスティヌスからカルヴァンへと受け継がれたキリスト教の『キリスト論的な』正統路線は、カール・バルトとバルトの後継者にこそ受け継がれた。的外れな言葉でバルトを批判する岡田氏の一派は、『立場はともかく論は稚拙』である」。



これで岡田説はパーです。



キリストの二性一人格論はバルト‐ハルナック論争の解決にならないと私が考えている第二の根拠は、お察しのとおり、ファン・ルーラーの「キリスト論的視点と聖霊論的視点の構造的差異」についての議論に依拠しています。



キリストの二性一人格論の構造を考えていくと、その「神性」と「人性」は常に対立関係にあるものとしてしか描きだすことができません。しかもその関係のあり方は「受肉」(assumptio carnis)の関係、つまり「永遠のロゴス(言)がサルクス(肉)を摂取した」というものです。そして、その「サルクス(肉)」には、それ自体で自立した「人格」はありません。サルクスは、肉屋に売っている(焼肉の材料と同じ)あの「肉」と同じ物体にすぎません。



すると、どうなるか。「キリストの二性一人格論」に基礎づけられた信仰と学問の関係性は、最終的にはすべての学問を「教会の御用学問」とみなすしか無くなります。もし我々が「サルクスをまとった永遠のロゴス」こそすべての学問が追い求めるべき普遍的な永遠の真理であると考えるならば、です。「神学は諸学の女王であり、諸学は神学の婢である」というあれです。



この論理を神学が抱え込み続けるかぎり、神学の諸学に対する軽蔑心が半ば必然化し、神学者たちを超然化します。「諸学の徒よ、お前らは何も分かっちゃいねえ。我々神学者こそが万物の全真理の把握者である」とでも言いたいかのよう。一種の独裁者(裸の王さま)が教会内を跋扈し続けるでしょう。ともかくこの道は非常に危険なものです。



我々が追い求めるべき道は、「キリスト論的集中」(キリストの二性一人格論への固執)に基づく神学の諸学に対する侮蔑ないし超然化の道(この点ではバルト神学も岡田神学も行き着く先は同じです)ではなく、むしろファン・ルーラーの提案する「三位一体論的・聖霊論的な解決方法」に基づく神学と諸学の共存ないし共生の道であるだろうと、今の私は信じています。



三位一体論的・聖霊論的に考え抜いて行くならば、「神性」と「人性」の関係は対立的な関係ではなく、「友情」にあふれた関係であるということを明らかにすることが可能です。その関係のあり方は「内住」(inhabitatio Spiritus sancti)、つまり「神が人間の内に居まし、人間と共に住んでくださること」なのですから。「友情」(amicitia アミシティア)は、17世紀のヨハネス・コクツェーユスが用いた概念です。



2009年10月15日木曜日

新しい時代の宣教

「新しい時代の宣教」と題するサイトを新設しました。はじめのことばを書きました。



「新しい時代の宣教」URL
http://apostolaat.reformed.jp



--------------------------------------------------------------------



教会の課題としての「新しい時代の宣教」



21世紀になってまもなく10年。この10年間で我々の生活環境は大きな変貌を遂げました。私見によれば、とりわけインターネットの普及が我々にもたらした変化は甚大です。



人間の表現手段の中にこの新しい選択肢が加わったことによって、我々の思想や内的感情のみならず、外面的な生活形態までが良い意味でも、しかし悪い意味でも「変質した」と言わざるをえません。



世界のありとあらゆる情報が、パソコンの前にじっとしたまま全く動かずにいる我々のもとに大量に舞い込んでくる時代になったのですから。「もっと体を動かせ」「外の空気を吸え」と、インターネットを通して教えていただく時代になったのですから。



体を動かさず、外の空気を吸わなくとも、文字や写真や映像などの情報、あるいは著名な思想家の提供する学説や研究成果のほとんどが得られてしまう時代における宗教と教会の役割とは何でしょうか。



この問いは、我々にとって真剣かつ深刻なものでありえます。ここで「我々」とは日本のキリスト教会に仕える者たちです。ぜひ一緒に考えていただけませんか。



2009年10月14日水曜日

ファン・ルーラー研究会結成八周年記念メッセージ

ファン・ルーラー研究会の皆様、



去る2月20日(火)はファン・ルーラー研究会の結成八周年の記念日でした。毎年、同日には記念メッセージを書かせていただいて来ましたが、今年は意図的に、少し遅らせました。



実を言いますと、明日、3月6日(火)に、われわれファン・ルーラー研究会の「顧問」(adviseur)である牧田吉和先生の「神戸改革派神学校教授・校長退任記念最終講義」が、神戸改革派神学校で行われるのです。



牧田先生は、ファン・ルーラー研究会の結成の最初期から、ずっと「顧問」をしてくださいました。神戸改革派神学校では20年間の長きにわたり、校長を務めてこられました。その20年間の後半8年間を、神学校長の激務の中にもかかわらず、われわれファン・ルーラー研究会のご指導をも、喜んで引き受けてくださいました。



わたしがはっきり申し上げることができることは、牧田先生がおられなかったら、ファン・ルーラー研究会は、誕生もしなかったし、八年間も存続し続けることもありえなかった、ということです。



牧田先生はたいへん謙遜な方ですので、「関口さん、そんなこと言わなくてもいいよ」とか何とか言ってくださるような気もするのですが、少なくとも私は、牧田先生の存在を支えにして来ましたし、他の多くの本研究会メンバーも、同じ気持ちであろうと信じています。



牧田先生は、今月、神戸改革派神学校の校長職・教授職を退任され、来月からは高知県にある「日本キリスト改革派山田教会」の牧師になられます。



牧田先生は、牧師に戻られてからもファン・ルーラー研究会の「顧問」であることに変わりはありませんし、いやいや、それどころか、翻訳活動に関しては、これからが本番と考えておられます。



