2016年8月5日金曜日

プロテスタントのどこがダメかを骨の髄まで

画像の岩波文庫はアンセルムス『クール・デウス・ホモ』
今日はトレルチの論文「倫理学の根本問題」(1902年)を紐解きながら聖書と倫理の歴史的関係を追跡。トレルチは学校現場で読むと彼の意図がよく分かることを実感。「聖書は倫理の代替でありうるか」という焦眉の問題の核心に迫る。

トレルチの論文「倫理学の根本問題」(Grundprobleme der Ethik. Erörtert aus Anlaß von Herrmanns Ethik, 1902)が書かれたのは100年以上前。改めて読んで、プロテスタントのどこがダメかを骨の髄まで知らされ、涙が出た。

ほら、そこ、私が今「プロテスタントのどこがダメかを骨の髄まで知らされ」と書いただけで拒絶反応を起こしているあなた、まさにそこがダメなのだ。そこをトレルチが直接指摘しているわけではないが、他者への攻撃にはめっぽう強いのに、他者から批判されたり、自己批判したりすることにめっぽう弱い。

天才というのは間違いなくいる。トレルチの文章を読みながら、そんなことまで思わされた。今の我々、いやピンポイントの私の状況を、100年以上前のドイツでぴたりと言い当てている。大雑把な占い師然とした当てずっぽうとしてでなく、徹底的な研究と厳密な学問的手続きを経て。かなわないと思った。

ありがたかったのは、トレルチ自身が前世紀初頭のドイツのプロテスタント教会のど真ん中に立ち、激しい苦悩と惨めさの中で書いた文章だと思えたことだ。なんら他人ごとではない。泣きながら書いたのではないかと感じるほどだ。外で言うなとは言わない。だが、中に立ち続けつつ言える人を私は尊敬する。