2009年11月10日火曜日

「なぜ日本にキリスト教は広まらないのか」と問うことをあえて問う

先ほどTwitterで朝日新聞社の@asahiのつぶやきのフォロワー(いわゆる読者)が「20万人をこえちゃいました」(原文)との一報に接しました。毎日新聞社の@mainichijpeditのフォロワーは現在約19万人弱で追走中です。勝間和代さんのフォロワーもかなり肉薄してきています。

香山リカさん(ファンです)が新著『しがみつかない生き方 「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』(幻冬舎新書、2009年)の中に「勝間和代を目指さない」というルールをお書きになって以来、勝間さんのことを書きにくくなってしまいましたが、私は香山さんと勝間さんを応援したいと思っています。けっこう似ているのではないかとか言うと、お二人ともお怒りになるでしょうか。共著が出るようでしたら買います。ともかく仲良くしていただきたいものです。

それにしても気になるのは「オバマ氏も使っている」というふれこみで爆発的に広がった感のあるTwitterです。「今ごはん食べました」、「おいしかったです」、「次はどこに行こうかな」、「喫茶店でコーヒーを飲み始めました」、「そろそろ帰ります」というような逐一の言葉(つぶやき)がネットブックや携帯電話などのモバイルツールによって書き込まれ、それこそ20万倍ものヴォリュームの拡声器にかけられて津々浦々まで伝えられる時代になったというわけです。面白いと言えば、なるほど面白い。うるさいと言えば、これほどうるさいものはありません。

このことは批判的な意味で書いているのではありません。私もTwitterを試してみている一人ですから。考えさせられていることは、結局自分のことです。私のつぶやきをフォローしてくださっているのは13人の方々。サクラではなく、一度もお会いしたことのない方々ばかりです。「まだ始めたばかりですから!」と書いてはおきますが、それでも現実の数字を見てしまうと何だか寂しい思いになるのは、自意識過剰の証拠なのでしょう。

「増えたらいいな」と、そういうこともあまり考えていません。「今週の説教」と「関口康日記」に一応アクセスカウンターをつけてありますが、前者(開設後3年4ヶ月)はやっと5万アクセスを超えたところ、また後者(開設後1年10ヶ月)はもうすぐ4万アクセスというあたり。地味なものです。ブログがこの程度なのに、どうしてTwitterのフォロワーが増えるでしょうか。

開き直るつもりはありませんが、もし私が今のままの話題(「改革派の」教会と神学の話題)だけで20万人以上ものフォロワーを得られる日が来たら、その時点ですでに日本に(無血の)「革命」が起こっていると言ってもよいのではないかと思います。

キリスト教書として今年(2009年)のベストセラーになっているらしい古屋安雄氏の『なぜ日本でキリスト教は広まらないのか 近代日本とキリスト教』(教文館、2009年)は、買いませんし、読みません。別に不買運動をしたいわけではなく、古屋先生はかつて直接教えていただいた教師(「恩師」と呼ばせていただきたいです)の一人でもありますが、逆に言えば、「ぶれない」先生ですから、読む前から結論が分かりますし、私にとっては何の新鮮味もありません。今年6月に久しぶりに講演を聴く機会がありましたので、そのことを確認できました。25年前と全く同じことをおっしゃていました。

そして、何より思うことは、このような恥ずかしいタイトルの本が飛ぶように売れているという状況自体が私にとってはものすごく恥ずかしいことであるということです。だから、買いません。「神さま、どうか、この国をあのようなタイトルの本が全く売れない国(キリスト教が広まる国)にしてください」と毎日祈っているので、買いません。買い「たくあり」ません。

それでも、たとえ牧師であっても(という言い方自体が間違っているわけですが)毎日突きつけられているのは「数の問題」です。今月の礼拝出席者は平均○名だった、増えた、減った。今年の収入はいくらだった、増えた、減った。地上に生きているかぎり、この種の事柄から逃げることはできません。

しかし、です。私が「若い」からでしょうか、まだまだ当分譲れそうもない矜持(きょうじ)があります。それは上に書いたことの繰り返しです。『なぜ日本でキリスト教は広まらないのか』というような、日本の教会とキリスト者たちの日々の苦闘を愚弄するようなタイトルの(お高くとまった)評論で一儲けしようとは思わないということです。

先週「お金、お金、お金。」と書いたばかりですが、そんな金なら要らない。出版の夢を断念して、一生ブログだけで通します。別にそれでも一向に構いませんし、むしろそのほうがはるかに気楽です。「なんとかしてお知らせしたいこと」があると思っているのでシコシコと文字を書いているだけであって、それをどういう形であれ(おそらくは書籍や雑誌の形かブログやメールの活字かのどちらかでしょうけれど)読んでいただける方がいてくださりさえすれば、それ以上の何も要りません。

それと、彼の状況分析は当たっていないと、私自身は考えています。デタラメとまでは申しませんが、あの種の単純な三段論法によって現実の教会は微動だにしないし、あの程度のことで動くくらいなら、あのようなタイトルの本が書かれる必要もないほど日本にキリスト教は「広まって」いることでしょう。

ちなみに、私の夢(たくさんある夢の一つ)は、いつの日かファン・ルーラーの翻訳と研究についての本を書きあげて香山リカ先生に朝日新聞上に書評を書いていただくことです。勝間さんの『目立つ力 インターネットで人生を変える方法』(小学館新書、2009年)によると、こういうことはブログで大々的に公言しておくほうが実現の可能性が高まるそうですので、恥も外聞もなく書いておきます。

しつこいようですが、同じ「本を書く」と言っても、「なぜキリスト教は広まらないのか」というような本は書かないし、書きたくないし、恥ずかしくて仕方がない。芸能界の暴露本のようなものと大差ありません。