われわれ、ファン・ルーラー研究会の側からすれば、この日(牧田先生の神学校長退任の日!)を心待ちにしていた、という面もあるほどです。



ファン・ルーラー研究会八周年。「八」という数字を見ると、早く「十」にしたいと思うのは私だけでしょうか。まだ一冊の書物もキリスト教書店に並べえていないことを毎年謝罪し、悔いているものですが、「十」の数字を見る頃には驚くべき変貌を遂げていたいと願う今日この頃です。



今年の8月には、われわれの研究会とは姉妹関係にあるアジア・カルヴァン学会主催の「第10回アジア・カルヴァン学会日本大会」が東京で行われます。心から期待し、また応援したいと願っております。



皆様、どうかこれからもよろしくお願いいたします。とくに牧田先生、長年の任務でお疲れのことと思います。くれぐれもご自愛くださいませ。そして、ファン・ルーラー研究会を、これから一層、よろしくお願いいたします。



(2007年3月5日)



ファン・ルーラー研究会結成十周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆様、



昨日は本研究会の「結成10周年記念日」でした。そのようなおめでたい日にもかかわらず、夜遅くまで外出しておりましたので(青山学院大学で「カルヴァン生誕500年記念集会実行委員会」を行っていました)、毎年恒例の「メッセージ」を日付が変わるまでの間に、書くことができませんでした。どうかお許しください。

さて、結成10周年の記念としてファン・ルーラーの講義を一つ翻訳しましたので謹んでご紹介いたします。予定論の講義です。おそらくは本邦初訳です。訳文を現在アペルドールン神学大学修士課程留学中の石原知弘先生にチェックしていただきました。石原先生に心より感謝いたします。

ファン・ルーラー研究会、これからも続けていきます。皆さま、どうかよろしくお願いいたします!

(2009年2月21日)



ファン・ルーラー研究会結成九周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆様、本日は、研究会結成9周年の記念日です。毎年、記念メッセージを書かせていただいていますので、今年も書きます。



○昨年2007年は、わたしたちにとって大きな動きを感じられた年でした。主な動きは以下のとおりです。



(1)8月には、教文館からファン・ルーラーの三冊目の訳書として『キリスト教会と旧約聖書』(矢澤励太先生訳)が出版されました。この本についての素晴らしい書評を牧田吉和先生が『本のひろば』にお書きになりました。



(2)9月には、二年ぶりとなる我々の研究会の「神学セミナー」を日本基督教団頌栄教会で開催することができました。牧田吉和先生が「ファン・ルーラーの喜びの神学」について力強い講演をしてくださいました。



(3)また同月、アメリカのニューブランズウィック神学校で「国際ファン・ルーラー学会」が開催され、アメリカのファン・ルーラー研究者が一堂に会しました。



(4)さらに同月、ついにオランダで新しい『ファン・ルーラー著作集』の第一巻が出版されました(第二巻は今年4月出版予定です)。その『著作集』第一巻の「編集者序」の中に「日本にファン・ルーラー研究会(Van Ruler Translation Society)がある」ことが大々的に紹介されました。『著作集』で紹介されたということは、それが収められる全世界の大学や神学校の図書館にも、我々の研究会の名前が永久に覚えられることになったことを意味しています。



(5)そして、その『著作集』出版記念祝賀会の席で、ファン・ルーラーの息子さんであるケース・ファン・ルーラーさんが、牧田先生がファン・ルーラー家を訪問されたときのエピソードをオランダの碩学たちの前で紹介してくださいました(その音声がインターネットを通じて世界的に紹介されました)。



○日本語版『ファン・ルーラー著作集』の実現の夢はまだ叶いませんが、コツコツとした活動は、続けています。



(1)たとえば、昨年は、日本キリスト教会神学校の紀要『教会の神学』に栗田英昭先生の「ファン・ルーラーの聖霊論におけるキリストとの神秘的合一」と題する堅実な研究論文が掲載されました。



(2)また私も、神戸改革派神学校の紀要『改革派神学』に「地上における神のみわざとしての教会」という論文を書きました。日本基督教団改革長老教会協議会の『季刊 教会』誌にも「改革派神学・長老主義・喜びの人生」という論文を書きました。



○さらに、我々ファン・ルーラー研究会の少し先輩である「アジア・カルヴァン学会」にも、昨年は大きな動きがありました。



もちろん、言うまでもなく、東京代々木・青少年センターで行われた「第10回日本大会」の開催です。世界最高レベルのカルヴァン学者、ライデン大学のヴィム・ヤンセ教授をメイン講師にお迎えし、日本、韓国、台湾、インドネシアから約100名の参加者が東京に結集しました。



○今年の抱負も少し述べておきたいと思います。現在計画中なのは、念願の日本語版『ファン・ルーラー著作集』への道備えとしてのいくつかのステップです。以下のようなことを計画し、具体的に動きはじめています。



(1)「ファン・ルーラー研究会シリーズ」(仮称)の自費出版(発売元を著名な出版社に依頼する計画です)



(2)著名な雑誌へのファン・ルーラーの訳文(訳注・解説つき)の連載



(3)神学セミナーの開催(これは毎年一回開催を原則としてきたものです。内容・日程等は未定)



(4)なお、今年2008年12月10日(水)は、ファン・ルーラー生誕百年記念日です。当日、アムステルダム自由大学で記念講演会が行われます。メイン講師はユルゲン・モルトマン博士です。日本からも参加できる人がいるとよいのですが。



(5)あとは、オランダ語の翻訳にひたすら取り組むこと、そして同時に、繰り返し問われる「なぜ今、日本でファン・ルーラーなのか」という問題にきちんと答えられるように、我々自身の研究と洞察を深めていくことだと思っています。



○メーリングリストは、このところ少し低調気味ですが、これを「命綱」と感じてくださっている方々もおられることを知っております。ありがたく感謝いたします。



どうかこれからもよろしくお願いいたします。どなたもお元気でお過ごしくださいませ。



(2008年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成七周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師) 



