考えてみれば当たり前のことでもあるのですが、オランダのアブラハム・カイパーとヘルマン・バーフィンクの教義学的著作の至るところに、当時の(いわゆる国教会系)オランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk)から彼らが離脱(りだつ)して新しいオランダ改革派教会(Gereformeerde Kerken in Nederlands)を創設したことについての「弁証」ないし「弁護」という意図が見え隠れしています。
歴史を16世紀までさかのぼれば、カルヴァンだってそう。『キリスト教綱要』にはローマ・カトリック教会から袂を分かつことを余儀なくされた者たちの「弁証」ないし「弁解」という面が、当然のことながら少なからずあります。
今度はぐっと現代日本に引き寄せて、岡田稔先生のことを考えてもそう。『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)を頂点とする岡田先生の著作のいわばすべては、日本基督教団から離脱して創設された「日本キリスト改革派教会」の存在理由(レゾンデートル)を弁証することが目的であったと見ることが可能です。
これで気づかされる(ある意味笑える)点は、「教団離脱者は筆まめである」ということです。
何かを言いたくて書きたくて、どうにも抑えきれなくなる。何より、論じるべき問題についての認識(その広さ、長さ、高さ、深さにおいて)が明確である。「要するに何が問われているか」がクリアである。考えを押し進めていく方向もクリアである。
それゆえ、いったん書き始めると止まらない。量の面では「爆発的に」書く。質の面では「徹底的に厳密に」書く。視野の面では「事柄の最初から最後まで」書く。まさに「創造から神の国まで」(From Creation to Kingdom of God)書く。
そのような書きっぷりが「教義学」には必要なのだと、改めて思い知らされます。
教団離脱組のすべてが必ず教義学者として大成するわけではありませんし、教義学を営む者たちのすべてが必ずどこかの教団から離脱しなければならないというわけでもありません。そのような逆命題が真理か否かは、この際どうでもいいことです。
しかし、現時点では直感的な当てずっぽうですが、「教義学として面白い本を書きえた人々の多くが実は教団離脱者であった」という命題は、もしかしたら成り立つかもしれません。