2016年8月29日月曜日

主語を省略する訓練をしているつもりです

内容とは関係ありません
前にも書いたことがありますが、そもそも私がブログとSNSを始めた最初で最大の「動機」は、ファン・ルーラーの翻訳をしていく中で、それが「日本語にならないこと」を苦にして、どうしたら「日本語」になるかを模索するために、「日本語」を書く訓練をしようと思ったことです。

オランダ語でもドイツ語でも英語でも基本的に、命令形以外はすべての文章に「主語」はあるわけですよね。ik benとかIch binとかI amとか。それを全部「私は」「私は」「私は」と主語をつけて訳していくのが「厳密な訳」ではあると思うのですが、そういう文章は「日本語」らしくない。

そのあたりで悩み始めて、主語をできるだけ省略して文章を短く切り詰め、歯切れのよいリズムをどうやって作っていくかを求める場としてブログとSNSを使いはじめた次第です。金谷武洋氏の『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ)という本はよく読み、ずいぶん影響を受けました。

なんでいまこんなことを書いているのかといえば、私が書く文章に「具体的経験の一般化」をしばしば読み取られる方がおられるので、原因を考えてみた結果、それは私が「主語を省略した文章」を書くからではないかと思い至り、それは私が意図的にしていることですよ、と釈明しているといったところです。

それでも注意深くお読みいただけるなら意外と私は脇固めしながら書いているところがあり、「思うに」とか「と感じる」とか、これは一般化ではなくあくまでも主観的な私見であるということが分かるように書いているつもりです。日本語の動詞がギリシア語のように格変化すればいいのですが、しないので。