本日(2006年2月20日)は、ファン・ルーラー研究会結成7周年記念日です。結成記念日(メーリングリスト立ち上げ日)は、「1999年2月20日」と定めております。



毎年の今日、本研究会の一応「代表」である者が「記念メッセージ」なる一文をしたためてまいりましたので、それを慣わしとし、今年も繰り返したいと思います。



わたしは、とくに選挙をするでもなく、自称「ファン・ルーラー研究会代表」になりました。これを名乗り始めた時期は、忘れました。が、おそらく1999年か2000年のことだと思います。



じつを言いますと、清弘剛生先生とわたしが牧田吉和先生のお宅を訪問し、「ファン・ルーラー研究会の代表になってくださいませんか」とお願いしたことがありました。



そのとき、牧田先生が、「いや、そういうことは、あなたたちがやりなさい」とおっしゃったので、「はい、分かりました。自分たちでやります」と、わたしは「代表」、清弘先生は「書記」を自称することになった次第です。



しかし、今となって思うことは、人の肩書きというのは、じつに面白いものである、ということです。その肩書きを長らく名乗っているうちに、だんだんそういう者になっていく、という面があるのだなあと、今さらながら、実感しております。



わたしが今、自分にとって心底から“名誉”を感じることができる肩書きは、「日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師」であることと「ファン・ルーラー研究会代表」であることだけです。とくに後者のほうは、7年経って、やっとそういうものになりました。



「日本キリスト改革派教会」や「松戸小金原教会」については、大先輩たちが創設したものを受け継いでいるだけですし、まだ何かを語りうるほどの年月が過ぎていません。



しかし、「ファン・ルーラー研究会」については、私物化するつもりは毛頭ありませんが、ただ一点、わたしは、この研究会の結成の最初の日から関わって来、かつ、これまでほとんどすべてのお膳立てをさせていただいた、ということだけは語りうると思っています。



最近はやっと、いろんな方々が、自由に投稿してくださるようになりました。しかし、最初の頃は、“まさにすべてが自作自演の日々”でした。その頃のことを、よく覚えておられる方も多いと思います。



そういう者として、わたしが今まさに感じていること、というか、やっと最近そう思えるようになったことは、何か。



「ファン・ルーラー研究会を作って、本当によかった!」ということです。



何が「よかった!」のか。いろいろあるのですが、いちばん大きなことは、当たり前のことですが、皆様と知り合えたことです。



わたしは、皆様には、本当に感謝しております。牧師などをしておりますと、人知れず大きな重荷を抱えて心理的・物理的重圧に耐えかねていることが実は多々あるのですが、そういうときに届く「VR研メール」に救われたことが何度もあります。



ここに投稿してくださるお一人お一人の名前を挙げて感謝を述べたいところですが、名指しは、嫌がられる元ですので、控えます。でも、それくらい、皆様お一人お一人に感謝しております、ということを、御理解いただけますとうれしいです。



また、「皆様と知り合えたこと」の中には、個人的なつながりの面もありますが、また、いくつかの団体や組織とのかかわりの面も出て来た、ということも、わたしにとって大きな恵みでした。



最近の動きで特筆すべきことは、何と言っても、「アジア・カルヴァン学会(日本支部)」の皆様とのかかわりです。



同学会の世話人会は、2007年8月21日(火)〜23日(木)に東京で開催予定の大規模な会議の準備会が開かれるたびに、わたしのごとき者にも陪席を許可してくださっています。



これはもしかしたら、「ファン・ルーラー研究会代表」が何らかの存在意義を持ちうるようになった証左かもしれません。いずれにせよ、アジア・カルヴァン学会の皆様には、どれだけお礼を申し上げても足りないほど、感謝しております。



また、その他にも、現時点ではまだ、公にご紹介できない動きが、いくつかあります。



これまで何度も、「今年こそ」「今年こそ」と言いながら、皆様の期待を裏切ってきた者が、「ご期待ください」と書くのは、おこがましいことであり、心苦しいことでもありますので、申し上げません。しかし、まもなく、なんらかの形あるものを提供できるのではないかという確かな感触があります、ということだけ、お伝えしておきます。



しかし、です。



以下に申し上げることは、以前から明言しているわたしの“公約”です。



それは、もし「ファン・ルーラー研究会代表」というこの肩書きに、対外的に何らかの意味や権威(?)が生じるようになった時点で、これをどなたかにお譲りしたい、ということです。わたしは、“権威”なるものには、およそ似つかわしくない人間だからです。



どなたか、引き受けてくださらないでしょうか。このお願いは、じつは、このところ、毎年の「記念メッセージ」に書いていることでもあります。



ただし、この種の仕事(一円のお金にもならない無給のシゴト)は、自主的・自発的に引き受けるのでなければ、また、良い意味で「面白がって」引き受けるのでなければ、おそらく決して果たしえないものである、というのが、7年もこんな肩書きを背負ってきた者の実感です。



つまり、次期代表選に「立候補」していただくことが大前提です。立候補者が現れた時点で、わたしは辞めます。とっくの昔に賞味期限切れの者を、一刻も早く引きずりおろしていただきたい。そのことを、心から願っております。



皆様の生活とお働きの上に、イエス・キリストにある祝福が豊かにありますよう、いつもお祈りしております。それではまた。



(2006年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成六周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆様、こんにちは。2月20日(日)は、「ファン・ルーラー研究会 結成六周年記念日」です。例年どおり、世話人会を代表して、「記念メッセージ」をお送りいたします。じつは現在、本日午前中の集会(水曜礼拝)の原稿作成中ですが、息抜きがてら、書きます。ただ、今年の「記念メッセージ」は、あまりグダグダ書くのではなく、常日頃の感謝と、今年の計画とを書くことにします。



[謝辞]



