2009年10月14日水曜日

ファン・ルーラー研究会結成五周年記念メッセージ

関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派山梨栄光教会牧師)



ファン・ルーラー研究会の皆様、こんにちは。本日は、ファン・ルーラー研究会結成5周年記念日です。これまで毎年この日には、世話人会を代表して、感謝のご挨拶を述べさせていただきました。本日も朝から、どのような言葉を書こうかと、あれこれ迷っておりましたが、午前中は長女の幼稚園の学芸会を参観に行ったり、午後もなんだかいろいろと忙しくしていた関係で、すっかり夜が更けてしまいました。しかし、これはクリスマス同様、年に一度の機会ですので、日付が変わらぬうちに書かなければ、意味が薄れるように思います。言葉が足らないことをあらかじめお断りしつつ、常日頃お世話になっております皆様に一言、心から感謝を申し上げたく存じます。



思い返せば昨年8月のこと、『伝道と文化の神学』と題する一冊の訳書の出現で、わたしたちファン・ルーラー研究会は、ちょっと焦りました。それは、わたしたち自身の訳書をできるだけ早く世に問いたい、と強く願わされる発奮の機会となりました。その意味で、今や「ファン・リューラー」の出版社である教文館様と訳者の長山道先生に、この場をお借りして、心からなる感謝を申し上げたいと思います。



わたしたち自身を省みますと、「今年こそ、今年こそ」と口にしては、なかなか実現しない出版活動ですが、拙速な作品をひねり出すよりも、じっくり熟成した作品を送り出したいとの一念で取り組んでおります。



言い訳が多いと見苦しいばかりですが、翻訳に時間がかかっていることには、いくつかの理由があります。



その理由のうち大きな一つは、これです。 ファン・ルーラーの書物を読めば読むほど、明らかに意図的な “アフォリズム”(短く言い切る文章表現)が多用されているファン・ルーラーの文章は、たくさんの訳注をつけるか、もしくは、大幅な拡張や敷衍を施して意訳するかでもしないと、日本語として全く理解不可能な訳文とならざるをえないことが、分かってきたのです。



また、とくに、ファン・ルーラーが活躍した当時の「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde Kerk)の状況が明らかにならないかぎり、彼の言葉の真意を把握することは不可能である、ということが、分かってきたのです。頭を抱えることの多い日々を、過ごしています。



しかし、今ここで、皆様の前で、お約束したいことがあります。それは、わたしたちが今後もし「ファン・ルーラー研究会編訳」の書物を出版することができたときには、その書物は、以下のような特色を持っているであろう、ということです。



(1)原文に忠実な翻訳。



(2)一般の日本人に理解できる文章。



(3)夜、ベッドの上で安心して開くことができ、それによって明日の仕事に就く勇気と喜びが与えられる書物。



こういうものを、わたしたちは、目指しています。この三つの特色は互いに衝突しあうものである、と痛感しております。



わたしたちは、いわゆるプロの翻訳家集団ではありません。本業の合間に時間を創り出しては、翻訳作業に取り組んでおりますが、それなりの「産みの苦しみ」を味わっています。



どうか引き続き、温かいご理解とご協力をお願いいたします。皆様のお祈りだけが、わたしたちの支えです。今後ともお世話になります。



(2004年2月20日)