この6年間、メンバーの皆様には、大変お世話になりました。ふだんは、ほとんどお目にかかれない方々ばかりですが、しばしば名簿を見ては、皆さんのお顔やお言葉を思い起こしつつ、本当に感謝しております。



とくに昨年から今年の当初にかけて、牧田吉和先生(神戸改革派神学校校長、本研究会顧問)によるファン・ルーラー関係の講演会が続けて行われたことが特筆できます。



今年1月の神戸改革派神学校の開講講演、2月の説教塾関西地区会の講演が、それぞれファン・ルーラーを主題に行われました。また、神戸ルーテル神学校でも、現在、牧田先生によって「ファン・ルーラーの聖霊論」の特別講義が、連続的に行われていると伺っています。



また、やや私事ですが、昨年9月から毎月1回、「東京キリスト教学園(TCI)ファン・ルーラー研究会」で講師をさせていただくようになったことも、前進でした。講義の内容は、読んでいただいたとおりで、自分で言わないほうがよいかもしれませんが、たぶん分かりやすいものです。



他にも、同種の動きがあるのかもしれません。何かご存じの方は、教えていただけますと、うれしいです。



[計画]



(1)「ファン・ルーラー研究会 第3回公開シンポジウム」



 日時 9月5日(月)午後0時半~5時半
 会場 日本基督教団赤羽教会(東京都北区、JR赤羽駅から徒歩5分)
 主題 「ファン・ルーラーの○○」(未定)



2年前の「第2回公開シンポジウム」には、約30名の出席者を得ました。第3回目は、ぜひとも40〜50名の参加者を求めたいと願っています(ちょっと欲張りすぎでしょうか)。必ず有益な集いになること、請け合います。どなたも、ご予定くださいますよう、お願いいたします。



(2)「ファン・ルーラー研究会 読書会」(仮称)



これはまだ、具体的な計画には至っていないことですが、わたしと一緒に本研究会を立ち上げた清弘剛生先生が、今年4月より、東京の教会に転任されることになりましたので、これを機に、東京のどこかで、ファン・ルーラーの原典講読会を開きたいと願っています。



この計画を、某キリスト教主義大学のF助教授にお知らせしたところ、「ぜひ参加したい」と賛同してくださいました。開始時期が決定し次第、お知らせいたしますので、これにもぜひご参加くださいますよう、お願いいたします。



(3)そして、ついに、「ファン・ルーラー神学論文集」(仮称)の出版を(!?)



また、(毎年言ってはポシャっていて、恥ずかしいかぎりですが)、今年こそ、一冊の訳書を物したいと願っています。



もう発表してもよいと思いますので、発表します。



現在われわれが計画中の「ファン・ルーラー神学論文集」(仮称)の内容は、以下の4つの論文によって構成される予定です。



訳者は牧田吉和先生です。



『ファン・ルーラー神学論文集』(仮称)/牧田吉和訳



まえがき
1、キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異
2、聖霊論の主要線
3、地上の生の評価
4、アポストラートの神学
解題
解説
年表
文献表、など



まず、この4つの論文を選ぶことについて、海外のファン・ルーラー研究者たちに相談した結果、「ファン・ルーラーの神学を紹介するために最も適切な論文が、正しく選ばれた論文集である」というお墨付きを得ました。



訳文については、すでに大筋は完成しているのですが、いくつか微妙な点で、時間がかかっています。



「牧田吉和訳」にしていただくことを、牧田先生御自身が快諾してくださいました。



しかし、それは、(おそらく牧田先生御自身がどこかに書いてくださると思いますが)、「牧田先生が最終的にすべての責任を負ってくださる」という意味であって、「他の誰も協力していない」(=VR研は牧田先生に、すべての責任を丸投げした)という意味ではありません。



6年経っても、一冊の訳書をも出版できないままであることの原因は、ひとえに、わたし(いえ、たぶん、わたし一人)の責任です。牧田先生の責任ではありません。



しかし、仮に今年がダメだった場合にも、来年には何とかしたいし、何とかなるだろうと期待しています。



また、この論文集には、解題や解説、また可能なかぎり年表や文献表なども盛り込みたいと計画中です。



さらに、ある意味、最も大きな目玉になるのは、本論文集の「まえがき」を、ファン・ルーラーの五番目の子どもさんである、三女ベテッケ・ファン・ルーラー先生Prof. dr. Betteke van Ruler(アムステルダム大学社会学部教授)に書いていただく約束を、得ることができたことです!



ベテッケ先生は、その仕事を、非常に喜んで、引き受けてくださいました。訳文についても、オランダ語原典からの翻訳は「本邦初」となりますが、ベテッケ先生による「まえがき」が、本訳書の価値を、数倍、数十倍にも高めてくれるに違いありません。



9月の「第3回公開シンポジウム」に出版が間に合えば、たぶん、話題性も高まるのですけどね。しかし、そういうことにはあまり拘らず、焦らず、急がず、きちんとしたものを出せるように努力していく所存です。



(4)最後に「代表者の交代」の件



新しい代表者が与えられますようにと、毎日祈っています。6年は、いくらなんでも長すぎます。「替わってあげるよ」と優しく立候補してくださる方を、募集中です。世話人たちは、みんな忙しすぎて、ダメなんだそうです。ある日突然、われわれの代表者になってくださる「VR研のホリエモン」を、募集中です。



それではまた。(仕事に戻ります)



(2005年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成五周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆様、こんにちは。本日は、ファン・ルーラー研究会結成5周年記念日です。これまで毎年この日には、世話人会を代表して、感謝のご挨拶を述べさせていただきました。本日も朝から、どのような言葉を書こうかと、あれこれ迷っておりましたが、午前中は長女の幼稚園の学芸会を参観に行ったり、午後もなんだかいろいろと忙しくしていた関係で、すっかり夜が更けてしまいました。しかし、これはクリスマス同様、年に一度の機会ですので、日付が変わらぬうちに書かなければ、意味が薄れるように思います。言葉が足らないことをあらかじめお断りしつつ、常日頃お世話になっております皆様に一言、心から感謝を申し上げたく存じます。



思い返せば昨年8月のこと、『伝道と文化の神学』と題する一冊の訳書の出現で、わたしたちファン・ルーラー研究会は、ちょっと焦りました。それは、わたしたち自身の訳書をできるだけ早く世に問いたい、と強く願わされる発奮の機会となりました。その意味で、今や「ファン・リューラー」の出版社である教文館様と訳者の長山道先生に、この場をお借りして、心からなる感謝を申し上げたいと思います。



わたしたち自身を省みますと、「今年こそ、今年こそ」と口にしては、なかなか実現しない出版活動ですが、拙速な作品をひねり出すよりも、じっくり熟成した作品を送り出したいとの一念で取り組んでおります。



言い訳が多いと見苦しいばかりですが、翻訳に時間がかかっていることには、いくつかの理由があります。



その理由のうち大きな一つは、これです。 ファン・ルーラーの書物を読めば読むほど、明らかに意図的な “アフォリズム”(短く言い切る文章表現)が多用されているファン・ルーラーの文章は、たくさんの訳注をつけるか、もしくは、大幅な拡張や敷衍を施して意訳するかでもしないと、日本語として全く理解不可能な訳文とならざるをえないことが、分かってきたのです。



また、とくに、ファン・ルーラーが活躍した当時の「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde Kerk)の状況が明らかにならないかぎり、彼の言葉の真意を把握することは不可能である、ということが、分かってきたのです。頭を抱えることの多い日々を、過ごしています。



しかし、今ここで、皆様の前で、お約束したいことがあります。それは、わたしたちが今後もし「ファン・ルーラー研究会編訳」の書物を出版することができたときには、その書物は、以下のような特色を持っているであろう、ということです。



(1)原文に忠実な翻訳。



(2)一般の日本人に理解できる文章。



(3)夜、ベッドの上で安心して開くことができ、それによって明日の仕事に就く勇気と喜びが与えられる書物。



こういうものを、わたしたちは、目指しています。この三つの特色は互いに衝突しあうものである、と痛感しております。



わたしたちは、いわゆるプロの翻訳家集団ではありません。本業の合間に時間を創り出しては、翻訳作業に取り組んでおりますが、それなりの「産みの苦しみ」を味わっています。



どうか引き続き、温かいご理解とご協力をお願いいたします。皆様のお祈りだけが、わたしたちの支えです。今後ともお世話になります。



(2004年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成四周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆さま、こんにちは。本日(2月20日)は、「ファン・ルーラー研究会」結成四周年記念日です。 この良き機会に、代表を仰せつかっている者から一言、日ごろのお礼と四周年を迎えることができた喜びを申し上げたく存じます。



今から四年前の1999年2月20日、「ファン・ルーラー研究会」は、インターネット上のメーリングリストとして結成されました。当時の世界は、マイクロソフト社肝いりの「ウィンドウズ98」の流行に伴い、インターネットの利用者が爆発的に増えようとしていた時期でもありました。パソコンソフト自体もそれ以前のような専門的技能を持った人々だけしか扱えないものではなく、小人から高齢者まで幅広い層の人々にも利用できるパソコンへと生まれ変わろうとしていました。



その頃はまた、キリスト教界でもインターネット利用の是非が盛んに議論されていました。同志社大学神学部ホームページをはじめ、神学関係の情報も、わずかずつではありましたが、インターネットを通して、広く提供されはじめていました。しかし、他方、当時世間を騒がせていた怪しい宗教団体や犯罪に走る少年たちも、みんなインターネットを利用していたことから、こういう(アングラな?)世界そのものが汚らわしい、まして、聖なる教会がインターネットなどという怪しげな道具を利用する、という考えそのものが如何わしい、と感じていた人々も少なくなかったと思います。



しかし、当時、わたしたちは、「こんな便利な文明の利器を、神学の学びのために使わない手は無い」と単純に考えました。そして、とくにそのとき思いついたことが、神学の学びには不可欠である、「翻訳」という作業でした。



ぶっちゃけた話、わたしたちは、その当時から、日本のキリスト教書店に並んでいる多くの「翻訳」に、いろんな意味での疑問や不満を感じていました。翻訳者が心がけるべき最も重要なことは、言うまでもなく、原著者の意図をできるだけ正確に理解し、他言語の思想体系の中で生きている人々の心の中で深く把握でき、納得できる言葉に置き換える作業でしょう。訳者だけに理解できる言葉、訳者自身も理解できない言葉は、端的に言って「異言」です。しかし、そういう「翻訳」があまりにも多すぎる。原著者の名前に魅かれて買ったは良いが、読んでも理解不可能である。



それでも、神学生になり、牧師になった最初の頃は、「この文章を理解できないのは、わたしの頭が悪いからである」と殊勝なことを考えていました。しかし、こういう殊勝な考え方は根本的に誤っている、と思い始めるようになったきっかけは、(名前を挙げて申し訳ございませんが)神戸改革派神学校で牧田吉和先生と市川康則先生の教義学の講義を聴く機会を与えられたことです。



両先生は、少なくとも私にとって「理解可能な言葉」で語ってくださいました。わたしのような足りない頭の持ち主にも、深い納得と感動を与えていただける「日本語」を語ってくださいました。「分からない日本語」を分からないままで放置しておくようなことを決してなさらない方々と出会うことが許されたときに初めて、わたしは、現在のキリスト教書店に立ち並ぶ、多くの「翻訳」を理解できないのは、自分の頭の悪さだけの責任ではないのかもしれないと感じ、それまでわが身を捕らえてきた「呪縛」のようなものから解放されたような思いになりました。



それで、わたしは考えました。「翻訳」において本当に大切なことは「共同作業」ではないだろうか、と。単純に言って、個人よりも複数、少数よりも多数のほうが「翻訳」にはふさわしい、と。また、わたしは、良質の翻訳なしに日本の神学と教会の発展はありえない、と思いました。諸外国にむやみに依存する必要はないかもしれませんが、諸外国から学ばなければならないことは、まだまだたくさんあるはずです。それが事実であるとすれば、「共同翻訳作業」ということもまた、神と教会に仕えることを志す者たちにとっての、一つの大切な奉仕になりうるのではないか、と。



とはいえ、わたしは、(古い言い方ですが)「象牙の塔」の中で、一部の権威者の下で、少人数でなされる翻訳作業の重要さも理解しているつもりです。「翻訳」という重労働を徹底すれば、何かの本業の片手間にできる副業ではありえません。また、情報管理の観点から見て、専門的な知識と労苦を伴って生み出された作品が「流出」することは好ましくないということも理解できます。



しかし、他方、キリスト教書店で買ってきた本を開きながら、深く感じることがあるのです。



この本が出版される「前」に、一度で良いから、専門外の人々、あるいは教会外(キリスト教界外)の人々に読んでもらうべきではなかったのか。「異言」ではない「理解可能な日本語」であるかどうかを、客観的な目を持つ人々に判断してもらうべきではなかったのか。原著者は、この個所、あの個所で、非常に分かりやすく感動的な文章を書いているのに、訳者がそれを全く台無しにしてしまっている、ということに、どうして気づかないのか!



日本の神学研究者たちの中には、独特の「秘密主義」があるのではないか。「どうせ分かりっこないのだから」という投げやりな態度、マイノリティコンプレックスのような卑屈さ、「難しいことを教えてやってんだ」というような相手を見下げる態度、などなど。こういうことが、わたしの単なる「邪推」であることを、心から願うばかりです。



ともかく、わたし個人は、やや傲慢な理想と現状打破の闘志に燃えて、本研究会の結成メンバーの一人として名を連ねた責任を感じつつ、四年を経た今、現実の力不足と多忙さに押しつぶされつつ、いつも追い詰められたような気分で毎日を過ごしております。現実と理想の恐ろしいまでの乖離に苦しんでおります。



しかし、これは本当に幸いなことだなあ、と実感できるのは、この研究会に参加してくださっている皆様が、たとえ「無言」でも、応援してくださっていることが分かるときです。わたしはこの四年間ずっとメーリングリストの管理人を務めてきた者として感謝のうちにご報告できますことは、現在メーリングリストに登録されている82名のメールアドレスは、四年前の結成から、ほとんど誰もいなくなられないで、ずっと登録し続けてくださった方々のご好意の集積である、ということです。これは特筆すべきことであると思います。



また、多くの他のメーリングリストにおいて見られるような「荒れ」(他の登録者を故意に怒らせたり、傷つけたりするような投稿をめぐって対立・乱戦が起こることの総称)も、これまでに一度も起こったことがありませんでした。管理人であるわたしが、最も過激で、陳腐で、意味不明で、間違いだらけの文章を書いているという自覚がありますのに、見捨てないで、付き合ってくださいました。



もちろんそれは、この研究会の趣旨がもっぱら「ファン・ルーラー研究」にあり、「ファン・ルーラー」という神学者への関心と敬意から来るものであるのだ、とわたしは信じております。わたしの書くような、どうでもよい部分については、どうか適当に読み流すなり、即刻削除してくださるなりして、今後とも本研究会を応援してくださいますなら幸甚に存じます。皆様に心から感謝いたします。



最後になりましたが、毎年、結成記念日である2月20日には同じようなことを書いてまいりましたが、今年もこの機会をお借りして、ふだんお礼を申し上げることの少ない世話人の方々に、謝辞を述べさせていただきます。



顧問として常にわたしたちの活動を、学的責任をもって見守ってくださっている牧田吉和先生(神戸改革派神学校校長)、また本研究会の結成当初から関わってくださっている書記の清弘剛生先生(日本キリスト教団大阪のぞみ教会牧師)、会計の石原知弘先生(日本キリスト改革派北神戸キリスト教会伝道者)、さらに朝岡勝先生(日本同盟キリスト教団徳丸町キリスト教会牧師)、栗田英昭先生(日本キリスト教会多摩ニュータウン永山教会牧師)、そして最後になりましたが、牧師たちの身内意識で固まりがちのところを、教会の長老として、学的権威をもって厳しく見守ってくださっている田上雅徳長老(日本キリスト改革派千城台教会長老、慶應義塾大学法学部助教授)に、特別な感謝をささげます。



また、(言葉の壁により)メーリングリストの参加者になっていただくことができませんが、常に応援してくださっているオランダ、南アフリカ、アメリカなどのファン・ルーラー研究者の皆様にも、この場をお借りして感謝を申し上げます。



いつもながら、たいへん長々しい文章となり、申し訳ございません。一年後に迎える五周年記念日のあたりで、そろそろ代表者を変えていただくほうがよいのではないかと感じていますので、その件も今後ご検討いただきたく願っております。今後ともよろしくお願いいたします。どなたもお元気でお過ごしくださいませ。



(2003年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成三周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師)



ファン・ルーラー研究会のみなさま、こんにちは。今日(2002年2月20日)は、「ファン・ルーラー研究会(メーリングリスト)結成3周年」の記念日です!



なんと、3年も続けてきてしまいました。現在登録者70名(海外からの登録社で日本語が読めないとの理由で配信停止中のメンバーを除く)。本当に素晴らしいことであると、われらの神に感謝しています。



いろいろ書き始めると、あれもこれも思い起こされ、長くなりそうなので、やめます。そこで、一言だけ。



「2周年」のときも書いたことですが、研究会の顧問を引き受けてくださっている牧田吉和先生(神戸改革派神学校校長)、ならびに世話人会のみなさまに日頃の感謝を申し上げることで、結成3周年に際し、研究会代表として述べるべきご挨拶と代えさせていただきます。



牧田先生、いつもご多忙中にもかかわらず、私たちの拙い訳文や議論を温かく見守ってくださり、ご指導いただき、本当にありがとうございます。私たちはこれからもファン・ルーラー研究を中心に、広くオランダ改革派の神学や教会への関心を深めて行くことを通して、研究の成果を日本におけるキリスト教伝道、ならびに教会形成・文化形成のために生かして行きたく願っております。今後ともご指導・ご鞭撻いただきたく、こころよりお願い申し上げます。



世話人会の清弘剛生先生(日本キリスト教団大阪のぞみ教会牧師)、田上雅徳先生(慶應義塾大学助教授)、朝岡勝先生(日本同盟キリスト教団徳丸町キリスト教会牧師)、石原知弘先生(神戸改革派神学校特別研究生)、いつもお世話になり、心強く思っております。ふだんはメールだけのお付き合いですが、今年夏に予定している第2回シンポジウム(日時・場所未定)でお目にかかれることを、楽しみにしています。また、ふだん「身内」と思い、ついぞんざいな扱いをしてしまうことを、どうぞお許しください。心の中ではたいへんご尊敬申し上げております。



加えて、現在着々とP. R. フリーズ先生の大著の翻訳を続けてくださっている栗田英昭先生(日本キリスト教会多摩ニュータウン永山教会牧師)、村上恵理也先生(日本キリスト教団松戸教会牧師)、弓矢健児先生(日本キリスト改革派新座志木教会牧師)にも、そのご労苦に対し、深く感謝いたします。先週も、フリーズ先生とメールの交換を行ったばかりですが、先生自身が、日本語版の翻訳出版計画をたいへん喜んでおられます。日本語版の出版社などは決まっていませんが、本書を何とか出版して世に問うことが、日本におけるファン・ルーラー研究の土台になるに違いないと、わたし自身は確信しております。



翻訳は孤独で悩み多い業ですが、かならず報われるときが来ます。さらに多くの翻訳者が備えられることを、心から期待しています。またわたし自身、もっともっと力を付けて行かなければならないと強く願っているところです。



みなさま、今後ともよろしくお願いいたします。それではまた。



(2002年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成二周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師) 



ファン・ルーラー研究会の皆様、こんにちは。本日は、本研究会の設立2周年の記念日です。これまで皆様にはたいへんお世話になり、また「試行錯誤」と称する誤訳・珍訳の連続に付き合っていただき、心から感謝しております。



思い返せば、2年前。東京神学大学で同級生であった清弘剛生先生(日本キリスト教団大阪のぞみ教会)と、関口の二人が、東神大時代の同級生の生原美典先生(日本キリスト教団松前教会)と土肥聡先生(日本キリスト教団室戸教会)の合計四名で、「ファン・ルーラーを原文で読む」ことのみを目的とする、硬派系のメーリングリストを立ち上げました。



サーバーは、最初はニフティサーブ(有料)、次にワンリスト(無料、英文広告付き)、そして今のEグループ(無料、和文広告付き)と、変更してきました。今のEグループは、無料は魅力ですが、広告はいまだに慣れません。



しかし、それからというもの、ひたすら勧誘に勧誘を重ねて、今ではなんと45名の登録者が与えられ、うれしいやら、恥かしいやら。教派の広がりとしても、日本キリスト教団、日本キリスト教会、日本長老教会、日本同盟キリスト教団、そして日本キリスト改革派教会、と広い範囲に及んでいます。また、日本キリスト教団内でも、「改革長老教会協議会」のメンバーや、「メソジスト系」や「バプテスト系」にアイデンティティを感じておられる方々など、さまざまです。ここでお一人お一人の名前を挙げませんけれど、どなたにも、本当に感謝しております。ウソではなく、一通一通メールを送信するたびに、メンバーのお一人お一人の顔を思い浮かべながら(顔を知らない方は、書かれた論文などを思い浮かべながら)、「こんなことを書くと、あの方は、どんなふうに受けとめるだろうか」、と想像力を働かせています。



しかし、ただお一人だけ、名前を挙げて感謝を申し上げたい方は、設立まもなくして参加してくださり、本研究会の「顧問」(アドバイザー)を喜んで引き受けてくださった神戸改革派神学校の牧田吉和校長です。牧田先生の参加により、本研究会の対外的信頼度がぐっとアップしたことは、得がたい恵みでした。また牧田先生は、昨年8月に行った「ファン・ルーラー研究会第1回世話人会」の会場としてご自宅を開放してくださり、奥様にはおいしいケーキなどいただき、本当にありがとうございました。



また、来日講演以来、日本の者たちと知己を得てくださったユトレヒト大学神学部のヘリット・イミンク教授の(もちろんメールによる)ご指導が得られたことも、ネイティブのオランダ語のニュアンスが全く分からない者たちにとって、大きな助けでした。おまけに、Eグループが国際系サーバーであることから、アメリカ最古の神学校、ニューブランズウィック神学校長でファン・ルーラー研究者であるポール・フリーズ教授が、われわれのグループの存在を見つけてくださり、先方からメールでコンタクトを求めてくださり、ご指導いただけることに!



また、オランダ在住アメリカ人のファン・ルーラー研究者ルーベン・アルヴァレイド氏とのコンタクトも生まれ、本研究会との連携のもとに、「英語版ファン・ルーラー研究会」を立ち上げてくださったり。こうして、なんだか、いつのまにか、本研究会が「国際組織」になってしまったことも、インターネットの威力を思い知らされる機会でした。



しかし、まだ、まだ、まだ、まだ(「まだ」がたくさん!)、ファン・ルーラーならびにオランダ改革派神学の研究は、日本では始まったばかり。頂上は遥か彼方、「登山口に着いた」と語ることさえおこがましい段階です。知ったかぶりなど、すればするほど、恥の上塗りです。



というわけで、私共としましては、オランダ語にはあいかわらず泣かされつつ、日々の忙しさのなかにあってもなお、石に噛り付いてでも、このMLの存続と研究会の活性化のために尽力してまいりたいと願っておりますので、今後ともお付き合いいただけるならば幸いです。



また最後になりましたが、 身内と思って、いつもはつい「ぞんざい」になってしまうのですが、このMLの共同管理人でもある世話人会スタッフの皆様に、心からなる感謝を申し上げます。



以上をもって、2周年のごあいさつと代えさせていただきます。それではまた。



(2001年2月20日)



ファン・ルーラー研究会結成一周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師)



みなさん、こんばんは。じつは本日、2000年2月20日は、ファン・ルーラー研究会メーリングリストの「1周年」の記念日です。この機会に、これまでのみなさまのご理解とご協力を心から感謝申し上げたいと思い、謹んでこのメールをお送りいたします。



もっとも、1年前の今日よりも少し前から、清弘剛生先生(日本キリスト教団大阪のぞみ教会牧師)とわたしの二人だけで、「ふたりファン・ルーラー研究会」を続けていました。 でも、だんだん面白くなってきて、この楽しみをたくさんの人たちと共有できたらいいね、というような話になって、思い切ってメーリングリストを始めることになりました。



「オランダ語」と「改革派神学」と「ファン・ルーラー」という、これまでの日本の中にほとんど蓄積のない領域の話で、正直よく「1年」も続けてこれたものだと自分で驚きます。



清弘先生は別格ですが、わたしのほうは本来「勉強嫌い」の人間であること、なかでも語学は大の苦手であること、とても飽きっぽい人間であること、実際いくつかのメーリングリストを、作っては眠らせ、作っては眠らせしてきた常習犯であることなど、考え合わせますと、とても信じがたいものがあります。



それもこれもすべては、参加の呼びかけに快く応じてくださった皆さまお一人お一人の応援のおかげ、そして、抜群の語学力と洞察力をお持ちの清弘先生のおかげであると、本当に心から感謝しています。



また、顧問を快く引き受けてくださった神戸改革派神学校の牧田吉和先生には、特別な感謝を申し上げます。 さらに、メーリングリストのメンバーではありませんが、わたしの幼稚な英文の質問にもかかわらず、非常に丁寧かつ懇切に、そして即座に(いずれも48時間以内)ご回答くださったユトレヒト大学神学部のヘリット・イミンク先生にも感謝したいと思います。 どうか、これからも温かいご理解とご協力をよろしくお願いいたします。



研究会発足1周年への祝辞、また活動内容についてのご意見やご要望など、どしどしお寄せいただけるとうれしいです。



(2000年2月20日)



2009年10月13日火曜日

とにかくこういう本を書きます

一向にまとまらない(片頭痛もちの)頭を抱えながら、紆余曲折の日々を過ごしています。「しかし人生は長くない」と思うゆえに、どんどん増えていく一方でなかなか仕上がっていかない多くの仕事や課題を横目に見ながら、焦りと危機感を募らせています。



神学に関することだけに絞って言えば、要するに『アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー』(仮題)という本を自分自身で書くことができるならば、それこそが最もはっきりした責任の取り方になるだろうと分かってはいます。過去10年間、そのことに特化した生活を送って来たようなものですから。



オランダ語版『ファン・ルーラー著作集』の全訳など、どう考えても(難しく考えなくても)一人の人間に可能なことではありません。五千ページを越えることが確実な状況です。それを正しい日本語にしていく仕事は多くの人が寄ってたかって取り組むことです。特定の個人がひたすら翻訳と研究に専念しうる(それだけで生計が成り立つ)きわめて特別かつ快適な「神学的環境」が日本のどこかにあるとでもいうならば話は別ですが、少なくとも私が生きているうちに(「21世紀前半までに」という意味で書いています)そのような環境が整備されることはありえないだろうと考えております。



もし仮に日本語版『ファン・ルーラー著作集』の実現のために私になしうることがあるとしても(そして私はそのための努力を惜しんだ日は過去10年間のうちの一日もないのですが)、それはその壮大なる事業全体の中のほんのわずかな一部分であるとしか表現しようがありません。



日曜日から昨日にかけて松戸小金原教会の一泊修養会がありました。また、私と一人の長老は修養会を途中で退席し、昨日行われたひたちなか伝道所の教会設立式のほうに行きました。13時から始まった教会設立式は15時頃まで行われました。早く帰宅しなければならない事情が生じましたので、式後の祝賀会は失礼させていただき、15時にはひたちなかを出発しました。



ところがその帰り道、常磐道の掲示板に「谷田部IC~流山IC 事故渋滞20キロ(120分)」と電光表示されているのを見て、げんなり。仕方なく谷田部ICで一般道に降りたのですが、連休の最終日だったからでしょう、下の道も大渋滞。結局、帰宅は19時となりました。



自動車の中で4時間も退屈な拘束に遭いましたので、ひまつぶしがてら、将来の自著『アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー』(仮題)の構想を練ってみました。それが下記の梗概(案)です。「広くて浅い」ファン・ルーラー紹介書です。これまでにメールだブログだで書き散らしてきたことを整理するのも一つの重要な目標ですので、目新しい内容はそれほどありません。



とにかくこういうのを書きます。これは自分との約束にします。タイムスケジュールとしてはオランダで刊行中の『ファン・ルーラー著作集』全八巻が出揃うのが予定では2013年ですので、それを参照するためにはどうしてもその後になってしまいます。目標は2015年、私が50歳になる年です。しかし、そんなには待っていただけない方々のために、ちょくちょく小出しにしていきます。本を書くとは忍の一字であるなと、つくづく思います。



そして、仕上がった段階で自費出版でもするか(そのときわが家に金銭的余裕がありうるとは思えませんが)、どこか引き受けてくださるところがあればお願いするかを考えることにします。



関口 康著『アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー』(仮題)の梗概(案)



上巻 第一部 生涯



下巻 第二部 神学